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No.1351に関するツリー

   『WHEEL』 序章―無限の歪― - 光 - 2007/05/06(Sun) 18:25:14 [No.1351]
『WHEEL』 第1章―気になるアイツ― - 光 - 2007/05/17(Thu) 01:29:56 [No.1352]
『WHEEL』 第2章―恋に不慣れなオトコノコ― - 光 - 2007/08/04(Sat) 23:46:04 [No.1367]
『WHEEL』 第3章―ボクを悩ますオンナノコ― - 光 - 2007/11/19(Mon) 20:47:46 [No.1399]
お詫びという名の言い訳 - 光 - 2008/06/25(Wed) 00:17:39 [No.1451]
『WHEEL』 第4章―言えない関係― - 光 - 2008/06/25(Wed) 00:24:09 [No.1452]
『WHEEL』 第5章―ただ、君と一緒に― - 光 - 2008/11/04(Tue) 01:24:41 [No.1481]
『WHEEL』 第6章―ここから始まる― - 光 - 2011/04/21(Thu) 17:35:29 [No.1600]



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『WHEEL』 序章―無限の歪― (親記事) - 光

久々の投稿です。






 カオス理論:初期条件によって以後の運動が一意に定まる系にお

いても、初期条件の僅かな差が長時間後に大きな違いを生じ、実際

上結果が予測できない。






 この世のある一つの出来事は、この世のその他全ての出来事との

相関により生じる。風が吹けば桶屋が儲かるというあれである。い

つ何時、どんな些細なことが世の流れを変えているのかわからな

い。

 “彼女”は、その流れをずっと見守ってきた。こんな言い方をす

れば、ある意味神のような存在に思うかもしれないが、彼女自身そ

んな自覚はないし、事実、神とも少し違う。時にあまりに不合理だ

と思うことがあれば手を加えはしたが、流れに歪みが生じたときに

修復を行うのが彼女の役目である。

 ある時、彼女は小さなミスをする。とある場所に、本来ならあり

得ないはずの風を一つ吹かせてしまった。風一つと侮ってはいけな

い。彼女はその重みを誰よりも知っている。すぐさま修復箇所を探

した彼女だったが、ややあって、彼女は胸をなでおろす。特にこれ

といった変化が見られなかったからだ。時には、こんなこともあ

る。一つの事象が他に与える変化があまりにも微量過ぎ、様々な出

来事に分散してしまって、やがて何事もなかったのと同じになる。

しかし、初期条件の差が僅かでも、それは後に計り知れないほど大

きな違いとなる。

 彼女の名前はディエス。今回のことは、彼女のミスと、それを発

見できなかったことにより起こった、些細な変化がもたらした、大

きな歪み・・・・・・・なのかもしれない。







「大体堅すぎんだよな、あの先生」

「応援してっから走りきれー!」

「そーだ、そーだ!女の子に興味もって何が悪いんだチクショ

ー!」




 正直に言って、初めは馬鹿だと思っていた。受験を控えて、部活

も引退直前で、何でこんな下らないことに時間を使うんだ、って。

































 でも・・・



















































「ふぅん。真中っていうんだ・・」

 言い切れるけど、カッコ良くはない。でも、罰で校庭走ってるだ

けなのに、こんなに応援してくれる人がいるんだなぁ。すごく不思

議。

 マナカクン、もうすぐ4周か。山岡先生は、確か50周って言っ

てたよね。





























「がんばれ!がんばれ真中!あと46周!!!」








 ビュゥッ

「キャッ!」

 うわっ!すごい風!砂が顔に当たって痛い!

「!?今、女の声しなかったか?」










































・・・・・・・・・







































「「あっ」」

































「にっ、にっ、にっ・・・西野つかさちゃん!!!」






 一陣の風が早めた、二人の出会い。これから、“彼女”の気付か

ないところで、少しずつ流れは狂い始める。


[No.1351] 2007/05/06(Sun) 18:25:14
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『WHEEL』 第1章―気になるアイツ― (No.1351への返信 / 1階層) - 光

 沈み終えようとする夕日を眺めながら、カラスが一羽、独特の鳴

き声を出す。合わせるように吹かれたホイッスルの音に、ドンと鈍

く響くような音と共に、ボロボロのサッカーボールが空高く蹴り上

げられた。泉坂中学サッカー部の本日の活動終了の合図だ。

 体育倉庫の中にボールとコーンを片付け、傍に引っ掛けてあった

タオルを取り、汗を拭うために顔を覆う。

「大草!こいつも頼む!」

 後方から発せられた声に、視界を塞いでいたタオルをどけて音源

の方に目をやる。直前まで見えていなかったはずなのに、大草と呼

ばれた少年は飛んできたボールを冷静に胸でトラップし、右足でポ

ンと軽く蹴り上げて、頭上を通らせて背後へ。上げた右足を下ろさ

ずそのまま後ろへ出せば、落ちてきたボールにきれいに当たり、倉

庫の中へ入っていく。蹴られたボールはその軌道の先にあった金属

製のカゴをけたたましい音を立てながら揺らし、所定の位置にスッ

ポリと収まった。

 大草はボールが思った通りの位置にあることを目で確かめ、額に

へばり付いている前髪を鬱陶しそうに払いのけながら歩き出した。

 同じく片づけ中の女子テニス部の部員たちが上げる黄色い声を適

当にあしらい、校庭の水場で顔を洗って、自分のすぐ脇でへばって

いる友人二人に呆れたような声で言った。
























「お前ら、50周にどれだけ時間かけてんだよ?」

 座って肩で息をしているギザギザ頭の少年がガバッと顔を上げて

反論した。

「仕方ねぇだろ!真中がいくら呼んでも走らなかったんだから

よ!」

「小宮山だって何回も止まってたじゃねぇかよ!」

 体力を根元まで使い果たしていたのかと思いきや「お前

が・・・」、「いや、お前が・・・」と元気に口論を始める二人

に、大草は心の中でそっと「勝手にやってくれ」と呟いた。

「おい、馬鹿やってないでさっさと帰ろうぜ。先に教室行ってる

ぞ。」

 馬鹿呼ばわりされた二人は一斉に大草の方を見たが、当の本人は

知らん顔でさっさと立ち去っていた。

 まだお互いに火花を散らせながら、二人して水道の蛇口を捻り、

運動と夏の陽射しで熱くなっている頭に思い切り水をかける。十分

に冷やすと、真中淳平は水しぶきを飛ばしながら勢い良く顔をあげ

た。と・・・、
























































「んぷっ!?」

 思い切り息を吸おうとして、遮られた。誰かが顔にタオルを押し

付けている。

「お疲れ様っ!」

 さすがに息が苦しくなり、大きく頭を横にずらして、それこそ水

から上がった犬の様にブルッと小さく頭を震わせてから、声を発し

た悪戯の主を見た。






















































「あっ」












































































 目にした瞬間、口から声が漏れた。正確に覚えているわけではな

いが、殆ど確信したと言ってもいいくらいにそう思った。さっきの

コだ、と。

 問題の彼女はニィッと笑って、傍に置いてあった淳平のタオルを

持っていた。今しがた淳平を窒息させかかったのは、どうもこれら

しい。手に持ったそれを渡されて、淳平はぼーっとしながら、殆ど

無意識に受け取った。










































































「君、4組の真中淳平君だよね?」

「えっ!?」

 再び口を開いた彼女が何を言うかと思えば、十分に淳平を焦らせ

る内容だった。

「な、なんで・・・?」

 少しどもりながら、なんとかそれだけ口にする。さっきのことか

ら、苗字はともかくとして、どうして下の名前まで知っているのか

と思ったのだ。

 あたふたする淳平に、彼女は「エヘヘ」と照れたように笑ってみ

せる。

「知ってるよ。だってね・・・。」

 悪戯っ子の様な表情を浮かべ、淳平に一歩近寄り、下から覗き込

むように淳平を見る。

「ずっと、君のこと見てたもん・・・。三年間・・・。」

 恥ずかしそうに頬を染めながら言い、舌先をチョロッと覗かせて

片目を瞑って見せた。

 目の前が暗転しそうだった。今目の前にいる女の子は、よく見な

くてもかなり可愛いといえた。そんな子が、自分を今までずっ

と・・・。

「つっっっっ、つかさちゃん!」

 突如飛び込んできた小宮山の奇声に、ハッと我に帰る。小宮山か

らも大草からもしょっちゅう「また始まった」と言われている“空

想癖”が出ていたようだった。

(ど、どこから妄想だったんだろう・・・?)

 24行上からである。

 ちなみにこの時、小宮山が出した大声は完全に周囲の注目を集め

ていたのだが、三人が全く気付いていなかったというのは、また別

の話である。

 「つかさ」と呼ばれた彼女は、容姿を誉めそやかす小宮山を、そ

れこそ先程大草がやって見せたのより遥かに反応薄く、適当にあし

らって淳平に悪戯っぽい笑みを向けていた。















































「君、4組の真中淳平君だよね?」































































「!?」

 心臓がほんの少し持ち上がった。少なくとも、淳平はそう感じ

た。

「な、なんで・・・?」

 一度追い払ったはずの妄想が再び淳平の頭を満たす。この後彼女

は淳平に想いを告げ、淳平は爽やかに笑いながら彼女の手を取

り・・・(以下略)

 完全に意識が旅立ちかける前に、何とか戻ってくる。すると、い

つの間にやら彼女は、淳平のタオルを人差し指でチョン、チョンと

突いていた。
















































「え?・・・あ。」



























































 視線を落とせば、水色のタオルの淵に黒ではっきりと「4組 真

中淳平」と書いてあった。

 ポカンとしていると、突然、ぷっと吹き出す声が聞こえる。

「ずっと好きだったの、って言われると思った?」

 上目遣いで、からかう様な表情でニヤリと笑う。

 頬が一瞬で熱くなるのがわかった。夏だというのに、外気がほん

の少しひんやりと冷たく感じる。

 つん、と一突き淳平の額に指を当て、くるりと淳平に背を向けて

小走りに遠ざかる。少し距離をとったところで振り向き、額を突い

た人差し指をビシリと突き立てて楽しそうに言い放った。

「あんまりエッチなことばっか考えんなよな!」

 唖然とする男二人を置き去りにしたまま、彼女の姿はどんどん小

さくなっていった。



「・・・で?」

 本日最大のため息を吐きながら、大草が瘤と痣を大量に顔面に浮

かべた淳平と小宮山に言った。

「そこから何で、そんなんになるわけ?」

「小宮山に聞いてくれ・・・」

 完全に脱力仕切った淳平が搾り出したような声で言う。

 つかさが立ち去ってから、痺れを切らした大草が校庭に来るま

で、淳平と小宮山は激しい乱闘(じゃれ合い)を繰り広げていた。

 原因は、小宮山にあると言えるのか淳平にあると言えるのか、つ

かさと淳平が親しげに話していて小宮山一人が完全に蚊帳の外だっ

たことに小宮山が激怒し、淳平に掴みかかっていったのだという。

後日、傍で見ていた生徒の証言によれば、小宮山は「何で真中だけ

ー!」という風に(少なくともその人には)聞こえた台詞をつっか

えつっかえ連呼していたらしい。淳平曰く“正当防衛”、小宮山曰

く“正当攻撃”なのだそうだ。

「な!?大草だって絶対おかしいと思うだろ!?」

 必死の形相で詰め寄る小宮山に、大草は「わかった、わかっ

た!」ととりあえず落ち着かせようとし、「でも・・・」と不思議

そうに言いながら、淳平の方に目を向けた。

「確かに、おかしいよな?真中とは今まで面識なかったんだろ?」

「っつーか・・・えーっと・・・・・なんだっけ?」

「西野つかさ!!!」

 なかなか名前が出てこない淳平に小宮山が、耳元だというのに大

声で叫ぶ。小宮山から言わせれば、「学年のアイドルの顔と名前知

らないなんて犯罪」なのだそうだが、淳平にとっては人の、殊女子

生徒の、顔と名前は中々に覚えられるものではないのだった。夏休

みを目前に控えた今ですら、自分と同じクラスの女子生徒の顔と名

前は半分も覚えていない。

「西野つかさ、なんて今まで聞いたこともなかったし・・・。い

や、聞いたことぐらいはあるんだろうけど!」

 再度暴れだしそうな小宮山の顔を見て、淳平が慌てて付け加え

る。

「全然憶えてなんかねぇよ。大体、2組なんだろ、その子?」

「そう。ちなみに、真中と同じクラスになったことは一回もない

な。去年は俺と真中は違うクラスだったけど、西野は俺と同じクラ

ス。1年の時は真中と俺は同じクラスで、西野は違うクラス。」

 大草が軽く説明するのをなんとなく聞きながら、淳平は違うこと

を考えていた。
 


 夕飯の後、机に向かいながら、淳平は今日一日を振り返って小さ

くため息を吐いた。

 思い返してみれば、散々な一日だった。先生から拳骨をくらう

わ、校庭を走らされるわ、初対面の女の子に訳もわからぬ内にから

かわれるわ、そのせいで小宮山と乱闘するわ・・・。完全にやる気

を失い、とうとう握っていたシャープペンシルを放り投げた。西野

つかさなる女の子のことが気になりだしてしまい、受験勉強が手に

つかないのも、ため息の原因だった。

「寝よう・・・。」

 いい加減、考えることに疲れた淳平は、大雑把に机の上を片付け

ると、ベッドに潜り込み、爆睡し始めた。




「悪いけど、君とは価値観合わないみたいだから。」

 翌日の昼休み、つかさは校舎裏の人気の少ない所にいた。たった

今、告白してきた男子をものの見事に振ったところだ。告白してき

た張本人は、何となくこうなることを予想していたらしいが、それ

でもショックは大きいようだ。彼が告白場所に、徹底して人目を避

けられる場所を選んだのには、あるいは振られることを予測してい

たからこそ、落ち込んだ自分を他人の目に触れさせないためだった

のかもしれない。

 しかし、その男子が立ち去ってしまうと、少し離れたところの影

から、つかさの友達が出るわ、出るわ。こんな所にどうやって隠れ

ていたのかと思えるような場所から、6〜7人もの女子生徒が出て

きたのであった。

「あ〜ぁ。まぁた、ダメか・・・。」

と、一人が言えば、他の友達も後を拾う。

「そんなに、悪いとは思わないんだけどなぁ・・・。」

「これで学年のイケメントップ10の内9人脱落ね。」

「っていうか、今のはOK出すべきでしょ?」

 色恋にはうるさい彼女達が勝手に意見するのに対し、つかさは疲

労感を滲ませたため息を一つ、長々と吐き出していた。







「「・・・今、なんつった!?」」

 4階から屋上へと続く階段の中間、ちょうど折り返しになってい

る部分に半ば身を隠すようにして座り込みながら、淳平と大草が素

っ頓狂な声を上げる。慌てた小宮山が急いで二人の口を押さえて黙

らせ、ザッと階下に目を走らせて誰も気付いていないことを確かめ

た。




























































「だから、俺は今日、つかさちゃんに告白するんだ!だから、お前

らも手伝えよ!」

 何もそこまで、と思いたくなるほど声を潜めて小宮山が言う。一

瞬意識を飛ばしかけた淳平が、今度はできるだけ大声にならないよ

うに注意しながら言った。

「ちょっと待てって。お前って西野つかさと面識あったのか!?」

「いや、ない!けど、昨日初対面の真中ですらあんなに話せてたん

だから、俺は愛でなんとかする!!!」

 胸を張り、鼻息も荒く言い切る小宮山に淳平と大草は「その自信

はどこから?」と、呆れたような心の呟きを漏らす。

 小宮山の理論は、要約するとこうだ。昨日の淳平は西野つかさと

初対面だった。にもかかわらず、彼女は淳平に対しある程度好意的

に(少なくとも小宮山にはそう見えた)会話をしていた。とすれ

ば、淳平と違いずっと彼女に好意を寄せている自分が淳平よりも扱

いが悪いわけがない、というのである。

「昨日、つかさちゃんが窓から顔出して、俺たちが走ってたところ

を応援してくれただろ?きっと、汗を流して頑張ってる俺達の姿に

惹かれたんだよ!」

 完全に自分の世界にトリップしている小宮山を、残された二人は

口をパカッと開いたまま、目を点にして見つめていたが、不意に小

宮山が「そこでだ!」と張り切って言ったのをきっかけに立ち直っ

た。

「お前たち二人には告白のセッティングをしてもらいたい!今日の

放課後につかさちゃんを体育館の裏に呼び出してくれ!頼んだぞ、

真中ぁ!」

「はっ!?何で俺!?」

 小宮山の突然の指名に、声をオクターブも高くして、ほとんど絶

叫に近い声を出す淳平。

「モテる大草に頼んで、“万が一”つかさちゃんが大草になびいた

ら元も子もないからな。その点、真中なら心配無用だ!」

 万が一、というところをやたら強調して言い、淳平に迫る。遠ま

わしにモテないと言われた淳平は、思い切り反論しようとしたが、

妖力さえ感じさせそうな小宮山の凄まじい形相を前に、思わず首を

立てに振ってしまっていた。

 そして、昼休みも残り5分となったころ。淳平は大草と二人、2

組の教室に向かって力なく廊下を歩いていた。少し距離を置いてつ

いて来ている小宮山を「こういうことは俺の方が慣れてるから」と

宥めすかして、結局、淳平と大草の二人で伝言することになったの

だった。ちなみに後日、大草が別の友達に語ったところによると、

これは淳平に頼まれたのではなく「あまりに可哀相だったから」と

の理由で、大草から言い出したことだったそうである。

 気の進まない淳平と、それを「諦めろ」と言って肩をポンポンと

叩く大草が、外から2組の教室内を覗いてみた。すると、幸か不幸

か、目的の人物は入り口のすぐ近くの席に座っていた。




「つかさはさ、彼氏欲しくないの?」

 告白現場から戻ってきたつかさに、同じ質問が繰り返される。教

室に戻る道すがら、何度も答えたはずの質問だった。

「別に欲しくないわけじゃないけど、だからって付き合いたくない

人彼氏にはしないでしょ?」

 さも、当たり前というような感じで言い切るつかさに、周囲の友

達が一斉に同様の反応を返す。

「言ってくれるねぇ、この口は。」

「今までつかさが振ってきた男子と付き合いたくても付き合えなか

ったコなんか、いっぱいいるってのに・・・。」

「ホント、つかさのタイプってわかんないよねぇ。」

 一人が何気なく言った言葉に、つかさは「タイプねぇ」と小さく

呟き、ふと記憶の中に入り込んだ。




































































 昨日見た彼。あの時にも思ったことだが、決してカッコよくはな

かった。(言い切ってしまっているあたり、相当に失礼ではある

が)ただ、何かはわからない、自分でもどう説明していいのかわか

らない“何か”を昨日の彼に感じていることだけは確かだった。

 つかさが深く沈思しようとしているのを、友達の一人が気付き声

をかけようとした。が、その直前に、その友達の興味は脇に逸れて

いた。

「あ、大草君!」






 一人が気付くと、その場にいた他の子達に伝染した。大草は一応

爽やかな挨拶を返すと、その子達に向かって

「悪いんだけど、西野を少し借りていいかな?」

と言った。

 これが、彼女たちにとっては爆弾発言だった。言われたことを理

解した瞬間、お互いに顔を見合わせると、示し合わせたかのように

一斉につかさに目をやった。


 つかさは「またか」という感じで少しげんなりしたが、友達が何

やら楽しそうに捌けてしまうと、何でも無いという顔つきで

「何?」と聞き返した。

「うん・・・あれ?って、おい、真中!何やってんだよ!」

 ふと振り返れば、ついさっきまでいた淳平の姿が見当たらない。

淳平は、背後に隠れていたのだが、大草に見つかってしまうと「ど

うしても?」と聞き、大草に「当たり前だろうが!」と返されて、

渋々といった感じで出てきた。







































(あっ、あのときの・・・。)










































 つかさが、僅かに反応を見せた。大草は一瞬「何だろう?」と感

じたが、とにかく小宮山からの伝言をさっさと伝えてしまうことに

した。

「実はさ、俺の友達から頼まれたんだけど、今日の放課後に体育館

の裏に来てくれないか、って。西野に話があるんだってさ。知って

るかな・・・?」

 俺といつも一緒にいるやつ、と説明している大草の言葉を聞き、

つかさはちょっと考える。要するに告白のセッティングということ

なのだろうが、つかさはあることに疑問を持った。













































 が・・・、





























































「別に良いけど・・・でもなぁ・・・」

 つかさがほんの少し眉根を寄せ、「やり方が気に入らないんだけ

ど・・・」と続ける。その反応を見て、大草は内心「やっぱりね」

と苦笑した。後の本人談によれば、まだ告白もする前から難色を示

されているようでは、小宮山では無理だろうと確信したという。
























































 しかし、苦笑していた大草も、心の中で小宮山に向けてそっと合

掌していた淳平も、席をはずしたとは言いつつ近くで聴覚に全神経

を集中させていたつかさの友達も、まだ知らない。十数秒後に、自

分たちが口をポカンと開けて、その後絶叫することをまだ知らな

い。

























































「来てるんだから、それぐらい自分で言えよなっ。」

 椅子から立ち上がり、少し怒ったように腰に手を当てて頬を膨ら

ませながら、淳平の顔を下から覗き込む。透き通った瞳に上目遣い

で見つめられ、淳平は心臓が太鼓のように打つのを聞いていたが、

同時に、頭の中に「?」が大量発生し始めていた。

 そんな淳平の様子など気にも留めない、むしろ気付いてもいない

様子で、つかさが口を開いた。












































































「良いよ、君となら。」












































































 そういって、つかさは何故か淳平に向き直る。淳平は今しがた受

けた衝撃から立ち直れていないまま、ポカンと口を開けてつかさを

見ていた。

「へ?」

 とんでもなく間の抜けた声を出す淳平に、「自分からコクったん

だろ?」と、更に悪戯っぽく頬を膨らませるつかさ。
























































「確か、真中クンだったよね?よろしくね!」


[No.1352] 2007/05/17(Thu) 01:29:56
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『WHEEL』 第2章―恋に不慣れなオトコノコ― (No.1352への返信 / 2階層) - 光

 夕暮れ時の空と街。ポツリ、ポツリと浮かぶ雲が、昼間の純白を

忘れさせるほどに黒く、不気味に様相を変えている。空と同じ茜色

に染まる家々の塀の近くを、右手に買い物袋、左手に我が子の手を

取りながら歩く買い物帰りの主婦たちや、たまには早く帰宅しよう

と家路に着くサラリーマン、また明日と言葉を交し合いそれぞれの

家へ向かう子どもたちが、殆ど沈みかかっている夕焼けを浴びなが

ら、すれ違い、通り過ぎていく。

 ここにも二人、仲良く並んで帰宅する中学生二人がいる。途中、

道行く人々が、優しく繋がれた二人の手を、隙間無くくっついた肩

と肩を目に留めて、微笑ましそうに目を細めていく。そんな風に、

しっかりと注目を浴びながらも、淳平にとってはそんなものは一切

気にならなかった。

 少し語弊があった。訂正しよう。
























































“気にしている場合ではなかった”


























































(今まで彼女なんかいたことないから、知らないけど・・・)

 ガチガチに緊張しながら、淳平は思う。






































(交際初日から手って繋ぐもん!?ってか、密着しすぎでは!?)

 これが、淳平と釣り合うような容姿の女の子や、お節介な幼馴染

などであれば、淳平もさして緊張する必要もなかったのだろう。だ

が、いかんせん相手が悪すぎた。何せ今淳平と腕を組み、手を繋い

で歩いているのは、ただの女の子ではない。学年のアイドルで一番

人気の女の子である。

 ただ、だから全てが万々歳かと聞かれれば、素直に頷けない部分

もあることを、淳平本人も認めていた。

(あの野郎・・・・・マジで手加減してねぇし・・・)










































遡ること約2時間

「確か、真中クンだったよね?よろしくね!」

 パチン、と片目をつぶり、右手を差し出す美少女―――西野つか

さである―――。

「・・・・・はぃ?」

 差し出された右手の意味がわからない淳平は、裏返りかけている

声を発し、かなり間の抜けた表情をしていた。ちなみに、淳平の名

誉のために言うならば、このやりとりが聞こえる範囲内にいた人間

は(大草も含めて)全員似たり寄ったりの表情だった。

「あのねぇ」

 目の前の少年から予想通りの反応がなかったためか、つかさがほ

んの少し頬を膨らませて、不機嫌な表情を作る。

「よろしく、って言われて握手求められたのに、何にも無し?それ

とも、潔癖症で人の手に触るの嫌とか?」

 つかさのこの発言で漸く立ち直った大草や周囲の生徒たちが、示

し合わせたかのように一斉に絶句する。最初、あまりに急ピッチな

展開についていけていなかったが、徐々に理性が現実に追いついて

きたのだ。しかし、

「あ・・・・・そっか、ごめん・・・。」

 今度こそ本当に愕然とする。これ以上はないだろうと思っていた

状況に、淳平が更に大きな爆弾を一つ落としていった。今しがた発

せられた台詞の中身と、まだどこか抜けたような表情を浮かべてい

ることから考えるに、この男、未だに自分が何を言われ、どういう

意味の握手をしたのか、全く理解できていないらしい。

 図ったかのようなタイミングで、昼休み終了のチャイムが鳴る。

とりあえず、自分たちのクラスに戻ることにした大草と淳平(ニブ

チン)は、2組の教室を一歩出た瞬間に、すっかり存在を忘れかか

っていた人物に襲い掛かられたのだった。












































































































































「こ、告られたぁ!?!?」






































































































 大音声に耳を塞ぎながらも「やっぱり、何もわかってなかった」

と、半ば呆れ返りながら、大草は早速痛み出しそうな頭を抱えるよ

うにして言った。

「いや、告られた、っつうか、告った。っつうか・・・・・なんて

言うか・・・」

 恋愛については人並み以上、歳相応以上に経験をしている大草で

ある。当然様々な形、実例を知っているし、珍しい実体験もないわ

けではない。その大草にとっても、今回は異例中の異例であり、何

が変なのか、と聞かれても、説明するのも嫌になるくらい、大草か

らしてみれば全てがズレまくっていた。

 もう一度確認しておくと、淳平と大草は、小宮山の告白のセッテ

ィング場所につかさを呼び出すために2組を訪れた。そして、確か

に大草は“友達でつかさに伝えたいことがある奴がいるから放課後

に体育館の裏に来て欲しい”と伝えた。

「いや、だからそれは小宮山が告・・・」

「問題は!」

 もう、いい加減にしてくれとでも言わんばかりに淳平の言葉を遮

って、うんざりした様子を隠そうともせず説明を続ける。

「西野は“ちっともそうは思ってない”ってこと。あの時俺が言っ

たのは、俺の友達が体育館の裏で西野に伝えたいことがある、って

ことだけだろ?」

 これを聞いて淳平は、少し思案した。

 しかし、やっぱり、不思議なところが見当たらないのだ。

「だから、小宮山が今日の放課後に体育館の裏で西野を待ってれば

良いんじゃねぇの?」

「俺は一度も“小宮山が”話があるなんて言ってないぞ?いいか?

―――二回以上説明したくないから、よく聞けよ?―――俺が“友

達”って言ったとき、そいつの特徴とか、どんなやつ、とか全然言

わなかっただろ?そこへきて、お前が俺と一緒に来たんだから、勘

違いされたんだよ。本当は、二人で伝言しに行っただけだったの

に、西野からしてみれば、“真中が告白したかったけど一人じゃ不

安だから俺も一緒についてきた”って見えちゃったってこと。」






























































 ここまで説明して、疲れたようにため息を吐きながら、無意識に

前髪を掻き揚げる。

 大草は敢えて説明を省いたが、2組に入ったときに淳平が後ろの

方で隠れてしまっていたのが決定的だった、と大草は考えている

し、事実その通りなのである。そのせいでつかさには「告白を目前

にしてアガってしまった」という印象を与えてしまったのである。

 淳平は、弱い目眩を感じていた。とりあえず、説明された状況は

何とか頭に入った。後は理性がそれに追いつけば良いのだ。だが、

どうしてもこの段階で先に進めなくなる。モテた事のない男の性な

のか、どうしても「そんなことありえない」と、ストップをかける

自分がいるのである。









































































「大草・・・、それさ」

 暫しの沈黙の後、淳平がポツリとこぼす様に口を開いた。

























































































「それ・・・ありえねぇ、って。俺が、まさか・・・」

「じゃあ、聞くけど、あの時西野が「自分で言え」って言ったの

は、何を言えってことだったんだ?」






































 ズバリ痛いところを突かれて、一瞬言葉に詰る淳平。

「だから・・・、小宮山の・・・・・伝言・・・のこと・・・・・

だろ?」

「「良いよ、君となら。」って言ったのは何のことだ?」
























































 さっきよりも急所に近いところを突かれて、今度は言葉も出なく

なってしまい、窒息しかかっているような音が僅かに漏れたのみだ

った。

「西野、「自分からコクったんだろ?」とか言ってたぞ?」
















































































 今度こそ、ぐうの音も出ない。ほとんど完全に納得してしまって

いた。淳平がいくら考えてみたところで、それで全ての辻褄が合っ

てしまうのだった。

 暫く、何も考えられなかった。ただ驚き、放心して、さっきの出

来事を反芻していた。




























































 その後、放課後になってつかさが淳平を4組の教室まで迎えに来

て、一緒に帰宅し、現在に至る・・・というわけではなかった。実

はその放心状態、そう長く続いたわけではなかったのである。淳平

も大草もその時は完全に忘れてしまっていたのだが、元はといえば

小宮山の告白のセッティングのためにつかさに会いに行ったのだっ

た。

 が、結果的にはつかさに言いたかったことは何も伝わらず、その

挙句小宮山が最も危惧していた事態(本当は大草に惹かれてしまう

のでは、と思っていたのだが)になってしまった。当然、小宮山に

は言いたいことが山ほどある。

「真中ぁぁぁぁぁ!!!」

 やっとショックから立ち直った小宮山が、淳平に掴みかかる。淳

平の頭が、首の座っていない赤ん坊のようにグラグラと危なっかし

げに揺らしていたが、今の小宮山にとってはお構いなし。曰く、友

達なら告られても断りゃいいだろ、だそうだ。しかし、4組に帰っ

てきて大草から聞くまで、全く事態が呑み込めていなかった淳平が

そんなことができるはずがないのであるが。

 その後は、もう大変だった。小宮山がまたもや淳平と(一方的

な)乱闘を繰り広げ始めた。暴れる小宮山を二人がかりで何とか宥

めすかし、それなら今からでも本当のことを言ってみたらどうか、

という大草の提案に小宮山のテンションがすっかり上がってしまっ

た。

 しかし、結果はご存知だろうが、惨敗。淳平を下校前に迎えに来

たつかさに、緊張でかなりつっかえながら告白しようとする小宮山

が言い終わる前に「悪いけど、アタシ怖い顔の男ってダメなの」

と、一刀両断。盛大に落ち込む小宮山を残し、つかさが淳平を引っ

張るようにして帰っていったのだった。


(まぁ、大草が上手くやってくれてるんだろうけど・・・。)

「・・・平君?・・・おーい?・・・・・コラ!淳平!!」

「ひゃはいっ!?」

 突如鼓膜に当たる可愛らしい怒鳴り声に、声をひっくり返して返

事をする。心臓が喉の辺りまで飛び上がってきそうなほどの驚きだ

ったが、直後、透き通るような瞳とその持ち主の整った顔が、文字

通り目と鼻の先にあり、一度大きく脈打った心臓は、そのままの強

さで鳴りっぱなしになってしまった。

「もーっ!人の話全然聞いてないでしょ!?」

 ぷぅっ、と頬に空気を溜めて、ほんの少し怒った表情を見せ、軽

く非難するような目つきで淳平を見るつかさ。別につかさにそんな

つもりはないのだが、膨れているところが、また余計に可愛らし

く、自分が怒られていることも忘れて、危うく意識を飛ばしかける

淳平。僅かに残った平常心を総動員して、何とか「ゴメン」と口に

はしてみたものの、実のところ、ほとんど反射的に謝っているた

め、何に対して「ゴメン」なのか、いま一つわかっていなかった。

「どの辺から聞いてなかったのかなぁー?淳平君は?」

 つい何時間か前まで赤の他人だった女の子に下の名前で呼ばれ

て、またもや心拍数の上がる淳平だったが、逆に臨界点を超えてし

まったのか、本人も以外に思うくらい落ち着けていた。

「えっと、最後のとこ・・・。ちょっと、考え事しちゃってて。」

 強ち間違いではないのだが、大きな語弊があるので訂正してお

く。確かに最後の部分は聞いていなかったのだが、正しくは“最初

から最後の部分まで”聞いていなかったのだ。

 つかさにしたって、そう同じ話を何度も繰り返したくないのは事

実なので、こう言っておけば、聞いていなかったといった部分以外

はすぐに話題に上ることはないであろうし、最後の部分だけなら、

本当にただの考え事と誤魔化すこともできる。淳平も、我ながら上

手くやった、と内心喜んでいた。








































































 それが、見当違いだった。



















































































「そっか・・・。まぁ、そりゃ考えちゃうよね・・・。」

 何故だか、淳平の「考え事」という言葉に妙に納得し、一人でう

んうんと頷いたかと思うと、再び淳平に向き直り、少し不安そうな

顔になった。

「じゃあ・・・、やっぱり、ダメかな?」

 先程顔の目の前にあった綺麗な目が、ほんの少しだけ曇りがちに

なる。残念、というのが正しい表現に思えるような顔で、少し俯き

加減で、淳平のことを上目遣いに見た。女の子にモテたことのない

淳平にとっては、まさに必殺技。つかさにこんな表情で「ダメ?」

と聞かれれば、答えはほぼ決まっている。

「いや!全然大丈夫!もう、ホントに!」

 照れ隠しにかなり大きな声を出しながら、必要以上に腕をブンブ

ン振り回して、急いで言う。大丈夫、と言われて、つかさがにこっ

とする。

 ちなみに、彼女の名誉のために言っておくが、演技ではない。

「良かった!ダメって言われたらどうしよう、って思っちゃったよ
♪」

 真っ赤になっていた淳平は、少しホッとしたような顔になり、や

がてつかさと一緒ににっこりする。そして、

「えっ?」

 直後言われたつかさの言葉の意味がわからず、思わず聞き返す淳
平。今、つかさは確か「じゃあ、来年からも一緒にいられるね」と

言ったようだった。
































































(何で俺の志望校知ってるんだろ?)

 淳平たちは今中学3年生。中学最後の冬には、当然高校受験が控

えているし、既に受験勉強に精を出している友達を淳平は何人も知

っている。そして、高校に行くということは、当たり前だが、同じ

高校を受験しない限り来年の春には別の学校へ通うことになるので

ある。来年からも、ということは、つかさも淳平の第1志望校、泉

坂高校を受験するということなのだろうか?

 頭に疑問符を作り出しながら思案する淳平に、つかさが言う。
































































「じゃあ、“芯愛高校”行っても、仲良くしようね!淳平君!」
































































・・・・・・・






























































 咄嗟に、言われたことが理解できなかった淳平は、またもや反応

が遅れた。ただし、今回は理由がまるで違っていた。

「芯愛・・・高校?」

「そ♪じゃあ、アタシの家、こっちだから。また明日ね、淳平
君!」

 ポカンとしている淳平の様子に気付いていないようで、足取りも

軽く、一人帰っていくつかさ。後に残された淳平は、そのつかさの

姿が完全に見えなくなってから、漸く我にかえった。







































































「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」

――――――――――――――――――――――――――――――

更新遅くなり、すみませんでしたm(_ _;m(平謝)


[No.1367] 2007/08/04(Sat) 23:46:04
2.net059086130.t-com.ne.jp
『WHEEL』 第3章―ボクを悩ますオンナノコ― (No.1367への返信 / 3階層) - 光

 七月も半ば過ぎ、梅雨の頃の湿気もそのままに、暑さがやってく

る。本格的な夏の到来である。それは最早、日が当たっているかい

ないかということは、ほとんど関係なく、例え夜でも暑さの勢いは

衰えることを知らず、夜風でもなければ日中とさして違うものでも

ない。

 そんな状態の中、慰め程度のオンボロ扇風機を回し、ほとんど回

らない頭に悩みつつ、淳平はなんとか机にかじりついていた。ノー

トと問題集を開き、シャープペンシルをカリカリいわせながら。



問3 2桁の自然数と、その十の位と一の位を入れ替えてできる数

の和は、元の数の各位の和の11倍に等しくなる。このことを証明

せよ。


「はぁ・・・・・」

 相変わらず頭に入ってこない文字の羅列を目線で数回なぞり、頬

杖をついてため息を一つ。

 複雑難解な問題に直面して、解く気を削がれているというのでは

ない。むしろ、最初から解こうとしていない。淳平の頭の中ではた

った一つ、昼間の出来事がぐるぐると渦を巻き、脳内で暴れまわっ

ていた。


『じゃあ、“芯愛高校”行っても、仲良くしようね!淳平君!』


 再び盛大なため息を吐く。

 淳平を悩ませているこの台詞を発したのは、同じ泉坂中学のアイ

ドル西野つかさ。その容姿から、学年中、ひいては学校中の男子生

徒の憧れの的であり、女子生徒の間でもちょっとした有名人。そし

て、本日を以って、淳平の15年の人生で初めての“彼女”なのだ

った。

 初めての恋人ができたその夜、悩むことと言えば、初デートのこ

と、これからうまくやっていけるのかということ、等々と相場は決

まっているものであるが、今回の場合はちょっとだけ特殊。そのち

ょっとだけ特殊な悩みの内容は、今しがた淳平が本棚から持ってき

た分厚い本が雄弁に語っている。その本をパラパラと捲り、あるペ

ージでピタリと止まる。右上の端に折り目をつけてあるそのページ

には、見やすい大きな文字でこう書いてあった。



<泉坂高等学校>




 机の上に開いて置いた高校受験ガイドのそのページに目を落とし

て、しばらく無言で眺めてから、淳平は索引で別の学校を探す。新

しく開いたページに今度は別の学校の名前が記されている。




<芯愛高等学校>




 「はぁ〜・・・・・・・。」

 三度目のため息。

「どうすっかなぁ〜・・・・・。」

 本の上にバタリと頭を倒れこませて、情けない声を上げる。

 夏休みを目前に控えたこの季節。彼ら中学校3年生にとっては、

自らの志望校を本格的に絞り始める季節である。淳平の場合は先程

のページで見ていた泉坂高校。実は淳平が通える範囲内ではなかな

かの進学校なのであるが、淳平は別にそれで今から大学受験を視野

に入れた高校選びをしているわけではない。淳平の探しているもの

が、この付近では泉坂高校以外にはなかったから、という極めて単

純な動機。 対して、後者の芯愛高校。低レベルというわけではな

いものの、別段ハイレベルでもなく、進学校というには何か違う気

がする。そんな学校である。

 淳平の今の成績から言えば、泉坂高校は手が届きにくい場所あ

る。芯愛高校ならば、今のままでも恐らくは合格することができる

であろう学校だ。

 それなら淳平は志望校のランクを下げなくてはならないことに悩

んでいるのか。

 これも違う。

 繰り返しになるが、淳平は学力で泉坂高校を選んだわけではな

い。

 問題なのはそこではなく(学力も問題ではあるのだが)、先程の

彼女のことである。淳平の第一志望校は泉坂高校であり、数時間ず

っと淳平を悩ませている台詞のことを考えれば、答えは自明。

「せっかくできた彼女が、半年で違う学校かよ・・・。」

 頭を起こし、今度は椅子の上で大きく仰け反り、背もたれを軋ま

せる。

 淳平が行きたい高校は泉坂高校。彼女である西野つかさが行きた

い高校は芯愛高校。即ち、共に第一志望に合格してしまえば、春か

らは見事に別々の学校へ。学校が違っても付き合えないわけではな

いのだから、それだけならば、大して気をもむ必要もないのだが、

今日の夕方、つかさと一緒に帰ってくるとき、淳平は自分自身で気

をもむ必要を作ってしまったのであった。完全に舞い上がっていた

淳平は、つかさが芯愛高校のことを話している間その話を全く聞い

ておらず、ふと我にかえって、さもちゃんと聞いていたかのように

装って、“第一志望校を芯愛高校にしても良い”と言ってしまった

のである。

「我ながら情けない・・・・・」

 やめておけばいいものを、そっと嘆いてみてさらに落胆する。

 こんな状態で起きていても仕方がない、と判断し、とりあえずベ

ッドに入ることにして、淳平は寝支度を始めた。

(西野に何て言えば良いんだろ・・・)

 真っ暗になった部屋の中、目に映らない天井を見つめながら、淳平の意識は徐々に落ちていった。


「おい、知ってる?西野つかさに男ができたってよ。」

「ウソ、マジ!?誰だよ相手は!」

「それがさぁー、4組の真中ってヤツだって」

「えー、誰それ?」

 翌日、学校ではちょっとした騒ぎになっていた。

 淳平がつかさと付き合い始めたことは、当然2組だけに留まら

ず、あっという間に学校中へ。

 しかも・・・・・、

「やっぱり、真中ってヤツのほうから言ったらしいぜ。」

「教室で皆がいる前で告ったんだって!」

「昨日の帰りに二人で公園でキスしてたらしいよ!」

「ここだけの話、もうすること済ませたらしいぜ。」

 こう言ったものの常として、既にかなり尾鰭のついた嘘話までも

がすごい勢いで広まりつつあった。

「すげぇな・・・・・皆真中達のこと話してるぜ。」

 教室をざっと見渡して、小宮山が舌を巻く。男女を問わず、殆ど

の生徒が淳平とつかさの噂話をしているのを、事の顛末を知る大草

や淳平と三人、どのグループの話にも加わらずに傍観していた。

「そりゃあね。あれだけ人がいる前で堂々と告白しちゃったら広が

るだろ。」

 半ば唖然としている小宮山とは対照的に、大草は冷静に言う。

「んで?」

 大草が横目でチラリと淳平の方を見る。当の淳平はといえば、自

分の机に突っ伏したまま、時々呻くような声をあげていた。

「そのお前は、どうするわけ?」

 ほぼあきれ返ったような口調で、淳平に問う。大草も小宮山も、

今朝淳平から昨日の話を聞いてから、こんな状態の淳平しか目にし

ていなかった。

「どうしたら良いか分からねぇから、相談したんだろぉ・・・。」

 更に情けない声を出しながら、再びうつ伏せになり、本気で頭を

抱え込む。

「ったく・・・、つかさちゃんと付き合えたってのにそんなことで

悩むことなんかねぇっつうの。俺なら迷わず芯愛高校行くのに!」

「まぁ、それはともかくとして・・・。」

 怒りを噴出しそうになっている小宮山を押さえ、大草が言う。

「やっぱり、素直に言うしかないんじゃない?本当に行きたいのは

泉坂高校なんだ、ってさ。」

 う〜ん、とまた唸ってしまう淳平。

 無論淳平だって、本当のことを言う方が良い事ぐらいはわかって

いる。ただ、頭でわかっているからと言って即実行できるかと聞か

れれば、やはりそうではない。ましてや内容が内容だけに、何とも

言い出しづらいので、躊躇してしまっていたのだった。

「そう言えばさ・・・」

 黙りこくってしまった淳平の頭の上で、大草が何となしに口を開

く。

「真中って、何で泉坂高校行きたいんだ?大学、良いとこ目指して

るとか?」

 何となく気にはなっていた疑問を、大草は口にしてみた。思い返

せば淳平は、かなり以前から、泉坂高校に執着していたように思わ

れるのだ。5年間友達をやっていて、聞いたことがあるような気も

するのだが、どうも思い出せない。

 思い出せないのは、当たり前だ。大草の中で、そう確信する声が

聞こえた。

 それが何よりの証拠に、大草は今までにこんな淳平を見たことが

ない。

 さっきまでの顔はどこへ消えたのか、情けないまでの表情が一

転、とてつもなくシリアスな表情に変わっていた。

「真中・・・・・?」

 同じく異変を感じた小宮山が、そっと声をかける。

「・・・別に、これって言って、理由とかはねぇよ。」

 振り向き、目を合わせた淳平の顔から、その表情は拭い去られて

いた。この顔を見る限り、別にいつもと変わるところは、少なくと

も大草にも小宮山にも見受けられない。

 ちょっとトイレ、と言い、教室を出て行く淳平を、何だかよくわ

からない表情を互いに見合わせながら、二人は「今の、何だ?」

「さあ?」の、短いジェスチャーを交わしていた。

「何で・・・・・か。」

 廊下を一人歩きながら、淳平が呟く。さっきはああ言ったもの

の、淳平には泉坂高校に入りたいという、ちゃんとした目的があっ

た。しかし、

「どうやって言えばいいのかな・・・。」

 またボソリと呟き、むず痒くなった後頭部を掻き毟る。

 淳平が泉坂高校に入りたい理由。今まで、ほとんど誰にも打ち明

けたことのない、彼の唯一の秘密。一番仲の良い小宮山と大草にす

らしゃべったことがない夢。

 以前、まだ淳平が小さい頃に、淳平は他人に対して一度だけその

夢を口にしたことがあった。当時仲の良かった、一つ年下の幼馴

染。何かと一緒にいて周囲から「兄妹みたい」と揶揄されたことも

あった。

 淳平が他人の前でそのことを口にする機械が極端に減ったのは、そんな彼女に夢を話して以来だった。

(他のやつも・・・・・やっぱり・・・)

 相手の反応が怖いから。淳平が夢を語れぬ、最大の理由。
 
 彼女は笑ってしまったのだ。

 どうしてそんな会話の流れになったのかは、当然、覚えてなどい

ない。
 
 ただ事実として、彼女は淳平の夢を笑った。さもおかしそうに。

「淳平には無理だ」と。

(あれはあいつがおかしいだけだ!)

 必死で言い聞かせようとしても、心のどこかで(でも・・・)と

いう声が聞こえる。

(もしかしたら、西野だって・・・・・)

「おーい!淳平くーん!」

 突如背後から呼ばれて、淳平はとっさに全身を緊張させてしま

う。振り向いてみれば、そこにはやはり、今時分と共に学校中の話

題登場率ナンバー1の彼女、西野つかさが自分の方に向けて駆けて

くるところだった。

「あ・・・。」

 咄嗟に言葉が口から出てこなかった淳平は、つかさが近寄ってく

るまで、呆然と立ち尽くしているしかできなかった。一方のつかさ

はといえば、何やらとてもご機嫌な様子であり、淳平としっかり目

が合うなり、にっこりと微笑んだ。

「淳平君、大丈夫だった?」

「へ?」

 開口一番飛び出た言葉に、意味が掴みきれない淳平は、きょとん

とした表情を浮かべながら、首を傾げる。相当に間の抜けた表情で

はあったが、つかさは気にする様子もなく続ける。

「ほら、色々噂になっちゃってるからさ。アタシなんか、もうひど

かったよ!登校したらいきなり質問攻めだよ!もう!!」

 余程質問攻撃が鬱陶しかったのか、一気にまくし立てるようにそ

ういうと、口内に空気を溜めて、ぷくっと僅かに頬を膨らませる。

そういう顔もまた、淳平の目には可愛らしく映り、またも無意識の

うちに返事をしていた。しかし、空返事を特に気にもとめず、つか

さが再び口を開く。

「そうそう!さっきアタシね、職員室行ってきたんだ!それで、先

生がこんなのくれたよ!」

 ややはしゃぐ様につかさが差し出したそれは、A4サイズの冊子

が二つ。快晴の空をバックに聳え立つ校舎の前で、制服姿の人が写

っている写真を載せているものだった。

「はい、芯愛高校のパンフレット。ちゃんと淳平君用のももらって

きたんだ!それで、芯愛高校で夏休みに説明会と学校見学会がある

みたいだから、淳平君も一緒に行こうね!」

「あ、あのさ・・・」

 淳平が何と言おうか迷っているうちに、廊下に予鈴が鳴り響く。

つかさは「次、体育だから行くね。」と最後にもう一度にっこりし

てから、足早に教室へと戻って行ってしまった。

「じゃあ、また明日ね。」

 放課後になってすぐ、荷物をまとめ終えたつかさが、友達に手を

振る。まさにまとめるや否やといった早さで、それを見て友達の一

人がニヤニヤ顔を浮かべ、呆れたように言う。

「おーおー、彼氏に会いたくてうずうずしてるみたいだね、つか

さ?」

「違うよ!今日はちょっと職員室よってから帰らなきゃいけないか

ら、早く行くだけ!待たせちゃ悪いもん。じゃあね!」

 トタトタと教室から出て行くつかさを見送って、「待たせちゃ悪

い」ってことは、結局彼氏絡みじゃん、と苦笑する一同であった。

 
 つかさが用がある先生はちょうど職員室にはおらず、仕方無しに

つかさは職員室の中で待つことになった。これまでに機会がなかっ

たし、そもそもそうしたいとも思わなかったが、他にすることもな

いので、つかさは職員室の中を見物していた。電話で丁寧に誰かと

しゃべっている先生、紙の山を持って印刷室を出たり入ったりして

いる先生や、コーヒーを飲みながら、パソコンで何かを打ち込んで

いる先生もいる。中には、何か相談事でもあるのか、それとも呼び

出されたのか、先生と向かい合って座り、話をしている生徒の姿も

見られた。

 ふと気付くと、つかさは昼間のパンフレットのことを思い出して

いた。夏休みの学校見学もそうだが、それが過ぎて2学期になれ

ば、今度は芯愛高校で文化祭がある。昨日話していた“二人で作る

思い出”が早速増えるような気がして、つかさは無意識のうちに小

さく微笑んでいた。
 
 と、つかさの耳にある先生の声が飛び込んでくる。後から考えて

も、何故この時の言葉がこうも鮮明に耳に入ってきたのかはわから

ない。ただ、その声は確かにつかさの鼓膜を揺らし、強く頭に入っ

てきた。












「志望校を変えたい?」


[No.1399] 2007/11/19(Mon) 20:47:46
62.net059086147.t-com.ne.jp
お詫びという名の言い訳 (No.1399への返信 / 4階層) - 光

ホントにお久しぶりです。

第4章を投稿させていただこうと思っていますが、その前に一言、ほとんど音沙汰無く投稿を止めてしまったことをお詫びをいたします。

理由はいくつかあるのですが、最大の原因は・・・
作者のやつが・・・・・

失恋しました(T_T)(←知らねぇよ、って感じですね)

しかも、間の悪いことに、次の4章を見ていただければ分かるのですが、ちょっと微妙な終わり方なので、どうしてもそのままBADENDにもっていってしまいそうなのが嫌で、書けませんでした。

本当に申し訳ありませんでしたm(_ _;)m


[No.1451] 2008/06/25(Wed) 00:17:39
108.net220216092.t-com.ne.jp
『WHEEL』 第4章―言えない関係― (No.1451への返信 / 5階層) - 光

 この世のある一つの出来事は、この世のその他全ての出来事との

相関により生じる。故に、本来ありえない所に、あり得ないはずの

風を吹かせてしまうようなことは、“彼女”には許されない。もし

も手違いに気が付けば、すぐにでも修復されなければならな

い。・・・そう、あくまで“気が付けば”。


 “彼女”はまだ気付いていない。あのときの風がもたらした変化

に。様々な異常に。よって、未だ修復されない。たとえ気付けない

程の小さな歪みだとしても、その歪みはまだ消えず、そっと何かを

変えていく。ゆっくりと、確実に。


「志望校を変えたい?」

 耳についた先生の声に、つかさは無意識のうちにそちらを振り向

く。声の主は4組の担任の山岡先生。つい二日前、淳平たちに校庭

50週を言い渡した先生、ということで、その時のつかさの頭に

は、少々強烈に印象が残っている先生だった。改めて考えてみれ

ば、あの時山岡先生が淳平に校庭を走るように言っていなければ、

自分たちは付き合い始めなかったどころか、出会いすらもしていな

かったのではないか。そう考えてみると、つかさは山岡先生に感謝

したいやら、それは少し飛躍しているかな、と思うやらで、中途半

端な苦笑いを浮かべた。

 それにしても、とつかさは思う。

(こんな時期から志望校の変更、って・・・?)

 普通、志望校を変えるといえば、学力が思っている以上に伸びる

のでもっと上のランクの学校を狙いたいと思うか、逆に本番までに

は勉強が間に合わなそうなのでランクを下げるか、である。だが、

いずれの場合にしても、それはもっと本番に近付いた11月頃にな

ってから増えだす話題であり、夏休み前のこの時期からもう変えて

しまうというのも不思議な話である。

 相談を受けているのが山岡先生ということもあり、つかさは一瞬

だけ「もしかして」と思い、相談を受けに来ている生徒がよく見え

る位置まで体の位置を合わせる。


 つかさが職員室に行く数時間前。正確には、淳平がつかさから芯

愛高校のパンフレットを受け取った直後、淳平はほとんど放心した

ような状態で教室に戻っている途中だった。

(断れない・・・・・)

 頭の中でボソリと呟く。

(あんなにワクワクしてて楽しみにしてる西野に、今更志望校が違

うなんて言えねぇ・・・)

 かと言って、自分のやりたい事を犠牲にしてまで一人の女の子と

付き合えるほど、淳平は大人ではない。

 では、どうするのか・・・。

 淳平は、はたと立ち止まり、窓の外に目をやる。位置の関係上、

今淳平がいる廊下には直射日光が入ってこないので、この時期でも

壁や床が少しひんやりとしている。そんなところから見える空は、

今日も抜けるような快晴である。遠くの方に浮かぶ、自分とは対照

的に、自由気ままに、気持ち良さそうに浮かぶ雲が、なんとなく憎

たらしい。

 そのまま、空気が重くなるようなため息を一つ漏らし、淳平は教

室に向けてずるずると歩き出した。


「はい。やっぱり挑戦してみたいんです。」

 思わず「あ」と言いそうになり、慌てて口を噤むつかさ。

 そこには、一人の女の子が立っていた。ピンやゴムでまとめら

れ、後ろで二本のお下げにしている黒髪。一部の乱れも見つけられ

ない程に着こなされた制服。肌の感じや、アゴのライン、顔のそれ

ぞれのパーツは非常に整っているが、文字通りその眼前、黒曜石の

ような瞳の前には、黒々とした縁のメガネが、でんとばかりにすえ

られていた。

 なんとなく、淳平の姿を一瞬だけ想像したつかさは、あまりにも

淳平とはかけ離れた容姿の人間の存在に、つい声を出してしまいそ

うになったのだった。

「う〜ん・・・まぁ、東城ぐらいの成績なら受けられない、っても

んでもないけどなぁ・・・」

「やっぱり、難しいですか?」

 メガネの少女の表情が、少しだけ曇る。

「まぁ、桜海は、大丈夫、って太鼓判を押せるような学校じゃない

からな。」

 そんなやり取りを聞いて、つかさは先生の本音に気付く。個人的

には、この生徒ほどの学力なら、桜海学園を受けてもまず受かるだ

ろう、と思っているのだろう。しかし、万が一その生徒が落ちてし

まった場合、立場上あまり無責任な発言もできない、ということな

のだ。

 それにしても、とつかさは思う。

(桜海学園かぁ・・・・・難しそ〜!アタシには届かない世界かな

ぁ。)

 つかさは、再びその少女に目を向けてみる。恐らくこのコはもの

すごく頭がいいんだろう、と思う。言われてみれば、何となくそん

な印象を受ける子である。

(けど・・・このコ・・・・・)

 つかさがその子に対して抱いた考えを頭の中で明確に思い浮かべ

る前に、つかさに声がかけられる。考えてみれば自分は、人間観察

をしに職員室に来たわけではないのであった。


「きゃはははは!」

 夕方の帰り道、つかさの明るい笑い声が辺りに響く。すぐ隣を歩

いている淳平は、ちょっと大げさな身振りをつけながら、テンポ良

くつかさに話しかけていた。

「淳平君って、ホント面白い人なんだね〜!」

「いや、アホなだけだって、マジで。」

 淳平がちょっと照れたように頬を引っ掻き、しかし、どこか得意

になってそう言う。つかさがまだおかしそうにクスクスと笑いなが

ら「そんなことないよ〜」と言って、目を細めて微笑み、漸く気が

済んだのか、ふぅっ、と一息ついた。

「なんか、淳平君と話してると楽しいなぁ♪」

 にっこりとして、ちょっとだけ鼻にかかったような甘え声を出し

ながら、つかさは自分に近いほうの淳平の腕にしがみつく。暖かく

て柔らかい女の子の感触に、少し心臓をドキドキさせながらも、淳

平は捕まっている方の手で、つかさの手を掴み、互いの指と指を絡

めるようにして手を繋ぐ。ついでに、さっきから肩に頬を寄せてい

るつかさの頭に、自分もそっと顔を寄せる。

(・・・とまぁ、そんな妄想をしては見たものの・・・・・)

 やっと現実に返ってきた淳平が苦笑を浮かべないように気を付け

ながら自分の置かれた状況を見ると、

「淳平君って部活、体育会系?文科系?」

「体育会系」

「えー、意外かも!何部?」

「サッカー部」

「ふーん。ポジションどこ?」

「・・・ベ、ベンチ・・・・・」

「あはははは!」

 暫しの沈黙。

「・・・・・ねぇ、キミはあたしに聞いてみたいこととかないわ

け・・・?」

 ほとんど呆れ気味のつかさの台詞。

(現実は、こうだもんなぁ・・・)

「あー・・・あるある!えっとぉ・・・・・」



西野は何部に入ってるの?



(これだと、西野も同じようなこと聞いてたから、つまらないヤ

ツ、って思われそうだな)



西野の趣味は?



(見合いかってーの・・・んなこと聞かねぇよな、フツー)



 西野の胸は何カップ?



(・・・って、それじゃただのセクハラだろ・・・しかも間違いなくハタ

かれるし・・・)

 つかさからは見えない心の中で、淳平が自分の発想の情けなさに

悶え、ようやく(好きな芸能人でも聞くか)と、無難だが、なんと

なく情けない質問が頭に浮かんだ。

 ちょうど、その時だった。



♪〜♪〜♪



「あ!」

「ん?」

 つかさが小さく声をあげ、鞄の中をゴソゴソとまさぐりだす。何

かと思ってみている淳平の目の前で、つかさが鞄から手を抜くと、

その手には携帯電話が握られていた。

 淳平達が通う泉坂中学校では、生徒が学校に携帯電話を持ってく

ることは、禁止されている。つまり彼女は、それを破って携帯をも

っていっていることになるわけだ。が、そんなことより、何よ

り・・・

(着メロ・・・・・笑点っすか・・・)

 なんとなく、今自分が聞こうと思っていた質問に、間接的に答え

られた気がして、淳平は隠しきれないほど大きく、頬をヒクつかせ

た。が、最初のその衝撃を乗り越えてしまうと、淳平の目は徐々

に、携帯の上で流れるように踊るつかさの白い指を、どの動きも見

逃さないほどに見つめていた。

「・・・・・」

「・・・・・」

 しばしの間、無言のままディスプレイを見つめていたつかさは、

届いたメールの返信の文を打ちながら、ゆっくりと歩き出した。メ

ールに集中しながらだから、どうしても小股でのろのろと歩くしか

できないのだから、当然、すぐ隣にいた淳平も、ペースを合わせて

後ろをついていっている。

(でも・・・)

と、淳平は思う。

(なんだかなぁ・・・・・)

 つい先程まで、視線を奪われたように見つめていた淳平は、今度

は少しだけ眉根を寄せてつかさの方を見やる。

(彼氏と二人っきりでいるときに、そんなにメールに集中するもん

なのかな・・・)

 自分でもアホらしいことは重々承知しているのだが、ほんの少し

拗ねてしまいそうになる。物相手に嫉妬をしてもどうしようもない

というか、下らないことではあるのだが、はっきり言って、面白く

はない。

(携帯かぁ・・・)

 更に一言、心で呟く。こうやって、お互いに顔を突き合わせて話

していると、どうしても、照れが先に出てしまう。焦って言葉が出

てこず、ろくに会話が続かないが、メールだったらもう少しまとも

にやりとりできるのでは、と一瞬そんなことを思い浮かべる淳平。

「西野・・・携帯とか、持ってんだ?」

 漸く淳平が口を開いたのは、つかさが二、三回ほど文章を打ち直

して、ざっと中身を確認し、送信のボタンを押して、パタンと小気

味いい音をたてて携帯を閉じてからだった。

「え?・・・あ、ごめんねー!アタシ、一つのことに集中すると、

他の事放ったらかしにしちゃうから。」

 片目を瞑り、ピンク色の舌先を真っ白な歯の隙間からちょろっと

覗かせて、つかさ流の“ゴメンね”ポーズをしてみる。

「あっ、そうだ!ちょっと、待ってね!」

 愛くるしい表情と仕草に、淳平がまたまた意識をとばしかけてる

その目の前。つかさは突然、鞄の中をゴソゴソと探り始めた。そし

て、右手を鞄に突っ込んだまま、今度はその場でしゃがみこんでし

まう。ポカンと口を開けてその様子を見ていた淳平が「何やってん

の?」と聞くと、つかさはちょっとだけ笑い、立ち上がりながら、

鞄から手を抜く。

「淳平君に、良いものあげるねっ!」

 ニッと笑顔を浮かべながら、淳平の鼻先に何かをかざす。反射的

に受け取ったそれは、可愛らしい形の、小さなメモ用紙だった。授

業中に、クラスの女子たちがそれを使って、何やらお喋りしている

のを、淳平も何度も目にしていたが、実際にこの手の紙を自分が手

にするのは初めてのことだった。

「・・・?」

 最初裏向きだったそれをひっくり返す。するとそこには、『09

0』から始まる十一桁の番号が、残りの八つを四桁ずつに区切った

ものが書かれていた。

「西野・・・これって・・・」

「そ、アタシの携帯の電話番号。」

 軽く頷くつかさ。メモに穴を開けてしまいそうなくらい、淳平が

その番号を凝視していると、つかさは妙なことをしていた。右手の

人差し指で自分の耳をつんつんと指差し、ついで、その手をそのま

まの位置で、ちょいちょいと手招きをする。

(耳を貸せ・・・・・ってことか・・・?)

 何とか意味を拾った淳平が頭を傾けて耳を寄せると、つかさは手

招きしていた方の手で口元を隠し、淳平の耳元で小声で囁く。

「他の人には、教えないでよ?この番号、アタシの家族と淳平君し

か知らないんだからね!」

 そう言って顔を離したつかさの頬は、ほんのりと桜色だった。な

んとなく胸の内側にくすぐったさを覚えたつかさは「じゃあ、アタ

シこっちだから!またね!」と言ったきり、小走りに去っていって

しまった。

 しばし放心状態だった淳平の顔が、徐々ににやけてくる。

(西野の・・・・・携帯番号かぁ)

 その携帯電話についさっきまで嫉妬にも似た感情を抱いてたのだ

から、実に現金なものである。が、今の状態の淳平には関係なく、

思いっきりしまりのない表情を浮かべている。

『アタシの家族と淳平君しか知らないんだからね!』

「かなり優越感・・・しかも」

 淳平はつかさの走って行った曲がり角を見る。

(普段、俺もその道で一緒に帰ってるんだけどな。)

 照れて先に帰ってしまうなんて、西野も可愛いところあるんじゃ

ん、などと考えながら、淳平は、ほとんど跳ねるようにしながら、

つかさが曲がった角に向けて歩き出す。

 そして、曲がった先が視界に入るところまで行ってから、淳平は

急に立ち止まる。次いで、今度は本当に、元来た道の方へ一気に跳

び、壁に張り付いた。

「・・・・・・・」

 部活のあととも、この時期に寝る時に暑さに悶えているときのも

のとも違う汗が、体の表面を伝い、ダラダラと流れ出す。

(今の・・・)

 恐る恐る、再び曲がり角の先に目をやる。ついさっき見た光景が

幻であったかのように、そこには何も無かった。

 しかし、

(今のダレ?)

 淳平は確かに見た気がした。

 角を曲がって十数メートル先。西野つかさが、明らかに自分たち

より年上の男と、談笑しながら並んで歩いていた。


[No.1452] 2008/06/25(Wed) 00:24:09
108.net220216092.t-com.ne.jp
『WHEEL』 第5章―ただ、君と一緒に― (No.1452への返信 / 6階層) - 光

 放課後に、体育倉庫の裏へ。

 嫌な感じの目つきの、いかにもケンカ慣れしていそうな奴が底冷

えするような声で、あるいは、気になっている異性が少し顔色を変

えて消え入りそうな声で。どちらの場合でも総じて―――無論、性

質は全くの別種だが―――緊張感の高まるシーンである。いささか

古典的である、という意見は、この際都合よく忘れておこう。

「話って何、西野?」

 今ここにいる彼、淳平もその例に漏れぬ一人。

 その目の前に立つ少女、つかさは、淳平の方を向いていた背を、

クルリと向きを変えて淳平と向かい合う。

「淳平君・・・」

 淳平の視界に入ったその表情から、何の話であるかの予想を立て

ることができるほど、彼女の整った顔には表情が無い。不機嫌、と

いうわけではない。むしろ、おおよそそこには“感情”というよう

なものが見て取れない。

 だけど・・・・・

 淳平は思い、口腔内にたまったツバを、気付かれないように僅か

に飲み込む。こういった状況において、そんな表情ということ

は・・・・・

「なんか、勢いに押されてOKしちゃったって感じだったけど・・・考

えてみれば、アタシ君のこと全然知らないし・・・だから、もう別れ

て。」

 全身の毛が、足元から順に逆立っていく。経験したことの無いよ

うな悪寒が、くるぶしから湧き出て凄い速さで下から上へ、全身を

駆け抜ける。熱で浮かされた時の様に、頭は全く働かないが、指先

や膝といった部分には、たっぷりと必要のない力が入り、凍えてい

るかのように、止めるのが困難なほど震えだす。

「でも、西野・・・・・えっ?」

 どうやら不吉な聞き違いでないことがはっきりしてくると、よう

やく少し回り始めた頭で、なんとかそれだけ搾り出す。が、目の前

の少女は場の空気を一切省みることが無いかのように、単調に続け

る。

「別に、そんなにタイプってわけでもないし・・・正直、付き合って

すぐ違う高校ってのもな〜んか微妙だしね。」

 どことなくぼんやりした調子で、しかし台詞ははっきりと、淳平

の鼓膜に言の葉を突きつける。対する淳平は、先刻からほとんど反

応無し。呼吸の深さも回数も、平時の二割にも満たない状態。

「どのみち、いつまでも夢ばっかり見てる人って、ちょっとな、っ

て思うし・・・だからアタシは、“彼”と芯愛高校行くからさ。」

「彼・・・・・?」

 最後の方に耳に入ってきた単語を、意味を理解する前に鸚鵡返し

に呟くと、つかさは短く「そっ」とだけ答えて、するりと淳平の横

を通り抜け、そこにいた男の腕にしがみつく。














































「・・・・・大草?」

「じゃあね、淳平君。」



















































































「西野っ!!!」




































































 瞬間的に腹筋に力を込め、バッと跳ね起きる。しょぼつく目を無

理矢理引きちぎって開いたときのような痛みが、目の奥でジンジン

している状態で、淳平は暗闇の中で目を覚ました。泣いていたのだ

ろうか、頬には窓から入る街灯を反射してキラリと光る道筋が。枕

には、名前のわからない小さな島の形を模した様な染みが、残され

ている。

 しばらく肩で息をしていると、無意識のうちに右手が額をぎゅっ

と押さえ、前髪を曲げた指に巻き込み、クシャクシャに握りつぶ

す。

「・・・・・」

 寝つきの良い自分が、久々に真夜中に覚醒した。

 その事実までもが、与えられたショックの大きさを、容赦なく淳

平に叩きつける。











































































「西野・・・・・」

 一息毎に張り裂けそうになるまで空気を吸い込む肺を、何とか落

ち着かせ、それだけ口にする。淳平の脳裏に浮かぶのは、つい先日

から自分の彼女となった少女の姿。

 しかし、これまで何度も思い浮かべてきた、そのどの姿とも(本

人を前にしては言えない、ほとんど妄想といった類のものも含め

て)違う姿が、その時は、眼球にこびりついて離れない。

 暫しの沈黙を挟んで、上下運動を繰り返す両肩が一応の落ち着き

を見せ始めたとき。淳平は、再びベッドに、起きたときと同じぐら

いの勢いで、バッタリと倒れこんだ。

























 翌朝の目覚めは最悪だった。

 あの後、結局すぐにまどろむことは出来ず、何度も苛々と寝返り

をうっていた。ようやくウトウトし始めたのは、東の空にほんの少

し群青色が混ざり始めた頃になってから。当然、自力でいつもの時

間に起床できるわけもなく、母親の怒声に叩き起こされる。が、殆

ど無意識ながらも漸く上体を起こした格好で一瞬だけ静止したかと

思いきや、直後にはコテンと、それまでと同じ仰向けの姿勢にな

る。

 本来だったら、とっくに着替えを済ませて朝食を摂り始めていな

ければいけない時間になって、業を煮やした母親が見に来てみれ

ば、先程と同じ姿勢で眠りこける淳平の姿が。それを見て、とうと

う堪忍袋の緒が悲鳴を上げて引き裂ける。結果、着替えだけを済ま

せた状態で、半ば追い出されるようにして、淳平は学校へと向かっ

ていた。
















 完璧に拭ったとはいえ、少しでも余計に動けば、またすぐに汗が

噴出すであろうことが、確かに感じ取れる。

 シャワーを浴びたい。

 今現在、大草は心のそこからそう感じているが、いくら蒸し暑い

時期の練習の後とはいえ、朝練習後の1時間目を控えた身として

は、ほぼ間違いなく叶わぬ願いである。

 額の前で揺れる髪の毛を、鬱陶しそうに跳ね除ける。廊下を歩き

ながらの、何気ないそんな動作一つにも、脇のクラスからこちらを

見てくる女子生徒の視線を感じるが、完全な無視を決め込む。こん

なものに一つ一つ注意を向け、答えていれば、多分自分は明日の朝

練習の後の時間までそれをやらされることになる。

 目的地の3年4組の教室が見えたところで、既にその中にいるか

もしれない二人のことを何となく考える。

 (小宮山は・・・・・まぁ、いつものことだし、真中は寝坊だろ

うな。)

 予想と言うよりも、ほとんど決定していることを確認するかのよ

うに、ぼんやりとそんなことを思いながら、ドアに手を添え、スラ

イドさせる。教室の前の方にある自らの席に移動する途中、ふと見

慣れない状態のものが視界に入ってきた。














































 (これって・・・・・!)





















































 一気に険しい顔つきに変化していきながら、“ソレ”を見つめる

大草。直後に確信したことは、自分が今するべきこと。即ち、今し

がた教室の戸を開けて入ってきた、たらこ唇の友人を急いで呼ぶこ

とだった。



























































(・・・あぁ〜、だりぃ〜・・・・・)

 泉坂中の校門を過ぎた時、淳平の表情は冴えなかった。というよ

り、完全に沈没直前である。成長期のこの時期に、時間が無いから

と朝食も無しで慌てて家を飛び出し、普段のんびり歩いている登校

路を駆け抜ければ、当然、あっという間にエネルギー切れ。足りな

いエネルギーをねだる腹部の弱々しい警報が、更に憂鬱感を煽る。

が、だからといって鳴り止むものでもなく、もう何度胃の声を無視

したか、わからない。

 くぅ・・・きゅるるるるるる〜

 ほら、また・・・・・。

 (ダメだ・・・・・マジ頭働かねぇ・・・)

 ボーっとした思考のまま、よろよろと校門を過ぎ、校舎内に入る

ときにはほとんど下駄箱に寄りかからなければならない状態だっ

た。ほとんど意識の飛びかけたまま、履いてきた靴をしまい、上履

きを放るように床に置く。どこかで、チャリンという音が聞こえた

ような気もしたが、全く気にも留めずに右足を上履きの中に突っ込

む。




























































「・・・・・っつぅ!」





































































 瞬間、つま先の方が熱くなる。疲れも眠気も、一気に吹き飛んで

しまう。

 (なんだ!?)

 むしり取るようにして突っ掛けただけの上履きを脱ぎ捨て、慌て

てその場から飛びのく。ちょっと見た限りでは、右足のつま先は別

にどうと言うことはない。ならば、今のは・・・?

 淳平はサッと顔を、脱ぎ捨てられ、逆さまにひっくり返っている

上履きに目を向ける。そしてそれを、中に毒蛇でも隠れているかの

ように、そっと持ち上げた。

 そして、合点がいった。






























































「・・・・・画・・・鋲?」





































































 広げた掌に落ちてきた4つほどの金色の物体。淳平は先程の違和

感の正体に気が付いた。熱さを感じたのではない。あれは“痛み”

だったのだ。

「なんでこんな物が上履きの中に・・・・・」

 改めて、画鋲の一つ一つをしげしげと観察してみる。心なしか、

一つの先端は、毒々しく赤く光っている気がする。胃の中がぐるぐ

ると回っているような、妙な気味の悪さに、思わず大きな音をたて

て生唾を飲み込んだ。その時だった・・・。

「真中!」

 呼ばれた声に、さっと階段の方を向くと、大草と小宮山が駆け下

りてくるのが見えた。

「お、おぅ・・・おは・・・・・」

「話は外でしよう。ちょっと来いよ、真中。」

 完全に挨拶しきる間も与えない。ほとんど間髪入れずと言った感

じで、大草は淳平の体の向きをクルリと外に向け、背負った鞄をぐ

いぐいと押していく。



























「なんだよ、こんなとこ連れてきて?」

 押されるがままに淳平が連れて来られた所といえば、昨夜夢に出

てきた、例の体育倉庫の裏。そんな状況からもしや、と一瞬淳平の

脳裏を嫌な予感が掠めるが、あの夢とは明らかに違う一点がある。

 (・・・・・考えないでおこう・・・)

 あの夢との登場人物の差に、洒落にならない想像をした淳平は、

小さくブルッと頭を振った。

 そんな淳平の様子など大して気にしていない様子の二人は、一瞬

だけ顔を見合わせると、決意したように切り出した。

「真中・・・その手に持ってるのは?」

「え?・・・・・これ?」

 指差された手に、上履きと一緒に持っている画鋲を、淳平は再度

見つめる。何となく、その辺に捨てるのが嫌で、そのまま持って来

ていたのだった。

「なんだか知らねぇけど、上履きの中に入ってたんだよ・・・」

 言って二人の方を見る淳平。当然二人も、わけがわからないとい

う表情を浮かべていると思っていた淳平は、大草の「やっぱり」と

いう発言に、疑問符を頭の上に浮かべる。

「やっぱり・・・って、どういう・・・・・?」

 淳平がボソリと呟くのに被せるように、小宮山が無言で手に持っ

ていた一枚の紙を広げて見せた。

「?・・・・・!?」

 淳平も同様に無言で視線を移し、そして驚愕する。

 小宮山が広げた紙は、サイズがA4くらいの、少し皺の寄ったもの

で、真ん中に黒のマジックででかでかと、『怨』という字が書かれ

ていた。その周囲には、かなり雑に描かれた火の玉と思しき物や、

悪口雑言の数々(かなり幼稚なものだが)が連ねられていた。だが、

それよりも、最も淳平の目を引いたのは、その紙の一番下に、更に

黒々と書かれている一言。

「オレたちのつかさちゃんをかえせ・・・・・」

 ほとんど反射的に、目に飛び込んできた文字の羅列を声に出す。

足元が急にふわふわと頼りなくなってきたように感じた。なんだ

か、頭もさっきよりボーっとしている気がして、考えの焦点が定ま

らない。

「それと、これ・・・・・」

 そう言った大草が、ポケットから何かを取り出す。また一枚の紙

のようだが、今度のはもっとずっと小さく、紙質も随分と硬いもの

のようだ。まるで・・・












































「・・・写真?」

 大草が取り出したソレを見て呟く淳平。裏返しなので、何の写真

なのかまでは判別がつかない。差し出されたそれを受け取り、表に

返してみて漸く判った。それは、淳平たちが二年生のときに行っ

た、校外学習の時の集合写真だった。

「もしかして、ここに写ってるのって・・・・・」






































































 淳平はササッと、二、三回写真の上に視線を走らせる。思った通

りだった。淳平が“ここ”と言った以外の場所には、どこにも淳平

本人の姿は写っていない。そして、まず間違いなく自分の顔がある

であろうその位置には、黒く焼け焦げたような痕があった。












































































 それからというもの、淳平への嫌がらせは続き、しかも日増しに

酷くなっていった。原因は、どう考えても学校のアイドル西野つか

さの彼氏になったことに対してのひがみ。淳平の親友の某イケメン

曰く[僕のような男ならともかく、真中みたいなパッとしない、つ

まらん男に盗られたら、そりゃあヤツら、怒るに決まってるよね]

だ、そうである。

 だが、そんなことを言っていた本人も、二日目からは、それが冗

談では済まなくなってきていることを、感じ取っていた。上履き、

外履きに画鋲などと言うのはもう当たり前で、ある時は、登校して

きたら、淳平の席の椅子に、一体何日洗っていないんだろう、とい

うような雑巾が、ろくに絞っていない状態で、こんもりと積まれて

いるし、また別の時には、下駄箱から取り出した上履きが、ひたひ

たに濡れていることもあった。しかもどうやら、ただの水で濡らし

たのではなく、何かおかしな液体を使ったのだろう。そうとうに酷

い臭いを放っていた。

 体育館での授業で使うシューズの底の溝が、完璧に埋められてい

て、とてつもなく滑りやすい代物になっていたこともあった。事

実、淳平がこれに気付いたのは、滑って転び、体育館のフロアに強

かに後頭部をぶつけた後のことだった。この時は、すぐそばにいた

大草のフォローも手伝って、少なくとも事情を知らない者からは

「ちょっとしたドジ」で、笑って誤魔化すことができた。

 反対に、酷かったのは、淳平が授業中に、机に手を入れたときだ

った。







 その日最後の授業中。板書を写しながら、辞書を取り出そうと、

机の中を手探りで動かしているときに、それは起こった。

「!!!」

 突然、淳平が椅子に座ったまま飛び上がりそうになり、机と椅子

をガタンと大きく揺らした。

「どうした、真中?」

 読んでいたテキストを中途半端なところで区切り、尋ねる先生。

それに対して淳平は、ほんの少し顔を歪めながらも「いえ、なんで

もないです。」と返した。

 表情や言い方から、近況を知っている大草と小宮山は、すぐにそ

れを嘘だと見破ったが、それを本人に確認することはできなかっ

た。何しろ授業中であったし、この日に限って、少しだけ長引いた

授業が終わって教員が教室を出る頃には、既につかさが4組の教室

の前まで迎えに来ていて、淳平は帰り支度もそこそこに、すぐに行

ってしまったからだ。

「お、大草・・・・・」

 その光景を見送るなり、すぐにやってきた小宮山を見て、大草も

一つ頷くと、淳平の机の中を覗いてみた。

「え・・・・・?」

 信じられないような気持ちで机の中に手を入れ、目的のソレを慎

重に取り出す。出てきたソレを見て、小宮山も驚きの表情を浮かべ

る。






































































 大草が指でつまんだカッターの替え刃には、真っ赤な鮮血がこび

り付き、ギラリと危なっかしく輝いていた。
















































































「でね?今日、ウチらのクラスで数学の小テストやったんだけど

ぉ・・・」

 いつもの下校路。相変わらずの二人が、相変わらずつかさがほぼ

一方的に喋りながら歩いていた。一応、つかさの言っていることが

それなりに頭に入ってきている淳平だったが、ほとんど空返事の状

態で、右手はポケットの中で強く握ったままだった。

「・・・・・って、淳平君?さっきから、アタシの話、聞いてる?」

「うん。」

「ホントぉに?」

「うん」

























































「・・・・・・・聞いてないでしょ?」

「うん・・・・・えっ!?」

 何とも古典的な手に、あっさりと引っかかる淳平。

「やっ、そっ、そのっ・・・!聞いてる!聞いてます!聞いてました

っ!」

 大慌てに慌てて返すが、当然もう遅い。というよりも、淳平が例

え最後のところを「聞いてるよ」と返したところで、つかさには通

用しなかったであろう。

「別にいいんだけどさーっ」

 起こっているというよりも、ほとんど呆れ返っているような様子

で、つかさは鞄を持った手をブラブラと振って見せた。

「“家に帰ってからでも、二人で話すこと可能”だもんね?」

「へ?・・・・・あっ」

 一瞬、ちゃんと聞いていたにもかかわらず、何を言われているの

か咄嗟に判断できなかった淳平が、間の抜けた声を出すと、直後

に、今いる場所を見て気がつく。

(そう言えば、ココで西野の携帯の番号もらったんだっけ・・・。)

 そこまで思い出して、その直後になにがあったのかを思い出す。

最近の騒ぎに、すっかり忘れかかっていたが、そっちもそっちでか

なりの事態であることを、今更ながらに叩き付けられて、深々とた

め息をついた。

「ダメだよ、ため息なんか!幸せが一緒に逃げちゃうんだから!」

 辛気臭くなった淳平に、つかさが隣で明るく喝をいれる。

「ホラ、吐き出しちゃった分、大きく吸って!」

「すぅー」

「もっと、吸って!」

「すぅー」

「吸って!」

「すぅー」

「はい、それからゆ〜っくり・・・・・































































吸って。」

「西野、それ死んじゃうってば・・・」

 ぶはっ、と盛大に息を吐き出しながら、突っ込みをいれる淳平

に、つかさはクスクスと笑いながら、「ゴメン、ゴメン」と、片目

をつぶって謝って見せる。

「んじゃ、あたし家こっちだから“またあとで”ね!」

 再びそれらしい部分だけを協調した台詞を残して立ち去ってしま

うつかさの背中を、暫くの間、手を振って見送りながら、淳平はこ

こ数日のことを思い返していた。






















































































(俺、この道歩きながら、西野とまともに話したことあったっけ?)




























































































「はぁ〜」

 とぷん、と湯船に体を沈めて、つかさがため息をつく。

「結局、まだぜんっぜん、鳴りやしないし・・・」

 ほんの少しだけ声色に怒りを含めて、ボソリと呟く。今しがたの

ため息、どうも温かい湯に浸かったときに思わず出る類のものだけ

ではないらしい。

「なんだかなぁ・・・・・」

 頭を後ろにそらせて、天井を睨みつける。というより、正確に

は、そこに思い描いている恋人の顔を。

















と・・・、

♪〜♪〜♪

「ん?もー、うるさいなっ!乙女の入浴中に!」

 脱衣所から主を呼ぶ声。着替えと一緒に置いておいた携帯が、ブ

ゥーンとバイブ音と一緒に聞きなれない着信メロディを響かせ、つ

かさを呼び出した。

「誰の着メロだっけ?こんな曲、設定した覚えな・・・・・」

 次の瞬間には、もう風呂場のドアを破らんばかりの勢いで開けて

いた。偶々そばを通りかかった母親が驚いて「つかさちゃん!なん

て格好で出てきてるの!」と、叱り付けたが、そんなことはお構い

無しに、むんずと携帯を引っ掴み、風呂場にとって返しながら、通

話ボタンに指を伸ばす。






「・・・・・・・」

 少し長めの風呂から上がったすぐ後、つかさは、ベッドの上に仰

向けに寝転がりながら、ほうっ、と大きく息をついた。しっかりと

水気を吸い取った前髪を、人差し指でくるくると弄びながら、先程

のことを思い浮かべる

「明日、いつもより早い時間に、学校に行く途中の公園に・・・・・」

 言われたことを、一字一句違わず繰り返す。入浴中に掛かってき

た電話は、ディスプレイの表示を確認するまでもなく、淳平からの

ものとわかっていたし、事実その通りであった。

 初めて掛けて来たにしては、いささか声の調子が沈んでいたのが

少し気にはなったが、それでも、漸く向こうから電話してきたので

あった。そのうえ・・・

「早朝の公園で二人っきりかぁ・・・・・」

 コロン、と寝返りをうち、今度はうつ伏せになるつかさ。

「・・・・・ちょっと、期待しちゃうぞ・・・」

 照れくさそうに笑いながら、つかさは手近なクッションに顔を沈

め、暫くしてから、照明を落として、眠りに就いていった。



 翌朝の公園に、淳平はかなり早くから到着していた。ここに来る

途中、何度「ホントに来るかな?」と思ったことか。しかし、よく

よく考えてみれば、別にケンカしているわけでもないのだから、つ

かさが来ない理由など何もないわけであり、そんなものは杞憂に過

ぎないのだと、後から考えてみれば、よくわからない不安を抱いて

いた。

(・・・・・・・)

 じっと、公園の入り口のほうを見つめる淳平。実のことを言え

ば、つかさには来て欲しいような、来て欲しくないような、そんな

複雑な感情だった。

(でも、言わなきゃ・・・・・俺は・・・)

「!?」

 次の瞬間、急に目の前が暗転する。最初、あまりの緊張に目の前

が真っ暗になったのかと思ったが、不思議と意識がはっきりしてい

るため、それはないと、すぐにわかった。咄嗟に視界を奪われ、パ

ニックに陥りそうになった。淳平の耳に、聞きなれた声が飛び込ん

でくるまでは。

「だ〜れだ?」

「・・・・・西野・・・」

「へへ〜、当ったり〜♪」

 パッと視界が明るくなると、つかさが背中のほうからくるりと回

りこんでくるところだった。

「ゴメンね、待たせちゃったかな?」

「いや、俺も今来たところだし・・・。」

 20分前を今というのならそういうことになるだろう。が、さす

がの淳平でも、こんな時にどう答えるべきなのかぐらいは、わかっ

ている。

「それで?話って、なんなのかな?」

 前置きもなく、いきなりストーレートに切り込んでくるつかさ

に、淳平は少し戸惑いを覚える。見てみれば、つかさは何やら楽し

げであるが、一体何を言われるつもりでここへ来たのだろう?そん

なつかさの心中を思いやると、少しだけ罪悪感が、淳平の心の中で

頭を起こした。

「あ、もしかして・・・ちょっと言いにくいことだったりする?」

 中々切り出さない淳平に、つかさは少しだけ控えめな様子を見せ

てみる。何となく一人ではしゃいでいたことに対する恥ずかしさ半

分、無理に急かしたことを悪いと思う気持ち半分、といった表情

で、淳平の瞳の中を覗いてくる。

「いや、別にそう言う訳じゃなくて・・・」

 言っていることとは裏腹に、尚も言いよどむ淳平。しかし、ここ

で心の中でのみため息を一つつくと、少し冷静になって自分に語り

かける。

 どうせ・・・

「淳平く・・・?」

「西野、ゴメン!」

 反応を返さない淳平に声をかけようとした途端、淳平はいきなり

ガバッと頭を下げた。

「なっ・・・いきなりどうしたの!?」

 目をまん丸に見開いたつかさ。が、それにも構う様子はなく、淳

平は続ける。一気に言ってしまわねば、最後までもたない、とばか

りに。









































































































「実は俺・・・・・、芯愛高校行くって行ったけど・・・・・ホントは泉坂高

校行きたくて・・・」

「いっ!?泉坂高校!?」

 言ってしまってからも少しどもり気味な淳平に対し、こちらは素

直に仰天して見せたつかさ。

「な、なんで?急にレベル高くなってない?芯愛じゃ・・・」

「俺さ・・・・・」

 つかさの言葉を遮るように、淳平の口は言葉を紡ぐ。もう淳平と

しては、こうなると語ってしまった方がぐっと楽である。はずなの

だが・・・

「・・・・・」

 やはり、言いづらい。言ってしまえば、多分笑われる。そして、

もう同じ高校には行けなくなってしまうし、そう言う事なら、いっ

そ・・・・・





















































































「すっげー、くだらないことなんだけどさ・・・どうしてもそこでや

りたいことがあるんだ・・・」

 別れよう。そう言われる事を、昨夜何度も覚悟し、自分の気持ち

に最後の確認だってしたはずだ。つかさのことは確かに好きだが、

恋のために夢を捨てきれるほど、淳平は大人でもなければ、恋愛に

慣れてもいない。ならばと、淳平は本当のことを言ってしまおうと

していた。

「西野に・・・・・黙ってたことは、ホントに悪かったと思ってる・・・。

でも、俺やっぱり泉坂に行きたい・・・・・!だから・・・」














































































 もう、俺とは・・・。







































































「泉坂かぁ・・・・・数学さえ何とかなれば合格できるかも、って先生

も言ってたし、頑張ってみようかな・・・」
















































「へ?」

 いっそこっちから決定打を言ってしまおうかと、逡巡していた矢

先の出来事だった。

「西野・・・・・いいの?」

「うん、そだね。アタシも泉坂高校目指してみるよ!」

 呆気にとられたように聞き返す淳平に、ケロッとした表情で答え

るつかさ。なんとなく不安になった淳平は「いや、そうじゃなく

て・・・」と、更に聞き返す。

「西野・・・・・芯愛高校は・・・・・・・?」

 淳平が呟くように聞くと、つかさは「あぁ、いいのいいの!気に

しないで!」と、明るく、顔の前で手をブンブンと振ってみせる。

「淳平君は、そこでやりたいことあるんでしょ?だったら・・・・・」

「笑わ・・・・・ないの?」

 思わずポツリと漏れた言葉。展開について行けず、ほとんど無意

識に放った言葉だった。が、どうやらこれがつかさには、あまりお

気に召さなかったらしい。ぷうっ、と膨れっ面になると、ジトッ、

と淳平を見ながら、口を尖らせる。

「なぁに?淳平君の中で、アタシってばそんなに嫌なコなわけ

ぇ?」

「い、いやっ!そういうわけじゃ・・・・・!」

 そのものズバリをグサリと言い当てられて、思い切りあたふたす

る淳平。それだけでバレバレなのだが、それでもつかさはふうっ、

と一つ息をつくと、口を開く。

「確かに、夢ってさ・・・・・誰かに言うのすごい恥ずかしかったり、

言った後で叶わなかったらカッコ悪いな、とか・・・言ったときに笑

われたら嫌だな、とか思うだろうけど・・・・・」

「でも・・・」と、つかさは一度そこで口をつぐみ、少し俯く。淳平

が首を少しだけ傾げると、今度は少し赤くなったつかさが、勢い良

く顔を挙げて、



















































































「アタシは、そういうの・・・・・・・・・そういう人、すごくカッコ良く

て・・・・・好き・・・だよ?」

 満面の笑みで、そう言って、今度は耳まで真っ赤になる。

 脳の回転が、ほとんど停止しかかる。自分の脚に、なんだか酷く

現実感がないし、心臓など自爆するのではないかと思うほど、とん

でもないスピードと強さで、バシバシと肋骨を叩いている。

 結局、あれだけイメージの中でこれを告げる練習を繰り返した淳

平に用意されていた結末は、こんなにもあっけなかった。そう思う

と、なんだか急速に、これまでの一切合切が、どうでもよく感じら

れてきた。と・・・、

「あれ?でもそれじゃ・・・」

 少し冷静さを取り戻して、ふと考える。それじゃ、つかさは一

体・・・。

「じゃあ、西野って何で芯愛高校行きたかったの?」

 何気ない一言が、核心を突くということは、よくあるらしい。そ

して今回の場合、大当たり。

「いやっ・・・・・だから、それは・・・さ・・・・・」

 先程とまでは全然違う理由で赤くなるつかさ。それまでのサバサ

バとした印象はどこへやら。一気にモジモジと、なんだかしおらし

くなってしまった。

 さかんに首を傾げる淳平に、つかさはとうとうボソボソと、蚊の

鳴くような声を漏らす。







































































「・・・朝8時まで眠れるなんて・・・・・学生の憧れ・・・じゃない?」














































































 今度こそ、本当に思考が停止しそうになる。

(えっと・・・・・睡眠時間?たった・・・・・・・それだけ?)

 自分は、恋か夢か、どちらを選ぶかで、あんなに真剣に悩んでい

たのに。まさかその競争相手が・・・・・。

「・・・ぶっ・・・・・あははははははは!」

「あーっ!笑うことないじゃんかぁ〜!!!」

 最初の衝撃さえ過ぎてしまえば、何のことはない。これで結局

は、春からも同じ学校に行けるらしい。当然、受かることが出来れ

ば、という前提つきではあるが、今までの不安とは、段違いであ

る。

「ゴメン、ゴメン!悪かったって!!」

 思い切り笑われて、完全に拗ねてしまい、さっきよりも更に頬に

空気を溜めて膨れているつかさを、なんとか宥めようとする淳平。

しかし、そんなつかさの表情も、なんとも可愛いと思えてしまい、

それでさらに可笑しさがこみ上げてくる。

(・・・・・そうだよな。西野は、ちゃんと俺の夢聞いてくれたのに、俺

が笑っちゃダメだよな。)

「西野。」

 ふっ、と真面目な顔になり、つかさを呼ぶ。つかさも、視線を向

けた淳平の表情が一変したのを見て、ちょっとだけ頬の空気を外に

出す。

「笑ってゴメン。もしかしたら、もう嫌われちゃったかも知れない

けど・・・」

 はっきり言って、恥ずかしい。まさか、女の子にこんなこと言う

なんて、今まで見てきたどんなクサイ映画にも負けないほど、プン

プンである。しかし、

「一緒に泉坂、目指そうぜ?」


言った、と淳平は達成感を感じる。あとは、つかさの返答しだいな

のだが・・・。

「淳平君が、思いっきり笑うから、ヤ〜ダヨ♪」

 ぷいっ、と意地悪顔で、再びそっぽを向いてしまう。冗談なのが

わかっているので、淳平も「頼むよ〜」などと、明るいノリで、な

んとかつかさを振り向かせようとする。すると、

「じゃあ・・・・・」

 公園の入り口まで行き、急に振り返ったつかさ。そして何故か、

鞄を持っていない方の左手を、ピッと淳平に向けて差し伸べる。

 突然の行動に、ポカンとした表情の淳平に、つかさは、

「今日から毎日、学校まで手繋いで行ってくれたら・・・・・考えてあ

げてもいいぞっ!」

 三度、頬を染めて言うつかさ。淳平も、正直に言ってかなり顔が

熱くなっているのを十分にわかっていたし、それがどれほど恥ずか

しいことか、理解できていた。

しかし・・・・・

「よろしくな・・・・・西野・・・」

 ポケットから出した手を、そっとつかさの手に重ねる。つかさ

も、その瞬間は驚いたような表情を浮かべたが、すぐに嬉しそう

に、手を握り返す。

「うん・・・。」

 にっこりと微笑むつかさ。その笑顔だけで、ノックアウトされか

かって、淳平は頭から盛大に湯気を吹き上げる。

 最高・・・。

 そんな風に、淳平が天国を垣間見ている時だった。

「ん?」

 繋がれた手を見ていたつかさが、ふと、怪訝そうな声をあげて、

小首を傾げる。






























































「淳平君・・・・・その指、どうしたの?」


[No.1481] 2008/11/04(Tue) 01:24:41
63.net119083103.t-com.ne.jp
『WHEEL』 第6章―ここから始まる― (No.1481への返信 / 7階層) - 光


 今日もまた、一日が始まる。いつもと変わらない日常、というも

のは、ここ泉坂中学校にも例に漏れずやってくる。

 真面目な運動部の面々は朝の練習を終えて戻ってきているし、女

子連中は登校するや否や、一番仲の良いグループで教室内に点々と

散らばり、帰宅して以降から蓄積していた話題の山々を盛んに吐き

出しては、何がそんなにおかしいのか、弾かれたように笑い出す。

そしてまた、教室のドアが開き、新しいクラスメートが入ってき

て、自らの席に荷物を放り出し、いつもの顔ぶれの集まる集団に入

っていく。
 
 だが、退屈な日常というものは、得てして崩れやすいもの。今日

はそのドアが一際大きな音を立てて開いた瞬間にその日常が壊され

た。

 随分元気良く開けたのはどいつだと、音のした方をむく。それ

を、全員一斉に行ったことがわかるかのように、次の瞬間には、騒

がしかった教室内が、急激に冷え切っていく。


 今しがた入ってきたのは、このクラスに在籍する女生徒の一人

だ。文字にすれば、別段特筆すべきでもない、どこにでもある光景

といえる。わかりやすくするため、少々その場にいた一人の男子生

徒の主観の入った書き方をするなら、まず、鞄が机の上に体当たり

をかまし、否、持ち主によって体当たりさせられ、次いで、乱暴に

引いたイスの上に、その華奢な体格からは想像もできないほど荒々

しいドスンという音を立てて座る。何よりも、一連の動作を起こし

ているのが、目鼻立ちの整った、所謂“可愛い”部類に属するよう

な女の子なのである。









 と・・・












「もうっ!」


 当の少女、何がそんなに気に入らなかったのか、突然先刻叩きつ

けたばかりの鞄に、握りしめた両の手を振り下ろし、同時に、ほと

んど凄みは利いていないが、憤怒の感情だけは惜しみなく載せた怒

声を吐き出した。














「へぇ?じゃあ、とりあえず西野の誤解は解けたんだ?」



 当の少女の癇癪玉が爆発しているそのころ、下の階の三年四組で

は、大草が少しだけ感心したような声を出していた。


「まぁ、ね・・・・・西野も泉坂高校目指す、って言ってくれた

し、それは一応良かったんだけど・・・」






 そこまで言って、淳平は言葉を濁らせる。自分を悩ませていた最

大の原因を、漸く一つ取り除けたのだから、それは間違いなく喜ぶ

べきことなのだが、なんとなく歯切れが悪い。


「んで、それが終わったから今度は新しい問題に挑戦する、と?ホ

ント、真中って受験生の鑑だよなぁ〜?」


 薄ら笑いを浮かべながら嫌味をたれる大草に「やりたくてやって

るわけじゃねぇよ」と、口を尖らせる淳平のツッコミも、弱々しく

元気が無い。

 大草が言った通り、淳平は、既にある火種をさらに燃え上がらせ

るような状態を起こしてしまっていた。今朝方つかさと手を繋ごう

としたとき、差し出した手に巻かれた絆創膏をつかさに見られてし

まったのである。

 ただちょっと、切っただけ。そうであるならば全く何の問題も無

かったし、事実淳平はそういって誤魔化そうとした。が、元来人を

騙すことに向いている性格ではない淳平。ちょっと言いよどんだ状

態でそう告げたところで、つかさの疑いは、消えるどころか余計に

膨らんでいく。そこをキッチリと問い詰められて(淳平にとって不

幸なことに、早い時間に待ち合わせたために、時間だけはたっぷり

とあった)結局は、ここ最近続いている嫌がらせのことや、手の傷

がそのせいでできたものであることを、しゃべるはめになってしま

ったのだった。

 当然ながらつかさは、そのことについて激怒。更には、その相手

がわからないということもあり、その怒りの矛先を失った状態なの

で、登校中は淳平の心配をするか、見知らぬ相手に対して怒りを燃

やしているかのどちらかだった。当然、そんな状態なので、中学生

の男女が仲良く登校するムードなど、ぶち壊し。何ともいえない嫌

な空気を感じたまま、淳平は登校することになってしまった。別に

淳平が悪いわけではないのであるし、その場に嫌がらせの犯人がい

るわけではないのだから、つかさがその場で怒っても仕方が無い。

そう割り切れたものでもないことは、重々承知してはいても、一緒

にいる淳平にしてみれば、最悪に居心地が悪い。踏んだり蹴ったり

である。






「でもまぁ、こういうのはほとぼりが冷めりゃ、だれも気になんか

しなくなるだろ・・・」

 大草のこの予想は、概ね正しい形で現れた。それから2〜3日

で、淳平に対する嫌がらせは、急速に見られなくなっていったので

あった。これには、どうもつかさに因るところが大きいというの

が、淳平と大草、小宮山の三人の共通の意見だった。嫌がらせのこ

とがつかさに知られたあの日以降、つかさは休み時間と言えば、淳

平のクラスに顔を見せるようになり、下校時も、まっすぐに四組に

向かい、出来るだけ淳平と一緒にいる時間を増やしていた。

 嫉妬心から嫌がらせをする人間は、自分の行いが、好意を向けて

いる相手に発覚することを何より恐れる。要するに、つかさがいる

前では、淳平に何かしたくとも、できないということであろう。

 つかさは、たまに一人で四組に来ることもあれば、友達何人かと

連れ立って来るときもあった。曰く、「だって、休み時間を淳平君

だけとしか過ごさないんじゃ・・・ねぇ?」とのこと。つまりは、

彼氏も大事だけど友達も大事、そういうことなのだろう。

 二人きりではないにせよ、一緒にいる時間は増えたし、嫌がらせ

も減ってきたしで、淳平にとってもその状態は、決して悪いもので

はなかった。そして、そんな状態のまま、夏休みまで、残り数日を

数えるようになっていた。





























 そんなある日のこと。全ての授業が終わり、後は帰宅するだけ

か、残り僅かの部活に精を出すかの生徒たちの最後の仕事。掃除の

時間である。

 義務教育の機関としては、恐らく日本だけであろうと言われてい

る、学生が自分たち自身で清掃活動をするというこの時間は、ある

教育学者に言わせれば、教育上非常に良いことだということであ

る。が、それも当然、“やっていれば”という言葉がつけば、の話

である。

 全部が全部、というわけではないが、大体の生徒たちは言われた

からやっているだけ、という姿勢がありありと見て取れるし、その

ように、やっている姿勢だけでも取り繕おうとすることさえせず、

完全に友達とのトークの時間と決め込んでいる者もいる。イスを机

の上に載せて、端に寄せたすぐ近くでは、右手から放られた丸めた

雑巾が、長めに構えた箒のフルスイングの餌食となり、教室の中空

に弧を描く。


「お〜い!淳平くぅ〜ん!!」


 ギリギリ不自然なくらい思い切り時間をかけて叩いていた黒板消

しを両手に持った淳平が、名前を呼ばれて振り向く。換気のために

大開放された廊下側の窓から、つかさが顔をのぞかせて、手を振っ

ていた。

 教室中のほとんどの視線が自分に向くのは、未だに慣れることが

できず、なんともくすぐったかったが、それでもほんの少し優越感

に浸りながら、淳平は片手を挙げてつかさに答える。持ったままの

黒板消しから白い粉がハラハラと舞い落ち、淳平の頭にちょっとだ

け降りかかる。それを見てクスリと笑いを漏らすと、つかさは「早

くしろよぉ」などと言い、廊下の反対側の壁に寄りかかった。

 持っていた黒板消しを教卓の上に無造作に放り出し、寄せてあっ

た机の幾つかを、大体このあたりだろう、とアタリをつけて並べる

と、淳平は自分の鞄を掴んで、さっさと教室を後にするのだった。


「ねぇ、淳平君?帰りにちょっと寄りたいところがあるんだけど、

いいかな?」


 並んで歩きながらお喋りを楽しんでいる最中、つかさがふと思い

出したかのようにそう聞いてくる。特に用事もなかった淳平が二つ

返事でそれを了承すると、つかさはその直ぐ後の、いつもは右折す

る交差点を直進し、淳平の手を引きながら(たまには淳平がリード

してほしい、と常々言っているが、未だに実現しない)駅の方に向

かって歩を進めた。


(なんだろう?何か買いたいものでもあんのかな?それ

か・・・・・もしかして、下校途中に寄り道デート!?)


 頭の中が都合のいい(おまけに、どんどんエスカレートしていく)

妄想でいっぱいになる淳平。よく見ればはっきりわかるほど顔をに

やけさせながらも、二人分も持っていたかと、こっそりサイフの中

身を思い出そうとしていた。

 だが、淳平の期待(あるいは、不安?)を他所に、つかさはファー

ストフード店を無視し、ファミレスの前を過ぎ、いつだったか小さ

な雑誌で紹介された、ちょっと名の知られた喫茶店の前を素通りし

た。だんだんとわけがわからなくなってきた淳平の目の前で、つか

さがようやく足を止め、「あ、ココ!」と言ったところは・・・















「ベーカリー・・・・・上井?」


 焼きたてのパンの香ばしい匂いに鼻孔をくすぐられながら、淳平

が目の前に掲げられた看板を読み上げる。凝った飾り文字を用いて

書かれているためか、ちょっと自身が無さそうに語尾をあげてい

る。


「違う、違う。その上だよ、上。」


 しかし、つかさが目指していたのは、今正に買い物鞄を提げたお

ばさんが出てきたところではないらしい。きょとん、とした表情を

つかさの方に向けた淳平は、繋いでいない方の左手でちょいちょい

と上を指す指先を見ていた。そのまま視線をスライドさせた先、パ

ン屋がある建物の二階の窓には、窓ガラス一枚につき一文字の割合

で、大きな文字が貼り付けられていた。


「教英・・・進学塾?」


 今度は、つかさからの訂正は入らなかった。ということは、目的

地はその学習塾であることに間違いはないのであろう。つかさはこ

この塾生だったのであろうか。それにしては、今までに一度もそん

な話はされなかったし、特に何曜日は一緒に下校できない、という

こともなかった。第一、仮につかさがそこの生徒だったとして、今

ココに淳平を連れてくるという理由にはなりそうもない。

 一体、自分は何でこんな所につれてこられたのだろう?淳平がそ

んなことを考え始めた時だった。


「ほら、何してるの!早く行くよ!」


 既に二階へと通じる階段の前に立ちながら、つかさが声をかけて

きた。何の説明もされずに、何がなにやらわからぬまま付いていく

のは、自分でもマズイとは思ったが、実際にここまで来てしまって

からつかさ一人を残して返るわけにもいかず、淳平は慌ててつかさ

の後についていった。

 十数段の階段を上がり、緊張の面持ちで開いたドアの先は、淳平

が知らない空間が広がっていた。入ってすぐ目の前はパソコンが一

台置かれているカウンターになっており、右手は大きめのゲタ箱が

置いてあって直ぐに行き止まり。左手から奥に進めるようになって

おり、その先には、大小様々な教室の扉がたたずみ、中から講師た

ちの威勢のいい声が微かに漏れ聞こえてきている。


「こんにちは〜」


 突然カウンターの奥から聞こえた声に、淳平はギョッと振り向

く。そこにいたのは、30代後半くらいと思われる、細身の女性で

あった。事務でも担当しているのだろうか、つい今まで座っていた

であろう席には、なにやら細かい数字が書かれた書類が、パソコン

操作の邪魔にならないように脇に除けられて、きちんと置かれてい

た。



「すみません、入塾案内を貰いたいんですけど・・・」



 どことなく間延びした話し方をする事務の女性に対し、つかさは

ニコニコと話しかけている。未だに自分がどんな立場にいるのか曖

昧な淳平は、ヘタなことは言わない方が良さそうだと、完全に傍観

する覚悟を固めたところだった。


「はい〜。そっちのお友達も一緒に、ってことでいいのかしら

〜?」


 初対面でもホッとするような笑顔を浮かべてそう尋ねられ、バッ

チリ目まで合ってしまったとあれば、淳平も何も言わないわけには

いかない。「あ、はい」とだけ声に出したが、完全に硬直してしま

っている喉からは、とても小さな声がようやく顔を覗かせる程度だ

った。



 風呂上がりの体を窓からの涼風で冷ましながら、淳平はゆっくり

と考えを巡らせていた。

 放課後につかさに連れて行かれた塾。

「ちゃんと泉坂目指すなら、すぐにでも本気モードでいかないと

ね!」入塾のための資料を受け取り、一緒に帰る道すがら、つかさ

が自分に向けて言った一言が、淳平の頭の中に蘇る。




(まぁ、実際そうなんだろうな……)




 ごろりとひとつ、寝返りをうつ。淳平とて、今のままの学力で泉

坂に入れるはずがないことは重々承知の上である。いつかは本腰入

れて受験勉強というやつに向き合わなくてはならないこともわかっ

てはいた。だが、まだまだ部活動が続いていることと、実際に周囲

がそこまで受験に対してガツガツした雰囲気になっていないこと

で、淳平本人も、どこか本気で受験のことを考えられないでいるの

だった。

 しかし、今さら確認しなおすまでもなく、泉坂高校はそれなりの

進学校である。超が付くほどの難関校というわけではないものの、

毎年卒業生から、日本の最高学府への進学者を出していることも事

実であり、とすれば、やはりそこに入るためにも、きちんと合格す

るための準備というやつは必要になってくる。
















「………」


 想像していたよりも早く、いよいよ受験勉強を始めていかなけれ

ばならない時期に突入したことによる嫌な感じは不思議とない。淳

平はそれよりも、ほんの少しだけ気恥ずかしさを感じていた。泉坂

高校に入りたい。確かにはっきりとつかさには伝えたし、間違いな

くそう思っていた。だが、思い返してみれば、だからどうしよう、

だとか、そのためにはこれをやっておく必要がある、といった具体

的な目標意識というものを、淳平はしっかりと持ってはいなかっ

た。というか、つかさに言われるまで、きちんと勉強するための方

策さえ、曖昧なままにしていたことに気付かされた。





































(俺……本当に泉坂行けるのかな…)




 既に淳平は母にこのことを話しており、塾に通うかもしれないこ

とは、了承を得ている。「あの淳平が、自分からきちんと受験のこ

とを考えていたなんて」と、母親を少しだけ感動させるような場面

も作っておきながら、淳平の心の中には、やる気よりも不安だけが

大きく膨らんで行っていた。

 淳平の抱いている不安など、ものともしないかのように、二人の

塾通いはトントン拍子にことが進んでいっていた。早速その日の夜

には淳平の母が塾に電話を入れ、翌日の面談と授業体験が確定して

しまっていたのだった。

 そのことが淳平の耳に入ってきたのは、翌朝。すなわち、授業体

験にいく当日。起き抜けの頭にそんな情報を突然放り込まれて、自

分には悩む暇も与えずに決めてしまったのかと、淳平は憤慨した。

だが、朝の忙しい時間帯にそんなことで言い争っている余裕はない

し、なにより「あんたが行きたい、って言ってきたんじゃない

の!」と、尤もなことを言われて返す言葉もなく、結局は、怒涛の

ように変化する状況に飛び込んでいくしかないことになるのであっ

た。

 最初こそぶちぶちと文句を言っていた淳平だったが、登校中、つ

かさも同じ授業での体験を受けることが決まったと知り、少しだけ

気分が軽くなっていたのだから、気楽なものである。

 それでも、その日の夕方になると、淳平は一人で家路につきなが

ら、段々と気分が重くなっていくのを感じていた。つかさの方は授

業体験の前に面談を受けるらしく、彼女は終業のチャイムととも

に、サッサと帰宅してしまっていた。

 早めの夕食をもそもそと食べ終わり、クローゼットの奥から、長

いこと使っていなかったリュックを取り出してノートと筆記用具だ

けを放り込んで、淳平は教英進学塾への道を、自転車で走りだし

た。


[No.1600] 2011/04/21(Thu) 17:35:29
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