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regret-73 - takaci - 2010/09/03(Fri) 19:24:58 [No.1589]
regret-74(Fin) - takaci - 2010/09/10(Fri) 20:04:12 [No.1590]
Re: regret-74(Fin) - ふれ - 2010/09/11(Sat) 22:33:36 [No.1591]



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regret-1 (親記事) - takaci

ピリリリリ・・・ピリリリリ・・・





カーテンの隙間から柔らかい朝日が差し込む静かな部屋に電子アラーム音が鳴り響く。





ベッドの中からモゾモゾと手が伸び、音源の目覚まし時計のボタンを止めた。





「・・・朝か。なんかだるいな・・・」





寝起き間もない頭はぼんやりとしか動かない。





♪〜〜♪♪





今度は携帯が鳴った。





そのメロディは主にメール着信を知らせる。





持ち主は緩慢な動作で携帯を手に取り、画面を覗き込んだ。





「あいつは朝から元気だな・・・そっか、今日から学校だったな・・・」





重い気分の要因に気付いてさらにやる気が無くなるが、このままベッドでのんびりしていられるほどの時間の猶予はない。





少ない気力を奮い起たせてベッドから抜け出し、ゆったりとした動作で部屋から出ていった。











4月。





今日から新しい学期、新しい学年が始まる。





生徒が学校に着いてまず最初に確認することがある。





他の生徒もその確認作業のため校舎の一角に集まっており、賑わいを見せている。





「6組か・・・」





クラス分けを表示する大きなボードの中に、自分の名前を確認した。





佐伯秀一郎





そして秀一郎は他の知った名前を捜し始めた。





「ふーん、まあ予想通りのクラス分けだな・・・」





それが秀一郎の感想だった。





「よっ、佐伯!」





「おお、若狭か」





振り返ると、友人であり去年のクラスメイトが立っていた。





「今年も同じクラスだな。また一年よろしくな」





「おお、そういやそうだったな」





秀一郎は友人の挨拶を受けて、また改めて掲示板を見上げた。





若狭正弘





秀一郎と同じ6組にこの友人の名前があるのを確認した。





「しっかし面白くないクラス分けだな。旧3組は大体が新3組だぞ。俺達は小数派だな」





正弘がそう感想を言うと、





「それだけ文1を選択する奴が多かったってことだな。それよりお前がマジで文2を選んだことが俺には驚きだ」





秀一郎は皮肉めいた顔を正弘に向けた。










高校のクラス分けは選択科目で決まる。





秀一郎の通う泉坂高校は1年から2年に進級する際、大きく3つに分けられる。





まず文系と理系。





そして文系は私立四大、短大希望の文1と国公立四大希望の文2が選択出来る。





1組から4組が文1で5組から7組が文2、8組が理系クラスになっている。





秀一郎は1年3組だったが、クラスメイトの大多数は文1を選択して2年3組の半数以上を占めていた。





逆に文2を選択した元クラスメイトは少なく、知っている名前はまばらだった。





簡単に言えば文2は文1よりレベルが高く、成績の良い生徒が集まる傾向にある。





正弘の成績は全体でも低い方なので、友人の秀一郎でなくても文2の選択は意外に思えた。





「確かに俺は佐伯より成績悪いさ。でも俺からすれば佐伯が文系選択したほうが意外だ。お前は理系に行くと思ってたからな」





「まあな、けど俺なりに考えがあるのさ」





「とにかく楽しくやろうぜ。幸い目当ての女子も一緒のクラスになったからな」





「女子?」





正弘のこの言葉に反応した秀一郎。





正弘は獲物を定めた獣のような眼を輝かせ、





「桐山が同じクラスだ」





笑みを浮かべて掲示板を見上げていた。





「桐山?」





秀一郎は初めて聞く名前だった。





改めて掲示板を見ると、確かに6組に名前があった。





桐山沙織











「お前、桐山知らないのか?」





ふたりは6組の教室に入ると、真っ先にその話になった。





「知らないって。他のクラスの女子で名前知ってる奴なんて居ないって」





それが秀一郎の事実だった。





「全くお前は何のために共学の高校に来たんだよ・・・かわいい女子の名前は押さえておこうぜ」





呆れる正弘。





「ってことは、その桐山って女子はかわいいのか?」





「俺達の学年じゃかなりレベル高いぜ。おまけに成績優秀。ただ人付き合いが苦手で友達は少ない。男子の友達なんてゼロだそうだ」





「お前、そんな女子とどうやって仲良くなるつもりだ?ハードル高くないか?」





「そこで同じクラスメイトって状況を活用するのさ。これから毎日顔を合わせるんだ。親しくなるきっかけはいくらでもやってくるさ。お、噂をすれば、あれが桐山さ」





正弘が後ろの扉を指差したので自然とそこに顔が向く。





「ん?」










すっと長い黒髪がまず眼に入った。





正弘の言う通り、確かに整った顔立ちをしており





どこか上品な感じに見える。










だがそれよりも先に、










(あの子・・・)










ガラッ





「おーいこれから始業式だ。全員体育館に行けー」





「はあ・・・これで担任が黒川先生じゃなかったらよかったのになあ・・・」





ガクッと落ち込む正弘は、秀一郎の表情の変化に気付かなかった。





















(正弘あいつどのくらい時間かかるのかなあ・・・放課後付き合えって、どこ行くつもりだあ)





今日は始業式のみで授業はない。





ただ正弘が、





「放課後付き合え。俺ちょっと部活に顔出して来るからちょっと待ってろよ」





と言われたので、屋上で時間を潰していた。





「・・・」





何も考えず空を見上げて雲の流れを追う。





秀一郎はここからのこの眺めがお気に入りだった。





待っている時間は主観的には「ちょっと」を越えている気もするが、今はさほど気にならない。




















ガチャン





鉄の扉が開く音が耳に届いた。





反射的にそちらに目を向ける。




















「桐山?」










入口に今日からのクラスメイト、桐山沙織が立っていた。


[No.1491] 2009/04/19(Sun) 18:46:25
p57ddf5.aicint01.ap.so-net.ne.jp
regret-2 (No.1491への返信 / 1階層) - takaci

「佐伯くん、なんでここに?」





「俺は若狭を待っててさ。てか、俺の名前知ってるの?」





始業式の後のホームルームで自己紹介をさせるクラスもあるが、担任の黒川はさせなかったので新たなクラスメイトの顔と名前を覚える機会はなく、秀一郎も全然わからない。





今朝の正弘との会話がなかったら、桐山沙織という名前は知らなかった。





また沙織が秀一郎の名前と顔を一致させる機会はまだなかったので、沙織の口から自分の名前が出てきたことが意外だった。





そんな沙織は静かに秀一郎の側に歩み寄り、





「もちろん知ってるよ。だって・・・」





スカートのポケットから古いキーケースを取り出した。





「あたしの大切なこれを、直してくれた人だから」





優しくかわいい笑顔を見せた。











去年の秋頃、このふたりは出会っていた。





とある放課後、秀一郎が校舎の階段を上がっていた時、





「ん?」





上からこのキーケースが転がって落ちてきた。





自然に拾いあげたとき、女子生徒が慌てて降りてきた。





「お前のか?」





「うん。拾ってくれてありがとう」





「別にいいけど、これ壊れてるぞ」





「ええっ!?」





「ほら、鍵が外れてる。これお前のだろ?」





秀一郎の右手の上にはこのキーケース本体と、明らかにこの本体から外れたと判る鍵が乗っていた。





「本当だ、どうしよう・・・」





「えらく古くて使い込んだキーケースだな。寿命じゃないかな」





「そんな・・・でもそうかも・・・どうしよう・・・」





女子生徒の口調はかなり重い。






「大切なものなのか?」





「うん。お母さんの形見なの・・・」





「お母さん?」





その言葉に驚き、この女子生徒の顔に目をやると、





「うん・・・どうしよう・・・」





今にも泣き出しそうな表情だった。










それを見た秀一郎は改めて手にしているキーケースに視線を落とし、





「・・・ちょっと見てみるよ」





キーケースを開けて破損部分を確認した。





「・・・この留め金が壊れたんだな」





「直るの?」





「元通りには戻らない。けど多少見た目の雰囲気が変わってもいいのなら、何とかなるかも」





「本当?」





必死にすがるような目を秀一郎に向けた。





「お前、これから時間大丈夫か?ちょっとかかると思うけど」





「うん、大丈夫」





「よし、じゃあ行こう。付いてきてくれ」





秀一郎は引き返して階段を下りる。





女子生徒も秀一郎の後を追った。










ふたりが向かったのは、技術室。





秀一郎は技術担当教師に 、





「先生、材料少し分けてください。あと工具使わせてください」





そう断りを入れ、





「えーっと確かここにちょうど良さそうなステンレスの板材が・・・あったあった」





材料を手に取り、





「これでここを外して・・・」





工具を使って壊れた留め金を丁寧に外した。





そしてノギスで採寸し、形状を頭に入れてから材料を旋盤にセットする。





「よし・・・」





旋盤が動き出し、金属音を奏でながらステンレス材の形がみるみる変わっていく。





「よし、これであとは・・・」





大まかな形が出来た材料を旋盤から外し、リューター(電動ヤスリ)を使い手作業で最後の微調整をして、





「よし、これでOKだ」





新たに造った留め金を丁寧にキーケースにはめ込んだ。





「ほらよ。新たに造ったところだけ光沢の具合が違っちゃったけど、キーケースとしては使えるはずだ」





女子生徒に手渡すと、





「わあすごいすごい!壊れた部品を一から造って直しちゃうなんて・・・」





感激してとても良い笑顔を見せていた。





「壊れた部品そのものに手を入れて直すことも出来なくはないけど意外と手間かかるしまた壊れる可能性も高いんだ。それならその部品そのものを一から造ったほうが手っ取り早いし

楽で確実だ。そんなに難しい形してなかったしね」





そう説明している時に、ポケットの携帯がメール着信を知らせる。





おもむろに携帯を取り出し確認すると、





「あ、いけね!すっかり忘れてた!」





「えっ?」





「ゴメン俺急ぎの用事あるからもう行くから。じゃあな」





「あ、あの、お礼・・・」





「そんなのいいって!俺急ぐから。じゃあ大切に使ってくれよ!」





と、秀一郎は慌ただしく技術室をあとにした。





結局この女子生徒の名前すら聞いてなかった。











「あの女子とまさか同じクラスになるなんて、あの時は思わなかったよ」





「あたしあの後に佐伯くんのこと、技術の先生に聞いたんだ。本当は出来るだけ早くお礼に行きたかったんだけど・・・ゴメンなさい」





「いや、別にいいって!ホントに簡単に造っただけだからさ」





「技術の先生言ってたよ。佐伯くんの腕前は学年トップレベルだって。だから理系に行かなかったのはとても意外だよ」





「みんなからもそう言われてるよ。けど、やりたいことがあってさ」





「やりたいこと?」





「ああ・・・」





秀一郎は再び空を見上げた。





「ウチの親って小さな部品製造会社やってるんだよ。で、俺が中2のときかな。仕事のトラブルで訴えられたんだ」





「訴えられた?」





驚く沙織。





「ああ、訴えられるなんて経験初めてだから家族全員慌てたよ。でもこっちに非は無くってさ。でもそれをどうやって分かってもらうか凄く悩んで・・・で、そんなウチを助けてくれたのが弁

護士の先生だったんだ」





「弁護士?」





「本当に凄いと思った。もうこじれにこじれてどうにもならなかった話をうまくまとめて、結局和解出来たんだよ。もう絶対に解決は無理だと思ってたんだけど、簡単に解決しちゃったんだ。

それを目の当たりにしたらさ、俺もそんな事が出来る大人になりたいって思ってさ・・・」





「じゃあ、夢は弁護士?」





「まあ、な。簡単になれるものじゃないけど、その道を目指したいんだ。だったらまずはどっかの法学部に行くのがセオリーだろ」





「佐伯くんってやっぱり凄いね。もうしっかりとした将来の道を決めてるなんて。あたしなんて全然だよ」





「けど桐山って成績いいんだろ?ならいろんな道が選べていいんじゃないか?」





「そんなことないよ。それに成績なんて良くても、それで学校が楽しくなるわけでもないし・・・」





そう話す沙織の表情が暗くなる。





「桐山?」





「あたし人付き合いが苦手で友達少ないんだ。前のクラスで仲良かった子はみんな他のクラス。だから寂しいし、ちょっと不安なんだ」





「そっか。でも馴染んで行けば自然と話す相手出来るって」





「そう、かな?」





「ああ。それにもし誰も居なかった時は、俺でも良ければ話相手になってやるよ」





「本当?あたしと友達になってくれる?」





「ああ、俺なんかでも良ければな」





「ありがとう。凄くうれしい。あたしなんか明日から学校が凄く楽しみになったかも」





無邪気な笑顔を見せる沙織を見て、





「大袈裟だな」





と言いつつもこちらも笑顔になる秀一郎だった。










その後沙織は部活があるとの事で屋上をあとにした。





(女子の友達か。この学校じゃ初めてになるかもな・・・)





自然と笑顔がこぼれる秀一郎。





「佐伯テメエ・・・」





「ん?なんだ若狭か。やっと終わったのか?」





屋上の入口に正弘が立っていた。





かなり不機嫌の色を浮かべて。





「どうしたんだ、なに怒ってんだよ?」





「俺の知らないところで勝手に桐山と早速仲良くなりやがって、お前って奴は・・・」





「ぐ、偶然だって。さっきたまたまここで一緒になって少し話しただけだって!」





「あのめったに笑わない桐山がすげえ上機嫌な笑顔で階段下りてったぞ!てめえ桐山に何したんだ!?」





「だから何もしてねえよ!とにかく落ち着け!」





放課後の学校での青春のひとコマであった。


[No.1492] 2009/04/26(Sun) 04:30:44
p57ddf5.aicint01.ap.so-net.ne.jp
regret-3 (No.1492への返信 / 2階層) - takaci

「ったく、勝手に抜け駆けしやがって」





「何が抜け駆けだよ。たまたま偶然会ってただけだよ」





放課後、正弘は秀一郎の部屋に押しかけていた。





正弘としては同じクラスになった沙織と何としても親睦を深めたいので、そのための策を秀一郎とふたりで練ろうという腹積もりだった。





だが偶然、秀一郎と沙織が屋上で仲良く会話しているのを目撃したことで、協議内容に若干の変更が余儀なくされた。





「とにかく去年に佐伯と桐山は知り合ってて、桐山はお前と友達になりたがってる。それでいいな?」





「まあそうだけど、で、若狭はどうすんだ?俺をきっかけにして桐山狙うのか?」





「いや、それは難しそうだなあ。たぶん桐山はお前に惚れてる。その間に入り込むのはちょっとなあ」





「は?桐山が俺に?なんでだよ?俺好かれるような事なにもしてないぜ」





「桐山が大切にしていたキーケースが壊れてそれを直した。好きになるには充分な理由じゃないかよ」





「そうかあ?あんなことちょっと気が回る男なら誰でも出来るぜ。そんな難しい加工じゃないし」





「お前は簡単にやっちまうからそう思えるだけで、実際出来る奴なんてほとんど居ないって。お前意外と鈍いなあ」





「んな事言われても・・・あの桐山だろ?それで俺を好き?なんかまるで実感沸かねえよ」





秀一郎が空笑いを浮かべていると、










「秀いる〜?開けていい?」





扉の向こうから女の子の声が届いた。





「ああ」





秀一郎が答えると扉が開き、





「はいこれおばさんから。あ、正ちゃんこんにちわ〜」





かなり小柄で元気の良さそうな女の子がトレイにお茶菓子を持って入ってきた。





少し童顔っぽいが整った顔立ちを持っており、ダークブラウンのセミロングヘアーが可愛さと活発そうな感じを連想させる。





「よっ奈緒ちゃん!それ制服?確か4月から高校生だよね?」





正弘が尋ねると、





「そうで〜す!あたしブレザー着てみたかったから嬉しい!」





紺のブレザーにライトブラウンのタータンチェックのスカートがよく似合っている。





「でも受験に失敗しなければ奈緒もセーラー服だったんだよな」





「秀は一言多いんだよっ!」





ぱこーん!





トレイを小テーブルの上に素早く置くと、側にあったマンガ雑誌を丸めてこれまた素早く秀一郎の頭を叩いた。





(奈緒ちゃんって確か佐伯の従姉妹だったはずだよなあ。かわいいけど性格キツいよなあ)





目の前の秀一郎とのやり取りを見ながら、正弘はそんな風に感じていた。





正弘が秀一郎の部屋まで遊びに来るようになったのは去年の春にクラスで友達になってからで、この奈緒という少女と知り合ったのもこの部屋だった。





この小柄な少女はとても明るく社交性が高い。





ただ口調や動作はやや活発過ぎる感もあり、キツイ言葉に圧倒されることも少なくなかった。





そんな奈緒に正弘は、





「そうだ奈緒ちゃんも聞いてよ、この佐伯の鈍感っぷりをさ」





秀一郎と沙織の今日の出来事を奈緒に話し出した。










奈緒はじっと正弘の話に耳を傾けていて、聞き終えると、





「それ古いキーケースの話だよね。あたし聞いた覚えある」





と言い出した。





「え、マジ?誰に聞いたの?」





驚く正弘。





「あ〜確か話したっけ。それで奈緒がグズッて、そうだ、それがきっかけで俺がタグ造るはめになったんだよ」





秀一郎は少し不満げな表情で隣に座る奈緒の胸元を指差した。





「あ、そうそう。これね」





奈緒はブラウスの中から細いチェーンで首から下げられたドッグタグを取り出した。





「それメッチャ苦労したぞ。形が悪いとか輝きがないとか散々文句言われて、俺はアクセサリーなんか造れないっつったのに無理矢理造らされてさ」





「うん、散々言ったよね〜。でもその甲斐あって満足なものが出来て毎日着けてるんだからいいでしょ?それにこれと同じようなもの、買うと高いんだよ」





「そりゃそうかもしれんけどさ」





(ん?)





ふたりのやり取りを目の前で見聞きしていた正弘は少し違和感を感じていた。





「ま、その女子がどう思ってるかは分からないけど、秀にその気がないから無理でしょ」





「ちょっと奈緒ちゃん、なんでそんな風に決め付けるのさ?桐山ってかなりレベル高いんだぜ」





正弘がそう口にすると、





「いくらどんなにかわいくても、きっかけがあったなら即座に行動しなきゃダメでしょ。もう半年前の話よ?今からじゃいくらなんでも遅すぎるよ。今のご時世で待ちの女なんてダメダメ」





ばっさりと切り捨てた。





(うっわ、やっぱキッツいな〜)





奈緒の鋭い言葉にやや引き気味になる正弘だったが、奈緒は全く気にせずに部屋の片隅に積んであった雑誌を取り出し、





「ねえ秀、今度ここ行こうよ?」





「どこだよ・・・ったく、お前はへんなとこが好きだよなあ」





やや呆れ気味の声を出す秀一郎。





(んん?)





正弘の違和感が疑問に変わる。





(あいつら見てるのデート情報誌じゃねえか。なんでこんなもんが佐伯の部屋にあるんだ?そもそもお前ら、近すぎないか?)





秀一郎と奈緒は顔が触れそうな距離で雑誌を見ている。





そして、





(んんん?)





決定的なものを見つけた。





「おい佐伯、お前の時計だけど・・・」





「時計?ああ、これか?」





秀一郎は左腕に着けている腕時計をかざした。





「その時計、ひょっとして奈緒ちゃんが着けてるのと・・・」





「あ、これ?」





奈緒も左腕を出した。





男物と女物でサイズや微妙な違いはあるが、同じデザインのシックなアナログ時計が並んだ。





誰が見ても分かる。ペアウオッチだ。





「これ、どうしたの?」





「この前、秀に買ってもらったんだ。ホントはリングがよかったんだけど、秀はアクセサリーの類は嫌いだし、学校で禁止で着けられないのもなんかやだし、その辺を考えてこれにしたんだ。時計なら禁止にならないしね」





奈緒は時計を視線を落としながらとても嬉しそうな笑顔を見せた。





正弘の疑問が確信に変わった。











「お前らって従姉妹じゃないのか?」





この言葉で、





「「は?」」





ふたりの口から同時に疑問符が飛び出し、





「ちょっと秀!あんたなに言ってんのよ!?」





奈緒が怒りの表情で秀一郎の胸元を掴んだ。





「ちょっと待て!俺はお前を従姉妹なんて言ったことはねえ!若狭はもちろん、誰にもだ!」





慌てて全否定する秀一郎。





「じゃあなんで・・・って、あれ?あたし・・・」





奈緒は掴んでいた右手を離して顎に人差し指を当て記憶を巡り、





「なんか言った覚えある・・・かも・・・って、あ、言った」





さっぱりした表情で事実を口にした。





「なんだよお前が犯人かよ!」





「ゴメンね。まだ付き合い始めた頃で正ちゃんとも初対面でちょっと照れがあったってゆーか、まあそんな時もあったね、ははは・・・」





笑ってごまかそうとする奈緒。










「ちょ、ちょっと待ったあー!!」





ここで遂に正弘が立ち上がり、ふたりの会話を制した。





「なんだよお前ら、話の内容から察すると、お前らは従姉妹じゃなくって・・・つ、付き合ってる、つ・・・つまり・・・こ、こい、恋人同士、ってことか?」





正弘は顔を赤くして、かなり動揺した口調で真相を確かめる。





それに対し秀一郎と奈緒はやけにあっさりした表情で、





「ああ」





「うん」





素直に認めた。





「なっ、なにぃーっ!?じゃあその・・・お前らは恋人同士がする・・・き、きっ・・・いやその・・・あの・・・」





さらに顔が赤くなり、動揺も大きくなって言葉もままならない。





それに業を煮やしたのが、





「なによお!男ならはっきり言いなさいよ!」





奈緒だった。





同じく立ち上がり、下から正弘をキッと睨みつける。





「ばっバカヤロ!そん・・・そんな恥ずかしいこと・・・言えるか・・・よ」





顔を背け、モゴモゴとそう言うのが精一杯だった。





「うっわ、最悪」





「な、なにぃ?」





奈緒の目の色はとても冷たく、かつ嫌なものをじとっと軽蔑の眼差しを見せていた。





「ひとりで勝手にエロ妄想で盛り上がって口に出来ないなんて典型的なムッツリね。なんか凄くキモい。最低」





正弘の心に容赦ない鋭い言葉の刃が突き刺さる。





「・・・・・」





しばらく固まり、





「・・・ちっくしょおおおおお!!!」





怒鳴りながら部屋を出ていった。





「お、おい若狭!?」





秀一郎が呼び止めた気がするが、構わず駆けていく。





勢いに任せて秀一郎の家を飛び出し、





「うおおおおおお!!!!!」





やり場のない怒りと悔しさを叫び声に込めて住宅街を駆け抜けて行った。


[No.1493] 2009/05/04(Mon) 04:37:09
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「おはよ〜」





「お〜っす」





朝の挨拶が飛び交う校舎。





今日から通常授業が始まり、重い気分の生徒が多いだろう。





秀一郎も重い気分だった。





(今日から授業か。ダルいなあ・・・)





(それに若狭の奴、あれから携帯もメールも反応ない。今日ちゃんと来てるかなあ・・・)





恋人の言葉で激しく傷ついた友人を心配していた。





そんなことを考えながら教室に向かい、後ろの扉から入ると、





(なんだ、来てるじゃないか)





席に背中を丸めて座っている正弘の姿を確認した。





秀一郎は自分の席に鞄を置いてから丸い背中に近付いた。





「おっす、昨日は悪かったな」





「・・・」





反応がない。





「あ、あいつ、ちょっと口が悪いんだよ。その辺は俺もよく言うんだけどなかなか直らなくてさ。けど悪気はないんだ。勘弁してくれ」





「あ〜、別に今はそんなに落ち込んでないからいいぜ」





ようやく返事が返ってきた。





だが言葉とは裏腹にテンションは低い。





丸めた背中をゆっくりと起こし、緩慢な動作で背後の秀一郎に顔を向けた。





明らかに不機嫌の色を出している。





「しっかし佐伯ってどうなんだろうな〜。幸せなのか不幸なのかよくわかんねえな」





「なんだよそれ?」





「男にとって彼女がいるってことは幸せだと思う。そこは俺も否定しねえ。でもその彼女があんなにガキっぽくて性格悪いのはどうなんだろうなって思ってよ」





「ま、まあ、好き嫌いがハッキリ分かれる奴だからな。でもあんなでもいい面はあるんだ。ちゃんと女の子なんだよ」





「で、いつから付き合い出したんだ?俺が去年おまえん家に行った時にはもういたよな?」





「知り合ったのは中3の文化祭だ。それから受験勉強の合間に一緒に遊んだりしてて、で、卒業式の日に告られたんだよ」





「へえ、向こうからか。お前ってモテるんだな」





「告られたのは生まれてこのかたその一度きりだよ。まあ俺としても断る理由がなかったし、一緒に居て楽しい子だったからOKしたんだ」





「中学卒業の頃からってなると、もう1年以上か。結構続いてるな」





少し驚きの色を見せる正弘。





秀一郎は左腕を出して腕時計を見せると、





「これは先月、1周年記念でって事で買ったんだ。最初はペアリングって言い出したんだけど、俺はアクセサリー着ける気はさらさらないから全力でダメだと言い張ったからこれになったんだよ。でも正直予算オーバーだった。キツかったよ」





秀一郎は楽しそうな笑みを浮かべているものの、言葉にはそれなりの苦労が読み取れる。





「付き合うってのも楽しいだけじゃなさそうだな?」





「いろいろあったよ。あんな性格だからケンカなんてしょっちゅうだし、マジで別れそうな時期もあった。けどいろいろあって、周りの人に支えられたりして、今に至るってとこかな。キツいこともあったけど、まあ楽しかったな。じゃなきゃとっくに別れてるよ」





「なるほど、そういうもんなのか」





正弘にとって秀一郎の言葉は新鮮で自分には未知の世界の話であり、自然と納得して頷く動作を繰り返していた。











そして時間は昼休み。





秀一郎と正弘はふたりとも弁当の持ち合わせがなかったので購買に足を向けた。





「しっかし佐伯にゃ悪いが、奈緒ちゃんは俺的にはナシだな。見た目はかわいいけどあんな気の強い女は俺はダメだ」





「よっぽど昨日の言葉が堪えたんだな」





「とにかくあの女は俺の天敵だ。いつか必ず俺の恐さをわからせる・・・」





「おいおいへんな気おこすなよ。それに奈緒に刃向かおうとするのはちょっと・・・」





購買に向かう道中の廊下、ふたりは背後の様子など全く気に留めていなかった。





後ろから駆け足気味で近付く足音など気付かない。





「佐伯センパイ!」





この声でようやく気付き、ふたり揃って振り向く。





小柄な女子生徒の笑顔がそこにあった。





「おお」





秀一郎には見覚えのある顔だったが、この場で会うとは思わなかったので少し驚く。





だがそれ以上に驚いたのが正弘だった。





「で、出やがったな天敵!」





奈緒と瓜二つの少女が立っていた。





「な、なんですか天敵って・・・」





この言葉で少女も驚く。





その中で事態を冷静に読み取っていたのが秀一郎だった。





「若狭、よく見てみろ、この子は奈緒じゃない」





「え?」





「確かに背格好はそっくりだが、まず髪型が違う。それに奈緒は泉坂に落ちて今は芯愛高校だ。だから泉坂のセーラー服を着てここにいることは有り得ない。あとよく見ると目つきが違う。この子のほうが円い」





「なるほど、言われてみれば確かに・・・」





秀一郎の言う通りよく見ると、奈緒とは異なる部分がある。





奈緒はセミロングだが、この子はショートだ。





顔の造りはほとんど同じだが、目つきが奈緒ほど鋭くはなく、穏やかな感じがする。





「佐伯、この子は誰なんだ?」





「奈緒の双子の姉、真緒ちゃんだ」





「姉?双子?」





また驚き、改めて見直す正弘。





それに対し、





「奈緒の姉の小崎真緒です。はじめまして」





真緒はまず丁寧に頭を下げた。





「あ、こちらこそはじめまして。2年の若狭っす」





釣られて頭を下げる正弘。





「若狭先輩ですね。昨日は妹が失礼な事を言ったそうで、本当にすみませんでした」





「あ、いやいやいいよ!もう気にしてないから!」





「妹の奈緒は昔から口が悪くて人の気分を害することが多いんです。私からもよく言ってきかせますので・・・どうか今回は許してあげてください」





「いや〜だからいいっていいって!俺ってほら心が広いからさ、いちいちそんな細かいこと気にしないんだよ!ハッハッハー!」





真緒の低姿勢を受けてすっかり上機嫌になる正弘だった。





(お前、さっき自分の恐さをわからせるとか言ってなかったか?ホント流されやすいなあ)





正弘の軽薄ぶりに呆れる秀一郎。





正弘はさらに調子づき、





「真緒ちゃんだっけ、これから昼メシだよね?だったら一緒にどうだい?あ、そうだ、そのあと学校案内してあげるよ!新入生だから分からないことだらけでしょ?この俺が親切丁寧にいろいろ教えてあげるよ!あ、全然気にしなくていいよ!下級生のために上級生が協力するのは当たり前のことなんだからさ!あ、そうそう・・・」





ナンパを始めていた。





「おい若狭、それくらいにしておけよ」





「何だよお前も俺の恋路の邪魔するのかよ!お前と違って俺は寂しい独り身なんだよ!親友なら協力するのが筋だろ!」





怒る正弘に対し、





「真緒ちゃんって大人しそうでかわいい顔してるけど、怒るとめっちゃ恐いぞ。あと空手初段だ。並の男なら一発でやられるぞ」





冷静な顔で事実を伝えた。





「え?」





それまで調子のよかった正弘の勢いが止まった。





「それマジ?空手強いの?」





「はいっ!」





「は、はは・・・」





元気よく答える真緒の返事を受けた正弘は、力のない空笑いを出していた。











放課後、





「やっぱ佐伯は幸せもんなんだろうなあ」





「まあ、そうなるんだろうな」





帰途につくふたり。





昼休みに真緒は秀一郎に弁当を届けにやって来た。





「奈緒から預かったんです。ちゃんと食べてくださいね」





と、弁当箱を渡された。





もちろん、中身は奈緒の手製だった。





「意外だったのがその弁当の出来がよかったことた。見た目綺麗だったし、なにより美味かった」





「奈緒は料理得意だし、家事全般も一通りこなすからな」





「なんか負けた気がする・・・」





奈緒の弁当を見て、つまみ食いした正弘は妙な敗北感に包まれていた。





そのままたわいもない会話をしながら歩く。





「あ、おーいセンパーイ!」





突然正弘が手を挙げて誰かを呼ぶ。





すると、10メートルほど先の自販機の横にスーツ姿の男が立っており、軽く手を挙げた。





正弘と共にそのまま歩みよる。





「先輩お疲れ様です。いま仕事中ですか?」





「ああ、外周りみたいなもんだ。んでちょっとコーヒーブレイクな」





缶コーヒーを片手に笑顔を見せる。





(先輩ってことは、うちのOBなんだろうな。歳は、20代半ばくらいかなあ?)





秀一郎は男の外見からそんなふうに感じていた。





「君たちもなんか飲みなよ」





その男が小銭を取り出して自販機に入れる。





「いえ、いいっすよ。そんなつもりじゃなかったし」





「いいからいいから、こういう場面は年上が財布を出すもんなんだ。遠慮なく飲めよ」





「じゃあお言葉に甘えて、先輩いただきます!」





元気よく応える正弘。





「ほら、君もどうぞ」





「あ、ありがとうございます」





秀一郎も遠慮がちに自販機のボタンを押した。





(優しそうな人だな)





男の笑顔から、秀一郎はそんな第一印象を受けていた。





その後、男は正弘と少し会話をしていたら携帯が鳴り、





「じゃこれから仕事に戻るから」





と言って去って行った。





「ありがとうございます!またよろしくお願いします!」





正弘は男の背中に頭を下げ、秀一郎もそれに習った。





男の背中が離れると、





「なあ、あれ誰だ?ウチのOBか?」





秀一郎は正弘に尋ねた。





「ああ、映研のOBの真中先輩だ」





「そういやお前って映研だったな」





「先輩はたまに映研に来てくれるんだけど、マジで凄いぜ。部室の中で10分くらいカメラ回して、それをパパッと編集したらショートムービーが出来てるんだ。CG加工とか一切無しでさ。あのセンスはマジで凄いぜ。ありゃプロの仕事だ」





正弘の言葉からは、真中という男に対する尊敬の念が伝わってくる。





「じゃあ本当にプロとしてその世界で仕事してるのか?なんか普通のサラリーマンに見えたけど」





「その辺は聞いてないけど、いくつか作品は作ったって聞いたことある。プロなんじゃないかなあ」





「ふうん」





人込みの中に消えていく背中を追う秀一郎。





(映像のプロってもっと厳しいイメージあるけどなあ。なんか似つかわない優しそうな人だよなあ)





真中という先輩に対し、そう感じる秀一郎だった。


[No.1496] 2009/05/10(Sun) 06:28:38
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新年度が始まって3週間ほどが過ぎた。





新しいクラスメイトにも馴染み出して、自然といくつかのグループに分かれている。





秀一郎は正弘と共に男子5人ほどで構成しているグループのひとりになった。





休み時間などはこのメンツで動いている。











とある昼休み。





秀一郎はひとりになった。





いつもの仲間が委員会やら部活やらサボりなどで教室から姿を消していた。





(今日はひとりで昼メシか)





白と水色のチェック柄のナプキンに包まれた弁当箱を取り出した。





「佐伯くん、今日はひとり?」





席の前に沙織が立っていた。





「ん、ああ」





「よかったら、お昼一緒にどうかな?」





「ああ、俺は構わんけど」





「そう。なら一緒に食べよ」





沙織はいつも一緒にいる女子のクラスメイトをひとり連れて来て、近くの机を合わせて3人分の席を作った。





そして女子らしい花柄のナプキンに包まれた小さな弁当箱を持ってきた。





「女子の弁当って本当に小さいよな。それでよく保つよな?」





「うん、これでお腹いっぱいになるよ。多いかなって思う日もあるよ」





と沙織。





「沙織は少食だよね。あたしはもう少し食べるかな」





(こいつは確か御崎だったっけ、御崎里津子)





沙織が連れて来たクラスメイトの名前を思い出し、





「っても御崎の弁当も小さいぜ。俺からすれば似たようなもんだぜ」





「そっか。男子にはそう見えるんだね。あたしの感覚だと沙織のとあたしのは結構違うかな。それにあたしは足らないと購買のパン買ってくるもん」





「ふうん。女子と男子の感覚の違いだな」





秀一郎はそう感じた。





「佐伯くんって女子に詳しいとばかり思ってたけど、案外そうでもないんだね」





「御崎、なんだよそれ?」





「クラスのみんな知ってるよ。佐伯くん、毎日1年の女子からお弁当受け取ってること。あの子って佐伯くんの彼女?」





「いや違うよ」





「じゃあなんでお弁当受け取ってるの?あの1年のかわいい子は佐伯くんに好意があって、それを佐伯くんも少しは感じながら受け取ってる。あたしの推理だとこんな感じだけどどう?」





「その推理ハズレ」





秀一郎は玉子焼きを口に運びつつピシャリと言い切った。





「じゃああの子って佐伯くんのなんなの?」





好奇心いっぱいの表情で里津子は突っ込んでくる。





「本当はあまり言いたくないんだけど、へんな噂が広まるのも困るしな・・・」





秀一郎は少し考えてから、





「俺、別の高校に彼女いるんだけど・・・」





「ええっ、ホント?」





里津子の目が一気に輝く。





「ああ。んで毎日弁当持って来てくれるあの子、真緒ちゃんってんだけど、あの子はその彼女の双子の姉なんだよ」





「へえーっ。じゃあそのお弁当は、彼女が?」





「そう。去年はおふくろが作ってたんだけど、今年からこうなった。俺の知らない間に打ち合わせがあったらしい」





「じゃあなに、もうふたりの関係は親も知ってるんだあ?」





「ああ。お互いの家をしょっちゅう行き来してるからな。外で逢うのって意外と金かかるしな」





「ふうーん、そうなんだあ。あの子は双子の姉なんだあ。・・・ってことは、佐伯くんってロリコンなの?」





この里津子の突っ込みを受けた秀一郎は思わず口に含んでいたお茶を吹き出しそうになったが、なんとかこらえて、





「おいおい、なんでそうなるんだ?」





抗議の色全開の視線を里津子に向けた。





それを受けた里津子は、





「だってあの子の双子ってことは、ほとんどそっくりなんでしょ?」





「あ、ああ。髪型が違うくらいかな。ぱっと見は」





「あの子、ちっちゃいでしょ?」





「まあ、そうだな。真緒ちゃんの身長は知らないけど、奈緒とほとんど同じだろうな」





奈緒の身長が153センチだと本人から聞いたことを思い出した。





「で、あの子って童顔じゃん」





「童顔と言われれば、そうだろうなあ」





実年齢より上に見られたことがないと聞いた記憶を思い出した。





「ちっちゃくて童顔な子が好きって、ロリコンじゃないの?」





「御崎ちょっと待て、お前の言わんとしてることは理解した。確かに一理ある。でもそれは違うぞ。俺は決してロリコンじゃない」





からかう里津子に対し必死に弁明する秀一郎。





盛り上がるふたりの目には、暗い顔で箸を進める沙織の表情は写っていなかった。











放課後。





(さてどうする?)





バイトまではまだ時間があり、外で時間を潰すのは金がかかるので気が引ける。





そんな秀一郎は校内をブラブラと歩いていた。





(学校で時間を潰せる所かあ。ほとんど行ったことないけど、ちょっと覗いてみるか・・・)





頭の中にとある場所が思い浮かび、自然と足が向いていた。





図書室





やや堅苦しそうな雰囲気を醸し出しているこの扉を開いた。




中はやはり静かでどことなく涼しい。





まばらではあれが生徒の姿はあり、静かに本を読んだり自習したりしている。





(やっぱ堅苦しい感じだな)





予想通りの雰囲気で秀一郎には正直苦手だったが、足を踏み入れた。





この学校の貯蔵書を確認しておきたかった。





(法律関連の書類は・・・やっぱりあまりないな)





秀一郎が求めている書籍関係は見つからなかった。





でもそのまま帰るにはまだ時間があるので、他にどんな貯蔵本があるか見て回る。





(ん、あれは・・・)





本棚の前にクラスメイトを見つけた。





「桐山、おっす」





「あ、佐伯くん」





眼鏡をかけた沙織が本を開いていた。





「桐山はよくここに来るの?」





「うん。あたし文芸部だから資料探したりでよく利用してるんだ」





(桐山ってもともと賢そうに見えるけど、眼鏡かけるとよりそう見えるな。ホント才女って感じだ)





「ん、佐伯くん?」





「あ、いやその・・・」





秀一郎の頬がやや赤みを帯びていた。





(ヤバイヤバイ思わず見とれてた。こんな所を真緒ちゃんにでも見つかったらマジ殺されかねん)





「あ、あのさ、じゃあ今持ってるその本も参考にするの?」





話題を切り替える。





「あ、うん。でもこれは参考って言うより、あたしがただ好きだから読んでるの。この作家さんのファンでね、ここには全ての作品があるからよく来るんだ」





「へえ、どんな作家さんなの?」





秀一郎は沙織が手にしている本の背表紙を覗き込んだ。





[東城綾]と記載されている。





「あれこの名前?どっかで聞いたことあるような・・・確か小説家じゃなかったっけ。かなり美人の」





「そうだよ。この高校出身の人の中ではいまいちばん有名かもね。本当に綺麗な人で、素晴らしい小説を次から次へと生み出してる。凄い先輩だよ」





「あ、思い出した東城綾。凄い美人だよ。俺あーゆー人タイプだなあ」





「あれ、佐伯くんって幼い感じの子が好みじゃないの?」





「なんだよ桐山まで・・・言っとくけど俺は決してロリコンじゃないからな!頼むぜ!へんな噂広めないでくれよ!」





「ふふっ、佐伯くん必死になってる。なんかおかしいな」






沙織は楽しそうにクスクスと笑い出した。





「全く・・・それに大事なのは見た目じゃなくて中身だろ。まあ見た目はいいに越したことはないけどさ、性格って言うか相性みたいなものが合わないと付き合うなんて無理だって。大事なのはそこだよ」





「そっか、中身か。そうだよね、それが一番大事だよね・・・」





沙織の声のテンションが一気に下がった。





「桐山?」





「あたしね、最近になってようやくクラスで友達出来たの」





「ああ、御崎だろ」





「うん。りっちゃんってとても気さくで、人見知りの激しいあたしにも楽しく話しかけてくれたの」





「裏表がないように見えるな。ま、少々突っ込みが厳しい気もするがな」





秀一郎は昼休みのやり取りを思い出した。





「うん。だからあたしからも積極的になって仲良くならなきゃって思うんだけど、なかなかその勇気が出ない。気が付くといつもひとりでここで本読んでる。で、終鈴に追われるように学校出て、でも帰る気にならなくて適当に街をふらついて・・・そんな毎日。なんかそんな自分がとても嫌」





「ちょっと待てよ、帰りたくないなんて、家族・・・」





(あ、そういえば桐山は・・・)





去年の秋を思い出した。





沙織が大切にしていたキーケース。






それを母の形見と言ってた事を。





気まずい空気が流れる。





「あたしのお母さん、シングルマザーだったの。女手ひとつであたしを育てて、頑張ってこの学校に入れてくれた。でもあまり身体は丈夫じゃなくて、去年・・」





涙声になる沙織。





さらに空気が重くなった。





「桐山、なんかゴメンな。辛いこと思い出させて」





「ううん、あたしこそ・・・ゴメンなさい。うん、もう大丈夫。もう、いっぱい泣いたから、だからもう泣かないって決めたんだ」





沙織は気丈に笑顔を見せた。





「そっか・・・じゃあいま桐山は・・・」





「親戚のおじさんのお世話になってる。良くしてもらってるけど、けどみんな正直困るよね?親がいないって・・・やっぱ重いよね。だから、そう思うとね、なんか気が引けちゃうんだ。仲良くなるのが怖くなって・・・あたし、弱いから・・・」





沙織は顔を背け、寂しい横顔を見せる。





「桐山、大丈夫だよ!」





秀一郎は明るい口調で励ます言葉を出した。





「佐伯くん・・・」





「桐山って基本的に素直でいい性格だと思うよ。奈緒は、俺の彼女は桐山よりずっとキツくてさ、若狭なんてめっちゃ敵視してんだ。そんな奴でも友達は結構いるんだ。桐山に欠けているのは自信だと思う。もっと自分に自信もてば、きっと変わるよ!」













すっかり日が落ちて暗い道を秀一郎はひとりで歩いていた。





バイトの時間が迫っていたので、秀一郎は沙織に自分の言葉の全てを伝えることが出来ずに図書室をあとにした。





そのことが気にかかり、バイトの間も沙織のことが頭から離れなかった。





(俺は桐山に自信を持てと言った。確かに自信が持てれば桐山は変わると思うけど・・・)





(桐山にその自信の裏付けがなければ、自信は得られない)





(今日の桐山、最後は笑ってたけど、明らかに繕った笑顔だった。なんかとてもはかなく、脆い感じた)





(桐山はいまひとりだ。頼れる友達なんてまだいないんだろう。友達か彼氏が支えなきゃ、ダメな気がする)





(友達か彼氏が・・・)





いろいろ思い悩む。





なんとかして支えたいという気持ちが強まるが、真逆に否定の想いも強まる。





(俺じゃダメだ。俺は桐山の支えになれない。もし前に若狭の言ったことが本当なら・・・)






(桐山が俺を好きだとしたら、俺はその気持ちに応えられない。余計に桐山を苦しめるだけだ)





(俺には・・・何も出来ない・・・)






無力さをヒシヒシと感じ、自然と落ち込んで足も重くなる。






(そういや今日は親父もおふくろも仕事でいないんだっけ。晩飯どうするかな・・・)






明かりの点いていない自宅を想像してさらに気が重くなる。






その重い気持ちのまま、自宅の門に手をかけた。





「ん、あれ?」





点いていないはずの明かりが点いている。






玄関から、いくつかの窓からも暖かい光が漏れている。





門を開け、玄関の扉に手をかけると、





ガチャン





(鍵もかかってない)





少し不思議に感じながら扉を開け、






「ただいま」





いつも通りに自宅に入り、静かに扉を閉めた。






ガチャン


[No.1497] 2009/05/17(Sun) 07:00:16
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「ん・・・」





秀一郎は光を感じ、ゆっくり目を開くと、カーテンの隙間からこぼれた朝日が差し込んで来た。





(朝か・・・)
時計に目を向けると、午前7時を指していた。





いつもより早く目覚めたことを少し損をしたように感じ、その分を取り戻そうと二度寝しようと思ったときに、いつもとは異なる違和感を感じた。





「・・・」





(そういやそうだったな。それに今日は土曜か・・・)





せっかくの休みの朝に早起きした事をやはり勿体ないと感じながらも、違和感がなぜか幸福な気分にさせてくれる。





(まあ、休みの早起きも悪くないか・・・)





自然と笑みがこぼれ、静かにベッドから抜けると足音を起てないように部屋を出た。










「ふう・・・」





冷蔵庫から出したスポーツドリンクに口を付け、一息つく。





ピンポーン





インターフォンが鳴った。
(ん、誰だ?こんな朝っぱらから)





訝しく思いながら、ペットボトルを置いて玄関に向かった。





ピンポーン





ピンポーン





到着するまでの僅かな間に何度もベルが鳴り、来客がかなり急いでいるのが連想された。





それが誰なのか全く検討が付かないまま鍵を解除し、扉を開けた。






「なんだ若狭か。こんな朝っぱらからなんだ?」





正弘が立っていた。





「スマンこの前大事なものをお前の部屋に忘れた。入るぞ」





と言ってから秀一郎を押し退けて上がり込んだ。





(忘れ物?)





秀一郎には全く見当がつかず、しばらく立ち尽くす。





だが正弘の背中が階段の影に消えそうになった時、大事な事実に気付き、





「おい若狭待て!」





慌てて後を追った。





(若狭を止めないと・・・)





急ぎ足で追うものの、正弘の足も速くてその背中は視界にない。





「おい待てよ!とにかく止まれ!」





階段を昇りながらそう呼ぶが、





「ヤバイものなんだ!一刻も早く回収しないとまずいんだ!」





先を進む正弘の声はかなり切迫しているように聞こえた。





が、ヤバイのは秀一郎も同じだった。





声と距離感から、正弘はもう秀一郎の部屋の前に達していると推測される。





「とにかく止まれ!部屋に入るなあ!」





階段を昇りきってそう叫んだ時、正弘は部屋の扉を開けていた。





「・・・・・」





僅かな時間だったが、主観的にはそれ以上に感じられた。





正弘は部屋に入らずそのまま入口で立ち尽くし、





バァン!





慌てて扉を閉め、





「お、おい若狭!」





秀一郎を押し退けて駆け降りていった。





(若狭も気になるが・・・)





秀一郎は正弘を追わず、自分の部屋に足を向けた。





そっと扉を開ける。





カーテンが閉められた薄明るい部屋の中心に影があった。





部屋に入り静かに扉を閉め、影のそばに寄る。





「ゴメン、大丈夫か?」





「なんで正ちゃんがいるの?」





「わからん、なんか慌てていきなり上がり込んできた」





「あたし、思いっきり見られた・・・」





素肌に秀一郎のワイシャツのみ身につけた奈緒は、顔を真っ赤にして部屋の真ん中でへたりこんでいた。











そして時は経ち、





「いただきま〜す」





「いただきます」





秀一郎と奈緒は並んで食卓に座り、





「おい、これはなんだ?」





対面に席を取る正弘は複雑な表情を浮かべていた。





「見てわかんないの?朝ごはんよ」





と簡潔に答える奈緒。





「そんなんわかる!なんで俺がお前らと一緒に朝メシ食う状況になってんのか聞いてんの!」





「細かいこと気にしないでさっさと食べなさい。冷める前にね」





「・・・わかった。じゃあ、いただきます」





渋々箸をとり、味噌汁に口をつける。





「予想通りっつーか、予想外っつーか・・・美味い」





「これくらいなら、ちょっと練習すれば出来るようになるわ。誰でもね」





奈緒は鼻にかけるような態度は一切見せず、当たり前のように言った。





「この朝メシも、いつもの弁当も・・・奈緒ちゃんってマジ料理得意なんだな。で佐伯にはよく料理作ってたりするの?今日みたいにさ」





「秀のご両親は仕事で全国飛び回ってて家を空けることが多いのよ。で、秀は放っておくとインスタントとかレトルトばっかだから、こうやって食事の世話するようにしてるのよ」





「それって佐伯が頼んでんのか?」





今度は秀一郎に非難の色を向ける。





「俺は頼んでねえよ。昨日だって誰もいないだろうと思って帰ったら明かり点いてて鍵も空いててさ。で、奈緒が晩飯作って待ってたんだよ」





「あたしも事前にご両親から聞いててね。だったらあたしが秀の世話をするって言ったら、鍵を預けてくれたんだ。なんか嬉しかった」





「まあ、お前らの関係が親公認なのは分かった。けど泊まるのはやり過ぎじゃねえか?」






「なんで?だって朝ごはんも作るんだし、いちいち帰るの面倒じゃない?」





「あのなあ、お前ら付き合ってるっつってもまだ高校生だろ?高校生らしい健全な付き合い方っつーか、その・・・なんだ・・・」





正弘は顔を赤くして口ごもる。





「もう、ハッキリしない男ね!言いたいことがあるならハッキリ言いなさいよ!」





そんな態度に怒る奈緒。





「ハッキリってもなあ、その・・・だからアレだよ!」





「アレって何よ?まあ分かるけどね。でも逆に聞くけど、恋人同士がセックスして何が悪いのよ?」





「セッ・・・ちょ、女の子だろ?恥ずかしくないの?」





「恥ずかしいに決まってるでしょ!でもあんな姿見られたんだったらいまさら隠しても無駄じゃない!」





やや頬を赤くしつつも、奈緒は開き直った。





「まあ・・・そうだけど、けどやっぱまずくないか?」





「さすがにあたしたちの関係知ってるのはお互いの家族くらい。友達には刺激が強いから秘密にしてるわ」





「親は何も言わないのかよ?」





「避妊さえしっかりしてればいいって言われてるくらいね。そもそも高2男子なんて煩悩真っ盛りで性欲抑えろなんて無理に決まってるじゃない。彼女いるなら尚更よ。だったらヘンに我慢させてヘンな気おこさせるより、ちゃんと発散させて満足してもらったほうが全然いいわよ。これも恋人の努めよ」





「なんか間違ってるような気もするが、でもまあ男が満足出来るならそれもありか。さっきの素っ裸に男もののワイシャツだけってカッコは妙にエロかった・・・」





「なんで素っ裸ってわかるのよ?あたし咄嗟に隠したはずよ」





「見えたわけじゃないけど・・・部屋も薄暗かったし・・・けど床に下着の上下が・・・」





「もういいわ。それ以上思い出さないで。あーっでもこれから正ちゃんの夜のオカズにされると思うとなんか寒気がする。ホント最悪・・・」





「オ、オカズって・・・そんな事しねえよ!俺は佐伯と違ってロリコンじゃねえんだよ!」





「俺はロリコンじゃねえよ」





それまでずっと黙っていた秀一郎がようやく口を開いた。





「・・・もういいわ。済んだことをいまさらとやかく言ってもどうにもならないから。とにかく正ちゃん、さっき見たものは全部忘れて。忘れられなくても他の人には話さないで。そのために朝ごはんご馳走してあげたんだからね」





「なんだよ、俺を朝メシひとつで買収する気か?」





「不満?」





「不満っつーか、なんかすげえ安く見られた気がする」





「じゃあこれも追加ね。正ちゃんの忘れ物ってこれでしょ?」





奈緒は一枚のDVDを差し出した。





「あ〜〜〜っ!」





驚いて大きな声をあげる正弘。





「なんだこれ?」





秀一郎も気になって目を向けるが、レーベル面には何も印刷されておらず、市販DVDを焼いたものくらいしか連想出来ない。





奈緒はニヤリと嫌な笑みを作り、





「無修正エロDVDよ。しかもその内容ときたら・・・ホント最悪よ。観てて気持ち悪くなったわ。正ちゃんにこんな性癖があったなんてねえ・・・」





「だーーっ!!奈緒ちゃんストップ!!お願いだからそれ以上言わないで!!俺が悪かった!!なんでも言うこと聞くから!!」





正弘は尋常ではない慌てぶりを見せた。











結局この一件で正弘はしばらく奈緒の下僕になることで折り合いがついた。





正弘は目的のものを無事回収出来たものの、魂が抜けたような顔で秀一郎の家をあとにした。







「全く若狭の奴・・・そんなものを俺ん家に持ってくんなよな。下手すりゃ俺が誤解されるじゃねえかよ」





「でもあたしは秀を信じてたよ。秀にはあんな趣味はないってね。秀はふつーのが好きだもんね」





「てかハッキリ言って奈緒のほうがエロいぞ。いくら若狭相手でもよくあんなにズバズバと言えるな。聞いてる俺のほうが恥ずかしかったぞ」





「まあぶっちゃけあたしもエッチ好きだし。なにも着けずに秀に抱かれて寝るの大好きだもん。暖かくてホント幸せなんだよ」





正弘が帰ってから、デートに出かけたふたり。





街に繰り出して店を巡り、ふたりの大切な時間を過ごす。





秀一郎にとっても幸せなひと時だった。





(やっぱ奈緒と一緒にいると落ち着くし、楽しい。いろいろダメなところもあるけど、奈緒は俺の大切な女の子なんだ)





隣を歩く小柄な少女を見つめる。





「ん?」





視線に気付いた奈緒が恋人のみに見せる可憐な瞳で秀一郎を見つめる。





秀一郎は小さな肩を抱き、





奈緒は秀一郎の胸に身体を沈め、





「・・・」





互いの愛情を確かめ合う、大切なキスを交わした。


[No.1498] 2009/05/24(Sun) 08:02:21
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泉坂高校は中間テストの時期に差し掛かっていた。





部活動もなく、生徒たちの顔色がいつもと変わっているように感じられる。





そして秀一郎の顔色も冴えなかった。





(真緒ちゃん、どうしたんだろ・・・)





鞄と弁当箱を抱えながら職員室に向かっていた。





弁当の受け渡しは基本的には真緒が朝のホームルーム前に秀一郎のクラスに届け、放課後すぐに秀一郎が真緒のクラスに返している。





今日も朝に届けてくれた弁当箱を返しに真緒のクラスにやってきたが、真緒は不在だった。





話を聞くと、生徒指導教師から呼び出しにあったとの事だった。





(真緒ちゃんは基本的に大人しい子だ。問題になるような騒ぎを自分から起こすようなことは絶対にしない。生徒指導は黒川だったな。経緯を聞いてフォローしておこう)





職員室に向かうルートの途中に生徒指導室がある。





生徒にはあまり関わりたくない場所だが、その前に私服の女性が立っており、その女性に見覚えのある後ろ姿が熱心に話し掛けている。





「おい若狭、こんなところでなにやってんだ?」





「また佐伯かお前には関係ねえよ!いいからロリコンは黙ってろよ俺の恋路の邪魔すんなよ!」





とても迷惑そうな声で叫んできた。





「お前・・・殺すぞ」





拳が怒りでわなわなと震える秀一郎。





人の噂とは恐ろしいもので「秀一郎はロリコン」という噂がすっかり広がっていた。





火元はクラスメイトの御崎里津子で、その煙を正弘が広げていた。





秀一郎はその火消しに躍起になっているももの、一度広まってしまったものを沈静化するのは難しかった。





「まあいい、ところでお前はまたナンパしてんのか?」





「ナンパじゃねえよ!このお姉さんが困った顔で立っていたから少しでも力になれたらと思って声かけたんだよ!ナンパなんて気はこれっぽっちもねえ!」





とは言いながらも正弘の目はギラギラしている。





「そんな目で言われても説得力ねえな。それよりその人が誰なのか、お前わかってんのか?」





「それをこれからお話するつもりだったんだよ!そこに佐伯が邪魔してんじゃねえか!」





「全く、知らないってのはこわいよな」





呆れる秀一郎に、





「秀くんこんにちは」





私服の女性が秀一郎に声をかけてきた。





「こんにちは。まさかこんな時期の学校で会うとは思いませんでしたよ」





と秀一郎。





「え、なに?佐伯テメエこの綺麗なお姉さん知ってんのか?テメエの守備範囲は幼女だけじゃねえのか?」





正弘が目の色を変えて突っ込んできた。





「お前にはいつか制裁を喰らわせてやる・・・まあいい。その人はな、真緒ちゃんのお母さんだ」





「ええっ!?」





さらに驚く正弘。





「マジですか?どうみても20台半ばくらいにしか見えないんすけど」





「ありがとう。よく言われるんです」





確かにふたりの高校生の娘がいるような年齢には見えない、とても若々しい笑顔を見せている。





「ところで今日は?」





秀一郎がそう尋ねると、その笑顔がさっと曇った。





「実は真緒の事で先生から電話があったの、私と少し話がしたいと言われてね・・・」





「親の呼び出し?」





声をあげて驚いた正弘だった。





秀一郎も同じように驚き、なかなか次の言葉が出て来ず、その間にふたつの人影が迫ってきた。





この学校随一を誇る妖艶グラマラスボディの持ち主と、まだ幼い感が残る小柄な少女。





「あ、お母さん。それに先輩まで・・・」





申し訳なさそうな表情を見せる真緒。





「小崎真緒さんのお母様ですか?」





「はい。いつも娘がお世話になっております」





「生徒指導担当の黒川です。お忙しい所に御呼び立てして申し訳ありません」





「えっ、黒川・・・ひょっとして、栞?」





「え?」





「やっぱり栞だ。ほら私、覚えてないかな?由奈よ」





「由奈・・・篠原、篠原由奈か」





「ありがとう、覚えててくれたんだ。16年、いや17年ぶりね」





「もうそんなになるのか・・・そうだな、この子はもう高校生だから、それくらいにはなるな。そうか、小崎は由奈の子か。なるほど、言われてみれば確かにどこか面影がある」





黒川は普段はまずお目にかかれない柔和な表情を見せている。





「あの、先生、これは一体」





状況が理解出来ない秀一郎が尋ねた。





「ああ、私と由奈・・・小崎のお母様は高校の同級生なんだ」





「同級生?マジですか?」





「本当よ。と言っても半年だけだったけどね。私は結婚して学校辞めちゃったから」





真緒の母、由奈は懐かしそうにニッコリと微笑んだ。





「由奈、積もる話もあるだろうが、まずは真緒さんのことを話そう」





「なにか問題があったの?」





「心配するな。なにも問題はない。ただ少し周辺にきな臭い噂があってな、出来れば未然に防ぎたいと考えて、その相談だ」





黒川は安心させるような笑顔で指導室の扉を開けて案内する。





由奈は秀一郎たちに軽く頭を下げ、





「じゃあ先輩、ご心配おかけしてすみません」





真緒も丁寧に頭を下げてから、指導室の扉を閉めた。





「しかし驚いたな。黒川と由奈さんが同級生とはな」





「由奈さん?お前彼女の親をそんな呼び方してんのか?」





「じゃあ逆に聞くが、あの人に対しておばさんと呼べるか?」





「あ、確かにそう言われるとちょっと、いやかなり抵抗あるな。ぱっと見はお姉さんだよな。実際若いよな?」





「詳しくは知らんけど、確か高校中退して1年もしないうちに奈緒と真緒ちゃん産んでるって聞いた覚えあるな」





「そうかあそんなに若いんだあ。しかも人妻。なんかいいな・・・」





正弘のだらしない顔が危ない妄想を展開させているのが一目でわかる。





「若狭、奈緒からの情報だ。駅前の新しく出来たカフェに芯愛のかわいい女子が頻繁に出入りしてるらしい。どうやら他校の男子との出会いを求めているようで・・・」





「行ってくる!」





正弘は目の色を変えてダッシュして行った。





「やれやれ、ホントわかりやすい軽薄な奴だな・・・」





親友の行動に呆れて苦笑いを浮かべる秀一郎だった。











やや日が傾きかけた頃、真緒とその母、由奈は校門に向かっていた歩いていた。





真緒はやや伏せ目がちで、由奈は優しい微笑で。





「あ、佐伯センパイ・・・」





校門の側に立っている秀一郎の姿を真緒が捉えた。





「よっ真緒ちゃん、お疲れ」





微笑む秀一郎。





「秀くん、待っててくれたの?ありがとう」





「いえ、俺もこれ返さなきゃと思ってたんで」





いつも受け取っている弁当箱をぶら下げる。





「じゃあこれは私が預かるわ。私は買い物してくので、秀くんに真緒をお願いしてもいいかしら?」





「わかりました。ちゃんと送ります」





そう答えた秀一郎に由奈はニッコリと微笑んで、





「じゃあ私はここで。真緒、また後でね」





手を振って後にした。





「あ、お母さん・・・」





残されたやや戸惑い顔の真緒だった。





その後、並んで歩くふたり。





「長かったみたいだな、黒川の話」





「うん、お母さんと先生の昔話で盛り上がって・・・」





「そっか。でも黒川と由奈さんが同級生ってのは驚いたな」





「そうですね。あたしもちょっとビックリしました」





真緒は妹の奈緒と比べると、大人しい性格で会話が続きにくい。





しばしば沈黙に包まれながら、家路を進む。





「なんか、他校の生徒の間であたしの名前が出てるみたいなんです。その・・・少し問題のある人たちの間で・・・」





元気のない声でそう伝える真緒。





「そっか、真緒ちゃん強いもんな。でもただの噂だろ?教師の連中も細かいこと気にし過ぎなんだよ。気にすんなよ」





「噂って言えば、センパイも噂立ってますよね」





「ああ、あれね。俺としては不本意なんだが、なんかあっというまに広まっちまった。奈緒が聞いたら激怒するだろうなあ」





「あの、あたし言っちゃいました。その噂、奈緒に」





「えっマジ?」





顔色を変える秀一郎。





「はい・・・」





「あいつ、それでなんか言ってた?」





奈緒本人からはその噂の話題になったことも、メールでやり取りしたこともない。





「奈緒ね、怒りもあったけどそれ以上にショック受けたみたい。本人も少し自覚してたみたいで・・・」





「まあ、痛いところを突かれたって感じか」





「そうですね。あと、若狭センパイのせいにしてるようで・・・今度会ったら痛い目にあわせるって息巻いてました」





「相変わらずカンが鋭い奴だな。まあ間違いじゃないが・・・」





とは言うものの、友人が自分の彼女から危害を受けるのはいい気分がしない、わけでもなかった。





(ま、酬いかもな。そうなったら適当なところで止めるから、痛い目受けてくれ)





意外に薄情な秀一郎だった。





「でも、やっぱり羨ましいです。奈緒が」





真緒が小さな声でそう漏らした。





「え、何が?」





「奈緒にはセンパイという素敵な彼がいるのがやっぱりいいなって。毎朝早起きしてお弁当作ってる時って、とても幸せそうなんです。あたしもそんな素敵な恋がしたいって、最近よく思うんです」





「そうなんだ。でも真緒ちゃんかわいいから、言い寄る男子は少なくないんじゃないかな。そのうちいい男が見つかるよ」





「センパイ、それってのろけですか?」





「えっ、なんで?」





秀一郎には真緒の言葉の意図がわからない。





真緒は少し悪戯っぽい微笑みを見せて、





「だって、あたしをかわいいって言うことって、奈緒もかわいいってことですよね?見た目ほとんど一緒なんだもん」





と突っ込んだ。





「え、いや、そんなつもりはないけど・・・それにそれだけじゃなくって真緒ちゃんは性格もかわいいって!奈緒みたいに気が強くないし、女の子らしいと思うよ!」





と少し照れながらフォローを入れた。





「ふふっ、ありがとうございます。でもだからと言っても理想の恋って、簡単には手に入らないですよ」





真緒は笑顔の中に少し切なげな表情を見せた。





「真緒ちゃん、ひょっとして好きな男でもいるの?」





秀一郎はそう感じ、口にした。





真緒は、





「ふふっ、内緒です!」





夕日を背に、とてもかわいらしい笑顔を見せた。


[No.1499] 2009/05/31(Sun) 07:57:01
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「佐伯くん、資料室からこの判例の資料を探してきてくれ」





「わかりました」





秀一郎は席を立ち、隣の部屋に向かった。





「えーっと、横浜地裁の・・・」





膨大な過去の判例から、目的の資料を探し出す。





難しくはないが、手間がかかる仕事に秀一郎は真剣な眼差しで取り組んでいた。










秀一郎はこの小さな弁護士事務所でバイトをしていた。





主な仕事は資料探しや作成、それに雑務一般。





「はい峰岸さん、資料ってこれでいいですか?」





「ああ、ありがとう」





この弁護士事務所の所長、峰岸が笑顔で資料を受け取った。





峰岸は現在38歳。企業が抱える顧客とのトラブル対応をメインの業務にしている。





「先生」とか「所長」といった肩書で呼ばれるのを嫌っており、だから秀一郎も普通に「峰岸さん」と呼んでいる。





あと他に女性の助手が1名おり、3人でこの事務所の全ての仕事をこなしている。





「佐伯くんが優秀でよかったわ。高校生のアルバイトって正直少し不安だったけど、今は本当に助かってるわ」





そう話すのは助手の田嶋だった。





年齢は所長の峰岸より上で、ここの母親的な存在である。





秀一郎がここの前を通り掛かったとき、偶然田嶋が「アルバイト募集」の貼り紙を貼ろうとしているところだった。





将来弁護士を目指す秀一郎にとっては絶好のチャンスであり、すぐに面接した。





峰岸は当初、大学生か弁護士のタマゴを考えていたので高校生の秀一郎を雇うのに少し抵抗を感じていたものの、秀一郎の熱意に推されて採用に踏み切り、今では雑務全般を任せるようになっていた。





ここでの仕事は学校の授業より難しく、頭を使うことも多いが、大きなやり甲斐を感じている秀一郎だった。





バイトは学校が終わってから夜7時までが基本で土日は休みだが、仕事が多い時、特に重要な公判前は忙しく、深夜になったり休日出勤もある。





ただバイト料は普通の高校生の相場よりはかなり良く、それを知っている奈緒が秀一郎にいろいろタカる要因にもなっている。












ブーッ・・・





マナーモードになっている携帯が震えた。





「ん?」





秀一郎は峰岸に資料を渡すと、携帯を開いた。





「・・・全く、相変わらずわけがわからん・・・」





奈緒からの写メだった。





「なに、彼女から?」





田嶋が興味深そうに覗き込んできた。





「こいつ頻繁に写メ送ってくるんですけど、何なのかよくわからないものばっかなんです。どう返していいやらいっつも困ってて」





「別に深く考えなくていいのよ。ただ相槌打つだけで十分よ」





「そんなんでいいんですか?」





「あれくらいの年頃の子は、ただ好きな人といろんな感動を分かち合いたいだけなのよ。気の利いた言葉なんて要らないわ。ささ早く返信してあげなさい」





「えっ、でもまだバイト中ですし・・・」





一般論を口にしようとした秀一郎に、





「佐伯くん、若いうちはそんな細かい事は気にしないで、彼女を第一に考えたほうがいいぞ」





所長の峰岸までそう言い出した。





「いやでも・・・」





「男なら、たまには仕事を放り出して大切な人のために時間を割くことも必要だ。それに佐伯くんの彼女は今時珍しいとても素直で気が利くいい子だ。本当に大事にしなきゃダメだよ」





奈緒は姉の真緒とふたりでこの事務所に来たことがあった。





ただ秀一郎が働いている場所を知りたかっただけで、差し入れにわざわざ手製のクッキーまで持ってきた。





その効果は絶大で、峰岸も田嶋も奈緒にとても好印象を抱いていた。





(奈緒って外ヅラはホントいいんだよなあ。内面は今時のワガママ女なんだけどなあ・・・)





ふたりの笑みを見ながら、女の子の二面性を感じる秀一郎だった。











「お先に失礼します」





バイトを終え、職場をあとにした。





小さなオフィスビルの一角にあるこの事務所の出入りは、小さなエレベーターを主に使う。





扉の前でエレベーターが降りてくるのをいつものように待つ。





ランプが自分の立つフロアに着いたことを示し、静かに扉が開くと、スーツ姿の先客が目に入った。





小さなビルだが人の出入りはそれなりにあり、こうして狭い空間を共有するのも日常のひとつである。





秀一郎はいつも通りエレベーターに乗り、扉が閉まった。





しばしの時、見知らぬ人物と移動を共にする、いつもの日常・・・





「あれ、君は確か・・・」





先客が話しかけてきた。





「あ、あなたは・・・」





秀一郎にも見覚えのある顔。





自分と正弘の先輩にあたり、映像研究部のOBの優しい笑顔だった。











偶然にも帰る方角が同じだったので、しばらく並んで歩きながら話す機会が生まれた。





「はい、俺の名刺」





[株式会社レアルトレーディング 外商課 真中淳平]





そう記されていた。





「トレーディングってことは、貿易会社ですか?」





「フィリピンで造ってる家電製品の輸入と販売が仕事だよ。以前海外をひとり旅してて英語はわかるんだ。俺の数少ない取り柄のひとつだな。まあ今時英語なんてたいした取り柄でもないけどね」





「そんなことないですよ。若狭も俺も英語わかんないですから、やっぱ凄いと思います」





「君たちはまだ若いじゃないか。若狭くんも、えっと・・・」





「佐伯です。佐伯秀一郎と言います」





「秀一郎か。立派ないい名前じゃないか」





「たまにそう言われます。でも俺としては名前負けしてる気がして嫌なんすけどね」





「そんな事はないよ。佐伯くんはあのフロアにある弁護士事務所で働いてるんだろ。高校生でそんな場所で仕事が出来るのは凄いよ。俺なんて寂れた映画館だったからな。しかも無給だったし」





この淳平の言葉で、秀一郎は正弘が言っていた言葉を思い出した。





「そういえば前に若狭が言ってました。真中先輩の映像の技術は凄いって。あいつは先輩をプロだと思ってるみたいですよ」





「そうなの?そりゃまずいなあ・・・」





淳平はボリボリと頭を掻きながらバツの悪い表情を出す。





「映研を立ち上げて、自主制作映画撮ったんですよね?」





「ああ。真剣にプロの道を目指して、少しの間だけどプロとして仕事もしてた。けど、辞めたんだ」





どこか遠い日を見るような淳平の表情は、やけに晴れやかに見えた。





「どうして辞めたんですか?」





「俺は映画が大好きだ。観るのも好きだし、自分で作るのも好きだ。けどそれを仕事として、プロとしてやって行くとなると好きだけではダメなんだ。好きが故に理想を求めて、けど現実には無理で、それが嫌になって・・・ってのを繰り返してたら、映画が嫌いになってたんだ。まあ学生の君にはまだ理解出来ないかもしれないけどね」





「いえ、なんとなくわかります。好きなことを仕事にすると辛くなるってよく聞きます」





と秀一郎は口にしたものの、いまいち納得出来なかった。





「佐伯くん、君には夢があるかい?あそこでバイトしてるってことは、弁護士志望なのかな」





「あ、はい。実はもの作りが好きなんですけど・・・」





秀一郎は淳平に弁護士を目指すきっかけと経緯を話した。





淳平はその話を優しい笑顔で耳を傾け、





「そうか。大変だと思うけど、頑張れよ!」





軽く肩を叩き、エールを送った。





「はい、頑張ります。けど真中先輩」





「ん、なんだい?」





「もう一度、映画の世界に戻る気はもうないんですか?若狭が言ってました。真中先輩はホント凄いって。そんな凄い力があるなら、勿体なくないですか?」





まだ若い秀一郎には、今の淳平は夢を諦めたように見えていた。





そしてその決断はまだ淳平には早過ぎるように思え、そう伝えた。





それを受けた淳平は顔色を変えることなく、いつもの優しい笑顔のままで、





「君は天才という人物に会ったことがあるかい?」





と尋ねてきた。





「天才、ですか?俺は、たぶんまだないと思います」





「天才と呼ばれる人は本当に凄い。その世界に疎くても、理屈抜きに凄さが伝わってくるんだ」





淳平は熱が入った言葉を伝えてくる。





「は、はあ・・・」





「あと同じように努力家も凄い。天賦の才能がなくても、日々の努力の積み重ねで凡人には到達出来ない世界を生み出す。天才も努力家も同じように素晴らしい」





ここで淳平は少し寂しげな表情を見せ、





「でもその世界は凡人は到達出来ない。努力ってのは続けるのが大切だけど、それを続けれる環境が必要なんだ。そしてその環境ってのは簡単に手に入らない」





「努力のための環境、ですか」





秀一郎には初めて聞く言葉だった。





「ま、それは言い訳にしかならないけど、けど俺には才能もなかったし努力も出来なかった。だからハンパなものしか出来なかった。プロと名乗ってんのに満足な作品が出来ない。傍目には良さそうに見えても、作った本人が不満ならダメだ。俺はプロと名乗るだけのものは持てない。だからもうあの世界に戻る気はないよ」





「そう、ですか」





その淳平の言葉から秀一郎は現実の厳しさを垣間見たように感じた。





「あ、でも、今は楽しいよ。趣味として映画と付き合うようになったら、また好きになった。いち観客として映画観て、出来る限りのことでショートムービー作って、後輩と映画の話をする。そんな毎日がとても充実してるな」





秀一郎の暗い顔に気付いた淳平が明るく振る舞う。





その言葉も偽りではないとわかるものの、やはり今の淳平から一抹の寂しさを感じとる秀一郎だった。


[No.1500] 2009/06/07(Sun) 07:41:36
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古いブラウン管テレビにハンディカメラで撮影された映像が流れている。





その画面を眼鏡の奥から鋭い視線が捕らえていた。











「へえ、由奈ちゃんに会ったんだあ」





「角倉も覚えてるのか?篠原を」





「そりゃかわいい子だったし、結婚で学校辞めたのも印象強かったからね。それにそもそも俺は由奈ちゃんを撮りたかったから」





「ほお、では私は篠原の代役だったのか?」





黒川の視線が一段と鋭さを増す。





「まあ、由奈ちゃんが辞めてなかったら栞ちゃんには声かけてなかったかも」





並の男なら動揺してしまう強烈な視線受けても動じないのが角倉だった。





「けどあの由奈ちゃんがもう高校生の親かあ。俺たちも歳とったよなあ」





「それは言うな。それに篠原は結婚が早過ぎたんだ。そもそもな」





「とか言ってると、あっと言う間に行き遅れるよ?」





含みのある笑みで突っ込む角倉。





黒川は少し動揺を顔に表しつつも、





「そ、その話はもういい。それよりどうなんだ?その、真中の撮った作品は」





話題を本題に切り替えた。





角倉の目が変わった。





仕事の目、映画監督の厳しい目を見せる。





「・・・真中の心は死んじゃいない。こんな簡単なショートムービーでも、ちゃんと仕事してる。これはプロの領域さ」





角倉がそう評価したのは、淳平が後輩のために見本として簡単に撮影、制作されたものだった。





「そうか。で、どうするんだ?真中にそう言って自信を取り戻させるのか?」





「栞ちゃんから言ってくれないかな?あいつたまにここに教えに来るんでしょ?その時にさりげなくさ」





「なぜ私がそこまでせねばならん?いくら教え子でも、それは角倉の役割だ!」





黒川は角倉に非難の声を出した。





それを受けた角倉は、





「いやーそーなんだけどねー、だけどさー」





煮え切らない態度を示した。





そうなると当然のごとく怒る黒川。





「男ならハッキリ言え!そもそも真中が映画の道を諦めた理由はなんだ?私はただ大きな挫折があったとしか聞いていない。お前なら真相を知ってるんだろう。まずそれから話せ!」





「いや、もちろん知ってるけど、これ栞ちゃんに言ったら俺が殺されそうで・・・」





「ほお、なら何も言わずにここで永眠するか、全て言ってから存命の機会を得るか選択しろ」





黒川は先ほど見ていた大きなブラウン管テレビを振りかざして角倉に狙いを定める。





「わ、わかったわかりました。話しますからそれ置いて・・・」











角倉はお茶をすすりながら、ゆっくりとした口調で語り出した。





「真中は技術の問題で失敗したわけじゃない。ある請け負った仕事で相手に詐欺紛いの手口で騙されて、とんでもない借金を背負わされたんだ」





「借金か、どれくらいだ?」





「俺たちじゃどう頑張っても返せそうにない金額さ。





しかもヤバイ系のところがキッツイ取り立てに来てさ。俺もヒビッちまって、真中を突き放したんだよ」





「なにぃ?お前は後輩を、部下を見捨てたのか?」





「だって仕方ないじゃん。あんな恐い奴らに毎日取り立てに来られたら俺や他の部下の仕事にまで影響が出る。真中に責任押し付けるのがあの時の最善の方法だったんだよ!」





「まあいい、それで、その後は?」






「真中は事務所に顔を出さなくなった。連絡もよこさないし、こっちから連絡もつかない。たぶん俺を巻き込みたくなかったんだろう。とにかく音沙汰がなくなった。まあ俺も正直ホッとしてたよ」





ここで湯呑みに一口つける。





「んで、4ヶ月くらいかな、全く連絡がなかった真中から連絡が来たんだよ。借金は整理した。けどもう懲りたから映画の仕事はしない、ってね」





「たった4ヶ月で莫大な借金を全て返したのか?どうやったんだ?」





「それも気になったけど、けど俺は真中をうちに戻すことを最優先に考えた。失敗は誰にもある。これを期に同じ過ちを繰り替えさなければいい。そもそもあいつはいいものを持ってる。ここで辞めさせるのはあまりにも惜しい。だから何度も俺から連絡して戻るように説得した。けどあいつは頑固に断り続けて・・・」





少し軟らかかった角倉の表情が厳しくなった。





「そしたら、真中の恋人って女が俺のところにやって来たんだ」





「真中の恋人?誰だ?」





「その女も君の教え子さ。小説家の東城綾だよ」





「なに、あの東城が真中の恋人?」





驚く黒川。






「そ。あの大人気の美人小説家が俺の小汚い事務所に来たんだよ。んで用件はただひとつ、これ以上真中には干渉するな、とね」





「なぜ東城がそんな事を?」





「真中は全てを捨てたそうだ。親も、恋人も、友人も、とにかく全ての関係を断ち切った。全てをひとりで被ろうとした。そして身も心もボロボロになった。んで彼女はそんな真中を偶然知って、たまらず救いの手を差し延べた」






「ではその莫大な借金は、東城が?」





「たぶんね。俺たち庶民にはどうにもならない額だけど、日本トップの売上を誇る彼女ならポンと払えるだろうからね。あー恐ろしい格差社会。日本の未来はこれでいいんだろーか」





投げやり気味の口調で嘆く角倉。






「では、真中を苦しめた映画社会に対して東城が嫌悪感を抱いている、というところか」





「まあ、そこまでじゃないと思うけど、とにかく真中を見放した俺の元に戻るのは絶対反対だってさ。まーボロカスに言われたよ。さすが日本トップの天才小説家。口も立つし弁も立つ。確かに美人だけどもー二度と会いたくない。俺あの子嫌い」





角倉のヤサグレ度合いがさらに増す。





「ふっ、お前がそこまで落ち込むとは、相当キツイ言葉を浴びたんだな。しかしあの大人しい東城がそこまで言うとは、あいつも成長したな」





黒川は嬉しそうに微笑む。





「でもあの子が真中の側にいるのはハードル高いよなあ。なんだかんだで男の生き方って女で決まるんだよねえ。俺が独り身なのも自分のやりたい事を女に縛られたくないからだからなあ」




「自分の甲斐性無しを別の言葉で上手くごまかすものだな」





「でも栞ちゃんこれホントだよ。俺としては別れて欲しいけど、難しいよなあ。真中も優しいから自分を救ってくれた女を突き放すなんて出来ないだろうし、そもそもあの子恐いからなあ・・・」





「恐い?東城がか?」





怪訝そうな顔をする黒川。





それを見た角倉は何か吹っ切れたような目を向けると、





「あの子、東城綾は真中のためなら平気で自分の命を差し出すし、平気で人を殺すよ」





低い声で言い放った。





「なっ・・・そんな馬鹿なことがあるか!そんなの映画や小説の世界の話だ。みな自分の身がいちばんかわいい。有り得ん!」





「ま、普通はそうだけどね。いざという時は自分が大事。だから俺も真中を見放した。けどあの子、東城綾は普通じゃないよ。あの真中への愛は異常だよ」






強い口調で否定する黒川に対して、何かを悟ったような語り口をする角倉だった。











(ふう、今日も一日疲れたな・・・)





学校を終え、バイトを終えた秀一郎は明かりが徐々に消えつつある商店街を進んでいた。






夕刻ならそれなりに人通りはあるが、この時間になると寂しさを感じる。






眠りに付きかけているこの道を歩む見覚えのある姿を捕らえた。





(ウチの制服だ)






泉坂高校のセーラー服に、学校指定の鞄を下げている。






それに加え、地味なエコバッグ。







逆方向からこちらに向かってくるその姿は、周囲が薄暗いせいもあり、顔まではわからなかった。






だんだん近付く。





顔がわかるような距離になる。






「桐山?」






俯き加減で寂しげな姿は、クラスメイトの沙織だった。





「あ、佐伯くん」






秀一郎に気付いた沙織は、少し笑った。





「こんな時間になにしてんだ?」





買い物帰りにしては時間が遅すぎる。





「そんな佐伯くんも、どうしてここに?」





「俺はバイトの帰りだよ」





「あ、あたしも一緒だよ」





「桐山もバイトしてんのか?」






秀一郎には意外だった。





沙織はゆっくりと頷き、






「この近くの雑貨屋さんで働いてるの」






「こんな時間までか?」






「今日はちょっと遅くなっちゃった。少し忙しくて」






「・・・家まで送るよ」






「え、いいよそんな・・・」







手を振って戸惑う沙織。






だが秀一郎は、





「こんな時間に、知っている女子をひとりで帰らせるなんて出来ないって!」






と、強く言った。






「でも、ちょっと遠いよ」







「なら尚更だ。なんかあったらまずいって。俺のことは気にしなくていいから、送らせてくれ」






「・・・うん。迷惑かけてゴメンなさい」








沙織は申し訳なさそうに頭を下げた。





それからふたり並んで歩く。





ボツポツと思いついた事を話題にするが、流れが悪く会話は途切れがちになる。





沙織の帰り道は、お世辞にも安全とは言えなかった。






車の通りが多い幹線道路。






街灯が全くない、薄気味悪いほど暗い道。






ガラの悪い連中がたむろしているコンビニの前。






高2の女子が夜のひとり歩きをするには危な過ぎる道だった。






そして道中20分ほど歩いて、






「ここなの・・・」






沙織が立ち止まった。






「ここ?」






秀一郎の目は、かなり古い木造2階建ての小さいアパートを捕らえていた。






「あの、佐伯くん」





「ん、なに?」






「あの、お礼ってわけじゃないけど、ウチに寄ってお茶飲んでいかない?あたし、それくらいしか出来ないから」






沙織が遠慮がちにそう切り出した。


[No.1501] 2009/06/14(Sun) 06:42:42
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regret-10 (No.1501への返信 / 9階層) - takaci

どこまで踏み込んでいいものだろうか?





秀一郎には恋人がいる。





そして現在、クラスメイトの女子から誘われている。





(でも、お礼でお茶一杯くらいならいいよな。確かおじさんの世話になってるって言ってたし)





少々ひっかかるものはあったが、秀一郎は沙織の誘いを受けることにした。





「じゃあ、こっちだよ」





沙織は少し笑顔を見せ、案内する。





錆びた階段を上り、一番奥の部屋に進む。





明らかに塗り直されたとわかる鉄の扉が時代を感じさせる。





扉の中央上方に[桐山]と楷書体で書かれたプレート。





沙織は鍵を解除し、扉を開けると、素早く明かりを点した。





「さ、どうぞ」





「お、おじゃまします」





秀一郎はやや戸惑いながら狭い玄関に靴を置いた。





狭い部屋だった。





広さは秀一郎の部屋と同じくらい。





ただ、それ以上に広く感じる。





家具類が極端に少なかった。





目立つのは勉強机と箪笥くらい、あとは部屋の中央に置かれた折り畳みテーブルと、窓際の隅に置かれた小さなテレビと棚。





そして手前隅に置かれている小さな仏壇。





ほのかに線香の香が感じられる。





ひと部屋にあるのはそれくらい。





そして、他の部屋はない。





あとは狭いキッチンと、奥にバス、トイレがあるくらい。





典型的なワンルームだった。





立ち尽くす秀一郎に、





「あ、適当に座ってて。すぐに支度するから」





キッチンでお茶の用意をする沙織。





言われるままに秀一郎はテーブルの側に腰を下ろした。





そして改めて部屋を見回す。





やはり物が少なかった。





掃除や手入れは行き届いてるようだが、古さは否めない。





それになによりも、





(女の子らしくない)





とにかく落ち着いた部屋だった。





比較対象で真っ先に思い浮かんだのが、奈緒の部屋。





何度も入ったことのあるその部屋は、いかにも女の子らしい調度品がある。





姉の真緒の部屋も、趣こそ多少異なるものの、基本的には女の子らしい部屋。





この沙織の部屋にはそれがなかった。





「はい、どうぞ」





沙織が来客用の湯呑みに緑茶を注ぎ、丁寧に差し出した。





「いただきます」





湯呑みを取り、そっと口をつける。





「うん、美味いよ」





秀一郎がそう言うと、沙織はにっこり微笑んだ。





「ところで、前におじさんの世話になってるって聞いた覚えあるけど・・・」





「うん、生活費とか金銭的な部分でね。おじさん遠くに住んでるから」





「じゃあ、一人暮らしなのか?」





「うん。生まれてからずっとお母さんと一緒にここに住んでたんだけど、あたしひとりになったら急にこのお部屋が広く感じて、なんか寂しいんだ」





「えっ、この部屋にふたりで住んでたの?」





「うん・・・」





秀一郎は三度部屋を見回した。





広さはやはり自分の部屋と大差ない。





この限られた空間をふたりの人間で共用する。





さらに生活の全てをこの広さで行う。





想像がつかない世界だった。





「もっと、いろんなものを置いたら?ほら、ぬいぐるみとか、ドレッサーとかさ」





「この部屋には、お母さんとの想い出がいっぱいあるんだ。この部屋の感じを変えると、なんかそれもなくなっちゃいそうで・・・」





「そう・・・か・・・」





それ以上の言葉は出なかった。





(桐山は、まだ母親を亡くした悲しみから抜け切れていない。たったひとりの親なんだ。1年やそこらで吹っ切るのも無理だろう)





(いっそのこと引っ越し・・・いやダメだ。桐山は母親との思い出を大切にしてる。その思い出が詰まったここから出るなんて無理だろう)





「やっぱ・・・重い・・・よね・・・」





「桐山・・・」





絶句する秀一郎。





沙織は涙を溜めていた。





「勇気出して、友達誘おうって、佐伯くん、誘ったけど、けどこんな部屋に誘われても困るよね。少しでも明るい感じにしたいけど・・・出来ないんだ・・・どうしても・・・」





涙を必死にこらえようとしてるももの、どんどん溢れ返ってくる。





秀一郎は強烈に胸に詰まるものを感じ、





「桐山・・・」





気が付いたら、沙織を抱きしめていた。





「佐伯くん・・・ゴメン・・・ゴメンね・・・うう・・・」





沙織は秀一郎の胸の中で泣きじゃくった。










(俺はなにやってんだ・・・)





沙織の部屋を出て、暗い家路に着く秀一郎は強い自責の念に駆られていた。





(なんで桐山を抱きしめたんだ?あれは完全に友達の範疇を超えている)





(でも・・・あのまま放っておくなんて出来ない。俺は桐山の力になりたい)





(でも、俺に何が出来る?奈緒がいる俺に、一体なにが・・・)





(そもそも、どこまでが許されて、どこまでがダメなんだ?)





秀一郎の苦悩はしばらく続いた。










結局、その日はあまり眠れなかった。





翌朝の秀一郎は明らかに寝不足気味で顔色が冴えなかった。





「先輩、どうしたんですか?顔色悪いですよ」





と、弁当を持ってきた真緒に指摘されてしまった。





慌ててごまかして受け取った弁当が、いつもより重く感じた。





自然と席に向かう足取りも重くなる。





そのまま重い表情で席に着く。





(ん?)





机の中に、他人が入れたと思われるルーズリーフの切れ端があった。





二つ折りにされたそれを開く。





[昨日はごめんなさい。昨日のことは全部忘れて下さい 桐山沙織]





綺麗な字でそう書かれていた。





慌てて教室を見回す。





(桐山・・・)





沙織の姿はなかった。





昼休み。





沙織は早々に教室から姿を消していた。





(まるで俺と顔を合わせるのを避けてるみたいだな・・・いやそりゃ自意識過剰か)





奈緒手製の弁当を口に運びながら、沙織を気にする自分に少し嫌気がさす。





「おい佐伯、放課後付き合えよ」





向かいに座って購買のパンを頬張る正弘が秀一郎の顔色を伺わずに高いテンションで声をかけてきた。





「なんだよ、今度はどこだよ?」





「芯愛だよ」





「芯愛?」





奈緒が通う高校だ。





「何しに行くんだよ?ご主人様に呼び出されたのか?」





このご主人様とは奈緒を指す。





「アレには用はねえよ!」





「俺の前でアレって言うな。奈緒が聞いたら徹底的にシバかれるぞ」





「とにかく芯愛にはレベル高い女子が多いらしい。チェックに行こうぜ!」





「そんな理由で俺が行けるかよ。奈緒と鉢合わせしたらどうすんだ?」





「そん時にお前が迎えに来たって言うんだよ。そすればあいつが俺にイチャモンつけることもないだろ!」





「要は俺に奈緒の壁になれってことか・・・」





正弘らしからぬ策略の巡らせ方と、その原動力の煩悩パワーに呆れる秀一郎だった。










放課後。





秀一郎は弁当箱を返す際に、





「奈緒の学校にちょっと顔出してくる」





と一言真緒に言って、正弘とともに芯愛高校に向かった。





事前にメールを送ってその旨を伝えれば確実に奈緒に逢えるが、それは正弘によって止められた。





「あくまで目当ては芯愛の女子だ。そんなことしたらあいつに必ず邪魔建てされる。あくまでアポ無しで行くんだ」





正弘はとことん奈緒を避けたいらしい。





そして芯愛の正門前に着いたふたり。





下校時間と重なっており、ブレザーの男女の姿が目立つ。





(奈緒、まだいるかな?あいつ部活はやってないからもう帰ったかな?)





ブレザーの集団の中から小柄な恋人の姿を探すが見当たらない。





「そういや、あいつヤバイよな?」





「1年の小崎だろ。なんであいつらに刃向かうんだろうな。呼び出しまで喰らってよ」





芯愛の男子生徒のこの会話が突然秀一郎の耳に飛び込んで来た。





「おい、どういうことだ?」





話をしていた男子を捕まえる秀一郎。





その男子は始めはうろたえていたが、





「ウチの1年の女子が不良グループのトップに目を付けられて今日呼び出されてんだよ。ウチの菅野って男にさ」





「どこだ!そいつらはどこにいる?」





「が、学校の裏にあるウェーブってダンスカフェだよ。奴らがよくたむろしてる店だ」





秀一郎は男を振りほどくと、血相を変えて走り出そうとした。





「おい佐伯待てよ!」





正弘が止める。





「なんだよ!急がないと奈緒がヤバイんだ!」





「お前なにもわかってねえよ!芯愛の菅野って言ったらこのあたりで最強最悪の男だぞ!そんな奴のとこにノコノコ出向いてもやられるだけだ!」





「だからって奈緒を放って置けるか!」





秀一郎は正弘を振りほどくと、一目散にダッシュした。





学校の裏手にあるダンスカフェはすぐに見つかった。





寂れたビルの地下一階にあり、そこへ下る階段の雰囲気だけでもかなり暗い。





秀一郎は込み上げる恐怖を理性で押さえ込み、階段を駆け降りて扉に手をかける。





「あんたらホント情けないわね!大の男がひとりじゃなにも出来ないの!?ホント馬鹿の集まりね!」





「んだとお!このアマいい気になりやがって!」





奈緒の叫び声と、それに激昂する男の声が届く。





「奈緒!」





秀一郎はたまらずドアを開けた。





「あ、秀!」





奈緒の笑顔が飛び込む。





「おいおいなんだテメエはよお!痛い目みたくなかったらすっこんでろ!」





いかにもガラの悪そうな男が凄みを効かす。





だが秀一郎も引かない。





「悪いが俺も引き下がれないんだよ!その女に近付くな!」





奈緒が駆け寄り、秀一郎の背中に身体を隠す。





「なんだてめえ、そのアマの男かよ?」





「そうだ」





「そうか、なら仕方ねえ、お前の女がこっちのシマでオイタをしたんでな。一緒に痛い目みてもらおうか」





凄みを効かせたガラの悪そうな男が4人、ゆらりと向かってくる。





さらにその奥に、リーダー格と思われる男がどっかりと座って嫌な笑みを浮かべている。





(5対1か。どうする・・・)





背中に奈緒の体温を感じながら、秀一郎はこの場を切り抜ける策を巡らせる。


[No.1502] 2009/06/21(Sun) 07:33:23
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秀一郎にケンカの経験はほとんどない。





(でもこれじゃケンカにもならない。一方的にやられるだけだ)





5対1。絶望的な状況。





ただ幸いにも、出口は空いている。





「始まったらお前は逃げろ」





小声で背中の奈緒に囁く。





「え?でもそれじゃ秀が・・・」





「俺には構うな。お前が無事ならそれでいいんだ。そのために来たんだ」





にじり寄る男たち。





秀一郎は奈緒を庇いながら、少しずつ後ずさりする。





ガチャ・・・





出口の扉が開いた。





(しまった!外に仲間がいたのか?)





絶望感に包まれる秀一郎。





逆光ではっきりしない姿が次第にわかるようになる。





秀一郎の絶望が、希望に変わった。





「センパイ!」





そう呼び、素早く側に並んだ小柄な影。





「真緒ちゃん、どうしてここに?」





「芯愛で奈緒の回りに嫌な動きがあるって聞いてたんです。それで気になって」





「とにかく助かったよ」





秀一郎の表情に余裕が生まれた。





それを察知した男たちは、





「オイオイ、随分か弱い加勢だなあ!」





「お嬢ちゃん、痛い目見たくなかったらすっこんでな!」





低い声で凄みを効かせる。





だが真緒は一切動じない。





「言いたいことはそれだけですか?ならかかって来なさい。こちらから手を出したくないですから」





逆に煽った。





「んだとお!このアマ・・・」





激昂する男たち。





「センパイ、コンビネーション覚えてますか?あれで行きましょう」





「あれかあ。練習だけで実際使ったことないけどな」





「練習通りでいいです。あとはあたしがフォローします。奈緒は離れてて」





「うん・・・」





硬い表情で頷く奈緒。





「なにグチャグチャ勝手に喋ってんだあ!」





男の一人が飛び掛かってきた。





「センパイ!」





「おお!」





恐怖を勇気で補い、秀一郎は前に出た。





ガッ!!





男のキックを両腕で受け止める。





それで十分だった。





「ぐあっ!?」





キックを出した男が倒れた。





秀一郎の背後から見事な跳躍を見せた真緒が男の横っ面にハイキックを入れていた。





「このアマ!」





次の男が着地を決めた真緒に襲い掛かる。





「させるか!」





間に割って入る秀一郎が男の動きを一瞬止めた。





「ぐほっ・・・ゲハッ!」





その一瞬の隙を付いた真緒のコンビネーションキックが決まった。





(これでふたり!)





緊張の中の秀一郎だが、少しずつ自信が出てきた。





「てめえらあ!」





三人目の男が来た。





(俺の役目は、真緒ちゃんを護ること)





素早く秀一郎が割って入り、男のキックをガード。





その直後、





「ぐえっ!」





男が嫌な唸り声を上げる。





真緒のキックが鮮やかに決まった。





4人目も同じように、真緒によって倒された。













「ぐっ・・・テメエら・・・」





ずっと様子を伺ってたリーダー格の男が狼狽する。





あっという真に仲間が4人も倒された。





しかも、実質はたったひとりの小柄でか弱そうな少女に。





「さあ、あなたはどうします?ここで引き下がったほうがいいと思いますよ」





真顔の真緒がリーダー格にそう告げる。





小柄な少女から発せられるその言葉は迫力に満ちていた。





それを受け、





「・・・だからってはいそうですかって引けるわけねえ!この芯愛をシメる菅野和正がテメエみたいな女に負けたとなったら示しがつかねえんだよ!」





立ち上がり、真緒ににじり寄る。





真緒はふうと息をつき、





「なんでこういう人たちって体面ばかり気にするんだろ・・・」





菅野の対応を予測しつつも呆れていた。





そして、





「わかりました。サシで勝負しましょう。じゃなきゃ納得出来ないでしょう。あなたたちは」





一歩踏み出た。





「真緒ちゃん!」





「大丈夫です。センパイは奈緒を頼みます」





制止に入った秀一郎に優しい笑みを見せる真緒。












菅野は気を引き締めていた。





(この女、たたもんじゃねえ。あの身のこなし、相当ケンカ慣れしてる)





見た目は本当に小柄な真緒にただならぬ脅威を感じる。





だか菅野にも自信があった。





(俺だって伊達に芯愛を、このあたりのシマを占めてるわけじゃねえ。ケンカで引くわけにはいかねえんだ!)





ギラリと睨みつけ、真緒に狙いを定める。





「行くぜ!うおおおお!」





唸りをあげて真緒に襲い掛かる。





真緒も飛び出してきた。





「うりゃあ!」





菅野が右ストレートを放った。





その刹那、





(消えた?)





真緒の姿が視界から消え失せる。





ガッ!





左膝に衝撃が走る。





真緒が死角からローキックを放っていた。





「このやろう!」





再び真緒に狙いを定め、今度は右足を出した。





だが、





(また消えた!?)





姿がない。





そして再び左膝に衝撃。





真緒の攻撃だった。





「そんな蚊みたいな蹴りなんざいくら喰らっても効かねえんだよ!」





事実、真緒の攻撃の威力は弱かった。





(クリーンヒットを喰らわなきゃ対したことねえ!俺の拳が一発でも当たれば終わりだ!)





自信を持ち、三度真緒を視界に捕らえた。





だが、





「くそ・・・くそ・・・くそったれ!」





視界に捕らえて攻撃を繰り出す度に、真緒は消える。





そしてその都度、左膝の衝撃が続く。





(ちくしょう!ネズミみたいにちょこまかと・・・ん?)





焦りが生まれだす菅野は、とある噂を思い出した。






(この制服は泉坂。確か泉坂に行ったと言われてた・・・小さくてとても速く、半端なく強い女・・・)










ガクッ!





(なにぃ?)





菅野の左膝が崩れた。





真緒の休みない連続攻撃によるものだった。





「ちくしょう!」





倒れる。





立て直せない。





(なっ・・・)





倒れ行く視界の中、ずっと捕らえられなかった真緒の姿が大きく浮かび上がる。





凛々しく、そして美しい。





(間違いない・・・こいつは・・・)





ガッ!!





真緒のキックが菅野の顎に鮮やかに入った。












「奈緒、彼らに謝りなさい」





「えっなんで?だってこいつらが・・・」





反抗する奈緒だったが、





「彼らには彼らの、芯愛には芯愛のルールがあるの。今回それを乱したのは奈緒、あなたよ。その非は素直に認めなさい」





真緒にピシャリと言われ、





「えっと、その・・・ゴメンなさい」





壁に寄り掛かり、顎を押さえて腰を下ろす菅野に頭を下げた。





「今更別に構いやしねえ。俺たちのしてることをわかってくれればいいんだ。そもそもシメられた俺たちがとやかく言う資格はねえよ」





「シメたとかシメられたとか、あたしはそんなつもりはありませんから」





真緒がそう言うと、菅野は寂しげにフッと笑った。





「全く、発端は奈緒だったとはな・・・」





呆れる秀一郎。





話を聞くと、菅野の仲間がカンパの協力を募っていた光景を見た奈緒がカツアゲだと騒いだことが発端だった。





だが実際は奈緒の言い掛かりで、その話がもつれにもつれて今日の呼び出しに繋がってしまった。





「ゴメン。でも、怖かったよお・・・」





秀一郎の胸の中で泣き出す奈緒だった。





「とにかくこの件はこれで終わりだ。俺たちはもう二度とあんたの妹には手をださねえ。もし他の学校の奴らから面倒なことがあったら手を貸してやる」





菅野がそう言うと、





「すみません」





真緒は丁寧に頭を下げた。





「なあ、あんたの名前を教えてくれないか?」





「小崎真緒です」





「小崎真緒・・・か。そうかやっぱりな。あんたがあの伝説の[瞬動の魔女]とはな・・・俺が勝てる相手じゃねえ」





「ええっ!?あの伝説の最強女、瞬動が・・・こいつ?」





菅野の仲間たちは声をあげて驚いた。





それを受けた真緒は、





「その名前は好きじゃないの。出来ればそう呼んで欲しくない」





悲しそうな顔でそう呟いた。













「瞬動の魔女・・・俺も聞いたことある・・・あの伝説の最強の女が・・・真緒ちゃん・・・」





店の外からこっそりと様子を窺っていた正弘も驚いていた。


[No.1503] 2009/06/28(Sun) 07:54:22
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「いいねえ、今夜はクリアーだ」





「気持ち良く攻めれそうだぜ!」





深夜の首都高。





交通量がぐっと減った時間帯を狙い、荒れて危険なこの道を愛車で攻める者たち。





「おっ、後ろからなんか来たぞ」





助手席の男が後ろから迫るライトに気付いた。





「へっ、湾岸ならともかく、ここはC1。しかも汐留から銀座までの最もテクニカルな区間だ。この俺の400馬力FDについて来られる奴なんていねえ・・・ええ!?」





自信満々のドライバーだったが、純白のライトがあっという真に迫り、圧倒的な速度差で抜いていった。





「なんだあれ・・・」





呆然とするドライバー。





「あれターボだ。黒のポルシェターボ。まさかブラックバード・・・」





「バカヤロウ!あれは漫画の世界の話だ。それにポルシェターボでも型が違う。今のは現行の997だ」





「あ、そうか。でもやっぱポルシェってスゲエな。俺たちなんか目にも入ってないだろうな、なんか役者が違うっていうか・・・」





「ああ、なんかやる気無くした・・・」





ありとあらゆる意味で圧倒した漆黒のポルシェはもう視界から消えていた。










箱崎パーキング。





「ん〜やっぱり締切明けはここだよね」





自販機のホットコーヒーを片手に笑みで背を伸ばす東城綾の姿があった。





その傍らに立つのは、同じくコーヒーを手にした真中淳平。





「しっかしこの車、なんか迫力出てきたよなあ」





そう言いながら覗き込むのは、先ほど快走していた黒のポルシェターボ。





「そうだね。でもようやくあたしの理想に近付いてきたかな」





満足げな綾の手には、この車のキーが光っていた。





「近付いてきたってことは、まだ理想じゃないのか?俺的には充分過ぎると思うけどな」





「そうだね。ここまででもたくさん時間とお金使ったからね。でもあと少し高速域の安定性を・・・」





「もう使い過ぎだってえの!そもそもこの車の前に2000万のベンツ潰してるだろうが!自損でベンツ全損だぞ!」





「でもあれはちゃんと保険おりたから。それにあれはベンツじゃなくてAMGだよ。AMGのSL63」





「俺みたいな一般庶民からすればAMGもベンツも一緒!そもそも前のも化け物じみた車だったけど、これはマジで怪物だぞ。しかもチューニングでより凶暴になってるし」





「そうでもないよ。確かに速いけどだいぶ乗りやすいんだ。淳平も運転してみる?オートマだから簡単だよ」





綾はにこやかにポルシェのキーを振る。





「俺は仕事で乗ってる国産のバンで充分。こんな左ハンドルの超高級車なんて乗れん」





「でも車ってやっぱりドイツが1番だとあたしは思う。なんか安心感があるんだ。前のAMGは200キロオーバーでぶつかったから車はくしゃくしゃになっちゃったけど、あたしはかすり傷で済んだ。いざという時でも大丈夫って言うか、なんかそんな感じがドイツ車にはある。このポルシェもそう。じゃなきゃ怖くて踏めないよ」





「綾でも怖いのか・・・」





「踏んでる時はいつも怖いよ。けど、それを乗り越えて初めて見える世界があるんだ」





「そうか・・・」





淳平はそれ以上なにも言えなかった。





「じゃ、横浜まで下りよ!」





綾は上機嫌に愛車のドアを開いた。





淳平もやや呆れ顔で助手席に乗り込む。





野太いサウンドを奏でながら黒のポルシェがゆっくりとパーキングから出て行った。













9号線を抜けて湾岸に合流。





グンと速度をあげて疾走する綾のポルシェターボ。





淳平は非常識な速度で流れる車窓に目を向ける。





(まさか綾にこんな嗜好が芽生えるなんて思わなかった)





高校時代の綾しか知らない者には、超高級スポーツカーで深夜の首都高を走る今の姿は想像に及ばないだろう。





淳平としては、この趣味に綾がのめり込むのは反対だった。





まず第一に反社会的な犯罪行為である。





そしてなにより、あまりにも危険過ぎる。





なにかあれば一瞬で全てを失う。





(でもこれも仕方ないかもしれない。綾の日ごろのプレッシャーは凄まじい。日本ナンバーワンの小説家。並の人間ならその重圧に耐えられないだろう)





(綾にも気晴らしが必要だ。今後も今の仕事を続けていくために。そのために今の走りが必要なら、それは認めるしかない)





湾岸線つばさ橋。





メーターは300キロを振り切った。





(今の俺は、綾についてやることしか出来ない)





(綾はもともと強い人間じゃない。こんな俺でも綾が必要としてくれるなら、俺は綾の側に居続ける)





(なにがあろうとも、俺は綾を見放したりはしない)





漆黒のポルシェ997ターボは湾岸線超高速エリアを抜け、横浜環状線に消えて行った。











「えい!くそ!この!」





正弘の気合いが空振りしている声が通っている。





必死の形相でターゲットを追っているが、視界に入っては消えていく。





「若狭〜完全に遊ばれてるぞ〜」





「うっせえ!これでも必死なんだ!」





秀一郎の気のない声に怒る正弘。





休みなく身体を動かしているので、そろそろ体力的にキツい。





「くっそ、マジで消える。どうなってんだ?」





蓄積する疲労を感じながら、ずっと追い続け稀に視界に入る真緒の笑顔に脅威を感じていた。





「あんたねえ、主の危機に下僕が駆け付けないってありえないわよ!このチキンハート!」





と、芯愛高校の菅野との一件を影でオドオドしながらずっと見ていた正弘に対し、奈緒がキツい言葉を浴びせた。





それだけで済まず、特訓という名目で真緒との組み手をさせられている。





和風のテイストが強めの小崎宅は敷地面積が広めで、軽い運動が出来る大きさの庭がある。





そこで正弘と真緒が組み手をやっており、その様子を秀一郎と奈緒が縁側に座って眺めている。





ただ組み手と言っても手を出しているのは正弘だけであり、真緒は笑顔で軽いステップを踏んでいるだけだった。





今日は天気もよく気温も高め。





正弘は全身汗だくで限界に近かった。





「若狭先輩」





「なに、真緒ちゃん?」





顔は見えないが真緒が呼んだことはわかった。





奈緒と真緒は非常によく似た声だが、奈緒はキツめの口調なので大体わかる。





そもそも奈緒は正弘のことを先輩とは呼ばない。





以前は「正ちゃん」だったが、今は「あんた」に格下げされている。





下僕の辛い立場がよく表されていた。





そんな自分をちゃんと「先輩」と呼ぶ真緒への好感度がぐっと上がる。





「先輩、以前奈緒の恥ずかしい姿を見たそうですね」





「いや・・・あれは・・・その・・・事故で・・・」





息が上がって言葉もままならない。





「でもなんで勝手に佐伯先輩の家に上がり込んだんです?」





「いや・・・だから・・・それは・・・」





鈍くなる動きの中で嫌な危機感が浮かんできた。





「奈緒、凄くショックを受けて影で落ち込んでたんです」





「そんな・・・バカな・・・あいつ・・・が・・・落ち込む・・・なん・・・て・・・」





「すみません、酬いを受けて下さい」





ちらほらと視界に入る真緒の表情が笑顔から真顔に変わった。





正弘の背筋が凍る。





真緒の姿が消えた。





そして、





「ゴハッ!?」





後頭部に強烈な衝撃が走り、





そのまま前のめりに倒れて顔面を強打。





途切れそうな意識の中で、奈緒のはしゃぐ声が届いていた。











「あ〜、まだガンガンする・・・」





正弘は真緒に倒されると、回復する間も与えられずに奈緒によって小崎宅から追い出されてしまった。





「体力なくなったところに予想外の角度から来るからな。ダメージ強烈だぞ」





正弘に付き合う秀一郎。





「佐伯も喰らったことあるのか?」





「奈緒と付き合い出してから、週一くらいで真緒ちゃんのレッスン受けてるからな。そりゃ強烈なのを何度も喰らったさ」





「なんでそんなことしてんだ?」





「真緒ちゃんはマジで強い。だから狙う奴も多い。場合によっては本人だけじゃなく身内も狙われる。奈緒なんて恰好のターゲットさ」





「まあ、そうなるよな」





「だから奈緒と付き合うには、せめて奈緒を護れるくらいの基本は身につけて欲しいって真緒ちゃんの要望なんだよ」





「なるほどな・・・けどあんな消える相手とどうやって組み手なんかするんだ?」





正弘は真緒が持つ[瞬動]の異名が身に染みていた。





「あれもカラクリあるんだ。まあ分かってても対応出来んけど、慣れればなんとかなる」





「カラクリ?」





「真緒ちゃんはとにかく速い。そのスピードをフルに活かすなら距離を取るのがセオリーだけど、真緒ちゃんはインファイトをするんだ」





「それってどうなるの?」





格闘技に疎い正弘は言葉の意味が掴めない。





「近接距離で高速移動するから簡単に視界から消える。で相手の死角から攻撃する。これが真緒ちゃんのスタイルさ」





「それって最強なんじゃね?」





「そうでもない。距離が取れないから攻撃に勢いが付かない。真緒ちゃん自体が軽いから一発の攻撃そのものの威力が弱い。それを手数でカバーしてるんだけど、やっぱ効率が悪いんだ」





「そうなのか?」





「あと近接戦闘だと相手の攻撃を喰らう危険度が飛躍的に増す。だから凄くリスキーなスタイルなんだ」





「でも強いんだよな?」





「絶対に相手の攻撃が当たらない自信、近接距離で高速移動が続けられるスタミナ、弱い攻撃をピンポイントで与える正確さ、それが合わさってあの変則スタイルが確立してるんだ。そんな戦い方をする奴もまずいないから初見の相手はまず対応出来ないからな」





「それが瞬動の秘密かあ、なんかそれがわかれば俺でも何とかなるかも・・・」





「だからわかってても無理だっつうの。よほど慣れないと相手にもされん」





真緒の強さを肌身で知る秀一郎は、正弘の浅はかな考えが気に入らなかった。


[No.1505] 2009/07/05(Sun) 07:36:05
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regret-13 (No.1505への返信 / 12階層) - takaci

6月。






夏至が近く陽が長い。





梅雨に入っているが、今日は中休みでよく晴れた土曜だった。





郊外にある広大な霊園。





[小崎家之墓]と彫られた墓石の前で丁寧にしゃがんで手を合わせる奈緒。





その傍らに立つ秀一郎は奈緒の様子を見て、自分も静かに手を合わせた。





「そういえば去年も来たよな?墓参り」





「うん、ホントはちゃんと命日に来たいんだけど、さすがに平日は来れないから。なんかおばあちゃんに申し訳ないな」





霊園の通路を歩きながら話すふたり。





「奈緒はおばあちゃん子だったんだよな」





「うん。おばあちゃん優しくて、いっつも甘えてた。だからおばあちゃんが天国逝っちゃった時は凄く落ち込んだよ。もう4年になるのかあ」





空を見上げる奈緒。





「けど墓参りって家族全員で行くものじゃないの?」





「まあそうかもしれないけど、ウチの場合はお父さんが決まってこの時期は仕事で海外だからね。だからあたしが家族代表みたいな感じ」





「奈緒の親父さん、フランスだっけ?」





「うん、毎年決まってこの時期にしてるレースの取材」





奈緒の父、小崎真也はモータージャーナリストでその世界では名が通っている。





いろいろ楽しく雑談しながら出口に向かうふたり。





広大な敷地なので、たどり着くまで時間がかかる上に丘陵地にあるので急な坂や階段の上り下りがもれなくセットされている。しかも暑い。





ふたりの額には汗が吹き出している。





そんな中で、秀一郎は妙な光景が目に入った。





「ん?」





「どうしたの秀?」





「あれ、ウチの制服だ」





秀一郎が指差した先には、泉坂高校のセーラー服の姿があった。





「えっ、冬服?」





それを見つけた奈緒も驚く。





今は6月。





制服も白の夏服に変わっている。





季節外れの冬服を身に纏った女子がこちらに振り向いた。





「あれ、桐山?」





間違いなく沙織だった。





沙織も秀一郎たちに気付き、微笑みを浮かべ木製の水桶を提げながら向かってきた。





「こんにちは。佐伯くんもお墓参り?」





「ああ。桐山もか?」





「うん、今日はお母さんの命日だから」





「そっか、じゃあその恰好は喪服代わりか」





「うん、あたしちゃんとした喪服持ってないから」





「いや、でも俺たち学生はそれでいいんじゃないか?俺も持ってないし」





「ねえ秀、モフクってなに?」





ここで奈緒が不機嫌そうな声で割って入って来た。





「は?お前喪服知らないの?命日って言葉知ってるのに?」





驚くと言うか、呆れる秀一郎。





「うん」





「あのなあ、喪服ってのは葬式とか法事とか、故人を偲ぶ行事の時に着る黒い服の事」





「ああ、あの暑そうな服ね。でもあたしも持ってないよ」





「俺たち学生は、そういう時は制服を着るのが通例。一応俺たちの正装だからな。てかお前もおばあちゃんの葬式の時に着たろ?ちょうどこれくらいの時期に」





「あ、そういえばそうだったような・・・でも確か雨降ってたからあまり暑かった覚えは・・・ないと思う」





「ったく、相変わらずお前はもの覚え悪いなあ」





「ふん!どーせあたしは頭悪いですよ〜」





最後はふて腐れる奈緒だった。





だがすぐに話を切り替えた。





これが奈緒のいい所でもあり、悪いところだ。





「ところで秀、この人誰?クラスメイト?」





沙織を指差し、尋ねた。





「ああ、同じクラスの桐山だよ。お前と違って頭いいぜ」





「そ、そんなことないよ」





沙織は慌てて手を振り、





「は、はじめまして。桐山沙織です。あなたが小崎奈緒さんね?」





と、奈緒に笑顔を向けた。





「えっ、あたしの事知ってるの?なんで?」





驚く奈緒に、





「佐伯くんに恋人がいるのは知ってるし、あなたの名前も佐伯くんから聞いてる。あといつもお弁当届けてる双子のお姉さんにそっくりだったから。たぶんそうだと思って」





沙織は笑顔で答えた。





「ま、見た目はそっくりでも中身は別人だけどな」





「ふん!どーせあたしはお姉ちゃんみたいに素直じゃないよ!秀行くよ!」





「あ、おい待てよ?」





突然スタスタとこの場から去ろうとする奈緒に驚き、





「ゴメン桐山、またな」






沙織に一言詫びを入れ、秀一郎は後を追った。





「おい奈緒、待てって!」





追い付いた秀一郎が呼び掛けるものの、奈緒は無視してただ歩みを進める。





「なんだよ、ちょっとからかっただけだろ?いつものお前なら絡んでくるのにさっきのは何だよ?まるで桐山を無視したみたいじゃないかよ」





「したみたい、じゃなくて、したのよ」





「は?」





「なんかあの女ムカついた。不幸な優等生ぶっておまけに上から目線でさ」





「いや、桐山はそんな奴じゃないぞ。それに物理的に上から目線に見えただけじゃないのか?」





一般的な女子高生の背を持つ沙織からは、小柄な奈緒には上から見下ろす形になる。





「そんなんじゃないわよ。とにかくあーゆー女は嫌いなの」





奈緒は不機嫌な表情を崩さない。





「わけわかんねえよ。桐山ってごく普通の女の子だぞ。なんか偏見あるんじゃないのか?」





秀一郎には今の奈緒の気持ちは分からない。





「そうかもね。ねえ秀、あの女ってただのクラスメイト?それとも友達?」





「桐山は・・・友達だ」





ただのクラスメイトと言うにはいろいろ踏み込んでいる気がするので抵抗があった。





「そう。じゃあワガママ言わせて」





「はあ?」





「あの女とはあまり仲良くしないで」





「へ?」





驚き、思わず立ち止まった秀一郎。





奈緒はそのまま先を歩いていく。





晴れていた空が、次第に曇り始めていた。











ザアアアアア・・・・





陽が落ちると、雨が降り始めた。





雨音を聞きながら、秀一郎は机に向かって宿題の片付けをしていた。





(しっかし奈緒の奴、なんで初対面の桐山をあんなに嫌ったんだ?ホントわけわかんねえ)





墓参りのあと、一緒に帰る予定だったが、





「ひとりにさせて」





と奈緒が言い出したので現地解散となった。





(俺と桐山とのやり取りでなんか気に障ることでもあったか?いや特にない。じゃなんであいつはグズってんだ?)





奈緒の心が掴めない。





ブーッ・・・





机の上でマナーモードの携帯が震える。





取り上げて開くと、奈緒からのメールだった。





「・・・わけわからん・・・」





また秀一郎を悩ます手紙だった。





[今夜ウチあたし以外いないから。身体綺麗にして待ってる。必ず来てよね]





(なんで不機嫌なあいつから誘うんだ?ホント女ってわからん・・・)





悩みは尽きないが、誘いを断るわけにもいかないので身支度を始めた。











「よく降るな・・・」





ホテルのカーテンを少し開け、雨でぼんやり霞んだ夜景に目を落とす淳平。





晴れていれば最高の夜景だが、今夜はそれが望めなかった。





「・・・」





さっと表情が曇り、ガラスにその顔が映る。





「西野さんのこと考えてるの?」





ギクリとして振り向くと、ベッドの綾が意味深な目を向けていた。





胸から下はシーツに覆われているが、薄布越しでもなまめかしいラインが浮かび上がっている。





多くの男が魅了されるその肢体は、いまは淳平ひとりのものである。





大概の男なら、東城綾という女のために全力を尽くすだろう。





彼女を幸せにするために。自分も幸せになるために。





淳平もそうだった。





だが今の綾の意味深な瞳は、幸せには見えなかった。





「そ、そんなことないよ」





慌てて否定する淳平。





だが綾は、





「嘘、つかなくていいよ。淳平がまだ西野さんを吹っ切れていないのはわかってる。淳平っていろんなことを簡単に割り切れる人じゃないもん」





今の綾にはごまかしは無駄と察した淳平は、





「こんな、雨の日だったんだ。俺が西野を振った日が」





辛そうな表情でそう漏らした。





「雨が降ると思い出すの?」





「そんなわけじゃないけど、やっぱ辛い思い出は忘れられない。振られるのも辛いけど振るのはもっと辛い。俺はさつきを振り、つかさを振り、そして綾も振った。ホント振ってばかりの人生だ。贅沢な男だよな」





「それだけ淳平が真っすぐで優しいんだよ。適当にごまかしてたくさんの女の子と付き合う男の人もたくさんいる。でも淳平は出来ないもんね」





綾は優しい笑みを見せた。





「綾、ゴメン。俺がつかさを吹っ切るにはまだしばらくかかりそうだ。でもこれだけはハッキリ言える。俺は綾が好きだ。ずっと一緒にいたい。その気持ちは嘘じゃない」





「あたしも淳平が大好き。かけがえのない人。だからあたしも大丈夫。大丈夫だから」





「ありがとう・・・」





淳平に笑みがこぼれた。





「でも・・・」





綾は顔を背け、目が明らかに冷たくなった。





「綾?」











「あたし、西野さんだけは絶対に許さないから・・・」





俯き加減でそうぽつりと漏らした言葉は、凄みが感じられた。












グオオオオ!!!





フランスの古都、ルマン。





普段は静かなこの町に、年に一度の祭典が訪れていた。





全世界から集まった50台近い車が、24時間先のゴール目掛けて死闘を繰り広げる。





その模様は各国から集まったプレスによって全世界に伝えられる。





奈緒と真緒の父、小崎真也もプレスのひとりとして、助手を連れて取材に訪れていた。





「序盤から両雄一歩も譲らない展開だな。今年は天気もいいし、ハイペースの闘いになりそうだ」





「そうですね。ところで小崎さんどこ行くんです?」





ふたりはメインスタンド裏の出店が並ぶ一角に足を運んでいた。





「この時間から売り出される人気の菓子があるんだ。ほらあそこだ」





人込みを掻き分けひとつの屋台に向かう。





「こんにちは。今年も来たよ」





「あ、いらっしゃいませ」





(えっ、日本語?)





驚く助手。





出店に立っていたのは、日本人の若い女性だった。





「へえ、ルマンの出店で日本人がいるなんて意外っすね」





「彼女は西野つかささん。フランスに修行に来ている菓子職人だ。ここでも有名であっという間に売り切れになるんだ」





「取材お疲れ様です。今年のオススメは・・・」





つかさは目を輝かせて日本人プレスに色とりどりの菓子を勧め始めた。


[No.1506] 2009/07/12(Sun) 19:20:22
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梅雨の時期特有のジメッとした空気が身体にまとわりつく。





空模様も青空が見えない。





短いサイクルで天候が変わりつつも日に日に気温が上がっており、夏が近いことを感じられる。











朝。





秀一郎はいつものように学校に向かう通学路で足を進めていた。





(ん?あれは・・・)





見覚えのある小柄な泉坂高校のセーラー服姿を見つけた。





小走りで駆け寄る。





「よっ真緒ちゃん、おはよ」





「あ、佐伯センパイ、おはようございます」





にっこりと微笑む真緒。





笑顔がとても絵になる少女である。





だが秀一郎は、





「真緒ちゃん、どうしたの?なんか元気ないみたいだけど」





その笑顔がいつもとは異なるように感じた。





「そ、そんなことないですよ。あたしはいつも通りです」





少し慌てた感じで隣の秀一郎に顔を向けたまま小走りで駆け出す。





すると、





ドンッ。





前を歩く男子生徒の背中にぶつかってしまった。





「痛えなコラぁ!」





いかにもガラの悪そうな男だった。





「すみません!」





ペコリと頭を下げる真緒。





このような状況ではガラの悪い男ならつけあがるのが常套だが、





「お、お前は1年の小崎・・・あの芯愛の菅野をシメた・・・」





真緒を見て震え上がっていた。





「あ、あの・・・」





その態度に戸惑い真緒はおずおずと手を挙げる。





すると男は敏感に反応して、





「ひえっ!俺が悪かった!だから許して〜!」





叫びながら去っていった。





「なんだありゃ」





呆れる秀一郎。





「最近、あんな感じなんです。ほとんど全ての男子があたしを恐がってるみたいて・・・」





真緒は元気のない表情を見せていた。











「とゆーわけでお前ら、責任持ってなんとかしろ」





腕を組んで秀一郎が一喝した。





「んなこと言われてもなあ・・・」





隣に座る正弘は非協力的な態度を示す。





「お姉ちゃんのためなら協力するけど、あたし他校だよ。どうすんの?」





向かいの奈緒は戸惑い顔だった。





奈緒の隣には真緒がしょんぼりと座っている。





放課後、駅前のファーストフード店での緊急会議を秀一郎が召集した。





秀一郎は、





「いいか、そもそもこうなったのは奈緒が芯愛で騒ぎを起こしたのが発端だ。さらにそのことをウチの学校に広めたのは若狭だ。責任はお前らにある」





と言い切った。





「ちょっとあんた、またヘンな噂広めたの!どんだけ口が軽い男なのよ!」





正弘に対して怒る奈緒。





「お、俺はただちょっと真緒ちゃんの凄さを伝えたかっただけだっつの。こんな風になるなんて思いもしなかったんだよ」





正弘の弁明はどこか力がない。





「そんな浅はかな考えが女の子を傷つけるのよ!あたしだけじゃなくお姉ちゃんまで傷つけるなんてホント最低」





「ちょっと待て!俺がいつ奈緒ちゃんを傷つけたんだ?俺が傷つけられたことはあっても逆はねえぞ!」





「秀がロリコンだって広めたのあんたでしょ。あたしすっごい傷ついたんだから」





「いや、それ事実だろ?」





正弘の口は軽かった。





言わなくてもいい事を口にしてしまう。





「あんたねえ、それはあたしらが幼く見えるって言ってるようなもんなのよ。あたしもお姉ちゃんも気にしてんの。ホント地獄に送ってやろうか・・・」





奈緒が凄まじい怒りのオーラを放つ。





「地獄って、なんだよ?」





「ふん!あたしねえ、あの菅野を含めてその仲間たちから[アネさん]って呼ばれてんのよ。まあ迷惑だけど結構慕われてんのよ。あたしが気にいらない奴がいたらシメあげるって言ってくれてんの。けど女の子には手を出せないらしいから男限定だけどね。あたしが一言あんたの名前を菅野たちに・・・」





正弘は声を失い、みるみる顔色が悪くなっていく。





「コラ、それくらいにしておけ」





じっとやり取りを聞いていた秀一郎が向かいの奈緒をゲンコツで軽く小突いた。





「いったあい」





とは言うもののオーバーアクション丸出し。





「いいか、俺たちはこれから真緒ちゃんのために共同戦線を張る仲間なんだ。一方的な抑圧はするんじゃない」





「わかった。秀が言うならそうする」





奈緒は大人しく引き下がった。





「へえ、やっぱ彼氏には逆らえないか。かわいい面もあるじゃないか」





ここで調子に乗らなけれはいいのに正弘は調子づく。





「うっさい」





やや頬を赤くしながら不機嫌そうにあしらう奈緒。





「ふーん、奈緒ちゃんっていわゆるツンデレキャラなのかな?いつもはツンツンしっぱなしだけど彼氏の前だとデレるわけか。なんかわかりやすいな」





「そんなことはどうだっていいわよ。それより本題。お姉ちゃんを恐がらせない方法だけど、ゴメン、あたし全く思い浮かばないよ」





これまた奈緒がキツい言葉を発した。





「お前、あっさり言うな」





呆れる秀一郎。





奈緒の隣の真緒は少なからずショックを受けていた。





「けど事実としてお姉ちゃんの異名の[瞬動]が恐れとともに広まってる。特にやられた菅野みたいな奴らは尊敬っていうか羨望の眼差しで見ている。ここまで有名で大きな名前を隠そうとすること自体が無理あると思うな」





「だから別に隠す必要はないんだ。真緒ちゃんが別に恐くない普通の女の子だってことが広まればいいんだ。多少ケンカが強くても性格は優しいんだからさ。その辺をアピール出来ないかな?」





「うーん、でもそれはお姉ちゃん自身のほうで何とかしないとダメっていうか、志の問題だと思う。あたしが出来るのは菅野たちにお姉ちゃんの武勇伝を話さないようにって口止めするくらいよ。あとは泉坂側でなんとかするしかないでしょ」





「まあ、そう言われればそうだな。真緒ちゃんの志か・・・」





ここで秀一郎は再び真緒に目を向けた。





相変わらず黙って俯いている。





「真緒ちゃん、ひょっとして迷惑だった?」





秀一郎には真緒が困っているように見えた。





「あ、いえ、そんなことはないです。とても嬉しいんですけど、でもやっぱり恐がられるのは仕方ないかなって思ってるんです。嫌なんですけど、でもどうしようもないのかなって・・・」





ますます暗くなる真緒。





「お姉ちゃん、それじゃ何も変わらないよ」





奈緒がそう励ますものの、





「うん、でも何かして、それで変わればうれしいけど、それ以上に何も変わらないのが怖い。そうなったらあたし立ち直れないかも・・・」





真緒の本心は弱気だった。





「う〜ん」





悩みで言葉が出ない秀一郎。





逆に正弘は、





「うん、真緒ちゃんかわいいよ!そのおしとやかで大人しいところなんか女の子らしくてとてもいいよ!妹とは大違いだ!」





「秀も一言多いけど、あんたは三言ばかり多そうね」





怒る奈緒を無視して、





「ねえ真緒ちゃん、試しに俺と付き合ってみない?」





と言い出した。





「ええっ!?」





驚く真緒。





「いや、お互いのことはあまり知らないし、恋愛感情とかはまだないと思うけどさ、とりあえず仲良く一緒に居るようにしてお互いをよく知るようになればきっといい・・・ゲハッ!?」





奈緒がトレイで正弘の横っ面をおもいっきりぶっ叩いた。





その反動で正弘は椅子から転げ落ちる。





「いきなりなにぬかしてんのよ!このエロ変態!」





気持ち悪い虫を見つけたような目つきで罵った。





「さ、佐伯、自分の彼女の管理はきちんとしろよな。ちょっと凶暴過ぎるし教育的指導が必須だぞ」





奈緒には何を言っても無駄と悟ったか、正弘は秀一郎にクレームをつけてきた。





「かばうつもりはないが奈緒は好き嫌いがはっきりしてるだけだ。気分屋でコロコロ変わるしな。まあだからと言っても今のはやり過ぎのような気もするがお前も悪い。どさくさ紛れになに言ってんだ?」





秀一郎も不快感をあらわにする。





「あの、若狭センパイ、気持ちはその、うれしいんですが、やっぱり好きじゃない人と付き合ってみるなんて、あたしには無理です」





真緒が申し訳なさそうにそう告げると、





「ほら、またお姉ちゃんに嫌な思いさせてる!お姉ちゃんは人の好意を受けないとか頼みを断るとかそういうのすっごい嫌うんだからね!ホント最低中の最低!」





奈緒が追い撃ちをかけた。





「佐伯、俺の認識が甘かった。妹だけじゃなく姉も結構容赦ないな・・・」





正弘はベッコリと凹んでいた。





「まあ、若狭のことは一旦無視して、」





秀一郎も冷たかった。





「真緒ちゃんの気持ちもわかった。確かに怖いってのもわかる。けどだからって今でも辛いだろ?時が経てば自然と収まることならともかく、放っておくとドンドン尾ヒレが付いてひどくなる可能性が高い。そうなったらますます辛くなるよ?」





「そう、ですよね。正直もうあんな目で見られたくないんです。仕方ないかなと考えるようにしても、やっぱり辛いです。あたし、普通の女の子のように見て欲しいです。普通に仲良くなって、普通に恋愛して、そんな普通の女子高生になってみたいです。そう、奈緒みたいに・・・」





真緒は妹に羨望の眼差しを向けた。





その様子を見ていた正弘は、





「ねえ、真緒ちゃんって誰かと付き合ったことってないの?」





「あ、はい。あたしは全然・・・」





「じゃあ男と一日デートとかは?」





「そんな、デートなんてしたことないです。けど、なんか憧れます」





顔を赤くしてそう答えた。





「じゃあさ、試しに佐伯あたりと一日デートしてみれば?価値観っつーか考え方が変わるかもしれないよ?」





「ええっ!?」





また驚く真緒。





「ちょ、おま、なに言い出すんだ?」





秀一郎も慌てる。





正弘はそんなふたりを見ながら、





「まあ俺じゃ役不足としても、佐伯ならいいんじゃないか?何たって妹の彼氏で少なくともいろいろ知った間柄だ。ちょっとした恋人気分で一日過ごすのも悪くないんじゃないか?」





「で、でも、佐伯センパイは奈緒の彼氏なんですよ?」





「まあそれは一旦置いといて、真緒ちゃんは佐伯をどう思う?デートの相手として不満かい?」





「そ、そんなことないです。その、素敵な人だと思います」





顔を真っ赤にして答える真緒。





それを聞いた秀一郎の顔も少し赤くなる。





「じゃあ佐伯はどうだ?真緒ちゃんに不満ある?一日も一緒に過ごしたくないか?」





「そ、そんなわけねえよ。真緒ちゃんはいい子だよ」





真緒の顔がさらに赤くなった。





「よし、じゃあほぼ決まりだ。この二人が一日デートしてみる。あとは奈緒ちゃんが了解すれば万事解決。どう?」





正弘はここでようやく奈緒に顔を向けた。





秀一郎も、真緒も奈緒の様子を伺う。





奈緒はほんの少し不満げに見える表情で俯いていて、





勢いよくコーラを取ってストローで一気飲みして、





バンと大きな音を立てて空になったカップを置いた。





「・・・一晩考えさせて・・・」





低く、どこか迫力を感じさせる声でそう答える奈緒だった。


[No.1507] 2009/07/19(Sun) 06:46:29
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日曜の朝。





待ち合わせ場所に好適な駅前には人影が目立っていた。





秀一郎は指定の場所に向かいながら腕時計に目を落とす。





(9時50分か)





待ち合わせ時間は10時なのであと10分ほどある。





秀一郎は時間にルーズなタイプではなく、大体時間は守る。





どちらかと言えば奈緒のほうがルーズだが、他人の時間と行動には口煩く秀一郎が先に待ち合わせ場所にいないと怒る。





そんな奈緒と付き合い出してからは自然と先んじて行動するようになった。





人の多い駅前に着いた秀一郎は一通り辺りを見回した。





(ん?)





見覚えのある小柄な人影が立っていた。





ただ服装はいつもの身軽な装いではなくどこかお洒落をした感じで、つばの長い白の帽子が大きく印象を変えている。





一目見て別人かと疑った。





だが改めて見ると、本人で間違いない。





慌てて駆け寄った。





「真緒ちゃん」





「あ、センパイ、おはようございます」





いつもより三割増しの魅力を放つ笑顔だった。





「ごめん、待った?」





「いえ、あたしもいま来たとこです」





「でも驚いた。一瞬別人かと思ったよ」





「えへへ、ちょっと気合い入れました。いつもとは違う感じで、でも奈緒とも違う方向性を目指したんですけど、どうですか?」





「うん、似合ってるよ。けど俺なんか普段のまんまだもんな。なんか悪いな」





「そんなことないです。センパイ違いますよ」





「え、そう?」





と言われても大きく印象を変えている自覚はない。





真緒は少し複雑な笑みで、





「時計が、いつものとは違います」





と言った。





「あ、そんなとこまで気付いたんだ」





驚く秀一郎。





いま身につけている時計は奈緒とのペアウオッチではない。












数日前の朝、ファーストフード店でのミーティングの翌日、





一番に奈緒からメールが入った。





「今度の日曜にお姉ちゃんとデートしなさい。その日一日だけはあたしのことは忘れておもいっきり楽しませてあげて」





という一文だった。





ならば、という事で秀一郎はペアウオッチを外した。





奈緒の事を表に出さないために。





気付かれないと思っていたが、真緒はちゃんと気付いていた。





「まあ、せっかく奈緒がくれた機会なんだ。今日は奈緒のことは忘れてふたりでぱっと楽しもう」





「はいっ!」





元気よく答えた真緒。





そしてふたりは歩き出した。





ここは待ち合わせ場所には最適であり、恋人達もそれなりに目が付く。





秀一郎たちの後を追うように、ふたつの姿が歩いていった。











「うわあ・・・」





目を輝かせる真緒。





デートの場所に選んだのは遊園地だった。





デートにしては定番だが意外にも秀一郎はここに来るのは初めてだった。





「センパイって絶叫マシーン駄目ですか?」





「駄目ってわけじゃないよ。まあ好き好んで乗るほどでもないけどね」





「奈緒は好きですよ。でもなんでここに来ないんだろ?」





「いつでも行ける場所はあまり行きたがらない。なんか期間限定のイベントとかが好きであちこち引っ張り回されてるよ」





「そっか。それで定番の場所が避けられちゃってるんですね。でもよかった!センパイも初めての場所で!」





とにかく真緒は楽しそうだった。





秀一郎の心も和む。





「さあ、まず何から乗る?」





「じゃあメインデイッシュは後にとっておいてまずは肩慣らしで・・・」





ふたりは楽しそうなアトラクションに向かった。





遊園地は人を楽しい気分にさせてくれる。





絶叫系でおもいっきり叫べばスッキリするし、和み系は心が温かくなる。





建造物や出店なども遊び心満載で見てるだけで楽しくなる。





ふたりはいろんなアトラクションを楽しんで、心の底から笑った。





まるで恋人同士のように。





「ふう、結構いろいろ乗ったよなあ」





オープンテラスのカフェで一息つく秀一郎。





「そうですね。でもまだメインデイッシュ残ってますよ」





真緒はまだ元気いっぱいだ。





「でもよかったよな。天気もいいしそんなに暑くないし、賑やかだけどうんざりするほど混んでるわけでもない。ちょうどいい感じだな」





「そうですね」





ニッコリと微笑む真緒。





だが、





「これで、あのふたりがいなければもっと楽しいですけど」





何か含みのあるようにそう漏らした。





その含みを秀一郎は察知し、





「真緒ちゃんも気付いてた?」





少し固い表情でそう尋ねた。





「朝からずっと視界の隅で同じ人がいるんですから、普通の人なら気付きます。尾行下手ですねあのふたり」





「まあ、俺たちと同じ時間、同じ場所からここに来たってことも考えられなくもないけど、ちょっと一緒に居すぎだよな。大概のアトラクションに加えて昼飯の場所まで一緒だったもんな。つかず離れずの場所でさ」





秀一郎は真緒を視線の正面に捕らえながら、視界の隅に注意を向けた。





少し離れた席に自分たちと同じ年頃に見える男女ふたりの姿を確認した。





一見デート風にも見えるが、秀一郎たちの後を追うように行動している。





明らかにおかしい。





「けどどうする?うっとうしいけど向こうから仕掛けてくる気配はない。だからってこっちから動いてもシラを切られる気がするな」





秀一郎が頭をひねると、





「ちょっと揺さ振ってみましょうか?」





真緒が悪戯っぽい笑みを浮かべた。












席を立つ秀一郎と真緒。





その様子を少し離れた席から見ていたふたりも少し間を置いて席を立ち、後を追う。





間にいくつかの人影を取り、悟られないように。





園内は人こそ多いものの、ブラインドになりそうな建物はあまりない。





多少離れていても、見失うことはなかった。





秀一郎たちが通路を曲がり、建物の死角に消えた。





この園内では数少ないブラインド。





少し駆け足気味になる。





通路を曲がる。





「!?」





表情が変わった。





秀一郎たちの姿を見失った。





辺りを見回すが、どこにもいない。





ふたりは二言三言交わすと、二手に別れた。





人込みを掻き分けて進む男の表情からは少し焦りが感じられる。





男は周囲を見回しながら駆け足で進み、いくつかの角を曲がった。





だが見当たらない。





どんどん駆け足が速まり、周囲への注意も散漫になる。





大きな建物の角を曲がると、





「うっ!?」





驚きで絶句し立ち止まる。





「はい、お疲れさん」





秀一郎が全てを見透かしたような笑みで立っていた。





「くっ!」





男は慌ててきびすを返す。





が、





「うっ!」





真緒が行く手を遮っていた。





こちらは厳しい表情で、キッと強い視線で睨みつける。





行き場を失った男が諦めるには充分だった。





「わ、悪かった、悪気はないんだ」





男はその場にへたりこんだ。





「あなた、誰の差し金なの?」





「そんなん関係ねえ、俺達が勝手に動いたんだ。菅野さんは関係ねえ」





「菅野?あいつの仲間なの?」





「誤解だ。菅野さんはあんたに、瞬動には一切手を出さない。あくまで俺の独断だ」





「じゃあお前ひとりで真緒ちゃんの首を狩りに来たのか?」





秀一郎がそう詰め寄ると、





「じ、冗談じゃねえ!菅野さんが手に負えない相手じゃ俺たちが束にかかっても勝てねえよ。瞬動に加えて前衛のあんたが居ちゃどうにもならねえ。俺はそこまで頭のネジはぶっ飛んでねえ!」





(前衛か、俺はそんな風に思われてるのか)





心の中で苦笑いする秀一郎。





ここで、この男と行動を共にしていた女もやってきた。





「あっ!?」





当然だが驚く。





「まあ、俺たちもあんたらをどうこうするつもりはない。けど話は聞かせてもらうぞ」





秀一郎がそう言うと、男は固い表情で頷いた。










場所を変え、売店の脇のベンチにこのふたりは座らされた。





その前に秀一郎と真緒が立っている。





そんな状況で男の話が始まった。





この村瀬という男は芯愛高校の1年生で奈緒とは別クラス。一緒にいた女は実の恋人で同級生。しかもこちらは奈緒のクラスメイトだった。





村瀬はやはり菅野と関係があり、先輩が菅野の仲間との事だった。





「菅野さんは確かに怖がられてるけど、スジは通す人だ。曲がったことが嫌いだし、弱いものイジメなんて陰険な真似は絶対しねえ。話せば言うほど怖い人じゃねえんだ。特に姉さんとの事があってからは円くなった」





「姉さん?ひょっとして奈緒のことか?」





秀一郎は奈緒が正弘に話していた言葉を思い出した。





「ああ・・・」





そこからの男の話には秀一郎は驚くばかりだった。





あの一件以降、奈緒は菅野らと顔なじみになり、校内で高い頻度で話をする間柄になっていた。





芯愛の生徒からの奈緒の評判は「一本筋の通った気の強い女」





相手が素行の悪い問題児でも指導教師でも気に入らないことはハッキリ口に出す。





しかも面倒見がいいので、多くの生徒が慕っているとの事だった。





特に菅野らの信望は厚く、





「うちの先公どもは腐った奴らばっかだ。何かにつけて菅野さんたちにイチャモンつけてくる。けど姉さんはそんな先公にも話つけてくれるし、バカな俺達にいろいろ知恵つけてくれた。姉さんに助けられた奴は多い。俺達は姉さんについて行くって誓ってんだ」





(奈緒って学校ではそんなに人望あったんだ。前は好き嫌いがハッキリ別れる女だったんだけどなあ。けどマジで姉さんって呼ばれてんだ)





そう聞いていたものの、あれは正弘を脅かすための奈緒の作り話だと思っていた秀一郎はすっかり驚いていた。





「でも最近、姉さんの様子がおかしかったんだ。気になってたら、コイツが今日の事を掴んだんだ」





と、男は隣に座る女に目線を飛ばした。





「あたしも小崎さんにはいろいろ良くしてもらってるの。小崎さんはいつも明るくてホント励まされるんだ。でもそんな小崎さんがここ数日は大人しくて不安げな表情で・・・あたし気になって尋ねたら、大切な恋人を一日だけお姉さんに貸すことになって、それが不安だって言ったの」





「え?」





また驚く秀一郎。





真緒の表情も変わった。





女は話を続けて、





「小崎さんのお姉さんは恋愛に不慣れで男の子との接し方もまだ知らなくて、そんなお姉さんに少しでも男の子に慣れてもらうためだって言ってた。けど不安で・・・当たり前よ。たったひとりの大切な人をいくら姉妹の間柄でも、やっぱり嫌よ。だって男の子だもん。何もないという保証はないわよ」





「俺は姉さんの姉が瞬動だって知ってたし。姉さんの恋人があんただって事も知ってる。俺達はあんたにも一目置いてる。何より姉さんが認めた男だし、たったひとりで菅野さんたちに刃向かってきた。その度胸はすげえと俺も思ってる」





「そりゃどうも」





まさかこんなところでこんな相手から褒められるとは思ってなかった秀一郎。





「けどあんたという男が完全に分かってるわけじゃない。万が一がないとは言えねえ。人のデートを監視するなんて嫌だけど、姉さんが傷つく姿は見たくねえ。だからこいつと相談して、そっと様子を伺おうって決めたんだ。完全に俺達の独断だし、このことは他の誰も知らねえ」





「分かった。じゃあ改めて言うけど、俺だって奈緒を泣かせるような事はしない。お前らの言ってる万が一なんて絶対にしない」





秀一郎がそう言い切ったので安心したのか、このふたりは全てを話し終えたらあっさり引き上げた。





秀一郎はそんなふたりのあとを目で追いつつ、





「はあ、結局奈緒が絡んでたのか。全く・・・」





ため息が出た。





「でも、奈緒の気持ちも分かります。たぶん身を切るような思いだったんじゃないかな。あの子って自分のものを取り上げられるのをものすごく嫌うから」





「それは大袈裟じゃない?俺ってそんな扱い受けてないと思うけど?」





「センパイは見てないですから。奈緒の影の努力を」





真緒は真顔でそう言うものの、実感は沸かない秀一郎だった。


[No.1513] 2009/07/26(Sun) 07:56:13
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梅雨が明けて街に強い日差しが照り付ける。





多くの人が行き交う通りに、ひとりの美女が立っていた。





これが夕刻の繁華街だったら数分おきにナンパされること間違いなしだが、今はまだ昼前でここはオフィスビル街。





さらによく見ると少し普通の美女とは雰囲気が異なる。





レディーススーツとカジュアルの中間くらいの服装は、決して遊びにここに来ているわけでないのが伺える。





さらに持っているふたつの鞄。





ひとつは一般的なビジネスバッグだが、もうひとつ肩から下げている大きな鞄はあまりお目にかからない。





それがプロ向けの本格的なカメラバッグだと分かるのはごく一部の人間だった。





この美女はずっと固い表情だったが、行き交う人の中からこちらに向かう人影を見つけると、少し柔らかくなった。





その人物もこれまた美女で、優しい笑みを見せた。





「美鈴ちゃん、久しぶりね」





やってきた美女がそう声をかけた。





「東城先輩・・・いえ、東城先生、今日は一日よろしくお願いします」





しっかりと頭を下げた。





「いいよ、先生なんて堅苦しい呼び方しなくても。あたしたちは泉坂の先輩と後輩なんだから」





「は、はいっ。ありがとうございます!」





ニッコリと笑うその笑顔は、学生時代でもめったにお目にかかれないものだった。





外村美鈴は現在、フリーのジャーナリストという肩書を持っていた。





一流大学を出てそのまま一流企業に就職したが、人を見る目が厳しい美鈴には職場の上司は尊敬に値しない人物であり、それが態度に表れてしまった。





そうなると結果は日の目を見るより明らかで、すぐに辞表を書くことになった。





一度は再就職も考えたが、自分の性格は一般社会では長続きしないことを察すると、比較的自由に動ける今の仕事を選んだ。





もともと頭がよく、文才もあったのでジャーナリストという仕事には上手く馴染めている。





いろんな記事を書いているが、今日は美人人気小説家、東城綾の取材だった。





時間もちょうどよかったので、食事をしながら話をすることになり、近くに停めてある綾の車まで移動する。





「うわ、すごい・・・」





綾の車を一目見た美鈴の開口一番だった。





「ポルシェに乗ってるとは聞いてましたけど、ホントだったんですね。なんか迫力ありますね。羽根ついてるし」





「前のバンパーとウィングはGT3RS用を付けてる。派手なのは好みじゃないけど性能優先だから仕方ないかな」





綾はそう説明しながらポケットから取り出したサングラスを身につけた。





「えっ、先輩がサングラス使ってるんですか?」





驚く美鈴。





「日中で車に乗る時は必需品だよ。付けてたほうが運転しやすいんだ。似合わないってよく言われるけどね」





少し照れ笑いを浮かべ、車に乗り込んだ。





交通量の多い都内の道路は流れが悪く、車も止まりがちになる。





あと舗装もさほどスムーズではない。





「ゴメンねこんな車で。うるさいし乗り心地悪いでしょ」





このポルシェは超高速域の安定性を重視したチューニングがされており、ノーマルと比べてサスペンションがかなり硬くなっている。





特にこのような市街地の低速走行では路面の僅かな段差が乗員にダイレクトに伝わってくる。





「いえ、そんなことないですよ。オーディオの音だってちゃんと聞こえますし、乗り心地は確かに硬いですけど不快感は無いです。なんか不思議な感じですね」





「車に詳しい人はそう言ってくれるんだけど、いつも横に乗る人は不満なの。でもそれも仕方ないかなとは思ってるけどね」





「あの、いつも乗ってる人って、その・・・」





遠慮がちになる美鈴。





それを見た綾はクスッと笑い、





「美鈴ちゃんも今日の取材前にあたしの事、いろいろ下調べしたでしょ?あたしが今、誰と付き合ってるとかね。別に隠してる事でもないし」





「あ、はい。いろいろ聞きました。あと兄貴が情報通でそこからもいろいろ・・・」





「外村くんはあたしのことをあまり良く思ってないでしょうね。心をお金で買ったとか言ってるんじゃないかな」





「あ、いえ、そんなことは・・・」





美鈴はとても困ったような表情を浮かべている。





「いいよ別に、あたし否定しないから」





綾はサバサバとした表情でそう語った。





「あたし、その、聞いてます。真中先輩が背負った莫大な借金を東城先輩が肩代わりしたって。本当なんです?」





「淳平は不当で法外な借金を背負わされて本当に苦しんでた。しかも今まで支えてきた仲間にまで見捨てられて、ホントたったひとりで全てを抱えてた。そんな状況を知って放っておくなんてあたしには出来なかった」





「でもだからって全額払うのはやり過ぎじゃないですか?甘言を受け入れる真中先輩もどうかと思いますけど」





「あたしが押し切ったのよ。債権者からすれば誰が払うかなんて問題ない。債務整理出来ればそれでいいのよ。淳平が何か言い出す前に全部整理したの」





「なんか、東城先輩って変わりましたね。前はそんなに積極的じゃなかったです。今は真中先輩の事を下の名前で呼び捨てだし、だいぶイメージ違います。いや、あたしは今の東城先輩は好きですけど」





「なりふり構ってられなかったの。淳平が危機的状況であたしなら助けられる。しかも西野さんがいない。この機会を逃したらあたしは淳平の側にはいられない。もう必死で今の立場を手に入れたんだ」





「じゃあやっぱり東城先輩は、卒業してからもずっと真中先輩のことを?」





「淳平はあたしにとってかけがえのない存在。そんな男性は一生に一度出会えるかどうかよ。今の仕事を始めていろんな男の人に会った。言い寄る人も少なくなかった。でも淳平以上の人はいなかった。これまでも、これからもずっとね」





「先輩にとって真中先輩がとても大切な人ということはわかりました。じゃあいずれは・・・」





「そういう美鈴ちゃんはどうなの?」





「えっ?」





「美鈴ちゃんは真面目で堅い性格だから、ファッションでそんなところにリングはめないでしょ?」





綾はハンドルを握りながら美鈴の左手薬指に光る指輪に目を送る。





「あ、はい。春にプロポーズされて、年明けに式を挙げる予定です」





幸福いっぱいの笑みを見せる美鈴。





「おめでとう」





「ありがとうございます。でも東城先輩もそんな話があるんじゃないですか?」





「ううん。あたしのほうは全然だよ。それにあたしは今の状態が続けばいいの。今の美鈴ちゃんにこんなこと言ったら気を悪くするかもしれないけど、あたしは型にハマった幸せはいらない。今でもそれ以上に幸せだから」





「なんか真中先輩に腹が立ちます。ちょっとの勇気と決断で幸せが待ってるのに。なに考えてんだか」





「淳平は自由になりたいのよ」





「自由?」





美鈴の顔に疑問符が浮かび上がる。





「淳平はいま懸命にお金を貯めてる。あたしが肩代わりした分をいつか返したいって。あたしのしたことで淳平は負い目を感じてる。それを無くしたいってことだね」





「真中先輩ってそんなに律儀でしたっけ?複数の女の間をふらふらしてた優柔不断な男でしたよね」





「それも根は真面目で、自分よりまず相手のことを考えてたからだよ。相手の心を傷つけるのを嫌うし、土足で踏み込むような真似は絶対にしない。本当に優しい人なの」





「東城先輩は本当に真中先輩が好きなんですね。間違いなく世界で一番真中先輩への愛情は強いですよ。もっと自信持って下さい」





「そう言ってもらえると嬉しいな。けどあたしと同じくらい淳平を愛してる人はいるよ。もうひとり間違いなくね」





「えっ?」












チャイムが鳴る。





一日の授業が終わり、これから放課後。





「おーい佐伯、今日は一緒に帰れるか?」





正弘が秀一郎に声をかけた。





「いや、今日も来てるからダメだな。あっちはもう短縮授業だからな」





携帯を見ながらそう答える秀一郎。





「しっかしまあよく続いてるよな。あそこからここまで結構距離あるよな」





「まあ俺も正直驚いてるよ。じゃあ待たせると怒るから俺行くわ」





「ああ、じゃあまた明日な」





「ああ、じゃあな」





秀一郎は鞄と弁当箱を手にして教室をあとにした。





いつもなら弁当箱を真緒に届けてから帰るのだが、ここ数日は手にしたまま昇降口を出る。





下校時刻なので生徒の数は多い。





校舎脇にある掲示板の前に、他校の制服姿の小柄な少女が立っていた。





秀一郎はその少女に近寄り、





「よっ、お待たせ」





優しく声をかけた。





「秀、おかえりっ!」





満面の笑みを浮かべて秀一郎に飛び付く奈緒だった。





真緒とのデートの翌日から奈緒は頻繁に秀一郎の側にいるようになった。





授業が終わると芯愛から泉坂まで逢うためにやってきて、一緒に帰るようになった。





バイトが終わった後も時間を作って逢うようになっている。





どうやら真緒とのデートが奈緒にとってカンフル剤になったようだ。





「お前なあ、ただでさえ他校の制服で目立つんだから、もう少し大人しくしろよ」





抱き着く奈緒の頭を弁当箱でコツンと叩く。





「別に今更でしょ。どうせあたしたちのことはこっちでも知れ渡ってるんだからね」





奈緒は動じないが、秀一郎は他の生徒からの視線が痛かった。





「おおっ、見つけた見つけた!お熱いねおふたりさん!」





こんなふたりに元気よく声をかける女子の声。





振り向くと、





「なんだ御崎か。なんの用だ?」





秀一郎のクラスメイト、御崎里津子が立っていた。





「御崎って、あ〜あんたね!秀がロリコンだってデマ広めたのは!」





初対面の相手でも遠慮なく怒りを見せる奈緒。





「いや〜ゴメンゴメン。あたしも噂ってこんなに簡単に広まるなんて思わなくってさ。けど半分は当たってると思うなあ。制服着てないと中学生に間違われない?」





里津子も奈緒に対して遠慮がなかった。





ぷうと頬を膨らませる奈緒。





「ところで、改めて何の用だ?奈緒をからかうためだけに来たわけじゃないだろ?」





秀一郎がそう尋ねると、





「いや〜さすが佐伯くん、察しがいいねえ。実はふたりに頼みがあるんだよ。あたしの友達を救うために力を貸して欲しいんだ」





「友達を助ける?いったい誰だ?」





秀一郎は里津子に歩み寄る。





すると里津子は秀一郎を無視して奈緒にグイッと歩み寄り、





「奈緒ちゃん、あなたの大切な彼氏をちょいっと貸してくれないかな?」





と、とんでもない頼み込みを言い出した。


[No.1514] 2009/08/02(Sun) 08:41:00
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奈緒には独占欲が強い面があった。





自分の大切なものを他人に奪われるのを極端に嫌う。





たった一日でしかも日頃世話になっている実の姉にさえも恋人を貸すのを躊躇い、悩んだ末に出した苦渋の決断だった。





そんな奈緒に初対面の里津子が秀一郎を貸せと言ったら、





「なんで貸さなきゃならないのよ!絶対に嫌!」





と反発するのは必至だった。





だがそのあたりは里津子も承知しており、説得のためふたりを購買の席に案内した。





自販機でコーヒーを買い、ふたりの前に置くと、真剣な顔を見せてふたりの前に座った。





「あたしね、どうしても困っている友達を助けてやりたいんだ。そのためには佐伯くんの協力が必要で、彼女の君の了承が必要なんだよ」





「友達っていったい誰だ?話から推測するとクラスメイトの女子みたいだが」





「沙織よ」





「桐山が?何があったんだ?」





秀一郎の顔つきが変わる。





里津子は少し小声で、





「佐伯くんは沙織の両親が居なくて天涯孤独なの知ってる?」





と聞いてきた。





「あ、ああ。今はひとり暮らしで、親戚のおじさんから金銭的な援助を受けてるって」





「そこまで知ってるなら話早いよ。そのおじさんが沙織に縁談を持ち掛けてんのよ」





「縁談?マジで?まだ高2だぞ?早過ぎないか?」





「そう思うでしょ!けどそのおじさんって人は考えが古くて、こっちでひとり暮らししてるよりは早々に結婚して新しい家庭を築くべきって考えらしいのよ」





「またえらくアナクロな考えだな。で、桐山はどう言ってんだ?」





「当然のごとくそんな気はなし。沙織はここを卒業して、奨学金で大学に行って将来はルポライター目指してるの。結婚なんて考えもつかなかったって」





「じゃあ断ればいいじゃない!いくら世話になってても嫌なものは嫌と言うべきよ!」





奈緒は強い口調で一般論を口にする。





それを受けた里津子は困り顔で、





「そうやってハッキリ言える立場じゃないのよ沙織は。支援してくれてるおじさんって人も遠い親戚みたいなの。そんな人が今の沙織の生活を支えてて、その支えがないと沙織はこっちでの生活が出来なくなるの。沙織は弱い立場なのよ。でもだからって結婚相手を押し付けられるなんて嫌よ」





「ってことは、もう相手が決まってんだよな。その、桐山と結婚しようっていう男が」





「それがね、そのおじさんの地元の代議士の息子って奴らしいの。今はその父親の秘書やってるんだって。歳は30過ぎのオッサン。当然だけど沙織とは面識無し」





「うっわ、なんかキモい。いい歳して親の臑かじってる田舎のボンボンじゃん。マジキモい!」





露骨に嫌な顔をする奈緒。





「そうでしょ!あたしだってキモいし、沙織も同じ気持ちなの。そんな変なオッサンと結婚なんてしたくないのよ。普通の子なら誰だってそう思うわよ。わかるでしょ?」





「でも、そこになんで秀が出て来るの?話の内容からすると、どうせ秀にその桐山って女の恋人役でもさせようってつもりでしょ?」





奈緒の勘は鋭かった。





「そう。恋人役が望ましいけど、それが無理ならせめてフリーだって事にして欲しいの。いくら縁談でも最後は当人の気持ち。沙織に好きな人がいるなら断るには充分な理由。でもその好きな人にもう彼女がいるとなると難しくなっちゃう。先が見えない恋より、確実な縁談を奨められちゃう。だから協力してほしいの」





必死な表情で頼み込み里津子。





「ちょっと待て、話の大筋はわかった。でもなんで俺なんだ?」





「そうよそうよ。別に秀じゃなくても誰でもいいじゃない。例えばほら、正ちゃんとかさ」





「まず佐伯くんが沙織にとって唯一の男友達なこと。それと佐伯くんなら向こうの相手に充分対抗出来るかなって思ってね」





「はあ?」





秀一郎は里津子の言葉の意図が分からない。





「佐伯くんてレベル高いのよ。頭良くて弁護士志望でもうそんなとこでバイトまでしてる。しかも度胸もあってケンカも強い。意外と女子の間では人気高いのよ」





「おいおい、俺は別に頭良くないしケンカだってほとんどしたことないぞ。そんなこと言われても全く実感ないけどなあ」





里津子は奈緒に目を向け、





「バックにあの子、あなたのお姉さんがいるでしょ。だからみんな声かけ辛いってのが現状よ。もしあのお姉さんがいなかったらいろんな女子から誘われて、あなたの今の立場はないかもしれないよ?」





厳しい指摘を入れる。





「そ、そんなことないもん!あたしと秀は強い絆で結ばれてるんだからね!たとえ学校が違っても、お姉ちゃんがいなくても絶対に浮気なんかさせないもん!」





「ふうん、そんなに自信あるんだあ」





奈緒の態度を見た里津子は嫌な笑みを浮かべた。





「そ、そうだよ!自信満々だよ!秀だって絶対に浮気なんかしないよね!ねっ!?」





「あ、ああ」





そう答えるしかない秀一郎。





「じゃあ一時的にちょっと彼氏をフリーにするくらいどうだっていいでしょ?」





「うっ?」





詰まる奈緒。





(御崎の誘導尋問にハマったな)





そう分析する秀一郎だった。





結局、里津子の作戦勝ちの結果となり、奈緒は秀一郎を一時的に自由の身にすることに同意してしまった。





ただ、姉の真緒の監視付きが条件となり、さらに奈緒と里津子の間でいくつかの交渉が交わされたようだった。





話が始まってからこの交渉が終わるまで、秀一郎の意思が汲み取られることはなかった。





(俺、やるともやらないとも言ってないよなあ。勝手に話が進んでやることになってる。まあ、いいか。桐山の力になれるのならな)





不条理を少し感じながらも自らを納得させる秀一郎だった。











翌日の放課後、





今日は部活が休みの文芸部室に関係者が集まった。





当事者の沙織と話を持ち掛けた里津子、この話を受けた秀一郎に、奈緒からお目付け役を請け負った真緒。





「みんなゴメンね。あたしのことで迷惑かけて」





まず沙織が頭を下げた。





「気にしないでよ沙織!あたしたち友達だよ!困った時はお互い様だよ」





「そうだよ桐山、気にするな」





明るく励ます里津子と秀一郎。





「でもやっぱり申し訳なくて、真緒ちゃんまで巻き込んじゃって」





とにかく申し訳なさ気な沙織。





「いえ、あたしも桐山先輩の気持ちわかります。いくら親代わりの人でも他人が選んだ相手と結婚なんて嫌です!あたし桐山先輩応援します!」





この中では最も部外者の真緒が一番積極的だった。





「で、具体的にはどこまで話が進んでるんだ?」





秀一郎が本題に入る。





「おじさんがこの話に本当に乗り気で、どんどん進めてるの。それで、今度の週末に相手の人があたしに会いにこっちまで来ることになってて・・・」





そう話す沙織は本当に困り顔を見せた。





「で、その相手の写真とかは?」





興味津々の目で里津子が尋ねると、沙織は静かに首を横に振る。





「えっ、知らないの?」





驚く秀一郎。





里津子も真緒も同様の表情を見せる。





「相手の人はあたしを知ってるみたいなの。お母さんの葬儀に来てたみたいで、調べたら参列者名簿に名前が載ってた。けどあたしは全然覚えてないの。泣いてばっかりで人の目なんて気にする余裕なかった」





「そりゃそうだろ。葬式に来た人の顔なんていちいち覚えてられないだろ」





(ましてや唯一の親を失ったんだ。そんなことに気が回るわけねえ)






秀一郎の胸がぐっと締め付けられる。





「ひょっとして、その相手の人、誤解しちゃったのかもしれませんね」





真緒がぽつんとそう漏らすと、他の3人の視線が集まった。





「桐山先輩って綺麗な人で、そんな人の泣き顔を見たらたくさんの男の人の心が揺れると思うんです。庇護欲がそそられるって言うんでしょうか」





「それは一理あるかもな」





頷く秀一郎。





「センパイも弱いですよね?奈緒の泣き顔に」





「ま、まあ、大概の男なら女の子に泣かれると弱いだろ。だから俺は泣かせたら負けだと思ってるけどな」





「ふうん。やっぱり佐伯くんて優しいね」





感心顔を見せる里津子。





秀一郎は少し照れながら、





「お、俺のことはいいだろ。それより本題だ。で、どうするんだ?週末にはその相手の男が来るんだろ?どう対応する?」





「来るんだったら会うしかないと思うけど、沙織ひとりで会わせるのはちょっと不安だな。沙織って圧しに弱い面があるから、向こうにペース握られるとまずいかも」





里津子がそう言うと、





「うん、あたしもそうなりそうな気がする」





心配顔の沙織。





「じゃあまずあたしが会ってみようかな?沙織は急用で都合が悪くなったって事にしてさ。どうせ田舎のボンボンだからうろたえて情けない面を見せるんじゃないかな。んでそこに隠れてた沙織を出して、精神的にダメージ与えるのよ!」





「いや、それは甘い。相手は大人で曲がりなりにも議員秘書だろ。バイト先でもそういう人をたまに目にするけど、海千山千の奴らばかりだ。一筋縄ではいかないと思ってたほうがいい。それと適当な理由付けて会わせないのは反対だ。結果を先延ばしにするだけだし、桐山の立場も悪くなる」





秀一郎が里津子の案に駄目出しを入れた。





「そっかあ。じゃあどうしよう?」





「うーん・・・」





頭を捻る秀一郎、沙織、里津子の3人。





「あの、あたし思い付いたんですが・・・」





そこに真緒が遠慮がちに切り出した。











そして、週末が訪れた。


[No.1516] 2009/08/10(Mon) 05:26:09
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夏休み前の最後の土曜日。





東京の街にやってきた4人の若者たち。





歳は10台後半くらいに見え、人目に付きそうな派手な恰好に身を包んでいる。





「やっぱ東京はすげえな。俺たちの田舎とは大違いだ」





「高校卒業したら俺は東京に来るぜ。あんなとこじゃ何も出来ねえよ」





「けど就職どうすんだ?いくらなんでもうちの学校から東京の会社なんて無理じゃねえか?」





「そこは旦那に頼むんだよ。だからこうして休み潰してここまで来たんじゃねえか」





「ま、割と簡単な仕事だよな。交通費、宿泊費は旦那持ちで、バイト代もいいもんな」





「ま、旦那はいけ好かない男だけど、恩を売っといて損はない男だからな」





嫌な笑みを浮かべる4人組。





「あ、おい、向こうの道を歩いてるあの女見てみろ」





男のひとりが反対側の歩道を歩く少女の姿を捕らえた。





「なんだよ、まだガキじゃねえかよ」





「けどロリコンの旦那にゃいいんじゃねえか?」





「まあ、旦那好みかもな。けど男が一緒だぜ。しかも二人いやがる」





「けどこっちは4人だ。負けっこねえよ」





「そうだな、明日の仕事前に憂さ晴らし一発やるか」





明らかに悪巧みを企てている笑みを揃える4人。











「ちょっとお、ホントについてくんの?」





奈緒は後ろを護るように歩く男ふたりに目を飛ばすと、





「今日の俺たちは姉さんにとことん付き合います。買い物の荷物持ちでもなんでもやります」





「俺たちは姉さんの護衛です。何があっても姉さんを護ります」





ふたりの男は真面目な顔でそう答えた。





ふたりとも菅野の舎弟である。





「気持ちは嬉しいけどさあ、せっかくの休みなのにふたりとも予定ないの?特にそっちのあんた、確か彼女いたよね。放ったらかしはマズいよ」





「大丈夫っす。あいつも今日は連れと遊ぶってことですから」





「そう?ならいいけど、でも彼女は大切にしないとダメだよ」





「ありがとうございます!姉さんの御心使い嬉しいっす!」





「やれやれ、こりゃダメだね」





話が通じていないように感じた奈緒は呆れて首を振る。





「けど姉さんの彼氏もひどい奴っすよね。いくら人助けでも姉さんに嫌な思いさせるのはどうかと思いますよ」





「秀は悪くないよ。まあ確かに嫌だけど、けどここは我慢。それに普段はあたしのわがまま聞いてもらってるしね」





「どこがわがままなんすか?毎日彼氏に弁当作ってるんすよね。充分尽くしてるじゃないすか?」





舎弟のひとりが明らかな不満の表情を表す。





それを受けた奈緒は少し悲しげな笑みを見せた。





「今のあたしはそれくらいしか出来ないの。本当は同じ泉坂に行くつもりで、秀に勉強教えてもらってたんだけど落ちちゃった。秀の期待に応えられなかった。今のお弁当もお姉ちゃんがいるから出来ること。あたし自身が秀に出来る事ってほとんどないのよ。これ以上秀にあたしのわがままで迷惑かけたくないんだ。だから・・・」





「姉さん、辛い思いされてるんですね」





「姉さんの気持ちわかりました。俺たち姉さんのためならなんでもします!」





どうやら奈緒の話に心を打たれた舎弟ふたりだった。





そんなふたりに複雑な笑みを浮かべる奈緒。





その時だった。





突然、見知らぬ男が舎弟のひとりを殴りつけた。





「なっ、なんだテメエは!」





間を置かずに、もうひとりに蹴りを入れる。





「へっ、ばーか」





いきなり攻撃してきた男は罵声を浴びせて駆けて行く。





「テメエ、待ちやがれ!」





「ふざけた真似しやがって!」





後を追う舎弟ふたり。





「ちょっと、あんた達!」





奈緒も慌てて駆け出した。





男は人気のない路地裏に逃げ込んだ。





追いかける舎弟たち。





「ぐあっ?」





ひとりが倒れた。





影に潜んでいた別の男がゴツイ工具で頭を殴った。





「テメエ、仲間か?ぐあっ?」





もうひとりの舎弟も背後から別の男が武器で殴った。





少し遅れて奈緒が駆け付けたときには、舎弟ふたりはひどい有様だった。





それを見た奈緒は危険を察知し、逃げようと身体を翻す。





(誰か呼んで来ないと!)





そう思った刹那、





「おっと、動くんじゃねえ。サックリやられたくなかったらな。声も出すな」





さらに別の男が奈緒の背後から首筋にアーミーナイフを当てていた。





(こいつら全員仲間?最初からあたし目当てで・・・)





4人の嫌な笑みと、無惨にやられて動かない舎弟ふたりを視界に捕らえた奈緒はそう判断した。





(こいつらなんなの?けどこの状況じゃどうにもならない。ここは・・・)





奈緒は恐怖に震えながら、小さく頷いた。





そして四方をこの4人の男がたちに囲まれ、静かにその場を後にした。











その頃、沙織は公園で相手を待っていた。





約束の時間10時半。だがその時間を10分ほど過ぎている。
.




ベンチでじっと座る沙織のそばに小走りで恰幅のいい男がやってきた。





「いや〜ゴメンゴメン、ちょっと遅れてしまった。君が桐山沙織くんだね」





「あ、はい。あなたが須田さんですか?」





「ああ。はじめましてってのも変かな。君のお母さんの葬儀の時に顔を会わせているからね」





「ごめんなさい、あたし全然覚えてなくて・・・」





「いや、気にしないで。あの状況でいちいち初顔合わせの人なんて覚えてられないよ」





須田という男は軽そうな笑みを見せる。





「へ〜え、あなたが沙織の相手ですかあ?」





「桐山が覚えてないってのもわかる気がしますね。30過ぎって聞いてたけど、それ以上に老けて見えますよ」





そこに里津子と秀一郎が割って入って来た。





「な、なんだ君たちは?」





「ふたりともあたしの友達の佐伯くんと御崎さんです」





「友達?」





露骨に嫌な顔を見せる須田。





それを受けた秀一郎は、





「議員秘書って聞いてたからもう少しまともな大人かと思ってましたけど、見当違いでしたね」





須田を煽った。





まずは里津子と秀一郎で相手の男を挑発して出方を探る。





これが第一の作戦だった。





「な、何だと!失礼なガキだなお前は!」





須田はその挑発に乗って激昂する。





「ええ、俺はガキですよ。でも俺のこんな言葉にいちいち反応するあなたもガキですよ」





秀一郎は少し笑みを見せた。





「な、なんだその態度は!」





「地元では父親の力に縋っておだて揚げられてるだろうけど、こっちじゃそうはいきませんよ」





「沙織くん!なんだこいつらは!こんなのが君の友達なのかね!」





須田は沙織に怒りをぶつける。





「うっわ、そこで沙織に当たるんですか。それに結婚相手を君呼ばわりってどれだけ上から目線なんです?」





露骨に引く里津子。





「こっこっ・・・このガキどもが!好き勝手いいやがって!」





我慢の限界を超えた須田は里津子目掛けて手を挙げた。





その手を秀一郎が押さえる。





「なんなんだお前は!邪魔すんな!」





「あんた、俺が止めずに御崎を殴ってたらその時点で傷害罪ですよ。地元じゃ揉み消すかもしれないけど、こっちじゃそんな事させねえ」





キッと睨みつける秀一郎。





「ちょっとした事ですぐキレて手を出すなんて最低。どんだけ偉いのか知らないけどあんたに大切な友達は渡せない」





里津子も厳しい言葉をストレートにぶつける。





「何を言ってるんだ貴様らは!そもそも僕は沙織くんを不憫に思ってだな・・・」





「だからその上から目線をやめろって言ってんですよ!」





秀一郎の言葉にも力が入る。





それを受けた須田は明らかに狼狽する。





「それってただの同情じゃない!そんな気持ちで結婚なんてされたくもないよ!沙織の気持ちわかんないの?」





「そ、それはだな・・・」





更なる里津子の指摘で言葉を失う。





「須田さん・・・」





ここでずっと黙っていた沙織が口を開いた。





とても悲しげな瞳を見せる。





「友達の言葉にご機嫌を悪くされたならあたしからお詫びします。あと須田さんのお気持ちは嬉しいです。けどそれだけで充分です。それにあたしにも将来の目標があります。それは傍

目から見れば幸せには程遠いかもしれません。けどあたしはその道を目指したいし、亡き母もそう言ってくれていました。そしてその道には結婚という選択はないんです。だから、その、

ごめんなさい」





瞳を潤ませ、最後は涙声で頭を下げた。





これは須田の心をノックアウトするに充分な威力だった。





「そう・・・か。わかったよ沙織くん。では今日はこれで失礼するよ。明日の予定も無しにしよう。ではまた」
.




肩を落とし、そそくさとこの場から離れていった。





「なんだよあの男、あんなんで議員秘書かよ。世も末だな」





不快感をあらわにする秀一郎。





「でも沙織よく言えた!作戦通りだよ!あの最後の涙は決定的だったね!」





こちらは喜ぶ里津子。





「うん、お母さんのこと思い出すとつい・・・でもちゃんと言えた、ちゃんと断れた。ありがとう」





秀一郎と里津子で厳しい言葉を浴びせて徹底的に追い込んでから、沙織がやんわりと、かつはっきりと断る。





第一段階の作戦が見事にハマった。





「でもよかったね!はっきり言ってまずあの見た目からありえないよ。なにあのチビデブハゲ親父!あんなのと結婚させようとするおじさんもどうかしてるよ!」





「うん、見た目で判断しちゃいけないとは思うけど、正直引いちゃった」





少し笑顔を見せる沙織。





「見た目より中身がダメだろあんな男。正直拍子抜けだ。けど第一段階で済んでよかったとするか」





「でもあたしは第三段階見たかったかも」





「御崎、簡単に言うな。あれはこっちもリスクが高い最後の切り札だったんだ。真緒ちゃんの登場だけは避けたかったんだよ俺はな」





作戦は三段構えになっており、最終の第三段階は真緒による不意打ちの直接攻撃プランを組んでいた。





相手が手ごわい場合に備えての危険覚悟の正に最後の切り札だった。





結局それを使う事態にはならず、3人揃って笑顔で離れた所で待機している真緒のもとに向かう。





「真緒ちゃん、無事完了したよ」





笑顔でそう伝える秀一郎。





「あ、はい・・・」





(ん?)





真緒の笑顔に繕った感を受け、違和感を覚える。





「真緒ちゃん、どうしたの?」





「なんか顔色悪いよ。何かあったの?」





沙織と里津子も真緒の様子がおかしい事に気付いた。





真緒はやや俯き加減で表情を曇らせ、





「こんな時こそポーカーフェイスって思ってるんですけど、ダメですねあたしって」





そう漏らした。





「真緒ちゃん?」





「センパイ、落ち着いて聞いて下さい。少し前に奈緒がさらわれたそうです」





「なっ・・・」


[No.1517] 2009/08/16(Sun) 04:25:30
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regret-19 (No.1517への返信 / 18階層) - takaci

「もしもし、僕だ。実は予定変更で明日の仕事はなくなった。ああ、ホテルはとってあるから明日まで遊んでいけばいい。ところでメールを見たのだが・・・そうか、よくやった。僕はまだ仕事が残ってるから夕方に合流しよう。それまでに逃がすなよ。ではまた」





携帯を切る。





(まったく、予定外の邪魔のせいであの女を取り逃がしてしまった。でもまあいい。今夜はこの子に憂さ晴らしをするとしよう)





ニヤリと不気味な笑みを浮かべる須田の携帯画面には、送られてきた奈緒の写真が写っていた。











「スマン。完全に俺の責任だ」





芯愛の菅野。





自校だけでなく、周辺他校までその名を轟かす大物。





そんな男が秀一郎と真緒に頭を下げていた。





「詫びは全部終わってからだ。状況を教えてくれ。どうしてこうなったんだ?なんで奈緒が?」





秀一郎の言葉からは動揺が感じられた。










菅野は多くの人間から恐れられていて、本音で語り合える人間は数少ない。





その少ない人間のひとりが奈緒だった。





奈緒は菅野と対等に話し、悪い点ははっきり指摘し、何かとぶつかることの多い教師たちとの上手い付き合い方などを教えたりした。





その結果、菅野やその仲間たちの信頼を得ることになり、特に仲間の慕いぶりは凄かった。





そしてそんな奈緒が今回の件で秀一郎と少し距離を置くことが知れ渡ると、仲間たちが護衛の名目で奈緒と行動を共にすると言い出した。





「小崎は割と目立つしあんな性格だ。ひとりでうろついてたらナンパされたり、揉め事になったりするだろう。だったら誰か付けておいたほうがいいと思ってそうしたんだが、見通しが甘かった。俺たちに手を出してくる奴らがまだこのシマにいたとはな」





「そいつらの目星はついてるんですか?」





真緒は菅野に厳しい視線を送る。





「いま探ってるが、どうやら振興勢力だ。やられたのがふたりでひとりは緊急入院だ。かなり無茶しやがる連中で、初めて見る奴らだそうだ。4人組で動いてる」





「じゃあ相手を実際に見て、捜査出来るのはひとりだけなんですね。相手を見つけるのは難しいかな」





困り顔を見せる真緒。





「警察には?」





「一応動いてるが当てにはならねえ。所詮俺たちのケンカだと思ってやがる。奴らが動くには事件性がまだ薄いんだ」





「警察が動くのは事件が起きてから、か。けどそれじゃ遅い」





秀一郎はバイト先の弁護士事務所でよく聞く警察の体質を思い出し、歯痒い思いを抱いていた。





「とにかく現状で出来ることは小崎の捜索だ。もう仲間たちは動いてる。そこでお前に頼みがあるんだが」





菅野は秀一郎に目を向ける。





「なんだ?」





「恋人なら、小崎の写真持ってないか?お前の携帯に」





「写真?そりゃ持ってるが」





「その写真を俺にくれないか?俺から捜索に出てる仲間全員に送る。写真があったほうが捜索しやすい」





「わかった」





納得した秀一郎は携帯を取り出した。













そして現場を中心として、広域の奈緒の捜索が始まった。





「桐山、お前まで付き合わなくてもいいんだぞ?」





「ううん、もとはあたしのせいでこうなったの。だからと手伝わせて。じゃないとあたしの気がすまない」





事件が発覚したとき、危険度が高く感じたので沙織と里津子には帰るように促したのだが、沙織はそれでもついてきた。





秀一郎は真緒と沙織の3人で捜索に回った。





だが、なかなか手掛かりは掴めない。





菅野のルートで奈緒の携帯位置のGPS探索も行われたが、電源が切られているようで足取りは掴めなかった。





「センパイ、この事件どう見ます?」





「やり方が乱暴過ぎるな。菅野を挑発するにしてもやり過ぎだ」





いくら人気のない路地裏とは言え、街のど真ん中で凶器を用いてメッタ殴りしてひとりは緊急入院。





さらに無抵抗の奈緒をナイフで脅して拉致。





フィクションでしか成立しないような事態である。





「そこなんです。菅野にケンカを売るにしては派手過ぎます。菅野を知ってたらこんなことは出来ない。相手はたぶん菅野を知らないんです」





「けどここいらの奴らで菅野を知らないってよっぽどのモグリかバカだろ?」





「だから、たぶんこの地元の人間じゃない。週末にエリア外から来た、もしくは地方から遊びに来たような奴らじゃないでしょうか?」





「考えられなくはないな。でもそうなると、目的はあくまで奈緒か」





「いま捜索にはかなりの人数が動いてます。目撃情報はそれなりに集まると思います。でも相手の全体像を掴み間違えたらその情報が無駄になります」





捜索している全員が一旦集まりこれまで得られた情報を整理することになった。





いくつか有力な手掛かりも得られており、奈緒を含めた5人は電車でとある地区に向かったようだった。





だが菅野はこの情報をあまり信じない。





敵はあくまで自分の縄張りの中にいると思っていた。





逆に真緒は情報通りの移動を主張した。





(菅野のカン、それに真緒ちゃんのカン、どちらが正しいのか・・・)





秀一郎には判断がつかなかった。





真緒の考えに同意したい気持ちもあるが、ならば相手は高いリスクの上に奈緒を得たことになる。





奈緒にそこまでのリスクを払うのは考えにくい。





結局、話し合いでも結論は出ず、二手に別れることになった。





主力は地元の捜索、真緒たちは証言をもとに移動。





(これが正しいのか?)





真緒と行動を共にする秀一郎は、揺れる電車の中で心もまた揺れていた。 着いた先は官公庁が集まる街だった。





平日なら賑わっているだろうが、さすがに休日はがらんとしている。





(こんなところに奈緒がいるのか?)





人気のない街を真の当たりにした秀一郎はそんな感覚に囚われた。





「二手に別れましょう。あたしとセンパイで南側を。桐山先輩は彼らと一緒に北側をお願いします」





真緒が指示を出し、それ通りに動く。





(こうなったら真緒ちゃんのカンに頼るしかない)





陽が傾いてきた。





(あまり時間はない。そんな気がする)





焦る秀一郎。





ふたりは広大な公園に足を踏み入れた。





休みの日なのに人気はほとんどない。





(これじゃ目撃証言を聞く相手がいないな。場所を変えたほうが・・・)





そんなことを考えてた時だった。










「・・・」





風に流れて届いた微かな声。





「センパイ!」





「ああ、向こうだ!」





ふたり揃って気付いた。





駆け足で向かう。





次第に声がはっきりと聞こえる。





何かに抗うように感じるその声。





(間違いない)





秀一郎は確信を得て、その鼓動が早まる。





視界が開け、広場に出た。





その片隅に、いた。





男に囲まれ、その中のひとりに右手首を掴まれ顔をしかめている少女。





「奈緒!」





「あ、秀!」





声を輝かせる奈緒。





秀一郎の視線は自然と腕を掴んでいる男に向く。





「お前は昼間の!」





さすがに少し驚いた。





数時間前に沙織の結婚相手として現れたうだつの上がらない議院秘書、須田が奈緒の細腕を掴んでいた。





「なっ、あの生意気なガキか?」





須田も驚いているようだった。





「ということはお前がこの女の・・・ええい忌ま忌ましい!こんな女もう要らん!」





須田は乱暴に奈緒の腕を放すと、





バッシーン!!





右の平手で奈緒の頬を思い切り殴り付けた。





反動で奈緒の小さな身体は整備された公園の固い路面に叩き付けられる。





「テッメエ、なにしやがる!」





冷静な秀一郎の頭がカッとなる。





「やかましい!おいお前ら、このガキを徹底的に叩きのめせ!報酬は弾んでやる!」





須田も激昂して取り巻きに平然と犯罪行為を命じた。





それを請けた取り巻きの4人は秀一郎に嫌な笑みを向ける。





ひとりがごつい工具を振りかざして向かってきた。





普段の秀一郎ならまず冷静に対応策を練っただろう。





だが、今の秀一郎はキレていた。





真緒の静止の言葉がかすめたような気がするが、構わず突き進む。





男の鈍器が迫る。





(こんなもん、真緒ちゃんの動きに比べりゃ全然のろいし、単純だ)





鈍器を際どいタイミングでかわし、





バキイッ!!





渾身の右ストレートを相手の顎に入れた。





(まずひとり)





ふたりめが同じような鈍器で襲い掛かる。





(こいつも同じだ。全然のろい)





秀一郎は鈍器をかわしつつ、ボディに蹴りを入れた。





「ぐおっ!」





呻き声をあげた相手の身体が折れ、顎が下がる。





そこに渾身の回し蹴りを入れると、相手は吹っ飛んでいった。





(ふたり)





三人目はアーミーナイフを振りかざしてきた。





(こいつものろい)





とは思うものの、身体は大きな回避行動を採る。





本能が強大な危機を察知し、それが間合いに表れ、秀一郎の射程に相手が入らない。





(さすがにナイフはヤバイか。けどこのままじゃまずい)





そう思った時、





パアン!





「ぐっ?」





真緒の正確かつ鋭い蹴りが相手のナイフを持つ右手に入った。





相手も真緒に気を取られる。





秀一郎にはそれで充分だった。





一気に間合いを詰め、





相手がそれに気付いた時には、全体重をかけた右ストレートが入っていた。





(あとひとり!)





残ったひとりは秀一郎より小柄で武器も持っていなかった。





(こんな奴が最後か。これなら!)





秀一郎は勢いに乗っていた。





自信を持って最後の相手にパンチを放つ。





だが、





(当たらない?)





俊敏なフットワークを駆使され、秀一郎のパンチは空振りを続ける。





少し焦り出した時。





相手のボディブローが入った。





「ぐっ?」





苦痛が身体を走る、





が、なんとか堪えて射程に入った相手に右ストレートを撃つ。





(捕らえた)





と思った矢先だった。










突然、視界が大きく揺れ動く、





訳がわからないまま、身体全体に大きな衝撃が走る。





やがて視界が落ち着き、それが夕焼けに染まる空だと気付くのにしばらくかかった。





(俺は・・・やられたのか・・・)





顎が痛い。





(そうか、カウンターを喰らったんだ)





それに気付き、身体を起こそうと動く、





だが足がガクガクと震えて立てない。





相当なダメージだった。





とりあえず上体だけ起こし、首を振って状況を確認する。





秀一郎を倒した最後の相手と真緒が高速のフットワークの応酬を続けていた。












「あなた、ボクサーね?」





「そういうあんたは結構な空手の腕だな」





男がニヤリと嫌な笑みを見せる。





「空手やってる奴らはケンカも最強と思ってるみたいだが、空手はボクシングと比べて遅い。いくら威力があっても当たらなきゃ意味がねえ」





男が真緒に突進する。





「へっ、どうせ避けるしか出来ねえだろ!女ならすぐにバテて足が止まる・・・」





バキイッ!





真緒の拳が男の顔面に直撃した。





「なっ・・・」





驚く男。





男はフットワークを止めずに絶えず動くが、真緒の拳が当たり続ける。





「くっそ!」





男が大振りになった。





その瞬間を見逃す真緒ではない。





一瞬で移動し、





「ぐはあっ!」





男のこめかみに回し蹴りを入れた。


[No.1518] 2009/08/23(Sun) 07:01:25
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最後の男が倒れたと同時に秀一郎もダメージから回復してよろよろと立ち上がり、真緒の元へ向かう。





「センパイ、大丈夫ですか?」





「なんとかな。真緒ちゃんも最後の男にはてこずったみたいだな。まさか拳を出すとは」





「あたしの拳は弱いからあまり意味がないんです。でもあの男も小柄だったから揺さぶりには使えると思って。まあ上手く行きましたね」





「さて、こいつらどうする?」





「さすがに警察でしょう。ナイフまで出してきて、奈緒を殴り倒した。立派な傷害です。桐山先輩にはそう連絡しました。すぐ来ると思います」





「そうか」










「うおおお!」





(ん?)





須田が凄い形相で秀一郎に向かってきた。





転がっていた鈍器を手にして。





真緒が出ようとしたが、秀一郎は手で遮り、





「確かこうだな」





身構えた。





須田が迫って来る。





鈍器が振り下ろされる。





秀一郎は際どいタイミングで避けつつ踏み込み、





バキイッ!!





須田の頬に強烈なカウンターを入れた。





よろよろと崩れ落ちる須田。





「テメエら全員まとめて警察に突き出してやるからな!」





秀一郎がそう叫んだ時、沙織たちが警官を連れて駆け付けた。










その後は慌ただしかった。





須田たちの身柄は警察に確保され、秀一郎たちも事情聴取を受け、奈緒の親が呼ばれて被害届が提出された。





週が明けると、須田の正体が明るみになり、須田の地元はちょっとした騒ぎになった。





須田の自宅から中高生の少女ばかり集めた猥褻な写真やビデオが多数見つかり、押収された。





中には須田が自ら撮影したものもあり、被害少女はかなりの数にのぼっていた。





そしてその少女を集めていたのが一緒に捕まった4人組で、余罪が追求されている。





沙織との結婚話も須田にその気はなく、ただ沙織の身体だけが目当てだった。





「初めて見た時から怪しいオヤジとは思ってたけど、ここまで変態野郎だったとはね。でもよかったよ沙織が被害に遭わなくて」





「御崎、そうかもしれんが桐山は辛い立場だぞ。俺たちはともかく、無関係な奈緒や菅野たちを巻き込んじまった。今もバタバタしてるんじゃないかな」





事件以降、沙織は学校に姿を見せなかった。





そして学校はそのまま夏休みに入った。











コンコン





「奈緒、俺だ。入っていいか?」





扉の向こうから奈緒の頷く声が届いた。





秀一郎は扉を開け、奈緒の部屋に入る。





明るい部屋はファンシーなグッズで彩られている。





奈緒はベッドに座り、キャラクター物のぬいぐるみを抱き抱えていた。





ただ、いつもの元気な笑顔はない。





「ちゃんと食べてるか?ちゃんと寝たか?」





奈緒の反応はない。





「そうか。元気だったら気晴らしにどこか行こうかとも思ったけど、そんな元気はなさそうだな」





奈緒の隣に腰を下ろす。





すると奈緒が秀一郎の手を握る。





「秀と一緒だと安心してぐっすり寝れるけど、ひとりは怖い」





やはりいつもの元気はなく、弱々しい。





「よっぽど怖かったんだな」





「怖かった。ナイフ突き付けられるなんて初めてだったから。いつ刺されるか気が気じゃなかった」





秀一郎は奈緒の身体を抱き寄せ、頭を優しく撫でる。





「逆らいたかった。じゃなきゃレイプされる。でも逆らったら殺される。どうすればいいのかわからなかった。たとえ命が助かっても、秀に嫌な思いさせるのは嫌。それで嫌われるなんてもっと嫌。でもやっぱり生きていたい。そんなことばっかり繰り返してた。今も考える。秀が助けてくれなかったらどうなってたのか。どうすればよかったのかわからない。あたし・・・」





「奈緒、そんなこと考える必要はない。もう済んだことだ。俺は必ずお前を助けるから」





「でも秀、今回はたまたまだよ。運が良かっただけ。次がないなんて言い切れないし、あって、もし最悪の事態に、避けようのない事になったらどうすればいいの?」





「奈緒は奈緒。何があっても奈緒は変わらない。奈緒の替わりなんていない。俺も奈緒を失いたくない。だから命が最優先だ。誰も奈緒が死ぬことなんて望んじゃいない」





「秀はあたしがレイプされても好きでいてくれるの?」





「浮気で他の男と遊ばれるのは嫌だけど、それは違うだろ。奈緒が俺を好きでいてくれるなら、俺の気持ちは変わらない」





「でも、もしそうなったらやっぱり嫌だよね?」





奈緒らしくない、ネガティブな思考になっている。





事件の傷痕が深いことを秀一郎は感じ取った。





「奈緒」





秀一郎は奈緒を両腕で優しく抱きしめる。





小柄な奈緒がすっぽりと秀一郎の腕の中に納まる。





「奈緒にはいい面も悪い面もある。付き合って行くにはいいことばかり、楽しいことばかりじゃない。いろいろ、悪いことも辛いこともある。俺は奈緒と一緒なら、そんなことは乗り越えられる。何があっても乗り越える。だから大丈夫だ。あまり気にするな」





「ほんと?」





涙ぐむ奈緒。





めったに泣かない奈緒が涙を見せていた。





「ああ、ホントだ。だからもうネガティブに考えるな」





「うん、ありがとう秀・・・グスッ」





「あと、今日これから桐山が謝りに来るけど、あいつも被害者なんだ、許せないと思うだろうけど、なんとか許してやって欲しい」





「うん、秀が言うならそうする」





奈緒は素直だった。











その日の午後、沙織がひとりの女性を連れてやってきた。





ぱっと見は二十歳前後くらいで、背格好は奈緒より少し高い程度の小柄な女性だった。





沙織によると、生活を支援していて今回の縁談話を持ち掛けてきたおじさんの一人娘との事だった。





「南戸唯といいます。本来なら父が直々にお伺いして謝罪するところですが、今回の件で父もショックで寝込んでしまい、母も付き添いで・・・」





情けなさと恥ずかしさが唯の表情から伺える。





「父と議員の先生は昔からの付き合いで、先生は父の自慢でもあったんです。地元で先生は大きな権力を持ってて意見する人もいなくて・・・そんなの言い訳にしかなりませんが、悪気はなかったんです。本当にすみませんでした」





この場には奈緒の両親に真緒も同席したが、何も言わず優しい笑顔で唯と沙織を許した。





ただ秀一郎は、





「いくら立場上辛くても、桐山に縁談を持ち掛けたのは常識的にどうかと思う」





と苦言を呈した。





それを受けた唯は、





「それも反省しています。それに沙織ちゃんと将来の事を話しました。こちらからの押し付けでなく、沙織ちゃんの夢を、沙織ちゃんの意志を優先して支えていきます」





と、はっきりと言い切った。





その言葉と唯の態度を受け、ずっと硬かった秀一郎の表情が少し柔らかくなった。





その後は打ち解けていろいろと雑談をし、この南戸唯という女性についてはいろいろ驚かされた。





見た目と雰囲気から大学生くらいに見えたが、実年齢はそれより上でもう社会人であること。





さらに高校時代は比較的近所に住んでいて、幼馴染が泉坂高速出身との事だった。





奈緒の家を出た後、当時世話になった幼馴染の家に顔を出すとの事で、ひとりで帰っていった。





「じゃあ桐山先輩はあたしが送ります」





と真緒が言い出し、胸の仕えが取れた沙織は真緒と一緒に笑顔で小崎家を後にした。





「桐山も思ったより元気そうでよかった。あと、真緒ちゃんとすっかり仲良くなったみたいだな」





「お姉ちゃんも本が好きで、なんかその辺で波長が合うみたいね。はあ・・・」





ため息を付く奈緒。





「そんなに桐山を毛嫌いするなよ。お前が思ってるより全然いい子だぞ」





「いい子だから嫌なの」





「は?」





「だってあの桐山さん、綺麗だしスタイルいいし頭いいしおしとやかなんて完璧じゃない。あたしには無いものみんな持ってる。なんか悔しいし劣等感あるのよ」





少し頬を赤くしてそう漏らした。





それを見た秀一郎は少しおかしく感じて自然と笑ってしまった。





「な、なによお〜!」





当然だが奈緒は膨れる。





「いや悪い悪い。お前がそんな風に感じてたのが意外でさ」





「あたしは結構一生懸命なんだから!今回も秀にいっぱい助けてもらったから頑張らなきゃって思ってるの!」





「そうか。でもその気持ちだけで充分だ。さっきも言ったけど、奈緒は奈緒なんだからな」





奈緒の頭にぽんと手を置いた。





「うんっ。でもあたし頑張るからね!」





にっこりと微笑む奈緒。





事件後初めて、奈緒に奈緒らしい笑顔が戻った。


[No.1519] 2009/08/30(Sun) 05:34:29
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秀一郎たち高校生は夏休み。





一ヶ月以上の長い休暇の真っ最中にいた。





学生の夏休みの過ごし方は様々である。





遊び倒す者。





勉強に励む者。





部活動、スポーツに打ち込む者。





いろいろである。





秀一郎は宿題を早々に片付けて、バイトに励んでいた。





「佐伯くん、よく働くねえ」





所長の峰岸が笑顔で褒めると、





「一応目標ありますから」





と、こちらも元気に答えた。





「佐伯くんは車が欲しいんだったよな」





「免許の金は親が出してくれますが、車は自分の金で買うことになってます。だから今から貯金してます」





「もう車種とか決めてるの?」





「その辺はまだ考え中です。奈緒の親父さんが車関係の仕事してますからいろいろ聞いてますけど、悩みますよね」





ここで田嶋が、





「佐伯くん、貯金もバイトに励むのもいいけど、ちゃんと彼女構ってあげてる?寂しい思いさせちゃダメよ」





と釘を刺してきた。





「大丈夫です。明後日からあいつも一緒に友達集まって旅行行きますんで。だからその前に宿題片付けるように言ってあります」





「彼女は宿題やらないの?」





「終わりになってから慌てるタイプですね。去年までは姉のを丸写しでしたけど、今年は学校違うからその手は使えないんで。まあ苦労してるみたいです」





苦笑いを浮かべる秀一郎。
















時計は昼の直前を指している。





事務所の扉が静かに開いた。





「こんにちは〜」





トートバッグを下げた奈緒が姿を見せた。





「いらっしゃい。毎日ご苦労様」





笑顔で迎える峰岸。





「おっす、ちったあ進んだか?」





「また壁にぶつかった。だからまた教えて」





と、トートバッグを押さえる奈緒だった。





奈緒はほぼ毎日、秀一郎のバイト先に弁当を届けていた。





昼休みの時間に一緒に食事をして、たわいもない話をして、宿題を教えてもらったり。





それが奈緒の選んだ夏休みの日常だった。





トートバッグにはふたり分の弁当と奈緒の宿題が入っている。





宿題はほぼ毎日持って来ている。





要所は秀一郎の力を借りないと乗り越えられないのが実情だった。





「しっかしお前大丈夫か?そんなんで学校の授業ついてけてんのか?」





奈緒の出来の悪さに不安になる秀一郎。





「大丈夫よ。今回の宿題がやけに難しいだけよ。これでも学年二桁の成績で通知表も悪くなかったんだからね」





と奈緒は得意げに言った。





実際に見せられた通知表は優秀な数値が並んでいたのを思い出しつつも、





「学校の違いってデカイんだな」





とボソッと呟いた。





ふたりはこのビルの最上階にある休憩室に向かった。





そこそこ眺めがよく、落ち着いた雰囲気なのでふたりの昼休みはいつもここである。





秀一郎はいつものように休憩室の扉を開けた。











「だから俺はもう撮らないって言ってるだろ!」





どこかで聞いたことのある声が届いた。





ふと目を向けると、秀一郎の先輩でこのビルに入っている商社に籍を置く真中淳平の姿があった。





「そこを何とか頼む!とにかく一度会ってみてくれ。それから考えてくれればいいから、なっ?」





もうひとり、淳平に頼み込む男がいた。





スーツ姿の淳平とは対象的に、とても軽い服装が印象的に見えた。





淳平と目が合う。





「お、お疲れ様です」





「あっ、ごめんね騒いでて。俺ももう出て行くからさ」





淳平は秀一郎には普段の優しい笑顔を見せた。





一緒にいる男も秀一郎に目を向ける。





「おい真中、誰だよ?」





「ここの弁護士事務所でバイトしてる佐伯くんだ。俺たちの優秀な後輩だよ」





「それはこっちの野郎だろ。俺は男なんか興味ない。あの女の子のことを聞いてんの!」





「へっ、あたし?」





目をパチクリさせる奈緒。





「俺もちょくちょく目にしてたから気になってたけど、実はよく知らない。えっと、佐伯くんの友達?それとも彼女?」





淳平に聞かれて、





「あの、彼女です。一応」





少し照れながら答えた。





「なによ秀、一応ってなんなの?」





ムッとする奈緒。





「は?」





「なんかそう言われると別に本カノがいるように聞こえる。あたしは所詮一応ってわけだ」





「なっなに言い出すんだよ?一応ってのはな、えー・・・」





秀一郎は奈緒の思わぬ突っ込みに少し慌て、





「はは。それはね、君が佐伯くんにとってとても大切って言うか、眩しいからそう出ちゃうんだよ」





淳平が奈緒に笑顔でフォローを入れた。





「え?」





「男ってさ、どんなにれっきとした恋人でも、相手が自分には不釣り合いなくらいにいい子だと劣等感みたいなものが出て、つい一応って言っちゃうんだ。それだけ君が素晴らしい女の子ってことだよ」





「そうなの?」





一気に上機嫌になり、目を嬉々として声を弾ませる奈緒。





「ああ、まあ、そう言うことにしておこう、でも付け上がるなよ」





「へへっ、なんだ秀ってもしかして照れてる?」





「なんだよ、悪いか?」





「んーんー、別にっ!」





淳平の機転で奈緒の機嫌は一気に回復した。





「ところで真中先輩、そちらの方は?ひょっとして俺の先輩ですか?」





「ああ、高校の同級生の外村だ。こいつも君の先輩になるな。今は芸能プロダクションの社長をしている」





「どーも」





外村は軽く手を挙げた。





「ところでそっちの彼女、結構かわいいよね。ひょっとして見込みあるかもよ」





「えっ、それってスカウトですか?」





さらに目を輝かせる奈緒。





「まだ原石だけど、磨けば光るかもね。そうだな、真中に撮ってもらえばいい画になるかもな」





「だから俺は撮らないって言ってるだろ!」





「撮るって、そう言えば真中先輩って以前そういう仕事されてたんですよね?」





秀一郎は以前の淳平との話を思い出した。





「ああ。特に女の子を撮らせたらピカ一だ。今でもな。だから今ウチから売り出す女の子をこいつに撮ってもらおうと社長自ら頼みに来たんだよ」」





「えっ、真中先輩、それって凄くないですか!」





驚く秀一郎。





だが淳平はあくまで不満顔で、





「それは過去の話で俺は今は商社のサラリーマン。もう仕事で映像に関わる気はないんだ」





「そんな堅いこと言うなよ。まだ真中なら現役で通用するぜ!だから頼むよ!」





乗り気でない淳平を持ち上げてその気にさせようとする外村。





ここで休憩室の扉が開いた。











「ダメよ外村くん、無理強いはよくないよ」





とてつもない美女が表れた。





「げっ、東城、なんでここに?」





一気に顔色が悪くなる外村。





ここで奈緒と秀一郎が小声で盛り上がる。





「ねえ秀、あれって小説家の東城綾だよね!初めて生で見た!凄い美人!」





「ああ、テレビや雑誌じゃ見たことあるけど、俺も生は初めてだ。この人も泉坂の先輩なんだよな確か」





思わず見とれる秀一郎。





綾は淳平の側に寄り、





「これから淳平と一緒にお昼の予定だったんだけど、外村くんもどう?」





と、とても魅惑的な笑顔を見せた。





だが外村は、





「いや、遠慮しとこう。せっかくのふたりの時間を邪魔したくないし、またキッツイ言葉を喰らいそうだからな」





魅惑の奥にある危険を察知したかのようにそそくさと引き上げる。





そして扉に手をかけたとき、





「あ、そうだ真中、お前つかさちゃんのブログ知ってるか?」





思い出したように尋ねてきた。





「それってフランス語のやつだろ。存在は知ってるが俺は日本語と英語しか解らんからな。だからチェックはしてない」





淳平は素っ気なく答えた。





「今は翻訳サイト使えば何とかなるけどな。まあそれはいいとして、彼女近々日本に帰って来るらしいぜ。ブログにそう書いてあった。じゃあな」





外村は言うことだけ言うとそのまま帰って行った。





淳平は複雑な表情を浮かべていた。





「淳平、あたしたちも行きましょう」





そんな淳平に優しく微笑みかける綾。





全てを察しているかのような笑みだった。





「あの、おふたりって恋人同士なんですか?」





ここで奈緒が好奇心満々の目で問い掛ける。





すると綾は幸せそうな笑みを見せ、





「そうだよ。淳平はあたしにとってかけがえのない人よ」





と、サラっと答えた。





「じゃあ俺たちも行くよ。佐伯くんまたな」





淳平は少し照れながら、綾を連れて休憩室から出て行った。





「わあ凄い!こんなとこであんな超有名人に会うなんて思わなかった。しかも恋人と一緒なんて、なんか凄いものを見た気がする」





テンションの高い奈緒。





「俺も驚いたな。まさか真中さんの恋人があの東城綾とはね」





「あの真中さんって凄いね。美人小説家が恋人で芸能プロダクションの社長と知り合いなんだよね」





「しかも三人とも泉坂の先輩だ」





「秀ってなにげに凄い学校行ってるんだね。ひょっとしたら将来有名になるかもね。あっでもあたしのほうが有名になっちゃうかも、なんてね」





「なんだよお前さっき声かけられたのがそんなに嬉しいか?そもそも芸能界なんて興味あるの?」





「そんなの意識したことなかったもん。なんか別世界って感じかな。でも少しだけやってみたい気がする」





「まあいろいろ厳しいらしいからお前には合わないと思うぞ。それより早く飯にしてお前の宿題を片付けちまおう」





「うんっ!」





近くの席に着き、奈緒はトートバッグから弁当箱を取り出した。





(さっきの真中先輩、なんか・・・)





幸せいっぱいの笑みを浮かべていた綾に対し、淳平はどこか複雑で繕ったような笑みだったのが少し気になる秀一郎だった。


[No.1521] 2009/09/06(Sun) 06:58:27
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「わあ、きれいな砂浜だね〜」





「なかなかいい場所じゃないかよ」





「へへっ、いい所でしょ。さあ明日から存分に遊び倒そう!」





「おーっ!!」





男女10人の活きの良い声が響いた。










夏休み前、





「みんなで遊びに行くわよ!」





里津子が元気よく音頭をとる。





秀一郎たち男子5人組と里津子たち女子3人組が夏休みに海に遊びに行くというプランが持ち上がった。





電車で半日ほどの場所で、旅館は里津子の親戚が経営しているので格安、さらに地元の夏祭りと花火大会が楽しめるというなかなか豪華な内容である。





「なかなかいいプランだと思うけど、男5人に女3人ってのがなあ。どうせなら男女5人に出来ない?」





男子のひとりがそう言い出した。





すると里津子は自信満々の笑みで、





「大丈夫、そのあたりは抜かりないよ。ウチら3人に加えて1年の女子ふたりが頭数に入ってるから。双子のかわいい子だよ」





男子から歓喜の声が上がる。





(ん?双子?)





秀一郎は何か引っ掛かるものを感じ、





「おい御崎、その双子ってひょっとして・・・」





と尋ねると、





「そうだよ、真緒ちゃんと奈緒ちゃん。佐伯くんは彼女とラブラブ旅行ってわけ。うらやましいなあ」





実は先日の秀一郎の貸し出しの時に里津子と奈緒の間で今回の旅行が取引条件となっていた。





奈緒と真緒のふたりは格安のプランからさらに値引きという特別待遇を得ていた。





それをこの場で里津子から聞かされた秀一郎は、





「あいつ、ちゃっかりしてんなあ。でも大丈夫か?まだ凹んでるぞ」





呆れながらも恋人を気遣う。





この頃の奈緒はまだ事件のショックを引きずっており、学校にも行けずに自室に閉じこもったままだった。





里津子もその辺りの情報は耳に入っていたが、





「奈緒ちゃんと旅行の件でメールやり取りしてるけど、それまでには復活するって返って来たよ。行く気満々みたいな感じ。でも少し心配だから旅行までにちゃんと彼女フォローしてあげてね佐伯くん!」





特に心配していないようだった。





そしてその通りになり、集合場所に集まったときの奈緒はとても元気よくはしゃいでいた。





その様子を見てホッとしつつも、奈緒のタフさを感じた秀一郎は少し複雑だった。





奈緒は基本的にはあまり人見知りせずに積極的に話すほうなので、道中でこの場で初顔合わせとなる面々ともすぐに打ち解けて盛り上がっていた。





ただ、沙織と話す場面をほとんど見なかったのが少し気になったものの、こちらは真緒が相手をしていたので気まずい雰囲気を感じることはなかった。





それよりも秀一郎と奈緒は参加者で唯一の恋人同士なので、男女問わず様々な質問攻めの対応に追われてあまり気が回っていなかった。





目的地に着いた頃、秀一郎は綺麗な夕焼けに少し感動しつつも少し気疲れを感じていた。





「センパイ、少しお疲れですか?」





真緒が秀一郎のそんな様子に気付いて優しく声をかけてきた。





「ああ、ちょっとね。けど今夜休めば大丈夫だよ。真緒ちゃんもありがとうね。桐山の話し相手になってくれて」





「いえそんな、あたしは普通に桐山先輩と話をしてただけですよ」





「いや、桐山ってこういうみんなでワイワイ楽しむのが苦手みたいに聞いてたから、ちょっと気にしてたんだよ。それに奈緒とは相変わらず折り合い悪そうだし」





「でも、それは仕方ないんじゃないですか?」





「えっ、なんで?」





真緒がそう返して来るとは思わなかったので思わず聞き返す。





真緒は笑顔の中に少し悲しさが感じられるような笑みで、





「センパイって鈍いところありますよね」





と、小さな声で言った。





「えっ?」





「それに、周りに気を遣い過ぎだと思いますよ。それはセンパイのいい面なんですけど、もう少し自分の気持ちに正直になってもいいと思います」





「真緒ちゃん?」





秀一郎は真緒の言葉の意図が掴めない。





「何でもないです。気にしないで下さい。ほら、みんな先に行ってます。あたしたちも行きましょう」





真緒は先を行く友人たちを指し、いつもの笑顔で後を追う。





(女の子って、よくわからん)





秀一郎は首を軽く振り、真緒に続いた。










旅館はかなり立派な建物で中の造りも純和風、いかにも高そうな雰囲気が感じられた。





事前に聞いていた金額では完全に足が出る気がしたので、





「おい御崎、マジであの金額でいいのか?」





と思わず聞き返してしまった。





それを受けた里津子は至って余裕の笑みで、





「大丈夫大丈夫。あ、でもオフレコにしておいてね。ホント特別金額だから」





と小声で返すと、フロントに手続きに向かった。





秀一郎は金額から場末の民宿に毛が生えた程度だと思っていたので少し驚いていた。





他の面々も同じように感じているようで、キョロキョロと見回している。





「えっ、そうなんですか?どうしよう・・・」





突然、里津子が困ったような声をあげる。





「どうした?」





「あ、佐伯くん、実は予定してた部屋が埋まっちゃったんだよ」





「なんで?」





「実は安い料理の理由で、空き部屋を使うんだよ。でも5人泊まれる大部屋って滅多に使わないからそこを2部屋使う算段でいたんだけど、今日は団体さんが入って埋まってるんだって。で、空いてるのは4人部屋がふたつとふたり部屋がひとつ」





「4人部屋になんとか5人入れないのか?」





その問いにはフロントの女中が、





「すみません、お布団敷けないんです」





と申し訳なさそうに答えた。





「ってことは、この面子を4、4、2に分けるのか」





秀一郎と里津子は揃って全員を見回して、揃って困り顔を見せた。





「なんで悩んでるの?普通に分ければいいじゃない」





ここで秀一郎の隣で事情を聞いていた奈緒が至って普通の顔でそう言ってきた。





「お前なあ、普通ってどう分けるんだ?」





「だから、」





奈緒は秀一郎の側を離れると、





「こうと、」





秀一郎以外の男子4人を集め、





「こうと、」





自分以外の女子4人を集め、





「こう」





自分は秀一郎の腕を取った。





「ええ〜っ!?」





奈緒以外全員が驚きの声をあげる。





「ちょ、ちょっと奈緒ちゃん、いくら恋人同士でもそれは・・・いいの?」





そう尋ねる里津子の頬は少し赤い。





だが奈緒はケロッとした顔で、





「この状況ならこれが無難でしょ。男女一組同室になるならあたしらが同じ部屋が自然でしょ。同じ部屋で一晩過ごすのは慣れてるしね」





(お前、この状況でこんなことをサラっと言うなよな)





秀一郎は奈緒の神経の図太さに呆れつつ、他の面々からの視線が痛かった。





「でもこの中で他に男女ペアで一緒に過ごしたい人がいるならそれでもいいけど、どう?」





本気で皆にそう聞く奈緒に対し、





(お前はどういうつもりかわからんがこの状況でそんなこと言える奴なんて・・・)





いない、と心の中で突っ込もうとした秀一郎の前で、





「はいっ!俺!奈緒ちゃん以外の女子となら誰でも・・・ゲホァッ!?」





奈緒が正弘の顔面目掛けて自分の旅行鞄を正確無比に投げ付けたのを見て、





「あんたみたいなド変態エロ野郎なんかと一晩過ごせる女子なんているわけないでしょ!」





奈緒のいつものキツい言葉を聞きながら、





(若狭、お前って奴は・・・)





友人の言動に心底呆れていた。





この奈緒の行動が皆にかなりのインパクトを与えたようで、その後は奈緒に意見する者は誰もいなかった。





その後部屋に別れてひと風呂浴びたが、これまた立派な大浴場だったので驚かされ、





さらに広い座敷に並べられた夕飯も充分に豪華で立派なもので、相当リッチな気分を味わえた。





とにかく皆はこの旅館を用事した里津子に感謝しまくりで、里津子自身は鼻高々の様子だった。





風呂から出て腹が満たされると一日の疲れが出るようで、まだまだ若い面々だが長い長距離移動にその間は高いテンションを維持していた反動で半数ほどが疲れの色を表していた。





それで翌日に備えて早く休もうということになり、それぞれの部屋に解散となった。





「ふう、疲れたな」





奈緒とのふたり部屋は他の皆との4時人部屋とは離れたフロアにあり、どこか静かに感じる。





「ねえ秀、電気消してこっち来てよ」





奈緒が窓際のテラスから呼ぶ。





秀一郎は言われたままに明かりを消し、奈緒の側に寄った。





「へえ、綺麗な眺めだなあ」





「でしょ?」





夜の海。





美しい白浜と穏やかな波。





その先には港と思われる小さな光が瞬いている。





「なんかロマンチックだね。秀とふたりっきりでこんな景色、夢みたい」





奈緒はうっとりとして秀一郎の肩に小さな頭を寄せる。





秀一郎は奈緒の肩を抱き寄せた。





「あたし、今日はちょっと疲れた。なんかひとりだけ完全アウェーじゃない。余計な気を遣った感じがする」





「御崎たちとやたらハイテンションだったが、無理してたのか」





「うん、ちょっとね。やっぱり知らない人相手って疲れるよ。こうして秀と一緒にいられると落ち着くんだ。だから今夜はいっぱい甘えさせてね」





「おいおい、いくら違う部屋ってもみんないるんだぞ」





「そんなの関係ない。今はふたりっきり。しかもいつもとは違う場所。なんか素敵じゃない。それにみんなの前だからって遠慮はしたくない。堂々といつものようにして欲しい。じゃないと逆に不自然。だから秀もまわりは気にせずいつも通り・・・ううん、いつも以上にして欲しい」





甘い声でねだる奈緒。





秀一郎も若かった。





奈緒の甘い誘惑には逆らえない。





奈緒を抱き寄せ、そっと唇を重ね合わせた。


[No.1523] 2009/09/13(Sun) 08:02:01
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「ん・・・」





部屋が薄明るい。





(朝か・・・)





普段の目覚めとは景色が異なることに違和感を覚え、これが旅行先での目覚めだと気付くのに少しかかった。





そして自分の腕の中に感じる、暖かく心地よい感触。





「・・・」










一糸纏わぬ奈緒が静かな寝息を立てていた。





何も身に付けていないのは秀一郎も同じ。





奈緒を起こさぬようそっと静かに布団から出ると、簡単に衣服を身につけてカーテンを少し開けた。





よく晴れた朝だった。





快晴で波も穏やか。





絶好の海水浴日和になりそうだ。





(ん?)





下の庭で見覚えのある人影があった。





ふと時計を見る。





(6時半前。もうこんな時間に起きてるのか)





少し驚きを覚えた秀一郎は物音を立てぬよう簡単に身なりを整え、部屋を出た。





(やっぱり)





裏庭で軽い運動をしていたのは見慣れた小柄な女の子。





「真緒ちゃん」





「あ、センパイ、おはようございます」





Tシャツにショートパンツ姿の真緒の笑顔があった。





「おはよ。真緒ちゃん早いね」





「センパイもですよ。いつもこんなに早起きなんですか?」





「いや、なんか早く目が覚めてさ。旅行先ってそうならない?」





「あ、あたしもそうですね。でもセンパイはたぶん夜更かしだろうからここにいるのが意外です」





「なんで夜更かしなの?」





秀一郎は一言も言っていない。





奈緒は少し恥ずかしそうに、





「だって、奈緒とふたりきりの夜ですよね。どうなるのか誰だって予想つきますし、そうなるのが普通です」





ぽつりとそう漏らした。





思わず秀一郎も赤くなる。





「あ、あの、そりゃまあそうだけど、まあ実際そうなったし・・・けどちゃんと寝たよ」





否定はしなかった。





「じゃ、センパイ、軽く付き合ってもらっていいですか?」





「え?」





笑顔の真緒はミットを差し出した。





パアン!





パン!





パン!





広い裏庭にミットの音が響く。





真顔の真緒が秀一郎に鋭いキックを入れ、秀一郎は必死にそれをミットで受け止めていた。





真緒の不規則な動きは相変わらずで、気を抜くとキツい一発が来るのは必至だった。





ミットでキックを受けつつ、真緒の動きから次の軌道を予測しながらかわしていく。





何度も手を合わせた秀一郎だからなんとかなっていた。





だがキックを受けながら、これが真緒の本気でないことを感じていた。





「ふう、センパイもだいぶ動けるようになりましたね」





一息ついて、真緒が笑顔を見せる。





「真緒ちゃん、今ので何パーセント?」





「うーん、60パーセントくらいですね」





「やっぱりね。たぶん全開じゃないとは思ってたけど」





「あくまでリズム重視ですから。センパイを倒すのが目的ではないので」





「なるほどね。けど真緒ちゃんの全開に対応出来る奴ってどんな化け物なのかな。俺じゃ歯が立たんよ」





軽く息を付く秀一郎。





「じゃあ、試しに全開、受けてみます」





「えっ?」





「一発だけです。センパイ構えててもらえませんか?」





真緒は秀一郎にミットの位置を細かく指示した。





大体左の腰あたり、空手では中段の位置で、しかも片手用のミットにもうひとつの手を添えて構える。





少し離れた位置で真緒が腰を落とす。





「じゃ、センパイ、行きます」





凜とした真緒の声が届くと、秀一郎の身が引き締まった。





真緒が速い速度で向かってくる。





そして、





(消えた?)





一瞬、視界から消えたように感じた。





その直後、有り得ない位置まで真緒は接近していた。





まるでワープしたかのように。





自然と背筋が凍る。





本能が危機を察知する。





秀一郎はさらに気を引き締めて、両手で支えるミットに力を込めた。





ズドォン!!





今までの軽い音とは異なる、低く響く音が出た。





同時に秀一郎の両手から全身に強烈な衝撃が伝わる。





今まで真緒の蹴りは何度も受け止めてきたが、この一発は明らかに桁違いの威力だった。





「いったあい!やっぱこれはまだ無理だあ」





蹴りを入れた真緒が左膝を抱えてうずくまる。





「真緒ちゃん、今のは?」





「新しいタイプの蹴りです。あたしってどうしても一発の威力が弱いから、それをカバー出来る強さの一撃を考案中で今のはそのプロトタイプです。でも強すぎてあたしの身体が耐えられ

ないんです」





この説明で真緒が軸足の左膝を押さえている理由がわかった。





「けどすげえよこれ。完全に男の蹴りと同等か、それ以上じゃない?しかも速さは今まで以上だし」





「今までのステップに加えてもう一回、もう一段強く踏み込むことで威力を出してます。あたしはダブルステップって呼んでます」





「なるほど、ダブルステップね」





真緒が一瞬消えてワープしたかのように感じた理由が何となくわかった気がした。





真緒はなんとか立ち上がったが、姿勢から左膝をかばっているのがわかる。





思わず手を貸したくなるが、真緒はこういうときに手を差し延べられるのを嫌うので敢えて言わない。





「じゃ、そろそろ戻ろうか。その足を休ませないと」





「はいっ」





真緒は元気な笑顔を見せた。





ふたり揃って玄関に戻ると、





「おおっ、これは朝から意外な組み合わせだね」





里津子がいた。





「なんだ御崎か」





「御崎先輩、おはようございます」





「おはよっ!いや〜佐伯くんやるねえ!」





「なんだよ?」





朝からやけにテンションが高い里津子の言葉がひっかかる。





「昨夜は妹とあっつ〜い夜を過ごして、朝は姉と登場なんて、なんかすごいプレイボーイみたいだよ」





「誤解を招くようなことを言うな。ただ真緒ちゃんが朝練やってるのが見えたから顔出しただけだ」





「だってえ、奈緒ちゃん」





(ん?)





里津子の後ろに奈緒が立っていた。





傍目にはかなり眠そうに見える。





「なんだもう起きたのか?でもまだ眠そうだな」





「目が覚めたら秀がいなかった。ちょっと寂しかった。秀がどっかにいっちゃうかと思って」





悲しそうな顔を見せる。





「なに言ってんだよ」





秀一郎は奈緒の頭にぽんと手を置いた。





「俺はどこにも行かない。ここにいる。奈緒の側に、な」





「うん・・・」





「まだ目がはっきりしてないな。シャワーでも浴びてこいよ」





「部屋にあるからそれ使う。秀も行こ」





奈緒が手を出してきた。





秀一郎は優しくその手を繋ぐ。





それでようやく奈緒は幸せそうな笑みをこぼした。





「じゃ、御崎に真緒ちゃん、後でな」





秀一郎と奈緒は手を繋いだまま自室に戻った。





「はあ〜。しっかし仲がいいって言うか、奈緒ちゃんベッタベタだね〜。あそこまでされるといやらしさなくて気分いいよ」





「奈緒ってセンパイと一緒だった翌日はいつもああです。ホント心の底から甘えてて。なんか羨ましいです。あたしには出来そうにないですから」





(ふふーん)





寂しそうな真緒の表情を見逃さない里津子だった。











陽が昇り、強い日差しが照り付ける。





砂浜には程よい感じで海水浴客が賑わっていた。





「いいねえいいねえこの感じ!海に来たって実感するよ!」





「は〜楽しみだなあ女子たちの水着姿!ウチの学校は水泳の授業ないもんなあ」





着替えの早い男たちは胸を高鳴らせている。





「なあ、佐伯は自分の彼女の水着姿見てんのか?」





「いや、姉妹揃って今年新しい水着を買ったとは聞いてたけど、どんなものかは全く知らん」





「そうか、佐伯も楽しみってわけだ!」





「でもよお、佐伯にゃ奈緒ちゃんの水着姿ってあんま価値ないような気がする」





「なんだよそれ?奈緒が聞いたらまたシバかれるぞ?」





また正弘が余計な一言を言わないように忠告しようとしたとき、





「お待たせ〜」





里津子の元気な声が届いた。





「おおっ!?」





普段は制服姿のクラスメイト3人の新鮮な姿だった。





カラフルな水着に身を包んで魅力度は5割増しのように感じる。





特に、





「桐山いいねえそのビキニ!スタイルいいし最高だよ!」





沙織の水色のチェック柄の水着はさほど目立たないが、沙織のスタイルの良さを引き立てていた。





「俺マジで来てよかった」





「桐山いいな〜」





他の男連中も沙織に見とれている。





正弘は少し暴走気味で、





「桐山、さあどこ行こうか?とにかくこのビーチで放っておいたらナンパの餌食になるから常に俺が側にいるよ、うん!」





どさくさ紛れに沙織の手を握り、さらに肩まで抱こうと手を延ばす。





沙織はただうろたえていた。





バコッ!





そんな正弘に大きなイルカ型の浮輪が上から振り落とされた。





「イッテエな!」





「どさくさ紛れになにやってんのよこのエロ変態!あんたのほうがよっぽど危ないわ!」





黒ビキニに身を包んだ奈緒が目をつりあげていた。その傍らには真っ青な競泳用っぽい水着姿の真緒のスレンダーな姿があった。





「むう!」





正弘の目が血走る。





「な、なに?」





そんな正弘にひきつる奈緒。





「お前なあ、いくらなんでも黒ビキニはどうかと思うぞ」





ここに秀一郎が割って入ってきた。





「なによ、秀は不満?」





「そうじゃないけど、お前もっとファンシーなのが好みだろ?なんか背伸びしてるみたいだぞ」





「背伸びって失礼ね!あたしは大人っぽくしたかったのよ。かわいいのは好きだけどそれじゃお子様っぽくなるから、こーゆーシックなのにしたんだから」





「なるほどねえ」





奈緒の言いたいことがわからないわけではなかった。





「テッメエ!佐伯ぃ!」





今度は正弘が秀一郎の首に腕を絡めてきた。





「なんだよいきなり?」





「奈緒ちゃんって幼児体型だと思ってたがメッチャ着痩せするじゃねえか!出るとこはしっかり出てるしなんかエロいぞ!お前はあんな身体を独り占めしてんのか!」





正弘は殺気立っている。





「お前、ちょっと落ち着け」





「あんたって奴はホント煩悩まみれね・・・」





背後で奈緒も殺気を立てる。





ただ、今日はいつもの正弘とは違っていた。





普段なら奈緒に恐れを見せるが、今日は憤然と立ち向かう。





「ええい俺は負けんぞ!モテない男の怒りを今日こそぶつける!全員続けー!」





正弘の掛け声に応えた男4人が一斉に集まり、秀一郎を担ぎ上げた。





「行っけえええ!」





そのまま波打ち際に駆け込み、秀一郎の身体を海へ乱暴に放り込んだ。





ザッパーン!





「よ〜し、あたしらも行くぞ!」





ここで里津子が悪ノリし、女子4人集めて奈緒を持ち上げた。





「ちょ、ちょっと、お姉ちゃんまで!」





慌てる奈緒。





「そおっれえええ!!」





秀一郎の隣目掛けて投げ込まれた。





「きゃあああ!?」





ザッパーン!





「あははははは!!!」





若者の楽しい笑い声が天まで抜ける。





夏が始まった。


[No.1526] 2009/09/20(Sun) 08:04:03
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夏の日差しが照り付ける。





国産車ディーラーの自動扉がスッと開いた。





「いらっしゃいませ。あ、西野さん」





サービスフロントの女性が笑顔で迎える。





「こんにちは。ウチの子の整備終わってます?」





「はい。ただいま用意しますので少々お待ち下さい」





そして、ブルーのスポーツカーが横付けされた。





つかさから笑みがこぼれる。





Z34型フェアレディZ。





日本国内でのつかさの愛車だった。





「ありがとうございました」





フロントの女性が笑顔で見送る中、つかさは愛車に乗ってディーラーをあとにした。





「へえ、Zに美女か、絵になるな。でもあんな美人ウチのお客にいたっけ?」





店長らしき人物が顔を出してきた。





「西野さんは普段はフランスで、たまに日本に帰ってくるときに足として使うんです。だから普段は置いたままなんでこうして帰って来ると整備に出すんですよ」





「なるほどね。道理で記憶にないわけだ。けど乗りっぱなしのお客が多い中で、あの子はしっかりしてるねえ」





つかさに好印象を抱く店長だった。











舞台は再び田舎の海沿いの町へ。





陽もすっかり落ちた闇の中で、色とりどりの光が舞い散る。





「きゃあきゃあ!」





「あはははは!」





浜辺で秀一郎たちは花火を楽しんでいた。





一日海で遊び切ったが若い身体は疲れ知らずで、ハイテンションを保っていた。





火薬の匂いと潮風が心地よい。





夏だと実感していた。





奈緒が正弘にロケット花火を向けている。





逃げる正弘に追う奈緒。





それを一同が笑いながら眺めている。





奈緒はこの中で末っ子的な立場になり、わがまま言い放題だった。





秀一郎的にはちょっとわがままが過ぎるかなと感じてはいたが、ほとんどの面々がそれを楽しんでいるようなので静観していた。





その被害を大半は正弘が被っていたのは少し心苦しくはあったが。





ただそれよりも、





「桐山、楽しそうだな」





沙織が笑顔を見せていたことが嬉しかった。





「うん、楽しいよ。でも奈緒ちゃんってホント純粋でいい子だね。天真爛漫って感じ」





「まあ、わがままばっかで申し訳なくはあるけど、根は悪くないんだよ。もう少し自重して欲しいけどな」





「でも、あれが奈緒ちゃん本来の姿でしょ?」





「まあ、な」





苦笑いを浮かべる秀一郎。





「あたし、気にしてたんだ。この前の件で奈緒ちゃん傷つけちゃった。そのせいで笑えなくなったらどうしようって」





「桐山がそこまで気にすることはないよ。あれは仕方のないことだったし、それにもう済んだことだ。ああして奈緒も立ち直ってるからさ」





「ありがとう、佐伯くんって優しいよね」





「そ、そうかな?」





沙織に笑顔を向けられて思わず照れる秀一郎だった。











「お、リツじゃねえか」





聞き慣れない男の声が届く。





気になって目を向けると、里津子に3人組の男たちが声をかけていた。





暗くてよく見えないが、それでもあまりガラはよさそうではない。





しかも里津子はかなり嫌悪感を見せている。





隣の沙織の表情も曇る。





嫌な感じがしたので、里津子の側に寄った。





「御崎、知り合いか?」





「まあ、一応ね。こんな奴を知ってるなんて忘れてたいけど」





刺のある里津子の言葉から相当嫌っているのがわかる。





「おいおいつれないなあ里津よお!昔は楽しくツルんでたじゃねえかよ!」





男のひとりが突っ掛かかってきた。





「それは大昔の子供の話よ。あんたとあたし、もう交わることはないしあたしは近寄りたくもないし友達に知られたくもない。あたしはあんたが嫌いなの。わかった?ならさっさと消えなさ

い」





冷たくあしらい、男たちに背を向ける。





「おいおい、久しぶりだってえのに、随分冷たいじゃねえかよ」





男が里津子の肩を掴んだ。





里津子の顔が歪む。





さすがに我慢ならずに、その男の手を掴もうと腕を伸ばす。





だが秀一郎の腕が届く少し前に、別のか細い手が男の手首を掴んだ。





「痛え!」





男から悲鳴が出る。





「ちょっと馴れ馴れし過ぎます。それとも痴漢で訴えましょうか?」





真緒が、怒りが込められた眼差しで男の手首を締め上げていた。





「くそっ!」





男が乱暴に真緒の手を振り払うと、少し距離を取った。





「おい嬢ちゃん、あんた世間知らねえようだな!このまま帰さねえぞ!」





「少し痛い目見てもらおうか」





もうひとり男が出てきた。





ふたりで凄みを効かす。





それに対し、秀一郎と真緒が一歩踏み出た。





負けずにガンを飛ばす。





「へえ、お前らがやるってんのか?馬鹿じゃねえかこいつら?」





「後で詫び入れたいってのは聞かねえぜ!」





軽く笑い飛ばす感じの口調に変わった。





「真緒ちゃん、どうするこいつら?避けようがない気もするけど」





「口だけは達者のようですが、中身は伴ってないみたいですね。軽く揺さ振って様子を見ましょう」





「了解」





「へっ、逃げる算段か?逃がさねえぞ!」





「オラァ!」





男ふたりが向かってきた。





秀一郎、真緒がそれぞれ呼応する。





ふたつの影が交錯する。











「うっ?」





「げっ?」





うろたえる男たち。





秀一郎は男のパンチをかわして鼻先にクロスカウンターを、





真緒も背後に回って踵を男の首筋に、





それぞれ寸止めで入れていた。





「どうします?次は止めませんよ」





真緒が凄みを効かすと、男ふたりは一気に引いた。





「な、なんだこいつら・・・」





「ちくしょう、里津の奴・・・」











「ふっ、はははははっ!」





ここで、ずっと黙っていた3人目の男が突然笑い声をあげた。





「さ、桜田さんが・・・」





「ど、どうしたんすか?」





どうやらこの桜田という男がこの中のリーダーのようだ。





嫌な笑みを浮かべ、前に出てきた。





「どうやら久しぶりに楽しめる相手に出会えたようだな。ここいらじゃすっかり遊び相手がいなくてよお」





この男は前のふたりとは異なり、虚勢を張ったり威嚇するようなそぶりは見せない。





だが、物凄い威圧感があった。





ガタイもよく、素人目でもケンカが強そうに見える。





(こいつは、ヤバい。でも・・・)





こみ上がる恐怖を理性で押さえ込み、一歩踏み出した。





「おい、テメエに用はねえ。俺の相手は後ろの女だ」





「なに?」





男は冷たい表情で秀一郎を無視し、背後の真緒を睨んでいた。





そして真緒もそれに呼応する。





「センパイは下がっててください」





真緒も男を睨んだまま、秀一郎には目を向けずに一歩踏み出した。





「真緒ちゃん待て、きみが強いのはわかってる。けどあいつをひとりで相手にするのは厳しいよ」





「そうですね。気を抜いたら一瞬で終わるでしょう。でもそれは向こうも同じはずです。あたしは大丈夫ですから、センパイはみんなを頼みます」





止めようとする秀一郎にそう告げると、真緒は男の前に立った。





大柄の男と小柄な真緒。





明らかな体格差があった。





「お嬢ちゃん、あんたに怨みはねえが、これも何かの縁だ。タイマンでケリ付けようぜ」





「あたしもあなたに怨みはありませんが、避けようのない戦いのようですね。手を抜くわけにはいかないので、大きな怪我を負わせるかもしれません。その時は許して下さい」





「へっ、それは俺も同じだ。女だからって手加減はしねえ。けど気に入ったぜ。俺は桜田雄作だ。あんたは?」





「小崎真緒です」





「そうか、じゃあお互い自己紹介も終わったとこで、始めようぜ」





桜田が構えた。





真緒も構える。





空気が凍る。





秀一郎は静かに女子たちを集めて、その身を護るように前に立ち様子を伺う。





加勢したくても出来ない、真剣のタイマン勝負が、





始まった。













桜田が出る。





真緒も出た。





急接近する。





桜田の射程に入ったところで、正拳を放った。





だが真緒は素早くかわして懐に飛び込んだ。





外から見ると、異様な動きを見せる真緒。





たぶん桜田の視界からは消えているだろう。





真緒は速かった。





一瞬で桜田の背後に回り込み、





桜田が気付いたときには、





「はあっ!」





バキイイイッ!!





こめかみに強烈な回し蹴りを入れた。





その反動で桜田の身体は吹っ飛ぶ。





倒れたまま動かない。





「よしっ!」





秀一郎からも思わずガッツポーズが出た。





だが、





真緒は険しい表情を崩さない。





「随分と演技に長けているんですね。さっさと立ってください。あれくらいで倒れるあなたじゃないはずです」





(えっ?)





真緒の言葉に驚く秀一郎。





そしてその言葉を受けた桜田は、





「へへへっ、誤解するなよ。別に手加減したわけじゃねえ。俺は相手の一撃を喰らわないと調子が出なくてよ」





笑いながらゆらりと立った。





ダメージがあるようには見えない。





(な、なんて化け物なんだ。真緒ちゃんのあの蹴りを喰らって平然と立てるなんて・・・)






秀一郎は桜田にただならぬ脅威を覚えた。





さらに危機感も強くなる。





「行くぜ!」





桜田が飛び出してきた。





真緒も呼応する。





ふたりの真剣の組み手が展開される。





今度の桜田は速かった。





テンポよく動き、真緒の速度に対応しているように見える。





それを受けた真緒は少してこずっているように見えた。





「おい、女子はこの隙に逃げろ。ここは危ない」





秀一郎は背後の里津子にそう告げた。





「そんな、あたしのせいでこうなったんだよ。あたしのせいで真緒ちゃんが戦ってる。そんな真緒ちゃんを放って逃げるなんて・・・」





「気持ちはわかるがいまは堪えろ。真緒ちゃんが作ってくれてるこのチャンスを無駄にするな。ここは男に任せろ」





「そんな・・・でも・・・」





なかなか踏ん切りがつかない里津子。





「キャッ!お姉ちゃん?」





奈緒が悲鳴をあげる。





後ろを見ていた秀一郎もその声で目線を戻す。





「真緒ちゃん!」





嫌な光景だった。





桜田の一撃が決まり、真緒の身体が浮き上がっていた。


[No.1527] 2009/09/27(Sun) 09:06:52
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真緒の小さな身体が舞う。





そのまま倒れる・・・





かと思ったら、宙で体制を立て直し、綺麗に着地した。





苦しそうな表情で脇腹を左手で押さえてはいるが、膝は地についていない。





(かすっただけ?でもそんなんじゃあんな派手には飛ばない。何がどうなってんだ?)





交錯の瞬間を捕らえていない秀一郎は今の状況が掴めない。





「あはははは!ひゃーっはっはっはっ!!」





桜田の高笑いが届いた。





嫌な重圧が秀一郎にものしかかる。





「おい小崎よお、お前ホントに人間かあ?」





桜田は狂ったような笑みを見せている。





「俺の一撃を後ろに飛んでかわす奴なんて初めてだせ。女と拳交えんのも初めてだが女ってのはあんな動きが出来るもんなのかあ?」





(後ろに飛んだ?あれはあいつに飛ばされたんじゃなく、真緒ちゃん自身で飛んだのか)





それなら現在真緒が立っていられる状況も納得がいく。





だが、





(いくら真緒ちゃんでも、そんな動きが出来るのか?ケンカの真っ只中で)





にわかには信じ難い。





「こんな言い方は嫌いですが、たぶん、あたしが特別なんでしょう。普通の子はこんな風には動けません」





「ほお、やっぱりお前は特別かあ。さしずめ魔女ってとこかあ?」





(あいつ・・・)





桜田は真緒には言ってはならない事を口にしてしまった。





秀一郎は真緒に目を向けると、





「・・・そうですね、よく言われます・・・」





視線を落とし、暗い表情を見せる真緒。





だがその表情とは裏腹に、小さな真緒の身体からとてつもない闘気が溢れ出ているように感じた。





「ほお、さらに上があるのか。面白いねえ、こんな楽しいケンカは久しぶりだぜ。さあ、たっぷり楽しませてくれ、へへへっ!」





(こいつ、真性のケンカバカか?)





真緒の闘気を感じ取り、なおかつ薄ら笑いを浮かべる桜田の異様さに寒気を覚える秀一郎。





「たっぷりは無理ですね。次で終わりです」





真緒は押さえていた脇腹から手を離し、すっと立つ。





ダメージはほとんど無いように見える。





「また面白いことを言ってくれるねえ。次で終わりってことは、一撃で決めるってことか?」





「長期戦になればなるほどあたしには勝ち目がない。この一撃であなたが倒れればあたしの勝ち、倒れなかったらあなたの勝ちです」





「なるほど、わかりやすいねえ。じゃあその一撃を、見せてもらおうか!」





桜田が飛び出してきた。





真緒も出る。





(一撃で決めるって、真緒ちゃんどうするつもりなんだ?)





真緒らしくないと秀一郎は感じていた。





高速フットワークで相手を翻弄し、弱い攻撃を続けて地味に力を削り、焦りを生ませて隙を作り、そこを突いた一撃で決めるのが真緒のスタイル。





(真緒ちゃんには一撃必殺の力はない。そんな技は・・・あっ!)





今朝受けた強烈な一撃を思い出した。





全身に衝撃が走った一発。





真緒がプロトタイプと言っていた、まだ未完成の技。





(でも今朝の俺は止まっていた。動かない的だった。けど今の相手は動いてる。それも結構なスピードで)





桜田が真緒に向けて拳を放つ。





真緒はその拳に突進。





そして変則的、不自然な動きを見せた。





鋭い角度で向きを変え、高速で桜田の懐に飛び込む。





(あの速さ、あの動き、あれは・・・)





今朝の光景が甦る。





ダブルステップ。





「はあっ!」





ズゴオッ!!





掛け声一発。





真緒の超高速の蹴りが桜田の顎に入った。





グラリと揺れる桜田の身体。





(これで倒れてくれ!真緒ちゃんに次は無いんだ!)





秀一郎は祈った。





真緒のこの一撃は強力だが、その代償で膝を傷める。





二度目は打てない。





じっと目を凝らして桜田の動向に注意を払う。





その桜田は、





身体を大きく傾け、





倒れる・・・





と思ったら、ギリギリで踏み止まった。





さらに無理な体勢から真緒目掛けて拳を放つ。





その瞬間、秀一郎は、





(ダメだ!)





と思った。





真緒にもう余力はない。





桜田の拳の餌食になる。





そんな嫌な光景が頭に浮かぶ。





だが、





真緒は動いた。





桜田の拳は空を切る。





真緒はさらに不規則な動きを続け、先ほどと同じ速度、同じ軌道で桜田の懐に入った。





ただ、左右反転している。





(まさか、左にスイッチ?)





とにかく真緒には驚かされる。





秀一郎の予測をはるかに越えた動きを見せる。





「たあっ!!」





ズトオッ!!





鈍い音をたてて左のダブルステップが決まった。





桜田の大きな身体が派手に転がる。





そしてそのまま、ピクリとも動かなかった。





秀一郎たちは喜びを溢れさせたいところだが、皆静まりかえっていた。





真緒の予想以上の強さに、ただ圧倒されていた。





「はあっ、はあっ」





息が荒い真緒。





全力を出し切ったことがうかがえる。





真緒はそのまま、残りのふたりの男に厳しい視線を送る。





それで充分だった。





「さ、桜田さんがやられた?」





「ば、化け物だ、逃げろー!」





ふたりで桜田の肩をかかえて、一目散に去っていった。





真緒は男たちが視界から消えると、力が抜けて膝が折れた。





「真緒ちゃん!」





秀一郎が慌ててダッシュし手を伸ばして、何とか真緒の身体が地面に衝突するのを防いだ。





「真緒ちゃん、大丈夫か?」





「センパイありがとうございます。ちょっと無理しちゃいました。両膝傷めちゃいました」





いつもの優しい笑みを見せる真緒。





とても先ほどまで死闘を繰り広げていたとは思えない優しい笑顔。





「とにかくこのまま部屋に戻ろう」





秀一郎は真緒を抱き抱えて立ち上がる。





その際、少しバランスを崩してよろめいた。





「ごめんなさい。あたし重いですよね」





「い、いや逆。予想以上に軽くて力入れすぎた。奈緒も軽いけど真緒ちゃんもっと軽いね」





「えっ?」





少し頬を赤くする真緒。





(こうして見ると、ホント女の子だな)





「お姉ちゃん、大丈夫?」





奈緒が心配そうな顔でやってきた。





「うん、大丈夫だよ。ごめんね奈緒、センパイ借りちゃって」





「ううん、そんなの全然!秀、お姉ちゃん落とさないでよ」





「わかってるよ」





「佐伯くん、真緒ちゃん、本当にありがとう。ありがとう・・・」





ここで里津子がやってきた。





笑顔はなく、ただ泣いていた。












「はあ〜。やっぱ佐伯ってすげえよなあ」





「何がだよ?」





全員旅館に戻り、部屋に別れた。





今日は大部屋が空いたので男女5人がそれぞれ一部屋ずつ。





秀一郎は友人の発したこの一言がいまいちわからなかった。





「いやさあ、さっきのケンカ、俺すっかりビビって逃げ出したかったんだよ。でも佐伯はあんな奴らにも立ち向かってった。その度胸がすげえなあと」





「俺も怖かったよ。けど一緒に奈緒がいた。だから逃げるわけにはいかなかったんだ。あいつだけは俺が守らないと」





「それは彼氏としての、義務みたいなもんか?」





「そんな大袈裟なもんじゃないよ。ただそうしなきゃって思ってるだけさ。そう出来るように鍛えてもらってるし。真緒ちゃんに」





ここで別の友人が、





「真緒ちゃんかあ。でもマジで凄い子だよなあ。あんなごつい男を倒すし、それにあの芯愛の菅野にも勝って、今は奴らが舎弟だろ?」





「それは菅野たちが勝手に慕ってるだけだ。真緒ちゃんは強い以外は普通の女の子だよ」





「そーだよなあ。昨日からずっと見てるけど、真緒ちゃんってぱっと見は普通のかわいい女の子だよなあ」





「そうそう、ちょっと小さいけどスタイルもいいし、かわいいよな」





「だよなあ。佐伯にゃ悪いが妹より優しいし、大人しいし、女の子らしいよなあ」





男部屋は真緒の話で盛り上がっていた。











「奈緒ちゃん、ゴメンよっ!」





「な、なに?」





突然の里津子の言葉に驚く奈緒。





「いや、あたしね、今日の事で佐伯くんに惚れたっ!」





「ええっ!?」





「だってほら、佐伯くんのあの寸止め、かっこよかったもん。度胸あって強くて頭よくておまけに優しいんだよ。惚れるなってほうが無理だよ」





「そうだよねえ。今回参加の男子では佐伯くんが1番かもね」





別の女子も里津子の言葉に同意した。





「ちょ、ちょっと!秀はあたしの恋人なの!あたしのものなの!お姉ちゃんも何とか言ってよ!」





「うーん、確かにセンパイは奈緒の大切な人だけど、でもだからって他の女の子が好きになるのは否定出来ないよ。恋愛感情は自由なんだから」





部屋の片隅で両膝を冷やしている真緒は妹に肩入れせず、あくまで中立的な意見を述べた。





「うっ、そ、そうかもしれないけど、でも好きってことは必ず欲しがるじゃん。そうなるとあたしからすれば恋路を邪魔されるわけで、そんなの認められないよ!」





奈緒は追い詰められても自分の意見ははっきり主張した。





「そうでもないよ。好きだから何も出来ないって人もいるよ」





そんな奈緒に、沙織は優しい笑みで真逆の自分の意見を口にする。





「・・・」





奈緒の目つきが変わった。





駄々をこねるような不満な色から、真剣に強い意志を込めた色になる。





「桐山さん、あたしって回りくどいのは嫌いなの」





「そうだね。そう見えるよ」





「だからはっきりさせておきたいの。桐山さんも秀が好きだよね?」





「だったらどうなの?」





「だからはっきりしてって言ってるの!」





沙織の言葉に怒る奈緒。





そんな沙織は奈緒の言葉に同じず、変わらぬ口調で続けた。





「あたしが佐伯くんを好きだとしても、それを言ってどうなるの?佐伯くんも困るだろうし、奈緒ちゃんだって困るでしょ。それにその想いは実らないんだったら尚更でしょ?」





「なんで実らないって決めつけるの?言わなきゃ何も始まらない。あたしだって玉砕覚悟で秀に告った。自分の気持ちを素直に言えない人に好きって思われるのはなんか嫌」





「言って断られても、後で気まずくならなければいいと思う。けどその後もずっと顔を突き合わせる関係なら言っちゃダメよ。さらに佐伯くんは奈緒ちゃんを本当に大切に思ってる。ふたりの関係はとても硬い。尚更何を言っても得られるものはない。ただ気まずくなるだけ。周りを見ずに単純に自分の気持ちだけを通そうとするのは好きじゃないし、あたしは出来ない」





「・・・」





「・・・」





相入れない奈緒と沙織の主張。





ふたりはしばらく厳しい視線をぶつけあった。





女同士の譲らない戦いだった。













そして離れた地でも戦いが始まろうとしていた。





夜の首都高。





都心環状線(C1)内回り。





「見つけた。黒のポルシェターボ。間違いない」





ターゲットを視界に捕らえたつかさは愛車Z34のアクセルを踏み込んだ。


[No.1530] 2009/10/04(Sun) 07:15:26
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「綾は最近ここが好きだよな、C1内回りが」





「うん、速度乗らないし道も狭いけど、だからこそ丁寧な運転が要求されるの。走るたびにいろんな発見あるしね」





「で、夜も更けて一般車が減ったら湾岸か」





「最近は新環状を走る人も多いけど、あたしは横浜まで踏み切るのが好きだよ」





「ま、人それぞれだな」





綾がルームミラーを気にした。





「どうした?」





「後ろ、何か来る」





「この車だといろんなのが勝負に来るよなあ。今度は何だ?」





淳平は後ろを振り返った。





純白の光が迫ってくる。





「何だあ?あまり見かけない車だな」





「Zね。現行型のZ34」





ぐんぐん背後から迫って来る。





さらに前から左コーナーが迫って来る。





「・・・」





綾は少し考え、余裕を持ってブレーキを踏む。





そしてイン側のラインを開けた。





背後のZが一気に迫り、2台並んでコーナーに入る。





互いにドライバーの顔がわかる。





「・・・」





「・・・」





無言で確認するふたりの女性ドライバー。





綾の助手席で、淳平は思わぬ形での再会に驚いていた。





(つかさ・・・)





じっとこちらを見つめているつかさの姿が背後に消えた。





綾がコーナー立ち上がりでアクセルを一気に踏み込んだ。





強大なGが淳平の身体にもかかる。





「日本に帰って来てるとは聞いたけど、まさかここで会うとは思わなかったな」





「つかさは、俺たちに会いにここに来たのか?」





「さっきの顔から察するには、そうだと思うよ。あたしがこの車でここを走ってること、知ってる人は知ってるから」





「そうか・・・」





「振り切るよ」





「任せる」





淳平は力無く答えた。





綾のポルシェの中央モニターには、この車の詳細情報が写し出されている。





(水温、油温、油圧OK、排気温正常、問題なし)





コーナーを抜け、アクセルを踏み込む。





[BOOST 1.2]





とモニターに大きく表示される。





(ブースト正常、ハンチング無し)





黒の997ターボが一気に加速した。





「うわ、なにあれ・・・」





一気に開く車間につかさは唖然とした。





つかさもアクセルを踏み込んでいるが、加速の差は歴然。





(日本でもフランスでもポルシェターボは速いって聞いてたけど、ここまでとは・・・)





それでもステアリングを握り直し、気合いを入れる。





(でもここはC1。踏みっぱなしなんて場所はない。それにこの子はコーナーは得意。ブレーキングとコーナーで差は詰まる)





つかさは自分を信じて、愛車を信じてコーナーに高い速度で進入していった。





前の綾が一般車に詰まって加速しない。





(チャンス!)





つかさは隙を突いて一般車まとめて綾を抜いた。





コーナーが迫る。





限界ギリギリまで我慢してブレーキを踏む。





だがその横を綾がノーブレーキで突っ込んだ。





(ちょっ、東城さん死ぬ気?)





完全にブレーキが遅れたと思った。





だがその一瞬後、ポルシェのブレーキランプが点灯した。





路面に張り付き、急減速するポルシェターボ。





そして何事もなかったように、普通にコーナーをクリアした。





またまた唖然とするつかさ。





(あれが世界一と言われるポルシェのブレーキかあ。この子もよく止まると思ってたけど、ちょっとレベル違うな)





「やっぱりこの車は化け物だな。加速も凄いけどブレーキはもっと凄い」





助手席の淳平もポルシェのブレーキ性能に舌を巻いていた。





「止まれない車じゃないと踏めないんだよ。だから奮発してPCB入れたんだから」





綾は笑顔を見せる。





つかさは車の性能差を痛感しながらも、くじけずに懸命についていった。





「つかさ、離れないな」





淳平は後ろのつかさも隣の綾も心配で気が気でない。





「少し一般車が多いね。それに今のあたしじゃこの車でC1は少し持て余すんだ」





「おいおい、無理だけはするなよ」





「大丈夫、西野さんには悪いけど、コース変えるよ」





コースを選ぶ権利は先行車にある。





ついていくのもよし、分岐して離れるのもよし。





公道の戦いは自由だ。





江戸橋ジャンクション。





綾はC1内回りから9号線に向かう。





「えっ、東城さんそっち行くの?」





つかさにとってはは厳しい局面になる。





車の差は歴然。





C1なら劣るパワーを腕でカバー出来たが、9号〜湾岸の高速コースでは歯がたたない。





(でも、あたし引かないからね)





9号線の中速コーナーを正確な操作で丁寧に、速く駆け抜ける。





一般車もそこそこ走っていることもあり、なんとかついて行ける。





ただつかさのZの安全装置が働き、コーナー立ち上がりで加速が鈍くなる。





「もう、邪魔!」





豪を煮やしたつかさは安全装置のスイッチを切った。





インジケータに[VDC OFF]のオレンジランプが点いた。





これでパワーをフルに使えるが、スピンの危険性が高まる。





つかさは車体を揺らしながら速いスピードでコーナーに進入し、軽いドリフト状態で駆け抜ける。





その様子は前を走る綾のルームミラーからも確認出来た。





「西野さん、すごい無茶してる。あんな車でついて来られるわけないのに。あれじゃ危ないよ」





「なんとか出来ないのか?」





さらに心配顔になる淳平。





「大丈夫、もうすぐ湾岸。フルパワーで一気に突き放すよ」





「おい、フルパワーって・・・」





「車のコンディションは問題ない。大丈夫。湾岸に入れば一瞬で終わるから」





辰巳ジャンクション。





前方を一般車が塞いでいる。





綾は無理せず、アクセルを緩めた。





(チャンス)





後ろのつかさは綾が一般車に捕まったことを確認した。





一気にアクセルを踏み込み、車間を詰める。





綾がようやく一般車をすり抜けた。





つかさも同じラインで、より高い速度ですり抜けた。





湾岸合流。





前方、オールクリアー。





綾もアクセルを踏み込むが、後ろのつかさのほうが車速が乗っており、差がぐんぐん詰まって並びかける。





(ここで前に出る。で、2キロ走って11号に。新環状なら勝負出来る)





つかさはロスなくマニュアルシフトを操作し、ぐんぐん加速する。





綾のポルシェと並んだ。





(このまま前に・・・えっ?)





綾の表情が見えた。





(東城さん、笑ってる・・・)





嫌な予感がした。











綾はステアリングのスイッチを押す。





モニターに赤文字で[SCRAMBLE 1.8]と表示される





そして、





(えっ・・・)





綾のポルシェは非現実的な加速で一気に突き放した。





茫然とするつかさ。





ポルシェのテールがつかさの視界から消えるまで、たいした時間はかからなかった。





つかさはふっと力が抜け、アクセルを緩める。





「あーあ、やっぱ無理だったか。ま、こうなるとは思ってたけど・・・」





(でも、あたしは諦めない。必ず淳平くんを取り返す)





湾岸をクルージングしながら、つかさは内なる想いをあらためて確認した。













「へえ、なかなか面白いところじゃないか」





「でしょ?なんか昔の町並みって懐かしいけど新鮮だよね!」





翌日、秀一郎たちは旅館から少し足を延ばして、近くの街の商店街に繰り出した。





都会の街にはない独特の雰囲気が秀一郎たち都会の若者には新鮮だった。





皆元気よく古びた街を歩く。





ただ、





「おい、大丈夫か?」





秀一郎の隣を歩く奈緒はローテンションだった。





「うん、ただ眠いだけ・・・」





「女子同士だと話が盛り上がるって聞くからな。どうせ夜更かししたんだろ」





「そんなに盛り上がってないよ。ただあまり寝れなかっただけ」





奈緒の顔色が悪い。





「ホントに大丈夫か?」





「ちょっと、大丈夫じゃない・・・かも・・・」





少し先に木陰にある古びたベンチを見つけた。





「ちょっとそこで休め」





秀一郎は皆に先に行くように告げると、奈緒をベンチに座らせ、その隣に腰を下ろした。





「ゴメンね、迷惑かけて・・・」





奈緒らしい元気がない。





「気にするな。なんか飲み物買って来ようか?」





「ううん、秀が側にいてくれるだけでいい・・・ここ気持ちいい・・・」





木陰で風も通る場所なので心地よい。





「・・・」





奈緒は頭を秀一郎の肩にあずけ、すぐに寝息を立て始めた。





(ただの寝不足か・・・)





奈緒の穏やかな寝顔を見た秀一郎はホッと胸を撫で下ろす。





「奈緒ちゃん、大丈夫?」





里津子が心配そうな顔でやって来た。





「ああ、どうやらただの寝不足らしい」





「そっか、ひょっとして夕べのアレが原因かな?」





「アレって、真緒ちゃんのケンカか?」





「ううん、女子の部屋でちょっとね。沙織と奈緒ちゃんで見解の相違みたいなのがあってね、少し雰囲気悪くなったんだ」





「桐山と?」






「うん、でもまあ仕方ないかな。沙織と奈緒ちゃん、相入れないところがあるみたいだから。隣いいかな?」





「あ、ああ」





里津子は秀一郎の隣に腰を下ろした。





「沙織と奈緒ちゃんのこと、佐伯くんは気にしないで、っていうのは難しいかもしれないけど、これは当人間の問題だから口だししないほうがいいよ。これ女の子の意見ね」





「あ、ああ。わかったよ」





「あと、佐伯くんホントにありがとう。君のおかげで男を見る目が変わったよ」





「は、なんだよそれ?」





秀一郎の疑問に、里津子の笑みが少し悲しい色を見せた。





秀一郎から視線を外し、正面を向く。





「これ、沙織にも友達にも誰にも話してないこと。結構重い話だけど、聞いてくれる?」





「あ、ああ。俺でよければ」





「昨日ケンカになった男たち、リーダー各に金魚のフンみたいに付いてたふたりの男、あいつらあたしと顔見知りなんだけど・・・」





「ああ、御崎に絡んできた奴らだろ?」





「あたしね、あいつらとその仲間たちにマワされたの。中3の時に」





「なっ・・・」





さすがに言葉を失った。





「あたし、ずっとそれ引きずっててね、トラウマになった。男が信用出来なくなった。ここに来たくもなかった。ちょっと身体もおかしくなって、寝れなくなった。今も睡眠薬使ってる。薬に頼らないとまともな生活が出来ないんだ」





想像以上に重い話だった。





「けど、そんなんでよくここに来る気になったな」





「このままじゃダメだって思ったんだ。逃げてばかりじゃダメだって。だからあたしから男子誘って、みんなでこの場所で楽しい思い出作ろうって・・・ちゃんと自分に向き合おうって・・・ゴメンね。怒った?こんなあたしのわがままに付き合わせて」





「怒るわけねえよ。それに俺は楽しい。みんなと騒いで美味い飯食って、いい部屋に泊まれて、満足してる」





「あんなケンカに巻き込まれたのに?あたしが誘わなかったらあんな危険な目に遭わなかったんだよ?」





「そんなネガティブに考えるな・・・って無理なことかもしれないけど、でも前向きに考えろよ。心が後ろ向きだとどんどん悪くなる。えーっと、その・・・なんて言えばいいのかよくわかんねえけど・・・その・・・」





里津子を励ます上手い言葉が出てこず、もどかしい秀一郎。





だが里津子にはそれで充分だった。





「いいよ。佐伯くんありがとう。その気持ちだけでうれしいよ。やっぱり優しいね」





「スマン、気の効いた言葉が出て来なかった。まだまだダメだな俺も」





「ううん、佐伯くんは立派だよ。奈緒ちゃんだけでなく他もちゃんと見えてる。カッコイイし、惚れちゃうよ」





「えっ?そ、そんなこと言われると・・・ちょっと困るな」





少し照れる秀一郎。





「困るって、奈緒ちゃんが居るから?」





「ああ、こいつって気は強いけど根っこはそれほどじゃない。だからちょっと大きな悩み抱えるとすぐふさぎ込むんだ。俺で支えれるなら支えないとな」





「ふたりはラブラブで羨ましいとは思うけど、ちょっと奈緒ちゃんは佐伯くんに依存し過ぎのような気がするよ」





「まあ、な。もっといろんなことに自信持って、自立して欲しいとも思う。けどそれはもうしばらく先だな」





「そう・・・だね」





秀一郎に身を預けて穏やかな寝息を立てる奈緒の姿を見て、より一層そう感じる秀一郎だった。


[No.1531] 2009/10/11(Sun) 06:45:51
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regret-27 (No.1531への返信 / 26階層) - takaci

旅行最後の夜。





旅館の近くで夏祭り&花火大会が催され、当然のごとく全員で訪れた。





さらに女子全員、旅館が用事してくれた色とりどりの浴衣を纏っていた。





「浴衣いいな〜」





「ホントに参加してよかった〜」





ほとんどの男子が浮かれていた。





ただ秀一郎は、心の底から楽しめていなかった。





沙織と奈緒の確執。





里津子の衝撃の告白とこの旅行の真意。





(何事もいろいろ知らないほうが楽しめるってよく言うけど、本当にそうだな)





気がつくと、里津子や沙織の表情をうかがっていた。





「さてと、じゃあ組み合わせ決めますか!」





里津子が笑顔で8本のくじを用意した。





この夏祭りは、男女ペアで行動することになっていた。





秀一郎と奈緒のペアは確定で、それ以外はくじ引き。





当初はこのふたりもくじに参加することになっていたが、奈緒が駄々をこねた上に男子勢が奈緒とのペアにあまり乗り気ではなかったので、恋人同士は確定ということになった。





秀一郎は少し複雑な表情でくじ引きの様子を見ていた。





「なによその顔。秀は他の女の子と回りたかったの?」





「まあ、この祭の間だけならそれもアリかなとは思ったよ。お前とはこれからいろんなところに行けるけど、他の女子とはそんな機会ないだろ?お前も別の男と一緒に遊ぶのだって新鮮な気分じゃないのか?」





「まあ、否定はしないよ。それも楽しいと思うけど、でも今日は秀と一緒がよかったの!」





「まあいいさ、俺も他の奴にお前のお守りをさせるのは気が引けたからな」





「・・・やっぱあたしって相当わがまま言ってるよね」





「自覚がないとまずいくらい言ってるぞ」





「ゴメンね。でも帰ったら埋め合わせするから。だから今日まではわがまま言わせて」





「別にいいよ、いつものことだ」





そして組み合わせが決まり、それぞれ別れた。





が、正弘が真緒と一緒になり、姉妹揃って回ると奈緒が言い出したので、4人で回ることになった。





正弘が落胆したのは言うまでもない。





「若狭、すまないな」





「いいってことよ。これもくじ運さ。それに今回の旅行で女子と親しくなれたし、メアドもゲットした。これ以上高望みはしないよ」





「へえ、正ちゃん誰を狙ってるの?」





興味深々の目を光らせる奈緒。





「まあ、それは内緒だ。下手に口を滑らせて漏れるとまずいからな」





「なんだあ、もし桐山さん狙いだったら応援してあげようと思ったのに」





「桐山かあ、桐山はなあ・・・」





「なんだよお前、新学期早々は桐山のこと相当気にしてたんじゃなかったっけ?」





口を濁す正弘の態度が気になる秀一郎。





「いや、確かに桐山はレベル高い。綺麗だしスタイルもいい、性格だって悪くない。けどちょっとノリが悪いんだよ。一緒にいると疲れる感じだな。それに桐山はひとりの男しか見えてない気がする。だから桐山はノーマークなんだ。これ男子全員の意見さ」





「なんだよそれ?俺は何も知らないぞ?」





「最初の夜、お前は奈緒ちゃんと熱い夜を過ごしてたときに独り身の男4人でいろいろ話したんだよ。全くお前はひとりでオイシイ思いしやがって」





「何よ、正ちゃんも恋人と一夜過ごしたいの?」





奈緒が割って入ってきた。





「そりゃそうさ、俺だけじゃなく、男全員そう思うさ」





「でも正ちゃんて自分が満足したらさっさと寝ちゃうイメージあるなあ。女の子満足させられるの?」





奈緒は平然と際どい言葉を口にする。





「し、失敬な!そりゃいきなりは無理かもしれんが、俺は精一杯やるぞ!」





「いくら精一杯でも、それで相手が満足しなきゃダメなのよ。わかってないよ」





「じゃ、じゃあ奈緒ちゃんは佐伯に満足してんのかよ?」





「うん。秀と寝るのは楽しいし、気持ちいいもん」





(こいつは・・・)





奈緒には女の子らしい恥じらいが欠けていると秀一郎は改めて感じた。





話を聞いているだけの秀一郎も顔が熱くなっており、真緒も顔が真っ赤だった。





さすがの正弘も言葉を失い、何か怨みが込められた視線を秀一郎に飛ばした。





その視線が痛い秀一郎。











「よう、お前ら!」





突然、出店から声がかけられた。





「あんた・・・!」





緊張が走る。





先日の夜にケンカをした桜田がタコ焼きを焼いていた。





当事者の真緒も緊迫した視線をぶつける。





だが桜田は至って笑顔で、





「おいおいそんな顔するな。見ての通り俺は稼ぎ時だ。ケンカなんかする気はねえよ。それにそもそもお前らに怨みはねえし報復なんて考えてねえ。安心しろ」





「そうですか・・・」





真緒が緊張を解き、笑顔を見せる。





「この前は久々にいいケンカが出来た。負けたのは悔しいが、あんたの蹴りは本物だった。認めるよ。強いぜあんたは」





「ありがとうございます。でも、強くてもあまり嬉しくないですね」





「強いに越したことはないと思うぜ、それに今日のあんた、かわいいよ。浴衣よく似合ってるぜ」





「そう言われると、嬉しいです」





ニッコリ笑顔を見せた。





「ほらよ、持ってきな!」





桜田はタコ焼きを二皿差し出した。





「い、いえそんな、ちゃんと払います」





恐縮する真緒。





「いいってことよ。いいケンカが出来たことだし、迷惑かけた詫びだ。あとこっちに来ることがあったり、イザコザに巻き込まれたら力になるぜ。周藤会の桜田って言えば通じるからよ。祭楽しんでくれよ!」





「は、はい。ありがとうございます。では」





桜田の熱意に押されてタコ焼きを受け取り、4人揃って屋台を後にした。





「な、なあ、あの桜田ってひと、ひょっとしてそっちの筋の人か?」





正弘はすっかりヒビッている。





「たぶんそうですね。そんな感じがしました」





真緒は至って平静で、タコ焼きを一皿奈緒に渡した。





「別に驚くほどでもないじゃん。菅野だってお父さんはヤクザの幹部だよ。あ、このタコ焼き美味しい」





奈緒は美味しそうにタコ焼きを頬張る。





「ま、マジっすか?こえ〜」





さらにビビる正弘。





「別にそうだからってそんなに怖がることはない。確かにあまり関わりたくはないが、ちゃんと向き合って付き合えば問題ないよ」





秀一郎も平静としてタコ焼きを口にした。





「そんなもんなのかあ。あ、そうだ付き合うって言えば、真緒ちゃん」





「え、はい?」





突然正弘から話を振られて驚く真緒。





「真緒ちゃんてさ、自分の彼氏ってやっぱり自分より強くないとダメ?」





「あ、いえ、そんなことないです。あまりに弱々しいのはちょっと嫌ですけど、そこまでは求めません」





「そっか、ありがと!」





(あいつ、真緒ちゃん狙ってるのか?)





正弘の質問の意図がイマイチ読めない秀一郎だった。











ドドーン!!





色とりどりの花火が上がる。





「わあ、きれい・・・」





夜空に咲く一瞬の煌めきに心奪われる奈緒。





多くの観客が花火に見入っている。





「あたし、どうしても秀と一緒に花火観たかったの」





「そっか」





「あとね、どうしてもあの人とは観てほしくなかった」





「あの人?」





「・・・桐山さん・・・」





ドキッとした。





奈緒は空を見上げているが、その横顔はどこか寂しそうだった。





「・・・なんで桐山をそんなに嫌うんだ?いい子だろ?性格だって悪くない」





「・・・そうだね。でもこれ理屈じゃないの。あの人と秀が同じ時間を共有するのは嫌なの」





「はっきり言っておくが、俺は桐山を恋愛対象として見ていない。あくまで同じクラスの女友達だ。御崎も一緒だ。それだけだ」





「うん、秀はそう言ってくれると思ってた。秀は信じてるよ。でもね、嫌なものは嫌なの。だから理屈じゃないの」





「参ったな・・・」





秀一郎としては沙織と奈緒が仲良くして欲しかった。





だが奈緒にはその気は全くない。





「ゴメンね。学校で秀が桐山さんと話したりするのは止めない。クラスメイトだもん。仕方ないよね。でもあたしが側にいれる時は、あたしを見て。お願い・・・」





まるですがるような目で秀一郎を見つめる奈緒。





この目に秀一郎は弱かった。





ふうと息をつき、奈緒の肩を抱き寄せる。





「わかったよ」





「ありがとう、秀・・・」





ホッとした笑みを見せる奈緒だった。


[No.1532] 2009/10/18(Sun) 06:43:05
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regret-28 (No.1532への返信 / 27階層) - takaci

夏休みも半ば。





「あっつ〜い、なんもやる気しな〜い・・・」





心底奈緒はだらけきっていた。





自宅の冷房の効いた部屋でゴロゴロする毎日。





「お前、そんなんで宿題進んでんのか?」





奈緒のだらけ具合に呆れる秀一郎。





旅行前に宿題を片付けるよう言ったが、結局は頓挫した。





「奈緒、ちょっとは真面目にやりなさい」





真緒も口を酸っぱくして言ってるが、





「大丈夫、クラスの友達か、最悪菅野の仲間で頭いいのがいるからそれを写すから〜」





全くやる気がなかった。





「なあ真緒ちゃん、奈緒の教育間違えたんじゃないか?宿題は写すものだと思ってるみたいだぞこいつ?」





「まあ、あたしも短気で、奈緒が時間かけても自力で宿題出来ないの見てるとじれったくて、ついつい写させちゃってたんですね。昔から・・・」





「それが結局こうなったわけか・・・」





姉のちょっとした油断と優しさが妹の堕落に繋がってしまった。





ピンポーン





呼び鈴が鳴った。





真緒が玄関に向かう。





「おい、来たぞ。ちっとはしゃんとしろ」





「別にいい〜。どうせ正ちゃんでしょ。今更取り繕う仲じゃないし〜」





「ダメだこりゃ」





奈緒のだらけは重症だった。





「奈緒、若狭先輩がお土産くれたよ。鶴屋のケーキだよ」





「えっ、マジ?」





奈緒の目が一気に輝く。





確かに真緒は鶴屋と書かれたケーキの箱を両手で大切そうに持っている。





「あたし紅茶入れる。とっておきのダージリン出すよ。お姉ちゃんも手伝って」





「はいはい」





「女の子って現金だな・・・」





奈緒と態度の変わりようを見て、そう感じずにはいられない秀一郎だった。











しばらく後、応接セットに4つのケーキとティーセットが並んだ。





真緒、奈緒と秀一郎、そしてケーキを持ってきた正弘がテーブルを取り囲む。





「しっかし若狭、お前にしては気がきくな。わざわざケーキ持ってくるなんてさ」





「ま、俺からふたりに頼みがあるからな。ちょっと協力して欲しいんだよ」





と言って、冊子を2冊差し出し、奈緒と真緒の前に置く。





「なにこれ?」





ケーキを頬張りながらそれを手にした奈緒。





「今年、映研が撮る予定の映画の脚本。んで主役の女の子とその姉の役が空いたままでな」





「ちょっと待て、若狭お前、その役をこのふたりに?」





「頼む!ちょうどいい人材がいないんだよ!いろいろ考えたんだけど、実の姉妹でしかも双子なら見た目のインパクトもあるし、是非お願いしたいんだ!」





手を合わせて頼み込む正弘。





「え、演技ですか?あたしちょっと自信ないです・・・」





困り顔を見せる真緒。





「映画かあ・・・面白そうかも」





対する奈緒は少し乗り気。





「で、どんな役をやらせるんだ?」





秀一郎が尋ねると、正弘は映画の説明を始めた。





ごく普通の女子高生。





友達に恵まれ、家族に恵まれ、充実した学校生活を送る。





そして、恋が訪れた。





学校の先輩。





急速に惹かれ、そして恋が成就する。





さらに楽しい日々になる。





だが、それを快く思わない者が身内にいた。





実の姉。





同じように妹の恋人に惹かれ、恋に落ちた。





でもその恋は実らない。





大切な妹が、恋の邪魔になる。





妹への愛情を憎悪が覆う。





ぎくしゃくする姉妹関係。





楽しかった日常が、辛い日々に変わる。





そして・・・





「なんか、いい話かも・・・ジーンと来た」





感動する奈緒。





「本当にいい話ですね。それに切なくて悲しい話・・・でもこんな話の演技なんて・・・」





真緒はさらに自信を無くす。





「大丈夫、ふたりが演じやすいように脚本は直すから。こっちも出来る限りサポートする。だから頼むよ」





「ねえお姉ちゃん、やってみようよ!秀も反対しないよね?」





「お前なあ、それより宿題片付けろ。映画なんて始めたら絶対に手付かずになるぞ」





「宿題?それならうちも手伝うよ。映研に頭いいのがいるからそいつに教われば芯愛の宿題くらい・・・」





「バカ若狭!そんな甘言いまのこいつに言ったら・・・」





もう遅かった。





「やる!あたし絶対やる!お姉ちゃんもやらせる!決定!」





奈緒のごり押し炸裂。





秀一郎の意見も真緒の意見も、奈緒のこの一言で全て決まってしまった。





「・・・ったく、こいつは・・・」





再び心底呆れる秀一郎だった。












都内某所。





「先生、お疲れ様です」





小説家、東城綾はイベントに出席していた。





「先輩」





「あ、美鈴ちゃんも来てたんだ」





笑顔を見せる綾。





「東城先生の数少ないファンサービスの機会は記事にしたかったので。もしよければこれから少しお話いいですか?」





「いいよ。ちょうどお昼だし」





「じゃあ、この近くにお洒落なイタリアンのお店があるんです。そこに行きましょう」





ふたり笑顔で会場をあとにする。





そこに、





「東城先生、面会を希望されるお客様がお見えです」





係員がやって来た。





「面会?」





綾は怪訝な顔をする。





「中学の同級生で西野とおっしゃる女性です。先生もよくご存知とのことですが・・・」





「西野さん?」





綾の顔が変わった。





「先輩・・・」





美鈴にも緊張が走る。





綾から滅多に出さない、敵意が出ているのがわかる。





「先生?」





係員も綾の変化に気付きかけたが、





「はい。西野さんはよく知ってます。お会いしたいので案内お願いします」





綾がイベント用の笑顔をすぐに繕ったので、それ以上察知されることはなかった。





そして係員に誘導され、ロビーに出た。





昼時ということもあり、ロビーは人が多く穏やかな雰囲気だった。





その中で、壁にもたれかかり、強い意志が込められた目を輝かせる美女が立っていた。





係員が誘導する。





向こうもこちらに気付いた。





ぶつかり合う視線。





「では私はこれで」





綾をつかさの側まで案内すると、係員は去っていった。





(東城先輩と西野さん、あたしが高一の合宿のときに一緒だった。あのときは和やかだったけど・・・)





今は敵意剥き出しのふたり。





「西野さん、久しぶり・・・ってわけでもないか。この前にあの場所で出会ってるよね。あまり無茶しちゃダメだよ。あそこで無理すると簡単に命を落とすから」





「そのあたしを振り切った東城さんは無茶をしていないの?」





「あたしは車なりに走らせただけよ。あたしと西野さんの車、速度域が明らかに違うから。本来ならついて来られる車じゃないよ。あのZじゃ」





つかさの目が鋭さを増す。





「で、ここまでわざわざあたしにあたしに会いに来た理由は?まさかあそこで再戦の申し込みってわけでもないよね?」





笑顔で皮肉混じりの言葉を口にする綾。





それでもつかさは表情を変えない。





「はっきり単刀直入に言うよ。淳平くんに逢わせて」





「なぜあたしに?直接淳平に逢いに行けばいいんじゃないのかな?」





「今の淳平くんは東城さんが縛ってる。そんな状況で彼があたしに逢ってくれるわけがない。だからここに来たのよ」





「すごい事情誤認してるけど、今はそれを議論する時間はないよね・・・」





綾はふうと一息つき、ハンドバッグからメモ帳を取り出してペンを走らせる。





そして一枚破ってつかさに差し出した。





「はい、今の淳平の携帯とメアド。連絡はつくと思うけど、彼はいま仕事でフィリピンだから。帰国は明後日15時に成田。よければ迎えに行けばちょうどいいかもね。そうするならあたし

からも連絡しておくけど、どうする?」





「東城さん、今のあなたから淳平くんの連絡先を得るのがどういうことなのかわかってるつもり。でもそれでも・・・なりふり構ってられないんだ。だから・・・」





つかさは俯いたまま、メモを受け取った。





「ありがとう、あたし迎えに行く」





「わかった。淳平とじっくり話せるといいね。じゃああたし行くから。西野さんまたね。美鈴ちゃん行きましょう」





綾はあっさりとつかさとの再会を済ませた。





「え?あ、その、西野さん失礼します」





綾の対応に驚いた美鈴は慌ててつかさにぺこりと頭を下げ、綾のあとを追った。





「ちょ、ちょっと東城先輩、いいんですか?」





「いいって、なにが?」





「西野さんにあんな簡単に真中先輩の連絡先教えちゃって。西野さんは真中先輩の元カノですよ!まずくないですか?」





「大丈夫よ。いまの西野さんが淳平の心を奪えるわけがない。せいぜい頑張っても淳平に抱かれるくらいでしょうね」





「抱かれるって、それ立派な浮気じゃないですか!」





「そうかもね。でもあたしはあまり気にしない。ちゃんとあたしを求めて、愛で包んで抱いてくれればそれだけで満足。逆に愛のないセックスなんてただ空しいだけ。男もも女も。そんなの

無意味よ」





「つ、つまり、真中先輩と西野さんは無意味なセックスしか出来ないってことですか?」





「そう。そんなの恐れることじゃない。だったら逆にちゃんと逢わせてあげたほうがいい。そうすれば現状がどうなのかはっきりわかるからね」





「なんか・・・先輩すごく余裕ですね。それってやっぱり真中先輩との絆に自信があるからですか?」





「自信か・・・それもあるけど、これは自信と言うより、プライドかな・・・」





そう語る綾の横顔は、高校時代の内気な少女の面影は無くなっていた。


[No.1534] 2009/10/25(Sun) 07:41:12
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「えっ、フェードですか?」





ディーラーのメカニックが真剣な顔でつかさのZ34のブレーキを覗き込む。





「はい、最初はいいんですけど、何度かハードブレーキ繰り返すと効きが甘くなって、ペダルもなんか少しフニャッと柔らかくなる感じで」





「ハードブレーキって、どのくらいですか?」





「えっと、スピードメーターは見てないんですけど、5速6500くらいからガツンと踏んで3速か2速まで落とすのを何回か繰り返すと・・・」





つかさは説明しながら、メカニックの視線が冷ややかになっているのがわかった。






「西野さん、なんでリミッター切ったんですか?」





国産車は180キロでリミッターが作動してそれ以上速度が出ない。





つかさの説明では5速で6500回転まで回している。





これだと計算上では車速は210キロオーバーになる。





つかさが違法改造のリミッターカット&法定速度オーバーを行ってるのは明らかだった。





「あの、あたし、向こう(フランス)でZ33に乗ってるんです。あっちは高速移動はざらで200キロオーバーでの巡航が出来ないとダメなんですよ。だからこの子も同じようにしたいなあと思って・・・」





苦し紛れに説明するつかさ。





メカニックは少し呆れ顔で、





「この車は国内使用前提でセッティングされてます。オーバー200キロからのフルブレーキ性能までは考えてません。それに対応することも出来ますがそうすると街乗りで悪影響が出ますからね」





「でも向こうの33は高速ブレーキ繰り返してもしっかりしてましたよ?」





「たぶんブレンボのブレーキが入ってるんでしょう。性能は一級品ですがコストがかかるので現行は自社製のブレーキになったんですよ」





「そっかあ。でももう少しブレーキしっかりして欲しいんですよね。じゃないと踏めないし、あの車に勝負を挑むのちょっと苦しいんだよなあ」





悩み顔を見せるつかさ。





「ちょっと小耳に挟んだんですが、西野さんが追ってるのって黒のポルシェターボですか?現行の997ターボ」





「知ってるんですか?」





「小説家東城綾の車です。あそこ走ってる人の間ではそこそこ名が通ってます。噂ですが常時ブースト1.2で550馬力オーバー、さらに湾岸ではスクランブルで1.8かけて800馬力という化け物です」





「800馬力かあ。どおりで・・・」





つかさは湾岸で突き放された綾のポルシェの非現実的な加速を思い出していた。





「対するこのZはノーマルに吸排気系のみですからせいぜい340馬力ってところです。車重はほぼ一緒。しかも向こうは4駆です。追いかけるどころかついて行くことすら無理ですよ」





「あたしはブレーキが何とかなれば行けそうな気がするんですけど、無茶ですか?」





「無茶ですね。本気で追うならGT−Rに乗り換えないと」





「GT−Rってあそこに置いてあるアレですよね?」





「はい、お客さんの車ですけど。どうぞご覧になってください」





そしてつかさはムスッとした顔でGT−Rと対面した。





(なんで同じメーカーの車でこうも違うんだろ?)





押し出しの強い面構え。





無骨なスタイル。





Zとは異なり、エレガンスのかけらもない。





(確かに速いかもしれないけど、このカッコはなあ・・・それに価格も倍以上なんだよねこの子)





綾を追うには最適な手段だとしても、この車に命を乗せる気にはなれなかった。





「西野さん」





メカニックが見積もりを持ってやってきた。





「ブレーキ強化ですが、ニスモのパッドとブレーキオイルに換えます。一晩預けて頂ければ出来ますよ」





つかさは見積もりに目を通すと、





「じゃ、お願いします」





と、笑顔で作業を依頼した。





(あたしはこの子で頑張るぞっと)





愛車Z34と駆け抜けることを心に誓うつかさだった。











シュイーン・・・





金属独特の匂いが漂う工場の中でリューターの電気音が響く。





「全く、何で俺が映画の小道具なんぞ造るはめになるんだ?」





秀一郎は自分の状況に不満を口にしながらも、丁寧に指輪を磨いていた。





「うわあ・・・」





秀一郎の指先でどんどん輝きを増していく指輪を奈緒は目をキラキラさせながら眺めていた。





「ほら、はめてみろ。どうだ?」





「うん・・・ぴったり」





奈緒の中指で輝く指輪。





「はあ〜ようやく出来た〜」





「でも秀も指輪造れるじゃない。前は無理って言ってなかった?」





「あのなあ、それってメッチャ手間かかってんの。たまたま会社の機械が空いてたから出来たけど、それの手間をコスト換算すると割り合わんぞ」





事実その通りだった。





この指輪は映研から「こんな感じで頼む」と渡されたラフスケッチを元に秀一郎が削り出しで仕上げたものだった。





これがアクセサリー職人ならラフスケッチから感性で仕上げるのが普通だが、そのようなデザインセンスに自信がからっきしない秀一郎はわざわざ3DCADで図面を引き、さらに親の会社にあるコンピュータ制御の旋盤で削り出すという手法をとって造られた。





本来、CADと旋盤は高精度が要求される精密部品を造るために必要なもので、アクセサリー製作に使われることはコストの関係でありえない。





この指輪はアクセサリーにしては無駄な手間がかかり、無意味な高精度を持っていた。





「でも金属って綺麗だよね。こんなに輝くんだよね」





奈緒は磨きあげられた指輪を光にかざして驚いている。





「でもそれ材料ステンレスだからな。時間経つと簡単にくすむぞ。やっぱシルバーかプラチナじゃないとな」





「じゃ、シルバーかプラチナで造ればよかったじゃない」





「材料費でいくらかかるんだよ。それにシルバーじゃ柔らか過ぎて旋盤で削れん」





「ふうん。でもこれって変わった形だよね。なんでこんなんにしたんだろ?」





「若狭の話だと、映像をCG加工して演出するのにその形じゃないとダメらしい。そんなことしなけりゃ雑貨屋か夜店で売ってる指輪で充分なんだってさ」





「あ、そういえば雑貨屋で思い出した。映画の撮影で雑貨屋さんに行くんだよね。なんか桐山さんのバイト先らしいよ。なんかいいものあるかなあ?」





「映画に桐山も関わってるのか?あいつ文芸部だぞ」





「映研に脚本書ける人がいないんだって。たから文才ある人が集まってる文芸部に頼んでるみたいよ。今も脚本の手直ししてる。で、今年の脚本は桐山さんが書いてるんだって」





「おいおい、そんなんで撮影出来るのか?確か撮影って来週早々からだろ?練習とか台詞合わせとかどうすんだ?」





不安になる秀一郎。





「新しい脚本は正ちゃんが今日中に持って来てくれる予定。届き次第あたしとお姉ちゃんは自主トレ始めるよ。撮影の舞台も泉坂高校とその周りらしいから、大掛かりなものじゃないよ」





「ふうん。映研OBの真中先輩から聞いた話だと、昔は撮影のために合宿してたらしいぞ」





「その頃の泉坂映研は力あったみたいね。ちゃんと賞も貰ってたみたい。小説家の東城綾も泉坂の映研出身らしいし」





「東城綾かあ・・・」





夏休み当初、バイト先のビルで出会ったとてつもない美人を思い出した。





「イデデデデ!?」





突然、奈緒が秀一郎の耳を思いきり抓った。





「コラ!デレっとしてたぞ!あの美人思い出してたろ!?」





怒る奈緒。





「お、思い出すくらいいいだろ?それくらいでヤキモチ妬くな!」





奈緒は耳を放すと、





「だって東城綾ってあたしとまるで違うタイプじゃない。それに桐山さんも東城綾に近い感じがあるから嫌なの!」





口を尖らせた。





「桐山が東城綾みたいに?う〜んどうかなあ?あそこまで美人になるのかなあ?」





再び思考を巡らすと、





「考えるなあ!」





また奈緒が飛び掛かってきた。





「ちょ、おま・・・落ち着けって!」





奈緒のヤキモチに慌てつつ対応に手を焼く秀一郎だったが、





傍目には楽しくじゃれあう仲のよい恋人同士にしか見えなかった。


[No.1536] 2009/11/01(Sun) 07:38:44
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平日の午後の成田空港。





それほど長くないフライトだったが、淳平は少し疲れていた。





(何度も飛行機は乗ってるけど、やっぱ慣れん)





これだけ緊張と気疲れが伴う乗り物にはあまり厄介になりたくないのが本音だが、仕事なので仕方がない。





(まあ、今日はこのまま直帰すればいいからラクだけど・・・)





だが、気になることがあった。





昨夜受けた綾からのメール。





にわかに信じられなかったので慌てて電話した。





その時の綾はいつもの綾らしくなく、感情をあらわにしていた。





(あんな綾は久しぶりだった。よっぽど不安なんだろう)





これから待ち受けている事態が事実なら、それも頷ける。





だが、どうしても信じられなかった。





通路を抜け、到着ロビーに出る。





迎えが来てるなら、だいたいがここで顔を合わせる。





たまに綾が来ることもある。





だが今日は、





(ホントにいるのか?)





辺りを見回す。





「おーい、淳平くんこっちー」





声がした。





目を向ける。





(・・・いた・・・)





懐かしい声。





懐かしい笑顔。





足を向ける。





鼓動が高鳴る。





「淳平くんお疲れ様。あと久しぶり。元気そうだね」





「ああ、おかげさまでな。つかさも元気そうだな」





「うん、でもちょっと寂しかった。ひとりなのは慣れてるけど、少し辛かった。その・・・あれ?やだ・・・」





つかさの瞳から涙が溢れ出す。





淳平の胸もつまる。





「突然ごめんね。絶対泣かないって決めてたのに・・・あたし・・・」





淳平はごつい手をつかさの頭にポンと置く。





これが今の淳平に出来る精一杯だった。





感動の再会の後、ふたりはつかさの車で東京に向かう。





「はぁ〜、やっぱ車の乗り心地はこれくらいがいいな」





「そうかな?この子も硬いほうだよ」





「でもこれはノーマルだろ。足回りをチューニングした車はガチガチでひどいからな」





「それって東城さんの車?」





「ああ。安全に速くするためらしいけど、かなり悪くなってる。高速はまだマシだけど下道だと乗ってられん」





「でも仕方ないんじゃない、800馬力だよね?」





「そんな馬力あってどうすんだよ。ノーマルで480馬力だったはずだけどそれで充分だよ。それ以上の速さを求めることが理解出来ん」





「そもそもなんで東城さんがポルシェなの?なんか全然似合わないんだけど」





「綾は東京が拠点だけど、執筆用に軽井沢にも部屋があるんだ。最初はその間を高速かつ快適に移動するためにベンツ買ったんだけど、それで夜の首都高にハマって、そこで無茶して潰して、それで買ったのがあのポルシェ」





「潰したって、ベンツを首都高で?」





驚くつかさ。





「ああ、2000万のベンツを湾岸で200キロオーバーでぶつけたから一発全損。それでも懲りずに、より速い車に乗り換えて走ってんだからな」





呆れ顔の淳平。





「あの東城さんが、ファッションじゃなくて本気でポルシェターボに乗ってるんだ。どうりで速いわけだ」





「そういうつかさも、なんでこんな車に乗ってるんだ?これも結構なスポーツカーだろ」





「向こうは鉄道より道路網が発達してるから長距離移動は車がメインなの。それである程度速くて手頃な車が欲しくて、で、見つかったのがこの子のひとつ前の型なの。それが向こうの足なんだ」





「で、それが気にいったから、こっちでこれを買ったのか」





「うん。この子のスタイルに一目惚れしちゃってね。まあ日本の足でこの子はちょっとオーバークオリティのような気がするけど。普段は置きっぱなしだから」





「確かに無駄かもな。それにこれだと首都高も走れちゃうもんな。正直あそこで逢うとは思わなかった」





「・・・あたし負けっぱなしは嫌だから。この子でちゃんと東城さんにリベンジするつもりだよ」





つかさは真剣にやる気を口にした。





「おいおいやめとけって。この前だって相当無茶してたろ?ミラー越しでもわかったぞ。綾の車を追いかけるのは無理だ。危険過ぎる」





止める淳平。





「でもそれじゃ東城さんに頭上がらないよ。今日こうして逢えたのも東城さんにお願いしたから。今はそれしか方法がないからそうしたけど、ホントは嫌だよそんなの」





「・・・つかさは、また俺とやり直すつもりなのか?」





淳平は暗い声でそう尋ねた。





「・・・もちろん。あたしずっと諦めてないから。あんな終わりかたは認めない」





つかさは強い口調で自分の強い意志を表す。





「その気持ちは嬉しい。でも今の俺には綾がいる。綾が俺を必要としてくれるなら、俺は綾から離れない。離れるわけにはいかないんだ」





「それもわかるよ。淳平くんにとって東城さんは恩人。でもその立場を利用して側にいるのがあたしは許せない。そんなの淳平くんが断れるわけないじゃない。東城さんだってわかっててやってる確信犯よ。それでいいの?」





「・・・この件で綾と話でも始めたら揉めに揉めるな。水と油、平行線だ」





淳平からふうとため息が出た。





「東城さんはなんて言ってるの?」





「綾はその辺のことは理解してる。つかさの言葉を借りれば、確信犯だと自覚してるよ。でもそれ以前につかさが許せないそうだ」





「な、なんで?」





驚くつかさ。





「俺はあの借金を背負ったとき、全ての縁を切った。つかさはもちろん、他の友達や親までな。そうして他の人間を巻き込まないのが最善だと思った。でもそんな俺をぶん殴ってでも離れずにしがみついているべきだったと綾は言ってる」





「そんな!そんなの東城さんはあのときの淳平くんを知らないから言えるのよ!あの剣幕知らないから!」





「それでも一緒に側について借金と向き合うべきだったと。つかさも俺が振ったという口実で俺の借金から逃げ、自分の仕事を口実に海外に逃げたというのが綾の考えだ」





「そんな・・・そんなの東城さんの勝手な考えよ。東城さんはお金も力も持ってるからそんなことが言えるの。強者の論理よ」





「そうだな。でも力ってのは絶大だ。綾は俺が映画の道を進むのを止めてない。サポートするとも言ってくれる。けどやってみてわかったけど、あの世界はいろいろ厳しい。綾のサポートがあれば生活面はクリアかもしれんが、それはあまりに情けない。男としてな」





「もう、淳平くんは夢を追わないの?」





「そんな気持ちが全くないかと言えば嘘だな。でも現実的には無理だ。収入だって今の半分以下になる。いつまでも夢を追いかけて稼がない男と、自分の力を活かしてそれ相応に稼げる男、つかさはどっちがいい?」





「うーん、学生時代なら間違いなく夢を追って欲しかったけど今は・・・ゴメン微妙だね」





「だろ。現実は厳しいよ」





学生時代の頃とは違い、現実社会の厳しさをわかっているふたりだった。





「ありがとう、ここでいいよ」





「淳平くん、このあたりで暮らしてるの?」





泉坂とはそこそこ離れた場所である。





「ああ、この先のワンルーム。ここいらは家賃も手頃だし交通の便も悪くないからな」





「あたしてっきり東城さんと同棲してるかと思った」





「そこまで俺は図々しくないし、まだ世話にはなりたくないよ」





「淳平くん、変わったね。なんか凄く大人になった」





「そうか?」





「うん。それと、あたしの気持ちは変わらない。やっぱりあたしは淳平くんが好き。だから・・・」





つかさは淳平にそっと抱き着き、





「淳平くんが望むなら、あたし全然構わないよ」





耳元で甘く囁く。





「つかさ!」





そんな甘言を受ける淳平ではなかった。





左手で優しく身体を離し、右手をポンとつかさの頭に乗せる。





「今の俺は綾の恋人だ。浮気は出来ないし、そんなの何も生まない。気持ちだけで充分だよ」





「・・・うん、わかった。じゃ淳平くんまたね。絶対またね!」





「ああ、またな」





名残惜しそうにつかさは帰っていった。





(またな、か・・・相変わらずフラフラしてるな俺は・・・)





つかさに強い言葉が言えなかった淳平は自分の心の弱さを情けなく感じていた。












「さてと、奈緒の奴真面目にやってるかな」





夏休みも終盤。





秀一郎はがらんとした泉坂高校に足を運んでいた。





追加で頼まれた小道具を届けるのと、撮影の様子を覗くためである。





まず映研の部室に顔を出したが、不在だった。





(そういや今日な中庭で撮影するとか言ってたっけ)





そして出向くと、いた。





学生が数人。





若狭はレフ板を持っていた。





小柄な少女がふたりやって来る。





お揃いの泉坂の制服。





お揃いのロングヘアー。





真緒と奈緒だった。





「センパイ、お疲れ様です」





「お前、何やってんの?」





「あ、これウイッグです。奈緒とお揃いの髪形にしてみたんです。こうするとホント双子みたい・・・」





ゴツン!





「きゃん!?」





口調からすると真緒らしき方の頭を、秀一郎はゲンコツを落とした。





「悪ふざけはやめろ。バレバレだ」





「いった〜。もう、なんでわかったの?」





口調ががらりと変わる。





一見は真緒に見えたほうが奈緒だった。





「慣れん言葉遣いしてるからイントネーションおかしいし、それに目つきが違う。わかるっつの」





「なんだあ、つまんない。みんな騙されたのに?」





「へっ?」





映研の連中を見回すと、みな感心しているような目を向けている。





「いやさあ、見た目のインパクト狙ってふたり同じ髪形にしてみたんだけど、どっちがどっちだかわかんなくなってさ。俺からすれば見た目も声も全く一緒だからなあ」





と正弘は苦笑いを浮かべる。





「まあ、ぱっと見は一緒だろうな。けどよく見ると目つきが違うから。そこが見分けるポイントだ」





「あと服を制服じゃなくてもっと身体のラインがわかると見分けつくんだよな。細いほうが真緒ちゃんで太い・・・」





また正弘が余計な一言を口にする。





それを聞き逃す奈緒ではない。





バキイイッ!!





真緒ばりの派手な回し蹴りを正弘に入れた。





「なに思いっきり失礼なこと抜かしてんのよ!このエロ変態!」





「全く、お前らは・・・」





正弘と奈緒のふたりに呆れる秀一郎だった。


[No.1537] 2009/11/08(Sun) 08:52:25
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「由香お姉ちゃん、その指輪外して!」





「なんで?だってこれは隆二センパイがあたしにくれたものよ」





「隆二はあたしの恋人なの!だからあたしの前でそれは見せないで!」





「なんでよ?あたしはセンパイからのプレゼントは嬉しい。それを肌身離さず身につけていたい。ごく自然なことじゃない。そこまで否定する権利、利香にはないよ」





「それってお姉ちゃんも隆二が好きってことでしょ?」





「だったらどうなの?」





「ダメったらダメ!隆二はあたしのもの!いくらお姉ちゃんでもダメ!」





「なんでそんなに怒るの?あたしは別に利香からセンパイを盗ろうとは思ってないわよ」





「好きなだけで満足するはずがない!想いが募れば絶対に隆二が欲しくなるに決まってる!だからお姉ちゃんは隆二を好きになっちゃダメなの!」





「恋愛は自由よ!利香にそこまで言う資格はない!」





「なくても言う!ダメなものはダメ!だから・・・」





パアン!












「うっひゃ・・・」





画面に吸い込まれていた秀一郎から思わず声が出た。





9月。





泉坂高校は2学期が始まった。





夏休み後半、奈緒と真緒は映研の撮影漬けだった。





やはり演技は素人のふたり。





リテイクが多くなり、撮影スケジュールも押しに押して全て撮り終えたのが夏休み終了2日前だった。





奈緒たちは一応これで解放されるが、映研メンバーはこれから地獄の編集作業が待っている。





正弘もそれを担当するが、今回の撮影で最もよかったシーンを先程秀一郎に見せていた。





「すごいだろここ。気迫のこもった名演技だ」





「あのふたりがこんな演技するとはね」





意外としか言いようがない秀一郎。





「しかもそのシーンはほとんどアドリブだったからさらに驚きだ」





「じゃ、あの真緒ちゃんが奈緒を殴ったのも?」





「そんなシナリオを桐山が書くわけないだろ。真緒ちゃんのアドリブ」





「そっか。なんか本気のケンカに見えるな」





「撮ってたときも、スタッフ全員驚いてたな。けど桐山だけは少し笑ってたな、あれ何だったんだろ?」





「桐山は目茶苦茶大変だったろうな。俺からも礼を言っとかないと」





この撮影で沙織は最も忙しいひとりだった。





演技に慣れないふたりのために常に脚本を修正、そこで生じたストーリー全体のズレの帳尻を合わせるための微調整の繰り返し、





さらには奈緒の宿題を片付けるために頭を働かせたのも沙織だった。





現在は放課後。





(桐山、いるかな?)





秀一郎が向かったのは図書室。





中に入り、辺りを見回す。





(あ、いた)





机に座り、いくつかの本を積み、さらにはノートパソコンを広げている。





そして、ここでは眼鏡姿。





「よっ、桐山」





「あ、佐伯くん」





にっこりと微笑む沙織。





「いろいろありがとな。奈緒の宿題とか世話になりっぱなしで」





「ううん、あれくらいならいつでも言ってくれればいいよ。そんな大変じゃなかったから」





「でもなあ、結局あいつは今年も宿題を自力でやらなかったんだよなあ。それが問題だ」





悩み顔を見せる秀一郎。





「奈緒ちゃんって要領がいいんだろうね。本来はやらないほうがいいことが出来ちゃう。それに対してまわりは何も言えない。そんな感じだったな」





「それって、決していいことじゃないよな?」





「う〜ん・・・まあよくも悪くもかな」





苦笑いを見せる沙織。





「ところで桐山はなにしてんの?なんかやたら広げてるけど?」





「映研でのあたしの仕事はひと段落ついたから、今度は本業の文芸部のほう。資料探してプロット作ってるの」





「一体どんなのを書くつもりなんだ?」





歴史書、科学書、占い、その他もろもろ。





資料で探し出した本なのだろうが、ここからどんな話が生まれるのか想像がつかない。





「一応、普通の恋愛ストーリーの予定。けど設定をどうするか悩んでるの」





「・・・恋愛もので、資料がこれ?」





恋愛ものに科学書が必要になる理由がわからない秀一郎。





「主人公の友人に理系の人がいるの。これはそのための資料だよ」





「そんな細かいことまで資料探して設定してるの?」





「あたし、曖昧な設定ってダメなんだ。ある程度下地になる情報に基づいてからでないと書けないの。だからプロット作るだけでも時間かかっちゃって」





「そっか、大変だな」





「でも今年は楽になったよ。図書室にノートパソコン持ち込みOKになったから。去年は資料を借りれるだけ借りて、それを家のパソコンに入力して、返してからまた借りての繰り返しだったから」





「ストーリーを書くってのも大変なんだな。俺には出来そうにないな」





あらためて沙織の凄さを実感する秀一郎だった。












とある週末。





淳平は軽井沢で過ごしていた。





誘ったのはもちろん綾。





綾は文芸誌の連載に人気シリーズものの小説の執筆を抱えている。





大体は東京の自宅マンションで書いているが、夏は避暑を兼ねて軽井沢のマンションで書くことが多い。





「淳平、こんな感じでどうかな?」





「この辺の表現、ちょっと迷ってない?」





「うん。あまり強い言葉にすると全体のバランスが崩れそうな気がするんだ。でも敢えてそうするのもありかなって気もしてる」





「そうだな、ここは攻めの気持ちで書いたほうがいいと思うよ」





「そっか。じゃあそうしてみる」





綾は書き上げた原稿のほとんどをすぐに淳平に見せている。





そして淳平の意見を聞いて、少し手直ししてから提出している。





「昔ね、天地くんに言われたことがあるんだ」





淳平と夕食の食卓を囲みながら、綾は学生時代の出来事を口にした。





「天地かあ、あいつ今どうしてんだろ?」





淳平はすっかり忘れていた。





「彼ね、あたしが淳平の意見を聞いて小説を書くのを反対したの。あたしの才能の幅を縮める。プロにあるまじき行為だって」





「あいつならそれくらい言いそうだな」





「でも、現実は淳平に目を通してもらってるからいいものが書けてると思う。淳平の意見があたしの作品を良くしている。彼はどう思ってるかな?」





「今更何も言わないだろ。いくらあいつでも言えないんじゃないか。理想と現実は違う」





「淳平はよくそう言うけど、あたしは理想の生活してるんだよね」





「そうか?」





「うん。あたしはただ思いついた話を書いてるだけ。それを淳平に見てもらって、それが本になって売れて、こうして今の生活が出来てる。ほとんど理想通りだよ」





「そっか・・・」





「・・・西野さんから、連絡来る?」





「なんだよいきなり?」





「あたし、勝手に淳平の連絡先を教えちゃった。迷惑だったらどうしようって・・・」





綾は今にも泣き出しそうな顔をしている。





「俺のことより、綾のほうが心配だ。俺とつかさが影で連絡取り合ってるなんて嫌だろ?」





「うん。でもそこまで縛りたくない。淳平には、あたしと西野さん、対等に選んで欲しい。それで淳平に悔いを残して欲しくないの」





「でも、それでもし俺がつかさを選んだら、綾はどうする?」





「それは、その・・・そんなの・・・嫌・・・」





綾の身体が小刻みに震え出す。





「綾、ちょっと?」





淳平は慌てて席を立ち、向かいの綾をぎゅっと抱きしめる。





「淳平がいなくなるなんて嫌・・・淳平はあたしの全て・・・何も書けなくなる・・・何も出来なくなる・・・」





「だったら俺に気遣うな。俺は綾が望めばずっと側にいる」





「でもそれは淳平の望みなの?西野さんとの未練はないの?」





「そんなの気にするな。俺も綾が大事だ。これくらいのことで取り乱す綾を放っておけない。綾に辛い思いさせてまでつかさを選ぶ気なんてない」





「でもそれだと、あたし凄く嫌な女。あたしの気持ちだけで淳平を縛っちゃう。そんなのいつか嫌われる気がして・・・」





「それでいい。完璧な人間なんていやしない。嫌なところなんてあって当たり前だ。もっと自分に自信持てよ」





「淳平は・・・こんなあたしでも・・・好きでいてくれる?」





ついに泣き出してしまった綾。





淳平は腕に力をこめた。





「綾は綾のままでいてくれればいい。俺はそんな綾が好きなんだ」












その頃、つかさは、





「わあ、さつきちゃん久しぶり〜」





「久しぶり西野さん。ホント美人になったね!」





「それはさつきちゃんだよっ!もう何年ぶりなんだろ?確か高3の夏以来だから・・・」





「西野さん、歳の話はやめよっ!」





「そっか、そうだね」





かつて淳平を巡って恋の火花を散らせたライバル、さつきと数年ぶりの再会を果たしていた。


[No.1538] 2009/11/15(Sun) 07:40:18
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「では再会を祝して、カンパ〜イ!」





つかさとさつき、美女ふたりがグラスを鳴らした。





「でも西野さん、車で来たんだよね?東京からここまで結構かかったでしょ?」





「全然よ。たかが500キロくらいじゃない。向こうじゃ1000キロ以上の車移動が当たり前だもん。まあ日本は高速でも100キロ規制だからちょっと時間かかるけどね」





「やっぱ西野さんカッコイイよ。もうヨーロッパを渡り歩く菓子職人なんだね」





「あたしはたいしたことないよ。さつきちゃんのほうが凄い。伝統の老舗旅館の若女将なんでしょ?」





「まあ、一応ね。それだけあたしも歳とったってことだね。こうして西野さんとふたりで居酒屋のカウンターで呑む日が来るなんて思いもしなかったよ」





つかさがさつきを訪ねて東京から京都まで車を飛ばし、さつきの馴染みの居酒屋で芋焼酎を呑むふたり。





「なんかね。さつきちゃんの元気を分けてもらいたかったの。ちょっと凹んでね。女の自信を失ったって言うか・・・」





「それって恋愛絡みの話?」





さつきの目が光る。





「さつきちゃんは、今・・・恋してる?」





「あたしは全然だね。言い寄る男は多いけど、ろくな男がいないからね。それに仕事も忙しいし」





「もう、淳平くんのこと、諦めちゃった?」





「そーゆー西野さんはまだ真中を追ってんの?」





「うん・・・」





「ってことは、真中に色仕掛けして、それで拒否られて自信なくしたってことかな?」





「・・・うん・・・」





つかさは暗い表情で俯いてしまった。





「そりゃ仕方ないよ。真中って堅い男だからね。あたしなんてどんだけ色仕掛けしたか覚えてないよ。それを全て断った男だから」





「お互い知らない間柄だったらそれもわかるけど、あたしと淳平くんは知った関係。何度も肌を合わせた。だったら敷居低いでしょ。それにそんなの黙ってれば誰もわからないんだし」





つかさは唇を尖らせる。





「でもなあ、真中だよね。軽い気持ちで女を抱くような男じゃないよ」





「それはわかってる。でも逆に言えばあたしにそれだけ淳平くんを惹き付けるものがないってことになる。それは認めたくないの」





「・・・難しいところだね」





さつきにしては珍しく考え込むような顔で冷や奴を口にする。





そしてグラスを煽ると、





「西野さんに魅力がないってことはないだろうね。男なら・・・真中でも揺らいだと思う。でもそれでも手を出さなかったのは、それで失いたくないものがあるから・・・かな?」





「それが・・・東城さん・・・なんだよね・・・」





明るく活気のある店内だが、ふたりの美女の空気は重い。





「西野さんは、日本に帰って来てそんなに経ってないよね?」





「うん、まだ1ヶ月にもならない」





「じゃあ、東城さんがいまどんなポジションなのか、よく知らないよね」





「なんか、凄い売れっ子の小説家なんだよね」





「これは伝え聞いた話なんだけど、ここまで売れっ子になったのは、真中がきっかけなんだよ」





「淳平くんが?」





驚くつかさ。





「それまでの東城さんは、実力はあるけど地味な作家。大きな賞を何度もとっててそこそこ売れてたみたいだけど、まあ一般受けはしない人。そんな感じだったの」





さつきはグラスのお代わりを注文した。





店員が素早くさつきに新しいグラスを渡す。





「で、去年の暮れくらいに出した東城さんの新刊が大ブレイクしたの。それまでの堅い作品から一変して、小学生からおじいちゃんまでが読んで楽しめる本。そんなのを出したの」





さつきのグラスの氷が鳴る。





「それと同時に、出版社が東城さんの顔を出したの。それまではほとんど知られてなかった東城綾という小説家の姿が明らかになった。そうなればどうなるか想像つくよね。あれだけの美人を周りが放っておくわけがない。さらにブレイクした。あれは凄かった。あたしのとこまで取材に来たからね」





「さつきちゃんのところに?」





「高校の同級生で同じ部活って理由だけでね。まあそれに便乗して宣伝させてもらったよ。少しは稼がせてもらったかな」







「はあ・・・」





ただ驚くつかさ。





「で、あたしのところまで来た理由は、東城さんが全くと言っていいほどメディア露出しなかったから。出るのは出版社企画のイベントくらい。東城綾という人物を知るには情報が少な過ぎる。メディアも一般人も東城さんの情報を知りたがった。そこでたどり着いたのが、東城さんのブログなの」





「ブログ?」





「ブレイクする前から、してからもずっとマメに更新されるブログがあるの。アクセスが集中して繋がらないこともあったみたいね。唯一、東城さんの生の声が聞ける場所なの。で、そのブログで明らかになったのが、恋人の存在」





「恋人って・・・」





「そう、真中。顔や名前は出てないけどね。けどあのふたりを知ってる人なら文面からわかる。中学で知り合った同級生で東城さんを変えてくれた男。そんなの真中しかいない」





「そっか・・・東城さんは公式に淳平くんの存在を明らかにしてるんだ・・・」





「いまの東城さんは凄いペースで新作を書き続けてる。さらにそれもみんな大ヒット。そんな作品を書ける1番の要因に、真中の存在だと言ってる。真中の声が、真中が東城さんの作品を変えたとね。今の東城さんが在るのは、真中が側にいてくれるから。そこまで言ってるの」





「そう・・・なんだ・・・」





つかさの声に張りがなくなる。





「春先くらいに東城さんの新作発表でメディアの取材を受けたことがあってね。翌日の芸能ニュースはそればっかり。その時に記者の質問で、成功の要因は何かみたいなことを聞かれてね、東城さんこう答えたのよ。[簡単に恋を諦めない]ってね、自信たっぷり、ホント幸せそうな笑顔で答えたから、これだけで凄い話題になった。これたぶん今年の流行語になるよ」





「なんか、東城さん変わったね。いつも大人しくて弱気で自信なさげで・・・そんなイメージだったけど、今は違うんだね」





「そうだね。東城さんは内気で引っ込み思案なところがあったけど、今は違う。真中の支えの力で自信を手に入れた。ちょっと無敵っぽいよね」





「・・・」





声を失うつかさ。





「落ち込んでるところに追い込みかけるようだけど、あたし、真中と西野さんなら付け入る隙があると思ってた。けど東城さんだと無理だね。あたしはずっと真中と東城さんの両方見てたからね。あのふたりってただ一緒にいるだけでも雰囲気あった。こんな言い方したくないけど、たぶん、運命のふたりのような気がする。結ばれるべくして結ばれたふたり。だからすっぱり諦められた。そりゃ男と女だからいろいろあるだろうけど、外からの力でふたりを引き裂くのは無理な気がする。たとえ出来たとしても、代わりに失うものも大きいよ。それでも真中を追う?」





「あたしは・・・」





グラスに映るつかさの顔は、明らかに自信を失っていた。











放課後、





秀一郎は靴を履き変えて昇降口を出た。





「おっす、佐伯くん!」





「お、御崎と桐山か」





里津子と沙織が笑顔で一緒に立っていた。





「これから沙織と一緒に買い物行くんだけど、佐伯くんもどう?」





「いやゴメン、これからバイトなんだ」





「そっかあ。じゃあ途中まで一緒に行こうよ」





「ああ」





クラスの女子と一緒に帰る。





男なら決して気分の悪いものではない。





3人で楽しく談笑しながら正門へ向かう。





「キャアアア!」





突然、その正門から悲鳴が聞こえた。





「なんだ?」





自然と緊張が走る。





駆けてくる生徒たち。





その先に、明らかに不審者とわかる男がごついナイフを振り回して暴れていた。





(ヤバイ!)





そう思ったとき、男と目が合った。





呻き声をあげて向かってきた。





「御崎、桐山、逃げろ!誰か先生呼んで来るんだ!」





それだけ言うと、秀一郎も男に向かう。





本心は逃げたかった。





だが狙いは秀一郎に定められている。





この状態では相手に背を向けるほうが危ないと判断した結果だった。





秀一郎は一定の間合いを保ち、男をキッと睨みつつナイフをかわす。





(こうやって俺に引き付けさせて時間を稼ぐんだ。いずれ先生が来る)





そう考えるが、なかなか来ない。





僅かな時間が何倍にも感じる。





(遅い。これなら俺が倒したほうが・・・)





男はユラユラとした動きで挙動が掴みづらいが、さほど強敵とは思えない。





積極的な思いが芽生え、それが間合いに現れる。





「つっ!?」





突然、左腕に鋭い痛みが走る。





ナイフがかすめた。





赤い筋が流れ、血が滴り落ちる。





「ぐっ・・・」





理性で抑えていた恐怖が沸き上がる。





男がニヤリと不気味な笑みを見せる。





(このままじゃやられる。くそ、まだ誰も来ないのか?)





焦り出す秀一郎。





そのとき、





「センパイ!」





真緒の声が届いた。





秀一郎の背後から男目掛けて鞄が飛ぶ。





男はそれを大きな動作でよける。





その直後。





「たあっ!」





「ぐあっ?」





一瞬だった。





背後から現れた真緒の左足が男のナイフを弾き飛ばし、





そこで体勢の乱れた男の脇腹に真緒の右足が入った。





崩れ落ちる男。





一気に形勢逆転。





秀一郎は男の背後に回り、両腕で押さえ込む。





「センパイ大丈夫ですか?その腕!」





緊迫する真緒の声。





「大丈夫、かすり傷だ。それより助かったよ。やっぱ真緒ちゃんすげえよ」





自然と笑顔になる秀一郎。





何人かの男性教師が駆けて来るのが見える。





(これで大丈夫だ)





ほんの少し、秀一郎の緊張が緩んだ。





「うああああ!」





突然、男が暴れ出した。





秀一郎も慌てて押さえ込むが、左腕に痛みが走る。





(しまった!)





振りほどかれた。





さらに、隠し持っていたバタフライナイフを秀一郎に向ける。





避けようのない間合い。





(刺される!)





思わず目を閉じる。





ドン!





身体に衝撃が伝わった。





(刺された・・・)





痛みが来る・・・





(・・・あれ?)





と思ったが、何も来ない。





恐る恐る目を開ける。





(えっ?)





秀一郎の目の前には、男ではない別の人影があった。





(セーラー服・・・)





「たあっ!」





バキイイッ!!





真緒が掛け声とともに男を蹴り飛ばす。





転がった男の身体を教師たちが押さえ込んだ。





(真緒ちゃんじゃない。じゃあ・・・)





長い黒髪。





「佐伯くん・・・よかっ・・・た・・・」





「・・・桐山?」





血の気の失せた沙織の顔。





秀一郎の手に違和感を感じる。





「・・・うわああああ!?」





鮮血がべっとりとついていた。





崩れ落ちる沙織の身体。





「おい桐山しっかりしろ!桐山!桐山!!」





反応はない。





秀一郎の眼前で、沙織の鮮血の海が広がっていった。


[No.1539] 2009/11/22(Sun) 08:24:12
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regret-33 (No.1539への返信 / 32階層) - takaci

よくドラマ等で手術室前に待つ関係者たちの画があるが、あれは完全フィクションである。





病院にとって手術室は大切な場所。





そこの出入りの場所に一般人の待機を許すはずがない。





左腕の手当てを受けた秀一郎は包帯を巻き、がらんとした夜の待合室で祈るような気持ちでずっと待ち続けていた。





そしてもうひとり、担任教師の黒川栞も重い表情でじっと待っている。





時計の針は午後10時を回った。





(桐山・・・)





脳裏で沙織の顔が何度も蘇る。





(桐山は、俺をかばって刺された。俺のせいだ・・・)





強い、あまりに強い自責の念に駆られる秀一郎。





複数の足跡が近付いて来る。





目を向けると、手術着の医師と看護士たちだった。





赤い血がべっとりと付いている。





「桐山は、彼女は大丈夫ですか?」





たまらず聞く秀一郎。





だが医師たちの回答は、





「・・・全力は尽くしました。でもあまりに血を失い過ぎてます。臓器の損傷も大きい。あとは彼女の生命力次第です」





厳しい現実だった。





「ご家族の方は?」





今度は医師が尋ねる。





「彼女に家族はいません。生活を支えている親戚には連絡しました。ただ、すぐには来れないそうです」





黒川がそう伝えた。





「では早急に来て頂くようお伝えください。これから集中治療室で24時間体勢の看護に入ります。ですが、心の準備だけはしておいて下さい。では失礼します」





(心の準備って、そんな・・・)





あまりに辛い現実だった。





「佐伯、お前は帰れ。ご両親も心配なさっている」





黒川が秀一郎に優しい言葉をかける。





だが秀一郎は、





「帰りません。俺がここに残ります」





震える声でそう伝えた。





「何を言っている。お前がここに残っても・・・」





「じゃあこのまま呑気に帰って、明日授業に出ろって言うんですか?そんなの無理です。もとは俺のせいなんです。俺が油断しなければこんなことにはならなかった。俺のせいで桐山が死にかけてる・・・放っておけません」





「しかし・・・」





「お願いします、俺に残らせてください。親には俺からちゃんと連絡します。せめて親戚の人が来るまで・・・お願いします」





秀一郎は必死の思いで黒川に頭を下げた。





「・・・わかった。だが親の許可をとるのが条件だ。担任教師として、お前の親に心配させるわけにはいかない」





「ありがとうございます、先生」





秀一郎は早速、病院の公衆電話から自宅にかけた。





説明と説得にかなりの時間を要したが、なんとかここに留まる許可を貰えた。





「佐伯、私も残るべきなのだが、この事件で報道陣が騒ぎ出している。本来なら校長や教頭が対応するのだが、私にも対応するように言ってきた。すまないが・・・」





「わかりました。何かあればすぐ先生に連絡します」





ちょうど日付が変わる頃、黒川は学校に戻っていった。





病院でひとり付き添いで残った秀一郎。





ただ沙織はICUでの完全看護なので同じ部屋には入れない。





病院が用意した小部屋で待機することになった。





小さなベッドもあったが、寝る気にはなれなかった。





ソファーに腰を下ろし、ただじっと時が過ぎるのを待つ。





何も物音がしない部屋で、ただ祈り続けた。





(桐山・・・頼むから助かってくれ・・・)





深夜2時過ぎ。





扉が開いた。





「すみません、すぐに来て下さい」





看護士が緊迫した顔でそう告げる。





(そんな・・・まさか・・・嘘だ・・・)





最悪の事態が頭をよぎる。





そのまま沙織が入っている集中治療室に案内された。





「桐山・・・」





沙織には物々しい酸素マスクが付けられ、いくつもの計器が取り付けられていた。





数人の医師と看護士が慌ただしく動いている。





ピッ・・・ピッ・・・ピッ・・・ピー・・・





沙織のバイタルが止まった。





秀一郎の胸にとてつもなく重いものがのしかかる。





だが医師の迅速な心臓マッサージにより、沙織のバイタルは戻った。





そのまま十数分、慌ただしい動きをただ見ていただけだった。





「とりあえず落ち着きました。部屋に戻ってください」





看護士が秀一郎にそう告げた。





「こんなのが・・・続くんですか?」





見ているだけでも辛かった。





「この子はまだ若いので、何度かは乗り越えられると思います。それでも予断は許されない状況が続きます」





「そう・・・ですか・・・」





秀一郎の人生の中でも、最も辛い経験になった。











朝7時。





秀一郎は学校に電話し、黒川に取り次いでもらった。





「佐伯、桐山の様子はどうだ?」





「今は落ち着いているみたいです。けど、夜中に2回、心臓が止まりました。その度に蘇生を繰り返している状況てす」





「そうか。お前は大丈夫か?ちゃんと休んでるか?食事は?」





「正直、きついです。けどもう逃げる気はありません。最後まで向き合います」





「そうか、わかった」





黒川は何も言わなかった。





「学校のほうはどうですか?」





「さすがに少しバタバタしている。報道陣もごった返しているしな。生徒も混乱している。だがこっちは心配するな。学校の規律を正すのが我々教師の仕事だ。お前は自分の心配をしてろ」





「わかりました」





電話を切る。





黒川と話して多少は気が紛れるかとも思ったがあまり変わらない。





沙織が死ぬかもしれない。





そう思う度に胸が締め付けられる。





昼頃、両親が心配そうな顔でやって来た。





秀一郎の様子を見て、一緒に帰るよう促したが、秀一郎は拒否した。





どうしても今の沙織を放っておけなかった。





夕刻、





コンコン・・・





「センパイ、あたしです。真緒です」





真緒が心配そうな顔でやってきた。





「真緒ちゃん、来てくれてありがとう」





「桐山先輩は?」





「まだ危険な状態が続いてる。でも少し落ち着いてるみたいだ」





「そうですか・・・」





真緒の表情が曇る。





「・・・大丈夫だ。たぶん大丈夫。桐山は助かる」





「はい。でも、センパイも心配です。たった一晩ですごくやつれてます。ちゃんと休んでます?ちゃんと食べてます?」





「俺は大丈夫。これくらいなんてことない」





虚勢を張る秀一郎。





「でも・・・」





「大丈夫、ホント大丈夫だから」





真緒は不安な表情のまま病院をあとにした。












2日目。





沙織の状況は変わらない。





ちらっと目にしたニュースでは今回の事件が大きく取り上げられていた。





だが秀一郎はどうでもよかった。





沙織が助かって欲しい。





その一心だった。





夕刻、





「佐伯くん」





「あ、御崎」





今度は里津子がやって来た。





「はいこれ」





コンビニ袋を差し出した。





「あ、差し入れ?ありがとう」





「差し入れだけど、条件ある」





「条件?」





「どうせこの2日、ろくに食べてないし一睡もしてないでしょ。見ればわかるよ」





「ああ、まあ・・・な」





否定はしなかった。





「だからそれを今から全部食べること。大した量じゃないし食べやすいものだから簡単に入るよ。ほらほら!」





「わ、わかったよ・・・」





里津子に促され、袋の中から朝食用のゼリーを取り出し、口にした。





「夜も寝れないと思うけど、そういうときは部屋を暗くして横になって目を閉じておくだけでも体力回復するから。辛いけど乗り切ってよ」





「ああ、ありがとう。心配かけてすまない」





「友達だもん当然だよ。でも佐伯くんがそこまで責任感じることないよ。無理し過ぎだって」





「かもな。でも、ひとりぼっちにさせるわけにはいかないんだ」





「それって、沙織のこと?」





「ああ」





秀一郎はスポーツドリンクのキャップを開けた。





一口つけると、





「もうこれでまる2日。でもこれだけ経っても、桐山の親族がまだ来ない。いま生死の境で必死に戦ってるのに、誰も来ない。桐山はホントにひとりなんだ。そんなの、放っておけるわけないだろ」





「・・・沙織の親戚は、誰も来ないよ、きっと」





「えっ?」





里津子の悲しげな表情が目に映る。





「生活支えているおじさん、あの議員秘書の騒ぎで相当落ち込んでいま入院してるんだって。おばさんもそれに付きっきり。こっちに謝りに来たお姉さんも海外で仕事してるから簡単には帰って来れないんだって。そもそも親戚でもかなり遠い親戚みたい。だから・・・」





「そんな・・・じゃあ桐山はホントにひとりっきりなのか・・・」





秀一郎の胸にさらに重いものがのしかかる。





ガラッ。





手術を担当した医師がやって来た。





部屋に緊張が走る。





「先生、桐山は・・・」





「まだ予断は許さないが、危機的状態は脱した。彼女の生命力が危機を乗り越えた」





微笑む医師。





「それじゃ・・・」





秀一郎の緊張が抜ける。





「目を覚ますまでまだ数日かかる。またその時になったら連絡する。もう帰っていいよ。君もよく頑張った。ありがとう」





「ありがとうございます。ありがとうございます!」





秀一郎は医師に何度も頭を下げた。





「佐伯くん、よかったね!ホントによかった・・・」





涙ぐむ里津子。





2日間、ずっとのしかかっていた重圧からようやく抜け出した秀一郎だった。











(なんか、すげえ疲れた。そりゃそうだよな。まる2日寝てないもんな)





家路につく頃はすっかり陽が落ちていた。





病院からすぐに学校と親に連絡を入れたら、溜まりに溜まった疲れがどっと出た。





(帰ったら風呂入ってさっさと寝よう・・・って風呂入れなきゃな。どうしよう、なんか面倒だな・・・)





忙しい両親は仕事で自宅に不在なのを思い出した。





家の前。





ポケットから鍵を取り出そうとしたとき、





「あれ?」





誰もいないはずの自宅の明かりが点いていた。





(・・・まさか・・・)





扉に手をかける。





ガチャ・・・





開いた。





(まさか)





玄関に、見慣れた小さな靴。





家族のものではない。





パタパタパタ・・・





スリッパの音。





「秀!」





「奈緒、なんでここに・・・」





「それよりケガ!大丈夫?痛くない?」





包帯を巻いている左腕を指す。





「あ、ああ。こんなんかすり傷だよ。対したことない」





「よかった・・・」





奈緒は泣き出して、秀一郎に抱き着いた。





「奈緒・・・」





「秀がケガしたって聞いたからすごく心配したんだよ。病院から出られないって聞いたからホント不安で、あたしも行きたかったけどお姉ちゃんが絶対行くなって・・・だからここでずっと待ってた。すっごく心配したんだから・・・」





秀一郎は奈緒のことをすっかり忘れていた。





小さく、温かい感触が懐かしく感じる。





「奈緒、ゴメンな。あと、ありがとう・・・」





帰る場所の温かさを実感する秀一郎だった。


[No.1540] 2009/11/29(Sun) 07:43:17
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regret-34 (No.1540への返信 / 33階層) - takaci

(ん?)





3日ぶりに登校した正門前がいつもとは異なっていた。





報道関係者と思われる人間やカメラがいくつか見られた。





(あれから結構経っているのにまだいるのか・・・ってまだ3日前か)





秀一郎の主観と客観的な時間のズレを感じる。





あれからまる2日間は、秀一郎にはとてつもなく長い時間に感じていた。





教室に入ると、





「おっ、佐伯が来た!」





「佐伯くん!」





クラスメイトに取り囲まれた。





「佐伯くん大丈夫?酷いケガして病院から出れないって聞いたけど・・・」





女子生徒が今にも泣き出しそうな目でそう声をかけてきた。





「はあ?それデマだって。俺はかすり傷だから」





「それと桐山さんは?すごい血だったけど・・・」





「まだ予断は許さないし、目覚めまで数日かかるらしいけど、峠は越えた」





「ホント?」





「ああ」





「よかった・・・ホントによかったあ・・・」





秀一郎のこの報告で女子生徒の何人かが泣き出した。





「でも佐伯すげえな。お前このクラスの、いやこの学校のヒーローだぜ!」





「ヒーローって、何言ってんだよ、俺は・・・」





「謙遜すんなよ!その腕だって名誉の負傷じゃねえか!」





「ナイフ振り回してる奴に向かって取り押さえるなんて普通じゃ出来ねえよ!」





「それにお前ってあの芯愛の菅野からも一目置かれてんだろ。やっぱすげえ」





周りはどんどん盛り上がり、秀一郎をもり立てる。





(なんだこれ?)





事実が捩じ曲がって伝わっているように感じた。





途端に空しく、悲しい気持ちになる。





そしてそれが、苛立ちに変わる。





「勝手に騒いでんじゃねえ!」





突然、秀一郎は怒鳴りつけた。





一気に静かになる。





「俺の、俺のせいで桐山は刺されたんだ。桐山はマジで死にかけた。俺の目の前で何度も心臓が止まった。そんな俺がヒーローなもんか!」





空気が凍る。





ガラッ・・・





「おい何してる、みんな早く席につけ」





黒川が入って来た。





ぎこちない空気のまま、全員席についた。





「あー、いまだに報道陣が来ていて騒がしいが、みんな授業に集中するように。それとみんなが心配している桐山だが、危機は脱した。あとは意識が回復するのを待つだけだ。安心しろ」





この言葉で教室が一気に活気づいた。





「あー静かに、あと今日の連絡事項だが・・・」





朝のホームルームは滞りなく終わった。





最後に黒川が秀一郎に、昼休みに職員室に来るように伝えたが、それを茶化す者はいなかった。










そして昼休み。





秀一郎が黒川の机に向かうと、先客がいた。





「真緒ちゃん?」





「あ、センパイ」





「真緒ちゃんも呼ばれたの?」





「はい・・・」





少し困惑気味の真緒。





ここで黒川が、





「お前らは今回の事件の当事者だ。ちょっと相談だが・・・」





黒川は事務的な口調で話を始めた。





「取材って、俺たちがですか?」





「今回の事件の焦点は大きくふたつだ。まずは不審者の侵入を防げず、ケガ人を出した学校側の責任。これは明らかにマイナスだ。だがその件に関して逃げる気はない。責任はとる。そしてもう一点は教師ではなく生徒が不審者を取り押さえたこと。これはプラスだ。そして世間はそれを成し遂げた、つまりお前らふたりの声を聞きたがっているんだ」





「そんな・・・そんなのプラスじゃない。明らかなマイナスだ。俺が油断したから桐山は刺されたんだ」





「あたしもそうです。蹴りが甘かった。だから簡単に復活して・・・ちゃんとした蹴りを入れてれば桐山先輩が傷つくことはなかったんです・・・」





責任を感じて落ち込むふたり。





「佐伯に小崎、責任があるのは学校であり、教師の我々だ。お前らが悔いることも恥じることもないんだ」





「でも実際は!」





「侵入者を防げなかったのは学校の不手際で、その結果桐山が命を落としかねない怪我を負った。佐伯、お前も怪我をした。にも関わらずお前は勇敢に立ち向かい、小崎と協力して侵入者を取り押さえたんだ」





「それは違います!俺は勇敢なんかじゃない!ただ無謀なだけだ!それで桐山を・・・」





「佐伯、落ち着け!」





黒川が一喝した。





だが秀一郎は納得がいかなかった。





「先生の言ったことは事実誤認です。順序が違う。だから話が美化してます」





「だが、これが世間に伝わってる事だ。お前らふたりは今回大失態を侵した当校での唯一の光なんだ」





「そんなのいい迷惑です。間違った事実で英雄視されるより、ちゃんと事実を伝えて罵られたほうがマシです」





「佐伯、そう思うなら、お前の生の声を報道のマイクに伝える気はあるか?」





黒川は真剣な目で秀一郎に問い掛けてきた。





「・・・構いません。全部話します。先生には悪いですが、学校の体面なんか関係ないですから」





「あたしも、ちゃんと話します。ニュースはなんか間違っているような気がしてました。それをきちんと伝えたいです」





真緒も秀一郎と同じ気持ちだった。





「わかった。では放課後に時間を設ける。学校側で台本を用意したりしない。お前らの心の声をマイクに伝えてみろ」





こうして放課後に急遽、ふたりは報道陣のカメラとマイクの前で話すことになった。





当初は学校の中庭で簡単な囲み取材程度の予定だったが、





時間にふたりが案内されたのは大きな会議室だった。





「なんでこんなとこでやるんですか!?」





秀一郎は不満を訴えたが、





「報道陣が予想以上に多くてここしか入らなかったんだ。かなり緊張するぞ」





「けど、こんなの、ただの晒し者じゃないですか」





会議室の一番前に長机が置かれ、これから座る席の前にはおびただしい数のマイクがセットされている。





さらに数える気にならないくらいの報道陣とカメラ。





普通の人間ならすくみ上がる。





「だが、世間の関心がそれだけ高いということだ。ここまで来たら逃げるわけにはいかない。この会見には私も、他の教師も出る。出来る限りのフォローはする。準備はいいか?」





秀一郎と真緒は小さく頷いた。





そして校長を先頭に、会見の席に出る。





まばゆいばかりのフラッシュが焚かれる。





一礼して、席についた。





多くの報道陣の目とカメラが向けられている。





いやがおうでもでも緊張が高まる。





(ヤバい、緊張してきた。ちゃんと喋れるかな俺・・・)





平常心を失いかける。





(でも、ここできちんと喋れなかったら意味がないんだ)





黒川が報道陣にこの会見での注意事項を話し始めた。





(落ち着け・・・落ち着くんだ。ちゃんと事実を追って伝えるだけだ。それくらい出来なくてどうするんだ・・・桐山が見てたら・・・)





沙織の姿を思い出す。





今まで見てきたいつもの顔。





あまり見れない笑顔。





恥ずかしそうな困り顔。





そして、刺された直後の血の気が失せた顔。





蘇生の光景。





(桐山・・・)





不思議と落ち着いてきた。





「佐伯、準備はいいか?」





黒川が尋ねてきた。





「・・・はい、大丈夫です」





秀一郎の腹は決まった。





落ち着いた顔で、事件の説明を始めた。












「・・・これが、あのときに起こったことの経緯です。俺・・・僕の油断が彼女の大怪我に繋がりました。今でも後悔しています。軽率な行動でした」





秀一郎はそう締め括った。





そして報道陣の質問に入った。





「佐伯くん、君は犯人を目にしたとき、逃げようとは思わなかったの?」





「もちろん思いました。ですが目が合ってしまって、もう僕に向かって来ていました。あのとき、ナイフに背を向けるほうが危ないと思いました」





「では君と犯人の交錯は避けようのない事態だった。でも君は逃げずに勇敢に立ち向かい、手傷を負いながらも、小崎さんと協力して犯人を取り押さえた」





「そうです。でも押さえ切れずに振りほどかれてしまった。そこで隠し持ってたナイフを向けられて・・・」





「そこを桐山さんが君をかばって刺された」





「そうです」





「でも、桐山さんがいなければ君が刺されてた。そうだよね?」





「そうなったと思います。でもそれなら怪我人は僕ひとりで済みました。結果的に怪我人が増えたんです」





「その考えは楽観的過ぎると思うけど?」





記者が秀一郎の予想外の言葉をかけてきた。





「えっ?」





「確かに桐山さんが刺されたけど、もし君が刺されてたら君が命を失ってたかもしれない」





「それは、そうかも知れませんが・・・」





「死者一名より、怪我人ニ名のほうがよかったと思うけど?」





「けど、それは結果論です。現に彼女は死にかけたんです」





「でも助かった。結果的にはそれでよかったんじゃないのかな?先生方はどう思ってますか?」





これを受けて黒川が、





「このふたり、佐伯くんと小崎さんはとても責任感が強く、桐山さんの怪我をとても重く受け止めています。ですが、あそこで犯人を取り押さえなければ他の生徒、教師にも被害者が出ていた可能性もあります。犯人の侵入を許した当校の責任はあります。ですがここにいるふたりの勇気ある行動が被害を最小限に留めたと考えております」





と、はっきりと秀一郎と真緒を擁護する発言をした。





その後、秀一郎と真緒には事件の状況を聞く質問はなく、会見は無事終了した。





その夜、





「すごーい、これって秀とお姉ちゃんだよね。ホントに映ってるよ」





秀一郎宅は親が今日も不在で奈緒が夕飯に誘ったので、小崎家の食卓を囲むことになった。





そしてテレビに映るのは放課後の会見だった。





学校側の要請で秀一郎と真緒の顔は映されず、名前も出ていない。





ただ声と、包帯を巻いた左腕のみ映っていた。





秀一郎も真緒も会見では自らの非を認めていたが、ニュースでその点を非難することはなかった。





非難されたのは犯人のみで、秀一郎たちはむしろそれに立ち向かったことを評価していた。





「秀一郎くんは立派だね。あれだけカメラを向けられても動じていないとはね」





奈緒と真緒の父、真也も秀一郎を褒める。





「いや、結構ビビってましたよ。さすがにあれは緊張しましたね」





「でも口調はいつも通りだよ。普通なら上ずるところだよね」





「真緒はちょっと声が高かったみたいね」





母の由奈が笑顔でそう指摘した。





「そ、そうだね。凄く緊張してたから」





頬を赤くする真緒。





「けどこれで秀一郎くんも肩の荷が下りただろ?事実を伝えても非難は受けなかったし、刺された友達も峠を越えたことだし」





「まあ、そうですね」





とは言いつつも、すっきりしない心情だった。





「でもこんなんなら秀もお姉ちゃんも顔出せばよかったじゃん。あたしも鼻高々だったのに」





「勘弁してくれよ。そんなのただの晒し者だ」





奈緒の暢気な言葉に呆れつつも、まだ沙織が気になる秀一郎だった。


[No.1541] 2009/12/06(Sun) 07:14:45
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秀一郎のバイトが終わるのが大体午後7時。





それから何もなければまっすぐ帰るが、ここ数日は毎日寄り道をしていた。





バイト先から沙織が入院している総合病院まで歩いて10分とかからない。





集中治療室での完全看護状態では面会出来ないが、それでも足を運んでいた。





沙織が搬送されてから5日、





秀一郎は集中治療室に向かった。





そして部屋の前で立ち止まる。





「あれ?」





桐山沙織と書かれたネームプレートがなくなっていた。





(ってことは・・・)





沙織はこの部屋から出された事になる。





秀一郎はナースステーションに向かった。





「すみません、ちょっとお尋ねしたいんですが」





「ああ、あなたね。毎日ご苦労様」





看護師は秀一郎の顔を覚えていた。





「桐山さんは容態が安定したのでこのフロアの303号室に移りましたよ」





「じゃあ意識は?」





「まだ眠っていますが、もうすぐ回復しますよ」





朗報に胸が軽くなる。





「もう面会も大丈夫な部屋だから行ってもいいですよ」





「ありがとうございます。ところで俺以外に面会に来たのは・・・」





「たぶんあなた以外はいないと思います。ここや受付で尋ねてきた人は記憶にないです」





「そうですが、ありがとうございます」





秀一郎は一礼して、沙織の部屋に向かった。





(やっぱり誰も来てないのか・・・)





この5日間で秀一郎以外の来訪者はいないとのことだった。





親戚も他の友人も学校関係者も来ていない。





(まあ先生たちは病院からの連絡待ちだろうし、他の友達も先生から今は行くなと言われてるから仕方ないけど、でも親戚関係が誰ひとり来ないなんて・・・)





そんな立場の沙織を思うと、心が痛む。





「303・・・ここか」





確かに桐山沙織というネームプレートがある。





そしてそれ以外の名前はない。





(個室か。まあ容態考えれば当然だよな)





ノックした。





当然、返事はない。





静かに扉を開けて、部屋に入った。





個室にしてはやや狭く感じる部屋だった。





入口からはベッドとカーテン以外のものは目に入らない。





明かりも点いていたが、どことなく暗く感じる。





静かにベッドに寄る。





(桐山・・・)





穏やかな寝顔がそこにあった。





酸素マスク等は見当たらないが、ベッドの側で計器類が動いていた。





(よかった・・・)





集中治療室から出れたとは言え、もっと物々しい姿を想像していた秀一郎はひと安心した。





(でも何もない部屋だな。明日は花でも持って来よう)





そんな事を考えながら部屋を出ようとしたとき、











「・・・ん・・・」





沙織が小さな声をあげた。





「桐山?」





沙織を呼ぶ。





「・・・」





ゆっくりと目が開いた。





「桐山、気がついたか?俺がわかるか?」





「・・・佐伯くん・・・」





弱々しい声だが、確かに秀一郎の名を呼んだ。





「よかった・・・」





笑顔を浮かべる秀一郎。





「あたし・・・どうして・・・」





「ここは病院だ。桐山は俺をかばって刺されたんだ。覚えてるか?」





「・・・うん・・・でも・・・そのあとは・・・」





秀一郎は沙織が刺された直後に意識を失って、この病院に緊急搬送されたこと。





今の日時と、今日まで5日間昏睡状態だったことを告げた。





「あたし・・・そんなに・・・寝てたんだ・・・心配かけて・・・ゴメンね・・・」





「とにかく今はゆっくり休め。あ、看護婦さん呼ばなきゃ」





秀一郎はインカムを押して沙織の意識が戻ったことを告げると、ふたりの看護師が飛んできた。





ほどなくして医師も来て、簡単な検診が行われた。





「なんか・・・相当・・・重傷だったんだね・・・身体・・・全然動かないや・・・」





「とにかく今は身体を治すことだけ考えるんだ。他のことは俺に任せろ。とりあえず身の回りのものを持って来ないとな」





「そんな・・・悪いよ・・・」





「気にすんな。桐山は俺の恩人だ。出来ることはさせてくれ。家の鍵は・・・先生か看護婦さんに聞いてみるよ」





「いろいろ・・・ゴメンね・・・」





沙織は謝りながらも、最後は笑顔を見せた。











「さてと、身の回り品か。どうするかな」





帰り道、かつて秀一郎が直した沙織の部屋の鍵が入ったキーケースを手にしながら、秀一郎は考えを巡らす。





この鍵は沙織の所持品で、病院で預かっていたので、ナースステーションに申し出たら渡してくれた。





(鍵を手に入れても、俺が部屋に入っていろいろ持ち出すわけにはいかないからな)





こういうことは同性に頼むしかない。





(でも奈緒はダメだな。真緒ちゃんは、ちょっと頼みづらいな。そうなると・・・)





ひとり思い浮かんだ。





(確かこの前の旅行のときにメアドを交換したから・・・あったあった)





携帯の画面に「御崎里津子」の文字が表示される。





簡単に用件を打ち込んで送信。





すると、





「おっ」





30秒もしないうちに、里津子から着信が入った。











翌日の夕方、





「沙織ぃ〜、よかったぁ〜!」





涙を流して喜ぶ里津子と、





「桐山先輩すみません、あたしが不甲斐ないせいで・・・」





申し訳なさそうに謝る真緒、





それと秀一郎の3人で面会に訪れた。





放課後にこの3人で沙織の部屋から必要なものを運び出してきた。





「みんなありがとう。あと迷惑かけてごめんなさい。警察の人にも無茶しちゃダメだって怒られちゃった」





そう話す沙織の声は昨日より格段に元気がよい。





「警察来たのか?」





「うん。簡単な事情聴取受けた。あと黒川先生も来たよ。今回は学校の不手際だから出席は考慮してくれるって。でもテストでちゃんと点を取ればって釘刺されたけど」





「テストって受けられるんですか?中間までひと月もないですよ?」





真緒がそう尋ねると、





「さすがに中間は真に合わないと思う。だからテストは放課後にひとりで受けることになりそう。けど文化祭と修学旅行は大丈夫だと、思いたいね」





沙織は苦笑いを浮かべた。





「そっか、やっぱりそれくらいかかるよな。でも焦らずにゆっくり治せよ」





「うん。でも入院中なにしよう?あと何日かすれば起き上がれるようになるから、それからどうやって時間を使おうか考えちゃう」





「文芸部の創作やれば?時間あるなら思いっきり壮大なストーリーにするとか?」





そう提案する里津子。





「でも病室ってノートパソコン持ち込んでいいのかなあ?」





「大概の病院なら許可貰えばOKのはずだ。あ、それならモバイルカード貸すよ。ここでもネット繋げるよ」





「え、そんな、いいよ。それって定額でお金かかるものでしょ?」





「いいっていいって。どうせほとんど使わないものだから気にするな」





「でも、なんかみんな一生懸命勉強してるときに遊ぶのって気が引けるって言うか・・・」





「沙織は真面目だなあ。そんなこと気にしてると治り遅くなるよ。それにあたしなんかほとんど授業聞いてないし」





「まあ、御崎はもちっと真面目に授業聞いたほうが良くないか?成績ヤバめだろ?」





里津子をからかう秀一郎。





「そ〜なんだよ〜。沙織のノート頼りに乗り切って来たけどそれ使えないんだよね〜中間どうしよ〜」





(ここにもいたか奈緒の同類が)





オーバーアクションで落ち込む里津子を秀一郎は呆れながら眺めていた。





奈緒も自分ではノートをとらずに他人のノートで乗り切っている。





ただ里津子と異なるのは、奈緒の成績が学内では悪くないこと。





とにかく奈緒は呆れるほど要領がいい。





それを秀一郎が話すと。





「あたし奈緒ちゃんに弟子入りしようかな・・・」





里津子は真顔で冗談みたいなことを口にした。





「でも根は真面目ですよあの子は。こうして毎日センパイのお弁当作ってますし」





苦笑いを浮かべ、とりあえずフォローを入れる真緒。





「奈緒ちゃんって無邪気なんだよね」





沙織もフォローを入れる。





「そうかなあ?」





ふたりにそう言われても秀一郎は首を傾げていた。





「でもホントノートどうしよ・・・」





まだ考え込んでいた里津子。





「りっちゃんゴメンね。でもあたしもノートどうしよう・・・」





それが沙織に移ってしまった。





「なんなら俺でよければノート持って来ようか?」





見るに見かねた秀一郎がそう進言すると、





「ホント?ありがとう、すごく助かるよ」





沙織は笑顔を見せた。





「ホント桐山は真面目だな。もっと気楽に過ごしたほうが・・・」





と言いかけたとき、





「佐伯ぐ〜んあだじにも救いのでを〜!ノードぉぉ〜」





半泣きの里津子がすがりついてきた。





「ちょ、おま・・・落ち着けって!わかった!わかったから離せ!」





真緒の前で他の女子と身体を密着させるのはどうも気分が悪かった。





もし奈緒の耳に入ったら・・・面倒なことになるのは目に見えている。





それぞれがそれぞれの思惑で必死な様子を真緒と沙織は笑顔で眺めていた。











それから10日ほどが過ぎた。





沙織は順調に回復し、ベッドから起きられるようになった。





ただ、まだ立って歩くことは出来ない。





秀一郎は里津子と1日置きで沙織の見舞いに行っている。





授業のノートと宿題のプリント類を主に届けている。





ちなみに里津子は宿題で出たプリントは沙織に渡し、沙織が解いたものを回収している。





それをどう使っているかは書くまでもない。





「えっ、りっちゃんってあたしのプリント丸写しなの?」





「ああ、でも全くの丸写しだと正解率が高すぎるから要所はわざと間違えた解答を書いてるんじゃないか?」





暴露する秀一郎。





「そんなことしなくても解いたほうが楽じゃないかな。下手に細工に神経遣うほうが時間かかりそう」





「そりゃ桐山が頭いいからだよ。普通の奴はいろいろ孝策するんだよ。まあそうやってズルすると一部の例外除いてテストでボロボロになるけどな。たぶん御崎は今度の中間は悲惨たぞ。ま、報いだから仕方ないか」





「ねえ、その例外ってひょっとして、奈緒ちゃん?」





「そ〜なんだよ。あいつロクに勉強せずにテスト乗り切ってるからなあ。どこでどんな悪さしてんのか想像つかん」





「たぶん影で、佐伯くんの知らないところで努力してるんだよ」





「そーかなあ?」





沙織はそうフォローするも秀一郎は信じられなかった。





そんな話をしながら沙織は秀一郎のノートを写している。





コンコン・・・





ドアがなった。





「はい、どうぞ」





沙織が返事すると、扉が静かに開いた。





大きな花束が目に入る。





そして、





「えっ?」





沙織は驚いてシャープペンを落とした。





「な、なんで・・・」





秀一郎も同じように驚く。





「はじめまして、桐山沙織さん」





泉坂出身の美人天才小説家、東城綾が花束を持って立っていた。


[No.1542] 2009/12/13(Sun) 06:41:30
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さらに意外な人物も一緒だった。





「よっ、佐伯くん」





「ま、真中先輩?」





綾の恋人、真中淳平が後ろに立っていた。





「えっ、佐伯くんの知り合い?」





「ああ、泉坂の先輩で俺のバイト先と同じビルに入ってる商社に勤めてる真中さん」





「そういえば君はあのビルで一度顔を合わせてたよね?」





綾は休憩室でほんの少し顔を合わせたことを覚えていた。





そして花を入れ替えるために花瓶を受け取り、一旦部屋から出ていった。





「でも真中さんがなんでここに?」





「唯に頼まれたんだ」





「唯?」





と言われても顔が思い浮かばない。





「あの、唯お姉さんですか?」





沙織がそう尋ねると、秀一郎ははっと思い出した。





夏休み前の沙織の縁談話。





変態議員秘書とその手下の4人組。





そしてそれらの悪巧みを止め明らかになったときに謝りに来た見た目が若い女性。





「そういえばあの人、南戸唯って名前だったっけ。それに確かこっちに幼なじみがいて学生時代は住んでたって・・・」





「そう。その唯の幼なじみが俺で、住んでたのは俺の実家だ」





「へえ〜っ」





秀一郎は世の中は狭いものだと実感していた。





ここで綾が花瓶を持って帰ってきた。





「唯ちゃん、いまNPO法人の団体で支援活動してるの。確かアフリカの小さな国にいるからよほどのことがないと帰って来れないのよ」





「あの、東城先生も唯お姉さんのことをご存知なんですか?」





「ふふ、先生なんて堅苦しい呼び方しないで。綾でいいよ、沙織ちゃん」





「あ、は、はい。ありがとうございます」





ベッドの上で恐縮しまくる沙織。





その綾の話で、学生時代に淳平と綾と唯で仲良く過ごしていたことが語られた。





「唯ちゃん、沙織ちゃんのことをすごく心配してた。ホントは駆け付けたいんだけどそれは無理。親の死に目にも逢えない苛酷な環境で働いてるの」





「それでまず俺の実家に連絡が来て、聞いたら泉坂の事件の当事者って話で、それから黒川先生に連絡して詳しい話を聞いたら佐伯くんの名前が出て来てさ。俺もびっくりしたよ」





「そうだったんですか」





親戚が来れない事情を聞いて、秀一郎は少しホッとした。





「沙織ちゃんは頼れる身寄りがいないんでしょ?もし迷惑じゃなければあたしがいろいろ身の回りのことをするよ」





「えっ、そんな、東城先生があたしの世話なんて・・・先生だってお忙しい方なんですからそんなのお願い出来ないです」





綾の申し出を、沙織は顔を真っ赤にして首を振る。





「沙織ちゃん、あたしに気を遣わなくていいよ。唯ちゃんも心配してるし、あたしにとっては泉坂の、文芸部の大切な後輩なんだから、ね」





「は、はい、ありがとうございます。あたし夢みたいです。先生・・・じゃなくて、その・・・綾さんのファンで、いろんな本を読みました。それで・・・」





女同士で話が盛り上がりそうな空気だった。





そこで淳平が秀一郎の肩を叩き、手招く。





男ふたりは静かに部屋から出た。










フロアの休憩スペースに移動して、淳平はコーヒーを秀一郎に差し出した。





「真中先輩ありがとうございます。桐山って東城綾の大ファンなんです。あんなに嬉しそうな桐山初めてです」





秀一郎の声も弾む。





「いや、それはいいんだけどさ、ちょっと立ち入った話聞いていいかな?」





淳平は複雑な顔を浮かべている。





「あ、はい、なんですか?」





「あの沙織ちゃん、佐伯くんの友達なの?」





「はい」





「ホントにそれだけ?」





「えっ?」





「かわいい子だし、性格だって良さそうだ。女の子として、異性としては見てないの?」





「それは・・・」





答えに詰まる。





(桐山は友達で、俺の恩人で、それで・・・)





考え込む。





これが沙織ではなく里津子のことなら、すぐに友達だと返答出来ただろう。





沙織のことをあらためて聞かれると、答えられなかった。





「すぐに答えられないってことは、それだけ簡単には割り切れないと思ってるわけだよね」





秀一郎の口から言葉が出ないことで、淳平はそう結論づけた。





「はい・・・」





「いや、それをどうこう言うつもりはないよ。大概の男ならかわいい女の子はそういう目で見るし、仲良くなりたいって思うことは自然な感情だ。間違っちゃいない」





「確かにそうかもしれません、でも俺は・・・」





淳平の言葉をそのまま鵜呑みにはしたくなかった。





それが顔に表れる。





「やっぱり佐伯くんは真面目だな。俺とは大違いだ」





淳平はそれを読み取り、微笑むとコーヒーに口をつけた。





「俺自身も理由はわからんけど、高校時代はけっこうモテてさ。綾もそうだし、他にもふたりくらいの女の子から好かれてたんだ。で、みんな俺にはもったいないくらいのいい子ばかりで、俺決められなくてさ、ずっとフラフラしてたんだ」





「は、はあ」





「佐伯くんは気付いてないかもしれないけど、沙織ちゃんは綾に似ている。姿じゃなくて、性格とか目とかがね。高校時代の綾と少しダブる。綾はあんな目で俺を見てた。同じような目で佐伯くんを見てるよ」





「それって・・・」





「あんま無責任なこと言えないしもし違ってたら謝って済むことじゃないけど、たぶん間違いない。沙織ちゃんは佐伯くん、君のことが好きだ」





この淳平の言葉で、秀一郎の心がズシンと重くなった。





それが顔に表れる。





「まあ予想はしてたけど、あまり嬉しそうじゃないね。明らかな困り顔だ」





「いえ、そんなことないです。女子から好かれるのは嬉しいです。でも俺には奈緒が・・・」





「あの小さくてかわいい子は奈緒ちゃんっていうのかい、君の彼女の」
「奈緒はいろいろダメなところがあるけど、俺を支えてくれてます。俺は奈緒に支えられてます。桐山が刺されたときはメッチャ取り乱して、奈緒のことはすっぱり忘れてました。けどあいつはそんな俺をただじっと待っててくれた。それだけじゃない。奈緒がいてくれたから俺は強くなれた。今の俺は奈緒がいるからなんです」





「軽い気持ちで付き合ってはいないんだね。でも、沙織ちゃんに告白されたらどうする、簡単に断れるかい?」





「それは・・・」





断る、という一言が出なかった。





その事実にあらためて気付き、落胆する秀一郎。





「困らせることを言ってゴメン。けどこういうことは悩んで欲しいんだ。自分の心とちゃんと向き合って、固めた結論を出さないと最後は泣くことになる。自分も相手もね」





淳平は昔を思い出すような顔を見せた。





「真中さんも、そうだったんですか?」





「俺はみんな泣かせた。綾も他の女の子もな。で、結果的にはみんないなくなった」





「え?でも今は・・・」





「そんな俺に綾が手を差し延べてくれたけど、それはただ運がよかっただけさ。俺はフラフラした揚句、最後に全て失ってたんだ」





「そう・・・なんですか・・・」





「沙織ちゃんと奈緒ちゃん、どっちもいい子だと思う。けどだからってふたりを選ぶことは出来ない。どちらかひとりだけだ。あと結論は先延ばしにしないほうがいい。先にすればするほど後で辛くなるから」





「はい・・・」





「じゃあそろそろ戻ろう」





秀一郎は淳平の背中を見ながら沙織の部屋に戻る。





(俺は・・・)





沙織を意識して、楽しそうな笑顔を見せるその顔を見れなかった。










その後、秀一郎の苦悩は続いた。





奈緒から来る日常のメール。





相変わらずわけのわからない内容だが、心が暖かくなる。





(やっぱ奈緒がいると退屈しない。ホッとする)





あらためてそう感じるが、翌日教室で沙織の空席を見ると、今度は沙織が気になる。





(桐山、大丈夫かな・・・あの東城綾が世話してくれるなら心配ないだろうけど、うまくやってるかな)





秀一郎のなかで、沙織の存在は明らかに大きくなっていた。





昼休み。





いつものように弁当を開ける。





(これは・・・)





奈緒が作った弁当。





(俺は、これを食べられる立場なのか?)





急に罪悪感を覚える。





箸が止まりがちになるが、だからと言って残すのは奈緒に悪いと思い、無理矢理腹に詰め込んだ。





放課後。





いつものように真緒の教室に向かう。





「センパイ、お疲れ様です」





いつもと変わらぬ笑顔を見せる真緒。





秀一郎はそんな真緒に空の弁当箱を渡し、





「真緒ちゃん、その、奈緒に伝えて欲しいことがあるんだけど」





「はい?」





「その・・・弁当はしばらくいいって・・・」





「えっ?」





驚く真緒。





「いやその、いつまでも奈緒に甘えてるのもどうかと思ってさ。それに毎日大変だろうし・・・」





「センパイ!」





真緒が真っすぐな目で秀一郎を呼ぶ。





「な、なに?」





「他の女子からお弁当食べて下さいって迫られてるんですか?」





「な、ないない。それはないって!」





慌てて否定する。





「じゃあ奈緒のお弁当まずいですか?そんなことないですよね!それにもしそうだったらセンパイは直接奈緒に言いますよね?」





「あ、ああ。弁当に不満はないんだ」





「だったら食べてください。なにも問題ないです」





「いや、だから、奈緒じゃなくて俺の問題で・・・」





「桐山先輩ですね?」





「えっ?」





図星を突かれ、言葉に詰まる。





「センパイ、一緒に帰りませんか?ちょっとお話したいです」





いつもの真っすぐな目。





今の秀一郎は、まるで心を射抜かれているように感じていた。





帰り道。





並んで歩くふたり。





「あたし、センパイが桐山先輩に惹かれるのはある程度仕方ないかなって思います」





「えっ?」





真緒から思いもよらない言葉が出た。





「あたし桐山先輩とよく話しました。センパイの話題になることも多かったです。それで薄々感じてました。桐山先輩はセンパイが好きだって」





「それ、別の人にも言われたよ」





「けど、桐山先輩があの時、センパイをかばって刺されたのはホントびっくりしました。やろうと思っても、あれは出来ません。桐山先輩は身体が勝手に動いたと言ってましたけど、普通は動きません」





「だろうな。そうは思っても本能が危機を察知するともう動けない」





幾度か、ナイフを交えた交戦の経験から秀一郎はそれを学んでいた。





「それでも桐山先輩は動いた。本能を圧し殺してセンパイを護るために我が身を差し出した。それが出来るなんてものすごく強い想いです」





「そう・・・だよな・・・」





「センパイもそれに気付いた。だからあんなに一生懸命に桐山先輩の側から離れなかったんです」





「いや、それは違う。俺はただ責任を感じただけだ。それに桐山は孤独だ。放っておけなかった。それだけだ」





「そうかもしれませんが、それも含めてです。桐山先輩の行動がセンパイの心を掴んで惹き付けた。あのときのセンパイは桐山先輩しか見えてなかった。これは事実です」





「そうだな・・・」





「だからあたしは奈緒を止めました。あの子、センパイが怪我をしたと知ったらすごく心配顔ですぐにでも病院に駆け付ける勢いでした。でもあのときのセンパイは奈緒に冷たく当たったはずです。桐山先輩しか見えてない状況では奈緒を邪魔に感じるでしょう。もしそうなってたらあの子はショックを受けます」





「だから奈緒は俺ん家で待ってたのか」





「今もそうです。ただ桐山先輩に強く惹きつけられてる。だから奈緒の優しさに罪悪感を覚えているだけだと思います」





「一時的なものか・・・」





「そうですね」





真緒の説明は納得出来ないわけでもない。





ただ、それで割り切れるものでもなかった。





「センパイ、明日、久々にきちんと朝練やりましょう」





「えっ?」





「気分転換です。思い切り身体を動かせばすっきりしますよ」





笑顔を見せる真緒だった。


[No.1543] 2009/12/20(Sun) 07:46:53
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regret-37 (No.1543への返信 / 36階層) - takaci

「たあっ!」





真緒の掛け声とともに鋭い蹴りが飛んで来る。





「くっ!」





秀一郎はガードで手一杯だった。





(真緒ちゃん、いつもと違う。速さと鋭さが桁違いだ)





定期的に組み手を交わすふたりだが、今日の真緒は気迫がこもっていた。





いつもは真緒が素手で秀一郎は両手にミットだが、今日はふたりとも練習用のボクシンググローブを身につけている。





だから蹴りだけでなく拳も飛んでくる。





パアン!





真緒の拳が入った。





「ぐっ!」





秀一郎の体勢が少し乱れるが、威力はさほどでもないので持ち直す。





「センパイ、もっと脚を使うんです。ガードじゃなくスウェイで対処する。それじゃいずれ脚が止まります」





「んなこと言っても・・・」





真緒の動きは予測不可なので下手には動けない。





よけて動いた先に蹴りが待っていることはザラである。





拳と蹴りをガードで何とかさばきつつ隙を伺うが、今日の真緒に隙はない。





秀一郎はほぼサンドバッグに近い状態だった。





ドガッ!





「ぐうっ!」





真緒の鋭い上段の蹴りがガードの上から秀一郎を襲う。





グラッと来た。





(このままじゃどうにもならん。何とか止めないと・・・)





乱れた体勢で考えを巡らすが、真緒は次の手を撃とうとしている。





「くっそ!」





秀一郎は無理な体勢のまま、向かって来る真緒に拳を出す。





だが、真緒の姿が視界から消えた。





(やられた・・・)





覚悟する。





ビーッ





庭の隅に置かれたタイマーのアラームが鳴る。





背後に気配を感じる。





(う・・・)





真緒の右足が秀一郎の首筋に寸止めで入っていた。





「アラームに助けられましたね、センパイ」





「真緒ちゃんのスピードには対応出来んよ」





「けどだいぶタフになりましたね。8ラウンドで3回ダウンは新記録ですよ」





笑顔を見せる真緒。





「はあ〜、きっつ〜」





秀一郎はドンと尻餅をついた。





ランニングと筋トレに真緒との実戦6ラウンドがいつものメニューだが、今朝は8ラウンドこなした。





しかも容赦ない攻撃が続いたのでスタミナの消耗も激しい。





心底へとへとだった。





ガラッ。





縁側のドアが開いた。





エプロン姿の奈緒が顔を出す。





「お姉ちゃ〜ん、秀〜、もうすぐご飯だよ〜」





奈緒の声がいつもより温かく感じた。











休みの日は早起きして真緒の朝練に付き合うのが習慣になっている。





短時間で密度の濃いメニューをこなし、シャワーを浴びてさっぱりしたのちに小崎家の温かい朝食が待っている。





「いただきます」





秀一郎はまず味噌汁に口をつける。





今朝は格別に美味かった。





奈緒にそう告げると、





「そう?いつもと変わらないけどね」





とは言いながらも満更ではない顔を見せる奈緒。





「センパイ、今朝は頑張りましたからね」





真緒も嬉しそうな笑顔を見せる。





温かい食卓。





美味しい朝ごはん。





気持ちも温かくなる。





「ねえ秀、今日これから買い物付き合ってよ」





「別に構わんけど。どこ行くんだ?」





「今月の頭にオープンしたショッピングモール。前から話してたでしょ?」





「そういえばそうだったな」





言われてようやく思い出した。





「秀ずっとバタバタしてて忙しそうだったけど、今日はいいよね?」





「あ、ああ」





「じゃ決まり!なに着てこうかなあ〜」





奈緒は嬉しそうな笑顔を見せる。





その一方で秀一郎は少し動揺していた。





(確かに俺は桐山にかかりっきりで奈緒は放ったらかしだった。全然気にしてなかったけど、やっぱ奈緒は気にしてたんだな)





今の奈緒の笑顔は秀一郎には少し痛かった。





朝食の後、待たされたのが1時間と少々。





ようやく部屋から出てきた奈緒は特別変わったようには見えなかった。





「しっかし女の子の準備ってのは時間かかるな。これで化粧までするようになったら倍以上待たされるのか?」





「どうかなあ?あたしメイクなんてまだあまりしてないからわかんない。お母さんもあまりしないもんね」





「んじゃ着てく服を選ぶだけでそんだけかかるのか。まあそれが初めて着る服だったらわからんでもないが・・・」





奈緒は見慣れた服を着ている。





「逆よ逆。着てくのが決まってるなら迷わないもん」





「普段からそんなんだと大学とかなったら大変そうだな。いっつも長いこと待たされるからなあ」





「普段着ならそんなに時間かけないよ。秀と一緒だから時間かけるの。あたしはまだ短いほうだと思うよ。お姉ちゃんはもっと迷うから」





「えっ?」





これは意外だった。





真緒にそんなイメージはなかった。





「夏休み前にお姉ちゃんとデートしたでしょ。あの日に着てく服なんていくつも買って、前の晩から鏡とずっとにらめっこしてたもん」





「あの真緒ちゃんが?へぇ〜っ」





思い出してみれば、あのときの真緒の服装は気合いが入っていた。





普段はシンプルで動きやすい姿ばかりであまりファッションにはこだわっているように見えない真緒の女の子らしい姿だった。





「まあ、あの日もいろいろあったなあ」





「何よ、お姉ちゃんは楽しかったって言ってたけど、なにかあったの?」





「いや、別に」





あの日、奈緒を気遣った菅野の舎弟に監視されていたことは奈緒には話していないし、話す予定もなかった。





女の子で買い物が好きでない子は稀だと思う。





ウィンドウショッピングだけでも目をキラキラと輝かせる。





奈緒も例外ではなく、買い物が大好きである。





いろんなものが目に留まる度に足を止め、商品に魅入る。





それの繰り返しなので、時間はいくらあっても足らないし退屈しない。





ただ、付き合わされる男は忍耐力が問われる。





昼飯時には、





「はぁ〜、疲れた〜」





秀一郎はかなりバテていた。





ファーストフード店のテーブルが天国に感じる。





歩きずくめでくたくただった。





「今朝の練習ハードっぽかったもんね」





対する奈緒は余裕の笑み。





「練習の疲れじゃねえっての。女の子の買い物の相手はそれだけで疲れるの」





「男ってみんなそう言うんだよね。秀もそうだし、菅野の仲間たちも疲れた顔を見せるんだよね。けど女の子同士だとそんなんならないよ。男のほうがスタミナないのかなあ?」





「男と女のテンションの違いだろうな。女のがテンション高いから疲れないんだろ」





「そうだよね〜女の子同士だと盛り上がって楽しいもんね」





「それがわかっててなぜ俺を誘う?」





疲れが出ている秀一郎は少し不機嫌な口調になる。





だが奈緒もそのあたりは心得ていて、こちらは満面の笑みを見せる。





「だってやっぱり、彼氏に選んでもらったもののほうが安心するし嬉しいもん!」





そう言われると秀一郎も不満を言えない。





「俺は別にお前のファッションセンスに文句つけた覚えはないぞ。自分の気に入ったものを着ればいいさ」





「でもあんまり派手なのは嫌いでしょ?」





「派手っつーか、露出度の高い服は避けて欲しいな」





「背が低いから栄えないって言うんでしょ?」





「そうじゃない、お前って結構目立つから、あまり男の目を惹くような服はやめたほうがいいってだけだ。変な男にナンパされたりとか絡まれたりしたくないだろ?」





「秀が心配性なだけじゃない?ナンパなんてされたことないよ。背低いから目立たないし」





「見てる奴は見てるんだよ。背が高くてスタイル抜群の女の子より小さめでかわいい系の女の子のほうが狙われやすいみたいなんだ」





「そういえばあの変態野郎もそうだったっけ。あ〜ヤダヤダ」





かつてさらわれた議員秘書を思い出して嫌な顔を見せる奈緒。





「とにかく今は妙な奴が多いしあまり人目に付くような恰好はやめてくれよ」





「はいはい。じゃあホントふたりっきりのときは思いっきり大胆にしようかな。それならいいでしょ?襲われても構わないし」





また奈緒は際どい言葉を口にする。





秀一郎は少し驚いてポテトを詰まらせそうになったがなんとかコーヒーで流し込んで、





「襲うなんて人聞き悪いな。ただ俺は、その・・・」





顔が赤くなる秀一郎。





「アハハ!照れちゃってかわいい!」





笑い転げる奈緒。





「か、からかうなよ!」





「ゴメンゴメンね。でも・・・」





奈緒はテーブル越しに秀一郎に抱き着き、





「秀が望むならあたしはいつでもOKだからね」





耳元で甘く囁いた。





ドクンと胸が高鳴る甘い誘惑。





「その、嬉しいけど・・・たとえ冗談でも他の男にこんなこと言うなよ。誤解するし最悪暴走するぞ」





「わかってる。秀にしかこんなこと言わない。だから他の女のことは忘れて、あたしにだけ夢中になって」





「奈緒・・・」





年頃の男なら、この一言で全てを忘れるだろう。





だが今の秀一郎に、少しだけ別の女の姿が浮かぶ。





(やっぱり俺は桐山を意識してる。でも今は・・・)





心の奥底に沙織をしまい込んだ。





奈緒の前でそれを見せるわけにはいかない。





「奈緒、ありがとう」





小さな恋人の頭を優しく撫で、手を繋いで席を立った。





(迷う必要はない。俺は奈緒の恋人だ。奈緒とのすべてを守るんだ)





そう心に誓う秀一郎だった。


[No.1544] 2009/12/27(Sun) 05:49:58
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「ねえ佐伯くんホントにいいの?」





「いいって気にするな。んで・・・」





沙織は順調に回復していた。





もう立って歩けるようになっていて退院も近い。





あとは体力の回復を待つだけだった。





そして今は病院の喫茶室で秀一郎が中間テストに出た問題を教科書に印をつけていた。





秀一郎が黒川に確認した話では、沙織が退院後にひとりで受ける中間テストは正規で行われた内容と全く同じとの事だった。





ならば既に受けた秀一郎が沙織にそれを教えれば、沙織のテストは安泰である。





だが沙織本人は不正を行っているようでいい顔はしていなかった。





「もしあとで先生にバレたらまずい気がする。それで0点にされたら内申点も悪くなっちゃう」





「大丈夫、それはない。もう黒川先生に確認済みだ」





秀一郎は不安がる沙織に太鼓判を押した。





「えっ?」





「学校としては、桐山にどんな理由があっても正規の中間と同じテストを受けさせなきゃダメで、受けた俺なんかから当然テストの内容を聞けるけど、それは仕方ないんだってさ。記録を取って渡すのはまずいけど、記憶を伝えるのは止められないと。むしろ桐山が赤点とかになると補習の問題とか、いろいろ時間的にまずいんだってさ」





「そうなの?」





「先生は大人の事情だと苦笑いしてたけど、桐山が受ける中間はなんとしても一発クリアして欲しいみたいだ。だからこれくらいは目をつむるさ」





「そんなんでいいのかな?」





沙織の罪悪感はなかなか消えない。





「桐山はもっと要領よくなったほうがいいよ。宿題のプリントだって真面目に提出してんだからそれで充分さ。別に横着して楽しようとしてるわけじゃないし。まあそういう奴らは報いを受けたけどな」





「それって誰?」





「御崎だよ」





「りっちゃん?そういえば最近来ないね」





「あいつ今まで桐山のプリントに加えて俺のノート丸写しでろくに勉強してなかったから、赤点みっつで補習の嵐だよ」





「うわあ・・・赤点みっつはきついね」





哀れみの色を見せる沙織だったが、





「同情の余地なし。当然の結果さ」





秀一郎はズバッと切り捨てた。





テストの内容を伝えて、それが終わると自分の部屋に戻った。





まだ個室のままだった。





「けど身体が治っていけば大部屋に移るんじゃないの?」





「普通はそうみたいだけど、唯お姉さんが個室のほうが落ち着けるからってこの病院にお願いしてくれたの。あと綾先輩も人目を気にしなくていいから助かってるみたい」





「東城先輩よく来るのか?」





「うん、ほぼ毎日。いろんなお話聞かせてくれるから楽しいし、勉強になるんだ」





「へえ・・・」





秀一郎は扉が開いたままの沙織の部屋に足を入れた。





「おかえりなさい」





(えっ?)





そこに綾が待っていた。





「あ、綾先輩、こんにちは」





笑顔の沙織。





「勉強してたの?」





綾は沙織が抱えている教科書やノートを見てそう尋ねてきた。





「はい。テストについていろいろ教えてもらいました」





「そう。ねえ沙織ちゃん・・・」





楽しそうに会話する綾と沙織。





秀一郎はその様子をずっと見ていた。





正確には、綾に見とれていた。





「佐伯くん、どうかした?」





秀一郎の視線に気付いた綾が聞いてきた。





「あ、いえ、その・・・」





慌てる秀一郎。





「ふふっ、なんか男の人ってそんな態度する人多いんだけど、なんでなのかな?」





綾は疑問を口にしながらも、微笑みを崩さない。





(この人、全部わかってるな・・・)





秀一郎はそう判断した。





少しカチンと来た。





「そりゃ男なら、あなたみたいな凄い美人が目の前にいたら見とれますよ」





少し不満の色を滲ませる声で本音で答えた。





「見た目より中身のほうが大事なんだよ。あたしは性格ブスって言われたことあるからあまりよくないかもね」





「えっ、綾先輩にそんなひどいこと言うなんて」





驚く沙織。





「でもそんなの関係ないんじゃないです?有名な小説家になって、真中先輩といういい恋人もいる。充実してるんじゃないですか?」





「そうだね。特に淳平の存在は大きい。彼がいなかったら今のあたしはないからね」





綾はとても幸せそうな笑みを見せる。





「でも綾先輩って凄いです。中学の頃から真中先輩のことが好きだったんですよね?そんなに長く想い続けるなんて、なんか素敵です」





沙織は綾に憧れの眼差しを向けている。





「俺はなんで真中先輩なのかが気になりますね。確かにいい人だと思いますが、東城先輩ならもっとレベルの高い男が狙えるんじゃないですか?」





「レベルが高いってどういう意味かな?」





綾が秀一郎に直球で返してきた。





「えっ?それは・・・もっとルックスがいいとか高収入とか」





「そんなの関係ないし、あたしにとってはくだらない」





秀一郎の一般論を綾は一蹴した。





「えっ?」





「普通の人はみんな恋人を欲しがる。あたしも佐伯くんが言うような人にたくさん言い寄られたし、お付き合いもした。けどあたしの心には響かなかった。一緒に過ごすよりひとりで仕事してるほうが充実してるように感じた。要するに無駄な時間だったの」





「無駄・・・ですか」





秀一郎は綾がそこまで言い切るとは思っていなかった。





「まあ、無駄とわかるのに気付くまでかかった時間かな。いくら人から言われても、身を持って体験しないと人は学習しないからね。で、あたしは心に響かない男の人と過ごすのは無駄だと学習したの。それがわかってからは誰とも付き合う気なんてなかった」





「で、真中先輩は心に響く人だったんですか。東城先輩が真中先輩に手を差し延べたと聞きましたけど?」





「これはホント偶然だった。あたしが書いてる出版社で、ある作品をドラマ化するって話があって、そこで角倉さんの名前が出てね」





「角倉さんって、映画監督の角倉周さんですか?あの人も泉坂の出身ですよね?」





沙織がそう尋ねると、





「そうよ。あと淳平の職場でもあった。そこで新人が詐欺紛いの手口で法外な借金を背負って姿を消したって聞いて、胸騒ぎがしたから詳しく聞いたら・・・」





「それが、真中先輩だった」





秀一郎がそう言うと、綾は小さく頷いた。





「それからはもう必死だった。淳平が苦しんでるって知っただけで何も手につかなかった。ありとあらゆる方面から探して、居場所がわかったらすぐに駆け付けた。その頃の淳平は全てを背負った代償で全てを失ってホントボロボロだった。放っておけなかった。あたしなら彼を助けてあげられた。それでも彼はあたしを巻き込むことを拒んだけど、そんなこと言ってられる状況じゃなかったから、もう押し付けるような形で無理矢理介入したの」





「じゃあ、その法外な借金ってのは?」





「もともと詐欺紛いの手口で相手もまともじゃなかった。だからこっちがきちんとした弁護士を立てて対応したら膨らんだ借金はあっという間に減ったの。それで残った分はあたしが払った。まあ何本か書けば取り戻せる分だったからたいしたことないよ」





綾は笑顔で軽く言ってのけたが、





「ちょっと待ってください、東城先輩の何本分って一般人からしたらとんでもない額になるんじゃ・・・」





秀一郎は少し驚いた。





「こんなに売れる前の話よ。まあ普通の人が聞いたらびっくりしちゃうかもしれないけど、冷静に考えればなんとかなる額ね。淳平はその数倍の額を請求されたからものすごく滅入っちゃった。しかも誰も助けようとしなかった。人間お金が絡むと薄情になるよ」





綾の言葉はリアルだった。





「でもやっぱり綾先輩は凄いです。それだけの大金を真中先輩のためにポンと出せるなんて」





「けど、いろんな人から怒られた。見境のない行動だってね。結果的に淳平は側にいてくれるようになったけど、もしそうならなかったらあたしのしたことは全て無駄になるってね。けどあたしは彼の苦しみを解いてあげたかっただけだからそこまで考えてなかったのは事実。だからあまり声を大にして言えることじゃないね」





苦笑いを浮かべる綾。





「あの、ひょっとしてそれがきっかけで付き合うようになったんですか?」





「そう。お金で心を買ったと言う人も少なくないし否定もしない。けどどんな形でも、あたしが淳平の心に入り込めたのは事実。だからこうして側にいてくれるし、側にいられる。きっかけはなんだっていい。心を掴めればね」





綾の顔は自信に満ちていた。





(・・・なんか違う気がする。金で心が買えるのか?実際そんな人もいるかもしれないけど、あの真中先輩がそんな人間なのか?)





秀一郎は率直な疑問を抱く。





だが、それを口にはしなかった。





沙織が綾に羨望の眼差しを向けている。





さらに綾の自信に満ちた表情。





この状況ではただ空気を乱すだけのように感じ、口を閉ざす。





その心の内で、綾に対する疑問が広がっていった。


[No.1545] 2010/01/03(Sun) 06:14:45
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(おっ、レス来てる・・・)





いつもの日常。





いつもの夜。





秀一郎は自室のパソコンでネットに繋いでいた。





毎日閲覧しているサイトのBBSに目を通す。





(ん?)





部屋の外が騒がしく感じた。





玄関の扉が開く音。





突然の来訪者のようで、母親が応対しているのがわかる。





だが特別慌てていない。





それは来訪者がよく来る者だからのようだ。





(相変わらず騒がしいな)





機嫌の良さそうな母親の声。





賑やかな来訪者は少し慌てているように聞こえる。





バタバタと階段を昇る足音。





ディスプレイ脇の時計を見る。





(9時過ぎかあ。これから送っていかなきゃならんのか)





面倒に感じる。





部屋の扉が開いた。





「秀!」





「ノックくらいしろ」





一言苦言を呈してから振り向く。





奈緒が慌てていた。





「なんだよいったいこんな時間に?」





だいたいのやり取りはメールで済ませるが、たまに奈緒はなんの前触れもなくこうしてやって来ることがある。





そんな場合に限って、秀一郎にとってはどうでもいい中身だったりする。





奈緒は生き生きとした表情をしている。





(ろくなことじゃない)





秀一郎はそう感じていた。





「秀、あたし、有名になっちゃうかもしれない」





「・・・は?」





何を言おうとしたいのかわからない。





「あたし・・・スカウトされた!」





そう言い放った奈緒は目が爛々と輝いていた。











翌日の放課後。





場所は泉坂高校映像研究部。





「いやあ、まさかこんなことになるとは思わなかったよ!これで学園祭も安泰だな!」





正弘はとにかく機嫌がよかった。





今年撮った映画が芸能関係者の目にとまり、奈緒と真緒のスカウトの話に繋がった。





その関係者とは泉坂のOBで、黒川が連れて来た外村という芸能プロダクションの社長だった。





もちろん当事者のふたり、奈緒と真緒もいた。





奈緒は芯愛のブレザー姿という事もあって、やけに目立っていた。





しかも常に外村に愛嬌を振り撒き、余計な一言を口にした正弘をどついたりと忙しい。





対する真緒は言葉少なめで大人しい。





(ほんとこいつはこーゆーときは大胆だな。ちっとは真緒ちゃんの慎ましさを見習えっての)





秀一郎は奈緒の様子を呆れながら眺めていた。





「う〜ん・・・」





外村は指で作ったファインダーに奈緒と真緒を入れては、唸り声をあげていた。





「どうした外村、なにか不満か?」





黒川が尋ねてきた。





「いやあ、ぶっちゃけひとりずつならそんな魅力ないんです。一卵性の双子でこのレベルだから惹かれたんですけど、ちょっとキャラが違うなあと・・・」





「撮影のときは同じ髪型にしてましたから。なんなら今からやってみます?」





正弘が外村にそう進言したが、





「いや、いい。そーゆー上っ面の話じゃないんだ」





と言って、さらにふたりに目を向ける。





「そんなに違うか?顔も背格好も同じようなものにしか見えんが。これで髪型まで一緒になると区別がつかないと思うがな」





黒川には外村がどうして悩んでいるのかわからない。





「えっと、セミロングのほうが奈緒ちゃん、妹だよね」





外村が尋ねると、





「はい!奈緒です!」





元気よく答える奈緒。





「で、ショートのほうが姉の真緒ちゃん」





「は、はい」





こちらは緊張気味の真緒。





「うーん、姉は少女だけど妹は女なんだなあ・・・」





「どういう意味だ?」





「いや、言葉の通りっすよ。妹のほうが大人びてんです。かなり雰囲気違うんすよ」





「ほお・・・男の目からだとそう見えるのか」





黒川が双子の姉妹に意味深な目を向ける。





「あー・・・」





それで正弘も何かに気付いたような声を出し、





ドカッ!





バキィッ!





奈緒の見事な拳と蹴りのコンビネーションを喰らう羽目になった。





「なに勝手にいやらしい想像してんのよ!このエロガッパ!」





相変わらずの奈緒節。





「奈緒、若狭先輩なにか気に障ること言った?いきなり殴っちゃダメだよ」





「お姉ちゃんは気付いてないの?」





「なにが?」





真緒は全くわからない顔をしている。





「・・・わからないならそれでいいよ」





奈緒はため息ひとつつき、あたりを見回す。






「あれ、秀は?」





秀一郎がいなかった。





「ああ、佐伯なら外村が連れていったぞ」





外村も部屋から姿を消していた。











そして秀一郎は外村に廊下の隅まで引っ張られた。





「いったいなんです?」





「男の話だ」





外村は携帯を触り、





「まあ、こんなもんかな。見てみろ」





外村が見せた画面には、美少女の水着姿が写し出されていた。





「誰ですこれ?」





秀一郎は初めて見る顔なのでわからない。





「ウチのタレントの子だ。まあ顔はどうでもいい。奈緒ちゃんってこんな身体だろ?」





「えっ?」





あらためて画面を見る。





「うーん、こんなにスタイルよくないっすよ。そもそも小さいですから」





「あんなに背が低い子は抱えてねえんだよ。でもそうなると・・・じゃ、こんな感じか?」





別の美少女が写し出された。





「ん!?」





思わず声が変わった。





(似てる・・・)





奈緒とよく似た身体のラインだった。





「そっかこんな感じか。思ったよりエロいな」





「な、なんでわかるんです?」





秀一郎は顔を赤くして尋ねる。





「この業界、服の上からスタイル見抜けんようじゃやってけねえよ」





外村は自信満々の笑みを見せた。





「まあ俺としては男を知ってる子を使うのは主義に反するが、まあ姉とセットってことで目をつむるよ」





「お、男を知ってるって・・・なんで・・・」





さすがに驚く。





「仕事で女の子扱ってんだからわかって当然だっつの。女は男を知ると体つきや雰囲気がガラッと変わる。特にお前の彼女、妹は姉という比較材料があるから一目瞭然。個人的にはいい女だな。だろ?」





「そ、そんなのよくわかんないっすよ。俺、女の子ってあいつしか知らないから・・・」





「なるほどな。でも身体的には不満ないだろ?」





「ま、まあ・・・って、なに言わせるんすか!」





奈緒の踏み込んで欲しくない所に入られたように感じ怒る秀一郎。





だが外村は楽しそうな笑みで、





「これくらい余裕で話せるようになれよ。男の話だっつったろ。あの子には言わねえから安心しろ。でもあの子がセフレだと楽しいだろうな」





さらに突っ込んだ話を始めた。





「な、なに言い出すんすか!言っとくけど俺は奈緒をそんな風には見てないっすからね!」





「わかってるわかってる。けどズバリ言わせてもらうが、あの子ベッドの上だとドMだろ?」





ドキッとした。





「あ、えーっと、その・・・」





なんとしても否定したいが、言葉が出て来ない。





外村はニヤリと笑みを浮かべ、





「やっぱそうか。小柄でロリで可愛くてエロい身体でドMか。脱いだら需要高そうだな。





「ちょ、ちょっと、まさか奈緒にそんな仕事・・・」





「させねえよ。てかやらないしやってもいないしやりたくもねえ。脱がせるのは俺の主義じゃねえんだ。そもそも未成年にそれさせたら一発で捕まって終わりだ。俺はそこまでバカじゃねえ」





真顔でこう答えた外村の言葉に嘘は感じられなかった。





堅かった秀一郎の表情が普通に戻ると、





「じゃ、戻るか。俺の頭でイメージは固まった。あとは姉の説得だな。まあなんとかするから邪魔するなよ」





自信に満ちた背中を見せる外村。





黙ってついていく秀一郎。





そこではっと気付いた。





(あ、しまった。さっきの否定してねえ。けど俺がこの人になに言っても無駄な気がするし・・・)





少し考え込む。





(俺は女の子はあんなんだと思ってたけど、違うのか。確かに言われてみればそんな気がする。けどドが付くほどのもんかなあ?)





外村に指摘されあらためて気付いた。
.




普段は気が強い奈緒が、ベッドの上では秀一郎にかなりのMっ気を見せていることに。











その後の外村は手際がよく、見事だった。





消極的な真緒を言葉巧みに説得して乗り気にさせ、その日の夜にスーツ姿で自宅に赴き両親の承諾を得ると正式に契約書を取り交わした。





奈緒と真緒の初仕事はたまにコンビニで見かける程度の部数を持つ青年マンガ誌の水着グラビアだった。





契約を済ませてから3日でもう都内のスタジオを丸1日借り切って撮影を済ませた。





そしてその本の発売日の昼休み、





真緒が弁当を持って秀一郎のところへ逃げてきた。





屋上でふたり揃って弁当箱を突く。





「もう、朝から凄い騒ぎです。知らない男子生徒が雑誌持ってあたしのところに来て、サイン下さいとか写真撮らせてとか・・・」





ふうと大きなため息をつく真緒。





秀一郎は携帯を取り出し、





「奈緒のほうも結構な騒ぎらしい。メール来てるけど、同じように知らない男子が押し寄せたってよ。けど向こうは菅野たちが間に入ってくれてるみたいだからさほど迷惑そうな感じじゃないな」





「奈緒はいろんな人たちに護られてますからね。でもあたしは自衛するしかないんですね」





「まあ、あまりにも度が過ぎた輩は一発かませばいいと思うよ。そうすれば静かになるよ」





「やっぱりそうするしかないんですね」





暗くなる真緒。





「でも騒ぎになるのも仕方ない気がするよ。ホント綺麗に撮れてるもんな。プロは凄いよ」





秀一郎はそのマンガ誌を出してページを広げた。





それで真緒の顔が真っ赤になる。





「せ、センパイも持ってるんですか?」





声が上擦る。





「そりゃ当然だろ。買わにゃ奈緒になに言われるかわからん。けどこうして見ると真緒ちゃんホントスレンダーだな。でも貧相じゃない。男が騒ぐ気持ちもわかる気がする。





「あ、あまり見ないで下さい!ビキニなんてホント恥ずかしくて・・・いろいろ恥ずかしい写真もあって・・・あ〜〜っ!?」





真緒の恥ずかしがる様子がとても可愛く感じる秀一郎だった。


[No.1546] 2010/01/10(Sun) 06:37:20
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季節は秋。





衣替えも終わり、少しずつ涼しくなっていく日々。





下校時刻はとっくに過ぎ、だいぶ暗くなっていた。





静かで物音ひとつしない校内に、ひとつの教室の扉が開く音が響く。





女子生徒が一礼して、静かに扉を閉めた。





「よっ、桐山、お疲れ」





「あっ、佐伯くん」





秀一郎の姿に驚く沙織。





「テストどうだった?」





「うん、佐伯くんが教えてくれたからバッチリ。大丈夫だと思う」





笑顔を見せた。





「しっかし学校側も考えて欲しいよなあ。いくら急ぎとは言え、退院した翌日にテストはないだろ」





「でもあたしとしては大丈夫だったよ。病院でちゃんと勉強出来たから」





「ま、でもこれで一段落ついたな。今日これから用事ある?」





「え、特にないけど・・・」





「じゃ、一緒に晩飯どう?俺が出すからさ」





「えっ?そんな、悪いよ」





「いいっていいって!桐山は俺の恩人だ。何かしたいとずっと思ってたんだ。まあこんなことでチャラにしようとは思わんけど、とりあえず今日は奢らせてくれ」





「そんな、でも・・・奈緒ちゃんは、いいの?」





「奈緒?あいつがどうした?」





「奈緒ちゃんの知らないところであたしが佐伯くんと食事に行ったなんて知ったら、機嫌悪くするんじゃない?」





沙織はとても心配そうな顔を見せる。





そんな沙織に対し秀一郎は余裕の笑みで、





「大丈夫、あいつも今日のことは知ってるし、一応了承済みだ。そもそもこれは俺の桐山に対する気持ちっつーか、恩返し・・・っつったら大袈裟だけど、とにかくそんな気持ちなんだ。あいつにはとやかく言わせない」





はっきり言い切った。





「そっか。なら・・・ご馳走になります」





胸の支えが取れたような笑みを見せた。











秀一郎は沙織を学校近くの小洒落たレストランに案内した。





学生服のカップルの姿がちらほら目につく。





「あたしこのお店って入ってみたかったんだけど、カップルばかりだからちょっと入りづらかったんだ」





少し照れている沙織を見て、





「へえ、でもそんなんでもないだろ。女の子だけのグループも結構いるぞ」





事実、そんなテーブルも見かける。





「ここは女の子同士より男子とのほうが雰囲気がいい気がするってりっちゃんとよく話してたんだ。まさか佐伯くんと一緒に入るなんて思いもしなかったよ」





「俺じゃ役者が不足してるかな?」





「そんなことないよ。あ、佐伯くんって正しい日本語だね。普通は役不足って言うよね」





「ああ、最近テレビでよく取り挙げるだろこの言葉。それで気にするようになっただけさ。正しい日本語なんて正直よくわからん」





「そうだね、あたしもよく知らない。たぶん日本通の外国の人とかのほうが詳しいんじゃないかな?」





「それ普通にありそうだな。現国の先生より詳しいとかな」





「そうかもね。あ、ここって何がいいんだろ・・・」





メニューを手に取る沙織。





「俺も初めてだからよく知らないんだよ。桐山って苦手なものとかある?」





「実はチーズが少し苦手。あとマヨネーズもあまり好きじゃないかも」





「そっか。んじゃ・・・」





秀一郎はウェイトレスを呼び、こちらの苦手なものとこの店のオススメの品を尋ねた。





笑顔が似合うウェイトレスは日替わりのお買い得なパスタをいくつか勧めてきたので、秀一郎と沙織で異なる品を注文した。





「佐伯くんって、なんか場慣れしてるね」





沙織が感心した目で一言述べた。





「場慣れ?」





秀一郎はピンと来ない。





「あたし外食ってほとんどしないからなんか緊張しちゃうんだよね。今も少し。でも佐伯くんは堂々としてる。なんかカッコイイね」





「そっか?でも食い物屋で迷ったら店員に聞くのが鉄則だからな。ハズレを引かずに済むケースが多いし」





「奈緒ちゃんとこんなお洒落なお店にはよく行くの?」





「あいつとはファーストフードかファミレスばっか。食い物屋は男と行くのが多いかな。若狭とか」





「こんなお店に若狭くんと?」





「いやいや、さすがにこんな店は行かない。昔からある大衆食堂とかラーメン屋とかね。ちょっと小汚い感じの」





「あ、あたしそーゆーの平気だよ。おいしいお蕎麦屋さんとか行きたい」





「蕎麦だったら駅前のうどん屋かなあ。うちの野球部の奴らが行ってる店」





「へえ、駅前にそんなお店があるんだあ」





沙織と会話が途切れることはなかった。





ごく普通に気負うことなく、自然に空気が流れる。





奈緒との時間はとにかく賑やかで退屈しない。





沙織との時間は穏やかで、落ち着く。





そしてどちらも、心が温かく感じた。





沙織と過ごす時間は秀一郎にとって少しも重荷に感じなかった。





以前正弘が言っていた、疲れるような感じもない。





とても心地がよかった。





食事を終えて店を出ると、空は完全に暗くなっていた。





沙織はここで解散と言い出したが、秀一郎がごり押しして沙織の部屋まで送っていった。





「佐伯くんが思ってるほどウチの周りって危なくないよ」





「でもあの辺りって街灯もろくに無いし狭い路地もある。そんなところに連れ込まれたら一発アウトだぞ。用心に越したことはないよ」





「あたしは小さい頃からそれが当たり前だと思ってきたからなあ。あんまり危機感しないんだ」





「だからそれ危ないって。桐山は真緒ちゃんみたいに強くない普通の女の子なんだから、危ない行動は慎めよ。襲われてからじゃ遅い」





秀一郎は真顔で沙織に言い聞かせる。





「佐伯くんってりっちゃんと同じこと言うね」





「御崎が?」





夏休みの里津子の告白を思い出した。





ドキッとした。





「りっちゃんも襲われたあとで後悔しても取り返しがつかないってよく言うんだ。あたしはそうなったらなったときだよって返したらすごく怒られたことがあったっけ」





「そっか・・・」





(御崎はまだ桐山にはあのことを話してないんだな)





「佐伯くん?」





急に静かになった秀一郎の変化に気付いた沙織。





「あ、ああ。御崎の言うとおりだぞ。桐山って狙われやすいと思うから、ちゃんと自覚したほうがいいぞ」





「あ、うん。わかった。そうするよ」





沙織はようやく素直に頷いた。





そのまま沙織を無事に部屋まで送り、秀一郎は家路につく。





(これでひと段落だな)





沙織のことでいろいろ思い悩んだ。





正直、今も心は揺れている。





(でも、もうはっきりしよう。桐山は俺の恩人で、そして・・・)





(・・・大切な、友達だ)





そう自分に強く言い聞かせた。





♪〜♪♪〜





携帯がメロディを奏でる。





奈緒からだった。





「もしもし、どうした?」





『もうそろそろ桐山さんと別れた頃かなって思って』





「相変わらずカンがいいな。ついさっき送ってったところだ」





『お姉ちゃんから聞いたけど、桐山さんの家って結構遠いよね。そこまですることないんじゃない?逆に重く感じてるかもよ』





「かもしれんが、女の子をひとり歩きさせるにはどうも危なっかしい夜道でな。もし何かあったらまずいし、後味悪いからな」





『そんなこと言ってる秀が一番危なかったりして。送り狼になるとか』





からかう奈緒。





それに対し、





「奈緒」





秀一郎は真面目な声を出す。





『な、なによ?まさかホントに狼になったとか・・・』





「今まで辛い想いさせてゴメン。桐山は俺の恩人だからどうしても放って置けなかった。けど無事に退院したし、今日でひと段落だ。これで明日から元通りだから」





『勝手なこと言わないで』





「奈緒?」





怒っているような声が届いた。





『いますぐウチに来て。あたし外で待ってるから』





ブツン。





一方的に切れた。





(なんなんだ?なんで怒ったんだ?)





自分の言った言葉を振り返る。





(よく考えたら、かなり俺の勝手な言葉並べてたよな・・・)





胸が痛くなる。





(こりゃ一晩かけて機嫌取りかな。最悪別れ話とか言い出すかもしれん)





奈緒はとにかく沙織を嫌っている。





秀一郎に沙織とはあまり近付かないように言っている。





いろんな状況が重なったとは言え、秀一郎は奈緒の言葉を無視して沙織と接していたことになる。





奈緒が怒るのも無理はない。





「ヤバイかも・・・」





そう感じた秀一郎は走り出した。





沙織の家から奈緒の家までは普通に歩いて30分以上はかかる。





その距離を走り続けた。





通話が切れてから10分足らず。





家の前で寂しそうに立っている奈緒を捕らえた。





「奈緒・・・はあっ、はあっ・・・」





ずっと走りづくめだったので息が荒い。





ドンッ





「おわっ?」





そんな秀一郎な突然抱き着く奈緒。





「奈緒・・・」





「走って来てくれるなんて思わなかった。怒って来てくれないかもってすごく不安だった」





(奈緒、お前・・・)





思いもよらぬ奈緒の態度だった。





「俺も奈緒が怒ってると思ってた。ずっとお前の気持ちを踏みにじるようなことしてたから」





「明日からなんて嫌。今日から、今から元通りだよ。お願いだからあたしを離さないで」





「俺も奈緒を失いたくない。これまでも、これからもずっと奈緒が好きだから」





「秀、あたしも大好き」





奈緒が身体を伸ばし、秀一郎にキスをした。





秀一郎も奈緒を抱く腕に力を込める。





夜の住宅街で互いの想いを確かめ合うふたりだった。


[No.1547] 2010/01/17(Sun) 07:13:07
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泉坂高校の文化祭、乱泉祭は、この辺りでは有名なイベントになっている。





各部対抗の集客争いは、勝者に特別部費という名目の賞金が与えられることもあって毎年力が入っている。





ここ数年は美少年や美少女を看板代わりにして宣伝する流れが主流になっている。





もっとも泉坂の生徒だけでは看板に相応しい華のある美少年や美少女は限られるので他校から呼ぶ部も少なくない。





そして今年最大の目玉は、





「トップはウチがもらった!」





と、鼻息の荒い正弘が所属する映研だった。





ここ数年は鳴かず飛ばずだったが、今年は奈緒と真緒というふたりの美少女がいる。





しかもこのふたりは今や芸能人。





デビューとなったマンガ誌のグラビアは思った以上の反響を呼び、その後も数本の撮影が入っていた。





小柄で一卵性の双子の美少女という要因はインパクトが大きいと、スカウトした社長、外村がしきりに言っていた。





乱泉祭当日、映研の自主製作映画上映場所の視聴覚室前にはほとんど男性客の長い列が出来ていた。





「ヨッシャ!この客の出足ならトップ狙えるぞ!」





隣の準備室で様子を伺っている正弘のテンションは高い。





「でもさあ、このカッコでいいんかな?客にとってはもっとインパクトある衣装のほうがよくない?」





別の部員が同じ部屋に待機している双子を見てそう意見を出すと、





「とりあえず最初はこれで行こう。客の反響で衣装チェンジだ。いくつか用意してるから大丈夫だ」





そう正弘は笑顔で答えた。





「なに勝手なこと抜かしてんのよ。あたしあんなミニのメイド服なんて絶対着ないからね」





静かに怒る奈緒を、





「ほら、そんな顔しないの。もうすぐ出番だよ」





笑顔でたしなめる真緒。





「よし時間だ。行こう」





映研部長が気合いの入った声を出す。





視聴覚室の扉を開け、客を入れる。





「教室内での撮影はご遠慮ください。撮影希望の方は昼に撮影時間を設けてあります。撮影はご遠慮ください」





正弘が客に注意を呼び掛ける。





席が埋まると扉が閉められた。





そして準備室に繋がる通用扉から、奈緒と真緒が現れた。





客のボルテージが一気に上がる。





「は〜い、みんな来てくれてありがと〜!奈緒で〜す!あたしこんなナリだけどここの生徒じゃないからそこんとこよろしくね〜!」





ノリノリの奈緒がマイクで呼び掛けると、客の生きのいい返事が返ってきた。





「ええっと・・・真緒です。今日はご来場下さいまして誠にありがとうございます。上映に際して注意事項がありますのでご協力お願いします」





真緒は少し緊張気味で文面を読み上げていく。





「よし、観客の反応は上々だな」





正弘は満足そうな笑みを浮かべた。





奈緒と真緒は泉坂の制服姿で、映画で使ったウイッグでロングヘアーになっている。





ただそれだけだと見分けがつかないので、今日は色違いのカチューシャが着いていた。





ピンクが奈緒で、水色が真緒。





「やれやれ、どうやら忙しい1日になりそうだな」





隣の準備室で奈緒たちの声を聞きながら、秀一郎はそう感じていた。











乱泉祭の出展は大半が部活動によるものになっている。





ただクラス単位でも出展は可能で、乱泉祭運営委員会に申告して許諾が下りればOKである。





だが勝者に与えられる賞金はあくまで「特別部費」なので、クラス単位で入賞しても賞典対象外になってしまう。





そんな背景があるので、クラスでの出展は数少ない。





部活動の顧問をしていない教師が担任を務めるクラスなどが「参加することに意義がある」という名目でちらほら出展しているくらいである。





普通に考えれば部活動ばかりの出展のみではボリュームに欠けるが、運動部系は屋台の出店に加えて各クラスの教室を押さえて複数の出展をこなす部も少なくない。





こうなると問題になるのが部活動に所属している生徒の数になる。





部活動に籍を置く生徒は全体の八割ほどだが、実際に参加しているのは半数ほどになる。





実質が全体の半分の人数でひとつの学校の文化祭を賄うのは明らかに足らない。





そこで各部は特典を餌に無所属の生徒を釣り、人手に加えている。





実行委員会に各部が提出する部員名簿に名前が記載されていれば文化祭の臨時戦力の「一時雇われ部員」になる。





ちなみに正規に所属している部活動があっても、別の部活動の臨時戦力にはなれる。





要は実行委員会に提出する部員名簿に名前が記載されればいいだけで、実際に複数の部活動を掛け持ちしている生徒もいれば、ほぼ裏切りに近い形で別の部活動に参加する生徒もいる。





そんな形態は学校としては乱れているようなので、乱れた泉坂の学園祭を略して「乱泉祭」と呼ばれるようになったとも言われている。





そんな学園祭を迎えた秀一郎は映研にかなり手を貸していたが、無所属を選んでいた。





正弘から誘われたが、その件で黒川とこんなやり取りがあった。





「佐伯、若狭から映研の手伝いに誘われてるそうだな」





「あ、はい。まあ奈緒が関わってるんで」





「やめておいたほうがいいぞ。雑用に付き合わされるだけだ。それに映研では勝てん」





「へえ、意外ですね。顧問の先生からそんな言葉が出るなんて」





「私は映像は素人だが、今年の映画は魅力がない。真中が現役の頃の作品は素人目でも面白さがあったが、それがない。あれでは客は呼べん」





「若狭は自信満々ですけどね。奈緒と真緒ちゃんを当てにしてるみたいですけど」





「小崎姉妹で確かにある程度は客を呼び込めるだろうが、所詮は付け焼き刃だ。地力がないウチには厳しい。それくらいのことで軽音に勝てるとは思えん」





「ウチの軽音って人気あるし強いですからね」





泉坂は公立の進学校で名前が通っているが、伝統的に軽音楽部も有名である。





人気が高く実力もあり、ライブが楽しめる学園祭は随一の集客力を誇る。





乱泉祭の一位は軽音楽部が指定席になっている。





「そんな状況で映研に付き合うより、恋人と文化祭の思い出を作るほうがいいと思うぞ」





「まあ、先生がそこまで言うならそうします。でも意外ですね。先生が生徒の恋愛認めるなんて」





黒川は生徒指導教師で特に恋愛問題には口うるさいことで有名である。





そんな黒川は苦笑いを浮かべ、





「最近は軽い気持ちで付き合う生徒が多くてな。それがくだらない問題になるんだ。私から言わせれば恋愛にもなってない。だが佐伯、お前はそんなハンパな気持ちで付き合ってはいないだろ。そもそもあの小崎の母親がそんな恋愛を許すとは思えん」





と聞いてきた。





「はい、まあ、一応いろいろ考えてはいます。そういえば先生って由奈さんの同級生なんですよね?」





少し照れながら答えた秀一郎は一学期での級友の思わぬ再会の場面を思い出して尋ねた。





「小崎の母親、篠原は一年の時に同じクラスだった。いつも明るく楽しそうに笑ってた。その笑顔の理由を尋ねたら恋愛だと答えた。もう今のご主人と付き合っていたようだ。女の私から見ても可愛らしい少女だったので恋人がいても不思議ではなかったが、結婚の話は驚かされた。ちょうど今頃の時期だ。誕生日で16歳になると同時に結婚するから学校を辞めると言い出した。教師も友人も猛反対したが、篠原本人は幸せになることになんら疑いを持ってなかった。あれから17年、どうしているのか少しは気になっていたが、あんなに立派な娘を育て上げたのは本当に驚いた。篠原はいい男に巡り逢えたな」





黒川は嬉しさの中に少し寂しさを感じるような笑みで思い出を語った。





「由奈さんって家庭的で温かい人ですよね。先生はどこか高貴な感じで敷居が高い感じがしますけど」





「よく言われる。男を見る目が厳しそうで声をかけづらいとな。私は別に普通の男で構わない。お前ほどレベルの高い男は求めん」





「へっ、俺がレベル高い?なに言ってんすか?そんな自覚ないですよ」





「お前は女子の間では悪い評判は聞かない。小崎の娘たちがいなければいろいろ問題が出そうな感じだ」





以前、里津子から似たような言葉を聞かされたことを思い出した。





「まあ正直女子から好かれるのは悪い気がしないっすけど、だからって複数の子と付き合う気にはなれないっすね。ひとりでも充分過ぎるほど手を焼いてんですから、そんなの俺には無理です」





「それが賢明だ。お前の恋人がどんな子なのかよく知らないが、あの母親にあの姉なら悪い子のはずがない。大切にしろ」





「はい」





「あと・・・」





すれ違い様に秀一郎の肩にぽんと手を置き、





「くれぐれも下手は打つなよ」





思いきり含みを持った笑みでそう告げ、後にした。





(さすが黒川、見透かれてたか)





背中が熱い。





(でもホントそうだよな。これから生は自重しよう)





あらためてそう思う秀一郎だった。





そんなわけでしがらみ無く文化祭を迎えた秀一郎だが、長い時間待たされることになった。





奈緒と一緒にいろいろ廻る予定だったが、その奈緒が映研にかかりっきりである。





そして一段落ついたのが昼過ぎ、撮影時間が終わってからだった。





「秀、おまたせっ!」





出てきた奈緒はウイッグもカチューシャも外し、私服姿。





少しでも目立たないための変装の意味合いも含んでいた。





「撮影大変だったみたいだな」





「もうそっち系の男がすんごいカメラでバンバンシャッター押しまくってた。そんなのがたくさん来ててかなり引いた。愛想笑いばっかりで疲れたよ」





「んじゃどこ行く?腹減ってんだろ?」





「うーん、空いてるような空いてないようなって感じかな。甘いもの食べたい」





「甘いものか。出店のクレープ屋でも探すか」





「それよりプログラムに載ってるスイーツカフェってのが気になるんだけど」





「スイーツカフェ?」





奈緒が持つ乱泉祭プログラムを覗き込むと、確かにそう記載されている。





「男女バスケ部合同か。いろんなこと考えるなあ」





奈緒が興味を示したので、そのスイーツカフェに足を運んだ。





その教室の前には順番待ちの女子生徒が並んで、そこそこ人気が高いことがうかがえる。





少し並んで順番が来て中に入ると、教室がいかにもケーキショップのようなレース主体の装飾が施すされていた。





「おひとり様30分まで、コーヒーか紅茶は飲み放題、ケーキも食べ放題です。400円になります」





客をある程度回すための時間制限があるにしても、バイキングでこの金額は手頃に感じる。





さらに、





「うわあ・・・」





並ぶケーキは売り物として普通に通用しそうなレベルのものばかりで、奈緒が目をキラキラさせている。





「本格的だな」





驚く秀一郎。





「ねえ、ちょっと君!」





そこに声がかけられた。





振り向くと私服にエプロン姿の美人がいた。





(ウチの生徒じゃない。歳ももっと上だろう。この店の援軍かな?)





そう感じた。





「ねえ、君って映研の関係者?ちらっと見てて覚えてたんだけど」





「えーっと、ちょっと関わってますけど、正式なメンバーじゃないです」





「そっか。でも関わってるなら、ちょっとお願いしてもいいかな?」





そこにもうひとりのエプロン姿の女性が割って入って来た。





「つかさやめなって。捨てた男をいつまでも追い掛けるなんてみっともないよ」





「トモコは黙ってて。これはあたしと淳平くんの問題なの。あたし諦めるつもりないから」





(捨てた・・・淳平くん・・・?)





どこかで聞いたことのあるフレーズ。





記憶を巡らす。





「その名前、確か東城綾が・・・そうだ真中先輩だ」





「えっ?君って淳平くん知ってるの?」





美人の顔が変わる。





「捨てたって・・・まさか真中先輩の元カノ・・・」





そこまで口にして、秀一郎はまずいと察知した。





慌てて顔を背け、側の奈緒の手をとり、ここから、この美人の前から立ち去ろうとした。





だが、





「うっ・・・」





肩に抵抗を感じる。





この美人が秀一郎の肩をしっかりと掴んでいた。





「あの、俺、ひょっとして地雷踏みました?」





「うん踏んだよ。思いっきりね。でもそう気付いたなら話早い。ちょっと付き合ってもらうよ」





美人は秀一郎に獲物を捕らえた雌豹のような目を向けていた。


[No.1548] 2010/01/24(Sun) 07:57:30
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この美人に捕まった秀一郎たちは、教室の隅のテーブルに腰掛けた。





「とりあえず自己紹介ね。あたし西野つかさ。ここの出身じゃないけど、あたしと同じ店でここの子がバイトしててね、その繋がりでケーキの監修やってるの。歳は聞かないでね。まあ淳平くんと同い年だから隠してもしかたないけど」





(明るい人だな)





つかさの笑顔を見た秀一郎の第一印象だった。





「えっと、あたしは小崎奈緒です」





「佐伯秀一郎です」





「奈緒ちゃんに秀一郎くんか。ふたりって付き合ってるの?」





「はい!」





つかさの問い掛けに笑顔で答える奈緒。





「ふふっ、幸せそうだね」





「幸せかあ。あんまり意識してないけど、毎日楽しいです。ねっ秀!」





「俺はこいつに振り回されっぱなしですけど」





奈緒に対してかなりローテーションな声を出す秀一郎。





「なによそれ〜?ここは素直にそうですねって答えてよ!」





「そんな恥ずかしいことポンポン言えるかっての」





「ぶ〜っ」





ふて腐れる奈緒。





「まあ仲がいいのはわかったよ。男の子ってそういう言葉ってあまり口にしないから。逆に平然とした顔で口にされると軽薄で怪しく感じたね、あたしは」





奈緒にフォローを入れるつかさ。





「まあ、それならそれでいいよ。あたし秀は信じてますから、一応ね」





「それはそうと、本題に入りましょうか」





奈緒の言葉に触れずに秀一郎はつかさに目を向ける。





「スルーしないでよ!」





今度は怒る奈緒。





「わかったわかった、後で付き合ってやるから、今はこの人の話が先だ。ぐずぐずしてっと自由時間終わっちまうぞ」





奈緒を軽くあしらい、秀一郎は話を進めようとした。





「じゃあ秀一郎くんに聞くけど、淳平くんと東城さんの今を教えて欲しいの」





「それはここの映研出身の真中淳平先輩と、同じくここ出身で小説家の東城綾先輩のことですか?」





「うん」





頷くつかさ。





「ねえ、そのふたりって確か夏休みに・・・」





「ああ。俺のバイト先でばったり会ったあのふたりだ。外村社長も一緒だったな」





「そうだよね。社長と優しそうな男の人が話してて、そこに東城綾が来たんだっけ」





奈緒は当時を思い出す。





「秀一郎くん、奈緒ちゃん、そのとき、ふたりはどんな風に見えた?」





真剣な顔でつかさが尋ねてきた。





「そんなの、俺たちに聞いてどうするんですか?」





逆に尋ねる秀一郎。





言葉と表情に少し不満の色が入っている。





「どういう意味?」





つかさもそれを感じ取り、顔が引き締まる。





「俺は東城先輩からいろいろ聞きました。真中先輩がでかい借金背負って、それでいろんな物を全て失った。そこに東城先輩が現れて借金肩代わりして、それがきっかけで付き合うようになったと。で、ここからは俺の推測ですが、真中先輩にはその借金を背負う前に別の恋人がいた。それが今、俺の目の前に座ってる西野さんです」





「・・・そっか、そこまで知ってるんだ。うん、それで合ってるよ」





少し驚きを見せながらも、つかさは全てを認めた。





「ぶっちゃけ言うなら、俺はそんなのは納得してません。あのふたりにどんな経緯があったか知らないけど、そんなのがきっかけで付き合うなんて違う気がします。でも東城先輩は金が絡むと人は薄情になると言ってました。現実そうかもしれないし、生意気だけどそれがきっかけで別れるのも少しはわかる気がします。けど別れた後でまたこうやって聞くのってどうなんです?」





「秀一郎くんが言いたいことはわかる。自覚してるよ。みっともないってね。でも嫌いになったわけでもないのに、一方的に切り捨てられた気持ちは簡単には割り切れないの」





「切り捨てられた?」





これは初耳だった。





「その借金のときに、淳平くんは真っ先にあたしの身の安全を最優先にしてくれた。まともな相手じゃなかったから、あたしのことが知れたら手を出してくるのは明らかだった。だからすぐに海外に逃げるように言われたの。それと全く同じタイミングでケーキの師匠からフランスに行くように言われてね。そんな状況で離れ離れなんて嫌だったけど、あたしの意思なんて回りはみんな無視。淳平くんは凄い剣幕であたしを怒鳴りつけて強引に振って、師匠に急かされるようにフランス行の便に乗せられた。そんなの納得出来ない。そんな一方的な別れなんてないよ」





つかさは辛そうな声を出した。





「それってひょっとして・・・そのフランス行も真中先輩が?」





「そう。淳平くんが師匠に頼み込んだの。あたしを安全のために、あたしを遠ざけたの。その気持ちは嬉しい。淳平くん優しいから・・・でもそんなの・・・絶対割り切れない・・・ましてやあたしがいない間に東城さんと付き合うなんて・・・そんなの・・・」





涙声になるつかさ。





(俺、とんでもない地雷踏んじまったかも)





事の大きさをあらためて感じる秀一郎。





「あの、あたしいまいち事情掴めないけど、要は一方的に振られて、無理矢理引き裂かれて、その間に別の女が奪ったってことですか?」





ずっと黙って話を聞いていた奈緒がそう問い掛けると、つかさが小さく頷いた。





「そんな、そんなのありえない。あたしも絶対嫌。そんなの許せない」





奈緒も嫌悪感をあらわにする。





「あたしも許せない。いくら東城さんが淳平くんを救ったのが事実でも、それを楯にして側にいてほしいなんて言うなんてありえない。そんなこと言われたら、あの淳平くんが断るわけない。断れないに決まってる。そんなの絶対に認められない」





「そうだよ!秀だってそう思うよね?」





つかさの言葉に共鳴した奈緒が秀一郎に同意を求めてきた。





だが、





「・・・」





腕を組み、考え込む。





「秀!?」





「奈緒、俺だって西野さんの言葉がわからん訳でもない。言いたいことはわかる。けどだからってどうすんだ?」





「えっ?」





「理由はどうあれ、真中先輩は東城先輩を選んだ。いくら回りが騒いでも、真中先輩にその気がなければどうにもならない。西野さん、違いますか?」





「うん、そうだね・・・」





つかさの声のテンションが落ちた。





「でもとりあえず逢ってみて話せば・・・」





「逢ったよ。話もした。東城さんに直接連絡先を聞いてね。でも淳平くんには、今は東城さんの恋人だからって優しく断られた。それからはなんか逢うのが怖くなって・・・逢うたびに拒絶されるのは辛いから」





「そうですか・・・」





奈緒のテンションも落ちた。





「それでもまだ望みは捨ててない。逢ってみてわかった。淳平くんは本心であたしを嫌いになってはいない。だから淳平くんと東城さんの間になにかあれば、きっかけがあれば状況は変わるかもしれない。だから君たちに聞いてみたんだけど・・・」





つかさは藁にもすがるような目を向ける。





「って言われても・・・」





それを受けた秀一郎は完全に困り顔を見せた。





「あたし一度しか会ってないけど、東城綾はホント幸せそうに笑ってた。けど男の人はちょっと微妙な笑顔だったような気が・・・そんな感じだったよね?」





「そう言われればそうかもしれんが、そりゃ仕方ないだろ。そんな事情で付き合ってんなら男なら嫌でも複雑になるって」





「じゃあなによ、秀はそんな恋愛認めるの?」





「だから俺も納得いかないっつってんだろ。けどどうすんだよ?」





少し険悪な空気が流れる。





「ふたりともゴメン!」





それをつかさの言葉が止めた。





「あたしのせいでケンカなんかさせちゃダメだよね。いくらみっともないって自覚しててもそこまでさせれない。ゴメンね。もういっそのこと今の話聞かなかったことにして。ホント・・・ゴメン」





つかさは詰まらせた声を残して席を離れていった。





「・・・」





「・・・」





気まずい空気が残り、ふたりも席を立った。





「結局なにも食べれなかった・・・」





名残惜しそうな奈緒の一言。





「スマン、俺が余計なものを踏んじまったからな」





謝る秀一郎。





「まあそれはいいけど、でも西野さんどうするんだろう・・・」





「正直言って、絶対に関わらんほうがいい。俺たちにはいろんな意味でレベルが高すぎる話だ。興味本位で首突っ込むとろくなことにならん」





「・・・そうだね。でもなんで秀一郎は知ってたの?東城綾のこととか」





「ああ、そのあたりの話は桐山が・・・」





ちょうど沙織の名前を口にしたとき、





「あ・・・」





たまたま偶然、廊下出された机の受付をしていた沙織と目があった。





「佐伯くん、奈緒ちゃん、こんにちは」





にっこり微笑む沙織。





「よっ、こんなとこでなにしてんの?」





「文芸部の受付。ほとんど見に来る人は来ないけど、一応集計するから」





「客寄せしないの?」





「文芸部は低俗な客寄せせずに中身だけで勝負する。昔からの不文律なの」





「低俗ね・・・」





奈緒の機嫌が少し悪くなった。





「それじゃ客の入りはあまり良くないよな?」





「知ってる人がちらほらくらい。よかったら見てってって言いたいけど、あまりデート向きの場所ではないかな」





「桐山の書いたものもあるのか?」





「うん。最初はオリジナルの恋愛ストーリーのつもりだったけど、綾先輩がいいお話をくれたから、それを元にあたしなりに手を加えたの。個人的にはだいぶいいお話になったかな。やっぱり綾先輩って凄いね」





沙織はとても嬉しそうにそう話す。





「東城綾の話なんて最低」





そこに奈緒が真逆の言葉を発した。





「なっ・・・なんでそんなことが言えるの?綾先輩はホントにいいお話を書くんだよ!」





珍しく沙織が奈緒に噛み付いた。





「話はよくても人として終わってる。そんな女の本なんて読みたくない!」





「あたしが書いたものをけなすのはいいけど、綾先輩の作品を読みもせずにけなすのは許さない!」





どんどんヒートアップするふたり。





騒ぎを聞き付けた生徒が集まり出した。





「ふたりともやめろ!」





そこに秀一郎が割って入った。





「奈緒、さっきの話聞いた後だからってもそれは言い過ぎだ。少し落ち着け」





「秀・・・」





「桐山もらしくないぞ。確かに奈緒の言葉は気に障っただろうが、ここは抑えてくれ」





「佐伯くん・・・」





大人しくなるふたり。





だが周りはどんどん騒がしくなる。





「奈緒、行くぞ。桐山ゴメンな」





秀一郎は沙織に軽く頭を下げ、奈緒の手を取って足早にこの場から立ち去った。





(全く、マジでとんでもない地雷だったな)





つかさに余計な一言を発したことをあらためて悔いる秀一郎だった。


[No.1549] 2010/02/01(Mon) 04:59:18
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regret-43 (No.1549への返信 / 42階層) - takaci

乱泉祭が過ぎると、泉坂高校の空気が穏やかになる。





祭の後の脱力感が学校を包んでいる。





「ふぁ〜〜っ・・・」





正弘の大あくびを連日見る日々が続いていた。





「若狭、もう少ししゃんとしろよ」





あまりのだらけぶりに呆れる秀一郎。





「最近落胆することが多くてよお。ウチの文化祭は圧倒的大差で負けるわ、芯愛の文化祭はハズレ引いたわじゃ落ち込むっつーの」





「まあ、確かに今年の軽音は凄かったな」





映研も健闘したが結局4位。





そして優勝は2位以下に圧倒的大差をつけた軽音楽部だった。





軽音は毎年、最も集客数の大きい体育館を使っていたが、今年は体育館を飛び出し、グラウンドに大型トラックを乗り入れて臨時ステージを設置。そこで野外ライブを行った。





これが大盛況で、過去最高の来場数を記録していた。





「でもあそこまでされたら負けても仕方ないだろ。ちらっ聴いただけだけど迫力あったし、なによりボーカルの子の歌が上手かった。あの子もウチの生徒かな?」





「は?お前涼ちゃん知らないの?」





「リョウちゃん?」





正弘に名前を言われてもピンと来ない。





「槙田涼。ウチの1年生だよ」





「背が高くてスタイルもいい。モデルでも通用しそうな綺麗な子だよ。で、軽音のボーカルこなすくらい歌が上手い。ある意味完璧な子だね」





向かいの席の沙織と里津子が説明した。





「まあ涼ちゃんと奈緒ちゃん、真逆の子だもんな。ロリコンの佐伯にゃ奈緒ちゃんがお似合いだ」





「その認識はいい加減止めとかないと奈緒にボコられるだけじゃ済まなくなるぞ」





秀一郎が釘を刺すと、





「あ〜あ。芯愛なんぞに行くんじゃなかったよ」





正弘はふて腐れた。





奈緒に誘われて秀一郎、正弘、里津子に沙織、さらに姉の真緒という面々で芯愛高校の学園祭に遊びに行った。





奈緒はクラスのコスプレ喫茶でメイド服を着こなして注目を浴びていた。





そしてそんな奈緒を少し離れた位置から見守るように、目つきの鋭い男たちが控えていた。





菅野の仲間である。





奈緒と真緒が雑誌のグラビアを飾ったことで泉坂の真緒の周辺は騒がしくなったが、芯愛の奈緒の周辺はとくに変わっていなかった。





菅野たちが目を光らせていたからであった。





奈緒からそう聞かされてはいたももの話半分と思っていた秀一郎だったが、実際に目の当たりして驚き、菅野に頭を下げて礼の言葉を述べていた。





「でも芯愛の菅野って噂ほど怖くなかったね。ちょっとやんちゃっ気のある男子って感じだったなあ」





「りっちゃん、あの菅野って人と結構話してたよね」





(菅野も普通の男なんだよな)





実は菅野は秀一郎にこっそり相談を持ち掛けていた。





一目見た里津子に興味を示し、学園祭を笑顔で案内し、帰る頃には完全に惚れていた。





「もしあの子のメアド知ってたら教えてくれないか?」





「気持ちは判るが、後のこと考えたら自力で聞いたほうがよくないか?俺に出来る範囲なら機会は作るから」





「・・・そうだな」





こんな会話が秀一郎と菅野の間であった。





これが当事者ふたりだけの事であればまだよかったが、どこからともなく奈緒が嗅ぎ付けていた。





当然のごとく面白がって首を突っ込み、菅野に要らぬ助言を送ったりしていた。





周辺にその名を轟かす大物も、恋愛が絡むとひとりの男子学生。





奈緒に完全に主導権を握られ、全く頭が上がらなくなっていた。





ちなみに正弘が凹んでいるのは、奈緒が菅野たちに『あたしたちに害をもたらすエロ男』と余計な一言を滑らせ、当然のごとく反感を買って完全に睨まれたのが原因。





「くそ、なんとか奈緒ちゃんに仕返しする方法はないだろうか・・・」





「だから止めとけって。今の奈緒にお前が逆らっても分が悪い。そんなことよりさっさとプラン決めようぜ」





今は放課後。





秀一郎、正弘、沙織、里津子で机を合わせている。





2年生は文化祭後にまた重要なイベントが待っている。





修学旅行。





しかも今年から行き先が変わっていた。





ここ数年はずっと北海道だったが、不況の影響なのか今年からぐっと近場になった。





しかも修学旅行ではあまり行かない場所。





「名古屋、美濃、伊勢かあ。あんまり面白くなさそうだな」





正弘は不満を口にする。





「でもその代わりにほぼ完全な自由行動だ。でもここまで自由過ぎると計画立てるだけでひと苦労だな」





秀一郎の言葉の通り、この修学旅行はほぼ自由行動になっている。





通常の修学旅行ならまず新幹線で移動し、各地に観光バスで移動というのが定石。





最近はほぼ一日班行動という場合も多い。





だが今回の旅行で全員が揃って移動するのは行きの岐阜羽島駅までと帰りの名古屋駅からの新幹線移動のみ。





その間の3日間は3〜4人という少人数での班行動。





宿泊先も学校側がいくつか用意した宿に分散という形になる。





これで各班はかなり自由に動けるが、制約もある。





・3日の間に必ず伊勢神宮に行く。





・移動費用は一定額までは学校が出すが、オーバー分は自腹。





縛りは上記2点で、これを踏まえ、宿を選び、自由行動。





ただもちろん事前に計画を立てて書類を提出する。





そしてこの4人がひとつの班で行動するのだが、なかなか計画がまとまらなかった。





「あ〜っもうっ!ほとんど自由行動のはずなのになんでこんなにまとまらないの?」





少し苛立つ里津子。





「そりゃしゃあない。一見自由に見えるけど実はかなり縛りがあるんだ。現実的に岐阜、美濃方面は廻れんよ」





「そうだね。いろいろ魅力的なところはあるんだけどね」





秀一郎の指摘に沙織が同意した。





「佐伯ってずっとそう言ってるけど、なんでだ?」





正弘が聞いてきた。





「あの辺りって公共交通機関がほとんどないんだ。鉄道はもちろんバスもろくにない。だからってタクシー移動は金がかかるから現実無理。どうにもならん」





「そっかあ。でも桐山ってそっち方面で行きたいところあるんだろ?」





「うん、関の町がちょっと興味あるの。刃物で有名なところなんだよ。昔の刀とか包丁とかね」





「なあ佐伯、関ってどの辺なんだ?」





「ちょっと・・・いや、かなり無理だな。エリアから少し離れてるし、現実は車じゃないと行けん」





「そっかあ」





「ううん、あたしも関は無理だと思ってたから。でも犬山は行ってみたいかも」





「犬山?どこだ?」





また正弘が聞いてきた。





「国宝の城がある愛知と岐阜との県境の古い町だ。電車があるし岐阜羽島からなら比較的行きやすいから、行くなら初日だな。けど交通費はオーバーになるかも」





「またえらくシビアだなあ」





「御崎要望のセントレアまで行くとなると完全オーバー。私鉄一本で行けるけど料金がバカ高い」





「あの辺りってJRもなくて私鉄一社の独占だからもの凄く料金が高いんだ。あたしも調べてびっくりした」





「そうなんだよね〜。確か名鉄だったっけ。凄く割高なんだよね。セントレア無理かなあ〜」





正弘以外の3人が暗い顔を見せた。





「でも確か二日目の宿って御崎の希望じゃなかったっけ?」





「そうだよ。長島スパーランドに長島温泉!絶叫マシンて騒いで疲れたら温泉でゆったり!これは譲れないね!」





「まあ長島は位置的に名古屋と伊勢の中間だ。二日目に伊勢神宮に行って、帰りに長島で泊まるのは効率いいな」





「問題は一日目なんだよね。犬山行くならその周辺の宿にしたいけど、今から変更出来るかなあ?」





さすがに宿は定員があるのでかなり前に申告して押さえている。





この班は一日目は名古屋近く。二日目は長島温泉を押さえていた。





「宿の変更は難しいんじゃないか?それにそもそもあの辺で宿の設定がなかったはずだ。それに確か名古屋と犬山って・・・電車で30分くらいだから、気にするほどの距離じゃない」





「そっか。なら犬山と名古屋の間でどこか行けるところが・・・そういえばないんだよね」





「名古屋市内はまだいいけど、ちょっと郊外に出ると足が無い。だから東京の人間が名古屋に転勤になると高い確率で車を買うって聞いたことあるぞ」





「あ〜っもうっ!これで日本第三の都市なわけ?もうちょっと交通機関充実させてよね!」





「けどそれがあるからトヨタが大きくなった気もするな」





「佐伯くん、その言葉すごく説得力あるね。そういえば名古屋と豊田ってわりと近いよね。でもなんかすごくやるせなさを感じるよ」





「まあ・・・な」





また暗い顔を見せる里津子と秀一郎。





「ほ、ほら、りっちゃんも佐伯くんもそんな顔しないで、もっと前向きに考えようよ」





そんなふたりを励ます沙織。





「まあ、俺はみんなに任せるよ。俺は大須に行ければいいからさ」





「大須?どこ?」





正弘の言った地名がわからない里津子。





「名古屋市内の町。名古屋の秋葉原みないなとこ」





と秀一郎が説明すると、





「うわ、オタクの町?そんなとこ行くの?」





里津子がどん引きした。





「そうでもないって!服とか雑貨とかもいろんなのがたくさんあって安いみたいなんだよ!絶対面白いって!」





正弘には珍しく必死に弁明する。





「雑貨かあ。あたしちょっと興味あるかも」





「おっ、桐山いいね!そうだって!面白いから最終日に行こうぜ」





「まあ、沙織がそう言うならいっかあ」





里津子も渋々同意した。





「んなら大体のプランは決まったな。あとは細かいとこを詰めるか」





秀一郎は意見をまとめ、地図を取り出した。





「ねえ佐伯くん、セントレアは・・・」





「無理。諦めろ。長島行くんだからそれで納得してくれ」





「わかった・・・」





がっくりと肩を落とす里津子だった。


[No.1550] 2010/02/06(Sat) 07:39:09
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修学旅行初日。





午前10時。





「ではこれより班行動だ。全員予定通り行くように。高校生らしい節度ある態度を心掛けること。なにかあればすぐ先生に連絡しろ。では解散」





岐阜羽島駅から自由行動が始まった。





秀一郎、正弘、沙織、里津子が集まる。





「んじゃ行くか。まず岐阜まで行って、そこから犬山だ」





秀一郎が音頭をとる。





「1時間くらいだっけ?」





里津子が所用時間を確認する。





「そんなもんだな」





「じゃ、行こうか。忘れ物は・・・って、いまさらどうしようもないね」





照れ笑いを見せる沙織。





修学旅行となると大きな鞄が付き物だが、今回は小さな手荷物のみで、旅行鞄は学校からそれぞれの宿泊先に直送になっている。





いろいろ勝手が違う修学旅行が、





「よし、行くぞー♪」





里津子の元気な声で、





始まった。










「ええっと、犬山駅の手前で降りるんだよね?」





沙織が確認してきたので、秀一郎は笑顔で頷いた。





4人が降りたのは、





「犬山遊園、犬山遊園です」





犬山駅のひとつ前の駅。





「あ、犬山城だ」





眼前に小高い山にそびえ立つ天守閣が見えた。





「歩いて20分ってとこだな。思ってたより景色もいいな」





一通り辺りを見回した秀一郎の第一印象だった。





「この川があるからなんかいいね」





里津子が城の側を流れる大きな川に目を向けた。





「岐阜との県境の木曽川だ」





「へぇ〜っ」





皆、犬山の風景に高印象を抱いていた。





だが犬山城の入り口に着いた頃には、





「つ、疲れた〜」





急勾配の坂が若者の体力を奪っていた。





犬山城は小高い丘の上に建つ小さな天守閣のみだが、この天守閣が国宝に指定されている。





中に入ることも出来、最上階からは犬山市が一望出来る。





4人は古い城下町の景色を堪能して、城を出た。





「ねえ、写真撮ろうよ!」





里津子がデジカメを出し、近くにいた老夫妻をつかまえた。





4人並んで、天守閣を背景に記念写真。





「ありがとうございます」





里津子は笑顔でカメラを受け取った。





「ひょっとして修学旅行かい?」





おじいさんが尋ねる。





「はい。東京からです」





「へえ、珍しいね。この町に来る修学旅行の子なんて初めて見るよ」





秀一郎が今回の修学旅行の内容を教えると、





「ほお、最近の高校はそんな旅行をするのかい。いやあ、時代は変わったもんだ」





楽しそうな笑顔を見せた。





「いろいろ行ってみたいところがあったんですけど、この辺りって電車やバスがないから行けないところが多いのが少し残念です。関とかに行きたかったんだよね、沙織?」





「あ、うん」





里津子に話を振られた沙織は少し残念そうな顔で頷いた。





「関かい?もしよければ乗せてってあげるよ」





「えっ?」





突然の申し出に4人揃って驚く。





「私たちの帰り道で関は通るんだよ。車ならここから小1時間ほどだ。せっかくの機会だ。東京からこっちに来ることなどそうはないだろう。遠慮はいらんよ」





「あの、本当にいいんですか?」





沙織の顔が輝く。





老夫妻は笑顔で頷いた。





「桐山?」





秀一郎が呼ぶと、





「あ、ご、ゴメン。勝手にそんなことしちゃダメだよね。予定通り班行動しないと・・・」





沙織は我にかえってそう口にするが、明らかに残念そうな顔を浮かべている。





「沙織、行ってきなよ」





そこに里津子が笑顔で背中を押した。





「御崎、おい!」





さすがに驚いた秀一郎は止めようとするが、





「佐伯くん、沙織ってホントに関に行きたがってたんだよ。こんな機会もうないよ。だから眼をつむってあげようよ」





「そうだな。俺たちの今日のルートで先生たちのチェックが入ることはないもんな。旅館に4人一緒に入ればバレんだろうな」





「若狭まで・・・」





「佐伯くん・・・」





ここで沙織がじっと秀一郎を見つめる。





「・・・わかった。なら俺が桐山と一緒に行く。若狭と御崎は予定通り廻ってくれ」





「オッケー!」





笑顔で親指を立てる里津子。





正弘も笑顔で頷いた。





「佐伯くん、若狭くん、りっちゃん、みんなありがとう」





沙織の笑顔が輝いた。





秀一郎と沙織は老夫妻のワンボックスカーに乗せてもらい、犬山をあとにした。





道中、この老夫妻は賑やかだった。





ハンドルを握る気の良さそうなおじいさんは、若かりし日はかなり血気盛んだったようで、面白い武勇伝を話してくれた。





(やっぱりな。真面目で堅い人なら、いくら自由行動でもこんな風に誘わないもんな)





秀一郎は笑いながら、この気の良さそうなおじいさんの若き頃の無茶な様子が頭に浮かんでいた。





道中は和やかな空気で、車はローカル線の関の駅前に着いた。





「本当にありがとうございました」





頭を下げる秀一郎と沙織。





「いやいや、じゃあ旅行楽しんでいい思い出作りなよ」





老夫妻は優しい笑顔を残し、駅前をあとにした。





「さて、と。どうする?」





秀一郎は沙織に尋ねた。





完全に予定外で、沙織の希望でやって来た関の町。





ここの行動は沙織に任せるしかない。





「うん、行きたいお店があるんだ。確かこっち」





沙織が足を進め、秀一郎はそれに続く。





地図も見ずに沙織は古い町を歩いていく。





「桐山、ひょっとしてこの町に来たことあるのか?」





「うん。もう10年前かな。お母さんと一緒にここを歩いたんだ」





「まさか、その時の記憶を頼りに歩いてんのか?」





「実は、そうなんだ。あたしもちょっと自信なかったんだけど、たぶん大丈夫。この町、10年前とほとんど変わってないから」





沙織は狭い路地をいくつか折れて行く。





後ろを付いて行く秀一郎は少し不安になる。





(かなり入り組んだ道だよな。10年前っつったら小学校1年か2年だ。そんな頃の記憶を克明に覚えてるもんなのか?)





だが沙織の足取りに迷いは感じられなかった。





そして、





「よかった。まだあった」





かなり古い造りの店の前で足を止めた。





「ここ?」





「うん」





外からだと何の店かよくわからない。





沙織はこれまた古そうなガラス扉を開け、静かに店に入った。





それに続く秀一郎。





(へえ・・・)





中に入ると、壁とガラスケースにたくさんの包丁が並んでいた。





(そういや関って刃物の町だったな。包丁の店か)





様々な大きさ、刃の形が異なる包丁。





こんな店に入るのは秀一郎は初の経験だった。





(いろいろあるんだなあ・・・って、げっ?)





包丁に付いている手書きの小さな値札には、かなり高額な数値が記されている。





(こんなに高いのか・・・)





「いらっしゃい」





奥からかなり年配の老人が出てきた。





「あの、すいません、これを見ていただきたいんですが・・・」





沙織はその老人に声をかけ、鞄から白い布に包まれた物を取り出し、差し出した。





(10年前に母親と来た関の町、たぶんこの店に来たんだろう。あれはたぶん・・・)





老人が丁寧に布をほどくと、一本の包丁が表れた。





(やっぱりな)





秀一郎の想像通り。





老人は鋭い目を包丁に向ける。





「確かにこれは、わしが造ったもんだ。丁寧に使い込んであるのお」





「はい。ですが少し切れない感じなんです。あたしの使い形が悪いんだと思うんですが、研いでも切れ味が戻らなくて・・・」





「確かに、これでは切れんじゃろ」





「あの、研いでいただく事は出来ないでしょうか?」





再び目を光らせる老人。





「確かこれは・・・子供連れのご婦人が買っていかれたものだったのお」





「えっ、母を覚えていらっしゃるんですか?」





「わしは人の顔を覚えるのは苦手じゃが、包丁のことは大体覚えておる。東京から来たご婦人が良いものが欲しいと言っとったからこれを勧めたんじゃ。母親ということは、あんたはあの時連れとったお嬢ちゃんか・・・」





「はい」





「そうかそうか。もうそんなになるのか。お母さんはお元気かい?」





「あの・・・母は去年他界しました。その包丁は母が遺してくれた一本なんです」





「そう・・・か。まだ若いのに・・・」





空気が重くなる。





老人はすっと立ち上がり、





「ばあさん、水を用意しとくれ」





奥に向かってそう告げると、砥石をいくつか取り出した。





「ちょっと待ってなさい。この程度ならすぐに新品同様になる。任せなさい」





笑顔を見せると、





「ありがとうございます!」





沙織も笑顔を見せた。





(人って凄いな。10年前、母親とたった一度きり通った道を覚えてた桐山、その桐山に売った包丁を覚えてたこのおじいさん・・・)





秀一郎は目の前のふたりに少し感動を覚えていた。





程なくして、奥からおばあさんが大きな水桶を抱えて出てきた。





「はいおじいさん、っと・・・」





膝が少し折れてバランスが崩れる。





「危ない!」





桐山が慌てておばあさんに手を伸ばし、身体を支える。





バシャッ!





「キャッ!?」





転ぶのは防いだが、水桶を落としてしまい、沙織とその周辺が水びだしになってしまった。











「佐伯くん、なんかゴメンね、いろいろ迷惑かけて」





「いいって、気にするなよ」





ふたりは奥に通され、秀一郎は居間で出されたお茶をすすり、沙織は隣の部屋で用意された服に着替えをしている。





「でも、あたしってやっぱり嫌な性格だよね。ここに来れない予定なのに、こっそり鞄に入れておくなんて。ちょっと自己嫌悪」





「んな事ないよ。まあ来れるとしたら今日しかないし、どんなイレギュラーが起きるか分からん。用意に越したことはないよ」





「佐伯くんはそうやって言ってくれても、他の人は気分悪くするよ。これもバチが・・・キャッ!」





突然、沙織の小さな悲鳴が聞こえた。





「どうした?って、おい、ちょっ?」





慌てる秀一郎。





隣の部屋から沙織が飛び出し、抱き着いてきた。





しかも上半身は裸で下着のみの姿。





「ご・・・ゴキブリが・・・」





「ちょっ・・・わかったから落ち着いて。そのカッコは・・・」





まずい、と言おうとしたが、口が止まった。





目に入ってしまった。





沙織の白い肌。





そこに入った大きな傷跡。





「え・・・あっ?」





秀一郎の視線に気付いた沙織は慌てて傷跡を手で覆い、背を向ける。





「い、嫌なの見せてゴメン」





「嫌なのって・・・と、とにかく何か着ろよ。俺、隣から服持って来るから」





「う、うん。ありがとう」





秀一郎は隣の部屋に入り、着替えを手に取った。





(俺はバカだ。なんで今の今まで気付かなかったんだ。あれだけの怪我なら残って当然だろ)





新たな事実が、秀一郎の心に重いものを残した。


[No.1551] 2010/02/14(Sun) 06:42:21
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「うーっ、さぶっ・・・」





修学旅行が終わると、一気に寒さを感じるようになった。





2年生の2学期ももう終盤。





そろそろ進路について真剣に考えなくてはならない。





秀一郎は弁護士志望なので文系の法学部への進学を考えているが、それに否定的な考えを持つ教師もいる。





秀一郎の成績は学年内でもさほど悪くはないが、中でも技術は学年トップ。





理系の成績も良いほうである。





理系の担当教師からは理系学部の進学への切り替えを奨められていた。





「佐伯はいいよな。選べる進路がたくさんあってよお」





皮肉る正弘。





「けどいまさら理系に切り替えろって言われてもなあ。絶対不利だし3年に苦労するのは目に見えている」





「んで、黒川との面談は終わったんだろ?」





「ああ。志望は変えんと言った。理系に行ったらそのまま親父の会社を継がされるような気がしてな。まあ物造りは嫌いじゃないけど仕事でやりたいとは思わん。両親共々散々苦労してるの見てるからな」





「そっか。ところで別の話だが、修学旅行の時に桐山となんかあったのか?」





「な、なんだよ急に?」





少し焦る。





「お前、少し噂になってるぞ。どうやら初日に別行動してたのを見てた奴らがいるらしい。お前は奈緒ちゃんと桐山で二股かけてるって言われてるぞ」





「んな訳あるか。桐山とはなんにもねえよ」





そう否定しても、正弘は疑惑の目を向ける。





「なんだよその目は?」





「お前と桐山、修学旅行から、正確には修学旅行の初日に別行動してからおかしいぞ。あまりしゃべってないし、なんかよそよそしい感じだ。絶対なんかあっただろ?」





「だから、なにもねえよ。ただそう見えるだけだっつの。お前までへんな噂広めるなよ」





秀一郎は正弘に釘を刺し、教室を出た。





「はあ・・・まずいなあ」





その後、屋上でひとりため息をつく。





(以前のように、ってわけにはいかないよな)





心にのしかかった重いものはずっと消えない。





沙織の身体に残った大きな傷跡。





(桐山は俺をかばって刺された)





(桐山は俺の代わりに死にかけた)





(桐山には俺のせいで、あの傷跡が残った)





否応なしに自責の念が強まる。





そう感じるようになってから、沙織とうまく話せなくなっていた。





沙織も気まずく感じているようで、どこかよそよそしい。





「おっ、佐伯くんじゃん」





「ん?」





屋上に里津子が表れた。





「どうしたんだよ、こんなとこに来ると風邪ひくぞ」





「ちょっと冷たい風に当たりたくてね。面談ボロボロだったんだよ。このままじゃ志望校には絶対行けないって言われてさ」





苦笑いを浮かべる里津子。





「御崎は進路どうすんだ?」





「実はあまり考えてないんだよね。特に目標とかやりたい事もないし。近場で適当な大学行こうかなって思ってるくらい。けどあたしだと偏差値が全然足らないの。ほんとどうしよう」





「まあ地道にやってくしかないだろ。偏差値なんて急にどうにかなるもんじゃない。今から勉強始めるか、それか志望校のランク落とすかだな」





「あ〜あ。進路のことで悩みたくなんかないよ。もっと女の子らしい悩みがしたいよ」





「なんだよ、女の子らしい悩みって?」





「そりゃ男絡みの悩みかな。例えば、今の沙織の悩みとか」





「桐山の悩み?」





ギクッとした。





それが顔に表れる。





「沙織から聞いたよ。ふたりで行った関で何があったかね」





「そうか・・・」





「沙織はずっと隠しておくつもりだったみたいね。実際、女子でもあの傷跡を知ってるのはほとんどいないよ。あの子いつも下にタンクトップ着てるから体育の着替えでもわかんないもん」





「・・・」





「やっぱり責任感じる?」





「・・・ああ。男なら多少の傷跡くらいどうでもいいけど、女の子であれは目立ち過ぎる」





「そうだね。夏に着たあのビキニはもう着れないと思う」





この一言で、さらに心が重くなる。





「ねえ佐伯くん、沙織のこと、どう思ってる?」





「どうって、桐山は・・・大切な友達だ」





「友達以上になりたいって少しも思わない?」





里津子は真剣な眼差しをぶつけてきた。





「それは・・・無理だ」





「そっか、無理か。じゃあ質問変える。もし奈緒ちゃんがいなかったら、どう?」





「御崎、お前は俺になんて言わせたいんだ?」





「そんなの決まってる。沙織をちゃんと女の子として見て欲しい。友達とかじゃなくて、ちゃんと恋愛対象として見てあげて欲しい」





「それが・・・出来れば俺だって悩まない。けどそれは無理なんだ」





「そんなに奈緒ちゃんが大事?」





「お前、怒るぞ!」





さすがにカチンと来た。





「わかってる!佐伯くんが怒るのもわかる。けどだからって、沙織が普通の恋愛が出来なくなるのは嫌。大きな傷があっても本人が幸せで、周りも幸せに見えれば関係ないと思う。けど今の沙織は、そんなの程遠いんだよ」





里津子はとても悲しそうな顔を見せた。





「でも、どうすりゃいいんだ?俺たちに・・・俺になにが出来るってんだ?」





「付き合う付き合わないは本人の気持ち次第だからあたしは何も言わないし言えない。けど沙織をちゃんと女の子として見てあげて。奈緒ちゃんと比べてあげて。今の佐伯くんにとって奈緒ちゃんの居場所はまるで聖域。誰も立ち入れない。それじゃ沙織があまりにもかわいそうだよ」





「・・・なんで俺なんだ?他にもいい男はいるだろ・・・」





「・・・わかってるでしょ?だって沙織が好きなのは、佐伯くんなんだもん・・・」





言われるたびに心が重くなる。





他の人からも言われていた。





沙織の秀一郎に対する秘めたる想い。





だが秀一郎はそのたびに悩む。





「なんで桐山は言ってくれないんだ?他人から聞かされてもどうにもならん・・・」





「言ったところでどうにかなるの?」





「それは・・・」





里津子に返された直球に詰まる。





「今の佐伯くんにコクっても、奈緒ちゃんがいるから断るでしょ?沙織は余計に傷つく。今の友達の関係もなくなるかもしれない。それがわかっててコクれるわけないでしょ」





「でもだからってそれじゃどうにもならん。俺からは動けん。確かに桐山はいい子だ。でも、今の俺には奈緒がいるんだ」





「それでもいいよ。まずは試しでいいから、沙織をちゃんと女の子として見て、扱って、それで真剣に考えてよ」





「けどそれじゃ完全に二股じゃないか。そんなことは俺には出来ん。そんなハンパなことしたら桐山はもちろん奈緒も傷つける。確かに俺も桐山に後ろめたいような気持ちだ。でもだからって奈緒の気持ちを踏みにじることは出来ん」





「そんなに堅く考えなくていいってば!そもそも奈緒ちゃんは佐伯くんにベタ惚れじゃない。それくらいのことで壊れる関係じゃないでしょ?」





「お前なあ・・・奈緒はすぐグズるし落ち込むと大変な奴なんだよ。真緒ちゃんと遊びに行くだけでも不機嫌になるんだ。ましてや桐山をあんまりよく思ってない。桐山とデートなんて地雷があるとわかってて踏むようなもんだ」





里津子には怒りを通り越して呆れていた。





「だから、地雷踏んでよ。あたしも一緒に踏むから」





「は?」





「佐伯くんがひとりで全てしょい込むことはない。あたしを悪者にすればいい。あたしが黒幕になって、奈緒ちゃんの怒りをあたしに向けさせればいい。それなら多少は気が楽になるよね?」





里津子は笑えない冗談のようなことを真顔で言い切った。





「なんでお前がそこまでするんだ?いくら友達でも、やり過ぎだろ?」





「かもしれない。でも沙織の想いは叶えてあげたい。それがどんな困難でも、なんとかしたいの。あたし、あの子に会うまでは自分より不幸な女の子なんてそうはいないと思ってた。けど沙織は・・・あんなに辛い現実の子なんていないよ。親もいない。頼れる身寄りもいない。寂しい部屋で過ごすたったひとりの毎日なんだよ。だからせめて・・・あたしなんかで何か出来るならしてあげたいよ!」





「・・・わかった、もういいよ。お前の気持ちはわかった。少し考えさせてくれ」





秀一郎は低い声でそう告げ、屋上をあとにした。











(御崎の言うこともわかる。確かに桐山は不幸だと思うし、俺だってなんとかしてやりたい)





(けど、もし桐山が俺を好きだとして、俺が思わせぶりなそぶりを見せたら桐山はきっと期待する)





(それからどうするんだ?奈緒にはどうやって説明するんだ?あいつが納得するのか?)





沙織に対する気持ち。





奈緒に対する気持ち。





片方を立てれば、もう片方は立たない。





(桐山にはなんとかしてやりたい。でも奈緒を傷つけるような真似はしたくない)





なかなか答は出ない。











「佐伯秀一郎!」





突然、後ろから呼ばれた。





振り向く。





「・・・うわっ!?」





上から木刀が振り落とされる。





際どいタイミングでよけた。





「ちっ、よけやがったか」





(こいつ、女子・・・だな。なにもんだ?)





木刀を手にしたポニーテールの女の子が鋭い目つきで睨みつけていた。


[No.1552] 2010/02/21(Sun) 06:34:14
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regret-46 (No.1552への返信 / 45階層) - takaci

「なんだよお前は?いきなり見ず知らずの他人から襲い掛かられる覚えはないけどな」





「ふん、あたしもあんたに個人的な恨みはないよ。けど、いい気になって何人もの女を弄んでいるふざけたヤローは気にいらないんでね」





女の子は好戦的な目を向け、木刀を振りかざす。





「ちっ、ただの根も葉もない噂だけでケンカ売られたらかなわんな」





「昔から言うだろ。火のないところに煙は立たないってね!」





秀一郎の言葉には耳も貸さずに突っ込んできた。





(くそ、やるしかないのか)





とりあえず木刀を回避しながら考えを巡らす秀一郎。





(最近になって始めた真緒ちゃんとの組み手、武器を持った相手の対応が実戦になるとはな)





真緒の言葉を思い出す。





『まず間合いを見切ること。相手の体格、リーチ、それに武器の長さを加味すれば間合いが決まります。基本的には素手の組み手と動きは変わりません。あと長い武器ほど攻撃と攻撃の間隔が大きいです。リズムを掴んでタイミングを見計らえば必ず隙があります』





(こいつ、女にしちゃ背が高いし腕も長い。けど動き自体はそんなに速くはない)





だんだんリズムが分かってきた。





(確かに隙はある。けど・・・)





『武器を持った相手に情け容赦は禁物です。急所に全力の一撃で確実に止める。じゃないとこちらがやられます』





攻撃出来そうな隙がちらほらと見える。





(けど相手が男ならまだしも、いくらなんでも女の子には手は出せん)





秀一郎は隙を見過ごし、回避に集中する。





(野次馬も多いから教師が騒ぎを聞き付けて来るはずだ。それまでもたせれば・・・)





パアン!





音を起てて木刀が宙を舞う。





大きな弧を描き、女の子の背後に落ちた。





秀一郎と女の子の間に、小柄な子が割って入った。





「真緒ちゃん」





真緒は木刀を鋭い蹴りで弾き飛ばし、秀一郎に背を向け、相手の女の子に厳しい視線をぶつける。





「そういやこの男の側にはあんたがいたねえ、小崎真緒。けどいくらあんたが強くても、タイマンのケンカに割って入る権限はないと思うけどね」





「本当のタイマン勝負なら水を差すような真似はしない。けどこれはあなたが一方的に仕掛けたケンカで、センパイはあなたを攻撃する気はさらさらなかった。それがわかっててこのケンカを仕掛けたんじゃないの?槙田涼」





(槙田涼?どっかで聞いたことある名前だな)





秀一郎は真緒とガンの飛ばし合いをする、この涼という女の子をあらためて見る。





背が高く、スタイルも良い。





気は強そうだが、整った顔立ちをしている。





(俺とは完全初対面だ。けどどっかで見たことあるような・・・?)





記憶を巡らす秀一郎。





「ふん。こいつがどんな男なのか見極めようと思っただけさ。まあ腰抜けじゃないみたいだけど、そーゆー奴ほど心が腐ってたりするんだけどね」





「センパイは心も真っ直ぐな人です。あんな噂は根も葉も無いデマ。決してそんなことが出来る人じゃない」





「ふうん、やっぱり身内は信じたいんだね。けど・・・」





涼は木刀を拾いあげて切っ先を秀一郎の喉元に向け、





「あたしは絶対にあんたの本性を暴く。覚悟しときな!」





そう言い残し、颯爽に去って行った。











涼が姿を消すと、野次馬もばらけ出した。





「真緒ちゃんありがとう。ところであの女のこと知ってんの?」





「槙田涼。あたしと同じ1年生です」





「その名前、どっかで聞いた気がするんだけど?」





「軽音部のボーカルです。今年はかなり盛況だったから、それで知った人も多いと思います」





「あっ、あの歌の上手い子か」





今年の文化祭、ちらっと見たステージの様子と澄んだ歌声を思い出した。





「あの子、みんなからちやほやされて、おまけにあんな男勝りの性格だからちょっと有頂天になってるんです。自分が一番じゃないと気が済まないタイプで、ちょくちょく問題もあるそうです。あたしも絡まれたことがありました」





「真緒ちゃんにちょっかい出すとは、かなり怖いもの知らずな女だな」





「相手にしないのが賢明です。あんな根も葉も無い噂を確かめずに一方的に牙を剥くような子です。関わらないほうがいいです」





「そうだな、そうするよ」





と決めたが、放課後に黒川から呼び出しを喰らった。





「佐伯、1年の槙田と小競り合いがあったそうだな」





「一方的に木刀振り回して襲い掛かられたんです。俺は一切手を出してません」





「なぜ槙田は佐伯に手を出して来たんだ?」





「向こうに聞いてください。てか俺だけ呼び出されて、あいつはなしですか?」





「自分は一切間違ったことはしていない。だからここに来る気はないと言っててな」





「ちょっと、今回の被害者は俺です。被害者を呼び出しておいて加害者は放っておくなんて、いくらなんでも筋が違いませんか?」





怒る秀一郎。





「お前の言い分は理解している。正直、槙田への対応は我々生徒指導教師も手を焼いていてな。すぐに正義という言葉を出して正当化してしまう」





「正義の味方気取りが木刀振り回してデカい顔してんですか。いい度胸してますね」





秀一郎は嫌悪感をあらわにする。





「そこで聞きたいのが、槙田がお前に手を出した要因となった噂についてだ」





「あんなの完全なデマです。女友達と一緒に歩いてるだけで二股なんて言われたらやってられませんよ」





「小崎の妹とは順調なのか?」





「おかげさまで、振り回されっぱなしの毎日です」





「そうか。そうなると桐山が問題だな」





黒川は真剣な顔でそうつぶやいた。





「ちょっ、なんで桐山が出てくるんすか?」





「佐伯は桐山を友達だと思っていても、桐山は佐伯を友達だと思っていない。それ以上の感情を抱いている。一言で言えば片思いだ」





「だから俺と桐山はそんなんじゃないです。それに片思いが問題だとしたらほとんどの生徒が該当する。高校生にもなって恋愛感情抱いてない奴なんてほとんどいないですよ」





「だから、そうじゃない。そんな簡単な問題ではない」





「だったらどうなんです?分かりやすく説明してください」





「こういうことは口で説明出来るものではない。個人の主観の問題だ。だから・・・と逃げ口上では生徒指導は務まらんな。いずれきちんと説明する。今日はもう帰れ」





「ちょっと待ってください、言うだけ言って、それはないでしょ?」





「いいから帰れ。呼び出してすまなかった。あと桐山とは問題起こすなよ」





(なんなんだよ黒川の奴、教師だったらちゃんとわかるように言えっての)





秀一郎はずっと機嫌が悪かった。





そんな気持ちで学校を出て、バイトをこなす。





だが奈緒からの日常のメールが秀一郎の心に温かいものを残した。





「お先に失礼します」





バイト先のビルを出たところで、





「よっ、佐伯くん」





声をかけられた。





「あ、真中先輩、お疲れ様です」





スーツ姿に鞄を抱えた淳平が立っていた。





「佐伯くん、ちょっと話がしたいんだけど、これから少しいいかな?」





「あ、はい」





そしてふたりはすぐそばの喫茶店に入った。





「えっと、確か奈緒ちゃんだっけ。彼女とはうまく行ってる?」





「ええ、まあ」





「そっか。じゃあ沙織ちゃんとはどう?」





「・・・それ、今日黒川先生からも聴かれましたよ」





「えっ?」





秀一郎は学校で見ず知らずの女の子に木刀で襲われ、それが原因で黒川に呼び出され、さらにはそれらの要因になった噂について話した。





「そりゃ災難だねえ」





「ただ一緒に歩いてただけで二股なんて言われたらやってられませんよ。しかも黒川まで問題起こすなとか言うし、俺と桐山はそんなんじゃないっすよ」





「そうか、佐伯くんはそう思ってるのか。でも沙織ちゃんはちょっと違うよ」





「えっ?」





「例の怪我で沙織ちゃんと綾が仲良くなってね。よくメールをやり取りしてるんだよ。それでつい最近、沙織ちゃんから綾に相談を持ち掛けられたんだ」





秀一郎の動悸が少し高鳴る。





(聴いちゃダメな話のような予感がするけど・・・)





そうは感じたが、耳を傾けた。





「二番でいいから付き合って欲しいと思うのはダメですか?ってね」





「は、二番?」





どんな意味なのかわからない。





「前に話したよね。沙織ちゃんは佐伯くんが好きだって。それに当てはめれば、どういうことかわかるよ」





「って言われても・・・二番はダメ?」





淳平のヒントを聞いてもピンと来ない。





「つまりこういうことだ。沙織ちゃんは今の佐伯くんと付き合いたいと考えているんだ」





「いや、それ無理っすよ。だって奈緒が・・・」





「だから、奈緒ちゃんと付き合っててもいいから付き合いたいんだ」





「えっ?」





「沙織ちゃんは二番でいい。この場合の一番は奈緒ちゃんだ。佐伯くんは奈緒ちゃんと付き合いながら、空いた時間に沙織ちゃんと付き合うってこと」





「ちょっ、それって完全二股じゃないですか!」





「そうだね。でも沙織ちゃんはそれでもいいみたいなんだ」





「そんな馬鹿な。そんなの楽しくないし意味がない。付き合ってるなんて言えない。そんなふざけた真似は出来ないっすよ」





「そうだね。恋愛の形としては間違ったものだ。でもそれでも付き合いたいと思ってるのが今の沙織ちゃんだ」





「なんで・・・桐山は・・・」





言葉が出なかった。





沙織の気持ちが理解出来ない。





「佐伯くん、君はどう思う?」





「どうって・・・わけわかんないすよ。恋人が別の奴と付き合ってるなんて嫌に決まってる。俺だってそうです。奈緒が他の男と付き合うなんて考えたくもない。とても本気の言葉とは思わないです」





「じゃあ迷惑かい?」





「迷惑ってわけじゃないですけど、でも奈緒との間は荒らして欲しくない」





「沙織ちゃんにその気はないらしい」





「でも確実に奈緒とぶつかります。そんなのありえない。成立しないすよ絶対に」





「まあ、そうだろうね。けど沙織ちゃんはそんな非現実的な願いを抱き、口にしている。ある意味では、追い込まれているんだ」





「なんでそこまで・・・」





「佐伯くんと沙織ちゃんの間に今まで何があったかは知らない。けど沙織ちゃんにそんな気持ちを抱かせたのは事実だ」





「・・・ならどうすりゃいいんですか?」





「それを考えたほうがいいと思う。このままだとちょっとマズいような気がする。誰かが悲しむ前に何らかの手が打てるなら、そうしたほうがいい」





(って言われても・・・)





沙織の好意は嬉しく思うものの、やはり困る秀一郎だった。


[No.1553] 2010/02/28(Sun) 06:56:40
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12月。





期末テストも終わり、短縮授業になっている。





「おっす佐伯くん、ダメもとで聞くけどクリスマスイヴって予定空いてる?」





里津子が明るい顔で尋ねてきた。





「スマンが予定入ってる」





「やっぱりね。奈緒ちゃんとふたりきり?」





「ああ、今年はな」





「去年は違ったの?」





「あいつ受験生だったからな。向こうの家族に俺が混ざってホームパーティーやった」





「へえ、じゃあ真緒ちゃんも一緒?」





「ああ。俺としてはそーゆークリスマスの過ごしかたもいいと思うんだが、あいつはふたりきりがいいらしい。気持ちはわからんでもないがクリスマス価格は痛い。いろんなとこが割高だからな」





「そーゆーデート費用って佐伯くんが全部出してるの?それって甘やかし過ぎじゃない?」





「もし機会があればぜひお前から言ってやってくれ。あいつは自分の財布は滅多に出さん」





「じゃあ自分のお金はどこで使うの?」





「あまり使わんな。こつこつと貯金してるらしい。本人は将来のためと言っとるがどこまで本気かわからん」





呆れ顔の秀一郎。





「でもイヴ一日ふたりっきりであることもないでしょ?夏の旅行メンバーで集まって楽しく騒ごうって思ってるんだけどどうかなあ?みんなで出し合えばそんなにお金かかんないし、たぶん楽しいよ。その後はふたりラブラブの夜を過ごせばいいんだからさ」





「うーん、俺的にはありがたいけど、あいつはなあ・・・」





秀一郎は難しい顔で携帯を取り出し、メールを打つ。





送信して、ほどなくして返信がきた。





「やっぱりな」





秀一郎は画面を里津子に見せる。





「ありゃ、ダメか」





画面には、





『却下。イヴはふたりっきり!』





と簡略な文面が表示されていた。











放課後。





弁当箱を真緒に届け、そのまま帰る。





そこになぜか里津子もついてきた。





「ねえ真緒ちゃん、奈緒ちゃんをウチらのパーティーに誘えないかな?どうせなら夏と同じ面子でやりたいんだよ」





里津子はまだ諦めていない様子だった。





「うーん、でも奈緒は今年のイヴはセンパイとふたりっきりで過ごすのを前から楽しみにしてましたから。あとあの子は駄々っ子なので一度決めたことを変えさせるのは難しいと思います」





真緒も難しい顔を見せた。





「そっかあ。奈緒ちゃん気が強いしわがままだもんなあ。あ、でも佐伯くんはそんなとこが好きなんだよね」





「それは誤解だ。俺からすれば直して欲しい一面だ」





「でも大人しい奈緒ってのも嫌じゃないですか?」





姉が突っ込む。





「まあなあ。でもあいつの場合だと大人しい=元気がないになるからな。それは心配なんだよ」





そんな会話をしながら廊下を歩く。











「おい、佐伯秀一郎」





そこに後ろから声をかけられる。





振り向くと、





「げっ、お前か」





秀一郎は嫌な顔を見せる。





この前、いきなりケンカを売ってきた槙田涼が鋭い目つきで睨んでいた。





「いい気なもんだな。恋人以外の女を複数連れて堂々と歩くとはね」





「勝手に誤解すんな。友達と一緒に歩いて何が悪い?」





「友達ね。じゃあそっちのふたりに聞くが、この男を本当に友達だと割り切ってるの?」





涼は里津子と真緒に鋭い視線を向ける。





「いや〜いい友達でありたいとは思ってるけど、佐伯くんならそれ以上でも全然OKだよあたしは」





「お、おい御崎!?」





里津子の発言に慌てる秀一郎。





「あたしはセンパイの恋人の姉。それ以上でもそれ以外でもない」





「じゃあ妹がいなかったらどうする気?」





「それをあなたに答える義務はない。けどセンパイは素敵な人だと思う。あたしが言えるのはそれだけ」





(真緒ちゃんも微妙な言い方だなあ)





さらに困る秀一郎。





「どうだ佐伯、お前がフラフラしてるから多くの女の心を惑わせてるんだ」





我が意を得たとばかりの勝ち誇った顔で指摘する涼。





「とんだ言い草だな。俺は複数の子とは付き合ってない。ただ好感を受けるだけでそこまで言われる筋合いはない」





「周りが納得するような付き合い方をしてれば文句なんて言わないよ。けどお前はそうじゃない」





「なに?」





カチンと来た。





「ま、まあまあふたりとも落ち着こうよ。こんなとこで立ち話もなんだし、移動しよ!」











緊迫した空気を感じ取った里津子が笑顔を繕い、とりあえずこの場を収める。





そして4人は購買の食堂に赴いた。





里津子が自販機で人数分のコーヒーを買い、それぞれの前に置く。





「とにかく落ち着いて話そうよ。頭がカッカしてたらまともな話にならないし、また乱闘騒ぎになっちゃうよ。これ以上先生に睨まれるのはマズいでしょ」





秀一郎と涼に目を向け、場を和ませようと気を配る里津子。





「俺はそもそもこいつとやり合う理由はない。ただ一方的に襲われただけだ」





「まあ、あれは謝る。けどあんたという男がどんな奴か見るにはああするのが手っ取り早いから。大概の男は逃げるけどお前は逃げなかった。そこは褒めてやるよ」





「そりゃどーも。けどお前から褒められても嬉しくないけどな」





秀一郎は不機嫌な表情を崩さない。





「と、ところで槙田さんはなんで佐伯くんにケンカ売ったの?やっぱりあの噂が許せなかったから?でもあれって完全デマだよ」





里津子が涼にそう振ると、





「あたしだってまともに信じたわけじゃない。それ以上にこの男の態度が許せなかっただけ」





と口にした。





「何がどう不満なんだ?はっきり言えよ」





秀一郎が詰め寄ると、





「じゃあはっきり言うよ。なんで桐山先輩と付き合わないの?」





「な、なんだよそれ?」





「とぼけんじゃないよ。桐山先輩の気持ち気付いてないほど鈍くないだろ。9月のあの通り魔事件、あんたをかばって刺されたあの人の気持ちになんで応えないの?」





「応えられん。俺には奈緒が、ちゃんと彼女がいる。そもそも桐山からコクられてもいないんだぞ。それでどうしろってんだ?」





「今の彼女を振ればいいじゃない。あんたがフリーになって桐山先輩にコクれば万事解決よ」





「お前、ふざけたことを言うな。なんで俺が奈緒を振らにゃならんのだ?理由がない」





「そんなのどうだっていいでしょ。別に好きな子が出来たなら立派な別れる理由じゃない?」





「お前なあ・・・」





秀一郎は怒りを通り越して呆れていた。





「いくらなんでも勝手言い過ぎよ。それにあの子は、奈緒は簡単には別れない。本当に真剣にセンパイを心から想ってるの。センパイだって奈緒を大切にしてくれてる。そんな関係のふ




たりを引き裂こうなんて根本的に間違ってる」





真緒の熱い口調には涼に対する非難がはっきりと感じられる。





「でもねえ、沙織からすれば佐伯くんがもしフリーになれば、いい展開だよね。そうなれば佐伯くんとくっつけるし」





里津子は涼寄りの言葉を口にした。





「御崎までそんなこと言うなよ。しかも真緒ちゃんの前だぞ」





「あ、ゴメン。でも真緒ちゃんも・・・」





「はい、わかってます。桐山先輩の気持ちは。でも、奈緒も真剣なんです。だからセンパイはものすごく難しい立場だと思ってます」





「別に難しくない。俺は奈緒と別れる気はない」





「センパイ、そうやって自分に言い聞かせてませんか?」





「なんだよそれ?」





真緒が思わぬ問いをぶつけてきた。





「姉として、奈緒を大切にしてくれてるのは嬉しいです。でもそれは本当にセンパイの本心なんですか?桐山先輩のことを本心から友達と割り切ってるんですか?」





真っすぐな瞳をぶつけてくる。





こうされると秀一郎は嘘をつけなかった。





「そりゃあ桐山はいい子だ。一緒にいると落ち着くっつーか、和むよ。ぶっちゃけ言うなら桐山はアリだよ。けど、だからって奈緒を失ってまで桐山を選ぼうとは思わない。奈緒は大切だ」





「じゃあ脈はありってことだね?」





涼が嬉しそうな顔で突っ込んできた。





「だからって桐山は選べんぞ」





そんな涼にあらためて釘を刺す秀一郎。





「もうさあ、いっそのことふたりと付き合うのもアリだと思うなあ。あたしはそれで沙織が幸せならそれでもいいと思う」





爆弾発言を口にする里津子。





「お前はまた・・・それって俺のこと完全に無視してるだろ。ひとりで充分手を焼いてんだ。んなこと無理だっつの」





呆れる秀一郎。





「手を焼くってことは、負担になってるんじゃないの?」





「そうそう。それに沙織ならそんなに手を焼かないよたぶん。あの子奈緒ちゃんと違ってわがままなんて言わないし」





涼と里津子が揃って沙織を推してきた。





「お、お前ら・・・」





秀一郎は言葉が出ない。





「センパイ、姉のあたしがこんなこと言っちゃダメなんでしょうが、結果的に奈緒を振ることになっても構わないと思います。それで奈緒が悲しんでも、それが現実なら受け入れるしかないんです。だからセンパイは自分の気持ちに正直になって選んでください」





真緒まで沙織を推すような言葉を口にする。





「ちょ、ちょっと、だから俺は奈緒を選ぶってんの!いろいろダメなところある子だけど、俺はそんな奈緒が好きなんだよ」





「そこまで奈緒ちゃんがいいんだあ。それって・・・奈緒ちゃんの身体ってそんなに魅力的?」





今度は際どい言葉を口にする里津子。





「お、お前、身体って・・・」





それを受けた秀一郎は少し赤くなる。





「いまさら隠さなくてもいいじゃん。夏休みの旅行でもヤッてたんだし。奈緒ちゃんとのエッチってそんなに楽しい?」





「そんなこと聞くな!言えるわけないだろ!」





「で、でも奈緒は・・・楽しいって言うか・・・センパイと一夜過ごした翌日はいつも上機嫌ですね。ホント幸せそうに見えます」





真緒が顔を赤くして暴露すると、秀一郎の顔もさらに赤くなった。





「そっかあお互い満足してんだあ。そうなると沙織はちょっと難しいかなあ。いくらなんでも付き合う前にエッチしちゃうのはさすがにどうかと思うし。槙田さんはどう思う?」





「どうって・・・その・・・あの・・・」





(ん?)





秀一郎も真緒も顔が赤かったが、涼はそれ以上に真っ赤で完全に固まっていた。





「なんだお前、威勢いいわりにはこーゆー話ダメか」





秀一郎は意外に感じた。





「いや・・・その・・・あの・・・ダメって言うか・・・よくわかんないし・・・」





さらに赤くなる涼。





そんな様子に里津子は、





「でもねえ槙田さん、付き合うってことはそーゆーことも考えなきゃならないの。そりゃ恥ずかしいけど、これくらいで固まってたら恋話なんて出来ないよ!あなたも好きな男とそんな状況を想像したりしないの?」





すっかり弱気になった涼を煽る。





「ええっ!?そ、そんな・・・あたしは・・・」





もはや木刀で襲い掛かって来た時のような気迫はない。





(こんな奴でも女の子なんだな)





真っ赤になっている涼を見て、秀一郎はあらためてそう感じていた。


[No.1554] 2010/03/07(Sun) 07:08:52
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regret-48 (No.1554への返信 / 47階層) - takaci

『新年あけましておめでとうございます』





どこもかしこもこの言葉が飛び交っている。





新しい年の始まり。





秀一郎はひとりで近場ではそこそこ人が集まる神社に向かっていた。





もちろん初詣である。





(ま、たまにはひとりもいいもんだな)





秀一郎は心の底からそう感じていた。











いつもならここに奈緒がそばにいるが、小崎家は家族揃って韓国で新年を迎えている。





29日に日本を発ったが、クリスマス前からそれまで、奈緒は秀一郎にべったりだった。





原因は真緒。





『センパイ、学校でかなり女の子の好感度高いみたい。油断してると誰かに盗られちゃうかもしれないよ』





冬休み前に涼が秀一郎に絡んできて、4人で話した沙織の想い。





それがあって、真緒は妹に全てを伝えるようなことはせず、少し危機感を募らせるような言い方をした。





だが、これだけでも奈緒は過敏に反応してしまった。





ことあるごとに理由をつけて秀一郎のそばに居続け、さらにいろいろ引っ張り回された。





クリスマスイヴの夜は帰らずに秀一郎と一緒に過ごし、冬休みに入ってからはほぼ毎日べったり。





バイト先の弁護士事務所にまで『無給でいいから手伝わせて欲しい』と無理難題を言ってまでそばにいた。





ただ事務所ではあまり役に立たず、むしろ引っ掻き回されていた。





峰岸も田嶋も温かい目で見てくれていたが、秀一郎は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。





そんな感じで奈緒に付き纏われた日々が過ぎると、今度は年末の準備でバタバタして、ようやく落ち着いたのが今日、元日だった。





昨日から年末年始の特番バラエティー番組を見続けてたので一睡もしていないが、そんなに眠く感じてはいない。





少しボーッとしながら、元日ならではの賑わいを見せる境内に入った。





(やっぱ結構いるなあ。よくこれだけ集まるもんだ)





そんなことを感じながら行列に並ぶ。





(そういやこのあたりって桐山のアパートの近くだな。ひょっとして来てるかな)





軽く辺りを見回したが、それらしい人影は見当たらない。





そこで、はっと奈緒の顔が浮かぶ。





(いかんいかん、今の奈緒に桐山と会ってたなんて伝わったら絶対また面倒なことになる)





今度は周りに知っている顔がいないか首を回す。





とりあえずそれらしい顔はない。





(全く、ちょっと人がいつもとは違う女の子と歩いてるだけで浮気だの二股だの言われたらかなわんよな)





好戦的な涼の鋭い目つきを思い出した。











「あ・・・わっ・・・」





(えっ?)





突然、秀一郎の目の前に立っていたご婦人が境内の階段でバランスを崩した。





そのまま秀一郎に向かって倒れてくる。





「危ないっ!・・・とっ・・・わっ!?」





秀一郎はなんとかご婦人を支えようとしたが、自分も無理な体勢だったので堪えきれない。





ゴツン!





砂利敷きの地面に頭を思い切りぶつけた。





「ごめんなさい。君、大丈夫?」





秀一郎の上でご婦人が心配そうに呼びかける。





「いてて・・・大丈夫っす・・・って、あれ?」





グラッと来た。





目眩がする。





視界が回る。





(あれ、なんだこれ?ひょっとして・・・マズいのかな)





「あれ・・・佐伯くん、佐伯くん?」





沙織が呼んでいるように聞こえる。





(幻聴かな・・・でも奈緒じゃなく桐山の声が聞こえるとはな・・・)





視界が真っ暗になる。





秀一郎の意識が途絶えた。











「ん・・・」





視界が明るくなる。





蛍光灯の光が差し込む。





(あれ、ここは?)





見慣れない天井。





布団に寝かせられている。





(どこだ?病院じゃないみたい・・・つっ!?)





起き上がろうとしたら、頭に痛みが走った。





「あ、佐伯くん、気付いた?」





沙織の声が届く。





「えっ、桐山?」





私服にエプロン姿の沙織が柔らかい笑みを向けていた。





「ここは・・・つっ!?」





慌てて起き上がろうとしたら、また痛みが走った。





「あ、まだ寝てたほうがいいよ。頭打ってるんだから」





心配そうな顔で枕元に寄ってきた。





「ここは?」





「あたしの部屋。佐伯くん、神社で倒れて頭打ったんだよ。覚えてる?」





「ああ。前のおばさんが倒れそうになったところを支えようとしたけど俺も一緒に転んで・・・そこまでは覚えてる」





「そのおばさんがここの管理人さんだったの。で、あたしもちょうど近くにいたから」





「そういや、桐山の声が聞こえた気がする」





「佐伯くん、意識が朦朧としてたけど受け答えはしてたから、とりあえず近くの人に手伝ってもらってここまで運んだの。たまたま初詣に来てたお医者さんもいたから診てもらったけど、ただの脳震盪だから心配ないって」





「そっか。悪いな、迷惑かけて」





「そんなの気にしないで。せっかくだから晩ご飯食べてって」





「えっ、晩メシ?」





慌てて時計を見ると、針は6時過ぎを指していた。





家を出たのは午前10時頃。





「うっわ、俺こんなに寝てたんだ」





驚きつつ、気まずさを感じる。





「よく寝てたから、なんか起こすのも悪いなと思って。ひょっとして奈緒ちゃんとかと予定でもあったの?」





「いや、それはないよ。あいつ今家族揃って韓国だし。けどマジでゴメン。せっかくの元旦の日に迷惑かけて潰させちまって」





「だから気にしないで。なんにも予定なんてなかったもん。それよりお腹空かない?もうすぐ仕度出来るからゆっくり待ってて」





沙織は笑顔で狭い台所に戻っていった。





食欲をそそるいい匂いがほのかに漂う中で秀一郎は焦燥感に駆られていた。





(この状況はマズい。理由はどうあれ奈緒がいない時に桐山の部屋に上がり込んでほぼ丸一日過ごした。しかもあの神社は結構人がいた。俺が倒れたことで小さな騒ぎにはなったはずだ。それをウチの生徒に見られてたらまた噂になる。こればっかりは言い訳出来ん)





「佐伯くん、心配しなくていいよ。とりあえず周りにウチの生徒らしき人はいなかったから」





「えっ?」





「ことあるごとに噂になるよね。たぶん佐伯くんって女子からの人気高いから、それを快く思ってない誰かがそんな噂を広めてると思う。佐伯くんと奈緒ちゃんの関係に亀裂を入れるためにね」





「そう言われても実感沸かないんだよな。俺よりもっとカッコよくていい男なんてゴロゴロいるだろ。例えば・・・」





秀一郎は同じ学年でイケメンで通っている何人かの名前を挙げた。





「確かにそうかもしれないけど、中身がわかんないもん。佐伯くんは女の子に優しいし、それにいろんな意味で強い人。そばにいてくれるだけで頼りになるし、なんか安心感あるもん」





「そんなもんかねえ。けどそうだとしたら、もっといろんな女子から声をかけられてもいい気がするけどな」





「だって真緒ちゃんがいるじゃない。あのしっかりしたお姉ちゃんがちゃんとガードしてるもん。普通の子はちょっと声かけ辛いと思うな」





沙織は小さなテーブルにふたり分の夕食を並べると、布団で横になっている秀一郎の首をそっと支えた。





「ゆっくり起きて。あまり頭を動かさないように・・・」





「ああ、大丈夫。ありがとう」





「目眩とか、気分とか平気?」





「ああ。おかげさまでぐっすり寝たから全然大丈夫。昨日徹夜だったからたぶんその影響が出たんだと思う。心配かけてゴメン」





「そう、よかった」





沙織の表情から不安の色が消え、温かい笑顔を見せた。





そしてふたりで小さな食卓を囲んだ。





有り合わせのもので簡単に作った料理とのことだったが、見た目も匂いも食欲をそそる。





期待しつつ口に運ぶ。





その様子を沙織は少し緊張した顔で見つめる。





「うん、美味いよ」





「ホント?」





「ああ、マジで美味い。桐山も料理上手なんだな、ってひとり暮らしだから当たり前か」





「よかったあ。佐伯くんっていつも奈緒ちゃんの美味しいお弁当食べてるから、口に合わないかもって思ってたんだ」





心底ホッとした顔を見せる沙織。





「え?そりゃ確かにあいつも料理上手だけど、そこまでのもんじゃないぞ」





「けど、毎日食べてて飽きない味でしょ。そういうのって難しいんだよ」





「飽きない味か。そう言われればそうかもな。なんだかんだで結構食ってるしな。あいつの料理」





「お弁当以外でも?」





「ウチは親父もお袋も仕事で家を空けることが多いんだ。んであいつが飯作ってくれてる。あと週一くらいで真緒ちゃんと朝練やってて、そのついでに向こうで朝飯食わせてもらってる」





「そっか。ちゃんと姉妹で住み分け出来てるんだね。真緒ちゃんと奈緒ちゃん」





「いやそうでもない。真緒ちゃんも料理は上手い。一度奈緒と真緒ちゃんの料理を一緒に食ったことあるけど、全然わからんかった。それで奈緒がグズってさ」





「あ〜佐伯くんひどい。それ奈緒ちゃんかわいそう!」





「えっ、俺が悪いの?」





「だってほぼ毎日食べてるんでしょ。だったら微妙な違いわかってあげなきゃ」





「いや、でもそれくらいわかんないんだよ。やっぱ一卵性の双子なんだなあと・・・」





「それ言い訳だよ〜。料理って同じ人が作っても日によって味が変わるもん。いくら双子でも心が違えば味は違うよ」





「そんなもんなの?」





「そんなもんです。奈緒ちゃん不憫だな・・・」





「ちょっとお、俺ってそこまでひどいの?」





温かい食事は人の心も温かくさせる。





秀一郎と沙織は、これまでにないくらい打ち解けていた。











その夜。





C1を快走する黒のポルシェターボ。





ただ、普段ステアリングを握っている綾は助手席にいる。





(この子、一体なんなの・・・)





現在ステアリングを握っているのは、この車に対抗すべく愛車Z34を仕上げているつかさだった。


[No.1555] 2010/03/14(Sun) 07:11:26
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regret-49 (No.1555への返信 / 48階層) - takaci

少し前、





つかさは愛車のステアリングを握りC1を走っていた。





(ブレーキとタイヤを換えて、だいぶ走り易くなった。けど、足をもう少し固めたい)





中高速コーナーの安定感が足らなかった。





(けど足はあまり手を入れたくない。淳平くんの好みじゃなくなっちゃうもんなあ)





低速コーナーへのブレーキング、旋回は満足出来るレベル。





(あくまで中速以上の安定感だから、エアロもありかも。フロントに大きなスポイラー付けて、あと定番のGTウィング。でもそれやっちゃうとボディラインが崩れちゃうんだよね)





いろいろ思い悩む。





(ん?)





後ろから速いスピードで光が迫る。





(あたしは結構なペースで走ってる。それに追い付いて来るなんて)





ミラーに注意を払う。





純白の丸2灯ヘッドライト。





黒のボディ。





(まさか・・・東城さん?)





ポルシェ997ターボ。





綾が迫っていた。





C1外回り。





一般車も少ない。





(絶対に抜かせない)





つかさはペースを上げた。





車と格闘しながら、荒れた道を速いペースで駆け抜ける。





それに綾はつかず離れずの距離で着いてくる。





つかさのテンションが上がる。





突き放すべく、限界を越えてペースを上げようとした。





その時、Zの挙動が大きく乱れた。





「くっ!」





ラインを外し、大きくカウンターを当てる。





(しまった!抜かれる)





そう感じ、修正しつつミラーを見る。





(えっ?)





綾は抜いて来なかった。





何とか立て直し、アクセルを踏む。





「ふう。でも東城さん・・・」





綾はつかさの背後から離れない。





だが、抜こうともしていない。





つかさは少しペースを落とし、コーナーへの進入を甘くして隙を見せる。





それでも綾は仕掛けて来なかった。





(東城さん、あたしの走りを観察してただけか・・・)





そう気付いたらペースを落とし、パーキングに入った。





綾も着いてくる。





空いたパーキングに車を停める。





隣に綾も並んだ。





ふたりとも車を降りる。





つかさは鋭い目つき。





対する綾は笑顔。





「あけましておめでとう、西野さん」





「おめでとう」





「新年早々無茶しちゃダメだよ。もし事故して怪我でもしたら淳平が心配するよ」





「ちょっと力んだだけだから心配しないで。あれくらい日常茶飯事だから」





ぷいと横を向くつかさ。





「別にあたし、煽ってたわけじゃないけどな」





「そうね。でもこっちは全開なのに後ろで手を抜かれてるってわかると逆に腹が立つのよ」





「手を抜いてたわけじゃないよ。怖くて近付けなかっただけ。西野さんって後ろから見てると危なっかしいから」





「なんですって?」





カチンと来た。





それを受けた綾はふうと一息つき、つかさに歩み寄る。





そして、





「はい」





ポルシェのキーを差し出した。





「どういう意味?」





「あたしの車、乗ってみて。いろいろわかることが多いから」





「えっ?」





意外だった。





自分に置き換えてみれば、考えられない行動。





いろんな意味で敵対している相手に、愛車のキーを渡す。





戸惑いが顔に表れる。





だが綾は笑みで、





「大丈夫、西野さんなら扱える。C1でも湾岸でも、どこでも踏んでみて」





「・・・」





あまり気乗りはしなかった。





だが、興味はあった。





綾のポルシェがどんな車なのか。





つかさは固い表情でキーを受け取る。





綾は笑顔。





対称的だった。





そして今。





C1外回り3周目。





(この子・・・凄い)





ポルシェターボの性能に圧倒されていた。





走り始めの印象は最悪だった。





(なにこれ、曲がんない)





体験したことのない強アンダーステア。





そして止まり過ぎるほどに効く強力なブレーキ。





慣れないオートマ車。





リズムが掴めずちくはぐな動きだった。





そんなつかさを見て、





「無理に曲げようとしないで。旋回性能は高くないから。曲がれるスピードまで充分に落として、コーナーは小さく廻り、脱出ラインが見えたら一気に踏む」





綾がアドバイスを入れた。





これがきっかけでつかさの印象も激変する。





(なにこれ、凄く踏める。踏んでも全然乱れない)





一般車の処理も難無くこなす。





(このパワーが凄い。どんな状況でも踏めば即ついてくる。しかも全部無駄なく使える。トラクションの次元が違う)





つかさが経験したことのない速度域で走れていた。





そのまま9号〜湾岸に出て、羽田まで踏み切り、Uターンしてパーキングに戻った。





「やっぱり西野さん速いね。安定してたし、湾岸じゃスクランブル使わずに大台入ってるよ」





ポルシェに搭載されたロガー機能で確認した綾はつかさにそう伝えた。





「大台かあ。あたしの車じゃそこまで出ないんだよね」





「本当にクリアな状態で270ってところかな?」





「そうだね。でも実際は250がいっぱい。だから湾岸はあまり行かないのよ」





「確かにC1じゃこんなパワーいらないからね。けど、使えるならパワーは多いに越したことはないよね」





「まあ・・・ね」





「西野さん、とても安定して走れてた。Zじゃこの安定感は得られないんじゃないかな」





「う・・・」





認めたくはないが、認めざるを得ない。





綾のポルシェのほうが、自分のZより遥かに安定し、アグレッシブに踏め、しかも速かったことを。





「西野さんのZ、よく出来た車だと思うし、たぶん乗ってて楽しいよね。でも、本気で速さを求める車じゃないよ。だから無理はしないで」





「それって、東城さんを追うなってこと?」





「あたしを追うのは西野さんの自由。でもあたしの車に乗ってわかったでしょ?楽しい車と速い車の違いがね」





綾は表情こそ微笑んでいるが、言葉は厳しい。





いつものつかさなら反論するが、今日は出来なかった。





身を持って体感した事実は重かった。





「じゃああたし行くから。無茶しないようにね」





綾はポルシェに乗り込み、パーキングをあとにした。





その後ろ姿を見ながら、つかさはため息をつく。





(確かにいろいろわかったよ。車の違いは大きいとは思ってたけど、ここまでとは思わなかった)





綾を追う。





追うだけではなく、前に出る。





今は追うすらままならない事実に気付き、つかさは新年早々落ち込んでしまった。












3学期に入って一月ほど。





学校は静かだった。





3年生は早々に学年末試験を終え、受験の真っ只中で自由登校になっている。





2年生も進路に向けて真剣に考えなければならない。





秀一郎は教師の勧めを断り、自分の希望を貫いた。





国公立大学法学部志望。





3年も文2を選択する旨を先程黒川に伝えた。





「佐伯くん」





放課後、面談を終え教室に戻ると、沙織が声をかけてきた。





「お、桐山」





「面談終わった?」





「ああ、志望は変えん。来年も文2だ」





「そっか。たぶんあたしもそうなるかな。国公立の法学部」




「桐山も?」





これは初耳だった。





「南戸の家が大学の学費も出してくれることになったんだけど、さすがに私立はね。それにこれからの時代は法律に詳しいほうが将来役に立つと思うから」





「そっか」





「けどりっちゃんは文1にするみたい。せっかく仲良くなれたのに、また違うクラスになっちゃう」





暗い顔を見せる沙織。





「けど進路が変わって別クラスになるのは仕方ないだろ。俺も来年若狭とは違うクラスになる。てか夏の旅行に行った面子で文2選択するのがほとんどいないんじゃないか?」





「そうだね。たぶん佐伯くんとあたしだけ」





「まあ、来年も同じクラスになれるといいな」





「そうだね。あたしは佐伯くんは理系に行くかもって思ってたから、同じクラスになれればうれしいな」





笑顔になるふたり。





沙織はこれからバイトとのことで帰っていった。





(さて、俺もバイトに行くか)





鞄を持ち、教室を出たところで、





「佐伯くん、ちょいと待った!」





呼び止められた。





「なんだ御崎か」





「最近沙織と仲いいね。気まずい感じもなさそうだし」





「ああ、まあな」





「ふっふっふ佐伯くん、あたしの得意技に自白の術ってのがあるんだよ。それをこの前沙織にかけたら、聞かせてもらったよふたりの秘密をね!」





「なに?」





動揺が顔に表れる。





元旦に沙織の部屋で過ごしたことはふたりの秘密になっていた。





第三者が聞いたら誤解するだろうし、これ以上くだらない噂に振り回されるのは御免被りたかった。





「いや、だからあれはその、あくまで事故だったんだよ。そこで桐山が機転を利かせてくれただけで・・・」





慌てて弁明する秀一郎。





「ふっふーん、嘘だよん!」





「は、嘘?」





「自白させるのは得意だけど、沙織って口が固いからね。なんかあったっぽい様子がしただけ。だからカマかけてみたんだけど、やっぱり何かあったみたいだね」





してやったりという笑みを見せる里津子。





「お前・・・」





逆にまんまとハメられた秀一郎。





「で、何があったの?」





仕方ないので元旦の出来事を簡単に話した。





里津子は目を輝かせ、





「へえ〜っ、新年早々沙織の部屋で丸一日過ごして、手料理まで食べたんだあ。で、その後は?」





「なんにもねえよ。それだけだ」





「ふう〜ん。でも、ふたりの距離はぐっと詰まったみたいだね!」





「そんなの意識してないけどな。まあまた普通に話せるようになったくらいだ」





「それが大きいんだよ。いろいろ面白いことになるかもね。あ、それと週末よろしくね」





「は?」





週末よろしくと言われてもさっぱりわからない。





「あれ、聞いてない?奈緒ちゃんと和くんの4人で遊びに行くんだけど」





「なんだそれ?」





すぐに携帯を開き、奈緒にメールを打つ。





程なく返信が来た。





『あ、ごめん、言うの忘れてた。日曜日菅野とダブルデートだから』





「へっ?」





全くわけのわからない展開に戸惑う秀一郎だった。


[No.1556] 2010/03/21(Sun) 08:21:27
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バイト中に奈緒から、





『ダブルデートの打ち合わせしたいからバイト終わったら顔出して』





とメールが来た。





そして指定のファミレスに出向くと、





「秀、こっち」





奈緒が呼ぶと、そこに菅野の姿もあった。





「秀、お疲れ」





「ああ。ところでどんな話になってんだ?説明してくれ」





「秀、和くんは頑張ってたんだよ」





「小崎、頼むからその呼び方は止めてくれ」





「なによお、りっちゃんはよくてあたしはダメなわけ?」





「御崎にも止めてほしいんだが、あいつなりに俺の壁を少しでも引くしたいって表れだからな。けどそう呼ばれるのはマジで照れるしガラじゃねえ」





「そう言えばお前って和正って名前だったな」





菅野の下の名を思い出した秀一郎は、すっかりいつもの威厳が消えて照れている芯愛の番格の一面に驚いていた。










学園祭で知り合った菅野と里津子はその後も何度か会って親睦を深めていた。





互いのメアドを交換し、毎日やり取りを交わしている。





「俺もいろんな女と遊んできたが御崎みたいなその・・・普通の子は初めてなんだ。だから俺なりに一歩一歩ずつ確実に距離を詰めていってたんだが、この前御崎が過去の苦い出来事を話してくれたんだ。まだその傷は癒えていない。なんとかしてやりたいがどうすりゃいいのかわかんねえ。情けない話だがな」





「それって御崎が中3の頃の話か?」





「知ってるのか?」





意外そうな顔を秀一郎に向ける菅野。





「夏休みにみんなで旅行に行ったんだが、その時に話してくれた。ただそのことを知ってるのはほとんどいないはずだ。親友の桐山も知らない。重い話だからな」





「けどお前には話したのか」





「成り行きでな。だからって俺と御崎はただの友達だ」





「ねえ、それってどんな内容なのよ?」





この事実を知らない奈緒が秀一郎に噛み付いてきた。





「絶対にオフレコだぞ。守れるな?」





秀一郎が釘を刺すと、奈緒は神妙な表情で頷いた。





秀一郎は夏休みにケンカになった3人組と、御崎本人が過去に被った心の傷になった事件について話した。





「りっちゃん、そんなことがあったんだ・・・」





暗くなる奈緒。





「まだ睡眠薬に頼っているって聞いたから、心の傷は癒えてないだろう」





「佐伯、お前は御崎を襲ったふたりの男は見たんだな?」





「ああ、いかにもガラの悪そうな奴らだったが、後で聞かされてさすがに驚いた。分かってたら何発かぶん殴ってるところだ」





「俺も許せねえ。御崎にそんな深い傷を負わせてのうのうと生きてるなんて・・・ぶん殴るだけじゃ気がすまねえ」





菅野の拳が怒りで震えている。





「変な気は起こすなよ。確かにクズな野郎共だが、今はバックにヤクザの影がある。下手に手を出したら面倒なことになるぞ」





秀一郎がたしなめる。





「そうか。俺もその気になればその筋のパイプはあるが、使いたくねえしな。あんなクソ親父の世話になんかなりたくねえ」





「そういえばお前の親父さん、本職なんだって?」





「ああ。ただお袋と籍は入れてねえ。ああいう仕事に家族ってのはいろいろ面倒なことになるみたいだ。だから正式な親父じゃねえ。そもそも数年に一度会うか会わないかってくらいの接点しかねえからな」





「そっか。お前もいろいろ大変そうだな」





「俺は俺でいるつもりだが、どうしても親父の影がちらつく。だからそれだけでビビって避けられてんだよ。まあ慣れたけどな。でもそんな俺でも小崎は普通に接してくれてる。それに御崎もそうなんだ。御崎はマジでいい子だ。俺にはもったいないくらいのな。だから今でも考える。俺の気持ちは伝えないほうがいいんじゃないかって・・・」





弱気な一面を見せる菅野。





「なに言ってんのよ!惚れたなら伝えなきゃダメに決まってんでしょ!」





そんな菅野に怒る奈緒。





「けど、やっぱ自信ねえんだよ。特に男に襲われてそれがトラウマになってる子に、俺がなにが出来るか全くわかんねえ」





「なんでそんなに弱気なのよ?あんたもそれなりに女の子と付き合って来てるんでしょ?」





「だから今まで付き合って来たのは、こんな言い方しちゃいかんかもしれんが、俺みたいなはみ出し者みたいな軽い女ばかりなんだ。だから特に大切にしてたわけじゃないし、遊び半分で付き合ってたみたいなもんだ。けど御崎は普通に、大切にしたいんだ」





「まあ、あんたも軽い気持ちで女遊びしてたわけね」





少し呆れ顔を見せる奈緒。





「菅野、お前が真剣に御崎を想ってるのはわかった。だったら自信をもってその気持ちを伝えればいいと思うぞ」





「けど、やっぱ自信がねえんだ。振られるのが恐いってわけでもねえが、俺の気持ちを伝えることで御崎が負担に感じるかもしれねえ」





「それは心配ないと思うけどな。御崎ははっきりした子だから、嫌いな奴とメアド交換するようなことはしない。さらにお前を下の名前で呼んでいる。かなり好感度は高い気がするな」





「そうだよ!だから自信持って、今度のデートでコクるんだよ!」





「こ、今度のデートでか?」





自信なさ気な顔を見せる菅野。





「なに今更弱気になってんのよ!そのためのダブルデートじゃないの!あたしと秀でフォローするから、あんたはちゃんとりっちゃんのハートをゲットするんだよ!」





菅野に対し強気の奈緒。





「けど具体的に俺たちはなにするんだ?てかどこに行くんだ?」





秀一郎はまだなにも聞いていない。





そこで奈緒はダブルデートの作戦を説明した。





「そんなんでいいのか?俺たちはただ普通にデートするだけじゃねえか?」





秀一郎は奈緒の作戦に疑問を持つ。





だが奈緒は自信の笑みを見せ、





「だからあたしと秀の普通のデートを見せ付けるのよ。それだけで充分煽る効果あるから。あとは菅野がいつもより積極的にりっちゃんをエスコートするの。いい?」





菅野に鋭い視線をぶつける奈緒。





「け、けど・・・」





「ここまで来たなら腹くくりなさい!男でしょ!」





さらにハッパをかける。





「わ、わかった。じゃあ当日はよろしく頼む」





菅野はふたりに深々と頭を下げた。





そして当日。





4人は駅前に集まった。





電車に乗って目的地の遊園地に向かう。





里津子はいつもと変わらず、相変わらず明るい。





ただ菅野の顔色から緊張が伺えた。





「コラッ!なにシケた顔してんのよ!もっと楽しそうにしなさいよ!」





奈緒が早速激を入れた。





「和くん、どったの?」





里津子も心配そうな顔を向ける。





「ははーん、あんたひょっとして絶叫マシン苦手なんでしょ。芯愛の番長がそんなんだと示しがつかないもんね」





奈緒がからかうと、





「なに言ってんだよ。あんなの屁でもねえ」





「じゃあもっと楽しそうにしなさいよ。せっかくの遊園地なんだからさ。ねっりっちゃん」





「そうそう。とにかく今日一日楽しもうね!」





「お、おうよ!」





里津子が笑顔を見せると、菅野も笑顔になった。





(まあ菅野はそれどころじゃないだろうな。どうせコクることで頭がいっぱいだろ)





どうやってフォローするか秀一郎は策を巡らせていた。





そして遊園地に着くと、まずは4人一緒に行動した。





いろんなアトラクションを巡る。





ただ遊園地の乗り物はふたり一組で設定されているものが多い。





秀一郎と奈緒はペアになるので、菅野と里津子がペアになる。





菅野も次第に緊張が溶けてきたようで、里津子と楽しそうに話していた。





そして今日の奈緒はいつも以上に秀一郎に甘えていた。





昼食後、





「ねえ秀、これからふたりで廻ろうよ!」





奈緒がわがままを言い出した。





「は?せっかく4人で来てんだ。みんなで廻ったほうが楽しくないか?」





「え〜。秀とふたりっきりがいい〜。そうしようよ〜」





駄々をこね始めた。





「佐伯くん、廻ってきなよ。奈緒ちゃんがそうなったらどんなに言っても無駄でしょ」





苦笑いを浮かべる里津子。





「スマン。じゃあ菅野、御崎を頼む」





「あ、ああ」





この時、菅野は少しばかり緊張の色を見せていた。





奈緒は立ち上がると菅野の肩をポンと叩き、





「秀、行こ!」





秀一郎の腕を取って歩き出した。





「お前なあ、こんな時までわがまま言うなよ」





呆れる秀一郎。





だが奈緒は真顔で、





「違うよ。作戦。菅野とりっちゃんをふたりっきりにさせるためのね」





と打ち明けた。





「こんなに早くか?もうちょっと団体行動してからのほうがよくないか?」





「かもしれないけど、タイミングがないかもしれないじゃない。まあこれからは菅野の頑張り次第ね」





「俺的には結構いい感じのふたりに見えたがな」





「そうだね。でも今はそのことは忘れて遊ぼ!」





「お前、ただ甘えたいだけだろ」





「いいじゃん、デートなんだからさ」





「まあな」





秀一郎も奈緒に甘えられるのは嫌いではなく、むしろ心温まる一時だった。





そしてふたりで遊び倒した。





夕闇が迫る頃になると、この時期限定のイルミネーションが園内全体を彩る。





ロマンチックな光に包まれながら寄り添うカップルが目立つ。





秀一郎と奈緒もそのひとつになっていた。





「そろそろ帰るか」





「そだね。んじゃりっちゃんにメール打つよ」





出入口でしばらく待っていると、菅野と里津子の里津子の姿が見えた。





「秀、あのふたり!」





はしゃぐ奈緒。





「菅野、やったか」





秀一郎も笑みがこぼれる。





ふたりは恥ずかしそうな表情で、しっかりと手を繋いでいた。





「佐伯、小崎、いろいろありがとう」





幸せそうな笑みで菅野が礼を述べた。





「とりあいずふたりとも、おめでとさん」





「ありがと。けどちょっと照れるね」





頬を朱に染める里津子。





「そんなのすぐに慣れるよ。とにかく菅野はりっちゃん泣かせるようなことしちゃダメだからね!」





「ああ、分かってるよ。これからもいろいろよろしくな」





4人揃って幸せいっぱいの笑みを見せていた。


[No.1557] 2010/03/28(Sun) 06:52:32
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2月14日。





世の男たちが色めき立つ日。





バレンタインデーの朝、秀一郎は里津子に屋上へ呼び出されていた。





「おはよう佐伯くん」





笑顔の里津子。





そして沙織もいた。





こちらはやや緊張した面持ち。





「おっす、おふたりさん。こんなところでなんの用だ?」





「ただこれを渡したくてね。はい!」





綺麗にラッピングされた箱を差し出した。





チョコレートであることは簡単に想像がつく。





「おっ、ありがとな」





「佐伯くんにはホント世話になったからね。でもみんなの前で堂々と渡すのはなんか気が引けてさ。それで変な噂になるのやだし」





里津子が芯愛の菅野と付き合っているのはそこそこ広まっていた。





「んで菅野には本命チョコ渡したのか?」





「放課後に逢って渡すよ。甘いの苦手らしいからとびっきりのビターチョコをね。高かったよ」





「まあ本命なら仕方ないだろ。それにその分来月返してもらえばいいだろ」





「まあね。ところで奈緒ちゃんからは貰った?」





「ああ。今日は逢えん予定だからこの前の休みにな。真緒ちゃんもくれた」





「そっか。じゃあもうひとつね。ほら沙織!」





「う、うん・・・」





ぎこちない動きからかなり緊張しているのが伺える。





「あの、佐伯くん、これ、受け取ってください」





こちらもラッピングされているが、里津子のと比べるとほんの少しだけ雑な仕上がりに感じる。





「あ、ありがとう」





「佐伯くん、ちゃんと味わって食べてよね。それ沙織の手作りだから。しかも沙織は義理チョコは渡さない主義だからそこんとこよろしくね」





「えっ?」





いろいろ驚く秀一郎。





「ちょ、ちょっとりっちゃん!」





沙織も顔を真っ赤にして慌てていた。





そして里津子は秀一郎に大きな手提げ紙袋を渡し、3人で教室に向かう。





「いや実はさ、和くん甘いもの嫌いみたいだからチョコ以外のものを渡そうとしたんだけど、その、ちょっと勇気が無くて断念したんだよね」





「へえ、何を渡すつもりだったんだ?」





「いや、だからその・・・あたし・・・を・・・」





里津子の顔が赤い。





どういう意味か簡単に想像がついた。





「そりゃまた大胆だな。まあ菅野は喜ぶだろうが、でもそれは簡単に渡さんほうがいいぞ」





「でも恋人同士だったら当然そーゆー関係を望むじゃん。特に男はね。だったらいいきっかけかなって思ってさ」





「でも付き合い出してひと月にもならんだろ。まだ早いと思うぞ。焦る必要はない」





「佐伯くんと奈緒ちゃんはどれくらいだった?」





「そーゆーことは人それぞれだと思うしあまり聞いて欲しくないけど・・・まあ1年くらいかな」





「そんなに待ったんだあ。佐伯くんよく我慢したね」





「我慢つーか、付き合い出した頃は奈緒は中3だ。さすがに中学生に手を出すのはまずいと思ってたのもあったけどな」





「そう言えば佐伯くんが中学卒業の時に奈緒ちゃんにコクられて付き合い出したんだっけ。じゃあもうすぐ2年かあ」





「2周年記念とか言ってまた何かねだるだろうな」





秀一郎からため息が出た。





「別に高価なものでなくても、なにか心に響くもののほうがいいと思うよ。それにいくら記念でもあまり高いものはあげちゃダメだよ。奈緒ちゃんの教育上もよくないと思うな」





沙織が真剣な顔でそう進言した。





「そうなんだけどなあ。けどなかなか思いつかないんだよなあ」





「なんならウチの店に来てみる?」





「桐山のバイト先か?」





沙織が雑貨屋でバイトしていることを思い出した。





「ウチの店、結構手頃なものがメインだし。カップル向けにいろんなものを扱ってるの。店長もいろいろ詳しいから役に立てるかも」





「ホントか?じゃあ近いうちに必ず行くよ」





「うん。でも奈緒ちゃんは連れて来ないほうがいいかも。今年は佐伯くんのサプライズプレゼントってことでどうかな?」





「そ、そうだな。いろいろ気を遣ってくれてありがとな」





奈緒へのプレゼントに沙織が絡んでいると知れば反発するのは目に見えている。





そこまで考えている沙織に対して秀一郎は複雑な笑みを向けていた。





3人揃って教室に入ると、





「おはよ〜。女子に連絡ね〜」





突然里津子がクラス全体に呼び掛けた。





「佐伯くんにチョコ渡す予定の子は出来れば今から渡してね。たぶん他のクラスや違う学年の子たちからいろいろ呼ばれると思うから、ぐずぐずしてるとタイミング逃すよ」





「お、おい御崎、なに言ってんだよ!俺がそんなに貰えるわけがないだろ!」





慌てる秀一郎。





「なに言ってんのよ。佐伯くん女子からの人気高いんだから、たくさん貰えるよ。今年は凄いことになるかもね」





里津子は自信に満ちた笑みを見せる。





そして、





「おわっ?」





早速、何人かの女子のクラスメイトが色とりどりのラッピングの箱を手にして目を輝かせて並んでいた。





さらにその後、真緒が弁当を届けに来た際に、





「センパイ、お昼休みに少し時間いいですか?センパイに会いたいって女の子が何人かいて・・・」





と少し困り顔で訪ねてきた。





ここでも里津子が出てきて、





「おっ、チョコの受け渡しだね」





と目を輝かせる。





「はい、たぶんそうだと思います」





「オッケーオッケー。必ず行かせるよ」





「おい、なんでお前が答えるんだ?」





秀一郎は一言も言っていない。





「あ、あたし今日は佐伯くんのチョコ集計係だから。その袋で大丈夫かなあ?今日は忙しくなりそうだね」





と笑顔で言ってのけた。





「ってことは、このデカい紙袋はチョコ入れ用か」





朝のチャイムが鳴る。





既にこの時点で8個のチョコが入っていた。





去年、秀一郎が貰ったチョコは奈緒と真緒からの2個だった。





今年もそれくらいだと秀一郎は考えていたが、その予想は覆された。





里津子の言う通り、忙しくなった。





休み時間のたびに呼び出され、学年を問わず多くの女子がチョコを渡しにやって来た。





最初のうちは正弘が茶化していたが、次第に何も言わなくなる。





クラスメイトならともかく、初めて会う女子から渡されるとは思わなかった。





どのクラスの誰なのかわからなくなっていたが、そこは里津子がしっかりとメモをとっていた。











放課後。





黒川が教室に顔を出す。





その頃、秀一郎、里津子、沙織で机を囲んでいた。





「お前ら、こんな時間になにをしている?」





「あ、先生、見てください、これ」





机の上はチョコの山。





「これは凄いな。ということは、これは佐伯の分か」





「はい。トータル38個。奈緒ちゃんと真緒ちゃんの分を入れると40個ですね」





「人気者はいろいろ大変だな、佐伯」





黒川までもが秀一郎を茶化す。





「まあ、一桁までなら嬉しいっすけど、ここまでになるといろいろ重いっすね。食べ切れるわけないからどうすりゃいいのかわかんないし、来月返すこと考えると、ぞっとします」





困り顔を見せる秀一郎。





「貰った子のクラスと名前は全部控えたからね」





こちらは笑顔の里津子。





「うーん、でもこれだけの量だとさすがに困るよね。でもあげた子の気持ちを考えると食べないのは悪い気もするし」





沙織は秀一郎と同じく困り顔。





♪〜♪♪〜





秀一郎の携帯が鳴る。





奈緒からのメールだった。





「あいつはホントにカンがいいな。『チョコどれだけ貰えた?』だってよ」





「写メ撮って送ったら?さすがの奈緒ちゃんも驚くでしょ」





里津子は明らかに面白がっている。





「まあ、そうすっか」





秀一郎は携帯で机の上のチョコの山を撮り、『どうするか困ってる』と一文つけて奈緒に返信した。





ほどなくしてまたメールが来た。





「へ?あいつどうするつもりだ?」





「奈緒ちゃん、なんて?」





「『全部ウチに持って来て』だってよ」





「奈緒ちゃん甘いもの好きなの?でもこの量は・・・」





奈緒の意図が掴めない沙織。





「まあ、一応持ってってみるよ」





秀一郎は今朝渡された大きな紙袋にチョコを詰め込み、学校を出た。





バイトがあったのでそこにも持って行くことになったが、さすがに驚いた様子だった。





「佐伯くんは9月の事件があったから、あれで人気が上がったんだろうね」





所長の峰岸はそう分析する。





さらに田嶋までチョコをくれた。





これで39個。





それを持って奈緒宅に行く。





「こんばんは〜」





「あ、秀、上がって」





奥のキッチンから奈緒の声が聞こえる。





秀一郎がキッチンに入ると、





「おわっ、なんだこれ?」





テーブルの上は既におびただしいチョコの山。





「お姉ちゃんが貰った分。28個あるよ。ちなみにあたしも4個貰った」





「そっか、そうだよな。真緒ちゃんって女子からの人気高いよなあ」





「で、秀は何個?」





「この袋に39個入ってる。お前らふたり分を含めると41個。去年の20倍だ」





「そっかあ、秀のほうが多かったんだあ。てっきりお姉ちゃんのほうが多いと思ってたのに」





なぜか残念がる奈緒。





「別に真緒ちゃんとチョコの数を競う気はないって。で、どうすんだこれ?トータル70個以上あるぞ」





「とりあえず包装紙は取って、仕分けするの。普通の甘いチョコは近所の保育所にあげるつもり」





「なんで仕分けするんだ?そのまま持ってけばいいじゃないか?」





「甘くないビターチョコやアルコール入りとかは子供にあげても仕方ないでしょ。だから分けるのよ」





「なるほどね」





奈緒にしては珍しく頭が回っていた。





秀一郎も机にチョコを広げる。





「ちょっと・・・これは凄いね」





その光景に驚く真緒。




まずお目にかかれないほどの大きなチョコの山が形勢された。





「じゃ、パッケージ剥がしてチェックしよ」





奈緒がとりかかる。





「あ、その前に、これと、これは貰ってく」





秀一郎は山からふたつのチョコを取り出した。





「それ、誰の?」





「クラスメイトの分。食ってくれって言われてたからな。まあくれたみんなそう言うだろうけど、いつも顔合わせる子の分は食ったほうがいいからさ」





「ま、そうだね。他にも良さそうなのがあったらどんどん持ってってね」





奈緒は特に気に留めず、作業を進める。





(これは、食っといたほうがいいよな)





秀一郎が手にしていたのは沙織が慣れない手つきで包装したと思われる手作りチョコがあった。


[No.1558] 2010/04/03(Sat) 21:36:44
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regret-52 (No.1558への返信 / 51階層) - takaci

4月。





秀一郎は3年生になった。





今年から受験生。





いろいろ忙しくなる。





ただ先月の全国模試で秀一郎の第一志望校判定はBランクだったので、特別に焦ってはいなかった。





そして今年は、





「佐伯くん、また1年よろしくね」





沙織がクラスメイトになった。





他に仲のよかった面々は志望が別れ、別クラス。





「こっちこそよろしくな。ところで桐山は模試どうだった?」





「なんかよかったんだよね。第一志望Aだった」





「すげえな。受験余裕じゃん。ところでどこ行くの?」





沙織の口から大学名が語られた。





秀一郎は驚く。





「えっ、俺と同じじゃん。法学部だろ?」





「あっそうなんだ。偶然だね」





「けど桐山の頭ならもっと上の大学狙えるだろ?」





「かもしれないけど、あたしの場合は今の部屋から通えるところで、国公立限定だから。そうなるとあそこしかないんだよね。それにバイトは続けたいから受験勉強にあまり時間を割きたくないの」





「そっかぁ。まあ桐山の場合は生活かかってるもんなあ」





南戸家からの仕送りは毎月届いているが、沙織はそれにはほとんど手をつけていない。





基本はバイト料のみで生計をやり繰りしている。





「でも志望校が一緒なら受験勉強もふたりでやれば効率いいかもね。そうしよっか?」





「なんか桐山には世話になりっぱなしだな。先月も奈緒のプレゼントで助けてもらったし」





ホワイトデーのお返しでクッキーを用意したのだが、数がハンパではないのでかなりの出費になった。





そこに加えて、奈緒への2周年記念のプレゼント。





少しでも出費を抑えたかった秀一郎は以前誘われた通りに沙織のバイト先の雑貨屋に赴き、店長に相談を持ち掛けた。





雑貨屋の店長は20台後半くらいの若い女性で、親身に相談に乗ってくれた。





さらに秀一郎が希望の予算を伝えた際に、





「高すぎ。そんなにお金かけちゃダメ」





とまで言い、去年贈ったペアウォッチも高価過ぎると駄目出しをしてくれた。





「まだ高校生なんだからそんなにお金かけちゃダメ。もっと安いもので、普段使えるような品物がいいわね」





と言って薦められたのがペアのマグカップだった。





ただそのままでは味気ないので、これにオリジナルのイラストがプリント出来るサービスがあった。





そこで秀一郎と奈緒の写真を渡し、それを基にイラストを描いてもらった。





これで世界にワンペアしかないマグカップが出来上がった。





奈緒に簡単に説明して渡したら大感激で、秀一郎もホッと胸を撫で下ろしていた。





「でもあのイラストって誰が書いたんだろ。シンプルな絵だけど上手く特徴とらえてて、ホント似てたもんなあ」





「あれはウチのお店で絵が上手な子がいてね、その子が描いてるの」





「でもそういうのって普通は割増料金になるだろ?あんな額で商売成り立つの?」





「あのマグカップ、本来は自分で描いたものをプリントする商品なんだけど、自分で似顔絵を上手に描ける人なんてそんなにいないから、ウチはその子が代行で描いてるの。本人は将来イラストレーター目指してるから勉強だと思って率先して描いてくれてる。それもあって、あのマグカップはウチでは結構な人気商品になってるの」





「なるほどねえ、あの額であのクオリティの品物なら安いよなあ」





「その感覚はちょっと違うよ。あれは妥当な額だよ。そもそも佐伯くんは奈緒ちゃんにお金かけすぎ。もっと出費を抑えなきゃダメだよ」





店長と同じことを沙織は口にする。





「うーん、最近それよく言われるんだよなあ。けど女の子に財布出させるのもなあ・・・」





「社会人ならともかく、まだ高校生じゃない。いくら佐伯くんがバイトしてるからって、それに甘える奈緒ちゃんもどうかと思う。デート費用はワリカンが普通だよ」





「でも毎日の弁当代はタダなんだよ。俺は一切出してないからなあ」





「そっか、それがあったね」





ハッと気付く沙織。





「だから俺自身としては、毎日弁当作ってもらってるから、メシ代くらいは俺が出すのが普通だと思うんだけど」





「うーん、でもお弁当ってそんなにお金かからないし、慣れれば手間もたいしたことないよ。ましてや好きな人に食べてもらうものを金銭感覚で考えるのってなんかドライな気がする。ただ食べてもらいたい、それだけの気持ちだよ。奈緒ちゃんもそうだと思うけどなあ」





「弁当作ってるかわりにメシ代出してとは思わないって?」





「うん。そんなふうに考えるならお弁当は作らないほうがいいと思うし、食べないほうがいいと思う。大切な人へのお弁当ってのは作る人の無償の愛情の表れだとあたしは思うな」





沙織にはっきりそう言われると、秀一郎は返す言葉がなくなる。





「うーん、ワリカンかあ。金貯めてる身としては確かにありがたいけど、ちょっと抵抗あるなあ。なんかセコい男に見られるような気がする」





「佐伯くんって妙なところでプライド高いよね。そんなの気にせず、お金は大切にしなきゃダメだよ」





沙織の言葉は重い。





「そうだよなあ。もうすぐデカい買い物するし、出費抑えればラクになるからなあ」





「大きな買い物って、なに買うの?」





「車」





「車?ホントに?」





さすがに驚く沙織。





「もう自動車学校には通ってるんだよ。来月18になるから、それに合わせて免許取る予定」





「そっか。ウチの学校って申請して許可下りれば免許取れるもんね。でも在学中で車買うなんて凄いなあ」





「まあ中古だけどな。車選びは奈緒の親父さんに頼んでいるから」





「そういえば奈緒ちゃんと真緒ちゃんのお父さん、モータージャーナリストなんだよね。一度会って話がしたいなあ」





「えっ、桐山も車に興味あんの?」





今度は秀一郎が驚く。





「ううん、車には特に興味ないけど、あたしルポライター志望だから、ジャーナリストと呼ばれる人には興味あるんだ。誰もが簡単になれる仕事じゃないから、上手な文章を書くノウハウみたいのを聞きたいんだ」





「だったら今度会う機会作るよ」





「えっ、でも奈緒ちゃんが・・・」





「奈緒は関係ないじゃん、あくまで奈緒の親父さんと桐山が話がしたいだけだろ。妙な気遣いはいらないって」





「でも、ライターって忙しい人が多いから迷惑なんじゃ・・・」





「俺のクラスメイトで会いたがっている女の子がいるって言えば、どんなに忙しくても時間を作る人だよ。あの親父さんはね」





「それって佐伯くんの顔を立てるため?それとも単に女の子目的?」





「そんなん後者に決まってるじゃん。歳とると娘や親戚以外で若い子と話が出来る機会なんてないんだってさ。男なんてそんなもんだよ。でもちゃんと分別わきまえてる人だから心配ないよ。前に騒ぎになった議員秘書なんかよりずっと大人だし、いい人だからさ」





「そっか。じゃあお願いしてもいいかな。佐伯くんと奈緒ちゃんの関係を認めてるお父さんって人にも興味あるし」





珍しく意味深な目を向ける沙織。





「なんだよそれ?」





「付き合う当人間の気持ち次第だけど、佐伯くんと奈緒ちゃんは高校生の一線を越えた付き合い方をしてると思うし、それを認めてる親の心境とかどうなのかなってね」





「本音を言えばあまり聞いて欲しくないけど、別に構わんよ。けど実際にそんなこと聞けるもんか?」





「うーん、ストレートにはさすがに聞けないね。ちょっと遠回しにさりげなくかな」





苦笑いを浮かべる沙織。





秀一郎も釣られて笑顔になる。





ふたりの楽しい会話が続いていた。












「さてと、バイト行くか」





秀一郎もバイトは続けており、当面辞める予定もなかった。





受験勉強とバイトを両立させていくつもりである。





いつものように学校を出て、いつもの道を歩く。





当然、泉坂の制服姿が目立つ。





その中で、





(ん?)





数人の男が泉坂の女子生徒を囲んでいた。





私服がほとんどだが、どこかで見たことのある制服姿もいる。





触らぬものに祟り無し。





ほとんどの生徒が見て見ぬふりをしている。





だが秀一郎は囲まれている女子生徒が誰かわかると、ガラの悪い集団に割って入った。





「お前ら、なにやってんだよ?」





「あ、佐伯くん」





囲まれていたのは里津子だった。





嫌悪感を示していた顔が明るくなる。





「ああ、なんだよテメエは?」





男のひとりがケンカ腰で絡んできた。





だが秀一郎は冷静で、少し笑みを浮かべる余裕もあった。





「ナンパを邪魔する気はないけど、やめといたほうがいいぞ。この子の彼氏を怒らせたらなにされるかわからんぞ」





「ちょ、ちょっと佐伯くん!」





困り顔を見せる里津子。





「佐伯?ひょっとしてお前、佐伯秀一郎か?」





制服姿の男が秀一郎の名前を口にした。





「なんで俺の名前を・・・」





見ず知らずの男から自分の名前が出るとは思わなかったので驚く。





そこでこの男の制服の学校を思い出した。





「お前その制服、芯愛じゃないか。この子、菅野の彼女だぞ」





「へっ、んなことぁわかってるよ。菅野の女と、それにあんたも俺らのターゲットさ!」





突然、警棒のようなものを振りかざしてきた。





慌てて回避し、間合いをとる。





それと同時に別の男がごつい工具のようなものを取り出し、いきなり里津子を殴りつけた。





「きゃっ!?」





倒れる里津子。





「御崎!?」





秀一郎が里津子に気を取られていた隙に、男たちは逃げ出した。





「くっ!」





追い掛けてひとりでも捕まえたい衝動に駆られたが、多勢に無勢なのは明白。





しかも倒れている里津子も気掛かりだった。





「御崎、大丈夫か?」





秀一郎が抱き起こすと、里津子の額が割れて血が流れていた。





「う、うん・・・なんとか・・・」





「医者に行くより学校戻ったほうが早いな。保健室行こう」





里津子に肩を貸し、学校へ戻った。





傷は見た目ほど酷くなく、簡単な処置で血は止まった。





暴漢に襲われたとは言わず、ただ転んだと言ってごまかした。





秀一郎は護衛するように一緒に里津子の家まで送る。





「あいつら、御崎を菅野の彼女だと知ってて絡んで来たんだな」





「うん、最初はたちの悪い連中のナンパかなって思ってたけど、あたしの名前出したし、それに和くんの名前も・・・」





「芯愛の、菅野の周辺でなんかあったんだ。菅野と連絡は?」





「それが、今朝からぜんぜんつかないの。毎日メールやり取りしてるんだけど、今日は一度も・・・」





里津子の不安の色が増す。





「奈緒に聞いてみよう。あいつならなにか知ってるはずだ」





携帯を取り出すと、メロディが鳴る。





ただ、奈緒ではなく真緒からだった。





「もしもし、真緒ちゃん?」





『センパイ、今日なにか妙な連中が絡んで来ませんでしたか?あと御崎先輩にも』





「あの連中のこと、知ってんの?」





秀一郎は里津子が絡まれて怪我をし、いま送っている最中だと告げた。





『そうですか。思った以上に動きが早いです。御崎先輩を送ったらウチに来てもらえませんか?』





「何があったんだ?」





『芯愛が荒れています。たいしたことないですが、奈緒も怪我させられました。今は一緒にいます』





「奈緒も?」





秀一郎に動揺の色が広がっていった。


[No.1559] 2010/04/10(Sat) 19:27:53
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regret-53 (No.1559への返信 / 52階層) - takaci

秀一郎は里津子を家まで送り届け、絶対に家から出ないように釘を刺してから駆け足で奈緒の家に向かった。





奈緒が里津子のように襲われて怪我をした。





たいしたことないと言われても、充分に不安だった。





着くと、荒い息を整えながらインターフォンを押す。





真緒が出迎えてくれた。





だがいつもの優しい笑みはなく、どこか緊張した面持ち。





「センパイ、お疲れ様です」





「奈緒は?」





「居間です。あと菅野の仲間がふたり。奈緒の護衛で来てくれています」





「菅野の仲間まで?」





いろいろ驚く。





靴を脱ぎ上がると、一直線に居間へ向かう。





「奈緒」





里津子と同じように、頭に包帯を巻いていた。





「秀・・・あたし、怖い・・・」





秀一郎を見て安心したのか、奈緒は泣き出した。





さらに芯愛の制服姿のふたりの男も神妙な顔を浮かべている。





「どういうことか説明してくれ。菅野に何があったんだ?なんで御崎や奈緒、俺まで襲われてんだ?」





とにかく理由が知りたかった。





「芯愛の新1年生、原田という男が発端です」





その理由を真緒が話した。





「新1年生?原田?」





「とにかく無茶苦茶な男だ。あいつは狂ってる」





「入学してすぐに徒党を組んで菅野さんにケンカ売って・・・いやありゃケンカじゃねえ。一方的な痛め付けだ」





菅野の仲間の男たちは完全に怯えていた。











このふたりに奈緒の話を整理すると、芯愛の新入生、原田という男が黒幕のようだった。





新入生なので学校内で人脈など作る時間もないが、この男は学校という枠を越えた独自のチームを持ち、それがかなりの数だった。





とにかく人海戦術で菅野のグループに襲い掛かり、あっという真に征圧してしまった。





「それで菅野は?」





「そんな新参者に簡単に屈する人じゃねえ。最後まで立ち向かったけど、多勢に無勢だ。やられて拉致られちまった」





「それで御崎と連絡がつかないのか。まずいな」





秀一郎の顔にも緊迫感が漂う。





「でも、その原田の考えがわかんない。芯愛シメるだけなら菅野だけでいいじゃない。なんであたしまで狙われるの?それに秀やりっちゃんまでなんて・・・」





震える奈緒。





「菅野に近しい人間すべてを狙うってか。そんな考えあるにはあるが、気に入らないな。女の子にまで手を出すなんてまともな男じゃないな」





「そうですね。関係のない人まで巻き込むなんて、あたしの最も嫌いなタイプです」





真緒が珍しく嫌悪感をあらわにする。





♪〜♪♪





ここで秀一郎の携帯が鳴った。





ディスプレイには「菅野」の文字。





「もしもし、菅野か?大丈夫か?」





『佐伯秀一郎だな?』





菅野の声ではない。





初めて聞く、どこか勝ち誇ったように感じる声。





「お前・・・原田って奴だな?」





『ほお、さすが察しがいいねえ。切れ者と聞いてるだけのことはある』





「テメエ、目的はなんだ?なんで俺や奈緒、御崎まで狙う?女の子に手を出すなんざ男として最低だぞ」





『俺は目的のためなら手段は選ばねえ。菅野みてえに女にやられたままのうのうと過ごす気はねえんだよ』





「お前、まさか・・・」





話しながら自然と目が向く、





凜とした顔は緊迫感があった。





『お前もお前の女も菅野の女もそいつを煽るために狙っただけさ。本気になってもらうためにな』





「ふざけんな!だったら最初から泉坂に来ればいいじゃねえか!なんでこんな真似すんだ?」





『だからこれが俺のやり方だ。瞬動に伝えろ。俺たちのアジトに来いってな。じゃなきゃ菅野は再起不能なまでに痛め付ける』





原田は場所と時間を告げると、一方的に切った。





「くそっ、ふざけた野郎だ」





携帯に怒りをぶつける秀一郎。





「センパイ、その原田の狙いはやっぱり・・・」





「ああ、真緒ちゃんだ」





秀一郎は原田との通話の内容を告げた。





「そうですか、ならあたしが行かなきゃダメですね」





「ちょっと待て、こんなの明らかな罠に決まってる。いくらなんでも危険過ぎる」





「でも菅野を放っておけません。それに個人的にもこういう男は許せません」





真緒の拳が小刻みに震えている。





(真緒ちゃん、マジで怒ってる)





小柄な身体から大きな威圧感が溢れ出る。





「お姉ちゃん、あたしも行く」





「お前、なに言ってんだよ?」





危険過ぎると言おうとしたが、





「そうね、ひとりよりあたしたちと一緒に行動したほうが安全かもね」





真緒が同行を認めた。





「真緒ちゃん?」





「センパイも一緒に来て下さい、奈緒を頼みます。それとあなたたち」





菅野の仲間ふたりに目を向けると、





「御崎先輩の護衛を頼みます。向こうが御崎先輩の自宅を調べて襲撃するとは考えにくいですが、念のためです」





「わかった。じゃあ今から動ける仲間を少しでもかき集めてあんたらと一緒に・・・」





「大丈夫です。あたしとセンパイと奈緒の3人で行きます」





「ちょ、ちょっと待て、いくらなんでも無茶だ!向こうの兵隊は少なくても30人はいる。いくら瞬動と佐伯のコンビが強くても無理ってもんだ!」





「センパイはあくまで奈緒の護衛です。あたしひとりでなんとかします。いや、あたしひとりで片付けなきゃダメなんです」





「ひとりでって・・・」





絶句する菅野の仲間たち。





それに対する真緒は微笑みを浮かべる余裕を見せていた。











原田が指定してきた場所は倉庫街にあるひとつの倉庫だった。





「なんか、いかにも悪巧みに適した場所だな」





秀一郎の第一印象。





「でもこの中なら無茶しても問題なさそうですね、お互いに」





真緒は普段と変わらないような顔で倉庫の扉を開けた。





「秀、お姉ちゃんって・・・」





奈緒は真緒に対して少し怯えていた。





「もう、なるようにしかならんだろ」





秀一郎も腹をくくり、奈緒の手をとって真緒に続いた。





明かりは点いていた。





穀物倉庫のようで、小麦粉の袋のようなものが積んである。





荷物類は少なく、がらんとしついて空間は広い。





「よく来たな、小崎真緒!」





勝ち誇ったような声。





芯愛の制服姿の男が姿を表した。





「あなたが原田ね?」





「ああ。しっかしたった3人で来るとはな。使えない菅野の残党を少しばかり引き連れて来るかと思ったが」





「あなたの狙いがあたしなら、他人を巻き込む理由がないからよ。それより菅野を放しなさい。もう捕まえておく理由はないでしょ」





「そうだな、おい!」





菅野がふたりの男に抱えられて表れた。





顔中あざだらけで、かなり手荒い仕打ちを受けたのがわかる。





放されると、その場で崩れ落ちた。





秀一郎と奈緒が駆け寄る。





「大丈夫か?」





「バカヤロウ・・・なんで小崎真緒を連れて来たんだ・・・いくら瞬動でもこの数相手じゃ無理だ」





「センパイ、この人も頼めます?」





「わかった」





「じゃあ下がってください。あとはあたしが片付けます」





「・・・無茶するなって、いまさら言っても無駄だな。じゃあ頼む」





秀一郎と奈緒で菅野を抱き抱え、壁際に下がった。





真緒はひとり、ゆっくりと原田に歩み寄って行く。





「さすが魔女と言われるだけのことはあるな。たいした度胸だ」





「兵隊を全員出しなさい。まとめて相手したほうが手間がかからないから」





「へっ、度胸があるんじゃなくて、ただのバカだな。おい出てこい!」





原田の掛け声とともに、男たちが表れた。





(30、いや、40人はいるな)





秀一郎は兵隊をざっと数えた。





しかも全員が金属バットや木刀といった武器を手にしている。





「どうだ、さすがの瞬動もこの数相手じゃどうにもならんだろう。どうする?俺に屈したと認めるなら手を引いてもいいぜ?」





原田は高ら笑いを見せる。





「あなたのような非道な男が相手なら、あたしも遠慮なく本気を出せます」





真緒はスカートのポケットから小さな黒い袋を取り出した。





そこから中身を出す。





金属の筒とチェーン。





カシャン。





「あいつが得物を使うのか?」





意外そうな声を出す菅野。





「真緒ちゃんがあれを出したら、ただじゃ済まんぞ」





秀一郎の声も緊張が感じられる。





真緒が手にしたのは、金属製のヌンチャク。





それを自在に振り回す。





ヌンチャクの先には小さな孔が空いており、それも相俟ってかなり迫力ある風切り音を奏でる。





兵隊たちもたじろぐ。





その真ん中で、真緒が構えた。





「さあ、死にたい奴からかかって来なさい!」





凜とした、澄んだ声が響く。





「てめえらぁ!相手は所詮女ひとりだ!まとめてやっちまえ!」





兵隊たちが一斉に動き出した。





その中心で、けたたましい風の音が鳴り響く。











「これが・・・瞬動の本気なのか・・・」





菅野も驚きを隠せない。





風の音が止まらない。





真緒が動き続けている証。





そして兵隊たちは嫌なうめき声をあげながらバタバタと倒れていく。





「今日みたいな状況が以前あったんだ。真緒ちゃんは小さな空手道場に通っていて、そこに俺も体験で参加した。奈緒も見学で着いて来た。その日に別のでかい道場の連中が道場破りみたいな形でケンカを売ってきた。有段者が30人くらい押しかけた。武器を持ってる奴もいた。そこで先輩や師範の先生もやられて、それで真緒ちゃんがブチ切れてさ、あのヌンチャクを持ち出したんだ」





「ヌンチャクはどこで習ったんだ?独学じゃないだろ?」





「近所に格闘技の経験者のじいさんが住んでて、若い頃に中国で習ってた人に教わってる。始めは護身用だったけど、あれはそれ以上の威力だ。ヌンチャクってのは扱いがとにかく難しい。けど使いこなせば強力だ。あの真緒ちゃんのスピードを活かしたまま、威力が桁違いに倍増するからな」





「それで、その有段者30人はどうなったんだ?」





「全員病院送り。まあ向こうが一方的に悪いから警察沙汰にはならんかったけど、協会で問題になってな。いろんな力関係が働いて、真緒ちゃんは空手界から永久追放になっちまった。だからあれだけ強くても公式戦にはもう出られないんだ」





「そうか・・・しかしあの風切り音は凄いな」





「その時やられた連中は、あれは強烈な台風、サイクロンだと言ってたな」





「なるほど、サイクロンか・・・」





真緒のサイクロンにより、兵隊の大多数は倒れていた。





時間にして3分弱で。





「ば、化け物だ!逃げ・・・ぐあっ!」





逃げることすらままならない。





真緒の嵐は獲物を一切逃がさなかった。





「なんだこれ・・・なんだこれ?なんだこれ!」





原田は完全に狼狽していた。





圧倒的優位の状況を作り上げて持ち込んだ。





絶対に負けるはずのないケンカ。





だがそれは、予測だにしなかった強烈な嵐により一気に負け戦になった。





最後の兵隊が倒された。





残るは自分ひとり。





「く、来るな・・・来るなぁ!」





原田が取り出したのは、





「あいつ、あんなものまで?」





「瞬動、逃げろ!」





秀一郎も菅野も動揺した。





原田は拳銃を真緒に向ける。





だが真緒のサイクロンは止まらない。





原田に向かう。











「うわああああ!!!」





叫びながら引き金を引く。











パアン!





パアン!





パアン!












「ぐげえっ!」





サイクロンには無力だった。





うめき声をあげて倒れる原田。





「あなたバカね。熟練者ならともかく、ズブの素人がそんなもの使ったところで当たるわけない」





問題なく全員殲滅して、ようやくサイクロンは治まった。


[No.1560] 2010/04/17(Sat) 21:20:18
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regret-54 (No.1560への返信 / 53階層) - takaci

事件から一週間。





芯愛はすっかり落ち着いていた。





発端となった原田は姿を見せていない。





「菅野、いろいろ手間かけさせてすまない」





秀一郎は菅野に礼を述べる。





「気にすんな。原田にあんなパイプがあったからには、俺が動かなきゃな。警察沙汰になってたらいろいろヤバかったからな」





一介の学生が拳銃など入手出来るわけがない。





原田のチームのバックには暴力団の影があった。





そこで菅野もパイプを持っている組織に連絡して今回の事件の収拾に当たった。





幸いにも菅野側の組織のほうが力関係も強く、原田側は筋の通らない無茶な行動だったので話は簡単についた。





結果として今回の事件は、菅野が底力を活かして原田のチームをシメたことになった。





真緒の名前は一切出ていない。





「けど実際は瞬動に助けてもらったのに、俺が手柄をかっさらったみたいでいい気はしねえな」





「だからって真緒ちゃんの名前は出せん。40人以上の兵隊全員病院送りなんてことが知れ渡ったらさすがに警察も動く。下手すりゃ退学だ」





「とにかく警察は動かねえから安心しろ。バック同士ではもう話はついてる。終わったことだ」





「原田はどうなるんだ?」





「まあ、ただじゃ済まんだろうな。今まで相当無茶してたみたいだし、今回の件であいつのバックも怒ってる。たぶん自主退学だろうな、表向きは」





「そうか。まあ報いだろうな」





秀一郎が知らない裏社会で原田がどうなるのか少しは気になったが、これ以上は関わらないと心に決めていた。





「秀、おまたせ」





奈緒がやってきた。





傷も完治しており、いつもの元気が戻っている。





「今日はふたりで買い物なんだって?」





笑顔を見せる菅野。





「ああ、こいつのいつもの気まぐれだ。俺は振り回されっぱなしだよ」





「女の子はそんなもんだよ!つべこべ言わないの!」





「へいへい」





奈緒節に半分呆れる秀一郎。





「それと菅野も今回の件でりっちゃんに迷惑かけたんだからちゃんと埋め合わせしなさいよ!」





「ああ、そう思っているんだが、なんか申し訳ない気持ちが先に出て逢わせる顔がなくってな。どうすべきか・・・」





「そんなくだらない悩みなんかどっかに捨てて今から逢いに行きなさい!悩む前に行動よ!そんなんじゃりっちゃん心閉ざしちゃうよ!」





「わ、わかったよ」





さすがの菅野も奈緒には形無しだった。











今日の買い物は芯愛の女子の姿が目立つ街で、普段の行動範囲から少し離れている。





街の規模も人の数も普段の場所より小さく少ない。





「で、こんなとこでなに買うんだ?いつものとこにないものでもあんのか?」





「それをこれから探すのよ」





「へっ、ノープラン?」





「うん。ただお姉ちゃんの行動範囲外でなにか見つけて贈ってあげたいの」





「真緒ちゃんにか」





「お姉ちゃん、あの事件以降元気ないんだよね。前の道場破りのときもそうだった。本当は人を傷つけるようなことは本当に嫌いなんだよ」





「理由はどうあれ、真緒ちゃんがかなりの数の人間を病院送りにしたのは事実だからな」





「あのヌンチャク、お姉ちゃんは二度と手にしないって決めてた。あまりに強すぎる力だから。でもその自分の決めごとを破っちゃった。それで自分を責めてるみたいなの」





「あれは本当に強すぎる力だ。そんな力は災いのもとにもなる。真緒ちゃんもわかってると思うけど、今回はホントにブチ切れてたからなあ。冷静な判断が出来なくなってたんだ。そんな真緒ちゃんを止めずに全てを任せちまった俺らにも責任はある」





「そうだね。だからふたりでなにかお姉ちゃんが元気の出るものを見つけて贈ってあげようよ」






「そうだなあ、まあそれくらいしか出来んだろうしなあ」





秀一郎も他にいい案が浮かばなかった。











「へえ、やっぱり小崎真緒が絡んでたのね」





背後からどこかで聞いたことのある女の子の声が届く。





振り向くと、泉坂の制服姿の背が高い女子が鋭い目つきで睨んでいた。





「なんだお前か、槙田」





「秀、知ってる子?」





「ああ、槙田涼。真緒ちゃんの同級生でケンカっ早い女だ」





「あ〜思い出した!秀にいきなり木刀で襲い掛かった女ね!しかもお姉ちゃんにまで絡んでたでしょ!あんた一体なんのつもり?」





奈緒はいきなり交戦モードになる。





「ただ気にいらないからよ。本当は好戦的なのに大人しい子ぶってる女や、一途な想いに応えようとしないモテ男とかがね」





涼は名前こそ出さなかったが、誰のことを言ってるのかは容易に想像がつく。





それは奈緒も気付いた。





「お姉ちゃんは強いけど、だからってケンカが好きなわけじゃない。秀の周りにどんな子が寄り付こうとしても、あたしが絶対食い止める」





「へえ、たいした自信ね。自分がそこまで愛されてると思ってんだ。けどだからってその彼氏のために自分の命を差し出すまでは出来ないでしょ?」





「そんなことしてなんになるの?ふたり一緒に生きてかなきゃ意味がない。そんなのナンセンスよ」





「じゃあ出来ないわけだ。その時点であんた負けてるよ」





「勝手に決め付けないで。無駄なことを一方的にやっただけで負け呼ばわりされたくない」





どんどんヒートアップするふたり。





「奈緒、ちょっと落ち着け。こいつのペースに乗せられてるぞ」





「秀、でも・・・」





「それと槙田、お前には聞きたいと思ってたことがある。いい機会だからちょっと付き合え。コーヒー代くらいなら出すからよ」





珍しく柔和な顔を向ける秀一郎。





「な、なんだよそれ?ま、まあ別にいいけど」





そんな顔を初めて見た涼は少し戸惑いを見せていた。











そして3人で近くの喫茶店に入った。





「で、聞きたいことってなによ?」





涼が切り出すと、





「お前はなんでそこまで俺と桐山をくっつけようとするんだ?桐山となにかあったのか?」





秀一郎は真顔で直球をぶつけた。





「ちょっ、あんたマジ?本カノの目の前でよくそんなこと聞けるわね!」





戸惑い驚く涼。





だが秀一郎は至って真面目だった。





「じゃあ逆に聞くが、これって奈緒の知らないところでしなきゃいかん話でもないだろ?俺はそーゆー話は隠すつもりもないし、隠したくないからな」





うんうんと横で頷く奈緒。





「で、でも、それがきっかけで仲引き裂いたら気まずいって言うか、なんかやじゃん」





「俺と桐山をくっつけるってことは、俺と奈緒を引き裂くことじゃねえか。お前なんか矛盾してるぞ」





「それってつまりあたしが引き金を引けってこと?そんなことを女にさせる気なの?」





「男だろうが女だろうが関係ないだろ。普段威勢いいわりには汚れ役は嫌なのか。そんなんじゃ何かやろうとしてもハンパになるだけだぞ」





秀一郎のほうが勢いがあった。





「なあんだ、結局口だけの女なんだあ。言っとくけどお姉ちゃんはいざというときは汚れ役になるからね。それが出来ないならお姉ちゃん以下よ。ケンカ売る立場でもないわよ」





奈緒も調子づく。





それを受けた涼は怒りを見せ、





「言わせておけばいい気になって・・・わかったわよ言うわよ!でもホントにそれで別れてもあたし知らないからね!」





腹をくくったようだった。











涼はコーヒーに一口つけると、ゆっくり語り出した。





「あたしは以前から桐山先輩を知ってたわけじゃない。去年の通り魔事件、あたしも現場にいて、見た瞬間に叫び声あげて逃げ出したの」





「ってことは、あのとき校門から逃げてきた生徒の中にお前もいたのか」





秀一郎は全く気付いていなかった。





「そのとき、向かってくあんたとすれ違って、バカじゃないのかとか思ったけど、でもあんたは勇敢に立ち向かってた。正直凄い、負けたと思ったよ」





「別に凄くなんかない。俺だって逃げたかった。けど逃げれる状況じゃなかっただけだ」





「で、離れたところから見てた。そしたらあんたの腕をナイフがかすめて血が流れた。そのとき、側にいた桐山先輩が飛び出そうとして、あたしが腕を掴んで止めたんだ」





「そんなことがあったのか?」





「うん、あたしは『危ないからやめろ』って言ったんだけど、桐山先輩は『大切な人を失うのはもう嫌、そんなの見たくない』って凄い剣幕でね。あたしそれに負けて手を離しちゃった。だから桐山先輩が死にかけたのはあたしのせいでもあるの」





「俺は・・・なにも言えんな。結果的に桐山に助けられたのは事実だし、もし桐山がいなかったら俺は死んでたかもしれない」





苦い顔を見せる秀一郎。





「でもあのとき、あたし分かった。桐山先輩は本当に心の底からあんたを想ってるって。自分の身体を盾にして護るなんて中途半端な気持ちで出来っこない。だから結ばれて欲しいって思うんだよ。あれからあんたと桐山先輩のこといろいろ調べた。で、あんたにはもう彼女がいて、桐山先輩の前でいちゃついてて・・・そんなの腹が立つに決まってるじゃん!」





「なるほどな。お前の言うこともわかる。桐山の気持ちも気付いてないわけじゃない。でも、俺は奈緒が大切なんだよ」





「そこまでこの女にこだわる理由はなんなの?納得出来る理由ならあたしは引くよ。それ聞かせて」





真剣な目を秀一郎にぶつけてきた。





「そう言われてもなあ・・・」





答えに困っていると、





「槙田さん、あなた恋愛したことないでしょ」





ずっと黙っていた奈緒が口を開いた。





「どういう意味よ?」





「人が人を好きになるって理屈じゃない。言葉で説明出来るものじゃないもん。そんなことを聞こうとするのが無理よ」





「でもそれじゃあたし納得出来ない!」





「まあ、あそこまでされるとね。あたしも認めてるよ。桐山さんの秀に対する想いの強さは。本気だよね」





「奈緒?」





そんな言葉が出て来るとは全く予想だにしてなかった。





「でもやっぱりあたしは気にいらない。好きならまずコクるべきよ。それもせずに秀の側にい続けるなんてなんか嫌。志望大学も学課も秀と同じらしいけど、偶然なのか怪しいよ。国公立はともかく、なんでライター志望の人が法学部なの?普通は文学部よ。秀に合わせたとしか思えない」





「おいおいちょっと待てよ、大学だぞ。将来の進路に関わる大事なことを恋愛感情絡めて決めるなんてありえんぞ」





「まあ普通はそうだよね。でも桐山さんは普通じゃない。たぶんあたしと秀に隙が出来たらそこを突いてあわよくばって考えじゃないかな。だから秀の側を選ぶ。桐山さんはそういう人よ」





「いや、それは考え過ぎだろ。俺に対してそこまでの感情を抱いてるとは・・・」





「秀、甘いよ。桐山さんは本当に本気。それくらい平然とやるよ。でもあたしは気にいらない。あの人の考えもやり方も認めない。隙なんて絶対に作らない」





「・・・」





「・・・」





秀一郎も涼も、奈緒の気迫の前に声を失っていた。


[No.1564] 2010/04/24(Sat) 20:06:25
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6月。





秀一郎の心は踊っていた。





同時刻、小崎宅。





「そういえば秀くん、今日納車なんでしょ?」






「そうみたいね。でもあたしが乗せてもらえるのはしばらく先だって。運転に慣れるまではダメだってさ」





母親、由奈の問い掛けに奈緒はつまらなさそうに答えた。





「秀くんもウキウキしてるだろうけど、お父さんも妙に張り切ってるのがお母さんは心配ね。危ない道に進ませないといいけど」





「それって首都高?でももう今夜からふたりで早速行くみたいよ」





「全くもうお父さんは・・・」





呆れ顔の由奈。





「でもあたしはあそこ好きだよ。お父さんの助手席気持ちいいもん。湾岸は綺麗だし」





「私は嫌いね。うるさいし、なにより派手過ぎよ」





小崎宅には車が2台ある。





家族用のステーションワゴンが1台。





あと、父の真也が首都高用に乗っているポルシェがもう1台。





GT2ルックの993型911カレラで派手な黄色。





この目立つ車で夜の首都高を快走している。





「お父さん、あのポルシェお気に入りだもんね」





「でも改造費も凄いし、維持費だって高いのよ。今は環境社会なのにそんなのとは無縁の車だし」





「お父さんエコカー嫌いだもんね。でもそんなスタンスで書いてて仕事切れないんだから、世の中にはそんな需要がまだあるんだよ」





「そうかもしれないけど、車にお金をかけるのは反対ね。秀くんにそんな車を勧めてなければいいけど」





「あたし秀の車は見たよ」





「どんなのだった?」





「車種は忘れたけど、普通のセダンだった。年式はちょっと古めだけど中も外も割と綺麗な青い車。でも音はちょっと迫力あったけど、お父さんのポルシェに比べれば全然静かだったよ。それになんか凄く安かったみたい」





「そう。まだ高校生だし初めての車なら安いのはいいと思うけど、でもあのお父さんが選んだんだから、やっぱり少し心配ね」





由奈は不安げな顔を見せていた。












「はい、これがキーね」





秀一郎は堅い表情で車の鍵を受け取った。





「これが俺の車なんですね」





感慨深いものがある。





「まあいわゆる事故車の距離飛びだ。けどきちんと治ってるし、ちゃんとメンテナンスしてきてる。それに今回主要な消耗品は換えてあるから、安心して乗れるよ」





真也が太鼓判を押した車。





R34型スカイラインセダン25GT後期型の5速マニュアル車。





車高が若干下げられ、社外アルミを履き、エンジン廻りも少し手が入っている。





これが今日から秀一郎の愛車になった。





その日の夜、23時。





秀一郎は助手席に真也を乗せ、首都高デビューしていた。





初めての車に初めての道なので無茶はせず、流れに沿って普通に走る。





それでも充分に楽しかった。





「やっぱり環状は難しいですね。高速なのに曲がりくねってて、なんか忙しいです」





真也のポルシェの助手席で何度か走っていたが、自分でステアリングを握ると印象がかなり違っていた。





「C1は舗装が荒れてるし、内回りはコーナーがきついからね。まあ無理せずコースを覚えよう」





真也は楽しそうな笑顔を見せる。





「あ、後ろからなんか来ます」





純白の光がかなり速い速度で迫って来る。





「無理せずラインキープしてればいいよ。速い車は綺麗に抜いていくから」





光は迫力あるサウンドと共に迫り、スッと駆け抜けて行った。





秀一郎と同じブルーのボディ。





「あれZですね。すげー速い」





「気にせずマイペースで行こう。慣れればあれくらいで流せるよ」





「あれで流してるんですか・・・」





とんでもない世界だと秀一郎は感じていた。





C1内回りを何周かして、パーキングに入った。





「あ、さっきのZです」





鮮やかに抜いて行ったブルーのZが止まっていた。





「ちょうどいい、あの隣に止めよう」





秀一郎は言われた通りに車を並べた。





車から降りると、Zのタイヤをチェックしている女性の姿を見つけた。





(へえ、女の人だったんだ)





意外に感じていると、真也がその女性に早速声をかけていた。





女性の顔が目に入る。





「あっ?」





思わず声が出た。





「君は泉坂の・・・」





女性も意外そうな顔を見せる。





「えっ、知り合い?」





驚く真也




「ええ、まあ・・・」





去年の学園祭で踏んでしまった地雷女、西野つかさとの思わぬ再開だった。





「君ってまだ高校生じゃなかったっけ?」





「はい。でも18になったんで免許取れたんで、今日からこの車乗ってます」





「へえ、首都高デビューか。でも危ないしお金もかかるからのめり込んじゃダメだよ。かわいい彼女に愛想つかれちゃうよ」





「その彼女の父親がこの人で、この人の勧めで走ってるんです」





と言って真也を指さす。





「えっ?」





驚いたつかさはあらためて真也をまじまじと見つめる。





「あれ、ひょっとして小崎さん?」





「あっ、西野さんじゃないか。日本に帰って来てたの?」





「はい、去年の夏に。今はこっちでケーキ焼いてます」





「そっかあ、じゃあ今年のルマンじゃ西野さんのケーキ食べれないんだなあ」





残念がる真也を見て、





「あの、おじさんもこの人と知り合いなんですか?」





と尋ねると、真也は毎年取材で行ってるフランスのレースの出店でつかさのケーキをほぼ毎年食べていたことを話してくれた。





そして秀一郎も去年の文化祭で会っていたことを話すと、





「いやあ、こんな偶然があるんだねえ。驚いたよ」





と、真也は笑顔を見せた。





「小崎さんって確かポルシェ乗ってますよね?」





と、つかさが訪ねる。





「ああ。でもNAの993カレラだから大して速くはないよ。西野さんの車のほうが速いだろうね。見たところきっちり仕上がってるみたいだけど」





「いえ、まだまだです。ガラッと仕様変更したんで今日は探りながら走ってます」





「でもかなり気合い入ってるよね。18インチに落としてるし、エアロも本気仕様だ」





「まあ、ここまで派手にしたくはなかったんですけど、スタビリティ欲しかったから羽根付けるしかなくて・・・」





つかさの言う通り、かなり迫力ある外観のZだった。





少し落とされた車高にいかにも軽そうなホイール。





若干張り出したフロントスポイラーにGTウィング。





見た目だけでも速そうな雰囲気を醸し出していた。





「西野さん、もしよかったら秀一郎くん助手席に乗せて走ってくれないかな?」





「え?」





驚く秀一郎。





「西野さんみたいな現役ランナーの走りは見るだけで参考になるからね。軽くどうかな?」





「いいですよ、あたしなんかでよければ」





つかさは笑顔で快諾した。





そして秀一郎は気持ちの整理がつかないまま、Zの助手席で4点式シートベルトに縛られていた。





「凄いっすね、このベルト。シートに密着して全然動かないです」





「少しでも身体が動くと正確な操作が出来ないし、なにより恐怖感が増すからね。本気でここを走るなら4点ハーネスは必須よ」





「はあ・・・」





「じゃ、行くよ。まだ慣らしだからペースは上げないからね」





「はい」





少しホッとした。





のもつかの間。





つかさは秀一郎からすればとんでもない速度でコーナーに突っ込んでいく。





「ちょっ、慣らしじゃないんですか?」





「慣らしよ。大体6分といったところね」





「これで6分っすか・・・」





体験したことのないGがかかる。





加速も凄まじい。





「いったい何馬力くらいあるんです?」





「ノーマル3.7リッターから4リッターに上げて420馬力ってところね。ピークは求めず中間とピックアップ重視よ」





「そ、そうですか」





いまいち言葉の意味がわからないが、凄いことはわかった。





コーナー立ち上がりで簡単にホイルスピンしている。





そう伝えると、





「これじゃダメなのよ。トラクションかからないし動きが重い。パワーが活かせてない。内圧調整したけどダメね。バランス悪いから怖くてペース上げれない」





「俺的には充分に速いんすけど」





「ノーマルでもこれくらいで走れるよ。これじゃチューンした意味ないよ。」





「そんなもんなんですか」





あらためて凄い世界だと感じていた。











内回りを一周してパーキングに戻る。





シートベルトを外して車から降りるとホッとした。





「どうだった、西野さんの助手席は?」





真也が笑顔で訪ねてきた。





「もう凄いの一言です」





そうとしか言えなかった。





「でもさすが小崎さんですね。そのスカイラインであたしに着いて来るんですから」





「いやあ、いっぱいいっぱいだったよ。バランスはいいんだけどちょっとパワー足らないね」





「どのくらい出てます?ターボ付きですか?」





「いやNAの2.5。少し手が入ってるけど、まあ220ってとこかな」





「そーゆーこと。わかった?」





突然つかさが秀一郎に振ってきた。





「えっ?」





「君はあたしのペースに驚いてたけど、君の車でもあのペースで走れるんだよ。あたしのZの半分くらいのパワーでもね」





(あっ!)





あらためて自分のスカイラインを見た。





「この車ってあんなに走るんだ。凄く安い車なのに」





驚かずにはいられなかった。





「でもそれは小崎さんくらいの腕があればって話だよ。免許取り立ての高校生が本職モータージャーナリスト並に走れるわけないんだから、無茶しちゃダメだよ」





「はい」





「西野さんありがとう。でも西野さんも無理はダメだよ。君があの噂のZ34だとは思わなかったよ」





「はは。でも引くつもりはないですから。この子をきっちり仕上げればなんとかなると思いますから」





そう語るつかさからただならぬ気合いを感じていた。





そしてつかさはパーキングを出て行った。





「おじさん、噂のZ34ってなんですか?」





「東城綾って知ってるよね、有名な美人小説家の」





「あ、はい」





ドキッとした。





泉坂の先輩である真中淳平の恋人で、西野つかさはその前の恋人。





何かしら関係があるような気がしてならない。





「僕のポルシェをチューンしたショップの客でもあるんだ。彼女は現行の997ターボでここを走ってる。しかもかなり速い。そこそこ有名な車だ」





「そうなんですか?」





イメージからは全く想像がつかない。





「で、その速い東城綾に絡もうとしている青のZ34がいるって噂が立ってるんだ。チューンドのポルシェターボにZで挑もうなんて明らかに無茶だ。どんな乗り手なのか気になってたけど、まさか西野さんとはね。でもあの車を見れば、本気だね。きちんと仕上がれば相当速いよ」





「つまり西野さんは東城綾に勝てるってことですか?」





「それはやってみなきゃわからない。けど東城綾のポルシェも今は仕様変更してるんだ。要求が高いってショップのスタッフが嘆いてたよ。西野さんも速くなるだろうが、東城綾も速くなる。お互いエスカレートし過ぎると果てしない泥沼だ」





「そうっすか・・・」





(たぶん真中先輩が絡んでるんだろうな。けど西野さんといい、奈緒といい、女が本気になると怖いなあ)





あらためてそう感じる秀一郎だった。


[No.1569] 2010/05/01(Sat) 21:25:54
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7月の最初の日曜日。





「桐山、お待たせ」





秀一郎は自分の車を沙織のアパートに横付けした。





「これが佐伯くんの車かあ。やっぱり凄いね」





素直に驚く沙織。





「まだ乗り出してひと月くらいだからスムーズに運転出来ないけど、それは勘弁してくれよな」





「誰でも最初は不慣れなもんだよ。そんなの気にせずに楽しく行こうよ。初のロングドライブなんでしょ?」





「ロングっても箱根までだから知れてるよ。それより新しく付けたナビのチェックしたいからさ」





「今はいろいろ便利になってるよね。じゃあ今日一日よろしくね」





沙織が助手席に乗り込みベルトを締めると、秀一郎はゆっくり発進させた。





「で、奈緒ちゃん大丈夫なの?」





沙織が心配そうに訪ねてきた。





「ただの夏風邪だよ。ちょっと熱があるからまだ寝てる」





「でも、奈緒ちゃんがなんで代役にあたしを指名したのかな?」





「それは俺にも全く理解出来ん。でもゴメンな、突然無理言って付き合わせて」





「ううん、どうせ予定なんてなかったもん。むしろ奈緒ちゃんに感謝かな。せっかくの機会を作ってくれて」





「そっか」





秀一郎は笑顔を見せながらも、内心は複雑だった。





今日のドライブは以前から予定してあり、奈緒も楽しみにしていた。





だが金曜日に体調を崩してダウン。





それを受けて秀一郎はひとりで行くつもりだったが、どういうわけか奈緒はベッドの中で沙織とメールのやり取りをして、勝手に今日の代役を頼んでいた。





(ホントに奈緒はなに考えてんだ?桐山をあれだけ敵視してたのに、そんな子にデートの代役頼むなんて・・・)





秀一郎は奈緒の考えが全くわからなかった。











そんな頃、奈緒は不機嫌そうな顔を浮かべてベッドで横になっていた。





「その顔は、体調とは関係ないみたいね」





妹の様子を見に来た真緒が苦笑いを浮かべる。





「これも苦肉の策よ。別に他の子と行かれるより、知ってる子と行ってくれたほうがマシよ」





「センパイなら他の女の子を誘うような真似はしないと思うけど?」





「だからってせっかくの初の遠出をひとりで行かせるなんて、なんかやだった。なんか器を小さく見られるような気がして」





「まあわかる気もするけど、桐山先輩はいろんな意味でまずくないかな?奈緒の次にセンパイとの距離が近い人だよ」





「でもマークする相手はひとりで済む。複数の子に目を光らせるより、ひとりだけ見てればいいんだから」





「それもわかるよ。でも桐山先輩を軽く見すぎてない?」





「これが秀から誘ったのなら危ないけど、あたしが切り出した。それなら大胆な行動は出来ないはずよ、たぶん」





「そうかもね。桐山先輩って遠慮がちなところがあるからね。でもこんな又とないチャンスを無駄にする人でもないと思うよ」





「うー・・・」





奈緒の不機嫌さがさらに加速した。











そんな奈緒を余所に、秀一郎はドライブを楽しんでいた。





東名高速を120キロ程度で流す。





これくらいが気持ちいい車だった。





「ホントにいい車だよね。乗り心地もいいし、とてもスムーズ。そんなに安いなんて信じられない」





沙織にこの車の購入価格を話したが、信じられない顔をしている。





「さすがモータージャーナリストの目に適った車だと思う。このスカイラインって車そのものがいいのか、それともこの車が特別なのかはわからないけどな」





「ノーマルじゃないんだよね?」





「エンジンも足回りも手が入ってる。外観はほとんどノーマルだけどな」





「たぶん前のオーナーの人が大切にしてたんだろうね。ホントに綺麗な車だもんね」





「いい買い物だったと俺は思うよ。ちゃんと走らせられれば結構速いからね」





「そういえば綾先輩も凄い車に乗ってるんだよ」





「それ聞いた。奈緒の親父さんもポルシェ乗ってて、同じショップに出入りしてるってさ。なんか有名な車らしいよ」





「そうなんだあ。あたしもちらっと見せてもらったけど、凄い迫力だった。でも綾先輩があんなポルシェ乗ってるなんてなんか意外だった」





「そんなイメージないよな。まあファッションでポルシェ乗ってる人も多いけど、東城先輩は現行の997ターボでさらにチューンしてるらしいから、本気で走ってるんだよなあ」





「佐伯くんは行かないの?首都高」





「たまに流す程度かな。奈緒が湾岸とかベイブリッジあたりが好きだから。けど本気で走る気にはなれんよ。いろんな意味で凄い世界だ。ちょっとついてけんな」





「お金も時間もかかるみたいだし危ないもんね。綾先輩も今のポルシェの前にベンツをぶつけて全損にしちゃったんだって」





「それ真中先輩から聞いた。2000万のベンツ一発全損したけど、それでもまだ懲りずに走ってるって呆れてた」





「たぶんそれだけ魅力のある場所なんだね」





「俺にはちょっと理解出来んけどな。なんなら今度一緒に走ってみる?夜の首都高」





「ホントに?あたし行きたい」





目を輝かせる沙織。





「まあ夜景は綺麗だし走ってて退屈しない場所ではあるよな。けど飛ばしてとかは言わないでくれよ」





「そんなの言わないよ。普通に流すだけで楽しそうじゃない。てゆーかそんなこと言う人がいるの?」





「奈緒。あいつはいつも飛ばせってさ。親父さんの影響もあるんだろうけど、絶叫マシンみたいなもんだと思ってる節がある。こっちのほうがずっと危ないってのに」





「それはどうかと思うなあ。危ないし、スピード違反で捕まったらまずいよね」





「たぶんその辺のことは全然わかってない。困ったもんだよ」





呆れ顔の秀一郎。





「なんでそんな無茶を佐伯くんに言えるのかな?一緒にドライブするだけで充分楽しいじゃない」





「俺も運転してるだけで楽しいし、まだ慣れてないからペース上げたら危ないんだ。その辺はわかって欲しいんだけどな」






高速を降りて、箱根の山を目指す。





景色もよく、気持ちいい。





ワインディングロードはついペースが上がりがちになる。





普通の大衆車なら大きくロールして不快感を伴うが、このスカイラインのサスは適度に固められていてハイペースも難無くこなす。





秀一郎もかなり慣れてきて、車の特性を掴み、同乗者に不安を与えない走りが出来ていた。





「ホント気持ちいいね。天気もよくて富士山も綺麗だし、東京より涼しいし」





上機嫌の沙織。





「ホントだな。東京からたった100キロでこんなに違うのか」





「佐伯くんも箱根は初めて?」





「ガキの頃に親と来たような記憶あるけど、よく覚えてない。俺は桐山ほど記憶力ないよ」





「あれはたまたまだよ。あたしってお母さんと旅行行ったのってあの一度きりだから、強く印象に残ってるの。ホントにいい思い出」





「・・・いろいろ大変だったんだな。俺って結構恵まれてるんだなって思う。両親は会社経営しててそれなりに大変だけど、収入は一般家庭より多いし、車だってウチに車庫があるから駐車場代タダだし、絶対に桐山より楽な人生だったろうな」





「そんなの関係ないよ。あたしはいっぱい辛いことあったけど、あたしなりに不幸だなんて感じたことはないよ。それに今、こうして佐伯くんとデート出来てる。今はとても楽しいよ」





「桐山は強いな」





「そうかな?でも佐伯くんも強いよ。ホント頼りになるし、安心感あるもん。だから今日もいろんなところに連れてって。どこでも付き合うよ」





「そっか、じゃあ買い物でも行くか」





「ここからなら御殿場のアウトレット近いもんね。あそこ興味あったんだ」





「んじゃ行こう」











御殿場のアウトレットは休日だとかなりの賑わいになり、駐車場に入るだけでかなりの時間がかかる。





普通の人間ならイラつき、これが奈緒なら不平不満が口から出るに決まっている。





だが沙織はなにも言わなかった。





奈緒と過ごす時間も楽しいが、沙織と過ごす時間も心地よく感じていた。





アウトレットは珍しい品がかなりのお買い得価格で並んでいて、つい財布が緩みがちになる。





だが沙織はしっかりしていて、本当に必要なものしか買わなかった。





ただアクセサリーショップに入り、





「わあ、これいいかも」





珍しく目を輝かせる。





「桐山ってアクセサリーの類いってあまり着けないよな」





「うん、あまり興味ないけど、でもこれはいいなあ・・・」





小さな飾りのシルバーのネックレス。





「でもちょっと高いかなあ・・・」





値札と品物をにらめっこして悩んでいる。






そんな沙織を見て秀一郎は店員を呼び、





「これ下さい」





とネックレスを指差した。





「さ、佐伯くん?」





「これくらい買ってやるよ。今日付き合ってくれたお礼だ」





「そ、そんな・・・こんな高価なもの・・・ダメだよ」





「いいっていいって。桐山には世話になりっぱなしなんだし、何かしたいとずっと思ってたんだ。それにこれ気に入ったんだろ?」





「・・・うん。でも・・・」





「欲しいものは欲しいときにちゃんと欲しいって言ったほうがいいぞ。あとで悔やむほうが悔しいからな」





「・・・そうかも。でも・・・」





モジモジと悩ましげな表情を見せる沙織。





こんな姿は普段はまず見せない。





並の男がこの姿を見せられたら一発で落ちそうな威力があった。





「ここは俺に男を立てさせてくれ」





「・・・うん。ありがとう」





早速身につけると、沙織の笑顔がパッと輝いた。





外で夕食を済ませ、沙織のアパートまで送る。





「佐伯くん、今日はありがとう。本当に楽しかった」





車を降りた沙織は運転席側に廻り、秀一郎に笑顔を見せる。





「こっちこそありがとな。俺も楽しかったよ。じゃ」





車を発進させようとしたとき、





「あ、佐伯くん待って」





「え?」





「ちょっと目を閉じて、お願い」





「ん?」





言われた通りに目をつむる。





(えっ?)





唇に温かく柔らかい感触。





驚いて目を開けると、沙織が唇を重ねていた。





その沙織の顔が離れる。





「どうしても今日のお礼を形にしたかったから。油断したね佐伯くん」





悪戯っぽい笑みを見せる。





「え・・・あ・・・その・・・」





「おやすみなさい」





沙織は軽いステップでアパートの階段を昇っていった。





その後ろ姿が視界から消えると、秀一郎はウィンドウを上げて車を発進させた。





(俺・・・桐山と・・・キスした?)





予想だにしなかった事態に秀一郎の頭はしばらく混乱していた。


[No.1572] 2010/05/08(Sat) 05:21:34
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regret-57 (No.1572への返信 / 56階層) - takaci

(どうすっかなあ・・・)





朝の教室で秀一郎は誰にも相談出来ない悩みを抱えていた。





まさかあんなことになるとは思わなかった。





沙織の言う通り、完全に油断していた。





あの大人しい沙織があんな大胆な行動を取るとは思わなかった。





だが言い訳は出来ない。





沙織とキスをしたのは事実。





(奈緒からすれば、完全に浮気だよなあ。いくら奈緒が桐山を代役に指名したとしても、アレはやっちゃいかんだろうなあ・・・)





かなり罪悪感を感じていた。





とは言うものの、こんなことを奈緒に言えるわけがない。





(絶対グズるに決まってる。でも・・・)





隠し通す自信があるかは微妙。





(あいつ妙にカンだけはいいからなあ。でもこれだけはごまかし通すしかないだろう。いや待てよ・・・)





奈緒と沙織はメアドを交換している。





今回のデートの代役も奈緒が沙織にメールで頼んだ。





もし今回のことを沙織から奈緒に伝わったら・・・





それはそれでまた面倒なことになる。





(いや、そっちのほうが厄介だ。俺が黙ってて桐山から伝わったら、完全に浮気者呼ばわりされる。うまく収める自信がない)





そんなことを考えていると、





「おはよう」





沙織が声をかけてきた。





「お、おはよう」





沙織はいつもと変わらない笑顔だが、秀一郎は少し戸惑う。





「昨日はありがとう。あとゴメンね。ひょっとして怒ってる?」





「い、いや、怒ってはいないけど、いろいろ困ってる。特に奈緒にバレたら絶対面倒なことになるからなあ」





「あたし奈緒ちゃんにお礼のメール打ったけど、さすがにアレは伝えてないから安心して」





「そ、そっか。ありがとう助かる」





「ところで奈緒ちゃんから連絡ないの?あの子ならすぐ佐伯くんに連絡しそうだけど」





「そう言われりゃ連絡ないなあ・・・」





おもむろに携帯を取り出すと、奈緒からメールが来た。





ただ内容は、





「えっ、マジ?」





驚く。





「どうしたの?」





「真緒ちゃん体調崩して休みだから今日弁当なしだって。しかもしばらく続くかもって」





「えっ、でも真緒ちゃんってすごく健康な子だよね?」





「ああ。自己管理しっかりしてるから風邪なんて引いたことないし、病欠とは無縁の子だよ。その真緒ちゃんが体調崩すなんて」





意外としか言えなかった。





朝のチャイムが鳴り、ホームルームが始まる。





その最後で担任教師から放課後に面談室に来るように言われた。





全く身に覚えがない秀一郎は朝から混乱していた。





そしてその放課後、





秀一郎は面談室に入ったが、誰もいなかった。





しばらく待っていると、





「佐伯、遅れてすまない」





厳しい表情の黒川がやって来た。





黒川は生徒指導教師。





こんな顔をされると妙に後ろめたい気持ちになる。





「黒川先生が俺に話ですか?なんかやらかしましたっけ?」





「お前には直接関係ない話だが、ちょっと聞いておきたいし話しておきたい事態が起こってな。まあ座れ」





黒川と向かい合わせに座る。





「まず、この件は他人に口外するな。他の生徒はもちろん知らないし、教師も知っているのはごく一部だ」





「なにがあったんですか?」





「2年の小崎真緒だが・・・」





「真緒ちゃん?そういや今日休んでますよね」





「実は昨日の夜、校内で襲われた」





「えっ!?あの真緒ちゃんが?」





信じられなかった。





並の男なら徒党を組んでかかって来ても問題なく殲滅する力を持っている。





そんな真緒が簡単に襲われるなど、信じられなかった。





「昨日の夜だ。私は仕事がひと段落して帰るときに体育倉庫の側を通ったら中から物音と啜り泣くような声が聞こえたんで扉を開けたら、小崎が倒れていた。ひどい有様だった」





顔をしかめる黒川。





「真緒ちゃん、ひどい怪我なんですか?」





「佐伯、お前勘違いしてないか?」





「え?」





「怪我はない。だが心の傷はすさまじい。いくら小崎と言えどひとりの女子高生。レイプされればひとたまりもない」





「レイプ?」





言われるまでその発想がなかった。





真緒は完全に武闘派のイメージしかなかった。





襲われた=ケンカで大怪我をしたとしか思い浮かばなかった。





「で、でもあの真緒ちゃんが男に襲われるなんて・・・いくら束になってかかっても簡単にやられる子じゃない。いったいどんな状況だったんですか?」





「それが全くわからない。心の傷は相当深いようで、完全に口を閉ざしている。私はもちろん、家族にもだ。小崎の口から話してくれないことにはどうにもならない」





「そうですか・・・」





「佐伯、お前は校内では小崎との親交がもっとも深いひとりだ。我々教師の知らないことも知っている。小崎を襲った人間に心当たりはないか?」





「んなこと言われても、真緒ちゃん強いですから、それを快く思ってない連中は腐るほどいるはずです。でもだからって真緒ちゃんを襲える奴なんて想像つきませんよ。芯愛の菅野だって真緒ちゃんには手出ししませんから」





「芯愛と言えば4月にひと騒動あったそうだな。それに小崎は絡んでないのだな?」





「・・・真緒ちゃんは無関係です」





この状況で黒川の前で嘘はつきたくなかったが、真実は言えない。





「とにかくお前からも小崎に聞けることがあったら頼みたい。気を許してるお前なら何か話してくれるかもしれない」





「俺は、ちょっと自信ないです。でも、力になれる子がいるかもしれません」





「それはウチの生徒か?」





「はい」





「わかった、では判断はお前に任せる。だが出来る限り口外するな。学校側も対処の方針が決まっていない状況だからな」





「わかりました」





面談室から出ると、早速奈緒に電話した。





黒川から聞いたことを伝えると、





『秀、どうしよう。お姉ちゃんものすごく暗い顔で一言もしゃべらないの。どうしていいかわからない』





奈緒も泣き出した。





「俺もなにが出来るかわからん。けど、力になれそうな子に心当たりがある。その子に話していいか?」





『うん、秀お願い、お姉ちゃんを助けて』





奈緒の声も切迫していた。





秀一郎は電話を切ると、アドレス帳に登録してある女子に電話をかけた。





その1時間後、その女子を連れて小崎宅を訪れた。





「りっちゃん?」





「いろいろ大変だったみたいね。真緒ちゃんは部屋にいる?」





「あ、うん」





「案内して」





奈緒は秀一郎と里津子を上げると、真緒の部屋の前まで案内した。





奈緒はノックして、





「お姉ちゃん、秀とりっちゃんが来てくれたよ」





優しく声をかけ、扉を開ける。





「佐伯くん、奈緒ちゃん、あたしと真緒ちゃんのふたりで話させて」





「わかった。じゃあ居間で待ってる」





秀一郎は奈緒の手を取り、居間に向かった。





奈緒と並んでソファーに腰掛けてじっと待つ。





由奈がコーヒーを出してくれた。





「あの子も秀くんのお友達?」





「はい、実は彼女、御崎も過去に男に襲われてるんです。中3のときに。だから真緒ちゃんの辛さをわかってる子だと思って、頼んだら引き受けてくれたんで・・・」





「もう立ち直ったの?」





「その辺の話はしないんでよくわかりませんが、去年の夏はまだ治療中でした。睡眠薬に頼ってるって」





「でもりっちゃんはかなり立ち直ってると思う。菅野と楽しくやってるみたいだし、あの菅野も頑張ってるもん」





「だといいんだが、御崎の心にも簡単に癒えない傷があるのは事実だ。俺も思わず頼んじまったけど、これがきっかけで振り返さないといいけどな」





秀一郎も真緒のことばかり考えていたので、里津子の心情まで考えが回っていなかった。





居間の空気が重い。





30分ほど待っていたら、里津子が降りてきた。





「りっちゃん、お姉ちゃんは?」





「いま泣いてる。けど泣かなきゃダメ。とにかく泣いて泣いて泣きまくって、涙が枯れる頃には少し心がすっきりするから。さっきまでは泣くことも出来ないくらい追い込まれてた」





「なにか話してくれたか?」





「・・・かなり酷い状況だったみたい。ちょっと口にするのをためらうくらいに。あたしなんかたいしたことないくらいだね」





「そう・・・か・・・」





言葉が出ない秀一郎。





「あと、佐伯くんと話がしたいって」





「俺と?」





「いまの真緒ちゃんは男に怯えてる。あたしもそうだった。けど、気を許してる男なら大丈夫って場合もあるの」





「それが、俺なのか?」





「もし真緒ちゃんが佐伯くんを怖がらないようだったら、真緒ちゃんを優しく包んであげて。恋人を抱くような感じで」






「えっ、でもそれは・・・」





さすがに躊躇する。





奈緒の前では。





だが里津子はその辺りも理解していた。





「佐伯くん、いまは奈緒ちゃんのことは忘れて、真緒ちゃんだけ見てあげて。奈緒ちゃんもいまは両目閉じて。お姉ちゃんのために」





秀一郎が奈緒に目を向けると、苦虫を噛み締めたような顔をしている。





「秀、お姉ちゃんをお願い。あたしのことは一旦忘れて」





そう言い残し、奈緒は自分の部屋に行ってしまった。





そんな奈緒に後ろめたさを感じてはいたが、いまは真緒が最優先だと言い聞かせ、部屋に向かった。





「真緒ちゃん、俺だ。入るよ」





そっと扉を開ける。





パジャマ姿の真緒がベッドの上で泣いていた。





いつもは優しく、時に厳しく、凜とした強い女の子。





そんな真緒の泣きじゃくる姿を見ているだけでも辛かった。





そっと歩み寄り、しゃがみ込む。





「真緒ちゃん・・・」





かける言葉が見つからない。





そんな自分がもどかしく、情けない。





「センパイ、あたしの・・・手を・・・握って・・・・下さい」





震える右手を差し出す真緒。





「・・・いいのか?」





小さく頷いた。





秀一郎は涙で濡れた小さな右手を両手で優しく包み込む。





(ん?)





震えが止まった。





「よかった・・・センパイなら大丈夫・・・もしセンパイまでダメだったら・・・絶対立ち直れないから・・・」





「真緒ちゃん、大丈夫。だから今はゆっくり休もう。焦らなくていいから」





優しく抱きしめた。





「あたし・・・全部無くしちゃった・・・ファーストキスも・・・バージンも・・・大切に・・・したかったのに・・・」





「そんなのなかったことにすればいい。ノーカウントでいい」





「そんなの・・・無理です・・・怖かった・・・痛かった・・・辛かった・・・あんな終わらない地獄・・・忘れられない・・・」





「大丈夫、すぐは無理でも、時間が経てば乗り越えられる。辛いだけが人生じゃない。この先いいことだってたくさんある。必ずね」





「あたし・・・怖いです・・・男の人が・・・怖い・・・恋愛なんて・・・きっと無理・・・」





「そんなことない。真緒ちゃんかわいいし、とてもいい子なんだから、必ずいい男に巡り逢える」





「無理です・・・こんな・・・汚れた・・・あたしなんか・・・」





「汚れてなんかない。真緒ちゃんは真緒ちゃんでなにも変わらない。そんなの気にしなくていい」





「センパイ・・・」





真緒は涙が溢れ出す瞳を真っすぐ秀一郎に向ける。





真緒がなにを望んでいるのか、空気が伝えてくる。





罪悪感を感じる。





(けど・・・奈緒・・・ゴメン)





それを飲み込み、真緒に優しくキスをした。


[No.1573] 2010/05/14(Fri) 19:51:48
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regret-58 (No.1573への返信 / 57階層) - takaci

「秀、しばらくお姉ちゃんを恋人だと思って接してあげて」





「えっ?」





秀一郎の両親がまた不在なので、奈緒が出向いて夕飯を作り、ふたりで食卓を囲んでいるときに奈緒が切り出した。





「お姉ちゃんはずっと辛い思いしてた。あたしが秀と仲良くいちゃついてるのがお姉ちゃんには苦痛だったの。ずっと今まで。あたしもそれに気付いてたけど、仕方ないと言い聞かせてた。だって秀はひとりしかいないんだもん」





「それってつまり・・・」





「そう。お姉ちゃんも秀が好きなの。まあ当然かもね。一卵性の双子なんだから」





「・・・」





言葉を失う秀一郎。





「秀は気付いてなかった?お姉ちゃんの気持ち」





「まあ嫌われてはいない、好感は持たれてるくらいは感じてたけど、そこまでとは思わなかった」





「秀って意外と鈍いよね。秀を好きな女の子なんてゴロゴロいるよ。考えただけで気が滅入るよ」





苦笑いを浮かべる奈緒。





「そりゃ女の子から好かれるのは嬉しいけど、だからっていろんな子とフラフラ付き合ったりは出来ん。俺にはその・・・お前がいるんだから」





少し照れ臭かったが、はっきり伝えた。





「ありがとう。あたし、それで充分だから。それで頑張れるから。だからお姉ちゃんお願いね」





「奈緒・・・」





今まで見せたことのない、少し大人びた笑みに少し驚いていた。











食事を終え、居間でテレビを点けていたが、内容は頭に入っていない。





「どしたの?そんな難しい顔して」





「どうも腑に落ちないんだ。真緒ちゃんの行動が」





「そうだよね。あのお姉ちゃんが簡単に襲われるなんて」





「それもあるけど、なんで日曜の夜なんかに学校に行ったんだ?」





「うん、それも気になる。けど話してくれないんだよね」





「そもそもウチの学校は去年の通り魔事件からセキュリティが厳しくなってる。日曜でも部活動はあるけど、時間になれば生徒は足早に追い出されて門には鍵がかけられる。職員は専用の通用門があるけど、そこは常に施錠されてるから生徒は使えない」





「それってつまり、お姉ちゃんは学校に入れない状況だったってこと?」





「ああ、生徒も入れない。部外者は絶対無理。ある意味では密室なんだ。犯人はどうやって校内に入り、真緒ちゃんを連れ込み、出て行ったのか謎なんだ」





「でもそれはお姉ちゃんが話してくれるのを待つしかないよね」





「そうだな。とにかく物騒な状況なのは間違いないってことだな。奈緒も夜のひとり歩きとかするなよ。じゃあ送るよ」





秀一郎が立つと、





「あ、大丈夫。今日は泊まるから。もうウチにはそう言ってあるから」





奈緒はあっけらかんと答えた。





「へっ?でも明日学校だぞ」





「そんなの関係ない。明日から秀はお姉ちゃんの恋人。でも今夜はあたしが秀を独占する」





ぎゅっと抱きしめてきた。





「奈緒?」





「今夜は寝かさないで。限界まであたしを愛して」





「・・・わかった。大好きだよ、奈緒・・・」












翌日の放課後、秀一郎は黒川からまた面談室に呼ばれた。





ただ今日は、里津子も一緒だった。





「御崎、小崎はなにか話してくれたか?」





「具体的なことはまだです。ただ、数時間に渡って10人以上の男にマワされたみたいです」





「じゅ、10人以上?」





驚く秀一郎。





「あたしのときは3人でした。それでも延々と続く終わらない地獄だった。真緒ちゃんはその数倍。考えただけでぞっとします。普通の子なら精神崩壊します」





「御崎、お前もレイプ被害者か?」





「はい、中3のときです。だから他人事とは思えなくて」





「立ち直るまで相当かかるだろうな」





「2学期から登校出来るようになれれば早いほうだと思います。1学期は無理です。しばらくは自分の部屋から出られないはずです」





「まあ期末テストは終わってるし、夏休みまで休んでも大きな問題にはならないだろう。ただそれより気になるのは・・・」





「真緒ちゃんと犯人がどうやって学校内に入ったか、ですね」





秀一郎が指摘すると、黒川の顔が変わった。





「生徒が出入りするふたつの門には監視カメラが付いている。その画像を確認したが、小崎は写っていなかった。フェンスも高くなっている上に有刺鉄線もあるのでよじ登るのは不可能。フェンスを破った形跡もない。残るは・・・」





「監視カメラのない、常に施錠されている職員専用出入り口ですね?」





「・・・そうだ」





黒川の顔が一層厳しくなった。





「それってつまり、先生の誰かが絡んでるってことですか?」





驚く里津子。





「認めたくはないが、そうなる。だから校長も教頭も頭を痛めている。ただでさえ去年の不祥事があって、そこに加えて今回が集団レイプとあっては、当校は致命的な打撃を受ける。それは避けたいというのが上の考えだ」





「つまり、真緒ちゃんに訴えるなということですか?」





秀一郎が詰め寄る。





「それが本音だが、あくまで小崎本人の意思が最優先だ。そこまでは言えん」





「でも佐伯くん、訴えないのもありなんだよ」





「御崎?」





「真緒ちゃんは被害者だから、警察に被害届を出すのが筋だよ。けどそうすると、長い間その記憶と向き合うことになる。それはとても辛い。とにかく早く忘れたい。もういっそのことなかったことにしたい。そうしたほうが早く立ち直れるなら、訴えない選択肢もあるの」





「じゃあ御崎も・・・」





「うん、訴えなかった。だって早く忘れたかったから」





「こういったレイプ事件の被害者女性が訴えない率はかなり高いと聞く。小崎と両親がどうするかだな」





「けど今は訴えるとか訴えないとかそれ以前の問題です。どうすれば真緒ちゃんが立ち直れるのか、また心の底から笑えるようにしてあげるようにするのがあたしたちの役目です」





「そうだよな・・・」





そのために秀一郎は真緒の恋人役になる。





「とにかく動こうにも情報が少ない。小崎が語ってくれるのを待つしかない。ふたりとも頼む」











面談室を出て、ふたりで学校を出た。





「佐伯くん、今回の件で和くんも動いてくれるから」





「菅野が?」





「まだ情報が少ないからあくまで推測なんだけど、犯人は真緒ちゃんに強い怨みを持った人間のはず。それのきっかけで考えられるのは・・・」





「4月の芯愛の騒ぎか。確か原田って男だったな」





「もしそれが発端なら、真緒ちゃんは訴えられない。裏で話をつけたんだから、今回も裏で動くしかない。和くんは原田の動向を探ってる。あのあとどうなったのかうやむやだったからね」





「もしそうだとすれば、あまり関われんな。下手に首を突っ込んだら大怪我しそうだ」





「とにかくいろいろ調べないとね。あたししばらく真緒ちゃんの部屋に通うから。佐伯くんはバイトでしょ?」





「ああ。俺もバイト終わったら顔出そうかと思ってるけど、ちょっと躊躇ってもいるんだよなあ」





「なんで?だって今の真緒ちゃんが唯一心を許してる男でしょ?」





「と言われても、避けられてるんだよ。何回かメール打ったけど返信来ないんだ」





「そっかあ。まあ無理もないかなあ。いくら奈緒ちゃん認めたと言っても、さすがに遠慮するよねえ。佐伯くんも割り切れてないでしょ?」





「なんでお前まで知ってんの?」





今日から真緒の恋人役になるのは昨夜に奈緒が言い出したばかりで、秀一郎は誰にも言ってない。





「今朝、奈緒ちゃんからメール来たもん。あたしからも真緒ちゃんが佐伯くんに甘えられるようにフォローお願いってね」





「そっか・・・」





「佐伯くんは佐伯くんで大変だと思うけど、頑張ろ!」











里津子に励まされたものの、やはり完全には割り切れない。





いくら事情があるとは言え、恋人の目の前で仮の恋人役になることに抵抗を感じる。





バイト先で所長の峰岸に相談すると、





「佐伯くんは毒の味を知り、それに耐える強さが求められてるんだろうね」





と言われた。





「毒の味って、どういう意味ですか?」





「人は時として、間違ってると理解しててもその間違った道に進まなければならない時がある。それはとても抵抗があるし後ろめたい。場合によってはそれに耐えられないかもしれない」





「つまり、人生の毒みたいなものって意味ですか?」





「そうだね。不条理を飲み込む強さ、それでも自分を失わない強さだ。まだ高校生には荷が重いことだろうが、人生いつかはそんな経験を積む日が来るんだ」





(毒の味か・・・)





峰岸の言い方は妙な説得力があった。





バイト中に携帯がメール着信を知らせる。





(御崎からか・・・えっ?)





『真緒ちゃん、襲われたときに携帯だけ奪われてた』





(そっか、それで返信ないんだ。でも・・・)





なにか引っ掛かった。











バイトから上がると、真っ先に小崎宅に向かった。





「秀、急いで!」





着いてすぐ、奈緒に引っ張られる。





そのまま真緒の部屋へ。





里津子が真緒の側で戸惑い顔をしている。





「真緒ちゃん?」





その真緒は顔が真っ青で震えていた。





考えるより先に身体が動いた。





真緒の手を握り、両腕で抱きしめる。





「センパイ・・・」





「いいからなにも考えるな。落ち着いて、気持ちを楽にして・・・」





やがて震えは止まり、穏やかな寝息をたて始めた。





そのまま静かに寝かせ、3人は部屋を出た。





「いや佐伯くん凄いね。あんなに取り乱してた真緒ちゃんを一発で寝かせちゃうなんて」





「去年、奈緒が同じような状況になったんだ。例の議員秘書騒ぎの後でな」





「あたし、あの頃ちょっと情緒不安定で思い出しては震えてた。けど秀に抱っこしてもらったら落ち着いて寝れたから」





「ふうん、やっぱ双子なんだね。でも真緒ちゃんは少しでも眠らないと。たぶん襲われてから一睡もしてなかったから」





「薬、出てないのか?」





「出てるけど、頼りたくないんだって。普通の子ならそれに耐えられなくて薬に頼るんだけど、真緒ちゃんはそこまで心が折れてない、って言うか折れられない感じ」





「どういう意味だ?」





「真緒ちゃん、なにか隠してる。たぶん間違いない」





「隠すって、なにをだ?」





「事件の真相とか、襲われた原因とか、核心のことを隠そうとしてる。話したくても話せない。なにかに縛られてる」





「本当か?」





「あくまであたしのカンだよ。そういうのは抱え込まずに話したほうが絶対に楽になるから、ちょっと無理っぽく聞き出そうとしたんだよね。そしたらあんなに取り乱して・・・よっぽど強いなにかに縛られてる」





「それを話してくれればいいんだけど・・・真緒ちゃんって結構頑固なとこがあるからなあ・・・」





頭を抱える秀一郎。





「そうだね。お姉ちゃんは口が堅いからね」





奈緒も暗い顔を見せる。





「けど、ヒントは見つかった」





その中で里津子の瞳が輝く。





「奪われた携帯か?」





「うん。真緒ちゃん、そのことも隠そうとしてた。状況を考えれば妙だよ。財布が手付かずで携帯だけ奪われるなんて、絶対なにかある」


[No.1574] 2010/05/21(Fri) 20:05:21
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真緒が襲われてから4日。





事件は裏側から調べられている。





とにかく真緒はなにも話さない。





秀一郎からもそれとなく聞き出そうとしたが、肝心なところは語ろうとしない。





ショックで話せないと言うより、強い意思で固めて口を割らないようにしていると感じていた。











昼休み。





秀一郎は学食に向かおうと席を立った。





「佐伯くん」





沙織が声をかけてきた。





「ん、なに?」





「今日も学食?」





「ああ、ちょっと真緒ちゃんの休みが長引きそうだからな。夏休みまでは学食だ」





「あの、よかったらこれ・・・」





と、ナプキンに包まれた弁当箱を差し出してきた。





「えっ、俺の分?」





「ゴメン、迷惑だった?」





「いや、そんなことはないけど・・・ホントにいいの?」





「うんっ!」





沙織の笑顔が輝いた。





元旦に沙織の手料理を食べたが、弁当も同じように美味しかった。





「よかったあ。佐伯くんの好みじゃなかったらどうしようかと思ってたから」





「んなことないって、桐山は料理上手いんだから自信持てよ」





「ありがとう。でも不謹慎だけど、真緒ちゃんに感謝かな」





「なんで?」





「だって真緒ちゃんが休んでるから、あたしのお弁当食べてもらえる機会が出来た。あたし、最近真緒ちゃんの姿見てないから少し気になってたけど、りっちゃんに相談したら背中押してくれたんだ」





「御崎が?」





「うん。その・・・真緒ちゃんしばらく休むから、その間は奈緒ちゃんのお弁当食べれないからって聞いたの。それならって思ってね」





「そっか」





「あたし、真緒ちゃんが元気になるまではお弁当用意するよ。いいかな?」





「いいもなにも、俺としてはありがたいよ」





沙織の申し出を断る理由がなかった。





だが、内心は複雑だった。











放課後、面談室に集まる前に里津子に聞いた。





「お前、桐山にどこまで話したんだ?」





「なにも言ってないよ。ただチャンスだよって言っただけ」





「チャンス?」





「佐伯くんが奈緒ちゃんのお弁当が食べれない状況。ある意味では距離が開いてる。沙織にとってはチャンスでしょ」





「ちょっと待て、俺はいま真緒ちゃんの恋人役やってんだぞ。こんな状況で桐山まで相手しろって無理だろ」





「ただ沙織のお弁当食べるだけじゃない。そんな負担じゃないでしょ?」





「・・・絶対それだけじゃないだろ?」





「まあねぇ。ま、沙織の頑張りと佐伯くんの捉え方次第かな」





「お前の狙いはなんだ?」





「特にないよ。ただ佐伯くんに選択肢を与えただけだよ。奈緒ちゃんに真緒ちゃんに沙織。誰を選ぶかは佐伯くんの意思だから」





「そんな選択肢はいらん。ひとりで充分だ」





「佐伯くんってそーゆーところ真面目とゆーか、一途だよね。ま、それはいいことなんだけど、も少しアバウトになってもいいと思うなあ」





「フラフラしてたら木刀の餌食になりそうだから嫌だ」





槙田涼の鋭い目つきを思い出す。





「ま、ゆっくり考えなよ。焦る必要ないんだからさ」





面談室の扉を開くと、既に黒川が待っていた。





「毎日すまないな。小崎はどうだ?」





「真緒ちゃんはなにも話しません。でも手掛かりは見つかりました」





「なんだ?」





「襲われる直前に島村美樹って子とメールのやり取りしてました」





里野子の報告で新たな名が浮上した。





「島村って、ウチでそんな名前の先生がいたんじゃないか?」





「ああ、2年で世界史を教えている。家は確か・・・小崎とそんなに離れてない。同じ学区内になるはずだ」





「真緒ちゃんの中学時代の友達です。妹の奈緒ちゃんも知ってました。違う高校になったんで少し疎遠になったそうですが、仲は良かったみたいです」





「島村先生にはそれくらいの娘がいたはずだ。たぶん同一人物だろう。しかし島村先生とはな」





「どんな先生なんです?」





秀一郎も里野子も学年が違うのでよく知らない。





「生徒の評判は悪くない。丁寧でわかりやすい教え方をする。ただ最近顔色が良くない。噂では大きな借金を抱えたと聞いているが・・・」





「あたしたちは美樹ちゃんの方から調べます。先生は島村先生の調査をお願い出来ませんか?」





「わかった」





ふたりは面談室を出た。





「なあ、その島村美樹ちゃんだっけ。どうやって調べたんだ?真緒ちゃんが話したんじゃないだろ?」





「和くんのルートで真緒ちゃんの携帯の通話とメールの履歴を追ったの。そしたらその子の名前が出てきた。あ、このこと真緒ちゃんには内緒だからね」





「さすが菅野だな。で、どうすんだ?その美樹ちゃんって子に会いに行くのか?」





「それはまだ。その子がどう絡んでるのか下調べしてから。でももうそんなに時間はかからないよ」





里野子は調査のため菅野のもとへ向かい、秀一郎もバイトに行った。





バイト中に里野子から『事件の概要は掴めた』とメールが来た。





バイトが上がり、真緒の部屋に。





少し微笑みを見せるようになったが、表情は固い。





ほどなくして里野子も来た。





「真緒ちゃん、もういいよ。今夜中にケリがつくから」





「えっ?」





真緒の顔が変わった。





「美樹ちゃんの安全は確保した。島村先生も全てを認めた。犯人も半分は捕まえたし、バックの連中も押さえた。だからもう大丈夫」





「美樹は・・・美樹は無事なんですか?」





「あたし美樹ちゃんに会ってきた。少し参ってる感じだけど、今の真緒ちゃんよりはよっぽど元気だよ。彼女も真緒ちゃんのこと心配してた」





「そんな・・・あたし・・・心配される立場じゃない・・・あたしが・・・美樹を・・・巻き込んで・・・」






ボロボロと泣き出す真緒。






「どういうことなんだ?説明してくれ」






「全ては真緒ちゃんを陥れるための巧妙で卑劣な罠だったの」











犯人は原田の残党たち。





真緒の圧倒的な強さに恐れつつも強い怨みを抱き、復讐のために入念な下調べをして、友人の島村美樹をターゲットにした。





父親を罠に嵌め、莫大な借金を吹っ掛け、その引き替えに娘の美樹の身体を奪った。





徹底的に凌辱の限りを尽くし、さらにその映像を闇ルートで販売した。





そして美樹と父親の立場を利用して密室になる日曜夜の泉坂高校に真緒を呼び出し、美樹を人質にとり、その映像を見せ付けた。





真緒にショックを与え、戦意を喪失させるには充分だった。





そして真緒は抗うことが出来ず、親友の目の前で凌辱された。





もし真緒が口を割れば、美樹に更なる被害が及ぶ。





だからなにも言えなかった。





「なんて奴らだ。心底腐ってやがる」





怒りをあらわにする秀一郎。





「真緒ちゃんを襲った全員残らず今夜中に身柄を押さえる。雁首揃えて詫び入れさせれるけど、どうする?もう顔も見たくないよね?」





「・・・はい。今更謝られても・・・許す気には・・・なれません・・・」





「じゃあそいつらは和くんに任せる。もう二度と復讐しようなんて思わせないくらい徹底的にやってもらうから」





こう言い切った里野子の顔に秀一郎は少し寒気を感じた。











翌日、まず菅野と里野子が揃って報告に訪れた。





「いろいろ迷惑かけてすみません」





真緒はか弱い声で菅野に頭を下げた。





「いや、詫び入れるのはこっちだ。俺がきちんと後始末しなかったことが今回の件に繋がった。あのとき助けてもらったあんたにこんな辛い思いさせちまって、本当にすまなかった。きっちり全員オトシマエつける。もう二度と顔を合わせることはないだろう」





「どうするんだ?」





秀一郎が尋ねると、





「・・・世の中には知らないほうがいいってことがある。だから聞くな。とにかく任せろ」





「かなりあくどいことを繰り返してた連中だから、同情の余地はないよ」





菅野も里野子も冷たい目でそう答えた。











その日の夜。





泉坂高校の校長が島村教諭と娘の美樹を連れて謝罪に訪れた。





「真緒、ごめんね。あたし弱いからなにも出来なくて・・・ホントゴメン・・・」





「美樹は悪くない、全てはあたしが無茶して、それが美樹を巻き込んじゃった。ゴメン・・・」





抱き合い泣きながら謝るふたりの親友。





「全ては私が原因です。ちょっとした油断が生徒を、真緒さんに取り返しのつかない傷を負わせました。本当に申し訳ありません」





島村が両親と真緒に土下座して頭を下げた。





「私どもは去年、真緒さんに助けていただきました。その恩を仇で返す形になり、弁明の余地はありません。誠に申し訳ございません」





校長も揃って土下座した。





両親の真也と由奈も態度を硬化することはなかった。





全ての発端は真緒が振るった『強すぎる力』。





それがわかっていたので、強い言葉を言えなかった。













「結局、金で解決か。なんかやり切れないな」





全てが終わり、奈緒の部屋で秀一郎がぽつりとそう漏らした。





事件は表ざたにはせず、泉坂高校と加害者から多額の慰謝料を支払うことで和解した。





さらに島村教諭は責任をとり依願退職。





「でも、失ったものはもとに戻らない。戻せって言うのも無理な話。だからお金で解決するしかないんじゃない?秀のバイト先の弁護士事務所で扱う事件もほとんどがお金で解決でしょ?」





「まあなあ。でも、金を払ってはい終わりってのもなあ。まあそれが大人の世界なんだろうけど、真緒ちゃんが負った傷は金で解決出来んぞ。もとに戻るまでどれだけかかるか・・・」





「そうだね。でもそのためにあたしたちが頑張らなきゃ。秀もしっかりお姉ちゃんお願いね」





「ああ」





今後の方向性は決まりつつも、やり切れない後味の悪さを感じる秀一郎だった。


[No.1575] 2010/05/28(Fri) 19:37:52
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夏休みに入った。





だが秀一郎たち3年生は夏期講習があるので長期休暇の気分はない。





いつも通り学校に行き、バイトもこなす日常生活。





そして最初の土曜日、





1日休みのこの日、秀一郎は車で小崎宅を訪れた。





「おはよう、秀」





奈緒が出迎える。





「ああ、おはよう。で、真緒ちゃんは?」





「まだ準備中。お姉ちゃんはホント遅いからねこーゆーのは、まあ頑張るのはいいんだけどさ」





少し呆れ顔の奈緒。





待たされること20分ほど、





真緒が出てきた。





「センパイおはようございます。お待たせしてすみません」





「いやいや気にしないで、これくらい待たされるのこいつで慣れてるから」





と奈緒を指差す。





「女の子がデートの準備に時間かかるのは仕方ないの!それにほら、お姉ちゃんかわいいでしょ?」





確かに真緒はいつものシンプルな服装ではなく、女の子らしいスタイルに身を包んでいる。





「うん、真緒ちゃんそーゆーの似合うよ。奈緒よりセンスいいんじゃない?」





「あ、ありがとうございます。うれしいです」





笑顔を見せる真緒。





「う〜っ・・・」





引き合いに出されてからかわれた奈緒は膨れっ面。





「じゃ、そろそろ行こうか」





「はいっ!」





ふたりは車に乗り、真緒はウインドウを下げた。





「じゃ、奈緒、今日1日センパイ借りるね」





「うん、デート楽しんできてね」





笑顔で見送る奈緒。





ゆっくりと車は発進した。





見えなくなると、奈緒の笑顔が曇っていた。





「けど奈緒も変わったよな。あんな笑顔で見送るなんてさ」





「けど、今頃は拗ねてると思いますよ。センパイが他の女の子と仲良くしてるのはホント嫌みたいですから」





「まあ多少のやきもちはかわいいし、俺もそうあって欲しいと思うけど、奈緒は度が過ぎてるからなあ」





「けど、それだけセンパイが好きなんですよ。奈緒が風邪引いて桐山先輩が代役で行ったデートの日もずっと不機嫌でしたから」





「そっかあ。けど俺にはなにも言ってきてないけどなあ」





「その日の夜に、あたしが騒ぎ起こしてそれどころじゃなくなりましたから」





「あっ、ゴメン」





秀一郎が沙織とデートして、ちょうどキスをしていた頃、真緒は泉坂高校で襲われていた。





「いえ、大丈夫です」





笑顔を繕う真緒。





「ちゃんと寝てる?ごはん食べてる?」





もともとスレンダーな真緒だが、事件以降はさらに痩せたように見える。





「まあ、なんとか倒れて迷惑かけない程度にはやってます。薬に頼るのは嫌なんですけど、でも・・・ないとダメですね」





「御崎もまだ薬使ってるって聞いた。でも元気に楽しそうにやってる。頼るものは頼るべきさ。焦る必要はないんだからさ」





「はい。それに、よかったこともあります。もうお仕事しなくてもよくなりましたから・・・」





「真緒ちゃんには負担だった?グラビアとかは」





「そうですね。奈緒は楽しんでたみたいですけど、あたしはちょっと・・・だから少しだけホッとしてます」





「そっか」





真緒と奈緒は外村の会社で芸能活動をしていたが、契約打ち切りになった。





真緒が襲われたときに映像が撮られ、それがネットの裏サイトから流出していた。





判明してから菅野のルートで即消去させたが、漏れた事実は明らかで、これが真緒の契約不履行に抵触してしまった。





外村にも事情を説明して理解はしてもらえたが、仕事とは別問題ということで契約解除になってしまった。





「でもこれで真緒ちゃんは普通の女の子に戻ったわけだ。それはいいことかもしれんな」





「そうですね。雑誌に載る度に騒ぐ男子にはうんざりしてましたから」





「これからは気がねなく外を歩けるんだから、前向きに行こう」





「はい」





真緒の笑顔が繕った感じから、ほんの少しだけ自然になった。











夏休みに行く場所は海か山。





去年は大人数で海水浴に夏祭り。





ちょっとしたトラブルもあったが、楽しい思い出。





そして今年は、今日は山に向かう。





車で2時間ほど飛ばして、着いた先は軽井沢。





避暑地では有名な場所。





「へえ、やっぱ涼しいなあ。東京とは大違いだ」





「センパイも初めてですか?」





「ああ、軽井沢ってセレブの避暑地ってイメージあるから行こうとも思わなかった。いろいろ高そうだし」





「でも、今日はそんな心配ないですからね。お小遣たくさんありますから」





今日のデート費用は全て真緒持ちになっている。





出元は支払われた多額の慰謝料。





全ては真緒を元気付けるため、真緒のためのデート。





とりあえず街に出る。





やはりどこかお洒落な感じがする。





秀一郎は少し場違いな感覚だった。





やはり避暑地のメッカ。





観光客も多い。





若い男のグループとすれ違う。





真緒の表情がさっと曇った。





少し脅えの色を見せる。





「真緒ちゃん、大丈夫」





秀一郎は笑顔で真緒と手を繋いだ。





「センパイ・・・」





「俺がついてるから大丈夫。心配ない」





「・・・はい」





真緒に笑顔が戻った。





そのまま手を繋いで歩く。





「あたし、センパイと手を繋ぐってちょっと抵抗あったんです。あ、嫌って意味じゃないですよ。ちょっと自信なくて・・・」





「自信って、なにが?」





「あたし普段から鍛えてばかりだから手が固いんです。奈緒は女の子らしい柔らかい手をしてるから・・・センパイは奈緒の手の感触に慣れてるから、変な感じ受けるんじゃないかなあって・・・」





「そんなことないよ。言われてみてなんとなく気付くレベルじゃん。ちゃんと女の子の柔らかい手だよ」





「ホントですか?」





「ああ」





「よかったあ・・・」





ホッとした笑みを見せる真緒。





手を繋いでいると、真緒は安心した顔を見せる。





ただ男の団体とすれ違うたびに、握る力が強くなる。





(真緒ちゃんの心の傷は、まだ相当深い)





強い力を感じるたびに、秀一郎はそう思っていた。





いろんな店を見て回り、ちょっと豪華そうなレストランで昼食をとる。





基本的に真緒は笑顔を見せているが、若い男の団体が目に入る度に脅えの色を見せる。





昼食後もいろいろ廻ろうとしたが、真緒の精神が限界に近いと感じていた。





公園に入りベンチに腰掛ける。





「真緒ちゃん、今日はもう帰ろう」





「えっ、でもまだいろいろ行きたいところが・・・」





「今日の真緒ちゃんじゃ無理だ。ほら、手がこんなに汗ばんでる。もっと暑いところで手を繋いでてもこんなにはならない。緊張し過ぎだ」





「そ、そんなことないです。ちょっと恥ずかしいのとうれしいから汗ばんでるんです。センパイと手を繋いで歩くなんてうれしくてドキドキしっぱなしで・・・」





「それは違う。真緒ちゃんはまだ脅えてる。男の集団を目にする度に力が入ってる。心を落ち着けるにはここは人が多過ぎる。いまの真緒ちゃんにはまだ早い」





はっきりそう伝えると、真緒の笑顔が消えた。





「・・・はい、やっぱり怖いです。センパイが手を繋いでくれてなかったらまともに歩けなかったかもしれません」





「そんな状態じゃこれ以上は無理だ」





「でも、まだ終わらせたくないです。せっかくセンパイとふたりっきりの1日なのに・・・」





「いつでも付き合うよ。けどもっと元気になってからね。何度も言ってるけど、焦らなくていい。焦っちゃダメなんだ。ね」





優しく言い聞かせる。





「はい。じゃあひとつだけ、あたしのわがまま聞いてください」





真剣で真っすぐな目をぶつけてきた。





「ん、なに?」





笑顔で応える秀一郎。





真緒は秀一郎の身体を抱きしめた。





「これから・・・あたしを抱いてください」





「・・・」





言葉を失う。





状況を整理するのに少し時間を要した。





「あの、それは・・・こうやって抱きしめる、って意味じゃないよね?」





首を横に振る真緒。





「・・・本気で言ってるの?」





今度は首を縦に振る。





とにかく困った。





「真緒ちゃん、確かに俺はいま、真緒ちゃんの恋人役だ。でもだからってそこまでは出来ないし、真緒ちゃんもそれを許しちゃダメだ。もっと自分を大切に・・・」





「あたし、怖いままなのは嫌なんです」





「だからそれは少しずつ時間とともに・・・」





「無理です。あたしにとってセックスってレイプだけ。あんな怖くて、辛くて、痛くて・・・思い出す度に震えます。でも奈緒は、あの子はセンパイに抱かれた翌日はホント上機嫌で幸せそうで・・・やってることは大差ないのに、全然違う。だからあたしも幸せな気分を感じたいんです」





「だからそれは真緒ちゃんが本当に好きな誰かと巡り逢えれば・・・」





「だから、それがセンパイなんです」





「えっ?」





「今日あらためてそう感じました。センパイが側にいてくれれば、あたしは笑顔でいられる。センパイが手を繋いでくれたから街を歩けた。だからセンパイならあたしの全てを捧げられます。だからお願いです、あたしを・・・」





「でも・・・」





「やっぱり汚れた女の子は抱きたくないですか?」





涙目でこんな言葉を発する。





「そ、そんなことない!」





思わず強い言葉で否定した。





と同時に、後戻り出来ないとも感じた。





「お願いします、こんなこと頼めるのセンパイだけです。奈緒には絶対に秘密にします。迷惑なのはわかってます。けど・・・お願いします」





泣きながら懇願する真緒。





いまの秀一郎にはこの申し出を断る言葉が見つからなかった。












強い罪悪感を感じた。





プレッシャーもあった。





だがそれらを全て飲み込み、真緒の身体を優しく抱いた。












「あたし、奈緒がセンパイに夢中になるわけがなんとなくわかった気がします」





「なんで?」





「だって、センパイすごく優しいし、気持ちいい。全然違いました。抱かれるってこんなに素敵なんですね」





屈託ない笑顔を見せる真緒。





「俺はとにかく真緒ちゃんに笑顔が戻ってホッとしたよ。奈緒と初めてのときより緊張した。一歩間違えれば悪化する危険性大だったからなあ」





「奈緒とあたし、センパイはどっちがよかったです?」





「それは・・・聞かないでよ。マジ答えに困るから」





本当に困り顔を見せる秀一郎は、心地よい疲労感とともに大きな罪悪感を感じていた。


[No.1576] 2010/06/04(Fri) 19:43:29
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夏休みも終盤。





受験生の今年は長期休暇という感覚がなかった。





夏季講習も多く、バイトも忙しかった。





さらに全国模試。





ここでの成績が悪ければ秀一郎はバイトを辞めることになっていたが、なんとか基準の成績はクリアして続けられることになった。





とにかく慌ただしい日々で、まともに遊べなかった。











「よっ、佐伯くん」





「おっ、御崎か」





講習が終わり昇降口で里津子が声をかけてきた。





「これからお昼一緒にどうかな?今はお弁当ないんだよね」





夏季講習は原則午前の4時間のみなので弁当の必要はない。





「ああ、別にいいよ」





ということでふたりは近所のファーストフード店に行った。





「真緒ちゃんの回復が思ったより全然早くてよかったよ。あれなら2学期から登校出来そうだね」





「そうだな。普通に笑うようになったし、朝練でも切れが戻ってきたからなあ」





「でも、佐伯くんが真緒ちゃんにしてあげたことは女の子としてはどうかと思うけどね」





ギクッとした。





それが顔に表れる。





里津子はポテトをくわえながら思いっきり意味深な目を向けている。





「・・・なんの話だ?」





とりあえずとぼける秀一郎。





「まあ、今は佐伯くんと真緒ちゃんは恋人同士だからなにしようと勝手だけどさ、越えてはならない一線てあるでしょ」





どうやら全て見透かされている。





真緒を抱いたことはふたりの秘密になっている。





秀一郎がバラすわけにもいかないし、口の固い真緒がしゃべったとも思わない。





たぶん真緒のちょっとした変化に感づいたんだろう。





以前もカマかけられてつい秘密を口にしてしまったことを思い出す。





「俺は真緒ちゃんが元気になるようにしてあげただけだ。それがよかったんだろうな」





「まあねえ、真緒ちゃんも佐伯くんが好きだし。好きな人に抱かれるって元気付けられるもんねえ。あたしもそうだったし」





「んっ!?」





驚いてポテトが詰まりそうになったが、レモンティーで流し込んだ。





「お前なあ、いくら知った仲とは言え、そんなこと男の前で言うなよ」





要は里津子は菅野に抱かれたことを告白したようなものである。





「あたしは佐伯くんと本音トークがしたいだけ。だからここだけの話。嘘や隠し事はなしで行こうよ」





里津子は本気の目を見せる。





「わかったよ。んじゃあらためて聞くけど、真緒ちゃんがしゃべったわけじゃないだろ?」





「真緒ちゃんはなにも言ってないよ。けど態度見ればバレバレ。佐伯くんに抱かれたのがよっぽど嬉しかったみたいね。エッチに対する恐怖感もなさそうだし」





「まあ、結果的に真緒ちゃんが回復したからよかったけどな」





「で、どっちから言い出したの?佐伯くん?それとも真緒ちゃん?」





「俺がそんなこと真緒ちゃんに言うと思うか?」





「う〜ん、あたしの知ってる佐伯くんなら、言わないよねえ」





「それが正解。俺にはそんな度胸ない。真緒ちゃんがあまりに必死に言い出して、俺も断りようがなくて・・・って言い訳にもならんけど、でもマジでプレッシャーだったよ。一歩間違えれば悪化する可能性大だ」





「そこまでわかっててやったんならあえてなにも言わないけどさ、けど罪悪感みたいなもの感じなかった?」





「あるに決まってる。奈緒には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。バレたらグズるくらいじゃ済まんだろうし」





「最近奈緒ちゃんと逢った?」





「なんだかんだでほぼ毎日顔は逢わせてる。真緒ちゃんの部屋には通ってるんだからそのときにな」





「どんな話してる?特別変わった様子ない?」





「いや特には。ただ最近わがまま言わないなあ」





「そっか。奈緒ちゃん大人になったね」





「どういう意味だ?」





「奈緒ちゃん、とっくに気付いてるよ。佐伯くんが真緒ちゃんを抱いたこと」











ハンバーガーの味がしなくなった。





「・・・マジか?」





秀一郎の顔が変わる。





「気付くなってほうが無理な話かもね。だってあの真緒ちゃんの急激な回復を目の当たりにすれば。真緒ちゃんも佐伯くんが好きなのわかってるし、それであの元気の出方を見ればどんな鈍感でも気付くよ。好きな人から隅から隅まで愛されたってね」





「けどあいつなら絶対に文句のひとつやふたつは言って来るぞ」





「そこを我慢してるんだよ。そもそも奈緒ちゃんが佐伯くんに恋人役頼んだんだから言えないんだろうね」





「あの奈緒が・・・」





言葉を失う。





「で、いつまで真緒ちゃんの恋人役続けるの?」





「それが悩みの種なんだよ。もうかなり元気になったからそろそろ終わりにしようか、って真緒ちゃんに切り出したら、すごく悲しい顔されてさ。なんか今にも泣き出しそうな感じになって。そんときは慌てて撤回したんだけど、それっきり」





「ちょっと、さすがにそれはまずくない?」





「そうなんだよ。真緒ちゃんは終わらせたくないみたいなんだ。だからってこのままズルズルってわけにもいかんし、なんとか上手くキリつけたいんだよなあ」





「もうそろそろ奈緒ちゃん我慢の限界だよ。全然構ってあげてないでしょ?」





「まあバイトやら講習やらで忙しかったし、空いた時間は真緒ちゃんの相手だったからなあ。ホント顔逢わせて少し話するくらい」





「ぶっちゃけ聞くけど、真緒ちゃんの相手し始めてから奈緒ちゃん抱いてあげた?」





「・・・いや、全然」





「じゃあ、真緒ちゃん抱いてばかり?」





「そ、そんな頻繁にはやってないぞ。ただ、真緒ちゃんから誘われると断れないっつーか・・・」





「佐伯くん、自分で言ってて危機感しない?」





「・・・感じてるよ。思いっきりな」





かなり焦燥感漂う顔つきになっている。





「まあ佐伯くんはいいよ。相手が奈緒ちゃんから真緒ちゃんに替わるだけだし。けど・・・」





「ちょっと待て、全然よくない。あくまで真緒ちゃんとは期間限定だ。こんなことで奈緒を失いたくないぞ」





必死に弁明する秀一郎。





「でもさあ、男が手を出しておいてそれで終わりにしようとはちょっと言い出しにくくない?ましてや真緒ちゃんから誘うなんて、よっぽど好かれてるよ。そんな真緒ちゃんが終わりにしようと言い出すとは思えない」





「・・・そう、なんだよなあ・・・」





「こりゃ一歩間違えば泥沼だね。双子の姉妹がひとりの男を廻る争いか。なんかドラマになりそう」





「冗談のつもりで言ってるんだろうが、マジでそうなりそうだから怖いんだよ。あ〜なんで真緒ちゃん抱いちゃったんだろ。これで奈緒無くしたらめっちゃ後悔するぞ」





「いまさら悔やんでもしかたないでしょ。もうなるようにしかならないんじゃないかな」





「どうなるんだよ?」





「まあ普通の子なら愛想尽かしておしまいなんだけど、姉妹揃って愛情いっぱいだもんね。奈緒ちゃんと真緒ちゃん、強いほうが勝つんじゃない?」





「んじゃ真緒ちゃんが勝ったら、俺は真緒ちゃんと付き合うのか?」





「不満?」





「てゆーか思いっきり気まずいだろ!」





「じゃ奈緒ちゃんと元に戻ったなら、真緒ちゃんとは気まずくないの?」





「そりゃあ、全くってわけにはいかないけど、そもそも真緒ちゃんとは期間限定で始まったんだ。だからその期間が終了ってほうが多少すっきりする」





「まあ理屈は通るよね。でも感情がそこまで簡単に割り切れるもんじゃないと思うけどなあ」





「いまさらこんなこと言うのもなんだけど、真緒ちゃんの性格が掴み切れん。ふたりとも気が強くて負けず嫌いなのは一緒だが、奈緒は駄々っ子で真緒ちゃんは聞き分けがいいって感じだったけど、真緒ちゃんも結構我が強いっつーか・・・」





「逆よ逆。奈緒ちゃんのほうが従順。真緒ちゃんは引かないタイプね」





「え?奈緒が従順?」





「だってあの子、佐伯くんの言うことはちゃんと従うもん。表面上はわがまま駄々っ子だけど、根っこは佐伯くんのイエスマン。だから佐伯くんも奈緒ちゃんがいいって思うのよ。付き合いやすいから」





「いや、そんなふうに思ったことはないぞ。奈緒のほうが手を焼くから・・・」





「いつもわがまま駄々っ子で手を焼くけど、それは許容出来るレベルで本気で困らせることはしない。で、いざというときは従順に従う。それが奈緒ちゃん。天然なのか確信犯なのかはわからないけどね」





言われてみて振り返ると、確かに奈緒は秀一郎を本気で困らせることはしていない。





と同時に、以前真緒が言った言葉を思い出す。





『センパイは見てないですから。あの子の陰の努力を』











その日の夜。





秀一郎は机に向かい宿題を片付けているが、なかなかはかどらない。





奈緒のことが頭から離れない。





(あいつはどんな気持ちで俺と真緒ちゃんを見てたんだろう・・・)





里津子の指摘でようやく気付いた奈緒の本質。





(確かに御崎の言う通りだ。あいつは俺を本気で困らせたことはなかった。ホントに俺を気遣って・・・)











携帯が鳴った。





サブディスプレイには奈緒の文字。





「もしもし」





『秀、ゴメン、あたし帰れなくなっちゃった』





やけに暗い声が不安にさせる。





「は?いまどこにいるんだ?」





『まだ付き合い始めた頃に行った時計台の前』





「あんなところに?」





ちょっと遠出して電車とバスを乗り継いで行った郊外の公園にある綺麗で立派な時計台。





現時刻は23時を過ぎている。





バスはもうないはずだ。





「今から迎えに行く。そこで待ってろ。あと家にはちゃんと連絡入れとけよ」





『ゴメンね』





簡単に身支度をして、すぐ車に飛び乗った。





(普通なら1時間くらいかかるけど、この時間ならそこまでかからん)





空いた道を少し速いペースで走る。





しばらくするとフロントウインドウに雨粒が当たり出した。





(急がないと)





アクセルを踏む右足に力を入れようとしたときに、奈緒の父、真也の言葉を思い出した。





『この車は200馬力オーバーのFR車だ。乗ってて楽しいし速いけど、ちょっとした操作ミスがスピンから事故に繋がる。雨の日、特に降り始めは気をつけるんだ』





(急ぎたいけど、それで俺が事故ったら本末転倒だ)





もどかしく感じながら、焦る気持ちを抑えて走る。











40分ほどで目的地の公園に着いた。





照明は点いているが、広い駐車場に他の車はない。





雨も本降りの無人の公園。





秀一郎は傘を差し、時計台に急いだ。





走ること数分。





ライトアップされている時計台が目に入る。





その前に佇む小柄な人影。





「奈緒!」





「秀、ゴメンね・・・」





「なにやってんだよ?雨宿り出来る場所いくらでもあるだろ」





奈緒は全身ずぶ濡れ。





「だって、秀がここで待ってろって・・・」





「お前バカか!」





「うん、バカだよ。だからどうしていいのかわかんない・・・」





泣き出して秀一郎に抱き着いた。





「奈緒・・・」





「あたし、お姉ちゃんが元気になるなら頑張ろうって思った。秀ならお姉ちゃんを元気にしてくれるって信じてた。そうなって欲しかったし、なれば嬉しいって思ってた。けど・・・苦しい。お姉ちゃんと秀が仲良くしてるの見るのが辛い・・・秀が遠くなる・・・見えなくなる・・・そんなわけわかんない不安でいっぱい・・・あたし・・・」





「奈緒、もういい。俺が悪かった。ゴメン」





両腕で小柄な奈緒をぎゅっと抱きしめる。





転がる傘。











時計台が午前0時の鐘を鳴らす。





(俺は気付いてやれなかった。奈緒の心が壊れかけていたことに・・・俺もバカだ。でももう迷わない)





雨に打たれながら、抱く存在の大切さにあらためて気付く秀一郎だった。












25時30分。





小雨がぱらつく首都高。





「ぐっ・・・」





淳平は綾の助手席で、いままで体験したことのない強烈な加速Gに驚いていた。





(ウェットでこの加速かよ。なんなんだこの車は)





リニューアルした綾の997ターボが牙を剥いた。


[No.1577] 2010/06/11(Fri) 20:59:01
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26時15分。





湾岸線大黒パーキングに綾のポルシェが駐まっていた。





「よし、これで満足な状態になったかな」





笑顔の綾。





隣の淳平はやや疲れ気味の呆れ顔。





「いったい何馬力まで上げたんだ?」





「そんなに上がってないよ。ピークで600弱だから。それにスクランブル外したしね」





「あれで600以下なのか?とんでもない加速だったぞ。スクランブルモード以上だ」





「確かにスクランブルで800オーバー出てたけど、あれはオーバー200キロからの加速だから体感ではそんなに大きなGはかからないの。けどいまは常時600。低速からのフル加速は凄いよ。それに馬力以上に実用域のトルクを徹底的に増やしてるから、それが大きいかもね」





「多少の雨なんかお構いなしだな。見た目ほとんど変わってないけど、なんかまた迫力出たよな」





「前後とも限界ギリギリの太いタイヤに履き換えて少しトレッド増えたからだろうね。あと軽量化。50キロ落としたから」





「もう、どこでも敵無しじゃないか?」





「そんなことない、あたしより速い車はたくさんいるよ。それにやっぱり湾岸線では遅くなった。前はスクランブルで200マイル超えれたけど、今だと310キロってとこかな」





「それでも充分過ぎるほど速いけどな。で、こんな化け物どうすんだ?なんか目的あってこの仕様に仕上げたんだろ?」





「そうだね。あとは走り込んで向こうの出方待ちかな。あっちはまだ仕上がってないみたいだし」





「向こう?誰かと勝負するのか?」





「あたしはそんな気ないんだけど、向こうはやる気だから」





「いまさらこんなこと言っても無駄だろうけど、無茶だけはするなよ」





「大丈夫、無茶せずに速く走れる車にしたんだから」





心配顔の淳平に綾は笑顔を見せた。












2学期が始まった。





始業式とホームルームが終わり、あとは帰るのみ。





「センパイ」





真緒が秀一郎のクラスに顔を出した。





そこに沙織が駆け寄る。





「真緒ちゃん、身体は大丈夫?」





「はい。夏休みにセンパイからいっぱい元気をもらいましたから」





笑顔の真緒。





そこに秀一郎も歩み寄る。





「ホントに大丈夫?周りに変な動きとかない?」





心配顔の秀一郎。





「いまのところ大丈夫です。でも平気です。あたし奈緒ほど弱くないですから」





そう語る笑顔に不安は見られなかった。





「でも真緒ちゃんが元気になったなら、あたしの役目は終わりかな」





「あっそのことなんですが、奈緒がセンパイと御崎先輩に話があるそうです」





「えっ、俺と御崎?桐山は?」





「桐山先輩はいいそうです。ですから保留ってことでいいですか?今日中にはご連絡しますので」





「え、あ、うんわかった」





とは言いながらも戸惑い顔を見せる沙織だった。











そしていつものファーストフード店に集まった。





秀一郎の隣に奈緒、対面に真緒と里津子。





「結局、奈緒ちゃんはそのポジションを取り戻したのね」





「あたしはセンパイのおかげで元気になりましたけど、その代わりに奈緒が弱ってましたから。今の奈緒にはセンパイが必須なんです」





「ふーん、でも真緒ちゃん悔しくないの?」





「もちろん悔しいです。だから今度は正々堂々とアタックします」





と、澄んだ声で宣戦布告した。





「えっ?」





驚く里津子。





「とりあえず奈緒の精神を鍛えます。いまのこの子はセンパイに依存し過ぎです。ちゃんとひとり立ち出来るようにしてからですね。姉のあたしが妹を潰すわけにはいかないんで」





真緒も秀一郎の隣という位置はとても居心地がよく手放したくなかったが、その影で奈緒がボロボロになっていたことを知ると、すんなり身を引いた。





「それで奈緒ちゃんは佐伯くんの隣を取り戻したわけだ。お姉ちゃんに頭上がらないね」





「あたし頑張るもん!秀の隣は譲らないから!」





ぎゅっと秀一郎の腕を握る。





「でもあたしももう奈緒のフォローはしません。だからお弁当は届けません」





「そうそう、今日の本題はそれ。秀とりっちゃんにクレーム」





奈緒が目を吊り上げた。





「なんだよ?」





「なんで桐山さんのお弁当食べてたのよ?」





「え、だって弁当なかったし、桐山が作ってくれるって言ってくれたから」





「どさくさ紛れにそんなことしないでよ!桐山さんだって秀を狙ってるんだよ!」





半ベソの奈緒。





「でも俺としては昼飯代が浮くのはデカいんだよ。毎日学食だと結構な額になるんだぞ」





「そうかもしれないけど・・・りっちゃんもなんで桐山さんにそんなことさせるように言ったのよ?」





今度は里津子に矛先を向ける奈緒。





「え、だってあたし沙織の味方だもん」





「「え〜っ!?」」





奈緒と真緒が揃って不満を口にする。





「そりゃ奈緒ちゃんも真緒ちゃんもかわいいしいい子だと思うけど、やっぱあたしは佐伯くんと沙織がくっついて欲しいのよ。だからふたりの距離を縮めるために沙織にお弁当のこと話したの。こうやって背中押さないとあの子動かないからね」





「でももう桐山先輩にお弁当作ってもらうことはないです。代わりにあたしが・・・」





「それはもっとダメー!」





真緒の申し出を奈緒が遮った。





「なんで?」





「だってお姉ちゃんが本気でお弁当作ったら、今までのあたしの努力が水の泡になりそうだもん」





「えっ、真緒ちゃんも料理上手なの?」





意外な顔を見せる里津子。





「奈緒に料理教えたのはあたしです。あたしのほうがレパートリー多いから、センパイを満足させる自信はあります」





少し誇らしげな真緒。





「お姉ちゃんってホントにチートキャラだよね」





ボソッとつぶやく奈緒。





「ねえ、チートってどういう意味?最近ちょくちょく聴くんだけどさ」





里津子が尋ねてきた。





「ああ、ゲーム用語でインチキって意味。RPGでいきなりレベルマックスとか、格ゲーでパラメータが異常に高いキャラとか。要は常識はずれのポテンシャルを持ってるって捕えでいいと思う」





秀一郎がそう解説すると、





「なるほどねえ。頭よくてスポーツ万能でケンカ最強、家事に料理も出来ておまけにかわいくて性格もいいか。確かにインチキだね」





「そんなことないですよ。あたしは普通なだけです。奈緒がちょっと出来ない子なんで」





「出来ない子でいいもん!秀に愛されてればそれでいいんだもん!それにベッドの上ならお姉ちゃんに負けないもん!」





「なっ、お前・・・」





赤くなる秀一郎。





「そんなのたいしたアドバンテージにならないよ。あたしもセンパイにいろいろ教わったから」





真緒も引かない。





「じゃあ秀の○★×※・・・」





「あたしだってセンパイに×¢∧∽・・・それに奈緒は※☆〇だから・・・」





姉妹で危ない会話が始まった。





ゴツン!





パシン!





「きゃん!?」





「きゃっ!?」





秀一郎が奈緒にゲンコツを落とし、里津子は真緒のおでこをはたいた。





「ふたりともやめろ。そーゆー話は自分の部屋でしろ」





頬を赤くしつつも一喝する秀一郎。





「でも佐伯くんもある意味インチキキャラだよね。双子の姉妹両方に手を出しておいて、そのふたりからこんなに愛されてるなんてさ。普通なら泥沼だよ」





軽蔑の眼差しを向ける里津子。





「まあ、否定はしないよ。俺は幸せ者だと思ってる」





「センパイが望むなら、あたしはいつでもOKですからね」





「ちょっ、真緒ちゃん、冗談はやめてよ」





驚く秀一郎。





「えっ、もう抱いてくれないんですか?」





悲しい顔を見せる真緒。





「奈緒とヨリ戻したから無理だよ。それやったら完全に浮気だ」





「でも、センパイに抱いてもらえると元気が出るんです。自信が持てるんです。だから・・・ダメですか?」





「別にあたしはいいよ」





奈緒があっさりと認めた。





「コラお前、簡単に言うな!そんなの認めるな!」





「秀はあたしが他の男に抱かれたら嫌?」





「当たり前だ!」





「ふふっありがと。そう言ってもらえると嬉しいな」





「話を逸らすな。とにかく付き合ってる男に他の子を、ましてや実の姉を抱かせるなんて間違ってるぞ」





「そうかもね。でもお姉ちゃんならしかたないよ。お姉ちゃんも秀に頼らないとダメなんだもん。だから特認。けど他の子はダメだからね」





「しかたないで済ますな。お前だって嫌だろ?」





「でも秀はあたしだけで満足なの?」





「は?」





奈緒の言っている意味がわからない。





「おっとお、これは聞き捨てならない意味深な発言だね」





里津子が突っ込んできた。





「あのね、秀ね・・・」





女3人顔を寄せ合いひそひそ話。





だが会話の内容が秀一郎の耳にも届く。





「え〜っ、佐伯くんそれはないよ。そりゃ奈緒ちゃん不安がるよ」





非難の目を向ける里津子。





「そうか?でも俺は女の子が喜べば嬉しいからなあ。へとへとにさせるのが好きだから」





「で、佐伯くんは余裕なんだ。でもそんな風にされれば奈緒ちゃん夢中になるよ。真緒ちゃんもそうだった?」





「その・・・あたしは・・・なんか知ってはいけない快楽に溺れさせられたみたいで・・・」





顔を真っ赤にして暴露する真緒。





「そうなんだよねえ。秀ってホントに気持ちよくしてくれるんだよねえ。全身が快感に包まれて、我を忘れるって言うか、記憶が飛んじゃうくらい凄いもんねえ」





奈緒が危ない顔を見せる。





「あたしは奈緒ほどの快感を味わったことはないと思いますけど、でも感じてみたいなあ・・・」





姉妹揃って危ない顔。





「佐伯くん、完全にこのふたりを支配下に置いちゃってるね。ある意味凄いよ」





冷やかす里津子。





「俺は普通にやってるだけだよ。けどふたりの相手なんて・・・はあ・・・」





思わずため息が出た。





「なんでそんな重い顔してんの?男が夢見るハーレム状態じゃない」





「それで済むわけないだろ。常識はずれのことをやるんだから無理が出るに決まってる。奈緒だけで手一杯ってのに真緒ちゃんまで加わると、そりゃ大変だぞ。それに後ろめたい気持ちはどうやっても隠せない」





「それだけじゃなくて沙織も加わるんだよ」





「お前本気で言ってるのか?理由はどうあれ二股かけてる男だぞ。そんな奴に親友を推すのか?」





「それだけ佐伯くんが女の子にとって人気者ってことだよ。ま、頑張って。あたしに出来ることならフォローするから」











結局、本題の弁当については真緒が作るという案を奈緒が却下し、秀一郎も弁当が必要だと押し切ったので、沙織に作ってもらうことで折り合いがついた。





翌日、沙織は笑顔で弁当を渡し、ふたりで昼食を囲む。





「佐伯くん、奈緒ちゃんとなにかあったの?」





「あると言えばあるし、ないと言えばない」





答えようがない現実。





「ふうん。あ、佐伯くんの好みとかあったら教えてね。いろいろ工夫してみるから」





「ああ、ありがとう」





沙織の笑顔が秀一郎の心にチクリと痛みを与えた。


[No.1578] 2010/06/18(Fri) 19:40:36
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(ん・・・)





目が開く。





腕の中で奈緒が寝息をたてている。





ゆっくり身体を起こし、ベッドに備え付けられた時計を見る。





「8時か。確か寝たのが6時過ぎだったから・・・2時間くらいか」





若いので短い睡眠時間でも比較的余裕を感じられた。





奈緒の身体を揺さぶる。





「おい起きろ、朝だぞ」





「う〜ん・・・眠い・・・」





「そりゃお前がハリキリ過ぎたからだ。朝まで何度逝ったんだよ?」





「わかんない・・・また気持ち良すぎて記憶飛んでるもん・・・」





「なあ、お前って危ない薬とかやってないよな?」





「やってないよ〜。なんでそう思うの?」





「お前の逝きっぷりって異常じゃないか?何度も何度も我を忘れて完全に飛んでる感じだからな」





「それだけ秀が上手なんだよ。秀に抱いてもらって、ひとつになってるときが最高。でもあたしだけ楽しんだ気がしてちょっと悔しいかも」





「んなことない。俺も楽しかったよ」





「目標は秀に3発打たせるはずだったけど、2発だった。それもギリギリ」





「そんなの気にするなよ」





「気にするよ〜。菅野なんて夜通しだと5、6発打つらしいよ」





「マジかよ。それに付き合う御崎も大変だな」





「でもりっちゃん楽しそうだよ。全然苦になってないよ」





「まあ、嫌がってないならいいかもしれんが・・・」





「あたしも嫌じゃないから、秀も頑張ろ」





「いや、やめとこう。お前が壊れる」





「・・・かもね。逝き過ぎてどうにかなっちゃうかも」





「まあいい、身体洗って来いよ」





「・・・余韻と体力使い果たして立てない・・・」





「ったく、しゃあねえな」





秀一郎は奈緒を抱き抱え、バスルームに向かった。











身支度を整え、車でホテルを出る。





「やっぱ車っていいよね。堂々とラブホ入れるもん。歩きだと誰かに見られたら気まずいもんね」





「まあそうだけど、そんなつもりで車買ったわけじゃないからな」





「秀も首都高走りたかったんだよね?」





「ああ。けど現実目の当たりにしてちょっと引いた。あれはついてけん。金も命もいくらあっても足りん」





「自分のペースで走ればいいんじゃない?お父さんもそうだし」





「俺もそう思ってたけど、やっぱり夜通し走らないとダメらしい。ゴールデンタイムは午前2時から4時って言われても、そんな時間に走る気になれんよ。ガソリン代だけでもバカにならん」





「車の維持ってお金かかるもんね」





今まで奈緒とのデート費用はほとんど秀一郎が出していたが、車を買ってからは奈緒も出すようになった。





「でもあたしも仕事どうしよう。普通のバイトって時給安いからなんかやってらんないんだよね」





「けどそれが普通だぞ。高校生だと700円くらいが相場じゃないか?俺や奈緒は貰い過ぎなんだよ」





秀一郎のバイト先である弁護士事務所はかなり高額な時給になっているが、その分レベルの高い仕事が要求される。





奈緒のグラビア撮影もかなり高額なギャラが支払われていた。





「あたしは仕事続けてもいいし、他の事務所からオファーもあるんだけど、お姉ちゃんとセットでって話ばっかなんだよね」





「そりゃしかたないだろ。一卵性の双子だから価値があったんだ。奈緒ひとりじゃインパクトが足らん」





「あ〜あ、どっか割のいいバイトないかなあ」





「普通の勤労に勤しんで普通の感覚身につけたほうがいいと思うぞ」





「秀はそうしないの?」





「俺は今のバイトを続けるつもりだ。仕事はきついけど、こんな割のいいバイトはないからな。どんな理由であれ一度辞めたら二度目のチャンスはない気がする」





「けどこれから受験勉強もきつくなるよね。大丈夫?」





「なんとか両立させるよ。けど今日みたいにお前の相手をしてやれる時間は無くなるな」





「うん、あたし頑張る。だから秀も頑張ってね」





「ああ」












2学期に入り、かなり忙しくなった。





通常授業に加え特別補習にバイト。





無駄な時間はない。





金曜日の放課後、秀一郎は図書室で教材を広げていた。





沙織と一緒に受験勉強。





志望校、志望学課が同じなので効率よく勉強がはかどる。





しかも秀一郎からすれば沙織のほうが学力が上なので教わることも多い。





沙織の存在はかなり助けになっていた。





そして今日は真緒も一緒に勉強。





沙織と真緒はまるで姉妹のように仲がいい。





「ほんと、こうして見ると実の姉妹に見えるな」





「そうですね。桐山先輩って頼れるお姉さんみたいです」





笑顔の真緒。





「あたしはひとりっ子だから姉妹の感覚はわからないけど、真緒ちゃんみたいないい子が妹なら毎日楽しいだろうな」





ふたりとも満更ではない様子だった。





「ねえ佐伯くん、あさっての日曜日って空いてる?」





「ああ、今んところは」





「西川町の図書館に行かない?受験の参考書がたくさんあるみたいなの」





「そっか。じゃあ行こう。けど西川町って微妙な距離だなあ」





直線距離はさほどでもないが、公共交通機関だと結構な時間がかかる。





「無料駐車場があるから、車で行ければ近いかなって思ったんだけど、どうかな?」





「んじゃ車出すよ」





「ありがとう、助かる」





「それくらいならいつでも言ってよ。桐山には世話になりっぱなしなんだから」





「あの、すみません、お邪魔でなければあたしも行ってもいいですか?」





真緒が遠慮がちに切り出した。





「え?あたしは別にいいけど・・・」





「でも俺たち勉強で行くから、真緒ちゃん退屈じゃない?」





「大丈夫です。本読んでますから」





戸惑い顔のふたりに笑顔を見せた。





「じゃ3人一緒に行こう。んで奈緒はナシだな。あいつが来たら絶対邪魔される」





「わかりました。あたしからよーく言って利かせるので」





3人笑顔に包まれた。











終鈴が鳴り、揃って図書室を出る。





校内は少し薄暗くなっている。





そんな廊下に佇むセーラー服がひとつ。





木刀を掲げている。





「なにやってんだ槙田?こんな時間に」





「あんたを待ってたんだよ、佐伯秀一郎」





鋭い目つきは既に交戦モード。





「俺はお前とやり合う予定はないけどな」





「あんたになくても、あたしにはあるんだよ。人の道を外す真似しやがって・・・」





かなり強い怒りを見せる。





(またヘンな噂を聞き付けたのか?けど二股かけてるのは事実だし・・・)





上手くごまかす言葉を出そうと思考を巡らせていたら、





「センパイ、もうきちんと相手したほうがいいですよ」





真緒が真顔でそう告げた。





「マジで言ってるの?」





「あの子にどんな言葉を向けても無駄でしょう。大丈夫です。いくら木刀持っててもセンパイなら素手で勝てます」





「・・・ったく、しゃあねえな」





不本意ながら前に出て、涼と向き合い構えた。





「覚悟しな!」





涼が突っ込んできた。





木刀が振り落とされる。





それを際どいタイミングでかわし、懐に入り側面に回る。





涼もそれに対応して向きを変える。





「うっ!?」





涼の動きが止まる。





秀一郎の拳が涼の顔面に寸止めで捕らえていた。





「もうこれで充分だろ。悪いが女の子を殴るわけにはいかないからな」





「そうやって情けをかけられるのが1番ムカつくんだよ!」





涼の怒りは収まらない。





(やれやれ、どうしたもんかねえ)





悩んでいると、





「わかった、じゃああたしが相手します」





真緒が前に出た。





「へえ、面白いじゃない。ずっとはぐらかされてばかりだったけど、ようやく本気になったってわけね」





涼も引かない。





「あたし、手加減なしで全力で行くから。だから死ぬ気でかかって来なさい」





凜とした声は明らかに本気モード。





「言われなくたって、あたしも全力であんたを潰す!」





真緒に突進する涼。





真緒も出た。





交錯するふたり。





ここで真緒は高速で不規則な動きを見せる。





瞬時に懐に入り、蹴りを出す。





涼は木刀で咄嗟にガード。





だが、











ボキイッ!





バアン!





左のダブルステップが木刀までへし折って脇腹を直撃、反動で涼の身体は壁に叩き付けられた。





「きゃっ!?」





「げっ!?」





沙織も秀一郎も顔が蒼い。





去年の夏、ガタイのいい大男を仕留めた大技。





それを女の涼に繰り出すとは思わなかった。





「ちょっと真緒ちゃん、やり過ぎだ」





「こーゆー相手に情け容赦は禁物です。向こうも本気でした。だからあたしも本気を出しました。せめてもの礼儀です」





「礼儀って・・・」





涼は脇腹を押さえうずくまっている。





「おい大丈夫か?」





手を差し延べようとしたが、





「センパイ、情けは禁物です。逆にこの子のプライドを傷つけます。放っておいて行きましょう」





「けどこの状況どう説明するんだよ?」





「ここは階段の踊り場です。転げ落ちて打ち所が悪くアバラが折れたってことで通るでしょう。それより他の生徒や先生に見つかるほうがまずいです。行きましょう」





真緒は冷たかった。





足早に立ち去る。





沙織も戸惑い顔で真緒について行く。





「おい槙田、これ以上真緒ちゃんにちょっかい出すなよ。本気で怒らすとマジ恐いからな」





後ろめたい気持ちを残して真緒に続いた。





(けど真緒ちゃん、前よりいろんな意味で強くなった気がする)





小さな背中がより大きく感じていた。












25時30分。





C1外回り。





「見つけた」





台場線から合流したら、黒の997ターボが目に入った。





つかさは愛機Z34に鞭を入れる。





「西野さん、ようやく仕上がったのね」





つかさの姿をミラーで捕らえた綾もアクセルを踏み込んだ。





戦いの火ぶたが切って落とされた。


[No.1579] 2010/06/26(Sat) 19:45:30
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regret-64 (No.1579への返信 / 63階層) - takaci

浜崎橋ジャンクションでC1外回りに合流した際、黒のポルシェ997ターボを見つけた。





つかさはアクセルを踏み込む。





車間が詰まりかけたが、ポルシェも加速した。





(東城さんもあたしに気付いたか。けど今日は引かない)





強い闘志をステアリングに託す。





一般車の間を高速スラロームで抜けていく。





(この安定感が欲しかったの。これなら行ける!)





自信を持つつかさ。





愛機Z34はリアのスタビリティとトラクション重視のセッティングになっている。





不安定になりやすい高速スラロームでも、リアタイヤはがっちり路面を捕えている。





さらに増大した太いトルクが車を軽く走らせる。





身軽な動きで綾との差を詰めていく。





一般車の塊を抜けて視界が開けた。





よりアグレッシブにアクセルを踏み込む。





(これで捕らえ・・・ええ?)





太いトルクと増えたトラクションはZをより速く加速させる。





だが、それでも綾のポルシェは離れていく。





(なんて加速なの?いったい何馬力出てるの?)





連続コーナーが続く。





綾はセオリー通りの走りを見せる。





(コーナーでは無理してない。スローインファーストアウト、アウトインアウトの基本通り。で、前で何があっても避けれるように安全マージンも取ってる)





エスケープゾーンが無く、一般車も走っている首都高で限界ギリギリの走りは出来ない。





(でも東城さんと同じ走りじゃ前に出るのはもちろん無理。それどころかどんどん離される)





コーナーを抜けるたび、立ち上がりでグンと差が開く。





(立ち上がりで離されるなら、突っ込みで詰めるしかない)





つかさはリスク覚悟でハイスピードコーナリングに出た。





首都高では心臓が縮み上がる。





だがその甲斐あって車間は保たれる。





霞のストレート。





いまのつかさには嫌な場所。





(予想してたけど、やっぱりね)





つかさもアクセルを床まで踏み込むが、それでも綾は一気に離れていく。





ただ途中に一般車がいたので、そこでアクセルを戻した。





(いつもは邪魔な一般車だけど、今日は救われてるな)





綾は明らかに安全マージンを大きく取っている。





一般車の処理も無理せずスムーズに抜いていく。





対するつかさは少しラフ。





(多少無理してでも着いてかないと、気を抜いたら一気に離される)





連続コーナー区間が続き、一般車の塊もあったのでつかさはなんとか離れずについて行ける。





江戸橋ジャンクション。





綾は直進した。





(やっぱり9号から湾岸か。でもそれは望むところ!)





9号線はC1に比べてスピードレンジが上がる。





つかさのZはこの9号線に合わせてセットされている。





一般車も減り、スムーズに走れる。





中速コーナーを身軽な動きで駆け抜ける。





(今日のあたしは乗れてる。この子の動きも最高。でも・・・)





それでもじりじりと離される。





綾の立ち上がり加速は強烈の一言。





つかさが頑張ってコーナーで削った差を、立ち上がりで簡単に取り返す。





(ここなら絶対に負けない自信があったのに・・・)





綾に比べて明らかに無理をしている自分の走りに少しずつ自信を失う。





開きかけた差が一般車の処理で詰まる。





(一般車を利用して詰めても勝ってる気がしない)





辰巳ジャンクション手前。





減速する綾。





つかさは差を詰めつつ、エンジンのマップを変えた。





「お願い、湾岸は正直辛いけど、頑張って」





通常は7500回転リミットで420馬力だが、プラス700回転で50馬力を得る。





(ターボ車みたいにドカンとパワーは得られない。この子じゃこれが限界。けどこれなら大台に届く。大井までなら着いて行ける)





湾岸合流。





8000回転オーバーまで回す。





パワーと引き換えにエンジンが悲鳴をあげる。





だがそれでも綾は離れていく。





(これでも無理なの?)





敗北感に包まれかけた。





その直後、











(えっ?)





綾が消えた。





何が起こったのか理解出来ない。





一気に抜き去り、もうミラーにも写っていない。





(・・・)





状況を整理するまでしばらくかかった。





(たぶん東城さん・・・)





ある推測が浮かび上がる。





新環状18キロを廻り、湾岸線有明出口で降りた。





(やっぱり)





出口すぐの路肩に綾のポルシェがハザードを焚いて停まっていた。





脇の歩道で綾が佇む。





その後ろに停め、車を降りる。





「よくわかったね、有明で降りたって」





「トラブルを抱えた車でズルズルと走るとは思えなかったから。なら1番近い出口でしょ」





「なるほどね」





微笑む綾。





「エンジンじゃないよね?」





「駆動系ね。たぶんミッション。一気に力を失ったから。トルク上げすぎたかな」





「いったいどのくらい出てるの?」





「常用域では常に80オーバー、ピークは6000弱で90ちょいね」





「90オーバー?」





自分のZの倍近い数値に驚く。





「ポルシェのティプトロじゃそのトルクに耐えられないみたいね。何か対策考えないと」





「なんでそこまで速くするの?」





「えっ?」





「東城さん、前の仕様でも充分に速かったじゃない。なんでそれ以上の速さを求めるの?」





「西野さんがあたしに対抗すべくZを仕上げてるって耳にしたから。今日の西野さん速かった。前の仕様じゃ速さで負けてたよね」





「それで圧倒的な速さ見せつけて、トラブルで終わりって、勝ち逃げされた気分よ!」





憤るつかさ。





「なんで怒るのかな?結果的には負けたのはあたしよ。トラブルなんて言い訳にならないし」





「でも東城さん余裕じゃない。走りも安全マージンたっぷり取って、あたしが死ぬ気で詰めた差をちょっと踏んだだけで離して・・・あんな走りされたら勝った気分なんてないよ!」





「じゃ、また走る?」





「当たり前よ!」





「でも、西野さん大丈夫なの?」





「なにが?」





「そのZ、ここまで仕上げるのに相当お金も時間も使ったでしょ?それでもまだ足りない。さらにエスカレートすることになる。あたしもまだ速くする。それに着いて来れるの?」





「着いて行くんじゃない。あたしは必ず東城さんの前に出る」





強い決意を見せる。





「けどそうしてなんになるの?あたしの前に出たからって、淳平が戻るとでも思って?」





「そんな風には思ってない。ただあなたに負けたくないからよ」





「・・・」





「・・・」





しばらく視線をぶつけ合うふたり。





積載車がやって来た。





「わかった。西野さんがそのつもりなら、あたしも引かないから」





「次は途中でトラブルなんてナシにしてよね」





つかさはそう言い残し、Zに乗り込んだ。





積載車のドライバーと綾が話す姿を見ながら、その場をあとにする。





(この敗北感、ぜったい忘れない。次は必ず完全な形で前に出る)





つかさはどうしようもない悔しさに包まれていた。













(少し涼しくなったな)





9月下旬。





日中は残暑が厳しいが、陽が落ちると夏服では少し肌寒く感じる。





バイトの帰り道。





家路を急ぐ。





そこに泉坂のセーラー服を見つけた。





「槙田か。なにやってんだ?」





「あんたとどうしても話がしたくてね」





相変わらず交戦的な目つきだが、いつもの鋭さはない。





「全く、世話焼かせんなよな。送るよ」





「そうやって女の子の気を惹くの?」





「いつものお前なら放っておくが、そんなアバラじゃまともに動けんだろ。襲われでもしたら一発で終わりだ」





「そんなのあたしの勝手だよ。余計なおせっかいだね」





「んじゃいまはその余計なおせっかいを受けろ。マジでお前が襲われでもしたら俺が後味悪いからな。どうせ話ついでだ」





「・・・わかったよ」





涼は渋々引き受けた。





ふたり並んで夜道を歩く。





「アバラはどうなんだ?」





およそ一週間前に真緒のダブルステップ直撃を受けている。





短期間で回復するとは思えない。





「3本持ってかれたよ。あと首も痛めた。3日は動けなかったね」





「もう真緒ちゃんには絡むなよ。お前がどうやっても勝てる相手じゃない。木刀なんか無意味だ」





「確かにね。あそこまでとは思わなかった。負けたよ」





「で、お前はなんで俺にケンカ売ってきたんだ?話ってそれだろ?」





「なら話が早いよ。あんた、いまいったい何人の女の子と付き合ってんのよ?」





声に批難の色が混じっている。





「一応ひとりだ。けど、そう言い切れない状況ではあるな」





「あの生意気な小崎の妹とは続いてるの?」





「ああ。てゆーかそいつが、奈緒が俺の彼女だ」





「じゃあなんで桐山先輩の弁当食べてるのよ?それに休みの日に小崎真緒とデートしてるのも見られてるのよ。どういうつもり?」





「確かに我ながらフラフラしてるとは思ってる。けどいろんな事情が絡んでんだよ」





「それ話してよ」





「悪いが言えん。俺だけの問題じゃないからな」





「そうやって逃げるの?あんたってそんな軽薄な男だったんだね」





「俺をどう思おうがどう罵倒しようが好きにすればいい。けど奈緒や真緒ちゃんは悪くない。もちろん桐山もな」





「そんなの答えになってない。真面目に話しなさいよ!」





怒る涼。





「だから言えんと言ってるだろうが・・・」





ため息をつきつつ、





「お前さっき、襲われても自分の勝手だと言ったな」





「そうよ。そんなの襲われるほうも悪いのよ」





「その考えは今すぐ捨てろ。軽々しく口にするな」





厳しく真面目な口調でそう伝えると、





「えっ?」





涼は交戦的な顔つきから普通の女の子の表情を見せる。





「男に襲われた、レイプされた女の子ってのはとてつもない大きな心の傷を背負う。忘れたくても忘れられない辛い記憶をずっと引きずる。それはまともな日常生活さえ阻害する。見るも無惨な、ホント悲惨なもんだ。簡単に立ち直れるもんじゃない。軽視しすぎだ」





「それってつまり、あんたの身近な子がレイプされでもしたってこと?」





「もしそうだとしたら、俺が自分の判断だけでそんなことを言えると思うか?」





「それは・・・」





秀一郎に返されて言葉に詰まる涼。





「俺だって好きでフラフラしてるわけじゃない。奈緒ひとりで充分だ。けど奈緒の利害、真緒ちゃんの利害、さらに桐山の利害まで絡んで目茶苦茶だ。スパッと一本にしたいんだが、周りがそうさせてくれん。まあこんなの言い訳にもならんがな」





「あんたもいろいろ大変みたいだな。要は傷ついた子のためにやってるんだね」





「あくまで仮定の話だぞ。それが事実とは俺は一言も言ってないからな。傷ついたのが誰かなんて詮索するなよ」





「けどそれだとあんたに批難の目が集中する。それでもいいの?」





「だから俺をどう思おうが罵倒しようが好きにすればいいって言ったろ。後ろめたいことをしてるのは事実なんだからな」





「へえ、あんたって思ったよりずっと器が大きい男なんだね」





交戦的な色が消え、普通に好感を持った目を向ける涼だった。


[No.1580] 2010/07/02(Fri) 19:33:40
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10月。





受験勉強はさらに加速する。





秀一郎もそれに集中したいところだが、思いもよらぬ事態に気を取られかけていた。





金曜の25時。





秀一郎は沙織を夜の首都高ドライブに誘った。





「桐山、お待たせ」





「佐伯くん、この車は?」





秀一郎のブルーのスカイラインではない。





かなり迫力ある外観を持つシルバーのクーペ。





「奈緒の親父さんが俺の車を借りたいって乗ってって、代わりに置いてった車。どこでも自由に踏んでいいよって言われてるけど、これがちょっと凄いんだよ」





珍しく秀一郎の気分が高揚している。





沙織が乗り込むと、ゆっくり発進させた。





「これ、なんて車?」





「スカイラインGT−R。俺の車よりひとつ旧いR33型」





「あ、なんか聞いたことある。凄い高性能な車だよね」





「しかもかなり手が入ってる。俺でもそこそこ走れちゃうんだよ」





首都高に乗り、まず路肩に停めて沙織に4点式シートベルトを付けた。





「ちょっと苦しいよ」





バン!





ベルトを思いきり引っ張り、シートに締め付ける。





「こんなに締め付けるんだね。これが本格的なシートベルトなんだ」





少し驚く沙織。





秀一郎も自分でベルトを締め付けた。





「ちょっと胸が苦しいだろうけど我慢して。すぐに慣れるから」





ゆっくり本線に合流した。











C1外回り。





少しずつペースを上げる。





「なんかとても不思議な感覚。下道では硬いと感じた乗り心地も、ここだとそんな風には感じない。あとこのベルトが凄く安心感がある。なんか車に乗ってるんじゃなくて、車の一部になってる気分」





「俺は別の車でこのタイプのベルト経験したけど、やっぱり安心感が違うよな。身体がシートに密着することでここまで変わるんだよな」





「絶叫マシンもこんなベルトにすれば怖くなくなるかもね」





「怖いと感じたらすぐに言ってよ。ペース落とすから」





「うん、大丈夫だよ」





沙織は笑顔を見せた。





とにかく安心感のある車だった。





無理かなと思う速度でコーナーに侵入してもスッと曲がる。





安定性が高くブレーキも強力なので積極的に踏んで行ける。





そして踏んだときの音と加速が乗り手をその気にさせる。





「凄い加速Gだよね。何馬力くらいあるの?」





「確か520馬力って聞いた。俺の車の2.5倍くらいだね」





「そんなにあるんだ。それを普通に走らせてる佐伯くんも凄いんじゃない?」





「そんなことない。この車が凄すぎるんだ。ドライバーが多少未熟でもそれなりに走れちゃうんだ」





かなり速いペースで流す。





そこに以前見たことのある車を視界に捕らえた。





「あの車、西野さん?」





ブルーのZ。





「知ってる人?」





「ああ、ちょっとね」





念のため確認しようと車を並べかける。





するとZが急加速した。





「なっ、あの人、バトル仕掛けられたって勘違いしたな?」





アクセルを踏み、Zを追う。











C1外回りは中低速コーナーが続き、車の総合性能が問われる。





「コーナー進入と旋回はほぼ互角。けど立ち上がりで詰まる」





つかさのZを追い詰める。





だが一般車の処理で差が開く。





つかさは秀一郎からすればとんでもない勢いの高速スラロームを見せる。





「あれは真似出来んな」





秀一郎は自分のペースで一般車を処理する。





それでも車の性能差で再び差が詰まる。





そんな状況を繰り返しながら9号線を抜け、湾岸に合流した。





「ここが湾岸線かあ。道も広くて開放的だね」





「首都高では1番の高速コースだ。こっちのほうが馬力あるから追い付けるはず」





秀一郎は自信を持ってアクセルを踏む。





一般車も少なく速度が乗る。





このGT−Rは250キロオーバーでも素晴らしい安定性を見せ、高速コーナーでは差が詰まる。





だが、直線で徐々に離れていく。





「あれ、なんで?」





アクセルを床まで踏み込んでいるが、速度が伸びない。











大井ジャンクションを直進。





神奈川湾岸線、超高速ステージへ突入する。





さらに差が広がっていく。





「佐伯くん、これ以上は無理だよ。ずっとメーター見てるけど、速度伸びないもん」





この車には後付けのデジタルメーターが付いている。





その数値は280近辺を上下している。





完全に頭打ちになっていた。





Zはどんどん離れていく。





「・・・そうだな。この先は直線が続く。追い付けんな」





アクセルを緩める。





Zが一気に離れていった。





「ゴメンな桐山、恐かったろ?」





「ううん全然。凄い速度だったけど恐くなかったよ。だってこの車ってとても安心感あるし、それに佐伯くんは絶対に無茶しない人だって信じてるから」





「そっか、ありがと」





つばさ橋、ベイブリッジをクルーズする。





「わあ、綺麗」





目を輝かせる沙織。





「ここはいつ走っても綺麗だよな」





ベイブリッジを抜け、大黒パーキングに入った。





「あ、さっきの車がいるよ」





沙織がつかさのZを見つけた。





秀一郎はその隣に車を停めた。





車を降り、つかさに声をかける。





「こんばんわ」





「あれ、君だったの?もうRに乗り換えたの?」





驚くつかさ。





「いえ、おじさんに俺の車を貸して、その代わりに置いてった車です。やっぱGT−Rって凄いっすね」





「ふうん、で、ちょっと」





つかさは秀一郎の腕を引っ張り、ひそひそと話しかける。





「なんで違う女の子連れてんのよ?あのちっちゃい小崎さんの娘さんとは別れたの?」





「奈緒とは続いてますよ。ただ今日はあの子の客観的な意見が聞きたかったから誘っただけです」





「じゃああの子も君が奈緒ちゃんと付き合ってること知ってるのね?」





「もちろん知ってます。へんな隠し事は無用です」





「あっそ」





つかさは秀一郎を離した。





そして沙織に笑顔で挨拶をする。





「こんばんわ。あたし西野つかさ。小崎さんとちょっとした知り合いなんだよ」





「は、はじめまして。桐山沙織です」





「佐伯くんとはよくドライブに来るの?」





「いえ、前にあたしが夜の首都高に行ってみたいって言ったのを佐伯くんが覚えててくれて。とてもうれしいです。凄く綺麗な場所ですよね。なんか非日常って感じです」





「で、沙織ちゃんもこの車気に入った?」





「う〜ん、凄く速いし安心感もあるのはいいと思いますけど、使い勝手は悪そうですね。それに速い分維持費もかかるんだとしたら、佐伯くんにはまだ早いと思います」





「佐伯くん、彼女はそう言ってるよ」





つかさは秀一郎に振る。





「俺は桐山のその言葉を聞きたかったんだよ。買うにはまだ早いよな」





「あの青のスカイラインで充分だと思う。次の車は受験が終わってからのほうがいいよ」





「そう、そうだよなあ」





自分に言い聞かせる秀一郎。





「でも奈緒ちゃんあたりはこっちのほうが気に入ったんじゃない?」





「そうなんだよ。奈緒は乗り換えしろって言うんだよ。確かに俺も気に入ってる。速いし安定してるからさ。けど今の時期に乗り換えなんかしてる場合じゃないような気もしてさ」





「それが正しいよ。確かに魅力的な車だけど、いまはその誘惑に負けちゃダメ。受験に集中」





「そうだよなあ・・・」





考え込む秀一郎。











「沙織ちゃんっていい子だね。ちゃんと佐伯くんのことを心配してくれてる。いっそのこと奈緒ちゃんから沙織ちゃんに乗り換えたらどう?」





「ええっ、ちょ、なに言ってんすか?」





「あの、その、あたし・・・」





つかさにからかわれて真っ赤になるふたり。





「まあそれはともかく、そのRって500馬力くらいだよね。しかも完全なC1仕様だから湾岸は辛いでしょ」





「えっ、これってC1仕様なんですか?」





言われるまで気付かなかった。





「だってフロントのスポイラーにカナードだって大きいし、ウィングも角度付いてる。しかも大きなアンダーパネルにディフューザー。相当なダウンフォースで安定性は高いと思うけど高速域では伸びないでしょ。だから湾岸連れて来たんだけどね」





「そうなんですよ。280キロで頭打ちです。西野さんのZより馬力あるはずなんですけど」





「あたしは湾岸だと470馬力くらい出すけど、それでも大台届くよ。そのRは空気抵抗大きすぎ。湾岸じゃダメね。でもその分安定感も安心感も高い。だから小崎さんも置いてったんじゃないかな?」





「そう言われればそうっすね。あの人が俺に危険な車を置いてくわけないもんなあ」





「それにまだ君じゃそのRの性能引き出せてないよ。ちょっと交換してみよっか?」





と、つかさは笑顔でキーを差し出した。





「えっ?」





「君があたしのZ乗って、あたしがそのRに乗る。横羽上がってC1経由で箱崎まで行こ」





「あ、あの、いいんですか?」





つかさの車に乗ることに抵抗を感じる。





「いいよ。でも無理はしないでね。結構な駄々っ子だから」











そして車を乗り換え、横羽線を上がる。





Rに乗ったつかさはあっという間に視界から消えた。





「凄い、西野さん速い」





「ああ。それにしてもこの車って・・・」





秀一郎はつかさのZと格闘していた。





横羽線は道が狭く舗装も荒れているがスピードレンジは高い。





「駄々っ子ってレベルじゃないぞこれ」





踏めばリアタイヤが簡単にホイルスピンして横に出る。





ハンドリングもシャープ過ぎて一気に切り込めない。





「こりゃ俺には無理だ。命がいくつあっても足りん」





ペースを落とし、普通に流す。





それでも不安定感が残り、気を遣う車だった。











横羽を抜け、C1内回りを経由して箱崎パーキングに入った。





シルバーのGT−Rを見つけて隣に停める。





「遅かったね」





笑顔のつかさ。





「よくこんな車であんな風に走らせられますね」





半分呆れ顔の秀一郎。





「そっかな?ちょっと癖が強めだけど、よく曲がるし踏めるでしょ?」





「俺には無理ですね。曲がり過ぎるし踏めば横向くし、とにかく扱い切れません」





「そっか。君にはそう感じるんだ」





つかさはあらためてZを見つめる。





「西野さんはこのRどうでした?めっちゃ速かったっすけど」





「やっぱ4駆は曲がんないね。速いことは速いけど、乗ってて楽しくない。イライラする」





「これで曲がらないって感じるんすか」





秀一郎には理解出来ない感覚だった。





「でもあたしもいい経験出来たかな。あと君の意見も参考になったよ。ありがとね」





つかさはZに乗り込み、パーキングをあとにした。





「しっかしまあ速い人の感覚はよくわからんな。この車に乗ってちょっと乗り気になったけど、西野さんの車でまた考え変わった。やっぱついてけん世界だ」





「いまはそれでいいと思うよ。余計なことはあまり考えずに受験に集中だよ」





「そうだな」





沙織とつかさに救われた感じがした。


[No.1581] 2010/07/10(Sat) 19:36:52
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秋。





泉坂高校伝統の文化祭、乱泉祭が近い。





毎年恒例の部活動対抗戦だが、今年は一発逆転の目玉イベントが企画された。





『ミス泉坂』





要はミスコンである。





各部が代表をひとりずつ選出し、グランプリには大量ポイントが与えられる。





それはたとえ来場客数がゼロでも、ミスコンさえ獲ればトータル1位になれる。





それにより各部の美女集めが今年は熱い。











昼休み。





秀一郎は沙織と真緒の3人で中庭の隅で弁当を広げていた。





「しっかし委員会も面倒な企画を立ち上げたよなあ。ミスコンなんて、出されるほうの迷惑とか考えろよな」





少し呆れ顔の秀一郎。





「そうだね。水着撮影はちょっと恥ずかしかったな」





その迷惑を被っているひとりが沙織。





少し地味だが美女レベルは相当なものなので、文芸部代表に選ばれていた。





「あたしも文芸部に所属したいです」





もうひとり、真緒はもっと困り顔。





去年は映研だったが、今年は現在フリー。





そして小柄だが、こちらもかなりの美少女。





各部の真緒争奪戦が日に日に激しさを増している。





それから逃れるため、こうして目立たないところでひっそり弁当を広げる羽目になっていた。





「けどいくら一発逆転の可能性があるとは言え、冷静に考えれば軽音が圧倒的有利だろ。なんせ槙田がいるからな」





「佐伯くんは槙田さんがお気に入り?」





「いや、あんなのは御免被る。けどミスコンって要は見た目とインパクトだろ。あいつ美人だし背も高くスタイルいい。それに何より目立つ。最大の問題は性格だが、そんなの猫かぶりされればわからん」





「そうだよね。あたしも槙田さん有利だと思うんだけど、みんなプレッシャーかけて来るんだよね。あたしなら勝てるかもって。自信ないなあ」





少し憂鬱そうな沙織。





「あと水着はまあしかたないとしても、本戦出場者のコスプレが嫌です。なんか変な服を着せられそうで・・・」





真緒も嫌な顔を見せる。





「まあ真緒ちゃんなら、いわゆるゴスロリ系ってのが確率高いだろうな。槙田とは真逆のパターンで勝負だな」





「それってお人形さんが着てるようなヒラヒラがいっぱいの服ですよね。あたしそーゆーの生理的にダメです」





さらに嫌な顔になる。





「そもそも真緒ちゃん、出る気あるの?」





「正直、あまり気乗りしません。けどあの子がまた絡んで来たんです」





「まさか、槙田?」





「はい。ミスコンであたしと勝負しろって。そう言われるとなんか出ないと逃げたと思われて、それはちょっと悔しいかなとは思うんです」





「それで勝負とは、槙田も結構ズルい性格だな。自分が圧倒的有利なのわかって言ってるだろ」





「あと、センパイまであたしがあの子に勝てないと思われてるのもちょっと・・・」





かなり悔しそうな顔を見せる真緒。





「ちょっと真緒ちゃん落ち着けよ。そりゃトータルじゃ真緒ちゃんのほうが圧倒的に勝ちだと思うよ。かわいいし性格いいし強いしで無敵じゃん。でもミスコンって舞台では分が悪いよ。背の高さとスタイルのよさが武器になるからな」





「やっぱり背が低くて貧相だと勝てないですか?」





「真緒ちゃんは貧相じゃなくてスレンダー。まあ好みは別れるけど、俺は好きだよ」





「なんかセンパイにそう言ってもらえたら、少しやる気が出てきました」





「えっ、出るの?」





少し驚く。





「はい。あの子の挑発に乗るのはちょっと抵抗ありますけど、でも負けたくないんで」





「でもどこから出るの?映研は1年生のかわいい子を代表にしたみたいだし、どこも争奪戦激しいから選ぶだけでも大変じゃない?」





沙織も気になる様子。





「仲のいい子が茶道部にいて誘われてるんで、そこにしようかと。それに茶道部なら本戦の衣装はほぼ決まりですから」





「あっ、そうか和服か。ちょい地味だけどインパクト高いかもな」





「真緒ちゃん、和服似合いそうだもんね」





「あたしなりに頑張ってみます。それに裏コンも気になりますし、もし勝てればうれしいことになりそうですから」





「そうだよね。裏コン気になるよね」





「裏コン?」





真緒と沙織の口から出たこの言葉の意味がわからない秀一郎。





「男子には内緒です。ちょっと楽しそうなサプライズイベントですね」





「いまの生徒会長って女子だから、男子には内緒で女子限定の集計イベントがあるの。だから悪いけど男子には内緒だよ」





真緒も沙織も楽しそうな笑みを浮かべていた。












乱泉祭1週間前。





校内に各部代表の女子の水着写真が貼り出された。





必然的に男が群がる。





「やっぱ槙田涼だよなあ。いい身体してるし美人だもんなあ」





「赤のビキニってのもエロいな」





「いや、桐山もなかなかいいぞ。ちょっと水着が残念だけどな」





「そうだなあ。もう少し胸があればこの水着でもいいけどなあ」





ビキニが主流の中で、沙織は少し胸元が大胆に開いたパステルカラーのワンピース。





(確かに桐山ならビキニのほうが映えるだろう。けど着れないんだよな)





秀一郎の胸が痛む。





「う〜ん・・・」





どこかで聞いたことのある唸り声が耳に届く。





「なんだ若狭か。なに見てんだ?」





正弘は真緒の写真を凝視していた。





「なあ佐伯、これって真緒ちゃんだよな?」





「当たり前だ。けど茶道部はセンスいいな。かわいい水着で好印象だな」





花柄のパレフ付きビキニは他の写真とかなり趣が異なり、真緒のかわいらしさを引き立てている。





「でもこの身体のラインは奈緒ちゃんだよなあ・・・」





「は?お前どこ見てんだ?」





「いや去年の夏休みに行った海だよ。奈緒ちゃんと真緒ちゃんって顔はそっくりだけど身体つきは結構違った。奈緒ちゃんはふっくらしてて真緒ちゃんはスレンダーで健康的。けどこの写真の身体のラインは奈緒ちゃんだ。少し痩せた奈緒ちゃんって感じだ」





「まあ、あれから1年以上経ってるからな。真緒ちゃんも成長したんだろ」





「まあ、そうだよなあ」





(ふう、なんとかごまかせたな)





正弘の眼力の鋭さに少し冷や汗をかいていた。





真緒を抱くようになってから、身体つきが奈緒に似てきたことに気付かれるとは思わなかった。





(あの外村って社長の言ってた通りだな。男を知ると身体つきが変わるって本当だったんだな)





真緒の体型の変化を目の当たりにして、そう実感していた。












そして乱泉祭当日。





よく晴れた朝だった。





予報では天気が崩れる心配はない。





朝1番、校庭に人だかりが出来ていた。





実行委員会長であり、生徒会長の開会宣言が始まる。





「けどなんでこんなに集まってんだ?しかも女子の比率が高いな」





「なにか特別企画でもあるんじゃないの?」





隣の奈緒は特に気にしていない様子。





今日は一日デートのつもりで来ている。





秀一郎はクラスの女子からここにいるように言われたが、これだけ女子が多いと落ち着かない。





仮設ステージに生徒会長が上がった。





その脇には大きなボード。





『おはようございます。これより今年の乱泉祭を開会します!』





観客が沸き返る。





『では早速、裏コンの発表をしたいと思います!』





女子が沸き上がる。





『裏コンとは女子限定で委員会が秘密理に進めたミスコンと並ぶイベント、ズバリ!』





ボード上部の紙がめくられた。





『ミスター泉祭だあ!』





さらに沸き上がる女子。





「ミスター泉祭だって?つまりミスコンの男版か」





『この学校のほぼ全ての女性が選んだ泉坂1番人気の男を発表します。ひとり一票ずつ集計した人気ランキング!実は集計にかなり手間がかかった。なんせ上位陣は大接戦。何度も再集計を繰り返した。じゃあまず6位から10位を発表!』





下部の紙がめくられ、クラスと名前が表示される。





「へえ、こんな順位なんだな。それに先生まで対象なんだ」





生徒に混じって教師の名前も記載されている。





「秀、入ってないね」





少し残念そうな奈緒。





「そりゃ無理だって。要はミスコンの男版だ。背が高いイケメン連中が中心だよ。まあ上位陣も大体想像つくな」





そして5位からひとりずつ発表される。





そのたびに女子たちのボルテージが上がる。





4位、3位、2位と発表されていく。





「あれ、おかしいな?」





1位を獲ってもおかしくないイケメン勢が全員名前を連ねた。





ひとり足らない。











『さあ、混戦を征した第1位は・・・』





最後の紙がめくられた。





『3年6組、佐伯秀一郎!』





ドッと歓声が沸き起こる。





「お、俺?」





さすがに驚く。





さらにあっという真に周囲を女子に囲まれた。





「佐伯くんおめでとう!」





「やっぱり佐伯くんがふさわしいよね!」





知らない女子から次々と祝福の声。





『さあ、栄えある1位を獲った佐伯にはいろいろ魅惑的な特別待遇を用意してある。さらにミスコンのプレゼンターになってもらいミス泉祭と一緒に並んでもらう。男女のトップが並ぶのは必見だぞ!』





(ってことは、今日の俺は一日縛られることになるのか・・・)





少し気が重い。











「ちょっと待ちなさいよ!」





(なっ、あいついつの間に?)





奈緒がステージに上がり会長を怒鳴り付ける。





『おっとお、これは面白いゲストの登場だ。佐伯秀一郎の彼女、芯愛の小崎奈緒ちゃんだあ!さあなんの用だい?』





悪ノリした会長は奈緒の相手を始める。





「秀は今日一日あたしとデートするんだから!勝手に仕事押し付けないでよ!」





『まあ普通の男子なら彼女とのデート優先だろうねえ。けど佐伯は泉坂1番の男だ。その魅力を校内外問わず多くの女子に知ってもらうくらいやってもらわんとなあ』





「そうよそうよ!」





「普段わがままばっかり言って独占してるんでしょ!今日くらい開放してあげなさいよ!」





奈緒に野次が飛ぶ。





それを受けた奈緒はさらにヒートアップ。





「なに勝手なこと言ってんのよ!秀はあたしのものなの!誰も近付いちゃダメなんだから!」





駄々をこね始めた。





そこに真緒と里津子が表れた。





「奈緒、いいかげんにしなさい!」





「奈緒ちゃん、今日は諦めなよ。これ以上わがまま言ってると余計にみんなから反感買うよ」





ふたりで奈緒を背後から捕まえ、強引に引きずっていく。





「やだっ!秀はあたしとデートするの!お姉ちゃんもりっちゃんも放して!ちょっとお!」





奈緒は叫びながら引きずられて行った。





『まあ、とんだゲストだったが、佐伯なら上手く収めるだろう。というわけで佐伯、今日一日よろしく頼むぞ』





生徒会長がステージ上から秀一郎にそう呼び掛けると、周りを取り囲んでいる女子が拍手を始めた。





(やれやれ、今年はいろいろ面倒な文化祭だと思ったが、俺が1番の面倒をしょい込むことになるとはな)





予想だにしなかった事態に呆れるしかなかった。


[No.1582] 2010/07/16(Fri) 20:44:32
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開会セレモニー後、秀一郎は乱泉祭実行委員会に呼ばれた。





「けど俺が1位なんて信じられんな。女子からモテモテのイケメン勢が下とはね」





「ほら、これが集計表だ」





会長が集計表を秀一郎に見せた。





「へえ、1位から4位まで綺麗に1票ずつの差か」





「とにかく接戦だった。僅差なので何度も再集計を繰り返した。でも間違いなくお前がナンバー1だ」





会長が太鼓判を押す。





「けど実際のところは2位以下の面々のほうが人気高いんじゃないか?」





「集計対象は全校女子生徒に加えて女性教師も含まれる。その教師票の多くが佐伯だった。それが決め手になったんだろう」





「先生からの人気か」





これは意外だった。





「お前は去年の通り魔事件のヒーローだからな。それで先生方の評価が高まったんだろう」





「まあ、結果は理解したよ。んで俺はなにをするわけ?」





「実行委員会の展示スペースでミスター泉坂と触れ合い出来る時間と場所を設けてある。そこに参加して来場者の応対をして欲しい。まあ握手とか写真撮影がメインになるな」





「はあ。でも俺なんかで集まるのか?」





「お前は女子からの人気が高いから集まるだろう。普段はあのわがままな彼女と強い姉がしっかりガードしてるからなかなか近付けんのだ」





「そんなもんかねえ。奈緒も真緒ちゃんもそんなに高い壁には見えないけど」





「それとメインは午後からのミスコン本戦とオーラスのミス泉坂発表だ。そこで審査員とプレゼンターをやってもらう」





「それってどんなスケジュールなんだ?予定表とか作ってないのか?」





「一応作ってある。これだ」





会長はスケジュール表を差し出した。





「結構キツいな。自由時間ほとんどなしかよ」





心が重くなる。





「今日のお前がひとりで行動したらあちこちで女子に囲まれるぞ。諦めろ」





「けど奈緒は放っておけん」





「あれこそ放っておけ。これくらいのことで壊れる関係でもないだろう」





「でも絶対グズるぞ。てかもうグズってる。元に戻すの大変なんだぞ。一方的に抑圧されるの大嫌いだからな」





「それくらい我慢出来ないのか?」





「無理だな。それにこのまま大人しく引き下がるとは思えん。芯愛の連中引き連れていろいろ妨害するかもしれんぞ」





「芯愛の動きについては御崎に頼んで押さえてもらっているから心配ないが、ひとりでもお前に付き纏われると迷惑だな。来場者が楽しめん」





会長が悩み顔を見せていると、





「こらあ!会長に会わせろ!」





外で奈緒が騒いでいた。





「ほら見ろ、早速ケンカ売りに来たぞ」





秀一郎の予想通り。





「おい、入れてやれ」





会長がそう言うと奈緒が明らかに交戦的な目で入って来た。





「生徒会長がどんだけ偉いか知らないけど、予告もなしに突然用件言い付けて行動縛るのは筋が通らないんじゃない?」





いきなり会長に文句を言い付ける奈緒。





「普通の生徒ならな。だが佐伯は泉坂1番の男だ。それにもともと人気が高い。佐伯に憧れを抱いている多くの女子の希望を叶えてもいいとは思わないのか?」





「事前に連絡入っていれば考えてもよかったけど、いきなりはダメ。秀だって迷惑でしょ?」





奈緒に振られて、





「まあ確かに迷惑だ。けど女子たちで裏コンってイベントがあるのは聞いてたし、その結果俺が選ばれた。しかたないような気もする」





秀一郎は諦め顔を見せた。





「じゃあ秀はあたしよりいろんな女の子と親睦を深めたいのね?」





「そりゃ俺だって奈緒と一緒に楽しみたかったよ。けどこうなっちまったらしかたない。まあ迷惑だが、ここで俺が反発すればいろんな企画に影響が出るだろう。だから諦めた」





「あたしは楽しみにしてたのに・・・」





泣き顔を見せる奈緒。





「お前の悔しい気持ちはわかる。けど今日はこらえてくれ。この埋め合わせは必ずするから」





ポンと肩を叩き、そのまま抱き寄せる。





「・・・わかった、秀が言うならそうする・・・」





「んじゃ真緒ちゃんの支援頼む。ミスコン茶道部代表だからな」





「うん、じゃあ秀も頑張ってね」





奈緒は大人しく部屋から出て行った。





「さすがと言うべきかな。大人しく引き下がってくれたな」





「以前のあいつならこれくらいじゃ引かない。あいつも大人になったなあ」





驚く秀一郎。





「と言うより、よほど強く想われているように見えたがな。だから困らせるような無茶は言わなかったんじゃないか?」





「それは否定しない。けどどんな理由であれ彼氏が他の女の子と楽しく接するのは辛いだろう。それは理解してやれよ」





「わかっている。全てが終わったらあの子には詫びを入れるつもりだ」





会長もその点についての非は認めた。











そしてある教室の一角に移動し、対応が始まった。





当然だが来場者のほとんどは女子。





しかもかなりの数で、教室の外に長蛇の列が出来ていた。





秀一郎のメインの仕事は来場者に記念品の小さなピンバッジを手渡しすること。





(こんなもんで喜ばれるのか?)





と思うほどチャチな代物だが、それでもほとんどの女子は喜んでいた。





それに加えて希望者は写真撮影。





これも結構な数で、かなり忙しくなった。





さらに秀一郎を困らせたのが、たまに握手の際に渡されるメモ。





これにそれぞれの女子の名前と携帯番号、メアドが書かれていた。





応対時間は予想より増えた来場者により延ばされ、結果的に秀一郎の自由時間が無くなってしまった。





昼休みに生徒会が用意した弁当を食べているとき、





「予想以上の数だったな。しかもいろいろ渡されたそうだな」





教室の一角はプレゼントの山。





「まあ花束やお菓子の類いはいいとして、問題はこれだな」





ポケットから取り出したメモが多数。





「お前の携帯から返信すれば喜ばれるぞ」





「勘弁してくれ。これだけの女子をまとめて相手するなんて無理だ」





「要領よくやれば出来ると思うがな。そうやってる男子もちらほらいるぞ」





「かもしれんがいい気分はしない。ところであんた彼氏は?」





会長に突っ込んだ問い掛けをぶつける秀一郎。





「一応いる。2年先輩の大学生だ」





「その彼氏があんたの知らないところで他の女の子と仲良くしてたら嫌だろ?」





「いい気分はしないが、それくらいのことで縛りたくない。ある程度は許容しないとな。わがままを通して関係が壊れることもある」





「へえ、理解あるんだな」





「逆に言わせてもらえば、佐伯はなぜあの彼女にわがままを言わせてるのだ?お前ならあれよりもっと素直でいい子が選び放題だろう。なぜあれにこだわる?」





「まあ、いろいろダメなところがあるけど、あいつは俺を支えてくれてる。俺も結構助けられてるんだ。わがまま駄々っ子はもう慣れたっつーか諦めた。あいつも俺を好きでいてくれてるけど、俺も結構あいつに惚れてるかもな」





「そうか、なら何も言わん」





最後に会長はそう微笑んだ。











そして午後になり、講堂に移動する。





ステージ脇に設置された審査員席に腰を下ろす。





会場には多くの人が詰めかけている。





『ではこれよりミス泉坂、本戦を開催します!』





会場が一気に沸き上がる。





『午前中までに行われた予選を集計、本戦出場者は上位6人。選ばれし美女の最後のお披露目です!』





1週間前から貼り出された水着写真と午前中に各部で代表者のアピールが行われ、それが正午で締切。





これから上位出場者がそれぞれ独自の衣装で最後のアピールをして、夕方にミス泉坂発表というスケジュール。





照明が落とされた。





『ではまず予選1位、軽音楽部代表、槙田涼さんです!』





ステージ中央にスポットライトが当たる。





特に着飾ってはいない。





Tシャツに短パンというラフな姿。





それでも様になっていた。





『槙田さん、ずいぶんシンプルな衣装ですが、コンセプトは?』





司会者が涼にマイクを向ける。





『そんなのないよ。だってこれ、ライブの恰好そのままだもん』





そして司会者からマイクを奪い、





『みんな来てくれてありがとー!涼でーす!』





澄んだ声で会場に呼び掛けると、一気に沸き返った。





『みんなのおかげで1位になれた。うれしいよっ!ホントにありがとー!』





盛り上がる会場。





『本戦も投票よろしくねっ!あと午後からも校庭でライブやるからそっちもよろしくー!』





会場のテンションを上げるだけ上げて司会者にマイクを返すと、颯爽と立ち去った。





(さすが槙田だな。大観衆を前にしても動じないし、盛り上げる術も心得ている)





涼の見事なパフォーマンスに感心する秀一郎。











再び照明が落とされた。





『で、では次の方を紹介します。2位の方が2名いらっしゃいます。まずは茶道部代表、小崎真緒さんです』





スポットライトが当たる。





「おお・・・」





会場がどよめきに包まれた。





予想通り、和服。





淡い緑の服に青い帯。





それを完璧に着こなしている。





丁寧に一礼した。





いつものアクティブな印象とは完全に異なり、おしとやかな日本の美女になっていた。





『小崎さん、茶道部らしいというか、見事な和服姿ですね』





『ありがとうございます。茶道は日本の伝統、それに乗っ取り和のテイストで固めてみました』





『では会場の皆様にアピールの一言お願いします』





『あたしのような者がこのような場所に立たせて頂けるなんて光栄です。本当にありがとうございます。茶道部は地味なイメージですが、本日は和の心に触れて頂くために茶室で皆様をお待ちしております。他の部員も和服姿でお待ちしておりますのでぜひご来場お願いします。あとあたしに投票して頂けるとうれしいです。よろしくお願いします』





笑顔で丁寧に頭を下げた。





会場から大きな拍手が贈られた。





(真緒ちゃんの和服は予想通りだったけど、ここまで様になるとはな。ホントおしとやかな日本の美女だ。とても奈緒の双子とは思えん)





真緒の新たな一面に驚いていた。











真緒がステージを去り、会場が暗転する。





『では次の方、同率第2位、文芸部代表、桐山沙織さんです』





スポットライトが当たる。





「おおお!」





真緒より大きなどよめきに包まれる会場。





黒のドレスに身を包む沙織。





身体のラインがなまめかしい。





(桐山ってあんなにスタイルよかったか?)





目を疑う秀一郎。





水着写真とは明らかにラインが異なる。





「あれは既製品じゃないな。オーダーメイドのドレスだ」





会長がそう指摘した。





(オーダーメイドって、桐山が服にそこまで金かけるとは思えんけど)





『桐山さん、素晴らしいドレスですね。よくお似合いです』





『ありがとうございます。実はこのドレス、文芸部の偉大な先輩である東城綾先生のドレスをあたしの身体に合わせて少し手直ししたものなんです』





(東城綾のドレスか)





この説明で納得した。





『桐山さんは東城先輩と親しいんですか?』





『はい、去年知り合うきっかけがあって、それ以来親しくさせて頂いています。今回のミスコンのことを話したら、協力して頂けることになり、こんな素晴らしいドレスを提供して頂けました。とても感謝しています』





『偉大な先輩の強力な支援があるなら、負けられないですね?』





『皆さんの投票のおかげでこの場所に立たせて頂いてます。本当にありがとうございます。でもここまで来たからには、よりよい結果を持ち帰りたいです。何とぞご支援のほどよろしくお願いします』





大きな拍手が沸き起こった。





(いつもの桐山じゃない)





今の沙織は自信に満ちていた。











その後、残りの3人が紹介されたが、前の3人と比べると明らかに華がなかった。





実質は、





槙田涼。





小崎真緒。





桐山沙織。





この3人によるミス泉坂の争いが始まった。


[No.1583] 2010/07/25(Sun) 20:12:04
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ミス泉坂の集計はネットで行われる。





全校生徒及び教職員ひとりずつ、また外からの来場者には入場券に個別IDが記載され渡されている。





それを委員会が立ち上げた専用サイトで入力すれば投票完了となる。





投票は校内各所に設置されたパソコン及びネットに繋がる携帯でも可能になっている。





受付は午後2時から4時までの2時間。





最後の戦いが始まった。











午後2時半。





秀一郎は実行委員会の主要メンバーと一緒に生徒会室を出た。





「センパイ」





そこにセーラー服の小柄な子が表れた。





「小崎真緒、こんなところでなにをしている?」





会長も他の面々も怪訝な顔を浮かべる。





その中で秀一郎は、





「ちょっとちょっと、こいつ奈緒。真緒ちゃんじゃない」





正体に気付いていた。





「そうなのか?」





「そもそも髪型違うだろ。真緒ちゃんこんなに長くない。顔と制服だけで騙されるなよ」





呆れる秀一郎。





「ということは、それは姉の制服か?」





「そうだよ。お姉ちゃんいま和服だから」





「真緒ちゃんの服よく着れたなあ。そっちのほうが驚きだ」





「ちょっと秀、みんなの前でそんなこと言わないでよ!」





怒る奈緒。





「なんだ、双子の姉と妹でそんなに体型違うのか?」





会長が尋ねると、





「あたしは普通。お姉ちゃんが異様に細いのよ。ウエスト55なんてモデル並なんだから」





「55?そんなに細いのか?」





驚く会長。





「まあ真緒ちゃんの細さも驚きだが、そのスカートを履いてるお前にも驚きだ」





「へへっ、これでも体型管理してるんだからね。正直胸とお腹きついけど」





奈緒は自慢げな笑顔を見せた。





「で、お前はなんで無理して真緒ちゃんの制服着てここにいるんだ?」





「秀はこれから審査で廻るんでしょ?だからあたしも着いてく」





「おいおい、遊びで廻るんじゃないぞ」





「あたしは秀のガード役。秀こそ女子の誘惑舐めてない?みんな審査員が50票持ってるって知ってるんだから必死にアピールしてくるよ」





一般生徒はひとり1票だが、5人の審査員はそれぞれ50票持っている。





割り振りは自由だが、力が大きいので投票には慎重さが要求される。





そのためこれから本戦に残った6人の状況を視察してから投票することになっている。





「確かに一理あるな。ガード役がいたほうが都合がいい。それに芯愛の制服ではないからさほど目立たないだろう」





会長も奈緒の立案に同意した。





「なら秀、行こ!」





奈緒が手を握り、スタスタと歩き出す。





「お、おいおい慌てるな。もっとゆっくり歩け」





少しうろたえながら引っ張られる秀一郎。











結局、ふたりで廻ることになった。





「で、どっから行く?」





奈緒が尋ねてきた。





「なあ、ぶっちゃけ個人的な思惑なしで、本戦の6人どう思った?」





「う〜ん、上位3人と下位3人ではレベル違うよね」





「俺もそう思ってる。槙田と真緒ちゃん、あと桐山の三つ巴だな」





「秀は桐山さんがお気に入りでしょ?」





図星を突かれた。





「なんでわかる?」





「そりゃ2年半以上付き合ってんだから、秀の好みとかわかるよ。あと異表突かれると弱いもん」





「ま、まあな。桐山のドレス姿はインパクトあったな」





素直に認めた。





「でも文芸部と茶道部は後にしたほうがいいよ。いま混んでるから」





「そっか。んじゃ映研行くか」





映研の代表が予選5位で本戦に出場していた。





視聴覚室に入ると、カメラを抱えた人だかりが出来ていた。





「なんだありゃ?」





「写真撮影タイムじゃないかな。あんな奇抜な衣装ならそりゃ男が群がるでしょ」





映研代表の子はレースクイーンのコスチュームのような奇抜で露出度の高い衣装で本戦のステージに上がっていた。





「おっ、佐伯、よく来てくれた。それに真緒ちゃんまで敵情視察か?」





正弘が声をかけてきた。





「お前まで騙されるなよ」





再び呆れる秀一郎。





「この制服でお姉ちゃんいないと結構ステルス性高いのかな?」





「えっ?ああ、奈緒ちゃんか」





ようやく気付いた正弘。





「髪型違うんだからそれで気付けよな」





「で、佐伯はもちろんウチに投票してくれるよな?」





「それを決めるためにいま廻ってるんだよ。でも盛況そうだな」





「ああ。1年生じゃピカ一の子だ。しかもいい演技するんだ」





「で、あのコスチュームは映画と関係あるのか?」





「そんなのねえよ。衣装係に派手なの造ってもらったんだ。結構金掛かったんだぞ」





「映画と関係ないならマイナスだね」





奈緒がバッサリ切り捨てた。





「おいおいなんでだよ?」





文句をつける正弘。





「だって少なくとも上位3人は関連性あるもん。ライブ衣装とか部活の正装とか先輩の服とかね。インパクト狙いだけの奇抜な衣装じゃダメだよ。まあそれで映画に出てるならまだいいけどね」





「映画撮ったの夏休みだぞ。その頃はミスコンやるなんて決まってないからしゃあないだろ」





「じゃあ映画の衣装にすべきだったね。審査員票はそっちのほうが稼げたと思うよ」





「でもそれじゃインパクトが足らん」





「別にあんな派手でエロい衣装でなくてもインパクト狙いは出来るよ。お姉ちゃんの和服なんてみんな予想の範囲内だったはずだけどインパクトあったもん。素材活かさなきゃ代表の子がかわいそうだよ」





奈緒は手厳しかった。





「佐伯、お前はウチの子いいと思うよな?」





「とにかく出来れば話しさせてくれないか?それから判断するから」





そう告げると、正弘は群集の中から女の子を引っ張ってきた。





その子はにこやかな笑みを見せ、





「よろしくお願いします」





と、笑顔で手を握ってきた。





(明らかな、いわゆる営業用スマイルだな)





そう感じていると、手の中に違和感を覚えた。





「ん?」





握られていた手に小さなメモ。





「はい、これは没収ね」





奈緒が素早くメモを取り上げた。





「やっぱり携帯番号とメアドだ。こーゆー色仕掛け紛いの誘惑は許さないからね」





奈緒の目は鋭かった。











その後も下位通過の代表を廻ったが、同じような誘惑をかけてきた。





その度に奈緒がバッサリと切り捨てていた。











そして文芸部に。





去年とは異なり、盛況だった。





(ミスコン効果か。凄いな)





そう感じていると、





「あ、佐伯くん、それに奈緒ちゃんもいらっしゃい」





私服姿の沙織が笑顔で声をかけてきた。





「よっ桐山、お疲れ。盛況だな。これもミスコン効果か?」





「ううん。今年は綾先輩が協力してくれることになって、わざわざ短編の新作書いてくれたの。もちろん未発表だから今日が初公開。だからファンの人がたくさん来てるの。綾先輩の学生時代の作品もあるから結構喜ばれてるよ」





「そっか、東城先輩効果か」





「で、あの綺麗なドレスは着ないの?」





奈緒が尋ねると、





「あれはステージ限定。汚したり傷つけたりしたら大変だから。だってすごく高価なドレスだもん。そんなの着れただけで幸せだな」





自然な笑みを見せる沙織。





「でも桐山さん、ぶっちゃけ聞くけどドレスの下は矯正下着でしょ?」





(おいおい)





奈緒の発言に慌てる秀一郎。





だが沙織は、





「そうだよ。背とウエストはちょうどよかったけど、バストとヒップが足らないから寄せ上げブラとガードルで上げてる。それでもバストはまだ足らないの」





包み隠さず正直に話した。





「東城綾ってそんなに大きいの?」





「うん。だってEだもん。あたしCだからかなりぶかぶかだよ。逆に奈緒ちゃんはキツそうだね」





沙織は奈緒の胸を見る。





「うん。お姉ちゃんBだけどあたしCだから。秀に育ててもらってるもん」





「お、おい、そんなこと言うなよ」





赤くなる秀一郎。





「佐伯くん、いまさら隠すことでもないんじゃない?」





沙織まで悪戯っぽい目を向ける。





秀一郎は居心地が悪く感じたので、





「じゃ、じゃあ後が支えてるから行くよ。頑張れよ」





奈緒の手を引っ張り、逃げるように文芸部をあとにした。





「まったく、大勢の前で際どい発言はやめてくれよな」





奈緒に文句を言うと、





「あたしはもっと言いたかったんだけどなあ。でも桐山さんもCかあ」





全く聞いていなかった。





(はあ・・・)





心の中で大きなため息をつきながら、茶道部に向かった。











「ただいま〜」





笑顔で茶道部に入る奈緒。





「ちょっと奈緒、あんまり無茶しないでよ」





和服姿の真緒がクレームをつけてきた。





「へっ、無茶って?」





「他の部の代表の子にいろいろ邪魔したでしょ」





「あれは邪魔じゃなくて秀のガード。色目遣いはルール違反だもん」





「そうかもしれないけど、でも目立ちすぎ。それに奈緒じゃなくてあたしがセンパイと一緒に廻って妨害してるって思ってる人もいるんだからね」





「おいおい、そんなに騙されてるっつーか、違いわからないのか?無理矢理真緒ちゃんの制服着てるだけだぞ」





「センパイはあたしたちのちょっとした違いがわかりますからね。けど他の生徒はわからないみたいです。あたしはずっとここで来場者対応してましたけど、奈緒をあたしと勘違いして驚いてる人が結構いました」





「あちゃー、それまずいかも。お姉ちゃんのイメージダウンになっちゃう」





気まずい顔を浮かべる奈緒。





「だから奈緒はここにいて。センパイとのデートはおしまい」





「うん。でもあと一ヶ所残ってるんだよね」





「いや、軽音は行かない。どうせライブの真っ最中だから話しするの無理だろうしな」





「ならお茶起てます。一服していってください」





真緒が茶室に案内して、抹茶を起てる。





しかも一連の動きは素人には見えない。





「真緒ちゃんってひょっとして茶道の経験あるの?」





「中学のときに少しだけです。あと今回茶道部の子にちょっと教わっただけですよ」





「でも素人には見えないよ」





「ありがとうございます。どうぞ」





茶碗を秀一郎の前に差し出す。





そのお茶はとても美味しかった。












午後4時半。





講堂に多くの生徒が集まった。





ステージ上にはミスコン代表の6人が並んでいる。





『ではこれより、ミス泉坂の発表です!』





生徒会長がゆっくりとステージ中央のマイクスタンドに向かう。





そこで一礼し、胸ポケットから紙を取り出した。











『発表します。今年のミス泉坂は・・・』











スポットライトがステージを駆け巡る。











『・・・文芸部代表、桐山沙織さんです!』





大きな歓声が沸き上がる。





沙織は両手を口に当て、驚いていた。





その横で涼と真緒が笑顔で祝福の言葉を贈っている。





沙織は導かれてステージ中央へ。





そこに花束を持った秀一郎が向かう。





「桐山、おめでとう」





「佐伯くん・・・ありがとう・・・」





花束を受け取った沙織の頬を涙が伝った。


[No.1584] 2010/07/30(Fri) 20:52:05
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学園祭が終わると、3年生は一気に受験モードになる。





休み時間や昼休みでも勉強している姿が目立つ。





秀一郎はそんな空気が嫌だったので、中庭で弁当箱を広げていた。





もうそろそろ肌寒い季節になるが、今日は暖かい。





そして沙織と真緒も一緒だった。





最近はこの3人で昼食を囲むことが多い。





「3年生は受験で大変そうですね」





真緒が心配そうな顔を向ける。





「まあ仕方ないよな。けど俺はそうでもないよ。バイトも続けてるし、そんなに追い込まれてない。桐山のおかげだけどな」





秀一郎より学力の高い沙織の存在は大きな助けになっている。





「あたしも佐伯くんに助けられてるよ。やっぱり志望大学と学課が同じなのがポイントかな。勉強もひとりよりふたりのほうが効率いいもん」





沙織は明らかに余裕の表情。





そこに、





「おっ、これはいい光景だね。ミスター泉坂とミス泉坂の1位2位が揃ってるじゃん」





里津子が笑顔でやってきた。





「よっ、御崎、昼メシは?」





「もうさっさと食べた。教室の空気ピリピリしてて嫌なんだよね」





「俺たちもだよ。だからこうしてこんなところで食ってんだ。昼休みくらいゆっくりしたいしな」





「ところで話変わるけど、2年の槙田さん、ミスコン負けてかなり落ち込んでるんだって」





「はあ?あいつがそれくらいで落ち込むようなタマか?」





信じられない秀一郎。





「軽音って学園祭で1位が指定席だったじゃん。それが今年は3位でしょ。それで責任感じてるみたい。下馬評では1位だろうって言われてたから余計だろうね」











乱泉祭の翌日、総合成績が発表された。





今年はミスコンの順位が大きく作用して例年とは異なる結果になった。





優勝はミスコンを征した文芸部。





そして2位が茶道部。





3位が軽音楽部となった。





つまり涼はミスコンで沙織だけでなく真緒にも負けていた。











「軽音はミスコンを軽視しすぎたんだろうな。いくら素材が良くてもあんなラフな恰好じゃ票は伸びん。もう少し着飾ってたら結果は違っただろう」





「あたしは自分が優勝なんてまだ信じられない。それにそれはあたしの力じゃないと思う。綾先輩のドレスがなかったら真緒ちゃんにも槙田さんにも負けてたよ」





「それでも桐山先輩はあのドレスを着こなしてました。それは先輩の力ですよ」





フォローを入れる真緒。





「真緒ちゃんも和服よく似合ってたよ。奈緒の双子とは思えんかった」





「まあ、褒められてるのはわかるんですが内心複雑です。和服似合うって貧相で脚が短いって意味にも取れますから」





「だから真緒ちゃんは貧相じゃなくてスレンダーなんだって。それにそれでも槙田には勝ったんだから自信持ちなよ」





フォローを入れる秀一郎。





「けどやっぱり奈緒と比べると貧相です。ブラのカップ1サイズ違いますから」





「それは隣の芝が青く見えるって奴だよ。奈緒だって真緒ちゃんのウエストの細さに憧れてたからな」





「あ、そうそう、その奈緒ちゃんも絡んでる話だけど」





里津子が割って入って来た。





「奈緒絡みってなんだ?」






「みんな芯愛の学園祭に来て欲しいの。向こうでもウチのミスコンがそこそこ話題になっててさ、佐伯くんと沙織と真緒ちゃんが来てくれれば盛り上がるだろうって話になってるのよ」






「それは菅野の頼みか?」





「ううん、和くんは関係ない。実はあたし、泉坂と芯愛の生徒会のパイプ役やってんのよ」





「は?」











事の発端はミスター泉坂の集計を始めた頃だった。





どうやら秀一郎が1位になりそうだとわかったとき、生徒会長は奈緒への対策を考えた。





他校の生徒とはいえ、人気の高い秀一郎の恋人であり、姉の真緒の双子の妹ということで奈緒の存在や性格などは泉坂でも知れ渡っていた。





そして菅野のグループの男たちに厚い信頼を受けていることもわかっていた。





秀一郎がミスター泉坂になり文化祭行事に携わることになれば奈緒が黙っていないことは容易に想像がついた。





そこで会長は菅野の恋人である里津子にコンタクトを取り、菅野を通じて奈緒を慕っている芯愛の生徒たちに、たとえ奈緒の指示でも泉坂の文化祭の妨害行為をしないように根回しした。





里津子はその旨を菅野に伝え、菅野から仲間たちにその通達が行き渡った。





そしてその際に芯愛の生徒会から互いの協力要請が出たので、それを泉坂側で引き受けた形になった。











「結局原因は奈緒かよ。あいつはあちこちに迷惑かけるなあ」





呆れる秀一郎。





「でもそんな事情があるなら行かなきゃダメだよね。ウチの文化祭はスムーズに問題なく終了して、それが芯愛の協力があったならあたしたちも協力しないと。りっちゃんの顔を潰しちゃう」





「そうですね。あたしも構いません」





沙織と真緒が同意した。





「佐伯くんはどうかな?」





「元凶は奈緒だろ。なら俺も行かなきゃならん。行くよ」





「みんなありがとね!」





里津子はとびっきりの笑顔を見せた。











そして芯愛の文化祭当日。





秀一郎、沙織、真緒、里津子は泉坂の制服姿で訪れた。





「芯愛高校の文化祭へようこそ。来て頂いてありがとうございます」





芯愛の生徒会メンバーが校門で出迎えてくれた。





「こちらこそありがとうこざいます。奈緒の件でなんか手間取らせたみたいで・・・」





恐縮する秀一郎。





「なに言ってんのよ秀、あたしやましいことなにもやってないからね!」





そこに奈緒も現れていきなり怒る。





「やる恐れがあったから御崎や菅野がいろいろ駆け回ったんだろうが。それは事実だ」





秀一郎がそう反論すると、





「みんななによ、まるであたしが危ない女みたいじゃない・・・」





ふて腐れた。





「これくらいでいじけるな。あとで付き合ってやるからいつもの元気で仕事しろ」





秀一郎が頭を小突くと、





「うん。あとで絶対だからね!」





コロッと笑顔に変わった。











芯愛高校の文化祭は泉坂のような競争はない。





ただ来場者に楽しんでもらうためのお祭りである。





そして秀一郎たちはこの祭を盛り上げるために呼ばれたゲストでいろいろ協力することになっている。





真緒は奈緒のクラスの出店に一緒に参加した。





奈緒は2年連続でメイド喫茶。





双子の美少女メイドは多くの客を引き寄せた。





そして秀一郎と沙織は芯愛高校生徒会主催のトークショーにゲストで招かれた。





泉坂高校1番人気の男女ということでかなりの客が集まった。





そしてこのトークショーに、





「お前も参加なのか?」





驚く秀一郎。





「まあこんなのは正直ガラじゃねえが、里津子の頼みだからな。俺には断れん」





照れ笑いを見せる菅野も参加した。











トークショーのテーマは『ここだけでしか言えないぶっちゃけトーク』





台本は当然なしで、司会者が際どい質問をぶつけることになっている。





「ではまず最初にお尋ねします。佐伯さんと菅野さんの最初の出会いはケンカだったとのことですが?」





「そういやそうだったな。奈緒が菅野の仲間のカンパにいちゃもんつけて、それが揉めに揉めて、そこに俺が押しかけたんだよなあ」





当時を思い出す秀一郎。





「近くのサテンで俺たちと小崎が揉めてて、そこに現れたのが佐伯だった。最初は女の前でカッコつけてるただの男なんかぶちのめすつもりだったが、さらに小崎の姉が現れて返り討ちされちまったよ。いやここまで強いとは思わなかった」





菅野が笑顔でそう暴露すると、会場は爆笑に包まれた。





「誤解しないように言っとくけど、俺が菅野と直接やり合ったわけじゃないから。やったのは真緒ちゃんだからな」





秀一郎がそう付け加えると、





「いや、佐伯の動きも見事だった。謙遜してるけどこいつだけでも相当強いぞ」





菅野は秀一郎を持ち上げる。





「でもそんな出会いがあって、それ以来深い交流が芽生えたんですね?」





司会者が話を進める。





「そうだな。いろいろあったなあ。菅野にはホント助けてもらってるなあ」





今度は秀一郎が菅野をフォローする。





「俺も佐伯や小崎姉妹には世話になってる。それに佐伯と小崎からいい子を紹介してくれたしな」





「それが菅野さんの今の恋人ですね?」





司会者が突っ込んできた。





「確か去年のここの文化祭だよなあ。俺たちが奈緒に誘われて、そこで菅野がいろいろ案内してくれたんだよなあ」





ここで沙織が、





「あたし、芯愛の菅野さんって恐い人ってイメージあったんですけど、違いましたね。責任感の強い、男気のある人でした」





菅野にフォローを入れた。





「ここで当時の裏話とか期待したいんですが?」





「菅野も結構情けなくてさ、御崎にメアド聞けないから俺に聞いてきたんだよ。俺は後のことを考えて自分で聞けって突き放したけどな」





秀一郎がそう暴露すると、会場が再び爆笑に包まれ、菅野は苦笑いを浮かべた。











午後から自由行動になり、奈緒と合流した。





「トークショー盛り上がったみたいね」





「司会の奴が結構突っ込んだ質問してきたから思わず答えちまったけど、ちょっとまずかったかな。菅野の立場上な」





「そんなことないよ。もう菅野ってすっかり円くなったもん。昔は細かいこといちいち気にしてたけど、あたしがもっと大らかになれって口酸っぱく言ってきたからね」





「それもお前の力か?」





「ううん、あたしはただ言ってただけ。ホントに円くなったのはりっちゃんと付き合うようになってからかな」





「確かに御崎の存在は大きいよな。あの菅野が真面目な男に見えるようになったもんなあ」





当初の出会いの頃と比べるとまるで別人のような変貌ぶりである。





「秀も変わったよ」





「そうかあ?あまり自覚ないけどな」





「よくも悪くもいい男になった。それで女の子にモテるようになった。あたしの気苦労が増えたもん」





「そう言われりゃそうかもな。バレンタインのチョコの数も一気に増えたし、ミスターランキングで1位になったもんなあ。自分でも驚きだ」





「泉坂の文化祭は時間なくてデート出来なかったけど、今日は一緒に楽しもうね!」





奈緒は秀一郎の腕を取る。





「ああ。でも桐山が心配だな。御崎も菅野とデートだろうし、ひとりで寂しがってなきゃいいが・・・」





「大丈夫だって。あれだけの美少女を周りが放っておくわけないじゃん。桐山さんにとっては出会いのチャンスなんだから、逆にひとりにしてあげないとかわいそうだよ。それにウチの学校は菅野が仕切ってるからへんな男にひっかかることもまずないでしょ」





奈緒にそう言われると、返す言葉がなくなった。





「そうだな。じゃあどこから行く?」





「うん!任せてね!」





久しぶりねデートで奈緒ははじける笑顔を見せた。


[No.1585] 2010/08/06(Fri) 20:18:41
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12月に入り、街はクリスマスムード一色になる。





ただ今年はそれに浸っていられない。





年明け早々には最初の関門、センター試験が待っている。





模試等の結果では余裕があるのも事実だが、油断は出来ない。





「さて、どうしたもんかねえ」





昼休み、沙織と真緒と一緒に弁当を囲んでいるときに秀一郎がそう漏らした。





「どうするって、なにを?」





聞き返す沙織。





「今年のイヴ。ここ2年は奈緒と一緒だったけど、受験生の今年はそんな気分で浮かれていると痛い目みる気がするからな」





「そうですよね。年明けには学年末テストにセンター試験と連続で試験ですからね」





真緒も暗い顔になる。





「佐伯くん、だったらその・・・あの・・・」





沙織はなにか言いたそうだが、躊躇しているように見える。





「なに?遠慮なく言ってみて」





そんな沙織に秀一郎は優しく微笑みかける。





「じゃああの・・・今年のイヴ、あたしと一緒に勉強しない?勉強しながら、あたしちょっと豪華な料理用意するから。どうかな?」





「えっ?」





意外だった。





沙織から誘って来るとは思わなかった。





「えっと、その・・・俺としてはありがたいけど・・・」





ひとりより沙織と一緒に勉強したほうがはるかにはかどることが身に染みていたので、ありがたい申し出だった。





「ホント?」





沙織の笑顔が輝く。





そこに、





「あの、すみません、さすがにそれは難しいと思いますよ」





真緒が難しい顔で切り出した。





「あ、ああ。そうだよなあ」





秀一郎は我に返る。





いくら受験勉強とはいえ、イヴの夜に沙織と過ごす。





奈緒が黙ってるわけがない。





「センパイはどうするつもりだったんですか?」





「今年は遊ばずに勉強しとこうと思ってた。確かに寂しくないかと言えば嘘になるし、1日くらい遊んでもあまり影響ないとは思うけど、だからって遊んじゃまずい気がしてさ。まあ自分に対する戒めかな」





「家族でパーティーとかしないの?」





沙織がそう尋ねると、





「ついこの前、結構でかい会社の下請けの仕事が入ったから、両親はそれにかかりっきり。まあ嬉しい悲鳴って状態だな。だからイヴの夜はひとりっきりの予定」





秀一郎は空笑いを浮かべた。





「そんな状況なら奈緒が放っておくわけないですよ。あの子ならセンパイの家に押しかけて世話するに決まってます」





「そうなると奈緒のペースに押し切られちまうんだよなあ。勉強なんてさせてもらえん」





それは避けたかった。





「奈緒ちゃんも佐伯くんの立場わかってるだろうから、今回はさすがにわがまま言わないんじゃないかな?」





「桐山先輩、甘いです。奈緒はセンパイと桐山先輩が一緒に勉強するのをあまり快く思ってません。ましてやイヴの日です。いくら受験勉強という名目があってもそれを大人しく受け入れる子じゃないです」





「だからそのイヴに敢えて勉強するってのが佐伯くんの受験に対する意気込みなんだから。それを理解しなきゃダメだよ」





(桐山、珍しいな)





いつもの、今までの沙織なら大人しく引き下がるところだが、今日は引かない。





「桐山先輩の言ってることは正しいです。センパイにとっても理想的な状況でしょう。理屈はわかります。でもイヴの日に他の女の子とふたりっきりで過ごされるのは気分よくないですよ。奈緒はもちろん、あたしも嫌な感じです」





真緒も引かない。





厳しい視線をぶつけ合うふたり。





いつもの姉妹のような雰囲気はない。





「おいおい、ふたりとも落ち着けよ」





その間に割って入る秀一郎。





「センパイは黙っててください。これは女の子同士の問題なんです」





「真緒ちゃん、確かにそうだけど、そこにちゃんと佐伯くんの意思を汲み入れてるの?」





「それは・・・」





沙織の指摘に真緒が詰まった。





「佐伯くんもあたしと勉強したほうがいいんだよね?」





「あ、ああ。でも周りが許さんだろうからなあ」





「じゃあ少し時間ちょうだい。あたしなりに動いてみるから」





「あ、ああ」





「真緒ちゃんも、あらためてちゃんとお話ししようね」





「・・・わかりました」





真緒は渋々引き下がった。





(なんか桐山、いつもと違う)





そう感じずにはいられなかった。











そしてその翌日、





沙織は芯愛高校に訪れた。





校門で待つ。





そこに小柄な少女がやってきた。





「奈緒ちゃん、お疲れ様」





「桐山さんがあたしに話ってなに?」





沙織は優しい笑みを浮かべるが、奈緒は厳しい表情。





「こんなところでもなんだから、どこか落ち着いて話せる場所に行こうか」





「なら近所に喫茶店があるから、そこ行こ」





奈緒の案内でふたりは喫茶店に移動した。





芯愛の制服が目立つ。





ふたりともコーヒーを頼むと、





「じゃ、早速本題に入ってよ。どうせ秀のことでしょ?」





奈緒から切り出した。





「うん、今年のイヴ、佐伯くんは遊ばずに勉強するつもりなの」





「で、桐山さんも秀と一緒に勉強したいってこと?」





「そう。ひとりよりふたりのほうがずっとはかどるからね」





「つまり、今年のイヴに秀は桐山さんとふたりっきりで過ごすって話になるの?」





「そう。佐伯くんもそう望んでる」





「そんなの、あたしが認めるとでも思ってるの?」





「思ってないよ。だからこうして直接頼みに来たの。今回は駄々をこねずに佐伯くんの意思を最優先に考えてってね」





「イヴの夜は恋人たちにとっては特別なの。そこにほかに女の子と過ごすのなんて認めるわけにはいかない」





奈緒の言葉は強く、引くそぶりはない。





「大袈裟だね。佐伯くんと奈緒ちゃんの絆ってそんな小さなことにこだわらないと保てないほどのものなの?」





「なんですって?」





「みんなイヴイヴって騒ぐけど、そんな周りの風潮に躍らされてるだけじゃないの?付き合って間もないならまだしも、あなたたちは2年もイヴを過ごした。もう充分じゃないの?」





「じゃあ逆に聞くけど、イヴの夜に男女ふたりっきりで過ごす。秀はいま流行りの草食系じゃない。ガツガツした肉食よ。なにもないと思ってるの?」





「思ってないよ。あたしはそのつもりだから」





「桐山さん、あなた男に抱かれたことは?」





「ないよ。だからもしそうなれば、佐伯くんが初めての人になるね」





「ずいぶん大胆ね。あたしの前でそんなこと口にする人だとは思わなかった。もっと賢い人だと思ってたけど、結構バカなのね。そんなのただ遊ばれるだけじゃない。なんの意味もないよ」





呆れる奈緒。





「意味がないかどうかはあたしが決めること。一夜限りの関係になってもあたしは構わないしそのつもり。ただ邪魔はして欲しくないだけ」





沙織は本気の目を見せる。





「・・・言っておくけど、秀は堅い男だから。簡単に誘惑出来ると思ってたら大間違いだからね。自信無くしても知らないから」





「なら、認めてくれるのね?」





「いいよ。桐山さんの挑発に乗ってあげる。好きにすればいいよ」





「ありがとう。奈緒ちゃんが了承してくれるなら佐伯くんも気兼ねなく来てくれると思う。真緒ちゃんも不満みたいだったけどなんとか説得するから。じゃあね」





沙織は笑顔で席を立ち、伝票を手に取った。





奈緒は不機嫌な表情でコーヒーに口をつけた。











翌日の昼休み、





「桐山先輩、いったい奈緒にどんな魔法を使ったんですか?」





いきなり真緒が切り出した。





「真緒ちゃん、なんの話?」





尋ねる秀一郎。





「奈緒が、あの子がイヴにセンパイと桐山先輩が一緒に勉強するのを認めたんです」





「なに?俺はまだなにも聞いてないぞ?」





秀一郎も初耳だった。





さらに奈緒がそれを簡単に認めるなど、信じられなかった。





秀一郎も沙織に目を向ける。





沙織は微笑みを浮かべ、





「昨日、奈緒ちゃんと直接お話ししたの。最初は反対してたけど、ちゃんと説得したら認めてくれたよ」





「どう説得したんですか?」





真緒はまだ信じられない表情を浮かべている。





「別に。ただ佐伯くんも今年は勉強して過ごすつもりで、その邪魔をしないでって。それに過去2年イヴを一緒に過ごしてるんだから、そんなにこだわらなくても崩れる関係じゃないよねってね」





笑顔の沙織。





「それだけであの奈緒が?」





秀一郎も信じられない。





「奈緒ちゃん、たぶん自信がないんだと思う。佐伯くんとの絆が周りが思ってるよりずっと細いと感じてるんじゃないかな?」





「確かにあいつは俺と一緒にいたがるけど、自信がないと感じたことはないぞ」





「前はそうだったかもしれない。けど今はいろいろ違うもん。佐伯くんはミスター泉坂に選ばれて女の子からの人気が高くなってるし、奈緒ちゃんのお弁当も食べてない。たぶん前より少し離れてて、油断出来ないと感じてるんじゃないかな」





「確かにそんなこと言ってたな・・・」





秀一郎がモテるようになり気苦労が増えたと奈緒が漏らしてたのを思い出す。





「決定的なのは真緒ちゃんだね。以前より佐伯くんと一緒にいる時間が明らかに増えてるもん。夏休み以降からね。それも奈緒ちゃんの不安の要因じゃないかな」





「それは・・・」





返答に詰まる真緒。





「夏休み前の真緒ちゃんは佐伯くんと奈緒ちゃんの関係を見守る立ち位置だったけど、今は割って入ろうとしてるように見えるよ。そんなことして大丈夫なの?」





沙織の指摘に真緒はさらに困り顔を見せる。





「桐山、それは心配ない。実は真緒ちゃんもちょっと情緒不安定になることがあってさ、それで俺が頼られるようになっただけだよ。奈緒もそのことはわかってる」





秀一郎が代わりに弁解した。





「そうなの?」





「夏休みにちょっとな。去年の議院秘書騒ぎのときに奈緒がショックでふさぎ込んだろ?あんな警察沙汰の事件じゃないけど、真緒ちゃんもショックでふさぎ込んだんだ。それがあったからだよ。そのあたりは双子だな」





「そっか。佐伯くん優しいもんね。でも真緒ちゃん、その優しさが心地いいとは思うんだけど、それは奈緒ちゃんの負担にもなってるよ。もちろん佐伯くんにもね」





「はい、それはわかってます・・・」





痛いところを突かれた真緒は元気がない。





「真緒ちゃんの不満もわかるよ。奈緒ちゃんも不満だよ。でも今は佐伯くんにとって大切な時期なの。そのために今どうすべきか、ちゃんと考えてあげようよ」





沙織は真緒に優しく言い効かせるようにしつつも、逃げ道は与えなかった。





「・・・わかりました。センパイ、わがまま言ってすみませんでした」





真緒も了承し、秀一郎に頭を下げる。





「い、いやいや、むしろ謝るのはこっちだよ。でも真緒ちゃんありがとうね」





秀一郎は真緒の言動に驚きつつも感謝の意を述べると、真緒は少し微笑んだ。





(でも桐山はどうやって説得したんだ?あの奈緒がたった一日で簡単に認めるなんて、それに真緒ちゃんは奈緒以上に強情だ。それを言い包めるとは・・・)





秀一郎は沙織に謎の力があるように感じていた。


[No.1586] 2010/08/14(Sat) 17:24:50
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12月24日。





放課後、秀一郎は沙織と図書室で勉強していた。





いつもはそれなりに人がいる図書室も、今日はがらんとしている。





「さすがに今日は人が少ないな」





「そうだね。みんな遊びたい日だもんね。でも塾通いの子は特別講習とかあるみたいだよ。夜晩くまでカンヅメだって嘆いてた」





「それも嫌だな。息抜きもさせてもらえんのだろ?」





「塾はクリスマスもお正月も関係なしで凄い追い込みかけるみたいだよ。特に現役組は厳しいって」





「現役合格って結構確率低いらしいからなあ」





大学合格者の7割は浪人生で、現役生は3割ほどしかない。





大学受験は経験と日々の積み重ねが大きな力になる。





経験も積み重ねも浪人組に比べると乏しい秀一郎ら現役組には大学受験という関門は意外と狭い。











「あの、佐伯センパイ」





知らない女子が何人か声をかけてきた。





「ん、なに?」





「あの、もしよろしければ、これから一緒にその、パーティーって感じでどうですか?」





「ああゴメン、先約あるんだよ」





「そ、そうですか。すみませんでした」





笑顔で断ると、女子たちは残念そうな顔で去っていった。





「さすがミスター泉坂だね」





冷やかす沙織。





「んなことないよ。あんな風に声かけられたの今日が初めてだよ」





「今日は真緒ちゃんがいないからね。あわよくばって感じだったのかも」





「そーゆー桐山はどうなんだ?ミス泉坂になってから変わった?」





「ううん特には。たまに下級生の男の子からラブレター来るけど、全部断ってる」





「でも桐山って美人だから結構頻繁に声かけられてたんじゃないか?」





「そんなことないよ。1年のときにちょこっとあったけど、その頃からお母さん入院しててそれどころじゃなかったからことごとく断ってたの。で、亡くなってからはずっと暗い顔してたから男子はおろか女子からも声かけられなかった。1年のときは寂しかったな」





「最初に会ったときも、いきなり泣きそうな顔見せたから焦ったよ」





沙織はキーケースを取り出した。





ふたりが知り合うきっかけになった、古く使い込まれたキーケース。





「これが壊れたときは凄くショックだったから。でも佐伯くんは綺麗に治してくれた。ホントに感謝してるよ」





「俺も桐山には世話になりっぱなしだ。俺に出来ることがあったらなんでも言ってくれよ」





「うん」





滅多に見せないとびきりの笑顔を見せた。











終鈴が鳴り、ふたりは学校を出て沙織の部屋に向かった。





「寒いな」





「今夜は雪になるかもね」





白い息を吐きながら夜道を歩く。





沙織の部屋に着き、扉を開けて明かりが点く。





「あれ?」





少し趣が異なっていた。





「せっかくだから少し飾り付けてみたの」





小さなツリーが瞬いていた。





それだけでもクリスマスの気分がした。





「じゃあ先に夕飯の支度しよっか。もうあらかた出来てるからすぐ用意出来るよ」





「手伝うよ」





「じゃあ食器とか並べてもらっていいかな」





沙織とふたりで食卓にいろいろ並べていく。





「なんか、ホントに豪華だな。それにクリスマスって気分がする」





食卓にはクリスマスらしい料理が並ぶ。





「こんなふうにクリスマス楽しむの中学以来だから、少し張り切っちゃった」





楽しそうな笑みを見せる沙織。





一通り並んだ。





「なんか凄いな」





「さらにとっておきがあるよ。綾先輩からのプレゼントがあるの」





「東城先輩から?」





少し驚く秀一郎に沙織が冷蔵庫から取り出したのは、





「お、おい、それはちょっとまずいんじゃ・・・」





「でも佐伯くんは結構強いって真緒ちゃん話してたよ」





「ま、まあ少しくらいならな。そーゆー桐山はどうなんだよ?」





「あたしも少しなら平気だよ。まあ年に一度だし、誰も見てないからいいんじゃないかな」





「・・・そうだな、ま、いっか」





少し抵抗があったが、飲み込んだ。





沙織はシャンパンのコルクを抜き、ふたつのグラスに注ぐ。





「じゃ、メリークリスマス」





グラスを鳴らし、一口つける。





「へえ、飲みやすいシャンパンだな。癖が全然ないよ」





驚く秀一郎。





「綾先輩も真中先輩もお気に入りの一本なんだって」





「ひょっとして結構高いんじゃないか?」





「値段は怖くて聞けなかったよ」





少し困った笑みを見せる沙織。





「こーゆーの知るとよくないんだよな。安い酒が呑めなくなる」





「佐伯くんはよくお酒呑むの?ここだけの話」





「たまにな。奈緒の親父さんが酒呑みで、たまに晩酌相手するかな。真緒ちゃんは少し呑めるけど奈緒は全くダメ」





「男の人同士でお酒呑むと楽しいらしいね」





「まあ酒で酔うとちょっと気持ちがおおらかになるからな。普段は言えない話が出来たりする」





「じゃあ女の子と呑んだことは?」





「それはない。だから今日が初めてになるな」





「そっか。なんかうれしいな佐伯くんの初めての相手になれるなんて」





幸せそうな笑みを見せる沙織。





美味しい酒に美味しい料理。





楽しい食卓になった。





沙織も饒舌になり、楽しくいろいろ話す。





会話が途切れることはなかった。





料理を一通り平らげると、今度は小さなケーキが出てきた。





「ホント、クリスマスだな」





「そうだね」





このケーキも美味しかった。











食後、とても心地よかった。





秀一郎はすっかりくつろいでいた。





沙織が手早く後片付けを済ます。





「なんか、勉強やる気がしないな。すげー気持ちいい」





「そうだね」





沙織が台所から戻ると、秀一郎に身を寄せた。





「き、桐山?」





大胆な行動に少し慌てる。





「佐伯くん温かい。こうしているとホントに心地いい」





秀一郎にも沙織の温もりが伝わる。





それはとても心地よく、全てを委ねたくなる。





と同時に、理性が警告を奏でる。





(ヤバイ、このままじゃ抑えが効かん。なんとか離れないと・・・)





そう思って身体を動かそうと思った矢先、











ドサッ。





沙織に押し倒された。





そして、





「・・・」





唇を奪われる。





甘く、とても心地いい。





「佐伯くん、いまは全てを忘れて、佐伯くんの赴くままに・・・」





あまりにも甘い囁き。





本能が理性に打ち勝った。














数時間後。





(俺は・・・)





ようやく落ち着きを取り戻しつつある。





暗い部屋。





何も身に付けていない状態で、布団に横になっていた。





秀一郎の素肌に触れる温かく柔らかい感触。





一糸纏わぬ沙織が幸せそうな笑みを浮かべている。





(俺は・・・桐山を・・・抱いたのか・・・)





あらためてその事実に気付いた。





焦燥感と自責の念が強くなる。





「桐山、俺は、その・・・」





「いいよ、なにも気にしなくて」





「そんなわけにはいかない。俺は、越えちゃいけない一線を越えちまった」





「だから、あたしがそうするように仕向けたんだから。確信犯なのはあたし。だから佐伯くんは余計な心配しなくていいよ」





沙織は優しく、どこか魅惑的な笑みを向ける。





(・・・このまま、桐山の誘惑に乗っちゃダメだ)





そう強く言い効かせ、身体を起こす。





「佐伯くん?」





「ゴメン、いまさらこんなこと言ったらダメなんだろうけど・・・少し時間をくれないか?」





「うん。でも、あまり重く受け取らなくていいよ。あたしは佐伯くんの判断に任せるから」





そう優しく微笑む。











秀一郎は手早く身支度して、沙織の部屋を出た。





(あ・・・)





雪が舞っていた。





既に日付は変わっていた。





(ホワイトクリスマスか。たぶん桐山は俺と過ごしたかっただろう。でも・・・)





そうしたら、完全に後戻り出来ないと感じていた。





(いや、いまさらなんになる?俺がしたことは変わらない。俺は今後もあいつと過ごすことが許されるのか?)





強い自責の念に駆られる。





寒さより、そちらのほうが堪えた。











自宅の前に着く頃には、頭と肩にうっすらと雪が積もっていた。





(ん?)





そこに人影が立っていた。





秀一郎とは比べものにならない量の雪が積もっている。





慌てて駆け寄る。





「奈緒!なにやってんだ?」





「秀、おかえり」





いつもの元気はなく、寒さで声も震えている。





思わず抱きしめた。





小さな身体は氷のように冷たい。





「なんでこんなとこで待ってんだよ?鍵持ってるだろ?」





「ここで待ってなきゃダメだって思ったから・・・」





「なにがダメなんだよ?」





「よくわかんない。なんとなく・・・」





「はあ、なんだよそれ?」





奈緒の行動が理解出来ない。





そんな奈緒も腕を回し、秀一郎を抱きしめる。





「秀、このままあたしを温めて」





「えっ?」





「迷惑なのもわがままなのもわかってる。でもお願い、秀の身体で凍えたあたしを思いっきり抱きしめて」





「と、とにかくウチに入ろう」





はぐらかしたかった。





今の秀一郎の身体には沙織の匂いが染み付いている。





それに感づかれるのはまずいと思った。





だが、奈緒は放さない。





「おいちょっと、奈緒?」





戸惑う。











「あたし全部気にしない。秀から他の女の匂いがしても構わない。だから熱く抱いて」





ギクッとした。





もう既に気付かれていた。





「奈緒、俺は・・・」





「なにも言わないで、あたしに後ろめたい想いがあるなら、その分あたしの身体にぶつけて。それでいいから・・・」





奈緒は少し辛そうな声でそう漏らした。











(奈緒・・・ゴメン・・・)





秀一郎は強く抱きしめる。





あらためて沙織を抱いたことを悔いていた。


[No.1587] 2010/08/20(Fri) 20:12:59
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元旦。





去年はひとりで神社に行き、そこでちょっとした事故に遭い、それがきっかけで沙織と過ごすことになった。





そして今年は菅野、里津子ペアに誘われて初詣に行くことになった。





小崎家の年末年始は海外で過ごすのが通例になっており、今年は台湾に行っている。





待ち合わせ場所にはすでにふたり揃っていた。





「よっ、おふたりさん、あけおめ」





「あけましておめでとう、佐伯くん」





「よっ、今年もよろしくな」





笑顔のふたり。





3人で神社に向かう。





「佐伯は受験勉強順調か?」





菅野が尋ねてきた。





「まあまあかな。まあ何とかなりそうだ」





「余裕ありそうだな。俺は結構きつい」





菅野は辛そうな顔を見せる。





「お前はどこ行くんだ?」





「あたしと同じ大学だよ」





と里津子が教えた。





「御崎ってもう推薦で決まってたよな?」





「うん。指定校推薦だから面接と小論文でクリア」





「よく指定校受けられたな」





指定校推薦は各高校ひとりずつしか枠がない。





学校から推薦を受けるには成績、内申点ともに良くないと選ばれない。





「まああたしが受かった大学は泉坂のレベルから見ればランク低めだし、成績は難ありだったけど内申点で黒川先生が高い評価をつけてくれたの。真緒ちゃんの件でね」





「そっか。それに加えて生徒会のパイプ役とかやってたもんなあ」





この説明で納得した。





「けど里津子が受かった大学は泉坂からすればランク低いかもしれんが、芯愛じゃそうでもない。だから俺はきついんだよ」





「でも菅野ってそんなに頭悪そうには見えんけどな」





「そうかな?学校シメてる番格ってケンカは強いけど頭悪そうなイメージあるけどなあ」





「御崎、それは昔の話だ。ただ強いだけのケンカバカでシメるなんて無理だ。強い求心力とそれなりに切れる頭持ってないと務まらん。そうだろ?」





と秀一郎が菅野に振ると、





「まあな。いろいろ先公と揉めたが、成績で文句つけられたことはねえ」





少し自慢げに微笑む菅野。





「御崎も菅野支えてやれよ。もう進路決まってるんだから時間あるだろ?」





「うーん、でもあたしも結構バカだからなあ。和くんより頭悪いかも。だから勉強の役には立てそうにないね」





「ただやる気がないようにしか見えんけどな」





呆れる秀一郎だった。











3人でお参りを済ませ、近くのファミレスに入った。





「しかし佐伯のクリスマスはいろいろ大変だったみたいだな」





菅野がその話を振ると、秀一郎はドキッとした。





「どこまで知ってんだ?」





真面目な顔で聞く。





すると里津子が、





「佐伯くんゴメン。実はあたしら、沙織のフォローでいろいろ動いてたんだよ」





秘密を暴露した。





「なんだって?」





驚く秀一郎。





「それに奈緒ちゃんが感づいてね。まああたしらふたり揃ってこってり絞られたよ」





「お前ら・・・」





言葉を失う。





「でも佐伯はかなりおいしい体験したんじゃないか?クリスマスに3人の女と寝るなんてなかなか出来んぞ」





菅野はそう冷やかすが、





「傍目にはそう思うかもしれんが、正直やりたくないぞ。身体的にも精神的にもきついからな」





クリスマスの夜、帰ってそのまま凍えた奈緒を抱いた。





秀一郎には沙織の匂いが染み付いていたが、奈緒は何も言わずに秀一郎に身体を委ね、激しく乱れた。





そして翌朝、疲れて眠っていたら真緒に起こされた。





そのとき、秀一郎も奈緒も何も身に付けていなかった。





さすがに焦ったが、真緒は普段の笑顔を見せ、





一緒に起こされた奈緒は、





「秀、今度はお姉ちゃんの相手だよ。頑張ってね」





と寝ぼけ眼で伝えた。





「は?」





「クリスマスには好きな人に抱かれたいの。お姉ちゃんも秀が好きなんだから、その希望を叶えてあげて」





と言われ、今度はホテルに行き、そこで真緒を抱いた。





「奈緒ちゃんも真緒ちゃんもしっかりしてるね。ちゃんと佐伯くんを共有しようとするなんて。あたしは無理だなあ」





「普通の女の子なら無理だと思うぞ。奈緒も真緒ちゃんも本心は嫌なはずだ。俺だっていい気分はしない」





「けど抱いたんでしょ?いつも通りに」





里津子が突っ込むと、





「正直、あまりやる気がなかった。けど奈緒も真緒ちゃんもいつも以上に積極的だったからなんとかなった。でもいろいろきつかったよ。もう二度とやりたくないな」





「ふうん、ハーレムは男の夢って聞くけど、実際は違うんだね」





「図太い神経があれば楽しいかもしれんが、俺は楽しくなかったよ」





それが秀一郎の本心だった。





「いろいろ迷惑かけたみたいだな。でも勘弁してくれ。これも里津子が親友を想ってのことだったんだ」





菅野がそう弁明すると、





「それが俺には理解出来ん。なあ御崎、俺には彼女がいる上に、理由はどうあれ二股かけてる男だぞ。そんな奴になんで親友が抱かれるような孝策したんだ?」





真顔で里津子に尋ねる秀一郎。





「だって女の子にとって、初めては大好きな人に身を委ねたいもん。沙織はそれだけの想いを佐伯くんに抱いてる。それを叶えてあげたかったの」





と理由を口にした。





「それが俺にはわからん。確かに俺は桐山に手を出しちまった。でもだからって奈緒を捨てられん。真緒ちゃんとの関係を絶つのも無理だ。そうしたらふたりとも心が壊れる恐れがある。そんな男に抱かれた桐山は幸せなのか?」





「幸せだよ。少なくともあたしや真緒ちゃんよりはね」





「それは・・・」





返す言葉に詰まる。





「佐伯くんも真緒ちゃんの苦しみを目の当たりにしたでしょ?沙織はきれいな子だから、これからいろんな男が寄ってたかってくる。ろくでもない男が初めての相手になるよりは、ちゃんと想いを寄せてる男が相手のほうがずっといい。それが叶わぬ恋でもね」





「なら俺はどうすればいいんだ?進路が別れるならまだしも、俺と桐山は同じ大学、同じ学課に行く可能性が高い。これからずっと桐山がそばにいるんだ。今でも気まずい感じで会うどころかメールも打てない。気まずい関係を続けろってことか?」





思わず声に力が入る。





「やっぱり佐伯くんは真面目だね。奈緒ちゃんもそれを言ってた。佐伯くんの負担を考えてない軽はずみな行動だってね。でもあたしは佐伯くんを信じてる。沙織の想いも受け止められるってね」





「も?お前、それって・・・」





「そう。奈緒ちゃんと真緒ちゃんと同じように沙織と付き合ってくれればいいと思うよ」





「お前正気か?二股どころか三股かけろって言うつもりか?」





「たぶん沙織はそれで満足だよ」





里津子の顔は自信に満ちている。





「んな訳あるか!女の子がそんな扱い受けてうれしいなんてありえない。それに奈緒も真緒ちゃんも受け入れるわけない」





「あのふたりなら大丈夫だよ。絶対に佐伯くんには逆らわない。確かに嫌な気持ちは当然あるだろうね。でもそれ以上に佐伯くんに捨てられるほうが嫌だから」





「それは・・・確かにそうかもしれん。でもそんな気持ちに付け込んで付き合う女の子を増やすなんて出来ん」





「だから佐伯くんは真面目過ぎるんだよ」





「どこが真面目なんだよ?二股かけてる時点で不真面目でいい加減な男に決まってるだろ?」





「普通の男ならね。でも佐伯くんは女の子からの人気が高いんだよ」





「だからって二股かけていい訳じゃない」





「たぶん佐伯くんは自覚ないんだね。人気の高さは異常なレベルなんだよ。けど真緒ちゃんを恐れてみんな近付けないだけ。二股だろうが三股だろうが関係ない。ただ付き合ってくれるだけで喜ぶ女の子はうじゃうじゃいるんだよ」





「それよく言われるけど、実感ねえよ。確かにバレンタインはたくさんチョコ貰ったし、ミスター泉坂にも選ばれた。けどそれだけだ」





「それで済んでるのは真緒ちゃんの力だね」





「確かに真緒ちゃんは強い。でもその力は滅多なことがない限り奮わない。俺との関係を守るために奮うなんてない」





「そんなことない。真緒ちゃんは奮ったよ」





「いつだよ?」





「軽音の槙田さんが真緒ちゃんにやられて大怪我したじゃない」





「ちょ、ちょっと待て、なんでお前がそれ知ってるんだ?」





また驚く秀一郎。





「表向きはあれは槙田さんが階段から転げ落ちたことになってるけど、真相を知ってる子は結構いると思うよ。槙田さんが真緒ちゃんにケンカ売って、返り討ちにされたってね」





「でもあれは、あいつは俺にケンカ売ってきたんだ。けど俺には女の子は殴れん。それで真緒ちゃんが代わりに相手したんだ。恋愛云々は関係ない話だぞ?」





「やっぱり奈緒ちゃんの言う通りだ。佐伯くん鈍いね」





「鈍いってなにがだよ?」





「槙田さんも佐伯くんが好きなんだよ」





「は?あいつが俺を?事あるごとにケンカ売られてるだけだぞ?」





「それも彼女なりの感情表現なの。で、真緒ちゃんもそれに気付いた。それでわざと過剰な攻撃をして大怪我を負わせた。それは真緒ちゃんの強い意思の現れでもある。佐伯くんに近付く子は容赦しないってね」





「お前、マジで言ってるのか?」





「当然だよ」





里津子の表情は真剣そのものだった。





さすがに秀一郎も寒気を感じた。












(俺は、どうすればいいんだろうか・・・)





冬休み中、それが頭から離れなかった。





(俺は桐山に手を出した。その事実に変わりはない。それで、桐山を捨てるのか?ずっと世話になりっぱなしで、命の恩人で、そのせいで大きな傷跡を負った女の子を・・・)





考えれば考えるほど、捨てられない。





(じゃあ桐山とも付き合う・・・でも真緒ちゃんはともかく、奈緒は間違いなく反発する。下手すりゃ血が流れるぞ)





秀一郎の苦悩はずっと続いた。











そして冬休みが終わり、学校が始まる。





(桐山とどう話せばいいんだろうか?)





秀一郎の答はまだ出ていなかった。





「おはよう佐伯くん」





そんな秀一郎に沙織が笑顔で声をかけてきた。





「ああ、おはよう」





緊張が高まる。





「勉強どうだった?ちゃんと進んだ?」





「ああ。まあまあかな。もうすぐセンター試験だし追い込みかけんとな」





「じゃあ放課後一緒に市の図書館行かない?」





「ああ、いいよ」





「よかったあ。ひょっとしたら断られるかもって思ってたからドキドキしちゃった」





ホッとした笑みを見せる沙織。





「えっ、なんで?」





「だってあたしのわがままで佐伯くんの心に負担になることしちゃったから。メールも全然来ないし、だからってあたしも送る勇気なかったから少し心配だったんだ」





「じゃあ俺と同じだな。なんか俺も気まずくてさ」





自然と笑みがこぼれる。





「でも今は受験に集中しようね。これからが正念場だから」





「桐山、俺なりにどうすればいいかずっと考えてたけど、簡単に割り切れる状況じゃない。俺だけならまだしも、他の子も絡んでる。だからもう少し待ってくれないかな?」





「うん、あたしはいつまでも待つから」





沙織は普段通りの笑みを見せる。





これで秀一郎の心もかなり軽くなった。











放課後、ふたりで学校を出る。





そこで校門に小柄な人影があった。





「なにやってんだ奈緒?連絡もよこさずにどうした?」





「秀には用はないよ。桐山さん」





奈緒は沙織の前に立ち、笑顔を見せる。





「なに、奈緒ちゃん」





「秀をいろいろ支えてくれてありがとう。これから一緒に勉強?」





(なんか・・・)





奈緒の笑顔に繕っている感じがして、不気味に思う秀一郎。





「うん。一緒に図書館行くの」





「そっか。秀も桐山さんをホントに頼りにしてるから、これからもよろしくね」





「うん。あたしに出来る範囲で頑張るよ」





「でも・・・」











奈緒は一歩踏み込み、











パアン!











沙織の頬を平手で叩いた。











(やっぱり、やっちまったか)





予想はしていたが、やって欲しくない行動を取った奈緒。





周りに他の生徒も群がって来る。





「とりあえずこれでチャラにしてあげる。でも次は許さないから。いくらなんでも他人の力を借りてまで誘惑するなんてアンフェアだよ」





「そうだね。もう手の込んだ裏工作はしないよ。でもあたしも諦めないから」





沙織は叩かれた頬を押さえて強い決意を見せる。





「やるなら正々堂々としてちょうだい。じゃあね」





奈緒は言いたいことだけ言うと、秀一郎には目を向けずに立ち去った。





「桐山ゴメン、大丈夫か?」





「ううん、これだけで済むなら全然平気だよ。でも奈緒ちゃん甘いね」





そう言った沙織の笑顔には自信が満ちていた。


[No.1588] 2010/08/27(Fri) 19:27:17
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regret-73 (No.1588への返信 / 72階層) - takaci

秀一郎は苦しい受験勉強から解放された。





入試は無事終了。





手応えはあり、なんとか合格した。





そして沙織も合格。





「佐伯くん、とりあえずまた4年間よろしくね」





「ああ、こちらこそよろしく」





「佐伯くんは7年在籍することになるんだよね。大学院卒業しないと司法試験受けられないもんね」





「そうなるな。桐山はどうする?」





「まだそこまでは決めてない。でもやってみてもいいかなとは思ってる」





「真剣に目指すなら早いとこ決めたほうがいいぞ」





「そうだね。でもいまは大学生活を楽しむことを考えたいかな」





「ま、それもそうだな」





笑顔に包まれるふたりだった。











もう学校は自由登校になっており、卒業式を迎えるだけ。





秀一郎はバイトに励んでいた。





これで目標としていた弁護士への道に近づいた。





だが、司法試験は大学受験ほど簡単にクリアー出来るようなハードルの高さではない。





バイトも勉強の一環である。





そんな秀一郎に所長の峰岸が相談を持ち掛けた。





「バイトをもうひとり、助手ですか?」





「ああ。もうひとり女性の弁護士を雇い入れることになったんで、その助手だ。出来れば法律関係志望の学生の女の子がいいな。心当たりないかな?」





真っ先に沙織の顔が思い浮かんだ。





「一緒に勉強して、同じ学課に受かった女の子がいます。俺より頭いいから充分戦力になるとは思いますけど、本人はまだ将来の道を決めてないんです」





「そうか、試しにその子に聞いてみてくれないかな?ちなみにその子、いまバイトは?」





秀一郎は沙織について簡単に説明した。





「そうか。たぶん今の雑貨屋よりウチのほうがいい時給になるよ。あ、あと佐伯くんの時給も4月から上げるから。大学生になったからね」





「あ、ありがとうございます」





秀一郎はその日の夜、早速沙織に電話した。





『あたしが弁護士の助手?そんな仕事出来るかなあ?』





「助手ってもたいしたことないよ。公判前はさすがに忙しいけど、俺でも出来てるんだから、桐山なら大丈夫だって」





『そうかなあ?』





沙織は自信なさ気な声を出す。





「いまバイトしてる雑貨屋より近いし、時給だってずっとよくなるはずだ。悪い話じゃないと思うぞ。とりあえず面接受けてみろよ」





『うん、ありがとう。正直時給がいいのは魅力かな。受けてみるよ』





最後は弾んだ声を出した。











3月上旬。





泉坂高校は卒業式を迎えた。





「なんか、あっという間の3年間だったな」





「佐伯と桐山はいいよな。勝ち組の人生が待ってるんだからな」





隣で皮肉る正弘。





正弘は受験に失敗し、浪人が決まっている。





「なに言ってんだよ。1年や2年の浪人くらいたいした影響ないだろ。それよりランク落とした大学行くほうがデメリット大きいんじゃないか?」





「でも俺じゃどんなに頑張っても佐伯のレベルは無理だ。公立の大学の法学部で、しかも大学院まで行くんだろ?」





「ああ、まだ7年も学生生活だ。社会人になるにはまだ当分かかるな」





ふうとため息をつく秀一郎。





「なんだよお前、社会人になりたいのか?」





意外な声を出す正弘。





「まあ、ちょっと思うとこがあってな」





高い空を見上げた。











式と最後のホームルームが終わると、里津子に呼ばれた。





「なんだよ用事って?」





「あーよかったよかった。全部ボタン付いてるね」





「ボタン?」





そして里津子に引っ張られて中庭へ。





かなりの数の女子が集まっている。





里津子はマイクを受け取ると、仮設のステージに秀一郎を連れて上がった。





女子たちのボルテージが上がる。





『さあみんなお待たせ!これからミスター泉坂、佐伯秀一郎のボタン抽選会始めるよー!』





黄色い歓声が上がった。





「おいなんだよ御崎、俺はなにも聞いてないぞ?」





「佐伯くんのファン多いんだから、こうでもしないとトラブルになるかもしれないよ。だから協力して」





と里津子に押し切られ、制服のボタン全て提供することになった。





その後も写真撮影に付き合わされた。





解放されて校門前に行くと、奈緒がいた。





「ちょっと秀、ボタンどうしたのよ?」





「文句があるなら御崎に言ってくれ」





と、隣の里津子を指差す。





里津子が秀一郎のボタン争奪イベントのことを話すと、





「ちょっとりっちゃん、勝手なことしないでよ。あたし秀のボタン貰うつもりだったんだよ!」





奈緒は怒った。





「奈緒ちゃんは佐伯くんそのものを持ってるんだからそれくらい気にしちゃダメだよ」





「それとこれとは話が・・・」





「奈緒ちゃんと真緒ちゃんと沙織は佐伯くんとの絆が深いからボタンはなし。独占禁止法発動ってことで納得して」





「もうっ!」





里津子に押し切られて腹を立てる奈緒だった。





そこに真緒と沙織もやって来た。





ふたりとも目が赤くなっている。





「りっちゃん、3年間ホントにありがとう。元気でね」





「センパイ、御崎先輩、卒業おめでとうございます」





さらに泣き出すふたり。





「ほらほら、そんなに泣かないで。沙織もちゃんと佐伯くん捕まえときなさいよ」





「ちょっとりっちゃん、なに言ってんのよ?」





それを聞き逃す奈緒ではなかった。





「まあ奈緒ちゃんが腹立つのはわかるよ。でも佐伯くんにとって沙織がただの友達だけだって言い切れる?」





「それは・・・」





返答に詰まった。





「もう強がらずに認めちゃいなよ。強情張ってると捨てられるかもしれないよ。まあ佐伯くんも簡単に奈緒ちゃんを捨てたりはしないだろうけど、佐伯くんには奈緒ちゃん意外の選択肢があるんだからね」





奈緒はしばらく黙り込み、





「桐山さん、あなたってホントに狡猾で賢い女だよね。絶対に隙は作らないつもりだったし、マークもしてた。けど気がついたら秀と深い絆を結んでた。ここまでやるとは思わなかったよ」





沙織に交戦的な目を向ける。





「まあ、我ながら嫌な女だと感じてるよ。でもなりふり構ってられなかった。それにいろんな人が応援してくれたし」





「桐山さんはあたしと秀が付き合ってるの嫌じゃないの?」





「あまり気にならない。佐伯くんの余裕があるとき、あたしで出来ることがあれば支えたい。あと少しだけあたしを見てくれればそれで満足。それが本音だよ」





笑顔を見せる沙織。





「秀から桐山さんを切ることはないし、切れない。そういう状況に持ち込んだのは認める。気に入らないけどね」





「あくまで結果論だよ。たまたまいろんな偶然が重なっただけ。でもだからって佐伯くんが奈緒ちゃんを切ることもないと思うよ。ふたりの絆はとても強いから」





「あたしと争う気はないってこと?」





「そんな争いはなにも生まないし、佐伯くんの負担になるだけ。それは避けたいね」





「わかった。じゃあ桐山さん、とりあえず休戦しよ。あたしも秀と桐山さんの関係認めるよ。その代わり、ふたつの条件がある」





「なに?」





「ひとつは秀のガード。恋人の自覚持って、他の女が近寄らないようにして」





「わかった」





「それと、今から秀にコクって」





「えっ?」





「まだちゃんとコクってないんでしょ。そんなんで付き合われるのは嫌。断られることはないんだから、ほらさっさと!」





奈緒に急かされた沙織は少し戸惑い顔で秀一郎と向き合った。











「えっと、その・・・佐伯くん、あたしはあなたが・・・好きです。だからこれからも、よろしくお願いします」





「桐山、ホントに俺なんかでいいのか?本カノがいる男でいいのか?」





「だからあたしは気にしない。あたしは2番でいい。1番は奈緒ちゃん。それで充分だから」





沙織は頬を朱に染め、幸せそうな笑みを見せる。





「桐山がそれでよくて、奈緒も納得してくれるなら、俺も腹くくるよ。こんな俺でよければ、こちらこそよろしくな」





秀一郎は複雑な笑みを見せる。











「ヨッシャ!じゃ記念写真撮るよ!」





里津子が張り切り、秀一郎と沙織をくっつけて写真を撮った。





さらにみんな集まって集合写真。





秀一郎の右隣に奈緒、左隣に沙織。





ふたりの恋人に囲まれた秀一郎は少し息苦しかった。












その日の夜、真緒に誘われた。





いつものように真緒を抱く。





そして、





「センパイ、勝手だと思いますけど、あたし今日でセンパイから卒業します」





「えっ?」





「あたし、センパイにすごく支えてもらいました。だからもう大丈夫です。これからは前向きに、ちゃんとした恋愛が出来るように頑張ります」





「そっか、俺は別に構わんよ。頑張ってね」





真緒の頭を撫でる秀一郎。





「センパイも頑張ってくださいね。奈緒と桐山先輩、ふたりの相手って大変だと思いますけど」





「まあ、なんとかするよ。奈緒も桐山もお互いのことを認めたから、影でこそこそバレないようにすることないしな。真緒ちゃんも俺みたいないい加減な男じゃない、ちゃんと誠実な男見つけなよ」





「うーん、それでもセンパイはあたしの理想の男性です。でも奈緒と桐山先輩のふたりと付き合うなら諦められます。あたしにはちょっと入り込めませんから」





「そっか、ゴメンな」





「気にしないでください。あと奈緒が困らせるようなこと言い出したらいつでも言ってください。あたしで出来ることはしますので」





真緒は屈託のない笑みを見せる。





それが秀一郎の心を軽くした。


[No.1589] 2010/09/03(Fri) 19:24:58
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regret-74(Fin) (No.1589への返信 / 73階層) - takaci

4月。





秀一郎は大学生になった。





そして沙織が同じ弁護士事務所でバイトを始めた。





必然的に一緒にいる時間が長くなる。





それとともに桐山沙織という女性の新たな一面も見えてきた。





「沙織って少し天然入ってるな」





「そう?」





「仕事見てるとそんな感じする。しっかりした女の子だとばかり思ってたけど、少しボケてる時があるな」





「それで天然って言われるのはショックかも。秀一郎が完璧過ぎるんだよ。全然ミスしないんだから」





お互い下の名前で呼ぶようになった。





ふたりの絆は日増しに深まっていった。











バイトが終わり、ふたり一緒に帰る。





そこで、





「よっ、佐伯くんに沙織ちゃん」





淳平が声をかけてきた。





「あ、真中先輩、お疲れ様です」





頭を下げる秀一郎。





「綾から聞いたよ。沙織ちゃんおめでとう。よくやったね」





「ありがとうございます。ホントに綾先輩のおかげです」





「えっ?」





秀一郎は意味がわからない。





「佐伯くん、実は君と沙織ちゃんが付き合えるように、綾がサポートしてたんだよ」





「ええっ?」





淳平の言葉に驚く。





「理想は佐伯くんが奈緒ちゃんと別れて、ちゃんと沙織ちゃんと付き合うようにするのが目的だったけど、奈緒ちゃんとの絆が思ってたよりずっと深かったからこんな変な形になったけどな」





苦笑いを浮かべる淳平。





「御崎や菅野が動いてたことは聞きましたけど、東城先輩までもですか」





少し呆れる。





「でも奈緒ちゃんって強いね。自分の彼氏が他の女の子と付き合うの認めるなんてなかなか出来ることじゃない」





「俺は奈緒にフラれると思ってたんですけどね」





「だから奈緒ちゃんからは絶対に切らないって。ホント心の底から秀一郎を想ってるもん」





「まあ、うれしいには違いないけど、正直複雑だな。その想いにちゃんと応えてない気がするからな」





「でも女の子同士がお互いを認め合って共有出来れば負担は軽いよ。俺はそんなのとはほど遠いからな」





「そう言えば真中先輩も複雑ですよね。その・・・西野さんとはどうなったんですか?」





少し抵抗があったが、はっきり尋ねた。











「先月、つかさはまたフランスに行ったよ。それで投資して欲しいと言われたから少し渡した」





「投資?」





首を傾げる秀一郎。





「あいつ、向こうに本格的な店を出すんだ。で、その資金を俺が少し出した。つかさは店を成功させて、大きくして、俺が出した額を何倍にもして返すつもりらしい」





「それってつまり、それで東城先輩が真中先輩に肩代わりした全額支払うつもりなんですか?」





「たぶんそうだと思う。で、俺と綾を切り離したいんだろうな」





「そんな・・・そんなことでおふたりが離れるなんてあたしには考えられません」





沙織は不満そうにそう口にする。





「俺もそれで綾と別れたりはしないだろう。でもそうなれば綾に対する負い目は無くなるな。逆につかさに対して負い目を感じるかもしれない」





「もう決めちゃえばいいじゃないですか?真中先輩が綾先輩にプロポーズすれば解決すると思います。綾先輩も断りませんよ」





「それ、よく言われるよ。けどそうなると完全に綾に養われる形になるから男としては情けないんだよ。綾に頭が上がらん」





「確かにそれは嫌ですね。男なら生活支えたいですもんね」





秀一郎が同調した。





「そんなもんなの?」





「女の子にはわからんかもしれんが、生活基盤は男が持ちたいよ。それで奈緒が困ったことを言い出してちょっと説得に悩んでるんだ」





新たな困り顔を見せる秀一郎。





「ははあ、奈緒ちゃんって確か高3だよね?進学せずに就職して、その稼ぎで佐伯くんと暮らすつもりだろ?」





淳平が指摘した。





「そうなんですよ。ちょっと焦ってるみたいなんです。俺が大学院卒業するまで待てって言ってるんですけど、あいつは7年も待てないって結構強情で・・・」





思わずため息が出た。





「けど学生結婚って現実は厳しいよ」





淳平も難しい顔を見せる。





「奈緒だって大学行けないほど頭悪くないし、やれば出来る奴なんです。そんな理由で進学諦めるなんて絶対に間違ってる」





「秀一郎が奈緒ちゃんにまだ一緒に暮らす気はないって言えば・・・そうなると駄々っ子になっちゃうよね」





沙織までもが困り顔を見せる。





「奈緒ちゃんと沙織ちゃんでバランスが取れてないんだろうね」





「バランス?」





「佐伯くんと奈緒ちゃんが一緒に暮らすのは難しいけど、沙織ちゃんとは簡単だろ?ひとり暮らししている沙織ちゃんの部屋に行けば、すぐにでも同棲生活が始められる」





「秀一郎と同棲かあ、楽しいかも・・・」





「おいおい沙織、なに言い出すんだよ?同棲なんて出来んぞ」





「あ、そ、そうだね」





秀一郎に言われて我に帰る沙織。





「でもちょっとしたきっかけ、例えば奈緒ちゃんとケンカして、その反動で沙織ちゃんの部屋に行ってそのままふたり暮らしが始まる可能性は低くないよ」





「確かにそれはあるかも。もしそうなればあたしは秀一郎を受け入れるだろうから」





「そうなれば微妙なバランスは大きく崩れる。ひとつ屋根の下で暮らすってのは絆がぐっと強まるからね。奈緒ちゃんが危惧してるのはそれじゃないかな?」





「じゃあどうすれば・・・」





秀一郎は悩む。





「あくまで俺の提案だけど、佐伯くんが家を出てひとり暮らしするのはどうかな?」





「えっ、俺が?」





「大学生になったんだから、親元を離れて生活するのも悪くない。学生向けのワンルームなら家賃もそんなに高くない。今のバイトの稼ぎなら、なんとかなるんじゃないかな?」





「それはまあ、貯えも少しはありますし」





「真剣に考えてみなよ。佐伯くんなら出来ると思うよ」











その日の夜から真剣に考えた。





今までの貯金、





バイトの収入、





生活費は沙織のアドバイスを参考にした。





両親の許可は簡単に出て、むしろ応援してくれた。





さらにいくらか仕送りも貰えることになった。





そして部屋探し。





秀一郎の考え、奈緒の意見、沙織の意見を聞き、実家から歩いて20分ほどの場所に手頃な部屋が見つかった。





さすがに車庫の費用までは出なかったので、車は実家に置くことにして、普段の足で自転車を購入した。





これで、準備は調った。





淳平のアドバイスから1ヶ月で、秀一郎のひとり暮らしが始まった。











最も喜んだのが奈緒。





新しい部屋は奈緒の自宅から歩いて5分とかからない。





「あたし頑張るから!毎晩秀の夕飯作りに来るから!」





もう通い妻を決め込むつもりでいる。





「気持ちだけで充分だ。お前受験生なんだからそっちに集中しろ」





「でも秀って自炊全然ダメじゃん」





「お前や沙織から少しずつ教わるよ」





「けどここから桐山さんの部屋まで結構あるじゃない?彼女はいろいろ大変だと思うよ」





「沙織は足で原付スクーター買ったから、それならここまで10分くらいだ」





「ふうん、桐山さんがスクーターね。結構頑張ってんだなあ」





「お前はとにかく受験頑張れ。俺も桐山も教えてやるからそっちに集中しろ」





「え〜っ、桐山さんから教わるの?」





明らかに嫌な顔を見せる。





「まあ今更仲良くしろとまでは言わん。けど桐山は人に教えるのが上手い。だから利用出来るものは利用しろ。それがお前にとってプラスになる」





「はいはい、秀が言うならそうする」





渋々納得する奈緒だった。











その後ふたりで近くのスーパーまで買い物に行った。





「ねえ秀、ぶっちゃけ聞くけど、今だったらあたしと桐山さん、どっち選ぶ?」





「お前らしいストレートな質問だな。なら俺も本音で答えるぞ」





買い物カゴを持つ奈緒の顔が引き締まる。





「俺はお前と一緒になりたい。けど沙織が切り札を出して来たら沙織だ」





「切り札?」





「身体の傷跡だよ。俺をかばって背負った大きな傷跡。あれの責任取れと言われたら取るしかない」





「そんなに大きいの?」





「お前も綺麗な白い肌だけど、桐山はさらにきめ細かくて白い。だから相当目立つ。しかもそれで死にかけてるんだ。今でも思い出すよ。集中治療室での蘇生の光景をな」





「こうして秀と買い物出来てるのは桐山さんのおかげでもあるんだよね。お姉ちゃんもよく言ってたしあたしも理解はしてる。でもそれって秀ひとりが背負わなきゃダメなの?秀はなにひとつ悪いことしてないんだよ?」





「どんな理由があっても桐山は俺の命の恩人で、その代償で大きな傷跡を背負った。その事実は変わらないし、逃げられない」





「桐山さんは冗談抜きで命懸けの勝負をして、それに勝ったからいまの位置を掴んだ。じゃああたしも同じように死ぬ気でなにかすれば・・・」





「おいおい、それこそ冗談じゃないぞ。あんな想いはもう二度としたくない」





「じゃああたしはどうすれば桐山さんに勝てるの?」





「情けない話だが、俺にもわからん。どうすれば上手く収まるのかな」





「そっか、そうだよね。それがわかればこんな形になってないもんね」





奈緒の声が暗くなる。











「なあ奈緒、お前後悔してないか?」





「後悔?なにを?」





「俺と付き合わなければこんな苦しみを味わうことはなかった。正直辛いだろ?」





「まあ本音はね。けど秀がそれだけいい男ってことで仕方ないと割り切ったよ。だってあたしは秀が好きなんだもん」





「そっか、ありがと。あとゴメンな」





「秀にはあるの?後悔」





「まあな。もっと普通に誠実でいたかった。どこでどう間違えちまったんだろうな、俺は」





「大丈夫、秀は間違ってないよ。だってあたしはそれでも幸せだから」





普段の笑みを見せる奈緒。





(奈緒・・・)





この笑顔に何度も救われた。





ずっと支えてくれていた。





いまの秀一郎にとって、最も大切な笑顔。





これだけは失いたくない。





だが、他にも捨てられない、逃げられないものがある。





(情けない男だよな。奈緒と沙織の優しさに甘えてるだけだ。でも・・・悔やんでも仕方ないよな)





秀一郎は自分にそう言い効かせ、行き先不透明な道を歩いていく。











regret Fin...


[No.1590] 2010/09/10(Fri) 20:04:12
p57ddf1.aicint01.ap.so-net.ne.jp
Re: regret-74(Fin) (No.1590への返信 / 74階層) - ふれ

長い間お疲れ様です。

とてもおもしろい作品でした。


[No.1591] 2010/09/11(Sat) 22:33:36
i220-221-128-161.s02.a022.ap.plala.or.jp
Re: regret (No.1491への返信 / 1階層) - やちる

ここにカキコして
よかったんですかね?


長い間楽しませていただきました
お疲れさまですo(^-^)o


[No.1592] 2010/09/12(Sun) 01:04:29
proxy20053.docomo.ne.jp
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