論理的に思考すれば、正しくものを考えることが出来ると思っている人は、多いと思います。しかし、それは間違いです。論理の出発点は感性なのです。その感性は、幼年期に形成されます。だから、感性が歪んでいると、どんなに頭の良い人が、どんなに論理的に考えても、その結果は間違ったものになります。傾いた基礎の上に、どんなに柱を直角に組んで家を建てても、曲がった家になってしまうのと同じです。そして、旗だとか歌は、感性に直接作用し、その形成に大きな役割を果たします。 明治時代、軍部を中心に、天皇に奉げる歌として君が代が作られましたが、一般には受け入れられませんでした。そこで文部省が、学校教育の場で、子供の頃から斉唱させ、その浸透定着を見ました。その後、原爆が投下されるまで、日本がどう云う道を歩んだかはここで記すまでもないでしょう。近年になって、再び、学校で、君が代教育が復活しています。以下、参考までに、君が代の訳文を記します。
君が代は、千代に八千代に、さざれ石の、巌となりて、コケのむすまで。
'君'は、君主たる天皇を指します。'代'は、治世を意味します。'千代に八千代に'は、千年も八千年もという意味です。'さざれ石'は、細かい石です。'巌'は、岩の塊です。'コケのむすまで'は、コケが生える位長い間という意味です。つまり、「 君主たる天皇の治世が、千年も八千年も、細かい石が、岩の塊になって、コケが生える位長い間続きなさいよ。」という意味です。一言で云えば、天皇万歳の歌です。君が代を歌うことと、天皇万歳と叫ぶこととはイコールです。これが、民主主義国家の歌として相応しいのかどうか、考えてみてください。特に、何も分からない子供の内に、頭に植え付けていいものかどうか。
|
No.6599 - 2003/08/25(Mon) 19:26:22
|