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花の鏡 其ノ二

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11年4月24日  自主公演能(喜多能楽堂)  (感想) / 兎谷
『東岸居士』友枝昭世・宝生閑・三宅近成・一噌幸弘・曽和正博・亀井広忠

はじめは抑えた感じで、日常の何気ない会話のようにさらりと進む。
舞はじめは子供っぽいような、さらりとただ楽しく舞っているのに、次第にしっかりと大人びて、いつの間にやら悟りの世界に到達してしまうよう。
シテ『クリ』以降のシテは佇まいも謡も静で良いが、地謡はどっしり、しっかりなのに、説得力に乏しく、世界観が伝わりにくいのが、残念。
『物着』して“鞨鼓”をつけると“鞨鼓”を打つ様子は優しく、慈愛に満ちた清浄な世界から、今度は舞とは逆に俗の世界に戻ってくるような、舞とセットで循環している様な気がして、いつまでも見ていたい気がした。


『千寿』金子敬一郎・佐々木多門・工藤和哉・槻宅聡・亀井俊一・原岡一之

シテの暗く寂しげな『次第』『下歌』、ツレの「身はこれ〜」と抑えた謡も、ちょっと地味目でも良い感じ。
しかし、ツレ「ただ今は」は、まったりとして、シテ「その時千手」も伸びやかなのだが、ちょと雰囲気は出ていない。
シテ『クリ』『サシ』は空しげで美しいのに、「落されけるこそ」と抑えた地謡で、『シオル』姿に悲しみは感じられない。
『クセ』からは、シテの型も地謡も綺麗だが、変化が少ないのでやや単調な感じ。
舞はじめは、上品さは有るものの、“素”の金子さんの様に思えてしまったが、二段目あたりから、寂しげな女らしい雰囲気に。その後ラストまで寂しくは儚げで美しい。


『項羽』粟谷浩之・佐藤寛泰・則久英志・御厨誠吾・??澤祐介・内潟慶三・古賀裕己・安福光雄・大川典良

シテの『一セイ』は伸びやかに謡おうとしているのは分かるが、もう少し。
しかし、静かにワキの方を向く姿に威厳が有り、しっかりとした気配が良い感じ。
静かな『語』も、重すぎる事なく、自然に安定した雰囲気なのはマズマズ。
しかし、後シテは硬い感じで、しっかりなのに迫力がなく、この日の地謡は、この曲(地頭は塩津さん)がもっとも良かっただけに、勿体なく思った。


他に狂言『隠狸』三宅右矩・前田晃一。仕舞『雲雀山』梅津忠弘。

No.113 - 2011/06/26(Sun) 23:45:31
11年4月17日  橘香会(国立能楽堂)  (感想) / 兎谷
さてさて、ここから後は、今までの書き方では絶対に追いつけないので、簡単に書くことにします。
そもそも型を書いていたのは、後で型を確認したい時に、ネット上にあれば、探すのが楽なのと、紙に書くとなくすし邪魔だしと、思っていたからなので(感想と言って書いていますが、型附メモなのです)どんなに更新が遅くても、今までの形で書きたかったのですが、あんまり遅くなると、舞台の印象を忘れてしまうので、ここは正しく(苦笑)感想を中心に書く事にしようと思います。



『柏崎・思出之舞』梅若万三郎・八田光弥・殿田謙吉・御厨誠吾・松田弘之・大倉源次郎・柿原祟志

前シテは静かで、見た目より年上の落ち着いた雰囲気。
小太郎の話を取り乱すことなくしっかりと聞き、次第に暗くなってはいくけれど、堪えて内にこめる様に沈んでいく様子は、いかにも武家の女。
後は一転して『一セイ』からカラ元気の様な明るさがあり、しっかりの『カケリ』には激しい思いがこもり、「げにや人の」と急に静まって空しげなのは、いかにも不安定な精神状態という感じがしたが、ワキとの問答は説得力が有り、どうしても祈りたいという強さと冷静さがある。
『物着』して「鳴るは滝の水」の後、静かに舞いはじめる。(小書:思出之舞)静かな舞は三段目でスルリと『一ノ松』へ行き、ゆっくりと前を向いて『シオリ』そのまま、『クリ』『サシ』なしで『クセ』「悲しみの涙」と抑えた地謡に続くと、『シオリ返し』、「三界に」とゆっくりと右を向く姿が陶然として美しい。
『二ノ松』に行って、「月の」と『一ノ松』に戻り、「罪障の山高く」と前に出て上、下と静かに見つめ、「如何にとして」と舞台に戻るのも寂しげで、この後の謡も真摯に再会願う祈りという感じがして、美しい。
しかし、「今は何をか」としっかりな地謡で、ゆっくりと子方の方を向き、「我が子ぞと」と抑えたシテは再会出来た事がまだ信じられない感じで自然だが、最後もさらりとして、あんまり嬉しげには見えなかったのが残念。


『小鍛冶・黒頭』長谷川晴彦・大日方寛・則久英志・山本泰太郎・栗林祐輔・亀井俊一・柿原光博・金春國和

抑目での威厳のある『呼カケ』は良く、常座まではゆったりと、そこからは凛とした気配。
謡もしっかりで良いのだが、景色をみたり、少し型が続くところで、柔らかい雰囲気が出てしまい、惜しい。
後は刀を打つ場面は力強くいが、全体にさらり。
最後の方は地謡が弱い部分もあり、そのせいかシテも軽く見えてしまい、綺麗なのだが迫力にかける感じがした。


他に舞囃子『高砂・八段之舞』梅若万佐晴・栗林祐輔・亀井俊一・柿原光博・金春國和。
仕舞『羽衣クセ』梅若志長、『敦盛クセ』梅若久紀、『小袖曽我』遠藤修・青木一郎、『天鼓』加藤眞悟、『昭君』伊藤嘉章、『通盛』梅若紀長、『二人静キリ』古室知也・梅若泰志、『巴』八田達弥、『邯鄲』中村裕。
狂言『察化』山本東次郎・山本則秀・山本則俊。

No.112 - 2011/06/26(Sun) 23:40:27
能に演出を加える事をどう思いますか? / 兎谷
兎谷こと小林わかばです。
いつも御覧いただきありがとう御座います。


突然ですが、能に演出を加える事をどう思いますか?

それは『小書』という意味ではなく、言葉やストーリー、型、音楽などに手を入れて、エンターテインメントとして気軽に楽しめないかという提案です。

普通に能楽を楽しんでいる私たちには、余計な事の様にも思えますが、普及の為の1つの選択肢として、行ってみる価値はあるのではないでしょうか?

皆様のご意見をお聞きしたいと思いますので、投票方式のアンケートを始めます。

http://hpcgi2.nifty.com/seiadou/index.cgi

ご協力をお願いいたします。

No.108 - 2011/05/08(Sun) 00:44:07

まだまだ、回答募集中です! / 兎谷
よろしくお願いします。
No.111 - 2011/06/20(Mon) 21:47:03
11年4月15日  定例公演(国立能楽堂)  (感想) / 兎谷
『小塩・車之仕方』金井雄資・宝生閑・殿田謙吉・大日方寛・大藏千太郎・松田弘之・住駒幸英・柿原祟志・小寺佐七

シテはゆったりと常座に出ると「枝折りして」と静かにさらり。
「年経れば」と、リアル過ぎるカラカラに乾燥した様な声は頂けないが、優しい謡い方そのものは宝生らしい。
「散りもせず」はさらりとし過ぎて、ちょっと風情が出ないが、「思い寄らずや」と静かで、次第にしみじみとしたのは良く、地謡「をかしとこそは」で肩にかけていた“枝”を下げ、静かな姿も上品…しかし地謡が揃わないのが惜しい。
静かな『問答』は次第にはっきりとなるのは良いが、「都辺は」と抑え目の地謡で、さらりとした型は本当にさらり(過ぎる)。
ワキ「かかる面白き」と自然で美しく、シテ「これは古へ」とワキの方を向くのが、やや寂しげで、しっとりとした謡いもマズマズ。
「名残をしほの」と抑えてしっかりとした」地謡で、「嘆きても」と静かに『正中』に行くまでは良いが、座って“枝”を置く様子は“素”になちゃっている感じがした。直後の『シオリ』は綺麗だったけれど。
シテ「馴れてさらば」と思い立つ感じで、地謡「まじれや」で“枝”を持って立ち、「老いかくるやと」と寂しさの中に少し華やかさが有って、地謡はさらりから次第にどっしりとなってくのに反して、シテは次第にさらりと若やぐ感じで、スラリと中入。

ワキの何気ない『待謡』が綺麗。
その後、“車”を常座に出す。(小書:車之仕方)
シテは『一セイ』でさらりと現れ、“車”の中に入り、静かにたっぷり目に謡い出す…やっぱり地味だけれど、前に比べて少しだけ華やかな気配が感じられる。
シテ「げにや及ばぬ」とワキの方を向いたりする様子も気品があって綺麗、しかし「今日来ずは」からの地謡も揃わない。
シテは“車”を降り、『大小前』に座る。地謡『クリ』は、はっきりだが、ここも微妙…「惜しまるべきは」で後見が“車”を下げる。
シテ『サシ』は寂しく、「我に等しき」と、どっしり目に続いた地謡はちょっと復活、「露しなじなに」とゆっくりとワキの方を向く姿に趣きが有る。
地謡『クセ』は抑えて良いが、シテの動きはややまったり。「はるばる来ぬる」とゆっくりと舞台を廻ると暗い雰囲気で、シテ「武蔵野は」と寂しく、「昔男と」と『左右』して『打込』する姿に哀愁がある。
舞は始めゆったりと静かで、次第にさらりと、やや明るめで綺麗。
シテ「昔かな」と静かで、地謡は控えめだが、やや華やか。
「山風吹き乱れ」と『まねき扇』して前に出たり、「まどろめば」と左袖を巻き上げて座ったり、「夢か現か」と『ハネ扇』したりと、さらりとした型は少し女性的な優しい雰囲気。


他に狂言『鞍馬参り』善竹忠一郎・大藏彌太郎。

No.110 - 2011/06/06(Mon) 23:41:06
11年4月9日  第23回テアトル能東京公演(宝生能楽堂)  (感想) / 兎谷
ずいぶんごサボってしまいました。別にやめるつもりはないのですが、どうしても時間的に厳しくて…。

『野宮・合掌留』味方玄・宝生閑・野村萬斎・一噌仙幸・成田達志・亀井忠雄

シテの『次第』は静かだが、やや硬い印象。「おりしもあれ」と静かで、「思えば古を」とやや強く、思いが入るが、やっぱりやや男っぽい感じ。
ワキの問いに、「いかなる者ぞとは」と高貴というより、気が強い感じだが、「人こそ知らね」と内に寂しさが有り、「とくとく帰り」と、どっしりと言い放ちつつもどこか帰って欲しくない雰囲気が自然。
シテ「光源氏このところに」からたっぷりと上品で、「昔にかはらぬ」と抑え、「うらがれの」と、どっしりの地謡で『正先』に出て座り、"木の葉”を鳥居に置いて立つ様子もゆったりと優しく美しい。
地謡『クリ』「そもそも」としっかりで、『正中』に座り、シテ『サシ』は静かでもしっかり目。地謡はしっとりと続き、『クセ』はぐっと抑えて綺麗なのだが…女らしさはあんまりない謡。
シテは座ってから、静かにとても大人しくて、「夕暮れの秋の風」で、ゆったりと立つと、早くも消えてしまった感じがしたのは印象的。

後シテはゆったりとした姿も、静かな『一セイ』も美しい。
「いかなる車と」からしっかりとして、謡に合わせた型は、悔しげで良いが、「物見車の」と下がり、『シオル』のは形式的に見える。
「よしや思へば」とたっぷりでも、静か目な地謡で、左に廻って『正中』に行き、「妄執を」と手を合わせると再び男っぽくて、真剣な雰囲気が神官が祈りを捧げているように思えてしまい、その後の舞も綺麗だけれど、御息所という感じではない気がした。
シテ「野宮の」と、どっしりと美しく、「身の置きどころも」と空しげなのは良いが、地謡「景色も仮なる」とすっと鳥居の横に出て、「露うちはらひ」と扇で打ったり、「なつかしや」とつらつらと下がって『シオル』のもイマイチ。
しかし『破ノ舞』からさらりとして、鳥居に扇を置いて手を合わせ(小書:合掌留)、「神風や」と抑えた地謡で扇を取って立ち、ゆっくりと『橋掛リ』を向いて、そちらに進み、「思ふらんと」と扇を高く上げて、ゆっくりと下ろしながら「車に」としずかに乗る足使いをし、「うちのりて」と『二ノ松』へ行くと、右に回って左袖を返して下がり、「火宅」と右を向くと、「かど」と囃子もピタリと止まる…最後の柔らかな雰囲気が急にピタリと止まった事で強調されて、綺麗だった。


他に仕舞『放下僧・小歌』味方團、『玉鬘』味方健、『野守』河村晴道、『弱法師』片山九郎右衛門、『蝉丸』梅村邦久、『鵺』観世喜正。舞囃子『通小町』片山幽雪。

No.109 - 2011/06/06(Mon) 23:30:50
11年4月6日  定例公演(国立能楽堂)  (感想) / 兎谷
『高野物狂』(元禄本による)片山幽雪・伊藤嘉寿・宝生欣哉・石田幸雄・藤田六郎兵衛・大倉源次郎・亀井広忠

今回は元禄本による上演ということで、最後の部分が大きく変わり、シテ高師の四郎は主君と共に出家する。

シテは“笹”を持って『次第』で登場、常座で、抑え目でもしっかりと謡い出す。
静かに『名ノリ』、「御寺に参り焼香せばやと存じ候」と『正中』に座り『合掌』。
シテ「昔在霊山名法華」としっとり、地謡もしっとりと続くが、いづれも男らしさが有る良い謡。
アイはしっかりとした様子で、春満の“文”を届け、シテは“文”を持つと、「あら思ひ寄らずや」と自然で、“文”を広げて見つめ、「それ受け難き」と静かに読み始める。
「然るに」としっかり目で、次第にしっとりと暗く、(言い直したところが有ったのが惜しいけれど)綺麗。「遊ばされたる」と抑えて暗い地謡で、“文”を右手に持ってシテは空しげに『シオリ』、「恨めしの」とはっきりの地謡で、“文”を左手に持って見つめる姿に思いがこもる。
「今は散り行く」で、ゆっくりと立つと、抑えた地謡で静かに中入。

『次第』で子方とワキの登場。
通常「愚僧を御頼み候へども、尋ねる人も候らんと、様々に労はり日を送り候」と子方はまだ出家していないが、今日の台本では、出家している。

後シテは『一ノ松』で、さらり目な『一セイ』、「あらおぼつかなの」で常座へ行き、始はさらりとさ迷う様で、だんだん気持ちが入る…旅の過程を凝縮したような『カケリ』。
「風狂じたる」と『角』に出、「懐紙と」と、しっかりと『ツメ』、「人や見ん」と『ヒラキ』したのに、りりしささえ感じるほどの主君への思いが見えた。
「麻裳よし」とさらり目な地謡で、シテ「立ち上る」と抑え、地謡も抑えて続き、「ここは」とゆっくりと前に出て、景色を見たり、「耳に染み」とちょっと左を向いて聞いている感じも、「懇ろに祈念して」と『合掌』するのもゆったりだが、その間にさらりとした型が入るのでメリハリが利いて重すぎず、美しい。
シテが「立ち寄りて」と『脇正』に座ると、ワキが立ち、シテに声を掛け(子方のセリフはなく、すぐにワキが声を掛ける)、シテは静かに答え、この後2人ともしっかりもさらりと、自然な『問答』が続く。
地謡『クリ』は抑えてしっかりで、シテは『正中』に行って座り、(“笹”を置いて扇をもつ)シテ『サシ』は静かで厳粛、しっかりの地謡はしっとりと変化して綺麗。
『クセ』は抑えて美しく、「暁を待つ如くなり」で、シテは立つと、「さてこそ」と、地謡はどっしりになり、「相を顕はし」と『ツメ』て前を見つめたり、「無常観念の」とゆっくりと正面を向く様子が、主君に思いを馳せる様な深い気配。
『中ノ舞』は静かで真面目、二段目の最後のところで沈む型が入ったのが余計に静粛な感じがした。
シテ「霞の奥の」と抑えた謡の奥には、しっかりとした冷静な意志が感じられ、地謡「花壇場月伝法院」以降にはっきりと激しくなる型は、狂気ではなく、真剣さという感じ。
子方はしっかりと名乗り出ると、シテは「不思議やな」と静かに主君だと気が付いて、『正中』に座って『シオリ』(だと思う…見えなかった)は、ちょっと寂しい様な優しい気配で良いが、今回の台本では、さらに確認するようにワキが子方とシテに国や名を尋ねる。(再会ものによくあるパターンだが、これは余計な感じがする)
「主君に逢ふぞ」と穏やかに手を付き、「もとより誠の」と静かな地謡で、「やがて元結押し切って」と扇をを頭上で倒して切る仕草をして、「濃き墨染に」と子方に寄って、子方を見送り、常座での静かな『留拍子』も、あくまでも主君に従う従順さと、“めのと”としての大らかな優しさが出ていてとても良かったが、幽雪さんだから出せた雰囲気の様な気がする。

通常のラストに比べて、出家するというのは「出家のお供も申さん為」と言っているので自然だが、やっぱりちょっと暗い感じがして(別に悪いイメージではない)、曲としてはやや地味になったように感じた。(渋い曲は好きだから良いけれど。)


他に狂言『八句連歌』野村万作・野村萬斎。

No.107 - 2011/05/08(Sun) 00:38:31
11年4月2日  第二十回 浅見真州の会(国立能楽堂)  (感想) / 兎谷
『翁』浅見真州・野村萬・浅見慈一・野村虎之介・一噌仙幸・大倉源次郎・田邉恭資・古賀裕己・柿原祟志

古稀記念ということで、勝手に明るく大らかな『翁』を想像していたが、実際はとても厳しく、厳粛な気配。
謡いは重くはないし、舞う姿もとても美しいが、寿ぐというより、静かな祈り。…やっぱり時節柄でしょうか。
萬さんの三番叟は動きにキレが有って、派手ではないけれど力強く安定。二人ともさすが。


『道成寺』浅見真州・宝生欣哉・大日方寛・則久英志・三宅右近・野村万蔵・杉市和・林吉兵衛・亀井忠雄・観世元伯

常の通りに鐘を吊るす。
シテは幕の前に出て遠くを見る様に少し顔を上げてから、ゆっくりと『一ノ松』へ。
正面を見つめてから、常の様に後ろを向いて、暗い『次第』、『地トリ』で常座へ行くと、シテは「作りし」と再び謡う…『三遍返し』??脇能じゃないのに。。(追記:と思ってしまったが、普通もやってますね…動きが変わるだけで混乱してます(苦笑)。)
シテ「これはこの国の」とさみしく、「煙みちくる」と右を向いて軽くかがんでから伸び上がるように見、「急ぐ心か」と『二ノ松』までスタスタと戻り、「まだ暮れぬ」と空しげで、「日高の」で再び常座に向かうのは、いかにも何かに突き動かされている狂女という感じで良い。
「乱拍子などを踏んで舞いを舞ふておん見せ候へ」とのアイに(アイのセリフもいつもと違う!)、シテ「あら嬉しや」と嬉しい雰囲気の中に不気味さが有る。

『物着』で金風折烏帽子をつけて、静かに『一ノ松』に立ち、さっと常座に戻り「嬉しやさらば」と楽しげで、「花の外には」と静な地謡は、次第にはっきりとなって、『乱拍子』へ。
『乱拍子』は、はっきり、しっかりで、祈り落とそうという不気味さも有って、綺麗だけれど、ちょっと歌舞伎みたいな印象。
シテ「道成の卿」とたっぷりで寂しく、次第にはっきりな謡いになり、『急ノ舞』もしっかりで、キメるところをばっちりキメる、いかにも浅見さんらしい感じ。
シテ「春の」としっかりで、「さるほどに」抑えて『角』に出、地謡「月落ち」と小さく右に回ってから大きく左に廻り、『角』で「立ち舞ふ様にて」と閉じた扇で烏帽子を“鐘”の方に払い、右に回って“鐘”を因縁有りげに見上げ、さっと“鐘”の下に入り、「龍頭に」と両手を掛けて高く飛び上がっての中入は見事。
(ちょうど“鐘”に下に入ったあたりで地震が…その後のアイの「地震かと思うた」が大ウケでした…笑ってられて良かった。)

ワキの『語』は、はじめやや重めだと思ったが、メリハリがあり、さすが、と思ったのに、「上下へと」と川を見る仕草を見たら、なぜだがとても細い川しか見えなくて、残念。
しっかりと祈ると、地謡「すはすは動くぞ」とどっしりで、少し下がってから再び近づくワキには緊張感が有る。
「この鐘ひびきいで」でシテは、はっきりと鐘を叩き、“鐘”を揺らし、「引き上げたり」と、どっしりの地謡で、“鐘”が上がると、シテは静かにワキを睨み付けていた。
(金と朱の鱗模様の摺箔に朱の長袴という派手な姿だが、髪はあんまり乱れていない)
スッと立ち上がり、衣を高く巻きつけると、常の様に『角』に出て、ワキを睨むが、一度正面を向くのが、一瞬、迷っている様な…探している様な気がした。
『橋掛リ』へは、ワキに圧されるというより、自らツカツカと進み、『シテ柱』まで戻ると、“鐘”を見上げ、柱に背中をつけて回る姿も、はっきりと姿を見せ付ける感じで、強そうなのだが、常座にどっかりと座って、“鐘”を見上げる姿は切なげ。
「謹請西方」と『角』に出、ワキ座のワキが邪魔な存在だと、蹴散らすように打ちかかるのが、ヒステリックな女らしい印象。
「祈り祈られ」と右に2回まわって、膝をつき、“鐘”を見上げて立ち上がり、『一ノ松』へ逃げ、「猛火となつて」と自分の身体を抱くき、「日高の」と幕の方を『サシ』て、「飛んでぞ」と膝をついて進み、「望たりぬと」で、ゆっくりと振り向き、『シオリ』ながら幕の方を向いて、『シオリ返し』ながら幕の中へ。

後の姿の方が女らしさがちらちらと垣間見えて、男をまだ探している様な…だから髪を乱したくなかったのか…なんて思ったりした。


他に仕舞『忠度』片山九郎右衛門(清司改メ)、『采女』観世清和、『野守』観世淳夫。
一調『勧進帳』浅井文義・幸清次郎。

No.106 - 2011/05/04(Wed) 02:53:06
11年3月27日  自主公演能(喜多六平太記念能楽堂)  (感想) / 兎谷
『忠度』中村邦生・殿田謙吉・舘田善博・野口琢弘・野村扇丞・一噌幸弘・森澤勇司・大倉慶乃助

変更:小笠原匡→野村扇丞

シテ『一セイ』はゆったりと静かで、「またこれなる」と『正先』を見る姿は自然。
ワキはゆったりと声を掛け、シテは静かに振り向くと、ややしっかり目な『問答』。
地謡「げにや須磨の」と抑え目でさらり。「山の桜も」とゆっくりと『角』を向いて『胸杖』するのが静かで、ワキの方を向き、「げにお宿が」は、しっかり目でも、ゆっくりと正面を向くと、静かに空しげ。
座り「ありがたや」と手を合わせるのは、大人しいが、実感が有る。
「不思議や今の」と抑えた」地謡で、「夕べの」と立つが、ここから急に気配が弱まり…この後、消えるのだから良いけれど、ちょっと早すぎ。。

後シテはスルリと常座へ。「恥ずかしいや」と抑え、「さなきだに」と、さらりでもしみじみと風情が良い。
しかし「夢物語申すに」と、さっとワキの方へ少し出るのや、“床几”にかける様子が、はっきりとしすぎて不自然。
地謡「そもそも」と抑え、ゆったりと舞台を廻ったり、「しばし頼む」と、ゆったり『ヒラキ』、『脇正』の方を見つめる様子は静か。
地謡「さるほどに」としっかりだが、揃わず、シテもしっかりとした型が続くが、丁寧過ぎて、迫力に欠ける。
シテ「六弥太心に」としみじみとして、「其年も」と立ち、「長月頃の」とゆったりと右に回ったり、『角』に出て下を見、「ただ世の常に」と座り、右の方を見つめる姿が綺麗。
矢を持ち、短冊を手にして見つめ、「ゆきくれて」と、たっぷりな地謡はもう少しだったが、『カケリ』には焦燥感のような、複雑な思いが感じられ、シテも笛もとても良い。 
再び短冊を見、「花や今宵の」とどっしりなのは良いが、地謡「さては」からさらりと軽いので、雰囲気が出ず惜しい。


『源氏供養』大島輝久・村瀬提・村瀬慧・中村弘・栗林祐輔・住駒充彦・佃良太郎

シテはゆったり目に『呼掛ケ』て登場するが、やや力み気味の謡い。
「この事申さんとて」と舞台の方に進む姿は上品だが、その後、『中入』までしっかりの謡で、姿は美しいが、ちょっと重い感じ。

後シテは静かに『一ノ松』は出、「松風も」とやや暗い謡。
さらりとした地謡で舞台に進んでからも、抑え目で丁寧。
「寝もせで明かす」と抑えて綺麗な地謡で、「跡とはん」でシテは座って『合掌』するまで上品だが、シテ「あら有難の」と抑えた謡はやや男っぽい感じ。
シテ「恥ずかしながら弱々と」と立ち、ゆったりとした地謡で、『ヒライ』たり、『イロエ』も綺麗だが、ちょっと丁寧すぎる気も…。
シテ『クリ』は空しげで、地謡は抑えて続き、シテ『サシ』は寂しく、「一つの」と『正中』に出て座り、『合掌』する様子は深い悲しみが有ってしっとりと美しい。
『クセ』は地謡もシテもゆったりだが、シテは寂しい雰囲気で、成仏したいというより、かまって欲しい様な…自分の世界に浸っている感じ。
「花散る里に」としっかり目で、「松風の」と『橋掛リ』の方を見渡したり、「朝には」と、しっかり目な『足拍子』や、「打ち渡り」と大きめに右に回って、「身の来迎を」と『雲の扇』したりと、多きな型がとても綺麗なのだが、静かな雰囲気から、急にそこだけはっきりとするので、浮いている感じがしてしまう。
シテ「光源氏の御跡を」としっかりでちょっと男っぽいが、『角』にスッと出、「夕べに」と空しげに左を見つめる姿は綺麗。
その後も、やはり大きな型は、はっきり過ぎる感じがして、静かにしている部分が暗めなので、余計に差を感じてしまった。


『海人』香川靖嗣・友枝大風・宝生欣哉・御厨誠吾・梅村昌功・山下浩一郎・一噌庸二・鵜澤洋太郎・佃良勝・小寺佐七

シテ『一セイ』はとても暗い謡だが、苦労している普通のオバサンという気配。(いつも上品な香川さんにしては珍しい)
しっかり目のワキに静かに答えるが、「痛わしや」は全然心がこもっていない…「不思議や」とワキの方を向くのは実感があり、その後は自然な流れ。
ワキ「しばらく」としっかりと止めると、シテは「さん候」とちょっと不服そうで、「あれなる里をば」と右を見る姿が懐かしげで美しい。
シテ「玉中に」から静かで、冷静に関係のない昔話をしている感じ。
「やあこれこそ」としっかりと名乗る子方に、とても驚いた様子でちょっと下がって“鎌”を落とし、「今までは」と、いとおしそうに子方に寄るのが、印象的。
シテ「よしそれとても」と重く切なげで、地謡「重ねて」で『シオル』姿が優しい女という雰囲気。
シテ「さては我が子ゆえに」と思いつめた様子で、「その時人々」としっかりと言って、「抜きもって」で立つと、「底もなく」と『正先』で乗り出すように下を見たりとはっきり。
「かくて龍宮に」と抑えた地謡で、「宮中を」と見つめる強さと、「故郷の方ぞ恋しき」と振り返る懐かしそうな優しい視線との対比が綺麗。
「さるにても」と静かに正面を向くのは、覚悟を決めた様な気配で良いが、『シオリ』はちょっと形式的な気が…。
「思ひ切りて」とハッと右を向き『合掌』や、宝珠を取って逃げようとする部分などもしっかりで、一瞬、やり過ぎぎみだと思ったのは香川さんだと思って見ているからだろう。。
「剣を捨ててぞ」と座り、扇を持って、「約束の」と綱を引く仕草をすると、「引き上げたり」とゆっくりと立って、右手を上げるのが、本当に水の中から引き上げられた、という感じがした。
シテ「かくて浮びは」と抑えて静かだが、「さてこそ」と思いがこもる。「今は何をか」と子方の方を向く様子は別れを覚悟した感じがして、静かに正体を明かすと、「この筆の」と抑えた地謡で子方に扇を渡し、「夜こそ」と右に回りつつ『シオリ』、『シオリ返し』つつ、『二ノ松』まで行く様子は、悲しさの中に、名乗ることが出来た喜びが有った気がした。
地謡「寂冥無人声」と抑え目だが、ちょっと軽いかも…。
シテ「あら有難の」としっかりで、地謡で『大小前』に行くと、“経”を広げて「微妙浄法身」と厳かに謡いつつ『正先』へ。
「天人所載仰」と抑えた地謡で下がり、「あら有難の」と再び“経”を頂いて静かに舞い始める。
さらりと静かな印象の『早舞』からトメまで、厳かに真面目な雰囲気で、美しかった。


他に狂言『蝸牛』野村万蔵・野村太一郎・野村扇丞。(変更:泉慎也・小笠原匡→野村太一郎・野村扇丞)
仕舞『笠之段』金子匡一。

番組には附祝言と有ったが、なし。
終曲が『海人』で、震災で亡くなられた方への追善という意味にしたとの事。

No.105 - 2011/05/04(Wed) 02:43:28
11年3月20日  塩津哲生の會特別公演(喜多六平太記念能楽堂)  (感想) / 兎谷
『隅田川』塩津哲生・友枝大風・森常好・舘田善博・一噌仙幸・横山晴明・柿原祟志

変更:粟谷遼太→友枝大風

シテは『一ノ松』で「人の親の」と感情がなく、つぶやく感じだが、『カケリ』は激しく、思いつめた気配。
シテ「これは都」と落ち着くが、「後をたずねて」と、どんより暗くやっぱり寂しい、という感じ。
「のうのう」とワキに声をかけるのは優しく、ちょっとキツイ感じのワキを静かに話し、「うたてやな」とあきれる様子が、親しみやすいどこにでもいる、普通の女性というイメージで、いかにも塩津さんらしくて良い感じ。
シテ「あれに白き鳥の」と『中正』の方を見る目線が下向きで、ワキは上を見ていたので、見ているところが合わないのが惜しい。
シテ「沖の鴎といふなみの」と静かで、「わらわも」と次第に暗く綺麗な謡い。
地謡「いざ言問わん」としっかり目でテンポ良く、シテもさらりとした型が続き、地謡「鳴くは都鳥」と『一ノ松』にスラリと進んで、「思えば」と“笠”を掴んで『正先』の方を見つめ、「遠くも」と右を『サシ』てから幕の方まで見渡してから、さっと『正中』に座って、手を合わせるのも、切実で優しい。
シテは“舟”に乗ると“笹”と“笠”を下に置いたが、私の席からは柱で若干見えにくい(残念)。
ワキは森さんにしては、さらりとした『語』で自然だと思ったが、「念仏四五へん唱へ」のあたりはちょっと脅かしているみたいにも聞こえた。
シテ「のうのう」と暗く悲しげに美しく、ゆっくりとワキの方に振り返りつつ、静かに尋ね、次第に激しく昂ぶる様子で、「その幼き者こそ」とはっきりと言いつつ正面を向き、『シオル』のも自然。
ワキに促されてやっとのこと…という雰囲気で立ち上がり、“塚”を見て「今までは」と、しみじみと暗く、「さても」とゆっくり正面を向く姿に実感がこもり、苦しげ。
「返して」と少し手を広げて“塚”に寄り、すり抜ける様に“塚”の前に出、「母に」と後ろに下がりつつ『シオ』って座り、ガックリと力を落とすのは、少し芝居臭さも有るけれど、とても悲しく効果的。
地謡「残りても」と、どんよりと抑え、シテは呆然としている様子も良いが、「げに目の前の」と膝を崩して、とてもゆっくりと『両シオリ』したのは、ゆっくり過ぎて、『合掌』するのかと思った。
“鉦鼓”を取り、シテ「月の夜」と立ってからは、シテもワキ抑えてしっとりと美しく、向きを変えるシテの仕草も弱々と寂しげ。
子方は、はっきりでも程よい声で、シテは不思議そうに気づき、「今一声こそ」と、いとおしげなのも自然。
子方が塚の右側(塚のすぐ前の地謡より)に出ると、シテは“撞木”を落とし、「取りかはせば」と2人で両側から近づいて、“塚”の前で交差してするのは互いに、いとおしい感じがして良い。
しかし、シテはそのまま前に出、「いよいよ」と『シオリ』つつ、右に回り、手を下げると、“塚”の左に子方を見つけるが、あまり気が付いた感じがしなかったし、再び見失って、「東雲の」と『橋掛リ』を見つめる姿はとても美しく、“塚”を再び見つめて近づいたり、「哀れなりけれ」と『シオリ』、『シオリ』返しつつ、『橋掛リ』の方を向く姿が、綺麗で…綺麗過ぎて、残念ながらあまり哀しい感じがしなかった。


他に仕舞『山姥』友枝昭世、『鵺』香川靖嗣。
狂言『鶯』野村萬・野村万蔵。

No.104 - 2011/04/22(Fri) 02:57:04
10年3月14日  第21回能楽研鑽会(国立能楽堂)  (感想) / 兎谷
開演前に開場に着いたが、見所はガラガラ。
時間が早いのでこれからかとも思ったが、一向に増える気配なし。
聞いた話では抽選に外れた人もいたそうなので、本来なら満席のなずなのに…いかに震災後だからって…電車は混んでいるし、事情のある方もいるだろうが、こんなに来ないのは無料だからとしか思えない。
何にせよ、来ない人がいっぱいいても券がなければ入れないのはもったいない!
電話等でキャンセルを受付て当日その数だけ受け付ければ良いのに、と思う。
こんな事態は2度とない(と願いたい)が、そうでなくても余分に当たってしまったり、用事で来られなくなる人はかならず出るので、もう少し融通をきかせてくれれば良いのに。。


舞囃子『弓八幡』津田和岳・小野寺竜一・大山容子・大倉慶乃助・金春國直

手の動きがカクカクしている感じがするが、力強く迫力がある。
謡いもやや力任せな部分もあるが、今の段階では十分。
地謡もさらりと纏まり、全体として、この日の舞囃子の中で1番の出来。


舞囃子『清経』小林晋也・藤田貴寛・大村華由・柿原孝則

謡に張りがない、重要な場面の型が分かり難い。近年の宝生の悪いところばかりを見習ってしまている感じ。。
しかし主要な型と型の間が綺麗なので、実は慣れたら上手いのかも知れない。


舞囃子『花月』政木哲司・藤田貴寛・飯冨孔明・佃良太郎

全体で言えまったりしているが、『鞨鼓』の部分がとても上手い。
地謡が女性5人でもう少しな感じだったので、まわりの条件が良ければシテはもっと上手く見えたかも。


舞囃子『邯鄲』武田宗和・栗林祐輔・幸泰平・亀井洋佑・林雄一郎

綺麗なのだが、やや暗すぎる。
型は大きいのに派手さが弱いのは真面目さの現われの様に思うので、経験を積めば…と期待。


他に狂言『附子』村井一之・岡聡史・内藤連・野村万作。
『田村』坂口貴信・矢野昌平・内藤連・杉信太朗・岡本はる奈・國川純。

最後まで見るつもりが、当日入ったお誘いに負けて、能を見ずに退散。
少しでも見ようかと散々迷ったが、見始めたら最後まで見てしまいそうなので出ることにしたが、ますますガラガラにしてしまうのは申し訳なかった。

No.103 - 2011/04/12(Tue) 03:07:32
11年3月13日  金春会(国立能楽堂)  (感想) / 兎谷
『頼政』金春穂高・野口能弘・前田晃一・内潟慶三・森澤勇司・國川純

シテの『呼掛ケ』はどっかりとして、しっとりと謡いつつ常座へ。
「あれ御覧ぜよ」と、ゆったりと右を向くのは、示す感じが出ていて良いが、地謡「景色かな」でワキの方を向くのが、突然くりっと向いたので、風情がない。
シテ「いかに申し候」はやや弱い気がしたが、その後『問答』は説得力もあり、マズマズ。
シテ「かやうに申せば」と、どっしりと抑えながらも、力のある気配で、老体の姿でも“若き日の頼政”の面影が自然に感じられて良い。

後シテは『橋掛リ』では力強いが、舞台に入ると、動きが軽くて迫力が弱い。
床几にかけてからは、シテも地謡もしっかりどっしりとした謡で、型にもメリハリがある。
シテ「頼政が頼みつる」と重い謡は良いが、頭が動いてしまうのが気になる…それまでも動いていたけれど、気になるほどではなかったのだが…。
「今は」と空しげで、「平等院の」と前に出て最後の様子は綺麗だったが、「かりそめながら」と立つと、存在感が増してしまって、回想から現在に戻ったにしても、幽霊ではなく人の様に思えてしまったし、姿に反して、前の方が若い印象で、それはそれで良いと思ったのだが、後の方が老けた印象だったのは残念だった。


『羽衣』金春憲和・殿田謙吉・松田弘之・古賀裕己・亀井実・金春國和

『作り物』ナシ、『一ノ松』の衣をかける。
シテの『呼掛ケ』は静かで、ゆっくりと現れ、謡いもゆったりしているが、意外な説得力。
「さりとては」と常座でワキの方を向き、『ツメ』るのも、弱く困っている感じが良い。
ワキはさらりと…でも少し意地悪な感じも自然で、シテ「今はさながら」と寂しげ。
しかし、「住みなれし」と、どっしりの地謡で、シテの型ゆったりでも男っぽさが感じられて惜しい。
「あら嬉しや」とワキの方に向かうのは嬉しそうな雰囲気が出ているが、「嬉しやなさては」は棒読みな感じ。。
「衣なくては」とワキの方に向くのも、イマイチ雰囲気が出ていない。
『物着』して、シテ「乙女は衣を」と静かで、地謡「東遊びの」と、どっしりとして、シテ『サシ』「しかるに月宮殿の」と高貴な気配も良く、「世に伝えたる」と扇を広げて『ユウケン』するのも、ややぎこちなさが有るものの、綺麗。
地謡『クセ』「春霞」と重めでもゆったりと美しいが、シテはやや暗い雰囲気なのが残念。
シテ「君が代は」とたっぷりと謡おうとした…と思うが、謡いはもう少しだったが、気配は明るくふんわりと優雅。
『序ノ舞』はしっかり目から次第にさらりとして良かったが、『破ノ舞』は、ちょっと荒っぽい。
地謡「あずま遊びの」とゆったりと美しく、シテもさらりと綺麗なラスト。
全体的にシテは女らしさに欠けるが、厳粛な真面目な雰囲気は良かった。
そして地謡がとても美しかった…『羽衣』って実は良い曲だなぁと今更ながら、思わされた。


『弱法師』山井綱雄・宝生欣哉・三宅近成・成田寛人・亀井俊一・柿原弘和

ゆっくりと静かに『一ノ松』に登場したシテの、『一セイ』はしっとり。
「それ鴛鴦の」と寂しく綺麗だが、やや重い。
「伝え聞く」とゆったりと思いをはせる様で美しく、舞台に入って正面を向いたところで、「石の鳥居」とシテ柱に“杖”をあててから常座へ。
シテ「げにありがたき」と静かで、『弱法師』にしては大人びた気配。
「皆よろぼしと」と静かに『ツメ』、「げにもこの身は」と、正面を向くのも、「名づけたもうは」とワキの方を向いて『ツメ』るのも自分の境遇を受け止めて、すでに悟っているかのよう。
「や」と、しっかりと香りを感じるのは自然だが、「中々の事」と静かで、どっしりな地謡「花をさえ」で、袖を取って受ける姿自体は綺麗なのだが、山井さん本人になってしまっている感じがした。
地謡『クリ』「それ仏日」としっかりで、シテはちょこんと座っている姿が可愛い。
シテ『サシ』は静かにしっかり、地謡はどっしりと抑えて続き、『クセ』もはっきりと厳粛に仏教的世界観が広がり、美しい。
「あまねく」と大きめな動きでゆっくりと「合掌」したり、“杖”を取って立ち、「日に向ひ」と『橋掛リ』を向いて手を合わせ、「あら愚かや」と振り向くのも静かに抑えた雰囲気。
シテ「東門に」と寂しく、静かな『イロエ』。
その後も静かで儚げだが、地謡「淡路山と」で、一歩出るのがはっきりで、ちょっとそこだけ浮いている感じ。
シテ「詠めしは」と空しげで、『角』に出、「曇りも」と見つめ、「紀の海までも」と『橋掛リ』の方まで見渡し、「満目青山は」と、左を出しつつ正面を向き、「心に」と下がるのは、ちょっと分かりやす過ぎな感じもあるけれど綺麗。
シテ「おう見るぞとよ」とはっきりで、「南は」とたっぷりな謡い。
「かなたこなたと」とチョコチョコっと『脇正』へ出、「盲目の」と『正先』の方に出て、「行きあいの」と、よろけて杖を落とし、座る型は、はっきりでも自然。
シテ「さらに狂わじ」でゆったりと座り、地謡はさらり、シテは優しい雰囲気で、「あらぬ方へ」で立つと『角』の方に行き、ワキが止めて、「手をとって」とゆっくりとワキの方を向くのが良かったが、「夜紛れに」で、くるりと向きを変えるのはやや荒いかも。

シテは最初から大人っぽい感じだったので(可愛い感じだったのは『クリ』のとこだけ)、ワキと二人で並ぶとシテの方が大人に見えてしまうが、しっとりとしたシテの雰囲気は時節柄真剣に…という感じがしたし、どっしりな地謡も綺麗。
こんな時だからこそ“会”全体にまとまりが有った気がした。


他に狂言『苞山伏』三宅右矩・三宅近成・高澤祐介

この日は附祝言ではなくて追加(?)で、『佐渡』(先代宗家の新作能。謡われたのは「黄金の島のほのぼのと 明日の空は茜さす 明日の空は茜さす」)でした。

No.102 - 2011/04/12(Tue) 02:56:55
11年3月6日  企画公演「能・狂言に潜む中世人の精神」第4回「花」(横浜能楽堂)  (感想) / 兎谷
『花軍』金剛永謹・金剛龍謹・豊嶋晃嗣・宇??竜成・宇??徳成・山田夏樹・工藤和哉・山本則孝・槻宅聡・吉阪一郎・安福光雄・梶谷英樹

都の男(ワキ)が立花の会に使う花を求めて、深草を訪れる。
里の女(前シテ)に花の在りかをを尋ねると、伏見の菊の花は翁草と言って名草である、その他に多くの花があると、女は男を案内する。男は白菊を手折ろうとすると、女はまずこの女郎花を、と勧めるので、不審に思って問うと、女は自身が女郎花であることを明かし、白菊には恨みがある、花軍の様を夢に見せようと言って姿を消す。(中入)

シテは里女(実は女郎花)なので、ちょっと威厳があり過ぎる感じ、男姿で、実は翁草なら納得だが。。

女郎花(しかし天冠のタテモノも手に持っている花もなぜか黄色)、杜若が舞台に、牡丹、白菊、黄菊が橋掛リに並び、左右に分かれて争う…『三山』のように手に持った花で打ち合う、あんまり面白いとは思わない。
作り物の中にいた翁草(後シテ)が仲裁に入り、女郎花に酌をして舞いを舞い、仲直り。

シテは威厳たっぷりだったで、仲裁役にはぴったり。

分かりやすいが、なんて事はない内容だと思ったら、解説にはツレは子方でも、と有ったので、子方でメルヘンチックに、可愛らしくやったら、まだ良いのではないかと思う。
しかし女郎花・杜若VS牡丹・白菊・黄菊の仲裁が翁草(白菊)なのはイマイチ納得がいかないので、さらに調べる。
『謡曲三百五十番集』を見たら、若干の違いが有った。
『三百五十番集』ではワキツレが出ている(今回はワキ一人)。それに伴い、ワキのセリフ「さようの為に人を誘い」が「仰せのごとくに草木を求め」となっていた。他にもワキセリフは若干の違いが有るものの、ほぼそのまま。今回のワキは下掛宝生流だったので、たいした差とは言えない。
解説にも江戸時代に改作されたものとあり、これはさらに古い本を見なければ…と思っていたら村上湛さんのサイトhttp://www.murakamitatau.com/blog/2011/03/201136.html
にしっかり解説されているのを発見。
とても面白い内容でオススメ。


他に狂言『真奪』山本泰太郎・山本則孝・山本則重。

No.101 - 2011/03/28(Mon) 23:11:50
11年3月5日  東京清韻会別会(観世能楽堂)  (感想) / 兎谷
素謡『正尊・起請文』阿部信之・長山凛三・長山桂三・武富康之・斎藤信隆・山本順之

シテ「武蔵殿かや」や「畏まっては候へども」と落ち着いているが、気が進まない感じが自然。
ツレ(義経:斎藤信隆さん)は「いかに土佐坊」としっかりで、シテは大人しく答え、ワキ(山本順之さん)「御諚の如く」と、しっかりと入ってくるのも緊迫感が有る。
シテ「その事はいで御座候ぞや」と思慮深く、「敬って」とどっしりと抑えて、起請文を読み始める。「八幡三所」の部分で絶句してしまったのが惜しいが、初めは慎重だったのが、次第に堂々と、たっぷりに変化していくのが良い。
地謡「もとより」としっかりさらり目で、まあまあ纏まっていたが、子方は(じっと座っていて偉いけれど)「君が代は」と無理に声を張り上げる感じがして、そこまでしなくても…と思うし、地謡も、中入の部分まで、さらりとテンポ良いが、少し雑に聞こえた。
シテ「その時正尊」と静かで、「土佐正尊とは」と伸びやか。
地謡「身方の」しっかりで迫力もあり、ワキ「その時弁慶」としっかり。
地謡「長刀やがて」からもしっかりとして、ここから最後までテンポ良く進むのは良いが、そのままの勢いで「御門の内にぞ入り給ふ」までかなりしっかりだったので、最後だけは少し抑えて欲しい気がした。

阿部信之さんの謡は、ふんわりと伸ばす様な謡い方で、良い意味でゆるい感じが好き。
最近の観世流は“かっちり”が流行なのか、こういう謡は中々聞けない。
でもこの方、超かっちりの銕仙会所属なのに…不思議。


『定家』大槻文藏・宝生閑・大日方寛・御厨誠吾・小笠原匡・一噌仙幸・大倉源次郎・亀井忠雄

“墓”の『作り物』の定家葛がとても細い。
ワキ・ワキツレのしっとりとした『次第』、ワキの静かな『着キゼリフ』が美しく、「面白や」とゆったりと言って、「や、時雨に」と脇座に行きかかる流れが自然。
シテの『呼掛ケ』はちょっとごっつい感じがしたし、「それは時雨の」と静かで、寂しく、ワキに対してあんまり期待していない感じだが、「これは」としっかり目で、「この亭を建ておき」と『一ノ松』で止まり、「時雨の」とワキの方を向くのが物言いたげ。
「古跡といひ」と上品で、舞台に向かい、「時雨時をしると」と常座でゆっくりとワキの方を向くのも静かだが、高貴な気配。
ワキ「げにあれなる」と、しっとりで、シテ「人は」と抑え、「一河の流を」と再びワキの方を向き、「をりからよ」と切なげなのが美しい。
「今降るも」と抑えた地謡で、「心すみにし」と右を見、「哀れを」と、ゆっくり正面を向くのがとても綺麗。
シテ「今日は」と静かに上品だが、しっかりとした意志が感じられ、“墓”の方を向き、「のうのう」と静かで空しそう。
「またこの葛を」としっかり目に言いつつ、ワキの方を向き、静かにしっかりと語り、「這い纏ひ」と思いがこもり、「御経を」と『正中』に行って、地謡『クリ』でシテ・ワキともに座る。
シテ『サシ』「今は」と、寂しげで、「忍ぶることの」としっかり目な地謡は次第にさらりとして、「後の心ぞ」とどっしり。
地謡『クセ』も、とてもどっしり、はっきりだが、シテの雰囲気は可憐で静か。
シテ「げにや嘆くとも」と寂しげで、地謡は抑えるところと、はっきりなところと差を出して、ドラマチック。「古りにし」としっかり目の地謡、シテは上品で、「我こそ」とワキを見つめる姿も美しく、「式子内親王」と、ちょっとやり過ぎくらいはっきりの地謡で立ち、「これまで」と右に回り、「姿は」と、ここもはっきりの地謡で“墓”を見つめ、「それとも」からは抑え目な地謡で中へ。

後シテ「夢かとよ」と静かに女性らしく、実感がこもったつぶやき、という感じで、「昔は」と寂しく「花も」としっとりと抑えた謡。
地謡「外はつれなき」で『引廻シ』が下り、シテ「御覧ぜよ」と切なげで、「薬草喩品よなう」とワキの方を向く姿が上品。
正面を向き「あら、有難や」と実感がこもっていて渋く、苦しみというよりとにかく寂しい雰囲気。
「二つもなく」と静かで、「ほろほろと」と、ゆったりと手を広げてゆっくりと立ち、外に出、ワキに向かって『合掌』するもの静か。
『序ノ舞』は、少し若やぐような明るさも有るが、静かで、袖を返して戻す仕草が蔦が解けてゆく様で、とても優しい。
シテ「おもなの」としっかり目でも「有様やな」と扇を回す仕草が少し寂しく、『角』に出、「落ちぶるる」と扇で顔を隠す姿が寂しく美しい。
地謡「夢の内にと」と“墓”に向かって『胸サシ』してから近づき、ゆっくりと正面を向き、「はい纏はるる」と右側から肘をかける感じで、柱を抱くようにして回って前に出、反対側から入って、扇を左手にして「形は」とゆっくりと座り、扇で顔を隠すのも静か。

今まで見た中で、もっとも静かな『定家』。
ちょっと少女のような雰囲気も有って、式子内親王という高貴さは弱いが、とにかく寂しくてたまらない雰囲気で、最後に“墓”に戻るのも、そこしか居場所がないから大人しく帰っていく感じがした。


『鞍馬天狗・白頭』泉雅一郎・泉房之介・馬野訓聡・谷本悠太朗・長山凛三・北浪瑛次郎・武富春香・武富晶太郎・宝生欣哉・則久英志・野口能弘・野村太一郎・山下浩一郎・藤田次郎・観世新九郎・柿原弘和・観世元伯

花見の子方が小さい子ばかり、装束もバラバラなのが返って華やかでとても可愛い!
ワキもゆったりと文を読む感じが良い。
アイの舞いはちょっと力が入りぎみだが、シテが『角』に座ると、自然に気がつく感じで、まったく動じないシテと、怒り出すアイの対比も良い感じ。(このあたりで幕に入った花見の子が元気に挨拶しているのが聞こえてしまい…可愛いから良いんだけど、ついそちらに気をとられる)
シテ「遥かに人家を」と、どっかりと抑えて趣きがあり、子方は声を張り上げないのが…ちょっと平坦ではあるが、雰囲気を壊さない。
シテ「友烏の」と、抑えてしっかりで、地謡はさらりと続いて綺麗なのに、少し乱れぎみなのが残念。
「後いかならん」と子方を見るシテが優しい。
シテ「いかに申し候」と不器用で素直に優しさを表に出せない感じがして、「あら痛わしや候」と、しっかりと言いながらもしみじみとした雰囲気も、「咲かば」と子方の方を向いて軽く頭を下げるのも思いやりが感じられた。
「松嵐花の」とさらりとした地謡で、景色を見たり、子方を立たせて向き合う辺りは、地味目だが、子方「さるにても」としっかりで、シテ「今は何をか」と貫禄が有り、「さも思しめさば」と『サシ』、「さらばと」とスッと向きを変えて足使いして、さらりとした中入も良い。

子方は長刀をつくのはちょっと大人しいが「さても遮那王が」としっかり。
後シテは『一ノ松』へゆっくりと出て、どっかりと重厚な謡が良く、「白峯の」での『足拍子』もとても力強いのに、“杖”を突くのは弱い。
『二ノ松』へ行き、地謡「よしそまでも」と左袖を返してゆったりと『正先』の方を向くもの、「我慢高雄の」と『三ノ松』に行き、「雲となって」と左袖を被ぎ、地謡「谷に満ち」で戻して「峯を」と下を見下ろしてから、さっと常座へ行き、両手を“杖”を上げて捨てるのも威厳がある。
シテ「いかに遮那王殿」としっかりで子方の方を向くと迫力が有るが、「あらいとほしの」で再び向くのは優しい。
“羽団扇”を取って床几にかけ、「さても」と静かに語り出す。「左右の履を」と右を見渡し、「やあいかに」としっかりと威厳が有るが、「落ちたる」と履を取る仕草が可愛かったり、「奥義を伝へける」と正面を向くのも弱いのが惜しい。
シテ「そのごとくに」からは、しっかりで、地謡「そもそも武略の」で立ってからは、若干動きがゆったり過ぎる気もしたが、力強い。
「守るべし」と、少し腰を落として別れを告げるのに敬意が有り、『橋掛リ』に進み、子方に留められて、『一ノ松』で振り向くのはやはり優しく、「実に名残あり」と舞台に戻り、「頼めや」でサッと左袖を巻いて『三ノ松』まで走り、右に回って足使し、「梢に」と左袖を被いて戻し、「失せにけり」と、どっしりとした『留拍子』もメリハリが有って良かった。

前半の只者でない雰囲気に対して、『語』から後は大天狗というより、お父さんという感じがした…これはこれで良かったけれど。
たいした事ではないけれど、シテの“鈴懸”と義経の袴が曲がっていた…けっこう目立つと思うが、そんなに余裕がないのだろうか…。


他に仕舞『高砂』福原栄男、『現在七面』小石多恵代、『花筐クルイ』観世銕之丞。
狂言『魚説法』野村萬・小笠原匡。

No.100 - 2011/03/28(Mon) 22:59:25
11年2月27日  京都観世会例会(京都観世会館)  (感想) / 兎谷
『寝覚』井上裕久・吉浪壽晃・橋本光史・吉田篤史・河村浩太郎・河村和晃・原大・有松遼一・岡充・茂山正邦・森田保美・吉阪一郎・河村大・井上敬介

『作り物』は“一畳台”の上に“塚”(塚には松の枝が乗っている。大小前。)
ワキ・ワキツレは『真ノ次第』で登場し、しっかり軽快な次第。さらりと『名ノリ』。
『真ノ一声』でシテ・ツレは『橋掛リ』に並び、伸びやかな謡。
舞台に入り、「所から」と静かでさらり目に進行したのも良い感じ。
ワキに向かって「このあたりにては」と言うのが少しきつ過ぎる言い方かなぁ…と一瞬思ったが、「さては勅旨にて」と丁寧に変化したのが自然で、真面目な『問答』。
「日も夕暮に」と抑えた地謡で、ツレは地謡前に、ワキはワキ座へ座り、「しばし休らふ」とシテは『正中』に座る。
ワキがはっきりと、謂れを問うと、シテは柴を下ろし、肩を下ろすが、後見がやたら素早い!早いのは良いが、ちょっと目立ってる気も…。
地謡『クリ』はしっかり目で、シテ『サシ』は静かでも威厳があり、『クセ』の間も、凛とした気配が良い。
シテ「今はなにをか」と正面を向きつつ言うのは、どっしりと言うより、力が入っている感じがして惜しいが、「われこの所に」とさらり目な地謡は綺麗で、「夕月の」で立ち、スルリと“塚”の中へ。

アイはしっかり目に話しさらりと舞う。
後ツレ(天女)2人が登場。
地謡「天つ風」としっかり目で、2人で『相舞』になる…ゆったりなのは良いが、もう少し明るく爽やかでも良いのではないかと思う…。
シテは“塚”の中から「そもそも」とゆったりだが、何となく暗く感じる。地謡「その時老翁」でツレ2人は地謡前に移動し、『引廻シ』を下ろす。
「花降り」で立って“塚”を出、「舞楽の」とゆっくり右に回るのに威厳がある。
シテの『楽』は、初めゆったりと、いかにも威厳たっぷりで、少しやり過ぎかと思ったが、二段目は鋭さが加わってかっこ良く、その後ゆったりとして、やや硬い部分も有ったが、変化が有って好印象。
「夜遊の」とどっしろとした地謡で、「不思議や」と右に2回、回って常座に行き、『橋掛リ』に向かって『雲の扇』して、さっと“塚”に入り、床几にかける。

『早笛』でツレ(龍神)2人が素早く登場。
1人は“薬袋”を持っていて、それを「かのみ薬を」でシテに渡し、「見えたりける」とシテの前で、2人で飛び返って、控えるのが鮮やか。
シテは“薬袋”を捧げ持ち、「老翁」としっかり、静かに言うと、「老翁喜びの」とさらりとした地謡で、ツレ(龍神)は立ち、『舞働』はさっと素早いが、龍神らしい重さも忘れず美しい。
シテ「かくて」とどっしりで、地謡で“塚”を出て「君に」と“薬袋”をワキに渡すのも丁寧だし、「帰り給へば」とツレを見送り、「夜も白白と」と、緩やかに静まった地謡で両手を上げて常座に行くのも、しっかりとした『トメ拍子』もメリハリが有って、面白かった。


『寝覚』は初見。盛りだくさんな内容で、本で読んだ時は途中で飽きそう…と思ったが、テンポ良く進んだので楽しめた。
それでも所要時間は2時間弱。ツレも4人も必要だし、中々上演されないわけだ。


『東北』片山伸吾・江崎金治郎・松本義昭・江崎敬三・網谷正美・帆足正規・久田舜一郎・谷口正壽

ワキは梅の名を聞き、「さてはこの梅は」としみじみとした雰囲気が良い。
シテの『呼掛ケ』はゆったりと可愛い。
常座に行き、「なかなかの事」とちょっと硬い謡で、「いやましに」とワキの方を向くのがやや急な感じ。
しかし『ロンギ』になるとはっきりでも上品で、「花の陰に」から抑えた謡いも良く、ゆっくりと『橋掛リ』を向いて静かな中入も綺麗。

ワキ・ワキツレの『待謡』はなぜかやや寂しげ。
後シテ『一セイ』「あらありがたの」も、しっとりとやや暗い印象だが、「ただいま読誦」からはっきり目で、「我も火宅を」で『ツメ』ると、強い主張が良い感じ。
地謡『クリ』は美しく、シテ『サシ』「かかるが故に」と堂々と厳か。
地謡はさらりと続き、シテは扇を広げ「天道にかなふ」と大らかな『ユウケン』が美しい。
地謡『クセ』はどっしりと綺麗で、シテはゆったりとした型が続き、「鳥は宿す」と渋く抑えた地謡が良く、シテ「見仏聞法の」と上品で明るいのも良い。
しかし『序ノ舞』は、ちょん、と袖を返す仕草が、可愛いのに暗い印象。
途中から高貴さが出るが、かえってそれがまったりとした雰囲気に感じられて惜しい。
シテ「春の夜の」と伸びやかで、抑えた地謡で「思ひ出づれば」とゆっくりと右に回るのが切なげに美しく、「涙を」と『正中』に進んで座る姿も丁寧。
「これまでぞ」と抑えてしっかり目に言いつつ立ち、ゆったりと舞台を廻ったりして、「夢は(1回目)」で『ヒラキ』、そこからどんどん消えてしまう様な感じが良かった。


『熊坂』田茂井廣道・平木豊男・丸石やすし・光田洋一・林吉兵衛・井林久登・前川光範

シテはゆったり目に登場、どっしりと謡いつつ、常座へ進み、「離れよとの」から抑え目な謡。
「さらば此方へ」としっかりで、ゆっくり『正中』に座る。
ワキは静かで、シテも「さん候」と静かに話しだすが、「うち剥ぎとられ」とワキの方を向くと力が入る感じで、「なんぼうあさましき」と思いがこもる。
シテ「しせうなき手柄」と、どっしりで、「されば」と伸びやかなのも良く、地謡「達多が」と静かで、「悟るも」とちょっと強くなったのも良い感じ。
しかし「われも」で立ち、「眠蔵に」と静かに『橋掛リ』に向かうが、消える感じがぜんぜんしなかった。

後シテは勇ましい雰囲気で現れ、『一ノ松』でどっかりと謡い出すのは良く、地謡「梢木の」で『キル』のが効かなかったが、その後の型は丁寧でマズマズ。
「さても三条の」と、床几にかけてからはしっかりと力強く、シテ「この長範を」と、どっしりな謡も、「こここそ」と見渡したりも勇猛な雰囲気。
シテ「牛若殿とは」と寂しげで、「投げ込み」と正面へ2回投げる様な型をしたり、「切り伏せられ」と右下を見、ゆっくりと体を起こして、「遁れて」と立って『橋掛リ』の方を見たりもはっきりと分かり易い。
「熊坂言ふやう」で床几に戻り、「命のありてこそ」と、立って前に出てから常座の方に行き、『橋掛リ』の方を空しく見つめる姿が綺麗。
「鬼神なりとも」と掴んで投げる仕草や、「例の長刀」と長刀を刃を下にして立てて持ち、ワキの方に出るあたりはしっかり過ぎて型という感じもするが、「熊坂も長刀かまへ」と長刀を構えて、ワキの方に進むのには緊張感が有る。
「打物わざにて」と、どっしりな地謡で、後見に長刀を預けて、両手を上げて追う仕草や、「陽炎」と、きざはしギリギリまで出て下を見つめたり、地謡「次第次第に」と『正先』に出て、ヨロヨロと下がって座るのは雰囲気が有るが、シテ「この松が根の」と謡いは空しげで良いのに、姿は力強い感じがしてしまうし、「昔の物語」と立ってワキに向かって座り、手を合わせるのも、ちょっとやり過ぎな感じで、惜しい。


他に狂言『舟船』茂山千五郎・茂山七五三。
附祝言は『岩船』。

No.99 - 2011/03/25(Fri) 22:09:50
11年2月26日  青山能(銕仙会能楽研修所)  (感想) / 兎谷
『隅田川』浅見真州・長山凛三・殿田謙吉・大日方寛・内潟慶三・大倉源次郎・國川純

比較的軽めの囃子でシテはゆっくり、悲しそうに(でも重くはない)『一ノ松』へ。
「げにや人の」としっかり目で、感慨深く、「うわの空なる」でスラリと舞台へ。
しっかりの『カケリ』は狂っているというより、子供を捜すためのあくまでも、“芸”という印象。
「これは都」とぶっきらぼうな言い方は、子供に会えなくて、やけになっている様に聞こえ、次第に寂しさが増して、「迷ふなり」と『シオル』のが悲しい。
「千里を」とどっしりの地謡で、「ここやかしこに」と『脇正』の方を見たり「もとよりも」と、少し出るのが寂しげで美しい。
シテ「なうなう」と、静かでもしっかりとワキに言うと、ワキはゆったりと答え、シテ「うたてやな」と上品で身分のある女の気配。
シテ「隅田川の」の所が、ほんの少しだけ強いのが、責める感じではないけれど、説得力が有る。
「名にしおう」とたっぷりで、景色を見て千鳥を見つけるのも自然。
「われもまた」としっかりな地謡で、謡いに合わせて、メリハリをつけて綺麗に動き、『一ノ松』で「思へば」と『正先』の方を向き、「限りなく」と左手で“笠”を上げて見つめる姿が美しい。
「さりとては」とワキの前に座って手を合わせて頼み、「さりとては」と“笹”を振り上げて床を叩くと、被っていた“笠”まで落ちてしまったので、すごい剣幕!に見えた。(それは良いが、笠を後見がシテの手に持たせるのに少々時間がかかったのが勿体なかった…冷静に持たせに行っただけでも十分とも言えるけれど。)
シテが舟に乗ると、ワキはしっかりと語り、「終わって候」でシテは静かに『シオリ』、「のう舟人」と暗く言いつつ、手を下げるのが、力が抜けていくよう。
「さてその後は」と、腰を上げて体をゆっくりとひねって、ワキを見上げる様に問い詰め、「なう親類とても」と少し体を戻して、「その幼き」と再び後ろの方にひねり、「なうこれは」と『角』を向いてどっかりと座って“笠”を手放し、『両シオリ』するのも、激しくはっきりと感情をあらわにした感じ。
ワキにうながされて舟を下り、シテ、ワキともに、“塚”に向かって座り、「今までは」と、とても暗く空しげで、シテは腰を上げて「この土を」としっかりの地謡で、両手でゆっくりと掬う型をし、「母に」と崩れるように腰を落として『両シオリ』したのが、(常の、駆け寄るように近づいて土を返そうとするのに比べて)地味では有るが分かり易さを抑制した分、リアルな姿に見えた。(ドラマチックな見どころを捨てるのはもったいないとも思ったけれど。)
「残りても」と、どんよりと暗い地謡で前向きに座りなおして『両シオリ』も沈むように悲しげ。
“鉦鼓”を渡されると「わが子のために」とゆっくり立ち、“塚”に向かって手を合わせ、シテ・ワキ「南無や」と静かに丁寧で悲しい祈り。
シテ「なうなう今の」と、驚く感じで、「この塚に」と塚に寄って座り、「今一声こそ」は強く、「南無阿弥陀仏」と、いとおしそうに言いながら腰を落とすのは、優しい母親らしい雰囲気。
子方が現れて、『ワキ座』の方に行き、シテがそちらをむいて「あれは」と腰を上げて“撥(撞木)”を落とすのが、見つけた!というのがはっきりと分かり、立って子方に寄り、常の様に子方がすり抜けると、シテは正面を呆然と見つめ、「なり行けば」と、左を見るのも、完全に見失っているという事が分かり易い。
「いよいよ」と『シオリ』つつ下がり、ふと顔を上げると常座の方に、再び見つけるものとても自然で、「見えつ」と寄って膝を付くと、子方は隠れ、立ち上がったシテは正面を向いて呆然と立ちつくすのがとても哀れ。
「塚の上の」と“塚”に寄って、“塚”に手を掛け、目を離さず下がるのも未練な感じで、『シオリ』つつ、正面を向いて座り、『シオリ返し』た最後は、しっとりと綺麗な地謡とも合って、美しい。

囃子の『一セイ』が重過ぎないのに好感を持ったが、それ後の囃子はメンバーのわりにパッとしなかったのが残念。


ほかに狂言『鎌腹』善竹富太郎・善竹十郎・善竹大二郎。

No.98 - 2011/03/19(Sat) 17:41:24
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