| トロとまったり様
初めまして
今までに多くの方々のお城探訪のブログを拝見させて頂きましたが、 探訪されたお城の数は、トロとまったり様がダントツに多く、 記事も面白く拝見させて頂いております。
私は、トロとまったり様が紹介されている 福岡県古賀城[久留米市宮ノ陣町若松(古賀)]の 城主であった岩橋対馬守宗岸・(子)岩橋麟可の末裔でN・Iと申します。 私の田舎の城跡を見学に来られた方は私の記憶では福岡県や久留米市の教育委員会以外の方では、 歴史研究家の油獏先生以来だと思います。 トロとまったり様も城跡研究家としての引き続きのご活躍をお祈りいたします。 福岡県の田舎町まで足を延ばしていただきありがとうございました。。
ちなみに、宗岸と麟可の「宗」の字と「麟」の字は、 親族(大友宗麟の姉が岩橋家に嫁いできている)である大友宗麟から、親子に一字づつを賜ったものとの 記録が残っています。 現在の佐賀県鳥栖市牛原町の勝尾城主であった筑紫広門の筑紫家からも、岩橋家に嫁いできており 筑紫家とも親族になります。牛原町には槍突き岩や勝尾城筑紫氏遺跡等、沢山の遺跡が残っておりますので、 少々の登山が必要ですが、もし見学がまだでしたら一度見学されることをお勧めいたします。
私が「なまえさあち」の「岩橋さんの由来」に投稿した文章が載っています。 また、岩橋家は筑紫家の重臣でもあり、五日市など、市場を開くにあたっては 当時、恵比寿神を祀る風習があったようで、 勧請(神仏が降臨するよう請う神事)の役割も担っていたようです。
市恵比寿別当座親岩橋家として筑紫家文書と高良大社文書にも記載があります。 尚、筑紫家も筑紫神社の神主でもあります。 以上、参考にして頂ければ幸いです。 |
No.1535 - 2023/01/13(Fri) 15:18:56
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