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No.5683へ返信

all 2011.7.26 ゲンダイ「菅首相に重大な疑惑」 - えいこ - 2013/10/23(Wed) 15:13:29 [No.5667]
「政治とカネ」、小沢さんを追い出した菅さんが問題が多かった! - えいこ - 2013/10/25(Fri) 15:24:35 [No.5669]
野田氏、政権を奪われた相手にエールを送る ゲンダイ - えいこ - 2013/10/25(Fri) 15:48:55 [No.5670]
@2013.10.21 ゲンダイ 「結局、小沢一郎が悪者だったのか」 - えいこ - 2013/10/27(Sun) 12:54:04 [No.5675]
A2013.10.21 ゲンダイ 「結局、小沢一郎が悪者だったのか」 - えいこ - 2013/10/28(Mon) 08:41:56 [No.5676]
Re: 2013.10.21 ゲンダイ 「結局、小沢一郎が悪者だったのか」 - えいこ - 2013/10/28(Mon) 09:07:27 [No.5677]
米国側が見た「小沢氏の対米交渉力」 - hasebe - 2013/10/29(Tue) 21:28:43 [No.5681]
平野貞夫氏『吉田茂氏の残した言葉』 - hasebe - 2013/10/31(Thu) 12:46:31 [No.5683]
hasebeさんの投稿で思い出したゲンダイの記事 - えいこ - 2013/10/31(Thu) 22:07:10 [No.5684]
小沢さんが目指す『責任のある野党』とは - hasebe - 2013/11/02(Sat) 00:44:24 [No.5685]
@国政への不満層の 投票先  川崎市長選 東京新聞 - えいこ - 2013/11/02(Sat) 09:56:17 [No.5686]
A国政への不満層の 投票先  川崎市長選 東京新聞 - えいこ - 2013/11/02(Sat) 10:26:45 [No.5687]
@ニューヨーク・タイムズ 日本の新聞より厳しい ゲンダイ - えいこ - 2013/11/03(Sun) 13:34:00 [No.5688]
Aニューヨーク・タイムズ 日本の新聞より厳しい ゲンダイ - えいこ - 2013/11/03(Sun) 14:06:38 [No.5689]


平野貞夫氏『吉田茂氏の残した言葉』 (No.5681 への返信) - hasebe

日本一新の会の平野貞夫氏の記事は、多くの事を私に
教えてくれています。

ここ数年、いろいろな事があぶりだされました。

我が国は、未だ民主国家であるとは言えなかった、それ
どころか独立国とも言えなかった・・。

それでも、その時代時代の中で、より良い国家作りをと、
私達には見えない所でも努力してきた政治家がいたので
すね。

吉田茂氏に関しては、孫崎さんの本で書かれた部分も
あったのでしょうが、当時、敗戦のさなか、いかに
日本国を存続させるか、国民を餓えさせずいるかが最
優先の時代だったのです。

私達が胸を張って、国民主権を声高に言うには、私達
自身の努力が問われます。

今、安倍政権は国民主権と真逆の政策を次々だしてき
ています。
先の2度の選挙で自民を最大与党に選んだ国民は、
このまま何時か来た道に戻るのを黙って見ているので
しょうか?

平野氏の言う
「いまの日本の議会政治の状態は、進歩のための苦難の
 道だ」。
そして、この道の先には、真の民主国家作りがあるので
しょうか?

平野貞夫氏のメルマガ記事を一部抜粋コピーさせて
いただきました。




◎「日本一新運動」の原点―185

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観


(土佐の大ダヌキこと吉田茂翁の話)

 吉田元首相は昭和42年10月20日に90歳で大往生する。
大磯の自宅で最後の言葉は「富士山を見たい。起こしてくれ」で
あった。富士山も今や世界遺産となり、吉田さんもさぞかし喜ん
でいるだろう。

 亡くなる半年くらい前、吉田家の家老職、土佐生まれのいごっ
そで、私の東京での親代わりの依岡顯知さんが、こんな質問をし
ている。

「吉田先生は敗戦の翌月、外務大臣になられ、21年5月からは
首相としてご苦労された。あの頃、5年経てばこの程度、10年
後はここまでと、復興の目標がありましたか。その達成をどう評
価していますか」と。

 それに対し「あなたは今だからこそ、そんなノンキなことをい
いますがね、あの頃は『餓死者を出すまい』、『恒心を失わすま
い』、それだけで頭の中はいっぱいでした。

全く無責任な総理でしたよ。・・・・・いまは『恒産』に恵まれた
ものの、『恒心』は悪者あつかいでしょう。

将来が心配ですね」と、暗い顔で語ってくれたとのこと。

 吉田さんは中国の古典に詳しく、孟子の「恒産なきものは恒心
なし」の教えから、昭和42年頃の日本のあり方を皮肉ったので
ある。

この時期、わが国は国民総生産が世界第2位となり、80%の国民
が中産階級だと思うようになり“金あまり、物あまり”となった。

まさに「恒産」は成功したが「恒心」の方はどうなったか。
「恒心」とは、親を大切にし、先生を敬い、老人幼児弱い者に親切
にすることである。

日本が「物で栄えて、心で亡ぶ」ことを予言していたのだ。

 吉田元首相は未来を洞察する力を持っていた。

共産主義の将来、中国の将来などは見事に的中していた。

これは私が若き日に直接伺った話だ。

学生時代の左翼運動が原因で、普通の就職ができず、吉田さんが
総理時代に秘書官をやっていた人物が、某テレビ会社の副社長を
やっていた関係で、このテレビ会社の入社試験を受けることにな
った。

試験用紙の中に、好きな人物と本という課題があり、マルクス・
レーニン・毛沢東と書き、吉田元首相を怒らせてしまった。

 吉田さんの命令により、又従兄弟で吉田内閣の副総理や衆議院
議長を務めた親父の友人である林譲治さんに集中的説教を受けて、
衆議院事務局に就職した経緯があった。

苦労をしたのは親代わりの依岡さんだった。

2年を経て、私が左派から転向したのを確認し、高卒資格の臨時
職員から院卒採用の衆議院参事となった直後、依岡さんの案内で
大磯に挨拶に参上した。

 そこで吉田元首相から、日本の議会政治について話を聞くこと
ができた。

要点は「戦前、日本にはデモクラシーなどなく、戦後になって与
えられたものだよ。

日本人自身の努力で手に入れたものではない。

大方の民衆は真意を理解していないよ。

日本の議会政治の貧困さがそこにある。

といっても、議会政治より他に日本の向かう道はないから、努力
して健全な議会政治に向かうべきなんだ」と持論を述べてくれた。

 私が「どうして議会政治がうまく行かないのですか?」と質問
すると、「政治家が無能だからだよ」と鋭く言い切った。

そして続けて
「多少出来の良いのが戦後に追放され、解除された時は呆けてい
た。新人が無能とは思わないが、政治の訓練と経験が足りんので
国家を背負う力が足りない。しかし、私は失望していない。
人間は進歩すると信じているからだ」
と、応えてくれた。

 この見識に私の全身は震えた。
50年経ての今日、わが国の議会政治を見るに日本人の進歩はあっ
たのだろうか。

この問題では吉田元首相の予言は当たらなかった。
民主党への政権交代以降現在まで、わが国に議会政治は機能したで
あろうか。
私も責任の一端を感じている。

 しかし、吉田元首相からは次の語りがあった。
「議会政治を良くする問題に、すぐ効く薬はない。
民衆にデモクラシーの本当の意味を理解させる教育より他はない。
学校教育や社会教育によって実現するよう、政治家も識者も努力
すべきだ」と。

 大ダヌキの吉田茂翁は「いまの日本の議会政治の状態は、進歩
のための苦難の道だ」と彼の世で笑っているのではないか。

 日本一新の会のやることは山積している。     
 (了)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


[No.5683] 2013/10/31(Thu) 12:46:31

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