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小沢さん【もう一度政権交代を目指す】 (親記事) - hasebe

 女子会の仲間が、小沢さんの有料メルマガに載っていた
挨拶文を紹介してくれました。

ここにコピーさせていただきます。




 (小沢一郎の年頭所感)

【私の決意「もう一度政権交代を目指す」】

皆さんには昨年中、大変お世話になりました。
特に、総選挙では非常にお世話いただいたにもかかわらず、良い結果を
出すことができませんでした。
それについては、私の不徳の致すところ、努力の足りなかったことを、
心からお詫び申し上げます。

 皆さんもご存知のように、私はずっと、自民・公明に対抗するためには
やはり、私たちも含めていわゆる「第三極」のグループが手を取り合わ
なければならない、「第三極」が力を合わせて自公に対抗しなければ本当の
「受け皿」にはならない―と主張してきました。

実際、私は総選挙の直前までその努力をし続けました。

 しかし、各グループはそれぞれ独自の考えがあり、結局、「第三極」の全員が
力を合わせるには至りませんでした。

それでも私は、何とか少しでも多くの人たちが協力して総選挙に当たるべきだ
と考え、最終的には嘉田・滋賀県知事を旗頭にして3つのグループが一緒になって
選挙を戦った次第です。

 しかし、総選挙まであまりにも時間が足りなかったうえに、私たちのいろいろな
不手際が重なって、皆さんの当初の期待に応えることができず、誠に残念な結果と
なりました。
ご支援をいただいた皆さんにお詫び申し上げたいと思います。

 総選挙は自公が圧勝して、3年前の民主党大勝とは真逆の結果となりました。
実は私自身、3年半前に政権交代を実現したことで、二大政党を中心とする
議会制民主主義が日本に定着する第一歩になると考え、自分なりにその役目を
果たしたのではないかと思ってきました。

ところが、その後の民主党政権に対する国民の皆さんの失望感が、そのような
結果を生んだと思います。

それについても、私の力の足りなかったことをお詫び致します。

 しかしながら、私たちが「残念だ」の一言で戦いを終えたなら、日本の将来は
暗澹たるものになってしまいます。

特に、安倍首相を中心とする新政権は、非常に右寄りの短絡的な発想を持った政権です。
私はそこに深刻な危険さを感じ、日本の政治をこのままにしておくことはできないと
思っています。

 私たちはもう一度政権奪取、もう一度政権交代を目指して頑張らなければならない。
私はその決意を新たにしました。

 個人的なことを言えば、政権交代可能な二大政党制の確立を目指して当時の
政権与党・自民党を離党してから20年経ちましたが、ようやくつくり上げた、
自民党に代わる本格的な政権は、失敗に終わってしまいました。

ここで戦いを終えたら、私自身、今まで何のために政治活動を続けてきたのか
分からなくなってしまいます。

 何とかもう一度、日本の針路に誤りのないようにしたい。
また、何としても日本に議会制民主主義を定着させたい。

そのために自分に鞭打って頑張りたい。
その決意を年頭に新たにし、皆さんにもお伝え致します。

どうぞ宜しくお願い致します。


[No.5271] 2013/01/06(Sun) 21:51:52
達増岩手県知事「政権交代」 (No.5271への返信 / 1階層) - hasebe

今回の選挙では、民主党政権への国民からの”憎しみ”
さえ感じました。

考えてみれば、菅さん、野田さんと不況と原発事故で苦しむ国民を
横目に、ひたすら増税を唱え、気持ちが萎えるような事ばかり
言い、やって来たような気がします。

いかにも素人政治家が、国民を見ず、財務官僚の手のひらで踊り
政権内の権力闘争に邁進したように見えます。

未来の党も、その権力争いの一環としか見て貰えなかったのか、
との惨敗の結果です。

ここまで、”きれいな”負け方をした以上、今までのシガラミを
一切排除して、国民によりそう【国民政党】として出発して
欲しいと願います。

日本一新のメルマガに達増岩手県知事の記事がありましたので
ここにコピーさせていただきます。



<◎ 政権交代>

               日本一新の会・達増 拓也
                       (岩手県知事)

 昨年12月の衆院選で、与党民主党は議席を4分の1に減らす
大惨敗だった。これは、かつて自民党政権が長く続いた時代によ
くあった「お灸をすえる」というレベルを超えた圧倒的拒否であ
る。57議席への落ち込みというのは、「民主党に愛想が尽きた」
のはもちろん、「政権交代に愛想が尽きた」という民意であるか
のような深刻な数字である。

 いわゆる第3極勢力も、最多が維新の会の54議席で、民主党
に代わって政権交代の担い手となるにはまだまだの数字である。
みんなの党の18議席、未来の党(当時)の9議席は、さらに少
ない。

 しかも、民主党、維新の会、みんなの党は、それぞれ自民・公
明と政策ごとに是々非々の姿勢をとる旨表明しており、野(や)
党でも与(よ)党でもない「ゆ党」として与党補完勢力となる可
能性がある。政権交代を本気で目指すのが、今は生活の党7議席
とプラスアルファ数議席という情勢で、そこに見える景色は、次
の政権交代の担い手が存在しないような世界である。

 日本は、2度と政権交代が起きない国になるのだろうか。「民
主党による政権交代にはすっかりだまされた、もう政権交代はい
らない、昔から政権を長く担ってきた党(自民党)がずっと与党
でいればよい、牽制役の中小政党がいくつかあればそれでよい」
・・・それが先の衆院選で示された民意なのだろうか。

 政権交代の効用は、政権与党が政策的に大きな失敗をしたり、
許しがたい政治腐敗を露呈したり、あるいは国民が満足できるよ
うな統治の実績を挙げ得ない場合に、国民が現与党を拒否し、他
の党にとって代えられるということである。いざという時に、国
家国民が現与党を拒否できるように、他の選択肢が用意されてい
ることが必要である。

 さらに、私は、政権交代を、政治発展のためのメカニズムとし
て位置づけたい。いざという時の「他の選択肢」である野党が、
与党よりも先進的な政策パッケージ(それを「マニフェスト」と
呼ぶかどうかは別として)を用意することにより、現与党がダメ
だからというより、野党のほうがより良い統治実績を期待できる
から、という形のポジティブな政権交代のサイクルを作るべきだ
と思うのだ。

 私は、冷戦後の政治の中心的対立軸は、右と左の対立ではなく、
前と後の対立だと考えている。市場メカニズムも大事だが、セー
フティネットも重要である。充実した社会政策があってこそ、自
由な経済活動が可能となる。グローバル化は雇用や生活のリスク
を増大させる。個人の幸福追求は、自己責任だけの問題ではない、
という傾向が強まる。様々なリスクを公的に担保する「生活保障」
が、より重要となる。

 冷戦時代に対立するとみなされていた右の自由主義的政策と左
の社会主義的政策を組み合わせていく必要があり、その組み合わ
せの妙を競い合うのが今日の政治のあるべき姿であろう。右と左
の組み合わせで、よりよい政治のビジネスモデルを新しく開発し、
そのイノベーション(技術革新)を競い合う、「前対後の政治」
である。

 このような「前対後の政治」の下では、政権交代は、新しい政
策パッケージの競争の結果、後にいた党が前にいた党を追い越す
ことで起きる。政権交代を繰り返すごとに政党は前へ前へと進歩
し、政治全体も進歩する。

 今の日本に必要なのは、このような「追い越し」ができる党を、
野党の側に育てていくことだ。与党も、進歩を目指し続けなけれ
ばならない。しかし、与党というものは、政策の継続性の要請や
政府組織内の慣性により、どうしても政策的進歩にブレーキがか
かる。自然に遅くなる。やがて進めなくなる。

 だから、日本政治全体の進歩のために決定的に重要なのは、改
革志向の優れた野党の存在である。「追い越し」ができる党、思
い切って「前」に進むことができる党が必要だ。そのような野党
がなければ、日本政治に進歩はなく、退嬰が続き、いざという時
には、政治全体が崩壊する。

 私はそういう政党を日本に作らなければならないと思い、18
年前から取り組んできた。今でも初志は変わらないし、今のよう
な時こそ、その志を守らねばならないと感じている。日本を、
「二度と政権交代が起きない国」にしてはならない。  (終)


[No.5272] 2013/01/09(Wed) 10:36:42
平野貞夫氏『小沢一郎さんとの懇談』 (No.5272への返信 / 2階層) - hasebe

日本一新のメルマガで、平野貞夫氏が、5日に小沢さんと
語り合った内容を記事にしてくれました。

米ソ冷戦の終結時、私自身、小沢さんが日本の今後の立ち位置、
世界の紛争がかえって増える、との危機感を語っていたのを
記憶しています。

米国がソ連の次に日本の経済力をターゲットとして
年次改革要望書を利用しながら、マーケットなどの規制緩和の
名の下、次々と日本の資金を米国に吸い上げるシステムを作って
いったわけです。

小沢さんは、この時点でその事に危機感を持っていたのだと思います。

この頃から、数少ないテレビ出演の場で、小沢さんが語る言葉は
この国をどう改革するか、を世界の流れの中で語っていました。

その言葉を聞きながら、日本にもこんな政治家がいたのだ、と
驚いたものです。

しかし、それから20数年を経ましたが、世界の激しく動いている
状勢に、日本の政治が付いていけない実体が続いているのが残念です。

平野貞夫氏の記事を下記にコピーさせていただきます。



 <メルマガ・日本一新・通巻第143号>
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◎「日本一新運動」の原点―143

日本一新の会・代表 平野貞夫妙観

○ 小沢一郎さんとの懇談(要旨)

 年明け1月5日(土)、久しぶりに小沢さんと懇談する機会が
あった。私が「暮れから正月にかけて、小沢さんが平成元年に海
部自民党政権の幹事長に就任して以降からの関係書物を読み返し
ました」と話すと、強い関心を示し、約四半世紀の平成政治につ
いて議論することになった。

1)米ソ冷戦の終結を、
   「パンドラの箱を開けた」と喝破した小沢一郎の歴史観!

 まず私が、「衆議院事務局時代に貴方と議論して、これはただ
者ではない。普通の政治家ではないと驚いたことがありますが、
何かわかりますか」と、少し意地悪な話をしたところ「何だった
か話してくれ」とのこと。

 平成元年12月2日、マルタ島でブッシュ米大統領とゴルバチ
ョフ・ソ連書記長による会談で東西冷戦を終結させたとき、小沢
さんと私とで議論したことを会話風にまとめると、

平野:米国の資本主義の勝利ですね。これからは平和な時代が期
   待できますよ。

小沢:否、米ソ冷戦の終結は、パンドラの箱が開いたのと同じだ。
   各地で民族や宗教がからんだ紛争が発生し、経済は市場原
   理の競争を激化させ、国際的混乱が始まるよ。

 私の話に小沢さんは「憶えているよ」と静かに語ったが、この
24年間の世界の歴史は、小沢自民党幹事長(当時)の、歴史観
の通りとなった。加えて、この直後の小沢幹事長の要請が普通で
はなかった。

 「平野さんすまんが、日本が明治時代に議会政治を導入して以
降、世界政治の大変動によって日本国内の政治構造がどんな影響
を受けたか、調査してくれないか」というものだ。こんな感性の
政治家に付き合ったのは、衆議院事務局に奉職して初めてであっ
た。私は直ちに着手し、レポートにまとめた。これを紛失したこ
とは誠に残念なことだが、その要旨は鮮明に記憶していて、結論
は「世界で政治が大変動したとき、日本では政党再編が起きてい
る」ことであった。

 小沢幹事長は「日本は米ソ冷戦中、日米安保体制に縛られ、5
5年体制というか、自・社馴れ合い政治を続けてきた。これでは
激しい国際情勢に対応できなくなる。各政党が責任を持つ政治を
行うためには、政党再編により、政権交代ができる仕組みへ変え
ざるを得ない」との考え方をまとめた。小沢さんは、私のレポー
トをもって竹下元首相に説明に行く。竹下元首相は「公明・民社
とパーシャル連合でしのげる。政権交代で自民党が政権から下り
るような政治改革は必要ない」と、理解しなかったと聞かされた。
こんな思い出話もした。

2)政治改革は自民党の
      『政治改革大綱』(平成元年5月)から始まった!

 竹下首相はリクルート事件の責任をとっての総辞職にあたり、
自民党の政治改革委員会(会長・後藤田正晴)がまとめた『政治
改革大綱』の実現を、自民党の衆・参両院議員に要請した。この
中には衆議院に比例代表制を加味した小選挙区を導入し、政権交
代を可能とすることなど、重要課題があった。その竹下元首相が
1年も経ないうちに「自民党が政権から下りるような改革は必要
ない」と主張するところに、自民党の政治文化、否、日本の政治
文化の特徴がある。

 しかし、当時の自民党には本気で政治改革を考えていた人たち
がいた。曰く、伊東正義、後藤田正晴、海部俊樹、羽田孜、小沢
一郎氏らであった。平成時代になってからの政治紛糾は、この、
『政治改革大綱』の実現をめぐって、与野党にわたり、真に日本
を改革しようとする勢力と、改革の仮面を被って、既得権益を守
ろうとする勢力との闘いであった。

 それは今日でも続いているといえる。これについては小沢さん
も同じ認識であった。

 政権交代を行い易くする衆議院の選挙制度の改革は、『政治改
革大綱』の趣旨を生かして実現する。その時の政権は、自民党で
はなく非自民細川連立政権であったことは歴史の皮肉といえる。

その主導者のトップが小沢一郎という政治家であったことは誰も
否定できないだろう。しかし、衆議院可決で参議院否決の「政治
改革法案」を、党首会談などの政治決着で成立させたため、制度
への批判は多く残っている。

 二人の議論で深刻な話もした。平成21年8月の、総選挙によ
る民主党への政権交代は、当時の小沢さんを中心とする民主党の
政権交代への叫びと、国民の期待がもたらされた歴史的なもので
あった。昨年12月の総選挙による自民・公明両党への政権交代
も、自公両党の政権復帰への執念と選挙制度の結果であることは、
同じといえる。巨大メディアの不公正な報道や、選挙管理の不正
といった指摘も数多くあるが、ここでは敢えて、その問題には触
れない。

 総選挙の結果、民主党が壊滅的崩壊状態となった。これからど
ういう理念と政策で臨むかという方向性が見えなくなった。自公
両党が衆議院で325議席と、憲法上の再議決を可能とする巨大
政権が実現した。民主党の中には「自公民路線」という考えを持
つ人たちがいる。状況によっては議会民主政治の魂である「政権
交代」を忘却する可能性もある。さらに「日本維新の会」や「み
んなの党」は、自公政権に是々非々で臨むと公言している。共産
党が「栄光ある孤立主義」を続けており、それは、結果的に大政
翼賛会体制に協力しているといえる。小沢さんの指導する「生活
の党」(衆議院7名・参議院8名)が、政権交代の理念を堅持す
る唯一の“核”となった。

 歴史とは皮肉なもので、政権交代を行い易くするための政治改
革だった「小選挙区比例代表並立制」が、結果として大政翼賛会
体制をつくることになった。重くて暗い思いに陥る。しかし、よ
く考えてみると、制度に完全無比なものはない。問題は制度に関
わる人間の側にある。暮れの総選挙では「自公」または「民主」
の政権争いに、「第三極」がまとまって挑戦する構図が期待され
ていた。小沢さんは「第三極」の結束を強く主張したが実現を見
なかった。

 原因は、第三極といわれた主要な政党が、それぞれ自己の利益
にこだわったことにある。政党は自己主張だけでは政治はできな
い。健全なデモクラシーは、政治に関わる人間の自己抑制によっ
て実現するものだ。根本問題は、日本人全体のデモクラシーに対
する感性にあるのではないか、こんなことも話題となった。

 私たちは先の総選挙の結果に悲観することはない。新年になっ
て真に国民のためになる国づくりのために、健全なデモクラシー
を実現しようという動きが、全国各地で始まった。小沢さんにと
って、平成の約四半世紀の時は、国民と国家のためという活動で
多くの実績を残した歴史であった。もう一度原点に戻って、本物
の国民主権を確立する機会を天命が与えたのではないか。これが
小沢さんとの懇談後の私の感想であった。

 そしてまた、「日本一新の会」に寄せられる期待も同じ基軸に
あり、老体を労りながら、もうひと働きせねばと家路についた。


・・・・・・・・・・・コピーおわり・・・・・・・・・・・・・・


[No.5273] 2013/01/10(Thu) 12:07:45
平野貞夫氏【民主党政権崩壊にみる「戦後議会政治」の反省】 (No.5273への返信 / 3階層) - hasebe

今日、配信された平野貞夫氏の記事を読み、”反省”という
言葉に代えていますが、深い哀しみを感じました。

2009年の政権交代の時、あの高揚ととした喜びが、ここまで
の挫折になるとは・・。

平野さんでなくても、3年半の民主党政権、維新などの野党の
政治家を見ていると、私の目からも、どうみても政治家とは
思えない、素人としか思えない政治家が多すぎます。

小沢さんや平野さんは、そうは思いながら、ここまで〜とは
思っていなかった?

普通に考えれば、反自民が大同団結しなければ戦えないことは
明らかだったはずで、【選挙】という接着剤が作動すると考えた
のだと思います。

でも現実は、見通しも甘く、自分は自分はとの小山の大将ばかり、
左翼の内ゲバよろしく仲間内の権力闘争しか頭に無かった?

これで今後、政権交代は当分は難しくなったと思われるのが
口惜しいです。

日本一新のメルマガ、平野貞夫氏の記事を下記にコピーさせて
いただきます。




<◎「日本一新運動」の原点―144>

日本一新の会・代表 平野貞夫妙観

【○民主党政権崩壊にみる「戦後議会政治」の反省】

 平成21年8月30日の衆議院総選挙で、民主党に政権が交代
した。マスコミが好んでつける名は「政権交代解散」、「政権選
択解散」と称され、これはわが国の有史以来の出来事で、多くの
国民に政治の刷新を期待させた。また、政治に係わる研究者・メ
ディア・評論家などの有識者の多くは、日本の議会民主政治が進
化したと評価した。私も国民の選択を高く評価し、政権運営に不
慣れな鳩山民主党政権の不安定さを心配しながらも、健全な政権
交代政治のスタートと期待した。

 しかし、民主党政権は3年3ヶ月で崩壊することになる。自公
連立政権に政権交代したわけだが、総選挙による民意の結果であ
る。「選挙管理の不正」など、さまざまな問題も指摘されている
が、「民主党政治」を有権者が拒否したことは間違いのない事実
である。それにしても「民主党政権の崩壊」は、議会民主政治の
常識では想定できないものであった。昨年の衆議院解散は「野田
首相の自爆テロ」と揶揄されているが、そんなところに問題の本
質はない。

 「メルマガ・日本一新」は、民主党政権が鳩山前首相から菅首
相に交代し政権交代の本旨が変質したことを契機に、初期の「日
本一新運動」を再開する形で活動を始めた。従って、菅・野田政
権に厳しい批判を繰り返してきた。きわめてドラスティックな民
主党政権の崩壊は、民主党という政党固有の問題だけを批判して
も解決にはならない。むしろ、私自身の議会政治に対する考え方
を反省すべきではないかという思いである。

 率直にいって、私自身の心の中に「自分は議会政治の専門家で
あり、私の理念や知識を読者(国民)は理解すべきだ」という驕
りがあったのだ。それを押し付けてきたのではないか、という反
省である。その反省を踏まえて民主党政権崩壊の原因はどこにあ
ったのか、わが国の議会政治の歴史の中から振り返ってみたい。


(明治憲法と昭和憲法における
             日本人の議会政治に対する感性の差)

 明治憲法は当時の天皇制官僚が、天皇の名で制定したものであ
った。一方の昭和憲法は、敗戦を経て占領軍の指導でつくられた
ものである。勿論、手続きとして明治憲法下の帝国議会で審議し
制定しているが、占領下でもあり、基本的なことで反対できる状
況ではなかった。ふたつの憲法が根本的に異なる性格であること
は誰もが知っている。しかし、明治の政治家と、戦後の政治家で
は、議会民主政治を受けとめる感性において大きな差があること
に気がついている人は少ない。

 明治憲法の議会制度は、国民の政治参加では世界でも遅れた制
度で、限られた権限であった。昭和憲法での議会制度は米国の議
会政治を参考にして制定され、法文の内容は世界に誇りうるもの
である。だがしかし、憲法の文字通りに現実の政治は動かない。

制度の内容に差があることはやむを得ないことだが、私が特に指
摘したいのは、議会政治に係わる政治家・官僚・マスコミ・学識
者の、議会政治に臨む精神・姿勢に、大きな差があることである。

 その理由は、明治憲法の制定運動は、議会開設運動から始まっ
ている。明治初期、専制官僚政治に抵抗した自由民権運動が議会
開設を呼びかけ、そのために憲法を制定すべしとの政治運動とな
った。弾圧と妥協を繰り返し、明治の帝国議会は天皇制官僚がつ
くることになる。きわめて制約された議会制度とはいえ、それに
参加した国民の代表たる政治家たちの中には、自分たちの血と汗
によってつくったという主体的思いがあった。

 昭和憲法は「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立
法機関である」(第41条)によって象徴されるように、国家運
営の本旨を議会民主政治とした。これは日本国民の意志というよ
りも、占領軍による、戦前の軍事国家としての日本を改革する意
図によるものであった。それでも、敗戦直後、国民の代表として
活躍した国会議員の多くは、太平洋戦争における三百万人を超え
る日本人犠牲者によって得た「民主主義の勝利」という思いをも
っていた。

 昭和22年5月3日、昭和憲法が施行された時の私は小学校6
年生で、「新憲法の歌」を唄っていたことを憶えている。その後、
私は衆議院事務局に奉職し、33年間、国会において憲法の運用
に係わった。また参議院議員として、12年間国政に参加した。
以後、議会政治の評論を行っている。

 私の反省すべきことの第一は、明治生まれの与野党政治家に育
てられたせいか、国会議員はこぞって「議会政治の役割と国民の
代表としての責任と自覚をもっている」という先入観である。こ
れが大きな誤りだった。昭和50年代の中頃までの国会議員には、
与野党で激しい対立があっても、日本の議会政治は、明治初期の
民権運動、大正デモクラシーを原点としたものだという共通の認
識があった。さらに、昭和憲法の誕生にはさまざまな思いを持ち
ながらも、国民主権の重要さと、議会民主政治を大切にする思想
を持ち続けていた。平成時代になって、これらの共通認識は徐々
に薄れ、今ではわずかな国会議員にしか残っていない。

 私の「「メルマガ・日本一新」の論調は、国会議員なら私が学
んだ理念や理論を紹介すれば理解してくれるだろうという先入観
というか、期待に頼っていた。その考えに問題があったことに気
がついた。しかし、発刊以来、維持会員として継続して読んでい
ただく方々は、私の理念を理解してくれる人たちであり、勇気を
戴いたことには感謝している。

 私の第二の反省は、マスコミ関係者も官僚も学者研究者も、私
の主張する議会政治の常識を理解してくれると思い込んでいたこ
とである。議会運営の技術的知識として理解してくれる人たちは
いるが、思想としての「議会政治の精神」は、ほとんど理解して
いない。これは議会政治の歴史に対する教育の問題である。自分
たちの先祖や先人が、民衆の政治参加のために血と汗を流した歴
史があることを、日本人のほとんどが忘れている。議会民主政治
が、専制官僚政治に対する抵抗運動として発展してきたことを知
らないのだ。

(民主党政権の崩壊は、議会政治に対する指導者の不見識にあり)

 民主党の指導者には、労組幹部・市民運動家・弁護士・政治塾
出身者などの議員に共通した癖がある。政党内でも、国会の議論
でも、自己の意見を主張し続けることへのこだわりである。相手
の意見に対する謙虚な姿勢はほとんどない。労組幹部には妥協を
得意とする人もいるが、政治は単なる利害の調整だと割り切って
いる。市民運動家を代表する菅元首相に至っては「議会政治は時
期を限った独裁政治だ」と公言すらしている有様だ。こんな人物
を指導者にしていては、政権が維持できるはずはない。

 弁護士を職業とする政治家が、民主党政権で要職について活躍
した。立派な活動をした人もいたが、政権の中枢にいて、国会審
議を民事裁判かと錯覚させる指導者もいた。要するに、国会審議
を形式論理による論争に勝てばよいと誤解しているのだ。野党の
論議で聞くべきところを包み込むようにして活用する度量がなけ
れば、政権の維持は不可能である。

 私の反省は、民主党政権の指導者だけではなく、現在、わが国
で議会政治に係わっている有識者の、議会民主政治に対する感性
と、私の感性に大きな差があったことである。私は、戦後憲法の
デモクラシー原理が、67年の時を経てそれなりに定着している
と思っていた。それがすっかり薄れていた。近代国家で普遍的な
憲法原理の退化、という恐ろしい事態が起こっている。

 国家権力挙げての小沢一郎氏への政治弾圧といえる問題、政権
交代総選挙で行った国民との公約を破棄した野田政権の消費税増
税などは戦後憲法による議会民主政治がわずかでも定着しておれ
ば起こりうる筈はなかった。戦後定着したかに見えた議会民主政
治に、大きな抜け穴があったわけだ。デモクラシーの継続的発展
には、国民の自覚と責任が欠かせない。3・11東日本大震災や
福島第一原発事故などを通じて、国民の間にその運動が始まった。

有識者たちが気づくのは、何時の日になるか見えてこない。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


[No.5274] 2013/01/17(Thu) 10:49:21
田中宇氏国際ニュース【中国と対立するなら露朝韓と組め】 (No.5274への返信 / 4階層) - hasebe

ネットのなかでも鳩山氏が中国に呼ばれ、尖閣の地を『係争の地』
と言ったと、それをまるで国賊のように囃し立てるツイートが
目立ちます。

いまや、尖閣が原因で戦争か起きるかもしれないと多数が
考えている以上、ここは間違いなく係争の地のはずです。

マスコミのプロパガンダに抵抗する術はありませんが
それとは違った事実、議論を見ることも必要だと思います。

田中宇氏の国際ニュースの無料で読める記事を下記に
コピーさせていただきました。



<中国と対立するなら露朝韓と組め >
2013年1月18日  田中 宇
________________________________________
 北朝鮮が、経済発展のためにドイツと組もうとしている。
北朝鮮の政府関係者がドイツを訪れ、独の企業や学者らを集めて、北朝鮮の経済発展に必要な
投資や、法や制度の整備についてのアドバイスをくれるなら、ドイツ企業が北朝鮮で儲けられる
ような特権をあげると提案した。

 北朝鮮経済の発展や開放というと、すぐに連想されるのが「中国式経済改革の導入」だ。
だが北朝鮮政府は、中国に席巻されて属国になることを嫌がっている。

現在、投資や貿易、操業など、北朝鮮と関係している外国企業のほとんどが中国企業と
いうのが実態だが、北朝鮮政府はこの実状を認めたがらず、欧州など世界中の企業が
北朝鮮とつき合いたがっているという構図を見せることに躍起だ。

昨秋、中露国境に近い羅先経済特区で開かれた国際交易会にも、欧州やロシアの企業が
多く参加していたが、実際に羅先で操業する外国企業のほとんどは中国企業だ。

(北朝鮮で考えた(2))(北朝鮮の中国属国化で転換する東アジア安保)

 中国の言いなりになりたくない北朝鮮は、誇張によるイメージ作りを脱して実体的に
欧州企業に来てもらいたい。

それが、北朝鮮がドイツで説明会を開いた背景だった。
北朝鮮側は「われわれは、経済特区を作ってその中ですべての外国企業に自由な
経済活動を許す中国式でなく、われわれが選んだ外国企業に全土での自由な経済活動を
許すベトナム式の経済開放をやりたい」と語っている。

先日、グーグルの会長が米国の訪朝団に混じって北朝鮮を訪問したが、こうした動きも、
一本釣りで外国企業を誘致したい北の動きに呼応するものかもしれない。

金正恩が正月に、北の指導者として19年ぶりにテレビ演説し、経済政策に力を入れる
と宣言したが、これも一本釣り戦略と関係していそうだ。

 この手の話に接するたびに私が思うのは「日本が中国と対立し続けるつもりなら、
中国に席巻されたくない北朝鮮を日本が敵視し続けるのでなく日朝関係を改善し、
在日朝鮮人らの力も借りながら、ドイツなどでなく日本が北朝鮮の経済発展や改革に
協力し、日本の対中牽制の道具として北朝鮮を使うべきだ」ということだ。

日朝関係の改善を止めている拉致問題は、もともと日本政府が「遺骨のDNA鑑定」と
いうインチキなテーマを北にぶつけて関係改善を阻んだものだ。

日本が拉致問題の解決の仕切り直しを北に提案すれば、北は応じるだろう。
拉致問題の解決は難しくない。

(北朝鮮6カ国合意と拉致問題)

 日本政府が拉致問題を解決したがらないのは、北朝鮮が日本の敵国であり続けることで、
在日米軍の駐留を柱とする日本の対米従属を維持しやすいからだ。

昨年末の北の人工衛星発射に際し、米当局が「ミサイルでなく人工衛星だ」と発表したので、
日本政府はしかたなく「人工衛星」と認めたが、できれば「日米にとって大きな脅威である
ミサイル」と言い続けたかっただろう。

北の脅威を妄想的に大きく見せるほど、官僚機構は「日本は対米従属が必要だ」と言いやすい。

日本にとっては、中国との対立自体が「日本が米国と組んで中国を包囲する」という、
受動的な対米従属策の一環なのだから、日本が能動的に北朝鮮と組んで中国と対峙する
などという余計なことをしない方が良いというのが、官僚機構の姿勢だろう。

(北朝鮮の衛星発射と中国の尖閣領空侵犯)

▼ロシアも日本に接近したいが・・・
 中国は、北朝鮮だけでなく、その隣のロシアの極東地域でも、経済を席巻しつつある。

民族的な資質として、朝鮮人は中国人に負けない商魂を持っているが、ロシア人は
おしなべて商売が下手だ(露経済はユダヤ人が握っている)。

冷戦後、政府資金が入ってこなかったロシア極東の荒廃した状況下に、中国から商人や
労働者が入り込み、商売を牛耳っている。

ソ連邦やロシア帝国を、社会主義でなく資本主義で復活させたい、ナショナリズム重視の
プーチン大統領は、米国の覇権に対抗する世界戦略として中国との関係強化を推進してきた。

だがプーチンは同時に、ナショナリズムの観点から、自国の極東地域が経済面から中国人に
握られていることに脅威を感じている。

(日本をユーラシアに手招きするプーチン)

 そこで出てくる考え方は、日本が中国との対立構造を維持するつもりなら、北朝鮮だけでなく、
ロシアとも戦略的協調関係を強めるべきだということだ。

ロシアや北朝鮮が「中国が偉そうな態度をとるなら日本と組むぞ」と言えるようにしてやれば、
日本は露朝に恩を売って経済的な利得を得られるし、中国が日本を尊重せざるを得ない状況を
作れる。

プーチン自身、日本と関係強化して中国を牽制する戦略を以前から持ち、折に触れて日本に
秋波を送り続けてきた。

プーチンはナショナリズムの観点から、北方領土問題で日本に小さな2島より多くを返す
つもりがない。

尖閣諸島は日本が実行支配しているが現在無人島だ。

北方領土は、ロシアが実行支配している上、ロシア人の島民が住み、ロシア政府は数年前から
国後・択捉のインフラ整備を急速に進めている。

核武装しているロシアから、日本が国後択捉を取り戻すことは事実上不可能だ。

(メドベージェフ北方領土訪問の意味)

 半面、北方領土問題で日本が2島返還による解決を了承するか、継続審議にして事実上
棚上げすれば、中国牽制の目的で日露が接近できる。

安倍首相は今春にロシアを訪問予定で、露払いの特使としてロシアを訪問する森喜朗元首相
が訪露を前に、国後歯舞色丹を返してもらう「3島返還」の構想を表明した。

国後が返還されるとは思えないので、これは2島返還を落としどころとする日露交渉の
日本側の開始点を示したようにも見える。

 とはいえ、ここでも日本政府は、拉致問題を解決せず北朝鮮を敵視し続けるのと同様、
北方領土問題を解決せずロシアと対立的な関係を続けるのも、自国周辺に敵が多い状態を
維持して米国に頼らざるを得ない対米従属を続けるためにやっている観がある。

日本政府(官僚)にとって実は、北方領土が返ってこない方が、米国という「おかみ」の
下で官僚が民主主義(政治家)無視の独裁を敷けるための対米従属を維持できる。

(多極化と日本(2)北方領土と対米従属)

 プーチンは国家間のパワーポリティクス(国際政治力学)という国際政治の常識に基づき、
日本は地政学的に中国と対立せざるを得ず、ロシアと組みたいだろうから、国後択捉という
小さな島々をあきらめるのと考えているようだ。

だが実は、日本の権力機構(官僚)にとって、世界の常識たるパワーポリティクスよりも、
日本が対米従属を続けられることの方が重要だ。

 プーチンにとって、日本のあり方は非常識だろう。

逆に、多くの日本人にとって、プーチンが依拠するパワーポリティクスはなじみがない。

「日本の常識は世界的な非常識。世界の常識は日本の非常識」と言われるが、北方領土問題は
それを象徴している。

日露関係だけでなく、日朝関係も基本的にちぐはぐだ。
国際的な日本人の頓珍漢さの元凶は対米従属だ。

対米従属の国策を国民の目から隠すために官僚傘下のマスコミが「別の解説」を行い、
その見方(日本の常識)を国民が軽信する結果、頓珍漢になる。

対米従属を続ける限り、国際政治の常識から見て日本はお門違いで不可解な存在であり続ける。

常識を知った上で非常識を意図的にやるなら期待できるが、今の日本は無知に基づく
非常識なのでまずい。

(多極化の申し子プーチン)

 日本政府は以前から、中国との敵対維持を前提としたロシアとの関係改善を模索して
いるので、安倍政権下で日露関係改善が実現するかもしれない。

その場合、ロシアに対する日本人の分析と理解や不足していることが、次の問題になる。

日本の「ロシア通」として、商社や学界、マスコミのロシア専門家がいるが、彼らは
外務省を頂点とする「ロシア関係者村」の村人である。

日本外務省は、対米従属を重視するあまり、プーチンを権力欲ばかりの冷酷な独裁者、
悪者とだけみなし、ロシアが持つ国際政治力学的な感性や、それに基づくロシアの戦略を
見ないようにしてきた。

商社マンや学者といった「村人」たちは、外務省様の言うとおりでございますと追従し、
プーチンの悪人ぶりを心から憎む(そぶりをする)必要があった。

「村」が小さいだけに、それをしないと仲間外れにされ、商談や研究を妨害される。

だから、日本ではロシアに対する分析や理解が深まらないできた。

以前、私がプーチンの戦略について書いた時には「また田中宇宙が妄想してまっせ」
といった言い方がロシア担当の商社マンの間で流行ったそうだ。

(プーチンの光と影)(プーチンの逆襲)(プーチンを敵視して強化してやる米国)

 中国に関しては、前近代からの漢学の伝統の上に、戦後の田中角栄以来の日中友好を
基盤とした、中国を理解しようとする動きがある。

近年「中国を信用してはならない」というマスコミの論調が席巻し、日本人が中国に
ついて理解することをタブー視する対米従属の裏面としての新状況になってからは、
中国に対する日本人の分析力が低下しているが、それ以前の知的な蓄えがあるので、
まだ何とかなっている。

ロシアについては、そのような昔の蓄えが少ない。

▼対米従属が日韓協調を阻んでいる

 アジアでは日本と並び、韓国も対米従属の国策を持っている。
米政府は、国力が隆々としていた時には、日韓を別々に対米従属させる「ハブ&スポーク戦略」
を採っていたが、国力が落ちてきた近年は、日韓に協調を強めさせ、米国の負担を減らす戦略に
転換している。

昨春、調印直前まで進んだ日韓で軍事情報を交換する、史上初の日韓安保協定も、背後に米国の
希望があった。
 
 だがここでも、日本そして韓国の対米従属の国策が邪魔している。日韓双方の権力中枢で
根強い対米従属派は、日韓の協調が深まることで米国に関与を減らされることを恐れている。

そのため、日韓安保協定の締結直前、韓国の李明博政権が竹島や従軍慰安婦、歴史教科書と
いった、日韓の対立が激化する問題を蒸し返しつつ韓国の反日ナショナリズムを扇動し、
昨年8月には李明博が韓国大統領として初めて竹島を訪問した。

日韓協定は棚上げされたが、これは対米従属を維持したい日本政府にも好都合だった。

(◆李明博の竹島訪問と南北関係)

 韓国に対する日本人の理解が深まる日本の「韓流ブーム」は、日韓を戦略協調させて米軍が
存在感を薄めても問題ないようにしたい米国政府の思惑に沿っていた。

しかし、韓国の竹島や慰安婦、日本の朝鮮学校攻撃などによる日韓の相互敵視の拡大が、
韓流ブームを乗り越えて敵対状況を涵養している。

日韓の対米従属の思惑が、米国の思惑を乗り越えている。

 安倍首相は昨年末の選挙期間中、中国だけでなく韓国に対しても敵対をいとわない
強硬姿勢を貫く態度を見せていたが、首相就任後、韓国とだけは敵対を解く姿勢に転換した。

これは、対米従属を強く重視し官僚の傀儡となる色彩が強い安倍政権が、日韓の対立を
好まない米政府の意を受けたものと考えられる。

「日韓を支配し続けたい米国が、日韓での軍事プレゼンスを低下させたいはずがない。
田中宇は間違っている」と考える人も多いだろう。

しかし、日韓を傘下に入れておきたい米国の最大の思惑は軍産複合体のものだ。
彼らは、日韓が米国製の高価な兵器を買い続けてくれるなら、直接的な軍事プレゼンスが
減ってもかまわないと考えている。

たとえば、90年代の末に、米軍が沖縄の下地島空港への駐留を検討したときがあった。

下地島空港は定期便がなく、3千メートル級の滑走路があるのにほとんど使われていない。

下地島は、中国大陸への距離が沖縄本島より数百キロ近く、対中有事の際に米軍が使いやすい
との理由だった。(アメリカのアジア支配と沖縄)

 しかし結局、米政府は中国との関係性を重視し、米軍を下地島に駐留させなかった。

代わりに今、日本の自衛隊が、尖閣諸島の防衛力を強化するため、下地島空港への駐留を
検討している。

尖閣諸島の対立で、日本は米国製の兵器をどんどん買い増してくれる。

米国側としては、米軍が命を張って日本のために下地島に駐留、そのための費用を
思いやり予算などで日本政府に出してもらうよりも、自衛隊が下地島に駐留し、その兵器や
装備の多くを米国から買う方が、低リスクで同じ儲けを得られる。

 米政府が「中国包囲網」に言及し、すでに沖縄などアジアにいる小規模な米軍部隊を
日本から東南アジア方面に巡業(ローテーション)するだけで、日本や東南アジア諸国が
「米国が中国を包囲してくれる」と喜び、こぞって米国製の武器を買い増してくれる。

軍産複合体にとって、今のやり方が効率的だ。

米政府のアジア重視(中国包囲網)戦略は、米政府が財政難で軍産複合体の兵器を買えなく
なっている分をアジアに売り込むためのものだとする指摘が国際的に出ている。

▼尖閣を奪われた方が対米従属に好都合

 尖閣問題などで、日本が中国と本当に対峙する気があるなら、表向き敵対的な態度を
示さず穏便にしつつ、敵のことをよく知ろうと中国研究を加速すべきだ。

だが、今の日本がやっているのはこれと正反対で、表向き敵対的な態度を充満させ、
中国を敵視する人しか専門家として生きていけない状況を作っている。

最近、北京などの大気汚染が国際問題になり、日本にも汚染された大気が漂ってくる
のでないかという話で、テレビでは「中国は大国なのだからしっかりしてほしいですね」
といった、中国を大国として扱った上で揶揄する態度が主流だ。

その背景には「中国と米国は大国だが、日本は小国です」という姿勢がある。
これは対米従属の一環だが、日本が自立した国家として中国と対峙しようとする姿勢が
欠けている。

 尖閣の土地国有化で中国との対立を煽ったのは日本の方であり、尖閣で中国と対立するのは
日本の戦略だ。

だが、中国は大国で日本は小国という態度の中には、中国と一戦交える覚悟を持つ際に
必要な姿勢が欠けている。

おのれを知らなければ、誰とも渡り合えない。
日本は、戦略的、心理的な準備を全くせず、中国との敵対を煽っている。

 この日本の準備不足は、尖閣問題を煽る日本側の思惑が、日米が一緒に中国と対峙する
対米従属の強化にあることから起きている。

しかし、中国軍が尖閣を奪いに来た場合、米国は、日本の自衛隊だけに応戦させ、米中戦争に
なることを懸念して米軍を繰り出さない可能性が大きい。

日本は、いずれ尖閣諸島を中国に軍事的に奪われかねない。

 しかし実のところ、日本が尖閣を中国に奪われることも、対米従属の観点からは、むしろ
望ましいこととも考えられる。

尖閣を奪われた場合、中国の脅威が石垣島のすぐとなりまで迫ってくることになり、
日本の官僚機構は、沖縄への米軍駐留や対米従属が絶対必要だといいやすくなる。

日本が尖閣を中国に奪われることは、いざというときに米軍が日本を守ってくれないこと
から起きるのだが、そうした最重要の視点は報じられず、上からの解説を鵜呑みにする
だけの大方の日本人は疑問にも思わず「中国は怖い。米国だけが頼りだ」と悲壮に思う
心境が日本を席巻する。

安倍政権は、尖閣を守れなかった責任をとらされるかもしれないが、喜んで官僚の傀儡に
なって首相になりたい政治家は無数にいるので、官僚機構としては、ほかの政権にすり替える
だけですむ。

 対米従属策や対中敵対策の問題は、米国の覇権が衰退しつつあり、覇権構造が多極化し、
アジアの覇権国が中国になりつつある点だ。

08年のリーマンショック以来、米国(と世界)の金融システムは巨大な債券バブルの
崩壊過程にあり、連銀のドル過剰発行(QE)によって何とか延命しているにすぎない。

米政府は、自国の覇権衰退の状況をある程度把握しており、いずれ中国と和解する策に
転じるだろう。

日本はその時、対米従属できなくなり、自立的に中国と渡り合わねばならない。

日本が今のうちにロシアや北朝鮮、韓国と協調しておくなら、中国と渡り合う場合の
戦略がいろいろ考えられるが、ロシアとも北朝鮮とも韓国とも仲が悪いまま、対米従属
できなくなって独自に中国と対峙せねばならなくなると、全く窮してしまう。

 マスコミは安倍政権の経済政策を絶賛するが、日銀に円の過剰発行(量的緩和)を迫ったり、
財政赤字を急増させたりするアベノミクスは、企業の投資など景気の好転を招かないだけでなく、
連銀の量的緩和策がドルと米国債の自滅につながるのと同様、円と日本国債の急落やひどい
インフレを起こしかねない。

 官僚機構(マスコミ)の安倍礼賛のプロパガンダはとても強力なので、アベノミクスを
途中でやめさせることは無理だ。

小沢一郎も仲間と思っていた同僚政治家に騙されて潰されてしまった。

鳩山は訪中時に尖閣問題を客観的に述べた罪で国賊扱いだ。

対米従属を逃れようとする政治的ベクトルは、今の日本に皆無だ。
日本は、円と日本国債の自滅まで行き着くだろう。

 この自滅の後か先に、米国が政治的に中国敵視をやめるか、ドルと米国債の自滅が起きる
(ドル崩壊は円崩壊より後だろう)。

それらを経て、米国の覇権が瓦解し、日本は対米従属できなくなって行き詰まるだろう。

 こんな風にお先真っ暗なことを書くと「祖国をけなしてうれしいか」という「国賊扱い」の
反応があるだろう。
しかし米国と日本と世界の現実をよく見れば、アベノミクスは素晴らしいなどと言っている
マスコミの方が、自国を自滅に至らせる国賊行為だということが見えてくるはずだ。


[No.5276] 2013/01/19(Sat) 12:14:11
平野貞夫氏「戦後議会政治」の反省(続き) (No.5276への返信 / 5階層) - hasebe

3.3の陸山会事件から今日に至る小沢さんへの攻撃は、
多分、後生歴史に残るほどの執よう,悪質な政治家抹殺劇
だったと思います。

一人の政治家を『民主、自民党の政治家・財務,外務,司法官僚
・マスコミ』が一丸となって波状攻撃を繰り返しました。

その結果、小沢さんを権力の座から引きずり落とすことには成功
したのかもしれませんが、同時に日本の政界、司法、マスコミの
実体を多くの国民の目にさらしました。

安倍さんは、もともとカネ余りの状態ところを、さらにジャブジャブ
に供給しようというのですから、株は上がるかも知れませんが、今の
米国がそうであるように何が待ち受けているか・・。

ここ1,2年で4万人の富裕層が海外に移住したそうですが
殆どの国民は,この国で生きて行かなくてはなりません。

一人一人が知恵を出していかなくてはなりませんね。

平野貞夫氏の記事をコピーさせて貰いました。
しかし平野貞夫妙観との署名ですが、帰依されたの
でしょうか?


「日本一新運動」の原点―145

日本一新の会・代表 平野貞夫妙観

「戦後議会政治」の反省(続き)

 議会政治が適切に機能するためには、直接、間接であれ、それ
に参加する人たちが、一定の共通した理念を持つことが大事だ。

近代国家として普遍的な憲法原理の理解ともいえる。多数決原理
の限界というか、国民主権の意味とか、国会議員の責任と義務と
か、民主政治のあり方などについての基本的理念である。

 前号(144号)メルマガでの私の反省は、戦後の憲法でつく
られた民主国家の議会政治の基本理念を、大方の国会議員、官僚、
マスコミ、学識者らが身につけ定着していると錯覚していたこと
である。議会政治の基礎理念をまったく知らない人もいた。知っ
ていて身についていない人も多い。問題は基礎理念に関心がなく
必要性を感じない人たちが多い。「唄(理念)をわすれたカナリ
ア」といえる。

 私が本号で改めて反省しておきたいことは、「権力」の本質に
ついて考え方が甘かったというか、不十分であったということで
ある。議会政治の基礎理念に関心が薄くなり、憲法原理の退化現
象が起こる社会では、「国家権力」のあり方に異常が生じている
のだ。私が常識と思っていたことが、現代日本社会ではほとんど
通用しなくなっていた。そこで、議会政治と「国家権力」、そし
てマスコミなどの「メディア権力」の実態を考えてみたい。

(議会政治と国家権力)

 現憲法で国家権力といわれる物理的強制力を持つ機関は、すべ
て国会で制定された法律によって権限を与えられたものだ、と私
は理解している。従って「国家権力」は議会政治によってつくら
れるといえる。ところが憲法では、その国家権力が国会=議会政
治を崩壊させる可能性があるとして、議会政治を護る規定を設け
ている。憲法第50条(国会議員の不逮捕特権)などである。

 デモクラシーの手続きによって創られた「国家権力」が、デモ
クラシーの機関である議会政治を崩壊させることがある、という
前提で憲法は構成されているのだ。となると「国家権力」とは、
状況によっては議会政治とは別の次元の存在、敵対関係になる可
能性があるといえる。

 私の誤りは、例えば物理的強制力を持つことで代表的な「検察
官」の場合、司法試験という難関の国家試験に合格するためには、
専門的学識だけではなく、人格見識についても特別の教育を受け
ているはずだ。従って、それなりに憲法や議会政治の理念を理解
しているはずだという、先入観であった。

 平成21年3月から始まった「小沢問題」(西松→陸山会事件)
は、自民党政権から始まり、民主党政権に交代してからも国家権
力の暴走は続いた。3年9ヶ月という時間とともに、多大の税金
を浪費し、平成24年11月に小沢氏については無罪で決着した。

この問題の着手は、自民党政権による民主党への政権交代を阻止
するために始めたものである。それをさらに悪質に強化したのが、
なんと民主党政権の中枢にいた人たちであったというのが大方の
見方である。

 小沢問題の悲劇は、与党という政治権力が、検察・裁判所とい
う国家権力と絡み合いながら、議会政治や憲法の理念を破壊した
ことである。政治記者などの進言で、菅首相らが政権維持のため
「小沢問題」を利用したことである。野田首相による民主党政権
崩壊への道は、本来、憲法の理念からして国家権力から擁護すべ
き「小沢問題」を、「小沢氏排除」という不条理で対応した自己
矛盾の政治的調整であった。

 民主党は弁護士を職業とする政治家が多い。弁護士も検察官や
裁判官と同じく、司法試験に合格し特別な高い見識をもつ教育を
うけているはずである。弁護士で政治的利益に拘る人たちは、政
治を権力行使の手段と考え、法廷闘争のような形式論理で政治に
対応する傾向がある。その結果、政治のもつ心理的側面に気がつ
かず、自己の利益を理論だけで正当化して、それを国家権力と一
体化していく。これが民主党政権の特色であった。

 国家権力の正当性は、議会政治によってつくられるものである。
しかし、それは単純な形式論理とか、自己の権力欲を形骸化した
多数決原理で正当化できるものではない。民主党政権の党運営や
国会運営の問題は、こういった議会政治の基本理念の欠落にあっ
たといえる。

(議会政治とメディア権力)

 メディアの国家権力への影響は、立法・行政・司法の三権に次
ぐ「第四権力」として知られている。従って、議会政治が健全に
機能するためにはメディアが健全でなくてはならない。太平洋戦
争に至る日本メディアの報道姿勢が、現在でも責任問題として議
論されるのは、その存在が重要な役割を持つ証拠である。特に、
20世紀後半から始まった「高度情報社会」で、メディアの機能
は増大した。同時に増大に伴う問題も深刻になった。

 メディアは「社会の木鐸」といわれる存在である。国民世論を
導き、国家権力には正論で対抗するという役割を持つということ
だ。しかし、一方でメディアも私企業である。資本主義の中で生
きる宿命の中で、「木鐸」を貫くことは困難を伴う。また、メデ
ィアが巨大化するにつれ、国家権力への迎合や妥協が目立つよう
になる。かくしてメディアのあり方が、インターネットなど情報
革命の中で議論され、寡占化と硬直化が指摘されている。

 わが国のメディアが、「木鐸」を失ったと批判を受けるように
なったのは小泉政権の頃からである。一般企業の広告費の減少を
政府広報費で補完するという方策がとられるようなる。国民が裁
判に参加する「裁判員制度」を国会で成立させるため、国民への
広報活動が必要ということで、巨額の税金がメディアに広告費と
して支払われた。また、野田政権の消費税増税にあたっては、総
選挙の公約違反として批判すべきメディアの大部分が賛成の論陣
を張った。政府広報費と新聞を特別扱いすることを狙いとしたも
のであろう。

 歴史的といえる巨大メディアの暴走といえば、「小沢問題」へ
の人格破壊攻撃報道である。欧米先進国ではありえないデモクラ
シー破壊を、わが国では巨大メディアが総力を挙げて断行したの
である。政治権力と国家権力とメディア権力が、わが国に、真の
議会民主政治を定着させようとする小沢一郎氏を政界から葬ろう
としたのだ。教養の高いマスコミの人たちが、こういう問題に無
感覚になっていることは恐ろしいことだ。

 真の議会民主政治を確立したいと切望する多くの市民と、法曹
界で良識ある活躍をしている専門家の支援を受け、小沢氏は第二
審でも無罪を勝ちとった。当然のこととはいえ、こういった権力
側があらゆる手段で小沢氏を排除しようとする執拗さは、この国
がデモクラシー国家ではないことを証明するものであった。

 もっとも残念なことは、「小沢問題」は基本的人権と国民主権
という憲法と議会政治の根幹に関わることだ。ごくわずかな例を
除いて、わが国の国会議員が、「憲法と議会民主政治の危機」と
いう理解をしていないことである。

 どうも地位が高く、高学歴者の中にその傾向が多いようだ。わ
が国はデモクラシーの憲法・議会制度をもっているが、その本旨
と理念は定着していないというか、相当に退化している事実を、
国民はこぞって知る必要がある。


[No.5286] 2013/01/24(Thu) 10:54:12
「ライマン・ホームズの航海日誌」刊行によせて 小沢一郎氏 (No.5286への返信 / 6階層) - hasebe

 ライマン・ホームズの航海日誌―
             ジョン万次郎を救った捕鯨船の記録

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  刊行によせて(本書より)

            衆議院議員・CIE会長 小沢 一郎

 日本の近代化に尽した人物は大勢いるが、漂流少年ジョン万次
郎の功績は特筆すべきである。そのジョン万次郎を永年にわたり
研究し、私たちに貴重な情報を提供しながら、万次郎の功績を顕
彰する国際草の根運動を支えてくれているのが、慶應義塾大学元
教授の川澄哲夫氏である。

 この度、『ライマン・ホームズの航海日誌』の全訳が、バイリ
ンガルで出版されることになった。川澄氏のライフワークの完成
であり、病身を押しての必死の努力に敬意を表したい。

 この『航海日誌』は、私にとって忘れることができない因縁が
ある。実は、米国の古書店で2000年に入手したのは、私の慶
應義塾大学時代の同級生・涛川和夫氏であった。神田神保町で洋
書店を経営している人物だ。

 2001(平成13)年2月、川澄氏を通じて「この航海日誌
は、19世紀の太平洋における海洋文化、資源確保そして日本の
開国の原因を究明できる重要な資料なので、日本での古書オーク
ションに出したくない。ジョン万財団で購入してはどうか」との
話があった。

 ジョン万財団(CIE:財団法人ジョン万次郎ホイットフィー
ルド記念国際草の根交流センター)に、資金的余裕がなく、とり
あえず私が入手して、CIEに寄贈することを前提に購入した。
現在はCIEに寄贈し、そこで管理している。一日も早く全訳し、
万次郎の研究者たちだけでなく、国民の共有財産になることを祈
念していた。

 万次郎らを救助した「ジョン・ハウランド号」には、ホイット
フィールド船長による公式の航海日誌があるが、それとは別に若
い水夫が克明に記録した日記があることは、奇跡的なことである。
ハーマン・メルヴィルの『白鯨』の裏づけともなるもので、一日
も早く全訳することを期待したが、3年6ヵ月と7日間という長
期間の膨大な記録のため、簡単には進まなかった。

 そこで関係者が相談して『航海日誌』を、川澄氏に要約しても
らい、慶應義塾大学の阿川尚之教授に「万次郎の見たアメリカ」、
私が「万次郎に学ぶこと」の一文を書き、平成13年7月に『ジョ
ン万次郎とその時代』(廣済堂出版)を刊行した。このホームズ
の航海日誌は、ホイットフィールド船長の公式『航海日誌』と食
い違うところもあり、全訳の刊行が期待されていたものである。

 ホームズの『航海日誌』は、1839年1月26日(火)から始まり、
1843年5月8日(月)に終わっている。日誌の最後を「鯨捕
りの掟」で結んでいる。

 「汝は6日間、労をおしまず、力のあらん限り働け。そして7
日目に、血ぬられた甲板を、ごしごしとこすり、洗い清め、その
上、ケーブルをきれいに磨くのだ」と。捕鯨という19世紀の資
源確保に、民衆がいかに活躍したか。民衆が時代を支えていたこ
とがわかる。

 『白鯨』の著者、ハーマン・メルヴィルは、ホームズと同じよ
うに捕鯨船の水夫であった。捕鯨船の生活に堪えられず文筆家に
なったといわれている。名著『白鯨』の中で、日本の鎖国が捕鯨
船の活動にとって大きな障害になっており、「日本を開国するの
は捕鯨船である」と記してある。 1851年11月のことだ。

捕鯨船の若き水夫・ホームズの『航海日誌』は、それを証明する
ものといえる。ジョン・ハウランド号が万次郎らを救助した18
41年6月28日の日誌は、次のように綴っている。

 「午後1時、2隻のボートを下ろし、岸辺に海亀を探しに行く。
3時にボートは戻ってきた。5人の中国人か日本人を連れ帰った。

難船して、この島に漂着したということだった。彼らは、泳いで
ボートに乗り移ってきた。何もしゃべらない。お互いに、身振り
と手振りでしか、相手の言うことが理解できない。海岸に衣類と
数個の箱を残してきたと言っているようだ」(以下略)。

 万次郎らを救助した状況を、実に冷静に記述している。日誌と
はいえ事実はいかなる想像より力強くロマンチックなものである。

 米国捕鯨船に救助された万次郎は、ホイットフィールド船長の
人類愛で米国で近代社会に学び、一流の航海士となり捕鯨船員と
なる。10年後、捕鯨船のためにも日本のためにもと、開国を訴え
るため命を懸けて日本に帰国する。万次郎が日本の開国と近代化
について、どのような活躍をしたのか。川澄氏や万次郎の子孫・
中浜博氏らの研究があるので、そちらに譲る。 CIEの運動も
この『航海日誌』の全訳で、さらに活発となると確信している。

 最後に、本書の刊行にあたって、格別の配慮をいただいた慶應
義塾大学出版会の関係者に心から感謝の意を表しておきたい。
                         
                     2012年10月


[No.5304] 2013/02/01(Fri) 21:01:20
日本一新平野貞夫氏【政治家小沢一郎を考える!】 (No.5304への返信 / 7階層) - hasebe

◎「日本一新運動」の原点―150

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観


 来たる3月7日(木)午後6時30分から、池袋の豊島公会堂
で『小沢一郎議員の無罪判決確定報告』と『石川知裕、大久保隆
規、池田光智秘書の無罪を勝ちとる国民大集会』が開かれること
になりました。

 小沢一郎・生活の党代表の出席が予定されています。これまで
の国民の皆様のご支援へのお礼の挨拶と、これからの活動につい
てお話しがあると思います。、万障お繰り合わせの上、お仲間を
お誘いあわせて、多くの方々のご参加をお願いします。


○政治家小沢一郎を考える!
(旧体制の標的となった政治家・小沢一郎)

 ここ3年8ヶ月続いた小沢さんの政治資金をめぐる捜査と裁判
は、法治国家や民主主義国家ではあり得ないできごとであった。

政権交代への国民の要望が大きくなり、次期首相の可能性が最も
高い野党第一党である民主党小沢代表を、なんの証拠もなく強制
捜査する国家権力がこの日本国に存在したのだ。わが国では、憲
法の基本的人権や国民主権は机上の空論であったことが露呈した
のだ。

 巨大メディアはこぞって国家権力を煽り、国家権力は証拠を挙
げられないと証拠の偽造までやったのだ。より大きな問題は、政
権交代を果たした民主党である。菅民主党政権では「小沢を排除
すれば支持率が上がる」という一部マスコミの虚言にのって小沢
氏攻撃に荷担した。政権交代を成し遂げた最大の功労者を、党内
抗争で自己の政権維持に利用しようとする異常な権力者たちに、
真っ当な政治ができるはずはない。その結果が総選挙による民主
党の事実上の惨敗だ。

 この3年8ヶ月、小沢さんに政治活動の自由はなかった。それ
は政治家にとって地獄にいる思いであったと思う。ところが本人
は「これは私個人の問題ではない。日本の民主主義の問題である。

天命に遊ぶ心境だ」と、平然としていた。状況からいえば、旧体
制の総攻撃に政治生命を失う可能性もあった。何故「小沢排除」
が行われたのか、小沢さんと大下英治さんの問答が参考になる。
               (サンデー毎日・2月24日号)

○大下 安倍自民党の成長戦略に対する、生活の党・小沢一郎は
    日本をどう成長させるのか。

○小沢 みんな談合体質なんです。それを裁ち切って打ち壊さな
    きゃ日本はうまく行かない。

○大下 その談合体質にメスを入れるという立場からいえば、
    “邪魔者”にされたという認識はありますか。

○小沢 僕は旧体制の人たちにとって完全な標的ですよ。

 小沢さんの政治信条「談合体質を裁ち切る」は、昭和44年の
国政参加以来、一貫した主張である。また、小沢さんは週間ポス
ト3月1日号で、自民党を離党して20年間、目標とする健全な
議会民主政治の定着ができないことについて、自分にも責任があ
るが「旧体制の恨みと反撃が強かった」と語っている。


(朝日新聞東京本社元編集局長・冨森叡児氏の小沢一郎論)

 「日本政治の談合体質を裁ち切る」という問題は、自・社55
年体制の末期、米ソ冷戦終結の平成時代になって重要政治課題と
なった。平成17年に朝日新聞社から『昭和―戦争と天皇と三島
由紀夫』(現・朝日文庫版)が刊行されている。その中に保阪正
康氏(ノンフィクション作家)と冨森元朝日新聞編集局長との対
談がある。「戦後日本を動かした政治家たち」の章に、「55年
体制を終焉に導いた男」の項がある。ここにある「小沢一郎論」
を要約して紹介しておく。

○保坂 戦後政治の変革として、自・社による55年体制の終焉
    期ですが、自民党が政権を失っていく原因のひとつとし
    て、小沢さんたちが自民党を出て行くということがある。

    それと田中角栄的発想の政治家というのは、相関関係が
    あるんですか。

○冨森 小沢さんは田中さんのもっとも薫陶を受けた政治家です。

    だが、当の小沢さんは日本の政治というものをきわめて
    冷静に見る眼をもっていた。小沢さんの優れているとこ
    ろは、「この田中的政治手法で土建国家体制(談合政治
    の意)を続けていたら、日本は必ず行き詰まる。これを
    変えなければいけない」と考えた点です。そのためには
    派閥中心の中選挙区制から小選挙区制に改めることで、
    自民党再編を考えた。政・官・財の三角同盟、つまり利
    益誘導型政治の温床である中選挙区制をまず変える。経
    済政策では規制緩和をやる。同時に行政改革も進め、国
    家としての構造改革を断行し、日本を変えていくという
    筋道を小沢さんは考える。彼の先見性には大変なものが
    ある。小沢さんは土建政治にドップリつかって儲けよう
    という発想はなかった。

○保坂 八派連合による細川内閣の成立で、五五年体制が終わる
    わけですが、やはり主役は小沢さんだったんですか。

○冨森 小沢さんがいなかったら、絶体に細川内閣は成立しなか
    った。平成5年当時、宮沢首相に政治改革、小選挙区制
    の導入を迫った。宮沢さんは梶山幹事長を筆頭とする反
    対勢力を押さえることができない。小沢さんたちが宮沢
    内閣不信任案に同調した。羽田さんは「いまの55年体
    制では自民党の将来はないぞ」と小沢さんに同調し、当
    時の自民党の多くの若手が共鳴して離党する。選挙で自
    民党が過半数を割ると、小沢さんは非自民8会派の説得
    に動いた。みんながどうしてよいか分からない時に小沢
    さんがまとめあげた。非凡な手腕です。1980年代、
    中曽根首相は55年体制が行き詰まっていることがわか
    り、改革の必要性を感じていた。それは、55年体制を
    温存・維持しながら改革していく体制内改革だった。

    JR・NTT・JTなどの民営化路線だ。もっと先へ進
    んで行政改革、税財政改革、規制緩和など必要だったが、
    中曽根さんには限界があった。竹下首相が消費税を導入
    して税制改革の一部を実行した。小沢さんはこの動きを
    観察していた。「これではまだ不十分だ。日本の政治の
    根本を変えるには55年体制を壊さなきゃいけない。

    中選挙区をなくさなきゃいけない」と考えた。中曽根康弘
    と小沢一郎の違いはそこだ。いま小沢さんは民主党にい
    てパッとしません。彼は、人への包容力に欠けるところ
    がある。天は二物を与えずということでしょうか。先を
    見る力は非常に優れているんですが、とても惜しい気が
    します。

 当時、真面目な有識者の常識的な「小沢一郎論」である。最後
の部分には誤解があり、文句を言いたいところだが冨森氏の意見
として承っておく。

(小沢排除の背景にある憲法政治の否定)

 冨森氏が小沢さんを論じた『昭和―戦争と天皇と三島由紀夫』
が刊行されたのは平成17年12月である。この時期、冨森氏の
ような「小沢論」は珍しくない。自・社55年体制を壊した怨念
も残っていたが、国民の中には小沢さんの政治への先見性と非凡
な手腕に期待する声が多くあった。

 小沢さんは平成18年4月、偽メール事件の責任で辞めた前原
民主党代表の後継として、民主党再生に着手する。千葉県7区の
衆議院補欠選挙の奇跡的勝利を皮切りに、平成19年7月の“逆
転の夏”と銘打った参議院選挙に圧勝し、野党が多数という逆転
現象をつくる。「政治は生活・国民の生活が第一」の小沢ドクト
リンが有権者の心を掴み、次期総選挙での政権交代が確実視され
るようになる。

 一方、自民党は平成18年9月に、小泉首相が辞め安倍晋三氏
が後継となる。安倍首相は参議院選挙後も居座ったが、健康上の
理由で辞め、福田康夫首相に代わる。福田首相も「ねじれ国会」
に対応できず政権を放棄し、麻生太郎首相に代わる。自民党は2
年の間に三人の首相のたらい回しを行い、国民から批判を受ける。

麻生政権は「政権交代の阻止」が最大の目的であり、月刊誌で一
旦は宣言した解散の時期に苦慮する。衆議院議員の任期が半年余
りの平成21年9月に迫った3月3日、東京地検特捜部は証拠も
なく大久保秘書を政治資金規正法の虚偽記載で逮捕した。小沢民
主党代表をめぐる政治資金問題の捜査に着手したのだ。捜査が始
まるや巨大メディアは一斉に、小沢代表を犯罪者扱いとして報道
した。残念なことに、議会民主政治の崩壊に気付く議員はごく少
数であった。

 「小沢排除」は、自民党政権が「政権交代阻止」のために仕掛
け、菅民主党政権が「政権維持」のために利用するという、憲法
政治では想定できない背景があった。日本に真のデモクラシーを
確立させるためにも、「小沢排除」の背景を検証する必要がある。


[No.5349] 2013/02/28(Thu) 10:10:57
日本一新平野貞夫氏【「違憲判決」に対する政治の責任】 (No.5349への返信 / 8階層) - hasebe

 <メルマガ・日本一新・通巻第157号>
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◎「日本一新運動」の原点―157
日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観


○総選挙「違憲判決」に対する政治の責任

 3月27日、昨年暮れの衆議院選挙で「一票の格差」が最大2・
43倍であったことをめぐり、各地で選挙無効・やり直しを求め
た16件の訴訟の判決が出そろった。

 それぞれの高等裁判所や同支部での判決は、16件中14件が
「違憲」、うち2件が「選挙無効」と判決した。2件が「違憲状
態」の判決であった。年内には最高裁判所の判決があり、最終的
な憲法判断が行われる。

 最高裁は平成21年の総選挙が「違憲状態」であると、平成2
3年に判決している。国会は、この最高裁の「違憲状態」の判決
に対し、党利党略で対応して制度の整備を怠った。判決を冒涜し
て当時の民主党政権の野田首相が解散を断行して総選挙に持ち込
んだものである。16件の高裁の判決をうけて行われる最高裁の
判決は、相当厳しいものとなろう。

 高裁での16件の判決が出た後、国民のレベルでは、国会や政
党の怠慢に怒りの声が溢れている。しかし、政党や政治家レベル
の反応は、これが議会政治国家か、と疑うような状況である。

与党も野党も責任問題を避けて、制度の技術論ばかりだ。看過で
きないのは国会議員の中に、「最高裁の最終判決ではない」と、
高裁の判決を無視した議論があることだ。選挙制度が議会民主政
治の心臓部分であることを認識していない議員は辞めるべきだ。

 「違憲状態」での総選挙について、私は「メルマガ・日本一新」
132号(平成24年10月25日発行)で述べておいたが、総
選挙に正当性がないので、当然に衆議院の構成にも正当性がなく
なる。従って憲法上許されることではないと論じた。高裁の厳し
い判決をうけて、最高裁はどんな判決を下すのか。「事実行為を
容認するか、総選挙全部を無効とするか、違憲状況の部分を無効
とするか、さまざまなこと想定される」と述べておいたが、今回
は司法権の存立にかかわることである。

 国民が納得する厳しい判決となろう。そのために、政治は最高
裁の判決を待っての対応では、責任も義務も果たせない。
(野田前首相の政治責任を問うべし!)

 最高裁の前回の判決が「違憲状態」であり、常識的に見て今回
の判決がそれ以下であることは考えられない。野田首相が行使し
た「解散権」は、そもそも憲法違反ということになる。各地の高
裁からこれだけの「違憲判決」や「選挙無効判決」が出され、判
決文で厳しい指摘がなされている中で、野田前首相は反省の意を
表すとともに、自分に政治責任があることを表明すべきである。

 そして、最高裁の判決の内容によっては、野田前首相は政治責
任をとって議員辞職すべき問題である。「一票の格差問題」は、
昨年秋の臨時国会で「0増5減案」を解散の間際に成立させた。

しかし、選挙区割りについては法整備が間に合わず、「違憲状態」
のままで、野田首相は解散を断行した。本来は、区割りや周知期
間などを配慮して、約3ヶ月の期間が必要といわれた。衆議院議
員の任期は平成25年8月29日まであり、「違憲状態」を解消
しての解散・総選挙は行えたはずだ。

 現に昨年11月初旬、横路孝弘衆議院議長は「最高裁で“違憲
状態”とする定数是正を、法改正だけでなく、区割りや周知期間
などを整備して、憲法と法律に則った解散・総選挙を行うべきで
ある」と勧告している。しかし、この横路議長の勧告は“声”が
小さいというか、形だけという感じのものであった。本気で『議
会民主政治』を守るという力強さはなかった。その意味で「違憲
状態」での総選挙に至った責任の一端は横路前衆議院議長にもあ
る。

(伊吹衆議院議長は事態の収拾をすべし!)
 圧倒的多数の「違憲状態」のみならず、「違憲・無効」とまで
の判決は、わが国の議会政治が異常事態にあることを、司法が宣
言しているものである。これに対して政治・政党側の反応は、ま
ことに無責任、かつ国民に対して不誠実である。与野党とも責任
を相手側に押しつけ、異常事態という認識がない。原因は多くの
衆議院議員が最終審でないという、高裁判決を軽視した態度であ
ることだ。3月28日に衆議院選挙区画確定審議会は、「0増5
減」の制度に伴う区割り変更勧告を安倍首相に行った。

 しかし、この勧告自体が、その場しのぎであり、実態は「違憲
状態」が改善されていないのである。

 この制度を先行させて整備し、その後、本格的制度改革を行う
か、直ちに抜本的改革を議論していくか、制度改革の進め方・手
順について与野党で厳しく対立している。それぞれに党利党略を
優先させているからだ。これでは何時までたっても問題は解決し
ない。

 最高裁が「違憲状態」という、平成23年の判決以上の判断が
出ることが確実な事態である。伊吹議長が何もせず、政党間の協
議に第三者の立場でいることは責任の放棄である。まずは、各党
の代表者を呼び、議長として異常事態に対する所見を示し、手順
について早急に合意するよう促すべきである。抜本改革となると
時間を要するので、最高裁の判決までの期間は貴重である。それ
に7月には参議院選挙がある。国民は「違憲状態」に対する各党
の改善策を、衆議院選挙の投票選択の材料とするであろう。各党
間の本格的な協議は早急に始めるべきだ。

 衆議院の選挙制度について、最高裁から判決があり、それにど
う対応したか、参考のために説明しておく。

 昭和60年7月17日、最高裁は「昭和58年の総選挙で『一
票の価値』が最大で3倍以上に開いているのは憲法に違反してお
り、本来無効にすべきであった」と判決した。定数を是正しなけ
れば事実上解散はできないと、当時の国会・与野党は判断した。
今日の与野党の不誠実さとはまったく違った見識を持っていた。
私は衆議院議院運営委員会担当の総務課長で散々苦労させられた。

 この時の坂田道太衆議院議長は、与野党の話し合いに全力で当
たった。与野党の対立だけでなく、自民党内の対立もあり紛糾に
紛糾を重ねた。政党間の話し合い決着が困難となり、坂田議長の
下に、学識経験者等による第三者機関を設けて、議長が提示する
案づくりをする構想が非公式に合意された。第三者機関の人選を
めぐり意見がまとまらず、この構想は生かされなかった。

 翌61年になって、再び与野党間の協議を再開したが、これも
不調となる。結局、5月になって坂田議長の調停案を、与野党が
合意し、通常国会の最終日5月22日に決着した。与野党対立の
厳しい選挙制度の改革は、定数是正ですら大変な課題であった。

 それが大幅な定数削減とか、制度改革といった抜本改革となる
と大問題である。各高裁の判決後一ヶ月が過ぎて、国会や政党側
に真剣な対応が見られないのは残念だ。選挙制度の抜本改革が、
国民に理解されるものでなければ、議会民主政治は劣化し、崩壊
する道に落ちるだけである。

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「生活の党」参議院選挙用の政党ポスター掲示募集は、引き続き
受け付けていますので、よろしくお願い申し上げます。
    ↓      ↓       ↓
http://nipponissin1.blog136.fc2.com/blog-entry-242.html
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             次回の定期配信は、4月25日です。
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[No.5398] 2013/04/28(Sun) 15:00:59


   小沢さん【もう一度政権交代を目指す】 - hasebe - 2013/01/06(Sun) 21:51:52 [No.5271]
達増岩手県知事「政権交代」 - hasebe - 2013/01/09(Wed) 10:36:42 [No.5272]
平野貞夫氏『小沢一郎さんとの懇談』 - hasebe - 2013/01/10(Thu) 12:07:45 [No.5273]
平野貞夫氏【民主党政権崩壊にみる「戦後議会政治」の反省】 - hasebe - 2013/01/17(Thu) 10:49:21 [No.5274]
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日本一新平野貞夫氏【政治家小沢一郎を考える!】 - hasebe - 2013/02/28(Thu) 10:10:57 [No.5349]
日本一新平野貞夫氏【「違憲判決」に対する政治の責任】 - hasebe - 2013/04/28(Sun) 15:00:59 [No.5398]




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