この世には、どうしてと思うような極悪人(もしくは鈍感かつ卑しい)がいる一方で、 神様自らが手作りしたような人もいる。 紹介してくれた、とらちゃんはこう言っている。 「原田医師にしても、リエさんとナオミさんにしても、そういう道に導かれる運命だったのかもしれません。そんな感じがしています。 」 どんな、命も尊いわけだが・・・。 時々、神様は不公平だよって言いたい時がある。 この動画に出てくる水俣病の患者さん達になんの罪があったのだろう。 今、原発事故の事故のさなかにあって、自分は何をすべきか。 寝ぼけ眼をゴシゴシして、歩かねばならない。 【動画】 2012年11月4日放送 「ETV特集」 原田正純 水俣 未来への遺産。 http://toracyan53.blog60.fc2.com/blog-entry-3189.html … 2012年11月11日(日) 午前0時50分 再放送 原田正純 水俣 未来への遺産 半世紀にわたって水俣病に向き合い続けた医師・原田正純さんが、今年6月、急性骨髄性白血病で亡くなった。77歳だった。今年7月、水俣病の特別措置法に基づく被害者救済の申請受付が締め切られた。公式確認から56年。最終解決を目指すとされる国の救済策が閉ざされる一方で、なお多くの潜在的な被害者が残るとみられている。こうした現状に一貫して警鐘を鳴らし続け、常に患者に寄り添い続けたその人生を通して、原田さんは私たちにさまざまなメッセージを残した。 原田さんは、昭和35年、熊本大学の大学院生だった時から水俣病に関わり始め、亡くなるまで50年以上、常に現場に足を運び、水俣病患者を診てきた。昭和37年には、母親の胎盤は毒物を通すことはないとされていた、当時の医学界の常識を覆して、母親の胎内で水銀に冒された「胎児性水俣病」を証明した。以降、胎児性患者の人たちとのつきあいは亡くなるまで続き、一番の相談相手であり続けた。1軒1軒、未認定患者宅訪ねて、掘り起こしにも取り組んだ。 水俣病以外にも食品公害・カネミ油症や三池炭鉱爆発事故による一酸化炭素中毒など全国各地へ足を運んだ。さらにはブラジルやカナダの水銀汚染、ベトナムの枯れ葉剤被害など、世界各地の現場にも向かった。見えたのは「加害者は圧倒的に大きな力を持つ企業や行政であり、被害者は弱い立場に置かれた住民」という社会のひずみだった。 平成21年に水俣病の特別措置法が成立すると、不知火海沿岸住民の大規模検診を呼びかけ、埋もれた被害者の存在を訴えた。原田さん自身、胃がんや食道がん、脳梗塞など、何度も重い病気を患ってきた。それでも現場に足を運び、患者と向き合い続けた。 番組では、NHKが長年にわたり記録してきた原田さんの映像と、その志を引き継ぎ、活動を続ける人たちへの取材を通して、医師・原田正純さんの人生とその言葉を振り返り、原田さんが問い続けたもの、私達に残したものを見つめ直す。 心が育っている若者。 心の成長を止めない若者がいる。 確かにいる。 【動画】 2012年11月04日放送 「NNNドキュメント'12 山口放送」 笑って泣いて寄り添って 〜リエとナオミ 10年の記録〜 http://bit.ly/YzdwKf 再放送 : 11月11日(日)11:00〜 BS日テレ 11月11日(日)18:30〜 CS「日テレNEWS24」 20代の頃に描いた夢を叶えたリエ(角戸理絵34歳)とナオミ(中津尚美34歳)。訪問介護の会社を起こしたのは、今から11年前23歳の時。「気持ちを込めた介護をしたい」と山口県周防大島のお年寄りに寄り添ってきた。介護サービスの後のわずかな時間も大切にし、真夜中に駆けつけたり、訪問販売を追い返したり…。喜びと挫折を繰り返しながら、身を粉にしてお年寄りの生活を支えてきた。そして去年、ついに夢だった「小さな施設」をスタート。しかし“心の通う介護”をどうやって10人のスタッフに理解させ、実践してもらえばいいのか?二人の格闘が続いた。そして少しずつ、思いは広がってゆく。リエとナオミの志を見つめた10年の記録。 [No.5136] 2012/11/06(Tue) 15:25:46 |