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お疲れ様でした。 死をテーマにあつかった作品でしたので、自分の作品の参考とさせてもらうかもしれません。 やはり死ほど人の感情を動かすものはないと思います。 もちろん、本当にうれしいこと、楽しいことがあれば、感動したりもするでしょう。 しかし死は取り返しがつかないものであり、死から気づかされることも多いはずです。 でもだからこそ大きな成長の機会なのでしょうね。 死を越えるか、飲み込まれるか。 人はいずれ死にます。 ただ、死の定義について考えると、一言で死といってもいろいろあるでしょう。 生物学的に、心臓や脳が止まったら死なのか。 宗教的になりますが、今現在生きている世界は、死後の世界のための試練であり、同時に尊い生命である、だからこそ儚い一生を輝かしいものとし、その命をかけて死に場所を探す、そういうものだと思います。 つまり、生物学的に死んだ後にもちゃんと世界が続いている。 そういう意味で言えば、命とは、魂のようなものにたまたま肉体が付属している『期間』なのではとも思います。 さらに他の考え方をすると、 死者は間違いなく生者に影響を与えます。 それは、死≠無 ということでしょう。 だったら無になるのはいつなのか? それは某漫画でもありましたが、忘れられた時なのかもしれません。 科学的に考えて、死後の世界はあり得ません。 しかし、死者の居場所としてあるとするならば、人の記憶の中ではないでしょうか。 人に覚えていてもらったり、人に思い出してもらうことによって、死者は形成されるのではと思っています。 なんか死について語ってしまいましたが、上のは私の持論ですね。 結構考えたりしてます。 かなり話がそれましたが、作中で、淳平が死後のつかさを認めることができたことはすばらしいと思います。 生きている人には、生きる権利と生きる義務がありますしね。 本当につかさのことを考えているならば、つかさの喜ぶこと、つまり元気に生きるしかないですし。 すばらしい作品をありがとうございました。 次作も待ってますね。 でわ。 [No.983] 2005/03/28(Mon) 11:33:19 YahooBB218122026003.bbtec.net |