 | 我が集落
今朝、少し早起きし自分が棲息?する集落の風景を撮影。
のどかに見える、集落は対馬市上県町佐護湊である。今から、61年前の昭和20年8月11日、午前8時過ぎ、アメリカ軍の数十機の飛行機によって空爆され大きな被害を被った。撮影している山の裏の近くに要塞、棹崎砲台があったため砲台を空爆したついでに、近くにある湊の集落も空爆したのだろう。棹崎砲台では兵隊さんが、一人犠牲になったそうだが、犠牲者は自分の身内を含め集落のほうが多かった。と聞く。爆弾は自分のすぐ近くにも落ちたそうだが、運良く怪我もなかったようである。その時まだ1歳で知るよしもなしである。 爆弾は川や集落に落ち、あたり全く見えなかったと聞いている。空爆の原因は、8月6日棹崎砲台に飛来したアメリカ軍の飛行機、2機に高射機関銃で攻撃していたのが原因かも。
10年にもなるだろうか?すぐ下の川から不発弾が見つかり自衛隊が処理している。 戦争はいらないが、人間という動物が生きている以上、何時かまた・・・
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No.786 - 2006/10/04(Wed) 23:38:18
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