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No.1087に関するツリー

   『SERENDIPITY』 - つね - 2005/04/18(Mon) 21:36:58 [No.1087]
〜第一部 Everybody Needs Love〜プロローグ - つね - 2005/04/18(Mon) 21:40:40 [No.1088]
〜Everybody Needs Love〜1 - つね - 2005/04/25(Mon) 00:46:30 [No.1096]
〜Everybody Needs Love〜2 - つね - 2005/04/30(Sat) 23:29:10 [No.1103]
〜Everybody Needs Love〜3 - つね - 2005/05/06(Fri) 00:21:55 [No.1111]
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〜Everybody Needs Love〜15 - つね - 2005/10/02(Sun) 00:46:10 [No.1200]
〜第二部 君に贈る〜第一話 - つね - 2005/10/09(Sun) 20:49:14 [No.1201]
〜君に贈る〜第二話 - つね - 2005/11/03(Thu) 20:20:54 [No.1207]
〜君に贈る〜第三話 - つね - 2005/11/16(Wed) 02:43:46 [No.1210]
〜君に贈る〜第四話 - つね - 2005/11/29(Tue) 22:43:19 [No.1211]
〜君に贈る〜第五話 - つね - 2005/12/15(Thu) 01:12:47 [No.1212]
〜君に贈る〜第六話 - つね - 2006/02/04(Sat) 20:11:46 [No.1239]
〜君に贈る〜第七話 - つね - 2006/02/25(Sat) 21:04:07 [No.1262]
〜君に贈る〜第八話 - つね - 2006/03/04(Sat) 18:24:59 [No.1269]
〜君に贈る〜第九話 - つね - 2006/03/11(Sat) 23:16:52 [No.1277]
〜君に贈る〜第十話 - つね - 2006/05/22(Mon) 23:17:57 [No.1303]
〜君に贈る〜第十一話 - つね - 2006/07/15(Sat) 02:08:49 [No.1307]
〜君に贈る〜第十二話 - つね - 2006/08/13(Sun) 17:11:32 [No.1308]
〜君に贈る〜第十三話 - つね - 2006/10/13(Fri) 00:31:16 [No.1326]
〜君に贈る〜第十四話 - SSスレからの転載・たゆ代行書き込み - 2007/03/27(Tue) 11:56:32 [No.1340]
〜君に贈る〜第十五話 - つね - 2007/07/09(Mon) 23:48:15 [No.1354]
〜君に贈る〜第十六話のまえに - つね - 2007/11/18(Sun) 03:50:45 [No.1397]
〜君に贈る〜第十六話 - つね - 2007/11/18(Sun) 04:01:06 [No.1398]
〜君に贈る〜SideStory.16〜17 - つね - 2008/01/25(Fri) 01:38:46 [No.1428]
〜君に贈る〜第十七話 - つね - 2008/01/25(Fri) 01:51:20 [No.1429]
〜君に贈る〜第十八話 - つね - 2008/03/30(Sun) 18:48:06 [No.1443]
〜君に贈る〜第十九話 - つね - 2008/04/06(Sun) 22:23:55 [No.1444]
〜君に贈る〜エピローグ - つね - 2008/04/06(Sun) 22:37:33 [No.1445]
[削除] - - 2008/04/06(Sun) 23:50:46 [No.1446]



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『SERENDIPITY』 (親記事) - つね

久しぶりに新作を書いてみようかと思います。
今回の話は全年齢対象の長編になると思います。
また、この話は二部に分けて構成されるストーリー、という予定です。
読んでくだされば嬉しいです。


[No.1087] 2005/04/18(Mon) 21:36:58
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〜第一部 Everybody Needs Love〜プロローグ (No.1087への返信 / 1階層) - つね

この世界の中で、




誰もが『愛されたい』そう思っている。




誰もが他人からの『愛』を必要としている









『SERENDIPITY』 〜第一部 Everybody Needs Love〜








まだ少し肌寒い四月の夜の街、


たくさんの人とネオンサインで明るく賑わう泉坂駅前の通り。


その明るさの中、一人の男が歩いている。


その男、少し様子がおかしい。


目深に被った帽子から見える瞳はあやしく輝いている。


その目つきは普通ではない。明らかに通りを行く他の人のそれとは違っている。


通りを行き交う人は少し気味悪そうに、そして不審に思いながら男を見る。


しかし男は気にする様子もなくそのまま足を進める。




そして男は曲がり角を曲がったところでコンビニに立ち寄った。











コンビニから出て来た男は一冊の雑誌を手にしていた。


男は不気味な笑みを浮かべながらまた歩き出す。


町の外れに差し掛かるにつれて少しずつ薄暗くなっていく、その暗闇の中に吸い込まれるように…




























それとほぼ同時刻、泉坂駅のホームに一台の列車が到着した。






人ごみの中、俺はその列車に乗っていた


車両から外に出る、その一歩に足が震えた。


懐かしさ、これからの生活に対する期待感、もちろん多少の不安もあった。


そんな様々な気持ちが入り交じって…それが足が震えた理由だろうか。




俺はその震える足で地面をしっかりと踏みしめた。

















駅から出て、目一杯背伸びをする。


懐かしい町並みを見て素直な気持ちが言葉になって表れた。





「…俺…帰って来たんだな…」





















俺は駅の改札を出て道路の向こう側にあるコンビニへ入った。


特に目的もなくコンビニに立ち寄った俺は何冊かの雑誌を手に取り適当にページをめくってみる。





そんな作業を何となく繰り返しているうちにある雑誌の記事が目に留まった。


『泉坂のアイドル、美人パティシエ西野つかさ!』


そして数ページに渡る写真の数々。





驚いた…


まさか雑誌に載るようなことがあるなんて…


確かにルックスはテレビに出ているタレント以上と言っても過言ではない。


だけど自分と同い年、そして以前恋人だった女性が雑誌に出ている。


俺は雑誌の写真を見て思った。





(西野…また綺麗になったな…)




複雑な気持ちになりながら俺はその雑誌を棚へ戻し家を目指し、また歩き出した。




(泉坂に帰って来たってことは東城や西野、さつきにも会うってことだよな…)




そんなことを考えながら夜空を見上げた。








































先程まで駅前にいた男は雑誌を手にした後、駅前から少し離れたアパートの一室に入っていった。





男は雑誌を机の上に置き、部屋の電気を付けた。


その瞬間、異様な光景が表れた。





壁にはびっしりと写真や雑誌の切り抜きが貼付けられている。


男は部屋を見回して気味悪く微笑む。




「つかさちゃん、今日も可愛いよ…」



そして男は先程買った雑誌のページに目を移した。




「分かってるよね、つかさちゃん。君は俺のものになるんだ。」




「つかさちゃん…俺の、俺だけのつかさちゃんなんだ。」




狂ったような笑顔で放たれた言葉。


その姿はどう見ても普通ではなかった。














この世界の中で、








誰もが『愛』を必要としている。







しかし、その気持ちから生まれた歪んだ欲望は誰かを傷つけ、取り返しのつかないことを起こす可能性を持っている。







今、壊れた心、そして歪んだ欲望が暴走を始めようとしていた。


[No.1088] 2005/04/18(Mon) 21:40:40
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〜Everybody Needs Love〜1 (No.1088への返信 / 2階層) - つね

〜Everybody Needs Love〜1 『二つの夢』






二年前…


俺は西野と付き合っていた。


お互いに想い合い、二人の交際は順調そのものだった。


また、俺は西野の夢を、西野は俺の夢をよく理解していた。


だから西野がパティシエを本気で目指すためにパリに留学することも引き留めなかった。


でも、西野はそれ以上に優しかった。俺を想ってくれていた…












冬に入り、二人で迎えた初めてのクリスマス、


俺と西野は昼過ぎからいろいろなところを歩き回り、買い物を終えたときにはもう日が沈んでいた。


俺達二人は街の中心にある大きなクリスマスツリーの下のベンチに腰掛けた。


西野の分の荷物も持ち、疲れ切った俺はベンチに座ると下を向いて大きく息をついた。


そんな俺の横に西野は座り口を開く。


「結構歩いたから疲れたね。それに淳平くんには荷物まで持ってもらって、ごめんね。」


申し訳なさそうな西野の声を聞き、俺は顔を上げた。


「そんなこと…、俺のほうからから持つって言ったんだし、それに…」


これから言おうとしている言葉に俺は少し照れて西野から目をそらした。


「『それに…』…何?」


すると西野はそう言って俺の顔を覗き込んできた。


その仕草にさらに照れた俺は赤くなる。


それでも西野の目を見て言った。






「それに…今日は西野に楽しんでほしかったから、今日はずっと西野の……笑顔が見たかったから…」








「ありがと」


そう一言、笑顔になって西野は答えた。       俺の一番見たい笑顔で、









「ねえ、ほら見て、淳平くん。」


少し経ってそう言った西野の視線の先を見てみると、さっきまでは点いていなかったツリーの明かりが灯っていた。


「あ、ホントだ。明かりが点くとこんなに綺麗なんだな…」


俺はその綺麗さに見とれてしまった。





そんな中、西野が口を開く







「ねぇ、淳平くん。あたし留学しないことにしたんだ。こっちに残って働きながらパティシエ目指すことに決めたから。」











「…え…?」






すごく重大な事のはずなのに、西野がそれをサラっと言うもんだから、俺は呆気に取られた。








「西野は…それでいいの…?」


やっと出て来た言葉がそれだった。


「うん。だってそれがあたしの二つの夢への一番の近道だもん。」


「二つの夢…?」


「そう!パティシエになる夢と好きな人と一緒に幸せになる夢。」







(俺と一緒に…)







俺が思ってた以上に西野は俺のことを想ってくれていた。






そのことが嬉しくて、俺は『その気持ちに答えなきゃ』そう強く思った。



























順調な付き合いは続き、年が変わった二月の終わり、


俺は学校から帰り、机の上に一枚の手紙を見つけた。












封筒に書かれた文字、『真中淳平様』












特に内容は気にならなかったけど、とりあえず俺は手紙を手に取って部屋に向かった。


封筒を開けて中身を読んでみる。


それは俺の予想もしない内容だった…





















手紙はある有名映画監督からのものだった。


俺が文化祭の時に作った映画がその監督に高く評価されたらしく、監督の海外での撮影について来てみないか、という誘いの言葉が書かれていた。






…俺の中で迷いが生じた…























それから俺は悩みつづけた。



映画を作る夢を叶えるためには思っても無い近道になる。



だけどすぐにここに帰って来れる保証も無い。



もちろんその間は西野とは離れ離れになる…










クリスマスの時の西野の笑顔が頭に浮かんだ。






そして思う。









あの頃の西野は…今の俺と同じ…?






西野は…こんな気持ちでずっと悩んでたんだ…





こんな気持ちの中…西野は自分を抑えて、そして俺のそばにいてくれるのに……俺は何を迷ってるんだ…?







でも…それでも…チャンスは逃したくない…。




























…結局、俺は海外へ行く道を選んだ。



確かに西野とはしばらく会えなくなる。 だけど、西野との関係はそんなことでは崩れない。そう思える根拠の無い自信が俺にはあった。






























そして桜も散り始めた四月の初め、俺は海外での映画撮影へと旅立った。




その前日、俺は西野に約束した。


「少しの間離れることになるけど、俺は西野を好きなままでいるから、…だから待っててくれないか…」





「…その…図々しいお願いかもしれないけど…」




そう言った俺の目に飛び込んで来たのは西野の笑顔だった。





「待ってるね。」






離れても大丈夫。俺と西野ならやっていける。自信が確信に変わった時だった。




























その後俺は約二年間、撮影と映画の勉強のため海外のあちこちを飛び回った。


そして今こうして泉坂に戻って来ている。


いずれは映画関係の仕事に就こうと思っているが、今は海外での撮影の疲れを癒す意味でも一年間ほど休養を取るつもりだ。





昨日帰った懐かしい自宅の中、


俺はカーテンを開けて背伸びをした。




「今日からまた、ここでの生活が始まるんだ。」




よく晴れた空だった。


[No.1096] 2005/04/25(Mon) 00:46:30
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〜Everybody Needs Love〜2 (No.1096への返信 / 3階層) - つね

〜Everybody Needs Love〜2 『苦い再会』







俺は目が覚めると台所に向かった。


そこには誰かいて、気を利かせて朝食でも作ってくれるようなことを少し期待していた。






…でも、台所には誰もいなかった。


「ったく、昨日の歓迎はどこへやら…」


一人で愚痴を言いながらまだ残っている昨夜の散らかりを片付けた。


「母さんたち、まだ寝てんのかな。そりゃああんだけ騒げば無理も無いか。」


そう言いながら居間の戸を開ける。








居間の布団はもう片付けられていた。


「朝からどこ行ったんだ?父さんは仕事だろうけど…、母さんは出かけるのは昼からって言ってたよな…」


俺はそう言った後、居間の時計を見てみた。








(………え………?)









まさかと思い、台所の時計も見てみる。




「…嘘…、今、昼の一時だ…」


完全な時差ボケだ。まだ朝だと思ってたのに…
























俺はとりあえず冷蔵庫にあるものを適当に食べ、外に出た。


暑くも無く、寒くも無い。そんな中降り注ぐ日の光りが心地良い。


俺は久しぶりの泉坂を懐かしんで、一歩一歩を噛み締めながら歩いた。




そして曲がり角を曲がろうとしたとき、





ドンッ





俺は飛び出して来た女の子にぶつかった。






「イテテテ……大丈夫…?」


そう言いながら目を開けた。


下を向いてて顔はよく見えなかったけど、ぶつかった女の子は走っていたらしく息を切らして、汗をかいている。


「え…と、その…すみません…」


聞き覚えのあるような声だった。






(この声…、でも雰囲気はちょっと違うような気も…)






「あの…もしかして……こずえちゃん…?」


確証はなかったが思い切って尋ねてみた。



「…真中さん!?」


俺の声を聞いて顔を上げた、その娘は間違いなく向井こずえ、その人だった。













そんなやり取りをしていると、いつの間にかこずえちゃんの後ろに見たことの無い男が立っていた。


こずえちゃんを追い掛けてきたらしく息が上がっている。


俺と同い年くらいのその男は背が高くルックスも良く、感じの悪い印象もしなかった。


その男を見て、こずえちゃんは俺の後ろに隠れた。


「何で逃げるんだよ、それじゃあ納得いかねーよ。」


男が口を開いた。


その言葉を聞いたこずえちゃんは困ったように下を向いた。


そして、わけの分からない俺に聞こえたこずえちゃんの衝撃的な言葉。

















「ごめん……あたし…この人と付き合ってるんだ…」






(えっ、何言ってるんだ!?こずえちゃん)


「…そう…なのか…?」


男の言葉に対してこずえちゃんは頷いた。



「…付き合ってる人いるなら…最初から言ってくれれば良かったのに…」


そう言って一旦下を向いた男だったが、すぐに顔を上げた。


「…よし!わかった。彼氏がいるんなら俺も納得したよ。今日は付き合ってくれてありがとな。」


辛いはずなのに無理に明るく振る舞おうとするその姿が痛々しく、そして印象的だった。

























その後、俺はこずえちゃんと話しながら歩いた。


二年振りに会った彼女はまとめていた髪をほどいていたせいか以前より落ち着いた雰囲気を感じさせた。


「こずえちゃん、もう男の人大丈夫なの?」


「あ、はい。ずいぶん…。真中さんのおかげです。真中さんが男の人は恐くないって教えてくれたから、」


「俺のおかげなんて、そこまで言われるとなあ、俺は普通に話し掛けたりしてただけだけど…」


「いえ、それだけでも充分でした。ホントに感謝してます。」


そう言いながら顔を少し赤らめるこずえちゃんを見て少し照れた。


「いいよ、ホントにそこまで言ってくれなくても。」


「ところでさっきの人、良かったの?突然逃げてきたみたいだし…」


素直な気持ちが言葉に出てしまったけど言った後で気付く。



「あっ、ごめん。おせっかいだよね。」


俺は焦って言った。


「いや、いいですよ。あたしにも悪い部分はあったし…いきなり逃げたりしたらダメですよね。」


「じゃあ後できちんとした形で謝っといたほうがいいんじゃない?いい人そうだったし…、しかも俺が彼氏なんて言って…」


(やべっ、俺また余計なこと言ってる)


俺が言おうとする前に彼女が先に口を開いた。


「あ、でもあたし真中さんのことずっと好きだし…」









(えっ…!?)












「ひゃあ!!また変なこと言っちゃった!今のは気にしないでくださいっ…!」




(こずえちゃん…まだ俺のこと好き…?)


そんな疑問を抱きながら動揺する彼女を見る。


少し幼さが残る整った顔立ち。そして綺麗に澄んだ素直な瞳。





(こずえちゃん…少し会わないうちにまたかわいくなってるよな…)





(こんな娘と付き合えるなら…)




そう思いかけたとき、








(『待ってるね』)


日本を出るときの約束とそれに答える西野の笑顔が思い浮かんだ。




(何考えてんだ、俺には西野がいるだろ。)












「…真中さん?」


声に気付き横を見るとこずえちゃんが心配そうに俺を見ていた。



「真中さん、大丈夫ですか?」


「ああ、ごめん。何でもないよ。もしかして俺、話聞いてなかった?」


「え…と、真中さんはこれから用事とかあるんですか?」


「…無いけど、どうしたの?」


「その…このまま歩くのも何だし…寄っていきませんか…?」


こずえちゃんはそこにあった喫茶店を指差して言った。


(…それくらいならいいかな…)


「そうだね、そうしよっか。」


こうして、俺とこずえちゃんは店の中に入っていった。





























「うわあ、暗くなってきたな。結構話してたもんなぁ。」


いつの間にか薄暗くなっている空を見て俺は言った。


喫茶店から出た俺は家に帰る道の途中にいた。


途中まで帰り道が同じなので、今もこずえちゃんと一緒に歩いている。







薄暗い帰り道は…あの頃を思い出させた。


(西野と一緒に歩いてたっけ。俺がバイト先に迎えにいって、)


懐かしくて少し笑顔になる。





そのとき、眩しい光が目に入った。


前から来る一台の車、


良く見ると、車の存在に気付いてないのか、こずえちゃんが車道に出ていた。










「あぶない!」










俺はこずえちゃんを引き寄せた。





ドサッ




俺が強く引っ張りすぎたせいか、俺とこずえちゃんは勢い余って倒れ込んでしまった。






俺が覆いかぶさるような形になり、こずえちゃんの目には、引かれそうになった恐怖からか少し涙が浮かんでいた。






(この体勢…ちょっとやばくないか…?…)







『大丈夫?』

そう言おうとしたとき、






ザッ、


少し離れた場所で誰かが立ち止まった。


音のしたほうを見てみる


















(…西野…?)
















俺の視線の先には間違い無く、













一番会いたかった人の姿があった…













だけどこんな…こんな形で会うなんて…
























西野は下を向いてゆっくり口を開いた…















「…あたしは、ずっと待ってたのに…」


















「淳平くんはこの二年の間に…」





西野の肩が震えてた




















「…平気で…女の子を襲っちゃうような…」








目からは涙が溢れ出している























「そんな人になっちゃったわけだ…」









何か言わなきゃダメなのに…

























「…変わっちゃったね…」








動くことすら出来ない

























「約束なんて…しなきゃ良かったね…」












涙で途切れ途切れになった西野の言葉…












俺はもう何も考えることが出来なかった













西野が走っていった、その道の上に、まるで宝石のように綺麗に輝く粒が落ちていった…


[No.1103] 2005/04/30(Sat) 23:29:10
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〜Everybody Needs Love〜3 (No.1103への返信 / 4階層) - つね

〜Everybody Needs Love〜3 『早く会いに…』






「淳平くん」


俺の耳に西野の声が聞こえる。


顔を上げると少し離れたところに西野が立っていた。


「西野!」


俺が駆け寄ろうとすると…


「淳平くんごめんね、あたし日暮さんと付き合うことにしたんだ。」


(…えっ…)


「じゃあね。」


日暮さんと手を繋いだ西野がだんだんと遠ざかっていく。


「西野!」


いくら手を伸ばしてみても、いくら走ってみても追いつけない…


「待ってくれ!西野…!…」













俺は気がつくと自分の部屋の天井に手を伸ばしていた。


「…夢…か…」


昨日のことが夢にも思えてくる。


でも…確かに西野と出会った…


あの苦い再会は夢なんかじゃ無い。





「今日は何しよっかな…」





力無く吐いた言葉が一人だけの部屋に消えてった。













「とりあえずDVDでも見よっかな。」


俺は泉坂に帰ってきたその日に借りたDVDを見始めた。


…いつもなら面白いはずの、楽しめているはずの映画なのに…


…頭にあるのは昨日の出来事だけで…


あの時のことが頭から離れない




俺はテレビのスイッチを切った。


深く溜息をつく。





そのとき、






ピンポーン


突然インターホンが鳴った。


そして扉を叩く音。


「じゅんぺー、いるの?」


唯の声だ。






ガチャッ、



「何…」


俺が言い終わる前に唯が話し始めた。


「あのね、淳平が帰ってきたからみんなでパーティーしようってさ。」


久しぶりに会った唯はちっとも変わってなかった。見た目といい、話し方といい、


「…パーティーって…いつからやるんだよ…?」


「だから今からやるからこうして呼びに来たんでしょ。早く仕度しなよ。」


「…わかったよ。」








正直気分は乗らなかったけどみんなに会えば何か変わるかもしれない、そう思って俺は外村の家に向かった。


































外村の家につくと映像研究部の仲間たちが揃っていた。


「よう、真中。久しぶりだな。」


最初に外村が話し掛けてきた。


「あ、真中!久しぶりだね。」


さつきも手を振っている。


「真中くん、こんにちは。」


東城も俺に向かって微笑んだ。


二年振りということを感じさせない親しみやすい雰囲気。


俺は少しの間、昨日のことを忘れられそうだ。






























高校を卒業して二年、


東城と外村は某名門大学、唯は泉坂の大学にそれぞれ進学、さつきは飲食店に就職、そして小宮山は建設会社で働いている。



「あれ…美鈴は…?」


そこには美鈴の姿が無かった。


「ああ、あいつなら今、大学のサークルの合宿で北海道に行ってんだよ。」


「サークルって映像関係のだよな?あいつも頑張ってんだな。」


こんな風にして俺達はお互いに近況を報告しあった。


明るい空気の中進んでいく話。


久しぶりの仲間たちとの再会は格別だった。

































そのころつかさは仕事先であるパティスリー鶴屋へと足を進めていた。


いつも明るい彼女には珍しく溜息をつく。


「あんな風には会いたく無かったな…」


つかさにとっても苦い再会。


辛くないわけが無い。






落ち込んだ彼女は一人の男が先程からずっとつけてきていることにも気付かない。




「本物の…本物のつかさちゃんだ。」


そう言う男の息は荒い。


つかさに近づこうと歩くスピードを上げる。





10メートル、




5メートル





だんだんと距離が縮まっていく。




しかしそのとき、












ガチャ


つかさがケーキ屋のドアに手をかけた。


「こんにちはー、今日もお願いしまーす。」







もうすでに男の姿は人込みに紛れて分からなくなっていた。
























「よーし、盛り上がってきたようだしいってみよーか!」


外村の声が部屋の中に響き渡る。


両手には酒の瓶。


「…おいっ、それはさすがに…」


俺は思わず止めた。


「ん、何?もしかして真中、酒飲めねえの?」


「いや、そうじゃなくて…未成年が一人いるんだけど…」


そう言って唯のほうを見た。


しかし、


「そんな細かいこと気にすんなよ。唯ちゃんだってあと一年経てば二十歳だろ。もう子供じゃないんだから。」


「そうだよ、淳平。いつまでも子供扱いしないでよね。」


そう言って少し怒ったような表情の唯。


『子供扱いしないで』、その言葉が妙に俺を納得させた。





「…じゃあ、今回だけだぜ。」






「そういうことなら、カンパーイ!」


「「「カンパーイ!!」」」


みんなの声とともにグラスが透き通った音を立てた。





















それから一時間が経った。


唯はもうすでに俺の横で寝息を立てている。


(…ホントこいつは…『子供じゃ無い』って、充分子供じゃん…)






そんなことを思っていると、腕に何やら柔らかい感触が…


振り向くと、さつきが俺の腕にしがみついていた。


「ねぇ、真中。」


さつきの顔は赤く、もう大分酔ってきているのが分かる。


「…何だよ、さつき。」


腕の感触と少し色っぽいさつきの表情にドキドキしながら聞く。


「あたし…真中に言わなきゃいけないことがあるんだ。」


その瞬間さつきが少し深刻そうな表情をした。





次の言葉を待つ間、俺の中で緊張が高まっていく。





「実はね…あたし…」





ゴクンッ





俺は唾を飲み込んだ。







しかし次の瞬間、


ドサッ


さつきは力が抜けたように床の上に倒れ込んだ。


「…さつき!?」


近づいてみるとスースーと音が聞こえてくる。




さっきまでさつきがいた場所を見てみる。


空になった酒ビンが二本並んでいた。


(そりゃあこれだけ飲めば疲れるよな。まあ、さつきらしいと言えばさつきらしいか…)


俺は気持ち良さそうに眠るさつきを見て少し微笑んだ




















それからまた時間が過ぎ外村も酔い潰れて寝てしまった。


起きているのはあまり飲んでいなかった俺と東城の二人だけになった。


二人きりになった後、先に口を開いたのは東城だった。


「あのね、真中くん。北大路さんなんだけど、今彼氏がいるの。たぶんさっきそれを伝えたかったんだと思うわ。真中くんが来る前にも、『ちゃんと言わなきゃ』って言ってたから…」


「…そ、そうなんだ…」






…驚いた…



自惚れた気持ちなのかも知れないけどさつきはまだ俺のことを好きなんだと思い込んでいた。


…こずえちゃんのことがあったから尚更…




自分の周りの環境は、人の心は、二年そこらじゃ変わらないのかな、そう思ってた。









…でも、少しずつ変わっていく。



町並みも…そして人の心も…








「あ、それでさ、真中くん、西野さんには会ったの?」


西野の名前を聞いた瞬間、忘れたかった昨日の出来事が蘇る。




「…会ったよ…」



小さな声で、呟くように俺は言った。


「…何か…あったの…?」






心配そうな東城の声。







その声を聞いて今まで抑えようとしていた気持ちが溢れた。





俺は東城に昨日のことを全部話した。




西野をまだ好きだという気持ちも…













俺の話を聞き終わった東城は口を開く。


「それなら早く西野さんのところに行ったほうがいいよ。」


「早く行って誤解を解かなきゃ。西野さんだって辛いはずだよ。」





(…東城…)





俺は少し考えてから東城に言った。




「悪い、東城。俺、これから西野のとこ行ってくる。」



東城は少し微笑んで頷いた。




ドアに手をかけ、外に出ようとしたとき、俺は振り返った。


「東城、ありがとな。」


東城は少し照れたようにして言った。


「あたしにはこれくらいしかできないから…」



東城の笑顔に後押しされて俺は外村の家を出た。



















外に出るともう辺りは暗かった。


西野も仕事を終える頃だろう。


(昨日会った場所からすると、西野は高校の時と同じ道を通って帰っているはず…)


俺はパティスリー鶴屋からの西野の帰り道を走り始めた。
























その頃つかさは仕事を終え、家へ帰ろうとしているところだった。


「…昨日もこのくらいの時間だったな…」




軽く溜息をつく。




「帰り道、変えよっかな…」




つかさはそう言っていつもとは違う道を歩き出した。

























俺は走り続けたが西野の姿は見当たらない。


「ハァ…ハァ…」


息を切らして膝に手をつく。そんな俺の目の前の看板。



『パティスリー鶴屋』



とうとう西野の仕事先まで来てしまった。


(…もう帰ったのか…)


暗くなっている店内。



(まあ…明日でもいいか。)



そう思いかけたが、








(『西野さんだって辛いはずだよ。』)





東城の言葉が頭に浮かぶ。











「西野の家に…行こう。」




俺は再び走り出した。


[No.1111] 2005/05/06(Fri) 00:21:55
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〜Everybody Needs Love〜4 (No.1111への返信 / 5階層) - つね

〜Everybody Needs Love〜4 『守れない/何のため?』







つかさはいつもの道とは違う道を帰っていた。


少し寂しい通りに差し掛かる。


「…なんかちょっと恐いな…」


そう言って歩くスピードを上げようとした、その時、




ガバッ


つかさはハンカチのようなもので口を塞がれた。


「んー、んー!」


抵抗しようとするが、すぐに力が抜けていき、つかさの体はその場に崩れた。

















ハァハァ…


俺は西野の家を目指し、全力で走っていた。


(…見えてきた…あの家だ…)


俺は息を切らしながら西野の家のインターホンを鳴らした。


『はーい。』


西野のお母さんの声だった。



しばらくすると玄関に明かりがつき、西野のお母さんが出てきた。


「あの…つかささんいますか?」


「つかさはまだ仕事から帰ってないわよ。」


(…えっ…?)


俺は走っている間西野の姿を見なかった。


しかも仕事先の店もすでに閉まっていた。


(…西野に何かあったのか…?)


何だか胸騒ぎがする。


考え込む俺を見て西野のお母さんが口を開く。


「何か用事なら伝えとくけど…?」


「いや、いいです。すみません、お邪魔しました。」


俺は西野のお母さんに頭を下げ、再び走り出した。


心臓の鼓動が早くなっていく。


(西野、無事でいてくれよ。)


心の中でそう願った。








しばらく走り、俺は人通りの少ない淋しげな通りに入った。


涼しい風が吹く春先の夜だったがもうTシャツは汗でびっしょりと濡れている。


(西野、どこにいるんだよ!)


西野を探し始めてかなりの時間が経った。


俺の中にも焦りが出てくる。


体力もかなり消耗している。


ガッ


ついにふらふらになった足が道に落ちていた石につまずいた。


「ぐっ…!」


(…もう限界かも……足が言うこときかねえ…)


そう思った俺の耳に誰かの足音が聞こえてきた。


ザッ、ザッ


だんだんこっちに近づいてくる。


俺は疲れも忘れて立ち上がり、足音のするほうに足を進めた。


(間違いない、こっちだ。)


俺は確信を持って曲がり角を曲がった。



(…えっ…?)



俺の目に映ったのは予想外の人だった。


(…日暮さん…?)


確かにそこには日暮さんがいた。でも誰かを背負っている。


それが誰かを確認した瞬間、ハッとして走り出す。


「西野!」





「ん…誰だ…?…」


そう言って目を細める日暮さん。


「…お、坊主か。久しぶりだな。」


俺のことを確認してそう言った。


「それより!西野に何かあったんですか!?」


それだけが心配だった。


「西野さん、男に連れ去られそうになっててね、そこにちょうど俺が通り掛かったんだけど。」


「男に!?…で、西野は大丈夫なんですか?」


「ああ、大丈夫だ。…ただ、男のほうは逃がしちまった。早く捕まればいいけど…」


『西野が無事だった。』その言葉が何よりも俺を安心させた。




…でも…




「日暮さん、俺、西野を家まで連れていきますよ。」




俺は西野を守れなかった…




「いや、いいよ。俺連れていくから、」


「でも、俺…」




「ほら、坊主、」


俺の言葉を日暮さんの言葉が遮った。


「見てみろよ、自分のシャツ。」


汗で重たくなったシャツ。汗が染み込んだせいで色が濃くなっている。


「そんな状態で西野さんおんぶしたら西野さん風邪ひいちゃうだろ?」


微笑みながらそう言った。


「…あ…、はい…」


「西野さんは俺がちゃんと送っていくから心配ないぜ。」


俺を安心させようと笑顔を見せる日暮さん。


その笑顔を見たとき、改めて思った。


やっぱり日暮さんは俺よりもずっと大人で…俺なんかよりずっと西野のためになってる…


「…じゃあ、お願いします…」


俺は頭を下げてそう言うことしか出来なかった。







一人の帰り道、あんなにも熱かった体はすっかり冷えてしまって、湿ったシャツに春の夜風が冷たかった。

















それから一週間が経った。


時差ボケもすっかり消え、生活リズムを取り戻している。


「ねぇ、淳平。だから一緒に行こうよ。」


さっきからまだ起きたばかりの俺の腕を唯が引っ張る。


「だからちょっと待ってろって。俺まだ飯食ってないし。」


唯は昨夜から俺の家に泊まっていた。


唯が俺のベッドを使うためただでさえよく眠れないのに朝からこの騒ぎだ。


いくら休日だからといってこの元気はどこから来るのだろう。


でも、いつも唯のペースに巻き込まれる。






「唯、仕度できたぞ。」


「もう!淳平遅い。」


頬を膨らませる唯。


「バカ、これでも急いだんだから文句言うな。」


「…まあ許してあげる。行くよ淳平。」


妙に大人ぶる唯。


こうして俺と唯は買い物に出掛けた。

















唯はさっきから真剣な表情で服を手に取ってはほかの服と比べたり、自分の体に当ててみたりしている。


どうやら買う服が決まらないようだ。


「どれ買っても一緒だろ。いつまで待たせんだよ。というか俺がいる意味あるのかよ…」


あくびをしながら俺は言った。


「何よそれ!仕方ないでしょ、悩み多き年頃なの。」


「…悩み多き年頃…ねえ…」


(悩み多きって…こいつに悩みなんかあんのか?)


少し呆れるように俺は言った。








「んー、よし!決まった!」


それから数十分後、唯はそう言って一枚のシャツとミニスカートを手に取った。


「ちょっと着てみるね。」


そう言って試着室に駆け込んでいった。







しばらくして唯が試着室から出てきた。


「ねぇ淳平、どうかな?」


ドキッ


「…か、かわいい…よ…」


さっきの服を着た唯の姿があまりにかわいくて、めったに言わない本音が出てきた。


言った後でどんどん顔が赤くなるのが分かる。


「ホント!?じゃあこれ買っちゃおーっと。」


唯は嬉しそうに服を持ってレジに走っていった。

















「ねぇ、」


帰り道、唯が俺に呼び掛ける。


「ん?何だよ。」


「淳平さあ、こっちに来てからずっと休んでるけど仕事しなくていいの?」


「うーん、いいって訳じゃ無いけど。一応休養期間…ってとこかな。」


そう言われてみると、自分が随分変わったことをしているのかもしれないと考えてしまう。


「ふーん。就職先とか探さなくても大丈夫なの?」


「働くとこはもう決まってるんだよ。」


「一応『俺のとこに来たらいつでも働かせてやる』って言われてるから。」


「ふーん、そうなんだ。でもそれならその分たっぷり楽しんで充実させなきゃね。」



さりげなく言った唯の言葉に俺はハッとした。



(そうだ…何のために泉坂に帰って来たんだ。何のための一年間だ。)





その答えは分かっている。





…それは大切な人のため…




…それは西野のため…





忘れていた目的。



思い出した。今明らかになった。




もう迷わない。





「なあ、唯。」



「ん、何?淳平。」



「ありがとな。」


前を向いてそう言った。


[No.1123] 2005/05/15(Sun) 18:26:02
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〜Everybody Needs Love〜5 (No.1123への返信 / 6階層) - つね

〜Everybody Needs Love〜5 『続きのストーリー』







西野との再会から1週間と2日、


西野との誤解はまだ解けていない。


でも心を決めた俺はいくらあるか分からない可能性にかける。


(携帯の電話番号が変わってなければ…)


二年も経てば携帯の機種変更はほぼ間違いなくしているだろう。


だけど番号さえ変わっていなければ…俺を信じてくれていたなら…


ずっと持っていた西野の番号を見ながらダイヤルを押す。


プルルルル


受話器から聞こえてくる呼び出し音。


(繋がった…番号…変わってなかったんだ…)


呼び出し音が重なっていくにつれて緊張が高まっていく。


ピッ


それが途切れたとき、緊張は最高潮に達した。


「…西野!?」


「ただ今、電話に出ることが出来ません。ピーッと鳴りましたら…」


体の力が一気に抜けた。


(…留守番電話…仕事かな?)


俺は留守電にメッセージを入れて受話器を置いた。














その後、俺はなんとなくあの場所に向かった。


そこへ行けば何かが変わるような、何かが始まりそうな、そんな感じがした。


西野の働くケーキ屋を通り過ぎて、古びた建物の中へ。









「お、淳平。久しぶりじゃな。」


「あ、館長。映画今やってますか?」


「おお、ちょうど今から上映するところじゃ。」


そこはテアトル泉坂。俺がバイトをしていた映画館。俺が影響を受けた一番の映画館。


そして……俺と西野の繋がりを生んだこの映画館。


俺は館内に入り席についた。相変わらずがらんとした客席が妙に懐かしい。





少し経つと明かりが消え映画が始まった。






その映画は−ある女が数人の女達と一人の男をめぐって争う内容、俺が初めてここで見た映画だった。


女達全員がひたむきで…だけど最後は全員バラバラになって−


映画を見終わったとき、あの時と同じように涙が溢れた。








「どうじゃ?久しぶりに見た感想は、」


いつのまにか俺の横に館長がいた。


「やっぱり…いい映画だと思います…」


あの時よりも多く流れる涙は止まらなかった。


「ん、どうした淳平?」


「…ちょっと…この映画の男の人が…今の自分と重なって…」


涙で詰まる声。






「淳平、知っとるか?」


「…えっ…何を…ですか?」


俺は顔を上げ館長を見た。


「この話には続きがあるんじゃよ。」


「続き…ですか?」


「この後一度離れ離れになった二人が再会して、もう一度結ばれるんじゃよ。制作の都合上カットされたようじゃがな。」


俺の涙は止まっていた。


この映画に続きがあると知り、驚きの感情があったせいもあるが、自分を重ねた悲運のストーリーが実は幸せな結末を迎える話であることを知り、希望が湧いてきたから。















「館長、今日はありがとうございました。また来ます。」


俺は映画館の入口で館長にお礼を言い頭を下げた。


「おお、いつでも来い。今度は手伝いもしてくれればありがたいんじゃがな。」


そう言いながら腰を叩き、だるそうな演技をする館長。


「はは…、考えときますよ。」


(いつも俺をこき使おうとする。こういうとこは変わってないよな。)


「それじゃあ失礼します。」


そう言って俺は歩き出した。










パティスリー鶴屋の前を通るとき、窓から中を覗いた。


そこには忙しそうに働く西野の姿。


(ホントこの店繁盛してるよな。…それにしても西野いい笑顔してるな…)


しばしの間その笑顔に見とれる。




そしてそのついでに時計を見る。時計の針は5時を指していた。


(5時…か…。西野の仕事終わるまでもうちょっと時間あるな。)


そう思い、再び歩こうとしたが、ある人の存在に俺は立ち止まった。





(…あ、さつき…?)




俺の視線の先にはさつきがいた。


向こうは気付かなかったけど、俺は確かに男の人と腕を組んで歩くさつきの姿を見た。





(東城の話…ホントだったんだな…)





そう思いながら俺は近くの公園に入り、ベンチに座り込んだ。




(やっぱり今の俺、あの映画の男の人と一緒だな。みんな俺から遠ざかってる。)




そう考えると気持ちが落ち込んでくる。それでも…







(…でも、俺は信じるんだ。続きのストーリーを。)



そう思い顔を上げる。もしも俺があの映画の男の人と同じだとしても、それならきっと最後には…




「だから…今日は西野に言わなきゃ。」


「何を?」


「会って誤解を解かなきゃ。そして……え…?」


(…今確かに西野の声が…したような…)




「で、『そして…』?」



そんなことを考えている俺の目の前に西野の顔が現れた。



「うわっ!」


俺は驚きの余り声を上げた。


「何よ。そんなに驚くことないでしょ。」


「西野!いつからここに!?」


「いつからってさっきからいたのに、淳平くん全然気付かないんだもん。」


「で、さっきの続きは?あたしに言いたいんでしょ。」




そう言われ、言おうとしていたことを思い出すが、本人を前にすると緊張してしまう。





「…あの…こずえちゃんとの…あれ誤解だから。こずえちゃんがひかれそうになって、それで…」


「分かってるよ。」


「…え?何で…?」


予想外の答えに驚く俺。


「だって淳平くん留守電に入れてくれてたじゃん。それともあれは嘘なのかな?」


(あ、そういえば…忘れてた…)


動揺する俺を見て面白がるように俺の顔を覗き込む西野。



(やっぱり西野…かわいすぎる…それに2年経って、前にもまして綺麗になったというか…かわいくなったというか…)




西野は少し経って前を見て口を開いた。






「…でも、嘘なわけないよね…だってじゃなきゃ夜中に汗びっしょりになってあたしを探してくれたりしないよね…」








(…えっ!?…留守番電話のことは俺が忘れてただけだけど…そのことは知らないはず…)




「西野…何でそのことまで…?だってあの時西野は…」




「あの後日暮さんから聞いたんだ。淳平くんのこと。」




(日暮さんが…。やっぱり助けられっぱなしだな、俺。)



会う度に、名前を聞く度に、日暮さんに対する劣等感を感じる。



「でも俺、結局何も出来なかった…一人でじたばたしただけで…」




そんな自分が、何も出来なかった自分が情けなかった。







「あたしは嬉しかったよ。」







(…えっ?)





「淳平くんがそんなに必死になって探してくれて、あたしのことそんなに考えててくれたんだな、って。」



少し照れ臭そうに話す西野の姿を見て俺の中で期待が高まっていく。







「それに、やっぱりあたしまだ淳平くんのこと…」


















「好きだな、って。」
















…良かった、すれ違っても君を信じて、そして、ひたむきに君を想い続けて。




何とも言えない喜びと嬉しさを噛み締めながら俺は答える。





「俺も外国にいるときもずっと西野のことばっかり考えてた。そしてこれからもそれは変わらない。俺はずっと西野のことを想い続けるから。」




「それにさ、俺が泉坂に戻ってきた一番の理由は西野と一緒にいたいからで、『西野を幸せにする』  そのために俺はここに帰ってきたんだから。」






「ありがとう、淳平くん。」


「それじゃあ…今からまた交際スタートだね!」


俺の言葉を聞いて笑顔でそう言う西野。









『一度離れ離れになった二人が再会して、もう一度結ばれる』



続きのストーリーが今始まった。


[No.1129] 2005/05/23(Mon) 00:21:34
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〜Everybody Needs Love〜6 (No.1129への返信 / 7階層) - つね

〜Everybody Needs Love〜6 『止まる時間』






「……くん。」


「ねえ淳平くんってば。」


(あれ…西野の声…?…ああそうか、これ…夢なんだ。)


「コラ、いいかげんに起きろ。  もう、こうなったら…」


バサッ


(え…バサッって…? 今誰かが俺の布団に入ってきたような……)




「淳・平・くん。」


その声と同時に微かに、それでいて確かに感じる吐息。


さわっ


そして、僅かに触れる肌の感触。








(…まさか…)



眠気が一気に吹き飛び、慌てて目を開ける。


「おはよう。」


その瞬間、耳に届く鮮明な声。


…そして目の前に西野の顔。


「わっ!」


ガバッ


俺は思わず声を出し跳び起きた。


ベッドの上には寝転がって俺を見つめる西野。




「やっと起きたね。もう、淳平くんなかなか起きないんだから。」


(俺の布団の中に西野が…)


夢かと思い頬をつねってみる。


「…痛い…」


「もう、まだ寝ぼけてんの?」


まだよくわけが分からない。


(何で西野が俺の部屋に…?)


頭の中で繰り返されるその言葉がやっと口に出た。


「西野…何でここに?」


「おばさんが起こしても起きなかったみたいだから起こしに来たの。」





「それよりさあ、淳平くん。あたし今日仕事休みだからデートしようよ。」


ニコッと微笑みそう答える西野。


「…デート?」


「そう、デート。じゃあ準備できるまで外で待ってるね。」


「デートってどこに…?」


俺はバッグを持って玄関へと向かう西野の背中を見ながらそう呟いた。


その声が聞こえていないのか、西野はそのまま外に出ていった。





「西野…ホントにマイペースなんだから…」













そう言いながら、いつも西野に引っ張られていく。そんなテンポが俺には心地良かった。そして今日もまた同じように。


きっとそんな西野が俺は好きなんだろう。






靴の踵を踏んだまま俺は外に出た。


俺が出てくるとすぐに歩き出す西野。


でも、その急ぐような足どりは決して怒っているからじゃないだろう。




きっと早足で歩く西野の顔は笑ってる。




だって…俺だってこんなに嬉しくて…




西野といられる時間が本当に楽しみだから…



















「うわぁ…やっぱり綺麗だね。ずっと淳平くんと一緒にここに来たいと思ってたんだ。」


目的地に着き、西野が懐かしそうに言う。


目の前にどこまでも広がる青。


そして波の音。


西野が俺と一緒に来たかった場所−そこは海だった。





「前もこんなことあったよな。俺がいろいろ悩んでた時、西野が連れて来てくれたんだっけ。」


俺は高校の時に海に来たときのことを思い出しながら言った。


するとその言葉を聞いた西野が口を開く。


「そういえばそうだったね。…でもさ…」





「…あの時と違って今は恋人同士だね。」





そう言って俺に向かって微笑む西野。


その言葉と笑顔に妙に照れ臭くなって俺は下を向いた。



「何下向いてんの? ほら、淳平くん、あっちの方行ってみようよ。」


「…えっ…その…これは…?」





「だ・か・ら、淳平くんが引っ張って。」


俺の手を握る西野の手。


「じゃあ…」





俺は西野の手を壊れないようにそっと、それでいて離れないようにしっかりと握った。





西野の手の温もりが俺の手に伝わってくる。




これからずっとその温もりを大切にしていきたい、そう強く思った。












俺達は砂浜を歩いて波打ち際まで来た。


西野は足が濡れるのも気にせずに波打ち際ではしゃぐ。


(こういう西野の姿ってなんかいいよな…)


俺はその姿にしばらく見とれていた。


何を見るよりも西野を見ている方が楽しかった。



ピチャッ



「うわっ、冷て!」


突然俺の顔に水がかかった。


そして水が来た方には笑顔の西野。


「淳平くん、ボーッとしてないでこっち来てみなよ。ちょっと冷たいけど気持ちいいよ。」


西野に急かされ、俺は靴を脱いで水の中に足を踏み入れる。




「気持ちいい…けど、やっぱりちょっと冷たいな。」


「うん。だけどさ、海って見るのもいいけど実際に入ってみるとまた違った良さがあるよね。」


そう言いながら俺の方に歩いてくる途中、西野が波に足をとられバランスを崩した。


「西野!あぶない!」


差し出した手に西野がつかまったけど、俺はそのまま引っ張られてしまった。


バッシャーン


俺達二人は派手な音を立てて倒れこんでしまった


西野はしりもちをつき、俺はその横に倒れ込む格好になった。


「…大丈夫…?…淳平くん…」


「…何とか…」


倒れ込んだときにとっさに手をついたから全身は濡れなかったけど、それでも膝から下はずぶ濡れ。他にも濡れてしまったところが随分あった。




「…淳平くんびしょびしょになっちゃったね…。ごめん…あたしのせいだよね…」


俺の姿を見て申し訳なさそうにする西野。


そんな西野の表情を見て俺はすぐに西野に向かって笑顔を見せる。


「そんなことないって。これくらいならすぐ乾くしさ。だから気にすんなって。」


「でも…」


「これだけいい天気だしさ、海でも見てるうちにすぐに乾くって。」


西野が話そうとする前に俺は口を開いた。


西野に心配をかけないように、西野が笑顔になれるように、そのために自分なりに気を使ったつもりだった。



西野はまだ下を向いている。


(…やば…無理してるの見え見えで、かえって気分悪くしたかな…)


でもその心配もすぐに消えた。


西野は少し経ってから顔を上げ笑顔を見せた。


「そうだね。じゃあ、あそこにでも座ろうか。」





そして俺達は砂浜の近くにあった木製のベンチに座った。


「あ、そうだ!あたしお弁当作って来たんだ。一緒に食べようよ。」


西野はそう言って弁当箱を俺の目の前に差し出した。


「うわぁ、うまそう。食べてもいい?」


「うん、どうぞ。」


一口手に取り、口に運ぶ。




「…すげぇ…うまいよ…」


「…ホント?良かったぁ。嬉しいな…淳平くんにそう言ってもらえて…」


呟くように言ったその姿に西野の女の子らしさを感じて少しドキッとした。


「もう、何赤くなってんの。ほら、どんどん食べなよ。」


「あ、うん。それじゃあ、」


西野に急かされて再び弁当に手をつけ始める。






あっと言う間に弁当箱は空っぽになった。


「ホントおいしかったよ。ごちそうさま、西野。」


西野の方を見ると俺を見て微笑んでいる。



「…何か変なことしたかな…?俺…」



「ううん。ただそこまで勢い良く食べてくれるとありがたいなって思って。」


「あ…ごめん…俺…西野の分も食べちゃってた…?」


「別にいいよ。そんなにお腹空いてないし。気にしないで。」


「…ごめん…つい…」


「だからいいって。淳平くんに食べてもらうために作ったんだから。」


西野のその言葉に照れて俺は海に目を移した。




少しの沈黙の後、西野が口を開く。


「ねぇ、淳平くん。今度来る時は自転車で来たいね。」


「えっ、何で?」






「だって自転車ならここに来るまでの間、淳平くんにずっとしがみついていられるじゃん。」






「西野…」




西野と目が合う。  時間が止まる。





そしてどちらからともなく二人の体がゆっくり近づいていく。







そして…砂浜に映る影が何度も、何度も重なった。



















西野を家まで送っていった後の自宅までの帰り道、少し浮かれながら歩く。


(今思えばすごいことしたのかもな…あんなに何回も…)


そんなことを考えてながら歩く俺の視界に道沿いの家から出てくる男の姿が入った。



(…あれは…明らかに怪しいよな…サングラスに帽子被って…)


男が出てきた家を見てみる。


(ここって…さつきの家だよな…まさか泥棒…?)


いつもならそんなことはないのにこのときは何故か妙な勇気が出た。



「ちょっと何してるんですか?さっきからコソコソして。」




「ん…?お、真中じゃん。コソコソって俺のこと?」


「へ?」


何が何だか分からなくなった。


「声聞いても分からないのかよ。まあこの格好じゃ仕方ないか…」


男はそう言いながらサングラスを取った。




「…お、大草!?」


「はい、正解〜。まったく、もっと早く気付けよな。」




(ん…?まてよ…こいつさつきの家から出てきたよな…?)



少し冷静になり、考えてみる。


「まさかさつきの彼氏って…」


「そ。俺って訳。」





それでも、あの大草がさつきと…そう考えるだけで信じられなかった。


あれだけ西野のこと好きだった大草がさつきと…。






「それにしても大草、何でそんなカッコしてんだよ。」


「あれ、知らなかったっけ?俺がプロのサッカー選手になったってこと、」


「えっ、プロ?…すげぇじゃん!大草!いつからなんだよ?」



まさか同級生からプロスポーツの選手が出るとは思ってもみなかった俺は思わず興奮した。


「まあ去年からなんだけど、この一年間で結構有名になっちゃってさ。それでこんな格好してる訳。」


(…ああ、それでこのあいだ街中で見たときも気付かなかったのか…)


「で、真中は何してたんだよ。」



「俺は…西野とデートしてて、その帰り道だけど。」


素直に答えるのはどうかと思ったけど、今更隠すことでもないと思い、俺は答えた。


「へぇ、真中、また西野と付き合ってんだ。」





その後、「俺も帰り道だから」という大草の言葉で俺達は歩き出した


「で、プロってどんな感じなんだ?」


俺の質問に大草は少し考えてから答える。


「いいもんだぜ。観客の注目を浴びながらプレーできるってのは、」


「ただ…いいことばかりじゃねぇって言うのも確かだな。俺には俺のやりたいプレーとか自分のこだわりがあって、でもチームのためにその感情を殺さなきゃいけないことだってあるんだ。」


「チームでやるスポーツだから当たり前だけどそれが辛いときもあるんだぜ。   チームのために自分を犠牲にするってことが…」



「たぶん人生も同じさ。誰にでも誰かのために犠牲にならなきゃいけない時が、きっとあるんだ。」





「いつかお前にも必ず来るさ、西野のために犠牲にならなきゃいけない時が。」




大草は俺の顔を見てそう言った。



「俺は大丈夫さ。西野のためならいくら犠牲になっても構わないから。」


「どうかな。まだ分からないぜ。」


「それなら今の大草にも当てはまることだろ。いつかさつきのために犠牲になるときが来るぜ」


「バーカ、俺は大丈夫だよ。」


笑いながらそう答える大草。


「結局お前も人のこと言えないじゃん。」


「お互い様だろ。」


そう言って大草は笑った。


そして俺も笑う。





空は夕暮れ、





俺の胸には確かな自信。






大丈夫、俺と西野なら。


[No.1136] 2005/06/08(Wed) 22:20:44
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〜Everybody Needs Love〜7 (No.1136への返信 / 8階層) - つね

〜Everybody Needs Love〜7 『前触れ』






家に着き、俺はベッドに寝転んだ。


そして天井を見ながら西野とのキスの余韻に浸る。


そうしているうちに家の電話が鳴った。


「…ったく、誰か出ろよな…」


愚痴を言いながら受話器を取る。


「はい、真中ですが〜」


「おっ、真中か?お前さ、つかさちゃんに何したんだよ。」


ニヤけた声が受話器の向こう側から聞こえてくる。


「外村…何って、別に何もしてねーよ。」


「さっき会ったときつかさちゃん家の前で色っぽい表情してたぜ。ホントに何も無かったのかよ。なあ、言ってみろよ。」




(ホントにこいつは勘が良いというか…)




「デ、デートに行っただけだよ。」


図星をつかれた俺は少し顔を赤くして答えた。



「ふーん。で、どこまでいった?」


そう言われた瞬間、砂浜でのキスが思い浮かぶ。


「いや、あれはそういう雰囲気だったし…あんなに何回もキスするとは…」


「へ〜、なるほど、何回も熱いキスか。じゃあまた詳しく聞かせてもらうかな。」


「あ、いや、その…」


ツー、ツー、ツー


「…って、切れてるし…」






俺は受話器を置き、またベッドに寝転がった。


天井を眺めているうちに何となく眠たくなってきて俺は目を閉じた。


少し時間が経ち、意識が薄れ始めた頃、




プルルルルル


家の電話が鳴った。


「………ん…?…ったく…また電話かよ…」


眠たい目をこすりながら受話器を取る。


「…もしもし〜」


















(…えっ!?)





(…嘘だろ……だって…さっきまで話してたのに…)







数秒後、俺はドアを飛び出していた。


「ちょっと淳平!こんな時間にどこ行くの!?」


「すぐ戻るから!」


母さんにはただそれだけ告げて家を出た。

















ハァハァ


切れる息も気にする事なく俺は走り続けた。


それどころじゃなかった。


以前、西野を探したときもそうだったけど今回のは事が起こったと分かった後だったから余計に…


微かな光を放つ建物へ入り階段を駆け上がる。


白い扉をノックすると中から「どうぞ」という控めな声が聞こえてきた。


俺は恐る恐る扉を開けた。


そして部屋の中を覗いてみる。





「…美鈴…?」


「…真中先輩…」


「美鈴、お前いつ…」





『いつ帰って来てたんだ?』尋ねようとしたその言葉は口から出かけて止まった。


いつも強気だった美鈴の目からたくさんの涙が流れていた。





俺を見ると、美鈴は焦って涙を拭った。




「…どう…?外村の様子は…」


静かにそう言いながら俺はベッドに近づいた。


「…一命は取り留めたんですけど…まだ目を覚まさなくて…」


そう話す美鈴の声は弱々しい。


「…それにしても普通に道を歩いてたところを刺されるなんて…何で…」


「何でかなんて、あたしにも分かりませんよ。買い物からの帰り道に突然血を流して倒れている兄貴を見つけたんですから…」


さっきよりも少し強くなった声。


美鈴の声は大きく震えていた。




犯人に対する怒りをあらわにする美鈴の様子を見て俺はどう声をかけていいのか分からない。


俺は何も言えず、ベッドで眠る外村を見ていた。










しばらくの無言の時間の後、俺は椅子に座った。


大きく息をつくと、今日これまで休み無く動き続けたせいか、一気に力が抜けた。

















気がつくと俺はいつの間にか眠っていた。


時計を見るとここへ来たときから二時間も経っていた。




ベッドに目を移すと美鈴がベッドにもたれ掛かって寝息を立てている。


(よっぽど気持ちを張り詰めてたんだろうな。)


眠る美鈴を見てそう思う。







そして俺はもう一度時計を見た。


(もうこんな時間か…、泊まるわけにもいかないし、今日は帰ろうかな…)



立ち上がり病室のドアに向かって歩いていく途中、振り返って言った。


「外村、明日は目を覚ましていつものように話してくれよ。」


そして俺は病院を後にした。


















「ただいま…」


疲れた声でそう言いながら家のドアを開けた。


「淳平!一体どこ行ってたの!?心配したじゃない。」


家の中に入った瞬間に母さんが騒がしく喋りかけてくる。


そんな母さんに事情を説明し、俺は部屋に入った。









部屋に入ると、大きな溜息が出た。


「疲れたな…」


そう言うと俺はそのままベッドに倒れ込んだ。


















朝起きて、俺は今日も病院へと向かう。


西野には昨日、外村のことを伝えた。


今日は仕事を早く切り上げてお見舞いに来るらしい。










病室に入ると今日もベッドの横に美鈴が座っていた。


きっと泊まり込みでずっと外村の側にいたのだろう。





(あれ…?…美鈴、笑ってる?)




少し疑問に思いながら病室の奥へと足を進めた。


「よう、真中。」


「よう、って…外村…お前…」


ベッドの上で外村が笑っている。





本当に心配してたから、ホッとして、安心して、言葉が出なかった。




「…バッ、真中、お前何泣いてんだよ。」


気がつけば俺は涙を流していた。


悲しみからでも喜びからでもない




(…無事で良かった…)


俺の心の中はただその気持ちだけだった。
















「で、外村、お前なんで刺されたりなんかしたんだよ。」


しばらく経って俺は外村に対する率直な疑問をぶつけた。


「…それなんだがな…」


外村は少し深刻そうに話し始めた。










「たぶん…これから狙われることになるのはお前だと思うぜ。」










「えっ?」


外村の言っている意味がまったく理解できなかった。


「俺、真中との電話の前につかさちゃんと会ったって言ったよな。」


「あ、ああ。」


「俺が刺されたのはたぶんそれが原因だ。」


「それが原因って…どういうことだよ。」


「俺を刺したやつ、俺のことをつかさちゃんの彼氏だと勘違いしてたんだよ。」


「何でまた…」


「たぶん俺とつかさちゃんが話してたところを見てたんだろうぜ。」


「で、刺された時に言ってたんだよ、『つかさちゃんは俺のものだ』って、ものすごい形相で。あれはどうかしてるぜ。」


そして、外村は固まっている俺に対して付け加えた。







「…だから、今回のことは真剣に考えないと危ないと思うぜ、本当に。」

















それから俺はジュースでも買ってくると言って病室を出た。



コンビニに向かおうとして病院の自動ドアをくぐろうとしたとき、


「あ、淳平くん。」


「…西野。」


西野がお見舞いにやってきた。


「西野、それは?」


西野が手に持つ袋を見ながらそう言った。


「あ、これ?差し入れがいると思って、お店のケーキ。それと喉も渇くだろうからそこのコンビニでジュース買ってきたんだ。」


「で、淳平くんは?」


「俺もちょうど飲み物買おうとして…」


「そ。じゃあちょうど良かったね。」


そう言って西野は微笑んだ。


俺達は二人で病院の中へと入っていった。









それから俺達は病室の中でいつも通りの会話を楽しんだ。


時間が経つのも忘れ、病院を出る頃には太陽が傾きかけていた。









「外村くん、無事で良かったね。」


帰り道に笑顔で話す西野。


その笑顔を見て外村の言葉を思い出す。




『…だから、今回のことは真剣に考えないと危ないと思うぜ、本当に。』





「どうしたの?淳平くん。」


気がつくと西野が俺の顔を覗き込んでいた。


「えっ…と、何でもないよ。」


「そう?それならいいけど。」


そう言ってまた歩き出す西野。








その後ろ姿を見て思う。







(西野を危険な目に会わせるわけにはいかない。)









「あのさ…西野…」








「何?」









「西野、これから先、俺の近くにいないほうがいいよ…」





振り返った西野に向かってそう言った。


[No.1149] 2005/06/28(Tue) 21:32:10
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〜Everybody Needs Love〜8 (No.1149への返信 / 9階層) - つね

〜Everybody Needs Love〜8『胸の高鳴り』







西野の笑顔が消えた…


驚きと悲しみが入り交じった切ない表情で俺を見つめる。





「……………何で……」





ようやく西野の口から出た言葉がそれだった。


「ち、違うんだ!そういう意味じゃなくて、」


俺は焦ってそう言った


「…外村のことなんだけど…犯人が外村のこと、西野の彼氏だと勘違いしてたらしいんだ。」


「…きっと最終的な犯人の狙いは西野だと思う。だから西野、俺の側にいたら危ないかもしれないんだ。」


「…それって…確かなの…?」


信じられないといった様子で尋ねる西野。


「ああ…たぶん間違いないよ…外村が言ってたから。」


「…あたし…心当たりある…」







(…えっ…)






意外な西野の言葉。呆然としている俺に西野が付け足す。


「ほら、淳平くんがあたしを探してくれたときの…」


「あのとき西野を連れ去ろうとした奴のこと?」


俺の言葉を聞いて西野は頷いた。


「…淳平くん…あたし…どうしよう…」


そう言う西野の表情はどんどん不安の色を帯びていく。


「とりあえず様子を見よう。警察も動き出してる。だからしばらく外に出ないほうがいいよ。」


西野の肩が小刻みに震えていた。そんな西野をこれ以上不安にさせないように、落ち着いた声で俺は言った。


俺の言葉の後、西野は黙って下を向いてしまった。


その理由はよく分からなかったけど、気を悪くさせたかと思い、少し焦って言った。


「西野を危険な目にはあわしたくないんだ。西野がいなきゃダメだから、だから守りたい、無事でいてほしいんだ。」


決してきれいごとなんかじゃなく、俺の本心が素直に出た言葉。


その言葉を聞き、西野は顔を上げた。


「分かった、そうするよ。心配してくれてありがとね。」


少し微笑みながら西野は答えた。













俺達はそれからまた歩き出し、俺は西野を家の前まで送っていった。


「じゃあ、しばらく外出しないようにな。」


「うん、それじゃあね。」


そう言った西野に向かって手を振り、家に帰ろうと歩き出したとき、背中に少し違和感を感じた。




(…ん…?…何だろうこの感じ。)





そう思い振り返ると、西野がまだ家の前に立っていた。


「…どうしたの?西野。」


「淳平くんに少しの間会えないと思うとちょっと寂しいなって思って。」


笑顔でそう答える西野。


少し無理をしたようなその笑顔を見て、なんだか切なくなった。










「じゅ、淳平くん…」


俺は無意識のうちに西野に駆け寄り、西野の体を抱きしめていた。


「大丈夫…きっとすぐに犯人も捕まるから。少しの、ほんの少しの辛抱だから。」


そう言った俺の腕の中で西野は黙って頷いた。





俺の腕の中にすっぽりと収まった西野の体。





その感覚が愛しくて、切なくて、『守ってあげたい』、そう強く思った。






















それから三日が経った。


もう六月だと言うのに雨の降る気配もなく、太陽が容赦なく照りつける。


俺はエアコンのない部屋で一人映画を見ていた。


(映画は面白いんだけど……暑い…)


「雨でも降ってくれたらちょっとは涼しくなるのに。」


そんなことをぼやきながら画面を見つめる。




かなりの長編だったため映画が終わった頃にはすっかり日は暮れていた。


「淳平ー。」


居間の方から母さんの声がした。


「んー?何だよ。」


「電話よー、つかさちゃんから。」





「えっ、ちょっと待ってて!すぐ行く!」


暑さのせいもあって、気の抜けた返事しかできなかった俺だが西野の名前を聞いた途端に焦って立ち上がり、居間へと向かった。






「もしもし?」


「あっ、淳平くん?」


「どうしたの?何かあった?」


「…あのね、今日一人で留守番してるんだけど…」


その後の言葉を少しためらうようにする西野。


「…どうしたの?…西野。」







「……その…一人じゃ恐くて…」


「だから…その…今日一晩、一緒にいてくれないかな?」










「えっ!?」







突然の西野の言葉。訳が分からなくなって一瞬言葉を失った。





「ダメならいいんだけど…」




「い、いや、全然大丈夫だよ。」


「ありがと。じゃあ待ってるね。それじゃあ。」


西野がそう言った後、電話は切れた。







(西野の声…不安そうだった…)


そう思い、少し急ぎながら俺は西野の家に行く準備を始めた。




少し多めの荷物を手に持ち玄関のドアへと向かう。


「あれ、淳平、どこか行くのか?」


ちょうど今帰ってきた父さんが尋ねてきた。


「うん、ちょっと…」


「これから西野さんのとこに泊まりに行くんですって。」


ニヤニヤしながら母さんがわざわざ説明する。


(ったく、何もわざわざ言わなくても…)


少し恥ずかしくなり下を向きながらドアに手をかけた。




「あっ、つかさちゃん泣かせるようなことすんなよな。」


冷やかしとも思える明るい母さんの声を背中に受け俺は家を出た。


















(…ちょっと待てよ…一晩一緒にいるってことは、一緒に寝るってことだよな。…となると…)


いろいろな妄想が頭の中を駆け巡る。


そうしてるうちに西野の家の前に立っていた。


妙な緊張感を感じながらインターフォンを鳴らした。


「はーい。」


扉の向こうで声がしてこっちに向かってくる足音が聞こえてくる。


「ちょっと待っててね、すぐ開けるから。」


鍵を開けるカチャカチャという音が緊張感を高めていく。


俺は西野と恋人同士になってもいざ二人で会うとなれば妙に身構えてしまう。






その理由はたぶん…




「はい、どうぞ。」






西野があまりにかわいいから…










「…どうしたの?早く入りなよ。」



思わず見とれてしまっていた。



「あ、ごめん。」



西野に急かされ、俺は西野の家へ足を踏み入れた。


その瞬間に感じるいい香り。


たぶん晩御飯を作ってくれているのだろう。


「このニオイ…もしかして料理作ってくれてた?」


「あ、うん。淳平くんが来るから張り切って作ったんだ。もうすぐ出来るから座って待ってて。」


そう言われて俺はソファに腰掛けた。








しばらくするとおいしそうな料理が目の前に運ばれてきた。


「今回のはちょっと自信あるんだ。食べてみて、淳平くん。」


「ホント?それじゃあ…」


俺はお皿に乗せられたハンバーグを一切れ口に運んだ。


西野はその様子を俺の向かい側に座りじっと見つめている。


「うん、すげぇうまいよ。」


そう言った瞬間、西野も笑顔になる。












西野の料理を食べると、俺はいつも笑顔になれる。





そして西野もそんな俺を見て笑顔になる。





こんな普通の時間に幸せを感じれる。





だから、こんな風な西野といる時間の一秒一秒を大切にしていきたい、そう思った。

















少しの間会わなかったせいか話のネタは尽きることなく、どんどんと会話が進んでいった。


食事を終え、時計を見てみるとかなりの時間が経っていた。


もちろんそれはすっかり話し込んでいたせいなのだが俺にはその時間が一瞬のことのように思えていた。


「すっかり話し込んじゃったね。」、そう笑顔で言う西野と一緒に食べ終わった食器を流し場へと運んだ。


西野は腕まくりをして洗い物に取り掛かろうとしている。


「西野、手伝おうか?」


全部任せっきりというのは西野に申し訳ない。


「いいよ、あたしやるから。」


「でも、悪いよ。」


「いいって。あたしに任せといて。ほら、お風呂湧いてるから先に入っといでよ。」


『全然平気だから』とでも言うように笑顔を見せる西野。


風呂場のほうに向かって俺の背中を強引に押す。


「わっ、分かったからそんなに押さないでくれ。」


俺はそのまま風呂場に向かった。













「はぁ、いつも俺って西野に引っ張られてるよな。悪くはないんだけど…たまには俺から…」


独り言を言いながら湯舟に浸かる。


ちょうどいい湯加減に気持ち良くなって天井を見上げる。


「こんな広い風呂、西野、毎日こんな風呂に入ってんだ…」





(…ん?…待てよ…この後西野もこの中に入るんだよな…)




一度そう思うと妙に意識してしまう。


(やばい…変に興奮してきた…)


風呂から上がっても胸の高鳴りは止まらない。


俺はリビングの扉を開いた。


ソファに腰掛けテレビを見ている西野に向かって話し掛ける


「西野、お風呂空いたよ。」


「うん、わかった。」


高ぶる俺の気持ちとはまったく対照的に西野は何でも無い様子でそう言って風呂場に足を進めていく。







「あ、そうだ。」


その途中で西野は何かに気付いたように振り返った。


「淳平くん、あたしの部屋入ってていいよ。あたしもお風呂から出たら行くから。疲れてたら寝ててもいいし。」






(……来た……)






(これってたぶん、俺が想像してる展開に近づいてる…)





そんなことを考えながら階段を一段一段上がっていく。








(俺達は恋人同士で…この家の中には二人しかいなくて…)







ドアを開け、部屋の中へと入る。







(この状況は間違いなく…)







もうすでに壊れかかっているブレーキ、





胸の高鳴りは抑え切れず、ただただ加速をし続けて行く。


[No.1154] 2005/07/11(Mon) 01:19:18
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〜Everybody Needs Love〜9 (No.1154への返信 / 10階層) - つね

〜Everybody Needs Love〜9『霞む視界、遠ざかる音』






それからどれだけの時間が経ったのかよく分からない。


階段を上がる足音が聞こえて来た。


その足音が近づくにつれて心臓の音が早くなっていく。


ガチャ


扉が開く、その時の音を聞いて胸の鼓動は一気に最高潮に達した。






背中で西野がベッドに倒れ込む音がする。


俺は振り返ることもできずに、何も言えずに、ただただ体を硬直させ続けている。


「ねえ、淳平くん何固まってんの?もっと楽にしなよ。」


「…あ、うん。」







それから途切れた会話。


俺は西野からの言葉を待った。


自分の欲望だけで行動するのは嫌だったから。










「淳平くん。」


長い沈黙を破り、西野が口を開く。


「こっち向いて…ベッドまで来て。」





(来た…西野から、)




俺はその言葉の通りに立ち上がりベッドに向かう。


目の前にはベッドに横たわる西野。


少し潤んだ瞳、恍惚とした表情が俺の本能を刺激する。


気がつけば動き出していた。


西野に覆いかぶさるようにベッドに手をつく。


「西野、いい?」


「…いいよ、来て。」


その言葉で完全にブレーキは解除され、キスをしようと顔を近づける。


お互いの顔の距離があと数センチまで近づいたその時、





ピンポーン




突然鳴り響くインターフォンの音。


「あっ、誰か来たみたい。行かなきゃ。」


西野はそう言って立ち上がり、部屋から出ていった。


(ここまで来て邪魔が入るなんて…)


完全にやる気を削がれた俺はうなだれ、勢いなくベッドに倒れ込んだ。















(ったく、こんな時間に誰だよ。)


そう思い階段の真ん中あたりまで行き、玄関を見てみる。


「どちらさまですか〜?」


そう言いながら玄関へと向かう西野。


明かりの点いた玄関に大柄の人の影が見える。


「…?…あの、どなたですか…?」


返事がないことを不審に思い西野が尋ねる。






俺は直感で玄関へ走り出した。たぶん第六感が働くとはこういうことをいうのだろう。


(…確信はない…でもたぶんこいつが…西野を襲った犯人…)


俺が走り出した直後、西野がドアのノブに手をかけた。


「西野!開けちゃダメだ!」


「えっ?」


西野は俺の方を向いたがもう遅かった。


ドアは既に開きかけている。


(…こうなったら…)


俺はとっさに壁に立て掛けられていたほうきを手にとった。


「きゃっ、何? 助けて!淳平くん!」


ドアが開き、男に手を掴まれた西野が声を上げた。


(…今日西野の家に来てて良かった。俺が守らないと。)


「その手を!!離せ!!!」


そう叫び、ほうきを振り上げる。


そして走った勢いはそのままに俺は男に向かってほうきを振り下ろした。


男は予想もしてなかったであろう攻撃を間一髪で避けたが、突然のことに驚き、そのまま走り去って行った。






「西野、大丈夫!?」


そう言って西野の方を見る。


西野の顔は色を失い、大きく体を震わせている。


「…西野…」


(まさか家まで知られてたなんて…)


何を言えばいいか分からずに俺はその場に立ち尽くした。









「…淳平くん…あたしどうなっちゃうの?」


「…怖いよ…淳平くん…このままじゃ…あたし…」


その場に座り込んだまま、震える声で弱々しく西野が言った。




(…確かに、このままじゃ西野が危ない…何とかしないと…)





「…二人でどこか遠くに行こうか。」


呟くように言った俺の言葉。


西野は突然の提案に少し驚いたように俺を見る。


「二人で…遠くに…?」


「もう犯人に家まで知られてるんだ。これ以上ここにいたらいつ襲われてもおかしくない。だからそれが一番安全だと思うんだ。」





西野からの答えは返ってこない。






「無理…かな?」


「ううん。親に聞いてみるね。あたしもそれが一番安心できるから。」






そして次の日、西野の両親からもOKが出て、俺と西野は泉坂を出ることになった。













そしてさらに1日経った朝、俺は携帯電話を買いに来ていた。


ここまで来た経緯をすべて話せば長くなるが、遠くに行くからにはいつでも連絡が取れる状態でなければならない、というのが一応の理由だ。


今まで携帯を持たなかった俺も今回ばかりはさすがに必要だと思っていた。







ただ、こんなにも朝早くから来たのには別の理由がある。


「あ〜、これもいいかも。ね、淳平、どう?」


「どれでもいいから早くしろよ。俺はもう手続き終わってんだから。」


「何よ、その言い方。淳平のはあたしが選んであげたんでしょ。」






そう。俺が携帯を買うと聞いて唯が機種を変えると言い出し、それにも付き合わされているのだ。


こんなにも朝早いのは『今日は講義があるから』、らしい。




とりあえず携帯を買った俺は店を出て家の方へと足を進めた。





そのとき、




「えっ、淳平何でそっち行ってるの?」


背後から唯の声がした。


「何でって、これから帰るからだろ。」


用事が終わったから帰る。それは当たり前のことだろう。




しかし、




「あれ、学校まで送ってくれるんじゃなかったの?」

















数分後


「ったく、自分で漕いでいけばいいだろ。」


「別にいいでしょ。淳平が漕いだ方が速いんだし。」


俺は唯を自転車の後ろに乗せて汗びっしょりになりペダルを漕いでいた。







しばらくして唯の通う大学に着いた。


「淳平、ありがとね〜。」


自転車から降りた唯が手を振りながら言う。


「お前なぁ、明日から俺はいなくなるんだぜ。分かってんのか?」


「だからこそこうやってたっぷり甘えさせてもらってるんでしょ。」


そう言って微笑む唯。


その言葉と笑顔に少し照れて俺は俯き、そのまま自転車を漕ぎ始めた。



そして帰り道の下り坂、その上から見える景色を見て思う。


(いよいよ明日か…この景色とも少しの間お別れだな。)



















そして出発の朝がやって来た。


「淳平、荷物は持った?」


「ああ、大丈夫。それじゃあ。」


家の玄関まで見送りに来た母さんにあいさつをして家を出る。








待ち合わせ場所は泉坂駅。






午前八時の電車に乗って、






二人で遠くヘと…







高校三年の夏休み以来の二人きりでの旅。


様々な思いが胸を駆け巡り、気がつけば街の中心部まで来ていた。


休日の朝であるせいか、街を歩く人は見当たらない。


いつもはたくさんの人で賑わう街の一時の休息。


そんな街の雰囲気が新鮮で少しホッとした気持ちになる。





そんな中、





ビクッ


突然強烈な寒気に襲われた。






(…何だ?今の…)






そう思い振り向く。






その瞬間、







「うっ…」







脇腹に激痛がはしる。






霞んでいく視界の中、俺の目が捕らえたのは一人の大柄の男の姿。





男は俺のシャツのポケットから携帯電話を引き抜いて去って行った。






「…や…めろ…何する…」






もう声を出すのもやっとの状態で、視界はみるみるうちに狭くなっていく。













最後に男の姿を見てから何分経ったのだろうか。







もう俺の目には何も映らずに、ガタゴトという電車の音だけが耳に届いた。


[No.1155] 2005/07/22(Fri) 23:13:53
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〜Everybody Needs Love〜10 (No.1155への返信 / 11階層) - つね

〜Everybody Needs Love〜10『壊れていく』1






「淳平くん遅いな…」


つかさは駅のホームで呟いた。


バッグから携帯を取り出し、時間を確認する。


時刻は7時57分。電車の出発時間までわずか三分。


時間が迫るにつれてだんだんと不安になってくる。


「…淳平くん、何かあったのかな…」


そう言って携帯の画面を見る。


画面には昨日登録したばかりの番号。


そしてその番号に電話をかけようとした、そのとき、


ピリリリリッ


「もうっ、誰だよ。こんなときにメールなんて、」


つかさは愚痴るようにそう言いながらメールを開いた。


もうすでに電車はホームに入ろうとしている。



「…えっ…」


そのメールを見た瞬間につかさは思わず声をあげた。


「淳平くん…からだ。」


つかさは急いでメールを読んだ。


『どうしても抜けれない用事があって電車に間に合いそうにないんだ。後で追い掛けるから先に出発しててくれればいいから。』


携帯の画面に映し出されたその文章。


『後で追い掛けるから』、その言葉を信じてつかさは八時の電車へと乗り込んでいった。






























気がつくと目の前には白い世界が広がっていた。


視界はぼやっとしていて白く霞んでいる。






(…ここは…もしかして俺…)





「あっ!ちょっと、斎藤さん!先生呼んで来て!」


そんなことを考えていると突然声が聞こえてきた。


(…ん…?…先生?…俺、死んでない?)




そう思うとだんだんと視界がはっきりとしてきた。





「良かったぁ、気がついて。君、二日間も寝たきりだったのよ。」


水の入った容器とタオルを俺の横にある机に置きながら女の人が話し掛けてきた。


(…この人、白衣着てるし…ここ病院だ。)


だんだんと周囲の状況を理解してきた。


「君、名前は?」


「え…真中、真中淳平です。」


「真中…くんね。もう少しで先生来るから待っててね。」


そう言って俺に見せた明るい微笑みにはどこか西野のそれと通じるところがあった。





(…!そうだ西野…西野は!?)






「あ、先生来たみたい。それじゃあね。」


俺が西野のことを尋ねようと思ったちょうどその時に看護婦さんはそう言って病室から出ていった。



















病院の先生の話で今の状況が把握できた。


俺はあの後、道を通り掛かった人の通報により病院に運ばれたらしい。


出血が激しく、命を失う危険性もあったようだ。


そんな緊急事態に俺を知る人が誰も駆け付けてこなかったのは、俺が自分の情報を示すものを何も持っていなかったからだろうと先生は言った。







先生の説明を聞いて改めて事の重大さを感じ、そして『よく助かったもんだ。』、なんて思ったりもした。





でも、先生がいろいろと説明してくれている間も、一つのことから頭が離れなかった。





『西野は無事なのか?』、そのことが何より心配だった。









そして先生の説明が終わった後、俺は尋ねた。


「先生、俺が病院に運ばれた日に泉坂駅で何か事件がありませんでしたか?」


「いや、君が刺されたこと以外は何も起きとらんよ。」


(…西野にはひとまず何もなかったみたいだな…)


俺は先生の言葉を聞き、胸を撫で下ろした。


「もう聞きたいことは無いかい?」


「あ、はい。ありがとうございました。」


「じゃあ、君の家族には連絡しておくから。あと意識が戻ったと言っても、まだ安静にしておくようにね。」


そう言って担当の先生は病室から出ていった。







「じゃあまず西野に事情を説明しないとな。」


独り言を言いながら携帯を探す。





(…あれ…?)





でも、どこを探しても携帯電話は見つからない。




(…そういえば…)






今になってようやく思い出した。


(…アホか!…何今更思い出してんだ!)


(そうだよ。携帯があれば家族や西野なんかとっくに駆け付けてるはずだろ。)


焦る気持ちが止まらない。


(しかも…携帯は今、犯人が持ってる…)





「失礼しまーす。」


そんな時、看護婦さんが食事を持って病室に入ってきた。


「看護婦さん!すみません、病院の電話貸してくれませんか!?」


「えっ、あ、分かりました。」


看護婦さんは物凄い勢いで言う俺に少し驚き、急ぎ足で病室から出ていった。










しばらくすると看護婦さんが電話を持って帰ってきた。


「あ、ありがとうございます。」


(すぐにかけないと…泉坂を無事に出発しても犯人が同じ電車に乗り込んだ可能性だってある。)


携帯はなくても頻繁に電話をかけている番号なので記憶していた。


俺は番号を入力し、西野に電話をかけた。




『…おかけになった電話は、ただ今、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていません。』


(繋がらない…?…まさか、西野の身に何か…)


そう思ったって今の俺には何も出来ない。







ただ不安が募るだけ…





ただそれだけ…






今自分の周りで何が起きているのかが分からない。そんな混乱の状態に俺は陥った。


そして混乱の中、新たな疑問が浮かぶ。


(…待てよ。いくら犯人が俺の振りをしていたとしても、二日経っても目的地に着かない俺を西野は不思議に思わないだろうか。)


(一度くらいは携帯に電話を入れるはず…犯人はメールはできても電話には出ることはできない。声までは真似できる訳ないから。)




(携帯に電話して出ないなら、俺の家にかけるはず…そうしたなら俺の親も西野も矛盾に気付いて俺の身に何か起きていると分かるはずなのに…)








(…なのに何で…何で西野は一度も電話してないんだ…)





明らかな矛盾。でもそれが何故なのか分からない。





だけど俺の中で、そして俺の周りで、





確実に何かが壊れ始めていた…


[No.1166] 2005/08/04(Thu) 07:29:16
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〜Everybody Needs Love〜11 (No.1166への返信 / 12階層) - つね

〜Everybody Needs Love〜11『壊れていく』2






俺と西野が離れて離れになってから、何かが壊れ始めていた。



そして今日、俺は思ってもみない最悪の知らせを聞いてしまった。



知らされたときには大切なものはもう既に壊れてしまっていて、どうしようもなかった。



もう、終わった…























時は少し遡る。


俺が目を覚ましたその日の夕方、両親と唯がお見舞いに来た。


「淳平、あんた大丈夫なの!?」


それが病室に入ってきた母さんの第一声だった。


父さんもベッドに横たわる俺を心配そうに見ている。





(二人とも、心配かけちゃったな…でも、何だろうこの違和感…)





(…そうだ。唯が何も言ってこない。こんな時には真っ先に喋るような奴なのに…)






事前に両親が唯と一緒に来ることは聞いていた。


だけど今、唯の姿は見当たらない。


「唯ちゃん、どうしたの?」


母さんが廊下に向かって呼び掛けた。


(何だよ。やっぱりいるんじゃん。)


唯がいることが分かり、俺は少しホッとした気持ちになった。





「…ん、何でもないよ。」


目を擦りながら唯が病室に入ってきた。


そして俺と目が合った瞬間、




唯の目から涙が溢れ出した。


「ゆ、唯!どうしたんだよ!?」



突然の涙に俺は訳が分からなくなる。


「…良かった。淳平が無事で…本当に良かった…」



(…唯のやつ、そんなに心配してたんだ…)


こんな時、本気で心配してくれる唯の温かさに触れたみたいで、何とも言えない気持ちが溢れてきた。


その後両親と唯は遅くまで病院に残り、俺を励ましてくれた。


一つ一つの言葉が、気遣いが素直に嬉しかった。















その次の日の朝、外村をはじめとする元映研のメンバーがお見舞いに来てくれた。


みんな俺が無事と分かると明るく話し掛けてきてくれた。



俺を明るくさせようとする友人達の温かさに触れ、改めて感じる…支えてくれている人の多さ、そして優しさを。



そしていつものように、長い会話の間、ほとんど笑顔は絶えなかった。



俺たちはかなりの長時間話し込み、昼過ぎになってやっと外村たちは帰っていった。


外村たちを笑顔で見送った後、俺は思う。



(やっぱり、西野のこと、何も分からなかったな…)



映研のメンバーの誰がかけても西野の携帯には繋がらないらしい。


『西野が今、どこで何をしているのか』、これが全く分からずにどんどん深みにはまっていく


「今日も何もできずに終わりそうだな…」


そう呟きながら窓の外を見た。












実を言うと俺は西野と一緒に行くはずだった、その行き先を知らない。


と言うより決めていなかったのだ。


とにかく泉坂から離れ、二人で泊まるところを探すということにしていた。


その分のお金は持っていたし、犯人がこれからどう動くかも分からなかったから。


(なんであの時行き先をはっきり決めなかったんだろう…)


そう考えると後悔の気持ちが募り、深い溜息がこぼれた。






溜息を吐いて下を向いたとき、



(…ん?…何か誰かに見られてるような…)


俺は突然誰かの視線を感じ、扉の方を見た。


「誰か…いる?」


半開きになった扉に向かって呼び掛ける。

















「…東城!?」


扉の影から現れたのは東城だった。



「…東城…みんなと一緒に帰ったんじゃなかったの?」



「その…真中くんに言っておかなきゃいけないことがあって…」


東城は少し俯き加減にそう言ってベッドの横に座った。


「言っておかなきゃいけないことって…?」


俺がそう聞き返すと、東城は下を向いた。


しばらく沈黙が続いたがそれも東城の性格から来るものだろうと思い、東城の答えを待った。










だけど…この後俺は最悪の答えを聞くことになる。









「あのね…」


沈黙を破り東城が口を開いた。


「西野さんのことなんだけど…」


(…えっ…)


「何!?西野がどうしたんだよ!?」


俺の心は西野という言葉に敏感に反応した


「あのね、昨日あたし西野さんから電話もらったの。」


(…!?…)


あまりの驚きのあまり、俺は言葉を失った。


「…それで?」




そして俺の中で東城の答えに対する期待はどんどんと高まっていく。









だけど…




「何でかは分からないけど西野さんがあたしに『東城さんって淳平くんと付き合ってるの?』って聞いてきたんだ。」










この、東城の口から発せられた言葉は…












「その時…嘘ついた…『付き合ってる』って…」







俺の全ての希望を打ち砕いた。











「…何言ってんの…?」


自分の体が小刻みに震えるのが分かった。











「……何で…」






「…何でそんなこと言うんだよ!」




俺の中で何かが切れた。





「…ごめんなさい…まさかこんなことになってるなんて…」



大きな声で怒鳴る俺の前で体を小さくして東城が言った。



「…まさかって、じゃあ東城はそんな軽い気持ちで…冗談のつもりででも西野にそんなこと言ったのかよ!!!」



もう止まらない。もう収まらない。





そんな中、東城の口から出た予想もしない言葉





「…あたしは…あたしはチャンスだと思ってる!あたし、やっぱり真中くんのことが好き。」


「西野さんが何でそんなことを聞いてきたのか分からないけどそのとき思った。これはもしかしたらチャンスなのかもしれないって…」


東城には珍しく、強い口調でそう言った。







「…俺だって…」



「俺だって西野のことずっと好きで仕方なくて、いろいろあってやっと恋人同士になれたのに…何でだよ!…そんなの勝手す……」




東城の様子を見た俺は思わずその後の言葉を飲み込んだ。












…東城が泣いてた…






「…ごめんなさい…本当に…」






「もう…いいよ…」


東城の涙を見て少し冷静になった俺は気付く。





(もう…何言ったって、どうしようもないんだ…)





そう…今の俺にはその誤解を解く術も無い。連絡手段が無いのだから…











「…あたし…帰るね…。本当に…本当にごめんなさい…」


そう言って東城は病室のドアに向かって歩き始めた。




俺は無言でその後ろ姿を見届けた。




分かってる…東城に当たったって仕方ない…





そんなことをしたって何が変わるわけでもない。







東城に悪気が無かったと言えば嘘になる。







…でも責められない…もうどうしようもないのだから…






もしかしたら東城だって犠牲者なのかもしれない…






何で…何でこんなにも歪んだ欲望が生まれる…?






『愛されたい』、きっとそれだけなのに…


















そして一人の部屋でまた謎は増えていく。


西野が東城に電話をした理由、それが分からない。


しかも何で東城にそんなことを聞いたのか…


でも確かに言えること、それはその東城への電話が西野に関しての何らかの手掛かりを握っている。


それでもまだ俺が刺されてからの二日、この間に何があったのかよく分からない。


それどころか細切れになった手掛かりは余計に俺を混乱させていく。













そして、言葉にならない虚しさと哀しさが俺の胸に溢れる…









涙も出ない。









涙を出すほどの力さえも今の俺には残っていなかった…



















俺と西野の関係が、今日壊れた。


[No.1169] 2005/08/08(Mon) 00:52:53
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〜Everybody Needs Love〜12 (No.1169への返信 / 13階層) - つね

〜Everybody Needs Love〜12『電話』






東城と会ってから一週間、まだ完全ではないが脇腹の傷も癒え、俺は退院した。


俺は迎えに来てくれた両親とともに外に出た。


久々に外の世界を感じる。


夏真っ盛り。


じりじりと照り付ける太陽の日差し。


騒がしい蝉たちの声。









うだるような暑さの中家へと帰り、さっとシャワーを浴びると俺はまた外へと出た。


行き先は西野の家。


西野の両親がかけても繋がらなかった電話。


でも、もしかしたら今日は…


そんな思いを抱いて西野の家のドアを開けた。


「あらあら、よく来てくれたわね。どうぞ上がって。」


ドアを開けると西野のお母さんが笑顔で迎えてくれた。






「まだ掃除の最中だから片付いてないところもあるけど気にしないでね。」


廊下を歩きながらそう言う西野のお母さん。


俺は西野のお母さんについてリビングに入った。



(『片付いてない』って…メチャクチャ綺麗じゃん。なんかいいニオイするし…)



そんなことを思いながら部屋全体を見渡す。


「暑かったでしょ。こんなものしかないけど良かったらどうぞ。」


そう言って西野のお母さんはアイスコーヒーを出してくれた。


「あ、すみません。そこまでしてもらって。」


「いいのよ、遠慮しないで。」


そう言って西野のお母さんは俺の向かいに座った。












俺はコップに注がれたアイスコーヒーを一口飲んで、話を切り出した。


「まだ…繋がらないんですか…?…西野の電話…」


「…そうなのよ…全然繋がらなくて…」


(…やっぱり…か…)


俺はそう思い視線を落とした。


「ホントに大丈夫なのかしら……警察の人たちは捜索しているみたいだけど…なにしろ手掛かりが少なすぎるものだから…」


心配そうに西野のお母さんは言う。




俺にも、西野のお母さんにも、西野が今どこで何をしているのか全く分からない。電話が通じないことから誰かに捕まっていることも考えられる。







焦りが募る。じっとしていても何もならないのは分かってる。






でも、どうすればいいのか分からない。




ただ待つだけの時間が過ぎていく。





二人の間で沈黙が続いた。








そんな中、




プルルルルルッ





西野の家の電話が鳴った。




(…もしかしたら…)




胸の中で期待が高まっていく。




西野のお母さんは電話に向かって歩いていき、受話器に手をかける。





「もしもし、西野ですが。」





ゴクン





俺は唾を飲み込んだ。




視線は受話器を持つ西野のお母さんへと集中する。








「あっ、じゃあ今からお伺いします。」


どうやら電話の相手は西野ではないようだ。


西野のお母さんは電話を切ってこっちを向いた。


「淳平くん、悪いんだけど用事ができて少しの間家空けることになるんだけどまだここにいる?」


「…はい。もう少しいてもいいですか?」





その答えに特に意味はない。ただなんとなく西野の家にいたかった。ただそれだけのこと。ただなんとなく…





「それじゃあ留守番頼んでいいかしら?そんなに時間はかからないから、」


「はい、任せてください。」


「それじゃあよろしくね。」


そう言って西野のお母さんは出掛けていった。






















西野のお母さんが出掛けた後、俺はなんとなく西野の部屋に向かった。


階段を昇り、ゆっくりとドアを開ける。









…いい香りがした…西野の香りだ…








すべてを忘れて夢中になる。







その香りに吸い寄せられるよう、ただ酔いしれる。







でもその香りはからっぽになった心を満たすことはなく、体をすり抜けていく。







この部屋には君の抜け殻だけ…







いくら見渡してみても君はいない。







涙が頬をつたう。







寂しい。







会いたい。







たまらなく会いたい。






会って抱きしめたい。










涙が流れるとともに体の力が抜けていき、ベッドに顔をうずめた。









…西野の香りがした…切ない香りだった…



























ガタッ



物音を聞き、振り返ると西野のお母さんが部屋の入り口に立っていた。


その姿を見た瞬間に我に返る。


どうやら随分長い時間こうしていたようだ。




「あっ、すみません。俺…」




涙を拭いてそう言った。




「別にいいのよ。私は下にいるから。帰るときになったら言ってね。」




西野のお母さんはそう言って下に降りていった。





(…西野のお母さんだって辛いはずなのに…なのに、俺の前ではずっと笑顔で…)




その優しい表情を見るたび、西野のお母さんの優しさと寛大さに感謝する。




そして階段を降りる音が廊下を歩く音に変わった時、











プルルルルルッ








俺の耳にコール音が届いた。




俺はその音を聞いて階段を駆け降りた。




そうなのかどうかは分からない。




でも西野からの電話であってほしい。




そんな願いを込めながら…









1階に降り、西野のお母さんが電話で話しているその会話に神経を集中させる。






「何で………ったのよ。」





途切れ途切れで聞こえてくる会話。西野のお母さんは少し怒ったような口調で話している。





でも、まだ誰と話しているか、よく分からない。





俺は受話器を持つ西野のお母さんに近づいた。












(あれ…?…西野のお母さん、泣いてる…?…)












「…でもホントに良かったわ…」











(『良かった』…?)










「…で、今どこにいるの?」











(どこにいるか聞いてるってことは…)










期待が高まる。胸の鼓動が早く、大きくなっていく。






















「つかさちゃん。」















その名前を聞いた瞬間、気持ちを抑え切れなくなった。






「西野!?」




思わず叫んでしまい、慌てて口を押さえた。






それでも嬉しい。本当に…良かった。




様々な思いが一気に込み上げてきて、言葉にならない。






「あ、つかさ、落ち着いて聞いてほしいんだけど…」




(…ん…?)




俺は西野のお母さんの話の切り出し方に少し違和感を感じた。



「あのね、今、隣に淳平くんがいるのよ。今から代わるけどいいかな?」



(…えっ…)



西野のお母さんは俺に向かって頷き、受話器を差し出した。




俺はドキドキしながら受話器を受け取った。







震える手で受話器を耳に当て、口を開く。









「…え…と、もしもし、西野?」









体の震えが止まらない。




















『淳平くん…』









一番聞きたかった、大好きなその声。












ずっと途切れていた会話が今繋がった。












そして今、確かに、俺は西野と話している。


[No.1179] 2005/08/16(Tue) 18:54:44
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〜Everybody Needs Love〜13 (No.1179への返信 / 14階層) - つね

〜Everybody Needs Love〜13『戦慄』







『淳平くん…』


受話器の向こう側から聞こえてくるその声に対して俺は答える。


「西野。」


こうやって話すことをどれだけ望んだことだろう。


どれだけ待ち侘びたことだろう。




たった十日の間、




でも十日もの長い間、




言葉がどんどんと溢れてくる。




そんな中俺に向けられた西野の言葉、


『淳平くん、東城さんと付き合ってるんでしょ。もう…話すこと無いよ…何であたしの家なんかにいるの?』


(…やっぱ…西野勘違いしてる…)


「俺、東城とは付き合ってないよ。それ勘違いだって。」


『何で今更そんなこと…だってメールで言ってたじゃない…』


そう話す西野の声はだんだんと弱々しくなって、今にも泣きそうになっている感じがした。


『東城さんに電話したら東城さんもそう言ってたし。いざあたしと話す時になってそんなの…』


「西野!そ、それ俺じゃない!」


俺の声が西野の言葉を遮った。


『…えっ…』


「俺、携帯取られたんだ。西野と一緒に泉坂出るはずだった日の朝、あの時犯人に刺されて…今日退院したばっかりなんだ。」













今、一つの仮定が事実に変わった。


やっぱり、犯人が俺のふりをして西野に働きかけていた。




でも…そうなると…犯人は西野と東城、両方のことを、そして俺と西野は勿論、俺と東城の繋がりまで知っている人物…ということになる。



…それなら一体誰が…



心当たりは…まったく無い。
















『じゃあ…東城さんとは…?』


俺に向かってゆっくりと西野が聞いた。





「何も無いよ。俺は西野だけだから、そんなことする訳無いだろ。」





『…今言ったことは嘘じゃないよね…?』


小さくか細い声で呟くように言ったその言葉。


会話の中に垣間見える西野の不安。


拭い去ってあげたい。





「俺を、信じて。」




ゆっくりと、そして電話越しであるにも関わらず頷きながら俺は答えた。



『うん、分かった。信じるよ。』



やっと前向きな言葉を口にした西野。


でも、少し違和感を感じる。




(西野の声…何て言うか、少し暗いよな…いつもの西野ならもう少し安心したりとか喜んだりしてもおかしくないのに…)



そう思いながらも話を進める。


「西野、今いる場所言ってくれないかな?俺もそこに行くから。」


俺がそう言った後、西野は少し間をおいてから答えた。


『えっと…………にいるんだけど…』


「分かった。じゃあ明日か明後日にそこまで行くから待っててくれ。」


『うん、じゃあ待ってるね。それじゃあそろそろ…』


(西野…疲れてるのかな…?久しぶりに話すのに西野からこんなに早く電話を切ろうとするなんて… 声も元気ないし。)





この十日の間、本当にいろいろなことがあった。




これほど大変な時期など今までには無かっただろう。俺にも、西野にも…




だから西野もきっと疲れているんだろう。



いや、疲れていないはずがないだろう。



だから西野の意思を尊重した。西野を休ませてあげたいと思った。



「分かった、それじゃあ…」



だけど…



『…ごめんね…』






「えっ?今何て…!?」


ツー、ツー


慌てて聞き返した俺の耳には会話の終わりを告げる音。


受話器の向こうから聞こえてくる小さなその音がしんとした廊下に虚しく響いた。




















西野の家からの帰り道。


暮れなずむ町の中、西野に会える嬉しさを噛み締めながら歩いた。


…でも、何か引っ掛かる。


事件のこともそうなのだが、何よりも電話で西野が最後に言った言葉…


(あれって聞き間違いじゃないよな?電話を切るときに『ごめんね』って…)



そんなことを考えたけど深い思考にはならなかった。





ついに西野に会える。




会えば全てが解決する。




そのことが俺の不安を消してくれた。

















自宅の扉を開き、鼻歌交じりに靴を脱ぎ家の中へと入る。


「母さん、俺明日…」


「あっ、淳平!あんた早く泉坂大学に行きなさい!」


言いかけた言葉は母さんの騒がしい声に掻き消された。


(…へ…?…何で俺が大学なんかに…)


いきなりのことに訳が分からない。


「何だよいきなり。…まさか…唯が呼んだとか…?」


少し呆れたように俺は言った。


「何言ってんの!犯人が人質取って泉坂大学に立てこもってるのよ。」




(…えっ…?)















母さんの話を聞いた後、俺はすぐに泉坂大学へと走り出した。


泉坂大学は唯の通う大学でもある。


母さんは唯からの連絡によってこのことを知ったと言っていた。


人質は一人。犯人が警察から逃れて大学に逃げ込んだらしく、人質以外の学生はその際に素早く逃げ、犯人から逃れたらしい。


















大学の構内に入ると物凄い人だかりができていた。


「なんだよ、これ…」


あまりの人の多さに思わず声が漏れる。





「あ、じゅんぺ〜!」


今にも溢れそうな人込みに圧倒されていると唯がこっちへ駆けてきた。


「唯、お前は大丈夫なのか?」


「うん、あたしは大丈夫。でも女の子が一人人質になってるの。」


「確か、三回生の向井さんっていう人なんだけど…」







(………えっ?………)






(…こずえちゃん…?)







「ちょっと!淳平どうしたの!?」





俺は人込みを掻き分けその最前列にたどり着いた。


集団の最前列では警察の人たちが人込みの進行を止めていた。


大学の校舎からは少し離れたこの場所から必死に犯人、そしてこずえちゃんの姿を探す。


(…クソッ…窓が閉まっててどの部屋にいるのか分からない…)



そう思った直後、


薄暗い景色の一部に明かりが灯った。


そしてガラガラと音を立てながらガラス窓が開く。


(あれは、間違いない…!)


窓から顔を出す犯人。そしてその腕を首に回されナイフを突き付けられている一人の女子学生。


(…こずえちゃんだ…)


少し癖のある長い黒髪が一目見ただけで彼女であるということを伝えてくれた。





「ねぇ、刑事さ〜ん。まだお金用意できないの〜?」


犯人の構えた拡声器から完全に警察をなめた声が聞こえてきた。



「もう少し待て。今用意しているところだ。」


そしてこちらからはがっちりとした体格の刑事が対応する。


「早くしてよ。あんまり遅いとこの子傷つけちゃうかなぁ。」


ニヤニヤと笑いながら犯人が言う。


「分かったからその子には手を出すな!もうすぐだ!もうすぐしたら金が用意できる!」


必死で説得しようとする刑事。


「でも本当に遅いんだよなぁ。この子と遊んで暇潰しでもしよっかなぁ」


そう言って犯人はこずえちゃんの胸に手を触れた。


「きゃああああああ!!!」


大きな悲鳴が響き渡る。


「や、やめろ!何をしてるんだ!」


突然の犯人の行動に焦りながら刑事が言った。



「何してるって…これから遊んでやるのさ。この子物凄くかわいいからなぁ…いい体してるし…胸なんてすごく気持ちいいや…」


こずえちゃんの顎を掴み、彼女の顔を見ながら気味悪い声で喋り続ける。




「ホントかわいいなぁ……いじめたくなっちゃった…」




ゾクッ



その言葉を聞いた瞬間、背筋が凍り付いた。



(…こいつは…マジでやばい…狂ってやがる…)




そして…


「…ひ…あっ…!」


拡声器がこずえちゃんの小さな悲鳴を捕らえた。





(…嘘だろ……血が…出てる……)









ナイフで傷つけられた頬から一筋の血が流れる。







その瞬間、その場にいた皆が声を失った。












凍り付いた泉坂大学の構内、強い風が大きな木に吹きつけ、深い緑色の葉を大きく揺らした。


[No.1184] 2005/08/28(Sun) 10:56:24
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〜Everybody Needs Love〜14 (No.1184への返信 / 15階層) - つね

〜Everybody Needs Love〜14『初めての言葉』






凍り付く…


ここにいるすべての人の視線はただ一つ開いているその窓に向けられる。


一人の少女の頬から流れる血。


(このままじゃ…こずえちゃんが危ない…!)


『このままじゃあ…』、そんな危機感と犯人に対する怒りが俺の体を動かしていた。


(あんなやつ…絶対許さない……それにあいつが西野を…)


そう考えると抑えられなかった。




そんな中で辛うじて冷静な自分を働かせ犯人に気付かれないように校舎の裏側に回り込む。




校舎の裏側の入口の前にも警察の人たちがいた。


きっと犯人が逃げた時のためだろう。


警官の目の前に立ち、俺はためらいなく言った。


「お願いします!校舎の中に入らせてください!友達が人質になっているんです!だから…!」



警察側の答えはもちろん、



「だめだ!警官以外を中に入れる訳にはいかない!」



その警官はそう強く言い切った。


「そんなこと言ってる場合じゃないんです!!どうしても止めるって言うんなら…」


俺はそう言いながら走り出した。


「ま、待て!何をするんだ!」




後々考えてみると何でこんなことができたのか分からない。


俺の目の前にいる人たちは紛れも無く、鍛え抜かれた警官たち。


それにも関わらず止めにかかる警官たちを巧みにかわして俺は校舎の中へと入っていった。


「こら!君!待ちなさい!」


背中で聞こえるその声に振り返る事もなく俺は必死で階段を上った。




(こずえちゃん…頼むから無事でいてくれ…)


















俺は思ったよりも早く犯人がいると思われる教室にたどり着いた。


校舎の表側から犯人の姿が見えた場所を考えればそれを予測するのは容易だった。



(この中に…犯人とこずえちゃんが…)



息は切れていたが心は意外と落ち着いていた。



いざこういう状況に立たされるともうそんなことは関係ないのかな、と思ったりもした。




そして俺は教室の引き戸に手をかけた。


ガラガラと音をたててドアが開く。




「誰だ!?」




その瞬間教室の中にいた男が声を上げる。


この事件の犯人であるその男は声を上げると同時に素早くこずえちゃんの首にナイフを突き付けた。


俺の中で一気に緊張が高まった。



(下手に動くとこずえちゃんの命が危ない。)



俺は大きく息を吸って一度気持ちを落ち着かせた。



そして犯人に向かって言う。


「その子を離せ!」





「いやだね。」


犯人の男は嘲るように笑いながらそう言い切った。


「この子にはこれからしっかり楽しませてもらわないといけないからなぁ。  つかさちゃんを逃してしまった分もしっかりとな。」


「そして俺はこの後つかさちゃんの所に行くんだ。」





「やっぱりお前が西野に…」


怒りで震える声。




「ああ、そうさ。お前の携帯からいろいろと送らせてもらったぜ。東城とずっと前から付き合ってるとか、『西野』なんかもともと大切じゃないとか、今までのは付き合ってるふりしてただけだ、とかな。」






(…嘘…だろ…)


男の言葉は俺の想像を絶するものだった。



まさかそこまでとは思わなかった。あまりにひどすぎる…



俺は呆然と立ち尽くした。






そんな俺を見て、笑いながら男は続けた。


「つかさちゃん、ショックだったろうなぁ。今まで一筋に思ってきたやつにそんなこと言われたんだから。」





「…ふ、ふざけるな!!!」


絶対に許せなかった。


西野の心を弄んだ目の前の男を、俺は絶対に許せなかった。


男に向かって突っ込んで行く。




だけど…


「動くな!!!」


その言葉に俺の体は止められた。


男はこずえちゃんの首にナイフの刃を当てている。


「…う…」


目を固く閉じた彼女が声にならない声を上げる。




動けない…




そんな中で男が再び話し始める。


「それに悪いのはお前さ、真中。」


「お前がつかさちゃんを独占するからダメなんだ。お前は東城とでも一緒にいればいいんだよ。」


(…やっぱり俺と東城の名前を…でも何で…)


目の前の男に見覚えは無い。


だけどその男は俺のこと、そして東城のことまでも知っている。


「『何で俺のことを』、とでも言いたそうだな。」


俺の心を見透かしたように男が言った。


「そりゃあ知ってるに決まってるさ。俺とお前は泉坂高校の同級生なんだからな。」


(…泉坂の同級生……だからか……)


「でも…見たことは無いな……違うクラスか…」


思わず考えていたことが口に出た。


無意識のうちに…俺にはよくあることだった。




だけどそれを聞いた瞬間に男の態度が豹変した。





「…っぱり……ぃんだ…っ…り…」


何か小声でぶつぶつと呟いている。


そして…



「…っ…やっぱり誰も俺のことなんて覚えてくれてないんだあぁぁ!!!」


男はいきなり大きな声で叫んだ。


そして…


「ハァッ、ハァッ……でも…つかさちゃんは…ハァッ…きっと俺のことを受け入れてくれるはずさ…」


「…つかさちゃんはっ…俺のものだぁぁ!!」


息を切らしながら再び叫ぶ。





「…ハァ、ハァ…やっぱりつかさちゃんだけなんだ…俺のことを理解してくれるのは………もう…お前も、この女も邪魔だ…殺してやる…」


男の目がどす黒い、濁った輝きを見せる。


男は無言でこずえちゃんの首を掴み、ナイフを振り上げた。


「止めろおぉぉ!!!」


男の手を止めようとして叫びながら走り出す。


そんな中、男は気味悪く笑ってナイフを握る手に力を込めた。










(…ダメだ…間に合わない…)







走りながらも思わず目をつぶったその時、




カランカランッ



(……えっ?……)



突然、軽く響く金属音が聞こえた。





不思議に思い目を開けると男の手からナイフが吹っ飛び、男は右腕を押さえている。




(…あれ…?)




犯人の隣にもう一人の男がいた。


ダボッとしたジーパンとTシャツを身につけた金髪で大柄の男。


その男は素早く犯人の腹に鋭い蹴りを入れた。


「う゛っ…」


強烈な一撃を食らった犯人は鈍い声を出し、その場に倒れた。


そして大柄の男はこずえちゃんを抱き上げて声をかける。


「おい、大丈夫か?」


男の呼びかけに対する返事は無い。


どうやらは気を失っているようだ。



(…それにしても…この声…この雰囲気…)




どこか聞き覚えのある低い声。


「え…と…」


俺が声をかけようとしたその時、




「ったく、俺が来なきゃこいつが殺されてたぜ。そしたらどうするつもりだったんだよ。」


大柄の男は呆れるようにそう言いながら振り向いた。


「み、右島! やっぱり、」




「まさかお前との再会がこんな場面になるとはなぁ。まったくお前の無鉄砲さにも呆れるぜ。」


右島はそう言って軽く溜め息をついた。




「そういや右島、お前どっから入ってきたんだ?…まさか警官になったとか…?」



「バーカ、んな訳ねぇだろ。俺はここの大学の教育学部にいるんだ。今日は調べ物があってちょうど大学に来てたんだよ。それでこいつが侵入した後もこの校舎の中にいた訳よ。」


右島は気絶している犯人を指差してそう言った。


なるほど、と頷きながらも俺にはちょっと引っ掛かることがあった。




「…待てよ?…でも何で校舎に残ってたんだ…?犯人がいるのが分かってたのに…」


「それにこの教室に入ってきたってことは…この教室の近くにいたってことだよな?」





「それは…」


右島には珍しく言葉に詰まる。



そして…





「それは…こいつのことが…心配だったから…」


窓の外を見ながら照れ臭そうにそう言った。



















しばらくすると警察の人が来て犯人を連行していった。


俺は警察の人に「人質の身に何かあったらどうするつもりだったんだ。」とひどく叱られた。


今から考えてみるとやはりかなり無謀で、危険なことをしたと思う。


警察の人の説教は俺にとってきつく、重たいものだった。


今まで感じたことのない迫力と説得力のある言葉に俺はすっかり参ってしまう。



帰り間際の「…それでも感謝している、ありがとう。」 という言葉が唯一の救いだった。











そして今、すっかり日が暮れてしまった泉坂大学の構内には俺と唯、そして右島とこずえちゃんの四人だけが残っている。




構内を吹き抜ける風が涼しくて心地よい。


俺と唯は右島とこずえちゃんのやりとりを少し遠くから見守っていた。


こずえちゃんは右島に対して何度も頭を下げている。


そして照れを隠すようにそっぽを向いている右島。




この二人は似た者同士なのかも…


俺はそんなことを思いながら二人を見ていた。











そしてしばらくしてからこずえちゃんはこっちに来て俺に頭を下げた。


「真中さんもありがとうございました。迷惑かけてごめんなさい。」


「いや、いいよ。俺は何もできてないし…」


「そんなことないです。本当にありがとうございました。」


もう一度深々と頭を下げるこずえちゃん。


それにつられて俺も頭を下げる。













「じゃあ帰ろうか。もう遅いしさ。」


少し間を置いて俺はみんなに呼び掛けた。


そして歩き始めた時に、後ろからこずえちゃんの声が聞こえた。






「え…と…その…



         ……右島くん……





                …ありがとう……」





振り返ると、こずえちゃんは横目でチラッと右島の方を見て、顔を赤くして縮こまっていた。













…右島『くん』…こずえちゃんが男に対して初めて使ったその言葉にはどんな意味が込められていたのだろう…















俺は夜空を見上げた。






(…次は俺の番だな…俺も覚悟を決めなきゃ…)







不安な要素が無い訳では無い。








だけど立ち止まってはいられない。








(…明日……西野に会いに行く…)







口に出して言った訳でも無く、








空に向かって手を合わせた訳でも無く、







頭を下げてお願いした訳でも無い。








だけど何よりも強く、







心の中で強く、空に向かって再会を誓った。


[No.1186] 2005/09/04(Sun) 10:00:39
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〜Everybody Needs Love〜15 (No.1186への返信 / 16階層) - つね

〜Everybody Needs Love〜15『僕らは愛を…』






夜道を歩く二人の間に時折涼しい風が吹き抜ける。


泉坂大学からの帰り道を俺は唯と一緒に歩いていた。


「こずえちゃんって泉坂大学の学生だったんだな。前会ったときはそんなこと言ってなかったからびっくりしたよ。」


「こずえちゃんって向井さんのこと?へぇ〜、淳平って向井さんとそんな関係なんだ〜。西野先輩いるのにね〜。」


唯はにやけた顔で俺の方を見てきた。


「ばっ…お前なぁ、高校の時一緒の塾だっただけだよ。」


「…でも、淳平が『ちゃん』づけで女の子呼ぶなんて今までなかったじゃん。」


「…う゛…」


更に唯は続けた。


「それにさあ…付き合ってる西野さんに対しては依然として『西野』だもんね〜。西野さん可哀相だよね。彼氏から名前で呼んでもらえないなんて、」




(…そうなのか!?やっぱり女の子ってそういうの気にするのかな…)




唯の言葉に焦りを感じ、そして考え込む。




(…口に出さないだけで西野ももしかして名前で呼んでほしいと思ってる?)




(名前で呼ぶとしたら『つかさ』って言うのか〜。緊張しそうだよな〜。唯とかさつきを呼ぶときみたいに自然に言えたらなぁ…)







そう思い、ふと唯の方を見た。







(…ん?…)





唯は俺の顔を覗き込むようにしてニヤニヤと笑っている。


「唯…お前…」


「だってちょっとからかっただけなのに淳平ったら真剣に考えてるんだもん。あ〜おかしい。」


唯の目には笑い涙が浮かんでいる。


「こいつ…人をからかって遊びやがって…」




「…淳平、もしかして怒ってる…?…わ〜、逃げろ〜」


そう言って唯は走り出した。



「こら、待て!唯!」


俺も走って唯を追いかける。


すると唯は走りながら振り返り俺に向かって言った。


「やっといつもの淳平に戻ったね!さっきまではこんな顔してたよ。」


そう言って眉間にシワを寄せる唯。



(…そういえば、西野のことでかなり不安だった部分もあったから…)



思い返せば、さっきまで固い表情をしていたことに気付く。


そして唯のおかげで今まで感じていた緊張が消えていたことにも、


(…唯のやつ…わざと俺をからかって…)


前を行く唯を見て、俺は微笑む。





「唯…ありがとう。」





唯に聞こえないような小さな声でそう言った。





するとその瞬間、唯が振り向いた。





(…もしかして聞こえてた?)






一瞬ドキッとしたけど…






「それじゃあ淳平、淳平のマンショまで競争ね!はい、ヨーイ、ドン!」





(…そんな訳無いか…)






唯はそう言ってスピードを上げた。



「あ、こら、待てって!」


























「やったー、あたしの勝ち!」


「…お前の方が早くスタートしただけだろ…それに俺は疲れてるんだから…」


俺の住むマンションの前で手を膝につく。


そんな俺の目の前で両手を挙げて喜ぶ唯。


(ったくこいつは子供なんだか大人なんだか…)


そんなことを思いながら呼吸を整える。








そうしてるうちに上の方から唯の声がした。


「じゅんぺー、いつまでへばってんの?早く来なよ。」


見上げると唯はもう俺の家がある階まで上がっていた。




「……」




俺は思わず固まった。




















「…で、なんでお前は俺の家の前まで来てる訳?」


俺は唯のいる階まで上がり唯に尋ねた。


「なんでって、淳平の家に泊めてもらうからに決まってるじゃん。」


当然のようにそう言ってドアに手をかける唯。


「お前なあ、お前がベッド使うと俺が寝るとこなくなるんだぜ。」



「こんばんわー、お邪魔しまーす。」


「って聞いてないし…」


仕方なく俺は唯と一緒に家の中に入っていった。









家に入ると母さんが台所で忙しくしていた。


「あらあら、唯ちゃんいらっしゃい。今日は美人さんばっかり揃うわねぇ。」


唯に気付いた母さんがそう言った。


「淳平も犯人捕まったみたいね。良かったわねぇ。」


「ああ。それより母さんさっき美人ばっかりって言ってたけど…誰か来てるの?」


「そうそう。そういえば今淳平の部屋で待ってもらってるんだけど…」


それを聞いた瞬間、俺は部屋に直行した。


「ちょっと、淳平?」







(…まさか西野が自分から俺に…)












そして…











「西野!」







そう言って期待いっぱいにドアを開けた。








ドアを開けた瞬間、部屋の中にいた少女は一旦驚いた顔を見せて俺から目を逸らした。


久しぶりに見たその顔はとても寂しそうだった。













「……東城……」








俺の口から言葉がこぼれると、東城は体をすぼめて俯いた。


その姿を見ると俺まで悲しい気持ちになった。






「どうしたの?こんな時間に家に来るなんてさ、」


東城の向かいに座って俺はわざと明るく話し掛けた。




東城からの答えはなかなか返ってこなかった。




だけどここで俺が口を開いてしまったら東城が何も言えなくなりなりそうな、そんな気がして…




それにいくらあんなことがあったからって俺が東城を恨み続ける訳にもいかなくて、いつかは東城と話をして、それで決着をつけなきゃいけないことは分かってて…




そして今がまさにその時。




そう感じたから、だから東城の言葉をずっと待ち続けた。















そして…










「やっぱり…」







「やっぱりあたしは真中くんのことが好き。」











(……えっ!?……)











「ちょっ、東城!だから俺には西野が!」


慌てて東城の口を止める。







その時、





「真中くん…」







今日初めて、東城が俺と目を合わせた。







「あたしの話を最後まで聞いて…」







東城は潤んだ瞳で俺を見つめる。






(…まさか…本当に俺と西野の関係を壊すために…)








不安が胸に押しよせる。











「あたしは今も真中くんが好き。」





(…やっぱり…)







「…でも…」







(えっ?…『でも』…?)










「でも、真中くんを好きだから…だから真中くんに幸せになってほしいと思ってる。だけど…そのためにはあたしじゃなくて…西野さんが必要だって、そうだよね?真中くん。」


「あたしはそのことは前から分かってた。だけどいつもそこから逃げてきたの。その現実を受け止め切れなかった。でも今になってそのことを受けとめられるようになったから…そして気持ちの整理がついたから…だから今日、改めて謝りに来たの。」





「もう…許してはくれないかもしれないけど…」




「せめて気持ちだけでも伝えないと…」





心なしか、東城の表情が少し明るくなったような気がした。






(…何だかやけにさっぱりしてるな……東城…そんなにあのことを重大なことだとは思ってないのかな…?)


今までは決して無かったことだが、このとき、俺は東城の人間性を疑った。


(あんなことしたくらいだからやっぱり東城も変わってしまったのかな…?)


あんなにも信頼していた、信頼しあっていた東城にそんな感情を抱いた。















…だけど…


















「西野さんにも…真中くんにも…本当に…悪いことして……」


東城の声が涙で詰まる。







「…本当に…本当に…ごめんなさい……」


東城はただそれだけ言って後は何も言わなかった、と言うより、言うことができなかった。


瞳から溢れる涙が彼女の言葉を止めていた。












…俺の知っている東城がそこにいた…













俺は東城を優しく抱き締めた。




(俺と同じように東城もずっと辛かったんだ。)




見方によっては東城は犯人に加担したことになるのかもしれない。




だけど、俺ももう子供じゃ無い。




今許さなきゃ、今受け止めてあげなきゃ、いつまでも進まないまま、




そのくらい分かってる。




それに、今ここにいるのは間違いなく俺の知っている東城だから。




「…うっ…ごめん…なさい……ひっく……ごめんなさい…うっ…」


「東城、もういいから。俺も西野も大丈夫だから。」


東城が泣き止むまで俺は彼女を抱き締め続けた。

























東城が落ち着いてから俺は東城に事件のことを隠す事なく全て話した。


もちろんついさっき犯人が捕まったことも含めて…


「そう…だったんだ…」


俺の話を聞いてそう言った後、少し俯く。


「だ、だけどさ、俺、明日西野に会いに行くんだ。」


突然大きな声で言った俺に対して少し驚いたように俺の顔を見る東城。


「そうすれば全部解決するからさ。だから心配しないで。」







しばらくしてから東城は何も言わずに優しく微笑んだ。


(これからは…いつもその笑顔でいてほしいな…)


俺は素直にそう思った。

























「あ、送っていくよ。」


家のドアの前で急いで靴を履きながら俺はそう言った。


「いいよ、あたしは大丈夫だから。」


「…でも…こんなに暗いし…女の子一人だと危ないよ。」



「その…気持ちはありがたいんだけど……その…弟が来てるの…」



「別に呼んだ訳じゃ無いんだけど…勝手に迎えに来たみたい…」


東城は少し恥ずかしそうにそう言った。





マンションの下の道路を見ると白のスポーツカーが停まっていた。


(…あれかな…?)


念のため階段の下まで東城を送っていく。


「それじゃあな東城。」


俺は東城に向かって小さく手を振った。






「うん。……真中くん…あたしがこんなこと言う資格なんて無いかも知れないけど……頑張ってね…」



「うん。ありがとう、東城。」



そして東城は俺に向かって笑顔を見せて車に向かって走っていった。































そして運命の朝…


いつもよりもずっと早く起きたはずだったが、昨日の夜俺のベッドで寝ていたはずの唯の姿はすでに無かった。


(まったく薄情なやつだな…応援くらいしてくれてもいいのに…)


少し不満に思いながら家を出る支度をする。


母さんも父さんもまだ寝てたけど、起こしちゃ悪いと思って置き手紙を書いておいた。


家を出ると夏の終わりであっても街はまだ少し暗く、どこの家で飼っているのかも分からない犬の鳴き声だけが静かな街に響いていた。



どんどんと朝がやってくるのが分かる。



太陽の動きを実感できる唯一の時間を歩いてるみたいで何故だか嬉しくなった。
















そして…


『泉坂駅』、そう書かれた建物の中へ…


泉坂発、始発の電車に俺は乗る。




二人で行こうとして行けなかった旅を、今度は一人で…




『よし!』、と心の中で気合いを入れて駅の中に入っていった。







「あ、真中来たよ!」



(…え…?)



「おっ、本当だ。」



たくさんの声がする、その方に俺は振り向いた。





「みんな…」


そこには東城、さつき、外村兄妹、小宮山、こずえ、右島がいた。


「驚いたでしょ、淳平。あたしがみんなに知らせてあげたんだからね。感謝してよね。」


そう言いながらみんなの中からヒョコっと顔を出す唯。




(唯のやつ…このために早く起きてたんだ…)




唯に対して感謝の気持ちが込み上げてくる。







「真中くん、頑張ってね。」


(…東城…)




「真中、しっかり決めてきなよ。」


(…さつき…)




「真中さん頑張ってくださいね。」


(…こずえちゃん…)




「頑張れよ、真中。」


(…右島…)




「じゅんぺー、いい加減西野先輩捕まえちゃいなよ。」


(…唯…)




「もう、だらしないんだから。いつまでこんなことしてるんだよ。」


(…きっつー、相変わらずだなこいつは…)




「真中、我慢してやってくれ。こいつ一旦大学のある京都まで戻ったのに真中がつかさちゃんに会いに行くって聞いて応援するためだけに泉坂まで戻って来たんだから。」



「こら、兄貴!余計なこと言わなくていい!」


(…美鈴のやつ…そこまでして…)






「あっ、もうすぐ電車の時間みたい。」



東城がふと気付いたように言った。




「あ、ホントだ。それじゃあ……」


そう言って俺はホームへの階段へと向かう。






「真中!」






外村の声に俺は振り向いた。






「男前なとこ見せてこいよ。」





「ああ。」




俺はそう応え、外村に向け拳を突き出した。














この世界の中で、










誰もが『愛』を必要としている。







その『愛』から生まれた歪んだ欲望は誰かを傷つけ、取り返しのつかないことを起こす可能性を持っているのかもしれない。







実際にそんな事件に巻き込まれたのは他でもない俺だった。









だけど、人ってこんなにも温かくて…










人の愛ってこんなにもすばらしいから…










だから今日も人と関わって、触れ合って、










そして愛を求め、人から愛をもらい、人に愛をあげて僕らは生きていく。






















「3番ホームに列車が入ります。危険ですから、白い線までお下がりください。」




夢と希望を乗せた車の到着を告げるアナウンスが静かなホームに流れる。




大きな音を立てながら止まった夢の箱に乗り込む。







みんなの気持ちを胸に、みんなの『愛』を胸に…







今度は俺が西野にあげる番。







今日、俺は泉坂を出発した。







〜第一部 Everybody Needs Love〜完……第二部へ続く


[No.1200] 2005/10/02(Sun) 00:46:10
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〜第二部 君に贈る〜第一話 (No.1200への返信 / 17階層) - つね

電車は海沿いの道を走っていく。







キラキラ輝く波の光がとても綺麗で、







窓を開けると潮風が勢い良く吹き込んで来た。








もう少しで…君に会える…














『SERENDIPITY』〜第二部 君に贈る〜第一話『海沿いの町で』













『……駅、降り口は右側です。お降りの際はお忘れ物の無いようにご注意ください。』


聞き慣れない駅の名前がアナウンスされる。


俺は泉坂から西へと向かう電車に乗っていた。


泉坂駅からの始発便だったが、だんだんと電車に乗る人も増えてきた。


電車が止まるたびに俺は残りの駅の数を数えた。


そして駅の数を数えていた指が残り一本になった直後、電車の外は闇に包まれた。


(このトンネルを抜けたら…)


様々な想いが胸を駆け巡る。


約2週間、俺は西野と会っていない。これだけの期間会わないでいると期待と同時に不安も感じる。


西野のいる街の駅に近づくにつれて俺の緊張と不安は高まっていった。


長いトンネルの中ではその気持ちがさらに大きくなっていた。







…だけど…








「…綺麗だ…」




トンネルを抜けた瞬間に今までとはまったく違う景色が目に飛び込んできた。


その景色に思わず声が漏れる。





電車は海沿いの線路を走る。


まぶしい太陽に照らされた水面がキラキラ光って宝石みたいだった。


さっきまでの不安はどこかに消え去り、心は明るく照らされた。


あまりに綺麗な景色に気を良くして、俺は窓を開けた。


窓から顔を出し、潮風をいっぱいに浴びる。


遠く前方には整った町と丘の上に立つ綺麗な灯台が見えた。




(あの町に…西野がいる……西野に会える…)



そう思うと、自然と笑顔がこぼれた。



俺は電車が駅に止まるよりもずっと先にドアの前に立ち、そのドアが開くのを待った。


西野との再会が待ち遠しくて仕方ない。


ようやくドアが開き、電車を降りる。


そしてすぐについこのあいだ買い換えた携帯電話を手に取った。


「えっと…西野の番号は…と、」















…昨日、西野の家の電話を通して俺が西野と話したあの時…



電話を終えた俺に西野のお母さんが一枚のメモを渡してくれた。



「これあの子の携帯の番号ね。つかさ、向こうで一度携帯無くしたらしくて携帯を買い換えたらしいの。番号前と変わってるからって、」















そして今、その番号に俺は始めて電話をかける。


(…それにしても俺、西野のお母さんがこのメモ渡してくれてなかったらどうなってたんだろう。)



そうだったことを想像すると冷や汗が出る。



(まあ…何はともあれ、西野のお母さんに感謝だな…)


そう思い番号を押した。






『…もしもし?』


(…繋がった………って当たり前か…)


西野の声を聞くと電話越しだけどすぐ近くにいるような、そんな気がしてなんだか安心できた。


「あ、西野、俺、真中だけど…」


『あ、淳平くん?どうしたの?こんな時に』


「俺、今西野のいる町まで来てるんだ。だからどこにいるか言ってくれないかな?会いに行くからさ、」


まったく知らない町だけど、人に聞いたり、いろいろすればなんとかなるだろう。そう思い西野の居場所を聞いた。


『……』


少しの間沈黙が続いた。


その沈黙に俺はとてつもなく不安になる。





(……なんかこれってヤバイ感じがしないか?…『会いたくない』とか言われるような…)






「……どうしたの…?」



そう言った瞬間、胸の鼓動が一気に早くなる。



西野の答えを待つまでのたった数秒の時間がとても長く感じられた。








だけど…







『……えっとね、あたし今バイト中で今はたまたま電話出れたんだけど、今日は6時くらいまで働かなきゃいけないんだ。だからそれまで待ってくれるかな?』






……良かった……


西野からの答えは俺の予想とはまったく違うものだった。


ひとまず俺はホッと胸をなでおろした。



「うん、待つよ。西野に会えるなら俺いくらでも待つから。」


『ありがと。それじゃあ……、今淳平くんどこにいるの?』


「えっと…海が見える駅の…ホーム………それで分かるかな?」


看板でも見ればすぐに分かった駅の名前なのに俺はそう言ってしまった。


(『海の見える駅』って…それで西野分かるかなあ…)


言ってしまった後でそんな説明しかできなかった自分を少し情けなく思う。




『……えっと、それじゃあ淳平くんそこから灯台見えるかな?』


「あ、うん。見えてるよ。」


『その灯台がある丘の下に公園があるんだ。たぶん行けばすぐに分かると思うから…。そこの公園に6時…半くらいかな。そのくらいの時間に待ち合わせってことで、いいかな?』


「うん、分かった。6時半だな。」


『それまではまだ大分時間あると思うから、町で暇つぶしして待っててよ。小さいけど映画館もあるし、退屈はしないと思うからさ。』


「分かった。それじゃあ公園でまた会おう。」


『うん。それじゃあね。』


そして俺は電話を切った。


「よっし…!」


そして小さくガッツポーズ。


西野に会えることによる気持ちの高ぶりを押さえきれなかった。




















駅を出ると整った町並みが俺を出迎えてくれた。


(駅から見たときも思ったけど綺麗な町だよなあ……別に田舎って訳じゃないし、いろんな店もあって賑わってるんだけど、うまく自然と共存してるって言うか、とにかく建物も全部綺麗だよなあ…。こんな町もあるもんなんだなあ…)


きょろきょろとして歩きながら綺麗な町並みに見とれていた。


海沿いの町ということもあって、寿司屋があったり、観光客が来るのか、御土産屋まであった。


そしていろいろな店の様子を外から見て回っていたけど…





「やっぱり最初はここ…かな。」



俺は映画館の前に立ち、そう言った。



映画館があるといわれた以上寄らない手はない。


(大きさは…テアトル泉坂くらいかな…)


以前バイトしていた映画館と少しダブる外観に親しみを感じる。




(でも…客の入りが全然違う…)




行列を作る人たちを見て一瞬気が引けた。


だけど、映画を見るためにはその行列に加わらないといけないわけで、俺はその列の一番後ろに加わった。
















ホールに入ると、俺は人波にもまれながらも席を取ろうと必死になった。


そして、たった一つ空いていた席を見つけ、そこへ腰掛けようとする。


(よし、何とか座れそうだな。さすがに立ち見はきついからな。)


そう思い安心した直後、


バフッ…!


俺の後方から少し小さめのバッグが俺が座ろうとしていた席に投げ込まれた。


(…え…?)


振り返ると一人小さな老人が満足そうに笑っていた。おそらく地元の人だろう、と直感で分かった。


「すまんのお、席を譲ってもらって。」


笑顔を見せながら俺の前を通りすぎていくその老人。


「よいしょっ」、と言って飛び乗るように席に座った。


(………………これが…地元の…常連の力……恐るべし……………)


しばらくの間、俺は固まって動けなかった。


















(気を取り直して…っと、それにしてもたくさん入ってるよなあ。どっか空いてる席ないかなあっと…)


ホールを見渡してみる。まさに超満員だった。


(ある…わけないか。まあ仕方ないな。立ち見で我慢だ。)


俺はようやく割り切って、これから上映される映画のパンフレットに目を向けた。


(『あの夏の落し物』…聞いたことないタイトル。まだ見たことない…な。監督名は…『山本豊三』、か。この人も知らないな…)


俺は少し安心した。既に見たことのある映画を見るよりもまだ見たことのない映画のほうが楽しみがあるから。


そして、ホールの明かりが消され、アナウンスが流れる。


『大変長らくお待たせしました。ただいまより上映を開始致します。』


(…いよいよ…だな…)


俺はスクリーンに集中した。


そして映写機から映像が映し出された。

















(………これは………)



















上映が終わった後、俺はその場に立ち尽くした。


俺の横を通り過ぎていく人たちは「今回も良かった」、とか、「やっぱり豊さんの作る映画は最高だ。」、とか、それぞれに感想を述べながら歩いてゆき、中には涙を流す人もいた。


立ち見の疲れなんて微塵も感じなかった。


ただ、驚きと感動が押し寄せてくる。


まるで別世界のものを見たような……


俺だって今まで一流監督の映画を数多く見てきた。海外で修行を積んでいるうちも、数え切れないほどの名作を見て、その度に心を動かされた。


…だけど…だけどこの映画は今まで見たどの映画とも違っていた。


別にどの作品より上だ、とか比較するつもりはない。


ただ、何か今までとは違った、そんな風に感じて、そして、とてつもない感動を覚えた。


(これだけの映画を…こんな小さな映画館で……監督も、作品も無名なのに…)


「すげぇ!うん、すげぇよ!」


誰もいなくなったホールで思わず叫んだ。















「ほお、そんなに感動したか。最近の若いもんも捨てたもんじゃないのお。まあ、とは言っても、この町の若いもんはここの映画にドップリじゃがな。」






俺はホールに響く少し聞き覚えのある声に振り向いた。








「…館長!?」


そう言って、声の主の元へ駆け寄る。


「何でこんなとこにいるんですか!?まさか引越しとか?」


勢い良く詰め寄る俺に少し圧倒されながら、その老人は言った。


「失礼なやつじゃの。ワシはお前さんのことなんぞ知らんぞ。」


「何言ってるんですか。もしかして俺のこと忘れたんですか?ほら、テアトル泉坂でバイトしてた…っていうかこのあいだ会ったばかりじゃないですか。」


そう言うと老人は妙に納得したようにした。


「テアトル、ああ、そりゃあ間違えるわな。ははあ、なるほどなあ。そう言うわけか。」


うんうんと頷きながら独り言のように呟く。


俺は訳がわからない。


「あのな、兄ちゃん、そりゃあワシの兄貴だわ。双子なんよワシら。」


(…双子…?…そういえばちょっと言葉遣いも違うような…)


「豊三郎か。懐かしいのお。あいつ元気にしとったか?」


「はい。そりゃあもう、元気で。」


(元気すぎて困るんだけどな…)


「ほお、まあ何よりじゃな。そんじゃあ掃除すっから、またな、兄ちゃん。」


そう言うとその老人はほうきを持って俺に背中を向けた。


「ちょ、待ってください。」


俺の声を聞き、老人は振り向いた。


「なんじゃ?まだ何か用かの。」


「その…!あの映画作った人に会わせてほしいんですけど、」


「さっき映画が終わった後に誰かが『豊さんの作った映画』って言ってたんで、そんな風に呼ぶくらいなんだからこの街の誰かが作ったんだと思って…」


少し大きめの声で俺がそう言うと目の前の老人は驚いたように俺を見た。


そして突然声をあげて笑い出した。


「ハッハッハッ、兄ちゃん、なかなかいい観察力じゃの。なるほど、豊三郎が言っとった『おもしろいやつ』ってのはあんたのことじゃな。」


そう言った後さらに続ける。


「兄ちゃん、あの映画を作ったのはあんたの目の前におるこのジジイじゃよ。」


「えええええっ!!!」


あまりにも予想外の事実に驚いたが、早く話を聞きたいという気持ちが勝って俺はすぐに気を取り直して尋ねた。



「じゃあ、是非話を聞かせてください!お願いします。」


「まあそう焦るな。そうじゃの、ワシの話を聞きたかったらホールの掃除でもしてもらおうかの。そしたら考えてやっていいぞ。」


「……え゛……?」


















「豊三さん、掃除終わりましたけどー!」


俺は掃除を終え後ろの席で休んでいた豊三さんに向かって言った。


「おぉ、兄ちゃんなかなか手際が良かったじゃねぇか。」


客席の背もたれにドカッともたれながらそう言う豊三さん。


「これで話聞かせてもらえるんですよね。」


汗を拭きながら俺はそう言った。


最初は、何で俺が掃除なんか、と思っていたが、終わってみれば、たまにはこういうのもいいもんだな、と思えた。働いて流した汗が心地よい。


「うーん、まあ仕方ないのお。こっちに来な。」


豊三さんは立ちあがりホールの出口に向かって歩き始めた。

















ホールを出ると、俺は『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた部屋に案内された。


「そこら辺に座ってな」、と言われて俺はすぐそばにあった丸椅子に腰掛けた。


しばらくすると掃除用具を片付けた豊三さんが戻ってきた。そして俺の前にあった椅子に腰掛ける。


「で、何を聞きたいのかの?」


「俺、あの映画を見て、本当にすごいと思ったんです。だから是非あの作品を作った人と話をしたいと思って、話したいことはたくさんあるんですけど……」


俺は興奮気味にそう言った。久しぶりに心がうずく、そんな実感があった。


「じゃあまずは…」


俺はそう切り出して、豊三さんとの会話を始めた。



























最初のほうはそこまで多くを話さなかった豊三さんだが、話し始めてからしばらく経つと、自分からどんどんと話をしてくれた。



やはり、映画のことを話し出すと止まらないもので、気付くともう時計の針は6時をまわっていた。


そのことに気付いた俺は豊三さんに言った。


「豊三さん、すみません。この後ちょっと用事があるんで、そろそろ失礼します。」


「おお、そうか。それじゃあ、また来たくなったらいつでも来いよ。」


「ありがとうございます。それじゃあ…」


そう言ってドアに手を掛けた俺はふと思った。


(あ、まだ一番聞きたかったこと聞いてなかったや…)


振り返って俺は豊三さんに言った。






「豊三さん。」




「ん、なんじゃ?」



















「映画は何のためにあると思いますか?」





















「さあな…、人を幸せにするためじゃねーか?」
















それを聞いた俺は微笑み、「そうですか。」、と言って、映画館を出た。


















「あら、どうしたんですか?豊三さん。嬉しそうな顔して、」


映画館で働いているらしき若い女性が窓際に腕を置き外を見ている豊三に明るく話しかけた。





「さあな…。いい映画監督にあったからじゃねえか?」





そう言って豊三は港のほうに向かって歩く淳平の背中を見つめた。


[No.1201] 2005/10/09(Sun) 20:49:14
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〜君に贈る〜第二話 (No.1201への返信 / 18階層) - つね

〜君に贈る〜第二話『君に会えて…』








町は途中から緩やかな下り坂になっていて、道を歩きながら夕日が照り付けた水面が見えた。


西野との待ち合わせ場所である公園に行くためにこの町についてほとんど無知の俺はとりあえず海に向かう大きな道を歩いた。


しばらく歩くと海に突き当たり、そこから左右に道が分かれていた。


(…灯台の下の公園だったよな…)


自分の右手に大きな灯台を確認して、俺はコンクリート護岸の上を歩いた。


「あれ…かな?」


待ち合わせの公園は思ったよりも容易に見つかった。


護岸から降りてその入口らしき場所に走る。






公園の中を覗いて見る。


西野がまだ来ていないことを確認すると公園に入らずに入口で西野を待った。





(…もう少し…あともう少しで会える…)





(今、この公園に向かってる頃かな?)





(西野も今、俺のこと考えてくれてるのかな?)




(会ったら…何から話そうか…)





(西野のこと…名前で呼んでみようか。そうしたらどんな反応するだろう…西野…喜ぶかな…)










「…『つかさ』…か」


呟いたその言葉を噛み締めるように何度も繰り返す。






「何モゴモゴ言ってんの?」


突然かけられた声に驚いた。





…でもこの声は……





…間違いない…




俺はゆっくりと声のした方に顔を上げた。





「…西野…」



「久しぶりだね、淳平くん。」


そう言って西野は微笑んだ。










言葉が出てこなかった。





久しぶりに会った西野はやっぱりものすごくかわいくて、綺麗で、思わず見とれてしまった。






「ちょっと!大丈夫!?」


「…あ、ああ。」


俺はまだ意識がはっきりとしないまま返事をした。


「もう、しっかりしてよね。」


「…ごめん。」


口では謝っていても、心の中は西野に会えたことへの喜びでいっぱいだった。


「それじゃあここで話すのも何だし、中入ろっか。」


そう言って微笑む西野について俺は公園の中に入っていった。



















公園と言っても中はとても広く、泉坂で見慣れたものとは違っていた。


大きな広場を抜けると石畳が敷かれた場所へと出た。


石畳の通りはそこにある池のような場所を囲んでいて、そのほとりにはベンチが備えられていた。


「座ろっか。」


ベンチを指差してそう言った西野に従って俺はベンチに腰掛けた。





「ねぇ、淳平くん。目の前に見えるの、これ海なんだよ。」


「えっ、これ池じゃないの!?だって公園の中だしさ。」


穏やかに語りかけるように話す西野とは対象的に素直に驚く。


「はは、そんなに慌てなくても。ほら、そこ見てごらんよ。」


「波が出来てるでしょ。ここに溜まってる水は海から引いてきてるの。ほら、あそこから。」


公園の脇の道路の下にある空洞を指差して西野は言った。


「珍しいよね、こんな公園。ここに来てからなにもかもが新鮮でさ、本当にいいところだよね。淳平くんもそう思わない?」




楽しそうに話す西野を見てここに来るまで感じてたいろんな不安だとか、心配だとかは吹き飛んでいった。





西野が笑顔で話せば俺も笑顔で話せる。





やっぱり西野は特別な存在なんだと今改めて思う。





「俺もホントにいい町だと思うよ。ホントに綺麗な町だなって、」


「あ、西野知ってるかな?この町の映画館の館長さんがさぁ、テアトル泉坂の館長さんにそっくりなんだぜ。」


「知ってる知ってる。双子なんだよね。あたしも初め見たときびっくりしちゃって…」


弾む会話。同じところで笑ったり、同じところで驚いたり、本当に楽しくてあっという間に時間は過ぎていった。



















会話を重ねるにつれて雰囲気は落ち着き、二人は座ったそのベンチから見える景色を無言で見ていた。


「ねえ、淳平くん。」


「何?」


呟くような西野の声に俺もまた静かに答えた。


「信じてて良かった…」


横を見ると、西野は前を向いたまま少しはにかみながら続けた。


「あたしね、あのメールはたぶん淳平くんじゃないってなんとなく分かってたんだ。」


「そうなの?」


「うん…だってさ、文体が違ったもん。それに淳平くんはあんなこと言わないってことなんかきっとあたしが一番よく分かってる。」






…嬉しかった…





言葉にできない想いがどんどん溢れてきて止まらなかった。





そう…きっと君が一番分かってる。




君に一番分かってほしい。





自分はなんて幸せ者なんだと思った。






西野つかさに会えて本当によかった。













「西野、ありがとう。西野に会えて、こうして一緒にいられて、本当によかった…」


気持ちを言葉にして、そして西野をやさしく抱きしめる。




しばらく抱き合った後、俺はゆっくりと体を離した。



西野の顔を見ると目が合った。



言葉は交わさないまま、引き寄せられるようにお互いの顔が近づく。



そして、二人の唇がそっと触れ合った。











再び体を離し、俺西野の様子をうかがった。


西野は少し俯いて頬を赤く染めている。


その様子をたまらなく愛しく思う。


「…淳平くん…」


「…これからも一緒にいてくれるよね?」


呟くように言ったその言葉は不安の色をまったく感じさせない。


ただ確認したい、直接その言葉を聞きたいがために…


「もちろん。西野、俺はこれからもずっと西野のこと好きでいるよ。」


俺の返事を聞いた後も西野は俺とは目を合わさずにいる。




「淳平くん…目閉じて…」




その言葉の意図はよく分からなかったけど、俺は言われるままに目を閉じた。






まさに目を閉じた、その瞬間だった。






西野の唇が触れるのが分かった。






唇が触れ合った後、西野はなかなか離れようとはしない。







どれだけの時間が経っただろう。







触れ合っている間はその時間が何秒、何分にも、離れた後には一瞬の出来事のように思えた。






「しばらく会えなかった分、ね?」


自分の唇に指を当てて、微笑みながら西野が言った。





俺は固まったまま動けない。





西野は何も無かったかのようにベンチに置いてあったバッグを手に取り、俺の方に振り向いて言った。


「じゃ、そろそろ行こっか。」


「…行くって…俺…泊まるとこ無いんだけど…」


「あたしが泊まってるとこ。一緒に泊まればいいよ。」


「一緒に?」


そう言ったままボーッとしていると額をコツッとノックされた。


「コラ、やらしいこと考えない。」



「…はい…」


見事に心の中を見透かされた俺は力なく返事をすることしかできなかった。




そして先に足を進め始めた西野に急いで並ぶ。


「そう言えばさぁ、西野何で泉坂に連絡よこさなかったの?」


「え…と…、それはね…」


俺が質問をした瞬間に明らかに西野の口調が変わった。


気のせいかもしれないけど西野の顔が少し赤くなっているように見える。





「…その…恥ずかしいんだけど…携帯海に落としちゃったの…」




「へ?」





拍子抜けした。





泉坂にいる間も、この町に来てからもそのことを不安に思っていたけどまさかそんな単純な理由だったなんて…






「だからなるべく言いたくなかったんだけど…やっぱり言わなきゃダメだよね…」





「えっ…じゃあ…電話で言ってた『ごめんね』っていうのは…?」





「…だから…ずっと連絡しなかったの謝らなきゃって…」







「…はは…」






「……はは…はっはっは!!!」








笑いが止まらなかった。


何がおかしいのか自分でもよく分からない。


だけどなぜだか笑いが止まらない。




ただ今まで張り詰めてきたものが一気に緩んでしまって…






それと同時に嬉しかった。




西野が無事でいてくれて、本当に良かった。










「ちょっと…笑わないでよね。あたしだって連絡できなくていろいろ大変だったんだから。」


西野の顔はもう真っ赤だ。



「ごめんごめん…でもさ…」



俺が笑い涙を拭いながら言いかけると、西野がそっぽを向きながら言った。



「もう、今日は一緒の布団で寝てあげようかと思ってたのにな〜。」



「ちょ…え……ごめんなさい。もう笑いません。」


一気に形勢が逆転してしまった。



「どうしよっかな〜」



「ちょ…西野、だからごめんって。」











月と街灯に照らされた二人の影が賑やかに動く。








君は笑顔を浮かべはしゃいでいる。








あぁ…やっぱり西野といるとこんなにも楽しいんだ。








ねぇ西野、君は俺と一緒にいて楽しい?








どうやらそんなこと聞く必要も無いみたいだ。






今の西野の笑顔が俺にとって充分な答えだった。


[No.1207] 2005/11/03(Thu) 20:20:54
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〜君に贈る〜第三話 (No.1207への返信 / 19階層) - つね

〜君に贈る〜第三話『時子さん』






真夏の夜、心地良い風が吹いている。


歩幅を揃えながら公園からの道を二人で歩いた。


「はい、到着。」


しばらく歩くと西野はそう言ってそれらしい家の前で足を止めた。


「ここ?西野が泊まってる家って。」


「うん、なかなか立派な家でしょ。」


微笑みながら西野が答えた。


その家は豪邸とまではいかないが、民家が並ぶこの場所で少し目立つくらいの大きさはある。


西野の話によると、この家の持ち主であるおばあさんは西野の親類にあたり、西野が自分の家へ連絡できたのもその人のおかげらしい。


こちらに来てからは一週間ほどはホテルに泊まっていたのだが、あるときちょっとしたことからこの町に親戚の人がいるということが分かりこの家を訪ねたようだ。


初めは泊めてもらうことまでは考えていなかったのだが、一人暮しであるおばあさんは西野をえらく気に入り、泊めてもらえることになったということだ。










西野は俺を門の中に入れ家のドアを開けた。


「ただいま、おばあちゃん。お客さん連れてきたよ。」


西野の振る舞い方はものすごく自然で、まるでここに住んでいるおばあさんと本当の家族であるかのようだった。




「あら、つかさちゃんおかえり。」


落ち着いた声が聞こえてしばらくすると奥から一人の女性が歩いてきた。



「あらあら、その方がつかさちゃんが言ってた淳平くんかしら。」


その女性は優しく微笑みながらそう言った。




西野の親戚ってみんなこうなのかな?、一目見た瞬間にそんなことを思った。


すっとした綺麗な立ち姿、落ち着いた振る舞い、その様子はどこか品を感じさせた。


それでいて嫌な感じはちっともしない。


人は見かけによらないなんて言うけれど、この人はきっといい人だろうなと直感で分かった。







「ねぇおばあちゃん、淳平くん今日ここに泊まってもいいかな?」


目の前の女性が足を止めると西野はそう尋ねた。


「もちろんいいわよ。ゆっくりしてらっしゃい。」


それに対して何のためらいも無くその人は答える。


「だってさ。良かったね、淳平くん。」


「あ、うん。」


軽く肩を叩いた西野に対しそう答えた後、少し間をおいて俺は目の前に立つ女性の方に向き直った。



俺は大きく息を吸い込んだ。



「真中淳平といいます。今日一晩お世話になります。どうぞよろしくお願いします。」



俺の言葉を聞いたその人は「あらあら」と微笑みながら小さく言った後、かしこまって床に正座をした。





「この家に住んでおります、中野時子と申します。こちらこそよろしくお願いします。」




そしてそう言った後に俺に向かって頭を下げた。





あまりに丁寧でしっかりとした振る舞いに驚き、俺は呆然とした。



相手が立ち上がった後もしばらく動けない。




「あのね、おばあちゃん若い頃旅館で働いてたんだってさ。だから振る舞いがあんなにしっかりしてるの。」



耳元でそう言われてようやく動き出す。


そしてドアの近くに置いていた荷物を手に取り靴を脱ぎ家の中へと足を踏み入れた。




部屋に入った直後に聞こえてきた「ご飯ができてるからいらっしゃい」という時子さんの声に俺は手早く荷物を部屋に置き台所へ向かった。




台所にはまだ温かいままの食事が三人分用意されていた。




…最初からそのつもりで用意してくれてたんだ。




そう思うと心が温まった。


「さ、座って。どうぞ召し上がれ。」


俺はそう言われて椅子にかけた。


少し遅れて西野も台所にやって来て腰を下ろす。


自分と同年代ではないが、初対面の女性を前にしての食事。


それにも関わらず、嫌な緊張感など微塵も無く、何故か落ち着けて、三人の間には温かい、穏やかな空気が流れていた。


食卓にはこの町の海で捕れたという魚の刺身、焼き魚など天然の素材を使った料理が並んだ。


親しみのあるメニューだったけれど味は格別だった。


俺は料理を食べながら、捕れたての味は違うって言うけど本当にそうだよな、なんて妙に感心していた。






「ごちそうさまでした」


俺は食事を済ませると手を合わせそう言った。


「とてもおいしかったです」と言うと時子さんは「そう言ってもらえると嬉しいわ」と微笑んだ。




片付けまで完了した後、西野がやって来て俺のお腹に拳を当ててニカッと笑った。


「明日はあたしの料理で淳平くんを満足させてあげるからね」


「あ、うん」


突然の言葉に何を言っていいか分からずに間抜けな返事が口から漏れた。


「ん?あたしの手料理、楽しみじゃないのかな?」


そんな俺を見て西野は体を傾け、俺の顔を覗き込むように言った。


かわいらしいその仕草に少し顔が赤くなる。


「い、いえ、すっげぇ楽しみです!」


「そ。」


慌てて答える俺の声を聞いて西野はどこか満足そうに微笑んだ。


そしてクルッと向きを変えて次は時子さんの方に向いた。


「おばあちゃん、お風呂沸いてるかな?」


「もう沸いてるわよ。いつでもどうぞ。」


食器乾燥機のボタンを押しながら時子さんが答える。


「それじゃあ、あたし先に入るね。」


西野は明るい声でそう言うと台所を出ていった。















「紅茶いかがかしら?」


西野の足音を耳で追い掛けていると、時子さんの穏やかな声がした。


振り返るとテーブルの上には二人分のティーカップが置かれていた。


「わざわざありがとうございます。」


時子さんにお礼を言って俺は椅子にかけた。


ティーカップに口をつけると軽く舌を火傷してしまいコップをテーブルに置き直す。




「あのね」、しばらく経ってから時子さんが口を開いた。


「つかさちゃん、ここに来てから毎日あなたのこと話してたのよ。」


「そうなんですか?」


「つかさちゃんあなたのこと話すとき本当にいい顔して話してたわよ。よっぽどあなたのことが好きなんだと思うわ。」


そう言った後に軽く微笑む。


「真中くん、つかさちゃんを幸せにしてあげてね。」






そう…西野はこんなに俺のことを思ってくれていて、いつも俺に笑顔を、幸せをくれる。





…だから俺は西野を幸せにしてあげたい…





きっとそれが今の俺にとって一番の…








「はい、もちろんです。」


俺は気持ちを込めてそう答えた。


時子さんはそれを聞いて「なんだか大丈夫そうね。」と微笑みながら言った。



















西野が風呂から出てくると続いて俺が入り、俺達は寝る準備に入った。


俺と西野は一つの部屋に布団を並べて寝ることになった。


布団が入った押し入れがその部屋にちょうどあったし、もういちいちそんなことを気にするような仲ではないだろう。


むしろ同じ部屋で寝ることのほうが自然に思えた。






並べ終えた布団の上に座って西野が呼び掛ける。


「ねぇ淳平くん。」


「何?」


「いっそのことここに住んじゃわない?」


突然の提案だったけどそんなに驚くこともなかった。


「…俺もそれ、ちょっと思ってた…」


「ホント?」


「…うん…」


確かに俺達の両親も心配しているかもしれないし、明日になれば帰ってくるものだと思っているかもしれない。


ただ…この町に、いや、ここに住む時子さんにたった一日で情がわいていた。


俺が風呂場に向かう時、ふと振り返ると今までずっと穏やかな微笑みを浮かべていた時子さんが寂しそうな表情であらぬ方を見ていた。


あの表情が今でも俺の頭の中に強く残っている。



「おばあちゃんね、十年前に旦那さんに先立たれて以来一人暮しなの。」


…やっぱり…


俺はそう思った。


「あたしは可哀相だなんて思ってるんじゃない。
 …ただあたしたちがおばあちゃんの近くにいてあげることでおばあちゃんが少しでも幸せを感じられるのならそれってすばらしいことじゃないのかな。」


いつになく真剣に、それでいて優しい口調で西野はそう言った。


「どうかな?淳平くん。」



少し考えた後、はっきりとした口調で俺は答える。



「…うん、そうしよう。たぶん仕事だって何とかなるさ。もう大人なんだし、それに俺にも西野にも特技があるから、きっと大丈夫さ。」


「それじゃあ、決まりだね。連絡は…今日はもう遅いから明日の朝にしようか。」


「うん、じゃあそういうことで。そろそろ寝よっか。」


二人の間で一つの大きな決断が下された。



…ここに…この町に住む…



話はいたってスムーズに、そしてスピーディに進んだが決して軽い気持ちなどない。



ここに住むことは時子さんのためにということも、もちろんある。



でもその理由の大部分を占めたのは、もうそろそろ自分たちだけで何かを成し遂げたい、未来を自分たちの手で切り開いていきたい。そんな思いだったような気がする。





「じゃあおやすみ。淳平くん。」


「おやすみ、西野。」


お互いに微笑みを交わし合い、俺達は眠りについた。






















そして次の日の朝、


俺達の予想通りここに住むということを時子さんは簡単に許してくれた。


「大歓迎よ。」そう言った時子さんの顔に言葉通りの喜びが浮かんでいたのが印象的だった。



そして今、俺は既に親への連絡を終え、西野の電話が終わるのを待っている。



「うん、心配いらないから。何かあったら連絡するね。」


どうやら西野の方もOKなようだ。


「お待たせ、あたしの親はいいってさ。淳平くんは?」


電話を終えた西野が俺に駆け寄ってくる。


「俺の方もOKだよ。」


俺は笑顔でそう答える。




「それじゃあ…今日からここでの生活が始まるんだね。」




少し遠くに見える海を見ながら西野は微笑む。




「ああ。今日から…だな。」




いつもよりも太陽の光が明るく、海の色が綺麗に見えた。


[No.1210] 2005/11/16(Wed) 02:43:46
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〜君に贈る〜第四話 (No.1210への返信 / 20階層) - つね

綺麗に晴れた日だった。







ふと上を向くと吸い込まれそうな青空が広がっている。








少し離れた場所からでもざわざわと微かな音を立てる水面に、町の建物に沿った銀色のパイプに、







至る所に白く輝く宝石がちりばめられている。







町に出ると、そんな情景が俺を迎えてくれた。











〜君に贈る〜第四話『シネマ蛍崎』










俺は西野と分かれた後、石畳の道を歩いていた。


この町で仕事を見つける


まだ来てから間もないこの町でその希望があるとすれば…、いや、たぶんこの町を深く知ったとしても働くとすればあそこしかない。


そんなことを考えながら歩く、その歩調はだんだんと早くなり、そしてある建物の前で足が止まった。






…そう、それはこの町に来てから初めて足を運んだ映画館…







ここが今日からの職場になるかもしれない。


そんなことを思うと初めて見たときとはまた違った印象がしたような気がした。


俺は少しドキドキしながらまた歩き出す。


今は上映していないらしく、『準備中』の札がホールの入口にはかけられていた。


それを確認して俺が事務室への階段を上ろうとするとホールの入口の扉が音を立てた。


あれっ、と思い、足を止めて扉に目をやると掃除用具を持った豊三さんがホールから出てきた。


豊三さんは、ふぅ、と溜息をつき、顔を上げる。


そして、俺と目が合った。


「あ、こんにちは。」


「お、昨日の兄ちゃんじゃねえか。今日はまだ上映してねえぞ。」


ほうきを担ぐようにして俺の方に歩いてくる豊三さん。


「今日は十時からだよ」、と言いながら俺の前を通り過ぎ、階段を淡々と上り始める。


このままじゃ、話ができない。


「いえ、今日は映画を見に来たわけじゃなくて…!」


慌てて豊三さんを呼び止める。


豊三さんは「お?」と声を漏らし振り返った。


「ここで働かさせてくれませんか?俺、この町に住むことになって、仕事見つけなきゃいけないんです。」


豊三さんの方を見ると、その手が俺を招いている。


俺は豊三さんに遅れないように階段を上がった。




















豊三さんは階段を上りきり、事務室に入ると少し大きめの椅子にもたれ掛かるように座った。


そこに座れ、と手で示す豊三さんに従い俺は机を挟んで向かいに座った。


「ほらよ。」


面接でもするのかと思い、握りこぶしを膝の上に置いて待つ俺の目の前に差し出されたのは映画館内の詳細を記した図だった。


俺は驚き、顔を上げて豊三さんを見た。



「契約書とか…いいんですか?それにいきなり採用で…」


「あぁ、いいのいいの。ここで働きたいなんてやつほとんどいねぇから。まずはそれを頭に叩き込んでくれ。」







「ただし…」





そう切り出した瞬間、豊三さんの口調が少し真剣みを帯びた。






「一つだけ条件があるわい。」






「条件…ですか?」





「ああ。お前さん昨日話したところによると映画何本か作っとるんじゃろ?」


「はい。高校の時のを合わせると…」


「その中で一番自信がある作品、ここで上映してみな。」


「えっ?」




驚いた…




その『条件』とは俺にとって願ってもないものだった。






「どうかの?」


豊三さんが俺の顔を見て微笑む。


だんだんと表情が明るくなっていくのが自分でもよく分かった。


「喜んでやらせてもらいます!」


大きな声で、そしてはっきりと俺はそう答えた。




人生で初めての就職先…この映画館の名前は、『シネマ蛍崎』





















俺は無事にこの町での仕事を得ることができた。


今頃、西野はどうしてるだろう…


そんなことを考えながらふと窓の外に目を移す。




今頃、西野はたぶん…ケーキ屋で働くことが決まってる。


とは言ってもこの町に来た時からその店でバイトはしていたらしいので今日から働くというわけではないのだけど…





西野の話によるとこの町に来てから一番に目に留まったその店は偶然にもパティシエを募集していたらしい。


その経緯を話すと長くなるのだが、簡単に言ってしまえば以前その店のパティシエとして働いていた人が家の事情で田舎に帰ってしまったということだ。


そのパティシエはどうやらもう戻ってくることもできそうになく、店員たちは困り果てていたようだ。


そこへ都合よく、とでも言えばよいのか、西野が来たわけだ。


西野はその店の救世主的な存在だったのかもしれない。


西野本人が大丈夫と言っていたから今日のこともきっとうまくいっているだろう。























俺は、今のところは特に仕事はないということで事務室の椅子に座ったまま映画館の見取り図を見ていた。


映画館の構造は至ってシンプルで以前バイトをしていたテアトル泉坂のそれとほぼ同じであった。


ただ一つ違うとすれば客席などの新しさだろうか。


にしてもこの映画館の構造を頭に入れるのは難しいことではなかった。








その大体が頭に入ってから俺は見取り図から目を離し窓の外を眺めた。


目の前に広がる綺麗な空に気持ちが落ち着く。


そして、ふぅ、と一息ついた時、事務室のドアが騒がしく音を立てた。




「こんにちはー。遅れてすみませーん。」


俺がドアに目をやったのとほぼ同時に明るい声が事務室に響いた。


そこには俺よりも少し年上だと思われる女性が立っていた。


ショートカットの黒い髪で背は西野よりも少し高いくらいか…


ぴったりとしたジーパンの上から、すっと綺麗に伸びた脚のラインが浮かび上がっている。


ふと彼女と目が合い、不思議そうな表情が俺に向けられる。


一瞬の沈黙の後、彼女の口が開きかけた。


しかし、ちょうどその時、


「みのりちゃん、どうじゃったか?」


豊三さんの声が事務室に響き渡る。


すると彼女は事務室の奥から出てきた豊三さんの方にパッと向き直った。


彼女の言おうとしたことが何なのか、少し気になったけど、俺はそのまま二人のやりとりに目を向けた。


「やっぱり久しぶりの実家はよかったですよ〜。わがまま聞いてくださってすみません。」


「いいんじゃよ。気にせんでかまわんよ。」


そんな風に話す二人をずっと眺めていると彼女と再び目が合った。


(…あ…)


少しドキッとして、体が一瞬ビクッと震えた。


彼女は微笑み、豊三さんに向かって話し掛ける。


「あの子、どうしたんですか?」


「あぁ、あいつ今日からここで働くことになったんよ。」


「ふ〜ん。」


彼女は俺を見て意味深な笑みを浮かべた。


(え…、何…?)


その笑顔が意味するものがうまく分からず少し戸惑う。


二人の会話が終わるまで、その笑顔が気になって仕方なかった。





でも、その笑顔の理由もすぐに判明した。


豊三さんが「ちょっと出てくる」と事務室から出ていくと、彼女は俺の目の前に座った。


「あたしここで働いてる岩谷みのりって言うの。よろしくね。」


明るいその声はショートカットの髪に爽やかな笑顔、いかにも活発そうな彼女の外見とぴったりだった。


「あ、今日からここで働くことになった真中淳平です。」


そう言いながらも彼女と目を合わせられないでいたが、自分の顔に固定された視線にふと気付く。


「あの…、僕の顔、何か付いてますか?」


「いや、どんな人かと思って。あのね、豊三さんが従業員雇うなんて珍しい、と言うよりも一度もなかったのよ。ここで働きたいって来た人、何人かいたんだけどね。」



なるほど。これでさっきの不思議そうな表情も意味深な笑顔の理由もなんとなく分かった気がする。


でも、そうすると岩谷さんはどういう経緯でここに務めることになったのだろう。


そんな疑問が頭に浮かんだけど、会っていきなり聞くのも失礼かな、と思い、頭の中で留めておいた。















「あっ、そうだ!」


何かを思い出したように突然岩谷さんが声を上げた。


大きな声に驚かされた俺の体がビクンッと大きく動く。


「君、確か昨日ここで豊三さんと話してた人だよね?」


明らかに先程までとは声のトーンが違う。


「あ、はい。そうですけど…」


突然の彼女の様子の変化に多少の動揺を隠せない。


「なるほどねえ。ふーん。」


妙に納得した様子で岩谷さんが微笑んだ。


「君、何か豊三さんに言われた?」


「言われたことっていえば…この見取り図を頭に入れろというのと…、もう一つ、僕が作った映画をここで上映させてくれるって…それくらいですけど…」



そのことを聞くと「そっか。」と言って岩谷さんは立ち上がった。




そして事務室の奥の方に歩いていく途中で顔だけ振り返る。


「真中くん、映画、楽しみにしてるよ。」


そう言い残してドアの向こうに消えていった。





(なんだかよく分からないけど…期待されてるって思って良いのかな…?)





そんな気分に浸る間も無く、すぐに部屋の向こう側から大きな声が聞こえてくる。



「何してるの!君も来るの!準備するから。」


「は、はい!」


俺は急いで立ち上がり、声の方へと向かう。





その途中、俺は慌てて駆け出したその足を止め、瞳を閉じて大きく息を吸い込んだ。








ゆっくりと目を開ける。









(…よし、しっかり見えてる…)








そして…前へ…強く一歩を踏み出した。


[No.1211] 2005/11/29(Tue) 22:43:19
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〜君に贈る〜第五話 (No.1211への返信 / 21階層) - つね

〜君に贈る〜第五話『蛍崎町』







初日の仕事を終え、映画館を出ると眩しい光が目に入ってきた。


今日の上映はただ一度だけだった。


地元の客が多いことが大きな主な要因なのだが、シネマ蛍崎では大体の日が一度の上映だけであるのだと岩谷さんが教えてくれた。


ただ、その一度の上映には万全の準備がなされる。


上映前には入念なチェックが行われ、異様とも言える雰囲気になる。


とは言っても決して居心地の悪いものではない。


嫌な緊張感はなく集中力を高め、感覚を研ぎ澄ますその時間はむしろある意味では心地良くもあった。


今日一日一緒に仕事をしただけでもすぐに感じとれた豊三さんの映画にかける思い。


明日はビデオカメラも含め、生活に必要なものを取りに一旦泉坂に帰るが、これからの仕事が楽しみでならなかった。






そんな風に思いながら駅前から海に向かう通りを歩いていると不意にポケットの電話が鳴った。


慌てて取り出し画面を開く。


画面は電話が西野からであることを知らせていた。


(…西野…こんな時間になんだろ?)


「もしもし…」


『あ、淳平くん?今時間大丈夫かな?』


電話を耳に当てるとすぐに西野の声が聞こえてきた。


「うん、大丈夫だけど。もう仕事終わってるし。」


『あ、だったらさ、あたしが働いてるお店に来てくれないかな?一緒に働いてる子がこの町案内してくれるって言ってくれてるの。』


「…分かった。じゃあ今から寄るよ。」


『うん、それじゃあ待ってるから。』


この町についてもっと知りたいと、この町に来た時からずっと思っていた。


人に案内を頼むのも図々しいかと思い、自分一人で歩き回ろうと考え始めていた俺にとっては思ってもみない機会だった。

















店の前に来るとすでに西野は店の入口に立っていた。


待たせてしまったかと思い尋ねてみると、今出てきたばかりだと言って優しく微笑んだ。


「それで、お店の人は…?」


「もう少し待ってて。今準備してるから。」


そっか、と答えると俺は何となく店内の様子が気になり、店の中を覗いてみた。


たまたま店員が引っ込んでいるのだろうか、店内には誰もいなかった。


整然とした店内の中、陳列棚に数々のケーキが丁寧に並べられている。




そんな風に観察していると隣の店との間にある細い通路の奥から靴底が地面を叩く軽快な音が聞こえてきた。


「…西野さん、遅れてすみません…!、ちょっと探し物してて…」


その声とほぼ同時に一人の女性が店の横から飛び出し、西野の元へ駆け寄った。


よっぽど急いだらしく息切れの音が少し離れた場所にいる俺の耳にも届いた。


「そんなに急がなくてもゆっくり準備してくれればよかったのに。」


優しい声で西野が言う。


「でも西野さんの彼氏来られるんでしょ。待たせると悪いし、やっぱり案内する立場からすると先に来て堂々と待っておきたいじゃないですか。どうです?間に合ったでしょ。」


得意げにそう言う彼女に対し、西野は苦笑いを浮かべた。


どうやらまだこの場に来ていないと思われている俺はどうすればいいのか分からず、とりあえずは相手が俺に気付くのを待った。


「…いや、そのね…渚ちゃん。」


「どうしたんですか?」


「後ろ見てみて。」


「えっ?後ろに何が…」


振り返った彼女と目が合った。


彼女は目を見開いて声を失っている。


俺は小さくなり、どうも、と軽く頭を下げた。





「え…と、一応紹介するね。あたしの彼氏の淳平くん。」


後ろから西野にそう言われてから彼女はやっと状況を理解したようで、申し訳なさそうに俺に駆け寄って来て深く頭を下げた。


「気付かなくてすみません!あたし全然周りが見えてなくて…!」


必死に謝る彼女に俺はいいよいいよ、と顔の前で手を広げて見せた。


それでも謝り続ける彼女になんだか俺の方が悪いことをしたようで責任を感じてしまう。


彼女は、俺が本当に気にしてないから、と何度も言ってからようやく顔を上げた。







「本当にごめんなさい。あたし、そこのケーキ屋で働いています、西崎渚と言います。西野さんにはいつもホントにお世話になってます。」


そう言うと彼女はもう一度深々と頭を下げた。


「渚ちゃんはこのお店の店長の娘さんで今高校生なの。夏休みだからって一日中働いてくれてるの。」


西野が説明を加える。


「へぇ…。でも悪いなぁ。わざわざ案内してもらうなんて。」


「気にしないでください。実はあたしも案内するのが結構楽しみですから。それじゃ、行きましょうか。」


彼女はもうすっかり立ち直った様子で俺達二人に微笑みかけ、それから足を進め始めた。


その早い様子の変化からも、彼女が本当に案内を楽しみにしていると感じ取れた。










「案内って言ってもあそこに登るだけなんですけどね。」


彼女は歩きながら右前方に見える灯台を指差して言った。


海に面した丘の上に堂々と立つ灯台のてっぺんが強い日差しを浴びて光っている。


この町に来たときから気になっていたあの景色。


丘の上の白い塔がこの町の美しさをよりいっそう際立たせていた。


あの灯台はこの町のシンボルといったところだろうか。
















灯台に行くだけと言っても、歩いている間、彼女はこの町について絶える事なく話してくれた。


ここの海はものすごく環境が良く、それを保とうと町の人全員が気を配っていること。

去年の台風では高潮の被害を受けて大変だったこと。

町の北側から西側にかけて連なる山々からはときにタヌキやキツネが町に下りてくることもあるということ。

さらに、民家の前を通り過ぎた時にはその家の家族構成などの情報に至るまで。


そのすべてをこの時に覚えてしまうことはもちろん不可能だったが、きっと地域密着型ってこういうことを言うんだよな、なんてことを考え、妙に感心した。


















「さあ、もう少しですよ。」


前を行く渚ちゃんが丘の下でそう言う。


丘の上に向かって伸びた坂道は距離はさほど長くはないがそこそこの角度はある。


坂道は俺達から見て右側が山に面していて、左側は崖になっていた。


坂の途中で身を乗り出して崖の下、そしてそこから続く磯を眺めたりしてみた。


「さあ、どうぞ。」


先に坂を登りきった渚ちゃんが右手を広げる。





その瞬間、言葉を失った。


岩場に強く打ち付ける波の音と同時に飛び込んできたその景色は圧巻だった。


丘の中央にそびえ立つ灯台は目一杯の光りを浴びて白く輝き、その先の丘の切れ目からは深い青色の海が見え、どこまでも続いている。





「うわぁ…綺麗…」


西野が声を漏らす。


「どうです?来てよかったでしょ?」


渚ちゃんが得意そうな笑みを見せる。


その表情にも十分納得がいった。


それだけ素晴らしい景色だった。




「ほら、そんなとこに立ち止まってないで、もっとこっちに来て下さいよ。」


その声に従い二人で足を進める。


「まずこの丘の東側、見てください。町全体が見渡せるんです。なかなかいい見晴らしでしょ。一つ一つの建物までは説明しませんけど。たぶん暮らしの中で覚えていった方が早いと思います。」


なるほど、ビルではなく住宅の多いその景色は周囲の環境のせいか、情緒深さを感じさせる。


続いて、じゃあこっちへ、と言う彼女について、次は海に面した側へと向かう。




丘の端から下を見ると海はは数十メートル下にあった。


「間違っても落ちないでくださいよ。そんなことあったら洒落になりませんから。」


確かにここから落ちたらとても無事ではいられそうもない。


「ずっと歩いてたから疲れたでしょう。さあ、座ってください。」


「ありがと渚ちゃん。ほら、淳平くんも。」


先に芝生の上に座り込んだ西野が俺に呼び掛ける。


ああ、と答えて俺も芝生の上に座り込んだ。


俺と渚ちゃんが西野を挟む形で並ぶ。


そんな中で一息つくと渚ちゃんは再び話し始めた。


「この町の名前の由来もこの丘にあるって言われてるんです。」


先程とは声のトーンが変わり、穏やかな口調だ。


「この町の名前、もう知ってるかもしれないですけど”蛍崎町”って言うんです。ここの丘には夏になると蛍がたくさん集まるんです。まあちょうど今の季節ですね。たぶん山の中の沢で育った蛍だと思いますけど。さすがに塩水じゃ生きられないでしょうから。”蛍”が集まる”崎”で”蛍崎”。それが由来だと言われてるんです。」


「ねぇ、だってさ。淳平くん、今度見に来ようよ。」


渚ちゃんの方を見ていたので突然振り返った西野とまともに目が合い、照れ臭くなる。


西野と、蛍を一緒に見に来る約束を交わすと、渚ちゃんが「きっと気に入ってもらえると思いますよ。あそこの山に面した辺りに集まりますから。」、と説明を加えてくれた。



「それと…」



そう切り出した後、少し考えるようなそぶりを見せてから渚ちゃんは続けた。


「この町には言い伝えと言うか、伝説があるんですよね。”青の海”って言うんですけど…」


「青の海?」


俺と西野は同時に声を上げた。


海は青いに決まってる。


そんな考えが西野の頭にもあったんじゃないだろうか。


通常の海よりも青い状態を言うにしても、それならば丘を登り切ったとき見えた、そして今も目の前にあるそれで充分である。






「よく分からないですよね。」


俺達の反応を見てか、渚ちゃんが独り言のように言った。


「でも、聞いた話によると海が青く光るんです。そして”青の海”を見た人は幸せになれるって……そんな海の色が本当にあるなら見てみたいですよね。でも青く光るっていうのがいまいちピンと来ないですけど。」


渚ちゃんはそう言い終えると、「まあ、伝説でしかないんですけどね。」と加えて少しぎこちない笑顔を見せた。













「どうせなら、夕暮れも見ていきませんか?」、という渚ちゃんからの勧めもあったが、夕飯の準備を時子さんに任せっきりにするのも悪いということで日が暮れるよりも大分早くに時子さんの家に帰った。




「この時間だとまだ準備、始まってないね。」


携帯電話を時計がわりに西野が言った。


その様子を見ながら、西野の気付きのよさに感心する。


俺は西野の前を歩きドアを開けようとしたけど、ちょうどその時、電話がかかってきた。


「西野ごめん。先に入っててくれていいから。」


電話を取り出しながら西野に言う。


「いいよ。電話終わるまで待ってる。浮気かもしれないしね。」


軽い調子の西野の言葉に思わず吹き出す。


冗談で言ったのだろうが素直に笑えない。


「そんな訳無いよ」と否定し、電話に出る。






電話を耳にもっていった瞬間、大きな声が聞こえてきた。


『真中!お前何してんだよ!』


その勢いに驚き、思わず受話器を耳から離す。




「…外村か…?」


恐る恐る電話に頭を近づけながらそう尋ねる。


『外村か?、じゃねえよ。どうなってんだ!?』


「悪い悪い、いろいろあって連絡するの忘れてたんだ。」


『まったく……。つかさちゃんはどうだったんだ?』


「無事会えたよ。何ともなかった。あ、そうだ。俺達当分の間こっちに住むことにしたから。」


『はぁ?本気で言ってんのか?』


「ああ。でも明日一旦そっちに帰るよ。その後もちょくちょくは帰ると思うし。」


『ふーん。じゃあ明日詳しく聞かせてもらうぜ。いろいろと、な?』


「なっ、何だよ?いろいろって…」


『まあそういうことで。帰ったら連絡入れろよな。』


俺が喋る余裕もないまま電話が切れる。


俺は呆れながら電話を見つめた。






「電話、外村くんから?」


西野が尋ねる。


「ああ。」


「ふーん、それよりさあ、淳平くん明日泉坂に帰るつもりなの?」


「うん。俺、一日だけのつもりでこっち来たからさ。いろいろ持ってこなきゃいけないものもあるし。あ、勝手に決めて悪かったかな?」


「ううん。あたしも一旦戻ろうと思ってたから、ちょうどいいなって。じゃ、そろそろ中入ろうか。」


西野はそう言って歩きだし、ドアの前で何かを思い出したように振り返った。


「淳平くん、今日はあたしが腕によりをかけて作ったげるから。楽しみにしててよね。」


「うん、楽しみにしてるよ。」






…とはいっても、まだご飯どきまでにはかなりの時間がある。


もしかして西野は俺のために時間と手間をかけた料理を作るためにこんなに早く家に帰ろうとしたのかもしれない。

そんな、あまりに都合の良い、甘い考えが一瞬頭に浮かんだが、まさかそんな訳無いか、とすぐに考え直した。



「俺も何か手伝ったほうがいいかな?」



「ううん、実は今日はおばあちゃんに頼んで台所貸し切りにしてもらってるの。おばあちゃんや淳平くんに手伝ってもらった方がはかどるかもしれないけど、できれば全部自分でやってしっかり愛情込めたいでしょ。」



そう言って俺に微笑みかける西野。









………甘い考えの方が見事に的中してしまった………











ドアを開け、軽い足取りで台所へ向かう後ろ姿を見て、自然と笑顔がこぼれた。


[No.1212] 2005/12/15(Thu) 01:12:47
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〜君に贈る〜第六話 (No.1212への返信 / 22階層) - つね

ガタゴトと音を立てながら揺れる、その振動が心地良く、まぶたが重くなる。


それでもその度に頭をコツンとノックされ目を覚ます。


目の前には楽しそうに話す君がいる。







〜君に贈る〜第六話『先入観と不安と願い』







「ちょっと、聞いてる?」


「あ、ああ、聞いてるよ」


「嘘、だって寝かけてた」


「…ごめんなさい…」


電車に乗り込んでまだ間もない中、先程からこんなやり取りが続いている。


「もう、しっかりしてよね。昨日は早くから寝てたじゃない」


昨日は確かに九時頃には睡眠に入っていたと思う。


”思う”と言うのも、気付いたら寝てしまっていたのだ。


昨晩、西野の作った料理は絶品だった。


アサリの和風パスタ、白身魚のマリネ、シーフードサラダにキャベツのポタージュ…


有り合わせで作ったとは思えない数々の料理が綺麗に食卓に並べられた。


はっきり言ってかなり驚かされた。


ただ、腕によりをかけて、という西野の張り切りもあってその量も半端ではなかった。


味のよさに加え、これだけ作ってくれたのだからとかなり無理をして食べた部分もある。


久しぶりに大食いした腹はずしりと重たく、すぐに眠たくなってしまったという訳だ。


睡眠時間で言えば俺より西野の方が少ないはずなのだが、自覚のない睡眠は意外とすっきりしないもので、なかなか眠気が取れない。


そんな中、西野はちっとも眠たいそぶりなど見せずに窓の外の景色を見ながら時折俺に向かって話し掛けてくる。


西野にしてみればこの電車の中で俺しか話す相手がいないわけなのだから当然といえば当然かもしれないが、いつもこうであるわけではないと思う。


今日の西野は機嫌がいい。


それが何故なのかは分からないが、そんな西野を退屈させないように重たいまぶたを必死に持ち上げる。






蛍崎町から泉坂までは決して近いとは言えない。


電車でも大体二時間弱。


その長い時間の間、ずっと西野と話すことによって、なんとか起きていられた。








「ん〜、やっと到着かあ」


電車から降りて体を伸ばす。


そんな俺に西野が並びかける。


「どう?目は覚めた?」


「うん、覚めたかな…」


「あれだけ夜寝てるんだからさ、二度寝しちゃうとかえって眠たくなるんだよ。だからそういう時は眠たいの我慢した方がいいの。実際すっきりしたでしょ?」


言われてみれば…あれほど感じていた眠気はすっかり消え去っていた。


加えて西野が言うと妙に説得力があった。




「久しぶり…って言っても二日しか経ってないんだよな…」


改札をくぐった後、目の前の景色を見て呟くような言葉がこぼれる。


「お待たせ、淳平くん」


そこへ遅れて改札を通った西野がやって来る。


「どうしよっか。あたしは寄るとこは自分の家くらいだけど…」


「あ、それなら送っていくよ。俺も家に荷物取りに行くだけだから」


「ホント?じゃあお願いしようかな」


明るい口調で西野が答える。


そしてそれに頷き、西野の手を取ったその時、






カシャッ





明らかに不自然な機械音に振り返る。


「うーん、いい顔してるなあ、つかさちゃん。…あ、でも男と一緒の画像なんて使えねえな」


声の主は誰なのか。


まあ、一人しかいないだろう。


「外村、お前…何やってんだよ…」


しゃがみ込んでデジタルカメラを覗き込む外村に呆れながら声をかけた。


当の本人は何が?というような顔を見せる。


まったく相変わらずだと思いながらも、外村らしい出迎えが微笑ましかった。













『もうすぐで来る』


その外村の言葉通り、しばらくするとさつきと大草が並んで歩いてきた。


どうやら俺たちが帰ってくるということを前もって二人に伝えてくれていたらしい。


外村のなんとも粋な計らいに心が温もる。


まず俺達を見つけたさつきが大きく手を振った。


「真中〜、久しぶり〜」


いつも前向きで明るいさつきの声に自然と表情が緩む。


…が、次の瞬間、俺の思考は停止する。


さつきが勢いよく走り出したまでは見えた。


しかしすぐに、飛び付いてきたその体で視界が塞がれる。


続けて柔らかな感触とともに飛び付かれた勢いで体が傾く。


体が一瞬宙に浮いたかと思えば派手に地面にたたき付けられた。


衝撃の強さのあまり閉じていた目をゆっくりと開けると口を手で覆って驚く西野と目が合い、ようやく今自分が置かれている状況を理解した。



「アホか、早く離れろ」


すぐさまさつきの体を遠ざける。


もう、と俺の上から体を避けるさつき。


「お前なあ、何やってんだよ」


相変わらずの行動に呆れ、溜息混じりの声が漏れた。


「何よ。ホントは嬉しいんじゃないの?」



…そりゃあ…本当のことを言えば嫌な訳じゃないけど…



「バッ、んな訳ねぇだろ!」



そういう訳にはいかない。



「大体お前大草と付き合ってるんじゃないのかよ」


「あれ、知ってたの?

   でもいいじゃない。愛嬌よ」


あっけらかんとした様子で答えるさつき。


恋人の目の前でほかの男に抱き着くという行動はそんなに軽く流していいものではないと思うが…















そう…きっと西野も怒って…














…あれ……笑ってる…?












西野は笑顔だった。


しかもその笑顔も決してわざとらしいものではなく、いたって自然なものだった。


その表情が意図するものは当然分からず、その予想外の反応に肩透かしをくらったような気になる。




「お二人さーん、ちょっとこいつお借りしてもよろしいですか?」


そこへ突然、妙に明るい声の外村が西野とさつきに向けて切り出した。


「別にいいけど…どうしたの?」


西野が答える。


「ちょっと話があるもんで」


「別にここでもいいんじゃないの?」


「いや、いろいろあって…男同士の話だからさ、極秘なんだよな?な、真中」



…嫌な予感がする…



「何よそれ。いやらしい」




さつきが不満そうに言ったがそんなことはお構いなし。


俺はそのまま外村に連れていかれた。





















「じゃあ聞かせてもらおうか」


外村は俺の肩に手を回し妙に余裕のあるような笑みを浮かべる。





…予想的中…





この男はなぜこれほどまでに詮索好きなのだろうか。



しかも…



「…で、何で大草もいる訳?」


「だって面白そうじゃん」


そう言って微笑む大草。


爽やかな笑顔は相変わらずだった。


「面白そうって…お前…」





















「つまらん!」


俺が話し終えるとそう言って外村は立ち上がった。


「何がだよ」


「二日間二人きりで過ごして何もないだと?つまらん!」


なぜか腕を組んで偉そうな態度。


「だから二人きりじゃないって」


「二人きりみたいなもんだろうが。それなのに何事だ」


なぜ俺はこの男に説教を喰らわなければならないのか。


自然と溜息が漏れる。


「はは、まあいいじゃん外村。それだけ忙しかったってことだよ。さ、行こうぜ」


ありがたいことに大草が機転を効かせて外村に西野たちのところへ戻ろうと促してくれる。




しかし、ここで外村の標的は大草へ…




「…じゃあ、北大路のセクシーショット十枚で…」


気のない声でも攻撃力は十分だった。



「…え…?」



大草の顔がひきつる。


そんな二人の何とも不思議なやりとりを横目に見て、なるべく二人から距離を取りながら足を進めた。





















女性陣の元へ戻ると、なにやら二人で話しているようだった。


争いの火種が無いとこんなにも親しく喋り合えるのかと、高校時代はなかなか見られなかった光景を少し驚きながら見る。


もちろん争いの火種というのは他でもない俺のことなのだが…


俺達が戻って来たのことに気付くと、西野が俺の元にやってくる。


手には何かチケットのようなものを持っている。


「ねえ、淳平くん。ほら見てよ。試合のチケットもらっちゃった。一緒に見に行こうよ」


少し興奮気味に話す西野。


よく見るとチケットには大草の所属するチームの公式戦の対戦カードが書かれていた。


「こ、これ…、いいのか?さつき」


そう言ってさつきの方を見る。


「いいのよ。あたし一人で見るよりも誰か知ってる人と一緒に見る方がいいから」


なるほどこの口調から察すると、さつきは頻繁に大草の試合を観戦しているようだ。





決して二人の関係は悪くはなさそうだ。


付き合っていて関係が良いも悪いもあったものではないかもしれないが、


ただ、さつきと大草という組み合わせ―――と言っていいのか分からないが―――があまりに意外だった。


まあ…美男美女のカップルと言う点ではお似合いなのかもしれないけど…


高校時代にはまったくと言っていいほど接点は無かった二人。


一体この二年の間にどのような変化があったのだろう。


そして少し心配だった。


さつきは大丈夫だろうか、と。


おそらく高校時代の大草に対する印象が俺にそう考えさせるのだろう。


そのルックス、運動神経から女性に不自由しない人生を歩んできた大草。


ずっと西野を好きでいたようだったという個人的な事情を除いてもあまりいい印象は無い。


もちろんそれは俺が口出しできる類の問題ではないことなど十分に分かっているのだけれど…








まあ、それはともかく、なかなか行けないような場所にただで連れていってもらえる訳で、これは本当にありがたいことだ。


俺はさつきと大草に礼を言い、そして大草にはもう一言、楽しみにしてる、そう伝えた。


そして、微笑みながら話す二人を見る。


二人の関係がその笑顔のままであれば…


温かな二人の笑顔を見つめながら素直にそう思った。


[No.1239] 2006/02/04(Sat) 20:11:46
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〜君に贈る〜第七話 (No.1239への返信 / 23階層) - つね

〜君に贈る〜第七話『門出と変化と自覚』






西野を家の前まで送って行き、マンションの階段を上がる。


ドアを開けて家に入ると人の気配は感じられなかった。


両親には事前に連絡していたのだがよく考えれば今日は平日であり、父さんは仕事に行っている時間だ。






それでも母さんは一日中家にいるといっていたけど…






久しぶりに吸った家の空気は少し懐かしくて俺を落ち着かせてくれた。


がらんとした台所を見回すと机の上のメモに気がつく。




『買い物に行ってきます。親の顔見ないまま帰るなんて愛想の無いことしないのよ』




「また気まぐれなお出かけか…」


そうぼやきながら手にしたメモを元の場所に戻し、俺は自分の部屋のドアに手をかけた。




「えっ…と、ビデオカメラは…と」


約三ヶ月の間使っていなかったビデオカメラ。


「今まではこんなこと無かったのにな」


部屋の隅の収納の中から取り出し、窓から差し込む光にかざして苦笑い。


「まあ休養もここまで。これからまた…」





「…ん…」










「『…ん…』?」











「…う…ん……んん…」






もう一度、寝言のような声。




…女の人の声だ…




間違いなくその声はベッドから聞こえてくる。


そしてベッドに目を移せば膨らみを持った薄手のタオルケット。


それを見て確信した。




唯だ。




「ったく、母さんに留守番頼まれたんだろうけど…こいつは何で寝ていくかな…」




…あれ…?




ベッドの端を見たときに少し違和感を感じた。






…この見覚えのある紐状の物体は…






さらに視線を落とすとシャツとジーンズが乱雑に脱ぎ捨てられている。


そして極めつけ。


脱ぎ捨てられた服の上に上下の下着がベッドの端から落下する。


「パ、パンツ!?」


「…う〜ん…」


その声で起きてしまったのか、ベッドの上の膨らみがもぞもぞと動き始める。


「バッ、バカッ、起きるな!唯、お前今すっぽんぽん!」



「う…ん…?

…あ、じゅんぺーお帰り…」


寝ぼけ眼の唯。




……遅かった……






















「お前まだ治してないのかよ、その癖」


目を覚まし、服を着た唯に向かって話し掛ける。


「うーん、治ってた気がしたんだけど…。まあいいじゃん。淳平の家はそれだけ唯にとって落ち着く場所ってことだよ」


唯は何事も無かったかのようにけろっとしている。


「バカ、よくねえよ。俺の身にもなってみろ」


「なによ〜、そんなこと言ってホントは嬉しいんじゃないの?」


「な、何言って…」


「だって唯の裸見たでしょ。淳平のえっち」


「なっ…!あれは不可抗力……、じゃなくて。そもそもお前が悪いんだろうが」


と言いながらもほんの少しだけ大人っぽくなった唯の体を思い出してしまう自分にちょっとだけ自己嫌悪。










それにしても、


整った顔立ち、小さく細身な体。


客観的に見ても唯はかわいい。


しかも俺が二年間泉坂を離れて海外を回っていた間に少しだけ大人っぽさも身についたような気がする。


泉坂に帰って来て蛍崎に行くまで、


その間は『唯は子供っぽい』という先入観があった所為か、あまり思わなかったけどこうやって見てみるとそんな気がする。




「なあ、唯、お前彼氏とかいるの?」


言い寄る男の一人や二人はいるだろう。


「何?いきなり」


改めて理由を問われると答えにくい。


「いや、そりゃあ特に意味はないけどさ」


「えへへ〜、淳平はどう思う?」


唯はどこか嬉しそうに微笑む。




この様子だと…




「まあ…いてもおかしくはないかな」


俺を直視する唯の視線の所為もあり少し曖昧に答える


「残念〜、今のところいません〜」


少し意外な答えだったが、唯にとってはこれが自然な答えかもしれないな、と思う。




だって、



「安心した?」


「何で?」


「だって唯に彼氏できたら淳平寂しいでしょ?」





唯はいつまでも唯のような気がするから。
























やがて母さんが帰って来て家の中は一気に賑やかになった。


相変わらず唯と母さんの中はいい。


終始笑顔で話す二人を見て胸の中にあった小さな不安がほぼ消えた。



…これなら母さんも寂しくは思わないかな…と…



確かに今まで躊躇いがちではあったが、決心は固まり迷いなくドアを開けることができた。


しばらくはここには帰ってこないんだと思うと少し名残惜しい気もするけどこれは自分で選んだ道だから。


「頑張ってらっしゃい」と笑顔で見送る母さん。


「ああ、ありがと。唯も元気でな」


「うん。ありがと淳平」


「それじゃあ」


足を進め始める。


コンクリートの通路の音が心なしかいつもよりはっきり聞こえた。


「お盆と正月くらいは帰ってきなさいよ」


その声に俺は振り返りもう一度手を振った。























そんなに長く家にいたのか既に太陽の色は薄いオレンジ色だった。


西野を迎えに行くと彼女は俺の持っているそれよりもずっと少ない荷物を手にしていた。


「お待たせ〜。うわあ淳平くんすごい荷物。少し持ったげようか?」


明るい声で西野が言う。


「いや、いいよ。中身は軽いものばっかりだから」



…いや、ホントに軽いのか?…



心の声、いや、この荷物を持つ右腕の声だろうか。


どちらにしろ強がって少し後悔した。


バッグの中には撮影の機材等が入っていてかなり重たい。


大きく膨らんだバッグを見て自分の職業を恨みながらも、我慢するしかないと諦めをつけ、見送りに出ていた西野の両親に挨拶をしてから駅へと向かった。
















その道の途中、


ずっと話しながら歩いていた俺達の会話がふっと途切れる。


二人が見たのはガードレールに持たれかかる一人の女性。


坂の上から町を見下ろす横顔は太陽の色を少しもらって、


そよ風になびく黒い髪。


その姿は神々しくさえあった。


今から坂を上ろうとする時、俺はその姿に見とれてしまった。


そんな俺の思考を再び動かし始めたのは西野の言葉。






「あれ…東城さん?」






…えっ…?



そう言われるまでわからなかった。


それはたぶん坂の上に立つ東城が今までとは全く違う雰囲気だったから。


…いや…きっと違う…


これが本来の二十歳の東城なのだろう。










「久しぶりだね。真中くん、西野さん」


俺達に気付き、微笑みかける東城。


たった二日間会わなかっただけなのにこんなにも変わって見えるなんて…


「あれ…その荷物、あ、そうか。そういえば真中くんと西野さんこれから二人で暮らすんだよね」


何もやましいことなどないのはずなのに、吹っ切れたような東城の笑顔に少し決まりが悪い。


「え…と、二人じゃあないんだけど…知ってたんだ」


「うん。外村くんから聞いたの。でも二人じゃあないって言うことは誰かいるの?」


「うーんと、どこから話せばいいのかな…」


外村のやつ…たぶんちゃんと説明してないな…


俺が返答に困っていると西野が助け舟を出す。


「えっとね、あたしたちはこれから蛍崎っていうところに住むんだけど、そこにあたしの親類のおばあさんがいて、あたしたちはそのおばあさんの家にお世話になることにしたんだ」


「そうなんだ。あたしはてっきり…


   外村くんが…その…二人っきりって言ってたから」


なんでもないことなのに時折詰まったり、顔を赤らめて俯いたりしながら話す東城。


しばらく、何でだろうと思いながら見ていたけど、そのうちはっきりとした理由が見えてきた。



………外村か、と。



きっとあることないこと言ったのだろう。


あの男はその場にいなくてもあらゆる場面で存在感を示す。


…外村イズム…とでも言えばいいのだろうか…




「その町がすごく綺麗でさ、夏には蛍がたくさん集まる場所もあったりして…」


笑顔でそう話すのは西野だ。



さつきの時もそうだったけど…



こんなにも東城と西野は仲が良かったんだ。



そう思わされた。



でもさつきの場合とは少し違うような気もする。



この二人の場合は元からそうだったのではないだろうか。



ただ高校生の俺の立場から見ると違った風に見えただけなのかもしれない。



そしてそれと同時に思う。












……しっかりしなきゃ……












「…あ、そうだ。東城さんも時間ができたらおいでよ。きっと気に入ると思うよ。ね、淳平くん」


西野の話はまだ続いてたようだ。


「あ、ああ。そうだな。気が向いたらいつでもいいよ」


笑顔で語りかける。






…謝罪の意も込めて…






この様子だと大丈夫だとは思う。


大丈夫だと思うけど…東城はどう思ってる?



















今まで気付かなかっただけなのか、


それとも…






変化するこの町を見て、やっとわかってきた気がする。




自分が彼女たちに何をしてきたのか








………しっかりしなきゃ………






もう一度自分に言い聞かせ、笑顔で話す二人を見つめた。


[No.1262] 2006/02/25(Sat) 21:04:07
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〜君に贈る〜第八話 (No.1262への返信 / 24階層) - つね

〜君に贈る〜第八話『Start!』







上映開始30分前。


館内が次第にざわめき始めた。


客入りは上々。


俺は慎重に映写機にフィルムをセットした。









『今までで一番自信がある作品を上映してみな』







…今までで一番自信のある作品…







そう思い、俺が選んだ作品は…





















蛍崎に帰って来てから一週間が経っていた。


一週間の間を開けての上映。


実はこれはできる限り―――いや、それ以上の配慮を受けたものだった。



















豊三さんが俺に上映の話を持ちかけたとき、既にそこから先二週間の上映予定は決まっていた。


という訳で、この上映も本当は最短でも二週間後になるはずだった。





それが、泉坂から帰ってきた次の日、


「おい、兄ちゃん、上映いつがいいかの?」


驚いた。


自分から言わなければ上映がそのまま流れてしまう可能性だってあるかもしれない。


そんな不安を見事に吹き飛ばしてくれた一言だった。


いつでもいいと答えると、「早いほうがいいだろう」ということでこの日に決まった。




















「幕、上げま〜す!」


みのりさんの明るい声が響き渡る。


彼女に対する呼び方もこの一週間で『岩谷さん』から『みのりさん』に変わった。


これは上映が決まった次の日だった。


その日の上映がすべて終わりフロアの掃除をしている時、


「岩谷さーん、こっち終わりました」


「はーい、りょうかーい。こっちもオッケー」


そして掃除用具を持って事務室の奥の流し場に行く。


モップを洗い終えると、二人並んで手を洗いながら話を始めた。


「岩谷さんは…」


俺がそう切り出したときだった。


「ちょっとストップ。ねぇ、そのよそよそしい呼び方、何とかならないかな?」


「え…と…すみません…そんなつもりじゃあ…」


そう、そんなつもりじゃない。


何しろまだ知り合って間もないのだから。


「あ、別に悪い意味じゃなくてね、何て言うのかな…その…あんまり堅苦しいの苦手なんだよね」


舌を出して笑う岩谷さん。


なるほど、と俺もそれに合わせて笑う。


それでもどう呼べばいいのか…


そんな気持ちを見透かしたように岩谷さんが口を開く。


「下の名前でいいよ」


自分の世界に入りかけていた俺はすぐに答えられず、反射的に岩谷さんの方に振り向いた。


岩谷さんは少し驚いた表情で俺の顔を見る。






「あ、わかりました。じゃあ、みのりさん、でいいですか?」


一瞬の沈黙の後の返答。


お互いの顔を見合わせて笑い合った。




















「あと三十秒…」


左腕の時計を見てそう呟いた。


客席のざわめきは収まることはないが全てのお客さんが席に着いていた。






客入りは……満席……






「いよいよじゃねえか、淳平」





そう…ここから、ここから始まるんだ。





豊三さんの声に応えると、片手は映写機にガラス越しの大きなスクリーンに目を向ける。


心の中でカウントが始まっていく。


それは胸の鼓動とリンクして段々と大きくなっていく。





十秒…









五秒…











…3…













…2…













…1…









映写機のスイッチに手を掛けた。



こんなことは何の意味もなさないのかもしれない。



ただ、俺はいつもこの瞬間、一つの感情を込める。













―――ありがとう―――












ガコン





感謝の気持ち。


それは誰に向けるでもなく――――いや、それはただ、その対象が多くて誰に向けるでもないように感じるだけ。


今ここに見に来てくれたお客さん、映画の出演者、そして上映に携わったすべての人へ。


もしかするとその気持ちは世界全体に向けられたものなのかもしれない。











フィルムが回転する音とともにスクリーンに光が照らされる。



…そこに映し出された映像…


その物語は海岸沿いの田舎を舞台に繰り広げられる。


時代は昭和初期、


旧家の令嬢と使用人の切ない恋愛を描いたストーリー。


脚本、そしてヒロインは東城綾。


俺達が高校三年生の時に作った作品。


これが俺の選んだ最高傑作だった。



















「あなたのことがずっとずっと好き」


大きなスクリーンに映し出された東城の姿。


この話のクライマックスである海辺でのシーン。


まるで客席の空気の流れが止まり、ただ映画の中でだけ時間が流れていく。


















時間が再び動き出したとき、そこにはどよめきと拍手の嵐があった。


体の芯から震え上がるような感覚が懐かしい。


そういえば、こうして人に自分の映画を見てもらうのは久しぶりだった。


長く余韻に浸っていたために出口へ向かう人の群れにさして気をかけなかった。


しかしみのりさんの声に自分の仕事を思い出す。


「こら、真中くん、映写機止めたら早くこっち来る」


「あ、はい!」


急いで階段を下り、通路を流れるお客さんの群れに挨拶をしに行く。


「よし!午後の仕事も頑張るか!」


流れる人の群れの中から耳に入ってくる声。


「いや〜、今日もなかなかいい映画じゃった」


「でも、豊さんの映画じゃなかったよな。誰が作った映画だろう」


小さな子供から老人まで、俺の作品に対する数々の評価。


こうして見てくれる人がいるからこそ映画は成り立つ。


久しぶりの上映の所為か、ありがたい気持ちでいっぱいだった。





「豊さんのじゃないんだ。なるほどなあ。確かによかったけど少し物足りない感じがしてたんだよな」


「まだまだ豊さんには及ばないよな」



聞いた瞬間ガクッと来る、そんな意見もあったけど仕方ないかな、とも思う。




自信はあった。


だけど修業を積んだとはいえ、まだ二十歳の映画監督。


自分に多少なりとも未熟さがあることは分かっているつもりだった。


豊三さんとの差も感じていた。


豊三さんの映画は別格のような気がしていた。


今はまだ仕方ない。


今はまだ…


だけど、必ずいつかは、


必ずいつか追い付いてみせたい。


そんな風に思っていた。
























「なかなかいい映画撮るじゃない。高校生のときの作品でしょ、これ」


片付けが終わった事務室の中、バッグを持ったみのりさんが話し掛ける。


「あ、ありがとうございます。これは高校三年のときの作品で…」


「ふーん。ねえ、映画見てて思ったんだけどヒロインの子、どこかで見たことあるのよね…」


みのりさんは視線を斜め上に持って行き、顎に手を当てながらそう言う。


「あ、高校のとき小説で賞をとって、小説家デビューしたんで、たぶん…」


「そう!それそれ」


ポンッと手を打ち、声に合わせて俺を指差す。


そして再び視線は斜め上へ


「そっかぁ…だから見たことあるんだ。あの子面白い話書くなあって思ってたんだけど、デビュー作出した後ぴたりと出版途絶えちゃって…もう書かないのかなあ」








…東城、小説書いてないんだ…


もう創作を止めてしまったのか、それとも出版していないだけなのか…










「真中くん?」


「はい、何ですか?」


少し心配そうにも見えるみのりさんの表情。


「どうしたの?思い詰めた顔しちゃって」


「いえ、何でもないです」


どんな顔をしてたのかは分からない。


だけどみのりさんの反応を見て笑顔を見せる。


「そう?…ところでさあ、あの子…東城さんだっけ…映画に出てるってことは真中くんの同級生?」


「はい。そうですけど…」


俺がそう答えた瞬間、彼女の表情が少し緩んだような気がした。


「ねえ、あの子彼女だったの?海辺の告白シーン、あんな表情普通出来ないでしょ。まさか今も続いてるとか?」



「えっと…」



そういえば、西野のこと話してなかったっけ…


そのことに気付き、俺は東城、そして西野のことをみのりさんに話した。



















「へえ、そうなんだ。なるほどね〜」


みのりさんは納得した顔をしている。


しばらく、なるほど、と繰り返しながら何かを考えているようだったが、何かを思い付いたように突然口を開いた。


「そうだ。今日は時間もちょうどいいくらいだしさ、蛍見に連れていってあげれば?せっかくこの町にいるんだからさ」







そういえば西野の店の人――――西崎渚…ちゃんだったかな―――が言ってたな。


あの灯台のある丘に蛍が集まるって…








「そうですね、ちょうどいい機会なんでそうさせてもらいますよ」


そう答えた後、豊三さんのもとへ行く。


今日の上映をさせてくれたことにもう一度お礼を言ってから、お先に失礼します、と挨拶をした。


豊三さんは、「なかなかいい映画だった」と言った後、「まだまだワシには及ばんようじゃの」、と冗談を言う時のような笑顔で付け足した。
















外へ出ると日はすっかり暮れていて、なるほど蛍を見るには十分な夜がそこにはあった。


「雲一つないね。うん、いい星空」


振り返るとみのりさんが階段を下り切ったところだった。


「夜になってから仕事終えるのもなかなかいいよね。やっぱりここは星空が綺麗」


そう、今日から上映回数は三回まで伸びていた。


いくら満員になろうとも一人従業員が増えたために上映回数を増やさなければ配分の問題が出てくる。


映画館での仕事、給料はお世辞にも多いとは言えない。


それでもそんなことはどうでもよかった。


ここにはもっと大切なものがあるような、そんな気がするから。


















店を覗くとカウンターには誰もいないようだったが、厨房から漏れる光で西野がまだ働いていることが分かった。


どうしようかと思っていると一人の女性が裏口から出てきた。


金色のつややかな髪、細身でしなやかな体


「あ、西野…」


自然と声が出てしまった。


「淳平くん?」


そう言うと西野はこちらに向かって歩いて来た。


「わざわざ迎えに来てくれたんだ。ありがとね。


         あれ…?…その人は?」


その人とはもちろんみのりさんのことだ。


「えっと、こちら、映画館で一緒に働いてる岩谷みのりさん」


紹介されたみのりさんがその場で軽く頭を下げる。


「どうも、岩谷です。


…それにしても…あなたが西野つかささん?すごい。アイドルみたいね」




「いえ…そんな…」


西野は困ったような表情で顔の前に両手を広げた。


そんな西野の様子に気付いてか、みのりさんは一歩引いて、西野から顔を遠ざけた。


「あっ、ごめんなさいね。つい…」


「いえ、気にしないでください」


相手を安心させようと西野が笑顔を見せる。


西野は落ち着いていて、気遣いが出来る人なんだと改めて思わされた。


「まだ来たばかりでわからないことばかりですが、これからよろしくお願いします」


一呼吸置いて深く頭を下げる西野。


「そんなに畏まらなくてもいいよ。こちらこそよろしくね」


そう言った後、次は俺に顔を向ける。


「それじゃあ、あたしはこれで。あとは二人でごゆっくり」


みのりさんは笑顔でそう言いながら俺達に手を振った。


どうやら、彼女の目的は西野を一目見ることだったようだ。














「明るい人だね」


みのりさんの姿が見えなくなってから西野がそう言う。


「それとさ、せっかく迎えに来てくれたのにごめんね。仕事がもう少しかかりそうなんだ。先に帰ってていいよ」


手を合わせて申し訳なさそうにする姿がやけにかわいらしく思えた。


「そう?ちょっとなら待ってるけど…」




「うーん……それなら…お言葉に甘えちゃおっかな」


西野は少し控えめながらも自然な笑顔を見せてそう言った。
















西野が再び店の中へ入ってから、俺は店の入り口の横に備えられた木製ベンチに腰掛けた。


背もたれの傾きと背の低い建物のおかげで泉坂では見られないような星空が自然と視界に入ってきた。


ほっと息をつくとすうっと肩が落ち、力が抜けた。


気持ちよくなって目を閉じれば、カタコトと料理道具のぶつかる音が聞こえる。






……蛍…か……二年生の夏の合宿でも西野と一緒に蛍を見たっけ……








見回せば、右に、左に、遠くに、そして近くに、







そんな柔かな光の群れがまぶたの裏に見えたような気がして目を閉じたまま微笑んだ。


[No.1269] 2006/03/04(Sat) 18:24:59
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〜君に贈る〜第九話 (No.1269への返信 / 25階層) - つね

扉を開け家から一歩踏み出したその瞬間、世界が変わり、吸い込まれそうな暗闇が俺達を迎えた。


別世界……その中では小さな外灯や星空がより際立っていた。




そして二人が向かった先には幻想的な世界が広がり…






飽きることなく飛び交う光、波の音、明けぬ暗闇、続く星空。





それらのものがすべて、そこに永遠を創り出していた。













〜君に贈る〜第九話『ほたる』







家に帰ると玄関までいい匂いが立ち込めていた。


俺と西野は襖の開いた座敷の中にひとまず荷物を置いて台所へ足を進めた。


「ただいま、おばあちゃん。ごめんね、遅くなって」


まず先に西野が顔を出し、時子さんに声をかける。


「あら、おかえり。ちょうど今御飯ができたところなのよ。ちょうどよかったわ」


上半身だけをこちらに向けて明るい声で時子さんが応える。


一週間一緒に過ごしてみて改めて感じたこと。


それは時子さんの若々しさだった。


最初に見たときにも思っていたことだけれど、活動的な姿はとても西野がおばあちゃんと呼ぶような年齢には見えない。


「さ、どうぞ、召し上がれ」


テーブルの上に料理が並べられる。


食事の時間は団欒の場だった。


今日の仕事のこと、ちょっとした思い出話。


大体は西野が話題を持ってきて時子さんは聞き役に回ることが多かった。


それでも西野の気持ちが空回りすることも時子さんが喋り足りないことも無いようだった。


そこには嫌な遠慮やいらない気遣いが無かった。


西野も時子さんも心から楽しそうに話している。


そんな二人につられて自然と俺も笑顔になっていた。
















食事が終わると俺は自分の食べた食器を流し場に持って行き、テーブルを拭き始める。


これはこの家に住み始めてからの習慣だった。


お世話になっている以上は手伝えることは手伝わなければならない。


そんな気持ちが俺の生活をいい具合に引き締めていた。




…とは言え、机拭きと彼女たちの仕事とではあまりに時間と手間が違い過ぎた。


俺がテーブルを拭き終わったときにはまだ食器が水を弾く音と流し台の前に整然と並んだ二人の姿がある。


何やら話しながら少し楽しそうでもある二人の背中を見遣り、息を整える。





俺は妙な緊張感を感じていた。





そして今日もいつものように声をかけるのだけど…



「台拭き終わったよ。手伝おうか?西野」



振り向く姿に少しドキッとする。



「ううん。大丈夫。淳平くんは向こうで休んでなよ、ね」



…そんな満面の笑みを向けられると従うほか無くなってしまう…







…今日もダメだった…


どこか敗北感にも似た気持ちを胸に抱きながらうなだれる。


俺は居間に座り込み何をするでもなく、ただ微かに聞こえる水音と二人の話し声に耳を傾けていた。


こうして二人が洗いものを終えるのを待つ時間。


これがなんとも落ち着かない時間だった。


別に本人がいいと言っているのだから、俺は休んでいて、くつろいでいて構わない。


それでもなかなか落ち着かず、台所の音に耳を傾けながら二人の仕事が終わるのを待っていた。


















「おまたせ、淳平くん」


西野のその声が始まりの合図だった。


俺は立ち上がり、西野に呼びかける。


「それじゃあ行こうか」


俺と西野は懐中電灯を一つ持って玄関へ向かい靴を履いた。


「二人とも気をつけてらっしゃいね」


時子さんは丁寧にも玄関まで見送りに。


「はい、それじゃあ…」


「うん、それじゃあ行ってくるね」


ドアを開け外に出てからもしばらく時子さんは玄関にいてくれていたようで、振り向けば目に入る明かりが温かかった。



















扉を開け家から一歩踏み出したその瞬間、世界が変わり、吸い込まれそうな暗闇が俺達を迎えた。


別世界……その中では小さな外灯や星空がより際立っていた。


澄んだ空気が少し肌寒くも心地よい。


「涼しいね。いい気持ち」


西野が横に並びかけると同時に手を繋ぐ。


澄み渡った世界の中、それはごく自然な行動だった。












家の門を出て、灯台の丘まで二人のうちどちらも口を開かなかった。


二人の間の空気が気まずくなったわけでも、何を話せばいいのか分からないわけでもない。


ただ、微かに聞こえる音を、微かに感じる風を、逃さないように…


それは波の音であり、そよ風が木々を揺らす音であった。




そして、歩き始めて一分ほど経ったとき、俺は腕にかかる体重が重たくなるのを感じた。


ふと見ると西野が俺の腕に縋り、目を閉じていた。


声をかけようかと思ったけど俺はそのまま前を向き、足を進めた。


もちろん彼女は寝てしまったのではない。




きっと…




この音を、この風を、逃してしまわないように…











坂道に差し掛かるとさすがにそうはいかなかった。


それでも西野は上機嫌で周りを見回しながらゆっくり足を進める。


俺も歩幅を合わせながらゆっくりと足を進める。




そうして坂の終わりが近づいたときだった。


「あっ、蛍」


不意に西野が呟いた。


「えっ?」


今までの沈黙の所為か、心の準備が出来ていなかった所為か、驚きの声が口から漏れる。


「ほら、あそこに飛んでる」


西野の指差す方に見えた一匹の蛍は坂道に沿って丘の方に飛んで行く。



「まるであたしたちを案内してくれているみたい…」



そう呟いた西野の言葉が本当にぴったりだった。


まるで俺達を丘の上に案内してくれているかのよう、ぼんやりと柔らかな光を残しながら飛んで行く。


小さな案内人についていくようにして自ずから歩調が早くなっていく。



そして…坂道が終わると…












…坂道が終わると、そこはこの暗闇という別世界の中でもさらに別世界――――――聖域だった。


”蛍崎”の文字通りの光景がそこには広がっていた。


丘の上に所狭しと飛び回る蛍たちはそこから溢れ出しそうになっている。


それでも何かに囲われているかのように、はぐれそうになった蛍もすぐに丘の上に戻ってくる。


そこに立体プラネタリウムが出来ているよう……蛍の優しい、柔らかな光が丘を包んでいた。









そんな景色を一通り見渡してから、やっと言葉が出た。


「座ろっか」


微笑み、西野に語りかける。


「うん」と頷く西野。


俺と西野は灯台を背に、丘の中央に腰を下ろした。




その直後、再び沈黙が訪れる。




今回の沈黙は違っていた。






隣に目をやると西野は目を閉じて手を合わせていた。


その姿に四年前の夏休みの姿がフラッシュバックする。


俺はあの時と同じように彼女に見とれる。


そして…まるでリプレイのようなシーンが流れていく。




「何してるの?」


あの時と同じように、そっと慎重に尋ねた。





「お祈り。これだけ綺麗だと願いが叶うような気がして…」


目を閉じたまま彼女は答える。






「ふーん…」


体勢を変えることもなく薄明かりに包まれる彼女を見つめる。












長い沈黙だった。













そして…









「よし、終了ー!」


手を合わせたまま顔を上げ、笑顔で彼女が言う。








その声とともに過去から現実に。


その瞬間はスローモーションのように長く感じられた。


そして、目を開けた西野は俺の方に向き直り、しっかりと目を合わせ、少し間を空けて尋ねた。


「…今回は聞かないんだね…お祈りの内容」


「…うん…大体分かるから…」


「じゃあ当ててみて、何お願いしたか」





静かな会話だった。




この情景、神聖な雰囲気の所為だったのかもしれない。






無意識に西野の手を取り、体を引き寄せる。



ゆっくりと、静かに彼女の華奢な体がすっぽりと胸に収まった。








「…西野…これ、間違ってる?…」




そう言うと西野はゆっくりと頭をもたげた。








「…大体合ってるかな…」


呟くような小さな声。


その声を聞いて、身体を丸めて西野をそっと包みこんだ。




















体を離すと急に照れ臭くなって俯いた。


微笑む西野の視線を感じればなおさらだった。


しばらくそのままでいたけど、想いを伝えたくて口を開く。


「西野―――」


そう言いかけたとき、西野の指がそっと俺の唇に当てられた。


予想外の行動に驚き、声が出なくなる。


西野は真剣な表情で真っ直ぐに俺の目を見た。



「その先は言わなくていい。…大体分かってるから…」


表情はそのままに、先ほどの俺の台詞を真似していつもよりも心持ち低いトーンでそう言うと、俺の首に両手をかけた。










…一瞬の出来事だった…











軽く触れるようなキス


離れた後はいつもの西野だった。


「…なんてね!」





そして西野はすぐに固まった俺の魔法を解いてくれる。


「ほら、蛍見ようよ。こんな景色なかなか見れないよ?」


打って変わって無邪気な姿を見せる西野。


そんなギャップのある行動が西野らしかった。


「…あ、ああ、そうだな」


西野に促されて海に背を向け、再び弱光が飛び交う景色に目を向ける。


柔かな光は気持ちを落ち着かせ、心を透き通らせた。


”蛍崎”―――この場所は渚ちゃんに案内され、ここへ来たあの時とはまったく違う表情を見せていた。


ここには今、幻想的な世界がある。





飽きることなく飛び交う光、波の音、明けぬ暗闇、続く星空。





それらのものがすべて、今、この場に、永遠を創り出していた。







































それから二日後だった。


突然映画館に駆け込んできた渚ちゃんが息を切らしながら俺に向かってこう言ったのは。


「西野さんが病院に運ばれたんです!」、と。


[No.1277] 2006/03/11(Sat) 23:16:52
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〜君に贈る〜第十話 (No.1277への返信 / 26階層) - つね

何が起きたのか分からない。


息を切らし焦りを露わにして慌てる渚ちゃんについて来た。


何も分からないまま走り出し、立ち止まったときにようやく汗が頬を伝っていることに気付いた。







〜君に贈る〜第十話『海の神様』







「西野さんが病院に運ばれたんです!真中さん、早く!早く来て下さい!」


映画館の入口で掃除をしていた俺に向かってそう叫んだとき、渚ちゃんの顔は不安と焦りでいっぱいになっていた。


俺は言葉を失った。


あまりに突然のことに状況が把握できない。


西野が病院に運ばれたという、その事実を信じたくなかった。


何も感じず、何も考えない時間がどれだけ続いただろう。


遠のく意識を引き戻したのは渚ちゃんの声だった。


「真中さん!来て下さい!早く!」


目の前の渚ちゃんにピントが合い、思考が戻る。


「…分かった…!」


ようやく言葉を絞り出し、俺はみのりさんと豊三さんに事情を告げて映画館を出た。
























移動手段は自分たちの足、つまり病院まで走るということだ。


何か他の交通手段が無かったのか。


そう問われれば、無かった訳では無い。


ただそれを探す暇、と言うよりも余裕が無かった。


それに映画館からそう遠くない場所にあるということで割り切ることもできた。




































確かに西野が運ばれたという病院はさほど遠くは無かった。


しかし、今は真夏の炎天下。


その中の全力疾走は身体に熱を持たせ、汗を流させるには充分だった。


自動ドアの前で立ち止まることも無く建物の中に駆け込むと、ひんやりとした空気が汗が伝う頬を撫でて身体が震えた。


ロビーで診察の順番を待つ人達の視線が一瞬俺の足の行き場を奪ったが、すぐに渚ちゃんの声に振り向く。


「真中さん、こっちです」


院内ということもあり、少し小さめの声でそう言うと渚ちゃんは早足で階段のほうに向かった。


俺も彼女について行き、階段を上がる。


渚ちゃんは階段を上り切ると、しばらくしてから扉の前で足を止めた。





渚ちゃんが止まった…







…ということは…











この先に…西野がいる…









静かな廊下の中で俺の足音だけが響き、そして止む。








緊張が高まっていた。










俺はドアに手をかけ、ゆっくりとドアを開けた。


窓から差し込む光で目の前が真っ白になった後、次第に色を取り戻す視界。











ベッドの上に西野の姿が見えた瞬間、俺は西野に駆け寄った。


「西野!起きてて大丈夫なの!?」


そう問い掛けると西野は俯き加減に頷いた。


西野の反応にひとまずホッと息をつきかけるが、俺はその仕草に違和感を感じた。


…何かがおかしい…


そう思い再び西野の様子を伺った。


それでもやはり彼女は俯いたままで、俺は特に意識するでもなく彼女の視線をなぞった。


そこで何も無ければ俺の視線もやがて行き場を無くしていただろう。


しかしそうではなかった。


俺の目の動きは上体を起こした西野の、膝の上で止まった。


俺はもう一度俯く西野の顔に目を向けると、渚ちゃんのほうに振り返った。













「…もしかして…これ…?」











苦笑いで渚ちゃんが頷き、西野の頬が赤くなる。


西野の右手の人差し指には丁寧に包帯が巻かれていた。






































後で聞いた話によると、西野は厨房で指を切ってしまい、流れ出す血を見て気を失ったらしい。


結局はパニック状態の渚ちゃんに振り回された形になったが、彼女が悪いわけでは無い。


むしろ彼女はよく報告してくれたと褒められるべきなのだろう。


西野の指の傷もかなり深かったようだが、決して深刻な状態ではなく、俺は胸を撫で下ろした。





































夏が深まり、西野は仕事に復帰した。


俺の映画館での仕事も何度かの上映を経験するなど、至って順調。


ただ覚悟していたとは言え、収入の面はお世辞にも良いとは言えなかった。


それでも不満などは無かった。


これが自分で選んだ道だから。
































変化の始まりは八月の半ば頃だった。


その日は昼過ぎには仕事が終わっていた。


なんでも夕方からこの町の夏祭りが行われるとか。


なるほど外に出れば、早くも屋台の準備であろうか忙しく動き回る人の姿も見えた。


「夏祭りか…」


そう呟き、西野を連れていこうか、と考えて微笑む。








表通りを通って帰ればいつも西野の働くケーキ屋の前を通り掛かる。


そしていつも店の様子をうかがってみるが、今日は明らかに様子が違っていた。


店の前に群がる人達。


よく見ると中にはテレビカメラや取材器具を担ぐ人も混ざっていた。


何事かと思い、すぐにその場に駆け付ける。


そして人だかりの最後尾から背伸びをしてみるが、群がる人々に視界が遮られてうまく見えない。


しばらくの間、場所を変えてみたり、また背伸びをしてみたり、


そんなことを繰り返すうちに聞き慣れた声が聞こえてきた。









「…いえ…そんなことは…」










…西野の声だ…






俺は足を止め、会話に耳を傾けた。


「それではこの番組をご覧になっている皆さんにお店の紹介をお願いします」


番組…テレビ局が来てるのか?


「とても明るい雰囲気で、馴染みやすいお店です。みなさん、是非一度足を運んでみてください」


インタビューに答えているのは確かに西野だった。


少しの間の後、「オッケーです!」の声が響き、人が散り散りに店の前から去っていき、報道関係者と西野たちの姿がはっきり見えた。


俺はすぐには近付かずに、報道関係者がその場を立ち去るまで動かずにいた。


彼等は機材をまとめると渚ちゃん、西野、店長、の順に一言お礼を言って車に乗り込んだ。


店の三人もそれに応じ、車が走り出すとお辞儀をして彼等を見送った。


俺はそれを確認して西野の元へ足を進める。


すると表通りを走り去っていくワゴン車を目で追っていた西野が足音に気付いたようにこちらに振り向いた。


「あ、淳平くん。どうしたの?もう仕事終わり?」


そう言いながら小走りで俺の方に向かってくる西野。







見慣れた白い仕事着に甘い香り。


触れ合う直前まで近づいた距離に胸が高鳴る。


先程の質問に「うん」、と頷き答えると、そこで店の入口から声がした。


「おっ、真中くん、今日は早上がりか?ちょっと待っといてくれよ。うちも今日は早く閉める予定だから」


その元気な声はケーキ屋の店長―――――そして渚ちゃんの父親でもある西崎さんのものだ。


がっしりとした体格に人柄のよさそうな笑顔。その笑顔は彼の性格をそのまま表していた。


「そうそう、今日は夏祭りだからさ、この町のほとんどのお店が早めに切り上げてお祭りの準備に取り掛かるんだって!」


ワクワクした様子で西野がそう言う。


先に祭りのことを言われてどう切り出していいか分からずにいると、西野が俺の顔を覗き込んだ。


「どうしたの?体調でも悪い?」


「いや、そういう訳じゃなくて…」


アップになった西野の顔から慌てて顔を遠ざける。


「そういう訳じゃなくて…?」


するとさらに近づく西野の顔。


きっと今、俺の顔は真っ赤に染まっている。


西野にはいつもドキドキさせられっぱなしで…


俺は一旦顔を背けて、また西野と目を合わせた。





「その夏祭りだけど…西野、一緒に行かない…?」


先にお祭りの話題を出された所為か、やはりはっきりしない口調になってしまう。


驚いたわけでは無いだろうがしばらく西野が固まったようになる。


きっとサラっと言えば良いものを躊躇いがちに言ってしまった所為だろう。


先に表情を変えたのは西野の方。


「うんっ、一緒に行こうよ!誘ってくれてありがと!じゃあ仕事早めに終わらせちゃうね」


そう言って満面の笑顔を見せた。


その表情を見て俺の顔からも自然と笑顔がこぼれた。





































夏祭りの会場は大盛況だった。


どこへ行っても人だかりがあり、この町の人が全員集まっているのでは、とまで思わせた。


真夏の暑さに夜の風、半袖のシャツに浴衣に屋台のお面。


人込みの中、はぐれないようにと手を繋ぐ。


いつか…同じような場面があった気がする。









高三の夏休みだったかな?


西野の田舎に行って…


あの時もこんな風にして、二人でお祭りの会場を歩き回ったんだっけ。


西野といればいつも楽しくて…


懐かしい、でもどこか違う。


もう、あの時のような不安が心のどこにも無いから、


迷わず君を見ていられる。
































祭も終わりに近づくと、人の波ができ、一つの場所に向かい始めた。


俺達はその流れに巻き込まれてうまく身動きがとれなくなる。


「ちょっ、淳平くん!これどこに向かってるの!?」


「いや、そんなこと言われても…」


周りの人の足を踏まないようにと足元に注意を向けていてそんなことを考える余裕さえなかった。


人でいっぱいになった道の上。


その脇に俺はふと見慣れた顔を見つけた。


「あっ、時子さん!これ、どこに…」


なんてタイミングがいいんだ。こんなところにいてくれるなんて…


そう思い、声をかけるが時子さんはいつもの和やかな笑顔を崩さないままこう言った。


「大丈夫よ。私も後から行くから」


「えっ、大丈夫って…」


答え返す間もなく俺達はどんどんと人波に運ばれ、時子さんの笑顔が遠ざかる。


淡い希望は崩れ去り、謎は解けないまま人ごみに流される。


もうこうなるとこの流れに任せるほかなかった。


ただ、人込みの中はぐれないようにと握った右手に力を込めた。


























人波の終着点は浜辺の近くの護岸だった。


浜辺が近づくにつれて人々の足の進みも緩み始め、やがて止まる。


「…やっと止まったね…」


ため息とともにそう呟き、少したってからまた口を開く西野。


「でも…これから何があるんだろうね。こんなにたくさんの人が集まっちゃって…」


そして俺が応えようとした、そのときだった。













ドーン、ドドーン










体の芯まで響くような轟音が俺たち二人を海の方に振り向かせた。


「……花火だ……」


「…すごい…海に花火が映ってる…」


西野が言った通り、海上から打ち上げられた花火は海面に反射してまるで海のキャンバスに絵の具を垂らしたようだった。


そんな情景に見とれていると聞きなれない声が後ろから聞こえてきた。


「どうじゃ?すごいじゃろ」


振り返ると一人の老人が笑顔を浮かべ、背後に立っていた。


「毎年こうやって打ち上げとるんじゃがすっかり名物になってしもうて。

 しかしこれだけ派手な音がたちゃあお魚さんたちも逃げてしまうでな。

 それでも一年に一度、今日くらいは海の神様も許してくれるじゃろうて」


おおらかな笑顔でそう言った老人。きっとこの花火を、この祭りを、なによりこの町を好きなんだろうな、と思った。


「海の神様…ですか?」


考えないうちに聞き返していた。


「ああ、この町にとって海は大切じゃあ。海はいろんーな恵みをわしらにくれるでな。それこそ海の神様が恵みをくれとるんじゃよ」


…海の神様…


話を聞き終えると、自然と西野と目が合って微笑みあった。


心に触れるこの町の様々な表情。それも海の神様のおかげかな。


そんなことを考え、次々と打ちあがる花火を見つめた。







ドーン、ドドーン







静寂に響く音が山にこだましてその響きを増す。







ドーン、ドドーン





その音が途絶えるまで、誰もがその場を動かずにいた。





この花火もきっと海の神様からの贈り物だろうな。





なんとなくそう思った。




























この日を境に西野つかさの名前は次第に有名になり始める。


それが西野の望んだ形なのかどうかは分からない。


無論、テレビでケーキ屋で働く西野の姿が流れたことが原因である。


ただひとつ言えること、これがそう遠くない未来に起こるひとつの奇跡へと続く長い道のりの出発点だった。


[No.1303] 2006/05/22(Mon) 23:17:57
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〜君に贈る〜第十一話 (No.1303への返信 / 27階層) - つね

〜君に贈る〜第十一話『わからない』







「つかさちゃんもすっかり有名になったねぇ…」


二人でテレビを見ている時、時子さんが呟く。


確かに…


西野つかさがどんどんと有名になっていくことは明らかだった。


今日もこうして見ている番組で西野が取材を受けている。


勿論それに伴って客足も増えていく。


この一週間での来店者の増加はまさにうなぎ登り。


西野の夢が叶おうとしている…少なくとも、その方向に向かっている。


だけど…


「…いいことばかりじゃないような気がするな…」


「えっ?」


「あ…いや、ただ…何となく不安で…」


時子さんの声に我に還り俺は何とか言葉を繋いだ。





































今日は休日だった。


…西野を除いて…


そうは言っても時子さんはもう退職しているしこの家で仕事に就いているのは俺と西野の二人なのだけど…





「淳平くんは何でそう思うの?」


時子さんが穏やかな声で尋ねた。


「…これから有名になっていくにつれて西野は忙しくなっていくだろうし、それに…上手くは言えないけど…」


「そう」、と答える時子さん。


終始穏やかな口調だった。


「本当に…つかさちゃん、働き過ぎなきゃいいけどね…」


視線の先には夏の青空があった。





































「ただいま〜」


明かりの点いた玄関から明るい声が聞こえる。


「あら、つかさちゃん、おかえり」


まずそう言って迎えたのは時子さんだ。


靴を脱いでいるためだろう、しばらく経ってから足音が近づいてくる。







そして、


足を止めた西野と目が合う。


「淳平くん、ただいま」


優しい表情で言われたそのありきたりな台詞には何故だか温かみが感じられた。


「…ああ、おかえり」


一瞬流れる時間が遅くなったような錯覚。西野の笑顔が少し照れくさかった。


西野が動き出すとまた時間が今まで通り流れ始める。


「おばあちゃんただいま。あのね―――」


西野の声を少し遠くに聞きながらやけに安心した気持ちになった。













毎日が穏やかに進んでいる…


「淳平く〜ん、ご飯だよ〜!」


「はーい、分かった」


西野の声に立ち上がり台所へと足を進める。


三人分の食器が並べられ食事が始まる。


「あのね、今日もお客さんがたくさん来てね、たった三人だから忙しくて…」


席につくとこうやって会話が始まる。


これが自然な流れだった。


まるで本当の家族のように…そんな雰囲気がここにはあった。


「…だけどあたしが作ったケーキがお客さんに手渡されて、それでお年寄りの人や子ども、もちろん若い人達やほかの人たちも、みんなの笑顔が見えるから…」


「ケーキを食べるときの笑顔を想像するとまた頑張ろうって気持ちになれるんだ」


そう言ってまた笑顔になる西野。


毎日のようにこの笑顔を見ることができた。


西野が一歩ずつ夢に近づいている。


なんだかそんな気がする。






































そして月が変わった。


西野のケーキ屋はそれまでに何度かの取材を受けた。


俺は変化を感じていた。


客足は増えている。


ここ一週間で爆発的に増えたような気さえする。


たぶんそれは気の所為なんかじゃ無い。


















映画館からの帰り道。


久しぶりの早上がりで仕事が昼過ぎに終わった時だった。


西野の働くケーキ屋の前を通りかかったとき。偶然にもそこにはみのりさんも居合わせていた。


「うわぁ…何、あれ」


そんなみのりさんの声。


それが西野の働くケーキ屋の様子を形容するのにピッタリだった。


溢れんばかりの人だかり。


これは見る限り、ここ数日のうちでも際立って多い客足だ。


みのりさんが驚くのも無理は無い。


「西野さん、ここで働いてるんだよね。この間もテレビに出てたし……それにしてもすごい人込みだね」







本当にすごい…こんなにも人が来るなんて…


でも…これっていつかと同じような気がする…


上手く思い出せないけど…


だけど間違いなく、この人込みを見て胸騒ぎがしてる。






「どうしたの?真中くん?」


みのりさんが不思議そうに俺の顔をうかがっている。


「い、いや…何でもないです。すみません、ボーッとしちゃって」


気付かないうちに立ち止まっていた。


俺は慌てて再び足を進め始める。




















店の前に近づくにつれ、集まった人々の声がはっきりと聞こえてきた。


「つかさちゃーん!この間のテレビ見たよー!」


「一目見てファンになりました!」


「つかさちゃん!彼氏いるって本当なの!?」


「今度一緒に遊ぼうよ〜!頼むからさぁ、ねぇ、つかさちゃん」


その瞬間背筋がゾクッと震えた。









…これ…あの時と同じだ…


思い出した…西野が高校三年生の時、情報誌に載って、バイト先のパティスリー鶴屋にも西野が通う桜海学園にもものすごい人が押しかけたこと…



あの時と…まったく同じ…





西野は…?


店の中の様子が気になり人込みの隙間から店内を覗いてみる。


西野の姿は見えない。


きっと奥の厨房で働いているのだろう。カウンターには慌ただしく、それでいて丁寧に客に対応する渚ちゃんと、それに加えて時折厨房へ向かって話し掛ける西崎さんの姿が見えた。


そして次の瞬間、一気にざわめきが止まる。


「いちごのミルフィール、お待たせしました〜!」


厨房から大きなプレートにいくつものケーキを乗せて西野が姿を現した。


その途端、店を取り巻く客が店の中に入ろうとするがあまりの人の多さに押し戻される。








…この人気…俺の悪い予感は当たるのだろうか…


かと言って何ができるわけでもなかった。


一瞬頭の中に浮かんだ考えを必死で振り切って俺はその場を後にした。
















連日あんなにもたくさんの人が店に押し寄せて、それに…


西野は疲れてるんじゃないだろうか…


そんな心配とは裏腹に西野はいつも笑顔だった。


真っすぐで、前向きで、明るくて、


そんな西野の強さが彼女の心の奥の弱さを隠していた。


だから俺にはこの時、そんな幸せな西野しか見えていなかったんだ。


何で気付いてやれなかったんだろう。


でも、気付いていたとしてもきっと西野は「大丈夫」と一言言ったんだと思う。


もしかすると俺にはまだ完全な西野の逃げ場になれるだけの強さと心の広さがなかっただけなのかもしれない。








































テレビや雑誌の取材は日増しに増えていった。


口コミの力も手伝って西野の噂はどんどんと広がり、いつの間にかその名前は全国区となる。


初めてテレビに出てから間もなく西野の人気は異常なまでなものになっていた。


しかしその人気は少なくとも俺の考えるかぎりでは西野の望むものではなかった。


マスコミはこの短期間に西野を見事なまでにアイドルに仕立て上げてしまったのだ。


どのテレビ番組でも、どの雑誌でも西野が正当にパティシエとして評価されているとは思えなかった。


どこへいっても『美人パティシエ』、そう騒ぎ立てられる。


本人が望んだわけでもなく、マスコミにより『アイドル 西野つかさ』が誕生しようとしていた。





































シネマ蛍崎の電話が鳴ったのはそれから何日か経った日の夜だった。


ちょうど仕事が終わり、汗をかいたTシャツを着替えようとしたとき、


プルルルルッ


事務室の電話が鳴り響く。



確か事務室には豊三さんがいるはず…



そう思って汗が染み込んだTシャツを脱ぎ、タオルで汗を拭う。


しかし、まだ電話には誰も出ない。


それから間もなく、階段の方から豊三さんの怒鳴り声が聞こえた。


「淳平!今、手が放せんのじゃ!早く電話に出んか!」


…結局俺かよ…


少し呆れながらも急いで着替えを済ませ、受話器を手に取る。


「もしもし、シネマ蛍崎です」


























「…えっ?…」
























「…あ、うん、分かった。それで大丈夫そうなの…?」














「分かった…じゃあ今から行くから。それじゃあ…」







そうやって話を切り、俺は受話器を置いた。


そこへちょうどみのりさんが入ってきた。


「どうしたの?今の知ってる人からでしょ。西野さん?」


思いの外冷静だったのは電話の相手があまりに落ち着いていたからだろう。














「西野がまた病院に運ばれたらしいんです。頭を打って気を失ったって……ただ、大事には至らなくて安心できる範囲のものらしいんですけど…」












俺が話している間にみのりさんの表情が変わっていくのが目に見えて分かった。


ただ俺がゆっくりと話した所為か俺が言い終えるとすぐに言葉を発した。




「それならすぐ行かなきゃ!あたし今日バイクだから、後ろ乗りなよ。ついておいで」




「は、はい」


俺はすぐにみのりさんについて階段を降りた。







階段の下ではちょうど仕事を終えた豊三さんがいた。


さすがの豊三さんも俺とみのりさんの様子を見て何事かと驚いている。


「みのりちゃん、どうしたんじゃ?そんなに急いで」


「西野さんが病院に運ばれたらしいんです。だから、今から真中くん連れて病院まで行ってきます。事務室の鍵は締めてくれて構わないんで」


そう言いながらみのりさんはヘルメットを被り、俺に後ろに乗るよう促した。


俺は言われるままにみのりさんの後ろに腰を下ろし、足を車体の手頃な位置に乗せた。


「はい、これ被って」


そう言って俺にもヘルメットが被せられる。


頭の上からストンと落とされるような形で被せられたため、視界が遮られる。


俺は被されたヘルメットを上げて視界を確保した。


「じゃあ行くよ!そのままじゃ落ちちゃうからしっかり捕まって」







…と、言われても…






俺の両手はみのりさんの服を掴む形になっていた。







このままじゃ落ちちゃうってことは…





少しの恥ずかしさを感じながらも俺は自分の腕をしっかりとみのりさんの体に回した。





「よしっ、OK!じゃあ行くよ!」


二人を乗せたバイクはエンジン音を残しながら勢いよく走り出していった。






































病室の扉を開けると、落ち着いた表情で眠る西野がいた。


みのりさんと一緒にベッドに近づくと渚ちゃんがこっちに振り向き、俺たちを安心させるように微笑んだ。


「眠っているんです。脳にも異常は無いし、目立った外傷も無くて、後は目を覚ますのを待つだけなんです」


電話の時といい、少し意外な対応に思わず渚ちゃんの顔をじっと見てしまう。


「どうしたんですか?」


「いや…何でも…」


そう言いかけた時、彼女の隣に立っていた西崎さんが口を挟む。


「西野さんが倒れたときはこんなに落ち着いていなかったんだけどね。それはもうすごい慌て様で…」


そこへすかさず渚ちゃんが反論する。


「なっ、何よ!それでも今回はその後落ち着いてたでしょ。この前あんなにパニックになっちゃって迷惑かけたこと、反省してるんだから」


そう言いながら顔を赤く染める渚ちゃん。


その姿をかわいらしく思いながら、落ち着いた電話での話し方の原因はそういうだったのか、と理解できた。


そして反省を元にそうしてくれた渚ちゃんに感謝する。















あとは…







そう思いベッドに目を移すと気持ちよさそうな寝顔が目に入ってくる。


その表情を見て俺はほっと一息ついた。
















それから数時間、俺たちは他愛の無い話をしながら過ごした。


もちろんみのりさんと西崎親子はここの住人として知り合いであるし、病室にいながらも明るい雰囲気で時間は進んだ。


『あとは目を覚ますのを待つだけ』、医師のそんな言葉が誰もを安心させていた。
































「…ん…」


数時間後、ベッドから聞こえたかすかな声に病室にいた全ての人の視線が集まる。


無事だと分かっていたものの、その声を聞いて完全に肩の荷が降りた。


静かに目を開ける西野。


そしてついに西野が口を開いた。







「…淳平くん?」







その言葉に微笑みがこぼれ、ベッドに歩み寄る。


「西野さん、良かった」


そう言って俺に続いて西野の方に歩み寄る渚ちゃん。


しかし次の瞬間、俺の笑顔は消える。






























「えっと……













    …ごめんなさい…君、誰かな?」


































俺は思わず振り返り、渚ちゃんを見た。


西崎さんもみのりさんも驚きを隠せない様子だった。


「そんなぁ、またまた、西野さん冗談きついんだから。あたしですよ。西崎渚」


目一杯明るくそう言いながらも、彼女の笑顔はぎこちなかった。


きっと不安で、信じたくなくて…


それはこの場にいる誰もが同じだった。









「……ごめん……わからない…」









「えっ?」


声にならない声でそう言うと、渚ちゃんはその場に立ち尽くした。


そして俯き、小さく呟く。




「…西野さん…嘘でしょ…」




かろうじて聞き取れたその声は西野には届かない。


震えるほど固く拳を握り締め、渚ちゃんは病室から飛び出していった。


「ちょっと、渚ちゃん!」


そう叫び、後を追おうとするが西崎さんに制された。


「渚のことは任せて。淳平君は西野さんのそばにいてあげなさい」


その言葉に何とか頷き、俺はその場に踏みとどまった。


固まった視界の中、渚ちゃんを追って西崎さんが病室を出て行く。








渚ちゃんが飛び出していった時に開け放された扉。




西崎さんが後を追って行った後もそのままで…




何処から入り込んだのだろうか、開けっ放しの扉からの風が頬を撫でた。




自然に戻るはずの引き戸はなぜかそのままで、その様子がやけに寂しかった。




まるで渚ちゃんの気持ちがそこに残されているようで…


[No.1307] 2006/07/15(Sat) 02:08:49
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〜君に贈る〜第十二話 (No.1307への返信 / 28階層) - つね

〜君に贈る〜第十二話『泉坂に…』







車体がガタゴトと音を立てながら揺れる。


窓の外にはどこまでも続く海。


水面に白く波が輝いている。


向かいに座った西野は目を閉じていた。いつもは眠たい俺を起こそうとするのに…


俺はほおづえをついたまま窓の外へ向けていた視線を目の前の少女に移した。

























…あれから、もう一週間か…












渚ちゃんが飛び出してしまった後の病室はそれまでの明るさが嘘だったかのように静まった。


状況の分からない西野だけがキョロキョロと周りを見渡していたが、やがて彼女は悲しそうな表情になり俯いた。


西野は勘がいいから、今の状況を何となく感じ取ったのかもしれない。


重い空気。沈黙の中、かろうじて口を開いた。


「西野、この人が誰か分かる?」


俺はそう言ってみのりさんの方に手を伸ばした。


俺が西野の名前を呼ぶとはっと顔を上げたが質問が終わると再び表情は曇り、そして俯いた。


「…ごめん…」


小さくそう呟いたその後に言葉は続かなかった。


気の利いた言葉なんて見つからず、俺はたった一言呟く。


「…西野は…悪くなんかないよ…」




どうして…




どうして…余計な心配をさせまいとしたときに、思うように話せないんだろう。




不安にさせるような声になるんだろう…




…俺がしっかりしなきゃ…





「みのりさん、西野が目を覚ましたって、下に言って来てくれませんか?」


「あ、うん」


西野を不安にさせないように、俺はさりげなくそう言った。


病室を出たみのりさんの足音がだんだんと遠ざかり、部屋の中は俺と西野だけになった。






だけど…特に喋ることが見つからない…


こんなことは最近ではほとんど無かった。


そんな状況に少し戸惑いながらポケットに手を突っ込む。


その時、手に触れた財布の中に偶然にも入っていた二枚のチケット。


「…あ、そういえば西野がさつきにもらったサッカーの試合のチケット。あの試合確かちょうど来週の今日だよな」


何とか見つけた話題に、言った後で気付く。




…今の西野にこんなこと言っても…




しかし、西野の答えはあまりに意外なものだった。


「えっ?さつきちゃん!?あたしそんなものもらってたっけ?」


「えっ…」


思わず声が出てしまった。


今、確かにさつきの名前を…


「うん、さつきからもらってるんだ。大草が試合に出る試合のチケット」


思わぬ答えに驚くが、なんとか平静を保ち、答え返す。


「大草君?何で大草君の試合のチケットをさつきちゃんが…」






何となく…確証は無いけど分かり始めた。


ただ、『今の西野』が知らないことを一から説明するには時間がかかるし、西野がまた覚えていないことをショックに思うかもしれない。




…もう少し落ち着くのを待つか…




「俺もよく知らないんだけど友達からもらったみたいなんだ。それで余ったからって」


だからその予感を確かなものに変えるため、探ってみる。


その予感というものも決していいものではないけれど…


「だから来週、泉坂に帰ろうか。大草の試合を見て、それで東城や外村、唯とか、いろんな人に会ってさ」


そう言って西野の様子をうかがう。




東城や外村の名前を聞いての反応に…違和感は…無い。











そして…







「帰るって…ここ、泉坂じゃないの?」










…やっぱり…










西野の記憶は泉坂で止まっている。と言うより、蛍崎での記憶が完全に無くなっている。


俺はこのとき、そう判断した。

















…俺の予想はほぼ当たっていた。


西野には高校生までの記憶しかない。


西野は今、高校二年生の西野つかさに…











そして…彼女はまだケーキ作りに出会っていない。





































この一週間、西野の心からの笑顔を見ることは無かった。


ぎこちなくも少しずつ今の状況に慣れていく西野。


だけど何をしててもいつも不安そうで、寂しそうで、


西野の心の中はどんなだったのだろうか。


そんな西野を見て俺の頭の中にはある考えが浮かんでいた。


ただ、まだ決断には至らなかった。


心を決められない自分を情けなく思う。別に覚悟がいる訳でもないのに…


西野のためならなんでもしてやりたい。


だけど…





































西野が記憶を無くした、その直接の原因はおそらく頭を強く打ったことだろう。


だけど…それだけのことで、果たして記憶喪失が起こり得るのか。


何か他の要因が絡んでいる。それは何なのか…





思い当たる節が一つだけあった。








…ケーキ…








…それはパティシエとしての西野だった。











思い返してみれば、二年ぶりに泉坂に帰って来たあの日から…俺はパティシエ西野に対するどんな評価を見てきただろう、聞いてきただろう。





”そういえば”…だった。





日暮さんに聞いたことがあった。


西野が連れ去られそうになった、汗まみれになって西野を探したあの日、西野を家まで送って行った日暮さんはこんなことを俺にこぼした。


『西野さん、もっと評価されてもいいと思うんだけどね。マスコミも取り巻きも、みんなアイドル扱いしてる。努力も十分してるし、この二年間の上達はすごいよ。それで今は俺がライバルだと思えるくらいの実力になっている』


『…でも…それにしては…あまりに評価が低すぎる』



実力は間違いない。


だが、同時に正当に評価されていないとも言われている、それが『パティシエ西野』


西野はケーキ作りに真摯だ。見ていて分かる。


彼女は自分のケーキで誰かを幸せにしようと、そう思ってケーキを作っている。


上辺だけのそれではない。


だからケーキを作る西野は綺麗だ。


別に西野だって見返りが欲しくてケーキを作っているのではないだろう。


だけど自分の腕がものを言う仕事でそれに対する評価は付きまとう。


いくら西野だって聖人君子じゃない。


評価が正当で無ければ多少なりとも不満を感じたり…とにかくいい気分では無いだろう。


西野は自分のケーキに人々の笑顔を求めた。


だけど人々は西野のその容姿に目をやった。


もちろんケーキに感動した人もいるだろうけど…それでも足りないくらいに…


だから―――――なのか?

































西野の記憶を取り戻すため、いや、もっと言えば西野を幸せにするために…俺ができること…


記憶喪失にこれといった治療法は見当たらなかった。


そんな中、ただ一つ思い浮かんだもの、それが『青の海』だった。


見た人を幸せにするという伝説の海。


ただ、目撃者もいなくて、それが実在するものなのか定かでは無い。




―――――そんな伝説に縋ろうとするのか…?




そんないやに大人びた考えが時折頭をよぎり、すぐに行動には移せなかった。









それに『青の海』に関して、聞いたことがあった。


…豊三さんがかつて『青の海』を撮ろうとしたことがあるという話だ。


これはみのりさんから聞いた話なのだけど、今まではさほど気にしなかった。


ただ、今になって急に気になり始めている。




…あの豊三さんでも撮れなかった…


そんなものを…俺が撮れるのか…




























――――まもなく泉坂、泉坂です。お降りの方はお忘れ物の無いようにお気を付けください。


車内にアナウンスが流れる。


俺は整理のつかない頭のまま腰を浮かせた。


西野は眠たそうに目を擦って寝ぼけ眼のまま網棚の荷物を降ろし始める。


電車が停まり、俺は西野に呼び掛ける。


「じゃあ…行こうか、西野」


「うん」


それでも何かを探しにここに帰って来たような気がする。


今俺の目の前にいる”過去の西野”を訪ねて、今、泉坂に…


[No.1308] 2006/08/13(Sun) 17:11:32
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〜君に贈る〜第十三話 (No.1308への返信 / 29階層) - つね

泉坂に着いた次の日の夜、俺と西野は泉坂市内のスタジアムを訪れていた。


まだ試合前だというのにスタジアムの外を包む熱気。両チームのサポーターのざわめきと盛り上がり。


俺と西野はその迫力にただ圧倒されていた。


「…すごいね。もしかしてさつきちゃんもあの中にいるのかな?」


「うん。…確かこの辺りで待ってるって言ってたんだけど…」


そう答え、辺りを見回してみると聞いた瞬間それと分かる明るい声と一緒にさつきが手を振る姿を見つけた。




「あっ!真中ー、西野さーん!こっちこっち」















〜君に贈る〜第十三話『大草とさつき』





















「ごめんごめん、今日ここで試合がある所為か車が思ったより混んでて…。やっぱり慣れないことはするもんじゃないわね」


苦笑いでそう話すさつき。その様子から、いつもは応援に来るのに車は使っていないようだ。


それにしても…


どことなく周りの雰囲気を明るくしてしまうオーラがさつきにはある。


やはり彼女にはその天性の素質があるのだな、と感心する。


「さ、もたもたしてたら試合始まっちゃうよ。そろそろいこっか」


俺も中学まではサッカーをしていた身。アマチュアの試合なら何度か見に来たことはある。


しかし、サッカー観戦、しかもプロの試合となってはさつきとは経験が全く違う。


そういった点でこうしてさつきが俺たちを引っ張ってくれることはありがたかった。



























スタジアムの中に入ると、外で見た、まばらなサポーターの熱気とは比べものにならないくらいの雰囲気が俺たちを迎えた。


ゲートをくぐり、スタンドの一部に立ったその瞬間、何かに背中を押されるような、そんな感覚。


それは胸を高ぶらせ、体の震えさえ起こさせるものだった。


普段は周りの道を走る車たちの音くらいしかないこの空間は、この試合によって姿を変えていた。


自然と身体がうずいていた。
































「こら、淳平くーん、置いてっちゃうよー」


気がつけばさつきたちとは随分距離が離れてしまっていた。


さつきのすぐ後ろをついていく西野に名前を呼ばれ、慌てて彼女たちの方へ向かう。










「真中と西野さんの席はそこね。まぁ、あたしも真中の隣だけど」


何度もこの競技場に来ている所為か至ってスムーズに目的の席を探し当てるさつき。


俺と西野はその素早い行動に半ば驚きながら腰を降ろした。










三人がそれぞれ席に着くと、ざわめきと熱気に包まれていたスタンドがよりいっそう活気づいた。両チームの選手が入場し始めたのだ。


選手一人一人の名前が電光掲示板に映し出される映像とともにコールされ、その度にスタンドが盛り上がる。


そんな中で、一際大きな歓声を浴び、大草はピッチに姿を現した。


ゆったりと伸びやかに走りながら、大草は浴びせられた声援に手を挙げて応える。


その人気は高校時代の大草の姿から想像に難くないものだったのかもしれない。


ただ、俺はその姿に今までの大草とは違う何かを見た気がした。


確かに大草は高校時代から多くの女子生徒の人気の的であったのだからプロになった今、チーム有数の人気選手であってもおかしくはない。


でも今大草に浴びせられているこの歓声は嫌味が微塵も無く、老若男女みんなに愛されているような、そんな声たちだった。


何がそうさせたのかは分からない。だけどピッチ場の大草が輝いて見えたのは俺だけじゃなかったと思う。西野だってきっと…





























試合が始まるとそこでの大草の姿はさらに俺を驚かせた。


前半、エースストライカーである大草は相手チームの執拗なマークにあい、思うようにプレーをさせてもらえない。


俺の目に映ったのは、派手にゴールを決め、涼しい顔で汗を拭う俺の中での大草像とは程遠いものだった。


相手の徹底的なマークに苦しみながらも泥臭く、貪欲にゴールを狙っていく。


その度に弾き返されても、弾き返されても、尚諦めずに前を向き突破を試みる。


こんな大草の姿を見たことはなかった。


中学時代は同じサッカー部のチームメイトとしてほぼ毎日、高校時代は一度だけ泉坂高校であった試合を見たことがあった。


しかしいずれの時も俺が見たのは、根性や執念という言葉とは無縁の、クールでどこか気取ったプレースタイルの大草だった。


それが今は…こんなにもなりふり構わずがむしゃらにプレーをしている。


高校の時までの大草とは違う。だけど間違いなく以前の大草よりも、かっこよかった。






























試合は前半を両チーム無得点のまま折り返す。


相手のラフプレーにも文句を一つも付けない大草のフェアな姿勢が印象的だった。


選手たちがロッカールームに引き上げていくとき、俺は試合が始まってから一言も喋ってないことに気がついた。


隣を見てみればそれは西野も同じで、目が合った俺たちはお互いはにかんだ。



…見に来てよかったね…



そんな気持ちだっただろうか。


さつきが少し得意げな顔でいた。






















「ちょっとトイレに行ってくるね」


ようやく口を開いた西野はゆっくり立ち上がりゲートの方に歩いていく。


俺はその後ろ姿に思い出さずにはいられなかった。


この一週間の西野のこと。


西野は一体、今、どんな気持ちでいるのだろうか。









「ねぇ、真中」


西野の背中をぼうっと見つめていた俺の耳にさつきの声が届く。


「えっ、何?」


振り返るとさつきは少し顔を近づけ俺の耳元で囁くように言った。


「西野さん、記憶喪失ってホント?」


一瞬固まった。


必ず聞かれることだと分かっていたことなのに答えに戸惑う。


本当はあまり考えないようにしたかった。それが解決からは遠ざかる道だとも、きっとうすうす気付いていながら…


「…うん…」


俺は静かに答えた。


「…そっか…」


「…でも、あたしが大草くんと付き合ってることとか…不思議に思うだろうに聞いてこなかったね」


「それはたぶん…分かってるから、聞かないんだと思う。さつきが付き合ってることも……自分が記憶喪失だってことも…」


「…そっか。西野さんには言ったの?記憶喪失のこと」


「…言った…というか気付いてた。周りの反応を見れば一目瞭然だったし…」


あの時のこと…病室から飛び出す渚ちゃんの姿が脳裏によぎった。


さつきはふっと軽く息をついて、俺も一旦顔を上げた。


「何か効果的な治療方とか無いのかなぁ…」


この場の空気を少しでも軽くしようとだろう、さつきは先ほどより明るい声で話す。


「さぁ、ただ…」


「ただ…?」


俺は次の言葉をひと呼吸置いてから言った。


「…ただ、希望はあるかもしれない」


「…希望…?」


「まあ…希望っていっても無いに等しいようなものだけど…」




俺はゆっくりと話し始めた。




「蛍崎…俺と西野が住んでる町に伝説があるんだ。見た人を幸せにする海があるって。それを西野に見せることができれば……」


「バカだよな…あるかもわからない伝説に縋ろうなんて。それに、あったとしても俺には無理かもしれない」


「何で?」


今までとは明らかに違うさつきの口調に思わず顔を上げて彼女の顔を見た。


「何でそんなこと言うの?平気で言えるの?」


「何でって…」


どうしてさつきがこんなにもつっかかってくるのか分からなかった。


それでも追い打ちをかけるようにさつきは言う。


「何で…?何でそんな簡単に諦めれるの?西野さんのために何かしたいんじゃないの?それとももうどうでもいいの?」


「どうでもいい訳なんか…」


そう言う間もなく。さつきは続ける。


「真中は変わった。少なくとも、あたしの知ってる真中は…あたしの好きだった真中は…そんな、夢や希望を簡単に無理だって決め付けるようなヤツじゃなかった」


圧倒されて言葉が出てこなかった。







「……ごめん……」







俺の目を見て強い口調で言い切ると、続いてさつきは俯いてぽつりと呟いた。









何も言えなかった。







…そうかもしれない…忘れていたかもしれない…





あの頃の俺にあって、今の俺に無いもの。





成長の置き去りにされてしまったもの。



俺は…それを取り戻すために泉坂(ここ)へ来たのかもしれない。













「謝ることなんか…無い。たぶん謝るのは俺の方だし…」


そして会話が途切れたところで西野が帰ってきた。どうやら三人分の飲み物を買ってくれていたらしい。


「おまたせ。まだ後半始まってないよね?」


「大丈夫、まだだよ」


どんな会話がされていたのかを悟られないように必死に笑顔を繕いそう答えると、西野は笑顔で答え返した。


西野は…勘がいいから、気付いてるのかもしれない。


笑顔を作ることしか、そうすることしかできないと分かっていながら、それがなんだか西野をだましているようで辛かった。


「よかった。あ、あとこれ。飲み物買ってきてたんだ。喉渇いてるでしょ」


そう言って俺とさつきに500mlのペットボトルを手渡す。


今はその気遣いに胸が痛いほどだった。




…自分が一番苦しいはずなのに…なのに俺は…




先程のさつきの言葉が頭を廻る。



夢や希望を、無理だって諦めて…



西野のこの笑顔に、何度救われただろう。



だから今度は俺が、俺が西野のために…
































両チームの選手たちがぞくぞくとピッチに姿を現し始める。


選手が各ポジションにつき、後半開始の笛が鳴ったとき、さつきがさっきとは全く違う口調でぽつりと呟いた。


「あたし、大草くんでよかった。やっぱり西野さんと真中はお似合いだよ」


本心とも思えない、意図もあやふやな言葉。


ただ、その言葉が場の空気を和らげたことは間違いなかった。











後半開始直後、大草は前半から続く徹底マークを苦しみながらもついに突破し、先制点をたたき出す。


そうなるともう手が付けられなかった。


続く後半20分、さらにロスタイムに一点。


時間が経つにつれ、一人、また一人と大草についていける選手が少なくなっていく。


終わってみれば大草はチームの三得点全てをたたき出す大活躍で今日の勝利の立役者となった。
































試合後、さつきは満足したようにも得意げにも見える充実した笑顔を見せた。


その時ようやく実感した。


さつきは今、本当に大草と付き合えて良かったと思ってるのだと。


そこでまた自分が自惚れていたことに気付く。


大草がその気持ちに応えられる男になったということは今日の試合での姿を見れば一目瞭然だった。


『大草君でよかった』


あの言葉はさつきの本心だ。


ただ俺が勘違いしてただけ。いつまでも同じだと…


今日の俺はさつきの目にどう映っただろう。


ひどく情けなく見えたと思う。


きっと”今”の時点では俺より大草の方が夢に向かって真っ直ぐだった。







でも…明日からは、明日からはそうはいかない。



久しぶりに素直になれた気がする。



やっぱり俺はバカのままでいいと思った。



夏が終わろうとしている。



でも俺はまだ今スタートラインに立ったばかり。



ここからまた始まるんだ。









…いや、ここから俺が”始める”んだ。








まだ熱気の収まることのないスタジアムのカクテル光線を背に受ける。



二人並んでスタジアムを後にするとき、俺の中で、確かな意志が固まりつつあった。


[No.1326] 2006/10/13(Fri) 00:31:16
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〜君に贈る〜第十四話 (No.1326への返信 / 30階層) - SSスレからの転載・たゆ代行書き込み

静寂の中にコツコツと音を立てながら階段を昇る。


もうすでに日が変わろうとしていた。


先程から空高い月が雲に隠れたり
そこから覗いたりを繰り返している。


四階分の階段を上り切ると俺は立ち止まり、
少し重みのある扉に手をかけた。


蛍崎の時子さんの家の引き戸とはまた違う
その感覚に懐かしさを覚える。


俺はゆっくりとドアを開けた。










〜君に贈る〜第十四話『南戸唯』










静かにドアを引くと部屋の光が外へ漏れ出た。


どうやらまだ母さんは起きているようだ。


「ただいま」


そう言ってから玄関で靴を脱ぎ始めると廊下の向こう側から
ドタドタと騒がしい音が聞こえてきた。



…起きているのは母さんだけではなかったらしい…



「おかえり〜!」


底抜けに明るい声が響き渡る。


俺の前で両手を広げる姿に思わず表情が緩んだ。


「…ただいま…。で、今日はどうしたんだ?」


「淳平が帰ってくるって聞いて来たんだけど…何か不満でもある?」


「いや、別に無いよ。わざわざありがとな」


「へー、それにしても淳平、今日はやけに素直だね。
なんかいいことでもあったの?」


ニヤニヤしながら俺の顔を覗き込む唯。


何だかからかわれているみたいでしゃくに触って
すれ違いざまにおでこをコツンと軽くノックしてやる。


「も、もう〜、なによお〜」


ぷうっと頬を膨らませた顔がかわいらしい。




俺は唯の先を歩きながら彼女に話し掛ける。


「母さんは?」


「おばさんならまだ起きてるよ。居間でテレビ見てる」


と、その時、聞き慣れた笑い声が耳に飛び込んできた。


「…言われなくても今分かったよ」


俺は呆れながら居間の戸を引く。


戸を開けきると、その音に振り向いた母さんと目が合った。


「あら、淳平おかえり」


「一人息子の久々の帰宅にそれだけかよ…」


「だって前もって聞いてたから」


「いや…そうじゃなくって…」


「何?もっと派手に迎えてほしかったかしら?
玄関で待ち構えて抱き着いたりすればよかったかもね。ふふ…」


「…『ふふ』…って…」


もう言い返す気力も失せた。


何だかこの人は無敵な気がする。




































「ところで明日にはもう出るの?」


机を三人で囲む形になり、母さんが尋ねる。


「うん、これ以上仕事休む訳にもいかないし、
特別に休みをもらって来てるわけだから」


「ふーん。もう淳平も社会人なのね」


ここで横から唯がとぼけた顔で
「淳平って映画撮らないときは何もしてないんじゃなかったの?」と口を挟む。


「映画館で働いてるから上映のための準備とかしなきゃならないんだよ」
と答えてやった後も「ほぇー、そうなんだ」と興味なさそうな声で相槌を打った。


こいつはまったく変わってないな、と思ったが
相変わらずの反応に少し心が和んだ気がした。











「それで、つかさちゃんは…?」


ひと呼吸置いて母さんが尋ねた。


そして俺は今の西野のことを母さんたちに一通り話した。


こっちに来てから誰かに会うたびに同じ話を繰り返している。


口を開く瞬間、事情を話すことに慣れた自分が少し嫌になった。












「そうなの…。つかさちゃん辛いでしょうね」


俺の話を聞き終えた母さんが手に持った
コップの中を見ながら言った。


「うん。本人もそんなそぶりを見せないようにしてるけど
かなり気にしてると思うんだ。…西野は責任感が強いから」


「そうなの…つかさちゃんしっかりしてるものねぇ。
それにしても…早く戻るといいわね」


「うん…」


気持ちは落ち着いていた。


もう一時期のような悲観的な感情は押し寄せてこなかった。


「…それじゃあそろそろ風呂入ってから寝るよ。
明日は昼過ぎくらいに出るから」


俺はゆっくり立ち上がって自分の部屋に向かった。


「淳平」


呼び止めた声に振り返る。


「頑張ってね」


「あぁ、わかってる」


後押しするような母さんの表情に俺は頷いた。

3 名前:つね[] 投稿日:2006/11/27(月) 01:59:10 ID:/GfPPyUM
自分の部屋に入ると意外にに片付いていることに気付いた。


しばらく使っていないはずの勉強机を
軽く指で撫でてみても埃一つ付かない。


窓は軽く空けられ、カーテンも新しいものに差し替えられていた。


どうしたものかと不思議に思っていると
後ろでパタンと戸が閉まる音がした。


振り返ると唯が得意げな顔で立っていた。


「ビックリした?
今日淳平が帰ってくるって聞いて唯が掃除しといたんだ」





…ありがたかった…





すぐにその感情が湧いてきたけれどいつの間にか唯に対して
素直になりきれなくなっている自分に気付く。


『ありがとう』


その言葉が喉の奥でつっかえて、すぐには出てこなかった。


俺が戸惑っているうちに唯は続ける。


「お風呂入るんだったら着替えはあそこの引き出しの中だよ」


言われたままにTシャツとジャージを引き出しの中から取り出す。


これもしっかりと洗濯されていた。


そして部屋から出ようとした時、ようやく思いが口からこぼれる。


「なあ唯…」


背中の方で「ん?」と小さく答えた声がした。




「…ありがとな…」




「どういたしまして。お風呂、ゆっくり入ってきなよ」


振り向くと笑顔でそう言う唯がいた。
風呂から上がり部屋に入ると唯はまだ部屋の中にいて
俺のベッドの上にちょこんと座っていた。


俺は濡れた髪を拭きながら唯に話し掛ける。


「もう風呂には入ったのか?」


うん、と唯は頷いた。


「そっか」


それだけ言って俺は腰を降ろす。


何故だか唯が何か言い出したくて言えないような表情でいた。


今、口を開いてしまうとその言葉を奪ってしまうような、
そんな気がして俺は唯の方に注意を向けながらも
何も言わずに唯の言葉を待った。


しばらくたってようやく唯が口を開いた。


「淳平…」


その口調に自ずと緊張が高まる。


俺は息を呑んだ。


「…何だよ…」











「…一緒に寝よ」













「…へ…?」


驚きと同時に気が抜けた。


まったくこいつは、何を言い出すのかと思えば
『一緒に寝よう』なんて。


「一緒に寝よって…お前何言ってるのか分かってんのか?」


「ほぇ、何って?だから一緒に寝よって」


「一緒にって…」


「小さい頃は一緒に寝たこともあるじゃん。
あ、それとあたしが高校一年の夏も」


「いや、そういうことじゃなくて……」


「いいからいいから。ね、お願い」


微笑みながらその笑顔の前で両手を合わせる唯の姿に
俺は願いを聞かざるを得なかった。




































「なぁ唯」


「ん?」


「やっぱりさすがにこれはやばいんじゃないかな…?」


そして今、俺は唯と一つの布団の中にいる。


ベッドに寝転がり布団をかぶった時から
唯は俺の背中にくっつきっぱなしだった。


「大丈夫だよ。どうせあたしたち兄妹みたいなもんじゃん」


そんな状況の中、唯は落ち着いた声で言う。


今にも寝そうな唯がささやく度に背中に振動が伝わり、
迂闊にもドキッとしてしまう。


それでももう諦めるほかなく、俺はようやく覚悟を決めた。


「…何が起きても知らねえからな」


「…変なことしたら西野先輩に言いつけてやる…」


寝息を立てる間際に唯が発したその言葉に何故か安心し、
俺も目を閉じた。
とは言え、やはりすぐには寝付けなかった。


目を開け、窓に目をやれば月の光りが差し込んでいる。



…眠れないのはこの光りの明るさの所為か?…



今の状況から目を逸らすためにそう考えてみたが
そんなはずは無かった。


眠れないのはほかでもない背中に微かに触れる
この人肌の感触なのだ。


いくら幼馴染みとは言え、今では唯も大学生だ。


心臓の鼓動が高鳴らないほうがおかしかった。


しかもその所為でこうやってベッドに入ったとき
からまったく身動きがとれていない。


頭の下に敷いた右腕はもう痺れてしまい
感覚が鈍くなっていた。


このままじゃ埒が開かない、
そう思い体勢を変えようと身体を少し動かす。



その時だった。




「…じゅんぺー」


か細い声が俺の耳に届いた。


思わず振り返ると先程までぐっすりと眠っていたはずの
唯が目を開けていた。


唯は視線を俺から逸らしたまま呟いた。


「西野さん…大丈夫だよね…?」


不安そうなその声に息が詰まりそうになる。


それでも、ここで俺が弱みを見せる訳にはいかなかった。


それは唯をより不安にさせることにしか
ならないのだから。


「…大丈夫さ。俺が何とかして見せるから」


「そっか……そうだよね。淳平がいれば…大丈夫だよね…」


「うん、だから心配するな。
きっと…いや必ず俺が治して見せるから」


「…ん…わかった。約束ね、淳平」


「ああ、約束だ」




それからしばらくして唯は深い寝息をたて始めた。


俺もその呼吸のリズムに安心して目を閉じる。





唯はいつもそうだ。


本当は心の奥に弱い部分を抱えている。


でも普段はそんな素振りを全く見せない。


それは周りの人を気遣う唯なりの努力だった。


周りの人が心配しないように、不安にならないように、


そうやって時には無理をして強がってまで
笑顔でいようとする。


それが南戸唯だった。









今日、唯のお願いを聞いてあげてよかった。


同時に心配させてたんだな、とも思う。










朝目が覚めると、俺の背中に張り付いたままの唯は
ちゃんと服を着たままで安心した。


荷物をまとめ、とりあえず出発の準備をしておく。


まだもうひとつ、行かなければならないところがあった。


昼食を済ませた後、俺は玄関の戸を開けた。


「それじゃ行ってくるよ。また夕方には戻ってくるから」


「うん、それじゃあね。いってらっしゃい」


そう言って見送る唯に笑顔が戻っていた。








このSSはSS投稿スレッドに投稿されたものです。あくまで保守をかねた仮処置です。事後報告となりますしそのような趣旨ですので作者様の意向に全て沿います。管理人のほうに連絡くださいませ。
手直しされたい場合はパスをお渡しいたします。以後良しなによろしくお願いいたします。
<del>※管理人は十四話がどこに投稿されたか失念しております。知っておられる方は教えてもらえないでしょうか・・・お願いいたします。</del>
つねさんよりブログのコメント欄に訂正有り。この話を第十四話に訂正させていただきます。


[No.1340] 2007/03/27(Tue) 11:56:32
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〜君に贈る〜第十五話 (No.1340への返信 / 31階層) - つね

昼下がりの町並み。


残暑が残る日差しの中、俺は目的地へと足を進めた。


そこは高校からさほど遠くない場所にあった。


…何度か来たことのある家だけど…相変わらずすごいな…


目の前の豪華な建物に右手で強い日差しを遮りながら見上げる。


インターホンを鳴らすと間もなく一人の女性が静かにドアを開けた。





「真中くん、待ってたよ」













〜君に贈る〜第十五話『東城と僕』
















東城について家の中の広い廊下を歩く。


俺は数えるほどの回数しか足を踏み入れたことのないこの家の部屋の作りを確認するように辺りを見回していた。


これだけの豪華な家だとどうしても身構えてしまう。


西野の家も綺麗で立派なものだがそういう次元の問題では無かった。


そんなことを考えているうちに東城の足は止まっていた。


彼女の背中にぶつかりそうになって、慌ててブレーキをかける。


東城は部屋の前で軽く微笑み俺を促した。


「さ、入って」


「あぁ、ありがと」


俺はゆっくりと部屋に足を踏み入れた。


「ちょっと待っててね。紅茶でも入れてくるから」


俺がテーブルを挟んで向かい合ったソファの片方に腰を降ろすと東城はそう言って部屋を出ていった。
















そこは一度だけ来たことのある場所だった。


いつかの正月に東城の従姉妹の遥さんと会った部屋。


そういえばあの時は天地も一緒だった。


客間らしいこの部屋の景色は変わっていない。


あの頃は…


























「お待たせ」


回想を止めたのは東城の声だった。


二人分の紅茶と小さめのケーキを乗せたプレートをテーブルの上に降ろし、カップと皿を並べていく。


それがすべて終わると東城はプレートをテーブルの隅にやって微笑んだ。


「はい、どうぞ」


「あ…、ありがと」


俺がお礼を告げると彼女はもう一度はにかむような笑顔を見せて腰を降ろした。


まだほてりの残る体に冷えた紅茶を一口流し込む。


冷たい感触が喉を通り抜け、暑さを和らげる。


お互いにふっと息をついてから、どちらからとも無く会話が始まった。


向こうでの生活のこと、そして東城からも泉坂でのことを、話題がそんなにたいしたことでなくても会話は自然で途切れることは無かった。


それでも蛍崎についての話となるとどうしても避けては通れない話題もあるわけで…


「西野さんは元気にしてる?」


とはいえ…実はこれが本題なのだけれど…





東城には言っておきたかった。


相談というわけではなく、今、俺の中にある気持ちを東城に分かっていてほしかった。


そうすることで、多分俺はためらう事無く前に進める…


「元気は元気だよ。…だけどただ…もしかしたら聞いてるかもしれないけど…」


「うん…外村くんから聞いた。ごめん、悪いこと聞いちゃったね…そういうつもりじゃなかったんだけど…」


余計な気を遣わせてしまったかと思い、俺は慌てて付け足す。


「あ、いや…、いいんだ。ちゃんと話しときたかったし」


俺の声に一旦動いていた空気が止まり、そしてまた動き出す。


俺はゆっくりと続けた。


まず西野の病状を告げ、そうなるまでの経緯も予測を含めて話した。


そして最後に蛍崎に残る伝説について話す。


そう、『青の海』だ。


最近、いつも西野の話の後にはこの話がついてくるのが不思議でもある。


事実かも分からない、しかもそれを見て、そして撮るとなってはその可能性は余りに低い。


それでも幻想を追いかけ、それに頼りきるのということでは決して無く、何故だか自信のような、それでいて自信とはまた違うような、不思議な感情があった。


「…それで、俺、撮ることに決めたんだ。青の海を。確かに伝説って言われてるけどやってみなきゃ分からないだろ。何もしなきゃマシだし…
西野に…見せてやりたいんだ…できれば直接見せたいけど…そうもいかないかもしれないから」


『何もしなきゃマシ』という本心とは少しずれた、自分をかばう為の保険のような言葉に自分で言っておきながら後味の悪さを感じる。


まだ、心のどこかで世間体を気にしていた。





それでも東城は何も言わず、真剣に話を聞いてくれた。


そして、少し間をおいてから笑顔でこう言った。


「頑張ってね」


ありふれたその言葉には東城が言った所為か、温かみがあった。そして俺はその一言に救われていた。




























それから一時間近くも東城と話した。


どれもこれからのことを前向きに捉えた明るい会話ばかりだった。


これでいいんだと思った。


慎重過ぎた心が和らいでいた。





東城の家を後にするとき、門の前で見送る東城が言った。


「ねぇ、真中くん、覚えてる?中学三年生の時、真中くんがあたしに屋上で言ったこと」


俺が考えているうちに東城はまるで言うのを我慢できないかのように続ける。


「ほら、あたしの小説読んで、『映画の中に不可能は無い』って」


まるで子どものように目を輝かせて彼女はそう言った。


「だからきっとできるよ。あたしはそう信じてる」









そうだ…俺はこんな東城に惹かれ、そして助けられてきたんだ。








そして彼女は少し照れたようにはにかみながら付け加えた。


「…もちろん直接見せることができれば、それが理想だろうけど…」


…東城は、大事なとき、勇気が欲しいときに一歩踏み出させてくれる。


俺は東城の言葉をしっかりと噛み締めて頷いた。


「…ありがとう」


そして振り返り、歩き出そうとしたとき、頭の片隅にあったものが足を止めた。







…そういえば…






俺はもう一度東城の方を向き、尋ねた。


「そういえば東城、小説まだ書いてるの?」


さっきの東城の言葉に呼び覚まされた疑問だった。


校舎の屋上で小説と映画を語り合った思い出。


そして蛍崎に行ったばかりの時、みのりさんから聞いたこと。


…『デビュー作以来、ぱたりと出版が止まっちゃって…』


ずっと気になり続けていることだった。


「うん…、実は大学に入ってあんまりいいアイディアが浮かばなくて、大学での勉強もそれなりに忙しかったから…書くのやめてたんだ」


…やっぱり…


「だけど大丈夫。真中くんと話して元気もらったしなんかいいストーリー思いついちゃった。だから近いうちに書こうと思うの、小説」


そう言った東城の顔は希望に満ちていた。


そう…それはまるで彼女の小説が俺を魅了したあの時のように…


「…そっか。よかった。楽しみにしてるよ」


またひとつ、俺は勇気をもらって進んでく。


運命が俺を呼んでいるような気がする。


と、そこまで考えて訂正した。


違う、運命が呼んでいるのでも、運命に引き寄せられるのでもない。


そう…未来を、自分で切り開いていくんだ。


俺は自分の右手を見つめた。


…この手が、俺の未来を、そして『俺たち』の未来を担っているんだ…


そしてその手を強く握り締める。何かを掴み取るように。そして二度と離さないように。


俺はいつの間にか走り出していた。


加速した風が頬を撫でていく。


東城の家の前の“一本道”


もうだいぶ家からは離れたけど、東城の温かな笑顔がずっと背中を押してくれているような気がした。


[No.1354] 2007/07/09(Mon) 23:48:15
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〜君に贈る〜第十六話のまえに (No.1354への返信 / 32階層) - つね

あまりに久しぶりなのでご挨拶を。

ご迷惑をお掛けしました。他の方の投稿作品にも感想を書けなくて申し訳ないです。

久々の更新です。ずいぶんとまた間隔が空いてしまいました。

良ければ読んでやってください。

拙い文章ですが、自分なりに何かをこの作品につめこんでいければなぁ…と、そんな風に思っています。

君に贈る〜十六話です。


[No.1397] 2007/11/18(Sun) 03:50:45
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〜君に贈る〜第十六話 (No.1397への返信 / 33階層) - つね

〜君に贈る〜第十六話「記憶の欠片。そして灯台の街へと」







「それじゃあ行ってきます」


これは何度目の行ってきますだろうか。


「行ってきます」、このありふれた言葉が特別な意味を持つことはその使用回数と比べてあまりに少ない。


「行ってらっしゃい」


母さんと唯の笑顔に見送られて、俺はまた泉坂を出る。


この数日間、ここで掴んだ手掛かりといえば無いに等しい。


ただ決心はついた。たくさんの勇気をもらった。


迷いは無くなっていた。


西野と一緒に未来を掴む。


おおげさに思えるかもしれないけど、それは紛れも無い俺の本心だった。


そしてそのスタートラインが、蛍崎にある。


そう…青の海…


…伝説が、近づいていた…




















西野を迎えに行くとちょうど外出しているということで、「家にあがって待ってたら?」という西野のお母さんの言葉に甘え、俺は西野の部屋で帰りを待つこととなった。


俺は少し不思議に思っていた。


俺が知るかぎり、西野は約束の時間に遅れたことはなかった。


今日の約束も決して急なものでは無い。


前日にもおおよその出発の時間を電話で確認していた。


待たされる、というなれないシチュエーションに少し戸惑いを感じてもいたが、紅茶を運んできた西野のお母さんによって少し気持ちが落ち着いた。


「今日、また出発するのね…」


「あ、はい…」


俺がそう答えると西野のお母さんは「そう」と一言呟いた。


紅茶の入ったカップを丁寧に俺の前に置く西野のお母さんは微笑んでいるような、寂しそうな、どちらともつかない、微妙な表情をしている。


その表情の裏にはきっとたくさんの思いが今まさに巡っているのだろう。


それは果たして西野の現状のことだろうか、それとも西野の…もしくは俺と西野の将来のことなのだろうか…


きっとどちらもハズレではないだろうと思った。


その二つが切っても切り離せないものだということは、十分に分かっていたから。


カップにスプーン、砂糖にお茶菓子。


そのすべてを置き終えると西野のお母さんは西野によく似た表情の後、こう言った。


「淳平くん、つかさを…よろしくね」


この言葉も何度も聞いた気がする。


そして西野の肉親からのそれは今までとは少し違った重みを感じさせた。




























西野は約束の時間より一時間も遅れて帰って来た。


ドアが開いて、西野のお母さんが出迎える。


その瞬間一旦足音が止まり、そして途端に駆け出す音が聞こえ始める。


そう、まるで俺との約束のことをたった今思い出したかのように…


そんなに経たないうちに西野は騒がしく部屋のドアを開けた。


熱い呼吸は荒く、それに合わせて肩が上下している。


それだけで家までそれなりの距離を走って来たことが分かる。


西野はビックリしたような顔で俺を見て、それから申し訳なさそうに下を向いた。


「あ…、その…、ごめん…」


…少し、嫌な予感がしていた…


そして音の無い二人の空間に西野の弾む息だけが繰り返す。


「えっと!」


しばらくしてから西野が勢いよく切り出した。


「…その…忘れてたわけじゃなくて…、その…だから………」


どんどん弱くなる声でそう言いながら西野は上げた視線をまた落とした。


今にも泣きそうな声にようやくはっとして、俺は西野に歩み寄り俯いた頭に手を乗せた。


上がった体温が直接手に伝わり、ほのかな汗を手に感じる。


「いいよ。無事でよかった。ただ、心配だったんだ」


「ごめん…、ごめんね」


俺は力の抜けていく西野の身体を優しく抱きしめた。


そして一時のあの沈黙が西野を不安にさせてしまったことを後悔していた。


でも怒ってたわけじゃなくて


呆れてたわけでもなくて


見捨てたわけでもなくて


でも、それでも、この時、西野はいつもと違っていて…


そのことが俺の言葉を奪ってしまったことは間違いなかった。



















「ありがと。もういいよ。大丈夫」


そんな西野の呟きに俺は身体を離した。


まだ涙の跡の残る西野の表情を見ると少し心配にもなるのだけれど…


「それで…何かあったの?」


そう尋ねると西野はまたはっとして、焦るように話し始めた。


「そう!思い出したの!あたし…、あたしケーキ作ってた」


「今まで、向こうでも、泉坂に帰ってからも、たくさんの人達にケーキのこと言われても全然ピンと来なかった。でも、思い出したの!あたし、確かにケーキを作ってた」


それを聞いた瞬間、自ずと笑顔が浮かび、心からの言葉が口をついて出た。


「西野、思い出したんだ!よかった…」


「あ…、う、うん」


歯切れの悪い西野の返事が少し気にかかった。


考えるより先に飛び出した俺の言葉が気に障ったかと少し不安になった。


「どうかした?」


「…ううん、何でもないよ」


後ろ手を組んで腰を折るようにして見せたその笑顔。


俺は安心して微笑んだ。

























カタンカタン…と軽快な音を立てながら心地よい揺れとともに電車は走る。


目の前では泉坂へと帰ったあの日と同じように西野が眠っている。


俺を『眠らせない』西野はまだ帰ってきていなかった。


きっと様々な気疲れがあるんだろう。







西野はまだ完全に記憶を取り戻していなかった。


『蛍崎』のことはどうだろうか。


窓の外に目を向ければ見える輝く灯台を眺めながら少し心配に思う。





















そろそろ駅に着く。


もう辺りは真っ暗だった。


俺は気持ち良さそうに眠る西野の肩を揺する。


すると彼女は目を擦りながら寝起きによくある、声にならない声を出した。


「…んん、あれ?もう着いたの?」


「うん、降りよう。はい、荷物」


「ありがと。あたしずっと寝ちゃってたんだね。ごめんね。退屈じゃなかった?」


「いや、いいよ。いろいろあって疲れてるだろ?」


何気ないいつもの会話。


記憶を無くしても西野は西野だった。


こっちへ戻ってくると最初から決めていたため、少ない荷物で改札もくぐりやすい。


そのまま駅を出ると一目惚れしたその風景が、街が、また俺達を迎えてくれた。


「あ、ほら、お父さん!あそこ、真中さんと西野さん!」


少しの間その景色に見とれていたが、その声に呼ばれ、振り向くと渚ちゃんと西崎さんがいた。


渚ちゃんは西野さんを急かすように引っ張って俺達の目の前へとやってきて微笑んだ。


「二人ともおかえりなさい」


温かいその言葉は、まるでこの場所にずっと昔から住んでいるような、そんな気にさせてくれた。


西野もそんな風に感じているだろうか、そう思い振り返るとちょうど目が合って互いに微笑んだ。


そして二人で一緒に頭を下げる。


「ただ今帰りました」














それから俺たちは西崎親子と一緒に時子さんの家まで歩いた。


久しぶりの蛍崎。


波の音、涼しげな風、潮の匂いが包み込む。











時子さんはいつものように温かな笑顔で迎えてくれた。


今日は5人分の料理をこしらえて。


何の記念日でもないのに、


俺たちが帰ってくる時に合わせてこうして食事会を開いてくれるこ
とが、本当にありがたかった。


俺は、俺たちは、蛍崎(ここ)にいてもいいんだと安心させてくれた。


心からの、その優しさが嬉しかった。

















決して盛大ではない、でもささやかでも温かな食事の後、俺は久しぶりに西野とこうして布団を並べて床に就いた。


月明かりが照らす静かな部屋でどちらからともなく寄り添い、手を繋いだ。


「ねぇ…」


西野がささやく。


「あたし、ショックとか、そういうので気持ちが沈んじゃってて、泉坂に帰るまではこの街のことなんて、知ろうとする余裕もなかった。
ううん、知ろうとしなかったの。周りのもの、わけが分からなくて全部拒んでた」


「だけど、今日思ったの。いい街だなって。まだ思い出せないし、分からないことばかりだけど…覚えていけばいいよね、
一つずつ、一つずつ…さ」


なんて優しい声で話すんだと思った。


久しぶりに聞いた「その声」は、やっぱり俺を柔らかな気持ちにさせた。


「それでいいさ。一つずつ、一緒に覚えていこう」


「ありがとう。一緒に…頑張ろうね…」


西野はそう言いながら自分の頭をそっと俺の胸に当てた。


「うん。ゆっくりでいいよ。頑張ろう」


俺は目を閉じて微笑みながらそうささやく。






寝間着を通じて伝わる西野の温もりは俺の胸につかえた何かをすうっと溶かしてくれた。








俺は思う。







西野…きみが、俺の隣にいてくれて、本当によかった。


[No.1398] 2007/11/18(Sun) 04:01:06
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〜君に贈る〜SideStory.16〜17 (No.1398への返信 / 34階層) - つね

「『青の海』を撮りたいんです」


目の前の青年は面と向かってこう言った。


その言葉を聞いたのはいつぶりだろう。


豊三はゆっくりと目を閉じ、自分がこの町に来た時のことを思い出していた。


それは懐かしい青春の記憶




〜君に贈る〜SideStory『いつかの蛍崎』



この町には伝説がある。

それはいつから始まったものなのか分からない。

ただ彼がこの町に来たときにはもうすでにそれは存在していた。





彼は限界だった。

うだるような暑さに歩き疲れ、さらに空腹が彼を追い詰めていた。

…もう、限界だ…

そう思いながらも何とか足を進めていく。

そして彼の足は、旅館と思しき大きな建物の前で止まった。

ここなら…とそう思うもののあいにくポケットには小さなコインが一つだけ。







それから何分か、旅館の前で中の様子をうかがっていたのだが、それにも疲れて旅館の向かいにある防波堤に上った。

目の前に広がる景色に足の疲れは一瞬忘れていた。

防波堤の上、少し高いところから見下ろす。

広大な海、そして強弱を繰り返す波の音。

潮の匂いも少し心を安らげてくれた。

遠くの水平線を目でなぞってみたり、目を閉じて潮風を目一杯吸い込んだり、そして彼は思う。

…いい場所だ…










そうしている間も太陽はジリジリと容赦無く照り付け、暑さがまた意識の中に戻ってくる。

このまま日なたにいると干からびてしまいそうだ。

ふらつきそうな体をグッと起こし、また旅館の陰へと足を進める。

その時だった。

旅館から突然着物姿の女性が出てきて、鉢合わせになった。

彼女はさっきまで海を見ていた青年の目の前に来て、仁王立ちをした。

「ちょっと…!さっきからずっとうちの旅館の前をウロウロしてる人がいるって聞いたんですけど。あなた…ですよね?何か用?」

「いや…食べ物を…」

そういった瞬間、目の前の景色が歪み始めた。



…何だこれ…さっきまで何ともなかったのに…




「ちょっと…大丈夫!?ちょっと!」

彼女の声がただ響くだけで、聞こえてるのに、考えれない………












ドサッ



























ザザァ…


穏やかな波の音にぼんやりと意識が覚醒し始め、続いて潮の匂いが鼻をかすめ、ほのかな畳の香りが包み込む。

目を開けると木造の天井がそこにはあった。

「気がついた?突然倒れたりするからビックリしたわ」

ぼんやりと天井を見ていた視線は意識の覚醒とともに声の方を向く。

「あ…」

そこにはさっきまで自分の目の前にいた女性が座っていた。

…『倒れた』って…ああ、それで…


グゥゥゥ…


「…あ」

起きて早々、突然お腹が立てた音に恥ずかしくなる。

「お腹減ってるんでしょう。ほら、食事、ここに用意してるから。どうぞ、召し上がれ」

呆れたようで、それでも優しく微笑みながら彼女は言う。

極限に至るまでの空腹。しかも目の前に用意された料理は旅館の立派な料理。

彼はすぐにそれらを口に運び始めた。



「それにしても倒れるほど…どれだけ歩いて来たの?」

「ああ、……泉坂から」

ほお張ったものをゴクリと飲み込んでから平然と彼は答えた。

「いっ、泉坂!?あなたそれ、どれだけの距離だと…!」

思わず出た大声は予想もしない答えに対する驚きの感情。

呼吸を落ち着けて彼女はそろりと問い掛ける。

「…なんでこんな遠くに…?まさか…」

まさか…

彼女はその先を言いかけて飲み込んだ。

その様子を気にかけることも無く、彼は答えた。

「景色を…探してるんだ」

「…景色?」

その言葉が意味するところを上手く理解できず、彼女は思わず聞き返した。

「ああ、俺、映画撮ってて、それで今…、あ、これは映画に使うかは分からないけど、心から撮りたいと思える、そんな景色を探してるんだ」

「何て言うんだろう…こう…それだけで人が幸せになるような…」

堂々と自分の目的を語る目の前の青年の姿に彼女は息を呑んだ。

先ほどの『まさか』などいつの間にかどこかへいってしまっていた。

「あなた…お名前は?」

気がつけば聞いていた。

「山本豊三。えっと…君…は?」

「私?私は…西崎時子。ねぇ、山本さん…あなたにピッタリの景色がこの町にあるわ」

「えっ?」




























それから数日後、山本豊三はこの町に語り継がれている伝説、『青の海』を知る。

彼は結局、この町に滞在することになった。

目的となる景色がここにある。

それは『青の海』だけを指しているのでは無かった。

表情豊かな自然と人々の温もりがこの町にはあった。

ここなら、

ここでなら…自分の映画を上映したい。

そう思った。


























季節は流れ、二年後の夏。

一つの変化が訪れていた。

夏の日差しは空高く、灯台の丘の潮風は涼しく頬を撫でる。

「またここに来てたの?」

柔らかな足音に振り向けば、もう見慣れたその姿。

「ん?ああ…時子か」

この一年、すっかり互いに馴染んで、呼び名も変わった。

ぶっきらぼうにも聞こえる特徴的な喋り方にもすっかり慣れた。

「いつもここに来て。仕事は?」

「これが、仕事だ」

「…そうしてることが?」

「ああ。この先に待ってるでっかい仕事のための準備。こうやって体いっぱいに自然を感じて、考えてる」

「でっかい仕事って?」

「それは…まだ…それよりお前、また怒られるんじゃねぇのか?」

一度言いかけた言葉を飲み込み、はぐらかすように時子の足元の泥のついた着物の裾を見て豊三は言った。

「ああ、これ?いいのよ。豊さんが汚したってことにするから」

「俺は何もしてねぇよ」

軽い口調に豊三は思わず微笑む。

「それより!何なの?でっかい仕事って。ごまかさないで」

豊三は一瞬ためらうようにして、それから困ったように頭を掻いた。

「あー…どうしたもんか…うーん…、今はまだ…いや、うん…」

葛藤を口にしながらそれでも覚悟を決めたのか唾を飲み込んでから口を開いた。

「まだ…言うべきじゃ無いと思ってたけど…言わずにいても同じだ。

あのな…俺は、この町に映画館を作る。そして俺の作った映画や他の素晴らしい映画を上映するんだ」

「へぇ…素敵」

「この町にはそれだけの価値がある。この町に住む人達に幸せになってほしい、そう心から思える」

そう語る彼の瞳はしっかりと未来(さき)を見据えていた。

時子もその表情を優しく見守る。

しかし、期待と信頼の瞳はやがて寂しい色に変わっていった。

そう、今日はそのことを告げに来たのだ。

豊三と会った日から不思議な感覚があった。

そして旅館に居候している彼と多くの時間をともに過ごしているうちに柔らかな感情が心を包んでいった。

懐かしくも新鮮な、そんな気持ち。

気付けば彼に惹かれている自分がいた。

でも…もう…

そんな想いとは裏腹に、豊三はためらっていた言葉を切り出した。

「映画館をつくったら、俺も地に足が着く。今までのような仕事を転々とする生活も終わり、いよいよこの町の町民になる」

「だから…時子、お前に一緒に…」

「ダメなの」

震えながら言った言葉はもう一つの小さな声に止められた。

「…え?…」

「ダメなの」

聞き返す言葉に今度ははっきりと聞き取れる声で。

「私…もうじき名前が変わるの。西崎から…」

「それって…」

豊三の言葉に時子は黙って俯いたまま小さく頷いた。

「結婚するの、中野さんと…」





何も言えなかった。


その気持ちは悲しさでは無い気がした。


落ち込んでいるのとも違っていた。


だけど素直に喜べる訳もなく、


もちろんすぐに祝福できるわけもなく、


ただ、空っぽで


ただ、何も言えなかった。














中野は、旅館を経営する中野家の長男だった。

若くして経営の中心に位置する、才気に溢れた青年。

かといって決してエリートによくありがちな嫌味な面もなく、町民からの信頼も厚い、誰からも愛される人望のある人物だった。

豊三もここ二年のうちにそれなりに親密になり、また自分の家を持つまで格安で旅館の一室を借りるという無理を聞いてもらっている相手でもある。





中野の名前を聞いた時、正直、諦めとも思える潔い気持ちが胸の中に浮かんだ。

「あの中野なら」時子を取られても仕方がない、そう一瞬思った。

それに俺達二人は付き合っている訳ではないのだから…















「そっか」

しばらく経ってから腰を上げながら口を開いた。

「豊さん…」

「おめでとう、時子。中野となら…うまくやっていけるだろう。本当におめでとう」

歩み寄る時子の肩に手を置き、すれ違いざまに、俯いたまま、そう言った。

それがこれから結婚する時子に対してのせめてもの手向けだった。

先ほど考えた。

諦めはつくと。

仕方がないと。

でも、ならば何だろう。

この胸の底から沸き上がるようなこの気持ちは。

そして瞳に溢れる熱いものは…

















豊三が自分の横を通り抜けた瞬間、何かが胸を貫き、時子はすとんと膝をついた。



違うのに…本当は私だって豊さんのことが…

…なのに私は…他の人と結婚する…



縁談が持ち上がったのはひと月前。

悩みに悩んだ末の答え。

決して裕福とは言えない家庭。母の期待を、裏切れなかった。

決して中野のことが嫌いな訳ではない。

いい人だと思うし私のことを大切に思ってくれる。

だけど私は…





突き抜けるような空を見上げると涙が頬を伝った。

泣いた。

泣いた。

声も出さずに、泣いた。
































それからまた月日は流れる。

豊三のつくる映画は徐々に町の人々の心をとらえ、認められていった。

映画館建設の借金を返しながらの決して裕福とは言えない暮らしだったが、それでも自分の上映する映画に感動してくれる人がいる。

それだけで充分だった。

借金を返し終わる頃に結婚もした。










そんな豊三に衝撃が走ったのは、それは突然のことだった。

ある夏の、土砂降りの雨の日、慌ただしく動く人々の中、遅れながら豊三もそこへ駆けつけた。


この町唯一の旅館のロビーは騒然となっていた。

人がごった返す中、豊三はそこに彼女のいないことを確認すると、すぐに雨の中走り出した。













雨は一向に弱まる気配を見せない。

時折、稲光が近くの空で轟音を立てた。


灯台の丘の上には、ぬかるんだ地面に足跡が、灯台の向こう側へと続いていた。


「…時子…」


予想通りそこにいた目的の人物は、弱々しく、何かにすがるように、灯台の下にうずくまっていた。

ともすれば、すぐにでも壊れてしまいそうなその姿。

うまく声をかけることができなかった。


「何で…なの?昨日までは、何も変わらなかったの。いつものように二人で話してたの。なのに何で…」


涙をこらえることも無く、体を震わせながら時子は嘆いた。

傘も持たないその体は雨に濡れ、衣服は泥だらけになっていた。

何も言えなかった。

今の時子にはどんな言葉も励ましも、口先だけのものになってしまいそうだった。

あの時とは違う…見れば分かる。

今の時子にとっての「最愛」は間違いなく中野だった。

自分にはまだ経験したことの無い、悲しみ…

こうして見守ることしかできない自分が歯がゆかった。




雨がまた強くなっていた。


降りそそぐその音が、すべての音をさえぎった。


気付けば自分もずぶ濡れだった。


雨のおかげで、涙は感じなかった。


雨は止まない。


きっと、時子の涙が止まるまで、それは続くだろう。


雨はまた、強くなっていく。



























『若くして』一人身になった時子は、それ以来、決して人前で悲しみの色を見せなかった。

強い女性(ひと)だと思った。

でも同時に哀しかった。

そんな姿を見ているのが辛かった。

何かしてやりたかった。

これからの人生で、少しでも多くの幸せを感じてほしいと、そう願った。




そして考え抜いた答えがそれだった。



数日後、豊三は時子にこう言った。

「時子、きっといつかお前に見せてやる。『青の海』を」













それ以来、豊三は伝説の『青の海』を追いかけ続けた。

結局、それを時子に見せることができたのか、はっきりとしたことは不明であるが、町の人は「豊さんでも撮れなかった」と言っている。

…ともかく、二人はそれから強く生きた。

時子は旅館の女将として観光地としての蛍崎を支えた。

豊三は映画を上映し続け、町の人々に勇気と希望を与え続けた。







そして今に至る


豊三は映画館の二階の窓から、よく晴れた空の下を駆けて行く青年の後ろ姿を見ていた。


そして独り言のように呟く。


「頑張れよ。淳平」


丘の上の空が、笑った気がした。






SideStory Fin. 第十七話へ…


[No.1428] 2008/01/25(Fri) 01:38:46
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〜君に贈る〜第十七話 (No.1428への返信 / 35階層) - つね

〜君に贈る〜第十七話『風』





残暑の眩しい日差しの中、今ではもう日課となった撮影をしに、今日も俺は灯台を背に座り込んでいた。


ここに上りはじめてから、いろいろなことを試している。


初めて青の海を撮りに来たあの日のように一日中ぼんやりと海を眺めてることもあれば、自分の目には見えなくてもカメラには映っているのかもしれないと思い、何の変化も無い海をずっと撮り続けた日もあった。


いつまで経っても現れない伝説に丘の上で寝転んでしまったことだってあった。


だけどそんなときはいつだって頭に浮かぶ表情が勇気付けてくれた。













…西野…九月の始めに記憶を失ってから、


なんとか誕生日に間に合えば…そんな風に思いながらこの丘に上り続けてたけど、結局間に合わなかったね。


でも…きっと、きっといつか、西野に見せてみせるから…


あんまり偉そうなことは言えないけど…















使い古したカメラのレンズの先を見渡す。


目を凝らして、その先を、またその先を…


遠くに見える水平線は眩しく輝き、波の形まで見えるようだった。


こう言っては西野に申し訳ないが俺はいつしかこの時間を楽しむようになっていた。


見渡せばどこまでも続く海、寝転んだときの吸い込まれそうな青空、目を閉じて聴く波のざわめき。


…なんだか落ち着く…全ての生命の起源は海から…というのも分かる気がする。


…西野にも聞かせてあげたいな…


丘のはるか上空にはカモメが数匹飛んでいて、時折丘に近づいては離れたり、ぐるぐると灯台の周りを回ったりして戯れている。


そんなのどかな昼下がり。


目を閉じて、大きく息を吐き、体いっぱいにこの世界を感じる。


…気持ちいいや…


























「何サボってるのかな?」


くつろいでいたところ、突然飛び込んできた声に跳び起きた。


「あ…」


「ビックリした?」


彼女は得意のいたずらっぽい笑顔を向けてそう言った。


「…西野…」


そして髪をかき上げながら輝く海に目を移す。


「でもいいところだね…きれい…それに何だか、すごく落ち着く…」


その姿が本当に綺麗で…俺は何も言えずに、ただ見とれていた。











「と・こ・ろ・で!」


気付かぬうちに近くなった西野の顔にドキッとする。


「こんなとこにいて、仕事、大丈夫なの?」


「あ、ああ。大丈夫。館長にはちゃんと伝えてあるし、それにこれも仕事みたいなもんだから」


「ふーん。なるほどね。んじゃあ一応サボりじゃないんだ」


「一応も何も、サボりじゃないよ。それより、西野だって…」


それまで、すましていた西野だが俺の言葉にはっと振り向いた。


「あ、あたしだってサボりじゃないよ。…ここに来たらいるだろうからって…店長に…」


そして西野は少し顔を赤くして背中に回したバッグから小さな袋を二つ取り出した。


「これ…お腹空いてるかな、と思って…一緒に食べよ」













簡単な弁当であっても、相変わらず、西野の作った料理はうまかった。


記憶を失っても料理の腕はまったく衰えていない。しかし、それでもまだケーキは作っていないという。


料理がこれだけできるのであれば本職のケーキは問題なく作れそうな気もするのだけど…















「…くん、もう、淳平くんってば!」


大きくなった西野の声にはっと気付く。


気付かぬ間に自分の世界に入り込んでしまっていたらしい。


「あ、ごめん。それで…何?」


「もう…だから、……やっぱりやめた…この先言うの」


答えを分かっていながら、何で?と俺は問い掛ける。


「だって淳平くん、あたしが話し掛けても全然聞いてないんだもん。その罰だよ」


言葉とは不似合いな楽しそうな笑顔を見せながら西野は言う。


そうなるともう聞き返さずにはいられなかった。


もちろん先程の自分の行動を反省してないわけではないのだけど俺もつられて笑顔になる。


「ごめん、西野。だから教えて。何だっけ?」


他愛の無い会話だ。何の変哲も無い平和な会話。


それはその続きがこの先一瞬にして俺の気持ちを揺るがしてしまうとは想像も付かないほどに…
















「え…っとね、だから、今度一緒に蛍を見に来ようって。この丘、夏には蛍がたくさん集まってすごく綺麗なんだって。今日お客さんが話してたの」


自分の顔から笑顔が消えていくのが分かった。





西野…君は覚えてないみたいだけど…実はもう、俺たちは見てるんだ。蛍。二人で…





「ふーん…そうなんだ。じゃあまた来ようか…二人で」


笑顔を繕おうとしてはうまくいかず、俺はその表情を隠すように俯いたまま答えた。


「今の時期でもまだ見れるかな〜。もう秋だからなぁ…」


そんな風に言いながら楽しみそうな笑顔で丘に面した林を見る西野。


一時期よりも明るくなり、笑顔を取り戻した様子が喜ばしいはずなのに、何だか切なくて、複雑な気持ちが胸の中から離れなかった。































それから何日か経った日のことだった。


潮風を受ける蛍崎の街は今日もよく晴れている。


俺はと言えば、今日は平日にも関わらずいつもとは違った風景を見ていた。


「あーっ!…っと。危なかったぁ…」


先程からこんな調子で賑やかな声が時折聞こえてくる。


しばらくすると屋内であるのに軽く息を切らした声の主がカウンターの横に姿を現す。


「モンブランのお客様、お待たせしました〜!」


その声を聞いて俺の隣に座っていたおばあさんが「はいはい」とにこやかに歩き出す。


彼女は箱に入った商品をおばあさんに渡しながら「いつもありがとうございます。ケーキ一つサービスしときましたから」などと笑顔で対応する。


そんなやりとりを見ては、俺もまた自然と笑顔になっていく。


それはこのケーキ屋に来る他の客も同じで、慌ただしく動いては店長の西崎さんにお叱りを受ける彼女を誰も煙たがったりはしない。


それどころか彼女がそうして注意を促される度に店内にほほえましい空気が流れて、この空間は誰にとっても心地良いものになっていた。












「どうですか?じっと座ってて飽きません?」


ちょうどお昼時の頃、その彼女が話し掛けて来た。


清潔感のある店員用の服に身をつつんだ彼女は自然な笑顔で俺の前に立つ。


「いや、大丈夫。それなりに楽しんでるよ」


実際、今、目の前にいる渚ちゃんの動きを追い掛けていれば全く飽きなかった。


今日は豊三さんの都合から映画館の仕事が休みで、特に何もすることがなかったところを「きっと楽しいから」と渚ちゃんに誘われて来たが本当にその通りだった。


こうしてケーキ屋の角に座っているだけでここまで楽しめるとは思ってもみなかった。


ただ一つ気にならないこともないのだが…


「西野さんなら大丈夫ですよ。今も奥で働いてますから。もちろんお客さんに顔は見せてませんし。そんなことしたらまた騒ぎになっちゃいますから…」


俺の心を見透かしたように渚ちゃんはそう小声でささやいた。


どたばたしている割にこの子、勘がいい…


まあ何はともあれそれを聞いて俺はひとまずほっと胸を撫で下ろす。


西野は表向きには一応休業ということになっていた。


とはいえこの店に出入りする姿を何度も目撃している地元の人にはバレバレの休業なのだが、遠くから来る西野目当ての客にはこれが効果テキメンだったようで客足も大分落ち着いてきた。


地元の人にも『パティシエ業務の』休業ということでうまく渚ちゃんが説明しているらしい。


とりあえずは今の西野にとってのプレッシャーは少なくなった。


あとは何とかして記憶を…





























日が沈みかけた頃には渚ちゃんが店のカーテンを閉め始めた。


そして店頭に出していた看板を店の中へとしまい、ドアにかかった札をくるりと回し鍵を閉める。


いつもよりも随分早い時間帯でのその作業(もちろん毎日見ているわけでは無いのだが…)を不思議そうに見ていると渚ちゃんがまた俺のところへやってきた。


「あ、その顔…もしかして、忘れてます?今日来てもらった理由」






…えっと…なんだっけ?…





「西野さんが試しにケーキ作るから真中さんにも来てほしいって、言いませんでしたっけ?」






……あ、そういえばそんなこと……









……聞いてない……




これは本当に聞いてない。今初めて知ったことだ。


「いや、聞いてなかったけど…」


「あれ、そうでしたっけ?…んーと、まあいいや。とりあえずどうぞ奥へ。知り合いの有名なパティシエの方にも来てもらうことにしてるんです」


「…有名なパティシエ…、それって逆に西野のプレッシャーになるんじゃあ…」


と、心配になるが…


「大丈夫!西野さんにはうまく言ってありますから」


と、言うことらしい。





















厨房ではもう既に準備が調い、いつでもケーキ作りを始められる状態にあった。西野は調理服を身に纏い、隣にいる渚ちゃんと談笑している。


そんな和やかな雰囲気の中、店の裏口のドアが音を立てた。


…渚ちゃんの言ってた有名パティシエっていったい…


「…えぇっ!?」


俺はその姿を見て、驚きのあまり思わず声を上げた。


「よう、久しぶりだな。元気にしてたか?」


「ひ、日暮さん!?」


「なっ、なんだその顔は。俺じゃあ不満か?」


「いや…そういう訳じゃ…」




…そういう訳じゃないんだけど…




「あれ?淳平くん、知り合いなの?」




…やっぱり…




「あ、ああ」






「この坊主とは前に会ったことがあってね。ちょっとした知り合いなんだ」


俺の曖昧な答えに日暮さんはそう言いながら俺の頭を掴んだ。


「それより、君が西野さんかな?はじめまして。今日はよろしくね」


右手は俺の頭に乗せたまま、日暮さんは西野の方に目を移してそう言った。



日暮さん…知ってたんだ。西野が記憶を無くしていること。



日暮さんの話し方やそのしぐさははあまりに自然でとても演技だとは思えなかった。


でもそれが俺にとってはかえって不自然で悲しかった。


……その笑顔の裏で、日暮さんは今、何を思っているのだろう。












「それじゃあ作ってみようか。分からないところは言ってくれれば教えるから」


そんな日暮さんの言葉に頷き、西野はボールと泡だて器を手に取った。




カランッ…




その直後、本当に「直後」、だった。


緊張する間もなく、期待を抱く暇もなく、その軽い金属音は耳に届いた。


西野の方に目をやると、先ほど手に取ったばかりのボールと泡だて器を放し、俯いている。





「…西野…」


何を言えばいいのか分からずに、その名前だけがこぼれた。


そして歩み寄ろうとした俺に向かって―――いや、たぶんそれはここにいる皆に向けた言葉だった―――西野は舌を出して笑いながらこう言った。


「やっぱり無理だ。ごめんね、作れないや」


それを聞いた誰もが言葉を失った。


西野が無理をしてその表情を作っていたことくらい誰でも分かるはずだった。


記憶喪失…そんな事情なんて全く知らない人だって、ここにいたら分かっていたと思う。


大袈裟じゃない。






だって…西野の目から、大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちていたから。






「あれ…?おかしいな。何で涙が出てくるんだろ?あたし、悲しくなんかないのに…」


「とまってよ、ねえ、とまってよ。なんで勝手に…出てくるんだよ。…あたし…」


拭っても拭っても、その涙は止まらなかった。


それどころか、もっと、もっと、溢れてくるばかりで…


「西野。もういいから…無理しなくて…」


俺が一歩足を進めると西野は俺の顔を見た。


「淳平くん…あたし、無理なんかしてないよ。

ごめんね?ただ、このケーキ…、、、またケーキ、作り始めると、いいことなさそうで、嫌なことばっか起こりそうで…

なんか嫌なんだ。でも…みんなが待っててくれるから、作らなきゃ…だよね?でもあたしは…」









「あ、それってやっぱり…無理してるって…言うのかなぁ…」





体の力がふっと抜けたようにその場に座り込んで、西野は疲れた笑顔でまた俺を見た。


俺はどうすることもできずに、それでもやっぱり西野を抱きしめた。































店の外に出ると扉のすぐ横の壁にもたれ掛かっていた日暮さんと目が合った。


もう、すっかり夜が深まっていた。


言葉に困っている俺に日暮さんは語りかけた。


「西野さん、どう?」


「あ…、なんとか落ち着きました。今着替えてるとこです」


「そっか」


夜空に向けたその言葉に、俺は何も言えない。









「西野さん」


「えっ?」


沈黙の中、突然発せられた言葉に思わず反応する。


「西野さん、彼女の…、彼女のパティシエとしての未来が見てみたかったよ」


そう話す日暮さんの目は寂しそうで、どこか遠くを見ていた。


俺はその横顔をただ見ているだけでやっぱり何も言えなかった。


西野は…ただ、「嫌な予感がする」「作ったら全部ダメになりそう」「きっとうまく作れない」、そう話した。


でも…


パティシエとしての可能性なら、俺よりも日暮さんのほうが良く知っていることは間違いない。


ケーキを作る西野の腕に、笑顔に、どれだけの夢があったのだろう…


そのすべては分からないけど、西野の変化により何かが失われたことは日暮さんの表情からも明らかだった。




「あ、西野さん出てくるみたいだぜ」


小走りでこっちへ向かってくる足音を聞いて日暮さんはそう言い、店の近くに停めてある車へと足を進めだした。


「今日は…なんだか悪かったな。じゃあ」


背中を向けて手を振る日暮さん。


西野が来る前にと気遣って…


でも、日暮さんが悪いことをしたわけじゃないのに…


やっぱり俺は、何も言えなかった。








「おまたせ、淳平くん」


靴を履き終え俺を呼ぶ西野の声に俺は振り向いた。苦悩をすぐに自分の中にしまい込む彼女の明るい声が胸に痛い。


西野が来た今、もう日暮さんの方には向けない。


そうすることが最も日暮さんの意思を汲んだ行動だと思えたから。


「うん…」


俺は俯いたまま応えた。


しかし、西野からの答えはない。


どうしたのかと思い顔を上げると西野の目は俺じゃなく、俺の顔よりもっと遠くを見ていた。


その視線を追うようにして俺は思わず振り返ってしまった。


―――しまった―――


その視線の先には…





「あの…!」


西野は斜め前に一歩踏み出し、大きな声でその背中に呼びかけた。


「あの!今日はすみませんでした。わざわざ来てくださったのに…それと…」


聞こえていないはずがない。


西野の声は聞こえているはずなのに…それでも日暮さんがこちらを向くことはなかった。


すると西野はそこで一旦下を向いてすうっと息を吸い込み、顔を上げると今までよりもいっそう大きな声を出した。



「それと…!一つお聞きしたいことがあるんです。私、どこかであなたに会ったこと、ありますか?」



俺は西野の言葉にただ驚き、その場から動けなかった。


そして、日暮さんの足が止まった。



日暮さんは振り返り笑顔でこう言った。



「あるよ」



そうひとこと言い終えると日暮さんはまた先程と同じように港の方角に向かって歩き始めた。


涼しい夜風が吹いて、俺の頬をかすめた気がした。


何かが動き始めていた。


[No.1429] 2008/01/25(Fri) 01:51:20
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〜君に贈る〜第十八話 (No.1429への返信 / 36階層) - つね

「一つお聞きしたいことがあるんです。私、どこかであなたに会ったこと、ありますか?」





「あるよ」


あの日の日暮さんの言葉の影響なのか、西野が変わり始めた。


まだ苦しみながらではあるけど、一歩踏み出すために、必死に足を動かそうと…



俺にはそんな風に西野に影響を与えることなんてできていなくて…


力になれなくて…


そんな自分が情けなくて、どうしようもなくて、俺は目を閉じた。









〜君に贈る〜第十八話『空に願うのは君の幸せか、それとも強い自分か…』









秋の匂いはまだまだ微かなもの。


相変わらずの残暑の中、シネマ蛍崎は今日も忙しい。





豊三さん、みのりさん、そして俺の三人だけで受付、上映準備、上映、片付けという仕事を行う。


俺が来る前まではこれを二人でこなしていたことには感服する。


そんな忙しい職場の状況でありながら俺はわがままを聞いてもらっている。


昼の12時から3時までの三時間。


これが俺が映画館から抜ける時間帯だった。


夏休みが終わった今、遠くから来る客も減っていたし、蛍崎の人達も平日は働いている。


そこで、シネマ蛍崎では12時から1時までの一時間、ショートムービーを流すことにしていた。


飲食物の持ち込みも可。


町の人達は昼ご飯を持参し映画を見に来てくれる。


ショートムービーの上映が終わるとそこでようやく休憩が入り、そこからはまた夕方の上映に向けて準備する。


そんな大事な時間に俺は映画館にいない。


「青の海」を撮りたいと、そう言ったものの申し訳なく思い、一度は豊三さんに「やっぱり仕事中は映画館にいます」と申し出た。


しかし、豊三さんの答えはこうだった。


「『青の海』、撮るんだろ?毎日丘に上がれ。それも自分が一番ピンと来る時間帯にだ。淳平、相手は伝説じゃぞ?」


そう言う豊三さんの顔は気の所為かなんだか嬉しそうに見えた。






とはいえ、ここまでしてくれる職場に迷惑をかけるわけにはいかなかった。


俺は朝、出勤の時間を早め、夜は今までより遅くまで残るようにした。




そして今日もいつも通りに…




「お、今日も早いね」


「あ、おはようございます」


フィルムの確認をしていたところにみのりさんが事務室のドアを開けた。


「ありがとね。朝早くから。大変でしょ」


「いえ、お昼に抜けるんでせめてその分だけでも…」


「そっか。んじゃ、ここからは一緒にやろうか」


早出で働き始めてから、みのりさんは微笑みながらいつもこう言ってくれる。


余計な気遣いの無いこの言葉がありがたかった。


みのりさんの自然な振る舞いは何故だか俺の気持ちを温かく、落ち着かせてくれた。


そして、それから少し経ってから豊三さんが映画館に到着する。


「おはようございまーす」


「おはようございます」


みのりさんの明るい声に続いて俺も豊三さんにあいさつをする。


「おお、おはよう。今日もちゃんとみんな揃っとるな」


豊三さんはそう言いながら肩にかけた荷物を机の上に降ろした。


豊三さんが到着すると事務室の空気はグッと引き締まる。


それは決して居心地の悪いものではなく、前向きな緊張感を生み出すものであった。


厳しく叱り付けることもなく、館内で笑顔を見せることもよくある豊三さん。


それでも豊三さんの放つオーラがこの雰囲気を作り出していた。












そういえば、俺がこの映画館で働き始めた頃にみのりさんがこんなことを言っていたのを覚えてる。


「職場の雰囲気?自由だよ。あんまり縛られないし、自分の思ったことも言えるしね」


今ならその意味がよく分かる。


『自由』と聞くと、人はどんなイメージを抱くだろうか。



自由とはただ自分の好き勝手に、やりたい放題にやることだけではない。


自由である以上は自分の行動には責任を持たなければならない。



みのりさんの言った『自由』とはまさにそういうことだった。


自由であるからこそ責任が生まれ、責任があるから自分で考え、判断し、そして行動する。


そのサイクルがこの職場に根差していた。


そしてその自由から生まれた責任も重荷にはならなかった。


むしろ任せられることがやる気に繋がっていた。


自分は認められてる、信頼されているという気持ちがもっと頑張ろうという気にさせた。


『やらなきゃ』とか、『失敗するかも』といった変な脅迫観念みたいなものも、ここにはもちろん無かったから。























昼になると西野の作った弁当を持って灯台の丘へと上る。


灯台までの道程も歩き慣れたものになっていた。


いつの間にか、この町に惹かれ、この町に住み、この町に慣れて…


もし、この町に来ていなかったらどうなっていただろうか。




俺は少し昔を思い出す。


「二人でどこか遠くに行こうか」


俺達を巻き込んだ事件の中での一言。


それが俺達をこの町に導いた。


偶然にもそこには西野の遠い親戚がいて、映画館があって、ケーキ屋があって…


魅力的な人達との出会いもたくさんあった。


俺達にとって願ってもみないような環境で新しい暮らしを始め、それでもそこで西野は記憶を失った。


ここに来なかったら、西野と俺のたどり着いた先がここではなかったら…


それともここに来なかったとしても、同じように西野は記憶を失っていたのか…


そんなことは考えるだけ無駄な気がした。


だって、俺と西野は今すでに、実際にこうして蛍崎で生活をしているのだから。


時間を戻すことはできないし、過去に戻りたいと思うこともしなかった。


だけど、考えてしまう。こんな風に一人で海を眺めていると余計に。


…西野…


この道で本当によかったのか。


きっと俺はその答えを西野の心からの笑顔に求めていた。











「あ、やっぱりここにいた」


無邪気で明るい声に振り返えると見慣れた笑顔があった。


「…あ…西野…」


「お昼から休みもらったから来ちゃった」


首を傾げて微笑み、そして俺に尋ねる。


「隣、座ってもいいかな?」


「そりゃあいいけど、服が…」


「ん?ちょっとくらい汚れてもいいよ。地面も湿ってないみたいだし」


心配する俺に対し、そう言って西野は腰を下ろした。


「淳平くん、最近よくここに来てるね」


視線は目の前に広がる海に向けたままでそう言う西野。


今年は特に長い残暑、それをやわらげる潮風をその顔に受け、綺麗な金色の髪がなびいている。


俺はその横顔に思わず見とれてしまう。


「…うん。最近は…結構来てるかな」


視線を落とし俺はそう言った。


本当の目的は、西野のためだと言うことは、言えなかった。


責任感の強い西野にはそれを知らせることは負担になると思っていたから。


「でも…本当にいい場所だよね。…こんな景色の前じゃ、正直にならなきゃいけないような…」


俺は西野の言葉に思わず振り向いた。


西野は、少し俯いていた。


「西野…何かあった?」


そっと呼び掛けると西野ははっとして俺の顔を見た。


そして一度下を向いて、「そっか…」と小さく呟くと、また海に目をやり、口を開いた。


「そうだよね。何も無かった…訳じゃないから、ここでは、この場所では、嘘はつけないよね」


そう言うと少し間を置いて西野は話し始めた。


「ねぇ、淳平くん、あたし聞いたの。休み時間に渚ちゃんと店長さんが話してるの。先月、売り上げ下がったって」


「…」


「先月って、確かちょうどあたしが記憶無くした時期でしょ。だから、あたしの所為かなって。あたしがケーキを作れないから、その所為かなって…」


寂しそうな表情の西野はそう言うと、無理に笑ってみせた。


「わがままだよね。ケーキ、作らなきゃいけないって分かってて、作れないって言うなんて。ダメだよね。自分勝手だよね。逃げてるよね、あたし」


でも繕ったその笑顔も次第に消えていく。


「…西野…」


呼び掛けた言葉に、西野はこっちを向いた。


西野の目に、また涙が浮かんでいた。


「…西野…」


もう一度呼び掛けた時だった。






…ドッ…






俺の身体に振動が伝わる。


西野は灯台にもたれていた俺の胸に頭を預け、口を開いた。


「思い出せないの、大切なことが。あたしは何でケーキ作りを始めたんだろうって…。あたしがケーキを作っていたのは何でなのか、それが思い出せないの…」


「…それに…あたし、たぶん作りたいって思ってるの…心のどこかで、ケーキを作りたいって…あの日、日暮さんっていう人に会ったとき、一瞬そう思ったの…。でも…」


突然出てきた日暮れさんの名前に心がドキッとした。でもそれ以上考える暇も無く…西野の言葉が…


「ごめんね…あたし、淳平くんしか逃げ場無いんだ。でも…、そうやっていつまでも淳平くんに甘えてるから、強くなれないのかな…」


今にも消え入りそうな声で力無く、西野はそう言った。


今、こんな西野に俺ができることはなんだろう。


「そんなことないよ。西野、無理しないで…」


気の利いた言葉なんて出てこなかった。


当たり障りのないことしか言えない自分が嫌になる…


「…淳平くん…うっ……うわああぁぁ…」


それでも西野は声をあげて泣いた。


こんな風に泣く西野を俺は初めて見た。


その姿を見て、俺も泣きたくなる。


俺は、俺の胸で泣いている西野の頭を、ただただ見ていた。


今は何も言えなくて…


































泣き声は次第に小さくなっていき気付けばそれは寝息に変わっていた。


俺に寄り掛かり寝息をたてる西野を見て、疲れていたんだな、と思う。


思えば、記憶を無くしてから、西野はたくさんの涙を流してきた。


いつもはあまり弱みを見せない西野が…だ。


この華奢な身体に、どれだけの不安や重圧を感じていたのだろう…


そう考えると俺が西野に何かできることが無かったのかと、自分が情けなく思えてくる。





俺はそっと目を閉じて、空へ向いた。




もっと…




もっと西野のためになれたなら…




西野に降りかかる不安なんか、全部吹き飛ばしてあげれたらいいのに…







そういえば、さっき西野が言っていた。


『心のどこかでケーキを作りたいと思っている』と…


あの時は耳に入ってこなかった………動揺してたんだ、日暮さんの名前に…


『作りたい』なんて言葉、記憶をなくした西野から聞くのは初めてだった。


俺には…そんな気持ちにさせることは、できなかったんだ…


恋人の俺ではなく、日暮さんが…







灯台にもたれかかって寄り添う二人。


薄れゆく意識の中で、温かいものが頬を伝った気がした。


[No.1443] 2008/03/30(Sun) 18:48:06
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〜君に贈る〜第十九話 (No.1443への返信 / 37階層) - つね

〜君に贈る〜第十九話『青の海』



気付くと俺は何も無い白く霞んだ空間にいた。


果てが見えないその場所で、しばらくするとどこからともなく誰かの声が聞こえてきた。


「…。…ぇ…」


「えっ!?何て?」


「…ねぇ…。ねぇってば…聞こえてる?」


「…うん。聞こえてるけど…。君は…誰?」


「私?私は―――。―――」


「…えっ!?」


聞きたかった名前がノイズで聞こえない。


「聞こえない?私の名前が。そっか、まだ出会ってないんだね」


「出会うって…誰に?」


「いつか分かるときが来るよ。ううん、分からなくてもいい。それでもいつかはきっと…」


「…それって…どういう…」


言いかけた言葉を遮るようにまたさっきの声が聞こえて来る。


「今はまだ分からなくていいよ。それにたぶんすぐに会えるから」




俺は彼女の言う言葉の意味が理解できず呆然としていた。




「未来は君次第。さあどうする?君が望むものは何?」


どこか意識がぼんやりとした、そんな感覚に包まれていた俺だったけど、その言葉にようやく目覚めた。


「あっ!そういえば西野は!?」


さっきまで目の前にいたはずの影を慌てて探し始めるが、どこを見渡しても西野の姿は見当たらない。


「大丈夫。彼女も無事だから。今は君とは違う場所にいるだけ」


無事だということを聞いてひとまず安心した。


でもそれで納得がいく訳がない。


「そんな…さっきまで一緒にいたのに何で離れ離れになってるんだよ!一体西野をどこにやったんだ!西野を返せよ!」


「そう…大切なんだね。あの子が」


「大切も何も…西野は俺にとって必要なんだ!西野がいないと…ダメなんだ。だから…」


「一緒にいたいって言うの?」


俺は無言で頷いた。


「でも一緒にいたいっていうのは君のエゴなんじゃないの?君のために彼女がいるってだけじゃダメなはずでしょ?」


「それは違う!きっと西野だって…。それに、俺だって西野のためなら何でもしてあげたいって、そう思ってるんだ。西野の笑顔が見られるなら、何だって…」


「そう…。その結果、君が苦しむことになっても?」


俺はまた頷いた。


「分かったわ。じゃあもう一度聞くよ。未来は君次第。君が望むものは何?」










「俺は…西野の笑顔を、西野の幸せを願う」




そう言った瞬間、辺り一面に眩しい光が差し込み、目の前が真っ白になった。

































午前一時頃、シネマ蛍崎の電話が鳴った。


たまたま事務所に泊まり込んでいた豊三が電話に出る。


「もしもし、シネマ蛍崎ですが」


『豊さん?』


「お前か…こんな時間に、どうした?」


声の主は時子だった。


『豊さん…、淳平くん、まだそっちで働いてる?』


「いや、今日は灯台の丘に行ってそのままじゃが…、まさか、まだ帰ってないのか?」


『そうなのよ…。しかもつかさちゃんも、まだ家に帰って来てないのよ。携帯にかけても出ないし…』


「まさか…、ワシはてっきりもう家に帰ってるもんだと…。今日、営業自体は午前で終わりじゃったから…」


予想外の事態に豊三も動揺を隠せずにいた。


『豊さん…、どうしよう…。私…』


「時子、落ち着け。とりあえず二人を探しに行こう。ワシも今からお前の家に行くから」


豊三は急いで映画館を後にした。








































気付くと暗闇が辺りを包んでいた。


…ここは…灯台の丘…そうか…俺、気付かないうちに眠ってたんだな…


辺りを見回すとすっかり日が落ちて、満点の星空が夜を照らしていた。


…あっ、そういえば仕事は…って言ってももう終わってるか…


思わず寝過ごしてしまい、午前上がりとは言え結果として仕事をサボることになってしまったことを少し後悔する。


…それにこの状態だし…


俺の腕の中では西野が寝息を立てていた。


安らかなその表情と確かな温もりに安心する。







…さっきのは…やっぱり夢だったのか…







俺は気持ち良さそうに眠る西野の顔を見てから遠くの夜空に目を移した。

























…あれ?…






















しばらく星空を見ていた俺だったが、景色の変化に気付き、空から海へと視線を落とした。



その変化をこの目で確認した瞬間、まだ少しぼんやりとしていた意識が完全に覚醒し、俺は思わず灯台にもたれかかっていた身体を素早く起こした。




「西野!西野!」




「…ん…うん?……どしたの?」




眠たい目を擦りながら寝ぼけた口調で応える西野。




「西野!早く!海が!海が!」




見たことも無い情景に興奮していた。




それをどう表現すればいいのかも分からなかった。




ただ、早く西野にも見てほしくて…




「…う…ん…そんなに急かさなくても…」




そう言いながら目を開けた西野は言葉を失ったように固まった。




俺だって、驚いていた。










































遠く、水平線の彼方からゆっくりと広がっていく瑠璃色の光。







その輝きはマーブリングのように海を染めていき、やがて海一面に広がった。







俺の頭の中に無意識のうちにいつかの渚ちゃんの言葉が浮かんでいた。



































『“青の海”って言うんですけど……』


























『……聞いた話によると海が青く光るんです』




































あまりに神秘的な海の色…







この気持ちをなんと言えばいいのか分からなかった。







でも、今、間違いなく、俺達はこの町の伝説に…奇跡に出会っていた。





























青く光る海は静かな波の音をたてている。







暗闇の中で、その景色を見ている俺達の顔を照らし出すほどの明るい光。







波に太陽の光が反射してきらめくのと同じように青い光がその色を豊かに変化させながらそこらじゅうで輝いている。







きらきらと、きらめいて、







どこまでも、明るく、優しく、







瑠璃色に輝くその光は、しばらくの間、蛍崎の海を染め続けていた。













































時間が経つと海を彩った光たちは少しずつ消えていった。






そしてそのすべてが消え去っても俺達はしばらくの間、無言でいた。






何も喋らないでいた。






本当に、言葉が出なかった。






さっきまで目の前に広がっていた景色は奇跡としか言いようが無い。








太陽の光の加減によって昼間に見られると思っていた「青の海」。






実は夜に姿を見せるその伝説に俺達を導いたのは偶然の連鎖だった。






「青の海」は蛍崎に、確かにあった。









































「…ウミホタル…」


伝説が消え去ってから、ずいぶん長い時間が経ってから、西野が呟いた。


「…えっ?…」


「今の光…ウミホタルの光みたい。もしかして…『蛍崎』って…」


「…西野……!覚えてるの?渚ちゃんの話」


蛍崎という名前の由来なんて、西野は覚えていないはずなのに…


俺の言葉に不思議そうな顔を見せた西野だがすぐに何かに気付いたような表情に変わり、改まって答えた。


「今まで迷惑かけてごめんね。今、思い出したんだ。全部。えーっと…そうだ、淳平くん?」


「…え…何?」


























「ただいま」




























ひさびさに見せた満面の笑み。


その笑顔に俺も笑顔で答える。





























「おかえり」


























































灯台からの帰り道、二人並んで歩く。


涼しげな夜風が二人の間を通り過ぎていく。








「ねぇ…淳平くん」







「何?」







「あたし、青の海を見る前に、夢を見たの」








「それってどんな夢?」








「何も無い白い空間で、誰かが語りかけてくるの。『未来は君次第。どうする?君が望むものは何?』って。それで最後に白い光に包まれて…何でかそれで思い出したんだ、全部」








「それって…」








「ん?どうしたの?」








「俺も見たんだ、同じ夢。西野と同じ夢」








「…えっ…じゃああの夢の中に淳平くんもいたんだね」








「うん。ねえ西野、全部思い出したって…じゃあ、どうしてケーキ作りを始めたのかも思い出せたんだ?」








「うん。だから、もう大丈夫だよ」
























「それで…淳平くんは何を願ったの?」








「…西野こそ…、何を願ったの?」








「…それじゃあ…せーので言おうか」








「分かった。それじゃあ行くよ。せーの!」































「西野が幸せでいられますように!……って、あれ…?」










「あはは、淳平くん、ひっかかった」








「…なっ…西野!卑怯だぞ!」








「あはは、ごめんごめん。そんなに怒らないで」








「お、俺だって恥ずかしかったんだからな」








「まあいいじゃん。淳平くんの願いも聞けたことだし…それに…」








「…それに…何…?」
























西野は黙って俺の手を握った。






























「淳平くんの願いも、あたしの願いも、きっともう叶ってる」
















…エピローグへつづく…


[No.1444] 2008/04/06(Sun) 22:23:55
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〜君に贈る〜エピローグ (No.1444への返信 / 38階層) - つね

ザザァ…


晴れ渡った空に波の音が微かに聞こえてくる。


蛍崎の町は今日も明るく賑わう。


俺はと言えば、いつもと変わらず映画館での仕事に汗を流している。


「おーい、真中くーん、豊三さん呼んでるよ〜」


「はーい、今行きまーす!」


みのりさんの呼び掛けに急いで豊三さんのいる映写室に向かう。










「今来ました。豊三さん、何でしょうか?」


「おう、来たか淳平。フィルムの整理をしたいんじゃがちょっと手伝ってくれ。みのりちゃんは今別件で忙しいようじゃから」


映写機をいじりながらそう言う豊三さん。


「はい。それじゃあここにあるフィルム、奥に運べばいいですか?」


「おう、頼むわ」


そして俺は映写室の奥にある、フィルムをしまってある部屋の扉を開けた。




そこには年代別、作者別と、様々な映画のフィルムが整理されていた。


とても古い、昔の映画のフィルムもあるが、そのどれもが丁寧にしまわれていた。


実は初めて足を踏み入れたこの部屋。膨大な量のフィルムの数に圧倒される。


映画好きにとって心が踊るようなこの空間。


その部屋の一番奥の棚の右端で俺は足を止めた。


そこには『山本豊三』と書かれたプレートが打ち込まれている。


…豊三さん、今までにこんなにも映画作ってるんだ…


…やっぱりどれもいい作品なんだろうな…


そんなことを思いながらそこに並べられた大量のフィルムを目で追っていく。


すると、その右隣りにもう一つのプレートが打ちつけられていることに気付いた。


そこに書かれていた名前は…






…『真中淳平』…







そのプレートの下にはまだたくさんの空きスペースがある。


「お前の撮った映画がこれからそこに収まっていくんだ。そこの棚がいっぱいになるくらい、これからたくさんの映画を作っていけ。楽しみじゃの。なあ、淳平」


気付けば俺の真後ろに豊三さんがいた。


感激して涙が出てきそうだった。


込み上げる思いに身体が震えていた。


「…はい!」


俺はただ、そう答えた。













フィルムを整理し終えると豊三さんが俺に言った。


「淳平、今日は行かねぇのか?灯台の丘へ」


「はい…、今日からは勤務時間はここで働かせてもらいます」


「そうか」


「はい。今までわがまま聞いていただいて、ありがとうございました」


そして、映写室を後にしようとしたときだった。


「ありがとうよ」


俺は思わず振り返った。


「…えっ?…」


「…あ、何でもねぇよ。フィルムの整理ご苦労さん」


「…はい!」











淳平が出ていった後の映写室で豊三は独り、また呟いた。


「…淳平、ありがとうよ」






































太陽の光を浴びていっそう輝く丘の上の灯台。


その下に、今日は一人の女性が立っていた。


「もう…ここにこんな風に一人では来ないかと思っていましたよ」


「あなたも見ていましたか?昨日の夜の海を…」


彼女はそう言って外した指輪を胸の前で握りしめる。





「豊さん…、そして淳平くん…、ありがとう」






丘の上の空が笑った気がした。

























潮風が涼しさをもたらし、秋の訪れを告げている。


大通りに面したケーキ屋は昼からたくさんの客で賑わっていた。


「つかさちゃんはどこにいるの?」


「あの美人のパティシエさん、復帰したらしいね」


「あのケーキがまた食べられるんじゃの」


「……あー、もう!西野さんなら今ケーキ作ってるから、できるの大人しく待ってて!」


朝から続く似たような質問に我慢できずにカウンターで叫んだ渚の頭にコツンと軽いげんこつが入る。


「こら、渚、ちゃんと接客しろ!」


「いったーい…。だって…この人たちが…」


そしてそこでもう一発。


「いたっ!」


「知ってる顔だからってお客様を指差すな」


「うー、暴力はんたーい。お父さん、訴えるよ?この人たち証人にして」


渚がそう言うと客のうちの一人の老人が笑いながら口を挟んだ。


「言っておくがわしらは渚ちゃんの擁護はせんぞ。今のは渚ちゃんが悪いわ」


「えー、そんなぁー」


そしてまた笑いが起きる。


「渚ちゃん、注文分のケーキできたよー。取りに来て」


「あ、はぁーい」


渚はつかさの声に厨房へと小走りで向かった。














「はい。じゃあこれ持っていってね。売れちゃったケーキもまた作るから」


微笑みながら渚にケーキの乗ったプレートを渡すつかさ。


そこに並べられた数々のケーキを見て渚は目を輝かせる。


「わあ…おいしそう。さすが西野さん」


「ふふ…ありがと。あ、そうだ。渚ちゃん、あとで新作ケーキの味見してほしいんだけど、食べてくれるかな?」


「えっ、いいんですか?ありがとうございます!やったー!」


目をさらにキラキラと輝かせる渚。


渚はそのまま跳ねるようにカウンターに向かっていった。


「西野さんの特製ケーキ!おまたせしましたー!」


そして元気のいい声が厨房にまで聞こえてくる。


その声を聞いて表情を緩めるつかさ。


「…ケーキ作り…思い出して、本当に良かった…」


「…ありがとう。淳平くん…」

































「あー、ひとまず一段落したね。お疲れ様。ねぇ、真中くん、ケーキでも食べない?たぶん豊三さんもそろそろ休憩入るでしょ」


事務室の椅子に座ったまま背伸びをしながらみのりさんがそう言う。


「あ、じゃあ僕、買ってきましょうか?」


「ありがとー。気が利くね。それじゃあこれ、少し足しにして」


「あ、ありがとうございます。じゃあ行ってきます」


みのりさんが差し出したその手からお金を受け取り、そのまま外に出る。


階段を降り、大通りに出ると郵便配達のバイクとすれ違った。


何となくその行き先を目で追っていると、バイクは俺のすぐ後ろで止まり、配達員は映画館のポストに一枚の封筒を入れた。


その時はその郵便物が俺の新たな一歩のきっかけとなることに気付いていなかった。









封筒の出発した場所は泉坂。














贈り主は…「小説家・東城綾」





































俺は下り坂の大通りを小走りで、西野のいるケーキ屋へと向かう。


涼しげなデザインの扉を開けるとカラカラと小さな鐘が音をたてる。


その時偶然にも店内に客はいなかった。


「いらっしゃいませー…って、真中さん!」


「こんにちは、渚ちゃん。ケーキ、もらえるかな?おつかい頼まれてさ」


「はい、もちろんです。どれにしますか?」


渚ちゃんはそう言って明るく微笑んだ。


「それじゃあ…、これと…これと、あとはこれで」


俺はショーケースの中のケーキを指差して注文する。


「はい、かしこまりました。あっ、そうだ。西野さーん!真中さん来てますよ〜」


渚ちゃんが思い出したように厨房に向かって呼び掛けると「えっ?」という声の後、西野がカウンターに顔を覗かせた。


「あ…西野…」





























注文したケーキを袋に詰めてもらい、外に出ると、渚ちゃんと西野が見送りに出てきてくれた。


そこで渚ちゃんが俺に向かってささやくようにして尋ねた。


「今日は丘に行ってないみたいですけど、諦めたんですか?西野さんの記憶も戻ったし」


「いや、そういう訳じゃあ…」


「じゃあもう青の海、撮れたんですか?」


「んーっと…それは…」


「あー、なんかあやしい!西野さん、西野さんは何も知らないんですか!?青の海、見たとか」


「うーん…それは…」


西野は苦笑いで俺を見た。


「あーっ!やっぱり何か隠してる!」


































実はあの時、何かの弾みで偶然にもビデオカメラのスイッチが入っていた。














結果的に青の海は映像としても残ることとなった。














でも当分はそれを見ることも見せることもないだろう。














奇跡に出逢ったあの瞬間の感動を、大切にしておきたいから。














この町がくれた奇跡の贈り物。














伝説と言われたあの景色を、君に贈る。










『SERENDIPITY』第二部〜君に贈る〜完


[No.1445] 2008/04/06(Sun) 22:37:33
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