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[memory]プロローグ (親記事) - takaci

5年前・・・










ザアアアアアアアアアア・・・





ドドドドオオオオオオオオオオ・・・










とある山村にある大きな滝。





地元の人々は『神の住処』としてここを大切に保護している。





夏場には涼を求め、マイナスイオンを求めに都会から観光客も押し寄せる場所だが、





季節外れに加え、大荒れの天候の深夜に訪れる人はまずいない。










だがそんな状況にもかかわらず、滝の上に1台のワゴン車が止まった。





暗闇の中、ワゴン車から放たれる強烈な純白の光が辺りを照らす。





扉が開き、雨合羽を身に着けた3人の男が出てきた。





そしてテールゲートを開け、青いビニールに包まれているものを引っ張り出す。










異様な光景だった。










少女である。










しかも衣服を身に着けていない。










透き通るような白い肌に痛いほど強い雨が降り注ぐが、少女の反応はない。










白い肌を雨が冷やすのではなく、逆に肌が雨粒を冷やすほどに冷たくなっている。











その華奢な身体は、生命の鼓動を停止してからかなりの時が経過していた。




















ゴロゴロゴロゴロ・・・   ドォオオオオン・・・










雷鳴が轟き、近くに雷が落ちたようだ。





男たちは雷鳴に驚きながらも、手早く作業を進めて行く。





一人が懐中電灯で足元を照らし足場を確かめながら慎重に滝へと近付いていく。





その後ろからふたりの男が少女の身体を抱え、前の男の誘導に従う。





この強烈な雨で地盤は緩み、とても危険な状態にもかかわらず、





3人の男は滝のすぐ側へ近付いた。










そして・・・










勢い良く、少女の身体を滝壺へと投げ込んだ。















3人の男は滝壺の辺りを覗き込む。





豊富な水量が生み出す滝の轟音に加え、激しい雨音が重なり少女が落ちた水音は全く聞こえない。





男の一人が小さな懐中電灯で照らすものの、豪雨により視界が悪く水面の状況はほとんど分からない。




















ガガアアアアアァァァン!!!!・・・・・





バシバシバシバシバシィッ!!!!!










雷が近くにある大木に落ちた。





驚いた3人の男は慌てて立ち上がり、素早くワゴン車に乗り込んだ。





ヘッドランプの純白の光が動き出し、次第に遠く離れて行く・・・















この滝には、神が住んでいる。










雷は、神への冒瀆とも取れる行為に対しての怒りの表れだろうか?















ガガアアアアアァァァン!!!!!










ビシィィィィィィィィッ!!!!!










強烈な雷光が、滝そのものに打ち付けた。









まるで、神の怒りが最高潮に達したかのように・・・・・


[No.734] 2005/01/01(Sat) 15:31:15
p6e7db8.aicint01.ap.so-net.ne.jp
[memory]1 (No.734への返信 / 1階層) - takaci

「ふう、これでひと段落着いたな」


「じゃあお昼にしよう。理沙、お父さん呼んできて」


「は〜い」


上岡理沙は元気良く返事すると裏口の扉を開けた。


ここから出て左に曲がると目の前には上岡家の畑が広がっており、そこで理沙の父が農作業を行っている。





「おとうさ〜〜ん、お昼だよお〜〜」


理沙の明るく元気な声がのどかな田園に広がっていく。










理沙はこの山奥の田舎町で生まれ、育ってきた。


父は農業を営み、


母はこの町では数少ない小さな食堂を経営している。


そして理沙は母の食堂の手伝い・・・というより、なくてはならない存在だ。





町ではダントツの美人であり、明るく元気な性格もあって理沙目当てで来る客は多い。


だが3年前から厨房での仕事がメインになり、接客は主に母の仕事になっているのだが、それでも客足は絶えない。


大衆食堂なので洒落たメニューは一切ないのだが、理沙の味は一級品なのだ。


さらに1年ほど前から数量限定の干菓子の販売を始め、それも好評。


だから食事時はいつも忙しく、それが過ぎると店内はかなり散らかっている。


母がその後片付けをして、静かになった店内で理沙が作った昼食を両親と共に食べる。


これが数年前からずっと変わらない、理沙の日常である。




















ガラッ。





「理沙あ〜、いくぞぉ〜!」


理沙たちが昼食を終えた頃、塚本歩美の元気な声が狭い店内に響いた。





理沙と歩美は幼馴染で、いつもふたりでいろんな事をやって来た。


楽しい事、辛い事、嬉しい事、悲しいこと・・・


その全てが二人にとって大切な思い出である。





今日はこれから山を降り、街に出て映画を見に行く予定になっている。


「ほ〜い。じゃあいこっか」


理沙はエプロンを外し、小さなハンドバックを手に取った。


これで準備完了。





「ちょっと、そんな普段着で街に出るの?もうちょっといい服着なさいよ!それに化粧くらいしなよお!!」


「そんなの必要ないって。街って言っても田舎じゃないの。何もしなくて十分だよ」


街に降りる事は結構あるのだが、理沙はいつもノーメイクだ。


と言うよりここ数年化粧をしていない。





それに対し歩美は化粧もばっちり、服も凝っている。


だが、持って生まれたものの差は大きい。


「はあ・・・まだ子供の居ないあたしが理沙にスタイルも肌の張り艶も負けるなんてさ・・・」


がっくりと肩を落とす歩美。





「ほらほらそんなに落ち込まないの!さあいくぞ〜!」


理沙はそんな歩美の方をやや強引に押しながら店を出て行く。


「じゃあお母さん行ってきます。お店と淳也お願いね」


「はいよ。行っといで」


呑気な声で娘を見送る母。





ふたりは理沙の軽自動車に乗りこみ、理沙はベルトを締めるとキーをひねる。


軽自動車は軽やかなエンジン音を奏でながら、狭い山道を下っていった。










「お、あったあった。ここだ」


「編集長〜、何でこんなトコに立ち寄るんすかあ?東京帰るの真夜中になりますよ?」


「ここの干菓子が美味くてな。東城先生への手土産だ」


「あんな小娘にぃ? 駅の土産物屋で十分じゃないですかあ?」


「ばかもん!東城先生の原稿がウチにどれだけの金を落とすか分かってんのか? いいか!もし取りこぼしたらお前のボーナスカットだからな!!」


「ええ〜〜〜〜〜っ!?」


ふたりの男がそんな会話をしながら理沙の店の中に入っていった。

























「歩美ぃ、結構いい映画だったよね?」


「そうだねえ。役者は知らない人ばっかだけど演技も悪くなかったし、良くまとまってたと思う。噂どおりだったね」


「へえ、歩美が映画を誉めるの久々に聞いた気がする」


歩美は高校時代に映像部にいたので映画にはうるさく、誉める事はめったにない。


「与えられた条件の中で監督がいい仕事をしてると思うよ。あの監督は個人的にはあんまり好きじゃなかったけど、この映画を見たら多少は認めてやらないとね」


「監督って・・・誰だっけ?」


「真中淳平。日本映画界の巨匠、蔵岩監督お気に入りの弟子。まだ24歳で映画監督では若手No.1かな」


「24って、あたし達よりふたつ上!? 監督にしちゃ若すぎない?」


理沙は監督の年齢を聞いて素直に驚いた。


先ほど見た作品がとてもそんなに若い人間が作ったものだとは到底思えない。


「だから若手No.1なの。でもねえ、あたしは気に入らない。映画以外で色々やりすぎだと思うし、女関係がちょっとだらしないからね」


歩美はあからさまに不機嫌な顔を浮かべる。


「え〜〜〜っ、そうなんだあ・・・」


理沙は若い監督に対して少なからず尊敬の念を抱いていたが、この話で一気に引いた。


「こいつも一応『外村ファミリー』なんだけど、その中の女の子に色々手を出してるみたいなのよ。まあ中にはあのやり手社長のでっち上げもあるんだろうけどね」


「外村ファミリー?」


「理沙あ!あんたも少しはテレビ見なさい!!いま芸能界で最も勢いのある集団だよお! 『竜也』様とか『つかさ』とか知らないのお!?」


「知らないよお。お店で忙しいし、淳也と一緒に子供番組見るくらいだよ」


「店も母親としても大変だとは思うけど、まだ若いんだからちょっとは情報張り巡らせなさいよ。いい、外村ファミリーってのはね・・・」


映画館の側にある喫茶店で歩美の力の入った説明が始まった。










外村ファミリーとは、若き社長『外村ヒロシ』が学生時代に立ち上げた芸能プロダクションに所属する芸能人の総称である。


ここ数年で一気に勢力を拡大し、今や外村ファミリーの人間がテレビに出ない日はない。


中でも、元スポーツ選手で超美形の俳優『竜也』と、グラマラスなボディと明るい性格が人気のバラドル『つかさ』はあらゆる方面から引っ張りだこだ。





そして真中淳平もまた外村ファミリーの一員であり、最近ちょくちょくバラエティ番組やトーク番組に出演している。





ちなみに歩美は竜也の大ファンである。





「ああ、竜也はあんたに写真見せてもらった事があるね。な〜んか信用できない顔してる男だよね」


「そんな事なあい!!竜也様は真中なんかと違ってクリーンで清潔で、浮いた噂なんて一切ないんだから!!」


(そっちのほうが怪しいじゃない・・・)


理沙はそう突っ込みたかったが、それを言ったらさらに歩美の長話に付き合わされることになるのでぐっとこらえた。










「あ、あの・・・この真中淳平って監督だけど、どっかで名前聞いたことあるんだよね?」


理沙は話題を切り替えた。


「そりゃそうだよ。最近結構テレビ出てるし」


「そうじゃなくってもっと前。4〜5年位前に、確か歩美から聞いたような・・・」


「え〜〜っ、そんな前にあたしからあ?4〜5年前って言ったらまだ高校生の頃じゃない?」


「確かそうだよ。まだ淳也があたしのお腹の中にいた頃だと思う」


「そんな時にあたしが真中淳平を知ってるわけが・・・」


歩美はしばらく頭をひねると、





「あ〜〜〜〜〜っ!!思い出した!! あれだ!! あの映画だ!!」


突然大きな声をあげた。


周りの客が驚いて思わずこちらを見るほどだ。





「ちょっと歩美!!」


顔を真っ赤にして小声で怒る理沙。


「あ・・・ごめん。でも思い出したよ。学生の時に見せた高校映画コンクールの入賞作品で、理沙そっくりの女の子が水色のワンピース着てた映画があったでしょ?」


「あれは覚えてるよ。あたしもホント驚いて・・・って、そういえばあの映画の監督って・・・」


「そう!真中淳平の高校時代の作品だよ。あたしが卒業間際で偶然見つけて、驚いて理沙に見せに行ったんだよねえ」


「そうそう。確かあたしが中3の頃に撮られた作品で、『あたしはその頃東京なんかに行ってない』ってムキになって怒ったっけ」


目を細めてその当時の光景を思い浮かべる理沙。





「でも改めて驚いたなあ。あたしってあんなに前に真中淳平の作品を見てたんだあ」


「歩美って確かあの時もその映画を誉めてなかったけ?」


「ぐっ・・・」


理沙の突っ込みにすぐ反論できない歩美。


「歩美ってなんだかんだ言ってこの監督の事認めてるんじゃない?」


「ち、違うよお。まあ監督としてはともかく・・・男としては認めない!!あたしの心は竜也様一色なんだからあ!!」


「はいはい・・・」


理沙は呆れてそれ以上言葉が出なかった。





(でも・・・やっぱりこの監督には、なんか親近感を感じちゃうなあ・・・)


先ほど見た映画のポスターがこの喫茶店の壁にも貼られている。





(監督・・・真中淳平・・・か・・・)


ポスターの隅に書かれたこの名前が、理沙の頭にしっかりと刻み込まれた。


[No.745] 2005/01/05(Wed) 23:37:15
pd316da.aicint01.ap.so-net.ne.jp
[memory]2 (No.745への返信 / 2階層) - takaci

(テレビ見ろって言っても・・・見ちゃうのはニュースになっちゃうんだよねえ・・・)


理沙は昼の歩美の言葉を思い出しながら、居間のテレビで夜のニュースをボーっと見ていた。


帰ってきてからはまた店の仕事、そして後片付けと明日の準備。


それがひと段落付く頃には、時計は大体夜の11時ごろを指している。


(歩美が言ってるのはワイドショーみたいな情報番組なんだよねえ。そんなのこの時間にやってないし、それに大体興味ないし・・・)


(ドラマとか、バラエティ番組もつまんないからなあ・・・)


いくら『見ろ』と言われても、本人の関心がなければ見れるものではない。


だからいつもどおり、夜のニュース番組が理沙の目の前で映し出されていた。





『テレビ見ろ〜〜。情報仕入れろ〜〜』


理沙の脳裏に歩美の怒った顔が鮮やかに浮かび上がる。


(うっ・・・わかったよお!!)


見えないプレッシャーに負けた理沙はリモコンを持ち、チャンネルを変えていった。


(でもこの時間にそんな番組やってないよ。そもそも地方の田舎なんだからチャンネルも少ないし・・・)


バラエティ番組・・・CM・・・


画面に映るのはどれもつまらなく、目的にそぐわないものばかり。


(やっぱニュースでいいよ。あれも情報番組だし・・・)


そう思いながら最後のチャンネルボタンを押した。





『では本日のゲスト・・・若き映画監督、真中淳平さんです』





「えっ?」


元のチャンネルに戻そうとした指の動きが止まった。


そして画面をじっと食い入るように見つめる。


(この人が・・・真中淳平・・・)










夜のトーク番組。


司会者のベテラン女性タレントの歯に衣着せぬ発言が人気を博している番組だ。


そこに淳平がゲストとして招かれた。





「いや〜光栄ですわ〜。今が旬の監督にお会いできるなんて、もう親戚にあなたのこと自慢しちゃいますわあ!」


「いやあ・・・もう、そんなに喜んでいただけるなんて光栄です」


謙遜する淳平。


「ホント見た目普通でそこいらの男となんら変わらんですねえ。いやそこいらの男のほうがずっとましに見えますわあ。あんたホント監督なんて出来んのお?」


爆笑に包まれた会場の中で淳平は大きくよろけていた。





そして番組は淳平のプロフィール紹介に入った。





―真中淳平−


高校時代、同級生の外村社長と共に映像研究部を立ち上げ映画を作成、その作品はいずれも高い評価を得ており、その時から才能の片鱗を垣間見せていた。


そして大学に進学し、そこで大きなチャンスが訪れる。


2年生の時、大学映像科の監督および助監督、上級生の主要メンバーが相次いでいなくなり、急遽淳平がメガホンを握る事となった。


あまりに急な事に加え、時間も人も資金もない状況で突然の映画作成。


だがそんな状況で作られた映画が好評を呼び、ある一人の目に留まった。





日本映画界の巨匠、蔵岩監督である。





蔵岩との出会いは、淳平の映画人生を一気に後押しした。


大学の勉強と共に蔵岩の下で多くの事を学ぶ。


そして卒業後間もなく、


「適当な人物がいなくなった。お前が監督をやれ」


この蔵岩の一言で急遽、初監督映画の製作が決まった。





学生時代と同じく、人も時間も金もない状況。


にもかかわらず出来上がった作品は高い完成度を見せ、関係者の間で話題となった。





その後、何本かの作品を作り、


現在、最新作が全国の映画館で好評上映中。





「もう、まさにとんとん拍子ですねえ」


「いやもう、自分でも驚いてます。チャンスに恵まれすぎで怖いくらいで・・・」


「いやあ、チャンスがあったとしてもそれをモノにしてきたのはあなたの実力ですわ。それもモノにするのが大切なんですよお。成功する人はみんなそうやってチャンスを確実に掴んで大きくなって、それで成功しすぎると妬まれて背中刺されるんですよ」


「い、いや・・・背中刺されるのはちょっと・・・」


「でも仕方ないですわあ。監督として成功を収めて、さらにバラエティ番組にも出られて、とどめは美人で高収入の恋人がいるのにもかかわらず他の女にも手を出す!! もう許しがたい大悪党!! 」


「い、いや・・・大悪党なんて・・・」


反論に困りどんどん小さくなる淳平に対し、司会者のテンションはますます上がっていく。


「よし決めたあ!! 全国民の思いをあたしが代弁します!! おーい誰か包丁持ってきてえ!! これからこいつの背中刺すでえ!!!」


「ちょ・・・ちょっとおおお!?」


爆笑の渦の中で本気でビビる淳平である。





淳平の成功の背景には、大きな要因があった。


もちろん、チャンスの際にきちんとした映画を作れた『実力』もあるのだが、


映画以外での『売名行為』が大きかった。





淳平の成功の前に、彼の側にずっといた『美少女』が成功を収めていた。


美人天才小説家『東城綾』である。


綾は高校卒業後間もなく小説家としてデビューし、一躍売れっ子作家となった。


そして淳平はその『美人天才小説家の恋人』として少なからず注目を集めていた。





淳平は大学を卒業後、外村が大学時代に立ち上げた芸能プロダクションに籍を置いた。


『人気作家の恋人で映画監督』という立場は芸能人として十分であり、しかも日本映画界トップとの太いパイプを持っている。


勢力拡大を狙う外村にとっては絶好の戦力だった。





そして約半年ほど前、外村ファミリーの看板アイドルとしての地位を築いていた『つかさ』との一大スキャンダルが発覚。


これを外村が上手く利用して、『映画監督真中淳平』の名前を確固たるものにしていた。


事実、スキャンダルの後では淳平の仕事量が一気に増えていた。





「でもなんで浮気なんかしたのお? そりゃあつかさちゃんもかわいいし魅力的だけど、東城さんで十分でしょお? それに東城さんのほうがお金持ってるし」


「いや・・まあ・・その・・・いわゆる『出来心』ってヤツで・・・」


「まあ・・・男だったら仕方ない面もあるわなあ。彼女とは何年付き合ってんの?」


「え〜っと・・・付き合い出したのは5年前ですね。知り合ったのは中3のときだから、もう9年ですか」


「もうそんなになるん。 じゃあまあ、なんていうか・・・飽きじゃないけどちょっと普通の関係になっちゃって、それで他の娘にって感じかあ」


「まあ・・・たぶんそうかと・・・」


「でもやっぱり浮気はいかん。あなたも彼女に怒られてもう懲りたでしょ?」


「いや、もちろん懲りましたけど・・・彼女怒らなかったんですよ」


「はあ!? なんで!? 何で怒らなかったん!? 何で怒られんのに懲りたん!?」


この淳平の言葉で司会者のテンションがまた一気に上がった。


だが淳平は、先ほどのように慌てなかった。





「もちろん俺は謝りましたけど・・・ 彼女も、泣きながら俺に謝ってきたんです・・・」


「彼女が謝る・・・泣きながら・・・」


司会者は予想だにしなかった言葉に驚き、ただ淳平の言葉を繰り返すのみ。


「彼女ね、『あたしがきちんとしてなかったからこんな事になっちゃった。みんなに迷惑かけちゃった』って言って・・・いやそんな事は無いんです。彼女は悪くない、俺が全面的に悪いんです。けど彼女はただ『ごめんなさい』って・・・」


「ええ彼女やなあ。そんな娘は大切にしなあかんよお」


「ホントそうです。ああやって泣かれると・・・グサッと来るんですよね。怒鳴り散らかされるよりずっと辛い。だからもう『彼女を苦しめちゃいけないんだ。彼女を大切にしなきゃダメだ』ってより強く思いました」


「もう、そう思ったらはやいとこ捕まえちゃいなよ。もたもたしてっと他の男に取られちゃうでえ」


「もちろんそうなんですけど・・・俺はまだ彼女に相応しい男になってない。せめて映画監督として食っていけるくらいにはなりたいんですよ」


「ああ、なるほど。映画監督の収入ってびっくりするぐらい少ないもんねえ。学生のアルバイトと変わんないよね?」


「俺は外村や、もちろん彼女もそう。多くの人に支えてもらって、こうしてタレントとしていろんな番組に出させてもらってる。その収入があるからいいんですけど、純粋な『監督』としての収入は微々たるもんです」


「要するに、純粋に『映画監督』として一人前になりたいと・・・」


「一人前って言うか・・・少なくとも大切な人を十分に養っていけるくらいにはなりたい。今じゃ逆に養われちゃいますから」


苦笑いをする淳平。


「そうだよねえ。彼女の収入は桁が違うもんねえ」


「そうです。完全に一桁違いますね」


「あんた、本当に本当に大切にせなあかんでえ。絶対に彼女は捕まえとかなあかんでえ!!」


「ええ。彼女は俺にとって一番大切な『宝物』ですから。あ、もちろん彼女の収入がなくてもですよ」


「うっわ〜〜、ヤな男やなあ。そんなトコで視聴者にあからさまにポイント獲ろうとするだなんで・・・あ〜〜いやらしい!!!」


司会者のオーバーアクションで会場は何度も大きな笑いに包まれていた。










プチン。





「何よでれっとしちゃって・・・あ〜〜なんか腹立ってきた!!」


理沙は怒りに満ちた顔でリモコンのスイッチを押した。


「なにが『宝物』よお!! 本当にそう思ってるのなら浮気なんかできないぞっ!!」


「それに振られた女の子の気持ちも考えろよな!!君の行動の影でどれだけの女の子が涙を流してるのか・・・ ちょっとは考えろお!!」


夜の居間でただひとり、テレビに向かって本気で怒鳴りつける理沙だった。










「おかあさ〜〜〜ん・・・おしっこ〜〜〜」





「えっ・・・あっ、淳也?」


理沙の声で起きた・・・わけではないのだが、息子の淳也が部屋の入り口で目をこすりながら立っている。


「あ、ごめんね。じゃあおトイレ行こうね」


淳也の姿を見て我に帰る理沙。


「もう・・・もれちゃうよ〜〜〜」


「あ〜〜〜〜っ! もうちょっと我慢してえ〜〜〜〜っ!!」


理沙は不審な動きを始めた息子を抱えて慌ててトイレに駆けていった。















「ふう・・・」


何とかトイレは間に合い、理沙は再び淳也を布団の中に入れた。


淳也はすぐにすやすやとかわいい寝息を立て始める。





息子のあどけない寝顔は、先ほどの怒りはもちろん、どんな嫌な事をも忘れさせ、癒してくれる不思議な力を持っている。


理沙にとっては、淳也がこの世で最も大切な『宝物』である。





「淳也・・・ゴメンね・・・ダメなお母さんで・・・」


「でも・・・お父さんがいなくても・・・あたしその分頑張るからね・・・」





理沙は5年前、地元の高校を中退して大阪に行った。


だがわずか3ヶ月ほどで帰ってきたのだが、その時理沙のお腹には淳也がいた。


父親が誰なのかは、全く分からない。





「何か手がかりがあればお父さん見つかるかもしれないけど・・・何もないんだよね・・・」


「あたしも良く覚えてないし・・・せめて淳也に父親の面影があればいいんだけどなあ・・・」


自分に良く似た息子の寝顔を見ながら、ふうっと大きなため息を吐く理沙だった。


[No.760] 2005/01/09(Sun) 22:26:38
p6e3d59.aicint01.ap.so-net.ne.jp
[memory]3 (No.760への返信 / 3階層) - takaci

カタカタカタカタカタ・・・


都内の洒落た喫茶店にキーボードを叩く男の姿。


前田はノートパソコンでスケジュール管理を行っている。





前田は今年で36歳。妻とふたりの子供がいる。


一流大学を卒業後、数年前までは官公庁に勤めていたが、派閥争いに巻き込まれ、それに負け退職を余儀なくされた。


もちろん再就職先を探したが、官公庁はもちろん、大きな会社に行ってもまた派閥争いがあるのは確実であり、前田はそれにもう完全に嫌気が差していたので行く気にはなれなかった。


でも時間がない。妻と子供を食わせていかなければならないのだ。





そんな折、救いの手を差し伸べてくれたのが、後輩の外村ヒロシだ。


外村は前田をタレントのマネージャーとして雇い、前田は有能マネージャーとして第2の人生を歩み始めていた。


競争の厳しい芸能界なので確かに仕事はきついが、前田は芸能界独特の『空気』に上手く馴染むことが出来、官公庁勤めの時より顔色は良い。





その前田がマネージャーを勤めるタレントだが・・・


「おはようございます」


淳平は挨拶をすると前田の前に座った。


今日はここで待ち合わせをして、その後テレビ局へ向かう予定になっている。





「おはよう。昨日は良く眠れた?」


「まあまあです。最近色々忙しいですからね」


映画監督業の合間を縫ってのタレント活動なので、淳平のスケジュールはそれなりにきつい。


「じゃあ今日の予定だけど、これからテレビ局でトーク番組の収録2本。その合間を縫って雑誌の取材が2本。それと・・・ラジオにゲスト出演が入ってるな。まあ、23時くらいの上がり予定かな」


「それなら今日はゆっくり眠れそうですね。明日は午前中の新幹線に乗ればいいから・・・」


「いや、上がったらそのまま車で名古屋に向かう。明日の朝から向こうで打ち合わせをやるらしい」


「ええ〜〜っ!?う、打ち合わせって何ですか?」


「詳しい事は聞いてないけど、社長直々の命令だよ。あと『名古屋には車で行け』って事だ」


「またなんでそんな時間も手間も掛かる事を・・・外村の奴なに考えてんだ・・・」


予想だにしてなかった『深夜の車移動』にうなだれる淳平。


「俺が運転してくよ。淳平は横で寝てればいい」


「いや、自分で運転していきます。助手席は気分悪くなるし、それに俺って車で寝れないんですよ」


不思議なもので、乗り物に酔いやすい人間でも自分で運転すると酔わないものである。


淳平もその口だ。


「じゃあ、疲れたら俺が代わるよ。本当に疲れればイヤでも眠れるからさ」


「前田さん、いつもスミマセン」


「俺は淳平のマネージャーだ。いつも言ってるけど、もっと俺を使えよな」


前田と淳平では年齢がちょうど一回り違う。


そういった遠慮もあるのだろうが、淳平は前田をあまり使わない。


逆にタレントへの気遣いという点では、淳平は気を遣わなくて済むので前田はかなりラクである。





「じゃあそろそろ行こう。2本目の収録は『つかさ』との競演だ」


「ええっ!?あいつとお!?」


嫌な顔をする淳平。


「プロデューサーからのリクエストで、『前と同じようにやってくれ』だそうだ。先回の競演がかなり好評だったらしいからな」


「要は『素』でやれって事ですか・・・」


「そういう事だな。そう考えると気が楽だろ?」


「・・・あいつとは疲れるから嫌なんすよ。それに余計な事もしゃべっちゃいそうで・・・」


淳平の表情はどんどん暗くなっていく。


「大丈夫だって。まずいところはカットするからさ」


「前の時、そのまずいところが思いっきりオンエアされちゃったんですけど・・・」


「それが好評だったんだ。今回もそうしろって事だよ」


「・・・はあ・・・」


「ほらほら、初っ端からそんな顔すんなって!今日も元気良く行くぞ!!」


淳平は前田に励まされながら、ふたり揃って喫茶店を出てテレビ局へと向かった。




















そして時間は流れ、もう2本目の収録へ。


老若男女問わず、十数人の芸能人が入り乱れてのトーク番組だ。





テーマは『女が男を落とす方法』。


まず司会者のベテラン男性タレント。


「いやあ、大概の男ってのは女性に迫られるとグラッと来るんですわあ。夕菜ちゃんなんかに迫られたらもうおじちゃんなんでもしちゃう!!」


そう言って出演者で最年少(18歳)のグラビアアイドルに迫る。


「えっえっそんな事言われてもあたし困っちゃいますう!!」


うろたえるグラビアアイドル。


「ちょっとちょっと!!それ犯罪だってば!!こんな娘よりあたしのほうがずっといいって!!」


ベテラン&行き遅れの女性タレントが司会者に迫るが・・・


「アホッ!! お前に迫られたら発作起こして心臓止まるわ!! あんたがそれしたあかん!! 立派な殺人になってまうでえ!!」


「ひっどおおいい!!セクハラだあ名誉毀損だあ訴えてやるうう!!!」


司会者の強烈な突っ込みに怒る行き遅れ女性タレント。


スタジオは爆笑に包まれた。





「でもつかさちゃんが迫ってきたら強烈だろうなあ。もうクラクラ来るでえ」


「どんな感じで迫るんだろうね?俺も迫られてみたいな」


司会者とベテラン俳優が話を『つかさ』に振った。





「あたしはそんなに迫らないですよお。だって本気で好きな人以外は迫らないもん」


『つかさ』は明るい口調で受け答える。


「でもその迫りは百発百中だろうなあ。つかさちゃんに迫られて拒否できる男なんておらんでえ」


「そうでもないんですよ。すごく好きな人に何度も迫ったんだけど拒否されっぱなしでほとんど成功した事ないし・・・だからあんまり迫らなくなっちゃったんですよお」


「えええええええっ!? つかさちゃんに迫られて拒否すんのお!! 誰やそいつ!?」


司会者が派手な声で驚くと、





「こいつ」


『つかさ』は斜め後ろに座る淳平を指差した。





「おいこら!!こんなトコでそんな事言うんじゃねえ!!」


どよめきに包まれるスタジオの中で、淳平は『つかさ』に向けて本気で怒った。


「だってそうじゃなあい。高校の時に何度も迫ったけどその度に拒否して・・・」


「ちょっと真中くんなんで!? 何で拒否したん!?」


「そうだよ。なんで!?」


出演者全員が淳平を凝視する。





「いやまあその・・・要はそのとき他に好きな娘がいたんですよ。まあこいつも嫌いじゃなかったっつーか、好きではあったんですけど・・・」


「でもあたしが引くと来るんですよ。最初の出会いもそうだし、1年の合宿の時も・・・」


「おい!最初の出会いってその時俺さつきに何かしたか!?」


「したじゃない。甘い言葉吐いて口説いてしかもあたしを罠にかけてエッチなことしようとして・・・」


「あれは誤解だっつうの!! それに最初に会ったのは高校の合格発表の日で、お前が蹴った缶が俺の頭に当たったんだ!!」


「あ、そういえばそうだったね。すっかり忘れてた」


素で怒る淳平に対し、あっけらかんとする『つかさ』。





「ちょっとお、そんな事より『合宿の話』と『エッチなこと』の詳細を聞かせてえな!!」


そして話題は淳平と『つかさ』の高校時代の話へ・・・










「いや〜〜真中くんもったいない!! そんなにチャンスがあったならそのときにやっとかんといかんで!!」


「そうだよ。今のつかさちゃんも魅力的だけど、その当時の初々しいつかさちゃんも良かったと思うよお」


男性陣が淳平に苦言を呈す。


「でも恋人だったらともかく、そうじゃない関係でエッチは出来ないですよ。もし当時俺がさつきとやっちゃってたら、俺は間違いなくさつきを傷つけてましたよ」


「真中くん、あんたは優しい男やなあ」


「高校生の男が女の子の心を考えて自らの欲望を抑えるなんてなかなか出来ないよ」


今度は揃って淳平を誉める男性陣。





「でも結局やっちゃったんでしょ?つい最近・・・」


ここで行き遅れタレントの厳しい突っ込み。





「うっ・・・」


思いっきり詰る淳平。


四方からの冷たい視線が淳平を襲う。





「あの〜〜ちょっと質問があるんですが・・・」


ここでグラビアアイドルが申し訳なさそうな声で淳平に尋ねてきた。


「おおおっ!! 夕菜ちゃんからも厳しい突っ込みかあ!?みんな夕菜ちゃんに注目!!」


場を盛り上げる司会者。





「あの〜〜、真中監督はなんでつかささんのことを『さつき』って呼ぶんですかあ?」


力の抜けた声に加え、話の流れを一気に寸断する質問にスタジオ全体が大きくこけた。


「こ・・・こんな時にそんな事聞かんでもええがな・・・」


よろよろと立ち上がりながらそうつぶやく司会者。





だが淳平にとっては厳しい追求から逃れられたので好都合である。


「ああ、こいつの本名がさつきなの。こいつ『北大路さつき』って名前なの」


淳平はにこやかに受け応える。


「え〜〜っそうなんだあ。北大路って立派な名前ですねえ」


『つかさ』に視線を送るグラビアアイドル。


「でも言いにくいし呼び辛いし、それに『ちゃん』付けするようなキャラでもないから俺はずっと『さつき』って呼んできたの」


「でも高校3年間で呼び捨てにした男は真中だけだったなあ。それに下の名前で呼び捨てにされたらどうしても親密な関係に思えちゃうんだよねえ」


『つかさ』は意味深な言葉を吐きながら淳平に視線を送った。





「なあさつき、お前さっきから発言まずくない?」


「えっなんで?」


「だって『つかさ』の年齢って21だろ。俺は24だぜ?」


これまでの『つかさ』の発言内容は、淳平と同級生である事をあからさまに示している。


「あっいいのいいの。だってキャバクラ嬢は歳とらないもん」


この発言で会場は再び大爆笑&こける男性陣であった。




















「おつかれさまでしたあ〜〜」


そして撮影は無事終了。


スタジオからぞろぞろと出演者が出てくる。





そして最後に淳平が出てきた。


「真中、おつかれっ!!」


スタジオ出口で待っていたさつきが真っ先に声をかけた。


「ハア・・・お前とはマジで疲れるよ・・・」


「でもいいじゃない。みんな喜んでくれたんだし」


さつきの言うとおり、他の出演者や番組製作スタッフからは『良かったよ』と言ってくれた。


だが淳平にとってこういった『暴露話』は心臓に堪える。





そもそもさつきを『つかさ』と呼べない自分に対し、『芸能人としての自覚が足りない』と感じていた。


だが、淳平がさつきを『つかさ』と呼ぶことはないだろう。


それが自分でも分かっているだけに、『つかさ』との競演は嫌なのだ。





「おふたりさん、お疲れ!!」


「ん?」


淳平が振り向くと、甘いマスクの男がこちらに向かって歩いてくる。


「あ〜〜〜〜っ!!竜也くぅ〜〜ん!!」


先ほど競演した行き遅れタレントが『竜也』に駆け寄っていく。





『竜也』は行き遅れタレントをさらりと軽く交わしてから淳平らに寄って来た。


「大草、相変わらず熟女に人気だな」


「素人だろうが同業者だろうがファンは大切だ。年齢なんて関係ないさ」


「そうそう。ファンはタレントを選べるけど、タレントはファンを選べないからね」


「さすがウチの事務所のNo.1とNo.2。俺とは意識が違うな」





『竜也』は大草の芸名である。


大草は高校卒業後もサッカーを続けていたが、サッカー選手としての限界を感じていた。


そんな折、淳平が大草に映画出演を依頼し、そこでの演技が俳優デビューとしての足がかりとなった。


今や大草は『竜也』として、さつきの『つかさ』とともに外村ファミリーの中核を成す看板俳優となっている。










大草はドラマ撮影の合間を縫って淳平らの様子を伺いに来ただけで、すぐ撮影に戻って行った。


淳平の仕事はこれで終わったが、さつきはまだ仕事が残っている。


ふたりはさつきの空き時間を利用して、テレビ局の側にあるカフェへと足を運んだ。





夜10時を過ぎているが、カフェはまだ客の姿が多い。


側にテレビ局があることもあり、『芸能人に良く会える場所』として一般客も少なくないが、カフェ側の対応がしっかりしている事もあってここでファンに取り囲まれる事はまずない。





淳平とさつきは窓際の喫煙席に座った。





キン・・・





シュボッ・・・





オイルライターを灯し、タバコに火をつけるさつき。





パチン・・・





ライターをしまい、優雅にタバコを吸う姿は完全に『大人の女性』だ。





「こーゆーところでおおっぴらにタバコを吸えるアイドルってのも珍しいよな」


「あたしは『健康的なアイドル』から『大人の女性』に脱却中なの。この姿を見てもらうのも仕事のうちなんだから」


ダイナミックボディと運動神経の良さから『健康的アイドル』としてイメージを固めてきた『つかさ』だが、最近始めたCMが話題を呼んでいる。





健康的アイドルがCMで堂々とタバコを吸っているのだ。





女性アイドルでタバコを吸う人間は決して少なくないが、それをおおっぴらに公表する事はイメージが傷つくのでほとんどが隠しているのだが、『つかさ』は堂々と、しかも大多数の人間が見るCMでタバコを吸っている。


このCMは外村の案で、それにクライアントも乗ったので実現したのだが、関係者の予想とは裏腹に『好評』だった。


圧倒的に男性ファンが多かった『つかさ』だが、このCMで同世代、もしくは若干上の女性ファンが増えた。


タバコを吸う『つかさ』の姿があまりにも様になっている事もあり、外村の狙いが完全に当たったCMとなった。





「でも気をつけろよ。いくらイメージっつっても吸いすぎは良くないぜ」


「ありがと。心配してくれてるんだ」


「そりゃそうだよ。さつきは俺の大切な友達なんだからな」


「それって『セックスフレンド』って意味?」


「ばっ・・・こんなトコでからかうなよな!」


「ふふっ、赤くなっちゃって・・・真中って全然かわんないね」


さつきはとても可愛らしい笑顔を見せた。


顔立ちはだいぶ大人びたが、この笑顔だけは高校生の時から変わらない。





この笑顔を見ると、淳平は昔を思い出す。


まだ純粋だった、高校時代・・・





現在の生活にふと疲れた時、『戻りたいな』と思うこともあるが、





もう、戻れない・・・










「・・・俺は・・・変わったよ・・・『あの日』からな・・・」





この言葉でさつきからさっと笑みが消え、物悲しい表情を浮かべる。





その悲しみに満ちた瞳には、窓の外を見る淳平の姿が映っていた。










窓の外を流れる車の光が淳平の物悲しい眼に飛び込んでくる。





その交う光が、淳平の脳裏にある光景を思い浮かばせていた。










5年前、





最愛の人の家を包んだ・・・










・・・紅蓮の炎を・・・


[No.769] 2005/01/12(Wed) 20:24:32
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高校生活の終盤、


淳平は多くの魅力的な女性たちから好意を寄せられていた。


綾、つかさ、さつき、こずえ、唯、美鈴(?)・・・


皆とても魅力的で、淳平にはもったいないくらいの女性たちだ。


その中で見事淳平の心を射止めたのが・・・





つかさだった。





勝因、という言い方が正しいかどうか分からないが、もしそれがあるとしたら『夏休みの旅行』だろう。


ふたりっきりで訪れた田舎町。


つかさが幼い頃育った場所。


そこでつかさは自らの悩み、迷いを淳平に打ち明けた。



そこで淳平が出した答えは、つかさの迷いを打ち消した。


『自分で選んだ道だもん振り向かずに歩いて行こう』


旅の終わり、つかさはこう語った。


事実、つかさの歩む道は決まっていた。


パティシエを目指す道と、





淳平の恋人を目指す道。










ライバルとなる綾やさつきには『迷い』や『遠慮』があった。


だが、つかさにはそれがない。


迷わず、周りに惑わされずに自らの思いを一直線に淳平にぶつけたのが『勝因』と言えるだろう。





何はともあれ結ばれたふたりは幸せいっぱいだった。


ようやく繋がったふたつの心。


身体が繋がるまで、さしたる時間は掛からなかった。


淳平はその幸せをエネルギーへと換え、『ほぼ不可能』と言われていた志望大学に見事現役合格をした。


これには周り一同が驚き、改めて『幸せ』の強さを知らしめた。





そして淳平は大学に通い始め、つかさはパティシエ修行のためパリ留学目前。


遠く離れるふたりだが、『心の絆』はその距離を繋いで行ける自信があった。


互いを信じ、信頼し、そして愛し合う。


そんな最高の幸せの渦中にいるふたりに・・・





悲劇は突然、何の前触れもなく舞い降りた。










『西野の家が燃えている!!まだ中に取り残されているらしい!!』


深夜に突然やって来た外村からの知らせで、血相を変えてつかさの家へと向かう淳平。


そして、つかさの家を包む強烈な炎を目の当たりにした。





ひとりの男は、全てを焼き尽くす炎に対しあまりにも無力だった。


愛する人のため、火事場に飛び込むつもりでもいたが、


あまりにも強烈な『紅蓮の炎』を前にして、その勇気はあっという間に崩れ去った。





そして翌朝、淳平の手に『いちごのペンダント』が手渡された。


長時間高温に包まれたそれは半分以上が黒く焼け焦げており、形もかなり変わっていた。


だがそれ以上に、それを身に着けていたつかさの身体は、





熟練した検察がようやく人と判別できるほどに焼け焦げており、つかさと同じような状態で両親も発見された。





淳平は、最愛の人とその家族を一瞬にして全てを失ってしまった。
















淳平はもちろん激しく泣いた。


その後、とてつもない空虚感と孤独感に見舞われた。


何もかもがどうでも良くなり、生きる事に対する希望を失ってしまう。





そんな淳平に対し真っ先に救いの手を差し伸べたのが、綾だった。


綾はなりふりかまわず、ずっと淳平の側にいた。


淳平を思う気持ちに加え、大胆になれなかったゆえに淳平をつかさに取られた苦い経験。


それが、淳平に対する綾のフルアタックを生み出した。





淳平がつかさを選んだとき、最後まで気になったのが綾だった。


つかさと付き合うようになってからも、綾は誰とも付き合わずずっと淳平に思いを寄せており、淳平にもそれが伝わっていた。


そして突然訪れた深い悲しみ。


絶望のどん底にいる淳平を優しく包み込んでくれるような綾の存在。


ふたりはあっという間に惹かれ合い、ごく自然に恋人同士となった。


そして淳平は比較的短期間で立ち直れた。





だが、これを境に淳平は変わる。


もちろん綾の存在は大きいが、つかさを完全に忘れさせる事は出来ない。


『俺が頑張るんだ・・・つかさの分まで、俺が頑張るんだ!!』


映画に対する情熱、厳しさがより強まり、甘えが無くなる。


それがあって、今日の成功に繋がっている。


淳平の成功は、つかさの死という『負のエネルギー』がもたらしたものでもあった。















そして、さつき。


まずつかさに敗れ、その次に綾に敗れた。


つかさの死で悲しみに暮れる淳平の姿を見て『今はそっとしておこう』と思ったのだが、その間隙を綾に突かれた。


そのさつきの『優しさ』が、自らの大きな悲しみに繋がってしまった。





そして、さつきも変わる。


『優しさ』を捨てるため、淳平らと距離を置いて自らを厳しい競争の世界に身を置いた。


そんなさつきが選んだのは、『夜の街』。


『優しさも見栄もいらない。あたし自信を高めるためなら、西野さんの名前だって何だって使ってみせる』


この強い思いが、伝説のキャバクラ嬢『つかさ』の誕生に繋がる。





『つかさ』はデビュー間も無くめきめきと頭角を現し、半年もたたずに店のNo.1に。


1年後には月収100万を軽く超える超売れっ子キャバクラ嬢になった。


そして、その名前と人気を聞きつけて駆けつけてきたのが、芸能プロダクションを立ち上げて間もない外村だ。


『夜の街No.1から日本の・・・いや世界のNo.1を目指してみないか?』


この言葉にさつきは乗り、『つかさ』の芸能界デビューとなった。


芸能界でもめきめきと頭角を現し、現在に至っている。





芸能界デビュー直後に、淳平とさつきは再会した。


さつきがつかさの名前を使っていたことに対し淳平はもちろん怒ったが、理由を聞かされるとそれ以上反論が出来なかった。


さつきをそこまで追い込んだのは、何よりも淳平自身なのだから。


それに、淳平も分かっていた。


さつきには、『つかさの名を利用し、取り込み、より強くなりたい』という強い思いと共に、『志半ばで亡くなったつかさの思いを、自分が引き継ぐ』という優しい思いがあった事を。










その後しばらく、ふたりは顔を合わせなかった。


だが、ただでさえ厳しい芸能界で、しかも己に厳しく生きているふたり。


『変わった』と言っても、根っこの部分までは変われない。


ふと疲れた時、弱さが顔を出すことがある。


そんな一面は人の心を大きく惹きつけ、その距離は急速に縮まっていく。





このふたりにもそのような事が起こり、


身体を触れ合わせることで、心の疲れを癒した。


それがばれたのが、半年前のスキャンダルである。


その後もいろいろあったが、現在は高校時代と変わらないような関係に戻っている。










「えっ、これから名古屋に行くの?」


「ああ。明日向こうで師匠の新作披露パーティーがあるんだ。外村もそれに出るよ」


「なんか忙しいね。別に今夜出なくてもいいのに・・・」


「外村の指示さ。なんか向こうでやることあるみたいだ。それに今日出来る事があるのなら、やっておいたほうがいい」


「ねえ、もう少し楽にしたほうがいいんじゃない?そりゃ忙しいとは思うけど、なんか今の真中、ピンと張り詰めすぎてると思うよ」


さつきは心配そうに淳平の顔を見つめる。





以前の淳平なら、このような時は笑顔を繕ってでもさつきを安心させようとしただろう。


だが今の淳平には、そんな余裕すらない。


「楽なんかできないよ。俺の周りでみんな頑張ってるし・・・綾にまでメチャメチャな負担をかけてるんだ」


そう話す淳平の表情は、怒りと悔しさが織り交ざったものだった。


「あっ・・・」


それを見たさつきの表情もさっと曇る。


「さつきも知ってるだろ・・・俺と外村が綾にさせている事・・・  俺は最低の男だよ」


カップを持つ淳平の手が、自らに対する怒りで小刻みに震えていた。
















カフェでふたりが談笑している間に、前田は車をカフェの前に着け淳平を待っていた。


淳平には似あわない、国産の高級スポーツセダンは外村プロの社用車ではあるが、ほぼ淳平の専用車となっている。


これは『速くかつ快適に移動出来、ある程度はったりが利く車が芸能人には必要』という考えを持っている外村の回答でもある。


はったりとしての効果は別として、事実快適に長距離を移動できるこの車を淳平はそれなりに気に入っており、自らハンドルを握る事もさほど苦にならない。


「じゃあなさつき!頑張れよ!」


淳平はさつきに手を上げると、助手席に前田を乗せて一路名古屋へと向かっていった。





さつきはしばらく淳平の車のテールランプを眼で追っていく。


「つかさ、あたしたちもそろそろ行くよ!」


「あ、そっか。もうそんな時間か」


脇に佇む女性マネージャーに言われて、さつきは次の仕事の時間が迫っていることに気付いた。


そしてマネージャーと共に仕事場へと向かっていく。





(真中・・・頑張るのはいいけど、頑張りすぎは良くないよ・・・)





(それにいくら頑張っても・・・もう西野さんは戻ってこないんだから・・・)





淳平に何かをしてあげたいが、何も出来ない。





仕事場へと向かうさつきの背中には、そんなもどかしさが表れていた。


[No.780] 2005/01/18(Tue) 00:02:53
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名古屋。


日本第3の都市であるが、東京、大阪の2大都市と比べると地味であり、話題になる事は少ない。


だが今日は珍しく多数の芸能人や報道陣がこの地に集まっている。


日本映画界の巨匠、蔵岩監督の新作披露パーティーが市内の一流ホテルで行われるからだ。


夕刻、会場ホテルのエントランスには多数の報道関係者が陣取り、やってくる一流芸能人の姿を次々にカメラで捉えている。





いつもとは違う雰囲気のエントランスに、黒塗りの2台の高級車が入ってきた。


前はドイツ製の超特急スポーツセダン。


左側の運転席ドアから、全身を海外一流ブランド物のスーツで身を包んだ男が降りてきた。


「やっ、どうも!」


外村ファミリーのトップ、外村ヒロシ社長である。


外村はにこやかに手を上げて報道陣に挨拶をする。





後ろは国産のスポーツセダン。


金額は外村の車の半額以下だが、性能は金額以上の物を持っている。


右側の運転席ドアから仕立ての良いスーツ姿の淳平が降りてきた。


多数のフラッシュが淳平に向けて放たれる。


だが助手席ドアをホテルのボーイが開けると、フラッシュは一気にそこに集中した。





眩い光の中、シックな黒のドレスに身を包んだ美女がゆっくりと立ち上がる。





美人天才小説家、東城綾。





綾はあまりもの多数のフラッシュにやや戸惑いながら、報道陣に向けて軽く頭を下げる。


そして淳平と手を取り合い、外村と3人で悠然とホテルの中へと入っていった。









「たったこれだけの事のために『車で来い』って言ったのかよ・・・」


報道陣が多数詰め掛ける一流ホテルのエントランスに高級車で乗りつける。


外村はこのパフォーマンスを演じるために淳平を車で呼びつけ、自らも愛車に乗って名古屋に入っていた。


「時には派手なはったりも重要なんだっつうの。それに1台より2台のほうが俺たちのインパクトがより高まるんだよ」


「俺は芸能人じゃなくって映画監督だ。あんまり派手な事はしたくないね・・・」





「なぁに言ってんだあ!?いい加減その貧乏性を直せよなあ」





「えっ・・・あっ、師匠!?」


淳平が驚くのも無理はない。


このパーティーの主催者である蔵岩監督が直々に淳平らを出迎えにやってきたのだ。


「師匠、何でこんなとこまで・・・」


「勘違いすんな。用があるのはお前じゃねえ。この老いぼれのために遠くから来てくださった麗しき美女を出迎えるためだよ」


蔵岩はそう言うと綾の前にひざまづき、その柔らかい手にキスをした。


大胆かつ俊敏なその動きは、とても御歳69歳の老人の動きとは思えない。


「貴女のような方がわしなんかのために遠路はるばるおいで下さったこと、感謝いたします」


「か、監督自ら・・・このようなお招き・・・こ、光栄です」


蔵岩のパフォーマンスに驚きつつも笑顔を見せる綾。


「このふがいない弟子をよろしくお願いします。それと、出来ればこいつの貧乏性を直す手助けをしてやってください」


「あたしに出来る事があればやってみます。でも彼の貧乏性を直すのは難しいかな?」


「ちょっ・・・師匠も綾も何言ってんだよ!?」


蔵岩の側にはカメラがずっと付いているので、淳平らとのやり取りはずっと収められつづけている。


カメラの前で何度も『貧乏性』と言われればさすがに面白くない。





「それより淳平、お前に合わせたい人が何人かいるから後で俺のとこに顔を出せ。まあお前らのことだから放っといても挨拶するとは思うがな」


「もちろんです!そのために俺は来たようなもんですから!」


外村が元気よく声をあげる。


「じゃあ皆さん、今日は俺の新作をじっくりと堪能してって下さい。では・・・」


そう言って蔵岩は颯爽とパーティー会場に消えていった。





「じゃあ俺たちも行くぞ」


「ああ」


外村の掛け声と共に3人揃ってパーティー会場へと向かう。





開演までまだ時間があるが、既に会場は多くの人が集まっている。


「パーティーに招かれた客は200人以上。時間は2時間半ほど。的を絞っていかないと時間がなくなるな」


「とりあえず重要どころは先に済ませよう。宴が進んで酒が回らないうちにな」


入り口でそう話す外村の淳平の表情は完全に『仕事モード』に入っている。


「じゃあ俺はまず単独で動く。真中、東城をうまく使えよ」


「ああ。わかってる」


「それと今日は東城の相手になったVIPも来てるけど、絶対に感情的になるな。全てが無駄になるぞ」


「心配するな。ちゃんと自分を抑える自信はあるって」


淳平は外村に笑顔でそう答える。


「よし、じゃあ行くぞ!」





そして3人は二手に分かれ、人ごみの中へ消えていった。

























そしてパーティーは無事終了。


アルコールの入った外村は淳平のマネージャーの前田に愛車のハンドルを握らせて東京へと帰っていった。


淳平もアルコールが入っているのですぐに車の運転が出来ない。


そのため会場となったホテルに部屋を取り、翌朝帰る事になっている。


「ふう・・・」


1日の疲れを洗い流し、仕立ての良いホテルのバスローブに未を包んだ淳平が浴室から出てきた。


「淳平、これ、どう?」


淳平と同じバスローブに身を包んだ綾の手には、冷えたシャンパンが握られている。


「おっ、いいね!パーティーの生ぬるい酒は不味かったからなあ」


目を輝かせる淳平。





綾はふたつのグラスにゆっくりと注いでいく。


小さな泡を立てる琥珀色のシャンパンはとても美しい。


「じゃあ今日1日、お疲れ様でした」


「お疲れ様」


静かな部屋にキンというグラスの重なる音が響く。










急速に勢力を拡大した外村プロだが、その背景にあるのは地味な活動である。


芸能界で生きていくために最も必要な『人脈』の形成に外村は重点を置いていた。


今日のような多数の芸能人や関係者が訪れるパーティーは挨拶回りには絶好の場所である。


外村は自社のタレントに仕事場における挨拶と人脈形成の重要性を徹底的に教え、それを実践していた。


淳平を含めた外村プロの人間は、新人の若手芸能人や新入社員のADにも丁寧な挨拶を行っている。


そういった地道な活動があってこその、今日の成功である。










だが、それだけではダメだ。


もちろん自社の芸能人のクオリティも必要だが、それだけではトップにのし上がれない。


華やかな芸能界の裏側で行われる、汚い『政治活動』が必要になってくる。


要するに、『金』と『色』だ。





外村は財テクも上手く回しており、そちらでの収入もかなりあった。


芸能界よりそっち方面に重点を置いたほうが儲かることは明らかなのだが、こればっかりは外村本人のやる気の問題なので致し方ない。


その利益を外村は『裏金』として重要人物に配っていた。





だが、中には受け取らない者もいる。


芸能界は政治家や一般企業とは異なるので裏金に関してはさほどうるさくないのだが、それでも上のほう、いわゆるVIP系の固い人間になると気にして受け取らない者も多い。


そこで第2の手段、『色』である。


金には固い人間の場合は、『色』で攻めると落ちる事を外村は分かっていた。





だが、自社のタレントを『色』要員としては使わない。


そもそも掃いて捨てるほどの美人がいる芸能界だ。普通のタレントでは色好きのVIPが満足するはずが無い。


外村は芸能人とは違う魅力を持った『色要員』の女性を何人か抱えていた。





そして、その『色要員』の頂点に位置しているのが・・・





綾だ。





きっかけは半年前、淳平がさつきと浮気をした時だ。


『いっぺん東城も他の男を知ってみたらどうだ?』


苦しむ綾に対し外村が放ったこの言葉が始まりだ。





もちろん綾は拒否した。


浮気は許せないが、それ以上に避けたかったのは『淳平が離れてしまう事』。


この状況で綾までが浮気をしては最悪の事態になりかねない。


だが外村の言葉巧みな話術に心が弱っている綾が勝てるはずも無く、綾は外村が手配した男に身体を許してしまった。





この事はすぐ淳平の耳に入った。


だがこれは外村と綾の打ち合わせどおり。


感情的になって怒りを撒き散らす淳平に対し外村は冷静に『計算どおり』対応した。


そもそも原因は淳平の浮気である。そこを突っ込まれては何も言えない。


それにこの事によって『浮気をされた方の苦しみ』を淳平も味わった。


結局、外村の計算どおり『雨降って地固まる』となり、淳平と綾は仲直りをした(でもその影でさつきは泣いていたのだが・・・)。





そしてここからが計算外。


綾の相手は芸能界のお偉いさんであり、その人の力で外村プロの仕事が一気に増えた。


想定を超えた仕事量に悲鳴を上げながらも笑いが止まらない外村。


綾の『仕事』は外村プロに多大な利益をもたらしていた。





これで外村は味を占めた。


でも綾は基本的に外村プロとは無関係の人間であり、しかも乱発をしては旨みが薄れる。


外村は相手を十分に吟味し、その相手がもたらす効果を計算し、全てが条件を満たしてから綾に依頼をするようになった。





綾がこの『仕事』を行ったのは2回。


その2回目がつい先日行われた。


淳平もその事は知っており、『仕事』後に綾と会うのは今日が始めてである。


「綾、本当にゴメン。嫌な思いをさせているのに俺は何も・・・」


悔しさでグラスを持つ手が小刻みに震えている。


「あたしは大丈夫。淳平のためなら頑張れるし、それにお仕事だって割り切ってるから。淳平だってお仕事で他の女の子と・・・」


「い、いや・・・確かにそういう事もしたけど外村のでっち上げもあるし・・・それに最近はしてないって!!」


今度は慌てる淳平。





淳平はそれなりにスキャンダルが多い。


映画監督として名前が知られる前は『美人作家の恋人』と呼ばれ、週刊誌や女性誌に小さな記事が載っていた。


だがそれの大半は外村のでっち上げである。


それなりに有名な淳平の名を利用する事で自社タレントの売名行為に繋げていた。





でも一部は外村にいろいろな理由を付けられ、『仕事』として外村が用意した女性たちと愛の無いSEXを交わしている。


それに関しては綾はそれほど気にしていない。


愛が無いのだから、淳平を相手の女に盗られる危険が低いからだ。


淳平が本気で相手を思って愛を交わした相手は、生前のつかさ、綾、さつきの3人のみ。


だからこそさつきとの浮気は綾の心を大きく揺り動かし、多大な不安を与えていた。





「あたしは・・・こうして淳平がそばにいてくれれば大丈夫。相手がどんな人でも、淳平のためになるなら、淳平が側にい続けてくれればあたし頑張るから」


「あ、相手って言えば、今日俺二人と改めて顔を合わせたけど・・・二人とも完全に綾にデレデレだったな。あんな二人を見たの初めてだよ」


「外村くんに言われてちょっと『演技』したの。そしたら様子が変わって子供みたいになっちゃって・・・ふふっ、思い出したらおかしくなっちゃう」


綾は可愛らしい笑顔を見せる。





綾の相手となった二人は芸能界で多大な権力を握っており、いつも威張り散らしていることで有名だ。


だが綾を目の前にした途端に態度が変わり、不気味なほど柔和で優しい表情を浮かべていた。


綾は、芸能界の頂点に君臨する二人の大の男を完全に自らのコントロール下に置いてしまっていた。





「なあ、どうすればああなるんだ?あの二人をあそこまで豹変させるなんて・・・やっぱ綾ってすげえよ」


「だから演技をしたの。あたしからちょっと積極的になってみたらすぐ大人しくなっちゃって・・・なんかギャップに驚いたみたいね」


「綾から迫られたら確かに驚くとは思うけど・・・でもそこまで変わるもんかな? 一度同じように迫ってみてもらいたいな」


「だめだよ。淳平はあたしの全てを知ってるもん。すぐ演技だってばれちゃって笑われちゃう」


「ははっ、確かにそうだ・・・」


淳平も綾と同じような笑顔を見せる。





「でも・・・この『お仕事』は淳平との愛が枯れちゃうの。だから・・・また満たして欲しい・・・」


綾はグラスを置き、淳平の胸に体を埋める。





淳平は部屋の明かりを消した。


だがカーテンは開いており、大都市が放つ夜の光が飛び込んでくる。


薄明かりに照らされた綾の姿は幻想的で、とても美しい。





そしてグラスに残ったシャンパンを口に含み、グラスを置く。


「んっ・・・んん・・・」


そのままキス。


口移しで琥珀色のシャンパンを綾に注ぎ込んでいく。





シャンパンの甘みはさらに増し、


どんなに強い酒よりも強い酔いを引き起こす。





愛が枯れていた綾は、この強烈に甘いキスで完全に酔ってしまい足元がおぼつかなくなってしまった。


「綾・・・こんな苦しい思いは・・・いつか必ず終わらせるから・・・」


「俺はもっと大きくなる・・・力を掴んで・・・綾にラクをさせてあげるから・・・」





淳平が変わったのは、つかさの死という『負』があったから。


そして今は、綾のこの仕事が『負』になっている。





このような『負』がある限り、淳平は止まれない。


優しさを捨て、甘えを捨て、厳しい競争に身を投じて上にのし上がって行こうとする。


高校時代の優しい心は、もはや過去のものだ。










ふたりの身を包んでいたバスローブがすとんと落ちる。


夜の光を背景に、一糸纏わぬ男女のシルエットが浮かび上がる。





「淳平・・・愛してる・・・」





「綾・・・愛してるよ・・・」





ふたつのシルエットがひとつに・・・










あとはふたりだけの世界。





色とりどりの薄明かりに照らされながら、互いの愛を満たしていく・・・


[No.790] 2005/01/21(Fri) 23:27:24
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東京。


「で、でけえ・・・」


「ほ、ほんと・・・」


巨大なビルを見上げながらあっけにとられる若い男女。





スッパーン!!





パッコーン!!





そんなふたりの頭を思いっきり叩く美女。





「いって〜〜〜〜!!!」


「ちょっ・・・理沙あ!!いきなり何すんのよお!?」


「歩美も学もそんなに見上げないの!もう田舎者丸出しで恥ずかしいったらありゃしない!!」


「で、でもよお・・・こんなデカイの見たことなんだから仕方ないだろ?」


「そ、そうよお。そもそも理沙は珍しくないの?あんたも東京来るの初めてでしょ?」


「こんなただの箱が珍しいわけないでしょ!もうそんな事よりボーっと突っ立ってないでさっさと行くよ!」


理沙は二人に背を向け、目的地に向けて歩き出す。


「あっ、ちょっと待てよ!俺たちを置いてかないでくれええ!!」


「理沙まってよお!?あんたに置いてかれたらあたしたち迷子になっちゃうんだからあ!!」


慌てて付いてくる二人の男女。


(ハア・・・ふたりとも情けないなあ・・・)


呆れて大きなため息を吐く理沙だった。










さて、なぜ理沙が東京に来ているかだが、


話は一週間前、昼時の理沙の店である。





「ええっ、東京でウチの干菓子を売るの!?」


「そうっ!だから理沙にはぜひとも東京に行ってもらってこの干菓子と、ついでにウチの特産物を売ってもらいたいんだ!! お願い!!!」


土田学は上役と共に理沙に手を合わせて頼み込む。





学は歩美と同じく理沙の幼馴染で、小さい頃から一緒に遊んでいた。


現在は町役場に勤めると共に、地元の青年団のリーダー的存在になっている。


さらにその青年団が構成する『上岡理沙親衛隊』のNo.1でもある。


未婚の母とはいえ、理沙の美貌と明るい性格は町でダントツの人気を誇っており、男性ファンはかなりの数にのぼる。


もちろん言い寄る男も多いが、理沙はその全てをさらりとかわしている。


さらにそういった男全てに淳也が激しい嫌悪を示し、男共にすればこれが大きな障害だ。


『淳也と共に全てを受け入れる』とかっこよく言っても、その淳也に嫌われてしまっては意味が無い。





理沙獲得にはそんな大きな障害があるのだが、学は理沙獲得候補のNo.1として自他共に認められている。


だがそんな学でも淳也には嫌われており、獲得率は50%以下と言われているのではあるが・・・





学が上役と共に理沙の店に来たのは、理沙を落とすためだ。


と言っても結婚するといった話ではなく、東京の百貨店で行われる物産展で売り子を勤めてもらうのが目的。


およそ1週間開催されるうち、最も集客が見込まれる土日に東京に行ってもらい、理沙の美貌と人当たりのよさで一気に売り上げを伸ばそうというのが目論見である。





「そんなのいきなり過ぎるよお!!ウチだって土日は忙しいし、それに淳也だっているんだから丸2日もここを空けられるわけないでしょお!!」


学とその上役に対しケンカ腰で当たる理沙。


狭い町だ。役場の上役といっても顔見知りなので父親より年上の上役に対しても理沙は物怖じしない。


「そんな冷たい事言うなよお。それに理沙が行けばここの干菓子だけじゃなくってこの町の特産物すべてが、言わばこの町のすべてのより多くの東京の人に知ってもらえるんだ。我が町の大きなチャンスに理沙は協力しないのかよ?」


「そーゆー宣伝をするのが学たちの役目でしょお! あたしらの税金で甘い汁吸ってる人たちが日々の生活に苦労してるあたしらをさらにこき使おうって訳!? そもそもウチは役場の土産物屋に納品してないんだからまったく関係ないでしょお!!」


「お、おい・・・そこまで言うか普通・・・」


理沙の勢いに学は完全に押され、獲得候補No.1の地位は見る影も無い。





その形成を完全にひっくり返したのが、学の上役である観光課の課長だった。


「なあ理沙ちゃん、そんな冷たいこと言わんと頼むわあ。東京行ってくれたら今年のウチの宴会、全部ここでやったるから、なっ!」


「だーめーでーす!あたしが居なきゃ土日のお客さんに迷惑かけ・・・」





「よっしゃ!それで手ぇ打ったるっ!!」





理沙の言葉を遮るように、奥から理沙の母が飛び出してきた。


「ちょっ・・・お母さん!?」


「土日は臨時休業にします。でもその代わり理沙だけじゃなく私と淳也も連れてってください。幸いお父さんは今度の土日いないし、私も一度東京ってところに行ってみたかったんですわ」


そう話す母の目は輝いている。


「ありがとうございます!! じゃあ早速お母さんと淳也くんの分も手配します!!」


同じように課長の目も輝きを見せる。


「ちょっとおかあさん!!勝手に決めないでよお!!!お客さんはどうするのお!!」


「そうだよお。わしら今度の土日はどこで飯食えばいいんじゃ?」


「そうだそうだ!!これは役場の横暴だあ!!わしらの理沙ちゃんを独り占めすんなあ!!」


「金と力で釣るなんてひでえなあ!!学それでも男かあ!!」


理沙に合わせて常連客も不満を訴える。


でも理沙も客も母の決定には逆らえず、押し切られる形になってしまった。










さて、そんな事があって東京にやって来た理沙ご一行。


理沙と、母と、淳也。


それに一応案内役の学。


さらにそこに逆強○連行(強引に押しかけて付いてきた。しかも費用は役場もち)の歩美の5人で初めての東京を歩く。





学は案内役だが、東京の路線図に対応出来ずどこに行けばいいのか全く分からないという体たらくだった。


確かに東京の路線図は複雑すぎるので、初めて来た地方の人間には荷が重い。


そんな学を尻目に皆を誘導したのが理沙だ。


複雑な路線図に素早く適応し、皆を目的地へと誘導する。





「理沙ってすげえな。こんなのを読み取るなんて・・・やっぱ大阪に行ってた経験かな?」


「じゃなくってあんたの頭が悪すぎるだけ。叩くといい音するもんね」


「んだとおお!!!」


「悔しかったらちゃんとみんなを案内しなさいよお!!このバカ!!」


「やかましい!!役場に押しかけ脅すような女なんか俺は案内したくねえっての!!」


「なあんですってえええ!!!」


東京のど真ん中で漫才をしながら歩く学と歩美。


(恥ずかしい・・・)


そんな二人からやや距離を置きながら歩く理沙の視界には、目的地の百貨店が見え始めていた。















さて気を取り直して、ここからが理沙の仕事である。


「ありがとうございましたあ!!」


「いらっしゃいませえ!! どうぞご覧になってってくださあい!!」


有名百貨店でしかも土日。物産展には多くの客が訪れて賑わいを見せている。


そんな中でも理沙の声と容姿は大きな存在感を示し、訪れる客の心を惹きつけていた。


それは売り上げにダイレクトに反映し、理沙たちはあまりの忙しさと予想だにしなかった売り上げに嬉しい悲鳴をあげるほどだ。






地方の特産品を集めた物産展は売り子も地方から出てきたものがほとんどで、どこか田舎臭い雰囲気が漂っている(それはそれで良いのではあるが)。


だが理沙にはそのような田舎臭さは感じられず、抜群の美貌とあいまって大きな注目を集めていた。





中でもこの百貨店のとある女性店員はやや離れたところから理沙の姿を食い入るように見つめている。


だが理沙を見つめる目は、ただ『興味を惹いた』と言うレベルではなく、大きな驚きに満ち溢れていた。


その女性は後輩に持って来させた『物産展参加者リスト』に書かれた名前と理沙の姿を交互に見ながら、動揺した心を少しでも静めようと努めている。


(上岡理沙・・・22歳ってことはあたしの2こ下か・・・)


(でもあの顔・・・あの声・・・振る舞い・・・ホント瓜二つ。似てるなんてもんじゃない・・・)


(何とか話をしてみたいけど・・・でもあんなに忙しそうじゃなあ・・・)


中ば諦めかけていた時、理沙が売り場から離れる。


客足がやや途絶えたのと、昼の時間が重なったのだ。


(チャ〜〜〜ンス!!)


女性店員は目を輝かせながら理沙に駆け寄っていく。





「ふう・・・お客さんとりあえずひと段落したみたいね」


息を吐く理沙。


「あ〜あ。あたし完全に足手まといになってるなあ。これじゃおばさんに来てもらってた方が良かったかも・・・」


「そんな事ない、歩美がいてくれてすごい助かってる。それに淳也の相手を1日するのも結構大変だよお」


理沙の母は今頃、淳也と一緒に東京各所を回っているはずだ。


「理沙、とりあえず先にお昼行って来なよ。今のうちならあたしらで何とかなるからさあ」


「でも・・・」


「大丈夫だって、あたしの他にも役場の頼もしいお姉さま方が見えるし、それに学が居ないうちに・・・あいつがいるとしつっこいから」


歩美と二人の役場のお姉さま(と言っても完全にオバさんなのだが)が揃って理沙に笑顔を向ける。


「そう・・・だね。じゃあ先に行ってくるね」


歩美らの笑顔に背中を押された理沙は売り場を離れ、昼食へと向かう。





(さてと、確か社員食堂を使ってもよかったんだよね。でもせっかくこんな所に来たんだからここにあるレストランにしようかなあ・・・)


そんな事を考えていると、不意に声をかけられた。


「すみません、これからお昼ですか?」


振り向くと、ここの女性店員らしき人物が理沙に向けて優しく微笑みかけている。


その姿はまさしく都会に暮らす大人の女性であり、やや気の強そうな顔立ちをしているものの理沙から見てもかなりの美人だ。


「えっ、ええ、まあ・・・」


「良かったらご一緒しません?物産展でのあなたの姿を見て、どうしてもお話してみたいと思ったの。もちろんあたしが奢るから!」


「えっ?そ、そんな見ず知らずの人に・・・あ、あなたって一体・・・」


思っても見なかった展開に理沙は戸惑いを隠せず、急接近してきた女性店員に不信感を見せると、


「あっごめんなさい。あたし、ちゃんとしたここの社員ですから」


そういって店員は慌てて名刺を取り出し、理沙に渡した。





「水口・・・トモコ・・・さん?」





理沙は名刺に書かれた名前と、優しく微笑みかけるトモコの顔を交互に見やる。


すぐには不信感は拭えないが、その微笑に悪意がないことを理沙は感じ取っていた。




























同時刻、


理沙の母は孫の淳也と共に都内の公園にいた。


色々回ることも考えたが、淳也がこの公園を気に入ったようで、ずっと公園の鳩と遊んでいる。


理沙の母はそんな淳也の様子をやや離れた場所からずっと見ていたが、売店を見つけてそちらに向かった時に目を離してしまった。





「淳也〜、おばあちゃんとソフトクリーム食べよっか?」


片手にソフトクリームを持ち、笑顔で淳也を呼んだが、





「あれっ・・・淳也?」


ずっと鳩の群れの中にいた淳也の姿がない。





「淳也・・・淳也!?  どこ行ったの!?」


狼狽した理沙の母は辺りを見回し、必死になって我が孫の姿を探す。










その頃淳也は、広い公園の中を一人で走っていた。


初めて見る風景、住む田舎とは全く異なる環境、


好奇心旺盛の淳也にとっては何もかもが新鮮で、興味があるモノを見つけると笑顔で飛んでいってしまう。





淳也は、やや離れた場所にある何かが気になり、目にはそれしか映っていない。





ドン!





突然、目の前に別の何かが現れ、淳也は転んでしまった。


[No.831] 2005/02/02(Wed) 13:53:08
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ドン!





(ん?)


淳平は足に軽い衝撃を感じ、気が付くと目の前には小さな男の子が倒れていた。


淳平の死角から男の子が飛び出してきたようだ。


「あっごめん!!ボク、大丈夫か?」


淳平は慌てて男の子に駆け寄る。





男の子は自らゆっくりと立ち上がった。


「ゴメンな、俺全然気付かなくって・・・」


淳平は謝りながら男の子の身体に付いた埃を払い落としながら辺りを見回すが、





(あれ?)


普通ならこの子の親が飛んでくるところだが、辺りにそのような人影は見受けられない。


「ねえボク、お母さんはどこ?」


「いない」


「い、いない? じゃ、じゃあお父さんは?」


「ずっといない」


「え、えええっ!?」


表情を一切変えずに話す男の子の言葉に、淳平は大きく驚いた。





「淳平、その子・・・」


「あ、綾・・・」


トイレに行っていた綾が戻って来て、やや驚いた表情で淳平と男の子を見つめている。


「どうやら迷子みたいなんだ。お母さんもお父さんもいないって・・・」


「迷子・・・そ、そっか。迷子か・・・」


「あれどうしたの?なんかさっき表情硬かったけど・・・」


「あ、ううん、なんでもないよ」


綾は笑顔に変わり、男の子の前にしゃがんで目線を合わせた。


「ねえボク、ここには誰と一緒に来たの?」


「おばあちゃん」


「そっか、おばあちゃんと一緒に来たんだ。で、おばあちゃんはどこ?」


綾が優しく問いかけると、男の子は辺りをきょろきょろと見回した後、


「いない」


「そっか。じゃあおばあちゃんとはぐれちゃったんだ」


「うん」





「やっぱり迷子か。でもこの子強いなあ」


迷子になってても泣くはおろか全く表情を変えないこの男の子の逞しさに淳平は感心する。


「この公園の事務局に連れてこっか?」


「そうだな。そこから放送で呼んでもらえばいいし、ひょっとしたらもうおばあちゃんって人がもう来てるかも知れない。  じゃあボク、一緒におばあちゃん探しに行こう!」


淳平はそう言って男の子を抱きあげる。





すると男の子は、


「かたぐるま〜」


「ええっ、肩車?」


驚いて思わず見た男の子の顔は満面の笑みを浮かべている。


(何で・・・迷子とはいえ、初対面の男の子を肩車しなきゃならないんだ?)


そんな不満を抱きもしたが、この無邪気な笑顔を見てしまってはそんな感情は表に出せない。


「よっしゃ、ちゃんと摑まってろよ・・・よっと!!」


淳平は男の子の身体を肩に乗せ、ひょいっと立ち上がる。


「わーーーーいっ!!!」


頭の上から男の子の歓喜に満ちた声が淳平の耳に届いた。


(まあ、これだけ喜んでくれるならこういうのも悪くないかもな。 でもこの子、人なつっこいなあ・・・)





淳平がそう思うのも無理はないが、この子の人見知りは結構激しい。


特に淳平くらいの年代の男には激しい嫌悪感をあらわにし、殴る蹴るは当たり前だ。


以前、とある男がこのように肩車をした時は、ずっとその男の頭をポコポコと叩きまくっていた。


まあそれは嫌いなだけではなく、叩くと非常にいい音がするわけでもあるのだが・・・















「なにいいっ!?   もう理沙は昼飯行っちゃったのおおっ!!」


その頭を叩かれまくった男は今、物産展の売り場で落胆の声をあげていた。


「だってちょうどお客さんの波が途切れた時だし、理沙が一番働いてんだから休ませないと」


「だからそのために俺はこの周辺の店を全部チェックして理沙の昼休みに相応しい店をチェックしてたんだよっ!!」


「それであんたはずっと仕事サボってたってわけね・・・」


歩美の肩は学に対する怒りでわなわなと震えている。


「いや、今からでも遅くはねえ!理沙見つけて俺と一緒に・・・」


学は再び売り場を離れようとしたが、





ガシッ!!





役場のおばさん二人にがっしりと掴まれた。


「あんたは理沙ちゃんが戻ってくるまでここの番!観光課のあんたがサボっててどうすんの!?」


「それに学じゃ理沙ちゃんは落とせんって。無駄な努力は止めなさい!!」


おばさんのパワーに抑えられ、学は身動きが取れない。


「何すんだ離せえ!! 俺と理沙の恋路を邪魔するなあ!! 淳也がいない今こそ理沙との距離を深めるチャンスなんだぞお!!!」





ぷちっ。





この言葉で歩美はキレた。


「オンドレはそんな不純な動機かあああっ!!」





パッコーーーン!!!





思いっきり頭をぶん殴り、軽くていい音が鳴る。


「あっで〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!」


激痛に悶え、頭を抑えうずくまる学。


「これ以上痛い思いをしたくなかったら真面目に仕事しろっ!!」


歩美はそう吐き捨てると学に背を向け、売り場の整理を始めた。





「全く・・・人の気も知らないで・・・」


そう呟く歩美の顔は、怒りと悲しみが織り混ざっていた。

























ピンポンパンポン・・・





『ご来場の皆様に迷子のご連絡をいたします。只今事務局ではカミオカジュンヤちゃん、4才の男の子をお預かりしております。服装は・・・』





『・・・お心当たりの方は、至急正面入り口側にある事務局までお来しください。繰り返してお伝えします・・・』





「これでひと安心かな・・・」


放送を聞いた淳平はほっとした表情で淳也の様子を伺った。


「ホントに人懐っこい男の子だなあ。まあ綾は俺より馴染みやすいだろうけど・・・」


淳也は先ほどまで辺りを一人で元気良く駆け回っていたが、今は綾に抱かれて楽しそうになにやら話している。





「あっ、淳也〜〜〜」


(ん?)


遠くから年輩の女性が男の子の名を呼びながら駆けて来るのが見えた。


「おばあちゃ〜〜〜ん」


淳也も綾の胸から降りてその女性の基へと駆けて行く。


そんな微笑ましい光景を見せられ、笑顔にならずには居られない淳平である。










「本当にありがとうございます。大変なご迷惑おかけしまして・・・」


祖母は淳平と綾に対し何度も何度も頭を下げるが、逆に何度も頭を下げられると淳平らのほうが返って恐縮してしまう。


「いや、俺たちは別に迷惑だなんて・・・この子もとっても人懐っこくていい子だったんで本当に・・・」


「えっ本当ですか?この子はいつも人見知りが激しくってすごく機嫌が悪くなるのに・・・」


「ええっ?」


祖母、淳平、綾の3人は驚き、揃って淳也を見つめる。





「淳也、どうしてそんなに機嫌がいいの?このおにいちゃんとおねえちゃんの事好き?」


「うんっ!おにいちゃんもふかふかのお姉ちゃんも好きっ!」


「ふかふか?」


綾は首をかしげて淳也に尋ねると、





「このおねえちゃんおっぱいふかふか!」


淳也は綾を指差し、笑顔で祖母にそう話した。





「な・・・っ!」


「や・・・っ!」


この言葉に淳平は驚き、綾の頬は真っ赤になった。


「こ、これ淳也っ!  す、すみません、本当にすみません・・・」


再び申し訳なさそうに何度も頭を下げる祖母。


「い、いえいいんです・・・大丈夫ですから・・・」


「そ、そうそう、それに子供は素直が一番だから、ね・・・」


淳平は再び何度も頭を下げる祖母にそう話し、自分にも言い聞かせた。


目の前の無邪気な子供に対する怒りを抑えるために・・・










そして淳也は祖母に手を引かれ、淳平らに手を振りながら去って行った。


淳平らも手を振って淳也に応える。





「しっかし元気で強い男の子だったよなあ。あれで本当に普段は人見知りするのかねえ・・・」


淳平は祖母の言葉を思い出すが、とてもそう信じられない。


「淳平も・・・子供、欲しくなった?」


「ん?」


「さっき肩車してた時、とても幸せそうだったから・・・」


綾は逆にとても辛そうな表情でそう話す。










「俺が一番大切なのは、綾だから」


淳平はそう言いながら綾の肩をそっと抱き寄せる。


「淳平・・・」


「そりゃあ子供が欲しくないってわけじゃないけど・・・でも俺が欲しいのは、俺と綾の子だよ」


「でもそれは無理だよ。あたしはもう淳平の子は・・・あの時無茶しなければ・・・」


「起きた事を悔やんでももう仕方ないし、それに100%無理でもないだろ?今でもわずかだけど可能性は残ってるし、今後も医療技術が進めば希望はもっと出て来るんだ」


「でも・・・」


「そうやって悲観的に考えるの、綾の悪いところだな。もう少し楽に考えて、希望を持ちなよ。そう、外村みたいに。あいつは今日も警察に行って手がかりを探してるぜ」


この言葉で綾の表情が変わる。


今までも暗かったが、別の意味の暗さに変わった。





「・・・美鈴ちゃん、どこかで生きてるかな・・・」


「・・・せめて美鈴だけは生きてて欲しいし、俺も希望は持ってるよ。外村がいつも言ってるように、つかさと違ってまだ遺体は見つかってないからな・・・」


「外村くんって凄いね。お仕事大変なのに美鈴ちゃんの捜索も独自でずっと続けてて・・・」


「死んだ両親のためにも、美鈴は絶対に見つけるつもりだからな。それにもし美鈴が生きて見つかれば、つかさの命を奪った『Perfect Crime』への手がかりが見つかるかもしれない。だから俺も諦めないし、外村を応援する」










5年前、つかさの家の焼け跡から、明らかに外部のものが残していったと分かる金属の箱が発見された。


その箱の中には1枚の紙が入っていて、それにはパソコンを使って書かれた『Perfect Crime』という赤い文字が記されていた。





出火原因は放火である事が分かり、何らかの理由で犯人がつかさ一家を殺害した後に火を点けたとされている。


その犯人は警察に対し『完全犯罪』という挑発的なメッセージを残したのだ。


もちろん警察は躍起になって犯人究明に全力を挙げているが、5年経った今でも手がかりはほとんど掴めておらず、関係者の話では迷宮入りとも言われている。





そしてその日から、美鈴が行方不明になっていた。


状況からつかさの事件に巻き込まれたと見られ、こちらも懸命の捜索が続けられているが、手がかりはほとんど掴めておらず絶望視されている。


だが、外村は諦めていない。


美鈴が行方不明になったショックと心労により外村の両親は1年ほど前に他界しており、外村にとって肉親は美鈴しかいない。


『俺は絶対に諦めない!!何十年かかっても絶対に探し出して見せる!!』


外村は常日頃からこう話し、仕事の合間を縫って捜索活動を続けている。










「そう・・・だね。希望は捨てちゃ、だめだよね。わずかでも可能性があるなら・・・」


「そうだよ。俺も頑張るから、綾も、頑張ろうな!」


「うん!」


綾は笑顔で頷く。


「じゃあ俺たちも行こう。あの子のせいでちょっと時間とられちゃったけど、まだ時間はあるからさ」


「でもこれはこれで結構楽しかったね」


「ははっ、そうだな・・・」


お互いに多忙な生活を送っているので、ふたり揃って休みが取れる日はほとんどないが、今日はそのほとんどない1日だ。


ふたりは今日1日のデートを満喫すべく、笑顔で次の目的地へと向かっていく.。





(上岡・・・淳也くんか・・・)


綾は先ほど出会った男の子の笑顔を思い出す。


見るもの全てを幸せにさせるような無邪気な笑顔だが、綾は心に小さく引っかかるモノを感じていた。


だがそれが何なのかはまだはっきりしないので、その小さなモノを綾は心の奥底にしまい込んだ。


いま大事なのは、今日1日を楽しむことと、希望を捨てないことなのだから・・・




















その頃、淳也の母親である理沙は百貨店員のトモコと楽しい昼休みを過ごしていた。


トモコは理沙を百貨店の側にある小料理屋に連れて行き、そこで評判のランチを頼んだ。


大衆食堂とはいえ、曲がりなりにも料理人の理沙はそれなりに味にはうるさいが、この小料理屋のランチは理沙の舌を満足させるものだった。


だが理沙はランチの味よりも、トモコとの会話を楽しんでいた。





「未婚の母でしかも料理人かあ。ホント大変ねえ」


「でも家事や子供の世話は親がやってくれるからそれなりに楽なんですよ」


「そっか、親と同居だとその点はラクだよねえ。ウチはひとりで旦那の世話してるからきついんだよねえ」


「トモコさん、結婚してるんですか?」


「1年ちょっと前にね。今のところふたりだけだからまだラクなんだけど、これで子供出来たら絶対に仕事出来なくなるね」


「仕事って結婚と同時に辞めるんじゃないんですか?その、いわゆる寿退社って言う・・・」


「そういう子もいるけど、あたしは家に入るなんてまっぴらだもん!それに旦那の収入だけじゃ家計成り立たないし・・・まあ正直、独りのほうが気楽かな」


「結婚って大変なんだなあ。そういう話聞くとあたしって結構ラクしてるかも・・・」


「結婚っていう幻想に惑わされちゃうんだよねえ。実際してみてようやく現実が分かって落胆するのよ。ぶっちゃけあたし旦那の必要性感じてないからね」


「うわあ・・・でもそれじゃあご主人さん可哀想だよお」


「でも結婚前は本気で好きだったし、いつまでも一緒にいたいと思ってた。もちろん今でも愛してるけど・・・やっぱり一緒に居すぎると価値観変わるっていうか、なんか男の存在がうっとうしくなってくるのよ」


「そういうものなんだあ・・・あたしは旦那いないからよく分からないなあ。まあそもそも旦那の必要性を感じてないけどねっ!」


「そうそう!男なんて所詮そんなもん!!女はいざとなったら一人で生きていけるっ!!」


「そうだそうだっ!!男より女のほうが強いんだぞっ!!きゃははははっ!!」


真っ昼間からアルコール無しで盛り上がるふたりだった。





(本当に気が合うなあ。まるでつかさと話をしてるみたい・・・)


(子供の父親が全く分からないって聞いたときは驚いたけど、でもあっけらかんとしてるし・・・そういえばつかさもたまに訳の分からない言動してたっけなあ・・・)


(やだ・・・この人がどうしてもつかさに見えちゃう・・・)


外見があまりにも似ていたので興味を持って理沙を誘ったトモコだが、予想以上に理沙とつかさの共通点は多かった。


こうして面を向き合って話してみるとますます亡き友人のイメージと重なっていく。


トモコの瞳には、目の前の理沙が成長したつかさのように見え、


しばらくすると、その姿がぼやけて見えるようになった。





「あ、あの・・・どうしたんですか?」


急速に表情が歪み、涙を流し始めたトモコに理沙は戸惑いを隠せない。


「ご、ごめんなさい・・・驚かせちゃって・・・」


トモコは慌てて涙を拭う。


「あのね、実は・・・あなたが仲の良かった友達にとてもよく似てて・・・それで誘ったの・・・」


「えっ?」


「あなたと話してたら、その娘の事を思い出しちゃって・・・ごめんなさい・・・本当にごめんなさい・・・」


「あ・・・い、いえ、そんな・・・」





理沙はトモコに『仲の良かった娘』のことについては聞かなかった。


トモコの表情を見れば、その人物がもうこの世にいないことはすぐに分かる。


(少し気になるけど・・・この人の心の傷に触れちゃダメだよね。でも・・・)





(この人はその友達の事・・・ホントに好きだったんだろうなあ・・・)















理沙はトモコの涙に少なからずショックを受けていたが、昼休みを終え売り場に戻った時には休み前と変わらない笑顔でお客に愛嬌を振りまいた。





そして物産展は理沙の力によって大きく売り上げを伸ばし、翌日、理沙たちは疲れつつも満足な表情を浮かべて地元へ帰っていった。


[No.857] 2005/02/08(Tue) 23:07:59
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東京都内にある高級マンション。


一般のサラリーマンにはあまり縁のないこの場所に、天才作家東城綾の自宅がある。





綾は高校卒業後、地方の国立大学に進学した。


つかさと淳平の幸せそうな姿を見るのが辛かったためだが、失恋の傷はそれでも癒えず、大人しくやや臆病な性格も災いして新しい友人も出来ない、とても寂しい生活だった。





そんな寂しい時に浮かぶのは、淳平の笑顔。


本人の想像以上に淳平という人物は綾にとって大きな存在であり、遠く離れた事によって改めてそれを理解し、それが新たな苦しみを生み出していた。





苦しみの渦中にいる綾に『つかさの死』の知らせが突然舞い込んだのは、地方に出て2ヶ月弱ほど経った頃である。


もちろん驚き、深い悲しみもあったが、それ以上に大きなチャンスだ。


居ても立ってもいられなくなった綾は慌てて泉坂に戻り、悲しみに暮れる淳平の側にずっといる選択肢をとった。


そしてその結果、綾のずっと募っていた想いがようやく実り、晴れて恋人の座を手にした。





だがその代わり、国立大学の退学と実家への出入り禁止という状況になってしまってもいた。


ずっと淳平の側にいる決断をした綾がもう地方の大学に戻れるはずもなく、親兄弟の猛烈な反対を押し切った結果だった。


一般的に大学の退学と言うのは人生からすれば大きなマイナスだが、綾にとっては結果的にプラスに繋がる。


高校卒業の頃にはもう小説家デビューが決まっており、大学を退学した事で小説家としての活動に集中する事が出来るようになっていた。


さらに淳平の側にいる事が綾の心を安定させ、それが数々の名作を生み出す大きな要因になり、あっという間に超売れっ子の美人天才小説家としての地位を確立した。





勘当後しばらくは唯のアパートに居候していたのだが、しばらくして近くのアパートに自ら部屋を借り、そして1年半ほど前に現在の自宅へと移っている。


以前ある番組で淳平が『綾の収入は自分より一桁上』と言っていたのを覚えているだろうか?


映画監督としての収入は微々たる物だが、淳平はその他でタレント活動をしており実際のところそちらが収入の大半を占めている。


特にここ1年ほどはかなり忙しくなり、総収入は同世代のサラリーマンの軽く数倍に達している。


淳平ですらそれだけ稼いでいるのだが、綾の収入はその『一桁上』だ。


一般人が憧れる高級マンションも、現在の綾は苦も無く買えるほどになっている。





ちなみに淳平も数年前から親元を離れ一人暮らしをしている。


最も淳平の収入でマンションなぞ買えないのでアパート暮らしだが、年収の割にはかなりランクの低い部屋に住んでいる。


『今の俺には豪華な部屋は必要ない』と言うのが淳平の弁だが、このあたりが貧乏性と言われる所以である。










閑話休題。





ピンポーン





綾の部屋の前でインターフォンの押す年輩の男の姿。





ガチャ・・・





「東城先生、どうも、お疲れ様です」


「どうぞ、上がってください」


綾がにこやかな表情で招き入れると、男もまた満面の笑みを浮かべて入っていった。


「あれ?誰か来てはるんですか?」


男は綾らしくないやや派手な女物の靴と、奥から聞こえる女性の声に気付きそう尋ねる。


「ええ、友達が・・・」


「そうですか、先生のご親友ですかあ。ではワシもちょっと挨拶させてもらいますわあ」


何度も訪れている綾の部屋がどういう構造なのかは頭の中に入っている。


男は軽い足取りで奥に進んでいった。





が・・・





「えっ!?あんさんは確か・・・」


綾の親友の姿を見て絶句する男。





「おはよ・・・じゃなくってこんにちは〜。出版社のオジサンですよね?面白くって優しいオジサンだって綾から聞いてますよお〜〜」


男とは対照的に愛嬌を振りまく『つかさ』、つまりさつきと、そのマネージャーの姿があった。





「せ、先生、あの、その・・・」


半年前、綾の恋人である淳平がさつきと浮気をしたことはあまりにも有名であり、この男もよく知っている。


まともに考えればそんな人物が友人として居るなんて考えられない。


だが綾は男に対しにっこりと微笑んで、


「彼女とは付き合い長いんですよ。高校1年の時からかな。あたしにとって本当に大切な親友ですよ」


とても嘘をついているとは思えない優しい表情でそう話した。


「そうそう。真中とも綾ともふつーに付き合ってるよね。それにこの前友達として正式に紹介してくれたし」





先日、綾が昼のバラエティ番組『笑って○○とも』に出演し、最後にさつきを友人として紹介した。


その時も出演者やスタッフを含めた会場全体が大きなざわめきに包まれ、ふたりが電話で会話をした時には異様な緊張感が漂っていた。


もっとも当人同士はいたって普通ににこやかに会話していたのではあるが・・・





綾は男のためのお茶菓子を用意するため、一旦部屋から離れていった。


「はあ〜〜〜、しかしホンマ驚きましたわあ。もちろん『いいとも』の事は知っとったけど、まさかここまでおふたりの仲がいいとは・・・いや付き合いが長いことは先生から聞いてましたがなあ・・・」


「オジサンも綾との付き合いは結構長いんだよね?確か小説家デビュー間もない頃からだって聞いてたけど・・・」


「あっそうだそうだ名刺渡さなあかん。驚き過ぎてすっかり意識が飛んどったわあ」


男は慌てて胸ポケットから名刺を取り出し、さつきとマネージャーのふたりに丁寧に差し出した。


「私、大塚出版のものでございます」


本来、名刺を差し出す時は名前を言うものだが、この男はあえて言わない。





『小鳥遊 敬三』


名刺には男の名がこう書かれている。





「こ・・・コト・・・コチョ・・・ユウ・・・さん?」


さつきは名刺に書かれた名前を見てそう読んだが、よく分かっていない。


「バカ。つかさってこれ読めないの?」


そんなさつきに呆れる女性マネージャー。


「バカって何よお?そもそもこんな名前見たことないって!」


「これで『タカナシ』って読むの!」


「はあ?なんでタカナシなのよお?」


「小鳥が遊ぶ、それはつまり外敵が居ない。鷹は小鳥にとって外敵でしょ?だからタカナシなの!」


「ほお!あなたは博学ですなあ。さすが一流タレントを支えるマネージャーは違いますなあ」


淳平の例もあるように、外村はタレントのマネージャーには力を持った者を選んでいる。


『つかさ』のマネージャーもその例に漏れず、まだ若いがマネージャーとしての力はかなりのもので淳平のマネージャーを務める前田よりずっとやり手であり、頭の回転も早い。





「でもあたしみたいに頭が悪いのは読めないってば。あたしならもうコトリさんって呼んじゃうよ」


「いや、そう呼ぶ方も多いですわ。『おおいコトリちゃん居る〜〜』って職場でもよう言われてますわあ」


「でしょでしょ!!それに『タカナシ』よりコトリちゃんのほうが愛嬌あるもんね。あたしはこれからオジサンのことをコトリちゃんって呼ぶから!」


「ええですよええですよ。でもあなたのような美人にそう呼ばれたらホント小鳥みたいに元気よく飛べちゃいそうやなあ!」


「もう、オジサン大袈裟すぎ!!」


むすっとしていたさつきだが、小鳥遊の機転により急速に機嫌が回復する。





小鳥遊はこの自分の名を上手く利用し、自らを売り込んでいた。


だがさつきのように上手く読めずに機嫌を損ねてしまう者も多いので、そのときのフォローの仕方も心得ている。


小柄で憎めない表情をしている中年の男だが、編集者としての腕はかなりのものを持っており、名前だけでなく実力も認められている存在だ。





「ねえねえ、コトリちゃんって綾の担当だから、頼めば綾もいろいろ聞いてくれるよね?」


さつきは小鳥遊にいきなり笑顔でそう問いかける。


「え?う〜〜ん、まあいろいろ先生には無理な頼みも聞いてもらってますなあ。先生は優しいお方ですから・・・」


「じゃあコトリちゃんからも頼んでくれない?あたしを真中と綾のエッチに混ぜてくれない?ってさ!」


「え、ええええっ!?」


顔を真っ赤にして派手に驚く小鳥遊。


でもさつきは表情を変えずに次々と爆弾発言を繰り返して行く。


「だってさあ、要は陰でコソコソやるのがまずいわけで、だったらもうおおっぴらにどーんと目の前でやっちゃえば問題ないと思わない?」


「え、そ、そう言われても・・・」


「それに男って複数の女の子とエッチしてみたいでしょ?そういう男の願いを叶えてあげる寛大な心も恋人には必要でしょ! そもそも綾ひとりだけじゃ真中の相手は辛いのよ。綾の負担を軽くするためにもここはあたしが一肌脱いで・・・」


「あ、あの、先生ひとりじゃ辛いって・・・それは一体?」


「あのね、真中ってそれなりにいろんな女の子の相手してるからエッチ上手なの。 で、綾は身も心も真中べったりでしょ。だから真中に本気出されるともう大声あげて乱れまくって小説が書けなくなるくらいベッドの上で体力使い果たしちゃう・・・」





「さつきちゃん!!」


小鳥遊のためのコーヒーを持ってきた綾が大声をあげてさつきの強烈な暴露話に釘を刺す。


もちろん顔は真っ赤だ。





「つかさ、馬鹿なこと言ってんじゃないの。そろそろ行くよっ!」


綾の援護、と言うわけではないが、マネージャーが時計を見ながらさつきを促す。


「えっもうそんな時間?」


さつきは慌てて立ち上がり身支度を整えると、「またね!」と挨拶しマネージャーと共に素早く部屋から出て行った。










「な、なんか慌しいお人ですなあ・・・」


嵐のような展開に呆然とする小鳥遊。


「さつきちゃん、仕事の合間を縫ってここに息抜きに来るんです。彼女、体力はあるけど精神的にはきついみたいで・・・」





高校卒業後、常に競争の激しい世界に居続けたさつきはかなり性格が変わり、自分にも他人にも厳しい態度をとるようになった。


でも本来はとても優しい心を持つ女性であり、その根っこの部分までは変われない。


厳しくあり続けて疲れたときさつきはこうして綾の部屋を訪れる。


浮気騒動のゴタゴタはあったが、むしろそれにより両者の絆は深まり、今では大切な親友となっている。


さつきにとって綾の部屋は、芸能人『つかさ』から素の『北大路さつき』に戻れる数少ない場所となっていた。





「そうなんですかあ。イメージと違って本当はいい娘なんですなあ・・・」


「ええ。彼女は本当に素直で裏表が無くって・・・  あっ! でっ、でも・・・あ、あの話は嘘ですからね! あたしそんなに乱れたりは・・・  あっやっやだ何言ってんだろあたし・・・」


「あ、ああ・・・い、いやそんな・・・わしもホンマにあの話は信じとらんでさかいに、どうか気にせんでください・・・」


顔を真っ赤にして固まる両者だが、それなりに付き合いが長い小鳥遊は現在の綾の態度で感じていた。


(先生、おしとやかな見た目と違って・・・夜は激しいんやなあ・・・)


綾の嘘を見抜くと同時に、新たな一面を知る小鳥遊だった。










小鳥遊は今後の出版スケジュールと原稿締め切り時期の打ち合わせのため、綾を尋ねていた。


そしてその打ち合わせも終わり、小鳥遊が引き上げようとした頃、


「あ、ついでにこれを持ってってください。原稿出来てるから・・・」


綾は1枚のメモリーカードを差し出した。


とても小さなカードだが、とてつもない量の原稿を収める容量を持っている。


「ありがとうございます。確かに・・・」


小鳥遊はカードを丁重に受け取りとても大切そうに自らの鞄に入れた。





時代の流れにより、今となっては手書きの原稿を直接受け取る事はまず無い。


分厚い原稿のやり取りがなくなった事に対し小鳥遊は一抹の寂しさを感じていたが、形は違えど手書きの原稿もメモリーカードも『作者の魂』である事には変わりは無く、大切に扱うのも変わらないのだ。





「でも先生は原稿が早くてホンマに助かりますわ。これだけ締め切りに確実に間に合わせる作家さんも珍しいですなあ」


「納期に間に合わせるのがプロの務めですから」


綾は表情を変えずにさらりとそう答える。


「いやもちろんそうなんですけど、そう思っとらん作家さんがホンマに多くって困っとるんですわあ。特にベテランのお人ほど身勝手で無茶を言いはりましてなあ、この前もミステリー書かれてる人が『科捜研のDNA鑑定の精度が知りたいから調べてくれ』って言わはりまして・・・」


「DNA鑑定?」


「ええ。一部の大学でも出来るんですが、その先生は『科捜研の技術レベルが知りたいから頼んでくれ』と無茶な要求を・・・ホンマ往生しましたわあ。でもこれで科捜研とのパイプが出来ましたんで、ワシに言ってくだされば色々調べれまっせ!」


小鳥遊の表情からは当時の苦労がうかがえるが、綾には目の前の小鳥遊の表情は見えていなかった。





綾の脳裏に浮かぶのは、数日前の公園での光景。


偶然出会った迷子の男の子と、その子と楽しそうに触れ合う愛する人の姿。


綾の腕に抱かれ、無邪気な笑顔を見せる男の子の顔立ち。





あくまで偶然の出会いで、もう今後は二度と会うことはないだろうと思われる男の子。


だが綾は、この男の子の事がずっと心に小さく引っかかっていた。


(あの子の顔立ち・・・性格・・・それに淳平と触れ合ってた時の雰囲気・・・)


その光景がある仮説を生み出し、それが綾の心を揺さぶり続けている。


(・・・ううん、でもそんな事はありえない。あの子は4才だから計算が合わないし、それに地理的にも・・・)


頭で考えれば考えるほど、その仮説は杞憂でしかないのは明らか。


でも綾の不安は決して消えない。


根拠のないただの『直感』が、綾の心に小さな警笛を鳴らし続けていた。





「先生、どうなさいました?」


ずっと難しい表情で考え事をしている綾に小鳥遊は怪訝な顔で声をかける。


それでも綾はしばらくずっと黙ってうつむいたままだったが、





「すみません、実はあたしも・・・調べて欲しいものがあるんですが・・・」





そう切り出した綾の目は、不安の色に満ちていた。

























その頃、遠く離れた理沙の地元では、





「課長!俺、理沙と結婚します!!」


学の能天気な声が観光課に響いていた。


[No.873] 2005/02/16(Wed) 11:02:12
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職場の人間が結婚するとなると当然周りはお祝いムード一色になるのが普通だが、課長をはじめ、同僚たちは学に冷ややかな視線を送っていた。


「土田、結婚と言ってもなあ・・・そもそも理沙ちゃんは了承しているのか?」


「了承したも同然ですよ!この前の物産展で理沙との仲がより一層深くなりましたからねえ!!はっはっはっは!!!」


思いっきり浮かれる学。





課長は浮かれている学を無視して、物産展に行った女性職員に小声で尋ねる。


〔なあ、本当に土田の言うように理沙ちゃんと仲がよかったのか?ワシはにわかには信じられんのだけど・・・〕


〔全然ダメですよお。学はうっとうしいくらいにアプローチしてたけど理沙ちゃんは全部さらりとかわしてたし、相変わらず淳ちゃんには嫌われてたし・・・〕


〔じゃあ何であいつはあんなに自信満々なんだ?〕


〔あ、多分あれですよお。帰りの新幹線で理沙ちゃんが『学なら楽しいお父さんになるだろうね』って言ったんですよお。それを勘違いして受け取ったんだろうねえ〕


東京に行ったもうひとりの女性職員が課長に小声で告げると、


「全く、このバカは・・・」


課長は呆れて頭を抱え込んでしまった。





「あれえ、皆さんなんで沈んでるんですかあ? だったら俺が盛り上げますよ! 昼休みに理沙んとこ行ってかっこよくプロポーズ決めますからっ!! 理沙の驚く顔を見せますからっ!!」


「って事は、やっぱり理沙ちゃんの了承は得てないんだな・・・」


さらに落ち込む課長だが、その心とは裏腹に学の周りには役場の若い職員が集まり出した。


「学!ついに理沙ちゃんと結婚かあ!!」


「昼休みにプロポーズするんだってよお!!」


「よおし!!みんなで学の応援に行くぞお!!」


「おうよ!! みんな俺の晴れ姿を目に焼き付けてくれよなあ!!!」


学を中心に、役場の若い職員が集まった観光課は異様な盛り上がりを見せていた。










この町はとても狭いから、ちょっとした事でも面白い話ならすぐ町中に伝わってしまう。


この町のメインストリート(と言っても黄色のセンターラインが引いてある片側1車線の狭い道だが)沿いに役場があり、その周辺に商店街が広がっている。


そして理沙の店はその商店街には無く、役場の裏手にある高台の丘の上にぽつんと存在している。


だからここに行くにはメインストリートから一本入り、田園の中にある車がすれ違うのがギリギリの車幅しかない狭い道を駆け上がっていかなければならない。


立地条件はお世辞にもよくないが、それでも理沙の味を求めて多くの客が訪れる。


店の横にある10台以上の車を納める砂利の駐車場は昼時はいつも一杯だ。


ちなみに役場の職員も理沙の店を頻繁に訪れているが、その時は車を使わず徒歩で裏の丘を登っていく。


この丘は上岡家の土地になるのだが、この『お客様』のために理沙の父は畑の中に一本の道を整備していた。





そんな立地条件なので、役場でのちょっとした騒ぎや出来事はすぐに理沙の耳に入ってしまう。


学も『理沙を驚かせる』と息巻いていたが、結婚宣言の15分後には近所のおばさんを通じてこの事が理沙に伝わっていた。


店はまだ昼前で客はおらず、理沙と母と歩美(歩美は現在家事手伝いで就職活動中)の3人だけだ。


「学があたしにプロポーズ? しかも昼休みに?」


話を持ってきた近所のおばさんに聞き返す理沙。


「そうそう!もう役場の若い連中はそのことで大盛り上がりだよお。でも年輩の人たちは『また学がひとりで騒いどる』って冷めてるけど、ねえねえ、本当のところはどうなの?」


「年輩の人たちが正解!あたしはそんな気は全っっっ然ありません!!」


理沙は強い口調で言い切る。


「全く・・・あのバカ・・・」


歩美はテーブルで頭を抱え込んでしまった。





「でも理沙ちゃん、学はバカだけど真剣だし、性格は結構いい男だと思うよ。淳ちゃんの事もあるから少しは考えてやっても・・・」


「その淳也が学を嫌ってるもん!今あたしが結婚するなら淳也がなついてくれる人じゃなきゃダメです!!」


「でもそれは難しいねえ。この町に住む若い男で淳ちゃんに好かれているのはおらんじゃろ? いやそもそも淳ちゃんはそのくらいの年の男全てがダメなんじゃないの?」


おばさんは難しい表情で理沙にそう尋ねると、


「そうじゃないよ。淳也は自分の父親に、理沙の夫に相応しい男を直感で見抜いてるんだよ。そういう人なら初対面でもなつくし、この辺りの男が淳也のメガネにかなわないだけさ」


理沙が話し出す前に勢いよく話しだすのは理沙の母。


「もうお母さん、またその話・・・」


店の壁に掛かっている色紙を見上げ、思わずふくれっ面になる理沙だった。





東京で迷子になった淳也を見つけてずっと付き添ってくれた若いカップル。


その初対面の男性になつく淳也の姿は理沙の母にとっては大きな驚きであり、また、どこか見覚えのあるこの男性に一気に惹かれてしまった。


お礼をしながら会話を交わし、このふたりが映画監督の真中淳平と小説家の東城綾であることに気付くと母は一気に舞い上がり、持っていた色紙(芸能人に会えるかもしれないと思って一応用意していた)にサインを貰っていた。


そんな事があって、現在理沙の母は淳平のファンである。


『お母さん、あの真中淳平って男は女性関係がだらしなくって、何度もスキャンダルを起こしてるんだよ!』


と理沙が言っても、


『それはテレビや雑誌の話だろ。私と淳也は実際に会って話をしたのよ。あの人はとってもいい人だよ。間違いない。いい加減な男かどうか見抜けないほど私の眼は曇っちゃいないからね!』


と言う具合で、理沙の話に聞く耳を持たない。





理沙としても淳也がなついてくれる男性が居たのは嬉しいが、それが芸能人では非現実的すぎるし、そもそも理沙はこの若い映画監督をあまり好きではない。


実は理沙も一連のスキャンダルはあまり気にはしていないのだが、何故だか分からないが淳平の姿を見るとどうも無性に腹が立ってくる。


しかしそれを言うとまた周りから色々言われそうなので、淳平を嫌う原因をスキャンダルのせいにしているというのが本音であった。





「ねえねえ理沙ちゃん、学の件はどうするの?なんなら私が今から断りに行ってこよっか?」


おばさんが理沙に悲しそうな目でそう尋ねる。


「そんな事してくれなくてもいいですって! これはあたしの問題だし、それにあのバカがどんなプロポーズをしてくれるのかちょこっとだけ興味あるし。受ける気はさらさらないけどね」


そう話す理沙の目は面白さで輝いており、真剣さは一切感じられない。


「仕方ないなあ。じゃああたしもあのバカの崩れる姿を見てやるか・・・」


ずっとむすっとして黙っていた歩美がようやく口を開く。


理沙の態度を改めて知り、幾分か表情が和んでいた。





(歩美も素直じゃないなあ・・・せっかくだし、しょうがないから一肌脱いでやるか)


親友の表情の変化と、その真意をきちんと見抜く理沙だった。















そして時間は昼時。


理沙の店はいつもより多くの人でごった返している。


おばさんがプロポーズの話をあっという間に言いふらし、面白いもの見たさで集まってしまったのだ。


皆が心に笑いと期待を抱きながら、もうひとりの主役の登場を待っていた。





そしてその主役が取り巻きを引き連れて颯爽と現れると、店中が大きなどよめきと笑いに包まれる。





「理沙あ、学が来たよ〜」


理沙の母が厨房の娘を呼ぶ。


「ねえ、この笑いと騒ぎは何?」


「学のカッコ見れば分かるよ。もう・・・くくくっ・・・」


母も笑いをこらえ切れないようだ。


(あのバカ、いったいどんな格好で来たのよ?)


腹を抱える母を横目に見ながら、理沙は厨房から店内に出ると、





「ぷっ!!・・・くっ・・・ あ、あはははははは!!!!! な、何よその格好・・・」





大声を出して笑う理沙の先には、全身白のタキシードに身を包み、真紅の薔薇の花束を抱える学の姿があった。





「おーい学、今からいい年して学芸会か?」


「そうかそうか、学芸会のプロポーズなら受けてくれるかもな?」


「いや無理だろ!理沙ちゃんも腹抱えて笑ってるぜ!」


常連客は揃って学を思いっきり冷やかすが、学はあまり動じない。


「フン、今のうちに笑ってろ。もうすぐ俺が歓喜の渦に変えてやるからな」


学は改めて理沙の前に立つと、明らかなオーバーアクションで薔薇の花束を差し出す。





「理沙!この薔薇とともに真っ赤に燃える俺の心を受け取ってくれ!! 理沙が一緒になってくれればこの熱い想いが幸せの光になるんだ!!!  俺とふたりでこの地に幸福の光を照らす最高の夫婦になろう!!!!!」










ざわついていた店内が一気に静かになった。










皆が、学の言葉とポーズに圧倒されて言葉を失っている。










いや、固まったと言ったほうが正しいだろう。










そのあまりの『寒さ』に凍えたかのようだった・・・










そんな中で一番冷静なのは、この寒すぎるプロポーズを受けた理沙だった。


「ねえ学、ひょっとしてわざと? それとも・・・本気?」


「何言ってるんだい!俺はいっつも本気に決まってるさっ!!さあ早くこの薔薇をっ!!」





「・・・ふう、学の気持ちは分かったよ。じゃあ今夜、滝神様の社で待ってるから。これ以上お客さん待たせられないから、じゃあね!」


そう言って理沙は厨房へと消えていく。





理沙の言葉は、学によって凍えた心を解きほぐす。


「えっ・・・」


「ええっ?」


「えええええええええええええっ!!!!!」


店内があっという間に大きなどよめきに包まれる。





「いよっしゃああああああああっ!!!!!」


学はその中心でガッツポーズをし、全身で大きな喜びを表していた。










この町のはずれにはとても立派な滝があり、ちょっとした観光目所になっている。


そしてこの滝には昔から『神が住んでいる』と伝えられており、その『滝神様』を奉る社が滝の近くにある。


『若い男女が滝神様の前で愛を誓った時、その男女は一生涯幸せに包まれる』


地元にはこうした言い伝えがあり、この町に住む夫婦のほとんどはここで愛を誓い合っている。


だから理沙の言葉は、学のプロポーズを間接的に受け取ったようなものであり、この場に居合わせた誰もがそう思っていた。





大きなざわめきとともにごった返した店内も、昼時を過ぎると静かになった。


「ねえ、理沙は本気なの!?本気でバカ学のプロポーズ受けるの!?」


歩美は自分たちの昼食を作る理沙に思いつめた表情で問いただす。


「あたしはそんな気は全然ないよ。さっき言わなかったっけ?」


対する理沙はけろっとしている。


「じゃあ何であんな意味深な事言ったのよ!?あれじゃあみんな誤解しちゃうよ?」


「いくら学でもあんな大勢の前で振るのはちょっとかわいそうと思ったのと、それにあいつが滝神様の前であたしにプロポーズは出来ないだろうから、かな」


「な、なによそれ?」


「あたし知ってるよ。5年前、あたしが居ない時にふたりが社で何をしたかねっ!」


「ええっ!?」


歩美は頬をやや朱に染めて固まった。


「この5年間、歩美の想いが変わってないことくらいあたしにも分かってるよ。だから今夜こそあのバカの目を覚まさなきゃ!」


「理沙・・・」




















その夜、





ドドドドドド・・・





豊富な水量が奏でる轟音を聞きながら、学は細い山道を登っていく。


この先にある社を目指して・・・





社での誓いは神聖なものなので昼の時のような見物客は誰一人居ない。


服装も普段着が原則(着飾らず、ありのままの姿で愛を誓い合うため)なので、派手なタキシードではなく役場の制服である。


若い地元民は社での誓いをいつかは行いたいと夢見ており、その直前にこの道を登るときは心躍るのが普通だ。





だが学の心は躍っていない。


(ここでの誓いはやりたくなかったんだよな。どうしても5年前を思い出すからな・・・)


昼に見せたへらへらした表情ではなく、めったに見せない真剣な面持ちで暗く狭い道を登っていく。


常に浮かび上がろうとする5年前の光景を心の奥底に押さえ込みながら。










「おっそいぞ!!」


「えっ・・・あれ、理沙?」


社の前まで来ると、扉の少し手前で佇む理沙の姿を捉えた。


誓いの時、女性は社に入って男性を待つのが通例なのだが、理沙は外で立っている。


「理沙、何で外に・・・」


「中で待ってたら学が入って来れないと思ったからだよ」


「えっ・・・」


驚く学。


「ふふっ、学は絶対浮気できないね。これだけ暗くても分かるよ、図星を突かれて驚いてるの表情に出てるよ!」


「り、理沙・・・」


「あたしと誓いなんて出来る訳ないよね。だって学はもう5年前に歩美と誓いを立てちゃってるんだもんね!」





「!!!!!」


いつもへらへらして、『バカでお調子者』のレッテルを貼られている学が、めったに見せることのない真剣な表情で驚いている。


「な、何で理沙がそれを・・・」


「その時お母さんが社の管理当番だったんだ。鍵をかけ忘れたのに気付いて朝方ここに来たらこっそり出てくるふたりの姿を見たんだって」


「ま、マジかよお・・・」


学はがっくりとうなだれた。





社での誓いとは、言ってしまえば『婚前交渉』である。


結婚が決まっているカップルが社の管理当番に話をし、鍵を借りて行うのがルールだ。


だから結婚が決まっていないカップル、もちろん未成年のカップルが誓いを立てることは無い。


5年前、理沙の母が社の掃除をした際に鍵をかけるのを忘れたのと、その夜偶然に学と歩美が社を訪れた事が重なり、言わば『無許可の誓い』が立ってしまったのだ。





いくら無許可とはいえ、このふたりが誓いを立ててしまったのは事実である。


だがその状況で学は歩美に対し明確な返事をせずに理沙にアプローチをかけ、あまつさえプロポーズまでしている。


この町で育った男として、許される事ではない。


「まだ歩美とはきちんとケジメつけてないんでしょ?それであたしとここに入るの?学っていつもへらへらしてるけど根は誠実な人だって思ってたんだけどなあ」


理沙の言葉の節々には厳しさが込められている。










学はしばらくの間黙っていたが、


「理沙・・・ゴメン・・・」


絞り出すような声でこう告げた。





「ねえ、『ゴメン』って、どういうこと?」


「俺と理沙と歩美ってガキの頃からいっつも一緒によく遊んでて、二人ともとても大切な親友だった。でも、小5くらいから、だんだんと歩美を意識するようになったんだ・・・」


「もちろん理沙のほうがかわいかったけど、でもあの頃の理沙はなんかとっつきにくい面があって、中学の頃になると、まあ普通に話はしてたけどお互いに心の中で一線を引いてた用な感じだったよな?」


「うん、よく覚えてないけどそう言われればそんな気がする。だからあたし、大阪に飛び出しちゃったんだよね」


「理沙が出てったのを聞いたときはもちろん驚いたし、寂しかったけど・・・けど俺には歩美が居てくれた。だからまあその後・・・偶然ここが開いてるのを見つけて・・・も、もちろん本気だった!! 俺は本気で歩美を好きだったし、その想いは今でも変わらない!!」


学の口調には次第に力が入ってくる。


「じゃあ何であたしにアプローチしてきたの?歩美放ったらかしにして」


「そ、それは・・・」


「歩美、決して言葉には出さなかったけど凄く辛かったんだよ。この前東京に行ったときも学はあたしばっか話しかけてきて、その時歩美がどんな顔してたか知ってる?」


「わ、分かってたよ!あいつの気持ちは分かってたし、5年間ずっと曖昧なままにしてたのも、それが悪いことも分かってた!! でも俺はボロボロになった理沙を放っておけなかったんだよ!!」


「えっ?」





今度は理沙が驚いた。


「5年前、大阪からボロボロになって帰ってきて、ショックで記憶のほとんどを無くして、おまけに父親が分からない子供を抱えた理沙を見て・・・放っておけるわけないじゃないか!!」


「学・・・」


「気付いてないかもしれないけど、大阪から帰ってきてからの理沙は変わったよ。相変わらず何考えてるか分からないところもあるけど、ものすごく人当たりがよくなって、すごく優しくって・・・惹かれるなって言うほうが無理なんだよ!!」


「学はずっとあたしに付いていてくれたもんね。学が居なかったら、あたしはあんなに早く記憶を取り戻していなかったと思うな・・・」


天を見上げる理沙。


星空の中に、幼い頃の無邪気な3人の姿が浮かび上がる。





「理沙がガキの頃の思い出を話してくれたとき、俺はメッチャ嬉しかった。その時俺は、理沙を幸せにしてやりたいと心の底から思った。一人で淳也を育てている姿を見るのは今でも辛いんだ。だから少しでも理沙の助けになってやりたいんだ!!」


「気持ちは嬉しいけど・・・じゃあ歩美はどうするの?」


「そ、それは・・・」


厳しい指摘を受け、言葉に詰まる学。





「学は歩美への想いを捨てられないよ。すぐに返事できないし、あたしと社に入れないって言ったのもその証拠。昼にあんなおちゃらけたプロポーズしたのも、自分の本心を誤魔化すためじゃない?」


「そう言われればそうかもな。でも俺、理沙への想いも本気なんだよ。だからどうすりゃいいのか・・・」


学は頭を抱え込んでしまった。


普段はまず見せない苦悶の表情だ。










「あたしへの想いは同情だよ」


「同情?」


学は思わず理沙の表情を伺う。


ずっと厳しかった理沙の表情だが、今は優しく微笑んでいる。


その心癒される微笑は、学の心も穏やかにしていく。





「あたし、大阪から帰ってきた頃は心身ともにボロボロだった。おなかに子供が居たのもショックで、もうどうすればいいのか分からなかった。でもお父さんやお母さん、歩美、もちろん学もそう、みんなの温かい心に励まされて、今のあたしが居る」


「学の温かい想い、ものすごく嬉しかった。でもその想いを受けてきたあたしは分かるんだ。学の想いは愛情じゃなくって、同情だってね。学はバカだから、自分の想いに気付いてないんだろうねっ!」





「・・・そうかもな、ホント俺ってバカだからな」


バカと言われるといつもは反発する学だが、今は理沙の言葉を聞き入れている。


「でもこれで学の本心は分かったんだから、あとはその想いを素直に表してよ。社の中で待っている人に・・・」


「えっ?」


「じゃああたしはこれで帰るね!あたしが言うのもなんだけど、この5年間ずっと苦しんできたんだからもう悲しませちゃダメだぞ!!」


そう言い残して理沙は足早に去っていく。





「あっおい理沙!!」


学は手を伸ばし理沙を呼び止めようとするが、もうその後ろ姿は闇の中。


学はしばらく呆然と暗闇を見つめていた。










(そういえば、社の中で待ってるって・・・)


はっと理沙の言葉を思い出した学は恐る恐る社の扉を開ける。





ギイイイイイ・・・





5年前と同じ光景が広がる。


薄明かりの中、だだっ広い板張りの部屋の奥に、滝神を奉る小さな祭壇が見える。


ただ異なるのは、部屋の中央で背を向け、正座する女性の姿がある事。





(歩美・・・)


暗くても、学には誰だか一目で分かる。


ずっと想い続けてきた女性であり、5年前、ここで誓いを立て、証として初めて肌を交わしあった女性なのだから・・・





バタン・・・





社の扉が閉められた。


あとは神が見守る中、ふたりだけの時が訪れる。


誰も、邪魔するものは居ない。


互いの愛を確かめ合い、深め合うのみ・・・




















翌日には、この事が町中に広がっていた。


学の相手は理沙から歩美に変わったのだが、そのことに関しての驚きはほとんどなく、むしろ予想通りという見方のほうが強かった。


まあ何はともあれ若い二人が結ばれたのだ。


町にはお祝いムードが漂い、学と歩美は皆の祝福を受けて最高の幸せに包まれていた。


そして理沙もまた、幸せそうなふたりを見て最高の喜びが訪れていた。










数日後の昼下がり、町はいつものようにのどかな時間が流れる。


理沙も昼の忙しい時間が過ぎ、のんびりと家族の昼食を作っていた。





ガラッ!!


「大変大変!!ビッグニュースだよお!!」


店の扉が勢いよく開き、学のプロポーズ話を持ってきたおばさんが血相変えて飛び込んできた。


その右手には今日発売の女性週刊誌が握られている。


「またいきなり何だい?今度は誰のプロポーズなの?」


おばさんの慌てぶりに呆れる理沙の母。


「あ、こんにちは〜〜〜」


昼食を運んできた理沙は暢気な声で挨拶をする。





「これこれ!!この雑誌に淳ちゃんが載ってるのよお!!」


「「えええっ!?」」


理沙と母は驚きの声をあげながら、おばさんの持つ雑誌を凝視していた。


[No.891] 2005/02/23(Wed) 18:19:10
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「あっこれ、淳也が公園で迷子になった時だよ。その時に撮られたんだねえ」


理沙の母は当時の様子を思い出す。


「でもホント楽しそうに笑ってるね。これがあの淳也なの?」


理沙は写真に写る我が子がとても人見知りの激しいあの淳也だとは信じられない。





雑誌の前半部分のモノクロページ、


丸ごと1ページ使用した大きな写真にしっかりと淳也の笑顔が映っている。


だがこの写真のメインは淳也ではなく、





『真中淳平×東城綾 結婚秒読み!!』





淳也を肩車する若手映画監督真中淳平と、笑顔でその脇を歩く天才小説家東城綾。


このふたりのデートの様子を紹介する記事と写真だった。





記事には当時の様子が簡潔に書かれており、迷子の男の子と過ごした微笑ましい光景に対し、記者は好意的な意見が書かれている。


『男の子と過ごしていた光景はもはや仲の良い夫婦にしか見えない。数年後にはこのふたりの実子とともに、このような幸せいっぱいの光景を見せてくれるだろう』


記事はこう締めくくられていた。





「あのふたりが結婚かあ。ホント仲の良いふたりだったからそんなに驚きはしないけど、こういう話は良いねえ」


理沙の母は記事を読んだ後、店に掲げられているサイン色紙に目を向ける。


「でもでも淳ちゃんが出てるなんて、ホントびっくりしたわよお。しかも男に肩車されてるのにこんなに楽しそうで・・・この辺の男だったら考えられないよねえ・・・」


淳也が若い男になつかないのはこのおばさんも知っているので、この写真の笑顔はおばさんにとっては驚きでしかない。


「だから前に言ったようにきちんとした男なら淳也もなつくんだって!あの子は男を見る目があるの!なっ理沙!!」





「・・・理沙?」


理沙は雑誌の写真をやや不機嫌そうな顔で凝視している。


「どうしたの?そんな不機嫌そうな顔して・・・」


「あ・・・あ・・・う、ううん、なんでもないよ」


理沙は慌てて雑誌を閉じて、おばさんに返した。


「そっか、この監督結婚するんだ・・・あっでもやっぱり男の浮気性ってなかなか直らないって聞くし・・・東城綾も苦労するんじゃないかなあ?」


「どうかねえ。まあ結婚すればおおっぴらな浮気は出来ないし、スキャンダルは減るんじゃないかねえ」


「ねえ、理沙は淳也が載ってるのを驚かないの?なんか真中監督のほうが気になってるように見えるけど・・・」


娘の態度が腑に落ちないのでそう尋ねると、


「なっ・・・それはお母さんでしょ!それにあたしはお母さんからこの話を聞いてたからそんなに驚かないし・・・あっそうだお父さん呼んでこなきゃ!!」


理沙は一層慌てて、まるでこの場から逃げるかのように裏の畑で農作業をする父を呼びに出て行った。





(やだ・・・あたしも気付いちゃった・・・自分の気持ち・・・)


理沙は、映画監督真中淳平のことを好きでなかったが、『特にここが嫌い』というのは無く、ただ漠然とした想いであった。


しかし先ほどの写真を見たことにより、嫌いな理由がはっきりと分かる。










(あたし、真中淳平そのものが嫌いなんじゃない。だってテレビで始めて顔を見たときは・・・むしろドキドキしてた・・・)





(あたしが嫌いなのは・・・幸せそうな真中淳平・・・)





(さっきの写真見て確信した。東城綾と一緒に・・・とても幸せそう・・・)





(ううん違う。真中淳平は嫌いじゃない。あたしは東城綾が嫌い・・・て言うか、妬ましいんだ)





(あたし、東城綾に嫉妬してる。だって真中淳平が幸せそうに東城綾の話をしてる時に限って、あたしは嫌な気分になってたもん)





(でも・・・なんで?あたし真中淳平に会った事ないのに・・・なんでこんな思いになるの?)





(何で東城綾に嫉妬するの? それに嫉妬するってことは・・・)





(あたしは・・・真中淳平が・・・好き?)





理沙は自らの想いが全く理解できず、ただ戸惑っていた。






























その日の夜、東京のレストラン。


高層ビル最上階からの夜景は格別であり、客のほとんどが眼下の瞬く光に心奪われている。


そんな中に、一組の有名人カップルの姿があった。





「やだなあ。こんな写真が載っちゃうなんて・・・」


綾が座るテーブルの上には理沙たちが見たのと同じページが広げられている。


「でもこの写真、隠し撮りの割にはよく撮れてるよなあ。表情もいいし・・・マジで家族連れにしか見えないなあ」


向かいに座る淳平は笑顔で写真を見つめている。





淳平が誘った夜のデート。


雑誌の発売が偶然重なったので、当然のごとく話題はこの記事になる。


もっともスキャンダル記事ではないので、ふたりの表情は明るい。





「でも、『結婚間近』と『未来の姿』は間違いだよね。まだそんな話はないし、それに子供も・・・」


雑誌をしまう綾の表情に寂しさの色が現れる。





淳平はそれを見逃さなかった。


「綾・・・これを受け取ってくれないかな?」


淳平はポケットから小さな青い箱を差し出した。





「淳平、これ・・・」


一目で、それが指輪のケースだと分かる綾。


心の動機を抑えながら、綾は小さなケースを手に取り、そっと蓋を開ける。





「わあ・・・」


小さな宝石が綾に向けて幸せの光を放っている。


「それを身に着けてくれないかな? その・・・左手の薬指に・・・」


「・・・」


「ま、まだ半人前の俺には早いかもしれないけど・・・でももうこれ以上待てないんだ。これ以上もたもたしてたら、もっと綾を苦しめるような気がして・・・だから・・・」





「・・・婚約、しよう・・・」










綾はただじっと指輪を見つめていた。


指輪の光と、淳平のプロポーズ。


いっぱいの幸せに包まれ、こみ上げる衝動が抑えられない。


だが・・・





「ありがとう・・・凄くうれしい・・・でも・・・あたし・・・」


指輪から目を離し、うつむく綾。


「あたし・・・淳平の子供・・・生めないんだよ・・・あの時・・・勝手な事して・・・」


悔やんだ想いが詰った悲しみの雫が、綾の瞳から滴り落ちる。















半年前、綾は執筆活動に追われ多忙を極めていた。


だがその時の身体はとてもそんなハードスケジュールをこなせる状態ではなかった。


その1ヶ月ほど前、体調の変化に気付き病院を訪れた際、





『おめでとうございます。現在7週目ですね』


と、妊娠を告げられた。





もちろん父親は淳平であり、綾は小さな命を宿した事を喜んだのだが、それ以上に不安のほうが大きかった。


当時の淳平は難しい映画制作の真っ最中で、綾にもほとんど連絡をせず、それに没頭していた。


そして綾もまた、ハードスケジュールに終われる日々。


(淳平に報告しなきゃ・・・でも、彼は今とても大切なお仕事をしてる・・・ひょっとしたらその妨げになっちゃうかも・・・)


(他の誰かに相談したら『すぐに報告しろ』って言われるだろうし・・・あたしが口止めしても多分彼に伝わっちゃう・・・)





結局、綾は誰にも相談することなく、しばらく妊娠を隠す事に決めた。


だがそれは普段どおり振舞うということであり、しかもスケジュールがより一層厳しくなることも重なった。





結局、無理がたたって、綾は倒れた。


救急車で運ばれ、搬送先の病院で意識を回復した時には・・・





子供は流産し、胎盤は致命的なダメージを背負ってしまっていた。





綾が倒れたのを聞いた淳平は血相を変えて病院に駆けつけた。


綾本人が無事だと聞いてほっと胸をなでおろしたが、そこで倒れた原因と結果を知ると、





『ふざけるなあ!! なんでそんな大事な事を黙ってたんだ!!』


青筋を立てて綾を怒鳴りつけた。





淳平からしてみれば綾の取った行動はあまりに身勝手で、淳平をバカにした行為だった。


しかもその結果、ひとつの小さな命を失っている。


いくら女性に優しい淳平でも、とてもじゃないが簡単に許せる行為ではない。


この日からふたりの距離は一時的に離れて行き、そしてまたさつきへの浮気の一因にもなっていた。















「綾・・・」


淳平は綾の手を取り、指輪のケースと共に自らの両手でやさしく包んだ。


「前にも言ったと思うけど、起きた事を悔やんでももう仕方ないんだ。大事なのは、俺たちがこれからどうするか、だろ?」


「淳平・・・」


「俺にとって綾は世界で一番大切な存在なんだ。そんな綾に、もうあんな苦しい思いはさせたくない。だから、ふたりで一緒に歩いて行きたいんだ。楽しい事、苦しい事、全部ふたりで分かち合って行こうよ。もうひとりで抱え込まないようにさ」


淳平は愛がいっぱい詰った優しい微笑を綾に向ける。





綾はずっと泣いたままだったが、最初は『悲しみと後悔』の涙だったものが『幸せと喜び』の涙に変わった。


それが、綾の微笑みに表れる。


「淳平ありがとう・・・あたし、淳平について行く。ふたりで、一緒に歩いて行こうね」


涙でくちゃくちゃだが、幸せいっぱいの微笑。





「ありがとう・・・  は〜〜っ、よかったあ。断られたらどうしようかと思ったよ!」


大きく息を付き、これで淳平の表情から緊張が消えた.。


心の底からの微笑みに包まれるが、ムードはぶち壊しだ。


「もう、淳平ったら・・・」


綾も半分呆れ顔だが、そう話す笑顔はとても楽しそうだ。


このように着飾らない淳平が綾にとってはとても大切であり、心休まる存在なのだから。





その後、笑顔のふたりはワイングラスを鳴らした。


綾の左手の薬指には、幸せの光を放つ小さな石が輝いている。


(俺はこの光を絶対に守り続ける。つかさ、天国から見守っててくれよな)


窓の外の夜空を見上げ、天に住むかつての恋人に幸せを祈る淳平だった。

























そして時は約1ヶ月流れ、


理沙は忙しい日常を送っていた。





これから観光シーズンを迎えるので客が増え、1年で一番忙しい時期が訪れる。


この時期は忙しい1日を終えるとすぐに布団に入る日々が続いており、理沙は世間一般の情報からはかなり疎くなっていた。


『東城綾が婚約指輪を身に着けて公の場に姿を現す』という小さな芸能ニュースなど、理沙の耳には全く入っていなかった。





「ふう・・・」


ある日の昼下がり、理沙は客の居なくなった店内でひとり息をつきボーっとしていた。


いつもは昼時を過ぎればぱったりと客足が途絶えるが、今の時期はぱらぱらと客が続き、このように誰も居なくなる時間が2時間ほどずれ込む。


つまり理沙の昼休みが2時間ずれ込む事になり、いくら若い身体でも結構きつくわずかな時間の休息でも、今の理沙は無駄に出来ない。


でもそんなわずかな休息も、





ガラッ





店の扉が開けば終わる。





「理沙ちゃ〜〜ん、なんか食わせて〜〜」


常連客が3人、疲れた顔をして入ってきた。


「あらいらっしゃ〜〜い、今日は遅いね?」


「いやあ、お客がずっと続いてさあ、全然昼休みが取れなかったんだよお」


「今年は暑いから滝に来る観光客が多いからさあ、俺たちもメッチャ忙しいよお」


「普段そんなに働いてないから今の時期はきついなあ。まあこれも滝神様の恵みだから贅沢はいえないって分かってはいるけど、もう少し楽になりたいなあ・・・」


常連客はそれぞれが慣れない忙しさを口にしながら、ぐったりとテーブルに着いた。





「この時期はみんな忙しいの!暑くて大変だけど、泣き言こぼしてちゃだめだぞっ!!」


理沙はグラスに入った氷水を配りながら客に笑顔で激を飛ばす。


「あれ?おばさんは?」


「淳也のお迎えと買い物。だから人が居ないんでセルフサービスにご協力お願いします!」


さらに理沙は氷水が入った大きな水差しをドンと置いた。





普段の接客は理沙の母が受け持っているのだが、母が居ない時は理沙が全てを行うことになる。


本来なら客に呼ばれたら水を注ぐのだが、料理を作っている時はそれが出来ないので水を注ぐのは客のセルフサービスになるシステムだ。


常連客はもちろん承知しており、いやな顔をせずにいつものメニューを注文した。





「さて、ぱぱっと済ませるか!」


理沙が厨房に入り注文の品に取り掛かろうとした時、





ガラッ





再び扉が開く音が耳に届いた。


「理沙ちゃ〜〜ん、お客さんだよ〜〜」


さらに常連客の声。





(ええ〜〜〜っ、うそ〜〜〜〜っ!?)


こんな時間はずれに来客が重なる事はほとんどない上に、しかも今はひとり。


心の中で悲鳴をあげながらも、理沙は落ち着いて来客数分のグラスを用意する。





客は年輩の夫婦とその娘のように見える若い美人の女性で、ひと目で観光客だと理沙は見抜いた


「いらっしゃいませ」


『観光客用』の笑顔で挨拶をする理沙。


もともと人当たりは良く、東京の物産展でも評判が良かった笑顔。


厨房に入る前は接客担当だったこともあって理沙の接客は評判が良く、客からのクレームはほとんど無いのだが、


この客は理沙が原因で騒ぎを起こした。










「きゃああああああああああああっ!!!!!!」










突如、若い女性が悲鳴をあげる。





理沙はもちろん、他のテーブルに居た常連客、さらには女性の両親も驚いた。


(えっ、な、なになに!?)


軽いパニックに陥る理沙。





「唯、どうした!?」


「唯ちゃんどうしたの?突然叫んで・・・なにがあったの?」


両親が心配そうに娘に寄り添う。















「お・・・      おば・・・   け・・・  ・・・   ・・・」





その女性は理沙を指差し、怯えた目で見つめていた。















(お化けって・・・   あたし?)





女性の怯える理由が分からず、理沙の頭の仲は真っ白になっていた。


[No.909] 2005/03/02(Wed) 09:59:06
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理沙の店を訪れた若い女性が引き起こしたお化け騒動。


その場に居合わせた全ての人間が驚いたが、一番驚いたのはお化けにされた理沙本人だった。


はじめはただ訳が分からず頭が真っ白になっていたが、タイミング良く理沙の母が帰ってきて(淳也は保育園の友達の家に置いてきた)事態の収縮に当たったので騒ぎは収まった。





「そうなんですか、娘さんの亡くなった先輩があたしにそっくり・・・」


ようやく原因を知った理沙は改めて騒ぎを起こした女性に目をやると、ずっとハンカチで目頭を押さえていた。





理沙の母が聞き出したところ、この地に観光で訪れた南戸一家は遅い昼食を取るために偶然この店にやって来て、一人娘の唯が理沙の姿を見て本当に心底驚いたそうだ。


理沙よりひとつ年上の23歳の唯は、高校時代は東京に住んでおり、通っていた高校の1年上の先輩が理沙に瓜二つとのことだ。


唯はその先輩の事をとても慕っていたのだが、唯が高校3年の時に不慮の事故で亡くなってしまい、何日も泣き続けた。


そんな先輩にそっくりの人物が5年の歳月を経て突然目の前に現れたのだから、唯の驚きぶりも判らないことはない。





(でも子供じゃあるまいし、いきなり『お化け』呼ばわりはないと思うなあ。この子あたしよりひとつ年上だけど、なんか年下に見えるし・・・)


(そういえば東京に行ったとき、デパートの店員さんにも同じような理由で泣かれたっけ。たぶん同じ人なんだろうなあ・・・)


物産展で出会ったトモコの顔を思い出す理沙。





「本当に申し訳ありません。娘が失礼なことを・・・」


「ごめんなさいね。こんな綺麗なお嬢さんを捕まえてお化けなんで・・・なんてお詫びしてよいやら・・・」


唯の両親は理沙に向けて何度も何度も頭を下げた。


「あっいえそんな・・・あたしは平気ですから・・・」


この状況は理沙が被害者だが、それでも観光のお客に謝られると返って恐縮してしまう。


「せっかくだからあたしの料理を食べてってください。もういつもより腕によりをかけますから! ねっ、唯ちゃんももう泣かないで、あたしの料理食べてって」


理沙はずっと泣きじゃくる唯にやさしく接した。





「ちょっと理沙、年上のお嬢さんに向けて『ちゃん』付けはないんじゃないかい?」


理沙の母は娘の発言に顔をしかめる。


「あっ・・・ご、ごめんなさい!!つい・・・」


今度は理沙が謝る番だ。





だがこの理沙の発言で、唯のスイッチが入ってしまった。


ずっと押さえていたものがこみ上げ、感情が暴走してしまう。





「その声・・・その呼び方・・・やっぱり西野先輩だよ・・・」


唯は涙を流しながらぼそっとつぶやき、


「きゃっ!?」


突然立ち上がり、理沙にしがみ付いた。





「ねえあなた西野先輩でしょ!! あの優しくってかっこよかった西野先輩ですよね!! ねえそうだって言ってください!!」


「ちょ、ちょっと・・・唯ちゃ・・・」


涙を流して迫る唯の気迫に押され気味の理沙。


「だって声も雰囲気もそっくりだし、あたしより年下なんて信じられないよ!! 何でこんなところで別人になってるんですか!!  ねえ西野先輩!!」


「ちょっ・・・別人って・・・」


「昔の事忘れてるんですよね!! だったら思い出してください!! じゅんぺーや東城さん、さつきちゃん、トモコ先輩、ケーキ屋さんの日暮さん、みんなみんな先輩が生きてるって知ったら喜んでくれます!! だから思い出してください!! ねえ思い出して!!!」


唯のボルテージはどんどん上がっていく。





「唯、止めなさい!!」


唯の両親は慌てて理沙から娘を引き離し、


「本当にご迷惑をおかけしてすみませんでした。では・・・」


そして泣き叫ぶ娘を引き連れ、逃げるように店から出て行った。





(な・・・なんなのあの子・・・)


理沙をはじめ、店にいた全員が店の扉をボーっと見つめていた。


店の中は、まるで嵐が過ぎ去った後のような雰囲気だった。




















その日の夜、理沙は荒れていた。


「ふーっ!」


母特製の梅酒を何杯もグラスに注いでは飲み干して行く。


(ああ・・・ワシの梅酒が・・・)


その様子をやや悲しい目で見つめる理沙の父。





本来この梅酒はほぼ理沙の父専用になっているのだが、このように荒れると理沙に取られてしまう。


そして父には荒れている理沙を止める力はない。


ちょうど飲み頃になっている梅酒だけに、父の悲しみは相当なものだった。





「全くこの子は・・・そんなに荒れないの!ほらほらお父さんの梅酒、なくなっちゃうでしょ!!」


「たまには憂さ晴らしもいいでしょおお!! 今日は本っっ当に腹立ったんだからあ!!」


理沙の怒りは収まらない。





理由はもちろん、あのお化け騒ぎと唯である。


唯たちが過ぎ去ってしばらくは呆然としていた理沙だったが、時間が経つに連れてだんだんと怒りがこみ上げてきた。


「なによあの子!! あたしがそんなに老けて見えるってわけ!! そりゃ子供が居ればそれなりに大人になるんだから当然でしょ!! なのにあたしの気も知らないで・・・」


さらに理沙はグラスに梅酒を注ぐ。


「ワシの梅酒・・・」


ついに梅酒は無くなってしまった。


「それにあたしは上岡理沙!! 西野って女なんて知らないよ!! 向こうの都合でそんなわけの分からない女にさせられるなんて・・・あ〜〜〜っもう!!」


勢い良くグラスを飲み干し、





「ふ〜〜〜〜っ、  もう、何でこんなにいやな気分になるんだろう・・・」


大きく息を吐く理沙だった。





「あ〜〜あ、こんな姿、とてもじゃないけど淳也には見せられないねえ・・・」


娘の荒れっ振りに呆れる母。


既に夜もだいぶ更けており、淳也は隣の部屋で寝息を立てている。










「でも、その女の事が気になる理沙であったとさ、マル」


そんな理沙に茶々を入れるのは、歩美だった。


荒れる理沙を静めるため、理沙の母が呼んでいた。





「ちょっとお、らによそれえ!?」


理沙は思わず噛み付くが、酔いが回って上手く口が回らない。





「その西野って女に見られていやな気分になるのも分かるけど、それがどんな女なのか分からないからいやなんでしょ?いい女って言うか、きちんとした人間に見られてるんならそんないやな気分にはならないでしょ?」


「あたしはあたし!どんな人間でも他人と比べられるのはいやなの!!」


「あっそうだった。そういえば理沙ってB型だったよねえ」


「そんなの関係ないでしょお!!」


理沙の怒りは収まるどころか、より膨らんでいるようだ。





「なあ理沙、そんなに気になるなら東京行ってきたらどうだい?」


「「「ええっ!?」」」


理沙、歩美、父の3人は母の思わぬ発言に驚く。


「あんたが何を言ってもその西野さんって女性を気にしてるのは分かる。だったら東京に行って気の済むまで調べておいで」


「ちょっ・・・お母さんいきなり何言い出すのよお!?あたしはそんなに気にして・・・」


「口で行っても料理の味には表れとる。今の理沙にこの店の厨房は立たせられんよ」


「うっ・・・」





母の言うとおり、騒ぎの後の理沙は心が落ち着かず、それが料理の味まで影響が出てしまった。


普段は客からの不評はあまり聞かないが、今日は『いつもとだいぶ違う』とか『味がおかしい』という常連客の厳しい言葉が出たほどだ。





「理沙は今日までホント働きづめだったから、たまには羽を伸ばしてひとりで楽しんできなさい。確か東京の泉坂ってところだって聞いたけど、他にいろいろ見物する場所もあるだろ?」


「ひとりって・・・淳也はどうするのよお? それにお店もこれから忙しくなるんだし・・・」


「大丈夫だって。淳也はあたしらに任せときなさい。それにお店だってあたしが厨房に立てばいいし、それに援軍も居るしね!」


理沙の母はそう言いながら歩美の顔を見つめている。


「えっ??」




















翌日の理沙の店。


「いらっしゃいませ〜〜〜」


常連客に挨拶する若い女性の声が響く。





「あれっ、歩美ちゃん?」


常連客が歩美のエプロン姿に驚いた。


「なんで歩美ちゃんが?おばさんはどったの?」


「おばさんは厨房で、あたしは援軍。今日からしばらく理沙は東京行って居ないから」


「ええ〜〜っ!?」


「そんなあ、理沙ちゃんの料理食べれないのかあ・・・」


がくっと落胆する常連客たち。





「ちょっとお、そんなに落ち込まないでよお。おばさんの味も理沙に負けず劣らずだし、若い美女のあたしが接客するんだよお!」


歩美がそう言っても、


「でもなあ、理沙ちゃんの料理が食べたかったんだよなあ・・・」


「たとえ姿は見えなくとも、時折聞こえる理沙ちゃんの声だけでも癒されるんだけどなあ・・・」


そんな事を言いながら店から出て行こうとする。


「ちょ、ちょっと・・・」


まだ接客に慣れていない歩美では止められない。





「くぉらあああ!!! 歩美を無視して出て行くとは何事だああ!!!」


そこにやって来たのは歩美の恋人となった学。


しかもその後ろには役場の同僚たちがずらり。





「学!!」


愛する人の登場に歩美の瞳は輝く。


「歩美のために客をたくさん連れてきたぞお!! 理沙が留守の間を任されたんだろ! じゃあ俺も協力するぜえ!!」


「学、ありがとっ!!」


真っ昼間から抱きつく二人。


結局、帰ろうとした常連客も役場の職員たちに押されてテーブルに付いてしまった。





「はあ〜〜っ、忙しいねえ」


理沙の母はそう言いながらも表情は明るい。


久々に立つ厨房だが2年前までは毎日立っていた場所であり、たまに理沙がいないときは自ら腕を振るっているので不安は無い。


「さあ〜〜〜って、あの子の分まで頑張りますか!!あたしだってまだまだ現役だからね!!」


晴れやかな表情で手早く仕事をこなして行く。










「・・・ひょっとしたら、あの子はもうここに立たないかも知れないからねえ・・・」





一瞬、表情がさっと曇る母だった。




















そして理沙はひとり、東京行きの新幹線に揺られていた。


[No.922] 2005/03/06(Sun) 23:22:45
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「毎度おおきに。またお越しやす」


丁寧な京言葉を背に受け、理沙は老舗の佃煮屋を後にした。





「はあ、お母さんはこれが目的だったんだよね・・・」


右手に持つ紙袋は、中に佃煮がどっさりと入っていてかなり重い。





『あっそうだ。東京行く前に京都寄ってあの店の佃煮買って来とくれ。ついでに京都観光もしてきたらどうだい?』


この母の言葉で決まった京都立ち寄り。


「京都観光かあ。ここに来るのは中学の修学旅行以来なんだよねえ」


古都の風景を見ながら昔を思い出そうとする・・・が、当時の光景は全く浮かばない。


「やっぱり記憶は完全に戻ってないんだなあ。歩美の話だと、この辺りは来てる筈なんだけど・・・」





5年前のある日、理沙は地元の病院のベッドで目が覚めた。


その時、自分の名前や年齢も含め、全ての記憶を失っていた。


その後、家族や友人たちの話や幼い頃の写真を見たことによって、地元での記憶はほとんど取り戻していた。


だが旅行での記憶や、ひとりで行った大阪での生活の記憶は全く戻っていない。


どうやって大阪から地元に戻ってきたのかすら、理沙はまだ思い出せていなかった。





「修学旅行の話は歩美や学からさんざん聞かされたなあ。当時のしおりとかも見せられて、あと写真もいろいろ・・・」


修学旅行で理沙と歩美は長いスカートのセーラー服姿で京都の街をいろいろ回っていたようだ。


「・・・楽しかったんだろうなあ。でもあたしは・・・」


硬く閉ざされた記憶の扉は開く気配すら見せず、思い出せないことがとても辛い。





(でも前向きに考えなきゃ! 落ち込んでたってしょうがないよね。それにいろいろ回ればそのうち扉が開くかもしれないし!)


理沙は心の奥に辛さを隠し、笑顔を作る。


「さあて、京都観光に行きますか! でもその前に・・・」


重い紙袋を改めて覗き込む。


こんな物を持っていてはせっかくの観光が台無しになってしまう。


「宅急便で送ろ!」


理沙は近くのコンビニに向かっていった。















理沙は紙袋の重さから開放され、晴れやかな表情で古都を回る。


中学の修学旅行ルート意識して巡るが、他に行きたいところもあるので気のまま行動する。


この身軽さが一人旅の良いところだ。





「でも、こんな山奥に来てもしょうがなかったかな?」


やや道に迷ったのと気の迷いが重なり、理沙は観光名所が集まった場所からだいぶ離れたところに来てしまった。


「さすがに京都でもちょっと外れるとなんにも無いんだね」


そんな事をつぶやきながら山道を歩く。










「あれ? ここって・・・」


そんな理沙の目に、ひとつの長い階段が目に留まった。





「集恋神社?」


修学旅行でこんな山奥に来る筈も無く、理沙がここに訪れるのは初めてのはずだが、





「あたし・・・ここに来た事が・・・」


記憶の扉がわずかに開きかけた。


惹かれるように理沙は階段を上っていく。










(あたし・・・ここに来たことある・・・セーラー服着てた・・・じゃあ中学の時?)


記憶の扉の向こうから、少しずつ光景が飛び出してくる。





その中に映るのは、学生服を着た男子生徒の姿。





(この制服・・・学かな?  でも中学の時は男女別の班行動だったし・・・)





(あれ・・・あたし・・・スカートの裾押さえてた・・・とても短いスカート・・・)





(何でこんなスカート穿いてるの? これ、中学の制服じゃない?)





浮かぶ光景に戸惑いながら、理沙は階段を上りきった。


理沙以外の参拝客は誰も居ない。





(あの時も誰も居なかった・・・あたしと・・・誰だろ?この男子生徒・・・)


石畳を進み、社に近付く。





(そのあと・・・あたし・・・お参り・・・   してないような?)





(この下に・・・入った?)


社の下を覗き込む。


とても信じられないが、その光景が扉の向こうから浮かんでくる。


さらに、当時の心境も・・・





(あたし、とてもドキドキしてた・・・何かから逃げてて・・・ それと・・・)





(一緒に居る人に・・・ドキドキしてた・・・)





(あ・・・男子生徒の顔・・・浮かびそう・・・)





頭を抱え、扉の向こうからやってくる光景を待つ。





そして・・・薄暗い中で目前に迫る男子生徒の顔が、はっきりと浮かび上がった。










(真中・・・淳平?)










「・・・あ〜〜あ、何よこれ。せっかくいい感じだったのに・・・」


身体から力が抜けた。


芸能人が記憶に浮かぶなど、理沙には考えられなかった。


せっかく浮かび上がった光景も、理沙の想いが作り出してしまった紛い物のように思えてしまう。





「でも・・・今までこんな事は無かった・・・」


ずっと硬く閉ざされていた記憶の扉は、わずかではあるが少しだけ開いたのは事実だ。


(全てが間違ってるわけじゃないと思う。中には・・・正しい記憶も・・・)


(でもそうなると修学旅行の記憶じゃ辻褄が合わない。じゃあこれは・・・ひょっとして大阪時代の記憶かな?)


(そもそも、何であたしはこんなところに来たんだろ・・・ここに来たきっかけは・・・)





理沙は気を取り直し、再び記憶の扉に手をかけた。










そして、ある観光名所が頭に浮かび上がる。





(何でこの場所が? こことはものすごく離れてるし・・・関連も無いような?)





「・・・って、考えてても仕方ないか」


理沙は立ち上がり、思い浮かんだ場所に向かう。


理由は分からなくとも、手がかりはそれしかないのだから。




















そして時は夕刻。


理沙は清水寺の長い階段をひとりで登っていく。





脳裏に浮かんだ光景が、この清水寺だった。


ここは修学旅行でも来ているし、写真で見たこともある場所だ。


先ほどの神社と違って有名な観光スポットなので人の姿も多い。





(あたし・・・この階段・・・上った・・・)





再び記憶の扉が開き始め、少しずつ光景が浮かび上がってくる。





(あたし・・・胸元でなんか握ってた・・・  周りは・・・女の子ばかり・・・同じ制服・・・女子校?)





(あれ? あたしも同じ制服・・・ブレザー着てる・・・  なんで?)





理沙が通っていた中学、そして中退した高校はセーラー服なのでブレザーの制服を着ることは考えられない。





(またこれも・・・あたしの作った記憶?  あ・・・でも・・・他に・・・何か・・・聞こえそう・・・)










『清水寺にね地主神社ってとこがあって縁結びで超有名なのよー』





『あんた男に縁ないのに!?』





今までは景色だけの記憶だったが、そこに声が加わってきた。





(これは・・・あたしの作ったものじゃない。  確かな記憶・・・)





(何であたしは・・・ブレザーを・・・)





記憶の辻褄が合わず、理沙の頭は混乱を極めている。


そんな中で、有名な清水の舞台に上がった。





舞台には観光客があちこちに点在している。





(あの時もそうだ・・・  あちこちに人が居て・・・   同じブレザー着た生徒がたくさん・・・)





(あたし・・・ここを・・・走ってた・・・  誰かに追っかけられて・・・)










『ねえ!さっき地主神社行ったでしょー お守り買ったの?見せてよ!』





『気になるならトモコも買えばいーだろー?』










(これ・・・あたしの声・・・  トモコ・・・    そう、トモコ!  あたしの親友!!)










『いーじゃん見せてよ!ねえ〜〜っ』










(あ、この時・・・凄くショック受けて・・・学生服のカップルがキスしそうになってて・・・)















(・・・東城さんと・・・    淳平くん!?  )




















『つかさ!』




















(つかさ? これは・・・)




















(あ・・・あああああああああああああああ)















わずかに開いていた記憶の扉が・・・




















・・・一気に開いた。




















大量の光景や声が、一気に理沙の頭の中に溢れかえる。


























「あ・・・あああああ・・・」





理沙は両手で頭を抱え、目を大きく見開き、



































ドサッ・・・




















[先生!東城先生!今の音は何ですか!?]





「あ・・・あ・・・ す、すみません。驚いて本を落としちゃって・・・」





同時刻。





綾は自宅で小鳥遊からの知らせを聞いていた。


以前依頼したDNA鑑定の結果である。





[先生すんません。ワシもこの結果聞いて伝えようかどうしようかえらい迷いました。せやけど・・・科捜研で調べてもらったんで、これがあの事件の捜査本部に伝わってしまいまして・・・]


「そう・・・ですか。  当然・・・です・・・よね・・・」


[先生のとこにも警察が事情聴取に行くと思います。でも・・・なんでこんな結果が・・・]





小鳥遊の声は申し訳なさと、鑑定結果にまだ信じられないといった感じが伝わってくる。


この結果は、綾にとって『地獄に叩き落されるようなもの』なのだから。





綾の推測とそれに基づいた今回の依頼は、まず99,9%間違っていると誰もが思うような内容だった。





だが、結果は0.1%の方。


これには誰もが慌て、特に鑑定をした科捜研と警察が大慌てになっている。





[先生、ワシからこんな事言うのも何やけど・・・気を強く持ってください!! ワシはこの先いつでも先生の味方です!! だから一人で抱え込まんと、何でも言ってください。ワシに出来る事なら何だってやりますよって・・・]


「ありがとう・・・ございます・・・」





綾はそっと受話器を置いた。


そして部屋の片隅においてある写真立てを取る。










綾と淳平の幸せそうな笑顔が映った写真。





「ただふたりで笑っていたい・・・それだけで・・・よかったのに・・・」





「なんで・・・あたし・・・気付いちゃったのかな・・・」





「気付か・・・なけ・・・れ・・・ば・・・良・・・かっ・・・た・‥   の・・・  に・・・   」





写真の上に悲しみの雫がポタポタと滴り落ちる。





「うう・・・   うっ・・・    」





人は悲しみが募ると、それを『涙』という雫に換えて流し出して行く。










綾の涙は止まらない。





あまりにも大きすぎる悲しみは、どんなに雫に換えようと、全てを流しきれないのだから・・・






























「おいどうしたん! あんさん大丈夫か?」





(あれ、あたし・・・)


気がつくと、理沙は膝を着き前のめりに倒れていた。


倒れた際にバッグを落としてしまい、財布や口紅などの小物類が辺りに散乱している。





「あ・・・だ・・・大丈夫、です」


理沙はそう答えながら散らばったものを鞄に入れ、慌ててその場から立ち去ろうとした。





「あっおいちょい待ち!あんさん大事なもん忘れとるで!」


「えっ?」


「これ、あんさんの免許証やろ?」


「あ、ご・・・ごめんなさい・・・」


理沙は虚ろな目で免許証を受け取った。





「おいあんさんマジで大丈夫かいな? 旅行客やろ? 宿どこや? なんならそこまで送ってったろか?」


「え・・・」


理沙はここで初めて、声をかけている男の顔をしっかりと見た。


心配そうな表情を浮かべてはいるが、見るからに軽そうな関西弁の男だ。





「あの〜ひょっとして、ナンパ?」


警戒感が表に出てしまい、やや不機嫌そうにそう尋ねてしまう。





だが男は見た目と違ってまともだった。


「アホッ!弱っとる女にナンパなんぞするかいな! それにすぐそこにカミさんがおるんや! ただでさえ怖い京女なのに目の前で他の女ナンパなんかしとったらマジ殺されるわいっ!!」


言葉は冗談交じりだが、口調と表情はそれなりに怒っている。





「くすっ・・・あっ、ごめんなさい!」


その様子がおかしくて、理沙は思わず笑ってしまった。





「何や失礼なやっちゃなあ。でもそれだけ笑えれば大丈夫やな。じゃあ俺は行くさかい、気いつけてな! あとこの俺が素晴らしくいい人間だったって事を覚えといてくれよな、ほな!」


男はそう言い残し、妻らしき女性を連れて去っていった。





理沙はしばらくその後姿を見ていたが、やがて手渡された免許証に目を移した。









「・・・」










普段、自分の運転免許証を見ても特別何も感じないだろう。





だが、理沙の胸はとてもいやな感じでぐっと締め付けられている。










なぜなら・・・



































(違う・・・   あたしは・・・   上岡理沙じゃない・・・)



































(あたしの名前は・・・     あたしは・・・   )























































(・・・              西野・・・     つかさ・・・          )


[No.928] 2005/03/09(Wed) 18:22:24
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京都市内のとあるホテルの一室で、浴衣姿の美女が缶ビールに口をつける。


「ふう・・・」


観光で1日歩き回った疲れをシャワーで洗い流し、すっきりした身体に冷えたビールを注ぎ込む。


誰もが最高の気分になるところだが・・・





この美女の心は晴れていなかった。





(修学旅行最初の夜だっけ。淳平くんが会いに来てくれて、あたしも先生の目を盗んでこっそり抜け出して・・・)


(とっても嬉しかったな。でもあたしは・・・)





(・・・ずっと忘れてた。今日まで、5年もの間・・・)





上岡理沙から西野つかさへ・・・


今日、ずっと忘れていた5年前までの記憶と共に、本当の名前も取り戻した。





(取り戻したと思ってた上岡理沙の記憶は、あたしが作り出したものだったんだ・・・)


つかさは改めて記憶の整理を始めた。


(5年前、あたしは淳平くんと付き合ってた。淳平くんは志望大学に受かって、あたしはパリ留学目前で・・・)


(離ればなれになるのは辛かったけど、でも希望を持ってた。とても幸せだった)





(でも突然、あの夜・・・)





5年前のある日の夜、つかさは自室にいた。


そこに突然やって来た侵入者。


驚く間もなく、つかさは侵入者によって気を失った。


そして・・・





「うっ・・・」


ベッドに座るつかさは硬く目を閉じ、首を左右に振る。


自然と身体は震え始め、肩を抱えてうずくまる。





つかさをそうさせるのは、5年前の辛い記憶。


気を失い、その後目を覚ました後に訪れたのは『地獄の日々』


いや、地獄という表現すら甘く感じるほどのおぞましい環境だった。





つかさを連れ去ったのは、面識の無い3人の男だった。


その男たちの手により、つかさの身体と心は休む間もなく徹底的に陵辱され尽くした。





(何であんな目に・・・こんなの・・・思い出したくない!)


つかさの瞳からは自然と涙が溢れていた。


(でも確かこのとき、テレビのニュースを見せられた・・・お父さんと、お母さんと、あたしが・・・死んだニュースを・・・)


(それで・・・あたし・・・本当に絶望して・・・)





そこで、地獄の記憶は終わっていた。





(気を失って・・・目が覚めたら・・・病院の白い天井が見えたんだ。その時はもう、何も覚えていなかった)


(そこから、あたしは上岡理沙に・・・)





(でもなんであいつらはあたしを解放したんだろ? もしあたしが記憶を失ってなかったら、あいつらは警察に捕まってたはずなのに・・・)


(それに本当の上岡理沙さんは今どこに? あたしとそっくりの彼女がどこかに居るはず・・・)


(それにまだまだいろいろ・・・)


記憶が戻ったとはいえ、分からないことはたくさんあった。


つかさはしばらく思案にふけっていたが、





「・・・あ〜〜〜っ、だめだあ。考えててもわかんないや。ちゃんと調べないと・・・」


ゴロンとベッドの上に大の字になった。


つかさは決して頭は悪くないが、静かにじっと考えるのは苦手だ。


「泉坂に行こう。いろいろきちんと調べよ。考えるのはそれから・・・」





正直、不安はある。


監禁された時に見せられたニュースが事実ならば、つかさ本人と両親は死んだ事になっている。


辛い現実と向き合うのは、怖い。


(でも、逃げちゃダメだよね。あたしが・・・西野つかさが今どうなっているのか、ちゃんと確かめなきゃ)





そんな事を考えているつかさに、部屋備え付けの電話が目に入った。


(家に電話しなきゃ)


今回の東京行き、当初はパパッと調べてさっさと帰るつもりでいたが、記憶が戻ったからにはそんなわけにはいかない。


つかさは受話器を取り、上岡家の番号をプッシュした。





(やだ・・・凄く緊張してきた・・・)


呼び出し音の間隔がいつもより長く感じられる。










記憶が戻った事、自分が西野つかさである事を上岡の母にはいつか伝えるつもりである。


だが、それは今ではない。


(今ばれたら、お父さんもお母さんも凄くショックを受けるはず。だから上手く誤魔化さないと・・・)


5年間ずっと親身になって接してくれた優しい両親を騙すのは心苦しいが、今は仕方ないと自分に言い聞かす。


両親が決して悪い人ではないことはつかさ自信も良く分かっているが、つかさが『実の娘じゃない』と分かったらどんな反応をするのか分からない。


そしてその両親の元に、我が子が居るのだ。


(淳也だけはあたしが守らないと・・・だから今だけは上手く・・・)





[はいもしもし?]


受話器から母の明るい声が聞こえる。


それと同時につかさの緊張は一気に高まった。





「あ・・・おかあさん、あたし・・・」


[ああ、理沙かい。今どこにいるの?]


「あ、うん・・・京都。お風呂入ってさっぱりしたところ・・・」


「そうかいそうかい。ゆっくり羽を伸ばせた?」


「あ、うん・・・あ、あと、佃煮・・・・宅急便で今日送ったからね」


[ありがとうねえ! じゃあ明日には届くね! 久しぶりにあの味が楽しめるよお。今から楽しみだねえ・・・]


佃煮の話で母の声は一気に弾んだ。





その一方、つかさの緊張は高鳴るばかり。


(今は・・・まだバレてないみたい・・・ここから上手く・・・)





「あ・・・あのねお母さん・・・」


[ん、なんだい?]


「あの・・・明日から・・・東京に行くんだけど・・・」


[そうそう、それが今回の目的だからねえ。でも調べるのは簡単にして観光を楽しんできなさい]


「うん。でも・・・あの・・・   あたし、ちゃんと調べたいんだ」


[えっ?]


「その・・・あたしとそっくりな・・・西野・・・さん?  やっぱり凄く気になって・・・  だからちゃんと調べたいの・・・  泉坂で・・・  だから・・・帰るの少し・・・遅くなるかもしれない・・・」





つかさの動悸は最高潮に達していた。


わずかな時間の沈黙がとても長く感じられる。


(ダメだあ・・・いつものように話せない。でもお願いだから気付かないで!)


受話器を持ちながら硬く目を閉じ、心の中で強く祈る。








[ええよ〜。めったにない機会なんだから存分に観光楽しんできなさい。お店も淳也もお母さんらに任せておきなさい!]


受話器から返ってきたのは、母のそんな呑気な声だった。





「あ、ご・・・ごめんね。勝手言って・・・」


母の対応に今度はやや拍子抜けのつかさ。


(でも、バレなくてよかったあ・・・)


ほっと胸をなでおろし、緊張が解ける。










だが、母の力はつかさの予想よりずっと偉大だった。





[理沙、ええか、でもこれだけは覚えといてくれ]


「ん、なに?」





[東京で調べた結果がどうだろうと、私にとってあんたは理沙だ。私と、お父さんの、大切な一人娘なんだからな]


「えっ・・・」


[過去がどうだろうと、これからどうなろうと、あんたの実家はここだ。だから必ず帰ってきなさい。みんな、あんたの帰りを待っとるからな]





緊張を解いた心に届いた、母の愛がいっぱい詰った熱い言葉。


つかさはこみ上げてくるものを押さえられない。





「な・・・に・・・言ってるの・・・よお・・・  淳也・・・放って・・・  おくわけないでしょお・・・  」


涙で声が詰まる。


[どうしたんだい? 理沙、あんた泣いてるの?]


「お母さんの・・・せいだよお・・・   いきなり・・・変なこと・・・言うから・・・」


[全く変な子だねえ。とにかく今日は早く休みなさい。明日に備えてな]


母の優しい口調は変わらない。


娘に対する愛も、ずっと変わらない。





「うん・・・ありがとう・・・  じゃあ・・・おやすみ・・・」


つかさはそっと受話器を置いた。










その後も、つかさの涙は止まらなかった。


(お母さん・・・分かってた・・・あたしが・・・理沙じゃないことを・・・)


(でも・・・それでも・・・優しく背中を押してくれた・・・)


(あたしの・・・居場所を・・・与えてくれた・・・)





(お母さん・・・本当に・・・ありがとう・・・)





血のつながりは無いが、つかさは理沙の母に実の母以上の愛を感じていた。





(あたし・・・絶対に逃げない・・・  どんな辛い現実も全部きちんと受け止める・・・)





(全部きちんと確かめて・・・それでまた・・・帰るから・・・)





(お店に・・・あたしの家に・・・  お母さんの元に帰るからね!)





涙を流しながらそう心に強く誓うつかさだった。






























それから数日後、





仙台の夜は、小雨がぱらついていた。


市内のホテルの空いた駐車場に、淳平の車が入ってきた。


適当な場所に止め、小雨の中、足早にエントランスに向かう。





その途中、1台の車が目に止まった。見慣れたドイツ車のセダンだ。


(外村、あいつも来てるのか?)


思わぬ来客に驚きつつ、淳平はホテル内に入っていった。





仙台市内では1、2を争うホテルなので、中の造りは予想以上にしっかりしていた。


(綾の部屋は・・・11階か)


今日、仙台市内の書店で綾の新刊のキャンペーンがあり、今夜はこのホテルに部屋を取っていた。


淳平は東京都内で映画制作の打ち合わせがあったのだが、手早く切り上げて綾の居る仙台にやって来た。


だがその表情は、恋人に会う前の優しい表情ではなく、どこか緊迫している。


そうさせるのは、つい先日綾から届いた『ある物』であり、それは今淳平のスーツのポケットに入っている。


淳平は緊張した表情のまま、エレベーターに乗った。










そして淳平は静かなホテルの廊下を歩く。


ここの造りも立派だが、やはり東京都内のホテルと比べるとやや劣る。


そんな事を考えながら、綾の部屋の前に立ち、扉をノックした。





(いったい綾はどういうつもりなんだろうか? それに外村の車があったって事は、ひょっとすると・・・)


扉が開く。


「よっ、真中、おつかれ」


現れたのは、淳平の予想通り外村だった。


「なんでお前がここに居るんだ?」


「お前と一緒で東城に用があるんだよ。もちろん別件なんだけど、理由は一緒らしいぜ。東城の話だとな」


「はあ?」


「まあとにかく入れよ。中で東城が待ってるぜ」


外村に促されて、淳平は部屋に入った。





部屋の奥に進むと、窓際のテーブルに座る綾の姿が目に入った。


「淳平ごめんなさい・・・こんなところまで来てくれて・・・」





(綾・・・)


淳平は驚きを隠せなかった。


綾の姿は明らかに憔悴しており、心が大きく傷ついているのが分かる。


そして綾をそうさせたのが自分自身であることを直感的に理解した。





淳平は綾に対してある程度強い言葉も用意していた。


だがこの様子を見てしまっては、それを放つわけにはいかない。


「なあ綾、早速だけど、この手紙と、これを送り返した理由を話してくれないかな?」


淳平は優しい口調でそう話しながら、便箋と青い小さな箱を取り出した。


箱の中には、淳平が綾に贈った婚約指輪が収められている。





『突然でごめんなさい。本当に身勝手で申し訳ないけど、あたしはこの指輪を受け取れません。だからお返しします』


便箋にはそう書かれていた。





「その前に・・・外村くん、淳平にもあの記事を・・・」


「記事?」


「俺がここに飛んできた理由だよ。明日発売の週刊誌さ」


外村はそう言いながら淳平のそのページを見せた。





「な、なんだこれ・・・」





淳平が驚くのも無理は無い。


淳平と綾と迷子の男の子、以前雑誌に掲載された微笑ましいひと時を写した写真に、


『真中淳平×東城綾 破局!!』


『真中淳平に隠し子発覚!?』


という派手な見出しが書かれている。





「な、何だよこれ? いくらでまかせでもこれは・・・」


「俺もそう思って出版社に問い合わせたんだけどな、この情報をリークしたのが東城だったんだよ」


「な、何だってえ!?」


「だから俺も東城に真偽を確かめるために慌てて飛んできたんだよ。そしたら婚約指輪を返したって聞いて・・・2度びっくりさ」


外村もそう言いながら驚きをあらわにした。










「ねえ、これを読んで。これがあたしの答えだから・・・」


綾は驚く二人に二つの冊子を差し出した。


綾は何とか平静を保とうとしているが、今にも壊れそうな表情だ。





淳平は黙って受け取り、冊子に目を通す。


冊子はそれぞれA4の用紙を何枚かホチキス留めしてあり、さらに1番上には髪の毛が入ったビニール袋が留めてある。


「なんだよ・・・これ・・・」


淳平は冊子のひとつに自分の名前らしきものを確認したが、それ以外はなにがなんだかさっぱり分からないのでそのまま外村に渡した。


そして外村もさっと目を通すが、こちらは淳平とは違いこの冊子の意味を見抜く。


「これってDNA鑑定の結果か?ひとつは真中の物で、もうひとつは・・・4才の男の子・・・」


「はあ? 俺の鑑定・・・」


淳平はますます訳が分からない。





「淳平、その記事の写真の男の子、覚えてる?」


綾が今にも泣き出しそうな声で淳平に尋ねた。


「あ、ああ覚えてるよ。とても人懐っこくて、どこかずうずうしくって・・・」


「あたしね、その男の子と淳平が触れ合っている姿を見て、心の奥でピンと来て、ずっと引っかかってたの。それは考えれば考えるほど非現実的でありえない事でとても小さな疑惑・・・でもその小さなものが・・・ずっとずっと・・・引っかかってたんだ・・・」


「それで・・・DNA鑑定を?」


外村がそう尋ねると、綾は小さく頷いた。


「あたしもこの男の子を抱いて、その時にこの子の髪の毛が服に付いてたのよ。淳平の髪の毛はいつでも手に入るし・・・淳平には申し訳ないと思ったけど、出版社の人が科捜研とパイプを持ってて・・・それでお願いしたんだ」


「あたしの疑惑に確固たる根拠は全く無いの。あるのはあてにならないあたしのカンだけ。だから99%、ううん、99,9%外れると思ってたし、出版社の人も笑いながらそう言ってた。あたしも最初から疑うつもりは全く無くって・・・ただ心の小さな棘を完全に取り除きたかっただけ・・・でも・・・」










「・・・結果は・・・0.1%の・・・ほうだったの・・・」





綾は搾り出すように必死になって声を出している。


その姿はとても痛々しく、見ているのも辛い。


だが、だからといってかけるべき言葉も無く、ただ黙ってみているしかない。















「淳平・・・    あの男の子は・・・   あなたの子供・・・   なのよ・・・   」


[No.964] 2005/03/23(Wed) 08:07:54
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[memory]14 (No.964への返信 / 14階層) - takaci

(あの子が・・・俺の・・・子供?)


淳平は頭の中でしばらくこの言葉を繰り返す。


そして・・・





「は、ははははは・・・ 綾、いくらなんでもそれは無いって!!」


笑いながら否定した。


「だってこの子、4歳だろ? ってことは4年、いや5年位前に俺と関係を持った女性が産んだ子って事だろ? 外村の前でこんなこと言うのなんだけど、その当時俺が関係を持った女性って綾だけだぜ! これは神に誓って間違いないよ!!」


「なあ東城、ひょっとしてマリッジブルーってやつじゃないのか?幸せすぎてちょっとした不安が大きく感じるっていう・・・俺もそれは間違ってると思うし、ひょっとしてこの鑑定結果が間違いなんじゃないのか?」


淳平に続き外村も笑顔で否定する。





だが、綾の悲しい表情は変わらない。


そしてそのまま、もう1枚の冊子を差し出した。


「そう考えても無理はないよね。でも・・・これを見れば考え変わると思うよ」


淳平と外村はふたりで冊子を覗き込む。


「なあ東城、これは誰の分だ?」


外村が尋ねる。





「男の子のお母さんよ。淳平、その髪の毛に見覚えない?」


「えっ・・・」


綾に言われて淳平はビニール袋に入った1本の髪の毛に目を凝らした。





(茶髪・・・いや金髪に近いかな・・・綺麗な髪・・・)





(!!!)





淳平の表情が変わる。


そして慌てて袋から髪の毛を取り出した。


「お、おい真中、どうした?」


外村が怪訝な顔で尋ねるが、淳平の耳には届かない。





(この色・・・この手触り・・・1本でも分かる・・・これは・・・)


淳平の動悸は一気に高鳴る。





「高校卒業して、地方の大学に行く前に会って・・・お守り代わりに貰ったんだ。少しでも・・・彼女の幸せを分けてもらえたらって思ったんだけど・・・  それが、こんな形で役立つなんて・・・」


綾の方が小刻みに震え出した。


もう、平静を保ってはいられない。










「じゃあ・・・この髪の毛はやっぱり・・・いやでも・・・それじゃあ辻褄が・・・」





「お、おい、真中もどうしたんだよ?その髪の毛って誰のなんだよ?」


外村のみ事態が掴めていない。










「その・・・髪の毛は・・・西野さんのものなの・・・」





「な、なんだってえ!? じゃ、じゃあ・・・」


綾の言葉に驚く外村。










「そう・・・あの子は・・・淳平と・・・西野さんの・・・間に生まれた・・・子なの・・・」


そう話し終えた時、綾の瞳から雫が落ちた。










「で、でも・・・やっぱり辻褄が合わないよ。そりゃあ俺はつかさとは関係を持ってたけど・・・でもつかさは5年前に死んでるんだ。だから4才の男の子を産めるわけが・・・」


淳平は綾の言葉を否定する。





「この場合、可能性は二つだ。まずひとつはこの鑑定結果が間違っている。 でもこれは科捜研で調べたDNA鑑定だから間違いというのは考えにくい。 だからもうひとつの可能性・・・つかさちゃんが、あの火事の後も生きていた・・・」


「で、でもでもあの時、焼け跡からつかさと両親の焼死体が見つかってるんだ!!警察だってちゃんと調べたんだろ!!」


さらに外村が提示した可能性も淳平はムキになって否定した。





そしてその答えは、綾が示す。


「この鑑定結果を受けてあの事件の捜査が本格的に再開してて、当時の調査も始まってるんだけど・・・どうやら西野さんの身元確認をきちんとしてなかったみたいなの」


「「な、なんだって!?」」


揃って驚く淳平と外村。


「身に付けていた遺留品と、血液型の検査だけで断定しちゃったの。基本の歯形鑑定をしていなかったのよ」


「なんだよそれ・・・警察もいい加減だなおい・・・」


呆れる外村。





だか淳平は呆れるだけではすまない。





(つかさが生きてる・・・しかも俺の子供を生んで・・・あの男の子が?)


淳平なりに婚約解消の理由をいろいろ考えてはいたが、その予想をはるかに上回る展開に頭は混乱を極めていた。


自分の知らぬ間に子供が居たというだけでも大概の男なら大きく驚くだろうが、淳平の場合はその子供の母親が死んだと思われていたつかさなのだからその驚きはより大きく、現在の自分の立場や状況を簡単には飲み込めない。





そんな淳平に対し、綾は1枚の紙を渡した。


「これにあの男の子のお母さん、上岡理沙さんの住所が書いてあるの。淳平、行ってあげて」


「ええっ!?か、かみっ・・・えっ・・・あのっ・・・うっ・・・」


綾の言葉を受けた淳平はさらに驚き、言葉が形にならない。





その淳平の受けた驚きを、外村が代弁した。


「上岡理沙?母親はつかさちゃんじゃないのか?」


「そうなんだけど、戸籍上はあの子は上岡淳也で、お母さんは上岡理沙なの。だからこの上岡さんが西野さんから子供を引き取ったのか、それとも・・・偽名を使っているか・・・」


「まあ、そうだろうな。もうつかさちゃんの戸籍は無いわけだし・・・   で、住所は・・・うわあ、メッチャ遠いなあ。これなら飛行機か新幹線の方が・・・いやまてよ?すげえ田舎だろうから公共交通機関も大して無いだろうから車の方がいいかもな。 なあ真中!」





「ちょ・・・ちょっと待ってくれよ!?」


淳平は大きな声で話の流れを止めた。





「つかさが生きてて、しかも俺の子供を生んでいる・・・そんな事今更言われても・・・信じられるわけ無いだろ!?」





「淳平・・・」


綾は大きく戸惑う恋人に対し悲しい視線を向ける。





「そりゃあ情けない事言ってるって自分でも分かるよ!俺は最低の男だよ!! でも・・・俺の中でつかさは5年前に死んでるんだ!! それが今になって生きてるって言われても・・・簡単には受け入れられねえよ・・・」


「淳平・・・だから、どうしてこうなったのか・・・きちんと調べて欲しいの。 あたしが調べようとも思ったけど、やっぱりこれはあなた自身がした方がいいと思うし、 それに淳平も・・・あたしより西野さんの方が・・・」


「ちょっと待てよ!! 何でそんな事言うんだよ!? 俺は真剣に考えて、真剣な想いで綾にプロポーズをした!! 指輪を渡した!! この気持ちは偽りじゃない!!!」


淳平は熱い言葉で綾への真剣な想いを改めて強く示した。





だが、綾の表情はますます暗くなっていく。


「・・・寝言・・・」


「ね、寝言?」


「淳平・・・寝言で・・・西野さんの名前・・・よく言ってるよ・・・」


「なっ!?」


声を詰まらせながら語る自分自身の知らなかった一面に淳平は言葉を失った。





「寝言で・・・『つかさ・・・逝かないでくれ』・・・って・・・  何度も・・・  聞いた・・・  」


綾の瞳から輝く雫が溢れ出し、絨毯に悲しみの印を落としていく。





「あたし・・・西野さん・・・あんな死に方したら・・・仕方ないと思ってた・・・事件も・・・解決してないし・・・  でも・・・」





「うっ・・・   西野・・・  さん・・・    生きて・・・たら・・・    もう・・・   かな・・・わ・・・     ない・・・   よ・・・    」















「綾・・・それは違うよ。そりゃあつかさの事を忘れた日はないし・・・今でもつかさへの想いはあると思う。それは認めるよ。でも・・・俺は綾をとても大切に思ってる。 綾が大好きだ。 決してつかさより劣ってるなんて事は無い。 それは信じてくれ・・・」


淳平は優しい言葉を綾に投げかける。





淳平はつかさへの思いをまだ自分が引きずっている事を、薄々は感じており、それが『寝言』と言う形になって現れ、しかも綾に指摘された時は大きく狼狽した。


だがしかし綾を想う気持ちに変わりは無く、淳平は言葉に自らの想いをしっかりと込めて放つ。


泣きくれる綾に向けて・・・















その想いが届いたのか、綾の涙が止まった。


涙を拭き、淳平に笑顔を見せる。


「ありがとう。でも・・・今はそこに行って。あの子が淳平の子なのは事実なんだし、それが分かってて・・・何もしないのは良くないと思う。だから・・・   ホント気にしないで・・・」





(気にしないでって・・・そんな顔で言われても・・・)


(あの時もそうだった。高3の学園祭前、ふたりで映画を見ている時に俺がつかさと付き合ってるのを打ち明けた時も、泣きながら同じような事を言って・・・)


綾が自分の本心を押し殺して淳平に気遣っているのは明らかだ。


(俺って昔っから綾をずっと苦しめて・・・もうそんな事はやめようと決心してプロポーズしたけど・・・また苦しめちまって・・・)





(でも綾の言うとおりだ。今は・・・いろんな事をきちんとしなきゃ・・・)





(そうしなきゃ・・・俺は先に進めない!)





淳平は苦い顔をしながら決心した。





「綾・・・すまない!」


そう一言残し、静かに部屋から出て行った。




















「あ〜あ、あのバカ、指輪置いてっちまったよ」


外村が呆れた顔でテーブルの上に置かれた指輪のケースを手に取った。





「それ、外村くんから渡してくれないかな? もういちどあたしが返すのはちょっと・・・辛いんだ・・・」


綾はケースを持つ外村の手を見ないように目を落としながら、弱弱しい声でそう話す。





「わかった。じゃあ俺が預かっとくけど・・・でももう一度、真中からこれを東城に渡させるからな」


「えっ!?」


「東城がつかさちゃんに劣等感を感じることは無い。たとえつかさちゃんに真中の子供が居たとしても、東城が真中の子供を生めなくてもそんなの関係ない。この5年間、真中をずっと支えてあいつをここまでにしたのは東城なんだからな!」


「外村くん・・・」


「それに東城だって真中に支えられてる・・・つーか、真中が居ないともうダメだろ? 作家としても、人間としても、真中淳平という存在は東城綾の一部になっている。そんなお前が、真中無しで今後生きていけるのか?」





「・・・」


綾は返事をしない。


だがその驚いた顔が、外村の言葉の証明である。





「・・・やっぱり死ぬ気だったか。だったら絶対に別れるのを認めない。たとえつかさちゃんが生きてたとしても、つかさちゃんがいまだに真中を好きであっても、俺は真中に東城を選ばせるからな!」


外村は綾に指を突きつけて思いっきり断言した。










外村の身振りはいつも周囲の視線を意識している。


回りの視線を浴びる芸能界で、しかも急進する芸能プロダクションの若手社長。


常に『舐められてはいけない』と思い続けており、それがハッタリの利いた派手な行動に繋がっていた。


そんな外村の素の姿を知るものはほとんどいない。










ピリリリリ・・・


外村の胸ポケットで携帯が鳴る。


「あれっ、こんな時間になんだ?」


着信音は秘書からの電話であることを伝えている。


外村は綾に背を向け、携帯を取り出して通話ボタンを押した。





「もしもし・・・ああお疲れ様。こんな時間にどうした?」










「・・・うん・・・うん・・・    外務省? 何でそんなとこが俺に・・・」




















「・・・美鈴が見つかったあ!?」





最近はめったに聞くことのない、外村の本気で驚いた声が響く。










綾は本気で驚く外村の姿と、それを引き起こした『美鈴発見』の二つの驚きで外村以上に大きく驚き、それまでの深い悲しみを一瞬忘れるほどだった。


[No.1001] 2005/04/06(Wed) 00:27:37
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[memory]15 (No.1001への返信 / 15階層) - takaci

時は少し遡る。


綾に鑑定結果が伝えられた翌日の夜、東京都内に構えるとある一流商社社長の大きな家に3人の男が集まっていた。





「この長戸の部屋に集まるのって何年ぶりかな?」


「3年ぶりだな。みんな就職してからいろいろ忙しくなってるからな。でも官公庁勤めのふたりより俺のが絶対忙しいと思うぜ」


「いくら官公庁でも俺と上杉は言わば国を動かす仕事だ。そこいらの公務員と一緒にするなよ。俺からすりゃあ御曹司のボンボンの長戸の方が楽してると思うけどな」


「相変わらず森友は厳しいな。でも社長の息子ってのはいろいろ自由が利かないものなんだよ。まあこれはその立場に成ってみねえとわからねえだろうけどな」





社長の息子である長戸は、この部屋の主であり3人をまとめるリーダー格だ。


森友は総務省勤めでいわゆる官僚候補。3人の中では最も明るくムードメーカー的な存在。


上杉は警察庁務めでこちらも官僚候補。無口でしゃべる事は少なく、表情に感情が表れることがほとんど無い。


今年で27歳になるこの3人はそれぞれが社会的地位を持ち、順風満帆の人生を歩んでいる。





「で、今日のこの召集は何だ?言い出したのは上杉だって聞いたけど?」


「ああ。でも俺もまだ理由は知らない。なあ上杉、全員揃ったから本題に入ってくれ」


長戸と森友は部屋の隅でノートパソコンを操作している上杉に注目する。





「perfect crimeが崩れた・・・」


上杉はノートパソコンの画面を睨みながら表情を変えずにそうつぶやいた。





だが、それを聞いた二人は無表情ではいられない。


「な、なんだって!?」


慌てる森友。


「上杉、どういう事か詳しく話せ!」


長戸は低い声で上杉に詰め寄った。





この3人は揃って大の女好きであり、数多くの女性を毒牙にかけてきた。


特に学生時代の行動は最も酷く、女性を拉致監禁し、陵辱の限りを尽くし、最後は海外のマフィアに売り飛ばすという非道行為を繰り返してきた。


細かい計画設計や下準備を上杉が行い、力仕事関係は森友の役目。


そして全体のとりまとめ、マフィアとのパイプ役がリーダー格の長戸の仕事だった。


こうして3人は4年ほど前までこのような行為を続け、海外に売り飛ばされた数人の女性はいずれも行方不明扱いになっている。





そして中でももっとも残忍かつ非道な行為が、先ほど上杉が口にした「perfect crime」だ。


この3人は数多くの女性をターゲットリストに収め、常にその頂点に位置していたのが西野つかさだった。


しかしつかさの行動には拉致できるような隙が無く、手にかけるのはほぼ不可能と思われていた。





だが、その状況にも転機が訪れる。


長戸が大阪に行った際、つかさそっくりの女の子を見つけたことにより、最悪の計画が動き出す。


それまでこの3人は人の命まで奪ったことは無かったが、最高のターゲットをこの時ばかりはその一線を簡単に越えてしまった。





夜の西野家に進入し、まずつかさの両親を殺害。


その後つかさ本人の身柄を拘束し、大阪で見つけたつかさそっくりの女の子の遺体を代わりに放置し、家に火をつけ逃走。


若干の想定外の事態は起こったが、それでも迅速かつ冷静に対応できたので反抗は完璧に完了した。


そして3人はこのことを警察の捜査攪乱のために西野家に残したメモにちなんで「perfect crime」と読んでいた。





この3人に繋がるような手がかりは何も残さず、まさに完璧な犯行であったのだが、その『完璧』が予想だにしなかったところから崩れていた。


「西野つかさ、生きてるよ」


「何ぃ・・・」


「科捜研に3人の髪の毛が持ち込まれた。調べたら父と母と息子の関係だったんだけど、その母親が西野つかさで、子供は俺たちがつかさちゃんの遺体を棄ててからおよそ10ヵ月後に生まれている。それがあの事件の捜査本部に伝わったみたいで、再捜査は必至だ」


「・・・なるほどな。死人に子供は生めないからな。って事は、身代わり殺人がばれたって事か・・・」


上杉の報告で長戸の表情はさらに険しくなる。


「お、おい何言ってんだよ? だってあの時3人いっぺんにあの女をヤッてたら、突然女の心臓が止まって死んじまって・・・俺メッチャ慌ててたら長戸が『身代わりの女の地元に捨てよう』って言って、それでその通りにして今日まで何も無かったんだろ?なのになんでいきなり・・・」


森友の頭は事態を理解できずにいる。





その一方、長戸と上杉は冷静だ。


「ああ。あの時点で西野つかさは死んでいた。だから身代わり女の地元に棄てれば、ほぼ間違いなく身代わりの女として公式に処理される。しかもそこにはデカイ滝があったからあの滝壷に落とせば死体が上がらない。そう考えてあの滝に棄てたんだ」


「だろ? あの後あの場所で死体発見なんてニュース聞かなかったから俺はてっきり滝壷に上手く落ちてまだ見つかってないって思ってたんだけど・・・なんで生きてるんだよお!?」


「でも興味深いよね? だって棄てた時は完全に心臓は止まってたから死後10時間以上経過してから息を吹き返したんだよ? どうしてそんな事になったのか知りたくない?」


上杉はそう言いながら嫌な笑みを浮かべる。


「おい上杉!お前なんで笑ってられるんだ!?俺たち捕まるかもしれないんだぞ!?そうなったら身の破滅だ!!」


今にも泣き出しそうな顔で嘆く森友。


「捕まらないって。多分つかさちゃんは俺たちのことを忘れてる。じゃなきゃ俺たちはあの後すぐに捕まってたよ。 大方なんかのショックで息を吹き返しはしたけど記憶は無くしちゃったんじゃないの? 10時間以上脳への血流が止まってたんだからそれくらいあってもなんら不思議は無いよ」


「だな。生き返ったものの記憶はない・・・まあ、その後はあの身代わりの女として生きてたんだろうな。確か上岡理沙とかいったかな?」


「さすが長戸!良く覚えてるね!」


上杉はへらへらした表情を崩さない。






「な、何で長戸も上杉もそんなに平然としてられるんだよ!?いくら記憶を失ってるっつっても、それがもし戻ったら俺たちは・・・」


「落ち着け森友、お前の言うとおりヤバイ状況なのは分かってる。西野つかさは始末するよ。今度こそ確実にな!」


長戸の目が邪悪な色に満ちていく。


「いいね、その邪悪な目!やっぱ長戸は変わってないよ。 これなら集めた情報も無駄にはならないねっ」


そう話す上杉も不気味な笑顔を浮かべ、その目は長戸に負けず劣らず邪悪だ。


「上杉も相変わらず仕事が速いな。こんな奴が警察関係者とはこの国の行く末が不安だな・・・」


長戸は笑顔で呆れながらも、上杉のノートパソコンに目を移して映し出されている『情報』を頭に入れる。


今度こそ『完全犯罪』を成功させるために・・・





「こ、これで大丈夫だよな? あの女を始末すれば・・・もう俺たちは大丈夫だよな?」


森友の不安はまだ消えない。


「ああ。俺たちのやった事を知ってる可能性があるのは西野だけだ。あとの女はみんな海外に売り飛ばした。どうせ全員あの世に行ってるよ」


長戸は自信たっぷりの表情でそう話す。


「森友って臆病になったね。昔は俺たちの中でも一番ヤバイ奴だったんだけどなあ・・・」


冷やかす上杉。


「もうあの頃と違って大人で社会人なんだ。それなりに守りたいものもある。危ない橋はもうこりごりだね」


「何言ってんだい。このドキドキがたまらないんじゃないかあ。今からこんな調子じゃああっという間に老けちゃうよ?」


上杉はまるで子供のように目を輝かせている。


「お前がいつまでもガキなだけさ」


「や〜いや〜い、爺ぃ〜〜!!」


「んだとお!?」


上杉が茶化すと、森友はそれに反応して真剣に起こった。





その様子を長戸はしばらく何も言わずに聞いていたが、さすがに我慢ならなくなったようだ。


「ふたりとも止めろよ。んな事はどうでもいい。いいか、西野が死ねばもう俺たちを脅かす奴は居ない。だから気を引き締めて、絶対にへまするなよ!」


長戸がそう言うと、二人の目つきがぐっと鋭くなり、昔の邪悪な心が呼び覚ました。










長戸には完全犯罪でつかさを殺す自信があり、そうすれば脅威は完全に無くなると考えていた。


これまで自身に降りかかろうとしてきた脅威を実力で振り払ってきた経験があり、そしてそれが絶対的な自身に繋がっている。


だがその大きすぎる自信ゆえに、このとき既に小さなほころびが生まれているのに気付いていなかった。


そしてそれは数日後、とても大きくなる。




















綾が淳平につかさと淳也の事を告げた翌日の午後、外村は綾と共に仙台から東京に戻っていた。


昨夜入った突然の知らせ。


綾と共に慌てて引き返し、今朝さつきとも合流して指示された場所へと向かう。





都内某所にある、外務省の関係機関が入るビル。


そこには外務省の役人が待っており、外村らを丁寧に出迎えた。


そして3人を引き連れ、『待ち人』のいる場所へ向かう。





綾、さつき、そして外村。


3人揃って期待と不安が入り混じった表情を浮かべている。


そしてそれは歩みを進めるたびにどんどん大きくなっていく。





「こちらです」


引率の役人がそういって扉を開けた。


外村らの緊張はピークに達する。


(この先に・・・美鈴が・・・)


外村は息を呑んで部屋に入った。










「お兄ちゃん・・・」


心を奥底から震わせる懐かしい声。


慌てて目をやると、そこにはずっと再会を待ち焦がれていた肉親の姿。


5年ぶりに見る容姿はやはりやや大人びており、月日の流れを感じさせられる。


だがそんな事は今はどうでもいい。





「美鈴ぅーーーー!!!!」


外村は弾けるように飛び出すと、きつく妹の身体を抱きしめた。


「お兄ちゃん・・・お兄ちゃん・・・」


美鈴の瞳からぶわっと涙が溢れ出る。


「良かった・・・本当に良かった・・・」


外村の頬にも温かい流れが生まれる。





「美鈴ちゃん・・・」


「美鈴!!」


綾とさつきも涙を流しながら外村兄弟を取り囲む。


「東城先輩・・・北大路先輩・・・ううっ・・・」


5年ぶりの感動の再会を、涙と温かな心が包みこんだ。










そして感動の再会の後、美鈴自身の口からこの5年間の出来事が語られた。


「じ・・・人身売買!?」


大きく目を見開いて驚くさつき。


「はい、あたし五年前に泉坂で見知らぬ3人組の男に捕まって・・・そのまま東南アジアのマフィアに売り飛ばされたんです・・・」


映画の中でしか聞かないような言葉が美鈴の口から放たれた。


外村らは揃って驚きの表情を浮かべながら、ただじっと美鈴の話に耳を傾ける。





「あたし、もちろん抵抗した。でも相手は男3人で、しかも「騒いだら殺す」って脅されて・・・どうしようもなかった。 そして捕まってから数日後に薬をかがされて眠らされて・・・気付いたらそこはもう外国だったの」





「あたしはその国で最大勢力を誇るマフィアに引き渡された。で、連れてかれたのは・・・マフィアのボスのハーレムだったの」





「そこはとても豪華な造りで、十数人の女性が住んでいた。現地の国の人もいたけど、外国人も居た。あたしと同じ日本人も2人・・・あたしと同じように連れて来られた子、借金の代わりに暴力団に売られた子・・・」





「でも、そこでの生活自体は悪くなかった。時々ボスの客で嫌な男の相手をさせられたことはあったけど、そんな事はごく稀。ボス本人はハーレムの女性に対してとても温厚で優しい紳士の老人だったの」





「向こうに行ってしばらくしてから知ったんだけど、あたしはとても運が良かったの。海外に売られた日本人女性の大半は多くの男たちにメチャクチャな扱いを受けて・・・最後はボロボロになって殺されるか・・・狂い死ぬか・・・そのどちらかなの。でもあたしはとても大切に扱われたんだ」





ここから、美鈴の表情が穏やかに変化した。





「あたしはボスに気に入られた。ハーレムの外に出ることは許されなかったけど、大きな部屋を与えられて、綺麗な服や貴金属もたくさんプレゼントされた。それに使用人も何人か付けてくれるほどだったの」





「ボスは本当に優しかった。だからあたしもボスに・・・あの人に心を許した。あの人は月に何回かハーレムにやって来るけど、相手の女性はあたし以外にもたくさん居るし、年齢もあるから1日に何人も相手をするのは無理。だからあたしの番は数ヶ月に1回だったけど・・・でもその時は、本当に嬉しかったんだ」





「あたしはもう日本のことは忘れようとしてた。もちろん帰りたかったよ。でもそれは無理・・・だったら日本のことは考えない、日本の情報は耳に入れないようにしてた。だってそうしないと・・・思い出して辛くなっちゃうから・・・」





「でも、3ヶ月くらい前かな。インターネットの画面にお兄ちゃんの名前が出てたの」





「えっ!?」


驚く外村。





「あたし、さすがにその時はもう押さえが利かなくなって夢中になっていろいろ調べたの。それで知ったんだ・・・お兄ちゃんが芸能プロダクションを立ち上げて活躍してる事・・・東城さんは一流の小説家・・・北大路先輩は西野先輩の名を受け継いで売れっ子のアイドル・・・あの真中先輩も映画監督に・・・  なんか、とっても嬉しかった」





「でもやっぱり思い出しちゃって・・・しかもその時に・・・お父さんとお母さんが死んだのも知って・・・お兄ちゃんがあたしを探し続けているのも知った・・・  ものすごく・・・悲しかった・・・」





「それからしばらくずっと落ち込んでて・・・でもそんな時、あの人があたしに日本の御守りをプレゼントしてくれたの。『辛い時はこれを胸に当てなさい。そうすればあたしの心と身体を守ってくれる』って言って・・・それがこれ」


美鈴はポケットから紫色の小さな御守りを取り出し、皆に見せた。





「あたし・・・本当にとっても嬉しかった。それでそのとき決心したの。『もうこの人の側にずっと居続けよう』って。それがあたしの幸せだって思って・・・そうしたら全て吹っ切れて、あれからしばらくは本当に幸せだったな。でも・・・」





「その幸せも長くは続かなかった。マフィア同士の抗争が激化して、あの人のグループが壊滅状態に追い込まれたの」





「あたしはマフィアのボスの愛人で、その自覚もあった。だから最後はあの人と一緒に死ぬつもりだったけど・・・あの人はそれを許してくれなかった。使いの人をよこして、あたしを含めた3人の日本人を大使館の前で開放してくれたの」





「使いの人の話で、あの人が相手のマフィアに殺されたのを聞いた。そして死ぬ前にあたしたちを解放して祖国へ帰れるように指示してたの。 男ってホント勝手だよね。自分の都合でさらっておいて・・・好きになったら突然帰れって・・・5年もの間拘束しておいて・・・ホント勝手だよ・・・」





美鈴の瞳から涙がぽたぽたと落ちる。


美鈴は不幸の中で、マフィアのボスの老人を愛していた。


日本に帰って来れた事はうれしいが、その代わりに愛する人を失った。


その悲しみは、とても大きい・・・










外村らにも、美鈴の気持ちは伝わっていた。


なかなかかける言葉が見つからず、しばらくはじっと見つめていたが、


「美鈴、本当に大変だったな・・・でも今はゆっくり休もう。な!」


外村は妹の肩をやさしく抱き寄せた。


5年前の美鈴にこんな事をしようものなら殴り飛ばされているだろうが、今の美鈴は兄の『愛』を素直に受け止めた。


「うん。ありがとう・・・でもその前に・・・あたし、西野さんの仇を打たなきゃ」





「西野さんの、仇?」


さつきが聞き返すと、美鈴の表情が険しくなった。


「5年前、西野さんは自宅の火事で死んだことになってるけど、違うんです。本当は、あたしと一緒にあの男たちに連れ去られたんです。焼け跡で西野さんとして見つかったのは・・・男たちが用意した身代わりの女の子なんです!」


「「「えええっ!?」」」


外村ら3人は揃って大きな声をあげて驚いた。





「あたし、あいつらが西野さんを連れ去るところを偶然見ちゃって、それで捕まって、一緒に連れてかれて・・・」





「あいつら、あたしには『商品だから』とか言って手を出さなかったけど、西野さんには・・・あいつらの汚い欲望を容赦なくぶつけて・・・」





「一度だけ、奴らのしてることを見せられた。あたしも『いずれああなる』とか言って・・・」





「やつらは人間じゃない・・・悪魔だよ・・・3人も殺して・・・泣き叫ぶ西野さんにへらへら笑いながら3人一度に酷い事を繰り返して・・・」





「あたし・・・ただ見てるしか出来なかった。縛られて・・・声も出せなくて・・・何も出来なかった・・・」


美鈴の手が小刻みに震え、その当時の悔しさを物語っている。





「もう・・・見てるのも辛くて・・・でも目を逸らしても西野さんの悲鳴・・・叫び声は聞こえて・・・」





「そしたら突然西野さんの声が止まった。 代わりに奴らの慌てた声がして・・・」





「慌てて見たら、西野さん・・・動いてなかった。 奴らがさんざん無茶したせいで・・・西野さん・・・ショックで・・・死ん・・・じゃ・・・った・・・」





「あたし・・・奴らは絶対に許さない!たとえ日本に帰れなくても奴らだけは何年かかっても探し出すつもりだった。じゃないとあたし・・・ 西野さんに・・・ 顔向け・・・ 出来ない・・・  ううっ・・・」





当時の状況で美鈴に非は一切無い。美鈴も重大な被害者なのだ。


だが美鈴はずっとつかさを見殺しにしたと感じ、心に重いものを背負い続けていた。


真面目で正義感の強い美鈴の性格は、5年の月日を海外で過ごしても変わっていない。


強い正義感が生み出した純粋な涙の雫が、膝の上に置いた手の甲を濡らしていく。





「美鈴・・・気持ちは良く分かった。お前、その男たちの事をちゃんと覚えてるのか?」


外村がそう尋ねると、


「当たり前だろ!奴らの顔と名前はこの5年間、一度も忘れた事は無い!!」


そう断言する表情は、かつての厳しい美鈴そのものだ。


「よし。じゃあ警察にその事を話しに行こう。もしそいつらが今もつかさちゃんが生きてる事を知ったら絶対に狙うはずだからな」


「えっ・・・お兄ちゃんなに言って・・・」


美鈴は真顔で放った兄の言葉の真意を理解できず、ただぽかんとしている。


そこに綾が優しい口調で真相を告げた。





「美鈴ちゃん、西野さんは多分・・・ううん。間違いなく生きてる。だから安心して」


「ええっ!? で、でもあたし、ちゃんと見たのよ! あの時の西野さん間違いなく息してなかった! 奴らも真剣に慌ててた! あたし、嘘言ってない!!」


「落ち着きなよ、まあ驚くのも無理ないけどさ。あたしも今朝それを聞かされてホント驚いたもん。正直今でもまだ信じられないんだ」


さつきはそう言って美鈴をなだめる。





そして外村は自分の推理を語り出した。


「美鈴の言う事が本当なら、たぶんつかさちゃんはその時は仮死状態だったんだ。それで男たちはそれに気付かずつかさちゃんの身体をどこかに遺棄した・・・そう考えるといろいろ辻褄が合う」


「ねえ外村くん、身代わりの女性ってもしかして・・・」


「ああ。多分そうだろうな。それなら5年もの間俺たちも含めて犯人の男たちがつかさちゃんの存在に気付かなかったのも頷ける。現地に行ってる真中の報告でそれがはっきりするな」


全てを悟った表情で顔を向き合わせる外村と綾。


それに対し美鈴とさつきは事態を理解できず、揃えて口をあけてぽかんとした表情を浮かべていた。















そしてその頃の淳平も、美鈴らと同じように驚きで口をぽかんと開けていた。


[No.1030] 2005/04/13(Wed) 16:05:28
p8ba819.aicint01.ap.so-net.ne.jp
[memory]16 (No.1030への返信 / 16階層) - takaci

(こ・・・こんなにつかさに似てるなんて・・・いや似てるなんてもんじゃない。そっくりだ!)


(世の中には自分とそっくりな人間が3人はいるって聞いたことあるけど・・・でもこんな偶然が起こるなんて・・・)


そんな事を考える淳平の視線の先には、中学時代の上岡理沙の写真があった。





淳平は昨夜からほとんど休まずに走り続け、翌日の昼過ぎには上岡家が営む食堂に着いた。


ぱっと見は年季の入った大衆食堂で、パティシエを目指していたつかさのイメージとは似つかない。


(でも、この先につかさが居るんだ。そう思うと・・・)


鼓動が高鳴っていくのが分かる。





そして意を決して扉に向かおうとしたとき、中からスーツ姿の二人の男が出てきた。


(あれ?こいつらって・・・)


目つきは身のこなしで、淳平は一目で警官だと気付いた。


ふたりの警官は怪訝な顔で淳平を一瞥すると、駐車場に止めてあった車に乗りこみ狭い坂道を下っていった。


(何かあったのかな?それともつかさの事件で・・・)





「あれぇ?あなたは・・・」


(えっ・・・)


声に反応して振り向くと、エプロン姿の年輩の女性が淳平を見つめている。


(あっこの人は確か、あの男の子と一緒に居た・・・)


人の顔を覚えるのが苦手な淳平だが、淳也と一緒に居たこの女性の顔は覚えていた。





「あ・・・す、すいません。俺、真中って言いまして・・・」


「ああ、やっぱりあの真中監督かい!いやあこんなところでお会いできるなんてびっくりですよお! 多分覚えてらっしゃらないとは思うけど、私あなたと一度お会いしてるんです」


「あ、いえ覚えています。東京の公園で迷子の男の子と一緒に居た・・・」


「あらまあ覚えてくださったなんて、嬉しいですわあ!」


淳平のファンである理沙の母はどんどん上機嫌になっていく。





そんな母に対し、淳平は本題を切り出した。


「あの・・・上岡理沙さんは居ますか?」


「理沙?」


「はい。俺がここに来たのは、理沙さんとこの前会った男の子に用があって・・・」





そう伝えると、それまで笑顔だった理沙の母の表情が曇り始めた。


「そうですか。淳也はもうすぐ保育園から帰ってきますけど、理沙はここにはおりません」





「あ・・・そ、そうですか・・・」





「それに、あなたが会いたいのは・・・理沙じゃなくって、西野つかささんではないですか?」





「えっ?なんでそれを・・・」





「警察の方からいろいろ聞いてますからなんとなく・・・立ち話もなんですので、どうぞお入りください」





そう言われた淳平は驚きの表情のまま招き入れられた。















和室に通された淳平は机を挟んで理沙の両親と向かい合わせに座り、部屋の隅には理沙の親友の歩美と学も居た。


そしてまず見せられたのが、現在手に持っている上岡理沙の少女時代の写真を収めたアルバムだった。


「だいぶ驚かれたみたいですね」


「これは・・・似てるなんてもんじゃない、そっくりですよ。あ、俺も1枚だけもってきたんで見てください」


そう言って淳平は胸ポケットから1枚の写真を取り出し、机の上に置いた。





幸せに包まれ満面の笑みを浮かべた淳平とつかさの楽しそうな表情が見て取れる写真。


「5年前の春に撮ったものです。つかさのパリ留学前にデートして・・・この時はあんな事件が起こるなんて思ってもみなかったです」


この写真とは対照的に、淳平の表情はあの悲しい出来事を思い出したことで歪んでいる。





「な、なんだよこれ!?」


「ほんと理沙そっくり・・・あ、あたし信じられない・・・」


学と歩美は写真を見て揃って驚きの声をあげる。





その一方で理沙の両親はさほど驚いていない。


「この子、こんな笑顔をするんですね。 私もこの子の笑顔は沢山見てきたけど、こんなに幸せそうな顔は見せてくれなかった・・・記憶を忘れたままじゃ、本当の笑顔は出来なかったんだねえ・・・」


もの悲しげな表情で理沙の母は写真を見つめる。





「記憶って・・・あの、話して頂けませんか? この5年間、ここで何があったのか・・・」


淳平がそう言うと理沙の両親は静かに頷き、父の口がゆっくりと語りだした。





「あれは5年前の春過ぎ・・・季節外れの嵐の夜でした・・・」















その日の夕方、地元に住む小さな男の子が行方不明になった。


そして嵐の中、地元の消防団と男たちが集まって山中の捜索が行われた。


捜索の末、男の子は山小屋で寝ているところを無事発見、保護された。


無事見つかってほっとする男たちだったが、そこに轟音と共に彼らを皆驚かせる光景が飛び込んできた。





ガガアアアアアァァァン!!!!!





ビシィィィィィィィィッ!!!!!





「うおおおおおおおっ!?」


「滝に雷が落ちたああ!!!」


この山にある大きな滝に雷が落ち、滝そのものがビカビカと光っている。


ここからは滝の一部しか見えないが、それでも強烈な光は目がくらむほどだ。


「すげえ・・・こんな事があるんだなあ・・・」


「まるで滝神様が怒ってるみたいだな・・・」


この滝には『神が住んでいる』と言われており、近くに神を祭る社もある。





男たちはこの珍しい自然現象に心を奪われた。


そして二手に分かれ、男の子と共に下山する組と滝の捜索に行く組に分けられた。


このとき、理沙の父が滝の捜索組に入ったのは、ひょっとしたら滝神の導きだったかもしれない・・・





そして男たちが滝に着いたとき、滝そのものには特に変化は無かった。


「あ〜あ、真近で見たかったなあ・・・」


「バカ!こんな近くにいたら俺たちも危ないぞ!」


「でもあんなのが見れるなんて・・・ちょっと得した気分だなあ・・・」


男たちは思い思いの事を口にしながら懐中電灯で辺りを照らす。


そしてその光のひとつが、川原にあるあるものを捉えた。





「おい!人が倒れてるぞ!!」


「なんだってえ!?」


光の先にある人影を男たち全員が確認し、駆け出した。





人影は川原にうつぶせになって倒れていた。


「女の子? しかも裸だ・・・」


「自殺・・・じゃないな。たぶん男に襲われて棄てられたんだろう。ひでえな・・・」


「何とか自力でここまで這い上がって力尽きたんだな・・・かわいそうに・・・」


男たちは手を合わせてから女の子の身体に触れる。





「あれ?おいこの子・・・脈あるぞ!」


「ええっ!?・・・ホントだ!!弱いけど脈打ってる! 呼吸もしてるぞ!!」


沈んでいた空気が一気に活気付く。





このとき、理沙の父はやや怖気づいて少し離れていた。


だが、


「お、おいおいその前に、この子ひょっとして理沙ちゃんじゃないか!?」


「な、なんだって!?」


この言葉で父は慌てて駆け出し、少女の顔を確認した。





「り、理沙!?」


3ヶ月前、喧嘩して家を飛び出した我が娘の変わり果てた姿に理沙の父は混乱を極める。


「な、何でこんなところに・・・理沙しっかりしろ! おい理沙!!」


必死になって娘の名を呼び続ける。


「上岡さん!速く病院に連れてかないと! このままじゃ危ない!!」


「おい! 町に連絡しろ!! 医者の手配だ!!」


「理沙ガンバレ!! お父さんが絶対に助けてやるからな!!」


父は我が子をおんぶして山を下り、救急病院まで運んでいった。










このとき、父を含めた誰もがこの少女を上岡理沙だと思っていた。


だがこの少女こそ、長戸らに棄てられた西野つかさだった。










「理沙は小さい頃から人付き合いが苦手で、仲良く出来たのはここにいる歩美ちゃんと学くんくらいです。でも高校に入ってからはすっかり人を寄せんようになってこの子らとも疎遠になって・・・最後は私らとけんかして家を飛び出して大阪に行ったんです。それがこの3ヶ月くらい前でした」


理沙の母がゆったりとした口調で淳平に語る。


「飛び出してった時、『もうこの子は帰ってこんなあ』という気がしとりました。そしたら滝で理沙が見つかったって聞いて・・・もう私も慌てて病院に飛んでいきました」





「病院のベッドで寝てる傷ついたあの子を見て、私も驚きました。でもしばらくして・・・やっぱり親ですね。どんなにそっくりでも我が子かどうかは分かります。私とこの人は気付きました。『あの子は理沙じゃない』って・・・」





「でも、1週間後くらいにあの子の意識が戻った時・・・あの子は記憶を無くしとりました・・・」


「えっ・・・」


淳平は驚きの声をあげた。





「そしたらもう私もこの人も、もう細かい事はどうでもよくなりました。我が子にしか見えないあの子が、記憶を無くして怯えてたんです。放っておくなんて出来ません。だからこの人とふたりで相談して『理沙として引き取って一緒に暮らそう』って決めたんです」


「あの子は出て行く前の理沙と違って本当に素直でいい子で・・・歩美ちゃんや学くん、それだけじゃなく他の町の人たちともあっという間に仲良くなりました。しばらくして店を手伝ってくれるようになって・・・本当に幸せでした」


理沙の母はハンカチで目頭を押さえる。





そして今度は歩美が口を開く。


「あたしと学はつい先日おばさんに聞かされるまで、理沙はずっと理沙本人だと思ってました。だから昔のアルバム見せたり・・・子供の頃一緒に遊んだ場所に連れてったりして・・・そしたらまだ話してないような事が次々と理沙の口から出てきて、『記憶が戻ったんだね!』って抱き合って喜んでたんだけど・・・」


歩美は悲しみと疑問が織り交ざったような表情を浮かべている。


「あの理沙はとてもカンが良くて頭もいいから、あんたたちの話でいろんな事が想像できたんだろうねえ。それで自分自身で『上岡理沙の記憶』を作ったんだよ。専門の先生に聞いたらそういう事もあるらしいよ」


その疑問には理沙の母が答える。





そして淳平はもうひとつの関心事を切り出した。


「それで、あの・・・淳也くんは?」


「ああ、あの子が退院してしばらくしてから身体の異変を訴えて、そしたら子供がいる事が分かったんです。理沙本人もびっくりしてました。何せあの子は記憶を失ってましたから。もちろん父親の事も・・・」


「でもあの子は迷い無く『生む』って言いました。未婚の母という大変な選択だったとは思いますけど、あの子にとって見れば数少ない『記憶へのたより』ですから。私たち家族も複雑でしたけど、あの子を守っていこうと決めてたんで・・・」


「それであの子・・・淳也が生まれたんです。理沙は子供に『淳』とうい字を付けたいと言いまして・・・それにお父さんが『雅也』って名前なんで、その『也』の字も合わせて『淳也』って名前にしたんです。その『淳』という字も数少ない記憶の手がかりだったかも知れ・・・あれ?確か真中さんの下の名前って・・・」


「はい。俺の下の名前は淳平です。淳也くんの『淳』と同じ字です」


「「ええっ!?」」


学、歩美のふたりが揃って反応した。





「淳也くんは・・・俺の子なんです。俺は淳也くんの父親です。実は俺も昨日知って・・・情けない話ですけど・・・」


淳平はDNA鑑定の経緯を皆に説明した。





「そうですか。あなたが淳也の父親ですか・・・」


理沙の父は改めて淳平の顔をじっと見つめる。


「本当にすいません。いくら知らなかったとはいえ、これまで放ったらかしで・・・」


「あの子は本当に・・・あなたの事を強く想ってたんだねえ・・・」


「えっ・・・」


「記憶を失っても、あなたへの想いは失ってなかった。だから子供にあなたの名前を入れたんですよ。たぶん・・・」










淳平は複雑だった。


5年の歳月を経ても、つかさが自分への思いを抱いてくれているのは理屈抜きにうれしい。


だがつかさを選ぶことは、これまでずっと支えあってきた綾を失うことになる。





(このままつかさと一緒になって、家庭を築いて・・・)





(そうすれば俺も嬉しいし、つかさへの最低限の責任も果たせるだろう。でも、それでいいのか?)





(綾を捨ててつかさと幸せになっても、それは本当の幸せなんだろうか?)










その後、淳平は上岡家を出た。


淳也にも会いたかったのだが、学が猛烈に反対した。





『お前の言葉だけじゃ淳也の父親って証拠にならねえ! たとえもし本当だとしても、だったらなおさら会わせられねえ!』


『理沙の許し無しで、勝手な事は俺が絶対にゆるさねえ!!』





少しムッと来たが学の言う事ももっともであり、ここで争っても意味が無いので大人しく引き下がった。


(でも弱ったなあ、こっちからつかさと連絡が取れないなんて・・・それに唯も余計な事を・・・)


現在の生活には必要ないという理由で、つかさは携帯を持っていなかった。


しかも先日に偶然ここに訪れた唯とのやり取りがきっかけになって、つかさは単身泉坂に行っている。


ちなみに警察も何度と訪れてつかさの居場所を突き止めようとしているが、『邪魔をさせたくない』という理由で警察には『大阪に行っている』と伝えているので、警察がつかさを見つける可能性はきわめて低い。


「つかさの記憶はたぶん戻っているって、あのお母さん言ってたな。もしそれが本当なら、つかさが今の泉坂に言ったらショックを受けるだろうな・・・」


淳平の脳裏につかさの落ち込む表情が眼に浮かぶ。


そんなつかさに一刻でも早く会いたいが、いい策が思い浮かんでこない。





(とりあえず外村に連絡しよう。あいつならいい考えが浮かぶだろう・・・)


我ながら情けないとは思いながらも、淳平は携帯を取り出した。


「あ、もしもし外村?俺、真中だけど・・・」


[おお、真中!そっちはどうだ!! こっちはビッグニュースだあ!!]


「は、はあ?」


昔と違って最近はめったに聴くことのない外村の浮かれた声に淳平は思いっきり戸惑った。





だが、そのビッグニュースを聞かされた淳平はさらに大きな声で驚いた。


「美鈴が見つかったなんて・・・やったな外村!!頑張った甲斐があったな!!」


「ああ、最高の気分だ!! で、そっちはどうだ!? つかさちゃんはどうだった!?」


「ああ、こっちもいい知らせだ!!」


淳平も勢いに乗って上岡家で仕入れた情報を全て外村に伝えた。





だが外村は、


[・・・ちょっとまずい状況だな。急いでつかさちゃんを見つけないと・・・]


一転して声のテンションが低くなる。


「ま、まずいって? そりゃあ一刻も早く見つけたいけど・・・」


[さっき言っただろ?つかさちゃんと美鈴をさらったのは同一犯でまだ捕まっていない。もし泉坂に来ているつかさちゃんをそいつらが見つけたら・・・]


「あっ!!」


淳平はつかさの身に危機が迫っている事をようやく気付いた。


[俺たちは今警察に向かっている。事情を説明すれば警察もすぐ動くだろうが今は一刻の猶予も無い。泉坂と東京周辺は俺たちに任せて、真中は他の場所を当たってくれ!]


「ほ、他の場所ってどこだよ?」


[つかさちゃんとの思い出の場所だよ!泉坂以外のもいろいろあるだろ!?そういう場所はお前じゃなきゃ分からんだろうが!! いいか、ちゃんと探せよ!!]


そう言って外村は電話を切ってしまった。





「他の場所って言ってもなあ・・・」


携帯をたたみながら、淳平は頭を掻く。


つかさとは多くの時間を共有してきたが、その大半は泉坂周辺、東京近郊ばかりである。


それ以外となると場所は限られてくるのだが・・・


(それぞれの場所にそれぞれの思い出があるんだ。どれも大切なものばかりで、『これだ』って言う確証がないんだよなあ・・・)





「・・・とりあえず、あそこに行ってみるか。かなり遠いけど・・・」


淳平はその中でひとつの場所を絞り、そこに向かう決心をした。





(つかさ、俺はいま君に会いたい。だから・・・俺を呼んでくれ)


淳平は空を見上げ、同じ空の下のどこかに居るつかさに向けて想いを飛ばした。


そして車に乗り、キーをひねってエンジンを目覚めさせ、狭い坂道を下っていった。


[No.1101] 2005/04/27(Wed) 20:42:14
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カラカラカラ・・・


つかさはおそるおろる扉を開け、中を覗き込む。


(変わってないや、6年前と同じだ・・・)


そっと足を踏み入れ、ゆっくりと扉を閉める。





(この匂い、懐かしい・・・)


ずっと忘れていた雰囲気に包まれたつかさの脳裏に、幼少時代の記憶が鮮やかに蘇る。





(やっと見つけた・・・あたしの足跡・・・)


自然と優しい笑みがこぼれ、目じりから涙がすっと流れ落ちた。










先日、つかさは5年ぶりに泉坂の地に足を踏み入れた。


(もしあたしを知ってる人が見たら驚いちゃうかもしれない・・・)


そう考え、深く帽子をかぶり、伊達メガネをして泉坂の街を歩いた。





街の様子に大きな変化こそ無いが、ところどころに小さな違いが見られ、5年の歳月を感じさせられた。


そこから自分の家に向かったが、周辺の住宅街はほとんど変わっておらず、懐かしさで自然と口元が緩んでくる。


だが家の側まで来ると、その微笑は一瞬で吹き飛んだ。





「あたしの家が・・・ない・・・」





つかさの家があった場所は、公園に姿を変えていた。





あんな痛ましい事件があった場所に住もうとする人間が居るはずも無く、市が土地を買い取って公園に改修してしまっていた。


両隣の家は変わっておらず、ぽっかりと開いた空間にある小さな公園。


その姿に過去の面影は一切無く、つかさの心は大きな悲しみに包まれた。





その後、市役所に行って自身の戸籍を確かめた。





(あたし・・・本当に死んでるんだ・・・)


戸籍上、つかさは5年前のあの日に両親と共に死んだ事になっている。





このことはつかさに大きなショックを与えた。


他の場所も巡ろうとしたが、大きなショックでその気力も削がれ、とある公園の噴水の側にあるベンチに座り虚ろな目で空を見上げる。





(もう、ここにはあたしの居場所はないんだ・・・)


現在の泉坂には『西野つかさ』という人物の痕跡は、全く残っていない。


(・・・そうだよね。五年経ってるんだもんね・・・しかもあたし、もうこの世に存在してない事になってるもんね・・・)


大きな孤独感に包まれる。


(それに、みんな立派になってる。外村くんは芸能プロダクションの社長、大草くんとさつきちゃんは芸能人・・・)


(さつきちゃん、あたしの名前使ってたんだ。ひょっとしてあたしを忘れないため・・・かな?)





(それに淳平くん・・・夢を叶えて映画監督になってるなんて、本当に凄い・・・)


(東城さんも凄い。誰もが知ってる立派な小説家。歩美は東城さんの本を沢山持ってたし、ウチにもお母さんが買ってきた本が何冊かあったなあ)





(たぶん・・・ううん、間違いなくふたりで支えあってきたんだろうな。そんなふたりの間にあたしの入り込む余地なんて・・・)





(たとえ淳也が・・・淳平くんの子だったとしても・・・)





このときはまだ淳平と綾の破局を伝える雑誌は発売されておらず、つかさはこのふたりが結婚間近だと思っていた。


(そもそも淳平くんが父親だって確証は何も無い。ただあたしがそう思ってるだけ・・・)


(だけど記憶を失ってたあたしが、産まれたあの子の姿を見て・・・『淳』の字を付けた・・)


つかさは自身の直感を信じていた。


記憶の奥底に隠れた強い想いが、我が子に愛する人の名を付けたのだと信じていた。





だがその一方で、冷静な考えがつかさの心を揺さぶる。


淳也の生年月日から逆算すると、つかさを襲った3人の男の誰かが父親である可能性もある。


(淳也もあたしもB型だから、父親は全ての血液型が当てはまる。誰が父親なのか、正直わかんないよね・・・)


(あたしは淳也を愛してる。あたしのかわいい息子。父親が誰だろうと、それは絶対に変わらない。でも・・・)





(淳平くんが父親じゃなかったら、あたしは2度と淳平くんには会えない・・・会うわけにはいかない)


(もう、いいや。西野つかさはもう存在しない。もう、西野つかさには戻れない。それに、あたしを待っている人が居る)





(お店に戻ろう。これからは上岡理沙として、生きて行こう)


つかさはペンチから立ち上がり、ゆっくりと足を進めて行く。


(・・・でも最後に、あそこだけ行ってみよう。なんとなくだけど、あそこなら・・・)





そう思い、やってきたのがここである。


幼少時代に過ごした田舎の家。


6年前の夏、淳平と過ごした思い出は色濃く残っている。





そしてその場所は、6年前と何ら変わっていなかった。


つかさ自身はそれほど大きな期待を抱いていなかっただけに、この家の佇まいを見たときは嬉しさで心が大きく躍っていた。





「あれ?あなたは・・・」


「え?あ・・・」


不意に声をかけられて振り向くと、隣のおばさんが驚きの表情でつかさをじっと見つめている。


「あ、あの・・・このあたりの方ですか?あたし上岡って言いまして・・・この家の・・・ここに住んでいた方のこと、ちょっと伺っていいですか?」


つかさはあくまで『上岡理沙』として、驚くおばさんに対応した。


『自分に良く似た人がここに住んでいたって聞いた』と話すと、おばさんは目頭を押さえながらつかさの事を話し、しかもこの家の鍵まで渡してくれた。


『これも何かの縁だわ。つかさちゃんそっくりのお嬢さんが尋ねてくるなんて・・・家の中もゆっくり見てって。もし宿が無いならここに泊まってもいいから。何か困ったことあったらいつでも声かけてくださいね!』


そう言ってにこやかに去っていくおばさん。





(なんか騙したみたいでちょっと後ろめたい気がするけど・・・まいっか。せっかくだし、中に入ろ)


こうしてつかさは6年ぶりに、思い出の場所に足を踏み入れた。





「ここで・・・いろんな事があったな・・・」


家の中の空気、目に映るもの、耳に届く小さな音・・・


ありとあらゆるものが、西野つかさの記憶を呼び覚ましていく。





祖母の姿・・・





両親の優しい微笑み・・・





親戚の面々・・・





そして、淳平と過ごしたひと時・・・





(どこにも無かったものが・・・ここにはあった)


(あたしの思い出・・・あたしの存在・・・)


何も無い薄暗い部屋だが、つかさの心は温かい安らぎに包まれていく。


「そうだ、あの神社に行こう!淳平くんと縁日に行って、笹舟浮かべた・・・」


つかさはまるで無邪気な子供のような表情で、更なる思い出を求めて家から飛び出していった。















このとき、舞い上がっていたつかさの心は、家のすぐ脇の道に停めた車の中から自らに邪悪な視線を向ける存在に全く気付かなかった。


「へへっ、つかさちゃん見―つけたっ!」


「さすが上杉と言うべきか。お前のカンと情報網には毎回感心させられるよ」


「じゃあ、彼女を出迎える準備しよっか。その後は長戸に頼んだよ!」


「森友に周辺の警戒を怠らないようメール打っとけ。じゃあ行くぞ!」


長戸と上杉は車から降り、つかさが出てきた家の中へと入っていった。















そしてその頃、淳平もこの周辺に居た。


確証は何も無いのだが、淳平の心が『つかさはここに来るはずだ』と言い続けていた。


だが、


「確かこのあたりだと思ったんだけどなあ・・・」


6年前のあやふやな記憶を必死になって探り、つかさと過ごしたあの家を探す。


車からだと当時と見える景色が異なるので、駅の近くに車を停めて自らの足を使った。


「この道・・・通ったっけ? 確かもう一本向こうの角を曲がったような・・・?」





淳平も家探しに気を取られていたので、背後から忍び寄る人影に気付かない。





「うわっ!?」




















つかさは淳平に出会うことなく、再び家に戻ってきた。


(神社は変わってなかった。何もかも昔のまんま・・・)


幼い頃の思い出と変わらない神社の景色は、つかさの心に更なる安らぎを与えていた。





(でも・・・もうこれで充分・・・)





(いろいろ周って・・・いろいろ思い出して・・・良くわかった・・・)





(西野つかさという人物はもういない。でも・・・当たり前だけど、あたしが生きている限りは、あたしの中に存在し続ける)





(だからもう大丈夫。迷わない)





(あたしは、あたしを待っている人の元に帰る。これからは上岡理沙として生きて行こう)





つかさはそう決心していた。





襖を開け、荷物が置いてある部屋に入る。


「おばさんは泊まってもいいって言ってたけど、やっぱり帰ろ。もう目的は果たしたし、これ以上遅くなるとお母さんに迷惑かけちゃうし、淳也がぐずつくと厄介だし・・・今、お店ってどうなってるんだろ?」


泉坂で受けたショックが大きかったので、つかさは上岡の家にここ数日電話していない。


(そういえば、この部屋だったよね。淳平くんが泊まったのって・・・)


あの夜の記憶が明確に呼び覚ます。





「本当に・・・タイムマシンがあったらいいのにな・・・そうすれば、何もかもやり直せるのに・・・」





「あたしの想いも・・・やり直せるのに・・・」





だが、つかさは自らの想いに蓋をした。


(あたしは上岡理沙。淳平くんとのつながりは何も無いの。それに淳平くんには東城さんが居るんだから・・・)


気を取り直し、鞄を手にとる。










「えっ?」


ビクッといきなり手を離した。


(なに・・・この違和感・・・)


見た目は何も変化の無いように見える自分の鞄だが、





(・・・誰かが・・・触った・・・)





(誰かが入った? でもちゃんと鍵かけといたし、 隣のおばさんなら・・・でも無断で他人の鞄を触るような人じゃないし・・・)


つかさの緊張感が高まり、五感が研ぎ澄まされていく。


そして・・・










(誰か・・・居る!)


この部屋を飛び出し、別の部屋へと向かう。










(ここも・・・特に何も変わってない。でも何かおかしい!)





(この・・・とてもいやな感じ・・・絶対に誰か居る・・・)





つかさは自らの身に危機が迫っているのを察知していたが、それでも逃げ出そうとはしなかった。





大切な思い出の場所に足を踏み入れる人間は出来る限り排除したい。





沸き起こる恐怖心を理性で押さえ、険しい表情で辺りを見回す。















ガタッ・・・





つかさは突然の物音にビクッと反応した。





(この・・・向こうから?)





部屋を仕切る襖をきっと睨みつける。




















「あ〜あ、気付かれちゃったみたいだね」





「まあいいだろ。どうせすぐ逝ってもらうんだ。大きな問題じゃないさ」










(男の声! しかもどっかで聞いたことあるような・・・)





さらに緊張感が高まり、身構えるつかさ。










そして、襖がすっと開いた。





















「あ・・・ああああああ・・・」





押さえていた恐怖心が一気に湧き上がる。





それと共に、思い出したくもないおぞましい記憶まで蘇った。




















いやな笑みを浮かべてじっと見つめる長戸と上杉を前にして、





つかさは恐怖心で腰が抜け、しりもちをついてしまった。


[No.1122] 2005/05/11(Wed) 13:54:31
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[memory]18 (No.1122への返信 / 18階層) - takaci

足が震える。


身体が震える。


とてつもない恐怖。


嫌でも湧き上がるおぞましい光景


つかさに人生最大の屈辱を与えた男たちが、不気味で勝ち誇った笑みを浮かべて大切な思い出の場所に侵入している。


全く予想だにしていなかった侵略者を目の前にして、つかさはとてつもない脅威を感じていた。





「光栄だね。どうやら俺たちの事を思い出してくれてるようだ」


「そりゃそうだよ。あれだけ熱くヤリまくったんだからさ!記憶が無くても身体は覚えてるよ。何ならまた今からヤル?」


へらへらと笑いながらつかさを見下ろす男たち。





だがこの言葉を受けたことにより、つかさはやや落ち着きを取り戻し、


「・・・ふ・・・ざ・・・け・・・ないでよ・・・」


ゆっくりと、静かに怒りがこみ上げてきた。





この5年間、つかさは上岡理沙としてそれなりに幸せを感じていた。


だが、この男たちの手によって人生を大きく狂わされたことには違いない。


強い絶望も味わった。


数多くの苦しみを乗り越えてきた。


そして何より、大切な物を奪い取られた。


両親・・・


恋人・・・


そして何より、西野つかさという全ての存在・・・





もう2度と戻らないものばかり。


過ぎ去った時間は決して取り戻せない。





つかさにとって数多くの大切なものが、


この男たちの薄ら笑いと汚い欲望の手によって、


木っ端微塵に壊された。





今のつかさはただの心優しい、元気な少女ではない。


数多くの苦難を乗り越え、ひとりの大人の女性に成長している。


それに何より、絶対に守らなければならない存在もある。


大人しく、ただ怯えるだけではない。





「よくもまあ・・・あたしの前に姿を現したわね。あんたたちは、絶対に許さない!」


すっと立ち上がり、厳しい視線で男たちを睨みつける。





それとは対照的に、男たちはにやけたままだ。


「長戸、つかさちゃん俺たちを許さないってさ。かわいいねえ」


「ふ、ふざけないでよ!!」


「へえ、じゃあ聞くけど、俺たちを許さないっつっても、具体的にどうするんだ?」


「うっ・・・そ、それは・・・」


長戸の指摘を受けたつかさは返答にぐっと詰る。


「公式では西野つかさという人物は5年前に死んでいる。今更出てきて『俺たちがやった』って言っても警察が信じると思うか?」


「うっ・・・」


「それとも、上岡理沙として警察に告発する気か?それはそれでおかしい事になるぜ。いくら姿はそっくりでも全く別人でつながりは無いんだからな」


「うう・・・で、でも・・・」


「つかさちゃん、君はもうこの世に居ない存在なんだよ。死人が何を言っても無駄だって」





(あたしは・・・死人・・・)


上杉の言葉がつかさの心にグサッと突き刺さる。





つかさの表情の変化を見た長戸の口元がわずかに緩んだ。


警察がつかさを捜している事に本人は気付いていないだろうと、長戸は踏んでいた。


もし気付いているなら、つかさは警察に駆け込んでいたに違いない。


理沙の母がつかさを気遣い、警察に居場所を知らせなかったこと。


つかさに迫る脅威の存在に気付かなかったこと。


泉坂を訪れたつかさが気落ちしてここ数日は上岡の家に連絡を入れなかったこと


つかさが携帯を持っていなかったこと。


これら全ての事が、長戸らにとって都合よく働いていた。


そしてつかさに『お前は死んでいる人間』と言ってショックを与える。


何もかも長戸の計画通りだった。





「でも・・・でもあたしは!あんたたちを絶対に・・・」


「もう、無駄な事は止めるんだな」


「そうそう、僕たちが楽にしてあげるよ。もうこの先何も考えなくっていいようにさ!」


「な・・・」


上杉の言葉を受け、つかさは改めて二人を睨みつける。





(うっ!!!)


長戸、上杉のふたりとも口元は緩んでいたが、獣の目をしている。


獲物を目の前にして、ぎらぎらと輝いている。


だがその輝きの質は5年前とは違う。


あの時は、どす黒い欲望がつかさの身体を求めていた。


今は、もっと暗く薄汚い欲望が垣間見られる。





(こ・・・こいつら・・・あたしの・・・命を狙ってる・・・)


直感が生命の危機を察知する。


無意識に足が後ろへと下がっていく。





「へへっ、やっぱりつかさちゃんはカンがいいねえ」


「戸籍上は死人とはいえ、俺たちの秘密を知ってる奴は生かしておけん。悪いがここで死んでもらう」


ふたりの男はつかさに向けて一歩足を踏み出す。





(逃げなきゃ!!)


考えるより先に身体が反応した。


男たちに背を向け、狭い廊下を駆け出して行く。





だが男たちの迫る足音は聞こえない。


(何で追ってこないの? でもとにかく外に出なきゃ!)


そう思ったとき、





(あっ!?)


死角からいきなり肩を掴まれ、





ドッ!


「うっ・・・」


脇腹に強い衝撃を感じた。





息が止まり、身体が動かない。


抵抗出来ずに、肩を掴まれた男に身体を押さえつけられてしまった。





「森友、ナイス!」


「さあ、これで年貢の納め時だな」


勝ち誇った男たちの声が届く。





(もうひとり・・・居たなんて・・・)


(そういえば・・・こいつも・・・あたしを襲った・・・ひとり・・・)


(もう・・・なんで気付かなかったんだろ・・・)


苦しさと悔しさで表情が歪むつかさの瞳には、


自信を押さえつけている森友の勝ち誇った笑みが写っていた。





危機信号はどんどん大きくなっていく。


森友に押さえつけられ、身体はほとんど動かない。


口も塞がれているので声が出せず、助けを呼ぶ事も出来ない。


さらに長戸と上杉がゆっくりと迫ってくる。





「んーーー!!!  んーーー!!!」


つかさは必死になってもがく。


だがか弱い女の力では、男でも力の強い森友は振りほどけない。


そして・・・





ヒュッ!!





(痛っ!!)


胸元に痛みが走る。


左胸のシャツがスパッと切れており、鮮血がじんわりと染み出していた。


「いい加減観念して大人しくするんだな・・・」


そう話す長戸の右手には、バタフライナイフの刃が不気味な輝きを放っていた。





自然と身体が震え出す。


恐怖に慄く瞳から涙が溢れ出す。


(あたし・・・このままじゃ殺される・・・)


(誰か・・・誰か助けて!!)





「怖いか? そりゃあ怖いだろうな・・・ でも安心しろ、もうすぐ終わる・・・」


長戸はつかさの身体にナイフを突きつけた。


「ここを刺せばすぐに楽になれる。なあに、苦しいのは一瞬さ」


殺意に満ちたどす黒い瞳で睨みつける長戸。


上杉、森友も同じ瞳の輝きを放っている。


そして、3人揃って薄ら笑いを浮かべている。





つかさはもがく事も出来なかった。


圧倒的な恐怖に負け、身体はピクリとも動かない。





(何で・・・なんであたしがこんな目に遭わなきゃならないの?)





(両親を奪われ、酷い屈辱を受けて、何もかも奪われて・・・)





(やっとの事でそこから立ち直って、みんなの優しさの中で楽しく生きてたのに・・・)





上岡家の両親


親友の学、歩美


店に来てくれる常連客たち


そして我が子、淳也


『上岡理沙』を支えてくれた多くの人たちの顔が浮かぶ。










「せめて記憶を取り戻さなければ、ここで死なずに済んだかもな。まあ、運命だと思って諦めてくれ」


冷酷で感情のこもっていない長戸の声。










(やだ・・・やだよお・・・まだ死にたくない・・・)


止まらない震え。


涙はどんどん溢れ出してくる。










「ちょっともったいない気もするが・・・さらばだ、西野つかさ!」




















(お願い!! 誰か助けて!!!)




















(いやあああああああああああああ!!!!!!!!!!)










思わず硬く目を閉じ、苦痛に備える。





























バン!!










ダダダダダ!!!










「うわっ!?」


「そこまでだ!!」


「ちきしょう!!放せえ!!」










だが、苦痛は来なかった。


代わりに複数の足音と男の怒鳴り声が耳に届く。


そして、ずっと押さえつけられていた圧迫感も無くなった。


(???)


恐る恐る目を開けると、長戸ら3人の男は複数の男たちに取り押さえられていた。


「おい君、大丈夫か!?」


スーツ姿の強面の男がつかさに呼びかける。


「あ・・・は・・・はい・・・とくには・・・」


混乱した頭でとりあえず答えるつかさ。


「君が西野つかさだな?」


「あ・・・はい。 あの、あなたたちは?」


「警察だ。もう大丈夫だ。安心してくれ」


「け、警察?」





警察はつかさの捜索をずっと行っていたが、ここに来ていたのは美鈴の報告を受けて派遣された者だった。


『警察関係者が5年前の凶悪事件にかかわっている』


その事実を知った時、警察は関係者である上杉の捜索を開始した。


上杉は『私用ってしばらく休む』と告げており、連絡も取れない状況だった事が警察の危機感をさらに強めた。


そしてこの地域に上杉が来ている事を掴み、周辺の捜索を必死になって行っていたのだが、





「この周辺に事件にかかわっている人物が居るのを偶然発見して職務質問したら、君が育った家がこの近くにあるって聞いて、我々は上杉の捜索がメインだったからそこまで情報が回ってなかったんで慌てて探したよ。まさに間一髪だった。危険な目にあわせてすまなかった」


強面の警官はつかさに上着を着せ、大きく頭を下げた。


「あ、いえ・・・ あの、ところで、偶然見つけた人っていったい・・・」


「ああ、危険だから外で待ってろと言ってあるんだが・・・」





「おいこら待て!!  まだ入っちゃいかん!!」


「うるせえ!! つかさが酷い目にあってるかもしれないってのに黙ってられっかよお!!」





「えっ!?」


つかさは一瞬、我が耳を疑った。


懐かしい声。


ずっと聞きたかった、心ときめく声だ。





(ううん、間違いない、あの声は!)


つかさは慌てて立ち上がり、声のした庭のほうへと向かった。





そして庭で、





「淳平くん!?」


五年ぶりに再会した恋人は、ふたりの警官に押さえつけられ倒れていた。


「つ、つかさ、大丈夫か!? 怪我してない!?」


「大丈夫、かすり傷程度だから・・・でも淳平くんが何でここに?」


「なんとなくつかさがここに来るような気がしてさ。でも6年ぶりで良く覚えてなかったからちょっと迷っちゃってさ・・・ごめん」





「もう・・・バカ!」


つかさは瞳を涙で潤ませながら、淳平に怒りをあらわす。


「あっ、ほ、ホントゴメン!! 俺がしっかりと覚えてればつかさを危険に晒すことは・・・」


「そうじゃなくってえ、せっかくの感動の再会が、そんな格好じゃムードぶち壊しじゃない!!」


「えっ・・・」


つかさの言うとおり、押さえつけられている淳平の今の姿はあまりにも情けない。





「あ、あのお、そろそろどいてもらえませんか?もういいでしょ?」


淳平は警官にそう頼むが、


「ダメだ!」


あっさりと一蹴されてしまった。


「そ、そんなあ〜〜〜〜」


情けない声を出す淳平。





「ぷっ・・・あははは・・・」


その姿を見たつかさが突然笑い出す。


「つ、つかさ?」


「だって、淳平くんってそういうところ、全然変わってないんだねえ。そう考えたらなんかおかしくなっちゃって・・・」


つかさはケラケラと笑い続ける。





(はあ、5年ぶりの再会が、こんな形になるなんてなあ・・・)


感動とは全くかけ離れた展開に、淳平は警官に取り押さえられたまま大きくうなだれてしまった。


[No.1150] 2005/06/28(Tue) 23:53:02
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