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> (10月11日 東京新聞 夕刊) > > 鷲田 清一 (わしだ・きよかず=哲学者・大谷大教授) > 武士や、上層商人としての「素養」」(たしなみ)ではなく、文化人のための「教養」でもなく、 市民社会の「主(あるじ)」としての、市民のなにがしかの力量が、いま、「教養」の代わりに 求められているのだと思う。 個々の市民が、行政、企業から提供される、流通、医療、教育、福祉などの、サービスの消費者 に甘んじるのではなく、直面している社会課題の解決を、専門家にそっくりまかせるのでもなく。 他の市民とともに、社会運営の一部を、分かちもつ力量を形成すること。 これが現在、教育の軸にあらためて据えられるべきだというのが、 福島原発事の痛い教訓だったはずだ。 [No.5640] 2013/10/14(Mon) 11:35:12 |