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2012年10月25日(木) 石原慎太郎都知事が今日を持って都知事を辞し、新党を作り、新たな政治行動を起こすと記者会見で明らかにした。 昨年からくすぶっていた石原新党がやっと本人の口からはっきりしたわけだが、石原都知事の一挙手、一投足が注目される事だろう。 石原都知事が昭和43年全国区に立候補した時、私は大学3年生で飯島清(政治評論家)先生の関係で、ビラ配り等した事が懐かしく想い出される。「日本の新しい世代の会」を立ち上げ、大変な石原ブームで300万票を超えたのである。 参議院議員から衆議院議員になり、昭和48年私の師である中川一郎先生と「青嵐会」を作り、タカ派右翼集団と言われ、大きな一石を投じた。 昭和54年、中川派を作った時、石原都知事は幹事長として中川一郎先生を支えて下さった。私なりに40年以上、石原都知事とは様々なご縁があったが、特に中川先生の秘書時代は良く可愛がってもらったものである。 時代の寵児と言われた43年前の参議院選挙を振り返りながら、80歳の石原氏がまさに青年のように熱く語る姿を見ながら、どんな展開になるのか、改めてアンテナを高く掲げて行かなければと思ったものである。 国を憂い、想う気持ちは一緒だと考える。お互い愛する日本を良い方向に向けて行きたいものである。 朝、静岡県富士市から新幹線で戻り、党本部でお客さん・マスコミ取材対応。16時から東京大地塾10月例会。いつもながらの佐藤優さんの鋭い分析力に出席者は感心していた。 18時から「国民の生活が第一」のパーティーに出席。 19時から雑誌関係者との会合。あっという間の一日だった。 鈴木宗男 [No.5110] 2012/10/25(Thu) 22:39:27 |