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No.750に関するツリー

   『真実の瞳』−前書き - スタンダード - 2005/01/07(Fri) 15:26:32 [No.750]
Re: 『真実の瞳』−前書き - マディ - 2008/12/28(Sun) 23:49:22 [No.1483]
Re: 『真実の瞳』−前書き - dk - 2005/08/12(Fri) 02:42:12 [No.1173]
『真実の瞳』−1.「再会」 - スタンダード - 2005/01/07(Fri) 15:27:48 [No.751]
『真実の瞳』−2.「双恋」 - スタンダード - 2005/01/14(Fri) 00:58:07 [No.773]
『真実の瞳』−3.「仲間」 - スタンダード - 2005/01/29(Sat) 01:28:12 [No.817]
『真実の瞳』−4.「帰去来」 - スタンダード - 2005/02/05(Sat) 02:52:03 [No.839]
『真実の瞳』−5.「悲境」 - スタンダード - 2005/02/11(Fri) 00:13:03 [No.862]
『真実の瞳』−6.「横恋慕」 - スタンダード - 2005/02/20(Sun) 02:41:48 [No.879]
『真実の瞳』−7.「回帰」 - スタンダード - 2005/02/27(Sun) 03:23:08 [No.897]
『真実の瞳』−8.「愛護」 - スタンダード - 2005/03/11(Fri) 01:09:30 [No.932]
『真実の瞳』−9.「閉想」 - スタンダード - 2005/03/13(Sun) 01:59:33 [No.941]
『真実の瞳』−10.「意志」 - スタンダード - 2005/03/15(Tue) 02:00:24 [No.952]
『真実の瞳』−11.「予兆」 - スタンダード - 2005/03/18(Fri) 02:08:52 [No.958]
『真実の瞳』−12.「信頼」 - スタンダード - 2005/04/05(Tue) 17:06:59 [No.1000]
『真実の瞳』−13.「記憶」 - スタンダード - 2005/04/10(Sun) 03:17:52 [No.1014]
『真実の瞳』−14.「悲対」 - スタンダード - 2005/04/19(Tue) 01:54:08 [No.1089]
『真実の瞳』−15.「二天」 - スタンダード - 2005/04/25(Mon) 02:17:08 [No.1097]
『真実の瞳』−16.「継承」 - スタンダード - 2005/04/30(Sat) 00:59:19 [No.1102]
『真実の瞳』−17.「変進」 - スタンダード - 2005/05/05(Thu) 21:45:57 [No.1110]
『真実の瞳』−18.「開道」 - スタンダード - 2005/05/10(Tue) 21:44:06 [No.1120]
『真実の瞳』−19.「空虚」 - スタンダード - 2005/05/21(Sat) 23:14:27 [No.1126]
『真実の瞳』−20.「休息」 - スタンダード - 2005/06/19(Sun) 02:07:15 [No.1143]
『真実の瞳』−21.「夢駆」 - スタンダード - 2005/08/24(Wed) 00:18:07 [No.1181]
『真実の瞳』−22.「岐点」 - スタンダード - 2005/12/25(Sun) 02:46:30 [No.1216]
Re: 『真実の瞳』−22.「岐点」 - 名無し - 2006/02/09(Thu) 20:27:57 [No.1241]
Re: 『真実の瞳』−22.「岐点」 - 名無し - 2006/02/09(Thu) 20:27:25 [No.1240]
Re: 『真実の瞳』−22.「岐点」 - y.s - 2013/08/03(Sat) 19:58:27 [No.1644]



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『真実の瞳』−前書き (親記事) - スタンダード

ちょっと久々の新作を投稿させていただきます。
今度は長期連載型です(長期になるかは分かりませんが)
というのもtakaciさんの連載を読み終わった時の充実感、満足感を味わわせる側になりたいと思いまして。

正直なところ、まだまだ全然形になっておりません。
決まっているのは大まかなストーリーとエンディングだけです。
つまりその場しのぎでGOGO!という…

実際どうなるか分かりませんが、温かく見守っていただくようお願い申し上げます。


[No.750] 2005/01/07(Fri) 15:26:32
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Re: 『真実の瞳』−前書き (No.750への返信 / 1階層) - マディ

続きが見たいです!!

[No.1483] 2008/12/28(Sun) 23:49:22
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Re: 『真実の瞳』−前書き (No.750への返信 / 1階層) - dk

面白いです、続きが楽しみです。

[No.1173] 2005/08/12(Fri) 02:42:12
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『真実の瞳』−1.「再会」 (No.750への返信 / 1階層) - スタンダード




俺は夢を追いかけてた。

別にかっこつけてる訳じゃなく、あの頃は本当に必死だった。

映画監督になりたくて、人を喜ばせたくて、驚かせたくて。

何かを得ることとは、同時に何かを失うことであるなんて知らなかった。

でもそれが事実。

それが真実。

だからこそ、あの時、俺はかけがえのないものを失った。

戻ってきたとは言っても、過去のそれとは決して同じではない。

そのことに気付いた今、何が出来るのだろう。

少なくとも、失うことを恐れることが出来ると思う。

勇敢であることは、時に大変な事態を引き起こす。

失ってもかまわないと少しでも思えば、失ってしまうものだ。

だから、失うことを恐れている限り、失わないのではないか。

今はそう思う。

だから、決して失わない。

そう誓う。

























目の前に広がる懐かしい景色。

見覚えのあるデパート。

昔歩いた道路。

反面、目新しい様々。

初めて見るビル。

知らない家。

5年の時を経て、ついにこの街に戻ったんだなと、淳平は実感した。






駅には出迎えなど誰もいない。

一応、親には連絡していたが、来るような人ではないことは百も承知である。

友人達も呼ぼうかとは思ったが、相手の都合もあるだろうし、何より自分が疲れているだろうと思ったからやめておいた。

つまり、誰も来ない。

別に寂しいわけでもないが、誰かと「懐かしいなぁ」とか「久しぶり」という会話をしたい気分だった。

人混みに混じり、家へと続く道を思い出すような足取りで歩いていった。


























「ただいまー」

5年前、家を出る時に壊れたドアノブは直っていない。

さすがと思う。

鳥肌を立たせるような音が必ず出るそれは、セールスマンを追い返すことには貢献していたかも知れない。

バタバタと音を立てて母が出迎えた。

「あら、淳平。おかえり。ちょうどいいわ!母さん買い物行ってくるから留守番お願いね!」

出迎えた。




















久しぶりに見る我が家というのは何とも感慨深いというかぼろいというか…。

昔よりも壁が汚れているように感じるのは気のせいなのだろうか。

炊飯器と電子レンジが新しくなっているが、それ以外は大して変わっていない。

といっても配置は全く以前と違う。

子供のいない一家の生活なんて、機械的な毎日だと思いこんでいたが、親たちはそれなりにパワフルに働いていたのだろうか。

自分の部屋はどうなっているのだろう。

物置か、父母片方の部屋か。

そう思いながら奥へ進むと物音が聞こえた。

淳平は、どちらかが部屋を使っていて今いるのだろうと思った。

そして、その普通の予想を、唯は裏切ってくれた。





「淳平!!!」




バタン!!!




ゴッ!!!




まるでアニメのように、扉は高速で淳平の顔面をとらえ、額と鼻と歯は多大なダメージを受けた。

淳平は、あはは、と笑いかけた。
























「何でお前がいるんだよ!」

只今二人はドア越しに会話中。

なぜかと言えば、とある女性の癖のせい。

「もういいか?」

「あ〜まだダメ!もうえっちだな淳平は!」

「お前が勝手に脱いだんだろが!」

彼女は只今お着替え中。










「まさか5年ぶりの再会が裸とはな…」

「あっ見たんだな!やっぱりな〜」

「バッカ…どうやったらあの状況で見えるんだよ!」

まさに女の子の部屋という場所で、淳平は元・美少女、現・美女と話していた。

まさかあの幼児体型がこういう進化をするとは、と思いながら。

身長こそ高いわけではないが、それなりの大人の魅力というものを兼ね備えているように見える。

ずっと子供のように感じていた幼なじみも、自分と同じように一年一年、年を取り、現在22歳。

上司をたぶらかして出世するには絶好のチャンスだ。





「で、どうだった?放浪生活は」

と、唯が明るく切り出す。

「放浪じゃねーよ、修行だ」

とはいってもまともではなかったが。

淳平はずっと映画監督の夢を追いかけ続けていた。

色々な人々に認めて貰うために。

そのために切り捨てたものがたくさんあった。

まず、淳平は地方の大学に行くため故郷を離れた。

向こうの大学の方が設備もいいと、嘘の理由を作ってまで行ったのは、甘えをきりたかったからである。

知り合いが多いこっちで映画を作ると、きっとあの映研部に頼ってしまう。

淳平が出逢った最高のメンバー。

いつしか伝説となっていくあの顔ぶれ。

彼らは優しい。

だから、自分が頑張っているというだけで、何も言わずに見守ってくれる気がした。

しかし、それではいけなかった。

ダメならダメと言ってくれる、厳しい環境が彼には必要だった。

そして淳平は飛び出した。

誰も自分を知らず、そして自分が誰も知らない場所へ。

「いやーなかなかだったよ。すごい人にも会えたし」

真中はそう微笑んだ。

「すごい人?」

「そう。すごい映画監督。まあお前は知らないよ。有名な人じゃないから」

自慢げに話す淳平を見て、唯は幾分か安心したようで、つられて笑った。

「帰ってきたことはみんな知ってるの?」

唯がそう尋ねた。

「いや、母さん達にしか連絡してないよ」

「何で他の人呼ばなかったのさ」

「だって色々都合があるだろ。みんなにも」

「じゃあみんなに会いにいこ!今日は休日だからきっと家にいるよ」

淳平は戸惑いながらも唯に従い家を出た。

久しぶりに会う友人はどんな顔をするのだろう。

いや、それ以前にどんな顔をしているのだろうか。

それすらも分からない自分がおかしく思えた。

しかし楽しみでしょうがなく、知らず知らずニヤニヤとした笑みを浮かべていた。
























と、家を出て数分した時だった。

どこかで聞いたことあるような曲が着メロで鳴った。

「あっ、繭子ちゃんだ。げっ!今日遊びに行くんだった!どうしよ!?淳平!」

いきなり騒ぎ出す唯を見て、変わってないなと思いつつ、

「いいよ。行ってこい。俺は一人でいいから」

と、促した。

繭子ちゃんというのは聞いたことがある名前だが覚えていなかった。

「ごめんね〜せっかく帰ってきたばっかりなのに。じゃあまたあとで!」

自分で許可したにもかかわらず、走り去っていく唯の背中を見ながら、淳平は、なんじゃそりゃと心の中で呟いた。

「ちゃんとみんなに挨拶するんだよ〜」

10秒後、50メートルほど前方にいる唯が振り返ってそう言った。

淳平はやっぱり変わっていないな、と、嬉しそうに手を振った。


















唯が見えなくなると、淳平は商店街の方へ向かった。

外村家や東城家、西野家なども同じ方向であるし、小腹が空いていたから何かを食べようという考えだった。

向かう途中、周りを流れる景色を見ながら、みんなも昔と変わらないでいて欲しいと思っていた。






商店街の入り口のアーチの色が変わっていた。

昔はオレンジに近い赤だったのが、今では水色っぽい青だった。

しかし、商店街の中の様子はやはり変わらない。

5年経ってこの変化かと思うと、この町の人々がいかにのんびりとしているかが分かった。

食べやすそうな肉まんを買うと、歩きながら食べ、商店街を進んでいった。

親しい人がいるわけでもないが、妙に親近感を感じ、いい気分だった。

これが帰省かとしみじみ感じる。






商店街の出口に近いところに『スーパー・スマイル』という店があった。

二つのスーパーの意味をかけた名前のようで、それなりに繁盛していた。

なにより、地元密着型といった感じで、基本的に毎日同じ客が来るようで、安定した収入を得られそうな店だった。

何気なくその店のレジをのぞいた時に、淳平は懐かしい人を見つけた。

「西野?」

そこにいたのは間違いなく西野つかさ本人であった。

5年も経てば人の顔は大きく変わる。

高校生からの5年と言えば、子供から大人の顔に変わる時であり、当然である。

だが、彼女の美しさは全く変わっていなかった。

髪型はセミロングのようだが、後ろで結びを作っていて、それがまた似合っていた。

淳平は見つけたとたん呟いたが、本当に本人だろうかと恐る恐る近寄った。

店の入り口まで行くと、その女性の顔がしっかりと確認できた。

間違いないと、確信した。

つかさが店員に軽く会釈をして店を出る。

そして入り口の男を見つけ、目を見開いた。

「淳平君……」

「やっぱり西野だ」

二人は固まった。

淳平は久しぶりにあったつかさに何と言っていいか分からなかった。

それで顔を赤くして俯いていた。

しかしつかさの反応は違った。

どこか戸惑いを含んだ表情で突っ立っている。

「帰ってたんだ……」

「あ…ああ。今日帰ってきたんだ」

淳平はそう言って微笑んだ。

しかし内心では困惑している。

さつきではないのだから会った瞬間に抱きつくと言うことはないだろう。

だが、積極的なつかさであれば笑顔を見せて久しぶり、と喜んでくれると思っていたからである。

それなのに、当の本人はどこか嫌悪感を表していた。

5年で恋が冷めることはあっても、憎まれるなんてことはないはずだ。

そう思いながら、何か話題を探していると、急につかさが

「ごめん。あたし急いでるから」

と言って去っていってしまった。

「え…?ちょっ…と…」

淳平は呆然とつかさを見送ると、どうしたんだろうと考えながらも外村の家へ足を向けた。


[No.751] 2005/01/07(Fri) 15:27:48
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『真実の瞳』−2.「双恋」 (No.751への返信 / 2階層) - スタンダード

淳平は小さなマンションの前に立っていた。

確かここだ、と記憶をたどる。

そこは外村の家だった。

昔、一度行っただけで、ほとんど記憶にない。

それでもしぼりだすように最上階、ということを思いだし、階段を上っていった。

玄関の表札で、503号室ということを確認し、奥へ進んでいく。

間違いなく503号室に着くと、ここだよな、と念入りに確かめチャイムを押そうとする。

と、ちょうどその時。

がちゃっと音を立て急にドアが開いた。

一人の女性が中を向き、「いってきまーす」と声をかけている。

はーい、という微かな返事が聞こえると、女性は進行方向へと顔を向けた。

同時に淳平も女性を捉える。

美鈴であった。

「あ…あーっ!真中先輩!」

驚き指差しながら叫ぶ。

「おっす」

淳平は苦笑いをしながら軽く手を上げた。

「いつの間にか帰ってきたんですか?」

「今日だよ。それもついさっき」

「みんなは知ってるんですか?」

「いや、唯と親だけ。とりあえず外村に会いに来たんだ」

「ああ、お兄ちゃんですか。お兄ちゃんは今一人暮らししていますよ」

そう言って、美鈴は急にきまりの悪そうな顔をした。

「へぇ…一人暮らしね…」

「それが一人暮らしなんですけど、何で一人暮らししてるか分かります?

 俺は人目の着かない生活をするんだ、ってあたしに言って、急にでてったんですよ?

 ウチの親はそういうことにはあんまり厳しくないし、成績のおかげで信用してるから…」

ということだった。

確かに進学校である泉坂高校でトップを取っているのならば、文句も言えたものではないだろう。

「絶対変な子としてるに決まってますよ!」

ぷんとした表情で腕を組む美鈴。

一個下でもあるせいか、その仕草をみて淳平はかわいいと思ってしまった。

基本的に想い出とは美化されるものである。

向こうにいる時も淳平はよくこっちの友人のことを思い浮かべたものだ。

そしてその想像に登場する人間はずいぶんと美化されている。

しかし、現実でも美化されていたのだ。

唯も然り、目の前の美鈴も然り。

美鈴は綾へのあこがれからか、少し髪を伸ばし、日本的な美女となっていた。

出来る女の匂いを漂わせてはいたが、仕事一筋のオーラは出ていなかった。

昔と比べるとどこか丸くなった感じがした。

そんな風に美鈴を眺めていると、「どうしたんですか?」と聞かれた。

「いや、綺麗になるもんだなぁと思って」

淳平は笑いながらそう言う。

すると美鈴は急に真っ赤になり「な…何を!」と噛み付いた。

淳平はあわてず「そうそう、昔はそんな感じだったっけ。 今はなんか礼儀正しくて…」

としみじみ言った。

「礼儀正しくて…の続きは?」

「だからかわいいなぁって」

美鈴もどう言い返していいか分からず、結局淳平に押さえ込まれてしまった。

「…なんか先輩変わりましたね〜

 昔は好きな女の子にもそんなセリフ言えなかったのに…」

「まあ数々の修羅場を切り抜け泥沼人生をおくってきたからな」

いかにもえっへんというポーズをとって言った。

笑顔の淳平を見て、美鈴は冗談だと思い込んだ。







「それで、どうするんですか?」

不意に美鈴が尋ねた。

「まあここに外村がいないんじゃあな〜」

外村に会いに来た以上、どうするということもない。

そう困っていると

「一人暮らしの部屋まで案内しましょうか?」と美鈴が尋ねる。

「え?いいの?」

「どうせあたしも買い物しに行くところですから」

淳平は妙に優しい美鈴に初々しさを覚えた。

こいつはきっと……
















外村家を出てから5分ほど…

二人は小さな路地を歩いていた。

美鈴が先を歩き、淳平が追う。

美鈴は饒舌で、なかなか止まらない。

淳平は美鈴の話を聞きながらずっと微笑んでいた。

そして微笑んだままそっけなく言う。

「お前彼氏でも出来た?」

聞いた瞬間、美鈴は吹き出す。

「な…ど…どうして知っているんですか!?

 あ…じゃなくって…なんでそうなるんですか!?」

訂正は間に合わず。

淳平は顔色一つ変えない。

ただ笑顔で見ている。

美鈴は「はぁ…」と溜息をつき、また歩き始めた。

「なんで分かったんですか〜…」

さっきと比べると生気が半減している。

「いや…なんとなくだよ。なんとなく」

「はぁ…恋愛経験が豊富だから分かっちゃうんですか…?」

「何それ…?」

「だって先輩は何人もの女子をたぶらかしては泣かせて…」

「こらこら…」

「最低優柔不断男だけど…言い方を変えればなんとか恋愛経験豊富になるじゃないですか」

「…それが?」

「あたし友達に言われるんですよ。恋愛経験少ないって…」

「う〜ん…まあ悪いことじゃないからいいんじゃないか?

 逆に豊富っていうのも良くないだろ。あ、俺か…」

「だから彼氏以外の男の人なんて先輩ぐらいしか知らないんですよ。

 その先輩はよく分からない人ですし…」

「お前本人の目で堂々と言いやがって…

 お前は俺を軽蔑しかできないのかい?」

美鈴のそこをつきない相談を受け流しながらも、反論はする淳平。

が、美鈴からは思いがけない答えが返ってくる。

「ちがいますよ〜よく分からないって言ったんです。

 たまに本当に尊敬することがあるんです。

 映画の時はもちろんだけど、日常生活でも。

 ただ、尊敬できる時と出来ない時が激しすぎて困るんです。

 つまり今の彼氏はあたしにあってるんでしょうか?」

「お前話が繋がってないぞ?飲んでる?」

「飲んでません」

「だよなぁ。

 でも、お前はその人が好きなんだろ?

 じゃあ釣り合いとか考えなくても大丈夫だよ。

 所詮釣り合いなんて真剣に付き合いだしたら誰も気にしなくなる」

淳平はそう言って締めた。

これは何かの本に載っていたことだが、昔の自分のことのようで、強く共感したのであった。

「そうですよね…でも、それだけじゃなくて…

 あたしはただその人のことを好きだと思い込んでるのかな〜って…」

それが美鈴の悩みだった。

自分は本当に彼氏のことが好きなのだろうか。

もしも好きな気がしているだけだったらその男の子にも申し訳がない。

だが、こういった類の問題は自分では解決できない。

そしていつの間にか淳平に相談していた。

結局淳平は答えることが出来なかった。

だが美鈴はやはりその男の子が好きなのである。

ではなぜ自信が持てないのか。

それは淳平に抱く感情と似ていたからである。

つまり自分にとって彼氏は淳平と同じような存在であると考えたのだ。

しかしそれは問題ではない。

美鈴は淳平に対する感情も特別な感情であることに気付いていない。

自分が淳平に恋心に近いものを持っていると気付いていない。

映画、恋、その他の色々なことで深層心理、淳平に憧れていたのである。

そしてそれと似た感情を彼氏にも抱いていたのだ。

初めての恋人、異性とのふれあいにあこがれを持っているのだ。

美鈴は、恋をしていないんじゃないかということが不安であった。







何分か歩き続けた二人。

美鈴は言いたいことを全て言い切った。

その末にやっと気付いた。

自分は真中淳平が好きなのかも知れない。

それが全てを解決に導いてくれた。

決して声に出しては言えないが、確かに自分は淳平にあこがれを持っている。

そして彼氏にも。

だが、二股をかけているような気にはならなかった。

高校時代、あれほど淳平のことをバカにしたものの、今になってみると分かる。

好きにも色々なものがある。

二人を好きになったからと言って、単純に半分になるわけでないことも分かった。

ここまで行き着いて、美鈴は考えるのをやめた。

全て解決していた。


「着きましたよ」

そういって一つのアパートを指す。

「ここかぁ…案内サンキュー」

「いえ、いいんです。こっちこそしゃべってばっかですみません」

「いやいや俺も力になれなかったから…」

その言葉を聞いて思った。

あなたは充分あたしの力になっていますよ、と。

だがそれは言わない。自分の中にそっとしまっておきたい感情。

急に気分が良くなり、体が軽くなる。





「じゃあ、彼氏とラブラブしてきま〜す!」

美鈴は淳平に一瞬笑顔を見せると、そのまま歩いて去っていった。


[No.773] 2005/01/14(Fri) 00:58:07
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『真実の瞳』−3.「仲間」 (No.773への返信 / 3階層) - スタンダード


淳平はマンションの一室の前で呆然としていた。

「指紋…照合…?」

つい呟いたその言葉。

無理もない。

表札には間違いなく『外村』とあるのだから。

(あいつが指紋照合…?)

確かに最近では近代化が進み、一般向けのマンションでも指紋照合セキュリティシステムの導入が盛んになってきている。

それでも、コストや手間の関係で、誰もがというわけにはいかない。

ましてやあの外村ヒロシの家が…である。

しかし、ありえない話でもない。

進学校である泉坂高校をトップの成績で卒業。

某有名大学へと進む超エリートコース。

IT関係の仕事についている。

ITという名前だけでさえ十分な迫力のある仕事だ。

なんとも受け入れがたい事実を飲み込み、インターフォンを押してみた。





カスッ…







指先のボタンはつまらない音を立てめり込んだ。

(壊れてやがる…)

まさか指紋照合のついている家のインターフォンが壊れているとは思わなかった。

なんとなく気が抜けてしまいながらも、しぶしぶドアをノックする。

「外村〜!俺だ〜!真中淳平!」

そう言いながらどんどんと何度もたたくが返事がない。

(自殺未遂か?)

悪い冗談を考えながらドアノブを握ってみると、開いてしまった。

一体何のための指紋照合なのだろうか…。

なんだそれと呟きながら中へ入っていく淳平。

「お〜い…外村〜?」

一部屋一部屋確かめながら奥へ進む。

しかしどこにもいない。

一番奥の部屋にいるのだろうか…

そう思って最後の扉を開けたとき、淳平は信じられないものを目撃した。



「ん〜いいね〜この弾力〜」

「ちょ…ちょっと…外村さん…あん…」

どこか見覚えのある女性が四つんばいになっている。

そして後ろから抱きしめるように外村が胸を揉みしだいているのだった。

二人ともまだ服は着ていたが、すでに夜のモードである。

淳平は驚き、外村に自分の存在を気づかせようとした。

が、しかし、その前に固まってしまった。

その女性が向井こずえであることに気づいたからであった。

強姦だと思い止めようとしたが、こずえがそんなに嫌がっていないように見える。

これは止めないほうがいいのだろうか。

そうこうしているうちに落ち着かない手が衣服の中に進入していた。

さすがに、と声をかけた。

「ストップストップ!外村待った!」


外村がゆっくりとこちらを向き「あれ?なんでお前がいるの?」と言った。

あまりにも自然に。

「え?何?どうしたの?誰かいるの?」

こずえは外村に覆いかぶさられているので淳平の姿が見えないのである。

「ああ、真中がいる」

当然、こずえは頭が真っ白になった。

真中…?

真…中…?

真…ま…か…?

マ…ナ…カ…?




まるでプシューと音を立て煙が出たかのようだった。

「は…離して!外村さん!やめて!」

顔を真っ赤にして暴れるこずえ。

そんなこずえをからかうのが外村の務め。

「何を〜この期に及んでまだ真中に反応するか!」

そういって転がり、自分を下にする。

上側になったこずえは淳平と完全に目が合った。

「あ…はは…」

「久しぶりだね…」

そして、その瞬間外村がこずえの服をめくる。

何もつけていない上半身があらわになり、豊満な胸がプルンと現れた。

「キャアアアァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」


























頬が赤くはれた外村が正座していた。

隣には同じように正座しているこずえ。

だが怒りの炎が見えるかのように、オーラを感じる。

淳平は何と言っていいのかわからない。

気まずい雰囲気。

すかさず外村が和ませようと試みる。

「真中どうだった?こずえちゃんのおっぱいは?」

ビシッともう一発、ビンタが炸裂した。







今度はさすがに反省した様子の外村が正座している。

隣には同じように正座しているこずえ。

さっきとは違い、あきれながら申し訳なさそうな表情をしていた。

「冗談なんだからそんな思い切りやらなくても…」

ヒリヒリと痛む頬を押さえながらつぶやく。

「女の子の胸は冗談じゃないんですっ!」

夫婦漫才をやっているかのようなのりで、見ていて微笑ましいといえば違いない。

なんとなく見守ってやりたい気持ちになった淳平。

「外村たち付き合ってんの?」

「え…いや…そういうわけじゃ…」

「イエス!」

こずえに割り込んで答える外村。

腕を組み、どこかエラそうだ。

たぶんこの様子だと付き合っているのだろう。

見た目こそ変わらないが、やはり二人とも少しずつ変わっているのだろう。

まさかこずえが自分以外の男性と付き合えるようになるとは思っても見なかったし、外村も真剣に女性と付き合うように思えなかったからである。

男性恐怖症から一転している。

確かに最後に会った頃、既にその症状を克服しかけていた感じはある。

しかし外村はどうだろうか。

美少女、美少女と追いかけ回していた時代が懐かしいが、それでも彼は恋を求めていたわけではなかったように思える。

どこか真剣味にかけ、悪くいえば遊んでいたようにも見えた。

それが一人の女性に恋をしたのである。

完全に彼女であると断言するほど。

何がその心境に変化を与えたのだろうか。

もちろん淳平にわかるはずはなく、考えては消えていった。
















5年ぶりの再会である。

積もる話もあるが、逆に積もりすぎていて、どこから話していいかわからない。

と、その時、違う部屋で携帯が鳴った。

「あ…あたしのだ…ごめんなさい、ちょっと」

そう言って部屋を出て行くこずえ。

数秒して、隣の部屋からこずえが顔だけ出して玄関を指さした。

おそらく〔ちょっと出かける〕程度の意味だろう。

玄関の開く音がして、そして閉じる音がした。

部屋には二人きりとなった。



「さ〜ていろいろ聞きたいことがあるんだが」

聞きたいことだらけである。

西野は?

東城は?

さつきは?

小宮山、大草、天地は?

が、そんなことよりも聞きたいこと…

「どうやってこずえちゃん口説いたんだ?」

これが一番聞きたかった。

他のものはなんとなく想像通りま気がするし、あとからも分かる。

それよりも分からないのはこの問題だ。

なぜこの組み合わせなんだろう。

「な〜に簡単さ」

外村は自慢げに話し始めた。

「お前が飛び出した頃、こずえちゃんは真中依存症となっていた。

 覚えているだろ?

 さて依存症の人間から依存対象物を取り上げるとどうなるのか…

 当然精神的にも肉体的にも不安定になる。

 こずえちゃんはずいぶん参ってたんだ。

 ある日町で彼女を見かけたとき、かなりやつれてたからな。おかしいと思ったんだよ。

 まあそれで俺が保護したようなもんさ。

 なんかに頼りたかったみたいで、たまたまその対象が俺だったのかもな。

 もしくは真中以外で初めて優しくしてあげたのが俺だったか」

黄昏れた表情を見つめてみる。

ここまでの話は分からないでもない。

しかし気になるのはこの次だ。

なぜ外村がここまで惚れ込んでいるのか。

「で、お前は何で付き合ってんの?」

単刀直入に聞いてみる。

「何で?何でって…

 東城たちにも引けをとらない美人だろ?

 細く見えて案外ボインだし。

 そして何より守ってあげたくなるあの性格!

 そりゃあの子に泣きながら抱きしめられてみろって。

 お前も絶対落ちるから」

うんうんと自らうなずく外村。

淳平は、というと、会話の中に出てきた東城と、ボインが気になって仕方がなかった。

それでもやはり答えには納得できない。

「そうじゃなくて…なんていうんだろうなぁ…」

納得はできないが、間違いでもないだろう。

しかし説明できず、まあいいかと言おうとしたとき、

「あぁ…つらくなっただけだよ」

そう外村がつぶやいた。

そんな台詞が外村から出てくるとは思っても見なかった。

他人にはつらいなんて絶対言わないと思っていたし、そもそもつらく感じることがあるのだろうかとすら思っていた。

これが変化なのだろうか。

どこか話の続きをするのを燻っているようだったが、静かに話し始めた。

「大学出てさ…今の企業に入ったんだ。

 その時まではたぶんお前の想像通りの付き合い方をしてたよ。

 企業に入って、いろいろな仕事が来て、初めは戸惑いの連続だった。

 ああいう知識には自信があったのに、はるかに膨大な知識がいるんだ。

 知識だけじゃなく技術とかセンスとかもな。

 まあ図に乗ってたんだろうな。

 あの大学を出たんだから絶対通用すると思ってた。

 楽な仕事とすら思った。

 でも俺は落ちこぼれ扱いだったわけさ。

 で、つらくなったんだ。

 なんだかんだで毎日が作業化していった。

 朝食というエネルギーを蓄え、仕事という作業をし、睡眠という充電をする。

 そんな感じだ。

 つまり生気がなかったんだよ。

 そんで思ったんだよ。

 孤立するってつらいな〜って。

 一流メーカーだからみんな心にゆとりがないんだよ。

 それぞれが出世することばっか考えててさ。

 別にそんなことはかまわないんだけど、俺にはきつかった。

 こずえちゃんがいると言うことに気づいたのはその頃だ。

 もっと頼っていいのかなと一瞬思った。

 そ瞬間がこうなることの始まりだ。

 気になって気になって仕方がなくなった。

 いなくなることが怖くなって仕方がなくなった。

 だから四六時中一緒にいたくなった。

 で、今に至るわけだ」

長々と話した外村は恥ずかしそうにしていたが、満足したようにも見えた。

淳平は、あの外村が挫折するというのが考えられなかった。

そしてこずえを好きになったその気持ちがいやと言うほど分かった。

向こうへ行ったばかりの時、誰も頼れる人がおらず、途方に暮れたものだ。

あの人にあったとき、どれほど安心しただろうか。

孤独の中に見つけた光の眩しさがよく分かった。

その光を一度見ると、見慣れたはずの闇がより一層恐ろしくなることも。

淳平はその恐怖を知っているのだ。

光の後にきた暗黒のおぞましさを。

「そっか…もしかして話したくなかった?」

「いんや、落ち着いたよ。

 孤独を抜け出したっていっても俺とこずちゃんお二人きりだったしな。

 これでお前も我が家の一員だぜ」

そう言って外村はやっと笑顔を見せた。

確かに安堵した様子があった。

「やっぱ同棲してんのか…」

「もち!今や名主婦だぜ。

 まあ離れて暮らす理由もないからな」

「親は何も言わないのか?お前はともかくこずえちゃんとこは…」

「彼女のお母さんな、体悪くして実家に帰って療養してるんだよ。

 お父さんもついて行ったらしいんだ。

 だから一人暮らししてたってわけ。

 そこをこの外村家へ連れ込んだのさ」

というように二人は同棲していた。

四六時中離れたくないという思いも、今は確かなものとなっていた。





そこまで話してこずえが帰ってきた。

近所の奥さんに魚を分けてもらったという。

同じマンションの住民であり、そこには小さなコミューンが形成されているわけである。

外村は決して孤独ではない。

お前は十分仲間がいるよ。

心ではそう思ったが口には出さなかった。

こずえがビニール袋の中の魚を見せる。

活きのいいアマゴとイワナがいた。

「おっ!アマゴじゃ〜ん。イワナも。

 よし、俺に任せろ。

 あっちで結構たくさん料理したんだぜ。

 というかさせられたんだけど。

 ということで、淳平'S 料理を食わせてやるよ」

そういって、袋を受け取りキッチンを借りた。

「もう…お客なのに…」

こずえはあきれている。

反面、真中淳平という人物を思い出していた。

そういえばこういう人だった。

損得の感情が少なく、やりたいように行動する。

自分の憧れていた淳平がそこにいた。

外村もその視線に気付いていた。

「まっ、あいつも俺らに会えてうれしいんだろ。

 仕方ないから料理ぐらいはさせてあげよう」

そう言って、淳平を見つめていた。

そして、

「じゃあ俺はあいつが魚を料理している間、こずえちゃんを料理しちゃおうかな」

そう言いながら、胸を触る。

こずえの口から「あん…」と声が出るが、顔を赤くして「ダ〜メ」と言った。

二人で一緒に笑いあった。

不意に外村が訪ねる。

「なあ…正直言って、俺のどこが好きになった?」

こずえは驚きながらも、その真意が分かったようだった。

だから正直に答える。

「優しいところ」

嘘ではない。

外村は付け足す。

「どんなふうに?」

こずえは予想通りの答えが返ってきて、少し微笑んだ。

この答えを言わせたいのだろうか?

でも、たぶん言うべき言葉はこの言葉だろう。

「ふふ…真中さんみたいに…かな」

「だよな」

見合ってもう一度微笑み合う。

淳平の背後で、二つのシルエットが一瞬一つに重なったのが見えた。


[No.817] 2005/01/29(Sat) 01:28:12
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『真実の瞳』−4.「帰去来」 (No.817への返信 / 4階層) - スタンダード




「さあ出来た!」

そう言って調理した魚を運んできた淳平。

確かになかなかにうまそうで、空腹をもてあましていた外村とこずえは目が離せなくなった。

「お前…ほんとに料理できるようになったのか…」

「何で嘘付かなきゃいけないんだよ。早く食うぞ」

そう言って淳平はテーブルの上へ食器を並べてく。

「完全に自分の家だと思いこんでいやがる…」

そうこぼすものの、外村の顔はほころんでいた。








「う〜ん…いやはやうまいんではないか?これは…」

外村はただただ驚くばかりである。

「だろ?なんたって5年も料理作らされたからなあ…」

知らずとも表情は懐かしさを表していた。

5年前、飛び出した。

先には何も見えず、支えは思い出と気力だけだった。

がむしゃらに学び、がむしゃらに試した。

その末にたどり着いた、人、場所…

決して忘れられないとしみじみ思う。

生者よりも、死者の方が、記憶には鮮やかに残るものである。





「で、どうだったんだ?放浪は?」

魚をついばみながら訪ねる外村。

淳平はそれどころではないとでも言うように、むさぼるように口を動かしていた。

「お?まあ、いろいろ、あったんだよ」

決して箸を止めず、食い続ける。

「お前、ここが俺のうちで、それが俺の食べ物だって知ってるか…?」

外村が呆れたようにつぶやく。

「仕方、ないだろ。今日、昼飯、食わなかったんだから、うん、うまい」

やはり食い続ける。

結局外村は何も言わなくなった。

こずえはそんな二人のやりとりを見ては微笑んでいた。

これが親友なんだな、と。

もちろん、自分には親友がいないというわけでもなく、舞、という大事な友人もいるし、綾や他の塾生とも十分なコミュニケーションがとれている。

ただ、やはり、本当に仲のよい人たちを見ていると、いつの間にか清々しい気持ちになるのであった。

それに、想いは違えど、目の前にいる二人には好意を抱いているのである。

ギクシャクとした三角関係でもなく、内に秘めた意志などない。

別に二人に尋ねたわけでもないが、直感がそう告げるし、間違いないだろう。

こういった縁は切れることなどあるのだろうか。

たまにそう考えることがあるし、実際今もそう思った。

自分は間違いなく外村を好きでいる。

外村も自分に同じ感情を持っている。

何度も確かめた、本当の気持ちだ。

そして、淳平。

きっと自分は今でも彼のことが好きだ。

でも、5年前とは決して同じではないと思う。

男と女が、まるで別の種族だと思っていたあの頃、そもそも選択肢が淳平しかなかった。

今の好意はその名残ともいえるだろう。

では現在外村に抱いている感情は、淳平に対してのそれとは違うのだろうか。

自問自答すれば、違うと即答できた。

確かに今回も、選択肢が外村しかいなかったとは言える。

それでも、どうしても一緒にいたいという、何とも言えない気持ちが淳平の時とは違った。

そこまで考えたところでめんどくさくなった。

どうせ答えなんかないし、そもそも何を問うているのかすら分からない。

恋はデジタルじゃないから、どっちがなんて正確には分からない。

もっと、心の奥深くで感じるアナログなものだと思う。

それこそが、古くから伝わる、恋の曖昧さなのだろう。



















「ふー食った食ったー!」

淳平は腹を押さえて寝ころんだ。

おやじというしかない仕草に、またも外村はお前はおやじか、と呆れた。

「あー…もう動けねぇ」

そう言って、ごろごろと転がる淳平。

だが急に起きあがって外村に尋ねた。

「そういえば、こんなことしに来たんじゃなかった…

 いろいろ聞きたいことがあったんだった」

確かに目的はそれだったが、一応、親友との再会と言うことで忘れてしまっていた。

「みんなはどうしてるんだ?」

西野とか、と言おうとして口を開いたがそのまま言葉を止めた。

なぜか聞いていけない気がした。

「…東城とかさつきとかさ。

 知ってるだろ」

慌てて訂正する。

もちろん外村には分かった。

つかさのことをあえて訊かなかったことが明白だ。

しかし、外村もあえて異を唱えず、訊かれたままに説明した。

「東城は売れない小説家やってるよ。

 まあまだ2冊しか出してないらしいし、何とも言えんがな。

 さつきは主婦だ。 ばりばりのな。

 俗に言う肝っ玉母ちゃんだよ。

 いかにもだろ?

 それから…

 小宮山が建設現場とか言ってたな。

 まああいつの頭じゃその辺が相場だろ。

 ああ、大草は確か大学のサッカーかな?

 一年浪人したから今4年だったはずだけどな。

 んで、天地が…ってお前よく考えたら東城と天地が結婚したの知らないんじゃないか?」

そこまで喋って外村は口を閉じた。

向き合っている淳平は口を開かなかった。

自分がいない間にいろいろなものが変わった。

流れゆく日々の中に、変わらないものなどなく、5年もたてば跡形もないものだってある。

綾が結婚したのもその内の一つだ。

天地が綾と結婚した、と言われればなんとなく分かる。

だが、綾と天地が結婚したと言われると、その微妙なニュアンスが言葉を受け付けさせなかった。

あの天地の猛烈なアタックも、少なくとも自分がそばにいた頃は、全くの無意味であったように思う。

それだけ綾が自分のことを好きでいてくれたわけで、今でもうれしく思う。

アプローチを続けられ過ぎて、ノイローゼになる方が早いのでは、とも思うぐらい、天地の執念は強く、また綾の気持ちも強かった。

それが、折れたのか、受け入れたのかは分からないが、振り向いたのである。

だが、何故か悲しみは沸いてこなかった。

そもそもこれだけの間、顔も見せず、声も聞かず、好きでいろという方が理不尽だ。

淳平自身も理解していたし、認める。

それでも、綾と天地が結婚というのは、過去の跡形もなかった。

さつきも同じだった。

どちらかといえば、綾よりもさつきの方が、より自分にすがっていただろう。

やはり、さつきが自分以外の誰かと結婚することも、過去の跡形もない出来事だ。

しかし、淳平はさつきの強さを知っている。

我慢強さを持ち、意志の強さをも持っている。

天地の執念に似たものとも言え、好きでもない相手とは結婚しないことはすぐに分かる。

きっと幸せなんだろう。

そう思うことしか出来ず、またそう思うことしかできなくなったことこそが、過去の跡形もない事実だと思った。






それに比べれば、小宮山と大草は許容範囲だと言えた。

小宮山の怪力と頭なら、建設現場仕事もピッタリだったし、大草のサッカー好きから、大学でもやっているだろうと容易に予想できた。

唯一の疑問と言えば、せいぜい大草が一浪したことぐらいである。

外村と同じように、大草も挫折知らずの雰囲気を持ち合わせており、意外と言えば意外だった。













数分がたち、「よし、整理整頓完了!」と淳平が顔を上げた。

「なかなか早い整理整頓だな。

 一日ぐらいかかると思ったが」

そう言う外村に、

「もう子供じゃないもんな」と返した。

もう自分は子供ではない。

大人なんだから。






「じゃあ続きを頼む」

「あとは…

 ああ、そう言えばちなみちゃん、小宮山と結婚するって言ってたな。

 日時とかはまだ全然決まってないんだけどな。

 あいつら高校出たらすぐ結婚するとか言ってた割には遅かったな

 う〜ん…まあそんなぐらいかな」

と外村は話を終えた。

二人はもともと結婚すると宣言してたわけだから、驚きもしなかった。

逆にまだ結婚してないことが驚きと言えるぐらいだ。




残るはつかさだ。

聞こうか、聞くまいか。

別にただ用事があっただけではないのか。

そう考えてみるがどうもしっくり来ない。

あの困惑の表情がどうしても受け入れることが出来なかった。

しかしどうしても聞くことがためらわれる。


と、こずえが洗い物を終えて、リビングへ戻ってきた。

「そう言えば真中さん泊まっていきますか?

 布団の用意のことがあるんですけど…」

「ああ、俺今日は帰るよ。

 まだ父さんにも会ってないし」

そう言って時計を見るともう8時を回っていた。
 
「お、もうこんな時間か。

 じゃあ俺はそろそろ帰ろうかな」

立ち上がる淳平。

結局つかさのことは聞かず終いだが、やはり聞く気にはなれなかった。

そこへ外村が声をかける。

「つかさちゃんのことはいいのか…?」

淳平は固まった。

不意に言われたせいもあったが、さすが外村と思った。

すべてを見透かしているかのように、絶妙なタイミングで止められた。

否を許さない語気で、結局淳平はもう一度腰を下ろし、外村と向かい合った。

「西野はどうしたんだ?」









外村は、聞かなくていいのか、といいつつも実は言うことを躊躇っていた。

正直なところ、淳平には聞かせづらい話であった。

「今日、本当は西野を見たんだよ。

 それで話しかけた。

 そしたら…なんかすごい困った顔してさ…

 『用事がある』って言ってすぐに行っちゃったんだよ…」

あの嫌悪感を表した顔を忘れることが出来ない。

憎悪の意ともとれた。

あの表情は本当に自分に向けられたものだったのだろうか…。

我が目を疑う次第であった。

「そっか…」

外村は、さっきまでの舌周りが嘘のようで繋ぐべき言葉が見つからなかった。

「なあ、なんかあったのか?

 やっぱ俺のせいなのか?」

心当たりは…ないこともない。

だが…

外村は、『やっぱ俺のせいなのか』という問いに戸惑いを覚えながら、どう説明しようか迷った。

しかし、屈折した事実を述べて、眼前の男が救われるとは思えなかった。

だから、正直に、思うことを告げる。

「つかさちゃんはさ…


          たぶんお前のこと…恨んでるんだよ」

その台詞が胸に音を立てて突き刺さった。


[No.839] 2005/02/05(Sat) 02:52:03
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『真実の瞳』−5.「悲境」 (No.839への返信 / 5階層) - スタンダード



それは、予想していたようで、予想できなかった言葉であった。

西野が俺を恨んでいる?

目の前の世界が音を立てて崩れていくようだった。

「な…何で西野が俺のこと…!」

そう言うほかになかった。

自分の耳を疑い、目を疑い、しかし確かに外村はそう言った。

「お前…覚えてるだろ。

 あの時のこと」

ばつが悪そうにうつむいている外村。

言いたいことも、あの時のことというのも分かった。

忘れたわけでは決してない。
















5年前、旅立つ日だった。

その頃は、ちょうど淳平が地方の大学へ進学することを決めたあたりである。

もちろん誰にも伝えずに行く、ということはせず、みなに報告をしてから行くつもりだった。

つかさに伝え、綾に伝え、さつきに伝え。

出発の詳細な日程こそ決まってないものの、その旨を伝えた。

伝えた人数だけ悲しみ、残念がる人がいた。

しかし、それも幸せなことであり、また淳平にとって必要なことであると、周りの人間が理解してくれた。

パリに留学すると言っていたつかさにはその気持ちがよく分かったし、

「日本とパリとの距離だったら、例え淳平君が東京にいても沖縄にいてもあんま変わんないもんね」

と笑顔を見せてくれた。

綾は、淳平と同じ大学へ行くと決めていたからこそ確かに戸惑い悲しんだが、両親の強い反対との対立があり、結局同じ大学へ行くことは難しかった。

3人の中ではさつきが一番悲しんだだろう。

あの頃は、まだ淳平はさつきにとっての大きな存在であったし、また一番大変な時期だったと言える。

そろそろ決断が迫っているころだった。

そしてそれはやはり、必然的にさつきに別れを告げる時だったのであろう。

そう思ってみるとあのときの行動はやっぱり『逃げ』だったように思えた。



みなにこれからの行動を伝え、意志を固め…

出発をいつにしようかと迷っていた頃、つかさがパリに発つということになった。

留学する意志は固く、その下見に行ってみるということだった。

たった1週間の旅だったし、日暮と一緒だからと言って、他の女性店員やあの婆さんと一緒だから、そんなに心配はしていなかった。

つかさからは「あたしが他の男の人と旅行に行っても気にしないんだ」とからかわれたが。

空港まで見送りに行き、短い別れが訪れた。

そして手違いが起こったのはその直後だ。

進学先の大学から急に来て欲しいとの連絡が来たのだ。

もちろん断れず、結局つかさとの挨拶なく、向こうへ行ってしまった。

その後、つかさとは2,3回電話をしてそのままだった。

淳平の全く予想していなかった、あまりにも忙しく壮絶な毎日が訪れたのである。

経済面の問題からも、極貧生活を続けた。

この街との繋がりは次第になくなっていった。




















そこまでが淳平の心当たりだった。

「確かに西野には悪い子としたけどさ…

 でも、恨まれるなんて…!」

反論を続ける淳平。

しかしそれを遮る外村。

まだ続きがあるんだ、と一言。

確かにここまでの話ならば、小さなすれ違いと言えるし、つかさや淳平の性格から考えれば、あり得ない話ではない。

それなりにめんどうぐさがりな淳平ならば、電話をしないのも頷けるし、電話番号すら教えないかもしれない。

だからそのまま再会し、淳平がつかさに小言を言われてことを終えることだっただろう。

しかし、今回はそれだけにとどまらないのである。





淳平が東京を出、つかさとの連絡を終えた後、まさに淳平は映画一筋となった。

大切な師匠とも呼べる人の下で、すべてを盗み吸収しようとした。

つかさも同じで、淳平と同じようにと、夢への努力を惜しまなくなっていた。

そして4年近くが過ぎた頃だった。

つまり、現在から遡って一年になる。

日暮がつかさにプロポーズしたのである。

プロポーズと言っても、「結婚してくれ」とかという類ではなくて、結婚することを考え始めてくれ、ということであった。

パリでの本格的な進出に向けて、やはり家族ぐるみの経営が必要だと考えたのである。

もちろん、つかさはまだ若かったし、あまりにも急な話だったので、考え込みすぎないようにと言われていた。

しかし、高校時代に受けた同じ内容の話よりも、よっぽど重要で、現実味を帯びていた。

当然つかさは淳平に相談したいと考えた。

いくら歳月がかかろうとも、一生忘れられない人間であることに間違いはない。

電話番号が分からず、淳平の両親に聞き、かけてみても、繋がらない。

留守番電話にメッセージを入れても、決して答えは返ってこない。

どうしていいか分からなくなり、不安で目が滲む。

結局返事も出来ず、ただ何もないまま過ぎていった。

だが、胸の中ではいつもちゃんとした返事を、と考えていた。

何度も何度も、毎日毎日電話をかける。

そして、折り返しの電話を待ち続ける。

決して鳴らぬその電話を…。













それから半年もたっていないだろう。

日暮が死んだのは。

ひき逃げであった。

あまりにも急で、あまりにも惨かった。

なぜ?

つかさは自分にそう問いかける。

もちろん答えは返ってこない。

つい昨日まで一緒にいた人が、もう二度と笑わなくなる。

今まで考えたこともなかった。

その死に顔は、笑って死んだとか、どこか満足げだったとか、そんなものではなかった。

目は開いたまま、苦悶の表情を浮かべ横たわっているのである。

もうつかさには分からなかった。

自分はどこにいるのだろう?

自分はなぜここにいるのだろう?

神様のような存在。

自らそう形容した人の死。

それによって、パティシエという夢は、もろくも崩れ去っていった。

それだけではもちろん終わらない。

あの最期の表情が自分に向けられていた気がするのである。

まるで、プロポーズの答えを聞かせろとでも言うかのように…

そしてつかさはふさぎ込んだ。

日本に戻り、親の元を離れて一人暮らしを始めた。

親しい人といることが怖くなったのだ。

命とは想像していたよりも、あまりに儚くあまりに重い。

心臓が止まり、脳が死に、それでも人は心の中に生き続ける。

思い出なんて素晴らしいものではない。

もっとどす黒くて、飲み込まれそうな。

死とは、それが突然やってくるということなのだ。

親しくなればなるほど、その闇は姿を変え形を変え襲ってくる。

結局つかさが選んだ解決の道は、〔誰と接するときも一線を引く〕という悲しいものであった。

傷つきたくないから…親しくなってなくすのが怖いから…

住民とは最低限のコミュニケーションですまし、愛想を振る舞って、なるべく人の印象に残らないように生きる。

もうかれこれ半年間、つかさはそう生きてきた。

そして、淳平に出会った。

























外村の説明を聞き終えると、小さな静寂が訪れた。

なんと言っていいか分からない淳平。

すると外村が付け足すように言った。

「確かにな…お前が恨まれるのは理不尽だけどな…

 でもやっぱ辛いんだよ。たぶん。

 誰かのせいにしたり、自分を棚に上げるって言うか…

 そういうことしないと耐えられないんだろ。

 別につかさちゃんがお前を嫌いになったということではなくてだな…

 たまたまどうしようもない気持ちのぶつけ先がお前になってしまったというか…

 だから憎いっていうよりやっぱ辛いんだろうな…」

再度訪れる静寂。

淳平は考える。

確かに自分が恨まれれば理不尽である。

しかしだからといってそれで終わりというわけにはいかない。

確かにふさぎ込んだのがプロポーズに答えなかったことから来ているのなら、自分にも責任がないとは言い切れない。

なぜ自分は電話に出なかったんだろう。

あの時電話に出て、結婚を促すか、俺と結婚しろとでも言っていたら、少なくともこんなふうにはならなかった。

なぜだ?

そこまで考えて、ふと思い出す。

1年前…

あの頃か……

あきらめたようにため息が一つ漏れる。

外村が思い出したように訪ねる。

「お前が電話に出てたらなんか変わってたのかなぁ…?」

そう言って、

「ああ…わりい…責めてる訳じゃないぞ?」

と訂正する。

分かってるよと小さく頷き、しかし胸中で考える。

電話に出られなかったことは確かに悔やまれる。

だが…

あの頃はやはり…

…電話には出られなかったのだ。

つかさどころではない、というわけでは決してないが、やはりそれどころではなかった。

三度の沈黙。

所在なさげに指を見つめる外村。

「そうだな…

 でも…

 ちょっと出られなかったなぁ…」

淳平が不意に言葉をついた。

自分のものではないかのように、無意識のうちに。

『出られなかったなぁ』という悲しみを携えた言葉に外村は振り向く。

そこにいるのは間違いなく、真中淳平である。

だが、その瞬間見えた瞳は、とても同い年とは思えない、切なくて、儚い色をしていた。


[No.862] 2005/02/11(Fri) 00:13:03
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『真実の瞳』−6.「横恋慕」 (No.862への返信 / 6階層) - スタンダード


「な…なんだよ…出られなかったなぁって…」

あまりに不自然な声色に反応した外村。

「そのまんまだよ。

 ちょうど1年前なんだろ?西野が俺に電話くれたの」

そう振り返りながら話す淳平はいつもと変わらない。

しかし、確かにさっきその一瞬、いつもとは違う淳平が顔を見せた。

見間違いでは、ない。

「ああ…そうだけど…覚えてるのか?」

何となく、声が震える。

「まあな…でもなあ〜」

淳平は急に頭をぼりぼりと掻きむしり始めて、悩み込んでいる。

一体何があったのだろう。

外村は聞こうか聞くまいか迷っていた。

聞いたからと言って失礼なわけではない。

ただ、さっきの表情が躊躇わせていた。

それでもやはり知りたい。

例え淳平といえど、理由なくつかさを拒否するはずがない。

それをさせた理由とは何なのだろうか?

「なぁ…何があったんだ?」

恐る恐る聞く。

自分が何に怯えているのか分からなかった。

「まあ…いろいろな…ちょっと言いたくないかな」

そうさりげなく言う淳平を意外そうに見る外村。

もっと重々しい答えを予想していたからだ。

しかし言いたくないことであることが分かった。

さすがに、言いたくないと言ったことまで聞く気にはなれない。

先程一瞬見えたあの表情と照らし合わせても、答えが出るはずはなかった。




















淳平が去った後の部屋で、外村は一人立ちつくしていた。

あいつ…何を隠しているんだろう。

分かるはずもない問いを何度も何度も繰り返す。

そうせずにいられなかった。

あの顔を見れば…。

「あれ?真中さん帰っちゃったの?」

戻ってきたこずえが外村に尋ねる。

「あんまり変わってなかったね。真中さん」

隣でにこやかに微笑むこずえを見る。

確かに変わっていなかった、ようにみえた。

だが…

「まあ、ぱっと見な」

そう相槌を打つ。

言いたくないこと。

他言する気にはなれない。

その事実を知るのはのはきっと真中とつかさちゃんだけだろう。

あいつだって大人なんだ。

自らを納得させるように反芻する。

それでも気になる気持ちは抑えられなかった。






















「ただいまー」

なるべく自然に、と心がけながら我が家へとはいる。

するとドタバタと音がした後唯が出てきて、おかえりといった。

懐かしいというか新鮮というかで不思議だった。

そもそも唯自身を見ることが懐かしいようで新鮮なのだ。

「東城さんなんか言ってた?」

「いや、東城には会ってないよ。

 外村と美鈴と、あと昔の塾の友達。

 みんなに会うつもりだったけどちょっと疲れた…んん…」

つい背伸びをする。

だぁっ、と大きく息を吐き出し今度はあくびだ。

「俺もう寝るわ…ふぁ…」

何故か異常に眠たく、そう言って自分の部屋に行こうとしたがよく考えたら唯が使っている。

そう思った瞬間に

「まだまだ寝ちゃだめだよ。

 おばさんとおじさんが帰宅パーティって言って張り切ってるんだから」

と言いながら唯が台所を指差した。

その通りにのぞいてみると、両親がいる。

ニヤリと笑って「ジャーン!」とケーキを見せびらかしように持っている。

なぜケーキ…?

そう思ったがあえてつっこまずにしておいた。

「俺…飯食ってきたんだけど…」

と言うものの、

「大丈夫大丈夫!育ち盛りだからどれだけ食べてもちゃんと栄養になるわよ」

そう言ってむりやり椅子に座らせる母。

「育ち盛りは過ぎたって!もう大人だから!」

「何言ってんの…あんたはまだまだ子供よ」

結局は馬鹿みたいな押し問答となる。

「そういう意味じゃないって…」

何でうちの親はこんな馬鹿なんだろう…

そんなことばかり考えていた。


















苦しい…

おいしい、や、甘い、よりもまずその感情が先に現れた。

そもそもケーキが甘すぎる。

西野のケーキは…

そこまで考えて、なんとなく後ろめたい気分になる。

くどいほどの甘みを口に残しながらも、思い返すのはもっと素直な甘い思い出だ。

「ってかこのケーキどうやって作ったの?」

そう聞いたのは不味いからである。

「これ?これはね、昔つかさちゃんが家に来たことがあったじゃない?

 その時のレシピをたまたま見つけたから、ケーキにしようってことになったの」

あっけなくつかさが話題に出てくる。

母は知らないのだろうか。

そう思ってすぐ、

「そういえばあんた聞いた?

 つかさちゃんのこと。

 ちょっと…かわいそうよねえ…

 あんなかわいい娘が…」

とつぶやいた。

知ってたなら教えてくれたらよかったのに。

そう言おうと思ったが、電話に出なかったことを思い出した。

それにしても、こっちに戻ってきてから何故かつかさの話題が離れない。

本当に自分が悪いように思えてきてしまう。

悪くないとは思わないが、でも悪く考えすぎることはしないようにと心がけ、風呂に入った。

つかさのレシピ通りに作ったはずなのにおかしな味になったケーキは残した。

寝る部屋は唯の部屋だった。

また俺が寝袋かよ…

愚痴ってみたが、確かに今回は自分が部屋を借りているわけだから問題ないのかもしれない。

そう思い直してみると、高校時代唯にベッドを貸していたことが急にもったいなく感じた。

寝よう寝ようと思っても、いろいろな考えが沸いてきて、なかなか寝付けない。

そのくせ考えたいことには集中できず、さっきのような意味のない単発的な発想ばかりだった。

どれだけの時間がたったか、精神よりも先に体が折れて、半ば強制的に眠りへと連れて行かれた。

明日は東城とさつきに会おう。

天地もか…

























朝からシトシトと雨が降っていた。

窓に付いた水滴を視界に納めながら身支度をした。

家を出たのは9時過ぎだったが、こんな時間から綾の家に行くわけではなく、その前に行くところがあった。

電車に乗って郊外へと移動する。

暗い空と厚い雲が妙に気持ち悪かった。






揺られて1時間近く。

ウトウトと仕掛けたところ、ちょうどアナウンスがかかった。

降りてから周りを見渡す。

西へ。

手に握られた小さな地図を手掛かりに目的地へと進む。

昨日外村に書いてもらった即席のものだ。

雨と、手に持った傘のせいで視界も悪く移動しづらいがしょうがない。

2qだから30分ぐらいかな?

そんなことを考えながらただ歩を進めた。













雨のせいか、思いの外時間がかかった。

やっと着いたと思った頃には、ズボンの裾が完全に濡れていた。

地図も湿って見にくいが、とりあえずここまで来た。

目の前に広がるのは大量の墓石だった。

近くに花を売っている店を見つけ、手頃な大きさのものを選んだ。

その後事務所に行って日暮龍一の居場所を尋ねる。

不思議そうに見られたが、気にならない。

見つけるのに手惑いながらも、何とかたどり着く。

日暮の墓石が無言で立っていた。

よく考えれば、何故自分はここに来たんだろう?

何か分からないが、使命感に似た感覚に呼び寄せられたのだろう。

花を静かに置き、手を合わせる。

日暮さん、覚えていますか?

真中淳平です。

何を言えばわかんないけど…

西野は今苦しんでいます…

俺のせい…らしいです…

俺のせいですかね?

でも…日暮さんが強引にでも西野と結婚していたら…

あ…やっぱり嫌です…

日暮さんと西野が結婚するのはやっぱ嫌ですね。

そうじゃなくて…せめて…ひき逃げになんて遭わないで…

元気で生きていたら…

あなたと西野が…

どれだけ好き合っていたかは知りませんけど…

ただ…

今西野はあなたに囚われています…

あなたの亡霊みたいなものに…

でもおかしいですよね…

死んだ人が生きた人を苦しませるなんて…

お願いします…

西野を解放してやってください…

そこまでで考えが止まったのは、憎しみからでも怒りからでもなく、自分の頬を涙が伝っていることに気づいたからである。

何で死んじゃったんですか…

最後に思ったのはその一節だった。




元来た道を帰る。

雨は止みかけていたが、霧のようにもやがかかっている。

雨は、霧は、人を孤独にさせる気がする。

そう思ったが自分で訂正した。

雨や霧は辺りを静かにするだけだ。

だから人は知らずのうちに自分を見つめる。

たまたま俺が孤独だっただけだ。

上りの電車に乗り、泉坂へと戻る。

窓の外に降る雨は次第に弱くなっていく。

行きと同じ時間揺られた後、外を見るともう雨は降っていなかった。

でも、またあの場所へ行けば降り始める。

ただ漠然とそう思った。


[No.879] 2005/02/20(Sun) 02:41:48
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『真実の瞳』−7.「回帰」 (No.879への返信 / 7階層) - スタンダード


都内の一戸建ての家の前に淳平は立っていた。

驚いているわけでも、呆れているわけでもなく、ただ覚悟を決めていた。

ここが東城と天地の家か…。

門のすぐ前まで来たものの、やっぱり引き返そうかと後ろを振り返る。

それもそのはず、この家で綾と天地が愛を営んできたのだ。

未だに好きだと言うわけでもないが、未練がないというわけでもない。

綾と天地が仲むつまじく一緒にいるところを自分は平気で見られるのだろうか?

そんなことを考え出すと、どうもインターフォンが押せない。

挙動不審な動きを数分続けて、ついに覚悟を決めて押そうとした。

すると計ったかのようにピッタリのタイミングで扉が開く。

微妙な距離を間において、淳平と綾の目があった。





















「えっと…おじゃまします…。」

「何をそんなにかしこまっているの…?」

そう笑いながら訪ねた綾はもっともだった。

しかし淳平にとってはあまり笑い事とは言えない。

どうも体がこわばって警戒心が露わになる。

玄関を入った瞬間に、我が家との違いを見切った。

広い、美しい、そんな形容詞ばかりが頭に浮かぶ。

だがおかしな話でもない。

あの綾と、あの天地である。

超大金持ち同士なのだから、外村の家の指紋照合システムを見たときよりはまだ驚きも少なかった。

客間に案内されてコーヒーをもらった。

その待ち時間中、淳平はずっとこの豪邸を観察していた。

「それにしても帰ってきたなんて知らなかったな〜

 いつ帰ってきたの?」

そう言う綾は、前にも増して美しくなったように見える。

純和製最高級大和撫子だろうか。

これが今となっては人妻か…そう思うとずいぶんもったいない気がした。

「いや〜昨日帰ってきてさ。

 みんなにも知らせようと思ったんだけど外村の家に行ったら長話になっちゃってさ。

 夜遅くなったから明日でいいっかって。

 もしかして今日都合悪かった?」

訪ねる真中に対して綾は腕を見せて

「ううん。あたしは専業主婦だから大丈夫。」

と笑う。

「そっか…じゃあ天地は何やってんの?

 っていうかよく考えたら東城も天地なんだよな…

 ん?」

自分をなんて呼べばいいのか混乱している淳平がおかしくてつい笑ってしまう綾。

淳平も恥ずかしそうにして笑いながら首をかしげている。

「別に今まで通り呼んで大丈夫だから。」

「じゃあそういうことで。

 で、天地は?」

「え〜とね…」

どこか言いにくそうな表情をする綾。

言いたくないわけではと思われるが、やはりどこか躊躇っている。

なんだろうと思いながら答えを待っていると、綾が申し訳なさそうに、

「政治家…なの…。」

そう言った。

それを聞いて淳平も妙に納得してしまう。

あいつが政治家か…と。

日本は一体どうなるんだろう…

そんな考えばかりが浮かんでは消えた。

それに天地でなくても、政治家と言えば案外いいイメージは少ない。

せいぜい高学歴の肩書きぐらいであって、現在では汚職、賄賂、密会、様々な形で疑問視されている。

ただ天地に関しては、そういう点で一般の政治家とは違う気がした。

そもそももう金なんていらないぐらいあるのだから。

「一応自ら女性を守る政治家って言ってるんだけど…。」

もう一度、苦笑。

あいつらしいと言えばあいつらしい。

高校時代を思い出せば、天地もそんなに変わっていないことが想像できた。

尊敬半分、呆れ半分で天地のことを考える真中だった。



















それから半時ほど、世間話に興じた。

専業主婦と自らを語った綾。

小説家をやめたのだろうかと、一瞬不安に思ったのであるが、小説を書くのは家事の合間にしたとのことだ。

天地はちゃんと職業として小説を書くように薦めたが、綾自身は家事が出来なくなるのを嫌った。

実のところ、つかさに憧れて料理教室に入ったのである。

理由はそれだけでなく、自分の料理を食べている天地が痛々しかったのも含まれているが。

小説は、生活の+αとして書いていきたい。

綾の願望はそういうことだった。

ただ…

売れていない。

売れればいいというわけではないだろう。

しかし、やはりいいものは売れるものであり、綾の力が出きっていない気がした。

本当の綾の小説ならば、間違いなく売れる。

何がそうさせているのだろう…。

今はまだその理由が分かる由もなかった。




他には、プロポーズの言葉や、付き合うきっかけなどを教えてもらった。

終始恥ずかしそうにしていたが、幸せの裏返しである気がして微笑ましかった。

やがてしゃべり疲れた二人が静かになると、綾がこの後はどうするの、と聞く。

「さつきの家に行こうかな〜と思ってたんだけど…」

「さつきちゃんの家に…?

 う〜ん…ちょっとやめといた方がいいんじゃない…?」

「え?」

「だってウチならともかく、さつきちゃんとこの旦那さんは真中君のこと知らないでしょ?

 自分の奥さんが知らない男と会ってるってのもやっぱり嫌でしょうし…。」

そういう綾の意見に、確かにと感心し、同時にどうしようと尋ねる。

綾は待ってましたと言わんばかりに、じゃあここに呼ぼっかと言った。

なんだかんだ言って、この二人の仲がいいことに淳平は安心した。

別に昔は悪かったわけというわけでもないし、ギクシャクの理由は自分だったのだからよけいな心配である。。

今となってはよき親友であろう。

「そうしよっか」

異論はなかった。


























急に家にやっほーという声が響き渡る。

間違いなく彼女だ。

淳平は確信しながら呆れた。

あいつは母親になったんじゃなかったのかよ…。

あまりに昔と変わらない様子のさつきに、感心したような、放心したようなだった。

綾が出迎えに行ったから、この部屋にもうすぐ来るだろう。

5年たったさつきはどんな風になっているのだろう?

内面は変わっていないようだが。

二人の会話の声が少しずつ近寄っていくことで、淳平は妙な興奮を覚えた。

部屋のドアを凝視する。

来るぞ来るぞ…

来た!

一人の女性がひょこっと顔を出している。

が、来たのはさつきではなく、その娘だった。

完全に放心する淳平。

か…かわいい…

そんな感情に体を支配され動くことが出来ない。

ついでさつきが部屋へとはいる。

子供の呪縛から抜け出してさつきを見る。

おお、さつきだ。

なつかしいなあ。

高校の頃はこの距離なら飛ぶ込んできたよなー。

それも今となっては懐かしいな…

まさか今になって飛び込むはずないよな。

なんたって人妻なんだから。

そこまで考えた時、さつきの体が、思考と視界を遮った。

淳平が飛び込まれたことに気付いたのは一瞬後だった。

「ひっさしっぶり〜真中!」

頬を寄せるさつき。

あまりの急な出来事に驚きながらも必死の抵抗を試みる。

「ちょ…お前結婚してんだろ!」

が、さつきは全く動きを止めない。

「そうよ〜だからこれは愛人家業よ」

「愛人って…子供が見てるだろ…!」

目をそらすと、指をくわえて自分たちを見ている子供がいた。

かわいい…

自分が案外子供に弱いことを知った真中だが、その間に完全に押し倒され身動きがとれなくなっていた。

「いいのよ。この子には現実を見せといてあげるんだから。」

と、さらっと言う。

よく考えればこの母親は恐ろしいことを言っているのだが、最後には普通の母親に戻る。

「ほら、このお兄ちゃんに挨拶して。ママの大切な人だよ。」

ママに乗られた男の人と、謎の対面を終えた。 


[No.897] 2005/02/27(Sun) 03:23:08
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『真実の瞳』−8.「愛護」 (No.897への返信 / 8階層) - スタンダード



今、淳平に抱かれてけらけらと笑っている幼女は、いつき、と名付けられていた。

淳平も淳平で、子供のような笑顔を見せている。

「両方とも子供ね…」

そう呟くのは、隣の部屋で茶をすすっているさつきだ。

そうね、と綾も肯くように、いつきと淳平はまるで子供のように、見るものすべてが興味深いという感じだ。

いや、いつきは実際にそうなのであるが、淳平もそのように振る舞っている。

いつきも淳平になつき、さっきからはずっと二人で遊んでいる。

「真中君ってあんなに子供が好きだったんだね。」

「う〜んそうかなあ…?

 うちの子なら誰でもああなると思うんだけどなあ…」

綾の呟きには、親バカで返すバカ親。

しかしそうとも言えず、やはり我が子はかわいいもので、淳平の行動こそが自然であると完全に思いこむ。

なんと返していいか分からない綾であった。











「む〜〜〜!!!」

数分後、大声でいつきが走り始めた。

さつきと綾が驚いて振り返ると、けらけらと笑いながら、それでいて頑張って走っている。

やや後ろを追いかける淳平。

やがてテーブルを間に挟み対峙し、一瞬止まると淳平がだっと駆け出す。

いつきは急いで逃げ出すが、そこを淳平が捕まえ抱きしめた。

「いつきちゃん、ゲットだぜ〜!」

「だぁ〜」

いつきはまたけらけらと笑い、手足をばたつかせている。

まるで本当の親子のように仲のよい二人を見ていると、やはりこちらも楽しくなってくるようで、さつきも綾も笑っていた。

「やっぱり子供の相手は子供に限るわ。

 ありがとうね〜」

子供をとられたせいで、じつはちょっと寂しいさつきである。

皮肉ったつもりでの発言だが、しかし淳平は聞いてすらいない。

「なあ〜さつき〜どうしてこんなかわいいんだよ〜

 なあ〜もらってっていい〜?」

「アホなこと言ってんじゃないわよ…
 
 それよりあんたそういう台詞をあたしにも言えなかったの?」

淳平のべたべたな甘えぶりに、またしても我が子を前にしてふさわしくない発言である。

「だから〜子供を前にそういうことを言うなってーの。

 お前みたいに育ったらどうするんだよ。

 ねぇ〜いつきちゃん」

淳平はそういっていつきに話しかける。

当のいつきは何が?という表情であるが。

「何よ〜

 いいでしょあたしの子なんだから〜」

さつきがふくれっ面をしながらそう言うと、淳平はまたしても

「だから俺が育てるって。

 ねぇ〜」

と子供に話しかける。

あまりのぞっこんぶりにさすがのさつきも呆れていた。

が、しかしそこまでだった。

「ママ〜」

さっきまで笑うかぼ〜っとするか首をかしげるかだったいつきが言葉を発した。

「どうしたの?」

さつきが尋ねる。

同時に淳平は少し顔を離す。

その直後、いつきは二人の予想外の発言をした。

「あいじんかぎょおって?」

周囲が固まる。

呆れ笑いは当然、苦笑いへと変わる。

「ほら見ろ…」

淳平がそう突っ込むが、後の祭りである。

「あ…え〜っとなんのことかな〜」

白々しいごまかしをするさつき。

しかし、子供は興味を持ったものからは離れないものであり、また忘れないものである。

「さっきママあいじんかぎょおって…」

子供のかわいらしさと、おかしな発音のせいで言葉の奥深さが出ていないのがせめてもの救いだっただろうか。

結局、その場は「なんのこと?」で貫き通した大人たちであった。
























「それでいつ戻ってきたの?」

さっきまでとは違い、今度は大人たちだけで話している。

いつきは隣の部屋で気持ちよさそうに眠っていた。

「昨日帰ってきたばっかだよ」

さつきの問いにそう答える淳平。

茶をすすっている。

「ふ〜ん…でもまた何でこんな時期に…」

「う〜んまあ色々あってさ…」

「帰ってくるって言えばあんたそういえばあたしたちの結婚式来てない!!!」

喋りながら、急に思い出される過去の出来事。

さつきはもちろん淳平を結婚式に誘おうとしたのであるが、その時淳平はどこにいるか分からなかった。

電話にも出ず、招待状にも返事は来ない。

確か一年前のことだったか…。

その記憶にはつかさが結びついていた。

結婚が決まったときはパリにいた。

電話したら「飛んでいきたいけどパリでコンテストがある」と、本当に残念そうにしていた。

その申し訳なさそうにしてくれたことがうれしかったのを覚えている。

そして式を終え数ヶ月が過ぎ、帰国の報を聞き久しぶりに会った時には…。





真中は知ってるのかな?





ごめんごめん、と同じいいわけをする淳平を程々に許し、それより、と話題を変える。

「真中、西野さんに会った?」

いきなりの問いに驚く淳平。

しかし、このことはおそらく話題になるであろうと予想していたため、身を入れ直して肯いた。

「ああ…」

綾もつられて真剣な表情になる。

「なんか…俺の知らないところで色々起こってるんだもんな…

 まあ俺のせいなんだけど」

頭の後ろで腕を組む。

つかさのことを話すと、必ずその後ろに『自分のせい』という印象がつきまとっている。

しかし、自分でも驚くほどすんなりとその印象を受け入れている。

なぜだろう…。

そして、何度同じ自答をしただろう…。

結局いつも答えは出ない。

「そんな…真中君のせいじゃないよ…」

悲観的な発言に、綾があわててフォローするも、淳平は首を横に振る。

「いや…俺知ってるんだよ。何があったか」

「え…」

沈黙が訪れる。

綾は何を言っていいか分からず、またさつきも何を言うべきか分からない。

すぐに淳平が埋めるように「外村から聞いたんだ」と、笑ったが、場の雰囲気は言わずとも暗くなっていった。





昔とは違う…





淳平はふと、そう感じた。





俺が「西野」と言えば、「あんな女〜」と闘志を燃やしていたのに。

恋敵ではあったにせよ、少なくとも場が暗くなることなんてなかった。

西野つかさがいたら、俺がいて、トモコという女の子がいて、大草がいて、親衛隊がいて…。

あの頃と何も変わっていないような面子なのに、一人の存在が違う次元のものみたいだった。







そこまで考え、訂正する。











いや…二人だったか…と。



















そんな時にやってきたのが、ある意味天を味方につける奇跡的な男、天地だった。

「のわ〜〜〜!!!!!」

大声が玄関から響き渡る。

「天地…?」

こちらに来て、会う人会う人がことごとく衝撃的な再会をしている気がする。

普通に会ったのはせいぜい綾ぐらいだ。

「ど…どうしたのかしら…」

「さ…さあ…」

綾は立ち上がり夫を迎えに玄関へと向かう。

声の主が次第に近づいてくる。

「お…おかえり…?」

恐る恐るのぞくように顔を出した。

見えるのは放心したように立っている天地だ。

しかし綾の声に反応し瞳が動き、妻を視界にとらえる。

「綾すゎん!!!」

そう叫んだかと思うと、いきなり飛びつく。

「あっあっあの男物の靴は…!!??」

綾は状況を一瞬で理解した。

そもそも泉坂に綾の男友達はそんなにいない。

家に入れる男と言えば、自分か、もしくは会社の人間だ。

小説家・東城綾の編集者たちも女性陣で固めてあるぐらいである。

それなのに、男物のスニーカーがあるとはどういうことか。

そして、そこから、浮気ではと不安になり取り乱しているわけだ。

「ちょ…ちょっと待って!

 真中君が来てるの!変な人じゃないから!」

必死で状況を説明する綾。

「へ…?」

顔を上げ、周囲を見渡す天地と、遅れて玄関に現れた淳平の目が合う。

「お…おっす」



一件落着。

























「いや〜はっはっは〜

 どうも情けないところを見せてしまったようだな〜!」

天地は腕を組み、高らかに笑っている。

「ああ…ほんとだよ…

 それで政治家やってるんだから世も末だよ…」

「何を!

 お前が映画を撮るよりよっぽど世のため人のためになるぞ!」

「何だと!?」

「だー!!!うるさい!!!」

当然仲裁に入ったのはさつきである。

「あんたたち静かにしなさい!

 だいたいさっきの『のわ〜!』でいつきが起きちゃったんだから!」

指を差す先には、綾にあやされているいつきがいた。

怒られた後も肘で、『お前のせいだ』と無言のケンカを続ける大人二人。

当然、二度目の叱咤が飛ぶ。

「はあ…なんでこんなのが政治家になっちゃったのかしら…

 だいたいその歳でなれるの?」

さつきが尋ねる。

綾を除き、ここにいる大人たちは今23歳である。

確かに23歳の政治家はまだまだそんなにいない。

「なれるのさ。

 まあ僕のおかげだがね」

鼻高々。

どこから沸いてくるのか、その顔は恐怖を感じるほど自信に満ちている。




アホだ。




淳平はそう直感した。

「今、日本の政治家は堕落しきっている!!」

「お前を含めてな」

「うるさい!

 僕は政治家になろうと考えた!

 しかし!

 日本の被選挙権は25歳が最低だ。

 このままじゃあと2年も無駄に時を過ごさねばならない。

 そこで被選挙権低齢化運動に加わったのだ!

 幸いそれなりの規模にもなっていたから僕は迷わず入ったさ。

 そして半年ほどたったある日僕が代表として選ばれ、評議の結果学歴と能力に応じて、25歳以下の議員化が認められたのだ!

 25歳以下の議員はまだ日本に13人しかいないぞ!」

そう熱く、強く、語りきった天地。

「へぇ〜」と真中。

「1へぇ?」とさつきが尋ねる。

「トリビアじゃないんだぞ!」

また天地が大声で反論する。

結局家に来てこの男は叫びっぱなしだ。

と、急に静かになる。

淳平もさつきも、ある不気味さにとりつかれる。

「な…なんで黙るんだよ…」

しかし天地の答えは抜けたものだった。

「トイレだ」

そういってトイレに向かっていく。

ひるんだ自分が馬鹿だったと怒りを覚える二人。

まあまあとなだめる綾。







この関係は変わってないかな?

そう思う。





「ねえ…なんで綾ちゃんあんな男と結婚しちゃったの?」

呆れ半分に尋ねるさつき。

人の主人をバカにするとは、なかなかの嫌みだが、綾も気にしない。

淳平も気になっていたことではある。

二人の間には何か劇的な変化があったのだろう。

それはなんなのか。

「う〜ん…結構いいところあるんだけどな〜」

「じゃあ結婚しようと思った瞬間は?」

さつきのストレートな質問に即答できない。

腕を組んで少しの間考える。

そして逡巡の後出した答えは次のようだった。

「議会で予算案の話し合いがあった時かな…

 その時にね、予算の端数をどう使うかって問題で、天地君は女性の権利拡大化の告知とかに使おうって言ってたの。

 けど同等数ぐらいで官庁の備品に環境にいいものを使うっていう案があった。

 でもね、その環境にいいものっていうのは、タバコの排煙機能とか、そういう私欲的なもので…

 それで投票で負けたときに怒っちゃって。

 『自然環境自然環境って…一番身近な自然は人間じゃないのか?

  その半数を占める女性すら守れずに地球を守れると思ってるのか?』って。

 それでかな〜」

語っている綾自身は、のろけ話であることに気付いてない。

自分の頬が染まっていることにも気付いてない。






頭がいい人ってどこか抜けてるもんな〜。

ある意味東城と天地もバカップルかも…。





成長しながらも、あの頃と変わらない三人をそれぞれ見渡し、

あの頃にはいなかった新しい生命を見つめ、

結局結論など出さずに、微笑んだ。


[No.932] 2005/03/11(Fri) 01:09:30
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『真実の瞳』−9.「閉想」 (No.932への返信 / 9階層) - スタンダード

時計が三時を指した頃だった。

淳平がおもむろに切り出す。

「もうこんな時間か…俺はそろそろ帰ろうかな…」

綾はもう、という表情をしたが、淳平が用事があると目で答えた。

「西野に会って来なきゃね…

 まあいろいろあるし…」

いつきとじゃれ合いながらそう言う。

しかしその笑みも、どこか切ないものだった。

「そっか…」

しょぼくれる綾に、なんで東城が暗くなるのさと笑いかけ、腰を上げた。

「真中…君も結構大変なんだな…」

天地が腕を組みながら言う。

が、やはりどこかえらそうだ。

「お前にそんなこと言われるとはな…

 ま、しょうがないさ。

 あ、そうだ。

 西野って今どこに住んでるか分かる?」

「郵便局の向かいの茶色いマンションだけど…」

「サンキュ」

礼を言うと、淳平はいつきに向かってバイバイと手を振り玄関へと向かう。

さつきがいつきを引き取り、いつきは少し名残惜しそうな顔をした。




これからのことを思うと正直身が重い…




「じゃ、そういうことで。

 またな」

ガチャンとドアを開け外に出ようとしたちょうどその時、さつきが声をかけた。

「真中〜あんた子供欲しくなったでしょ?」

「なんだよ急に」

不意な問いに戸惑い、そう答えた。

「だってあんたいつきにずっとくっついてたし。

 でも子供が欲しかったら相手見つけなくっちゃね〜

 あんたの相手なんているのかな〜?」

そう言うと、さつきは含みのある笑いをし、淳平を見た。

さつきの言いたいことはすぐに分かった。





結婚相手。

考えたことなんてなかったけど…

あの日々がなんの問題もなく過ぎていたら誰と結婚しただろう…?

東城?

今は天地といる。

さつき?

彼女も結婚している。

じゃあ?

つまり、そういうことだ。






「まかせとけ」

淳平はそう笑って外に出た。

さつきのおかげだろうか。

身が重いなんてこともなく、ただ覚悟だけが胸の奥にあった。






















つかさのマンションはすぐに見つかった。

なんとなく寂れたイメージのある、小さめのものだった。

まるでつかさの心情を表している気がして、やりきれなくなった。

自動ドアが小さな音を発しながら開き、中の少し冷たい空気が頬にふれた。

何号室だろうかと思い、たくさん並んだポストから『西野』という名を探した。

しかしなかなか見つからない。

名前の書いてないポストもあるが、少なくとも『西野』とかかれたポストはなかった。

違うマンションに入ってしまったのかと訝って、一度外に出ようとした。

その時、振り返った先につかさがいた。

「あ…西野…」

「淳平君…」

予想外の訪問客に驚き目を見開いたが、すぐにうつむき顔を背ける。

嫌悪を表した顔、というよりもどちらかというと申し訳なさそうな表情だった。

しかし淳平は何を言っていいか分からない。

一応話し合いに来たはずだけれども、立ち話で済む内容ではない。

しかし、まさか中に入れてくれと言えるはずもなく、身動きがとれなくなってしまった。

先に口を開いたのはつかさだった。

「久しぶり…だね…」

その言葉を聞いてはっとする淳平。

よく考えたら帰ってきてから挨拶すらしてない。

案外、というよりも予想自体が最低を想定していたから当然であるが、そこまで恨まれているという気はしない。

もちろん、昔と変わらないわけでは決してなかったが。

「あ…うん…久しぶり」

昨日会ったけど、とは言えなかった。

相手だって気付いているはずだ。

だがそこまでで会話は止まった。




つかさ自身も悩んでいた。

淳平は『客人』であるのだから、部屋に入れるべきなのかもしれない。

しかし…

不安だった。

悲しみや苦しみを全て目の前の男にぶつけてしまいそうだったから。

「何しに来たの…?」

そう言ってから後悔した。

悪意はなく、ストレートに聞いたのだが、嫌味な言い方になってしまったからだ。

しかし淳平は気にするどころか気付いてないようだった。




目的…

そう聞かれると答えに戸惑った。

「えっと…話をしに…かな」

結局苦し紛れにそう答えるしかなかった。

嘘でもないのだが。



話をしに…

その言葉は直接心に話しかけるように響いた。



あの頃はこの人と話したくて…一緒にいたくてしょうがなかった。

でも今は…

辛い…


「ごめんね…淳平君…」

つかさはか細い声で呟いた。

「お互い…いろいろ話すこともあるだろうし…

 本当はいらっしゃいって招きたいんだけどね…

 でも…

 ごめんなさい…

 今は入れられない。

 長く一緒にいるとね…

 あたし…淳平君のことを嫌な目で見ちゃうかも知れないから…

 ごめんね…」

そこまで喋るとつかさは黙り込んだ。

やはり一緒にはいられない。

しかし、淳平を恨みたくない、嫌いたくない、そう思っている今も、あの頃と変わらない想いが奥に眠っているのかも知れない。

つかさの反応はそれなりに予想していたものであった。

もしかしたらまともな話は出来ないかも知れない。

でも、だったら少なくとも謝ろうと思っていた。

「あ、いやいいんだ。

 ただ…えっと…今までごめん。

 電話くれたり手紙くれたりしたけど…その…返事とか返せなくて…

 色々…辛いこととかあったのに…相談に乗ってあげられなくて…

 本当にごめん…」

項垂れる淳平。

しかし今度の反応は予想外だった。

「淳平君が謝ることじゃないよ」

「え…?」

「あたしは淳平君を恨んだりしてないから…。

 ただどうしようもなくなった時には…誰かのせいだって思いこむのが一番楽な方法で…

 それを淳平君に当てはめてたんだから…。

 むしろ謝らなくちゃいけないのはあたしのほう…」

つかさはそう言って淳平を見つめた。

5年前と変わらない、真っすくな瞳がそこにあった。

ふと、その表情がゆるんだように見えた。

あのつかさらしいつかさが顔を出したように…。

懐かしさがこみ上げてくる。

その懐かしさを作り上げた自分に罪悪感を感じ、あの頃を思い出していた。

「そっか…。

 俺も今日は帰るよ…

 西野が辛そうだから…」

「ごめんね…」

「あ、いや俺はいいんだって。

 本当に」

そう笑った淳平が、昔の面影とピッタリ一致した。

ずっと好きだった。

本当に好きだった。

じゃあ今は?

分からない。

でも、特別な人だと思う。

だからこそ、今はいられない。

こんな自分を見せたくない。

「淳平君は変わってないね」

不意に口からその言葉が出た。

無意識の行動だった。

淳平は呆気にとられた顔をしている。

でも…

「西野だって変わってないよ」

きっとそう。

人はそんなに簡単には変わらない。

誰かが死んだり生まれたりしたとしても。

変わっているように見えるだけ。

人が死んだとき、本当は逆のことが起こる。

変われなくなる。

もちろん目の前のつかさのように、ふさぎ込み対人恐怖症のようになることもある。

でもそれは変わったように見えるだけで、ただ違う一面を見せているだけ。

その死がなかったとしても見せる可能性があった、ただの一面が現れただけ。

死を体験すると、変われなくなる。

心の中身が成長を止め、感受を拒否し、現状維持が続く。

つかさもそうだ。

今は心が成長を止めている。

感じるものがないのだ。

毎日は単調に過ぎていくし、映画を見たり、本を読んだりしても、何の興味も覚えない。

心が閉ざされる。




だからつかさはあの頃から変わっていない。

でも、これから変わることもない。

このままでは。

たったらどうする?



決まっている。


自分がその心を開けばいい。

どうやってと言われれば答えられない。

でも、そうやって努力し奔走することこそが、鍵なんじゃないかと思っている。

今はその想いで十分かも知れない。

「じゃあ俺は帰るよ」

引き留める間もなく、逃げるように帰って行った淳平。

取り残されたつかさは何か物足りなさを感じていた。

久しぶりの想いだった。


[No.941] 2005/03/13(Sun) 01:59:33
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『真実の瞳』−10.「意志」 (No.941への返信 / 10階層) - スタンダード


「はぁ〜」

淳平は大きな溜息をつきながら歩いていた。

う〜とうなりながら頭を抱える。

先程から何回同じことをしただろうか。

予想内ではあったが、つかさとほとんど話が出来なかった。

昔と変わらない、本心を垣間見ることこそ出来たが、やはりあれだけでは問題がある。

しかしどうしようもないことであり、渋々と家へ戻るしかなかった。









「ただいま〜」

淳平が家へ戻ると、唯が慌ただしく出てきた。

何か手紙のようなものを手に持っている。

「淳平淳平!

 なんかちょっと変な手紙が来てるよ!」

よく分からないテンションだった。

差し出す封筒を受け取る。

確かにその封筒は全体が黒系統の色で統一されていて、不気味と言えば不気味である。

差出人は誰だろうと思い、裏返して目を配らせる。

『えいぞう会』

淳平がその文字を見て納得したという素振りをすると唯が、

『えいぞう会』?と尋ねた。

「何?これ。

 なんでひらがななの?

 しかもすごい安直な名前…」

「ああ、俺の所属している会っていうか集まりって言うか。

 名前がひらがななのは理由あってだよ」

淳平はそう言うとさっさと2階へ上がっていってしまった。

朝の内に唯が部屋の一つを片づけておいてくれたから、そこが淳平の部屋となる。

もっとも、即席の部屋であるし、まともな家具などはないが。

しかしノートパソコンがあればそれ以外必要なものもほとんどなかったから十分である。

勢いよく部屋へと駆け込み、ベッドに飛び乗る。

待ちに待った知らせである。

荒々しく封を開けると中の手紙を取り出した。

しかしその勢いと裏腹に、現れたのは小さな紙切れ一つだった。

淳平は戸惑い、だが一応その紙切れに書かれた内容を読む。

そこには日付と時間、あるビルの名前、住所だけが記されていた。

「10日…?

 明日じゃん!」

あまりにも唐突な知らせに驚き、もう一度封筒の中を探る。

けれど他には何もなく、探すのをあきらめた。

といっても問題はない。

それだけの内容でも意味が理解できた。













えいぞう会、というのは二つの意味からなる。

一つは言うまでもなく映像会の意。

もう一つは、創始者兼会長・上田栄蔵の名前からとったものである。

映像と栄蔵、二つを会わせてえいぞう会。

主に映画関係者を中心に構成された会であり、登録されることは名誉であるほど権威のある会だ。

淳平は異例の若さで入会していた。

今回の郵便はその集まりの報せだ。






ひととおり納得すると、今度は携帯電話を取り出した。

同時にメモを取り出す。

数字が羅列されており、中にハイフンも含まれている。

その数字を電話に打ち込み通話ボタンを押す。

「はい、もしもし天地です」

かけたのは綾だった。

「もしもし東城?

 俺、真中だけど」

「真中君?」

さっき出て行ったばかりなのに、という戸惑いの声の後ろからさつきの声も聞こえる。

「どうしたの?何か忘れてった?」

「あ、いやそうじゃないんだ。

 ちょっとお願いがあって…」

「なに?」

「あの〜

 東城の作品を脚本に使いたいんだけど…」

「へ?」

突然の申し出に素っ頓狂な声を出す綾。

後ろから「真中はなんだって?」というさつきの声が聞こえる。

「脚…本?」

「そう。脚本」

「え…でも今あたしの書いてるのに映画に使えそうなのはないんだけど…」

「ああ、今から書いて欲しいんだ。

 新作として」

結構、めちゃくちゃな願いだ。

淳平はさらに、なるべく早く、と注文をつける。

が、綾の方は全く気にしない。

表情に活気が見られる。

うん…うん…わかった。

まるでどんな注文にでも答えそうなほど、前向きに聞いている。

承諾してくれた綾に対し、淳平も声を張る。

そして詳細を話していく。

「一応時間は100分前後になると思う。

 ただそれはあまり気にしないで。

 こっちで調整するから東城の好きなように。

 ストーリーは複雑の方がいいけど、汚くはならないように。

 話の流れは基本的に任せるけど、テーマは『万物流転』でお願い」

そこまで言って口を閉じる。

綾は何度も反芻するようにしっかりと記憶し、同時に久しぶりの脚本に踊る気持ちが抑えられなかった。

「それにしても真中君、映画撮るの?」

そう聞く綾に、淳平はいや、と短く答え続けた。

まだ撮ると決まった訳じゃない。

ただ撮ることになったらすぐに作ることが出来るよう作っておいて欲しいんだ。

その旨を伝えると、綾は納得したように返事をし、任せてと言った。

「じゃあお願い」

そう言って淳平は電話を切った。






既に切れた電話を眺めながら綾は思う。

脚本…脚本…

5年ぶりの脚本…。

楽しみで仕方がなかった。

自分の作ったストーリーが複数人の意志の元、オリジナリティを持って作り替えられていく。

その様はどこか寂しさを伴い、それでいて他人の感性にふれる興味深さがあった。

「何だって?」

そう尋ねるさつきに内容を笑顔で伝える。

さつきはへぇ〜と気の抜けた返事をし、あいつはまだ映画を撮ってるのよね、そう感慨深げに言った。

「よく考えたら本当にすごいことなのかもね」

「そうかもしれない」

「ま、真中ってだけですごさが伝わらなくなるからそっちの方がよっぽどすごいわ」

冗談交じりでそんなことを呟いた。

凄さを感じさせない凄さ。

そう言えばなんとも格好のいいものだったが、言い換えればあいつが何をしたってすごく思えない、そう言っているだけであった。

「あたしもそろそろ帰ろうかな〜。

 夕飯の支度もしなきゃいけないしね」

さつきはそう言い、いつきに帰るよと促した。

「じゃ、またね」

「うん、今度は西野さんも一緒だといいね…」

「ま、あいつならなんとかなんでしょ」

根拠も理由もない妙な期待感、それこそが淳平の魅力の一つであるのかも知れない。

5年たち、どことなく風格の変わった淳平に、ある種の尊敬の意を込めているさつき。

だが彼女は23歳の真中淳平を把握しきっていない。

その妙な期待感には、すでに根拠も理由も備わっていることを知らない。



















淳平はベッドの上で考え込んでいた。

つかさのことである。

思ったよりも友好的に接することが出来たのではないかと思う。

ただ、発言の中には絶望的なものもあった。

一緒にいると辛い。

あの発言がある以上、しっかりとした話し合いが出来ない可能性も多分にある。

つまりこれ以上の進展が見られないかもしれない。

そうなってしまうと、自分自身の力ではどうしようもない。

少し無理矢理にでも話すか…。

そもそもどんな風に話せばいいんだろうか。

考えることは尽きなかった。

完全に日暮さんに囚われている。

死者が生者を迷わせるなんて…。

そんなことを考えていた。

結局、この世界は生者を中心にして回っている。

まだ何かできる生者を、死者が邪魔をすると言うことは、あってはならないことだと思う。

だからといって、日暮を責めることもつかさを責めることも出来ない。

敢えて悲しみを耐えろと言うのは酷である。

答えは出ないまま睡魔に襲われた。















目覚めればもう朝だった。

6時から4時まで、10時間寝ていた。

まだ朝日は昇りきっておらず、外は暗い。

家も寝静まっていてすることもなかったが、腹の虫だけが収まらなかった。

誰も起こさぬように忍び足で歩き、冷蔵庫から果物を見つけ口に入れた。

その後また睡魔と戯れ、6時にシャワーを浴びた。

唯が物音に気付いたのか否か、シャワーを浴び終わった頃に起きてきた。

「あれ?淳平早いね。

 まあ6時に寝れば当たり前か」

眠そうに目をこすりながらそう言う相手に、幼い日の影を重ねてみた。

当てはまるような気がするけど、全く違う気もする。

5年の月日とはそういうことなのかも知れないと不意に思った。

「お前も早いな」

淳平がそう聞き返すと唯はいつもそう、とやはり眠たそうに返した。

「でも今日は休みだからもう一度寝るね」

唯は自室へと戻りドアの閉まる音が静かに響いた。

淳平は一人で今に留まった。

よく考えれば帰ってきてからまともに家を眺めていない。

変わったところを調べるのもおもしろいかも知れないと、その辺をあさりだした。

が、ものの数分で飽き、またすぐに部屋へと戻った。

ノートパソコンの電源を入れ、立ち上がる間にカーテンを開けて陽光を取り入れる。

人間の体内時計は元々25時間のサイクルで動いている。

それを強制的に目覚めさせ、覚醒させるのが陽光だ。

朝日とは気持ちいいものである。

大きな伸びを一つし、ノートパソコンへと向き合う。

近年、パソコンの普及は加速し、急速な拡大が続いている。

この小さなノートパソコンにも、200GBの容量が備わっている。

デスクトップとなれば500GB、多いところでは7,800GBを備えているものもある。

淳平は主に編集、データ管理にパソコンを用いていた。

過去に撮影したもの、それは高校時代のものも含めてこのノートパソコンに入っていた。

VHSやテープなど劣化の激しい媒介が使われることは今となってはほとんど使われない。

DVD、またはそのままデータとしてハードディスクに保存する、そのような保存方法がとられていた。

淳平はメイキングの映像も含め、それらを見ていった。












それは三年の時の映像だった。

みんなで海に入っている。

ビーチボールの中に水を詰めてそれを外村に投げつける小宮山がいた。

その後さつきのアップになり「男ばっかり撮って楽しい?」とカメラマンの自分に話しかける。

胸が強調して画面に入り込んでいる。

小さな声でのやりとりが少し入り、カメラはまた他を写し始める。

白い砂浜、青い海、緑の木々、全てがきれいだった。

綾をとらえると、少し恥ずかしそうな顔をして小さく手を振った。

さらにぐるりと回転すると、つかさが写った。

笑っていた。

そのシーンを見た瞬間、淳平はピクリと震え、やるせない気持ちが強く襲いかかった。

もう…西野はこんな風に笑わないのかな…

そう考え、直後に自ら否定した。

そんなことはない!俺がどうにかしてやるんだ。大丈夫だ。

自らを励ますようにそう考えた。




時計を見ると、まだ7時だった。

えいぞう会は午後からでまだ時間がある。

やることもなくなってしまい、どうしようかと悩み、外村の家でも行こうかと考えた。

しかしこずえがいる。

二人でいるのを邪魔するのもなんだか忍びなく、結局一人寂しくコンビニへ行くこととなった。





コンビニに行ったからといって、やはりなにもすることはなく、つかさに会うだとか、そういうドラマチックなことはなかった。

ROADSHOWという雑誌を立ち読みし、すぐやることがなくなり店を出た。

案外やることがない今は幸せなのか違うのか。

自分が暇なのは苦手だということに少し気付いた。



あまりにも暇ですることがなく、まあいいやと外村の家へ行くことにした。

こずえとラブラブするのは自分がいなくなってからでいいだろう、そんな風に考えた。

丁度コンビニと外村の家は方向が同じですぐそばにあった。

指紋照合期と壊れたインターフォンへたどり着き、だがドアには鍵がかかっていた。

ドアノブを握ったときに小さな音が鳴った。

こずえはその音に気付いて出てきたのだった。

「真中さん?」

いきなり開いたドアとこずえの声に驚きながらも、おはようとだけ答えた。

「どうしたんですか?」

そう聞くこずえに答える言葉が見つからず、何でもないんだけどとごまかした。

訝るこずえに暇になったんだというと、あがってくださいと招かれた。

しかし主は寝ていた。

掛け布団を抱きしめ幸せそうに眠っている。

なんとなく寝ている友人は起こしたくなるもので、その光景が目に入った瞬間起こそうと体が反応していた。

「外村!火事だ!火事!」

そう叫んだ。

外村の反応はそれはおもしろいものだった。

飛び上がるように起き、叫ぶ。

しかし手をつこうと思ったところにベッドがなく、そのまま転がり落ちる。

転がり落ちた際にコンセントの上に着地し、刺さる。

その痛みに耐えかねて体を動かすと、すねがベッドの骨組みに辺り悶絶した。

「くぉ……」

あまりの衝撃映像に、ちょっと悪いことをしたかなと反省する淳平であった。















ぶす〜っとふくれっ面をした外村があぐらをかいて座っている。

まあまあと宥める淳平をきっと睨み付け、ふんっとそっぽを向く。

「悪かったって〜

 マジでごめん〜許しておくれよ…」

手を合わせてそう言う淳平に対しちぇっと悪態を付く。

「大体こんな朝早くから何しに来たんだよ…」

欠伸をしながらそう尋ねる外村に淳平は暇だったからとただ一言返した。

「暇…だった…?

 お前…この野郎そんなことで俺の貴重な睡眠時間を…」

「お…押さえて押さえて…

 いいじゃんどうせたっぷり寝てんだろ?

 昨日何時に寝た?」

淳平に対し、10時ぐらいだと渋々答える外村。

起こるのも疲れたといった表情だ。

「まあいいけどさ〜

 そもそも俺ん家来るならつかさちゃんのとこでも行けよな」

急に話題を変える外村。

淳平は痛いところをつかれ反論できない。

確かにつかさとはしっかりと、なるべく多く会って、昔のように話せるようにしてあげたい。

しかし昨日のことがトラウマに近い形で、つかさに会うことを躊躇わせていた。

淳平は昨日のことをなるべく正確に外村に話し、助けを求めた。

しかし、渡し船は出されなかった。

「う〜ん…

 残念だが俺の偉大なパワーを持ってしても厳しいな…

 昔だったら恋愛下手のお前にアドバイスっていう風だったけどな…

 今回はちょっと状況が違うし…

 そもそも俺は死を体験したことがないからな。

 近親は元気だし、100歳突破した親戚だとか…。

 やっぱり死って辛いもんなんだろうな…俺には分からんが」

「ま…そりゃな。

 でもさ〜だからって言ってあのままじゃやっぱりだめだろ?

 どうすればいいのかな…」

それが本音だった。

どうすればいいんだろう。

あれやこれやと考えても答えが出ない。

外村なら、と思っていたが高校生の色恋事情とはやはり話が違う。

それでもやっぱり外村は必ず助言をしてくれる。

「ま、何をすればいいかは知らんがどうすればいいかってのは決まってんだろ。

 当たって砕ける。

 お前の得意技だろ」

そう指差した。

「お…お前今かっこいいぞ…」

照れ隠しにそう言うと外村も、まあお前の場合は必ず砕けるがな、と付け足した。

「そんな焦んなくてていいなじゃねぇ?

 自然消滅じゃなくて自然復活するかもよ?」

どことなく我関せずな態度だが、そのそっけなさもありがたくそうだなと相槌を打った。












その後はTV鑑賞と世間話に興じ、11時には外村の家を出た。

我が家で飯を食おうと帰るといい匂いが漂ってきた。

「おっ、いい匂い」

淳平がそういうと中から唯の声が聞こえた。

「じゃーん!唯特製ハンバーグ!

 淳平の分も作ったよ」

と、テーブルの上にハンバーグが二つ並べられている。

「昼からハンバーグ…」

そう呟いたが、作ってくれた感謝で受け入れた。

サンキューサンキューと礼を言い、掻き込んで腹を満たした。

時計を見ると結構な時間になっていることに気付き、外出の支度を始めた。

ノートパソコンを持ち、しかしただそれだけである。

スーツを着るでもなく、私服だ。

えいぞう会の原則は私服だった。

会長栄蔵の言葉で、「監督が堅かったら映画も堅くなる」とのことだ。

そのため普段から仕事という考えは捨てるように心懸けるのだ。

電車の時間を考え、少し早めに家を出ることにした。

「いってきまーす」

その階段を降りる音で両親がやっと起きて、なんとふしだらな親だろうと呆れた。

淳平が外に出ると空は澄み渡った青だった。

緊張と興奮が入り交じり、知らずの内に笑みがこぼれていた。


[No.952] 2005/03/15(Tue) 02:00:24
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『真実の瞳』−11.「予兆」 (No.952への返信 / 11階層) - スタンダード



立ち並ぶ高層ビル群。

その中の一つが淳平の目的地である。

昨日受け取った手紙の住所と、携帯からアクセスした地図で場所を確かめる。

なんとか目的のビルを見つけ出し、回転式のドアをくぐった。

綺麗なビルだった。

まだ建てられて新しいのか、汚れている部分は見あたらなかったし、デザインもシンプルで清楚なものだ。

受付でえいぞう会の名前を出すと、場所と順路を教えてくれた。

エレベータに乗り、階を上へと進む。

その間、淳平の鼓動の激しさが収まることはなかった。

実際に淳平がえいぞう会の一員として会に出席することは初めてだった。

もちろん中には見知った相手もいる。

というよりもほぼ全員と面識がある。

そもそもえいぞう会に入るということは、えいぞう会のメンバーからの許可投票をくぐらなければならない。

参加には賛成が半数以上、つまり必然的に半分以上の人間と知り合いであるわけだ。

が、淳平は半数以上知り合いがいることには変わりがないのだが、許可投票を経たわけではなかった。

会員、その中でも権威のある人間の強い推薦によって入ることもある。

淳平はその一人だったのである。

気さくな性格で信用を集め、情熱が期待を呼び、若さが可能性を見せる。

それらが入会の理由だった。













気が付くと指定された部屋の前に立っていた。

扉を開ければ見慣れた面子がいることは分かっている。

それでも何故か緊張している自分がおかしく、武者震いともつかないように体を震わせていた。

やっと思い切って扉に手をかけたのは思案の後だった。



「失礼します」

そう言って入室する淳平。

案の定、そこには見慣れた顔が集まっていた。

「おっ来たか」

そう言ったのは、淳平の大学における先輩であり、また映画監督としても尊敬している人物、下山健二だった。

いや、実際には下山は監督として作品を撮ったことはない。

それでも淳平は映画関係者として、また助監督としてやってきたその人を尊敬していた。

気むずかしい人ではあるのかもしれない。

しかし考え方を変えれば江戸っ子とでもいうように、自分の信念に基づいて行動しているだろう。

向こうが自分のことをどう思っているかは定かではないが、かわいがってもらっているように思う。

まるで子分のように、雑用などをやらされてはいるが、仲のいい親分子分ということで居心地はよかった。

そのように、下山が話しかけたことで淳平の緊張や焦りは消えようとしていた。

他のメンバーも、おっ真中か、といった反応を見せ、軽く手を挙げたりもしていた。

淳平がそれらのにこやかな反応に同じように手を挙げ返そうとしたときだった。

和んだ雰囲気をじっとりとした低い声が遮る。

その部屋の中にいる全ての視線が声の元へと注がれる。

その先にスーツ姿の男が一人、静かに座っていた。

その男は、完全に異質な存在だった。

会員は私服。

その自由なルール故に、ジーンズやジャージなど、様々な服装が見られる。

当然、スーツ姿で来るものなどその男を除いていない。

もちろん私服なのだから、スーツで来るな、という制限があるわけではないので問題はない。

しかしそれでも、完全に場違いとも言える格好だった。





「君が真実の瞳か…」

男の口がゆっくりと開いた。

淳平は目を見開き、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

拳には知らずの内に力が入り、震えるまで握りしめている。

「ふ……

 初めまして。

 私は平野喜介だ。

 以後よろしく」

手を組み、気味の悪い笑みを浮かべる平野。

その男に淳平は激しい嫌悪感と苛立ちを覚えた。

「はい。よろしく…お願いします」

今は何も言えるはずがない。

ただそれだけの社交辞令とも言えるあいさつを済まし、下山に促された席へと腰掛けた。

自分の胸の内で、激しい、憎悪に近いものが渦を巻いていた。

真実の瞳…

その言葉を軽はずみに口にして欲しくなかった。





淳平はこの男を知っていた。

噂と言うには確実で有名すぎるほど、この男の話は耳へと入り込んだ。

とにかく嫌なやつ、そう聞くことも少なくはなかった。

性格が悪いというよりも、寄せ付けぬ暗い雰囲気がまとわりついているのだ。

中には金の亡者だというものもいた。

えいぞう会には当然、許可選挙によって入ったわけではない。





平野はたまたま会長である上田栄蔵と認識があった。

若い頃、同じ制作会社で働いた。

その後二人は別々の道を歩いたのであるが、ある時急に平野が栄蔵に向かって、助けてとしがみついてきたそうだ。

話を聞いてみると、所属していた制作会社が倒産状態に陥ったのだという。

人のよい栄蔵は断れず、同期のよしみもあってか、上司へ頼み込み編入させてもらったそうだ。

それからというものの、平野は栄蔵につきまとい、いつの間にかえいぞう会にまで入会していた。

これまでにも何度か脱会投票をしようという案があり、栄蔵も悩み続けていた。

しかし、結局ことはそのまま進み、退会させることもなく今に至る。















会議の前に、淳平は一応自己紹介をした。

名前や年齢、今までの経緯や好きな作品、様々なことである。

お願いします、と頭を下げると拍手をもらったが、平野が少しも腕を動かさなかったこともしっかりと確認した。

別に拍手してもらいたいわけではない。

ただ、そういう人物であるということを確認しただけである。









その後、会は何の問題もなく進んだ。

基本的に司会進行は下山だった。

今回の話ではハリウッドで撮影され、アカデミー賞を複数獲得した作品がテーマだった。

えいぞう会は、国の機関でもなければ、スポンサーが付いているわけでもない。

その実態は勉強会に近いもので、時には講義、時にはディベートのように、お互いを高めることに目的がある。

となれば、本場ハリウッドや、最近ではその地位を確かにしつつある中国映画などを見本とし、日本の映画を考えたりすることもしばしばある。

今日もそうだった。

会員は遠慮をしないようにし、何度も発言することに心懸けている。

遠慮があっては本当の意見が取り入れられないのは明らかであるからだ。

しかし、そうは言っても、淳平は発言しなかった。

遠慮していたのか、それとも平野への気持ちで頭が働かなかったか。

たまに下山や他のメンバーから、真中はどう思うと尋ねられたが、その度に当たり障りのない答えを探した。

下山は淳平の異変に気付いていたようで、あまり強く問いただすこともしなかった。

周りの人間もどことなく気付き、下山が何も言わないから、ということで、淳平が咎められることはなかった。



あるスーツ姿の男を除いては。







「真中君、君も少しは意見を言ったらどうかね?

 遠慮をするのも分かるが、それだけではどうにもならないからな」

そう言ったのは平野である。

淳平はまたか、そう思った。

だが腹を立てるわけでもない。

別に今の平野の行動はおかしなことではないし、間違いは自分にある。

注意をされて腹を立てるほど子供ではなく、感情変化が激しいわけでもない。

それでも、次の言葉に反応せずにはいられなかった。

「せっかくの瞳がもったいないだろう?」

まるであざ笑うかのようなその表情に激しい怒りを覚えた。

おそらく相手は悪気があっての行動ではない。

それでも平野だって状況を全く知らないわけではない。

真実の瞳、その言葉が今淳平にとって禁句であることは察せられたはずだ。

それでもなお、言ったのである。

その時は下山が、真中は一回目だからいいだろうとかばってくれた。

次から積極的に参加してもらえれば十分だ。

そう言いながら、皆に気付かれないよう淳平をなだめた。

淳平は誰にも見せぬように、表情を歪め、まるで何かに襲われるような苦しみに耐えていた。














その話は唐突に訪れた。

会議も終わりが近づいたころであった。

下山がそろそれ終わるか、と言うと、周りからも同意の声が漏れた。

淳平は神経を消耗していることに気付き、溜息をついた。

それでも充実感のある会議だったことに感謝し、入ってよかった、入れてもらえてよかったと心から思った。

しかし、その喜びを壊すかのように、あの低い声が響いた。

「ちょっと待ってくれ」

そう言う平野に皆の視線が向けられる。

平野は少し間をおき、その後言葉を続けた。

「今日の会議はこれで終わりで構わない。

 しかし、真中君のことで話があってな。

 みんなは違うかも知れないが、私は真中君のことをあまり知らない。

 そこでだ、真中君にもっとちゃんとした自己紹介をして欲しくてな」

部屋には低い、ねっとりとした声だけが響いていた。

しかし内容を聞くにつれて疑問の声が上がる。

「これ以上何を?」

一人の会員がそう尋ねた。

確かに淳平は先程自己紹介をした。

短く、簡単なものであったが、必要事項は喋ったように思われる。

他の人も同じことを考えていて、また何を言い出すんだ、そんな視線が向けられていた。

しかし当の平野は気にしない。

「ああ、真中君についての情報は先程ので大丈夫だ。

 ただ私たちは映画関係者なんだ。

 名前や誕生日を知ったところで、本当に知りたいことは分からないだろう。

 私が知りたいのは彼の感性だ。

 真実の瞳とまで言わせたその感性だよ」

平野はそこまで早口で言い切った。

淳平は途中の言葉に反応にながらもその発言内容を把握しようと試みていた。

「じゃあどうするんです?」

もう一度疑問の声が上がる。

その問いに対し、平野は待っていたかのように、

「映画を作ってもらうんだよ」と笑った。

メンバーからは疑問と動揺の声が上がる。

急じゃないか?

出来るのか?

そんなことだ。

しかし淳平はというと、ある種の優越感を感じていた。

この展開は予想したことだったからだ。

綾にはそれを見越しての脚本制作依頼だ。

ただ単純に、映画を作れるという興奮が淳平を支配しようとしていた。

平野は続ける。

「私たちは映画関係者だから、見るのが早いだろう。

 そこから彼を感じることが出来るのではないかね?」

そこまで言うと、次第に賛成・同意のものが現れ、流れのままに映画制作が決まっていた。

「まあ、俺がいろいろ見てやるよ。

 ちなみに期限とか予算は?」

下山が尋ねる。

えいぞう会は、スポンサーこそ持たないが、過去の実績からそれなりの金銭余裕がある。

その金は成長のための資本となり、また状況によっては寄付される。

会員が映画を作るときには、基本的に映像会から借金をすることが出来る。

おそらく淳平はそのシステムを知らないだろうということで、下山が事務を代理で行うつもりだった。

しかし、平野からの返事は予想外であった。

「期限は…そうだね…一週間で行こう」

室内に沈黙が流れ込み、その後反論へと変わった。

初めに叫んだのは下山だった。

「一週間って…ふざけてるんですか!?

 そんな急な話!

 台本だってセットだって何もないのに!」

当然のことだった。

一週間で映画が撮れるはずがない。

そんなことは言うまでもないことだ。

そもそもこの映画は言わば淳平の第一印象となるのだ。

適当に作って終わり、というわけにはいかない。

自分の満足のいくまで作らせたい、そんな気持ちがあった。

が平野は全く取り合わない。

「予算はそんなに気にしないでくれ。

 まあ一週間で何億と使えるわけでもないだろうからな」

気味の悪い笑いを見せ、そう呟いた。

会場が騒然となる中、あろうことか平野は携帯電話を取り出し、どこかと会話をし始めた。

そして何事もなかったかのように立ち去っていく。

扉を閉める際、「じゃあ頑張ってくれ。応援しているよ」と言った。

誰もが嫌味であることを分かっていた。

下山は淳平に向かって話しかけようとした。

このえいぞう会の名誉を守るため、だろう。

近寄り、どうしよっかと笑いかけるつもりだった。

しかし、淳平の表情を見、息を呑んだ。

そこには見たことのない、激しい淳平がいた。

あの穏やかで、間抜けな淳平とは思えなかった。






「真中、今からのことはお前が全部決めろ。

 ただし聞きたいことがあったらなんでも言え。

 金が使いたくなったら何百億でも使わせてやる」




半分は皮肉を込め、淳平にそう言った。

その後、大きな声で本日は解散と叫び、一番に帰って行った。

取り残されたものたちは顔を見合い、首をかしげたり陰口をたたいたりしている。

淳平はもう帰る準備をしていた。

あまり使わなかったノートパソコンをカバーへとしまい、立ち上がった。

その後、周りに微笑んで見せ、

「じゃあお先に失礼しますね。

 なんか大変なことになっちゃったみたいで」

そう頭を下げた。

まるでさっきの険しい表情が嘘のようだった。

穏やかで、いつも通りだった。

退室した淳平はエレベータへと向かった。

その扉が開いた際に、受付嬢らしき人が降りてきた。

その女性は淳平を確認すると会釈をした。

が、淳平は返さない。

無礼な人なんだろうか?

女性がそう訝って淳平の顔を盗み見ると、直後、彼女は動かなくなった。

否、動けなかった。

淳平が、何もないところをじっと見つめ、その瞳が妖しい輝きを放っていたからである。




真実の瞳が、今開かれようとしていた。


[No.958] 2005/03/18(Fri) 02:08:52
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『真実の瞳』−12.「信頼」 (No.958への返信 / 12階層) - スタンダード

社会の汚さとはこういうことを言うんだろうか。

淳平はそんなことを考えていた。

平野のあの下卑た笑いが鮮明に甦る。

結局あの男は権力がほしいだけだ。

実際のところ、信用の伴わない権力など無意味に等しいのであるが、それでもあのような人間がえいぞう会に入り込んでいることが腹立たしい。

恥さらしである。

ふと顔を上げるといつの間にか家の近くまで来ていた。

つい我を忘れて考え込んでいたらしい。

嫌な気分が尾を引きながらも、振り切るように玄関を開けた。

直後、ドタドタと足音が聞こえてくる。

唯だ。

こっちへきてからというものの、毎回毎回唯が迎えてくれている気がする。

暇人めと思いながらも、悪い気分はしていなかった。

しかし、自分で言ったただいまという声が刺々しくなってしまったこともわかっていた。

もちろん唯へ当てつけてどうにかなる訳でもないのだが、コントロールできない状況だった。

お帰り、と笑顔で現れた唯はすぐに異変に気づいた。

「なんかあったの?」と明るく聞き返す。

淳平は、さすが唯、とは思いつつも、だが答えようとはしない。

話してこの怒りが伝わるかといったら、少し無理がある。

それにこんな個人的な怒りをぶつけたところで唯に迷惑がかかるだけだ。

そう思うと、話す気になんてならなかった。







一週間で映画を作れなど無理な注文だ。

間に合わせようとして、適当に脚本をたて、適当に撮影し、適当に編集する。

そんな心のこもっていない映画のどこがおもしろいか、

結局駄作となり、「この程度か」と思われてしまう。


と、そこまで考えて気づいた。

平野はそれが狙いなんだ。

若くして『真実の瞳』という異名までを得た自分の名声が。

だから自分に映画を作らせ、「この程度か」とあしらいたいのだ。

そう思うと、わざわざ平野なんかのために考え込むことすら馬鹿らしくなってくる。



不意に黙り込んだ淳平に対し、唯が再度尋ねる。

「何があったのさ〜

 言わなきゃわかんないでしょ」

それでもやはり淳平は口を開かなかった。

そもそも何をどう話していいかわからなかった。

「ちょっとほっといてくれ」

そう言うしかなかった。

そして直後、自分がたった今放った台詞に後悔した。

すぐ目の前にいる、幼なじみの瞳も淀んだのがわかった。

自分がとんでもないことを言ってしまったような気になる。

実際、心配してくれる唯を突き放したのだ。

謝ろうと思い、だが切り出せない。

一瞬の沈黙が訪れ、空気が重たくなる。






その空気を断ち切るように、先に唯が口を開いた。

「な〜にがほっといてくれ、よ。

 ほらほら〜お姉さんに話してみな〜」

淳平の声を真似る仕草をし、その後淳平の首を抱え込む。

「ねぇねぇ〜あたしが胸を貸してあげるからさ〜」

そう言いながらぐいぐい押しつけられる胸の感触に、淳平は頬を染めながら脱出した。

「ばっか!今のお前がそういうと冗談じゃすまないだろ!」

「なによそれ〜」

「何でもないわ!」




訳のわからない言い合いをしながら淳平は部屋へと駆け込んだ。

一瞬・・・唯の目が揺れたあの瞬間、焦った。

たぶん唯は傷ついただろう。

避けられている、嫌われている、煙たがられている、そんな感情だ。

が、唯の次の行動が予想とは違った。

いや、ただ唯の性格を忘れていただけかもしれない。

確かにこういうやつだった。

次第に唯の行動パターンというものが思い出された。

そして、これまでの付き合いと思い出から、自分のなすべき行動も導き出されていった。

元気になるということだった。

彼女が望むことは、自分が謝ることではなく、ちょっとした悪態をつくことだろう。

なんとも自分勝手な解釈ではあるが、概ね間違いではなかった。

唯は、謝って湿っぽくなるのは望まない。

お互い悪口を言い合えるぐらいが、居心地のいい環境だった。

だから、そう行動した。




部屋に駆け込む淳平を見ながら、唯は小さく「ば〜か」と呟いた。

「さ〜って今日の夕飯は〜」

この発言を聞くとまるでおばさんだ。

が、彼女の笑った去り顔は、23歳のそれだった。




















部屋で淳平はうずくまっていた。

パソコンは何の意味もなく稼働している。

どうしよう・・・

それが本音だった。

映画制作を見込み、綾に脚本を頼んではあった。

仲のいいスタッフと、今度撮るときは頼むぞ、なんてことも話していた。

それが・・・すべて無駄に終わろうとしているのか。

そう考えればやるせなくなった。

一体どうすればいいのか。

平野は自分が駄作を作ることを期待している。

その期待に応えていては意味がない。

そもそも向こうの無茶な要求に応えていては、それこそストレート待ちのスラッガーにど真ん中のストレートを投げるようなものだ。

だったらどうするか。

変化球で攻めるしかない。

平野の裏をかいて、一泡吹かせてやろう。

しかし方法は?

答えに対し、また問いが現れ、結局解決せずに悩み込んでいるうちに唯に呼ばれた。

コーヒーをいれてくれたらしい。

下に降りていくと確かにいれたてのコーヒーはあった。

その気遣いがうれしかったが、だからといって気分が晴れるわけでもなく、自分でも気付かぬうちにうつむいていた。

それを見て唯が尋ねる。

「ね〜やっぱり今日の淳平変だよ〜

 何があったのさ〜」

しかし淳平は答えない。

もう一度唯は同じように尋ねるが、大したことじゃないと言うばかりである。

その煮え切らない態度に、唯の我慢は限界に達した。

「もういい加減にしなさい!」

急にそう叫んだ唯を、淳平はただ呆然と見ているしかなかった。

「昔っから淳平は一人じゃ何にもできなかったでしょ!

 いっつもいっつも唯が助けてあげたの覚えてないの!?」

突然の話に戸惑いながらも、少なからず過去を思い出した。

取られたゲームを取り返してくれたり、お姉さん気取りでお遣いにつれてかれたり。

よく考えればずいぶん甘えた少年時代だったと思う。

だけど、そのことと今にどんな関係がある。

そう思って顔を上げたときに目に飛び込んできたのは、必死に涙をこらえる唯の姿だった。

予期せぬ事態に淳平は固まる。

すぐ後に、雫は頬を流れ床へ音を立て落ちた。

「な・・・なんでお前が泣くんだよ」

「だって・・・だって淳平こっちに来てからなんにも話してくれないんだもん!

 なんとなく元気ないし・・・口数だって減ったし!

 おじさんもおばさんも気にしてるんだよ!

 でも淳平が話したくないんならって・・・

 何で話してくれないの!?

 もっと頼ってよ・・・。

 どうせ淳平のことだから、話しても迷惑をかけるだけだとか考えてるんでしょ!?

 でもあたしたちは話してほしいんだよ!?

 迷惑だとか迷惑じゃないとか・・・そんなのあたしたちが決めることでしょ!?

 なんで淳平は話す前から勝手に決めつけちゃうの!?」

いつしか涙を流していることすら忘れたように、必死に訴えかける唯。

その正論に、淳平は返す言葉を見つけられなかった。

「話してくれないと・・・不安になるじゃない・・・」

急にそれまでとはうってかわった、語気の激しさもなくなり、涙にかすれるような声が聞こえた。


「嫌われてるのかなとか・・・頼りないのかなとか・・・

 あたしってもしかして役立たずなのかなって・・・」


しっかりと目を見開きこちらを見つめる唯。

その瞳の真っ直ぐさに、話さず曖昧にごまかしていた自分が急に恥ずかしく感じられた。

「わかった・・・から・・・もう泣くな・・・」

ようやく答えたその言葉に唯は、何で?と聞き返したが、淳平は「泣かれるとズキズキ俺に刺さるんだよ」とごまかすように背いた。

















約5分の沈黙が続き、その間二人はお互いの表情をチラチラと伺いながらコーヒーを飲んでいた。

家には他に誰もいない。

当然なんの物音もない。

ちょうど二人ともがコーヒーカップを置いた時、待っていたように唯が大きな溜め息をついた。

「なんだよ・・・」と淳平。

「なんだよ、はないでしょ」

「ん・・・まあ・・・そうだけど・・・」

特に意味のない主張をしあい、それはその歪んだ雰囲気を戻すような行為であった。

また短い沈黙を迎え、その後唯が口を開いた。

「何であたしは泣いたんだろうか・・・」

まるで自問するような口調にたじろぎながらも、淳平は次の言葉を待ち再度コーヒーをすすった。

「いやまあ淳平が頼ってくれないからなんだけどさ」

自問に自答する、というように、淳平に話をさせないような間の置き方で、淳平自身発言するタイミングを失ったようだった。

また沈黙が訪れ、ただカップとスプーンのふれる音だけが響いていた。

淳平は唯が続きを語るのを待っていたが、なかなか切り出そうとしない。

誤解を解く意味もかねて、淳平は言いにくそうに口を開いた。

「別に頼りにしてない訳じゃない。

 けど・・・まあ自分自身のことだからさ・・・

 俺が解決しなきゃいけないんだよ」

そこまで言うと淳平は立ち上がり、腕を上げたポーズをし、

「いわば俺に与えられた試練なのさ」

と、キザに言ってみた。

もちろん冗談半分で、この張りつめた空気をどうにかしたかったのだが、唯は俯いたままで反応しない。

淳平はいたたまれぬ気持ちになり、仕方なく座り直して続きを話した。

「とにかく頼りにしてない訳じゃない。

 言っておくけど、唯は本当に頼りにしてるから。

 ある意味俺の一番の理解者かもしれないしさ。

 だから苦しい時は頼ると思うよ。

 だけどさ、頼ってばっかじゃだめだろ?

 そりゃできる限りのことは自分でしなきゃ。

 だから、今回のことは大丈夫だよ。

 不安にさせたのは悪かったけど、大丈夫だからさ」

すべて本心であった。

唯は頼りにしている。

今回のことは自分自身の問題。

ただ解決法がわからなかっただけ。

だから心配しないでくれ。


物分かりのいい唯はすぐに納得してくれた。

なにせ淳平の一番の理解者なのであるから。

「まあ・・・どうせそんなところだと思ってたけどね・・・。

 昔っから変わってないね。

 まあそのせいでかわいい彼女を逃がしてしまったわけですが。

 そもそもね、人のことを第一に考えながら、それでいて自分勝手に行動してるんだよ、淳平は。

 解釈が淳平の視点だからいけないんだよね。

 楽しいとか、好きとか、迷惑ってのはシュカンテキなものなんだからさ。

 そういうことも含めて考えなきゃ」

少し得意げに話した唯。

その誠意に誠意で応じるかのように聞き入る淳平。

なんだかんだ言って、唯はちゃんと自分のことを見ていて、心配してくれていると再確認した。

と、その時。

淳平はふと微笑むのも相づちをうつのも止めた。

気持ちよさそうに話していた唯も気づき、怪訝な表情をする。

「・・・だ」

微かに聞こえた音に、唯がさらに顔を歪める。

「あたしに怒られてショック受けちゃった?」

そう冗談を言ってみるが反応しない。

手を目元に持っていき振ってみる唯。

すると急に淳平がそうだよ!と叫んだ。

いきなりの大声にあわててよろめく。

が、淳平は気にも止めず歓喜し、自分に向かって言い聞かせるように言葉をつないでいた。

「そうだよ、あいつが権力を目当てにやってるのに、こっちがわざわざ権力賭けてたら意味ないんだよな。

 あいつが『大人の汚さ』で勝負してくるんだったら・・・」

そこまで言うと、淳平はまた自室へと走り込んでいった。

一連の行動をあっけからんと眺める唯。

少したって自分が置き去りされたことに気付き、ちょっと待ちなさいと声をかけるも、淳平はすでに部屋に収まっていた。

「こらー!あたしの話と関係ないところで納得するなー!」

そう叫んでみても返事がない。

シーンと家が静まりかえるのが肌に感じられた。

急につまらなくなり、あほうめ・・・と呟きながら、唯はキッチンへと戻っていった。





飲みかけのコーヒーを口に含み、テレビの電源をつけると一つくしゃみをした。

そばにあったティッシュで鼻をかむ。

そして一言呟いた。

「いかんいかん・・・花粉症の時期にコンタクトはきついな・・・

 涙が止まんないよう・・・」

陽気と夕焼けの光線が混じりあう鮮やかな世界。

淳平の『大人の汚さ』という言葉が少し気になりながらも、今そこに見える世界の美しさを認める唯であった。

また一つ、くしゃみの音がこだました。


[No.1000] 2005/04/05(Tue) 17:06:59
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『真実の瞳』−13.「記憶」 (No.1000への返信 / 13階層) - スタンダード


淳平は、部屋でパソコンに向かっていた。

映像が流れていく中でタイミングを見計り、停止しては修正を加えている。

編集作業の真っ最中だった。

昔の映像を見るというのはどこか恥ずかしく、改めて自分の高校時代というものを再認識した。


と、そこで携帯が鳴った。

手を伸ばし開いてみると、外村と表示されている。

通話ボタンを押し耳に当てると、外村の興奮した声が聞こえてきた。

「おいっ!今すぐ天地の家集合だ!

 見せたいもんがある!」

急の誘いに戸惑うも、どうしたんだと聞き返す。

「いいからいいから!

 来れば分かるよ!」

そこまで言って外村はすぐに電話を切った。

口調は激しかったものの、怒りや焦りというものは感じられなかったからおそらくうれしい方で興奮しているのだろう。

そのように思いながら、至急集めるようなことって何だろうとも考えた。

編集作業の途中だったので迷ったがそれも一瞬で、すぐに行くことを決意した。

1週間もあるのだから焦る必要はない。

それよりも早くこっちの生活になれてしまいたい。

それが本心だった。

夕飯の支度をしている唯に向かって出かけてくると一言残し、暗くなった外へ出た。









切れかかっている蛍光灯を見つけると懐かしい気持ちになった。

それは5年前から消えかけていたものだ。

つい立ち止まり考え込む。

一回転して周りを眺めてみると、一体何が変わったのだろうとまで思う。

家や建物は生き物ではないから、自然に変化することは当然ない。

だから、人間が手を加えなければ決して変わることはない。

切れかけた蛍光灯。

穴の開いた郵便受け。

壊れた塀。

配置が変わるはずもなく、あの頃と風景が重なる。

その中で変化を見つけることができたのは、自分自身に対してだけであった。

変わったのは自分だ。

何を今更、とまた足を進め始める。

5年という月日を越えたその足取りは、やや力強く、繊細になったようだった。














天地と綾の家の前で、小宮山とちなみに会った。

向こうは一瞬、誰だ、という顔をしたがこちらはもちろんすぐに気付いた。

「小宮山か?」と声を出すと向こうも気付いたようで、大きな声で「真中か!?」と聞き返した。

お互いを認め、再会を喜んだ。

隣にいたちなみにも気付き、「端本とは順調か?」と聞くまでもない質問もした。

二人は何も言わずに顔を見合わせたが、その笑顔が何よりもの証拠だった。

淳平は何でここにいるのかと尋ねたが、二人は当たり前のように「外村に呼ばれたからに決まってんじゃん」と答えた。


淳平はその言葉と表情を一瞬疑問に思ったが、彼らにしてみればこんなことは日常茶飯事だった。

天地と綾の豪邸は、半分外村の基地となっており、外村も一日のうちの長い時間居座っているらしい。

こずえもともにであるが。


昔の映研部(大草は特別)は結びつきも強く、外村からの招集もよくあることらしい。

小宮山は「まあみんなめんどくさくて来ないこともしばしばだけどな」と言い、その後に「でも今日はなんかいつもと雰囲気が違ったなぁ」
と呟いた。

淳平にしてみれば、いつもいつも招集なんかして何を話しているのだろうと思ったが、今日のいつもとの違いというのも気になった。

「まあ俺たちは招待されているんだからとりあえず入るか」と小宮山、ちなみを促し、三人は豪邸の中へと消えていった。










リビングに招かれると、そこには映研部員がズラリと並んでいた。

外村、綾、さつき、天地、美鈴、そして自分と小宮山、ちなみ。

さらに、大草もいる。

さつき、こずえ、美鈴、ちなみとは面識がないはずだったが、普通に話しているところを見ると、この招集会議で仲良くなったのだろうと言うことが容易に想像できた。

淳平が入ったことに大草も気付き、おぉ、と声を出した。

「久しぶりだな〜」と互いに言う。

「いや〜マジで久しぶりだな。

 なんか5年とは思えないほど」

「ちょっと真中!

 あたしと再会したときと随分コメントが違うんじゃない?」

「はぁ?

 だってお前変わってないんだもんしょうがないじゃん」

「何を〜」

淳平とさつきのいつもの争い(もっとも最近は休止していたが)が始まり、場の全員が笑みを見せる。

まるでそのまま5年前になったと思うほど皆変わってないように見える。

それでもやはり、変わるもの、増えたもの、減ったもの、失ったものがある。

「よし、映研関係者、全員集合したな!」

そう切り出した外村の言葉にも、違和感を感じざるを得ない。


西野がいねぇよ・・・


そう思い、だが言葉には出さない。

今この場には不必要な台詞であると皆分かっていた。

一瞬暗い雰囲気が辺りを包む。

しかし、見せかけの明るい雰囲気を皆で創り出し、偽物の笑顔を繕った。

つかさの不在が、一番大きく感じられた瞬間だった。



その後淳平が続きを促す。

「そうだよ、何で俺たちを呼んだんだ?

 俺は忙しいっていうのに・・・」

少し不機嫌なふり、というよりも、意地悪なふりをしてみたがまんざらでもない。

同窓会のように、昔の友達に会うというのはやっぱりうれしいものである。

確かにつかさはいない。

でも、ここにいる皆がかけがえのない友人であることにも違いない。

だからこそ、集合をかけた外村には内心感謝していた。

まあ、そう思ったのは自分だけで、他の人たちはちょくちょく会っていたのだが。

淳平に促され外村が思い出したように話し始める。

「え〜っとだな〜大変貴重なものを入手した!」

何か自慢するように、偉そうでうれしそうだ。

淳平もなんだろう、という気持ちで心を奪われた。

そこにいる他の人も然り、である。

しかし、次の言葉に淳平は笑みを失った。

「なんと!真中の映ってる映像を手に入れたんだ!」

そう言った外村は、パソコンのディスプレイを指し、一つの映像を見せている。

「たまたまネットに流れててさ〜まさか真中が映ってるなんて思わなかったぜ」

画面の中の再生ボタンをクリックする。

停止状態だった画像が、動画となり音を発する。



それはニュースの一企画であった。

キャスターがマイクを持ってドアの前に立っている。

「この扉の向こうに、若手パワーズの一人がいるのです」

そう言ったキャスターは、営業スマイルを光らせている。


若手パワーズというのは、そのコーナーで付けられた名前だった。

近年は、若手、の力が大きくなってきていた。

若手ミュージシャンや、若手芸術家。

他にも、芸人、小説家、政治家など、様々なジャンルにおいてである。

そういった若手の力を特集するのがそのコーナーだった。

若手パワーズは、若手パワーを持っているものたちの総称だ。



キャスターは重々しいドアを開け、中へと忍び込むように入る。

意味もなく声を潜め、カメラマンに目配せするような仕草を撮る。

「いました!いました!」

キャスターは、そのキンとした高い声でささやく。

指を指した先には、円形テーブルと一人の男がいた。



「こんにちわ〜」

キャスターは腰を低くして近寄る。

そちらに気がついた男も軽く会釈をした。

「あなたが下山健二さんですね」





その声がスピーカーから流れたとき、淳平はうつむいていた。

覚えていた。

この日の出来事を。







「あっはい。そうです」

画面の中で下山が照れくさそうに話している。

今日の若手パワーズのスポットライトが照らした先は、映像関係者だった。

下山が選ばれたのだ。

その後は、キャスターが聞き下山が応じるという形式の会話がなされた。

画面の外の外村達も食い入るように画面を見つめる。

たまにさつきが「本当に真中が出るの?」と尋ねていたが、外村は流すようにテレビをあごで指していた。








そして、番組の終わりも近づいていた。

キャスターが下山に、次の若手パワーズは?と聞いたからだ。

若手パワーズというのは、若手が若手を紹介していくのである。

半分は、名を宣伝することに意味があり、若手の友達などをテレビにおいて紹介するのである。

しかし下山は困っていた。

「それがですね〜僕あんまり友達がいなくてですね・・・

 あまりこれといった人がいないんですが・・・」

思いがけない台詞にスタッフも慌ててしまっている。

キャスターもプロデューサーにどうするのと尋ねている。

その混乱を解決したのは下山の一つの提案だった。

「もう一回映像関係者でいいって言うんなら・・・」

その言葉に、プロデューサーは迷った末OKを出した。

「じゃあその線でお願いします」





すると突然下山は席を立ち、どこかへ消えてしまった。

キャスターもプロデューサーも皆びっくりしている。

しかし、奥の部屋から小さく声が二つ聞こえてきた。

そして、すぐ後に下山は一人の男を連れて戻ってきた。


それが淳平だった。









外村達も興奮していた。

すごい、とか、あたしも出てみたい等々である。

外村は淳平に振り返って話しかけた。

「なあ、どんな気分だった?」

しかし、振り返った先にいたのは、決していつもの淳平ではなかった。

前に一度見た、負のイメージが強い淳平だった。

淳平の表情を見て一瞬固まる外村。

すぐにさつきたちに呼ばれて振り返ったが、淳平の表情は頭から離れなかった。






画面の中はさっきと違い男が増えている。

しかし基本的には下山が淳平の紹介をしているのであった。


「いや〜こいつはですね、僕よりずっと若いんですけどもセンスは凄いと言われています」

「言われているとは・・・?」

「えっとですね、僕たちの直系の師匠に当たる上田栄蔵さんがそう言ったんですよ」

「え・・・上田栄蔵ってあの・・・?」

「ええそうです。

 去年日本アカデミー賞を取った人です」

「じゃ・・・じゃああなた達はあの人から教えてもらっているんですか?」

「まあそうなりますね。

 って言っても実際は雑用させられて見学しているだけですけどね。

 何かを教えてくれるって訳じゃないんです。

 栄さんはいつも『感じろ』って言ってましたから」

「栄さん・・・」

「そ。栄さんです。

 まあ年もかなり離れてますから親みたいに感じるんですよね。

それでみんなそうやって呼んでますよ」

「へぇ・・・そうなんですか。

 それで栄蔵さんが真中さんのセンスを見抜いたんですか?」

「そうです。

 お前の目は『真実の瞳』だ、って」

「ちょっと下山さん・・・

 あれは栄さんも冗談だって言ってたじゃないですか。

 お前も異名があったらおもしろいんじゃないかって冗談でつけたんですよ、あれは」

「でもあの人がお前のことを認めてんのは間違いないだろ」


一連の話はいつの間にか二人の言い合いになっていく。

キャスターは自らの仕事を思い出し、続きを聞いた。

真実の瞳とは、と。





「あれって何で真実の瞳って言ったんでしたっけ?」

「俺は覚えてるぞ。

 なんかこんな感じだ。



 お前の目は少し違う。

 映画撮影をお前と一生にやっていれば分かる。

 どこをどうすればいいか的確に判断してる。

 アングルの微妙な位置関係や、音楽のタイミングから映像のコントラストまですべてにおいてだ。

 お前にダメ出しをよくされるがちゃんと見えてる証拠だ。

 それと、判断力がいい。

 ずば抜けてな。

 他の奴らとは比べものにならない。

 お前は優柔不断だが、それとはちょっと違うな。

 そして、その行動に後悔しないところだ。

 その辺がお前はすごいよ。

 だから真実の瞳だ。






 みたいな感じだった」


上田栄蔵に変わって下山が解説を終えると、キャスターは感心したように声を漏らした。



そこまでで映像は終わっていた。

画面に釘付けにされていた視線が淳平へと向く。

同時に声もかけられた。

「真実の瞳か〜お前もしかしてすごかった?」

そんなような、驚嘆した意見や、疑問の意見もあった。

しかし淳平は顔を下向けたままだった。

異変に気付き外村が話しかける。

「どうかしたか?真中・・・」

しかし答えない。

これじゃ唯の時と同じだ・・・

心中ではそう思いながらも、体が言うことを聞かないかのように、話せなかった。

「いや・・・何でもない・・・」

絞り出すように出したその声に、外村は疑問に思いながらも追求しなかった。

「ふ〜ん・・・風邪でもひいたんじゃないか?

 早く帰った方がいいかもな」

そういった機転が利かせられるのが外村だった。

淳平が話したくないということを察し、またその場にいたくないという気持ちも感じ、皆の批判を食らわないようにさっさと逃がしたのだ。

もちろん、その程度で他のみんなが、淳平を突き詰めるようなことはしないと分かっていたが。



わざとらしく額に手を当て、やっぱり熱があるな、と一言。

心配性の綾やさつきによって、早急に解散が決定され、淳平は別れて一人で帰ることになった。

















夜風が涼しかった。

見上げれば、星が薄く瞬いている。

周りには誰もいなく、静かな空間だった。

当然思考は内側を向く。

先ほどの映像が何度も甦る。

真実の瞳。

そう呼ばれ始めた頃だっただろうか。

もちろん、真実の瞳なんて呼び方を知っているのは数人であったから、呼ばれ始めたと言っても一部のものにであったが。



画面の中の自分が随分幸せそうに見えた。

自分がほめられていることに照れ、謙虚な姿勢を見せながら対応している。

今と比べれば、よっぽど人間らしい豊かな表情といえるのかもしれない。




今・・・俺は何をやっているんだろう・・・



一瞬そう思うと、なかなか頭から離れなかった。

この不安定な現実(いま)を抜け出したい。

願うのはただそれだけだった。


西野に会いに行こう。


曇りかけの真実の瞳が見せた判断だった。

会うべきかどうかは気にしない。

後悔はしないから。


[No.1014] 2005/04/10(Sun) 03:17:52
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『真実の瞳』−14.「悲対」 (No.1014への返信 / 14階層) - スタンダード

淳平は一人たたずんでいた。

何故かつかさに会いたいという衝動に駆られここにいる。

目の前にはマンション。

来るのはまだ2度目だ。

もちろんあてもなく来たから、つかさが出迎えに来るということなどはなく、ただ一人、その無機質なマンションを眺めていた。

結構な時間、悩んでいる。

予ぼうか呼ぶまいか。

来たからには会いたい。

それでも前回の言葉が蘇り、どうしても躊躇わせる。

「淳平君を嫌な目で見てしまう」

そう思い込むのが楽だからと、言葉を濁らせてはいたが、結局のところ会えないのだろう。

そこをあえて自分から会いに行くべきなのだろうか。

それが、躊躇の原因だった。

指がインターフォンに伸びては戻る。

何度繰り返しただろうか。

やがて淳平は、あきらめたように、そこの駐車場に座り込みうつむいた。

俺何やってるんだろ・・・

そう思うと、不意に悲しくなった。

感情がコントロールできず、落ち着かない。

情けなく、小さく思えて仕方がなかった。

じわりと瞳が熱くなる。

涙の感触が思い出され嫌な気分になった。

しかし体が泣こうとしていた。

結局自分一人では何もできない無力さ。

つかさを励まそうと思いながらも、怖くて会えない情けなさ。

何も変えられない無意味さ。

ここにいることへの疑問。

様々な形の自己嫌悪が降り注ぐ。

そんな時だった。

「淳平君?」

聞き慣れた声がかけられる。

振り向くとつかさがいた。

手に持った荷物から外出していたことが分かった。

もしさっきインターフォンを押して返事がなかったら、居留守をされていると思い帰っていただろう。

そう考えると、自分の臆病さにも感謝できた。

つかさと目が合い、無音の空間が生まれる。

何度見ても、その美しさに心を奪われる。

二人に間に吹いた風がやけに冷たく強かった。

「泣いてる・・・?」

そう問われて急いで目を拭った。

ただ潤んでいるぐらいだと思っていたが、しっかりと雫が頬を伝っていた。

そこまで弱くなった自分がおかしく、心の中で自嘲していた。

「どうしたの?」

再度問われる。

返答に迷った。

なんと言えばいい?

会いに来たなんて言ってどうなるんだろう。

確かに本心であるが、言葉にすれば中身のない台詞でもある。

「用はないけど」

自然にそう答えていた。

用はないけれど会いに来た。

それこそが、会いたくて会いに来た、ということでもある。

つかさは一瞬戸惑った表情を見せるが、すぐに元に戻り、静かに見つめる。

「ごめん・・・前にも言ったけど・・・」

それは予想していたことだった。

きっとそう答えるのだろう。

だからこそ、その後ことをうつむいている間考えていた。

結論は、すぐに帰ることだった。

ここに長くいても迷惑をかけるだけだろう。

時間がすべてを解決してくれるわけではない。

事実、すでに半年を費やしてきたのだから。

それでも立ち直れないつかさはどうすればいいのか。

説得すること、何か大きな出来事に触れること、死から生へと目を向けること・・・。

でも今は時間が必要なのだろう。

いきなり戻ってきた自分にまくし立てられて、簡単に立ち直れるはずがない。

だから拒絶されたらすぐに帰ろう。

そう考えていた。








つかさは迷っていた。

淳平が来ても、追い返すだけ。

悪気があってではなく、自分がそうするべきだと思ったからだ。

嫌いたくない。

その感情は必ずあった。

だからこそ、今会いたくない。

そんな気持ちがいいわけに過ぎないと言うことも気付かず、何とか断ろうと思っていた。

だが、淳平はあまりにもあっけなかった。

「そっか・・・。じゃあまたな」

たった・・・たったそれだけの言葉を残して振り返り、歩き始めようとしていた。

顔が見えなくなる瞬間、正体の分からない恐怖に襲われる。

もう会えない気がしてならなかった。

「待って!」

いつの間にか引き留めている自分がいた。

取り残される感覚を嫌い、無意識のうちに叫んでいた。

「え・・・・・・あ・・・その・・・」

自分自身の置かれている状況すら理解できないほどに、パニックに陥る。

なんであたしは叫んでしまったんだろう・・・?

完全に心と体が違う行動をした。

というより、表面上の繕った心情と、深層心理とも言える本当の気持ちとの差だったのかもしれない。

戸惑っているのはつかさだけではなかった。

不意に呼び止められた淳平もである。

しかし、当のつかさも混乱している。

どうすればいいのか分からず、ただ立ちつくしていた。

つかさは少しの間考え込むように俯いていたが、やがて顔を上げた。

「その・・・怒ってる・・・?」

淳平は呆気にとられた顔でつかさを見返した。

思いがけない問いに一瞬答えを見失うも、すぐに我に返りつかさに微笑みかけた。

「そんなはずないって!

 まあ・・・ちょっと残念だなぁって・・・

 あ・・・いや・・・でもさ、西野が俺に会えないってのはそれなりの理由があるんだからさ。

 俺が怒る権利なんてないしさ」

その言葉を聞き、つかさの気持ちは和らぐと思われた。

しかし、一向に表情をゆるめない。

逆に辛くなったようにも見える。





淳平の言葉は素直にうれしかった。

しかし、そのことがつかさに気を遣わせてしまった。

淳平君はあたしのわがままのせいで苦しんでるんだ・・・。

そう思うと、一方的に避けていた自分に、多少なりの罪悪感の感じた。

だからといって、昔に元通りでいいのだろうか。

やっぱり一緒にいたら嫌ってしまう気がする。

嫌ってしまいたくない気持ちもある。

こんなにも心配してくれる淳平を憎んでしまう恐怖もある。

だが、淳平のその澄んだ瞳を見て、つかさは考えを変えた。

この瞳が、映像関係者の中で、大きな評価を得ていることをつかさは知らない。

真実の瞳が写す真が、つかさには見えない。

それでもつかさが自分で選んだ行動。

数ある選択肢の中から選んだものだった。

「お茶ぐらい・・・飲んでく・・・?」







半ばあきらめかけていた淳平の顔が、すぐに明るくなるのが分かった。

期待と・・・希望に満ちた瞳。

淳平自身も、何かが進んだ、と感じていた。

もちろんすべてが解決に向かっているとは考えがたい。

それでも、後戻りをしているわけでなく、少しずつ動き始めている。

つかさの心を開く・・・

そういった気負いというものはなかった。

会いたかったからここにいる。

後悔はしない。

先ほど感じたそれらの思いが、繋がっていく。














部屋には無駄なものが一切なかった。

死・・・無・・・

負のイメージを強く感じさせた。

改めて、親しい人間の不在というものを感じた。

脱力感・・・困憊感・・・

亡き人の想い出がなくなるわけではない。

それらがあった場所に、透明の『無』が場所をとってしまうようなものだ。

いつしか『無』は大きさを変え、支配を強め、心を奪う。

必要最低限の行動が出来ればいい。

そんな心情が部屋から伝わってきた。

玄関からリビングへの間にキッチンが見えた。

淳平はふとそこに疑念を覚えた。

何もない。

つかさの家には必ずお菓子を作る道具が置かれていた。

しまうとか片付けるとか、そういう問題ではなく、必ずそこにあったものだ。

引っ越せば、配置も変わるし物も変わる。

道具がないことなど、本来ならば気にするようなことではない。

ただ、理屈など何もなく、感じたのである。



「西野は・・・ケーキとかまだ作ってる?」

口にした後、後悔した。

言わない方がよかっただろうか。

普通に考えて、ケーキと日暮れの死は関係づけられているだろう。

案の定、つかさの答えは作っていない、だった。

「やっぱり・・・思い出しちゃうから・・・」

トラウマだった。

ケーキを作れば、当然日暮れのことが思い出される。

パリでの想い出が蘇り、プロポーズされた事実と、日暮れの死という現実が突きつけられる。

それが耐えられなかった。

もう作り方すら分からないかもしれない。

その後、つかさは一度も笑うことはなかったが、それでも話を聞かせてくれた。

日常生活の中にしっかりと色づいた本場パリでの菓子。

自分がパティシエになっていくという実感とともに訪れる幸せ。

遠くに過ごす想い人と、すぐそばにいる神様のような存在。

選べてと言われても比べられない二人。

相談出来る人がいなかった日々…。

聞けば聞くほど、淳平は自らのふがいなさに打ち拉がれていく。

最後の一言は、胸に深く突き刺さった。

「もう…こういう話を出来るぐらい…悲しみに慣れちゃった。

 だんだん日暮さんとの思いでも忘れてくのが分かる…。

 でもやっぱりどうにもならない…。

 日暮さんのことを忘れたからって…今の状況を抜け出せる気がしないもん…」

忘れてしまうことへの恐怖が感じられた。

自分はあんな大切な人をも忘れてしまうのか…。

そんなことだから…あんな苦しそうな顔をして死んでしまったんだ。

日暮れが死んだ際の苦悶の表情は決して忘れられず、まるで呪いのように心にまとわりついていた。

その後つかさは淳平の暮らしを尋ねた。

向こうでどんなことがあったのか。

「いろいろあったよ。

 大学に入ったんだけど、なんか無意味に感じたんだ。

 それで、そこの大学の映像研究部の顧問のコネで、上田栄蔵という人に会った。

 映像関係の権威で、結構すごい人。

 まあ弟子入りみたいな感じでその人と暮らして、最初は雑用やらされたんだ。

 で、下山さんて人に出会って、いろいろなことを教わった。

 下山さんも若かったから結構気もあったし。

 それで栄蔵さんの『えいぞう会』っていう会にいれてもらって…。

 まあそんな感じ」



淳平が話している間、つかさはどこか心ここにあらずといった感じだった。

「幸せそうだね…」

気の利いた言葉もかけられず、あからさまな皮肉がこぼれてしまう。

しかし、つかさは自分が皮肉ったことを悪いと感じられない。

嫌ってしまうかもしれないとあれほど心配していたことが今起ころうとしている。

それでも自分に非があることを認められない。

それが淳平の幸せな生活に対する嫉妬から来ているのか…

それとも日暮れとの想い出の中に、相談にすら乗ってくれなかった淳平を思い出したからなのかは定かでない。

もう止められなかった。



「ごめん…帰って…」



柔らかい表現も、微笑みながらのさよならも、何も出来ない。

ただ苦しみの表情を浮かべ、一言呟くだけだった。

淳平は、その言葉に悲しみに近い感情を覚えたが、しかし素直に従う。

「分かった…。

 また来ていいかな…?」

つかさは答えない。

ただそこに立ちつくすのみである。

その姿に、淳平は悲しい笑みを見せて扉を開けた。

ひんやりとした空気が中へと入り込む。

じゃあ、と一言を残し去っていった。

バタンと扉が閉まる音がすると、その後は無音の空間が広がる。

閉まる瞬間、自分が手を伸ばしかけたのに驚きながらも、これでいいんだと自ら語りかける。

これ以上いたら、淳平君をどんどん嫌いになっちゃう。

どうしようもない無力感とともに、ドアに寄りかかった。

瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。















外は真っ暗だった。

所々の街灯が切れてしまっている。

そんな中を淳平は一人で歩いていた。

先ほどのつかさの言葉が蘇る。

『幸せそうだね…』か…。

そうなのかな…。

そうなのかもしれない…。

真実の瞳は、輝きを失っていた。

そこに写るのは、真実という名の悲しみだった。


[No.1089] 2005/04/19(Tue) 01:54:08
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『真実の瞳』−15.「二天」 (No.1089への返信 / 15階層) - スタンダード


結局淳平は、映画を作ろうとしなかった。

前回のえいぞう会が終わって以来、全く、である。

平野から与えられた1週間の期限は、ほとんどが綾の作品を読むことに当てられた。

聞いた話によれば、人気があるわけでもなく、そんなに売れてない、ということだ。

それでも3冊出ていたのが、小説家として暮らしてきたという証明だった。

それらをまとめて買い込み、部屋にこもって読み続けた。

全て長編で、手にずっしりと重たいそれは、綾が創り出した、彼女にしか創れない物である。

そのうちの2つに帯がついていて、一つはデビュー作であった。

『文芸星屑審査員特別賞受賞作家が描く、甘く切ない恋愛・・・』

『衝撃のデビュー作から2年、東城綾の新しい未来!』

当然帯に書かれた評価だけでは内容は分からない。

そもそも、人に買わせるために書くのであって、悪いことは書くはずがないのだ。


















ふと唯は立ち上がった。

淳平の部屋がやけに静かだからだ。

足音すら聞こえない。

寝たのだろうかとも思ったが、「寝過ぎた〜」と唸っていたはずだ。

それに、もう6時間近く無音なのだ。

昼食を食べてから、ずっとこもりっぱなしであった。

さすがに異変を感じ様子を見に行く唯。

コンコンと二回ノックをし、恐る恐る扉を開ける。

「淳平?」

返事はない。

わずかに隙間を作り部屋の中を覗いてみる。

だが、淳平の姿は見えない。

もう少し開き、その隙間を広げてみた。

すると、淳平の足が見えた。

なんだいるじゃん。

心の中でそう思い、完全に扉を開く。

「何してんの?随分静かだったけど・・・?」

唯はそう尋ねながら淳平を見た。

もっとも、その答えを待つまでもなく、何をしているかの答えは出た。

ただ本を読んでいるだけである。

しかし、淳平は返事をしない。

無視されたと思い、もう一度話しかける唯。

が、やはり返さない。

こんなに近くにいるのだから聞こえてないはずがない。

その思うと急に腹立たしくなり、淳平に近づいて思いっきり叫んだ。

「淳平!無視すんな!アホ!」

「うわっ!」

耳元で叫ばれた淳平は驚きと戸惑いで飛び上がった。

その際に、ベッドにすねを打ち付け、もがき苦しんでいる。

「いて〜・・・何すんだよ!」

いきなりの行動に、怒り睨み付ける。

ゴゴゴ・・・という擬音が聞こえてきそうな程であった。

しかし、その言葉に唯こそが反論をしたくなる。

何って、淳平が無視したからじゃない。

そう言おうと思ったのであるが、淳平の、何で叫ばれたか本当に分からない、という顔を見たら引っ込んでしまった。

当たり障りのない言葉に置き換え、求められた説明をしてやる。

「あたし・・・何度も呼んだんだけど・・・」

しかし、淳平はきょとんとするばかりであった。


つまり呼ばれたことに気付いていなかったのだ。

あまりの集中力故に。

本の世界に入り込む、その表現が一番正しいようで、それでもしっくり来ない。

まばたきすら忘れたように、羅列した文字を一つ一つ追う。

その作業を、延々6時間。

休憩すらしていなかった。

唯はその想像できない集中力に驚き、唖然とした。




その後、本の表紙に気付き、声を上げる。

「ん?東城さんの本?」

「ああ・・・」

淳平はそっけない返事をする。

というのも、唯がこの本をすでに読んでいることが容易に想像できたからである。

「どう思った?」

「え?」

「この本の感想」

不意に尋ねられて舌が回らない。

その問いが突然だったからだけではない。

淳平の真剣なまなざしに秘められた思いを感じたからである。

なんだか誤魔化したことを言うのが躊躇われ、思ったことをそのままに話した。

「う・・・ん・・・なんていうか・・・

 普通・・・かな・・・。

 面白くない訳じゃないけど・・・面白くもないというか・・・

 あっでもあたし本なんて全然読まないから・・・よくわかんないけど・・・」

自分の意見を言いながらも、綾をフォローする唯。

しかし淳平は気にせず、だよなぁ、と呟くだけだった。

「淳平はどう思うの?」

「俺?まあ唯と同じだよ。

 普通・・・かな」

「で・・・でも東城さんはきっともっとすごいんだよ!

 だって審査員特別賞ってやつ取るぐらいなんだから・・・!」

そう必死になる唯を淳平は優しく鎮め、

「大丈夫。俺が一番分かってる」と笑った。

淳平は、俺が東城の一番の読者なんだ、という強い自負の念があった。

それだけに、綾の作品を真剣に読み込み、なるべく私的な考えを除いて、一つの作品として評価した。

そして、その結果が『普通』なのだ。

おそらく、自分の評価は間違いではない。

好みはあるだろうが、でも一般的な意見だと思う。

淳平も、映画の仕事に就くに当たって、たくさんの脚本家に出会った。

驚くべき才能を持っていると直感した者、練り込まれたストーリーに努力を感じた者・・・。

それでも、全てこう思っていた。

東城には敵わないな、と。



それも、あの脚本ゆえだった。


「普通の人が書いた脚本でコンクール優勝なんて出来ると思うか?」

淳平は唯に言った。


『第18回高校生金の鷲映像コンクール優勝』

その肩書きは、ダテじゃない。

巧みな心理描写に、あっと驚くクライマックス。

悲しみの中に瞬く一縷の希望。

それらを描いたあの作品を越えるものに、淳平はまだ出会っていない。

あれが、綾の本当の力・・・開花した才能だと思っている。

「だよね!あたしその映画見てないけどすごかったんでしょ?」

「まあな。正直天才だなと思った。」

淳平はあっけなくそう言った。









審査員特別賞を取ったという作品は一度読ませてもらった覚えがある。

軽くではあったが、その内容も覚えていた。

あの時は、確かにすごいと思った。

同じ高校生で、こんな話が創れるんだなと。

しかし、今思い返すとどうだろうか。

コンクールの脚本とはレベルが違う気がする。

今の作品と同じ程度であるような印象がある。

審査員特別賞を取れたのは、まわりのレベルが低かったからではないか。

審査員特別賞止まりだったのは、そのせいではないか。



つまり、綾の作品に成長が見られなかったのだ。

コンクール優勝作品から程度が落ちてしまった。

もちろん、その脚本が良すぎたのもあるが。

もしかしたら、他のいかなる作品も敵わないかもしれない。

そう思い、今まで読んだ本を思い返してみると、一つだけ思い当たるフシがあった。



石の巨人。



未だ終わりを知らぬあの作品・・・。

あれのみが、唯一越えられそうな気がした。






綾はスランプに陥っているわけではない。

だからじっと待っていても、時間解決してくれない。

しかし、淳平は心配もしないし、焦ってもいなかった。

何が原因か分かっているのだ。

それが真実の瞳に依るところなのかは分からない。





















一週間。

その期限の間、綾の作品を読み終われば特にすることはなかった。

一度親に、「あんた仕事あるんでしょうね」と聞かれたが、札束をチラリと見せたら笑って一枚取られてしまった。

それからは何も言ってこない。

なんだかんだ言って親は自分のことを心配していてくれた。

それが妙にうれしくて、だがいつものことを思い出すとそのうれしさも半減した。

その後は、綾の家に行って脚本のすすみ具合を聞いたり、外村の家にておのろけ話を聞かされたり。

そしてつかさの家にも顔を出した。

今度こそ門前払いだった。

つかさとの溝がさらに深まったような気がして、なんとも居たたまれない気持ちになった。

それでも、今はまだその時ではないとかたくなに信じ、自分を言い聞かせた。

つかさとの関係はきっと何とかなる。

今あまり気を取られていては、足下をすくわれかねない。

結果的に一週間、自由な時間が与えられたことになったが、あまりハメを外しすぎてもいけない。

自分をコントロールしなければいけない時期だった。




















そして、一週間は瞬く間に過ぎた。

ふたたびえいぞう会の日がやってきた。

平野に会うと思うと、それだけで朝起きるのが辛くなったが、なんとか食パンを飲み込んだ。

いつも通りの私服を身につけ、ノートパソコンだけを持って少し早めに家を出た。

これから始める作戦に、ちょっとした気分の高揚を覚え、それが心地よかった。



前回と同じビルの、違う部屋が会合の場所であった。

受付嬢に場所を聞き、勇み足で向かう。

予定時間よりも30分早かったが、映画関係者は集合が早いし、一番若い自分が遅く行くのも悪いと思いすぐに部屋へと向かった。

扉を開けると、案の定半数近くの人はすでに着席していた。

少し大きめの部屋だ。

中央にスクリーンがある。

これから自分の映画がそこに放映される。

そう思うだけで、気持ちが落ち着くことはなかった。

次第に部屋は人で埋まり始めた。

ほとんどの人間が席に着き、準備が整っていた。

空席は2つ。

部屋の中の誰もが、その席の主に気付いていた。

一つは・・・


「セーーフ!!!」



と駆け込んだ下山である。

この人はいつも時間ぎりぎり(基本的に3分アウト)にやってくる。

人となりのおかげで、憎まれることもなく笑い事ですむ。

おう、今日はたった一分の遅刻か。

あれ?生きてたんだ?

そんな冗談である。

今日もいきなりのセーフ発言に、まわりが「アウトだ!」と口をそろえて批判をしている。



しかしもう一人はそうはいかない。

ドアがギィッと音を立て、一人の男がのっそりと入ってくる。

平野である。

室内の全員の目が平野へと向かう。

さっきまでのほのぼのとした雰囲気が、一瞬で凍り付いた。

中には敵愾心むき出しのものもいる。

その状況を汲み取り、下山が話の進行を始める。

前回のあらすじのようなことを話し、淳平に本当に大丈夫かと尋ねる。

淳平は黙ってコクリと頷き立ち上がった。

ノートパソコンと映写機を接続し、放映準備を整える。

少し経って、いいですよ、と下山に声をかける。

「よし、レッツゴーだ。」

下山がそういうと、スクリーンに映像が映し出された。





それはどこか、古さを感じさせる映像だった。

それもそのはず、5年前のものなのだから。

金の鷲映像コンクール優勝作品。

つかさ最後の主演作品。

綾の最高傑作。

そして・・・




    真実の瞳、開眼の瞬間・・・・・・


[No.1097] 2005/04/25(Mon) 02:17:08
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『真実の瞳』−16.「継承」 (No.1097への返信 / 16階層) - スタンダード



場から歓声が上がっていた。

「すごい脚本だな・・・」

「一流じゃないか?」

「普通に小説家としてもやっていけそうだな・・・」

そういって、脚本家、つまり綾のことを賞賛している。

その言葉は淳平にとってもうれしいものだった。

やっぱり、と心の中で呟く。

自分が今まで読んだ中で、最高の物語だと思っている。

それが他人に認められて、素直にうれしいのである。



と、そこでずっと黙り込んでいた下山が口を開いた。

「おまえらなぁ・・・監督は褒めねぇのかよ・・・」

その口調はどこか呆れ気味である。

もちろん、作品に呆れているわけではない。

その映像の中に秘められた淳平の才能に気付かない会員にである。

監督、という言葉に、また雑談に近い話し合いが始まる。

それでも、あまり淳平を褒める言葉は出てこない。

「・・・監督って言っても・・・これっていうすごいところは見つからないっていうか・・・」

そう答えた者は、どこか困っているようだった。

ここは淳平を褒めるところなのだろうが、本心でそう思ってしまったのである。

脚本の素晴らしさに霞んでしまっている、ということだ。

淳平も苦笑いを浮かべる。

またもや下山は呆れたように頭を抱えた。

「お前らなぁ・・・。

 『脚本を目立たせること』はすごいことじゃないのか?」

その答えに、皆がお互いの顔を見合い、そして納得したように感嘆の声をもらす。

「そう・・・だ・・・・・・。

 確かに、目立つ演出はないけど、それが脚本の邪魔をしていない」

まるで、なぞなぞの答えを教えられたかのように、なるほどと言う声が上がる。

昨今の映画は、無駄な演出が多い。

場に不釣り合いな盛り上げ方、異常な演出。

セットと金で映画を製造しているようなものだった。

しかし、高校生にそんなまねは出来ない。

セットを作るだけの技術や時間、人材もなければ、金銭的な面での制限も大きい。

そこで淳平の採った策が、演出の単純化である。

彼は、綾の才能を心から認めていた。

自分よりもずっと才能があって、素晴らしい作品を作っている。

その綾がわざわざ脚本を書いてくれているのだから、これを活かさない手はない。

そう思い、映画のメインを綾の脚本にしたのだ。

そして、映画の中身が安くならないように不自然な演出はさけ、より自然な演技を求めた。

つかさの熱演もあって『創られた映像』というイメージから随分離れ、『身近にある物語』へと近づいていった。





監督は主役じゃない。





そう考えていた。

そして、結果的にこの考えが、彼の運命をえいぞう会へと導いた。







「監督は主役じゃない」

下山が、みんなに聞こえるような声で言う。

監督は主役じゃない。

この言葉は、えいぞう会のスローガンでもあった。

淳平がえいぞう会にいるのは、たまたまその考えが一致したからである。

直々に上田栄蔵からスカウトされたことになる。

最初は大学で映像について学んでいた。

その時に教えてもらった先生が、たまたま栄蔵と知り合いであり、淳平のことを紹介したのである。

始めは冗談半分であった。

俺の生徒に随分熱意のあるヤツがいるんだ。

へぇ、面白いな。育てがいがありそうだ。

そんな会話である。

しかし、栄蔵と淳平が対面したとき、栄蔵が一方的に強く惚れ込んだのである。

その時も、この5年前の映画を見せた。

栄蔵は一瞬で淳平の才能を見抜き、そして淳平はえいぞう会へと入った。

淳平も、「監督は主役じゃない」という考えに共感し、喜んで受け入れた。
















室内の声は、完全に淳平を賞賛したものとなった。

改めて淳平の才能を見直し、真実の瞳の力を見せつけられた。

しかし、室内に『真実の瞳』という言葉を漏らすものはいない。

それでも、皆理解した。

栄蔵の愛弟子である理由が。



タイミングを見計らって、下山が一言呟く。

「平野さん、どうですか?真中の自己紹介は?」

そう。

この映画は自己紹介なのだ。

平野の策略であったはずだ。

しかし、今となっては何の利益も持っていなかった。

新入りの若造を陥れる予定が、逆にその才能を見せつけられた。

皮肉を言う立場だってはずが、いつの間にか皮肉を言われている。

「・・・・・・」

平野は何も言い返せなかった。

周りの人間はすごいすごいと騒いでいる。

その様子に腹を立て、苦し紛れのように淳平を挑発した。

「まあ本当に真中君が撮ったか分からんがね」

完全な侮辱であった。

その悪あがきとしか思えない言葉に一人が反論する。

「そんな・・・あんた自分が真中に敵わないと思ったからって」

しかし、そこまで言うと、下山に遮られた。

なんで・・・、そう言い返したく不服の表情を見せるが、下山には何も言わせない無言の迫力があった。

「平野さん・・・残念ですけど、あなたにはえいぞう会から出て行ってもらいます」

その言葉に全員が固まる。

数秒後、発言の意味に気付いた平野が反論する。

「な・・・ふざけるな!お前に何の権限があってそんなことを言う!?

 そんなことが許されるのは栄蔵だけだ!」

しかし、下山は全く動じない。

余裕を持った表情で平野の話を聞き、周囲の騒ぎを静める。

その後、下山は急に鞄を探り始めると、一枚の紙を取り出した。

不振な動作に平野を含めた室内の者全てが注目し、部屋は沈黙に支配された。

気まずさに一つ咳払いをする下山。

そして、紙に書かれた内容を声に出して読み始めた。

「退会令書。

 何らかの理由で会員に問題があった場合、当事者を除く会員全員の賛成があればそれを強制的に退会させてよい」

達筆で書かれたそれには、最後に上田栄蔵と署名入りであった。

どうです?

そんな表情で平野を見つめる下山。

みるみるうちに平野の頬が紅潮し、荒い鼻息が聞こえてくる。

やがてぷるぷると震えだしたかと思えば、くそっ、と苦虫を噛み潰したような表情を見せた。

「な・・・なんでそんなものを・・・

 栄蔵は今・・・」

「栄さんからもらっといたんですよ。

 あなたの横暴が目立つから。

 まあもらっといたというよりも渡されたに近いですけど。

 ということで、決を採ります」

下山は令書を静かに置くと、姿勢を正し声色を変えて言った。

「えいぞう会から平野喜介氏を退会させることに賛成の者、手を挙げてください」

一斉に動くそれぞれの手。

皆が皆思った。

間違いなく平野は退会させられるだろうと。

それぞれ辺りを見回し、他の人の反応を確かめる。

手が挙がっているのを見ては、やっぱりな、と心の中で呟く。

しかし、そんなたくさんの視線はある場所において止まっている。

淳平だった。

「真中・・・?」

淳平は何も言わずに、ただ平野をじっと眺めている。

下山も平野自身も、その視線に気付き、淳平の次の言葉を待つ。

「別に・・・退会してほしいわけじゃないんです」

今までの話と繋がらない文節。

その話し方はまるで独り言を呟くようで、違和感を感じさせた。

淳平は続ける。

「平野さんは、映画を作っているわけでもないから、えいぞう会に属していても金銭的な損失はないでしょう。

 それにえいぞう会の本来の目的はお互いの向上にあるのだから、経験の豊富さで言えば役に立ちます。

 なにが問題かって言うと、その権力です。

 だから、権力を最低にするって言う条件とかを付ければ・・・」

淳平は平野の長所を始めに述べた。

しかし、それは褒めているわけではもちろんない。

それだけしか脳がないように皮肉った。

何も言わず、ただじっと耐えてきた淳平であるが、実際のところ、平野についてはかなり頭に来ている。

そうはいっても、ただ単に辞められたんでは仕返しもできないし、こちらにとって利点がない。

そもそも相手にダメージがない。

だからである。

0よりも-1をとったのだ。

平野の答えは予想がついていた。

プライドが高く、特に世間に対しては以上でもある。

だから、外ヅラをよくするためにもえいぞう会には属していたいと思うはずだ。

「仕方がない・・・」

絞り出すように放ったその言葉には、すでに権威などなかった。

「退会させなかったこと・・・後悔するなよ・・・」










平野は捨て台詞を残し、逃げるように退室した。

一つの嵐が過ぎ去った部屋には安堵の声が漏れる。

今度は本格的に淳平の作品について考察が行われている。

自分達が創った作品をどうこう言われるのは恥ずかしくもあったが、みんなが熱心でいてくれてうれしかった。

やがて下山がタイミングを見計らったかのように立ち上がり、

「さて、高校生ながらこんなに素晴らしい作品を創ってくれた真中君でございますが」

と口を開く。

「修行を積んだ今の彼が、どこまで出来るか見たくありませんか?」

それはすでに問いですらなかった。

完全にその雰囲気である。

いきなりの出来事に淳平自身は戸惑い気味であったが。

「え・・・でも俺なんかが創っていいんですか?

 その・・・まだ下山さんも監督やったことないのに・・・」

「いいんだよ。

 俺は栄さんの下働きがてら、完全自作映画を作ったんだぜ?

 発表してないだけだ」

下山はそう言って笑った。

淳平にはなんとなく分かっていた。

それが嘘であることを。

しかし、それほどまでして自分に映画を作らせてくれる下山の思いと、周囲の期待・好奇の目から、映画制作を決定した。

「じゃ・・・じゃあ・・・やらせてください」

その言葉に、スタンディングオベーションのように総立ちで歓声が送られる。

自分が映画を作る。

しっかりとした技術とスタッフを用意されて。

どこまで出来るか分からない。

でもとにかく・・・

頑張ろう。

何かが動き始めている気がする。

あるいは西野も・・・。

様々の思いが頭を駆けめぐり、気持ちが次第に高まってくる。

映画を作ろう。

最後にただそう思った。














公的な会議が終わり、ビルの外で雑談をしているのは淳平と下山である。

さっきまでは平野のことについて話していた。

あんなんでよかったのか?

あんなんでいいんですよ。

結局退会こそしなかったものの、ぎゃふんと言わせた、という感じである。

上機嫌ゆえに、まあいいかという気持ちにもなれた。

「それにしてもお前結構古くさい取り方するんだな」

「そうですかね。

 でも、高校生じゃお金もないから大したこと出来ないんですよ。

 だから逆に50年代とか60年代の作品みたいな取り方が生きるかなと思って」

「なるほどな・・・。

 あの時代はハンパなく面白いのがあるからな」

そうは言いながらも内心では別のことを考えていた。

こいつが現代の取り方をしたらどうなるんだろう。




そこから話は脇道へそれる。

「そういえばさ・・・さっきのあれの主演の女の子・・・誰なんだよ・・・?」

下心見え見えの表情でそう尋ねる下山。

鼻の下がのびている。

淳平は一瞬呆れるが、自分も同じようなものかと思い直す。

「彼女は・・・」








彼女は何だ?

今は恋人でもない。

昔の恋人。

昔って?

いつからいつまで?

様々な想い出が蘇る。

最初に思い出されるのは、あの痛い別れ。

その次に、桜海学園での痛い思い出。

さらには修学旅行、保健室、止めどなく湧き上がる。

それらを一言で表すのは何だろうと考えてみたが思い当たらない。

どんな言葉で言えばいいんだろう。







「たすき・・・」

「は・・・?たすき・・・?

 たすきってあのリレーとか駅伝で使うたすきか?」

「そう・・・です」

「なんだそりゃ?

 女の子がたすきってどういうレースだよ?」






西野はたすき。

一人のパティシエから受け継いだたすき。

前の走者は転んでしまった。

俺はそのハンデを抱えている。

敵はどこを走っているんだろうか。

見回してもどこにもいない。

そもそも相手なんていないのだから。

現実というトラックを走る、俺と西野。

敵なんていない。

ただ転ばずに、しっかりとたすきを持っていればいいんだ。





「おい?」

下山に問われて我に返る。

どんなレース?

「人を・・・幸せにするレース・・・かな」

無意識にそう呟いていた。

下山は一瞬戸惑っていたが、にっこりと微笑んで言った。

「得意種目じゃねーか。

 映画とは人を幸せにするためにこそあるってな」

その言葉に淳平が反応する。

下山の笑顔につられて微笑む。

「どこぞやのへんぴな映画ジジイの言葉ですね」

「いーや。日本を代表する偉大な映画監督の言葉だよ」

二人はお互いを見合ってもう一度笑った。

落ち着くと、下山がもう一度尋ねる。

「で、あの子は誰なんだよ。

 お前は詩人じゃねーだろ。

 もうちょい分かりやすく言え」

そうは言ってもいろいろあって言い表せないんだよなぁ・・・

そんなことを心の中で呟いているうちと、不意にぴったりの言葉が見つかった気がした。

「う〜ん・・・・・・あ・・・


   俺の好きな人です」

ずっとずっと。

その恥ずかしい台詞は続けなかったが、本心である。

 いろんなことがあったけどずっとずっと君のことが好き

そんな言葉も思い出される。



淳平の素直な言葉に下山は呆気にとられるが、取り直して一言。

「おまえらしいよ」

そうですか?と軽い相づちをうって笑う。

やがて淳平と下山は歩き始めた。

その姿は段々離れていき、ついには二人とも見えなくなった。





ゴールが見えてきた。

そろそろラストスパートをかけなきゃ。

この絆を握りしめて。


[No.1102] 2005/04/30(Sat) 00:59:19
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『真実の瞳』−17.「変進」 (No.1102への返信 / 17階層) - スタンダード



えいぞう会の翌日、淳平は再度下山と会った。

映画に使う費用や、当面の計画などのためである。

費用は全額支給すること、脚本の元、スタッフ、様々な準備を整えるのには、一日のほとんどが使われてしまった。

結局下山と別れたのは夜の9時頃で、淳平はそのまま綾の家に向かった。





インターフォンを押すとすぐに綾が出てきた。

突然の訪問に驚いた様子だったが、淳平が来たことに喜び中へ招き入れた。

リビングに通され淳平は呆れた。

そこに外村がいたからである。

隣には少し申し訳なさそうにしているこずえ。

何でお前がいるんだよ。

そう無言で尋ねると、

「前にも行ったろ?ここは俺の基地なんだよ」

と、当たり前のように答えた。

さすが、と呆れながらもその行動力と傍若無人さを尊敬した淳平だった。


その後、何事もなかったのかのように「何しに来たんだ?」と尋ねる外村。

お前の言う台詞じゃないだろうと、心の中で文句を言いながらも淳平はえいぞう会での出来事を話した。

綾もその話に聞き入り、こずえも興味深そうに聞いていた。




嫌のヤツを見返してやったこと、新たに映画を作ることが決まったこと。

終始笑顔で語り続けた。

外村は、その話のスケールの大きさに圧倒され気味であった。

高校時代からのあの冴えない友人が、汚い大人達に向かって勇敢に立ち向かっている。

若手パワーズという間抜けな名前であったが、一応取材にあうほどのエネルギーを持っているのだ。

そして、その友人の戦う場。

そこらへんで、庶民同士争っているわけではない。

日本を代表する会の中で、しっかりと自己を主張しているのだ。

そのことを笑顔で話す淳平。

もしかしたらすごいヤツなのかもしれない。

そう思うと、知らず知らずのうちに口にしていた。

その言葉を聞き、綾はさつきの発言を思い出す。

[本当はすごいことなのかもね]

それは、淳平が映画を撮り続けていることに対して言ったものだった。

高校時代、それは節目の時代とも言える。

大人というものを自覚し始め、考え始める。

同時に、夢というものに諦めをつける時でもある。

それゆえに、高校時代の夢を実現するというのは困難を極めることと言える。

努力、才能、それらを併せ持ってこそ叶えることが出来る。

その職に就くため、何かを捨てる覚悟もいる。


自分は小説家をやっている。

だが、小説家と映画監督ではやはり違うだろう。

主婦をしながら、30分の時間を作ってこつこつと小説を書くことは出来る。

しかし、30分の時間を映画製作に向けるだけでは、決して映画監督にはなれない。

淳平は、時間と努力を賭け、そして故郷を離れ、夢に向かったのである。



自分の友人が夢に向かって突き進んでいる姿は嬉しくもあった。

ただ、同時にその話に自分は入り込めないと思っていた。

突き進む淳平と、中途で挫折した自分。

若手映画監督期待の星と、売れない小説家。

そこに劣等感を感じていた。

それでも淳平はそんなことを気にしない。

「そういえば、東城の脚本もめちゃくちゃ褒められてたんだよ!」

まるで子供のような笑顔でそう言われた。

その一連の話を聞いてみると、まさにべた褒めであり、恥ずかしくなるほどだった。

確かにあの頃、自分の作品には自信が持てたし、充実していたようにも思う。

しかし、あの頃と今の自分の差・・・。

作品のレベルが落ちたことは実感している。

それでも書けないのだ。

ストーリーが思いつかない訳じゃない。

言葉が浮かばないわけでもない。

それでも、何か引っかかる。

売れないのが納得できてしまう。

何が理由かも分からず、ただそこに漂流しているようだった。






それでさ、と淳平が話を戻した。

「脚本ってどれぐらい進んだ?」

急かして申し訳ない、そんな表情で尋ねる。

その問いに綾は即座に答えた。

「もう出来てるよ」

作品の出来は分からない。

自分でも良作なのか、駄作なのかが判断できない。

しかし、ただ分かっていることはある。

いつもと違う。

それが言い方向にか悪い方向にかはやはり不明だ。

それでも、映画の脚本という特別な条件の下に書いたためか、いつもと違う手応えがあった。



綾自身、驚くべき早さで筆が進んだ。

といってもパソコン上のデータではあるが。

淳平から「脚本を書いてくれ」と言われてから、四六時中物語のことを考えていた。

暇さえあればパソコンと対峙し、推敲を繰り返す。

与えられたテーマ、万物流転。

どんな風に扱おうか、逆に考えればどんな風にでも扱える。

それが嬉しく、自分だけの世界を構成していった。



綾は印刷した原稿を渡しながら尋ねた。

「そういえば・・・テーマの万物流転って・・・」

「ああ・・・あれは・・・」

そう唸る淳平は、どこか返答に困っているようであった。

逡巡の末、なにかを決めたかのように答えた。

「5年経って戻ってきて・・・

 いろいろ変わったなあと思いながらもあんまり変わってなかったり・・・。

 そういうのってなんかこう・・・感動するなぁと思ってさ」

少し憂いげな表情だ。

綾はその言葉の中に、西野つかさの存在を感じる。

5年の変化の中で、彼女が一番衝撃的だったはずだ。

それが映画に関わってくるのかどうかは分からない。

それでも、万物流転というテーマが与えられた理由としては十分だった。



不意に外村が呟く。

「あれ・・・?もう10時じゃん・・・」

ただの独り言のようだったが、それを聞いた淳平は少し焦る。

「え?もう10時か・・・。

 やばいな〜唯に怒られる・・・。

 じゃあ東城、これ読ませてもらうから」

そう言って原稿をぱらぱらとめくると、帰る支度を始めた。

そそくさと玄関へ向かい小走りで出て行ったかと思うと、すぐに後ろ姿も見えなくなった。

見送った綾が部屋に戻ると外村が大の字で寝ている。

ふぅ、と溜め息をつく外村。

その行動が、らしくないように思えなんとなく聞いてみた。

「どうかしたの?」

軽い気持ちで聞いてみたはずだったが、しかし外村の表情は真剣である。

その迫力に戸惑いを覚えながらも、口を開くのを待つ。

すぐ近くのこずえも外村の様子に気付き、不安げに見つめている。

「どうかしたのはこっちの台詞だよ・・・」

外村の口から漏れたのはそんな言葉だった。

意味はすぐに理解できた。

「真中君・・・?」

「ああ・・・。

 あいつ変わりすぎだと思わないか?

 別に映画監督目指して頑張り続けるってのは高校時代から予想ついたけど、まさかあそこまで大きなことやってるとはなぁ。

 それになんか・・・たまにだけど険しい顔してるしさ・・・」

「険しい顔?」

綾はその表情を見たことがなかった。

同じくこずえも外村の顔をのぞき込む。

外村自身も、何か触れてはいけないことのような気がしてはいたが、それでもやはり気になり、相談するかのように話した。

たまに見せる悲しい表情、激しい表情。

昔の淳平にはなかったものである。

それらのことを話し、その状況も伝える。

初めて見たのは、帰ってきてすぐ。

1年前のことを話していたときだ。

日暮が死んだ際に電話をかけたつかさ。

しかし何故か出られなかった淳平。

その理由こそ言わなかったが、「出られなかったなぁ」と一言呟いたのを覚えている。

その表情と口調がしっかり記憶に残っている。

そして2回目。

淳平が映っているという映像を見せたときだ。

下山という人物とのやり取りが映っていて、真実の瞳という言葉、そしてその由来・・・。

あの映像を見せ、振り向くと淳平の表情は歪んでいた。




「2つとも昔のことに関係あるのかな・・・?」

そう言ったのは綾だ。

「まあそう考えるのが妥当だろうな・・・」

外村が答える。

しかしそれ以上の答えは出ない。

考えて分かることではない。

いつか淳平が口を開いてくれることを待つしかないのだ。

ただ、少しだけ感ずることはあった。

悲しい表情、激しい表情。

しかしその中でも、激しい表情は怒りから来ているわけではないように思えた。

どこか悔しがっているようにも見えた。

結局それが何を意味するかは分からなかったが。

一体真中のヤツになにがあったんだ?

その疑問は霞んで消えた。






















淳平が家にはいると、案の定唯に怒鳴られた。

「ちょっと淳平!今日は家でご飯食べるって言ってたじゃない!」

頬を膨らませて怒る。

別にかわいく見せようとやったわけではなく、素でその表情を見せるからこそ、唯は幼く見える。

ごめんごめんと平謝りをし、言い訳もしておく。

唯は納得したのか、まあいいやと言って夕飯を出してくれた。

「でも今から食べたら寝られなくなっちゃうんじゃない?」

「大丈夫だよ。寝るのは遅くなると思うから」

「ん?何で?」

「ほら。これ」

淳平が見せたのは綾からもらった原稿である。

何それ、と尋ねる唯に説明をし、原稿を渡しながら自分は食卓に着く。

唯は「新作?」と尋ねる。

淳平は口にものを含んでいたために答えられなかったが、唯は別に聞いた見ただけの様子であった。

綾の作品がまた脚本に使える。

そう思うと知らず知らずのうちに頬がゆるみ、微笑んでいる。

すかさず唯に「何ニヤニヤしてんの?」とツッコミをいれられたが、それでもこみ上げてくるうれしさは押さえがたいものだった。




自室に戻ると、早速渡された原稿の文字を追い始める。

それも結構な枚数だ。

100分程度の脚本という注文をつけたはずだったが、きっとそんなことは無視して書きたいように書いたのだろう。

もちろん、全く気にしていない。

綾らしいといえば綾らしいミスも、予想内のことだった。

逆に、ここからが監督の腕の見せ所というものでもある。

しかし、まずは脚本を読み物語を把握しなければならない。

少しずつ物語に入り込み、淳平の神経は鋭く研ぎ澄まされていった。




基本的に映画監督という職人は、本をよく読む。

読めば想像力もつくし、感受性や教養、様々なものが得られる。

だからといって全ての監督がそれに当てはまるわけではない。

素の才能、センス、それらをもって素直な映画を創るというやり方もある。

淳平はどちらかといえば後者に当たった。

昔から本を読むのは好きではなかった。

せいぜい漫画や雑誌程度で、小説といった類のものはほとんど読まない。

それは大人になってからも相変わらずで、師である栄蔵から速読の技術を学んではどうかという提案もあったが、どうせ使わないからという理由で断ったこともあった。

つまり、普段から本を読まないために読書のスピードはすこぶる遅い。

常人よりも遅く、それだけ疲れる。

精神的な面は持ち前の想像力と負けん気で何とかなるが、時間だけは刻一刻と過ぎゆく。

そこは何を持ってしてもカバーできないものであって、結局のところ多大な時間を要するわけだ。

だが、手に持ったずっしりと重たい原稿には、綾の一週間が詰まっているのである。

綾が一週間で『書いた』のならば、自分は一日ぐらいで『読み』終えなければ申し訳が立たない。

となれば、時間を作るには睡眠時間を削るという方法しか残らないのであった。














さっきまでやっていたテレビ番組も終わり、リビングにいた唯はそろそろ寝ようかとソファーから立ち上がった。

用を済まし、さて寝るかと言うときに淳平の部屋を通ると明かりが漏れてきていた。

淳平が自室にこもってからかれこれ3時間近くになる。

時計の針はすでに1時を回っていた。

そろそろ寝なさいと声をかけてやろうか。

そんな気持ちで淳平の部屋を開けてみる。

軽い気持ちで扉を開け中をのぞき込むが、そこにいたのは先日と同じ異常な集中力を見せる淳平であった。

一切の音を遮ったかのように、全く反応を見せない。

まるで心だけがどこかへトリップしているかのようにも見える。

声がかけづらかった。

無論、声をかけても反応しないだろうという予想もしていたが。

仕方なく扉を閉めてさっさと布団へはいる。

頭に浮かぶのは淳平のことだ。

一体どうしたんだろう。

昔はあんな集中力を見せることなんてなかったのに。

思い出を探ってみても、あの淳平は見当たらない。

一度だけ、夜中に起きたときに絵コンテを描いていた淳平を見た覚えがあった。

確かにあの時は集中していた。

ただ、それでも今回のそれとは違う気がしていた。

5年のうちに何があったんだろう。

こっちに来てから語ることの少なくなった淳平に、謎は深まるばかりであった。

それでも何も分からず、最後には考えるのも面倒くさくなってうつぶせになった。

もういいや、寝よう。

そう思ってから実際に眠りに落ちるまでは、まるで閃光のごときスピードだった。


[No.1110] 2005/05/05(Thu) 21:45:57
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『真実の瞳』−18.「開道」 (No.1110への返信 / 18階層) - スタンダード

翌日、淳平は10時頃に家を飛び出し綾の家へと向かった。

もちろん相手の都合などお構いなしで。

家の前まで来ると、急に悪い気がしたがまあいいやという気持ちで家に入れてもらうと、すでに外村の靴があることに気がついた。

よっ、と何事もなかったかのように挨拶する外村に、淳平はただただ呆れるしかなかった。

「お前・・・来るの早すぎだって・・・」

「前にも言っただろ。この家は俺の基地だって」

基地じゃなくて巣である。

が、めずらしくこずえがいなかった。

どうしたのか聞いてみると、眠いから来なかったらしい。

それでも一人で来たようだ。

余程この環境が好きらしい。

「で、お前はどうしたんだよ」

「これこれ」

そう言って原稿を見せた。

「読み終わったからさ。感想とか」

当たり前のように話す淳平。

しかし、外村と綾は、えっ、と驚いている。

「真中君・・・もう読み終わったの・・・?」

まさか、という表情で尋ねる綾。

常識的に考えて、一晩で読み切るような作品ではなかった。

読むスピードは人によって違うだろうが、たとえ早い人間でもこれは2,3日かかるだろうと思っていた。

淳平はまた当然のごとくコクリと頷く。

驚きのあまりに感想を聞くことへ対しての緊張がほぐれた。

今ならアドバイスをしっかりと受け入れられる、なんとなくそんな気がして淳平に言った。

「じゃあ感想を聞かせてくれる?」

淳平はもう一度頷いた。



「この話、かなりいいよ」

その言葉に綾の表情がぱっと明るくなる。

その後、淳平は感想と監督から見てのアドバイスを話し始めた。




まず、ストーリーについて。

これは基本的に褒めることが多くなった。

話しの作りに文句を言うことはしない。

ここの展開は面白かった、まさかこんなラストだとは思わなかった。

そのような言葉で綾のストーリーを賞賛し、綾も終始笑顔で頷いていた。

次には描写についてだった。

そもそも、綾の作品はストーリーに問題はなかった。

それは昔から今までの全ての作品においても言えることだと思っている。

では売れない理由、ぱっとしない理由は何なのか。

それがこの描写の問題だった。

しかし描写についての話しを始める際、淳平はいきなり綾に向かって一言、

「このまま出版しよう」

と言った。

思っても見なかった話に綾は慌てるが、淳平の表情は真剣そのものである。

「でも・・・台本だからと思って省いた表現も結構あるし・・・」

それは本当のことだった。

もし伝わらないところがあれば自ら淳平に話せばすむことだ。

そう思い、描写を省いた部分が多かった。

しかし問題はそこにあった。

「いや、このままがいいんだよ」

淳平はそう諭し、その理由を述べる。

「東城の作品ってさ、ものによって全然違うんだよ。

 で、大体二種類に分けられる。

 一種類目が、石の巨人、高校時代の脚本、で、これ。

 もう一種類が審査員特別賞のやつ、それから出版した三冊。

 東城自身なんとなくわかるかな?」

淳平の問いに対し、うんと呟く綾。

自分でも分かっていることだった。

でも、何が違うのかと聞かれると答えられない。

自分としては同じ気持ちで書いているつもりだった。

「これってさ、映画の脚本か、そうでないかなんだよ。

 たぶんだけどさ、東城って脚本以外の作品だと必要以上の説明が多いんだよ。たぶん。

 それで読者が飽きちゃうんじゃないかな。

 けど映画の脚本の場合はなるべく最低限で書いてある気がする。

 もし分からなかったら東城に聞けばいいし演技中に東城が意見すればいいからさ。

 そこが違うんだよ、たぶん」




はっとした。

そうかもしれない。

その思いは次第にそうに違いない、と変化していく。

書いているときのことを思い出してみてもそのような気がする。

説明がなければ読者には伝わらないよね、と、そう思い説明を記すことは書き手としても苦であった。

その点、脚本の場合はストーリーを淡々と進め、スムーズに筆が進んだ。

そうだったんだ・・・。

だから淳平は「このまま出版しよう」と言ったのだろう。

今、この状態の方がコンパクトで、文章として読みやすい。


自分でも分からなかった脱出口が、淳平によって一晩で露わになった。

自分よりも他人の方が案外自分を知っている。

そんな話をよく聞くが、それでも淳平の目の付け所には感心させられた。

すごい・・・。

ただそう思うしかなかった。

しかし、一つ考えてみる。

「石の巨人は?」

あれは映画の脚本ではない。

でも確かに種類としては前者に属すものだろう。

何故だろうか。

淳平はあれは、と口を開く。

その表情はどこか懐かしげで、この空間の空気がまるでそのまま昔に戻ったように感じられた。




「あれは・・・読者が俺だけだったから」



その簡単な答えに、全てが解決へと導かれた。

そう、あの作品は淳平へ向けたもの。

始めは暇つぶしだった。

授業中に思いついたことを走り書きのように書き綴った。

でもそんな思いがいつしか変わっていた。

淳平に読んでもらいたい。

読んでもらい、感想を聞くことが嬉しかった。

そのために書き続けた。

終わりは・・・まだ迎えていない。

淳平が旅立ち、会えなくなったからなのかもしれない。

どうしても続きが書けなくなっていた。











外村は『石の巨人』という小説の存在を知らないために、話の内容を理解できない。

なんとなく重苦しい大事な話であることは見当が付いたが、結局どうすることもできずぽーっと眺めるばかりであった。

そんな外村をよそに話は続く。

「だからさ、これぐらいの方がすっきりしてていいんだよ。

 ちょっと物足りないって感じさせるぐらいが。

 読者も想像するのが楽しいって言うのもあるしさ。

 
   ・・・これで出版してみない?」

淳平の口調に強要する感じは全くない。

淳平も、綾の自由にしてもらうつもりでいた。

それでもきっと出版することを選ぶだろう。

そう思っていた。

自分は文学について詳しいわけでもなく、この主張が本当に正しいかは分からない。

でも、一読者としての、素直な感想がそれだった。

例えどれだけ文学的な評価が高くても読者の支持を得られなければそれは素晴らしい作品とは言えない。

言い換えれば、例え文学的価値がなくても読者に好かれればそれは立派な作品だ。

読者こそがその本の価値を決める。




綾は一瞬たりとも迷うそぶりを見せなかった。

「ううん、やめとく」

にっこりと微笑み、一言そう言う。

予想だにしなかった答えに淳平は自分が間違っていたのかと焦る。

え、と間抜けな表情を見せる淳平に綾はもう一度微笑みその理由を話した。


「あたしは・・・人気が出ればいいって思ってる訳じゃないから・・・。

 小説はやっぱり趣味の域を出ないし、本当のところ出版もしなくていいのかもしれない。

 書いてるだけで十分楽しいから。

 だから、あたしの考えた世界を人に紹介するっていう感じで書いていきたいの。

 なのにこれじゃああたしの力じゃなくて真中君の力みたいじゃない?

 それであたしの作品として評価されるのってよくないことだと思う」

心から感謝をするような表情で語る。

話の中身ではどこか淳平の誘いを拒絶している感があるが、その表情から決して悪意はないと分かった。

自分への甘えを断ち切るようだった。

「それに・・・」

俯いていた淳平はその言葉に顔を上げる。

目に映った綾の微笑みが5年前のそれと全くずれることなく一致した。


「読者は・・・真中君だけで十分だから・・・」


他の全ての音が遮断され、綾の口から発される声のみが耳にはいるようだった。

綾にとってみれば、小説、というよりもノートへ書いて落書きから始まった『創作の世界』は見せるためのものではない。

あの頃を振り返ってみれば、引っ込み思案な自分からの逃げ、現実逃避の果てがそこにあった気がする。

小説の中の自分は、いつも輝かしい。

虚の自分を創ることによって満足を感じていた。

それを変えてくれたのは淳平であった。

逃げ込む先だった小説を、一つの長所として考え、自分を変えてくれた。

そして今の自分がいる。

小説を書いて淳平に見せれば、自分に自信がついた。

それが嬉しかった。

読者は淳平だけでいいという考えはそこから来ていた。




5年前ならば目の前の少女が愛しくなり抱きしめていたかもしれない。

しかし今は違う。

相手にはかけがえのないパートナーがちゃんといる。

同時に、こんなに自分のことを想ってくれていた人に何もしてあげられなかった過去、何もしてあげられない現在が悔しかった。

もちろん衝動に駆られると言うこともない。

もしその気持ちに負けていたら、人妻と昔の友人との・・・


「不倫か?」


ということになる。







不倫という表現を持ち出した外村の頭を小突き、違うと否定する。

そういうものじゃなく、どこか心の奥と奥とが繋がっている気がする。

恋とも愛とも違う、なんとも言い難い感情。

でもそれは綾だけに限るものではなく、外村にも感じているものだ。

友情に近いものだろうか。

この人に会えて良かったと、この人と知り合えて良かったと思わせる気持ちのいいものだ。



「そっか・・・」

綾の決意に小さく返す淳平。

落胆しているのは、綾の本気の作品が世間にどれだけ認められるか見てみたかったからであった。

だがそれも綾の望みなら仕方がない。

「でも俺だけが読者なんて言わないでくれよ。

 俺は東城の作品がどれだけすごいかを教えてやりたいんだからさ」

繕うように述べる。

読者は自分だけでいいという言葉は嬉しくもあったが、同時に綾の作品が世間の目を浴びずに眠るというのが惜しかったからだ。

しかしその心配もなかった。

「うん。


 だから真中君の専属脚本にしてくれない?」


思いがけない申し出に、とっさに答えることが出来ない。

少しの間をおいて、理解したのか呆気にとられた顔になった。

また少しの間を置き、完全に理解したのか今度は笑顔を見せる。

「本当に!?」

そう勢いよく尋ねる淳平は、まるで子供のようだ。

綾は静かに頷くと、いいでしょという意味のいたずらっぽい笑みを浮かべる。

当然、断る理由はない。

石の巨人を初めて呼んだとき、その文は鮮明な映像となって頭に映し出された。

その作者である東城綾が専属脚本家。

自然と気持ちは高揚していった。







その後、また脚本の話へと戻った。

100分程度という目安の数字を全くに無視した綾の文章を削らなけらばならない。

どのように短縮するか、たとえば情景描写の時間は減ってくるし、物語の本体を削ることもあり得る。

その中で重要な意味を含むシーンを限定していかなければならない。

それは困難な作業であった。

前述のように、脚本としての綾の作品は最低限のラインで描写されている。

不足な部分はないが、余分なところもない。

それであれだけの長編になってしまったのだから、なかなか厳しいものであった。



しかし、真実の瞳は画期的な方法で打破するのだった。



「ちょっとこれを見てほしいんだ」

そう言って取り出したのは、綾の原稿の半分ほどであろう、同じく原稿だ。

しかし、綾のものとは書体が違い、一目で別物と分かる。

「これってもしかして・・・」

唖然とする綾。

無理もない、一晩で作品を読み切るだけで一苦労だったはずだ。

にもかかわらず、この量の原稿を仕上げてきた。

聞くまでもなく、尋ねるまでもなく、淳平なりにまとめた脚本であった。

やり取りを横から眺めていた外村は淳平を疑う。

「お前・・・これも一晩で・・・?」

言を途切れさせるほどの驚き。

その要因となった人物は、しかし当然のごとく相づちを打ち、頷く。

「お前寝たのか・・・?」

「いや、昨日は徹夜。

 おかげで眠くってさぁ・・・」

当たり前だ。

徹夜をせずにこれだけのことが為し得るはずがない。

しかしだからと言って簡単に納得できるわけでもない。

どれだけの集中力、忍耐力を費やせばこれだけのことが出来るのだろうか。

想像も付かない荒業に、ついには言い返す言葉も失った。



その二人の会話中、綾は原稿に目を通していた。

そのスピードは至って速い。

小説家という職業上本は良く読む上、今回のものはもともと自分が書いたものなのだからそれもそのはずである。

綾の文がベースである限り、やはりそれは綾の文章なのだ。

しかし何故だろう。

まるで別の作品のような輝きを見せている。

少しずつ、少しずつ手を加えただけにもかかわらず、全く別の一面を見せている。



その原稿が見せるものは、綾の書いた原本が正のイメージだとしたら、完全な負、そしてそれを超越した正のイメージであった。

綾は『万物流転』というテーマを、人が変われる素晴らしさとして扱っている。

だが淳平は、もう一つのテーマを融合させ、人が変わってしまう悲しさ、変わってしまうが故、悲しさすらを忘れることの出来る才を描いた。

融合させたもう一つのテーマ、それは『死』だった。


「これって・・・」

驚愕する綾に頷き、ああ、と呟いた。



「これは西野のための映画だ」


[No.1120] 2005/05/10(Tue) 21:44:06
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『真実の瞳』−19.「空虚」 (No.1120への返信 / 19階層) - スタンダード


読めば読むほどに、綾はその文章の中に熱中していった。

自分の作品がこんな風に変わるとは思ってもいなかった。


「おいおい!どうなってんの!?」


黙り込んで本の世界へと入り込む綾に対し外村が尋ねる。

先ほどの綾の驚愕の表情が外村も気になるらしい。

綾は外村には答えず、その原稿にざっと目を通し終わると淳平の方を向いた。


「真中君・・・小説書けるの・・・?」


素直な疑問だった。

自分の文章が元になっているとは言え、やはりこれだけの文章を創り上げるにはそれだけの文才がいるはずだ。

ということは、淳平も小説を書いたりしているのでは、と思ったのである。

しかし淳平は全然!と強く否定した。


「そんな無理無理!俺って文章化するのすごく苦手なんだ!」


思いもよらない褒め方をされて照れているようだ。

じゃあ何で、そんな困惑の表情を浮かべた綾に淳平は説明を始めた。


「俺さ、物語を発展させるのが好きなんだ。

 エンディングの後を想像したり空白の中身を考えたり。

 まあ発展させるって言うよりも勝手に思いつくんだけどさ。

 それで今回のは・・・まあ・・・西野のことを考えながら読んでたらそういうのもありかなぁって。

 で、それを書いたんだ。

 だから俺の手が加わってるところって表現とかも稚拙だろ?」


そう言われれば確かにそうなのかもしれない。

特に、中盤で大々的に改稿した部分では顕著に表れている。

小学生の作文という状態だった。

それをふまえて考えれば、淳平に与えられた文才というのは、想像力というものだろう。

さらに言えば、ある程度の土台を与えられた上で発展させていく能力。


淳平の力に感心すると同時に少し悲しくもあった。

自分の文才なんて大したことないのかな・・・。

弱気な綾はすぐ自己嫌悪に陥る。

それでも淳平の、


「だから東城みたいに物語をそのまま作るって言うのは全然無理なんだよ。

 あ、あれに似てる!

 あの〜映画をたくさん見ると結末が分かるようになったりするじゃん?

 あんな感じだよ。

 その予想が外れた場合って言うのは、要するにもう一つのあり得た結末ってわけでしょ」


という言葉に明るく微笑んだ。

単純であるのかもしれないが、やっぱり淳平に褒められると嬉しかった。

それは中学3年の時から植え付けられた潜在意識なのだろう。








「分かったから、一体どういう話しなんだよ」

ほったらかしにされていた外村が、少し怒り気味の口調で尋ねる。

その自分に向けられた怒りに焦りながらもごめんなさいと綾は謝って説明を始めた。





淳平は、削ることの出来ない長編を完全に変えて見せた。

物語の中盤に空白の時間を作ったのである。

綾の本来の脚本の5分の3ほどは空白の時間と変えられていた。

高校生が『万物流転』を経て大人になっていく、という物語の中盤で空白を作った。

高校生が数年の歳月の後大人になって再会すると、『死』を経て『万物流転』していた、と。

その空白の時間を視聴者に想像させることによって物語の厚みと自由度を高めた。



それはまるで今の淳平とつかさであった。

綾にも容易に考えつくことであった。

淳平の「これは西野のための映画だ」という発言もうなずける。



物語の中で、ヒロインは死と出会い変わってしまっていた。

主人公は変わることの悲しさを改めて悟る。

その後ヒロインは立ち直り始める。

死を忘れる、という方法を採って・・・。

どんなに大切な人もやがて忘れられてしまう。



死によって苦しんだ少女が立ち直る、と、一言であらすじを言えばそうなるが、決してその映画はハッピーエンドではなかった。

重く、暗かった。











「へぇ〜」


と外村が感心して頷く。


「お前よく一晩でそんな話を作ったなぁ」


そう言いながら淳平の瞳をジロジロと眺めた。

なんだよ、とそれを拒絶する淳平。

そのやり取りを終え、もう一度外村が口を開く。


「でもそれがつかさちゃんのためになるのか?

 だってつかさちゃんは死によって苦しんでるんだろ。

 それなのに『死は辛くて大変なものですよ』っていう映画作ってどーすんだよ」


その言葉に、あ、と綾も妙に納得して淳平の方に振り返る。

だが淳平は綾の心配そうな顔とは裏腹に笑っている。


「違う違う、そうじゃなくてだな・・・

 う〜ん・・・なんて言うか・・・

 死は辛くて重いけど、そんな大したものじゃないんだよっていう・・・」


「お前・・・そういうのを本当に大切な人を失った人に見せたら反感買うんじゃないか?」


淳平の答えに対し即座にもう一度尋ねる外村。

その反論はもっともであった。

人が死んだ悲しみも知らないで死を語るな、というものである。

真中はどうするつもりだろう・・・

そう期待しながら次の台詞を待ったが、その予想に反して淳平の言葉は単純なものであった。


「ま、大丈夫だろ」



え、と呆ける外村。





「いいんだって。

 悲しいから泣くんじゃない。泣くから悲しいって言うだろ?

 大変なことだと思うから悩むんだ。

 大したことないって考えればどうとでもなるさ」


全く意に介していない様子である。

ここまですっきりと言われては外村も何も言えない。

結局は淳平の考えている通りにことは進んでいくことになった。





















「じゃあ俺はそろそろ忙しくなりそうだから帰るよ」


昼食の時間が近づくと淳平はそう言って帰ろうとした。

食べていくと思っていた綾は意外な表情をしていたが、映画の計画のことで色々あるのだろうと思い引き留めなかった。

ただ、その代わりに外村が淳平を引き留める。


「真中、ちょっと待て」


なんだ、と聞き返す淳平に対し、2枚の紙を渡した。

サイン色紙であった。


「なんだよ、これ」


「みりゃ分かるだろ。

 サイン色紙」


「そうだけど・・・」


淳平が尋ねたのはそういうことではなく、何故こんなものを渡したかである。

そのことについて問うと、外村は


「いや、お前はなんかすごいみたいだから一応サインもらっておこうと思って。

 それからお前の師匠の上田栄蔵のサインももらってきてくれ」

と強引に話を進めた。

いきなりの申し出に自惚れかけたが、自分を戒めると同時に外村の計画性に呆れた。

しかし淳平はどこか戸惑っている。


「いや・・・まあ俺のサインならいいんだけどさ・・・

 栄さんのサインなんて・・・」


「いやいやいつでもいいんだよ。

 とりあえずもらっといてくれ」


渋る淳平に色紙を押しつける外村。

仕方ない、という表情でそれを受け取る淳平。

それだけのやり取りを終えて綾の家を出た。























淳平は悩んでいた。

数え切れないほどの悩みだ。

映画のキャスト、進行予定、撮影の準備・・・

やらなきゃいけないことはたくさんあるが、多すぎる故にどこから手をつけていいか分からない。

とりあえずやらなきゃいけないことはと考えると、つかさへの報告だろう。

映画製作が決まったことを報告し、その反応を見たかった。























ガチャッと扉が開くと、そこに広がるのは無機質な空間であった。

顔を出したつかさは淳平を確認するとやはり困惑の表情を浮かべながらも、仕方ないというように招き入れた。

この部屋に入るのは2回目だ。

しかし、前回入ったときと何も変わっていないような気がする。

もちろん、模様替えなどはそんなに頻繁にするものではないのだから当たり前なのだが、それを別にしてもまるで生活をした形跡がないという感じだった。

気分で配置を換えることもあるだろう小物は元々置かれていないし、ゴミ箱はいつも空っぽな気がした。

最低限の生活しかしていないことがすぐに分かった。


その予感は当たっている。

つかさはほとんど一日中この部屋にいながらも、ただぼんやりと日々を過ごすだけであった。

座り込み、思案に浸るのみ。

読書をすることも、テレビを見ることも、何もしない。

空白の時間を進めるのみだった。




淳平はふとテーブルの上にある食べかけの昼食に気付いた。

質素で、地味なものである。


「あ・・・ごめん・・・飯食べてた・・・?」


そう謝る淳平につかさは振り返りもせず、いいよ、と一言だけ返した。

微かな反応に俯く淳平。

戻ってきてから何度もつかさと会ったが、少しも変化が見られない。

自分の力不足なのか、そもそも一人で解決しようとしている自分が悪いのか、そのどちらかも分からない。

つかさを立ち直らせることに挫折しかけていたのかもしれない。

それでも続けることが出来るのは、

「お昼食べてないんだったら・・・食べてく・・・?」

と、時折昔と変わらない優しさを垣間見ることが出来たからであった。

ありがとう、と笑顔で礼を言うが、またもつかさは小さくうん、と呟くだけであった。

その返事は、5年前から比べてあまりにも乏しく、寂しい。

それでも、これでいいのかもしれないと思える。

ちょっとずつ、ちょっとずつ・・・

その内にいつか心を開くことがあるかもしれない。

差し出された昼食は、派手さも豪華さもなかったが、昔と変わらない味の気がした。
























「それで・・・今日はどうしたの・・・?」


洗い物をしながらつかさが尋ねた。


「え・・・・・・あぁ・・・うん・・・」


部屋を眺めていた淳平はいきなりの問いに驚き、すぐには舌が回らなかった。

淳平はこれからする話しのことを考えてか、つかさの方を向いて座り直した。

つかさは返事が返ってこないことを奇妙に思いながら後ろを振り返ると、淳平の真剣な眼差しがこちらを見つめていた。

「淳平君?」と尋ねようとしたその言葉が喉の辺りで止まり、ゴクリと音を鳴らした。

その真剣な表情に固まる・・・。

やがて淳平は顔を緩め微笑んだ。



「映画を作ることになったんだ」

「映画・・・?」

「そう。初めての監督作品。プロとしてのね」


きっと祝福すべきことなのだろう。

つかさも頭ではそれを理解していた。

しかし、そっけない応答しか出来ない自分がいる。

それも無意識のため、どうしようもならない。


淳平から紙の束を渡された。

大きな文字で題名らしきものが書かれていて、その後ろに文字が羅列されている。

映画の原稿だろうと一瞬で分かった。

これを手渡したのが、読んでくれ、という意味を含めていることも。

しかしつかさは受け取ってパラパラとめくるとすぐに淳平に返してしまった。

何故か分からないが、読みたくない。

それを読むことに何故が敗北感を感じる。

ただの意地なのかもしれないが、そのただの意地が今自分を支配する全てなのだ。


突き返された淳平の表情が暗くなった。

落胆の色を隠せない。

それでも食い下がるようにつかさにその脚本の中身を伝えようと試みた。



「この話さ、東城に脚本頼んだんだ。

 やっぱり東城ってすごいよな〜。

 尊敬するよ」


作り上げた笑顔で話を続ける。



「これに登場する主人公とヒロ・・・」



「もういいよ」



それは非情な截断だった。

興味ない、そんな思いが見て取れる。

つかさの拒絶が痛かった。


「あたしには関係ないでしょ・・・」


座り込み、立てた膝に顔を埋めて言った。

淳平の顔が見られない。

自分でも何でこんな台詞を言いたいとは思っていない。

しかし、いつの間にか皮肉を口にしている。


「これは西野のための映画だよ・・・」


優しい口調だった。

全てを包み込むような。

恩を売っているわけでなく、偽善をしているわけでもなく・・・

自分の意志であるということが感じられた。


驚き顔を上げるつかさ。

言っていることが理解できない、そんな様子である。


「何で・・・」


放心したように一言絞り出すと、沈黙に包まれる。

5秒・・・10秒・・・

何で喋らないの、そう尋ねようとしたとき、淳平の一言がやっと沈黙を破った。




「映画とは・・・人を幸せにするためにこそある・・・」


5年前の記憶がフラッシュバックする。

寂れた映画館・・・テアトル泉坂。

再会の場であった。

あそこにいた淳平とまた巡り会った。

あそこで働いていたからこそ、もう一度親しく、好きになれた。


「それって・・・館長さんの・・・」


戸惑うような、困ったような、そんな表情だ。

そのつかさを見て淳平は微笑む。

どことなく悲しげに。


「いや・・・俺の師匠の言葉だよ・・・」



「え・・・それって・・・」




「いや・・・俺の師匠は館長じゃないよ。

 前に言ったでしょ。上田栄蔵。

 日本映画界を代表する無名監督ってとこかな。

 西野は知ってたみたいだけど」



知っていたと言っても、何かの映画のスタッフロールでちらっと見ただけであった。

無名なのは、取材を徹底的に拒否していたからである。

リポーターの中では『口を開かない人』として有名であったりもする。




「じゃあ何で・・・」


じゃあ何で館長さんと同じ台詞を?

すぐそこまで来た言葉を出さず、それよりも、と話を変える。


「何であたしのためなんかに・・・」


「言ったでしょ。

 映画は人を幸せにするためにあるって。

 だから、西野を幸せにするために作るんだ」






なんでこんな恥ずかしい台詞を真剣な表情で言えるのだろう。

そう思い、その真っ直ぐな瞳に苛立った。

なんでそんな希望に満ちた目をしているの、と。






「そんなことしなくても・・・いい・・・」



かすれるような声で、僅かながらも拒否をする。

しかし淳平は言葉を止めない。






「でも・・・でも西野だってこのままじゃいけないって思ってるんなら・・・

 このままじゃやっぱりだめだよ・・・

 もう子供じゃないんだ。

 いつまでも落ち込んだままでいられる訳じゃないんだって・・・」







何に対して怒ったのだろう。

子供じゃないと言われたことだろうか・・・。

いつまでも落ち込んでいるなと言われたことだろうか・・・。

感情は激昂し、気がつくと叫んでいた。






「子供じゃない・・・?

 じゃあ大人ってなによ!?

 大人は悲しんじゃいけないの・・・!?

 淳平君は大切な人が死んでも笑ってられるの!?

 あたしは笑ってなんかいら・・・れない・・・っ・・・」





涙で語尾がかすれる。

何でこんなに悲しいんだろう。





いきり立って睨め付けた先の淳平は至って冷静にその言葉を聞いていた。


なんでそんな冷静なの?

少しは言い返さないの?

淳平君・・・あなたはなんでそんな悲しい目をしているの?






はぁはぁ、とつかさの荒い呼吸音だけが部屋に響いていた。

やがて淳平は口を開いた。


「大人っていうのは・・・悲しみを知っている人間・・・。


 子供のままでいられるのは・・・悲しみも苦しみも味わったことのない人たち・・・。


 偉人はみんなそうだよ。

 出来ると思うんじゃない、出来ないと思わないんだ。

 
 そういう挫折を知らない人が子供でいられる。


 だから・・・西野は大人・・・」




小さな声だった。

なんとか聞こえる程度の。

淳平は確かに自分の問いに答えた。

でもなんだろう、この違和感は。



「淳平君は・・・大人・・・?子供・・・?」


その問いに対し淳平は顔を上げで微笑むが、それは悲しみを携えていた。


「大人に映画は作れないよ・・・」



























雑踏の中、一人歩く。

瞳に映るは虚空、掌に握るは空虚。


俺は何をしたいんだ?


自問すれば、西野を救いたいと即座に答えが返ってくる。


俺が幸せにしなきゃ・・・。


それは責任。

自らに課された最大の使命。


俺じゃなきゃだめなんだ。


大人を救うのは、いつだって大人なんだ・・・。


[No.1126] 2005/05/21(Sat) 23:14:27
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『真実の瞳』−20.「休息」 (No.1126への返信 / 20階層) - スタンダード

美鈴が走っていた。

しきりに時間を見ては、やばい、と独り言を呟きまた駆ける。

向かう先は公園である。

今日は大事な用があったのだ。


「あちゃ〜もう始まっちゃってるよ・・・」


この日、公園は映画撮影現場となっていた。

監督は真中淳平という無名の青年。

その大きな機材、夢中に演技する役者達を見て、誰もが映画やドラマの撮影をしていることが分かったが、いかんせん淳平が無名であるのでどんな作品なのかは分からなかった。


「ねぇ、あの人見たことない?」

「あ!そういえば脇役で出てたよね!何の映画だったっけ?」


そんな会話があちらこちらで行われていた。

それでいて大きな人集りが出来ないのは、主役と思われる男優が有名な人物でなかったからであろう。

ヒロインも、美人ではあるがやはり見覚えのない顔なのである。






やがて美鈴は公園の中に入り、機材が一番集中しているところへと目を向けた。

そこには隣の人と会話をしている淳平がいた。

急いでその元へと走り寄る。

その足音にか、淳平がこちらに気付き同時に軽く手を挙げた。


「はぁ・・・はぁ・・・疲れた・・・・・・」


駅からこの公園まで、約500メートルを全力に近いスピードで走ってきたため息が上がっていた。


「珍しいな、お前が遅刻なんて。

 ま、一杯どうかね?」


淳平は冗談を交え、近くにあったお茶を勧めた。

美鈴はお礼を言いながら受け取るとがばっと一気に飲み干し、もう一度お礼を言い呼吸を整えていた。

少しの間を置いて遅れた理由を愚痴のように話し出した。


「それが・・・電車が30分も遅れてたんですよ。

 15分前に着く予定だったんですけど、結局15分遅れになっちゃいました・・・」


その不平を言う表情はどこかかわいらしくもあったが、それに関連して彼氏がいることを思い出し、今の状況を聞いてみた。

唐突に恋愛事情を聞かれたためか美鈴は一瞬迷っていたようだったが、今の円満な関係も淳平のおかげだったと思うと断れずつらつらと話し出した。


なんだかんだ言ってやっぱり彼氏のことが好きみたいです云々・・・

彼氏はかっこいいから浮気とかしないか心配です云々・・・

このペンダントをくれたんです云々・・・


軽い気持ちで聞いたのだが、意外に美鈴が乗り気であり、後半はただののろけ話となっていた。

そこに淳平の隣に立っていた男が話しかけた。


「監督・・・そろそろ・・・」


もちろんスタッフや俳優にも都合というものがある。

監督の雑談で時間をくってはたまらない。

とは言っても彼らも雑談に興じていたが。


「あ、ごめんなさい・・・あたしが話し込んじゃったから・・・」


そう申し訳なさそうに謝る美鈴にいいよいいよと笑いかけ、さて、と座り直した。


「やるか!」



美鈴の視線は淳平の目に釘付けられていた。

やるか、という声と共に瞳の色が変わったように錯覚したためだ。

そんなことはあり得ないのだが、確かに先ほどまでとは目の輝きがうってかわっている。

だが、真剣な表情になった、というのとは少し違う。

ウキウキする気持ちを抑えられないような、大声を出したくなるのを我慢しているような、そんな目だ。

美鈴は思った。


この人は他人に力を分けてあげられる人だ、と。

そして淳平自身、映画という宝物から、分けても有り余るほどの力を貰っているんだな、と。


それこそが淳平の行動意欲の全てなのかもしれない。

映画は人を幸せにするためにあるのだから。



















ここまで面白い撮影現場は初めてだ。

美鈴は素直にそう思った。


先ほどから機材の片隅に座り込んでいる男性がいる。

気分でも悪いのだろうかと思っていたが、酒に酔ってダウンしていただけであった。

その人が急に目を覚ましたかと思うといきなり説教を始める。

捕まったのは淳平。

べらんめぇ、と江戸弁でまくし立てるその言葉に、淳平は苦笑い、周りは大笑いである。

ちょうどそのタイミングでスタッフが遅刻してくると、説教の矛先はその若者へと向いた。

開放感に浸る淳平、訳も分からず怒られる若者、笑う俳優。

撮影は大きく遅れた。

でもそのことに不平を言うものは誰もいない。

もっとこの現場にいたい、そんな願いすら聞こえてきそうな、明るい世界。



























帰宅すると家からは夕食の匂いがしていた。

疲れた、と溜め息をつきながら家にはいると、大きな足音が近づいてくる。

誰だろうか。

人間というのはなかなか素晴らしいもので、十年ほど暮らすと階段を下りる足音だけで誰か分かるようになるものだ。

現在、美鈴は両親と3人で過ごしているが、その二人の足音じゃないような気がする。

父はもっとのっそり歩くし、母はもっと軽やかだ。

しかし今鳴り響くのはその中間、元気もよく、スピードもある。

聞き覚えのある足音。

誰だっけ。


「あっ!」


そう叫ぶと同時に足音の主は姿を現した。


「お兄ちゃん・・・なんでいるの・・・?」


突然の訪問に驚く美鈴。

何せ、たまには戻ってこいと言われても戻ってこない兄が訪れていたのだ。


「お前もなかなか酷いことを言うな・・・

 ここは一応俺の家でもあるのに・・・」


「だって帰ってきて欲しくないんだもん」


「酷い・・・」


そんなお決まりのコントをした後、二人とも中へと入っていった。







「で、何で来たわけ?

 来いって言っても来ないくせに」


「ん?ああ・・・

 いや・・・今日お前真中の撮影現場に行ったんだろ?」


「え?うん・・・まあ行ったけど。

 それで来たの?」


「まあそういうこと」


何故だろうと訝る美鈴。

その心中を察してか、問われる前に兄は答えた。


「お前は知らないかもしれないけどさ、最近あいつ変なんだよ。

 なんかすごすぎる」


「え・・・」

美鈴が驚いたのは心当たりがあるからであった。

今日会って、変と感じる部分はなかったと言って良い。

ただ、すごすぎる、という表現には幾分か納得できるものがあった。

始めは楽しそうに雑談をしていたし、撮影中も笑顔だった。

しかし、撮影が終わった後、その撮影した映像を見ていたときの表情が頭から離れない。

異常なまでの、迫力、真剣さ・・・。

結局話しかけづらくそのまま帰ってきてしまった。

あれは何だったのか?

その疑問の答えが兄によって解決されるかもと思い、続きを待った。

しかし、やはり答えは出ない。


「でも・・・何でか分からないんだよなあ・・・

 たぶん・・・つかさちゃんのことが絡んでるんだろうけど・・・違うのかな?

 お前はなんか心当たりある?」


そう尋ねられた美鈴は今日あったことを話した。

話を聞いている間、外村はうんうんと頷いていたが、話を聞き終わるとゴロンと横になり溜め息をついた。


「最近・・・あいつが分かんねぇよ・・・

 何にも話さないしさ・・・」


兄にならい、妹も同じようにゴロンと横になった。

自分は一回会っただけでこんなに困惑しているのだから、何度も会っている兄が溜め息をつきたくなるのも分かった。

自然と言葉も漏れる。


「そういえば、真中先輩・・・訳の分からない基準でOKとNG出してたなぁ・・・」


「は?」


「だってセリフも噛まずにうまくやったなと思ってもNG出したり、

 逆にセリフ噛んだりしてるのにOKだったり・・・」


「それって昔からじゃなかったっけ・・・?

 たしかあいつ、セリフ噛んでも[ちょっとぐらい噛んでた方が自然でいい]っていつも言ってただろ」


これは兄が正しい。

昔から淳平は微妙なラインでOK、NGを区別していた。

実際のところ、ほとんどが美鈴のダメ出しをくらい、半ば強制的に決められていた部分もあったが。

これは、外村も言ったように、ちょっとぐらい噛んでた方が自然でいい、と思っていたからである。



そう言われれば、と美鈴も思い出した。

今日、撮影の後でチラッと見せてもらった映像を思い出す。

そこには、本当に身近で、自然な画があった。


「なんか・・・あたし・・・

 真中先輩の限界が見えないよ・・・」


その言葉にすぐさま反応する兄。


「お・・・今の色っぽいセリフ・・・!」


しかし美鈴はその冷やかしを無視し、続ける。


「自分には才能がないとか、あの人には才能があるとか・・・

 そういう言い方はしたくないけどさ・・・

 これが『趣味』と『仕事』の違いなのかなぁ・・・」


美鈴は今、大学で映像に関係したサークルに所属している。

泉坂高校における映像研究部と同じ匂いのするサークルで、居心地もいい。

映像関係に就職するつもりはないが、きっと趣味として一生関わり続けるだろう。

その点、淳平はすでにプロとして、映画を仕事としている。

そこに自分との圧倒的な差を見せつけられた気がしていた。


兄は妹の言葉を無言で聞いていた。

趣味と仕事の違い。

確かにそれは大きな部分を占めている。

しかし、同時に言えることもある。



あいつは映画を仕事で撮ってない、昔のまま、楽しんで撮ってる。



結局言葉には出さなかった。

淳平は今回も仕事として映画は撮っておらず、撮りたいから撮るというようだ。

だが、その中に少なからずつかさへの義務感が感じられる。

自分のために映画を作っていた淳平は、今つかさのために映画を作っている。

それが吉と出るか凶と出るかは分からない。

それでも、あの根拠のない期待感は拭えない。

あいつなら何とかするだろう、そんな思いがいつまでも心にあった。

































撮影の行程は短かった。

場面が移ることも少ないため同じロケ地で複数のシーンが撮影できたし、スタッフが一丸となって精力的に撮影を進めたからであった。

その間、淳平は一度もつかさと会わなかった。

特に訳はない。

忙しくて会う時間がなかったのもあるし、監督の士気はやはり多大な影響を与えるもので、つかさと会って精神的に不安定になるのは避けたかった。

そのためか、今、淳平はつかさに会いに行きたい衝動に襲われている。

ただ、一ヶ月ほど時間を空けた後、どんな顔をして会っていいか分からず、途方に暮れている状態であった。

とりあえず、今はえいぞう会のことを考えなければいけない。

下山に電話をかけ、完成したことを報告し、集まりを開いてもらう必要がある。


しかし、何故だろうか、その気力が起きない。

バーンアウト・シンドロームに近い、強い脱力感。

その言葉が頭が浮かんだとき、映画を作ることを使命って思ってるようじゃダメだよな、と自らを戒したが、もちろん淳平の疲れはそこから来ているだけではない。

極端に短い睡眠時間や、こちらに帰ってきてからずっと続いているつかさへの罪悪感など、身体的にも精神的にもハードな日々が続いていたのだ。


「疲れた・・・」


腹の奥から、そんな言葉が漏れる。


淳平はベッドの上でよだれを垂らしながら寝ていた。

今日ぐらいはいっか・・・

そう思うと、何をする気も起きなくなった。



もう一回寝るか・・・・・・。





よく晴れた一日の、何の変哲もない柔らかい風景。


[No.1143] 2005/06/19(Sun) 02:07:15
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『真実の瞳』−21.「夢駆」 (No.1143への返信 / 21階層) - スタンダード


これからえいぞう会がある、そう思うとどうしても緊張しまう。

ほどよい緊張は心地よいが、それでもやはり淳平は落ち着かなかった。

やがて扉に手をかけ開くが、室内を覗き込んだ瞬間に「え!?」と驚いて声を上げた。

無理もない。

いつも早め到着する淳平が、今日はさらに早く来たはずなのに、すでに会員全員が集合していたからである。


「ちょっと・・・なんかみんな早くないですか・・・?」


そう驚く淳平に、

「みんなお前の新作を一秒でも早く見たいんだよ」

下山がそう言うと、あちらこちらから同意の声が上がった。

頷くもの、笑みを向けるもの。

しかし、一人だけ興味なさ気にしている者がいる。

平野喜介。


俺はこんなところにいたくないんだ、そんな表情を浮かべてはいるが、しかしどんなに見目を繕おうとも平野がいつもより早く来たことは事実であった。

自分に向けられた期待の眼差しが嬉しく、同時にその期待に応えられているのか不安にもなったが、やるべきことは全てやりきったという自負の元、強い口調で言い切った。


「え〜っと・・・ありがとうございます。


 今回は・・・・・・




  自信作です。」


周囲を見据える淳平の自信に満ちた瞳が、会員のボルテージを一気に引き上げた。

渡したフィルムが映写機にセットされ、映像が流れ始めた。

刹那、オフィスの一室は聖域となる。

映像にはそうさせるだけの力があった。
















作品の全体を通した雰囲気、センスと言ったものは大抵オープニングを見るだけで分かる。

それを踏まえれば、この作品は疑うことなく名作だった。

シナリオ上、激しいシーンや迫力ある場面はない。

それでも、哀愁漂うその作品は、開始早々トップギアだった。











やがて物語が終焉を迎える。

決して幸せでなく不幸せでもないエンディングが、何も語らない淳平の本心を告げていた。

シナリオと重なる自分とつかさの姿。

もともと淳平が自ら脚本に手を加え、故意に重ねたものである。

しかし、この作品に自分たちの未来の姿を映し出したのならば、それはあまりにも無欲で哀れな未来だったかもしれない。



監督は泣かない。

そういう言葉がある。

言葉と言うよりも、むしろ監督達の常識、基本である。

他人の映画を批評する際に、正当な評価を下すためには泣いてはいけない。

感情移入しすぎてしまい、何の根拠もない評価になってしまう。

もちろん、一般の人からしてみれば、

「この映画は泣ける」「この本は泣ける」

という批評の方が分かりやすいし、期待も持てるかもしれない。

だが、映画監督が映画における技術を評価する際には好ましくない。


たしかに、『感情移入させる技術』というのも評価すべき点ではあるが、問題はその後である。

自分はこの映画で泣いたからこれはいい映画なんだ、と無意識のうちに決めつけてしまい、マイナス面に気付かなくなる。

良きに敏、悪しに鈍、である。

つまるところ、感情移入した後の評価は、するまでの技術評価から一転して根拠のないものになってしまうため、一歩間を置いて映画を見る必要がある。

だから泣かない。















それらの基本事項は、少なくともこの室内ではほとんど守られていなかった。

皆が皆、うっすらと目に涙をためている。

隠したり拭ったりしているのは基本事項が守れていない自分が恥ずかしいということではなく、ただ単に涙を見せるのが恥ずかしいというだけだ。

おまけのようなエンドロールが終わり、映像が止まった。

誰かが部屋の電気をつけると同時に、張りつめていた空気がすっと元に戻った。

自然に淳平に集まる視線。

それに気付き、「まあ・・・以上です」と、一言挨拶をする。

パチパチと拍手をしたのは下山だった。

会員全員もそれに続き拍手を始める。

拍手喝采、まさにその言葉通りである。

平野はというと、嫌そうではあるがパチパチと音を鳴らしていた。

次第に拍手がやみ静寂が訪れる。

決まって進行役となる下山に視線が集まった。


「で・・・


 これのどこが『監督は主役じゃない』んだ?」


下山の言葉にお互いを見合う。


そういえば・・・


そんな思いが表情から見て取れた。

ざわざわとする室内で、一人下山は淳平を見つめる。

それに気付いた淳平が微笑んだ。

また下山が口を開く。



「のっけから派手な演出バンバンに使ってあるし。

 役者の質から考えればしょうがないかもしれないけどな、これは前見た高校時代の作品と違いすぎるな」


酷評。

多くのものはそう思っていた。

元々下山はどちらかと言えば辛口であるし、容赦しない。

その分いいところはよく褒めるのだが、今回は良くないのだろうと皆思い込んでいた。

きっと下山は、真中の器に期待してあえて厳しくしているんだ、と。


しかし、そんな予想も裏切る。


「・・・ま、お前には驚かされるよ。ホントに。


 流石というか何というか。


 すげえよ。素直に感動した」



恥ずかしそうに、言う。

会員は呆気にとられたような顔をした。

同時に訪れる安堵。

恐らく彼らは、下山が悪いと思ったものを良いと思ってしまったことに不安を感じていたのだろう。

誰かがまた手を鳴らす。

触発され2度目の拍手が広がった。







「それで・・・何で今回はこんなに派手にやったんだよ?

 お前らしくないというかさ」


下山が改めて尋ねた。

お前らしくないというのも、前回に見た高校時代の作品と比べただけであり、どちらが本当に淳平らしい作品かというのは分からないが。



「ああ・・・いや・・・まあ・・・

 
 訳ありで・・・。

 
 今回のは賞を取るとかそういうものじゃなかったですから・・・


 スタッフには悪いけど結構わがままにやらせてもらいました。


 それに・・・これはある人に見せるために作ったものでして、「俺の映画だ」っていうふうにしたかったんです」




もちろん、ある人とはつかさである。

これはつかさのために作った映画。

賞を取るわけでも、評価を得るためでもない。

いわば、映像の形をしたただのメッセージだ。

淳平はスタッフに感謝しているし、役者もよくやってくれたと思っている。

ただ、この映画だけは、主役が自分である必要があった。

それこそが自分の本心を伝えると思っていた。



「まあそんな感じで・・・


 今回は俺の創りたかったものを作っただけなんですよ」



照れながらそう言う淳平。

やがて話は映画に関することとなる。

演出方法やそのバックグラウンドまでありとあらゆることを絞り出すように言わされたのであった。












映画の話となれば時間が経つのは早いもので、いつの間にか日は暮れていた。

窓の外の暗さに気付き、淳平はつかさに会えないかもしれないと言うことを懸念したが、急ぐことではないと思い直した。

話せることは全て話しきったと言えるほど、ただひたすらこの映画について話し合っていた。

そろそろかと見切りをつけて下山が話を切った。


「じゃあまあ今回はこの辺で解放してやろうか。

 死なれても困るしな」


いつもならばこれで解散であるが、しかし今日は少し違った。


「それと・・・」



おもむろに下山が口を開く。


「これを、一般上映する」


「は!?」


真っ先に驚いた声を上げたのは、当人の淳平だ。

それも当然のことである。

まさか新人も新人、超新人が試験的に作った映画を一般上映するなどまともな考えではない。

いや、最近の考えでは年功序列が排除され実力重視となってきており、確かに新人の淳平でも問題はない。

ただ、だからといってすぐに上映に踏み出せるものではない。



「何で急にそういうこと言うんですか・・・

 ちょっとぐらい相談してくれても・・・」


苦笑いする淳平に対し、下山は心からの笑顔である。


「大丈夫だって!お前の実力は俺が保証する!」


それは冗談を言っている顔ではなかった、

この作品を全国へと送り出すことに、一抹の不安もない自信に満ちた表情だ。

その自信はさらに確実なものとなる。

下山の強烈なプッシュに引き続いて他の会員も一般上映することに賛成しだしたのだ。


「そうだよ!俺らが保証する!」


何の信頼も出来ない保証といえるものもあるが、それでもここまで言われて悪い気はしない。

淳平も全国へこの映画を見せることを考え始めていた。

しかし少し、悩み所がある。


これがつかさのために作ったと言うことだ。

私的な映画、これを公的なものとするには恥じらいもあり、また、つかさとの関係を売り物にするのが嫌であった。










流れを変えたのは平野だ。

低く、くぐもった声で、呟いた。


「そんなのが売れると思うか?」



何の遠慮もない、強烈な否定である。




「そんなもの?

 何言ってるんだよ。

 真中はちゃんと映画を作ったし文句をつけるようなできじゃなかっただろう。

 十分に作り込んであるし、一般公開するのに何の問題もない!」



会員の一人がそう怒鳴った。

自分が涙したこの作品をけなされるのが許せなかったのだろう。

しかし、平野は冷静に返す。



「私たちが泣いたかどうかは問題でない。

 大事なのは大衆だ。

 お客様が第一なんだろう?

 私にはこの作品が一般客向けには思えんのだよ


 映像全体を包み込む暗い雰囲気に、消化不良気味な終幕。

 それでもやるのかね?」




誰も言い返せなかった。

淳平を除いて。



この映画を生み出した監督として、この映画の信念を貫き通す責任があった。


「それは、この映画から何かを感じ取って欲しかったからです」

淳平は映画の中で全てを解決しなかった。

大切な人を失ったヒロインは、失った人を忘れることによって新たに歩み始める。

それは解決ではない。

悲しみを悲しみで誤魔化したに過ぎない。


そこから観客が何を感じ取るか、それが淳平の期待であり不安だった。


「そんなことが一般の客に出来ると思うか?

 映画館に来る客は、素直に映画を楽しみにしてくるんだ。

 そこを監督のわがままで訳の分からない終わり方をされて気持ちが良いはず無かろう?


 意味がないんだよ。


 映画が人を幸せにするためにあるというのなら、幸せにしないと意味がないだろう?」






珍しく、感情がこもった話し方だった。

彼らしくない、素直な意見だったかもしれない。

静寂が訪れる。

会員の多くが平野の言葉に唇をかみしめた。

確かに平野の言うことも確かだ。

そこに淳平の声が響いた。


「最初から意味なんて無いさ」


自信に満ちた声である。

全ての不安をかき消すような、根拠のない期待感。


「言ったでしょう。

 これはある人に向けた映画なんだから。

 ある人を幸せにするために作ったんです。


 エゴとでも何と言われてもかまいません」



その迫力に平野がたじろいだ。


「・・・ならばなぜ一般上映する必要がある?」


「それを望む人がここにいるからと、


 それによって幸せになる人が必ずいるから・・・」


「幸せになる・・・だと・・・?


 誰がなるというのだ?」


「例え暗い雰囲気と消化不良な結末でもきっとこの映画から何か見出してくれる。


 別に技術なんて無くても、考察なんて出来なくても、

 
 この映画を真剣に見てくれれば、必ず伝わります。」




また静寂となる。

全員が平野の発言に耳を向けた。



「そんなことして・・・なんになる・・・」


その瞬間、映画監督・真中淳平の、全国への一歩目が決まった。

平野の言葉は、何の力も無く、ただ負けを認めるだけの悪あがきだった。



「映画は、創りたいから作るんです。」






























部屋には平野一人が残っている。

先程の出来事が脳裏をかすめてはいらつかせる。

それも次第に無くなってきた。

自分でも驚くほど心が穏やかになる瞬間すらある。


栄蔵・・・


心の中で思う。


お前のガキがとんでもないやつになりそうだぞ・・・


あの瞬間、淳平に栄蔵が重なって見えた。

そのまま淳平は続けた。



俺は映画を、人を幸せにするっていう理想を持って撮ってます。

でも、意味を求めてそれを作品としてるわけじゃない。





忘れていたものを思い出すような感覚。

青春時代、自分も映画監督を目指す一人の若造だった。

いつの間にか老いぼれて、昔なりたくなかった姿になっている

それを今日、淳平に思い知らされた。

思い出されるのは、栄蔵との口論。

一度言われたことがあった。

面と向かって一言。

「お前は昔なりたくなかった姿になってることに気付け!」



奇しくもその愛弟子に同じことを気付かされた。



栄蔵・・・今お前どこで映画を撮ってるんだったかな・・・?

早く帰ってきてあいつを見てやれよ




自嘲気味に笑うと静かに退室していった。

どことなく、健やかな表情を浮かべていた。





























いつも通り、淳平と下山が雑談を交わしている。

決まって平野のことを話した後、映画の話となる。


「それで、さっきの映画のあれ、なんだったんだよ?」


「あれって何ですか?」


「何しらじらしいこと言ってんだよ」


下山が尋ねたのは映画の1シーン。






「『自らが恋をしていることに気付いたとき、人は恋をする


 探す者には見つからず、求める者には訪れず』




 
 ヤマ場で出てきたけど脈絡が全然無くて唐突だったからな。

 あれがお前のメッセージだってのにはすぐ気付いたよ。」


下山の言うとおり、そのセリフは無理に詰め込んだものだった。

どうしても使いたかったのである。


「あれは本心ですよ。

 ホントにそう思ってるんです」


「俺には矛盾してるように思えるんだが?」


下山の問いに、淳平は嬉しそうに答えた。


「だからですね、結構簡単なことなんですよ。

 ふと思うことがあるでしょ?


 『自分はこの人が好きなんだ』って。

 そう思った瞬間が恋だっていう・・・」



「その後のは?

 求める者にはとか」


「あれは・・・

 例えば恋を求めるっていうのは・・・まあ恋に恋してるわけで・・・

 好きな人が出来ても自分が好きな気でいるだけってのがありますよね?

 目先だけの恋というか。

 そういうのは恋じゃないんじゃないかなって。

 それで改めて自分がその人のことが本当に好きだと分かったら、それは目先だけの恋じゃなく本当の恋になる」


力説したものの、実を言えば淳平は自分の創り出したこの言葉がイマイチピンと来ない。

インスピレーションによるもので、綾の脚本を読んだときいつの間にか頭の中にあった。

自分の言葉なのに使いこなせていないのが我ながらおかしかったが、それでも使うべきだと思ったのである。




「分かんないんですよね、自分でも。

 何でこんな言葉が浮かんで、何でメッセージにしたのか」


空を仰ぎ呟く淳平。

下山は淳平を一瞥して軽い調子で応えた。


「ま、創った本人が気付かなくても他人が気付くってのはよくあることさ」


その言葉に活気づく淳平。

「そうですよね」と素っ気ない返事をしながら心の中でありがとうと深く感謝した。


「じゃあこれで」


軽く頭を下げて別れる。

小走りで去る後ろ姿に下山が声をかけた。


「真中!」


「はーい?」


「リレーはどんな感じだ?」


リレー。

それは淳平が下山に語った、つかさとのことである。

あるパティシエからたすきを受け取った。

それは人を幸せにするためのレース。



「ぶっちぎり1位!





  ・・・を目指してラストスパート中!」






その返事に下山は微笑み、最後にもう一度叫んだ。


「せいぜい気張れよ!」























いつの間にかもう夜だ。

今日中につかさに映画を見せることは出来そうにない。

空を見上げると、星が満天に輝いている。

温室効果ガス削減の政策が次々と施行され、温暖化は改善に向かっている。


周囲に誰もいないことを確かめると、淳平は軽くストレッチをした。


「俺はアンカーか・・・」



だんっ!と地面を蹴って駆けだした。

体力は落ちているだろうが、家ぐらいまでなら走っていけそうだ。

夜風が気持ちいい。


走る。

ただ走る。

たすきを放さないで。




「だああああぁぁぁぁぁぁぁ」



誰もいない路地に淳平の声だけがこだまする。

近隣の人々が窓を開け、何かと思って顔を出すが淳平は気にしない。



この暗闇に一人。


競争相手はいない。



ぶっちぎりの1位だった。


[No.1181] 2005/08/24(Wed) 00:18:07
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『真実の瞳』−22.「岐点」 (No.1181への返信 / 22階層) - スタンダード

室内から淳平の話し声がする。

電話だ。

相手はどうやら映画に関する人間らしかった。


「はい・・・はい・・・

 それとリーレコ全部やり直します。

 結構時間も余ったし…

 え?

 ああ、それはタイミングマンとのスケジュールが合わなくて…」

と相づちを打ちながらも、相手に的確な指示を与えるその威厳に満ちた声は、さながらベテラン映画監督のようであった。

専門用語を使う淳平に、部屋の外で唯が密かに感心している。

確かに今まで監督らしい淳平の姿というものは見たことがない。

それゆえに、いつもとのギャップが大きく妙に感動してしまったのである。



長々とした電話をやっと終えて、淳平が部屋から出てきた。

先程から位置を変えず唯がそこに立っている。


「じゅんぺいってもしかしてすごい人?」


恐る恐る尋ねるその姿がおかしくて笑いそうになるが、それを抑えて答える。


「いやいや映画監督で食ってこうって考えてる人はみんなこれぐらい知ってるって」


それは謙遜というものではなく、確かに映画監督を職業としているものは皆知っていて当然のことだ。


「もう何年もやってるわけだしさ。

 さすがにこれぐらいのことは俺にも出来るよ」


淳平がそう言うことで、唯は改めて目の前の幼なじみが映画監督となった事実に気付いた。


「そっか・・・もう5年になるもんね・・・よく続けたよ。偉い!」

淳平の背中をバンバンと音を立てて叩いた。

手洗い賞賛に照れながらも、まあな、とだけ強がってみた。



「どうだった?

 あこがれの映画監督としての5年間は。」

「そうだなぁ・・・

 予想通りでもあったし全く予想つかなかったこともあるし・・・

 でもまあ、思ってたとおり楽しいよ。」


それは自信を持って言える。

映画監督になったから、今の自分がある。

それはもちろん、身分だとかっという問題ではなく、内面的な、人間性のことである。

その変化がいいか悪いかは一概に言えることではないかもしれない。

だが、淳平自身、かくあるべきだったと思っている。


「そっか・・・

 あたしなんてさ〜サークルもろくに続けられないんだよ?

 なんか原動力みたいなのがないんだよね・・・」


唯はつかさに憧れて、という気持ちもあってか、料理のサークルに入ってみた。

親しい友人も誘ってのことであったが、今はもう唯はやめてしまい、友人のみが続けているのである。

その後、いくつかのサークルも回ってみたのではあるが、どうもしっくり来ず、結局ただいま無所属の身である。


「辛かったりしてやめたくなることとかなかったの?」


そう尋ねられて淳平は一瞬答えに詰まったが、

「逆だよ」と一言。


「逆?」

「そう。辛いからやめたくなるんじゃなくて、辛いから映画のことを考えてた。

 映画がなかったら乗り切れないこともあったと思うし。

 俺にしてみれば映画自体が原動力なんだよ。きっと。」


ふ〜ん、と羨ましそうな目で淳平を眺める唯。

夢中になってみたいなと思う。

いや、今が『夢中になれるものを探すこと』に夢中になっているのかもしれない。

自分が夢中になっているということには意外に気付きにくいもので、人から言われてそうなのかなと思うのもよくある話だ。




「じゃあちょっと行ってくるわ」

「え?」

「いや・・・今日さ、ほら・・・」

「ああそうか。行ってらっさい。」


淳平は家を出てつかさの家に向かった。

淳平の夢中になっているものは、もちろん映画だけでなく、西野つかさその人でもある。

それに彼が気付いてるかどうかは、測りかねるところであろう。












「もしもし?」

今度電話をかけるのは外村である。

「ああ真中か。もう出たか?」

「おう。今ちょうど家出たとこだよ。」

「じゃああと10分もかからないか?」

「あ、でもケーキ取りに行かなくちゃいけないからな。」

「分かった。じゃあ20分後につかさちゃんのマンションの正面な」

「OK」


手短に用件を話して会話を終えた。

西野つかさとケーキ。

いつの間にか廃れていった彼女とそれの関係。

以前は毎日触れ合っていたはずのものなのに、まるでケンカでもしたかのようにお互い見向きもしない。

それでも、やはりこのままでいられないと感じたのか、アプローチを仕掛けたのはケーキの方だった。

人間、縁は切っても切れないものである。

ケーキだって、一年に一度は近づいてくるということだ。

そう、今日は9月16日。

西野つかさの、誕生日。













正直なところ、淳平は迷っていた。

つかさの誕生日を祝うことをではない。

例えさけられていても、誕生日を祝うことに文句を言われることはないだろう。

迷っていたのは、ケーキを持って行くことについてである。

日暮との離別から、つかさの心には、洋菓子に対するある種のトラウマというべきものがある。

それこそが未だ彼女が過去を吹っ切ることの出来ない理由の一つであるのだ。

彼女に使われ続けた道具達も、今は出番を静かに待つのみである。

そんなつかさの気持ちは淳平にもよく分かっている。

だが、このままいつまでも洋菓子を遠ざけていていいのか。

今は、少し強引にでも、彼女と洋菓子との関係を作るべきではないのか。


彼女の気持ちを察しケーキを持って行かないのか、それとも彼女の気持ちを察してこそケーキを持って行くのか。

どちらが本当につかさのためになるのか、なかなか答えは出なかった。






決断したのは今日の朝だ。

先日えいぞう会において発表した、高校時代に作成した映画。

そのメイキングシーンで、つかさは今では見せなくなってしまった笑顔で話していた。

それを今朝ふと見、そこに映るつかさの料理を作る姿を眺め気持ちは固まった。


そうだ、西野はこんなにも料理が好きだったじゃないか。


そう思うと、迷うことなどない。

もう一度、自分の夢と向き合って、自分のしたいことを思い出して欲しい。

つかさが本当にが目指していたのは日暮という存在だけではなく、彼の向こうにあるものだったはずだ。











つかさのマンションへの道を途中で折れ、ケーキ屋に向かう。

なかなか小綺麗な店で、外見上の印象は悪くない。

ここは外村に紹介されて知った店である。

というのも、5年間離れているうちに知らない店ばかりになってしまったからである。

そのドアを開け中にはいると、右手の方に垂れ幕の下がっているのが見える。

『ケーキ教室』と大きな文字、それに付随して時間帯の説明などである。

どうやら、ケーキ屋兼ケーキ教室の店らしい。

また、今現在もその教授時間に該当するらしく、奥の開いたドアの隙間から生徒と店長らしき先生が見えた。

生徒はなかなか熱心のようで、先生の行動を見よう見まねでなしていく。

ちょうどその時に、教室内から甘い、それでいて香ばしい匂いが漂ってきた。

生徒の喜び様から見て、恐らくスポンジ焼きなりなんなりがうまくいったのだろう。

活気の溢れた教室である。



ところで、淳平はその先生を見て、あまりいい印象を抱かなかった。

根拠となるものなどはないが、どこか裏がある気がしたのだ。

だからといって何かするわけでもなく、少しその様子を見ていただけではあるが。





それよりも、と、本来の目的であるケーキを受け取り、つかさの家へと足を進める。

時計を見ると、時間は予定通りだったから、外村がいるはずだ。





足取りは重い。

つかさの家へ行くのが億劫になる。

そのことは、いつものつかさの態度に理由があるのだけれども、淳平は自分を責めずにはいられない。

もとをただせば自分が西野から離れたせいだ、このように考えてしまうのである。

そんなことを言っていれば、つかさを置いて逝ってしまった日暮にも責任がある。

そもそも日暮とつかさを合わせたパティスリー鶴屋のおばあさんが悪い。

いや、料理を習うきっかけとなった淳平が悪い。

それよりも料理を教えてこなかったつかさの母だって・・・




結局答えなどは出ないのである。

追求には、妥協がついて回る。

例え何かの心理に至ったとしても、それは自分が『心理』と見なして妥協したに過ぎず、本当の意味での心理ではない。

だから人間は、どこかで妥協しなければいけない。

今の淳平も同じことである。

誰に責任があるのか、その追及をどこで妥協するのか。

いや、誰に妥協するのか。



一番簡単なのは、第三者に責任があると妥協することである。

淳平とつかさには直接的に関係することがなく、新たに人生を始めることが出来るだろう。


次に簡単なのは、つかさに責任があると妥協することである。

自分には責任がないのだから、相手を救おうと一心になれる。


一番難しいのは自分に責任があると妥協することである。

自分に非があると知り、誰が自由に行動を起こせるだろうか。

知らず知らずのうちに、目立つ行動を控えてしまう。





どれが良いというわけではない。

だが、淳平が一番難しいことを行っているのは事実である。

そして、次のことも、恐らく真実であろう。



『行い難ければ、得るもの多し。』


淳平は、最も難いことを行っているのである。













やがてマンションにたどり着くと、外村が立っていた。

「なんだよ、西野に中に入れてもらってれば良かったのに…」

「いや…そりゃ入れてくれるかもしれないけど……なぁ…?」


こちらに同意を求めるように呟いた。

確かに、今のつかさと外村が二人きりでいる画というのは想像できない。

昔ならあり得たことだ。

つかさが淳平を待っている。

そんなつかさに外村が必死で茶々を入れる。

恥ずかしそうにしながらも、必死で否定するつかさ。

容易に浮かぶ光景だ。


あんなに身近にいた映研の仲間達は、いつの間にこんなに離れてしまったのだろう。

そう思わずにいられなくなった。





「まあ・・・行くか」

まるで行きたくないかのように声をかける。

そんな自分に失望しながらも、その失望を消すために今から前に進むんだと気持ちを引き締めた。

「なあ、それなんだよ?」

と不意に外村が尋ねた。

指差しているのは、ケーキと反対の手に持たれた小さなカバンである。

「ああ、これは映画のディスクが入ってる。

 0号…じゃないな…

 0号以前だけど…とりあえず形にはなってるって状態の」

「なんでそんなの持ってんだ?」

「西野に見せようと思ってさ…」

妙に悲しげな目をする淳平。

そんな淳平を外村は静かに見つめていた。








幸いつかさは在宅であった。

「やっほー」

外村が先程とうってかわって明るい。

このあたりは彼らしいところであり、弱いところや苦しいところ、悩んでいるところは見せず、努めて明るく振る舞うのだ。

「淳平くんと外村くん・・・」


困惑の表情を浮かべるつかさ。

泉坂へ戻ってきて、何度彼女のこの顔を見ただろう。

いや、そんなことは構わない。

問題は、何度彼女の笑顔を見たかだ。

数えきれるだろうか…数えられないかもしれない。

0は、数えられない。


「西野、今日誕生日でしょ?

 ほら、ケーキ持ってきた。

 パーティしよ!」

外村にならい、淳平も明るく振る舞った。

恐らくそれはつかさも気付いたはずだ。

『淳平が無理をして明るく振る舞っている姿』は、彼女にどのように映るのだろうか。


好意で来てくれた友人を追い返すのはさすがに躊躇われたのか、つかさは中へ迎えてくれた。


外村は初めて入ったらしくキョロキョロと辺りを見回していた。

だが、持った感想は、初めてこの部屋を見たときの淳平と同じであったはずだ。

あれからものが増えたということはなく、無機質な空間である。







誕生日。

昔はその言葉を聞くだけでワクワクしていた。

淳平くんが祝ってくれる、そう思うといつでも笑みが湧いた。

絶対に忘れないといってくれたあの日の想い出を胸に、毎年毎年9月16日を遠目ながら楽しみにしていた。


いつの間にだろう。

誕生日がこんなにも味気ないものになったのは。

その問の答えなどは、考えるまでもない。

日暮が死んでからだ。

誕生日に限らず、ありとあらゆる特別だったはずのものが、普通以下になっている。

どんなに騒いでも気持ちが昂ぶることなどない。


いつからだろう。

胸のドキドキが消えたのは。

きっとあたしの胸の鼓動は、どんな機械よりも正確に時を刻んでいる。

そんな風に思ったこともある。



今もまさにそうだった。

目の前には淳平と外村がいて、昔のままに語り合っている。

大好きだった人と、その人の親友が笑いあう姿は、昔見たときに心を癒してくれたのに。

今ではどんなものより安っぽく儚く見える。




他愛のない雑談を交わしながら、彼らはつかさを祝った。

しかし、つかさの反応は薄かった。

外村が気を遣って、どのように話しかけても迷惑そうに流すのみだ。

ケーキには一口手をつけただけで、ぼーっと視線を中に泳がせている。



その不安定な視線が一つに定まったのは、外村の発言によるものだった。


「このケーキ…微妙じゃねぇ…?」

「微妙ってお前が薦めたケーキ屋だろうが。」

「いや…そうなんだけど…なんか前と味変わったなぁって…」


そして、その話はつかさへと向く。


「どう思う?つかさちゃんの方がうまく作れるんじゃない?」


その言葉を聞き、淳平は冷や汗をかいた。

これは、つかさの触れられたくない話なのだろうか。

日暮が亡くなって以来、菓子作りからは離れている。

甘い香りですら、日暮を連想させるのだから。

その状況で、今の外村の話はつかさの心を傷つけないだろうか?


意外にもつかさの反応は薄く、「どうだろうね」と一言呟いた。

無駄な心配だったかなと胸をなで下ろしたが、しかしその時につかさが立ち上がった。

「ごめんね、あたし今日用事があるの。

 今日はありがとうね」

外村が、用事?と尋ねようとするが、その口を淳平がふさいだ。

そして、「そっかそっか、じゃあ俺たち帰んなきゃいけないな」と明るく言う。

その行動に、外村も驚いてはいたが、一番驚いていたのはつかさである。

いつもの淳平ならここでは引かない。

もっと自分を説得しに来ると思っていたのである。

確かに、いつもならば、つかさの拒否などを気にせず追求するはずだ。




淳平が引いたのには理由がある。

今日つかさと会い、話してみて、まだ時期ではないと感じたのである。

急いては事をし損じると思い、敢えて今日は引いた。

何かつかさに大きな変化があって欲しい。

自分がアクションを起こして変化を与えるべきだとも思う。

ただ、今はその手段が見つからないのだ。

その一つとして持ってきたのが今回撮った映画である。

これはつかさに一人で見て欲しいものだ。

だから、別れ際に渡そうと思っていた。

今自分が起こせるアクションは、別れ際に映画を渡すということだけである。

そのため、今は引き、映画を見たあとのつかさと向き合おうと考えたのである。




呆気にとられる外村を引き連れ帰る支度をする。

いいのかよ、と目で訴えているが、大丈夫だ、と目で返した。

帰り際に、思い出したように映像を渡した。

「これ…見て欲しい…。

 今回撮ったんだ。

 西野のために。」


口調が違う。

前回、映画を撮ると告げに来たときには、決して押しつけるような言い方はしなかった。

しかし、今回は、お願いだから見てくれという気持ちがにじみ出ている。

そのまま淳平達はは言葉数少なく帰っていった。





















目標は達成したのだろう。

だが、うまくいくとは限らない。

最大の懸念は、つかさが映画を見てくれないことである。

渡した瞬間の表情もどこか浮かないものであった。

見てもらうことすらままならないならば、淳平に出来ることがなくなったしまうのだ。




案の定、つかさは映画を見る気はなかった。

押しつける口調が気に入らなかったなどという理由では、当然ない。

淳平の気持ちと、自分の気持ちに、本気で向き合うのが怖かったのだ。

自分の深層心理を知るのが怖かったのだ。

このまま、二人の溝は埋まらずに時が過ぎて行ってしまうのだろうか。





その溝に架け橋がおろされたのは偶然だっただろう。

つかさの心が動いたのは、くしくも決して動かなくした洋菓子であった。









淳平と外村を追い出すように帰してから、名目上外出しなければいけない気がし、外へ出た。

特に理由があるわけではないので、ただぶらぶらと歩くだけである。

ふと目にとまったのは、淳平がケーキを受け取ったケーキ屋である。

中のケーキ教室に人集りが出来ている。

正しくは、生徒が集まって相談しているのだった。

つかさは何故かそれが気になり、ケーキ屋の中へ入っていった。






つかさ自身気付いていないが、その行動が既に、自分の中に眠るパティシエへの気持ちを表していたのだろう。









「どうしたんですか…?」

一番外側にいる気弱そうな生徒に尋ねた。

とても焦っているのは遠目でも分かった。

「ここの先生がねぇ…どうも気の利かない人で…

 なんども生徒といざこざがあったんだよねぇ…

 それで今日それが爆発しちゃって。

 『私なしでケーキが作れると思っているのですか!?』ってすごい剣幕で怒鳴ってね。

 それであそこにいる人が『あんたなんていない方がよっぽど良いものが作れますよ!』って…」


把握。

これは先生にも生徒にもどちらも非があるように思えた。

要するに程度の低いケンカであり、それがたまたまケーキ教室で怒ったに過ぎない。


しかし、その状況を変えたのは、すぐそばに置いてあった紙切れであった。


「え…これ…」

紙切れを見た瞬間、つかさは驚きの表情を浮かべ、近くにいた生徒に尋ねた。


「これ…なんですか…」

「え…?ああこれは、先生が作ってくれたケーキの作り方の表だよ。

 どうかしたのかい?」

「これ…こんなんじゃ…本当においしいケーキなんて作れないのに…」





小さく呟いた声は、その生徒にも聞こえなかったようである。

唇を噛みしめた。


パティシエは繊細な職業である。

技術的にはいうまでもないが、それは精神においても同様である。

客のことを考え、常に向上心を持って、自分の作る菓子には愛情を込めるべきなのである。


そのケーキ教室で作っていたのは、見た目のみ美しい、一口目のみおいしく錯覚させるものだった。

経費を浮かせ、適当に生徒を喜ばせ、それで良かったのだ。


これは、真のパティシエに対する冒涜である。






「ここ、借りられますか?」

また近くの婦人に尋ねる。

「え…?そりゃ今ならいいだろうけど…

 あんた何する気だい?」



そばにあったエプロンをとり、パティシエの顔になる。

淳平が映画を創るときのように、プロにはプロの顔がある。


「あたしが作ります。」




















数時間経って、ケーキ屋に店長が戻ってきた。

彼女は、きっと生徒達が申し訳なさそうに頭を下げると思っていたのだろう。

しかし、実際は大きく違った。


誰もいない調理場にケーキが一つ置かれている。

(ケーキ…?)


誰がこんな美しいケーキを作ったのだろうと訝り、近くによって眺める。

(!!!)


小さく乗ったチョコレートに、美しいサインが描かれている。

それはTとNが合わさり、筆記体のhのようになっているものだった。

パティシエでこのサインを知らない者が何人いるのだろうか。


(西野つかさ!?)


店長は慌てて店を飛び出し、辺りを見回すが、当然そこに西野つかさはいない。





西野つかさ。

2008年。

クープ・ド・モンド・ド・ラ・パティスリー。

優勝候補でありながら謎の途中退場をした、世界中で知られるパティシエである。













どれだけ遠ざけても、やはりパティシエの心はすぐそばにあった。

決して作らないと決めていたはずなのに、いつの間にか手は動いていた。



やめられない。




こんなに好きなんだ。



パティシエとして生きる自分が。




涙を瞳一杯にため、家路を向かう。

彼もこんな気持ちなのだろうか。

映画を創っているときは。



手渡された映画をふと見なければいけない気がした。


歯車が、音を立てて動き始めた。








ちなみに、2008年度クープ・ド・モンド・ド・ラ・パティスリー。

これはちょうど日暮が死んだ時の出来事であった。



彼女の人生は幸運への曲がり角と、悲しみへの曲がり角を間違えてしまったのかもしれない。


[No.1216] 2005/12/25(Sun) 02:46:30
softbank218122026003.bbtec.net
Re: 『真実の瞳』−22.「岐点」 (No.1216への返信 / 23階層) - 名無し

頑張ってください

[No.1241] 2006/02/09(Thu) 20:27:57
p4138-ipbf205aobadori.miyagi.ocn.ne.jp
Re: 『真実の瞳』−22.「岐点」 (No.1216への返信 / 23階層) - 名無し

次の作品はまだなんですか??

[No.1240] 2006/02/09(Thu) 20:27:25
p4138-ipbf205aobadori.miyagi.ocn.ne.jp
Re: 『真実の瞳』−22.「岐点」 (No.1240への返信 / 24階層) - y.s

次の作品はまだなのですか?

[No.1644] 2013/08/03(Sat) 19:58:27
140.246.12.61.ap.seikyou.ne.jp
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