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記事No.9416に関するスレッドです

太平洋戦争の発端と事実  / Nogu [ ]
太平洋戦争の発端と真実、日本の歴史教育は、、言葉がありません。
真実を覆い隠す情報と教育ばかりなのでしょうか。

2021焦点・論点 アジア・太平洋戦争開始80年
一橋大学名誉教授 吉田裕さん
2021年12月6日【1面】
「自衛」でも「解放」でもなかった
 日本軍のマレー半島上陸とハワイの真珠湾攻撃によって、80年前の1941年12月8日に開始された「アジア・太平洋戦争」。なぜ無謀な戦争を始めたのか、日本にとって「自衛」の戦争だったのか。『アジア・太平洋戦争』(岩波新書)の著書もある吉田裕・一橋大学名誉教授に聞きました。(山沢猛)
 ―この戦争を日本の「自存自衛」、自分の身を守るための戦争だったとか、「アジア解放」の戦争と言う人たちが今もいて、若い人たちには歴史の事実が教えられていません。
 当時の日米交渉の最大の争点は、日本軍の中国からの撤兵問題でした。米国は、侵略戦争で日本が獲得した権益の放棄を要求し、それを日本が拒否、日米交渉は失敗に終わり戦争になりました。ここが大きなポイントです。
 日本に対する米国などの経済制裁は、1940年の北部仏印(フランス領インドシナ)への進駐に始まり東南アジアを支配する、日本の「武力南進」政策を抑止することを目的としたものでした。
 第1次世界大戦(1914〜18年)後の国際社会は、新たな二つの原則を打ち立てました。
 一つは、国際紛争を解決するために戦争に訴えることを禁じる戦争の違法化、二つは民族自決権の一応の承認であり、その方向に大きく動き始めました。「一応の承認」というのは、列強が自国の植民地を放棄するところまではいかないという意味です。
 前者を象徴するのが、国際連盟規約(1919年)と不戦条約(28年)、後者が、中国の主権・独立の尊重を国際的に確認した「9カ国条約」(22年、日本も調印)でした。米国の対日政策は基本的にこの流れに沿ったものになっていました。日本はこうした国際的な潮流に逆行して中国を侵略し領土を奪い、武力南進政策を続けました。「自衛」の戦争でも「アジア解放」の戦争でもなかったのです。
 (しんぶん赤旗、2021/12/06)
(1面のつづき)
犠牲者増大させた軍事力過信 日本は後始末もできていない
 ―背景には、日本による日中全面戦争が行き詰まったことがありました。
 日米交渉の最大の争点が、日本の中国からの撤兵問題にあったように、対米戦は日中戦争の延長線上に生まれた、ということが重要です。
 日中戦争は1937年、中国の国民党政府の首都だった南京市の占領、南京大虐殺で終わりませんでした。国民党政府は重慶まで首都を移しました。日中戦争の長期化や中国の激しい抗戦によって、日本は自力で日中戦争を解決する能力をすでに失っていました。
 このため日独伊三国軍事同盟の締結(1940年)、武力南進による石油、ゴムなど戦争遂行に必要な物資の確保という路線が選択されます。日中戦争以降、1945年の敗戦までの中国戦線における日本軍戦死者は47万人、日露戦争の戦死者9万人の5倍以上です。この犠牲を払っても日本は中国を屈服させることができませんでした。
 軍事力で劣る中国は、欧米諸国の介入・支援という多国間の枠組みの中で日本の侵略を阻止しようとしました。連合国の有力な一員として中国が日本とたたかうという構図をつくり出した点でいえば、開戦は中国外交の勝利、日本外交の敗北でした。
 ―マレー半島上陸、シンガポール占領、真珠湾の奇襲など「初期作戦」は成功したように見えますが。
 1942年春までの初期作戦の成功の原因は、日中戦争以降、欧米諸国に先駆ける形で、日本が軍備の拡充にとりくんできた結果でした。アジア・太平洋地域では米国を上回る軍備を保有していました。しかも日中戦争で実戦の経験をつんだ軍隊を保有していました。だから初期作戦が成功したのです。
 ただし、経済力を示すGNP(国民総生産)では日本と米国は1対12ですから、米国の戦争経済が本格的に稼働しはじめると、日米の戦力はすぐに逆転してしまいます。
 初期作戦の成功に酔いしれて、戦争終結工作に踏み出さなかったこと、連合軍の軍事力を過小評価したこと(自国の軍事力の過信と表裏の関係)が、その後の戦闘で犠牲者を増大させました。
 ―吉田裕著『日本軍兵士』(中公新書)によると、民間80万人を含む310万人の日本人犠牲者のうち、9割が1944年以降と推算しています。なぜこんなことが起こったのですか。
 1944年のサイパン島などのマリアナ諸島の陥落によって、日本の敗戦は必至の情勢でした。ここから日本本土にB29爆撃機が発進したのです。日本の民間人の大量死はサイパンの戦闘が最初でした。見通しのない戦争を継続したことが、餓死に象徴される無残な死を生み出しました。その点では、戦争終結を決断できなかった昭和天皇を含む日本の国家指導者の責任が問われるべきです。
 さらに兵士の人権や人格をまったく承認しない日本軍の体質や人命軽視の思想が、大量死の背景にあります。
 ―「総力戦」となる戦争の総括が国民レベルでなされていないように思います。
 戦争責任の問題も含めた戦争の総括がきちんとされていないのは事実です。アジア・太平洋戦争を「対米戦」とのみ見るような見方では、中国と東南アジアへの侵略・占領が抜け落ちます。
 さらに日本は戦争の後始末もきちんとできていません。
 その一つが、遺骨の収容問題です。海外(沖縄や硫黄島を含む)の戦没者数は、民間人を含め240万人です。そのうち遺骨を収容したのは128万人、約半分です。未収容の海没遺骨は約30万人です。戦没者遺骨収集推進法(2016年)によると、2024年までが「集中実施期間」です。今のままでは収集を終えることは困難です。後始末もまだ終わっていないのです。
 (3面)
 よしだ・ゆたか 1954年生まれ。専攻は日本近現代軍事史、同政治史。著書の『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』(中公新書)は20万部発行、ほか多数
(しんぶん赤旗、2021/12/06)

No.9416 - 2021/12/12(Sun) 00:55:11