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No.5435へ返信

all 2011年3月、発災直後、超党派の「非常事態対策院」がなぜできなかったのか - ローリエ - 2013/05/12(Sun) 08:23:20 [No.5432]
Re: 2011年3月、発災直後、超党派の「非常事態対策院」がなぜできなかったのか - 田村 秋生 - 2013/05/21(Tue) 16:46:12 [No.5442]
Re: 2011年3月、発災直後、超党派の「非常事態対策院」がなぜできなかったのか - hasebe - 2013/05/12(Sun) 21:33:13 [No.5433]
民主党の『公開反省会』とは? - hasebe - 2013/05/13(Mon) 15:05:40 [No.5434]
敗戦国日本の選択は? - hasebe - 2013/05/13(Mon) 23:05:16 [No.5435]
敗戦国日本の選択は? - hasebe - 2013/05/17(Fri) 23:13:58 [No.5438]
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有権者は消費者?気に入らなければ投票しない、売れてる商品に人気集中。 - hasebe - 2013/06/28(Fri) 11:33:54 [No.5488]
田中宇氏の国際ニュース解説『さらに弱くなる日本』 - hasebe - 2013/07/25(Thu) 22:59:29 [No.5519]


敗戦国日本の選択は? (No.5434 への返信) - hasebe

nicolさんが以前、紹介してくれたキッシンジャー氏の語録
は、衝撃的でした。

私達は、小沢さんの国策捜査以降、次々繰り広げられる不正を
驚きと怒りをもって見てきました。

官僚が、政治家が、司法が、マスコミが・・・。

でもキッシンジャー氏が語った、敗戦国としての2つの選択、
そのどちらかをと突きつけられたら、どちらを選ぶのでしょうか?

「目先の利益と安全」それは、国としてのプライドと
どちらを選ぶのでしょうか?

戦後、それまで鬼畜米英と叫んでいた多くの人達が、一夜にして
手の平変えしをしました。

今、憲法が遡上にのぼっています。

しかし、その憲法の条文の変更も、我が国の首相の選択さえも、
実はこの国の一存では決めることが出来なかったのでは?

この国をどうするのか?
その未来を何処に持っていくのか?
その選択は、私達一人一人に突きつけられているのでは?



<nicolさんが3月26日に投稿してくれた記事>

【安部芳裕さんの「世界超恐慌の正体」(普遊舎新書)を読んでいて
 キッシンジャー氏の冷徹な目に驚かされました。

 ある論文で、こう述べているそうです(P153より抜粋)。

「戦争に負けて敵軍に占領された国は、占領軍に対して徹底的なゲリラ戦を
 長期実行するか、目先の利益と安全を確保するため占領軍に協力し服従する
 コラボレーショニストになるしかない」

「長期間コラボレーショニスト体制を取る敗戦国には二つの問題が生じる」

「一つは国家の正当性を失う。占領軍の押し付けてきた憲法や法律、行政制度
 や教育、歴史解釈をそのまま使うのですから、他国からも自国民からも独立国
 として扱われず、誰からも尊敬されない国となる」

「もう一つはモラール(士気、気概)を失う。宗主国に従属するだけの統治者では、
 国民は「国家のため」なんてことは考えずに、自分の生活さえ良ければそれで
 良いと考えるようになる」

引用ここまで

 コラボレーショニストというのは「敵国への協力者」「祖国を裏切る者」
 というような意味だそうです。難しい社会のことなど考えずに、家族を大切にし、
 趣味の世界に生きる、そんな日本人の生き方を見通していたかのようです。
(いつ書かれたのか調べようとしましたが、わかりませんでした)。

 キッシンジャー氏は、1923年、ドイツ生まれ。
 1938年、ナチスの政策を嫌った一家は米国に移住し、第2次大戦中の1943年、
 同国に帰化。
 昼間は工場で働き、夜間高校に通って、家計を助けました。

 自著『ひ弱な花 日本』で「日本は保護国」と言い切ったブレジンスキー氏も、
 1928年、ポーランド生まれ、ナチスの台頭、後にスターリン粛正を目の当たりに
 しています。
 一家は1938年、カナダに移住し、大戦後も祖国帰国はかないませんでした。
                            (以上、Wikiより)

 ひるがえって、今、日本の舵取りをしている人達は、
 戦争を知らず、右肩上がりの世を謳歌してきた世代。
 体制に従属する以外の道を構想すらできないのではないでしょうか。
 原体験が違いすぎるような気がします。】


[No.5435] 2013/05/13(Mon) 23:05:16

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