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西日本新聞記事より(その1) (親記事) - 豊後の小兵衛

「外交の闇」隠蔽躍起 「核密約」も米に要請か 外務省、80年代

西日本新聞 01月06日 03時00分

 【ワシントン山崎健】米中央情報局(CIA)の資金提供に関する公文書についての
マイケル・シャラー米アリゾナ大教授の証言は、1960年の日米安全保障条約改定を
めぐる密約問題で明らかになった外務省の隠蔽体質を再び浮き彫りにした。
 背景を探ると、外務省が過去にも米政府に対して、特定分野の公文書を公開しないよ
う要請していた事実が明らかになった。
 
 「これは完全で、正確な報告書ではない、ということだ」。アリゾナ州ツーソンの同
大研究室。本棚にある外交史料集「合衆国の対外関係」第29巻第2部「日本」を指さ
して、シャラー氏は無念さをにじませた。
 編纂に携わり、全公文書に目を通した約10人の諮問委員会の総意は「30年以上経
過しており、全て公開し収録」すべきだった。こんなに「ひどい政策」をかつて米政府
が行ってきた史実は、正確に後世に伝えなくてはならない−。しかしシャラー氏の考え
はCIA、在日米国大使館、日本の外務省の反対に阻まれた。

 同氏在任中の96年10月の諮問委議事録(一部非公開)には、資金提供などに関連
するとみられる米公文書を「報道陣より先にチェックするために在米日本大使館が、職
員を米国立公文書館に派遣した」との米政府の報告も記録されており、外務省が神経を
とがらせていた状況がうかがえる。
 
 実は以前にも日本政府が米公文書の非公開を米側に求めた事実が昨春、国務省が刊行
した「『徹底した、正確で信頼できる』編さんに向けて−合衆国の対外関係」に明記さ
れていた。膨大な記録を基に史料集編さんの歴史を国務省の歴史学者らが綴った共著だ。
 同著は86、87年に日本政府から50年代の「幾つかの慎重な取り扱いを要する問
題」についての文書が公開され、史料集に収録されないよう要請があったと明記。「機
密解除担当者は日本の圧力に抵抗した」など情報公開を進めたい米政府幹部らの不満も
記している。
 この章を執筆した歴史学者のジョシュア・ボッツ氏(36)によると、80年代以前、
米国は自国作成の公文書の刊行については他国から非公開要請があっても拒否。しかし
複数国の懸念を受け、レーガン政権は82年、自国作成文書についても当該国と協議す
るように対応を変更。相手国の意向に十分な注意が払われた。国務省の説明では、他国
との協議は現在も行っている。
 
 ボッツ氏によると日本からの86年の要請は非公式に、87年は1、3月に在米日本
大使館作成の公式な申し入れ書が国務省東アジア・太平洋局に提出されたとの記録が米
公文書に記されている。しかし、全て要請通り非公開になったわけではないという。
 外務省の具体的な要請項目をボッツ氏に尋ねたが、回答があったのは「北方領土問題」
だけ。それ以外の記述はいまだに機密指定されているため、明らかにしなかった。安保
改定をめぐる密約関連文書などが含まれている可能性が濃厚だ。
 「核密約」については90年代後半、米国が関連文書をいったん公開し、それが報道
などされた後、再び機密指定され非公開になった例が少なくとも2件ある。

 今回、西日本新聞は外務省に対し、CIA資金提供問題以外にも、米側に文書の非公
開を要請したことの有無、その内容、いったん公開された文書が再び非公開になったこ
とへの関与などを問い合わせたが、いずれも「米側との外交上のやりとりに関するもの
であり、お答えは差し控えたい」。歴史が隠されてきた真相もまた、隠されたままである。


                    ◇    ◇

 日本外交鍛えられない 菅英輝・京都外国語大教授

 私は1998年10月、米国立公文書館で「核密約」の存在を裏付ける「大平・ライ
シャワー電文」(63年4月4日付)を発見した。非核三原則に反し、核搭載米艦船の
日本への「寄港」、「通過」を容認する密約をめぐり、ライシャワー駐日大使から国務
長官にあてた秘密電文だ。ライシャワー氏と会談した大平正芳外相が「持ち込み」の概
念を確認した内容だった。
 この会談内容に触れた別の文書(72年6月付レアード国防長官からロジャース国務
長官への書簡)の存在が翌99年5月に報道された際、高村正彦外相は「大平−ライシ
ャワーメモでも出てくればびっくりして腰を抜かすが、これは米政府内のやりとりだ」
と述べ、密約を否定した。ところが私が、この電文を同年夏に公表した後も日本政府は
密約の存在を否定。しかも間もなく、米公文書館でこの電文が再び機密扱いにされ非公
開となった。外務省の要請によるとみられている。
 核密約は2010年、外務省の有識者委員会が存在を認定。日本政府と外務省が長年
にわたり国民を欺き続けた事実が確定した。
 私は米CIAによる資金提供問題に言及した「合衆国の対外関係」第29巻の書評を
執筆した。機密文書の開示をめぐり激論があったと聞く。問題発覚後、政権の座にあっ
た自民党が否定する一方、西日本新聞によると外務省は文書が公開されないよう米側に
働き掛けていたという。表と裏を使い分け国民をだまそうとしたことが示すのは、核密
約にも通じる隠蔽(いんぺい)体質だ。
 日本政府や外務省は自己保身の傾向が強く、公文書公開に消極的だ。今回は米国の公
文書に関しても口を出していたことが判明した。これでは、世論の批判や専門家の検証
に耐えうる外交交渉は期待できず、日本の外交は鍛えられない。


[No.6159] 2016/01/06(Wed) 16:58:27
Re: 西日本新聞記事より(その2) (No.6159への返信 / 1階層) - 豊後の小兵衛

「外務省が米の機密解除に反対」 史実を隠す「外交の闇」 元諮問委員が証言

西日本新聞 1月6日(水)13時40分配信

【ワシントン】1994年10月に発覚した米中央情報局(CIA)による自民党政治家らへの資
金提供に関する米機密文書について、日本の外務省が米政府に公開に強く反対する意向を
伝えていたと、国務省刊行の外交史料集「合衆国の対外関係」編さんに携わったマイケル・
シャラー米アリゾナ大教授(68)が西日本新聞に証言した。
 当時、米メディアの報道で問題が表面化した後、自民党が否定した裏で、外務省が米側
に文書が露見しないよう事実上、要請。時の政権に都合の悪い情報を、外務省が国民の目
から隠そうとしてきた歴史の一端が明らかになった。

【その1】CIAから自民党へ資金提供裏付ける資料、公開に反対

 日米外交史などの研究者でCIA資金提供問題にも詳しいシャラー氏は95年から2000年まで、
30年を経過した米機密文書の機密を解除し、史料集に収録すべきか協議する国務省の諮問
委員会委員を務めた。在任中、日米関係史料の柱の一つが、50年代後半から60年代にかけ
ての資金提供を裏付ける文書約10点の取り扱いだった。
 同氏によると、「約10人の委員の総意は、資金提供に関する全ての文書を機密解除して
収録すべきだとの意見だった」という。ところが、政府側との非公開折衝の中で ▽CIA
が強硬に反対 ▽国務省も「日本の外務省が在日米国大使館に対し、政治的立場がある関
係者が生存しているなどの理由で、文書公開に強く反対すると伝えてきており、大使館も
反対している」などと抵抗した−と明言。「大使館は、公開されれば日本国内にも日米関
係にも問題を生じさせるとの認識で外務省と一致したとのことだった」と証言した。

 同時期に諮問委に所属し委員長も務めたウォーレン・キンボール米ラトガース大名誉教
授(80)も本紙の取材に「(テーマについては)正確に記憶しておらず記録もない」とし
た上で、国務省の口頭説明の中で「日本の外務省からの(文書の非公開)要請についての
話はあった」と語った。
 諮問委には決定権はなく、文書は結局公開されなかった。2006年7月刊行の「合衆国の対
外関係」第29巻第2部「日本」は、政党名や個人名には触れず、CIAの資金提供の概略だけ
編集者の注釈の形で明記。問題の文書は現在も機密指定されたままだ。
 シャラー氏の証言について国務省に見解を求めたが、コメントしなかった。日本の外務
省は「米側との外交上のやりとりに関するものでありお答えは差し控えたい」としている。

【その2】「外交の闇」隠蔽躍起 「核密約」も米に要請か

 米中央情報局(CIA)の資金提供に関する公文書についてのマイケル・シャラー米アリゾ
ナ大教授の証言は、1960年の日米安全保障条約改定をめぐる密約問題で明らかになった外
務省の隠蔽(いんぺい)体質を再び浮き彫りにした。背景を探ると、外務省が過去にも米
政府に対して、特定分野の公文書を公開しないよう要請していた事実が明らかになった。

 「これは完全で、正確な報告書ではない、ということだ」。アリゾナ州ツーソンの同大
研究室。本棚にある外交史料集「合衆国の対外関係」第29巻第2部「日本」を指さして、
シャラー氏は無念さをにじませた。
 編さんに携わり、全公文書に目を通した約10人の諮問委員会の総意は「30年以上経過し

ており、全て公開し収録」すべきだった。こんなに「ひどい政策」をかつて米政府が行っ
てきた史実は、正確に後世に伝えなくてはならない−。しかしシャラー氏の考えはCIA、
在日米国大使館、日本の外務省の反対に阻まれた。
 同氏在任中の96年10月の諮問委議事録(一部非公開)には、資金提供などに関連すると
みられる米公文書を「報道陣より先にチェックするために在米日本大使館が、職員を米国
立公文書館に派遣した」との米政府の報告も記録されており、外務省が神経をとがらせて
いた状況がうかがえる。

「機密解除担当者は日本の圧力に抵抗した」

 実は以前にも日本政府が米公文書の非公開を米側に求めた事実が昨春、国務省が刊行
した「『徹底した、正確で信頼できる』編さんに向けて−合衆国の対外関係」に明記さ
れていた。膨大な記録を基に、史料集編さんの歴史を、国務省の歴史学者らがつづった
共著だ。
 同著は86、87年に日本政府から50年代の「幾つかの慎重な取り扱いを要する問題」に
ついての文書が公開され、史料集に収録されないよう要請があったと明記。「機密解除
担当者は日本の圧力に抵抗した」など情報公開を進めたい米政府幹部らの不満も記して
いる。
 この章を執筆した歴史学者のジョシュア・ボッツ氏(36)によると80年代以前、米国
は自国作成の公文書の刊行については他国から非公開要請があっても拒否。しかし複数
国の懸念を受け、レーガン政権は82年、自国作成文書についても当該国と協議するよう
に対応を変更。相手国の意向に十分な注意が払われた。国務省の説明では他国との協議
は現在も行っている。

 ボッツ氏によると、日本からの86年の要請は非公式に、87年は1、3月に在米日本大使
館作成の公式な申し入れ書が国務省東アジア・太平洋局に提出されたとの記録が米公文
書に記されている。しかし、全て要請通り非公開になったわけではないという。
 外務省の具体的な要請項目をボッツ氏に尋ねたが、回答があったのは「北方領土問題」
だけ。それ以外の記述はいまだに機密指定されているため、明らかにしなかった。安保
改定をめぐる密約関連文書などが含まれている可能性が濃厚だ。
 「核密約」については90年代後半、米国が関連文書をいったん公開し、それが報道など
された後、再び機密指定され非公開になった例が少なくとも2件ある。

 今回、西日本新聞は外務省に対し、CIA資金提供問題以外にも、米側に文書の非公開を
要請したことの有無、その内容、いったん公開された文書が再び非公開になったことへ
の関与などを問い合わせたが、いずれも「米側との外交上のやりとりに関するものであ
り、お答えは差し控えたい」。歴史が隠されてきた真相もまた、隠されたままである。


[No.6160] 2016/01/06(Wed) 17:02:53
◎「日本一新運動」の原点―299 (No.6160への返信 / 2階層) - 豊後の小兵衛


            日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 新年あけましておめでとうございます。
 会員の皆さまにはつつがなく初春をお迎えのことと拝察し、
 心よりお慶びを申し上げます。
 内外ともに激動が予想されるこの一年、日本一新の会は
 揺るぐことなく進めて参りますので、引き続きのご支援を
 よろしくお願い申し上げます。

〇 申(さる)年に思うこと!

「申の年」を迎えた。「申」の字は稲妻を現した象形文字であり、
雨冠をつければ「電」の字となる。最古の部首別漢字字典である
「説文解字」には「申は神なり」とある。示偏をつけると「神」
という字になる。我が国では「雷」を「かみなり」というが神鳴
りのことだ。語源論でいえば「申は神であり電である」。「電」
の「気」即ち「電気」は人間の文明を発達させる造化の神といえ
るが、21世紀の現在、人間は「電気」を造ることで大変な問題
を抱えることになった。地球温暖化の元凶である二酸化炭素や、
放射能の危険がある電気をつくることだ。

「申」は十二獣では「猿」が配されている。「猿」は形態や頭脳
とも人間に最も近い動物である。猿の字は、元々中国では「猨」
とか「蝯」が使われていた。「爰」は援助などに使われるように
良いことをする意味がある。一方、猿の語は「戯る」からきたも
のとする説もある。俗にいう「じゃれる」の意からだということ
や、猿は去るに通じるとして忌み嫌われる。そのせいか、猿に同
情して「得手公」という異名がつけられたともいわれている。猿
にはひとを援護する猿もあり、悪戯をする猿もいる。尻に帆かけ
て逃げ去る猿もいるし、得手に帆あげて驀進する猿もいる。図に
乗って木から落ちる猿もいる。他にも「猿芝居」「猿知恵」「猿
真似」など、人間の活動で負のイメージを現す言葉にも使われて
いる。
 かつて、博学者のなかには人間を「猿から申(神)の間の存在、
動物から神への進化の過程にある」と論じていた人たちがいたが、
果たしてそうだろうか。昨今の人間の指導者たちを見ると、この
論にははなはだ疑問がある。特に、日本国の政治家や資本家、そ
してマスメディアや有識者の中には「人間社会を弱肉強食にしよ
う」と必死になっている。昨今は猿だけではない、狸も猪も、鹿
さえも影響を受けて人里に出没するようになった。
 安倍晋三首相はそのグループのシンボルだ。「安保法制」や、
「アベノミクス」「消費税軽減税率」などの「猿知恵」や「猿真
似」「猿芝居」をやめて、一刻も早く政権から「去る」ことが、
日本と世界の平和に資することは必定といえる。

〇「民主主義」という言葉について

 元旦の朝日新聞「オピニオン・フォーラム」に、安全保障関連
法案に反対するデモで、若者たちが叫んでいる言葉『民主主義っ
てなんだ』が、今も胸に響く、として、「今年は老若男女が民主
主義とは何かを考え、集会や選挙で行動を起こすことが求められ
ているのではないか」との投書があった。大変重要な問題提起で
ある。そこで語源論の続きで、日本で使われるようになったプロ
セスと意味を論じてみよう。
「民主主義」という言葉は、ギリシャ語の「デモス」(民衆)と
「クラトース」(支配)の合成語である。「デモクラチア」が語
源である。これが英語で「Democracy」 となる。この「デモクラ
シー」の日本語訳が「民主主義」である。これが西欧文明として
の語源だ。

 東洋文明、即ち中国の語源はこれとまったく反対の意味だ。
「民主」は、中国で最古の書といわれる「書経」に、「天惟れ時
に民主を求む」とあり、万民の主となるべき者、即ち「君主」の
意味である。
 西洋の「デモクラシー」が、東洋では全く逆の意味の「民主」
として訳され、日本で活用されていることに、私はかねてから違
和感をもっていた。我が国は「言霊の国」といわれている。政党
名に「民主」とつく政党が、国政発展の足を引っ張っている気が
してならない。敢えて説明の必要もなかろうが、言わずと知れた
「自由民主党」や「民主党」である。

 さて、我が国で最初に「民主」なる語が用いられた書物は何か。
通説では西周(にしあまね)が約した『万国公法』で、慶応4年
に出版されたものといわれている。これは米国のヘンリー・ホイ
ートンが著した『国際法の要点』のことで、その漢訳を坂本龍馬
が片時も離さず持っていたことで知られている。西周はオランダ
のライデン大学での講義の筆記録と漢訳書を参考に、奥地俊国の
小邑を「民主国波里薩」と称すと紹介している。「デモクラシー」
を「民主」と約したのは日本人ではなくて、漢訳した清国の何師
孟であった。
 この時期、堤穀志士が『万国公法訳義』を、津田真一郎が『泰
西国法論』を続けて出版した。『万国公法訳義』には「民主とは
人君なくて、人民自ら守護するの法也」と記され、「民主」の語
意が有識者に知られるようになる。さらに慶応四年(1868年)
に発布された「広く会議を興し万機公論に決す可し」で始まる、
『五箇条の御誓文』を、有識者の多くは絶対主義国家を創るため
のものと解さず、公議政治体制をつくる宣言と理解した。起草し
た由利公正や福岡孝弟たちは、米国の民主政治の日本版をイメー
ジしていた。
 しかし、武力で倒幕し、絶対主義体制をつくろうとしたグルー
プは、戊辰戦争へと内乱状態に入っていくなかで、国民を安心さ
せるため「公議政治論」を作為的に利用したのだ。明治になって
自由民権思想による反体制運動は、五箇条の御誓文の実現を大義
名分とするようになる。その後、日本での政治対立は公議政治を
悪用して「官僚支配国家」をつくろうとする勢力と、「公議民主
政治国家」をつくろうとする勢力の激突が続くことになる。
 ところで、明治15年頃までは「民主政治」とか、「民主政体」
という言葉はしばしば使われたが、「民主主義」という言葉は使
われていない。「デモクラシー」という言葉には「イズム」がな
く、「主義」の語を当てることに躊躇があったようだ。又、民主
を主義とすることは、当時の国体上も相容れないものがあるとの
抵抗感が一般的であった。最初に使ったのは福地源一郎で、東京
日日新聞で使ったといわれている。ジャーナリストには抵抗が少
なかったようだ。
 明治30年代になってから「民主主義」という言葉は良く使わ
れるようになる。安部磯雄らが起草した『社会民主党宣言』で、
「社会主義と民主主義に依り、貧富の差をなくして世界に平和主
義の勝利を得せしめん」(明治34年)とある。また幸徳秋水の
『社会主義真髄』で「社会主義は一面において実に民主主義なる
也」と述べている。これらは当時、活動期になったドイツの社会
民主党の影響を受けていたことによるだろう。
 憲法学者では天皇機関説で知られる美濃部達吉博士が明治39
年に、人権宣言に関する論文で「民主主義」の用語を使っている
が、その思想を論評したものではない。美濃部博士に対峙した、
上杉慎吉博士は『帝国憲法』(明治38年)で、「民主主義は人
民を以て国権の本源と為し君主は其使用人たりと為すを根本思想
とするものにして素より君主の権力を以て重大なる制限の下に居
るべきものとするものたり」と述べ、国体上好ましくないと論じ
ている。
「デモクラシー」を「民本主義」と翻訳した上で、「民主主義」
との区別を論じたのが、『憲政の本義を説いてその有終の美を済
すの途を論ず』という、吉野作造博士の大正4年12月、全国中
学校長会議での講演である。翌5年1月号の『中央公論』に掲載
された。これの全文復刻が『中央公論』(2016年1月号)の
特別付録となっているので、興味のある方はお読みいただきたい。
ひと言で言えば、明治憲法下の天皇主権に配慮したもので、概念
は別だが近代憲法で共通の基礎的精神を持つものと論じている。

 明治憲法下、デモクラシーの定着を妨げようとする勢力に対し、
その定着を懸命に努力した先人がいた。戦後、他力により与えら
れたデモクラシー即ち、「民主主義」が定着しないのは、カネ・
地位に拘る資本家・政治家・官僚・有識者らのなかに、国民が主
人公となる政治体制(国民主権)を許容しない輩がいるからだ。
 平成28年(2016年)は、明治維新以来、激突してきた両
勢力の最後の戦いとなる。それに主権者たる国民がどう応えるか、
先に引いた新聞投書もそれを問うている。       (了)


[No.6161] 2016/01/07(Thu) 14:41:59
亀井静香氏が心ある民主党議員へ檄文 (No.6161への返信 / 3階層) - hasebe

亀井氏はBS日テレ深層NEWSでこう吠えた。:

亀井氏

「経済がドカンと悪くなって選挙で勝てそうもないからと憲法改正を
 争点に持ち出した。
 マネーゲームで実態経済が良くなるはずがない。
 バカな野党は、それに乗っちゃているが、選挙で損するかも。
 今度の選挙では、たとえ参議院選挙だけでも自民は負ける。
 せっかく共産党の志位委員長が協力すると言っている。
 これで政権を奪取出来る。
 野党の幹部は、バカと阿呆が絡み合っている。
 政策がどうのこうのと大学の研究室で討論しているかのようだ。
 権力をどう奪うかが政治の根底。
 今の民主党の幹部連中は、かつての社会党と同じ。
 政権を倒すのは”胆力”」

藤井裕久氏

 「年金資金で株価を上げて、100万人の懐が潤った。
  これは、日本の人口の2〜3%。
  景気対策は、社会保障を起爆剤にすればよい。」
 
亀井氏

 「大企業の300数十兆の内部留保は、中小企業からカスメたもの、
  従業員の給料や投資に回せないなら、課税すればよい。
  富の配分で、中間層を増やさなくては。」



亀井静香氏が民主党に民主党の中堅・若手へクーデターを起こせ!と
檄文を寄せています。

平野浩氏が、その亀井氏檄文を、下記のようにツイッターに投稿して
くれています。
そのツイートを紹介させていただきます。

【平野 浩氏 ‏@h_hirano】

今の民主党は旧社会党と同じ。
民主党の首脳陣は支持母体から「なぜ共産党と組むのか」といわれるのを恐れている。
権力を取るためには悪魔とも組む必要がある。
野党時代の自民党は日の丸・君が代を否定する社会党左派と組んで政権に戻った。
民主党の中堅・若手はクーデターを起こせ。


亀井氏の激言の続き。
民主党はかねてから異端子扱いをしていた小沢一郎氏を党に迎い入れ、自民党を倒し、
政権を奪取したではないか。
その恩人の小沢氏を民主党は大事にしていない。
そのため大勢の民主党支持者が離れた。
もう戻らないだろう。
政策の違いや好き嫌いをいっているようでは政権は取れない。


[No.6162] 2016/01/15(Fri) 23:39:08


   西日本新聞記事より(その1) - 豊後の小兵衛 - 2016/01/06(Wed) 16:58:27 [No.6159]
Re: 西日本新聞記事より(その2) - 豊後の小兵衛 - 2016/01/06(Wed) 17:02:53 [No.6160]
◎「日本一新運動」の原点―299 - 豊後の小兵衛 - 2016/01/07(Thu) 14:41:59 [No.6161]
亀井静香氏が心ある民主党議員へ檄文 - hasebe - 2016/01/15(Fri) 23:39:08 [No.6162]




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