(10月11日 東京新聞 夕刊)
鷲田 清一 (わしだ・きよかず=哲学者・大谷大教授)
「教養」が、<型>をもたなくなったこと、いいかえると、身体の作法をともなわなくなった
ということがある。行為をつうじての自己形成というよりも、読書をつうじて
広く知識を習得し、歴史・文化について、それらを見る目を養うことがめざされた。
こうした「教養」の観念は、「政治的教養というものを、含むことなく、むしろ
意識的に、政治的なものを外面的なものとして、除外して」おり、
福沢諭吉らに代表される、明治期の啓蒙(けいもう)思想への反動としてあったとは、
昭和十六年の、三木清の指摘である。こうした文化への偏重は、
経営や技術など、実学的な知識の、密やかな侮蔑にもつながっていた。
たしかに 多くの知識をもつことは、ものごとを広い視野でとらえるに
必要なことであろうが、もっと重要なのは、それらを、社会運営のなかで 組み立て、使いこなして
ゆく、「わざ」である。
[No.5639] 2013/10/14(Mon) 11:26:21 |