[ リストに戻る ]
No.5274へ返信


WINGBEAT COFFEE ROASTERS

all 小沢さん【もう一度政権交代を目指す】 - hasebe - 2013/01/06(Sun) 21:51:52 [No.5271]
達増岩手県知事「政権交代」 - hasebe - 2013/01/09(Wed) 10:36:42 [No.5272]
平野貞夫氏『小沢一郎さんとの懇談』 - hasebe - 2013/01/10(Thu) 12:07:45 [No.5273]
平野貞夫氏【民主党政権崩壊にみる「戦後議会政治」の反省】 - hasebe - 2013/01/17(Thu) 10:49:21 [No.5274]
田中宇氏国際ニュース【中国と対立するなら露朝韓と組め】 - hasebe - 2013/01/19(Sat) 12:14:11 [No.5276]
平野貞夫氏「戦後議会政治」の反省(続き) - hasebe - 2013/01/24(Thu) 10:54:12 [No.5286]
「ライマン・ホームズの航海日誌」刊行によせて 小沢一郎氏 - hasebe - 2013/02/01(Fri) 21:01:20 [No.5304]
日本一新平野貞夫氏【政治家小沢一郎を考える!】 - hasebe - 2013/02/28(Thu) 10:10:57 [No.5349]
日本一新平野貞夫氏【「違憲判決」に対する政治の責任】 - hasebe - 2013/04/28(Sun) 15:00:59 [No.5398]


平野貞夫氏【民主党政権崩壊にみる「戦後議会政治」の反省】 (No.5273 への返信) - hasebe

今日、配信された平野貞夫氏の記事を読み、”反省”という
言葉に代えていますが、深い哀しみを感じました。

2009年の政権交代の時、あの高揚ととした喜びが、ここまで
の挫折になるとは・・。

平野さんでなくても、3年半の民主党政権、維新などの野党の
政治家を見ていると、私の目からも、どうみても政治家とは
思えない、素人としか思えない政治家が多すぎます。

小沢さんや平野さんは、そうは思いながら、ここまで〜とは
思っていなかった?

普通に考えれば、反自民が大同団結しなければ戦えないことは
明らかだったはずで、【選挙】という接着剤が作動すると考えた
のだと思います。

でも現実は、見通しも甘く、自分は自分はとの小山の大将ばかり、
左翼の内ゲバよろしく仲間内の権力闘争しか頭に無かった?

これで今後、政権交代は当分は難しくなったと思われるのが
口惜しいです。

日本一新のメルマガ、平野貞夫氏の記事を下記にコピーさせて
いただきます。




<◎「日本一新運動」の原点―144>

日本一新の会・代表 平野貞夫妙観

【○民主党政権崩壊にみる「戦後議会政治」の反省】

 平成21年8月30日の衆議院総選挙で、民主党に政権が交代
した。マスコミが好んでつける名は「政権交代解散」、「政権選
択解散」と称され、これはわが国の有史以来の出来事で、多くの
国民に政治の刷新を期待させた。また、政治に係わる研究者・メ
ディア・評論家などの有識者の多くは、日本の議会民主政治が進
化したと評価した。私も国民の選択を高く評価し、政権運営に不
慣れな鳩山民主党政権の不安定さを心配しながらも、健全な政権
交代政治のスタートと期待した。

 しかし、民主党政権は3年3ヶ月で崩壊することになる。自公
連立政権に政権交代したわけだが、総選挙による民意の結果であ
る。「選挙管理の不正」など、さまざまな問題も指摘されている
が、「民主党政治」を有権者が拒否したことは間違いのない事実
である。それにしても「民主党政権の崩壊」は、議会民主政治の
常識では想定できないものであった。昨年の衆議院解散は「野田
首相の自爆テロ」と揶揄されているが、そんなところに問題の本
質はない。

 「メルマガ・日本一新」は、民主党政権が鳩山前首相から菅首
相に交代し政権交代の本旨が変質したことを契機に、初期の「日
本一新運動」を再開する形で活動を始めた。従って、菅・野田政
権に厳しい批判を繰り返してきた。きわめてドラスティックな民
主党政権の崩壊は、民主党という政党固有の問題だけを批判して
も解決にはならない。むしろ、私自身の議会政治に対する考え方
を反省すべきではないかという思いである。

 率直にいって、私自身の心の中に「自分は議会政治の専門家で
あり、私の理念や知識を読者(国民)は理解すべきだ」という驕
りがあったのだ。それを押し付けてきたのではないか、という反
省である。その反省を踏まえて民主党政権崩壊の原因はどこにあ
ったのか、わが国の議会政治の歴史の中から振り返ってみたい。


(明治憲法と昭和憲法における
             日本人の議会政治に対する感性の差)

 明治憲法は当時の天皇制官僚が、天皇の名で制定したものであ
った。一方の昭和憲法は、敗戦を経て占領軍の指導でつくられた
ものである。勿論、手続きとして明治憲法下の帝国議会で審議し
制定しているが、占領下でもあり、基本的なことで反対できる状
況ではなかった。ふたつの憲法が根本的に異なる性格であること
は誰もが知っている。しかし、明治の政治家と、戦後の政治家で
は、議会民主政治を受けとめる感性において大きな差があること
に気がついている人は少ない。

 明治憲法の議会制度は、国民の政治参加では世界でも遅れた制
度で、限られた権限であった。昭和憲法での議会制度は米国の議
会政治を参考にして制定され、法文の内容は世界に誇りうるもの
である。だがしかし、憲法の文字通りに現実の政治は動かない。

制度の内容に差があることはやむを得ないことだが、私が特に指
摘したいのは、議会政治に係わる政治家・官僚・マスコミ・学識
者の、議会政治に臨む精神・姿勢に、大きな差があることである。

 その理由は、明治憲法の制定運動は、議会開設運動から始まっ
ている。明治初期、専制官僚政治に抵抗した自由民権運動が議会
開設を呼びかけ、そのために憲法を制定すべしとの政治運動とな
った。弾圧と妥協を繰り返し、明治の帝国議会は天皇制官僚がつ
くることになる。きわめて制約された議会制度とはいえ、それに
参加した国民の代表たる政治家たちの中には、自分たちの血と汗
によってつくったという主体的思いがあった。

 昭和憲法は「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立
法機関である」(第41条)によって象徴されるように、国家運
営の本旨を議会民主政治とした。これは日本国民の意志というよ
りも、占領軍による、戦前の軍事国家としての日本を改革する意
図によるものであった。それでも、敗戦直後、国民の代表として
活躍した国会議員の多くは、太平洋戦争における三百万人を超え
る日本人犠牲者によって得た「民主主義の勝利」という思いをも
っていた。

 昭和22年5月3日、昭和憲法が施行された時の私は小学校6
年生で、「新憲法の歌」を唄っていたことを憶えている。その後、
私は衆議院事務局に奉職し、33年間、国会において憲法の運用
に係わった。また参議院議員として、12年間国政に参加した。
以後、議会政治の評論を行っている。

 私の反省すべきことの第一は、明治生まれの与野党政治家に育
てられたせいか、国会議員はこぞって「議会政治の役割と国民の
代表としての責任と自覚をもっている」という先入観である。こ
れが大きな誤りだった。昭和50年代の中頃までの国会議員には、
与野党で激しい対立があっても、日本の議会政治は、明治初期の
民権運動、大正デモクラシーを原点としたものだという共通の認
識があった。さらに、昭和憲法の誕生にはさまざまな思いを持ち
ながらも、国民主権の重要さと、議会民主政治を大切にする思想
を持ち続けていた。平成時代になって、これらの共通認識は徐々
に薄れ、今ではわずかな国会議員にしか残っていない。

 私の「「メルマガ・日本一新」の論調は、国会議員なら私が学
んだ理念や理論を紹介すれば理解してくれるだろうという先入観
というか、期待に頼っていた。その考えに問題があったことに気
がついた。しかし、発刊以来、維持会員として継続して読んでい
ただく方々は、私の理念を理解してくれる人たちであり、勇気を
戴いたことには感謝している。

 私の第二の反省は、マスコミ関係者も官僚も学者研究者も、私
の主張する議会政治の常識を理解してくれると思い込んでいたこ
とである。議会運営の技術的知識として理解してくれる人たちは
いるが、思想としての「議会政治の精神」は、ほとんど理解して
いない。これは議会政治の歴史に対する教育の問題である。自分
たちの先祖や先人が、民衆の政治参加のために血と汗を流した歴
史があることを、日本人のほとんどが忘れている。議会民主政治
が、専制官僚政治に対する抵抗運動として発展してきたことを知
らないのだ。

(民主党政権の崩壊は、議会政治に対する指導者の不見識にあり)

 民主党の指導者には、労組幹部・市民運動家・弁護士・政治塾
出身者などの議員に共通した癖がある。政党内でも、国会の議論
でも、自己の意見を主張し続けることへのこだわりである。相手
の意見に対する謙虚な姿勢はほとんどない。労組幹部には妥協を
得意とする人もいるが、政治は単なる利害の調整だと割り切って
いる。市民運動家を代表する菅元首相に至っては「議会政治は時
期を限った独裁政治だ」と公言すらしている有様だ。こんな人物
を指導者にしていては、政権が維持できるはずはない。

 弁護士を職業とする政治家が、民主党政権で要職について活躍
した。立派な活動をした人もいたが、政権の中枢にいて、国会審
議を民事裁判かと錯覚させる指導者もいた。要するに、国会審議
を形式論理による論争に勝てばよいと誤解しているのだ。野党の
論議で聞くべきところを包み込むようにして活用する度量がなけ
れば、政権の維持は不可能である。

 私の反省は、民主党政権の指導者だけではなく、現在、わが国
で議会政治に係わっている有識者の、議会民主政治に対する感性
と、私の感性に大きな差があったことである。私は、戦後憲法の
デモクラシー原理が、67年の時を経てそれなりに定着している
と思っていた。それがすっかり薄れていた。近代国家で普遍的な
憲法原理の退化、という恐ろしい事態が起こっている。

 国家権力挙げての小沢一郎氏への政治弾圧といえる問題、政権
交代総選挙で行った国民との公約を破棄した野田政権の消費税増
税などは戦後憲法による議会民主政治がわずかでも定着しておれ
ば起こりうる筈はなかった。戦後定着したかに見えた議会民主政
治に、大きな抜け穴があったわけだ。デモクラシーの継続的発展
には、国民の自覚と責任が欠かせない。3・11東日本大震災や
福島第一原発事故などを通じて、国民の間にその運動が始まった。

有識者たちが気づくのは、何時の日になるか見えてこない。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


[No.5274] 2013/01/17(Thu) 10:49:21

Name
E-Mail
URL
Subject
Color
Cookie / Pass


- HOME - 新規投稿 - お知らせ(3/8) - 新着記事 - 記事検索 - 携帯用URL - フィード - ヘルプ - 環境設定 -

Rocket Board Type-T (Free) Rocket BBS