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日本国会・「虚偽政治」物語! 平野貞夫氏 (親記事) - hasebe

政界の生き字引、平野貞夫さんの「日本一新の会」の
メルマガを転載させていただきます。


小渕総理が倒れ、密室談合で森政権が成立したことは
はっきり覚えています。

当時もおかしいという声は有りましたが、大きな動きに
もならず森政権が成立しました。

日本の国会史は、クーデターと虚偽政治の歴史なのでしょうか。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「日本一新運動」の原点―207

          日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

○ 日本国会・「虚偽政治」物語!


 我が国に議会政治が導入された明治23年頃、流行った小唄に
『初雪』がある。

この詩の中に日本人の政治信条の原点があるとは、私の人生の師・
前尾繁三郎元衆議院議長の口癖だった。

前尾先生は「春日豊繁」という、小唄の名取りだった。

   初雪に降り込められて向島 二人が中に置炬燵
   酒の機嫌の爪弾きは 好いた同志の差し向かい
   嘘が浮世か浮世が実か まことくらべの胸と胸

 突然、艶っぽい小唄の話をして「不謹慎だ」とお叱りを受ける
かもしれないが、何を言いたいかというと、明治・大正・昭和の
我が国の議会政治の実態は「嘘が議会か、議会は実か、まことク
ラベの与党と野党」ということであった。

それを言いたかったわけだ。

 戦後に新憲法が制定され、明治憲法体制に代わり、超デモクラ
シー体制となる。

それでも大雑把に言って、昭和の終わり頃まで、我が国の国会の
実態は「うそ≠ニマコト≠フ糾える縄」であったが、同時に
政治家による「嘘」と「実」の競争による国民へのマコトくらべ
であった。

 それが平成時代になって、国会で活躍する与野党の政治家は国
民に対するマコト#艪ラから嘘#艪ラに変化していく。

その数は星の数ほどあるが、戦後の議会民主政治を最悪の事態に
する出発点となった重要な出来事を解説しておこう。

(青木内閣官房長官の「嘘言」から始まった
           「密室談合」による森喜朗内閣の成立)

 平成12年4月2日(日)の深夜午前1時ごろ、順天堂大学附
属医院に小渕首相は入院した。同月4日(火)に小渕内閣は総辞
職し、翌5日に森喜朗内閣が成立する。

この政権交代は、青木内閣官房長官の「嘘言」によって、与党自
民党の一部幹部が密室談合して成立したものであり、憲法上の正
当性がなく、その後の憲政運営に多くの倫理破壊を起こし、現在
に至っている。

 この問題の中心となる事実は、小渕前首相が死亡した5月14
日、順天堂大学附属医院の医師団が行った記者会見である。要点
は次のとおり。

 「小渕総理は入院した時点で昏睡状態であり、4月2日
  午後7時、青木内閣官房長官が会って『万事頼む』と
  言われたということは、医学的に不可能である」

 この医師団の公式発表が、小渕前首相の死亡後に行われたこと
が極めて問題である。民主政治国家というなら最高権力者の入院
は直ちに医師団が公表すべきである。

ここに自民党政治の不治の病根がある。

 森政権工作に直接関わった当時の自民党参議院会長・村上正邦
氏の話によると、

1)4月2日(日)午前7時頃、青木内閣官房長官の電話で小渕
首相の入院を知り、議員宿舎の私の部屋に来た青木長官にアドバ
イスした。

同日午後1時に赤坂プリンスホテル550号室に森喜朗幹事長、
亀井静香政調会長、野中広務幹事長代理に連絡して、5人が集う
ことになった。

池田行彦総務会長に連絡しなかったことに、不思議と話が出なか
った。

《自民党3役と、参議院議員会長の主要役員で協議することが政
党政治の筋だ。宏池会の池田総務会長を外したのは、加藤紘一元
幹事長の動きを封じるためであった。》

2)5人が集った時点では詳しい病状は分からず、最初に合意し
たのは「発表はできるだけ遅らせ、その間にポスト小渕を固めて
おくこと」。

次の問題は首相の臨時代理を誰にするかだった。

青木官房長官と宮沢副総理に意見が分かれたが、青木官房長官に
固まった。

3)同日午後5時頃、5人のところに「小渕首相再起不能」との
情報が入り、5人で後継首相を森喜朗幹事長とすることを固めた。

宏池会や小派閥には連絡せず、創価学会の秋谷栄之助会長に電話
で説明して了承をとった。

 以上が、村上正邦氏の話であるが、その後の動きは次のとおり
である。

 同日(4月2日)午後7時、青木幹雄官房長官は順天堂附属医
院で小渕首相と会う。

午後11時に記者会見して「首相が過労のため緊急入院した」と
だけ発表した。

翌3日(月)午前になって青木官房長官は「病名は脳梗塞」と記
者発表し「有珠山の噴火対策もあり、小渕首相から、官房長官が
臨時代理の任にあたるよう『万事頼む』と指示された」と述べた。

 青木官房長官のこの発言が、立憲政治を冒涜する「重大な嘘」
であることは明かだ。

この「嘘」にもとづいて、5人組が我が国の議会民主政治を冒涜
し劣化させることになる。

憲法上の手続としては、臨時閣議を開いて病状を報告し、臨時代
理を閣議で決め、その上で自民党役員会、総務会などの機関で総
裁選挙の手続を協議し、ポスト小渕を決めていくのが正当な政党
政治であり、同時に憲法政治でもある。

 4月25日、私は参議院予算委員会で、小渕前首相の病状経過
などの十分な情報が開示されたいない中で次の趣旨の指摘をした。

1)医師団の公式発表も行わず、5人組が談合して自分たちの権
力維持のため、小渕首相の指示もなく青木官房長官を総理臨時代
理とし、憲法70条の拡大解釈をさせ、病気の総理を「欠けたも
の」と冒涜し、総辞職させて森内閣を成立させたやり方は、談合
クーデターだ。

2)このやり方で、健康な総理を病院に拉致して意識不明として、
医師団に真実を発表させなければ何でもできる。国会の手続で過
半数で指名されたから正当性があるといった問題ではない。

森首相を選ぶプロセスに、憲法政治を破壊した深刻な問題があり、
民主政治国家とはいえない。

 と発言したところ、自民党は不穏当部分の取消を要求してきた。
私は応じず、本会議や法務委員会などで機会あるたびに発言した。

自民党など与党は、森政権の正当性を国民に疑わせると、予算委
員会の発言を委員長職権で取り消した。

私は意図的に取り消された発言を、公式な場所で続けた。

自民・公明・保守の3与党は我慢できずに、私を懲罰委員会に付
する動議を提出した。

 私は、心ならずもこの展開を待っていた。

懲罰動議は、本会議における「身上弁明」の発言時間を制限でき
ないので、森喜朗政権の反民主制と反憲法性を国民に訴えるべく、
周到な準備をした。

しかし6月2日に衆議院が解散となり、残念ながら不発となった。

政治家でこの問題の重大性を指摘したのは、当時、自由党の小沢
党首ら数人であった。政治学者や憲法学者からの批判はごく少数
で、我が国の議会民主政治の劣化を証明した。

(森喜朗政権以後に起こった政治の激変と劣化)

 小渕首相が脳梗塞で倒れる約6時間前まで、自自公連立政権の
3党首会談が開かれていた。

小沢自由党党首が連立した際の政策合意の実行を迫り、小渕首相
と神崎公明党委員長が拒否して連立の継続をめぐって小沢党首が
週明けの四月四日に回答することになっていた。

こういう政治状況下で森政権が談合クーデターで成立したのである。

 時を置かずに森首相の「政治家としての資質」が問題となる。

平成13年4月には自民党内で政権維持は無理となり、通常国会
の真っ只中に総裁選挙を行うことになる。森政権の正当性を自民
党自身が否定したのである。

かくして小泉純一郎政権が誕生することになる。

 小泉政権以降の自民党政治の激動と劣化を詳細に述べるつもり
はない。

ごく一部の富裕層やブラック企業などが豊かになる政策が続き、
格差社会が極限に達し、民衆の福寿ということばは忘れられた。

さすがの日本国民も、平成21年の総選挙では自公政権に鉄槌を
下し、「国民の生活が第一」を党是とした民主党に政権を託した。

私は、これを我が国の議会民主政治の歴史的進化と高く評価した。

 ところが、これが歴史的大失態であった。鳩山由紀夫首相は政
治の現実を忘れ去り、菅直人首相は「議会政治は期限のある独裁
政治」と舞い上がり、野田佳彦首相に至っては財務省と野党の自
公両党に騙されて、政権交代の総選挙では「やらない」と約束し
た10%に向けての消費税増税法を成立させた。

その時の社会保障充実・3党合意はどうなったのか。

安倍自公政権に交代して、民衆はアベノミクスの犠牲となった。

増税分は大企業に流れ込んでいく。

 民主党政権も自公政権も、同じ「詐欺」の共犯者だ。政治家の
ウソは国家の犯罪となる。メルマガ執筆中の深夜に時計の針は4
月1日に回った。

いよいよ消費税増税が始まった。この国の民衆は生きていけるのか。

 国家の犯罪といえば、3月27日に静岡地裁が再審を決定した
「袴田事件」である。袴田さんと私は同学年で、事件当初から強
い関心を持っており、無罪を確信する。

 さらに、私たちはもうひとつの「国家の権力犯罪」を忘れては
ならない。言うまでもなく「西松・陸山会事件」である。自民党
が政権脱落を避けるための冤罪であり検事調書の捏造までやった。

検察審査会での謀略は、民主党政権による小沢排除の「権力犯罪」
であった。

これらを検察や政権の手先になって真実のように報道し、国民に誤
解を与えたマスメディアの民主政治への冒涜は、犯罪のレベルを超
えた問題である。

 国民がこのことを理解しないかぎり、我が国の議会政治に再生
はない。   


[No.5833] 2014/04/03(Thu) 23:03:49
生活の党:中国との草の根交流 (No.5833への返信 / 1階層) - hasebe

小沢さんは20数年間、アメリカとはジョン万次郎の会、中国とは、
長城計画を行って来ましたが、他に北京大学生などの中国の学生
を日本に招く「日中至誠基金」という草の根交流を続けています。

生活の党のHPから下記の記事を転載いたしました。


2014年4月4日
      小沢一郎代表 日中至誠基金歓迎会挨拶(2014年4月2日)
   『色んな人との交流により、日中の緊密な親しい関係を築いてほしい』

    4月2日夕刻、小沢一郎代表が会長を務める「日中至誠基金」が、3月29日から
    訪日している中国人学生団の歓迎会を行いました。

   「日中至誠基金」とは、中国の学生を日本に招き、日本での研修を通じて両国の
    理解を深めてもらうことで、より良い日中関係を構築することを目的とした事業
    を行っており、1992年に小沢一郎代表が当時の中華全国青年連合会主席と会談後
    に私財を投じて「小沢一郎至誠基金」を設立し、後に法人理事を迎える形で拡充
    発展させ、名称を「日中至誠基金」と改めたものです。

【 小沢一郎会長 挨拶 】

   皆さんこんばんは。今年もまた、中国の学生の皆さんを迎え、日中至誠基金の者たち
   は大変心から喜び、歓迎しているところです。

   特に今日はまた、大使館から公使をはじめお忙しい中おいでいただきました。
    また、私ども至誠基金の幹部の者も出席させていただきました。

   公使とも話をしていたのですが、皆さんには本当にいつも感心させられます。
   とても日本語が上手ですし、また文字も上手。漢字がうまいのは本家本元だから当たり前
   ですが、ひらがなも大変上手でいつもびっくりしています。
   皆さんの普段の勉強のたまものと思います。

   日中の関係は今、政治的にぎくしゃくしておりますけれども、それはそれとして、やはり
   お互いの国民同士が理解をし、そして力を合わせて未来へ向けて頑張っていくということ
   に尽きると思います。

   その担い手は皆さんのような若い人たちです。今回は、日本の学生とも話をする時間が
   設けられていると思いますけれども、どうかそういった事も通じながら、本当に長い歴史
   の両国ですので、お互いの為に、今後とも皆さんには大いに頑張っていただきたい、
   そう思っております。

   丁度桜の季節で、天気も今日までよかったのではないかと思います。
   東京も満開の桜でございますので、そういう一番日本でもいい季節ですから、それを堪能
   していただきながら、色んな分野で色んな人との交流を通じながら、より一層両国の緊密
   な親しい関係を築き上げていただきますように、心から皆様にお願いを申し上げる次第です。

  今日は私どもの気持ちばかりの歓迎の宴ですので、ゆっくりとご歓談いただきますよう
   お願いし、ご挨拶といたします。ありがとうございました。



2014年4月8日 小沢代表、程駐日中国大使と意見交換
       駐日中国大使意見交換会(2014年4月7日)

       
   小沢一郎代表をはじめ生活の党役員は4月7日、程永華駐日中国大使、韓志強公使
   らと日中関係について意見交換しました。

    会談には鈴木克昌代表代行・幹事長、主濱了副代表、小宮山泰子国対委員長、
   青木愛幹事長代理、村上史好国対委員長代理、畑浩治総合政策会議議長が
   同席しました。

   小沢代表は、習近平主席が訪独時に日本人が戦前の歴史的事実に目をふさいでいる
    旨の発言をしたとされることについて、事実と異なると指摘しました。

   これに対し程大使は、習主席発言の主語は戦前の軍国主義であり、現在の日本政府
   や日本人ではないし、講演も平和の重要性を説くものであったと述べました。

    双方は、日中の友好協力関係や党間交流のあり方について率直に意見交換し、
   今後とも対話を継続していくことを確認しました。


[No.5835] 2014/04/08(Tue) 23:09:59
平野貞夫氏「団塊世代の政治家の罪と罰」 (No.5835への返信 / 2階層) - hasebe

◎「日本一新運動」の原点―207

            日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 3月31日(月)、細川元総理の声がかりで、成田元秘書官と
3人で、赤坂の七福神≠ナ会食した。

久しぶりのことで、20年以上前になる「非自民連立政権」時代
の裏話や、年始めの「東京都知事選挙」の悲喜劇話で盛り上がっ
た。

話の締めは「脱原発活動で、文明のパラダイムシフトを変える運
動を成功させよう」ということであった。
 
○「団塊の世代」の政治家の罪は重い!

 細川元総理との怪談を終え、午後10時頃自宅に帰ると、週刊
ポストの記者から電話取材があった。

「団塊世代の罪と罰」の特集をするとのことで、政治家について
コメントして欲しい、とのこと。

酔いもさめやらぬまま、一杯機嫌でいろいろと話をした。
ターゲットは菅直人氏、仙谷由人氏、舛添要一氏、猪瀬直樹氏等
であった。

 ポストの記事は、戦前生まれの焼け跡世代で、政界の生き字
引と呼ばれる平野貞夫・元参議院議員(35年生)が語る≠ナ始ま
るが、要約すると、

 「幼少時代に食糧難を経験した団塊世代で、最も優秀な層は豊
  かな生活を目指して商売に道に進み、次に優秀な層は官僚に
  なった。

この世代は学生運動が盛んで、運動にのめり込んで就職でき
なかった層が、弁護士や市民運動を経て政治の道に進んだ。
だから、反自民の政党に入る人が多かった。」

そして彼ら(菅氏や仙谷氏)の指導者としての失敗は、「権
力のためには、いとも簡単に節を曲げた」ことにあった。

  菅氏は鳩山政権で財務相を務めて財務官僚に懐柔され、鳩山
  退陣後には、マニフェストを反故にして官房長官の仙谷氏と
  ともに消費税増税を掲げた。

「財務省に味方をしてもらうことが権力を維持する近道だと考
えたのでしょう。
だが、消費税増税を掲げた参議院選挙では大敗した。

すると、今度はマニフェスト回帰を求める反執行部派を排除
するために党内抗争を仕掛けていった」(平野)

  桝添氏にも同様の権力志向が見える。

自民党が下野すると先んじて離党し民主党に接近した。
それが再び自民党が政権に復帰するや、自民党の支援を受けて
今年2月の都知事選挙に出馬し、知事の座を射止めた。

 「団塊政治家」に共通するのは、権力志向と並んで過剰なまで
  に自己正当化と責任逃れだろう。

菅氏の原発事故対応に失敗した責任を今もって認めようとしな
い態度、仙谷氏は、尖閣諸島の中国漁船衝突事件で政治判断を
放棄し那覇地検に責任を丸投げして、言い逃れを駆使した態度
が対中外交を混迷させている原因だ。

  猪瀬前東京都知事も似ている。徳洲会グループからの500
  0万円借入問題で、あれほど議会や記者会見で「選挙資金で
  はない」と強弁していたが、法的処理が略式起訴で済むと判
  明するや、これまた、いとも簡単に前言を撤回して選挙資金
  であったことを認め、罰金50万円を納付した。

彼らは権力をこよなく愛しながらも、筋を通す覚悟もなく、
そしてまた、失敗の責任もとりたくない。

その根性ゆえに、指導者として信頼を得られない。

 以上が、「戦前生まれの焼け跡世代」の見立てだ。
よく考えると「団塊の世代」とは何かよくわからない。早野透氏
(元朝日新聞記者・デモクラテレビ司会者)に聴くと、昭和21年
から24年頃まで敗戦後の引き揚げなどで、人口が急増した世代を
いうとのこと。

そう固く考えることもないが、私は「戦争を知らない最初の世代」
という理解だ。
幼児期から戦後民主主義で育った世代といえる。

 となると「○×教育世代」とか「偏差値教育世代」の走りとも
いえる。団塊の世代のなかには、これらの欠点を克服して立派に
生きている人たちも大勢いる。

しかし、ひたすら権力を求めよういう人たちのなかには、政治を○
×式の発想でしか考えない輩がいる。

 4月1日には消費税が8%となり、来年の10%に向けて走り
出した。

その元をつくったのは、菅・野田両元首相だが、忘れてはならない
のは、民・自・公3党合意で「社会保障と税の一体改革」を国民に
約束した、当時自民党総裁だった現法務大臣の谷垣禎一氏の責任だ。

社会保障国民会議での根本改革は忘れられ、消費税増税分3%のう
ち、国庫に入る5兆円で、社会保障に使われるのは、僅か10%の
約5000億円だ。

残りは、大企業対策と公共事業のバラマキに使われることになった。
閣内にいて一言も言えない谷垣氏の無定見が問題だ。

 何故こうなったのか。麻生政権から始まって、菅・野田民主党
政権と続いた「小沢一郎排除」の、一連の冤罪事件であった。

その実行の中心は、団塊の世代の政治家・官僚・マスコミ人であっ
たことは事実である。

昭和63年に消費税制度を導入した後、社会保障の抜本改革を構想
したのは、当時の自民党幹事長・小沢一郎氏であった。

自民党では不可能で、非自民政権を樹立するに至った理由のひとつが、
この問題であった。

その事実を証明するのが私の責任だ。


○「万次郎とユニテリアン思想」の連載について

 2月22日(土)、高知市立自由民権記念館で『違憲国会の葬
式』を、日本一新の会の発案で行った。

そこで国会開設運動の原点、ジョン万次郎に因み『議会政治再生・
ジョン万次郎宣言』を採択したところ、「万次郎の思想を知りたい」
との要望が多数あった。

その中に大正7年に発行された『土佐史談』の公文豪副会長から執
筆を依頼され、お受けした。

 年内に発行される『土佐史談』誌に掲載されることになった。
せっかくの機会なので、草案をメルマガに連載することにした。

しばし、メルマガの構成を、原則として前半を従来通りの論調、
後半を『土佐史談』の草案を掲載するのでご理解をいただきたい。


   万次郎とユニテリアン思想(草案)

 一、はじめに

 昭和12年井伏鱒二が『ジョン万次郎漂流記』で直木賞を受賞。

漂流少年の冒険物語として全国的な話題となった。国民の印象は、
幸運な漂流少年というだけで、万次郎が幕末の政治や文化、産業
などに与えた影響については評価されなかった。

 戦後の昭和39年、文藝春秋社が刊行した『炎は流れる』の中
で、大宅壮一は「自由民権思想は、漂流者・万次郎が持ち帰った
米国デモクラシーの一粒種とし、国会の開設として実を結んだ」
(要旨)と論じたがこれに同調する研究者はほとんどいなかった。

 平成3年の「万次郎漂流150周年」を機会に慶応大学の川澄
哲夫教授(当時)が『中浜万次郎集成』を小学館から出版した。

千ページを超え、鶴見俊輔氏が監修者として協力したもので万次
郎研究には欠かせない学術書である。

同じ時期、NHKが報道特集『二つの祖国に生きた男―ジョン万
次郎』を放映した。

これらの活動から、歴史の中に埋もれていた万次郎の実像に光が
当たるようになった。

 万次郎研究の主流は、万次郎の生涯について、事実関係を詳細
に実証することであった。

無論それも大切なことであるが、より必要なことは万次郎が幕末
に発信した情報や意見が、我が国の近代化に与えた影響を今日的
立場で検証することである。

 私が注目するのは、北代淳二氏の『「ジョン・マン」と「中濱
万次郎」―グローバル・マインドの形成―』(土佐史談第239
号)である。

万次郎は「捕鯨船で世界の海を回りながら、国と国との枠組みに
とらわれない広い視野を身につけた」とし、「生活のあらゆる面
でグローバル化が議論される21世紀の今、19世紀に生きた万
次郎が発信するメッセージは、ますます新しい」と結んでいる。

 この北代氏の指摘は、万次郎の感性を「グローバル・マインド」
とし、21世紀の現代に生きる人たちにとっても、貴重なメッセ
ージとして評価したものといえる。

この万次郎の「グローバル・マインド」が、どのようにして形成
されたのか、私はこの問題に強い関心をもっている。

 万次郎は不思議な人間である。自分の功績をほとんど語ってい
ない。自分を冒険家とも思想家とも思っていない。

「過酷な運命の中で、一生懸命に生きてきただけだ」という意識
しかなかったといえる。

また、特殊な能力や情報を持っていたが、それを利用して、地位
や財や人気を求めようともしなかった。

19世紀の国際社会で、異次元の文化が同時存在して混乱するなか、
淡々と時代の要請に誠実に対応して生きてきたのである。

 この万次郎の生き方を理解するためには、「万次郎の信仰」が
いかなるものであったか、これを解明しなければならない。

文献上明確なのは、生家が仏教の「浄土真宗」であったことと、
米国で生活していた時期に「ユニテリアン教会」に通っていたこと
である。

このユニテリアン信仰から、どんな影響を受けたか、これを検証す
るのが本稿の目的である。

また、万次郎がユニテリアン信仰を受け入れる素地、即ち、少年期
まで過ごした故郷・土佐で形成した万次郎の感性について考察する
ことも課題である。

 さらに、万次郎が帰国してからの活動で、ユニテリアン信仰を
どう生かしたか。

そして、日本の近代化のなかで「ユニテリアン思想」がどんな役割
を果たしたのか、これらの課題について問題提起として論じておき
たい。        
(この項、続く)

******************************************
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[No.5841] 2014/04/12(Sat) 22:49:48
平野貞夫氏「続:団塊世代の政治家の罪と罰」 (No.5841への返信 / 3階層) - hasebe

◎「日本一新運動」の原点―209

            日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

○「舞い上がり世代」政治家の悲喜劇!

「団塊の世代」政治家について、週刊ポスト≠フ煽てにのり、
そしてまた、その前段では愉しい話題もあって、一杯機嫌のまま
辛口のコメントをしたせいか、花見の宴会のいくつかを断られた。

後期高齢の我が身の健康には大変良いことだが、バランスが大事
なので、「渡辺喜美・熊手事件」を採りあげて、「舞い上がり世
代」政治家の悲喜劇を見てみよう。

 この世代の定義づけは難しいが、敗戦の混乱期から復興が本格
化して、小学生の頃から経済成長の果実を受けた世代だ。

一応、昭和20年代末から、昭和40年代初期に生まれた人たち
としておきたい。

この世代から、国会議員の2世、3世が多くなる。この中に「舞
い上がり世代」が目立つ。

(渡辺美智雄と喜美の政治家としての違い)

 美智雄・喜美親子に、私は不思議な縁があった。衆議院事務局
総務課長の時、小沢一郎政治倫理協議会座長の下で「政治倫理制
度」をつくる仕事をしていた。

その時、自民党の渡辺美智雄総務会長を説得するのにほとほと苦
労した。

何しろ、ベテランの税理士で、国会議員の資産公開法の立案で
「自由な市場経済社会で、政治家の経済活動を規制するとは何事
か!」と、筋論をいわれた。

自民党の幹部が逃げ廻るなか、私と法制局の内田氏が「最小限度
の規制が必要」と論破してようやくできたのが現行の制度である。

それ以来仲良くなり、外務大臣の時の「毛針発言」以降、本会議
で答弁した後「これでよかったか?」と、大臣席の後部にいた私
に念を押すので、隣の大臣席から失笑が出たこともあった。

時を経て、細川連立政権の時、経済政策で協力すると申し出があ
ったことから、小沢さんがポスト細川に擁立しようとして大騒ぎ
となったが、私が連絡役の一人だった。

大胆さと細心さを持ち合わせ、直感力と洞察力に優れた人物で、
難問をわかりやすく説明する能力は抜群だった。

苦労人だけあって自分をよく知っていた。
一度、総理の座について欲しい人物であった。

 そんな関係で息子の喜美氏には特別の関心を持っていて、期待
していた。今回の「熊手事件」はまことに残念なことで失望して
いる。

問題が発覚したとき、「酉の市が好きで熊手なんか政治資金で買
えないだろう」と、親父をまねて軽口をいうからマスコミの餌食
にされるのだ。

 理屈だけいうなら、事務所に飾る熊手なら「開運・縁起もの」
として政治資金で買えると私は思う。選挙事務所に置くダルマを
考えるとわかろう。口数が多いだけ事実と遠くなり、後で辻褄を
あわせるのに困るのだ。

4月7日には代表を辞めた。それはそれでよかったがこれからが
大変だ。政治的、法的責任がどうなるか、いろいろ意見があるが、
それについては特に触れない。

今回は何故こうなったか、原因について触れておきたい。

 喜美氏が、第一次安倍内閣で担当大臣として積み上げた行政改
革の方針を、麻生内閣では後戻りさせた。これを批判して自民党
を離党し新しい波を起こしたいとの相談を受けたのは平成20年
の暮れだった。

政権交代への展望や、新党のつくり方などについてアドバイスを
した。小沢さんからも「親父の志を生かすように相談に乗ってや
れ」と言われていた。

 ほとんどの課題で同じ認識だったが、ひとつだけ肝心な経済政
策で意見が違った。喜美氏の早大での同級生に、エコノミストの
水野和夫氏がいることで、私は「水野氏の経済・資本主義改革論
は正しい。

これを新党の政策にすることだ」と勧めたが、「自分は新自由主
義論だ」とのことで一致しなかった。

時間を掛けて説得しようと思っていたところ、小沢さんの西松事
件や陸山会問題が起こった。そのうち総選挙となり、喜美氏が率
いる「みんなの党」は見事に成功を収め時の人となった。

総選挙後の世間は、政治と金で小沢排除の流れとなる。

喜美氏もそれに乗り厳しい小沢批判を始めた。
選挙区調整のことなどがあり、私が電話で叱りつけたことを契機
に疎遠になった。

「みんなの党」は順調に時代に乗ったかと思ったが、昨年8月に
内紛が起きる。江田憲司幹事長を首にした日、私は、参議院選挙
後の政局展望について小沢さんと懇談していた。

その渦中にニュースが入った。
2人は期せずして「喜美君の限界か?」と語り合った。

 私はこの時、民主党代表だった岡田克也氏や前原誠司氏、そし
て首相となった野田佳彦氏らのことを思い出した。マスコミに持
ち上げられた「舞い上がり世代」の特長だと思いつつ、喜美氏に
ピンチが来ることを予感していた。

ところで『団塊世代の政治家』の特長は「自我に拘ること」だっ
たが、『舞い上がり世代の政治家』の特長は「自分を知らないこ
と」だといえる。

 先日、新橋駅広場で900円で買った古本『老子講話』」(昭
和9年発行)の中に「己を知ることがもっとも難しい」とあった。

私も90歳近くになってようやく「人生とは自分を知る旅だ!」
と思うようになった。


○「万次郎とユニテリアン思想」(草案)

 二、万次郎はユニテリアン日本人第一号!

 「ユニテリアン」ということばを知っている日本人は、キリス
ト教関係者でも極少数であると思う。私が初めて知ったのは、前
述した川澄哲夫氏の『中浜万次郎集成』の「中浜万次郎関係年表」
からであった。

 1843年(天保14年)、万次郎がホイットフィールド船長
の家族と、フェアヘブンで暮らすようになり、船長が所属する教
会(Congregational church )に万次郎を連れて行ったとき「黒
人席に座るよう」にと差別され、別の教会にも断られたが、「ユ
ニテリアン教会」だけが快く受け入れてくれた、との記述がある。

 19世紀の中頃、人種差別のもっとも激しい米国で、人種差別
しないユニテリアン教会とは、どんな教義の教会か強い興味をも
った。

万次郎から直系4代目の中濱博さんの著書『私のジョン万次郎』
(小学館・平成2年)や『中濱万次郎』(小学館・平成17年)
にも、ユニテリアン教会の信者代表であったワーレン・デラノ
(フランク・デラノ・ルーズベルト第三二代大統領の祖父)に、
万次郎は可愛がられ、ユニテリアン信仰を深めていったこと
が記述されている。

しかし、ユニテリアン信仰の教義については記述されていない。

 万次郎は14歳で、土佐の足摺岬沖で就漁のとき嵐で漂流、米
国の捕鯨船に救助され、米国で小学校教育から航海士の専門教育
を受け、捕鯨船の副船長として活躍する。

日本近海で難儀する船員を助けるには、鎖国日本の開国が必要と
「死」を覚悟して帰国する。

そして日本の開国と近代化に努力を尽くしたが、地位を求めず、
富を求めず、名声すらも求めず、日本の近代化に役立つ人間を育
てることを生き甲斐として生涯を貫いてきた。

 このような万次郎の信条を支えたのは何か。私はフェアヘブン
で、ホイットフィールド船長がつれていった「ユニテリアン教会」
に問題があると考えた。

ところが我が国にはユニテリアンについての文献が少なく、漸く
見つけたのが『ユニテリアと福澤諭吉』(土屋博政著・平成16
年慶應大学出版会)であった。

万次郎についてはひと言も記述していないが、ユニテリアン信仰
の教義や歴史、そして明治時代の中期に我が国に大きな影響を与
えていたことなどを学ぶことができた。

同書を参考にして、まずユニテリアンについて説明しておきたい。

(ユニテリアンとは?)

 定義としては、正統派キリスト教徒が信じる「三位一体」
(Trinity)を否定し神の唯一性(Unity)を信じる人びとを
(Unitarians)といわれている。

「三位一体説」とは、キリスト教教義の中心となるもので、「父」
「子」「聖霊」が唯一なる神の「三つの姿」とする説で、西暦315
年の宗教会議で決定したものである。

ユニテリアンとは、これに反対し、キリストを神の子と認めない
人たちを発祥としているため、異端視されてきた。

 ユニテリアンの教義は万人救済にあり、人類愛や隣人愛を主張
する。そして異宗教間の交流に極めて積極的で、自由と理性と寛
容を重んじ、権威への盲従を嫌うことを特長としている。

これに対して「三位一体」を信じるカトリックでも、プロテスタ
ントでも、矛盾をそのまま受け入れることに信仰の展開があると
している。

ユニテリアンが自由と真実への希求にきわめて強いため、世界観
の違いとして、主流のキリスト教から避けられてきた。 

                     (この項、続く)

         次回の定期配信は、4月24日(木)です。
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[No.5843] 2014/04/17(Thu) 20:48:37
『民主・自民・公明』の三党合意が壊したわが国の社会保障と財政の再建! (No.5843への返信 / 4階層) - hasebe

日本一新の会のメルマガの平野貞夫氏の記事です。

この記事の後半に、前回のメルマガの記事に引き続き
ジョン万次郎の人となりの記述があります。

ジョン万次郎が伝えたユニテリアンの思想は、多くの明治の志士
に影響を与え、明治維新のバックボーンともなり、その延長線に
小沢さんの自立と共生の思想があるといえるのですね。


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「日本一新運動」の原点―210

            日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

《『民主・自民・公明』の三党合意が壊した
              わが国の社会保障と財政の再建!》


 4月1日(火)、消費税が8%に増税された。その国民生活へ
の影響は、日が経つにつれ深刻になっている。

平成22年8月に民主党・野田首相、自民党・谷垣総裁、公明党・
山口代表の3党による「社会保障と税の一体改革」合意が、議会
民主政治を無視して、他党を排除してできたが、その後、何が起
こったか。

 12月の総選挙で民主党が予想どおり惨敗し、安倍自公政権に
交代。

「一体改革」について自公両党と民主党の基本認識が対立し、協
議が空中分解した。社会保障国民会議が設立されたものの、抜本
改革について議論はまったくなかった。

安倍自公政権の社会保障改革という掛け声は、消費税率の引き上
げと、公共事業のバラマキのための「目くらまし」だった。

 そんな時期、『志信会・政経塾』から「社会保障の根本」につ
いて話すよう要請があった。

「えらいことになった」と思ったが、逃げるわけにはいかず4月
21日(月)に講演してきた。

大事な旬の問題なので、話の要点を紹介しておく。

1)わが国の社会保障の現状

 平成26年4月1日は、わが国の社会保障制度が自公民の3党
によって撲殺された日である。

「国会の葬式」ならず、「社会保障の葬式」も行わなければなら
ない。

アベノミクスというマネーゲームは、財政破綻の地獄への道でも
ある。

わが国のメディアはどうして真実を報道しないのか。

消費税増税8%を喜んでいるかのような国民の映像ばかりだ。

 わが国の社会保障の悲惨さの数字的現状を申し上げる。

平成24年、わが国の名目GDPは472・6兆円だ。平成25
年の社会保障給付費は約120兆円である。

これは社会保障に要する全費用で、内訳は保険料62・2兆円、
国税29・7兆円、地方税11・2兆円、医療自己負担5・0
兆円、介護自己負担0・9兆円、その他(保育や障害者福祉の
自己負担等)統計にないものがある。

ここ数年、名目GDPの約25%にあたっている。

これは大変な数字である。

 よく社会保障費が、年間1兆円台伸びているといわれるが、こ
れは国税のことだ。

社会保障給付費のすべてだと、3〜4兆円も毎年伸びている。

GDPに期待できない状況で、現在の社会保障と財政負担や自己
負担を放置して、制度の破綻は目前にある。

自民党や公明党ではアベノミクスで株価が上がったので「百年安
心の年金」でやれるという政治家がいる。

安倍首相はアベノミクスと集団的自衛権に熱心で、社会保障を食
いものにした前科のある厚労省に丸投げだ。

2)わが国の社会保障が破綻した原因

 高度経済成長神話が始まった昭和30年代後半にスタートした
のが、現在の社会保障制度である。

日本中がいつまでも経済成長が右肩上がりという認識を変えるこ
とができず、オイルショックやバブル時代となる。

それが慢性不況となり現在に至ったのだ。

私の政治の師・前尾繁三郎元衆議院議長は、昭和56年7月に、
「高度経済成長が低成長にならざるを得ない時代が来る。その壁
がどんなものか考えないと、福祉社会を続けることができない。

これをいろんなところで提言するが、指導者たちが理解してくれ
ない」と警鐘して亡くなった。

 昭和60年代になって、ようやく福祉社会のあり方と、戦後か
ら続けてきた直接税中心の税制の抜本改革が必要との声が本格化
する。

昭和63年には、竹下内閣で「福祉目的税とはいわないが、福祉
の充実のため」という触れ込みで、消費税制度を導入した。

野党を引き込むために予算の先付をして「特養老人ホーム」経費
を、厚生官僚の悪知恵で、自民党厚生族のために政治資金づくり
にすることなどが、政治と行政の裏で行われる。

国政及び地方自治に関わる政治家や官僚の社会保障を食いものに
する事件が続くようになる。

3)社会保障の充実と財政の健全化は可能か!

 福祉社会の充実と税制抜本改革のため、昭和63年に消費税関
連法を成立させるため、もっとも活躍したのが、当時内閣官房副
長官の小沢一郎氏であった。

私は前尾先生の遺言もあり、立場を超えて協力した。

その記録が『消費税国会の攻防1987〜88』(千倉書房)で
ある。導入した消費税制度はには多くの欠陥があった。

 それを是正すべく、党幹事長となった小沢氏が懸命に努力した。

その後、自民党を離党して細川非自民連立政権を樹立した理由の
ひとつが、消費税の抜本改革と財政健全化のためであった。

平成23年の民自公3党合意の破綻は、初めから小沢―平野には
読めていたことだ。

財務省が野田首相を騙し、自民党が民主党を騙すということだ。

この結果は民主党が国民を騙したということで、民主党は廃車寸
前となった。

 問題はこの政治的詐欺で「消費税の増税による社会保障の充実」
を国民は信じなくなったことだ。

最大の禍根は、国民を欺く消費税増税に抵抗する小沢一郎氏民主
党代表を、冤罪とはいえ権力による政治の主流から排除し、わが
国の民主政治を崩壊させたことである。

だからこそ、この混迷を打開するための構想「民衆のための新し
い日本改造」が必要だ。

それを実現できるのは小沢一郎氏しかいない。

国民よ、目を覚ませ!。


○「万次郎とユニテリアン思想」(草案)

 2、万次郎はユニテリアン日本人第一号!
 (万次郎はクリスチャンであったか?)

 万次郎研究家の間では「万次郎がクリスチャンであったのか、
なかったか」について論議がある。

米国のフェアヘブンではユニテリアン教会に通っていたこと、
万次郎の墓からクリスチャンを連想させるなどを理由に、情況的
にクリスチャンであるという論がある。

 これに対して、万次郎は洗礼を受けた証拠がないこと、帰国し
て長崎奉行所の取り調べで「踏み絵」(キリスト教禁制の日本で
は、キリストの肖像を足で踏ませて判定した)を平気で踏んだこ
と、本人がクリスチャンであったことを明言したことがないこと
などを理由に、クリスチャンでなかったという論があり対立して
いる。

 この論議から万次郎とユニテリアンの関係がよくわかる。ユニ
テリアン信仰は歴史的に正統派から迫害を受けていたため、隠れ
ユニテリアンが多かった。

また、ラジカルなユニテリアンの中には、キリスト教徒である必
要はないという考えがあった可能性がある。

さらに権威や形式に拘らないことから、洗礼証明書で判断できる
レベルでの話ではない。

 万次郎研究家の多くは、キリスト教の影響を受けているが、帰
国して長崎奉行所で「踏み絵」を踏んだことで、キリスト教徒で
あることを放棄したという意見である。

人間の信仰についてそう簡単に結論を出すべきではない。

中浜家にはフェアヘブン時代の万次郎が使っていた聖書が保存さ
れている。

中浜博氏の話によれば洗礼証明書は、教会が洪水に遭い書類が流
出して見つからないとのこと。

万次郎がクリスチャンかどうかは、鎖国でキリシタン禁制の日本
から漂流して、キリスト教文化で生きた彼の思想や行動の中から
判断すべきことであろう。

 嘉永4年(1851年)に万次郎が琉球に上陸し、同6年に幕
府に呼び出される。

ペリー米艦隊の出現におののく老中筆頭・安部正弘らに、米国の
実情を説明し、開国を進言したことはよく知られている。

万次郎は鎖国の禁を破った罪人から米国を知る人となり、幕府直
参に用いられる。

研究家の通説では、万次郎を米国のスパイの可能性があると警告
したのが、水戸藩主の徳川斉昭公であり、ペリー提督との通訳に
反対したとなる。

 これがまったくの間違いであることを証明する資料が、水戸藩
の文書から発見された。発見したのは川澄哲夫氏である。

徳川斉昭公が、万次郎に直接聞き質した「聞き書」が文書として
残っていた。

実に万次郎を大事にしており、米国側と接触させると万次郎を連
れ去られると心配していたことがわかる。

 その中に、万次郎がクリスチャンであった話を、川澄氏から教
えてもらった。

要点は、
 斉昭公 「ジョン・マン」の謂われは?。
 万次郎 「ジョン」とは、やんごとなき人の名なり。

 この万次郎の解答を説明しておく。「ジョン」を英語に直すと
「John」となる。これはラテン語では「ヨハネ」の意味になる。

となると、1)イエスを洗礼したパプテスマのヨハネか、212
使の一人のヨハネか、どっちかは万次郎に聞かないとわからない。

どっちにせよ、万次郎がキリスト教に強い意識を持っていたこと
がわかる。

 捕鯨船で救助されて名を付けられたとき、船名の「ジョン・ハ
ラウンド」の「ジョン」からのものと思われるが、ホイットフィ
ールド船長からキリスト教について学ぶうちに「ジョン」の本来
の意味を知ったのだ。

 長崎奉行所で「踏み絵」を踏んだのは、日本の開国により、
世界中の捕鯨船員の難儀を助けるためであった。

キリストの肖像画より、「人間愛」を実践したのである。

これこそ、ユニテリアンとしての真のクリスチャンであったとい
える。(この項、続く)


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[No.5852] 2014/04/25(Fri) 12:47:32
『自民党がカネと利権で当選させたのが二つの選挙ーこれが民主主義か!』 (No.5852への返信 / 5階層) - hasebe

日本一新のメルマガ、平野貞夫氏の記事をここにコピーさせて
いただきます。

1回の記事に、【集団的自衛権の憲法解釈変更問題】の歴史的検証、
【万次郎とユニテリアン思想】、【鹿児島2区の補欠選挙と、沖縄
市長選挙の実態】と内容があまりに盛りだくさんです。

読む方は、勉強不足で消化するのに一苦労です。

「国会の葬式」で2月に高知にはじめて行ってきましたが、太平洋
を見渡す高知の地にたって、ほんの少しながら龍馬や万次郎を生み
出した土佐の気風、心意気が分かるような気がします。

老いて(?)益々意気軒昂な平野さんは、その土佐っぽの純血種
なのかしら・・・・。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◎「日本一新運動」の原点―211

            日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

○ 集団的自衛権の憲法解釈変更問題―1

 米国大統領が国賓として訪日したのは18年ぶりで、2泊3日
ということだが、1泊目は両首脳が「寿司」を食べただけだ。

TPPや尖閣諸島問題が目立っていたが、安倍首相だけが「大統
領は(集団的自衛権の検討を)歓迎し、支持する立場を示された」
と発言したが、オバマ大統領の真意は「検討=勉強するのはどう
ぞご勝手に」という程度であった。

 大統領の訪日直前に来日した元国務長官、リチャード・アーミ
テージは、石破茂自民党幹事長に対して「集団的自衛権の憲法解
釈変更は、急がないほうがよい」と進言している。

アーミテージ氏といえば、「Show the FLAG」や、イラク戦争開
戦時には、「Boots on the ground」 などと、日本にもっとも強
く「集団的自衛権の行使」を強要してきた日米安保マフィアの親
玉である。

そのアーミテージ氏が「急がないほうがよい」といった背景には、
ワシントンでは、東アジアの直近の緊張が「北朝鮮問題よりも、
尖閣諸島問題=日中関係」にあるとの見方が大勢であるからだ。

連休明けの国会で安倍首相は閣議での「憲法解釈変更」を図って
おり、この論議がクライマックスになるだろう。そこで日本国憲
法の「自衛権」について、これまでの議論を整理しておこう。

1)現行憲法制定時の議論 元首相の幣原喜重郎は、憲法9条を
絶対平和だとし、あらゆる意味で武力行使を禁止されていると主
張した。

憲法制定責任者の吉田茂首相は「自衛権の武力行使は禁止されて
いる」と議会で答弁した。

当時の日本共産党だけが「自衛権の武力行使は禁止すべきでない」
と主張した。

 ところが、東大総長の南原繁貴族院議員は、「第二次大戦で日
本は世界中に迷惑をかけた。

日本が国連に加盟し、国連軍などが結成され、世界平和のため活
動するときには、他の加盟国と同じように日本も血と汗を流すべ
きだ」と追求したとき、吉田首相は答弁に窮し「その時点で憲法
を改正するか、国連中心主義の主旨で国会が判断するかだ」と発
言した。

これは集団的自衛権のことではなく、「国連集団安全保障論」で
自衛権とは別の問題である。

2)米ソ冷戦や朝鮮戦争による憲法解釈の変更 現行憲法施行時
期の昭和22年頃から、戦勝国内で米ソの対立が生じそれが冷戦
となる。

東アジアでは中国共産党の勝利(昭和24年)、朝鮮戦争(昭和
25年)と、戦後の混乱が続く。米国は日本に憲法改正による再
軍備を要求する。

吉田首相は復興と国民生活が大事と抵抗した、講和条約など、対
米交渉の中で、憲法解釈の枠内で警察予備隊、保安隊などを設け
る。

昭和29年に違憲の議論がある自衛隊を発足させ「お玉杓子(自
衛隊)は、蛙の子(軍隊)ではない」と、吉田首相は迷憲法解釈
答弁で逃げる。

 日本が国際社会に復帰する講和条約は、昭和27年4月に発効
するが、同時に日米安保条約が締結され、独立後の日本の安全は
米国が片務的に守ることになる。

この安保条約が憲法違反かどうか大論争になったのは昭和32年
の立川基地拡張反対運動の砂川事件裁判であった。

3)砂川事件の東京地裁と最高裁判決の本質 砂川事件の東京地
裁の判決は、伊達裁判長の名をとって「伊達判決」と呼ばれた。

これは、日米安保条約は憲法違反として全員を無罪とした。

判決文の中で日本の安全保障は誰が守るのかの問題にふれ、「国
連憲章と日本国憲法の制定経過からして、日本が侵略される時は
国連の安全保障理事会に責任がある」とした。

この論は「国連による集団安全保障」のことである。

 この判決の理想主義は評価されたが、米ソ冷戦下の、現実の国
際社会で通用できるものではなかった。

検察は直ちに跳躍上告し、最高裁の田中耕太郎裁判長は伊達判決
を一審に差し戻した。

日米安保条約を合憲とし、日本の自衛隊について「憲法は、わが
国が主権国家として持つ固有の自衛権は何ら否定したものではな
く、平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではない」と、
一定の自衛権があることを認めた。

 話は突然、現代に飛ぶ。集団的自衛権の行使に拘る安倍首相が、
自民党内の反対論や公明党の慎重論を説得するため、悪知恵を出
すように頼んだのが弁護士で自民党副総裁の高村正彦氏であった。

彼は、砂川事件・最高裁判決の「固有の自衛権を否定していない」
を悪用して、「限定的集団的自衛権なら憲法の解釈変更で可能だ」
と、破廉恥な事を言いだした。

 これらの問題について、私は衆議院事務局に在籍中から議論に
加わり、かつ著作でも縷々述べている。

政治の世界では、就中、安全保障問題での「食言」は国家として
の信頼を失う。

わが国が戦後最大の岐路に立つ今、もう一度整理しておきたいこ
とがあり、それを次号で述べる。


○「万次郎とユニテリアン思想」(草案)

 3、土佐南学とユニテリアン思想

 万次郎は1843年(天保14年)5月から、1846年(弘
化3年)5月まで、約3年間、米国のフェアヘブンで教育をうけ
ることになる。

16才から19才までの人間として、最も感性が敏感な時期であ
る。

オックスフォード小学校の基礎教育から始まって、スコンチカツ
レネック・スクールを経て、バレット・アカデミーで航海学など
専門教育をうけることになる。

そして1846年5月に、捕鯨船フランクリン号の船員として
ニューペットフォード港を出港する。

万次郎にとっては、1841年(天保12年)6月にジョン・ハ
ウランド号に救助され、約2年間の捕鯨船で働いた体験を持って
いた。

2度目の捕鯨船生活は、航海術・測量術・高等数学など専門教育
を受けた航海士としての活動であった。

万次郎は21才で副船長となり、翌49年にニューベットフォー
ドに帰宅し、捕鯨活動を終える。

 万次郎の信条や思想が出来上がるのは、5年2ヵ月に及ぶ「捕
鯨船」の生活と、約三年間のフェアヘブンでの生活である。

捕鯨船といえば、当時では「海に浮かぶヤクザ社会」で、「さま
ざまな人種と文化的背景を持つ人間が集まった、国連を海に浮か
べたような職場であり、肌の色よりも仕事が出来るかどうかで評
価が決まる社会」だった(北代淳二氏・前述論文)。

捕鯨船での想像できない過酷な生活は、万次郎にとって、人間を
学ぶ最高の大学であった。

 一方、3年という短い期間であったフェアヘブンなどの生活は、
万次郎にとって知識や技術を学ぶ機会だけではない。前述したよ
うに、当時のフェアヘブン周辺はユニテリアン運動にもとづく、
草の根デモクラシーの花が咲いていた時期であった。

青春期の万次郎がタウンミーティングを見学し、自由と寛容、そ
して隣人愛や人類愛の社会に憧れたことは、容易に推測できる。

 漁師の見習いとして漂流する14才まで、土佐で暮らしていた
万次郎は、貧しい漁夫の家に生まれ、九才で父を亡くし奉公に出
るという極貧の生活をしていた。

同時に、健康で頭が良く闊達な性格であったことで知られている。

そこで検証したいのは、万次郎が過酷な「捕鯨船生活」に適応し、
さらに異国の正統派ではない宗教の教義を理解して実践できた原
因は何かという問題である。

万次郎が生まれ育った土佐の土着文化の中に、解明の鍵があると
思う。

(「土佐南学」とは何か!)

 俗説による「土佐南学」とは、周防国(山口県)の南村梅軒か
ら始まる朱子学と禅学を融合させたもので、長宗我部を経て山内
土佐藩政で、野中兼山や谷泰山らへと受け継がれた仁義忠孝の学
問といわれている。

これは権力者側の支配の学問といえるものだ。

これを批判するのではないがその背後にある土佐の歴史と風土の
検証が必要である。

 わが国で黒潮が直岸する唯一の土佐には、縄文時代から黒潮ス
ンダランド文化があった。

これが土佐南学の起点である。

自然と神を一体とし先祖を崇拝して絶対の自由を求め、俗権力を
嫌う原始アーナキズムが古代土佐人の原点である。

ユニテリアンに通じるものだ。

 その上に空海の宗教文化、流人落人文化、そして鎌倉時代の禅
宗の高僧・夢窓国師が土佐に来訪して蒔いた種が、土佐の血を持
つ義堂・絶海の二人の僧によって磨かれ、戦国時代の末期に儒学
者・南村梅軒によって体系化されたのが、土佐学としての真の土
佐南学である。

 その特長は、時代の状況によって頑固な論理となったり「知行
合一」で知られる実践行動となる。

朱子学で体系化された土佐南学が、幕末には陽明学化して明治維
新のイデオロギーとなる柔軟性がある。

江戸時代に「多目多聴」、「相互扶助」、「奉仕勤倹」として、
土佐藩の指針となった。現代にも通じる。
                      (この項、続く)



(追伸) 4月27日(日)に行われた鹿児島2区の補欠選挙と、
沖縄市長選挙で、いずれも自公与党の推薦候補が当選した。自民
党は消費税増税、TPP、集団的自衛権などの山積する問題のな
かで、政権への信頼を得たと有頂天になっている。

とんでもないことで、実態は鹿児島2区では一応の野党共闘がで
きたが、選挙戦最終日の4月26日(土)に、維新と結いの党は
合併を決めるための執行役員会を開くなど、原発問題などととも
にその足並みが乱れていた。

沖縄市長選では、自・公推薦、民主・維新が支持した候補が勝っ
た。

要するに、民主党政権の悪政に始まる、国民の政治不信を反映し
た選挙であった。

ロシアが武力で固めて、住民投票で併合したのがクリミアなら、
自民党がカネと利権で当選させたのが二つの選挙であった。

これが民主主義か!。

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[No.5858] 2014/05/04(Sun) 22:21:46
平野貞夫氏=集団的自衛権の憲法解釈 (No.5858への返信 / 6階層) - hasebe

日本一新の会のメルマガを下記に転載させていただきます。

「集団的自衛権の憲法解釈」の歴史的流れの勉強になります。


◎「日本一新運動」の原点―212

            日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

○ 集団的自衛権の憲法解釈変更問題―2

 日本国憲法の「自衛権」について、前号では、憲法制定時から
昭和34年12月に最高裁が砂川事件について「駐留米軍は憲法
9条に抵触せず」との見解で「伊達判決」を破棄し、東京地裁に
差し戻したことまでを説明した。

本号では、その後の展開を紹介する。

1)岸政権の「安保条約改定」で何が変わったか  
昭和34年3月に、第一審とはいえ「日米安保条約は違憲だ」
との判決は、翌35年に安保条約の改定を政治生命とする岸
首相にとっては重大問題であった。

検察は直ちに跳躍上告し、同年12月には最高裁が破棄し差し
戻した判決を、田中耕太郎最高裁長官が、事前に米国側と協議
したことが米国の公文書公開でわかり、国民の批判を受けた。

 岸首相の「安保条約改定」は、条約の片務性を改定して、日本
に、より積極的な軍事活動ができるようにすることであった。

しかし、片務性の本質に変更はなかった。米ソ冷戦が激化する
なか、国民の反対運動は戦後最大の騒ぎとなり、30万人のデ
モ隊が連日国会を取り囲む状態が続き、社・共両党を中心に国
会でも激論が展開され、物理的抵抗や強行審議となる。

結局、衆議院で強行採決したものの参議院では十分な審議がで
きず、自然成立するという異常事態となった。

 この歴史に残る「60年安保騒動」が残したものは、岸首相が
辞任し「寛容と忍耐」の池田政権に交代する。岸政権の憲法改
正・再軍備の政治方向は後退したものの、安全保障の米国への
依存度が高くなったことだ。

そして、日本の社会主義化を目指して活動してきた革新勢力は
挫折し、戦略の変更をせざるを得なくなる。

共産党は日本独自路線となる。民社党が分裂した社会党は、ソ
連や中国から選挙のための援助を受けながら、国会で憲法改正
を阻止する3分の1以上の勢力維持を政治目的とするようにな
る。

 池田政権の所得倍増政策が成功し、高度経済成長による豊かな
社会が実現するにつれて、革新勢力も生活条件の向上に目標を
置くようになり、野党は政権を獲る意欲を失う。

「自衛権論議」も、生活条件闘争の手段となる。

この見解には異論があろうが、60年安保騒動の前年に衆議院
事務局に奉職し、以後、55年体制による政治の裏側で生きて
きた私の実感である。

2)政府の「集団的自衛権」憲法解釈の限界 ベトナム戦争が、
昭和35年に始まり、同50年に終わる。米韓軍事同盟の関係
で「集団的自衛権」の行使として韓国は出兵する。

その影響もあって、国会論議となったのが、日米安保第5条で
あった。

論点は、「日本の施政領域下で、いずれか一方の締結国への攻
撃を、共通の危険として対処するよう行動する」ことが、個別
的自衛権か、集団的自衛権もあり得るかという論争であった。

この時期、東アジアでの緊張は少なかった。

国会での自衛権論争も政治論議としては切迫していなかった。

与党も野党も、個人的で自由な意見を述べていた。
砂川事件で の最高裁判決の「憲法は決して無防備、無抵抗を定め
たものではなく、主権国家としての固有の個別的自衛権は持つ」
との意味を、与党のみならず野党もそれなりに理解していた。

ただ、政府側では、台湾問題でしばしば米国から提起される集団
的自衛権の行使について苦慮していた。

砂川事件の最高裁判決が、憲法解釈の限界と内閣法制局は拘り、
それ以上のことは、憲法の改正が必要だという考えであった。

昭和56年5月、鈴木内閣は国会から出された質問主意書に対す
る答弁書で「自衛権の行使は必要最小限度にとどめるべきで、自
国が攻撃を受けていない状態で武力を使う集団的自衛権は、その
範囲を超えるため憲法上許されない」という憲法解釈を示し、こ
れが固定した。

平成期に入って、この憲法解釈では対応できない事態が発生した。

平成元年暮れに米ソ冷戦が終結し、翌2年にイラクがクェートに
侵攻して、国連安保理の決議が行われ、国連加盟国でクェートを
救援することになる。

珍しく国連が機能するのだ。
日本には、国際社会から人的・資金的・物質的支援を求めてきた。

他国の戦争に参加するわけだから、憲法九条に関わる問題である。

ところが、政府も与野党とも、自衛権論議から抜け出すことがで
きず、海部政権は窮地に陥った。

この時、小沢一郎幹事長と衆議院事務局委員部長の職にあった私
で考えたのが、憲法制定時に南原東大総長が主張し、伊達判決に
ある「国連による集団安全保障論」である。

PKO活動もこの理念からのものである。この時、違憲論のあっ
た資金的援助は一部の野党の協力で実現した。

内閣法制局は「自衛隊の派遣」に憲法に抵触すると主張して抵抗
した。

この理論は自民党の「小沢調査会」で、国際社会における日本の
役割としてPKO法に実現する。

これらの非公式協議で、土井たか子社会党委員長から「自衛隊を
国権の発動でない」別組 織なら賛成すると、私にメモが届き、
小沢幹事長は同調したが、政府与党が理解しなかった。

「集団的自衛権」の解釈変更とはまったく性格の異なる問題であ
る。        
 (この項続く)


○「万次郎とユニテリアン思想」(草案)

 3、土佐南学とユニテリアン思想
   (「土佐南学」とは何か―民衆側から)

 民衆側に「土佐南学」はあったのか。文献や資料があるはずだ
が手元にはない。

私が子どもの頃、聞き覚えのある話が、西東玄氏の『ジョン万
次郎―幕末日本の開国を助けた漂流少年』(明治図書出版)の
なかにある。

 土佐では江戸時代、15才以上の男子を、夜は「若者組」で共
同生活をさせて、「土佐南学」の規律を教えた。現代文にして
掲載していたので、代表的なものを転載する。

(家事)早寝、早起きして家業に励み、暇な時は読み書き算盤を
習え。万事倹約し、衣類、服装は質素にせよ。

(長幼の定め)親には孝をつくし、兄弟姉妹は仲良くせよ。
物事を実行するには、万事、年長者の言いつけを守れ。年長者
には必ず挨拶せよ。

重い労働は若者が進んで引き受け、年長者にはさせるな。
子供や雇い人をいじめてはならない。

(服装・態度)手ぬぐいを肩にかけたり、腰に下げて歩いてはな
らぬ。ふところ手、鼻歌はつつしめ。会議の席であくび、雑談、
私語をしてはならぬ。

(人のと交際)道で人に会ったら挨拶せよ。
他人の悪口を言うな。
人にぞんざいな言葉づかいはしない。喧嘩、口論をしてはならな
い。他人の家に長居をしたり旅人に無礼な行いをしてはならない。

(勝負事・酒・煙草)博打、勝負事をしてはならない。寄り合い
の席では、長居、深酒をしてはならぬ。
村役人や目上の人がいる席では、お茶、たばこはつつしめ。
たばこは二十五才から、くわえ煙草をして歩くな。

(男女関係)夜遊び、女狂いの悪戯をしてはならない。
                        (以下省略)

 足摺岬の近くの中浜村に生まれた万次郎は、9才で父・悦助を
亡くし、母・志をは、5人の子供を育てることに苦労する。

兄・時蔵が病弱なため、万次郎が母を助け、近所に奉公に出る
ことで家計を助ける。

寺子屋に行けない万次郎を母・志をはしっかりと育てる。
その中には民衆の中に生きる「土佐南学」があった。

 ある時、万次郎は奉公に出た家で米を石臼でついているとき、
小石を入れると早く仕上がることを発見、注意されても止め
ない。

古老の話だと、叱られて中浜村を逃げ出し、隣の大浜村の漁港
に停泊していた漁船に泳いで助けを求めた。

その漁船が宇佐浦(現・土佐市)の船で、船主は�右衛門であ
った。その縁で万次郎は、�右衛門の下で漁師の見習いとなり、
年令が足りなかったが�右衛門の配慮で「若者組」に入る。

 土佐南学の民衆版といえる「若者組」に類似した組織と規律が、
実は米国のフェアヘブンに残っていた。

メイフラワー号で米国のプリムスに上陸したピューリタンの子
孫たちの生活習慣である。

この人たちが米国のユニテリアンのルーツであり、草の根デモ
クラシーの原点で、自由と規律を共存させようとした人たちで
あった。

 万次郎がフェアヘブンの社会に馴染み、人々から好感をもって
育てられた背景には、少年期の故里土佐で民衆に土着した「土
佐南学」の文化を身につけたことによるものといえる。万次郎
にとって、ユニテリアン信仰も、草の根デモクラシーも理解す
るに困難ではなかった。

人間にとっての普遍的原理は、世界に共通しているからだ。

 歴史に「もしも」が許されるなら、捕鯨船のホイット・フィー
ルド船長が救助した少年が、土佐で生まれ育った万次郎でなか
ったなら、日本の近代史はどうなっていただろうか。

日本の開国は遅れ、列強国の植民地になった可能性がある、と
私は思っている。

歴史を動かすのは「神の配剤」といえるが、配剤の基準は「人間
に普遍する原理」ではなかろうか。     (この項、続く)
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[No.5867] 2014/05/12(Mon) 20:46:57
Re: 平野貞夫氏=集団的自衛権の憲法解釈 (No.5867への返信 / 7階層) - hasebe

先の大戦で350万人もの日本人が死亡し、中国をはじめ
アジアでと大勢の犠牲者を出しました。

歴代の政府は、その反省から他国に軍を派兵することに極め
て慎重な論議をしてきました。

安倍政権が、わずかなそのお友達内閣で、タガが外れたかの
ような突っ走りを見ると、この先どうなるかと不安です。

日本一新の会、平野貞夫氏のメルマガに集団的自衛権の憲法
解釈が、その時々の時代背景と米国の圧力でどのように変更
されてきたか書かれています。

下記にコピーさせていただきます。



◎「日本一新運動」の原点―213- 2014/5/15

            日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

○ 集団的自衛権の憲法解釈変更問題―3

 敗戦・占領下での憲法制定当初から、今日まで論議されてきた
「自衛権論争」は、全て深刻な国際政治を反映したものであった。

自衛隊を「蛙(軍隊)にならないお玉杓子」と、大まじめで解釈
改憲した吉田茂首相は他に選択の余地のない決断であった。

かの岸信介首相さえ、昭和35年2月の参議院本会議での安保改
定論議で、国連憲章51条の「集団的自衛権」を日本が行使する
ことは「憲法上出来ないことは当然だ」と断言している。

その後さまざまな屈曲があって、自民党政権が解釈改憲の限界
として示したのが、昭和56年5月の憲法9条解釈であった。

内閣法制局として死守すべき「自衛権行使の限界」であった。

その真意は米国からの要請に対応するもので苦しい文意に潜んで
いる。

かくして日本国の「一国平和主義・一国民主主義」による、日本
式談合政治がクライマックスとなる。

その夢を砕いたのは、平成元年12月の米ソ冷戦の終結であり、
湾岸戦争であった。

「自衛権」の解釈運用だけで、わが国は立ち行かなくなったので
ある。


1)集団的自衛権と
       国連集団安全保障の区別を理解しない指導者たち!

 平成2〜3年当時の自民党内では、小沢幹事長を中心に、ポス
ト冷戦の国際社会で日本が生き続けるため何を改革すべきか真剣
に議論を重ねた。

「国際貢献・政治改革・経済改革」が中心で、成果のひとつが自
衛隊のPKOなど、国連活動への参加であった。

これは小沢幹事長が提唱した「国連集団安全保障論」が原点にあ
る。

これらの、ポスト冷戦に対応する基本問題が自民党内の対立
となり、小沢氏らが自民党を離党する原因となる。

 平成5年8月に成立した非自民細川連立政権の外交方針は、小
沢調査会の影響もあって国連中心の集団安全保障論であった。

ところが、政治家も官僚も、マスコミ有識者も「集団的自衛権」
と混同して国民は理解できなかった。

細川政権では外務大臣が政党政治家で、事務当局の説明を不消化
のまま説明するので、理解しない野党の追及も少なかった。

羽田政権で外務大臣に就任した人物が官僚出身で、明確に説明す
るので、野党から憲法の解釈変更とか、拡大解釈だといった追求
があり、しばしば紛糾した。

 平成6年6月に村山自社さ連立政権が成立し、社会党は「日米
安保体制の堅持と自衛隊の合憲」などを容認。

これまでの社会党の基本政策を真逆に変更した。

そのため「自社さ連立政権」では本格的安全保障論議はなかった。

平成9年の橋本自社さ政権では、沖縄特措法問題(普天間基地)
や、朝鮮半島危機があったが、梶山静六官房長官→小沢一郎新進
党党首→平野貞夫小沢党首補佐役のラインで、極秘に協議し事態
に対応した。

 小渕政権となった平成10年には、北朝鮮がミサイル実験を行
うという事態が起こった。

安全保障論が盛り上がるなかで、小渕(自民)と小沢(自由)の
自自連立政権となる。

この政権は自自公となり、平成12年4月に、自公政権に変わっ
ていく。

この連立政権について、岩波新書の『戦後政治史』(新版)は
「(自由党は)集団的自衛権を行使することを認めるという憲法
上の争点をあえて自民党に突きつけることによって、政局の動乱
を狙ったのである」と述べている。

これはまったくの誤りで、当時議論したのは「国連集団安全保障」
の採用のことである。

有識者でも区別が出来ていなかった。

自由党の政策担当の当事者であった私が証言しておく。


2)イラク戦争で歪曲した集団的自衛権論! 

 小泉政権が米国に追随するようになって、米国から集団的自衛
権の解釈改憲の要請が強くなる。

アーミテージ元国務副長官らが日本の安保マフィアを強要していく。

9・11(平成13年)事件がきっかけで、アフガン攻撃からイラ
ク戦争へ展開するなかで、国連で米英と独仏が対立した。

国連決議がないまま日本の自衛隊の参加を要請する米国に断り切れ
ず、憲法に違反することを放置して、後方支援として派遣する。

ポスト小泉を担当した第1次安倍政権は、この課題を引き継ぐこと
になる。

 政権を放棄した安倍首相に代わった福田康夫首相が、小沢民主
党代表と合意したのは、「国連集団安全保障の理念」を原点とし
た、わが国の健全な安全保障体制であった。

自民と民主両党による大連立構想である。

小沢代表は、政権担当能力に欠ける民主党の訓練を期待したが、
党内の理解を得るに至らなかった。

その後、麻生自公政権が、国民が期待した民主党政権に交代する
ものの、その堕落は今日の政治混迷の原因をつくった。


3)背後霊に操られる安倍首相の解釈改憲論 

「集団的自衛権」を解釈改憲でやろうという安倍首相が、政治理
念も信条もなく、私的諮問機関にすぎない安保法制懇というカネ
と地位が欲しい軍事マフィアに操られていることが重大である。

これがファシズム化の最大の問題だ。さらに石破幹事長や中谷元
衆議院議員ら防衛官僚経験者らも、このマフィアに踊らされてい
るのだ。

石破・中谷両氏は平成初期に、私が憲法9条について指導したが、
こんな馬鹿なことは教えていない。

要するに解釈改憲に踊らされている政治家たちには、憲法や民主
政治を論じる能力のない人間たちなのだ。

 高村自民党副総裁の発言に至っては、憲法認知症で弁護士資格
を剥奪すべき問題である。

さらに「限定的適用」なら了承しても良いと、内閣改造に期待す
る面々の私利私欲が国家の危機をつくるのだ。

こんな政権を選んだのは国民有権者だが、原因をつくったのは民
主党である。

その反省なしに議会民主政治を続けることは不条理である。

 国際社会の誰もが、東アジアの緊張を高めないでくれと願って
いるのが現状である。

緊張を高める安倍首相の妄信が実現すれば、憲法の基本原理を変
更するもので、日本は国連を無視して、海外で自衛隊が軍事活動
を行う道を拓くことになりかねない。

ベトナム戦争での韓国の悲劇は他人事ではない。  

(この項、終わり)


[No.5871] 2014/05/15(Thu) 22:45:46
Re: 平野貞夫氏=集団的自衛権の憲法解釈 (No.5871への返信 / 8階層) - hasebe

平野貞夫氏のメルマガ記事の最後に、ベトナム戦争時の韓国軍
のことが触れられています。

米国の依頼でベトナム戦争にかり出された韓国軍は、米軍退却
時、しんがりをさせられました。

退却というのは負け戦、そのしんがりで戦う事は地獄です。

ベトナム戦争はゲリラ戦でした。
市民と兵との区別がつかないのです。

日中戦争の南京でも、最近のイラク、アフガン戦争でも、子供
であろうと女性であろうと爆弾を背負っているかもしれません。

だからこそ市民にまでにも銃剣を向けることになり、多大な
犠牲者を出すことになります。

ベトナム戦争で韓国軍は5000人が戦死、10000人が負傷したと
いいます。

集団的であろうと個別であろうと正当防衛としての自衛権は
自然権として持っているのですから、今、安倍政権が強いて
集団的自衛権を持ち出すのは、日本の国の正当防衛の戦い
以外、中東、アフリカなどのテロとの戦いに自衛隊を米軍と
共に、ということでしょうか。

そんな戦争に、日本人が参加出来るのでしょうか?


[No.5872] 2014/05/15(Thu) 23:00:15
安保法制懇の実態 (No.5872への返信 / 9階層) - 豊後の小兵衛

昨夕、安倍首相は記者会見し「集団的自衛権」について、憲法解釈の見直しについて
意欲を示した。その理論的支柱ともいうべき「報告書」の審議過程に関して、15日
の朝日新聞が報じているので、その全文を紹介する。

◎安保法制懇「熟議なき」結論         朝日新聞平成二十六年五月十五日号
      集団的自衛権容認求める報告書提出へ
               原案回収、メモで議論■官僚主導■新聞で概要知る

 安倍晉三首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安
保法制懇)が十五日、集団的自衛権の行使容認を求める報告書を提出する。国のかた
ちを変える可能性がある提言をしたが、十分な議論が行われたかは疑問が残る。複数
の委員が「単なるお飾りだった」と嘆く中、会議は役割を終える。

 三月十七日夕、東京・内幸町の帝国ホテルの会議室。非公式ながら、安保法制懇の
委員が報告書の内容を詰めるために集まったはずなのに、手元に報告書の原案はなか
った。
「会議室は会議の三時間前に開けておきます。報告書の原案を置いておきますので必
要ならメモをとってください」。会議の数日前、ある委員は首相官邸の事務局らの電
話にあぜんとした。
 秘密保全を優先するあまり、委員は報告書の原案を読んで手書きでメモするしかな
かった。会議が始まると報告書は回収され、手元のメモをもとにした議論に終始した。
委員全員を対象にした会議はこれが最後。委員の一人は「世間は我々が熟議したと思
うだろう。全くそうではない」と明言した。

 安保法制懇は、第一次安倍政権でも作られ、二〇〇八年に憲法解釈を変更して集団
的自衛権の行使容認を求める報告書をまとめた。だが、安倍首相は退陣し、次の福田
政権ではたなざらしになった。第二次安倍政権で復活し、第一次政権の安保法制懇と
同じメンバーに一人を加えた十四人の有識者で再起動した。昨年九月に本格的な議論
が始まり、今年二月までほぼ月一回のペースで五回の会議が開かれた。

 ところが、委員を待っていたのは事務局の官僚が主導した徹底した情報管理だった。
米国家安全保障局 (NSA)による欧州首脳への盗聴疑惑が問題になってから会議
開催日でさえ電子メールでの通知をやめ、電話やファクスに変えた。自宅で会議資料
を読み込もうにも持ち帰りが許されなかった。

 報告書作成は今年一月以降、座長代理の北岡伸一・国際大学長、外務省出身の兼原
信克、防衛省出身の高見沢裼揶両内閣官房副長官補らが主導。首相の意を受けながら、
水面下で文言を詰めた。ある委員は「前回は委員が自由に議論して報告書を作った。
今回は一部委員と官僚が主導した」と話す。別の委員も「私たちは政権のための駒だ
った。信頼されていなかったと感じた」とぼやいた。
 報告書の完全版は速達で送られたが、ある委員に届いたのは公表日前日の十四日午
前。「新聞で先に概要を知った」と語った。
 安保法制懇の役割自体も、最後まで定かではなかった。

 安保法制懇は当初、集団的自衛権行使の全面解禁をめざしたが、首相側が行使を必
要最小限に限る「限定容認論」を持ち出すと、報告書の内容もその方向に変わってい
った。ある委員は「本来、我々の役割は原則論を提示することで、具体的な法律、方
法に落とすのは国会の仕事だ。しかし、首相からは『なるべく具体的に』と言われる
など迷走した」と話す。
 
委員による熟議が不十分な面があり、首相側の意向に合わせるように、一部委員と官
僚が報告書の内容をすりあわせる。ある委員は「首相の自信の無さを表している。安
保法制懇のサポートがなければ論理を展開できないから、『安保法制懇の先生方が言
った』ということでしか、主張を押し通せなかったのではないか」と振り返った。


[No.5873] 2014/05/16(Fri) 10:49:44
Re: 安保法制懇の“有識者”は、本当は”無識者”? (No.5873への返信 / 10階層) - hasebe

自民党や安保法制懇の“有識者”は、本当は”無識者”では?
という田岡俊次氏の記事がありました。

小沢さんが、かねてより現行法、自衛隊法で対処出来るし、足りない
なら自衛隊法を改正すれば済むことと言ってました。

その通りなのだと思います。

まさに安倍政権がやろうとしていることは、自衛隊法など知らない国民
を騙すこと?あるいはバカにしている?

下記に田岡氏の記事の一部を抜粋しました。



『田岡俊次の戦略目からウロコ』(ダイヤモンドオンライン)
http://diamond.jp/articles/-/53006

田岡氏は、
『安倍首相のお友達を集めた「安保法制懇」の“有識者”も防衛関係
の法令や自衛隊の実情を承知していないのか、と首をかしげたくなる。』

『自衛隊法78条の「治安出動」を知らないのか、あるいは意図的に無視?
 
 第78条は「内閣総理大臣は、間接侵略その他の緊急事態に際して、
 一般の警察力をもっては、治安を維持することが出来ないと認められる
 場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることが出来る」
 と定めてある。』

『89条2項には武器使用は刑法の正当防衛、緊急避難に当たる場合のほか
「部隊指揮官の命令」による武器使用を認めている。』

『機雷の除去も現行で可能』
 実際、海上警備行動として護衛艦がソマリア沖へ出動している。』

安保法制懇が、【武装漁民が上陸しても、自衛隊は防衛出動は出来ない
から現行法では対処できない。グレーゾーンをカバーする法制が必要」

と言う“有識者”は自衛隊法も、自衛隊の現状も全く知らない“無識者”
という他なく、その妄説をそのまま伝えるメディアもまた余りの無知、
怠慢と言うべきだ。


[No.5874] 2014/05/17(Sat) 21:04:53
『米国も日本の立憲主義の危機に気がついたようだ』 (No.5874への返信 / 11階層) - hasebe

日本国憲法第三章「国民の権利及び義務」の第12条
『この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力
 によって、これを保持しなければならない。〜』

ある学者が、小沢さんの2009年の陸山会事件の直後、かつて聞いた
軍靴の足音が聞こえる、と警鐘を鳴らしていました。

国民の権利とか自由は、余りにもろいもの。
あっという間に、消えてなくなります。

それを守り育てるのは私達、国民の努力のみ。

小沢さん:
【安倍首相の立憲主義否定になりかねない記者会見の日が、昭和7
 年に犬養首相が射殺された「5・15事件」と奇しくも重なる日
 だと思い出したようだ。

 私に「米国も日本の立憲主義の危機に気がついたようだ。
 憲法の射殺が行われないよう、ジョン万次郎の草の根運動をしっ
 かり発展させよう。戦前回帰≠フ政治に戻してはならない」と
 静かに語った。】


これは、5月15日に米国大使館のカート・W・トン首席公使から
招かれ、公使公邸で懇親パーティーでの小沢さんの感想だそうです。

下記に、日本一新の会のメルマガ、平野代表の記事を転載させて
いただきました。




◎「日本一新運動」の原点―213

            日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

○ 日米草の根交流で日本の「戦前回帰」を止めよう!

 5月15日(金)午後6時、安倍首相が「集団的自衛権行使」
に向けて、基本的方向性を示す記者会見を行った。これは憲法の
根幹を改正の手続によらず、内閣の解釈によって変更しようとす
るもので、立憲主義という民主政治を根本から崩壊させるものだ。

安倍首相が「戦前回帰の政治」に踏み出すことになると、メルマ
ガ・日本一新でもしばしば警告してきた。

 この記者会見の同日・同時刻、公益財団法人 ジョン万次郎ホ
イットフィールド記念 国際草の根交流センター
http://www.manjiro.or.jp/jpn/ =CIE)の小沢一郎会長ほ
か、関係者50名が米国大使館のカート・W・トン首席公使から
招かれ、公使公邸で懇親パーティーが開かれていた。

 CIEとは、平成2年11月に国会開設100年に伴って発足
した「ジョン万次郎の会」を母体として、平成四年に設立した、
財団法人である。

略称「ジョン万財団」とも呼ばれ、平成25年には、内閣府より
公益財団の認定を受けた。

ジョン万次郎漂流、150年を記念して、日米市民が「草の根運
動」で国際社会の発展に貢献しようというものであった。

第1回の草の根サミット大会は平成3年に京都で開かれた。

この年が太平洋戦争開戦50年目で、政府も団体も何もやらない
時、この草の根交流が、唯一の戦争はやめようという市民運動と
なった。

 トン首席公使は挨拶のなかで、先月来日したオバマ米大統領か
ら特別の指示があったことを紹介された。「大統領は、これから
の国際問題は市民が人間として心の交流を結んでこそ解決できる。

この考えを活かして欲しいと話され、草の根交流に強い関心を持
っていた」と。

「ジョン万次郎の会」は、自民党幹事長時代の小沢一郎氏が発足
させて24年目となった。

小沢氏は、トン主席公使の挨拶を目を閉じて聴いていたが、この
24年という年月を考えてみると20世紀から21世紀への歴史
的激動期であった。

安倍首相の立憲主義否定になりかねない記者会見の日が、昭和7
年に犬養首相が射殺された「5・15事件」と奇しくも重なる日
だと思い出したようだ。

私に「米国も日本の立憲主義の危機に気がついたようだ。
憲法の射殺が行われないよう、ジョン万次郎の草の根運動をしっ
かり発展させよう。戦前回帰≠フ政治に戻してはならない」と
静かに語った。

 因みに安倍首相の父、晋太郎氏は平成3年5月15日に、順天
堂医院で亡くなっている。

(『父が残した戦場日記』について)

 このトン首席公使招待の懇親会に、私は『父が残した戦場日記』
という私費出版の書物を持参していた。

太平洋戦争中、ニューギニアで戦死した倉橋一美さんの日記である。

遺族の花井睦(旧姓倉橋)さんからトン首席公使に渡すよう預かっ
てきたものである。

公使の夫人は日本人で、公使も日本語が堪能であり、この書物が
日米草の根市民の好意でつくられたことを喜んでくれた。

 そこで『戦場日記』が、出版されるに至った経過を紹介してお
きたい。

4月末、高知の維持会員である平野成泰氏から電話があり、「ジョ
ン万の故里から出征し、太平洋戦争で戦死するまでの1年4ヵ月の
戦場日記が遺族関係者が協力して3月に出版された。

この日記が遺族の元に届くまで、米国の草の根市民の暖かい好意
があった。これを多くの人に伝えて欲しい」とのこと。

 万次郎の故里・足摺岬に近い大方村(現黒潮町)で農業を営ん
でいた、倉橋一美さんが召集されたのが昭和16年10月、主に
東部ニューギニアで軍馬世話係として参戦した。

昭和18年1月の戦死直前までの1年4ヵ月の出来事を日記につ
けていた。

一兵卒の戦争に対する率直な意見、家族を思う気持ちなどが赤裸
々に記録されている。

この日記を大切に思った米軍の兵士、ハットフィールド氏がイン
ディアナポリスに持ち帰る。

終戦後、いろいろな草の根市民の手を経て、昭和31年5月にキ
リスト教の布教に来日したローズライトさんが四国南端の遺族に
届けたものである。

 遺族は、日記を公表する気はなかったが、平成24年に花井睦
さんがニューギニアの慰霊巡拝に参加し、「父の心の声」を多く
の人々に知って貰うべく公表を決意した。

内容は戦争の悲劇の実体を具体的に記録した貴重な資料であり
「日本を戦前に回帰させてはならない」との倉橋一美さんの心の
叫びである。

多くの人に読んでもらう機会をつくりたい。




○「万次郎とユニテリアン思想」(草案)

 四、忘れられたユニテリアン思想
 (万次郎が教えたユニテリアンの思想)

○万次郎は勝海舟の強い要請で、咸臨丸に通訳として乗り込むが、
海舟の狙いは航海士として世界を六周した万次郎の実力であった。
万次郎の活躍は、乗船していた米国海軍将校でブルック氏の「咸
臨丸日記」に詳しい。咸臨丸を成功させた直後、万次郎は幕府軍
艦操練所教授を免職となる。

 この原因について、興味ある見方がある。米国から帰った勝海
舟艦長が老中らに米国の感想を語れといわれ「そうですな、日本
のように能なしが高位・高官を占めているようなことは、米国に
は全くありません」と答え、老中たちは怒り「海舟にわかるはず
はない」として犯人探しとなる。

 やがて渡米前の海舟が、万次郎からレクチャーを受けたとき、
「米国でも木葉は青く、人間は足で歩く。ただ、あの国では、高
い身分や位に就いた者は、いよいよ賢く考え、振る舞いは高尚に
なる。日本とは天地の違いだ」と、ユニテリアン思想の説明をし
たことが種である。
        (童門冬二著『ジョン万次郎と海舟』学陽書房)

 万次郎が免職となった理由は、咸臨丸で帰国後外国の要人と会
う機会が多くなる。自由に英語で議論する万次郎が、パーティー
などで日本人を見下している外国高官と対等につきあえることを、
身分にこだわる日本の上司が嫌がったことなどが原因であった。

○青年時代に万次郎に私淑していた大山巌は、日露戦争で総司令
官としてロシア軍の捕虜を大切にしたことで知られているが、ロ
ンドン・ニュースが「敵に寛大な日本軍」として報道したことな
どである。これは万次郎が若き大山に、国際赤十字の思想(ユニ
テリアンのナイチンゲール提唱)を教えていたからである。
                     (西東玄著前述書)

○「万次郎は不思議な人だ。大名とも話すし、乞食とも話す」と
いわれていた。

万次郎は永代橋や両国橋のたもとにたむろする、乞食と親しく、
宴会の帰りに食事の残りを折に入れて持ち帰り途中で親しい乞食
に渡していた。

明治3年に大山巌らと普仏戦争視察のため、欧州に出張すること
になる。

政府を代表する人間が、「乞食にあわれみは無用にされたい」と
注意した。

万次郎は「私は彼らをあわれむのではない。

本来人間は皆同じなのに、そのような運命になった人生の無情を
悲しむのだ」と話した記録が残っている。(中濱博著『中濱万次郎』)

 この万次郎の思想こそ、ユニテリアンの本領である。

 万次郎は欧州出張中に足部の潰瘍となり、明治四年の春には一
行を離れて帰国する。この年、44歳で脳溢血をおこしたが回復
する。勝海舟らは万次郎に、何度も明治新政府の要職に就くよう
薦めたが、明治2年に就任した開成学校(東大の前身)の中教授
も辞め、晩年の生活に入る。身体に気をつかったわけだ。

 この時期、明治新政府は封建幕藩体制を解体し、近代化を急激
に進めることになる。専制化する新政府に、万次郎はさまざまな
思いをもっていた。征韓論争で新政府が分裂状態となる明治6年
には、中央の政治混乱を避けるように、故郷・土佐の中の浜で暮
らす母親を訪ねている、征韓論争は、西郷隆盛による士族の反乱
として「西南戦争」となる。

 一方、万次郎が米国から持ち帰った草の根デモクラシーの一粒
の種は、坂本龍馬や後藤象二郎らによって『船中八策』の「上下
議政局を設け議員を置きて万機を参賛せしめ万機よろしく公議に
すべき事」から、『五ヶ条のご誓文』の「広く会議を興し万機公
論に決すべし」に採用されていく。

しかし、専制化した明治新政府は国会の開設に応じず、板垣退助
らは、明治7年に故郷土佐に「立志社」を設立して、自由民権の
確立のため国会開設運動を始める。

 自由民権運動の激化と専制政府の弾圧の中で明治14年10月
12日、明治23年を期して「国会を開設する」旨の勅語が発せ
られる。

伊藤博文らを中心に、憲法の制定と国会開設の準備が始まる。
この時期、万次郎が政治に関わった記録はない。

 明治21年頃、新聞記者であった尾崎行雄が、品川の磯で釣り
をしている万次郎に「最近の新政府をどう見るか」と聞いたとこ
ろ、ひと言も言わずにじっと釣り糸を垂れていたとのこと。

             (中濱博著前述書)(この項、続く)


[No.5878] 2014/05/22(Thu) 10:34:40


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