日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観
〇 甘利経済再生大臣問題について −1
『週刊文春』1月28日号は「甘利明大臣事務所に賄賂1200 万円を渡した」という見出しで、実名告発の政界を激震させると 報道した。しかも、「口利きの見返りに大臣室で現金授受」との サブタイトルがあるというサプライズである。「とうとう来たか」 これが私の実感であった。 運が良いのか悪いのか、通常国会は1月4日の異常召集中で、 安倍政権や甘利大臣側は何の対応も準備もできないまま、野党の 追及にさらされることになる。甘利大臣は、1月21日の参議院 決算委員会で大臣室での現金受取を「否定」できず「記憶をたど っている」と釈明した。20日の記者会見では、「調査した上で 説明責任を果たしたい」と平静を装っていた。
永田町の情報通によれば、週刊文春は16日に甘利大臣に確認 のため取材している。翌17日と18日の2日間、記事をモミ消 す工作をしたが不調で、19日に官邸に駆け込んだとのこと。 『日刊ゲンダイ』(22日付)に同趣旨の記事が出ているが、ま ずは正確な情報であろう。とすれば20日の記者会見も、21日 の参議院決算委員会での甘利大臣の発言は、わかっていて明らか に嘘をついているといえる。 さすが自民党と公明党の与党からの「説明責任を果たせ」との 合唱に「一週間以内に説明する」と期限を切ったが、これも悪質 な智恵である。一週間以内に「逃げ道」とか「辞任した後の政権 への悪影響回避策」を、菅官房長官を中心に悩みに悩んでいるだ ろう。野党、特に民主党は突然の敵失に小躍りしているが、この 問題を単純な政争や個人プレーにしてはならない。安倍政権の、 「甘利問題」は自民党政治の宿痾であり、決して「古典的資金集 め」ではない。この宿痾を治療しない限り、我が国に真のデモク ラシーは期待できない。
(類は友を呼ぶ安倍政治!)
小泉純一郎という政治家に対する評価はいろいろあるが、最大 の歴史的ミスは安倍晋三という政治家を後継者として自民党総裁・ 内閣総理大臣として指名したことだと思う。それを、自民党とい う政治集団が追認したことは、あと十年もすれば「政治的大ミス」 であったことを歴史が証明すると確信している。 第一次安倍内閣で、安倍首相が盟友の甘利明を経産大臣として 入閣させたとき、私は「類は友を呼ぶ」という格言を思い出した。 説明の必要はないと思うが、「知性・性格・思想・人格等々」が 似ている人間は「友」となるという意味である。立派な人は立派 な人で集まり、ダメな人はダメな人で類(む)れるということだ。 別に安倍首相と甘利大臣のことを言っているのではない。一般論 でいっているだけだ。
議会デモクラシーという政治システムは、大前提に「善良な有 権者が、良識ある代表者を選び、健全な政治を行う」といえるだ ろう。安倍首相の人格・品格・知性力・学力・思想・性格等々に ついて語るつもりはない。第一次安倍内閣を、安倍首相の腹痛が 原因で崩壊させた時、国民世論は政治家・安倍晋三を批判したが、 政治家としては批判されても、人間として批判されるべきことで はない。首相として健康が保持できなければ辞任するのが政治の 常道である。その頃までの自民党はそれなりの保守党であった。 5年を経て第二次安倍内閣が成立するという奇跡が発生する。 これから、安倍晋三という政治家は運命的豹変をする。俗な表現 をすれば、「背後霊」が入れ替わったとも言えるし、精神医学的 に言えば、「人格移動」という専門家もいる。第二次、第三次と 政権を続ける間に自民党という政党の悪い面が目立つようになる。 かくして、保守政治の良質な部分がなくなり「安倍一強体制」が できあがった。その最大の功労者が甘利明である。
(甘利明の資質を心配していた父・甘利正!)
私が何故に「甘利明」にこだわったことをいうのか。それは、 父・正と親しい関係があったこと。そして彼が政治家となったこ とに、責任の一端が私にもあるからだ。説明しておこう。 「父・正」は神奈川県の足柄地方の出身だ。農家の救済活動など で「昭和の二宮金次郎」といわれた苦労人だった。政界の実力者・ 河野一郎も一目を置く人物であった。昭和51年12月の衆議院 総選挙(ロッキード選挙)で、新自由クラブから当選した。河野 洋平氏らが、「政治とカネ」の自民党体質を批判し離党して結成 したものだ。この総選挙で18名を当選させてブームとなった。 甘利正氏は河野一郎の長男・洋平氏の後見人という役割であった。
新しい政党で国会運営に慣れていない「新自由クラブ」は甘利 正議員を議院運営委員会に所属させ「政治改革」を担当すること になる。当時、私は議院運営委員会の担当で甘利議員のさまざま な問い合わせの窓口であった。甘利議員からは信頼されいろいろ な話を聞き相談を受けた。甘利家の祖先は武田信玄の重臣・甘利 虎泰だ。その子孫で「甘利の会」をつくりたいとの相談を受けた ことを憶えている。 父・正の心配の種は息子「明」の政治家としての資質であった。 昭和54年4月、衆参両院が『中国全国人民大会』(日本の国会 にあたる)のケ頴超常務委員会副委員長(周恩来元首相未亡人) を団長とする代表団を招待したときであった。東京から東海道の 要所を視察することになり、一泊目が箱根の椿山荘で、甘利議員 の地元であった。私は衆議院事務局からの案内担当で、このとき 甘利議員から変わった申し出があった。
「息子が慶應大学に在学中だ。親として恥ずかしい話だが、甘え て育てたので政治家にしてよいか悩んでいる。その資質があるか どうか箱根に呼ぶので検分してくれないか」 ということで、宿泊した機会に短時間面談することになった。 印象は思ったより「ボンボン」で自民党著名政治家の息子がよく 入学する、慶応の法学部の代表的タイプだった。後日、父親から 聞かれたので「少し苦労させてからだと大丈夫、後継者となれま すよ」と回答しておいた。「その時はよく指導してくれ、頼んだ よ」と言われたことも記憶している。
甘利明氏は大学を出てソニーに入社した後父親の秘書となった。 昭和58年12月の総選挙で衆議院議員に当選する。後継者とい えばいろいろ問題があるが、若手として順調な国政参加であった。 この時期、私は衆議院事務局委員部総務課長だった。国会運営で 与野党の騒動で苦労していたが、甘利明議員とも昵懇な付き合い をしていた。 ある時期から甘利議員の態度が急変した。それは、私が参議院 議員となって平成5年6月に自民党を離党し、小沢一郎氏の側近 として非自民細川連立政権の樹立に活動した頃からであった。国 会の廊下ですれちがっても、顔をそむけるようになった。私は、 甘利議員から誉められようとは思わないが憎しみを持たれる筋合 いもない。私の信条に基づく政治活動を批判されても良いが、あ まりにも幼児っぽい態度に呆れ果てていた。 平成16年7月の参議院選挙に出馬せず、「国会議員は引退す るが政治からは引退しない」といって、「日本一新の会」を設立 して市民運動を始めた。首都圏での業界などの講演や、懇談会で 甘利明議員の支援者等から、さまざまな聞くに堪えない話をうけ ていた。いずれ問題になると危惧していたところであった。
(甘利問題は安倍政治への「天命の仕掛け」)
甘利大臣口利き事件で悩む安倍政権は、これから、より凶暴性 を増していくだろう。乱暴な国会運営だけでなく、検察・警察に 圧力をかけて甘利問題をウヤムヤにしていくであろうことは眼に 見えている。さらに、それをマスメディアが共謀して国民の目を 逸らしていくことになろう。しかしこれまでのように、安倍政権 の思いのままになるかどうかが「安保法制問題」と同様に、立憲 主義確立につながる重大な問題だ。 思えば「小沢一郎陸山会問題」は行政権力と司法権力が、立憲 主義を冒涜したものだ。政府与党幹部から『甘利大臣口利き事件』 は「ワナをしかけられたもの」との声が出ている。それは、甘利 大臣個人や事務所のあり方に「ワナを仕掛けても」追及すべき問 題があった証しでもある。 この問題は、安倍政治に天誅を下すために放たれた「天命の仕 掛け」といえる。何故、自公政治に「天命の仕掛け」が放たれた のか、自公政治の本質を検証しなければならない。 (続く) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 次回の定期配信は、2月4日(木)です。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━END━━━━━
[No.6165] 2016/01/28(Thu) 09:34:29 |