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4日京セラ / かあか
ダブルアンコの時。

潤くんが、「あと1曲だけ」というと会場から「え〜〜〜〜〜」というブーイング。
ここで、潤くんがリーダーに無茶ぶりというか丸投げしてしまい、
私は勝手にお前ら帰れ!なんていうかと思っていたら、
リーダーがまさかの「ここ(京セラドーム)に泊まっちゃうか!」

このあと、ちょこっとメンバーで「ここで?」「みんなで?」とやりとりしてると潤くんが、「明日、撮影入ってんだよ!」とリーダーに覆いかぶさるように訴えていました。

というわけで、5日はドラマ撮影の潤くんです。

No.2137 - 2012/01/06(Fri) 01:22:38
1/4 京セラレポ / りょう [近畿]
行ってきました。セトリは昨日と微妙に違っていたような。
ARASHIが3曲目だったと思います。

追加→(ほかの方の報告では前日と同じセトリの様です。
     記憶が曖昧でごめんなさい。)←ここ編集です。

MCではお正月の話。
大野家では恒例のビンゴ。前回は3時間で7回戦だっそうで
今年も7回戦したらしいです。みんなでお金を集めてはずれなし。
大野ママが商品を買いに行くそうです。大野君はシュレッダーが
当たったとのこと。いつも来るお父さんの会社のおじさんも
来ていたそうです。

相葉家ではおばあちゃんの家に行って長いテーブルを親戚で
埋め尽くすそうなんですが今年から弟さんいとこさんに子供が出来
家族が増えたって言っていました。

潤くんは、家に帰って、カウコンの関ジャニのニンジン娘見て
実家に帰ったら、友達が来ていたらしいです。いつも勝手にすき焼きとか
食べに実家に来るって笑っていました。
そして今年は初めて親にお年玉をあげたらしく、
ご両親が敬語でありがとうございますって言ってくれたと言っていました。

ニノは朝家に帰って、おばあちゃんの家に行って、領収書整理を
したらしいです。

翔くんは車を運転して買い物に行ってトイレに行きたくなって
家の近くのコンビニ寄ってお年玉袋を買って弟さんにあげて
トイレへ。弟さんのサンキューです〜って言う声が聞こえたとの事。
ちなみにもらしていないって言ってました。

昨日の大野君のドラマでの潤くんは時多くんのキャラがまだ
つかめていなくてどうやっていいのかわからなくて、
やや時多くんになったとの事。
ドラマは全体的にぐちゃっとしていると表現されていました。

MCではジャケットを脱ぎ、白のシャツに蝶ネクタイ。
その後紅白の嵐メドレーの時の衣装に着替えました。

大宮SKの話で盛り上がりもありました。

潤くんがふるさとの時だったか、ニノの胸に手を当てる場面も。

潤くんの妖艶な腰くいん。肉眼でみてきました❤キュンキュンです♪

エレクトロの要素、取り入れていらっしゃいましたね。

文章では表現出来ませんが素晴らしかったです。
B5ブロックで、潤くんが下手側によく来ていたので
肉眼で拝見できました。
今回は横からも後ろからも見ることが出来、良かったです。

乱文で申し訳ありませんが報告させて頂きます。

No.2135 - 2012/01/04(Wed) 21:44:11
3日 / 小鳥
行ってきました。メメモ取ってないので、セトリ見ながら思い出してます。

1.僕僕 アカペラでスタート。
4.Oh Yeah!で順番に挨拶。
8.Yes?No? 千手観音凄い!ポイ、暗い中、歩いて取りに行くの見えました。メインステでJr.もポイまわしていてキレイでした。
9.Crazy Moon マイク度々不調。「イタイダケ」聞こえず↓
11.Shake it! 噂通り膝ついてぐりんぐりんしてました!凄いです!あっという間に終わった。
12.明日の記憶 シェケとのギャップに呆然。何故この曲なのか…四人の歌が全く入りません。2番頭ソロで潤くん登場。何事もなかったかの様。流石です!
20.迷宮の後、MC。珍しくよくしゃべってました。迷宮のやまたろ、おふざけを追求J。テレビでやまたろ抜く案出したの潤くんだそう。

アクセントダンス 画面が暗い。DVDで見たら凄いだろうな。かげむ、ぽいのは潤くん案かな?

挨拶はバクステ。

アンコール,
34.Love so sweet 潤ソロ成功(いつもドキドキ)
35.a day in 来ました、智潤の絡み!手繋いで離そうとしたら、智離さず。さらに後ろからハグされる(かなり嬉しい潤くん)
Wアンコール
38.エナジーソング 「♪一番になって必ず戻るから。ここ大阪に」と歌ってくれました。「♪それじゃ、また明日」で終了。

潤くんかなり調子いいみたいで。ご機嫌でした。智さんが咽の調子悪かったです。潤くん、一度も歌外さなかったです!よかった、よかった(^.^)

No.2134 - 2012/01/04(Wed) 14:54:07
(No Subject) / チャンリンチャンリン [近畿]
a Dayーで潤くんと大野くん、なにかやる?と見ていたら
前回、潤くんが手にキッスした辺りから
大野くんにがっちり抱き締められて、、、、
後ろからなので羽交い締め?
かなり長く二人で引っ付いて歩いてました。

最後の方で透けステからバッグステへの移動するとき
相葉さんテンション上がってタイミングが遅く
潤くんに引っ張られて難なくバッグステに行けました。

終わりの挨拶、翔くん、大野くんが話終える少し前まで
潤くんとニノがこそこそ、、、相葉ちゃんがいたとこらへんを
潤くんが指差ししていたので、そんな話をしていたかなー?

シェケの時、シューッと滑ってメインステに出てくる。

あきさんのおっしゃっている、ダンスシーンは
showtimeの影響かなー?と思って見てました。
ストリートダンスぽいキレッキレのダンス、、、
a Dayーでした。
他のダンスでも他メンは一回転なのに
潤くんは、二回転↑↑!

全くの私個人的な意見ですがー
激しいダンスナンバーもあるのでミックスされていたと思いますが
マイクの音量をかなり上げていて
いつもより現歌声が良く聞こえてたと思います。
なので、いつもより潤くんの歌っている声が良く聞こえた。

7月ツアー初日京セラは節電意識が強かったので若干暗いイメージでしたが
今日はメッチャ、キレイが第一声
(天井で会場を見渡せたから、、 (^^ゞ)
セトリをみても分かるように「日本復興」イメージが強いです。
そして、進化!カゲムっぽい映像、
潤くん、やりたいんでしょうねー

上のほうはやっぱり見えにくいので
紅白の演出のほうが見れるという点では良かったかなー
嵐メンが誰もステージにいない時間は短縮され良かったです。

シェケ潤、、、、、誰の期待も裏切りません!

No.2133 - 2012/01/04(Wed) 00:54:08
3日 とりあえず簡単に感想&エピソード / あき(管理人) [近畿]
席は1ゲート4通路9列32*番。

最初のご挨拶の終わりに優しく投げChu〜。

ビジュアル、最高!!
超ご機嫌のじゅんじゅんでした。

セトリはJOYなし。
ダブルアンコでエナジー・・・

MCの途中から紅白の時の5人が赤系のスーツを着てました。
潤ちゃんの濃いエンジのロングジャケスーツがとってもステキでした。

どの曲か忘れたけど、
潤ちゃんが本来ダンスのない曲で
ちょこっとオリジナルのソロダンス披露。
この日、2回そんなことして踊ってたよ。

7月のドームの時は席の場所のせいで未確認だったけど
嵐くんたちのモニターに映る映像が多かったです。
シェケも超アップで映ってました。
潤ちゃんの腰・クインクインは艶かしく・艶っぽいです。

相葉さんのパパとママ(もだったと思う)会場で観てらして
MCで話題になってました。
相葉ちゃんが発見。リーダーもニノちゃんも気がついて
ニノちゃんには指先を曲げたVサインを送ってたそうです。

No.2132 - 2012/01/04(Wed) 00:14:33
2012/01/03京セラ・セットリスト / チャンリンチャンリン [近畿]
京セラ1月3日 セトリ

1)僕が僕のすべて
2)Believe
3)言葉より大切なもの
4)Oh Yeah!
5)ARASHI
6)Rock this
7)always
8)Yes,No?
9)Crazy Moon
10) Lucky man
11)Shake it!
12)明日の記憶
13)ふるさと
14)Hero
15)じゃなくて
16)このままもっと
17)Everybody前進
18)きっと大丈夫
19)Happiness

(MC)

20)迷宮ラブソング
21)negai
22)Lotus
23)虹のかけら
24)Hung up on
25)どこのでもある唄
26)Attack it!!
27)morning light
28)まだ見ぬ世界へ
29)Love Rainbow
30)Troublemaker
31)ハダシの未来
32)サクラ咲け

(挨拶)
33)果てない空
34)遠くまで

(アンコ)
35)Love so sweet
36)a Day in our life
37)サンライズ日本
38)感謝カンゲキ雨嵐
(Wアンコ)
39)エナジーソング

No.2131 - 2012/01/03(Tue) 23:42:33
今年最初のコンサート! / ゆかり
無事に終わりました!
アンコールでエナジーソング歌ってくれました??

今日のシェケ潤も最強でした!

電車の中なのでとりあえず!

No.2130 - 2012/01/03(Tue) 21:30:21
/ てんどん
松本さんの演技について一言だけ。(あくまでもド素人の感想だから信憑性は保証しません。)

怒りの芝居が大きくなったね。たぶん怒りの器が大きくなったんだろう。
あくまでも私の捉え方ですが、怒りは人の器をなによりも如実に表す。人を見る時、その人が何に怒るのか、どう怒るのかそれを良く見て考える。怒りは、人を精神的に裸にする。ある意味、人としての建て前や仮面を、一瞬にして剥ぎ取り赤裸々にしてしまう一番怖い感情だな、と思う。精神的なヌードといったらいいのか。肉体ばかりを誉めてる訳じゃない。私はそれが素晴らしいな、と思った。

一番エネルギーのいる芝居だろう、と思う。今ができていない訳ではなく、更なる課題を挙げるとすれば、それを溜めて出す。そこだろうと思う。誰もが認める大きな役者になるよ。頑張って。

No.2129 - 2011/12/26(Mon) 21:46:58
舞台【あゝ、荒野】感想?D / ミツコ [関東]
新次は、たくさんの人たちにとって救世主だと思うのです。

母親を殺し、様々な男たちと関係を持ってきた芳子にとっては、
心身ともに喜びと幸せを与えてくれ、
自分だけを愛し、一生を共にしてくれる、唯一の男。

他人と会話ができず、孤独なバリカンにとっては、
唯一心を通わせ、父親とも思え、
死を持ってすらも希望を与えてくれる存在。

片目のコーチにとっては、自分の夢を実現してくれる存在。

松本潤にとっては、アイドルの裏に隠された欲望を表に出すことで、
計り知れない奥行きと魔力を持つ俳優であり、
その肉体と声とセリフから、信頼に足る本物の俳優であることを証明させてくれた存在。

観劇する者たちにとっては、
絶対的な憧れの対象を持つことが生きる励みになり、困難を克服させると痛感させてくれた存在。

そして、人の心を深くえぐる本気のエンターテイメントを創りたいと思っている人たちにとっては、
一緒に仕事をしたいと切望する、代替不可能な俳優に出会わせてくれた存在だと思うのです。

救世主たりえるには、辛酸をなめ、
人の心の裏表を知りつくし、
それでも己に打ち克ち、
「おまえは誰だ?」と問われれば、
深く傷ついた思いを刻み込みながら鍛え上げた肉体を指して、
「この肉体が俺だ!」と答える自信があればこそと思うのです。
そこが、新次と潤くんがダブって見える所以かもしれません。

このような新宿新次を、
現代の世によみがえらせてくれた蜷川さんと潤くんとキャストとスタッフに、
深く深く感謝いたします。

No.2128 - 2011/12/07(Wed) 01:04:05
舞台【あゝ、荒野】感想?C / ミツコ [関東]
やっと『あゝ、荒野』の戯曲を読みました。
美しい長編の詩を読んだような気がしました。

原作は、森山さんの写真のおかげもあってか、
あの当時の新宿の様々な人間模様をつぎはぎしたような感じでしたが、
戯曲は、一つの架空の世界が構築されていて、
新次とバリカンと芳子とCENSORED研究会の叙事詩的感覚でした。

原作にはなかった娼婦マリーの死が、
バリカンの死への伏線的な流れにもなっているようで、
脚本が夕暮マリーさんという覆面作家であるというのは、
娼婦マリーという原作にはない人物を使って、
この戯曲をリードしているという暗示なのかもと思いました。

そして、戯曲と実際の舞台の違いは、
舞台の新次、バリカン、芳子が、非常に清潔でピュアな印象なのに対して、
CENSORED研究会や娼婦たちや他の登場人物たちが、
生きることの澱(オリ)のようなものが、体の中に沈殿しているような汚れた印象があり、
その対比が際立っていたことです。
CENSORED研究会の面々が、役柄よりもかなり年齢が高い役者さんたちが演じたというのも、
この対比を明確にする意図があったのかもと思われます。
また、いろんな種類の人間がいるんだよということを表すために、
体格の違いが大きい俳優さんたちを配役しているのだろうなあとも思いました。

ところで、蜷川さんが、潤くんを「もったいない」と言ったのは、
女子供の憧れだけではもったいない。
成熟した男にだって惚れられるのに・・・ということもあるのかもしれません。

男が惚れる男というのは、
自分がしたくてもできないことをやってのける男だと思うのです。

例えば、やくざ映画の高倉健さんは、
ストイックに鍛えた体で寡黙を通し、
最後に義理や友情のために身を捨てて、殴り込みをかける美しい男だったわけです。

新次は、男なら誰でも本来は持っている欲望を隠しもせず、
堂々と宣言し、実行し、
世の真実を鋭く突き、
惚れた女なら母親殺しでも受け入れる度量の大きさを持ち、
我が身の破滅よりも、真に友達だと思った男の究極の願いを、
鍛え上げた体ととてつもない精神力でかなえてやる。

生きることにきゅうきゅうとせざるを得ない現代の男たちにとって、
感涙にむせぶほどの憧憬の対象となる、まっすぐに煌めくカッコイイ新次なのでしょう。
非情に思われることの遂行の奥にある、真の情の大きさ・むずかしさを知りぬいている男だからこそわかる、
新次の魅力もあるのでしょう。

あらためて、潤くんがこの役に賭けた強い思いがわかるような気がします。

No.2127 - 2011/12/06(Tue) 13:25:17
あゝ荒野覚え書き / akkunm [関東]
寺山修司さんの作品は食わず嫌いで避けて通ってきたので「あゝ荒野」が初めて触れる作品だった。原作を読んだ時どう舞台化するのか全く想像がつかなかったが夕暮マリーさんの脚本と蜷川さんの演出を経て1960年代を知らない若者にも伝わりやすい作品に仕上がっていると思った。
  会場にはいると大道具が何も置いてないだだっぴろい舞台に俳優さんたちが思い思いの格好をして待機している。スモークが焚かれているので輪郭がぼやけさらに広く感じる。劇中でもスモークが焚かれる場面があるが観客に荒野を感じてもらいたい時に焚かれるのだろうか。
   千秋楽では演出補の方が舞台上で井出らっきょさんに台本片手に話しかけられていてキャストの皆さんの笑いを誘っていた。何を話していたのか気になる
  
   原作と異なるところはバリカンの心の闇を‘娼婦の殺人’ー現実か否かはわからないーで表現しているところ。‘死の天使’は結局バリカン自身が生み出したもの。もしくは招き寄せたもの。新次との試合の時に現れ、舞台の端にそっと佇んでいるのが印象的だった。

 テレビや雑誌にも取り上げられているシーンだが、  新次がジャングルジムに登ってバリカンに手を差し伸べる時の新次の表情と2人が寄り添うように座って語るところが好きだ。千秋楽では小出くんはかなり泣いているように見えた。潤くんはそんなバリカンをより優しく包み込むような演技だった。

   バリカンの手紙を読んだ後の新次の心の葛藤を表した場面の演出は夢に見そうなくらい怖かった。ジャングルジムにCENSORED研究会のメンバーと5人くらいの老人が登り、老人の乾いた笑い声の中「お前は誰だ」と合唱する。勝村さんと石井さんのセリフも迫力があったが、カワサキの存在にぞッとした。
  それをすべて跳ね返すような新次の台詞。松本さんいい声になったね。身体に響いてくるような低めの声に感動。

新次とバリカンの闘い
本物のボクシングを観客となって見ているような感じ。
早いパンチの応酬。バリカンが朦朧となってきた頃からかスロモーションになる。バックは青い影。もちろん周りの人物もスローモーションで動いている。スローモーションなのに二人とも汗で体がテカり汗が滴り落ちている。身体的にかなりハードなことがわかるが、それとともにその汗さえ演出の一部になっているように見える。何度も何度も殴られ最後にはマウンドに沈んで行くバリカン。息をするのを忘れそうになる位迫力のある場面だった。死亡診断書が読み上げられる。新次は心を喪失したかのような様子。バリカンを抱えて慟哭。
    新次の声を含めてこの世の全ての音が消え、音のない暗闇の中で二人だけにスポットが当たる。そして暗転。これは脚本とは異なる演出だがすごく好きだ。

No.2126 - 2011/12/05(Mon) 23:35:50
凄く良かった / 聡美 [関東]
初めて書き込みさせていただきます。
皆さんの感想が素晴らしくて、この目で見た『あゝ、荒野』の世界が、
さらなる深みをもって脳裏によみがえります。

幸運なことに埼玉、青山と、2回観劇する機会に恵まれました。
一回目は一切の情報を入れず、2回目は小説を読み、寺山修二の詩集を読み、その思想をヒントに自分なりの解釈を持って席につきました。

正直、全てが期待以上のもので、松本潤の内にある底知れぬエネルギーに心から感服しました。

【感想】

上手い下手を超え、新次としてそこに立つ松潤には、圧倒的な説得力があった。圧倒的に美しく、そして圧倒的に悲しかった。

実際のリングを使用したバリカンとの死闘、
全てを受け入れ荒野をただ前へと進み続けるその姿は、哀しくて、痛くて、絶望的で、そして何より、とてつもなく孤独で。
その姿が松本潤の抱えるそれと重なり、この人はどれだけのものと戦い、背負い、今そこに立っているのだろうと胸が締め付けられ、だからこそ美しいのだと納得した。

死にゆくバリカンを、その腕の中に抱え、叫ぶ新次。
ただひたすら悲しくて、

あぁ、蜷川さんのやらせたかったことは、きっとこれなんだと思った。

松潤自身が孤独な荒野を駆け抜けてきたヒーローだから、
あの叫び声は彼にこそ出せるもの。

新次は決して強くない。、若くして痛みや悲しみ絶望、多くのものを目にし、受け入れ、それでもただたすら己の肉体のみで荒野に立ち、前を向き進もうとする男。
そしてヒーローである宿命を抱えた男。

“強いものなどいない、強くあろうとするものがいるだけだ。”
ふとそんな言葉が浮かぶ。

強くはなれないけど、強くありたい。
目の前に広がる荒野に、絶望でなく希望を見たい。

自分の中で確かに何かが動いた。
松本潤はやはり凄い男だと思う。

No.2125 - 2011/12/02(Fri) 17:19:05
あゝ荒野感想 / あき(管理人) [近畿]
いよいよ千秋楽ですね。
あれから1週間たって、ほとんど予習をしないで見た舞台は
まだ、自分の中で消化できないでいます。
森山大道写真展を見てゴールデン街を歩いて、
その後見た新次はまぶしかったです。

もしかしたら、とんでもなく方向違いの
解釈をしたのかも知れないのだけれど・・

新次は高度経済成長の時代を力強く、
ささやかな幸福も含めて手にしようとする当時の人の象徴で、
娼婦や架空の町新宿に生きる人は
その時代に社会の片隅に追いやられ、流れに身を任せて、
その町で生きる事が余儀なくされた人の象徴。

私はバリカンが一番理解できなかったのだけど、
その中でもがき苦しみ光と強さを持つ新次に思いを馳せ(こんな簡単な言葉じゃないのだけれど見つかりません)
世間から忘れ去られた自分の存在を誇示する為に
玉砕覚悟で新次と戦い同化しようとする存在。
そうすることで思いだけは共に生きようとしたのか、
自分を無に近い存在にしているその時代から逃れたかっただけなのか・・・

CENSORED研究会は、60年70年の学生運動の象徴でしょうか・・・

寺山修司は死の意味を常に考えていたと何かで目にしました。
(あってますか?)
本来原作はバリカンが主役なのですよね?
それをこの舞台は、新次を主役にすることで、
生きることの意味を
問うたのではと思いました。
バリカンの死亡年月日が平成の公演日になっているのも
意味があるのかも・・・
実は、その日まで戦いながら打ちのめされながら、
新次と共に生きたのではとも感じました。

もういちど、戯曲を読んで考えたいと思います。
そしたら次回は違う感想かも知れません。

No.2124 - 2011/12/02(Fri) 11:26:53
あゝ荒野感想続き / てんどん
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

寺山は言った。私にとって望郷と友情とは切りはなしがたい絆のようなものを感じる。言葉はいつまでも、1つの母国である。魂の連帯を信じないものたちにとっても、言葉によるつながりだけは信じられないものだろうか?私にとっては乗物がだめなら自分の足で「走ってゆく」しかない時代に生きているような気がしてならないのである。たにんをまきこまずにはCENSOREDもできない時代になってしまったことをかんがえながら、しみじみとえんぴつをながめている。じぶん、というどくりつしたそんざいがどこにもなくて、じぶんはたにんのぶぶんにすぎなくなっている。(書を捨てよ、町へ出ようより引用)
相手を傷つけずに相手を愛することなどできる訳がない。殺されることこそ、1番素晴らしい死に方なんです。憎まなければ愛されない。俺はとうとう「憎む」ことができなかった1人のボクサーです。俺はみんなが好きだ。俺は「愛するために愛されたい」。俺はまだ、ちゃんと立っている。遠い…目の前が一望の…荒野だ…(あゝ荒野、より引用)

新次の最後は、あまりにも人間的な慟哭である。それは、人間的なものを引き裂いていく時代への慟哭でもある。そうした、魂の孤独、痛み、隔絶を抱えて生きていく鎮魂の歌がまるでノイズのように突き刺さってくる。
我々はなにを失ったのだろうか。それは祖国を分かつ、言葉のようでもあり、マッチの一瞬の炎のように刹那な歌でもある。やがては朽ちる幻、だ。我々はそれを愛し続けることで、生きる歩みを続けていかなければならない。人間的、であること。その意味を問い続けこと。それが、彼の投げかけた命題であり、今を生きる私たちへの命題でもある。

時代の光と闇。スターはそれをすべて引き受けて輝く。松本潤のなかに見出すものを蜷川は鮮やかに描き出した。この作品は、3人の天才が存在して初めて成立する。寺山修司。蜷川幸雄。松本潤。我々はそうした3つの点が結ぶリングの残り1点に立ち、あの壮大な叙事詩の生きた証人、となり得た。そのことを、強く深く誇りに思いたい。改めてこの作品に関わられたすべての人びとに感謝と尊敬の意を表します。

舞台はあと3回。全ての栄光が彼らに注がれんことを祈り、この駄文を終わらせていただきます。読んでいただいた方、ありがとうございました。

No.2123 - 2011/11/30(Wed) 05:35:57
新宿新次 / shino [関東]
さらさ様、あくび様お二人の感想、解釈を読んで楽になりました。
私は舞台を見た後は新次の未来がとても気になってしまって…
(架空の話なのに…)
ボクシングは続けられるんだろうか?
ちゃんと生きていかれるんだろうか?
何でバリカンにそこまで…
バリカンは打たれながら「愛するために愛されたい」と言ってました。
見ていて新次が居るじゃん!!って泣けてきました。
いつもは笑いながら相手を挑発するという新次がものすごい形相でむかってきてる。早くダウンしちゃってよ!!(結末は知っていたのですが…)
4R終了のゴングでピタッと止まった新次
私には子供のように見えて…今書いていても涙が出てきます。
最後の叫びも前向きなものという考えが私にはなくて
さらさ様の生きる!生きてやる!という壮絶な決意表明。
あくび様の大人として生まれ変わった新次の産声。
新たな感動です!!
また見たくなってしまいました。
さらさ様、あくび様ありがとうございました。

舞台は素晴らしかったんですが1点だけ映像だったらと思ったシーンがありました。
試合前に新次とバリカンがすれ違うところです。
フードをかぶって後ろ姿だったので、顔が見たいとつぶやいてしまいました。

ネタバレでもレポでも何でもない私の思いを長々と書いてしまいすみませんでした。

No.2122 - 2011/11/29(Tue) 22:23:40
あゝ荒野感想 / てんどん
クリスマスローズさん、私の言葉足らずを足してくださってありがとう。あと右胸の所、みんなが気にすること書いちゃってごめんなさい。そしてラストについての私なりの解釈、途中まで書いたのに、どうしても送信できなくて、不甲斐ない自分に、ずっと落ち込んでいました。以下、その文です。あんまり上手く書けなくってごめんなさい。ファン失格ですね。

舞台には魔物が棲む。魔物を湛えた、飢えた目を持ち、神をも喰らう言葉を咆哮とする美の化身。圧倒的な野生が荒野を駆けぬけた。それはまるで現実に斧を振るう幻影のように、実存を脅かす。
演じるという魔性に囚われた演者と観客の共犯が、世界を脅かす。美は、誰にも操れない、天罰のようだ。我々はただそれにひれ伏すしかない。

人は、死した細胞である角質を纏って生きている。人は死を纏って生きているのだ。逆にいえば、死は根源的に、生にしがみついて存在する。生もまた然り、である。

華厳の滝に身を投じた藤村操。「書を捨てて、町へ出よう」と呼びかけた作者は、彼を、純粋CENSORED概念の確立を果たした、美学の紳士、と呼んだ。彼は圧倒的な美に呑まれた。大なる悲観が大なる楽観に一致するように、侘びしい自分が圧倒的な美にしがみいて生きることを望んだ。そして彼は、いくつもの命を操る。
偉大過ぎる愛は、まるで巨大過ぎる憎悪のように、人を捉えて離さなかった。生きるという贖罪を嘲笑うかのような、まるで完結したかのような、一片のサディズム。それを人は美学と呼び崇め、追いつくことに夢中になった。

バリカンは知っていた。言葉にならない言葉は、人を捉えるサディズムだということを。それは、娼婦を滅多刺しにした、ナイフのように人の心をえぐり、突き刺す。彼はその狂気を、凶器として完全な美に向けることで、呪縛のように永遠に生きる、ということを望み、それを果たした。

それは美の宿命である。全ての魔物、狂気を引き受ける宿命。それらを全て呑み込んで、美はさらに、輝きを増す。美は、全てを呑み込む、狂気の魔物なのだ。魂と魂、肉体と肉体の闘い。それこそがリングの上の美学、永遠の命、美、を賭けた闘いなのである。

それには、誰もが追随しえない圧倒的な美の存在を、実存たらしめる魂と肉体との結晶が、必要であった。それは、神々の存在を否定するかもしれない、我々を圧して離さない、冒涜のようなものかもしれない。それらを畏れず、具現のものとした彼らに全ての敬意を表したい。

No.2121 - 2011/11/29(Tue) 21:28:39
あゝ、荒野11月21日 感想 / あくび [近畿]
はじめまして。

さらさ様の感想を読んで、ずうずうしいのですが、私の陳腐な解釈を書いてみようと思いました。

バリカンと新次は陰と陽の対ではなく、若者の感情を具現化したのだと思いました。若い時は勢いがあって、根拠のない自信があったり。その反面、とても自信がなく、コンプレックスの固まりのような所があったり。奇妙ですが、思春期の時期にはこういう感情が内服していて、いろいろと揺れ動いているような。
自信がある時の感情を具現化したのが新次で自信がない時の感情を具現化したのがバリカンなのかなと思いました。
また、バリカンと新次は若者の一部の感情を具現化したもので、スーパーの社長は老いの一部の感情を具現化したものではないかなとも思いました。
そして人は成長と共に弱い部分は小さくなって行き、私のようなおばさんは少しずうずうしく成って行くのだと思うのですが、ラスト新次がバリカンをCENSOREDしまうのは、そういう成長を表現しているのだと思いました。
最後の叫びは大人として生まれた変わった新次の産声のように感じました。

登場人物はみんな人の感情の一部を具現化したものなのかなと思いました。

勝手な解釈ですが、私の感想というか。
さらさ様の解釈が似ているように思ったので書いてみました。

No.2120 - 2011/11/29(Tue) 20:38:39
あゝ、荒野11月18日マチネ 感想 / さらさ [関東]
11月18日に青山で観劇してからずっと考えていました。
やはり最後がどうしてもわからなくて、感想を書き込むことができず・・・。
新次がバリカンを、死ぬまで殴り続けなければならなかったのは、なぜなのか。
試合に勝つだけではダメだったのか?

バリカンが望んだから・・・?
バリカンは闘うことを望みはしたけれど、新次に殺されることまで望んだのでしょうか?
私にはどうしてもそうは思えなくて。

新聞のインタビューで、松本さんが
「バリカンは新次が探していた自分の半身。でも2人でひとつにはなれないから、どちらかがどちらかを食うしかない。」
と言っていましたが、それを読んでまた考えました。

今現在は、こんなふうに思っています。
新次は寺山修司が憧れてやまない理想像で、バリカンが彼のコンプレックスの象徴(故郷の訛りをいつも気にしていたそうですね)、ナイーブで人間らしい部分の象徴だとしたら。
一握りの人間だけが手にすることのできる栄光のために、新次は自分の中の人間的で弱い部分を徹底的に封印する、つまりCENSOREDしまうという決断をした、ということなのではないか。
彼のの言うところの、「ヒーローの思想」がそうさせたのだと。
ラストの新次の咆哮は、CENSOREDしまった自分の半身を慈しみ、哀しんで抱きしめながら、それでも欲望のために俺は生きる!生きる!生きてやる!という壮絶な決意表明のようにも思えました。
それは、松本潤という人が、トップアイドルでい続けるために、そしてさらなる高みへと上って行くために、いろんなものを犠牲にしながら生きていく姿とも重なります(勝手に重ねちゃいました)。

いろんな解釈があっていいのかな、と思います。
まだ考え続けています。

No.2119 - 2011/11/29(Tue) 17:01:24
あゝ、荒野 26日ソワレ / クリスマスローズ [近畿]
前回は2階席、今回は新次がすぐ横通路でセリフを言うシーンがあったという良席で感じ取れたことは…
何よりも眼球…登場するシーンから恐かった。鳥肌がたちました。
無言で登場するからか、視線が外せなくて…深い海に吸い込まれそうになるような、頭がくらくらしてきて私気を失うんじゃないかしらと思うくらいドキドキして息苦しかった。
芳子を誘うような眼とか、「おれはおれだ」と訴える眼とか、悲痛とか感情表現が益々高くなり、そこに声の抑揚や強弱、高低、身体表現が加わり新次の感情が真っ直ぐにこちらに、向かってくる。
素晴らしい完成度です。
そして横通路(私の右側)でのシーン、横顔がとーっても素敵でした。


日々、公演が進んでいく中で、演出を変えたり、アドリブを入れたりするところも変わっていると思うのですが、違和感なく舞台に溶け込める感じがとてもよかったです。簡単明瞭。チームワークですね。


新次とバリカンが出逢うシーンですが、新次は、ぶら下がろうとする勝村さんをわざと身体をくねらせて勝村さんがぶら下がりそこなって…もう一度ぶら下がりなおした時、勝村さん思いっきり潤くんに向けて唾しぶきを飛ばしていました。潤くん、わかっていたのか最初から顔をそむけて笑っていました。

料理のシーンはもやしを入れた後、そばを入れていました。塩、コショウも醤油もたくさんかけていたので、娼婦の方が食べながらむせていて、「辛!!」って口が動いたように見えました。あと、醤油の焦げた匂いがしていました。

ベッドで寝ているシーンでは足の裏も確認できました(^^)v


舞台のセット(ネオン)ですが、2階席から観ていると、前面の大きな物しか見えないのですが、下からだと60年代の盛り場を思わせる派手な歓楽街そのもので、特にジャングルジムのシーンは下町の一角に居るような感覚さえしました。
また、冒頭のシーンでダンサーたちが集まり、舞台奥の方からそれぞれの動きで出てくるところは、混沌とした時代背景を芸術的に表現されているような感じを受けました。


さいたま(10/31)と今回の公演
私事(家や仕事、旅費等すべてひっくるめて)としては、ちょうどいい間隔で当選できて、申し訳ないと思いつつも、新次とともに本当に幸せなひと時を過ごすことができたと感じています。一生の宝物です。ありがとうございました。

No.2118 - 2011/11/29(Tue) 10:31:09
舞台【あゝ、荒野】感想?B / ミツコ [関東]
なぜ私がこんなに結末にこだわったか?

それは、セックスは日常行為であり、売春もあの時代の少し前までは合法だったことですが、
ボクシングを通しての殺人は、美化してはならないものだと思うし、
もし、DVD化されたり、再演を重ねて、多くの人たちにとってポピュラーな演目になったとき、
論議の的になる可能性があると思ったからです。
『あしたのジョー』は、最後、死んだかどうかわからないという想像に委ねる終わり方をしていますが、
『あゝ、荒野』は、殺し殺されることを否定していません。

この作品をフィクションとして、アリと思ってもらえるためには、
膨大な知恵とエネルギーが必要で、
ラストシーンを美しい音楽と、美しい肉体が優雅に踊るがごとくのスローモーションで、
観客を拳闘の興奮の陶酔へと誘い込み、エンターテイメント作品にしています。
生とは何か? 死とは何か?
永遠の問いかけを観客の脳裏に刻み込み、反芻し続けざるをえないことで、
新次とバリカンの物語がずっと記憶に残ってもらえるということかもしれません。

No.2117 - 2011/11/29(Tue) 00:42:06
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