| 耕作。 1,ヤマネコが全島に棲息していたころの対馬。 岡山の恵理さんおはようございます。昨夜は送別会で12時に帰りました。今日の対馬は風が少しあり薄曇りです。 「ツシマヤマネコはどのような自然環境の中なら、数も増えていくとおもいますか」というお尋ねですが、長崎の松本彩香も参考になるかと思いますので見てください。 ヤマネコが全島に棲息していたころの対馬のようすを写真を使い説明します。私は1944年生まれの62才で、1960年中学を卒業しました。対馬は耕地面積が少ないため中学をでた頃までは、ほとんどの山は開墾され段々畑が沢山ありました。段々畑にはイモ、ムギ、ソバなどの穀物が栽培されていました。そのため、ヤマネコの餌になるコウライキジ、カヤネズミなども多く、人とヤマネコが共存していました。山で炭焼きをしている人達も多く、どの山にも人がいてオーイと大きな声をかければ、ヤマビコではなく人が返事をする。という時代でした。現在のようにガスなどもなく、殆どの家で農耕に運搬用にと牛馬が飼われていました。牛馬の餌がなくなれば雨が降っても山に行き、草を取ってこなくてはなりません。その頃の島民は生活の場が山でした。
時は過ぎ、昭和四十五年以降、国の高度経済成長で世の中が豊かになり、耕作していた段々畑も消えていきました。 耕作していた後に植林が始まっていたのですが、国の高度経済成長で昭和四十五年以降、国から植林にたいする補助金もでるようになり、木の実のなる広葉樹など伐採され植林が加速しました。耕地面積の減少、植林などの影響で小動物も少なくなり、ヤマネコが減少したと考えられます。 開発。 もう一つは道路などの開発が考えられます。隣の町に行くにも自転車さえ乗れない道が多かった島に国道、県道、林道などの道路が多くできました。このため山は分断されヤマネコたちの安住の地である生息域が脅かされ、棲息しにくい環境ができたとおもいます。 特に下島の方は、林道などの開発が多く見られます。そのために上島よりもはやく減少したと考えられます。 耕地面積の減少、林道などの開発は今さらどうすることもできません。ヤマネコの棲息しやすい環境を作るには、一日でも早く安住の地となる人のての入らない山などを買い上げ、できれば耕作などもすることが大事だとおもいます。
給餌。 会では、4カ所で平成5年から給餌をしていますが、昨年までに一カ所の餌場で40頭の仔ネコが育っています。仔ネコは毎年5月初旬には出てきますが、今年も現在、3頭の仔ネコが育っています。11月ごろには殆ど成獣のように大きく育ちます。43頭の仔ネコになりましたが、8月頃までに他の兄弟が出ることも考えられます。 写真の向こうの山は植林などで覆われていますが、子供の頃は段々畑が多くあり、耕作がされていました。上県町佐護湊になります。
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No.682 - 2006/06/24(Sat) 15:12:15
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