|  | 柳田やよいさんのファンなので、購入しておりました。 ドラマ好きの私が見て一番に思ったことは、カメラワークの「クセ」です。 「相米慎二監督の初期の映画か!?」と思うほどの非常に長い長回しで、延々とカットをかけずに撮影されているのは「まあ、こういう撮影手法なのか」と思うのですが、 その際に、 例えば「顔の寄り」→「全身」→「顔の寄り」と、カメラアングルを変える際に、 「グルングルンとカメラを回して寄ったり引いたりさせる」”クセ”を、このカメラマンさんはお持ちです。 大画面テレビで見ると、ジェットコースターのように見たいものが常に動きまわって、焦点が定まらないです。 特に右回転左回転をグルングルンと、矢継ぎ早に連続でされると、本当に目が回ってしまいます。 そこは編集で切ったり、いったんカットをかけたりして、 「顔の寄り」→(グルングルン右回転→左回転→引き→寄り)→「全身」→(グルングルン右回転→左回転→引き→寄り)→「顔の寄り」 よりも、 「顔の寄り」→(いったんカメラを止めて)→(編集でカメラ移動の”死に部分の動画”はカットして)→「カメラ移動先の、爪先のアップからスタートして、ゆっくりと脚、、そして上半身へカメラが舐めて」→(じんわりと視聴者にストレスがかからない程度のスピードでカメラが引いて)→「全身」→(いったんカメラを止めて)→(カットをかけて絵変わりをさせて)→「顔の寄り」 とする方が、カメラが安定して、見たいものが安定して見れて、見やすいです。 「右回転左回転寄ったり引いたり」のカメラ移動がせわしない割に、柳田やよいさんが言った決め台詞や、下着を脱ぐところや、相手の背中にまわした指先の演技・・・等々が、撮り逃して、画面の隅に追いやられているのが、実にもったいなかったです。 演技派女優の柳田やよいさんの目の表情、キステクニック、指先の細かい演技、肉感的な裸体の魅力・・・、あ〜もったいない。 長回しで撮影されるなら、 「この10秒間は、顔の表情を撮影しよう」 「次の20秒は体位変更を全身が映るように撮影しよう」 と、撮影したいものをあらかじめ決め込んで、女優さんにカメラワークをあらかじめ説明したうえで、女優さんに合図を送りながら撮影しないと、 結局は、カメラがいろいろと動いてる割には、後追い後追いになって、見ていてじれったかったです。
絡みの場面で動き回るカメラ(右回転左回転の矢継ぎ早の連続さえなければ)は、まだ、「臨場感のある撮影手法」として見れるのですが、 ドラマ部分でも、このカメラワークがあって、私には非常に見辛かったでした。
「動き回るカメラ」というのは、「絡みの臨場感を出すため」に、アダルトビデオで”のみ”通じる、「独特な撮影手法」です。
ドラマ部分でこれをやっては、「ドラマを演じている役者さん」と「それを撮影しているカメラマン」が、「その場にいることを視聴者に伝えてしまう」ことになります。 制作者は「台所で料理をする若妻・柳田やよいさん」”だけ”を表現したいわけで、 カメラが長回しでグルングルン回転して引いては寄り、寄っては引いて、画面が動きまわってしまっては、 「柳田やよいさん以外に誰もいないはずの台所」に、「登場人物ではない謎の第三者(カメラマン)」がいることを、表現していることになります。
これは、盗撮モノ等、特殊な演出を除いて、ドラマを撮影するカメラワークとしてはタブーです。
テレビドラマや映画のように、ドラマ部分は、最小限のセリフで、伝えたい演出のみを、要点を絞って、細かくカット割りして、撮影しなくてはいけません。
カメラワークで言うと、会話している二人のシーンならば、二人の顔のアップが「パン」→「パン」→「パン」と、セリフのたびに切り替われば、最小限のことは伝わるわけで、 それ+αで、「ふれあう二人の指先」とか「状況説明のための引きの絵」を、「ポン」「ポン」と、入れ込めば最小限の時間で最大限のドラマの役割が果たせるのです。 ノーカットで動き回る割に、「女優さんの頭頂部のつむじを、わざと見せるドラマ上の演出なのか?」というと、そうでもないのです。 ドラマ部分が長く感じたのは、カメラが移動する「無駄な時間」が、そのままカットされずに残っているのが最大限の要因に思えました。
あと、セリフで 柳田やよいさんが 「やっぱりあの娘・・・、同性愛者なのかしら・・・」 と言うセリフで、日常会話にそうやたらめったら、「同性愛者」という単語は出てきません。 もっとさりげないセリフに置き換えるべきだと思いました。
あと、ドラマ部分でBGMが使われていません。 インディーズメーカーの作品なら、著作権の関係で使える音源が限られますが、 大手メーカーであれば著作権フリーのBGM音源は、数パターンお持ちのはずです。 音源の「BGMのサビの所で・・」または、「曲調が変わった「チャララ〜ン」の所で・・・」、若妻に想いを寄せる女子高生の愁いた目のアップに「パン!」と画面が切り替わる・・・と、いう風に まずBGMありきで BGMから逆算して、ドラマ部分のセリフや演技、カメラワークや、編集をするのが、一般的なドラマの撮影手法です。
あと、先の「やっぱりあの娘・・・、同性愛者なのかしら・・・」と、若妻・柳田やよいさんが気付く場面で、 なぜに彼女が「やっぱりあの娘・・・、同性愛者なのかしら・・・」と、気付いたのか? ・・・甚だ説明不足です。 若妻に想いを寄せる女子高生がチラチラと、目線を向けるシーンがほんの少し画面の右隅に見受けられましたが、先ほどのノーカットでグルングルンと動き回るカメラワークのせいで、初見では女子高生の顔にカメラの焦点が合っておらず、非常に分かりにくかったです。 前振りは丁寧に。 例えば 「ふとしたことでふれあう指先」→「ハっと見つめ合う二人」→目線をそらす女子高生」→「不審に思う若妻の表情」→「それに気づかない娘の描写」 ・・・と、「パン」「パン」「パン」と数回、女優さんの顔のアップを交互に撮影するだけで、効果的に伝えたい演出が、視聴者に理解してもらえるはずです。
以上、気になった点を羅列しました。 失礼いたしました。 レズAVのドラマ作品が好きなのですが、本作は、そのドラマ部分とカメラワークが、ちょっと、もったいないように思い、書きこませていただきました。 本編の絡みは臨場感があっておもしろかったので、ドラマ部分の撮影がもっと手慣れれば、 演技派女優・柳田やよいさんをはじめ、他のお二人も演技力があったので、「出演者のキャラが立って、ドラマ部分が本編の絡みを引き立たせて、全体通してみたときの完成度が増して、もっと良い作品になったのに・・・」と、思いました。 ドキュメンタリー物の、「その行為だけ」を何の脈略も無くつなぎ合わせるAVの場合は、こんなことはどうでも良いのですが、 「その行為」を印象付ける前フリとして、ドラマ部分がきっちり撮影されていなければ、せっかくの「見せたい絡み部分」の足を引っ張ってしまうことになるので、 例え「短いドラマ部分」やドキュメンタリー作品の「状況説明」、「設定説明」の「前フリ」の部分でも、丁寧に撮影していただきたいです。 それが出来た上で、 「ネタフリ」「前フリ」は、丁寧に・・。 「オチ」「本編の絡み」はシャープに・・・。 と、緩急が付けば、全体を通して見たときに、より「本編の絡み」が効果的に見れるのでございます。 最近のAVで、前フリや状況説明をおざなりにする作品が多く、悲しいことでございます。 本編の絡みに行く手前を、 「いかに手短に、かつ丁寧に撮影して、効果的に盛り上げるか?」 のアイデアと撮影手法が、実は監督の腕の見せどころだったりすると私は思っております。
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No.18580 - 2012/03/01(Thu) 03:32:34 |