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真昼のやわらかい春風が、地面を、頬を撫でるように流れていく。空気は春独特のやさしい匂いで満ち、空には天候の崩れを思わせるような雲もなく、陽射しはぽかぽかと暖かい。ともすれば夢の中に引き込まれてしまうような、穏やかで心地よい陽気であるにもかかわらず、空港の駐車場を足早に歩いている彼女――西野つかさは、少々ご立腹気味だった。 「ねぇ〜、そんなに怒んないでよ〜。」 原因は、先程から彼女の2,3歩後ろをついて歩きながら、情けない声を出しているこの男――真中淳平である。 つかさは別に、淳平の出迎えの態度に不満があったわけではない。久々の再開とは言え、感情を抑えきれずに公衆の面前で思い切り飛びついてしまった自分を、嫌な顔ひとつせず、むしろ心底嬉しそうに受け止めてくれた事を、つかさは喜んでいた。問題はその直後である。 「淳平君・・・。」 急に足を止め、くるりと振り返ったつかさは、まだ拗ねたように頬を膨らませていた。 「アタシ、この前の手紙でなんて言ったっけ?」 ―――遡ること数日――― 二連休の初日、夜更けまでお気に入りの映画を堪能した人間にとって、翌朝の寝坊など最早必然。街がとっくにフル稼働をしている時間、淳平は昨夜観た映画の内の1本を、中でも特に御贔屓のシーンを、夢の中で繰り返し再生していた。だと言うのに・・・。 「ホラ、淳平!休みだからっていつまで寝てるの!」 ノックも無しにドアを開け部屋に入ってきた母親に安眠をぶち壊される。 「んるさいなぁ・・・俺昨日は遅かったんだよぉ。」 布団の中でもぞもぞと身じろぎながら、不機嫌さを隠そうともせずに反論する。もぞもぞが止まると、しっかりと閉じた瞼を開けようと努力する気配すら見せず「そもそも今日は、ずっとこうしてるつもりだったんだよ。」と、付け足した。 普通ならここで困るなり、怒るなりしそうなものだが、丸まった布団から発せられるくぐもった声を聞いた淳平の母は、なんとも意地悪そうにニヤニヤして「いいのかなぁ〜、そんなこと言って♪」と、何やら妙に楽しそうである。 「すっごく良い物があるんだけどなぁ〜。」 母親の言葉に、淳平は「今の俺に、安眠よりも良い物ってどれだけのもんだよ」と、突っ込みを入れようとしたが、その気力すら眠気の中に埋もれ、やがてフェードアウトする。 「アンタ宛に、エアメールが来てるわよ。」 アホらしい、とばかりに淳平は寝返りを打ち、母親に背を向けた。 淳平の記憶にある限り、ビデオカメラ片手に世界を回った時に出会ったホンの数人を除けば、知り合いは全員日本国籍であるし、その数人を含めたって、わざわざ通常よりも高い料金を支払ってまで海外から手紙を送ってくる人物など、淳平の記憶には・・・。 脳が一気に覚醒した。いるではないか、たった一人。さらさらのショートヘアーと、つやつやで美麗と言っても過言ではない唇を持った彼女が。 糊付けされていた上下の瞼の接合部が無理矢理引きちぎられ、掛け布団が天井に叩きつけられんばかりの勢いで跳ね上げられると、2秒後には、扉を半ば体当たりするように開けた淳平が、居間に転がり込んできていた。 卓上のそれと思しき封筒をつかみ、ビリビリと乱暴に封を開け、すぐに中身を読み始めた。 お久しぶりです、淳平君。 立派な映画監督さんにはなれたかな?アタシはなんと、もうすぐ修行が終わりそうです。これでアタシも立派なパティシエだぞっ!すごいだろ〜♪ そこで本題なんだけど、実はアタシが修行してるお店の人たちが卒業のお祝いをしてくれるって言うんだけど、どうせならってことでそこにアタシのお父さんとお母さんも呼ばれたんだ。そのことをこの前二人に話したら、その後フランス旅行もしたいって言うんだ。けど、アタシにとっては、こっちはもう今更って感じで、ホント言うと、早く日本に帰って淳平君に会いたいんだ。 だからお願いなんだけど、アタシが日本に着く日に淳平君に迎えに来てほしいんだ。それで、いっそそのまま二人でどこか旅行にでも行っちゃわない?もちろん、淳平君に迷惑じゃなければの話なんだけど・・・。 この返事は手紙だと時間かかっちゃうから、同封したメモに書いてある番号に電話して下さい。最初はたぶんお店の人が出ると思うからフランス語だと思うけど、英語でかまわないからとりあえず淳平君の名前を言ってみて。淳平君の名前が出れば、たぶんアタシに代わってくれると思うから。 ではでは!また会える日を楽しみにしてます! 追伸 アタシが日本に着いたら、ちゃんと下の名前で呼ぶんだぞっ! その後の電話で淳平は、つかさとの帰国後の旅行のことを簡単に打ち合わせをして、その電話の最後にも「今日は許すけど、日本に着いたら手紙の追伸で書いたこと、忘れないでよ。」と釘を刺されていたのだ。 しかし、つかさを抱き締めながら淳平が放った第一声は「おかえり、”西野”」。 つかさだって、別に本気で怒っているわけではない。ただ、恋人から下の名前で呼ばれたいと思うのは、やはり自然なこと。 「淳平君さぁ、ホントにアタシのこと好き?」 つかさが唇を尖らせて、呟く。 「あ、当たり前だろ!」 「でもさぁ・・・」 思わず大声を出してしまった淳平の言葉を遮るようにつかさが続ける。 「確か、東城さんのことも”東城”って、苗字で呼んでたよね?それって、アタシと東城さんが同じ扱いって事?」 さすがは、つかさ。淳平の痛い部分を的確に突いてきている。本気で疑っているわけではないが、淳平の気持ちを確認するための彼女なりの訴えなのだ。 「アタシは・・・・・んむっ!?」 つかさの言葉が、何の前触れもなく遮られる。突然彼女を抱き締めた淳平の唇によって。ただ単純に触れ合うだけのキスだったが、つかさに対する確かな愛情と優しさがいっぱいに込められている。 淳平は唇をゆっくりと引き剥がすと、そのまま口をつかさの耳元に持っていく。 「俺は、ホントに・・・・・その、つ、『つかさ』のことが・・・大好き、だから・・・。」 心臓がどくん、と一つ跳ねる。お互いに、確認するまでもなく相手の顔が真っ赤なのは解っているし、同じぐらい自分の顔が赤くなっているのもわかる。頬に当たる風が、なんだか先程までよりも断然冷たく感じる。 「そ、そんなこと言って・・・・・誤魔化したって・・・」 口から出た言葉とは正反対に、つかさは恥ずかしそうに、しかしどこか満足したように俯く。 「もうっ!今度から気を付けるんだぞっ!」 つかさは急におどけてみせ、淳平の額に、握り拳をコツンと当てる。淳平も照れ笑いを浮かべながら「努力します」と、言った。そんな彼を見て、あるいは、そんな彼を笑って許している自分を見てつかさは心でそっと呟く。 ――あぁ、やっぱりアタシ、淳平君のこと大好きなんだ―― 「それで?アタシは一体どこに連れて行ってもらえるのかな?」 つかさの笑顔の問いに、淳平は歩きながらつかさに説明していった。右手に、つかさのカバンを携えて。 互いに笑い合い、からかい合い、冗談を言い合いながら、二人は、これから訪れる数日間の旅に、思いを馳せていった。 ちなみに先程からのやり取りは、道行く人々に半分微笑ましく、半分呆れられながらしっかりと見られていたという。 [No.1263] 2006/02/27(Mon) 13:25:46 69.net220148140.t-com.ne.jp |