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花の鏡 其ノ二

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11年2月20日  第51回式能・第2部(国立能楽堂)  (感想) / 兎谷
『吉野静』武田孝史・福王和幸・炭哲男・荒井亮吉・吉野晴夫・住駒幸英・河村大

ワキはどっしりと静かな『次第』が良い雰囲気。
「これは都の」からしっかりで、「暫く、十二騎と」はっきりで迫力がある。
シテは常座に出、「さても静は」とややしっかり目。
ワキと静かに『問答』し、「さてさて嬉しや」と少し優しい感じが自然。
地謡「衆徒も」で右を向いての『足拍子』や、『イロエ』は大人しい感じ。
シテ『サシ』「しかるに」と静かなのは良いが、「すこぶる忠勤を」抑えた地謡はイマイチ。
シテ「静が舞いの」と、どっしり目に謡い、地謡「義経を守り給へと」とゆっくりと『正中』に出て、座り、手を合わせるのは丁寧。
手を下ろし、『クセ』「そも景時が」と、どっしりと抑えた地謡は良いが、「されば義経は」でゆっくりと立ち、「神の誓ひの」で『角』に出て、「直され」と舞台を廻ったり、「御袖に」と右に回って『大小前』に行くもの地味。
シテ「ただし宗徒中に」と静かに謡い、さらりとした地謡で、左、右と出て、「追っかけ」と『正先』で『ヒラキ』、「討ちとどめ」と右に回って常座に戻り、『忠信は』とワキの方に向いて『ヒラキ』するのは綺麗。
「賎や賎」と抑えた地謡で、スラリと舞い始めた『中ノ舞』は、少し明るくなったかなぁ…と思ったらすぐに暗い感じになり別れを惜しんでいるのかもしれないが…これでは引き留められないんじゃないかと思ってしまう。。
地謡「賎や賎」と、どっしりで少し悲しげで、「大多舞の」からサラリとした地謡で、シテは「時刻を」と右の方を『サシ』て見渡したり、「よし義経をば」と扇で2回あおぐ様にしながら前に出たり、「詮議を」と『雲ノ扇』したりと優しく嬉しそうだったのは綺麗だったので、舞いももう少し華やかでも良かったのではないかと思う。
最後までサラリとした地謡は、がんばっている感じはしたが、まとまりがもう少しで残念。


『籠太鼓』今井清隆・高安勝久・大藏千太郎・寺井久八郎・幸清次郎・柿原弘和

アイは“牢”に向かって「のうのう」と気遣う感じが良いが、その後いなくなったのに気付いたのは驚きが感じられない。
シテは静かな登場だが、しっかりとした雰囲気で、すんなりと“牢”に入り、アイが脅したり、それを止めるワキのやり取りがいかにも型通りという感じがしてしまう。
シテの静かな『サシ』謡、ワキが見に来ても「何ゆへ」と寂しい感じだが、「ものに狂ふは」と静かでも訴える感じが有って、ワキが戸を開ける流れは自然。
シテ「御志は」としっかり目なのが、ここから出ない決意のようで、「はじめより」と思いがこもる。
「なう心が乱れ」で『肩ヌギ』して立ち、地謡「涙に」と前に出て“牢”を見、『シオル』のが悲しげだが、“鼓”を見つけて、静かにワキに問い、「面白し」とはっきり目の謡で、興味を持った感じ。
「置くとも」と、どっしり目な地謡の後、さらりとした『イロエ』。
“鼓”に手を掛け、「鼓の声も」と打ち、地謡「なく鶯の」と『正先』に出て右を見渡すのが夫の事を思っている様で綺麗。
「諌鼓苔むす」と『角』に出て“牢”を『サシ』、シテ「打つも」と『シオリ』、正面を向いて『シオリ返し』たり、「鼓の声も」と抑えた綺麗な地謡で、「月も」での『足拍子』や、「やはらやはら」と打つ仕草などがしっかりな感じ。
シテ「九つの」と伸びやかにでしっかり謡い、地謡はさらりと続いて、「なつかしのこの牢や」と『シオリ』つつ中に入ったり、再び外に出て「ありがたの」と手を合わせるのも形式的な気がして、本当に狂っているにしても、狂った振りをしているにしても不自然な感じ。
地謡「やがて」としっかりな地謡は最後に向かってどっしりと抑えて行き、シテもさらりと綺麗。


『鞍馬天狗・白頭』粟谷明生・内田貴成・金子天晟・友枝大風・野村真之介・宝生尚哉・粟谷僚太・森常好・森常太郎・舘田善博・善竹十郎・善竹富太郎・善竹大二郎・一噌幸弘・林吉兵衛・國川純・三島元太郎

ワキは文を読む様子がゆったりで、「げに面白き」と、雅びというより、何だか眠そう。。
アイに舞を命ずるのはしっかりだが、侵入者がいる事も、いかに明日また来れば良いと言ったって、ちょっと気にしなさ過ぎ。
シテ「遥かに」とどっしりと静かで、「思ひよらずや」と子方の方を向くのが自然。
その後もシテは静かな佇まいで、哀愁がある感じ。
「いかに申し候」と硬い雰囲気で、しっかりと答える子方に対し、「あら痛はしや」と武骨な言い方をするのが、真面目な、男っぽい感じ。
「松嵐花の」と抑えてもはっきりの地謡で、「夕を残す」と右を見、「鐘は聞こえて」で、ハッと立ち上がり、子方を立たせて向き合うのも淡々としている。
子方「さるにても」ととてもはっきりで、シテ「今は何をか」と、どっしりと言うのは良いが、「大天狗なりと」と、ゆったりとした『ヒラキ』には、威厳がない。
「君みなもとの」と抑え目な地謡で、「授けたてまつり」とさっと正面を向き、「平家を」と幕の方を『サシ』てそのまま、子方の方に向き、「さも思しめされば」と座わり、立ってから足使いして『三ノ松』へ行くまではさらりと展開し、そこからゆったりと『中入』したのは良かった。

後シテは『一ノ松』に出、ゆったり正面を向くのに力が有って、どっしりとした謡は良いが、杖をつく様子はちょっと弱い。
「大峯の」で舞台へ進み、「雲となって」と左袖を被いて膝をつき、「鞍馬の」と袖を戻して立ち、杖を捨てるあたりは、しっかりと力強い。
シテ「いかに」と威厳があり、羽団扇を持ち、「おおゆゆしし」と、しっかりと言いつつ、移動し『床几』にかけ、『語』もしっかりだが重すぎず、ほど程。
「やさしの志やな」と立って優しい様子で子方により、“長刀”を借りて、さらりと“長刀”を使って見せ、いかにも教えている感じが良い。
子方に“長刀”を返し、「お暇申して」と常座に行くと(ここで杖を持つ)、子方が引きとめて戻るあたりは、やや形式的な感じもしたが、「頼めや(1回目)」と左袖を巻き上げて『三ノ松』まで行き、くるりと右に回って振り向き、「梢に翔って」とそのまま後ろに下がって消えるのはテンポ良く、見送る子方が凛々しいのも、子方が成長したんだな、という感じで面白かった。


他に狂言『寝音曲』野村万蔵・野村萬、『悪坊』大藏彌太郎・大藏基誠・大藏吉次郎。
附祝言は『猩々』。

No.97 - 2011/03/19(Sat) 17:33:19
10年2月18日  定例公演(国立能楽堂)  (感想) / 兎谷
『竹雪』香川靖嗣・内田貴成・友枝大風・宝生閑・野村萬斎・高野和憲・一噌仙幸・鵜澤洋太郎・亀井忠雄

ワキの静かな話しぶりに対して、アイ(継母:萬斎さん)のちょっとカドのある言い方が、良くその性格を表している。
ワキが幕に入ると、継母はしっかりと子方(月若:大風くん)を呼び、ゆっくりと出てくる月若に、焦れたり、腹を立てる様子がとても上手い。
月若「げにや世の中」と伸びやかで、「母と姉御に」で『シオル』と、「いずかたへも」と『後見座』に『クツログ』。
シテと子方(姉:貴成くん)が『橋掛リ』に出、シテ「この程は」と、消えてしまいそうなとても抑えた謡。
「誰が長松の」と『シオリ』していると月若が『一ノ松』からしっかりと声をかけ、シテ「何、月若」と月若の方を嬉しげに向くのが自然。
シテ「人あまた」と優しい謡いで、月若に衣を掛けたり、「尋ねて来たる」と見つめ合うのも母親らしい。
アイ(従者:高野さん)が呼びに来ると、シテは立ち、「なに父の」と少ししっかりで、「あら悲しや」と抑えて月若を送り、『シオリ』つつ幕の方を向いて帰っていくのが哀れ。

(ここで竹にの『作り物』を『正先』に出す)
月若は舞台に戻り、継母「やあいかに月若」と静かだが意地悪な気配で、「その着たるものを」と脱がせるのも、“エブリ”を子方の前にバシッと置いて、腹を立てるのもとても上手い…似合いすぎ!
月若「さりとては」としっかりで、“エブリ”を持って立ち、地謡「思ひは長松の」で『シオリ』、「身は沁む」竹の雪を払う仕草をして、「払ひかね」と常座に行って『シテ柱』を叩いたり、「あら寒や」と座って“エブリ”を置いて『合掌』、立って『正中』で「ついに空しく」と横になるまで型が多くて大変だが、しっかりきちんとしていた。
シテ・姉は『橋掛リ』へ出、シテの『一セイ』は寂しげ。
常座に立ち、「わすれて年を」と静かで、「月若を求めて」と『ツメ』るのも切ない。
「子の別れ路を」としっかり目な地謡で“竹”に寄り、「うれしからずの」と“笠”を落として『シオリ』、姉から“サラエ”を受け取って、『正中』に出、「谷を」と右を見渡し、『角』の方に少しでて「おそろしや」と『ツメ』ると、子を思う思いが伝わった。
“サラエ”を使い「涙せきあへず」と月若にかけてある衣をめくると、地謡「すはや死骸の」でシテは常座に下がり、“サラエ”を落として、「いかに月若」とシテ、姉と月若に取り付き「消えよと」と、前方を見ているのが、力を落とした感じが出ていて、どっしりと座って『両シオリ』がいかにも悲しげ。
ワキは帰ってくると、姉の伸びやかに悲しげな説明を聞き、驚くのが自然。
ワキはワキ座に座り、シテ「身はうつばりの」と静かで、「この月若をば」と下を見、「ただ憂き身」とワキを見るのが恨めしそう。
姉「身は白雪」でシテが『シオリ』、ワキ「理や」と静かに言いつつ『シオル』とシテが手を下げ、「二人の親の」とどっしりと抑えた地謡でワキも手を下げるのは、悲しみが深く美しい。
「竹林の七賢〜返すなりと」のところだけ、地謡が一人で謡ったのはちょっとびっくり。
「告げ給ふ」から普通に続いて、シテは『合掌』し、月若はさっと立つと、「喜びは」とシテは月若に手をかける様に寄って座り、「かくて」と扇を広げて立って、月若と送り、「元のごとくに」とシテはワキと向き合ったのは通じ合う様で良かった。
「二世安楽の」でシテも幕に向かい、ワキが常座で『ユウケン』して『トメ拍子』したが…もともとそういう型なのかどうだか知らないが、父親のおかげで生き返った様な、美味しいとこだけ、ワキが持っていってしまうような感じがして、ちょっと納得がいかない。。


他に狂言『惣八』茂山七五三・茂山千三郎・茂山千五郎。

No.96 - 2011/03/16(Wed) 21:23:34
11年2月13日  月並能(宝生能楽堂)    (感想) / 兎谷
『巴』大坪喜美雄・??井松男・殿田謙吉・梅村昌功・竹山悠樹・寺井久八郎・鵜澤洋太郎・國川純


シテは常座で静かに謡い出し、「参らばやと思ひ候」と少し出て、座り『合掌』、「思い出でられて」と立って戻るのもとても静かで、冷静な感じ。
「愚かと」と、これも静かだか、しっかりとした意思がある。
「同じく神と」と少し悲しげで、正面を向き、「神前に」手を合わせるのは自然。
しかし「古の」と静かな地謡で、「五衰を」と『正中』に行き、座って「有難き」と『合掌』したり、「さるほどに」と立って、「暮れてゆく日の」と『笛柱』の方を見るものがとても大人しい。
「われも」と左手を出してワキの方を向き、「来たりたり」と『ツメ』たのは、迫力が有って良いが、「里人に」で常座に向かうと、さっさと帰って行ってしまうようで、押しが弱い感じ。。

後シテは『一ノ松』で「落花」と抑え、「罪も報いも」と『足拍子』しつつ右を向き、「今は」と『二ノ松』まで戻ってから常座に向かうのが、静かなのに、不気味なくらいの覚悟のような迫力が有って良いが、地謡が聞き取り難い。
床几にかけ、どっしりと抑えた地謡『クセ』はだんだんさらりとして、シテ「されども」はちょっと寂し過ぎる感じ。
シテ「頃は睦月の」と伸びやかで「ただかよひ路と」と右から左へ見渡したり、「薄氷の」で下を見るのは、臨場感が有るが、「手綱に」と掴んで『足拍子』するあたりはとても地味。
「巴少しも」でスッと出て、「騒がず」と下がる様子が勇ましく、「恐るる」とワキの方に行って振り向き、「切って」と振り上げ切りかかるところから、「跡もはるかに(1回目)」と『二ノ松』で幕の方を見つめるまでの型が、比較的スローな動きだったにも係わらず、かえって綺麗に見え、不思議な魅力が有った。
シテ「今はこれまで」と抑えてはっきり謡いつつ、舞台へ戻り(長刀は後見に渡す)、『正先』で「置き給ふ」と衣を取って頂く様子は丁寧だが、「御暇申しつつ」と立つと、スッと常座に行くのがあっけない気がした。
『物着』して、「小太刀を」で立ち、さっと常座に出たのが、気分を新たにした感じがして、「ところは」と『角』に出て持っている“笠”を見、「木曽の」と左に回り、「ただ一人」と再び左に回り、「うしろめたさの」でワキの方を向き、座って『合掌』したのは静かで優しい印象。


『雲林院』今井泰男・宝生閑・工藤和哉・御厨誠吾・高野和憲・一噌仙幸・幸清次郎・安福建雄・金春國和

シテの『呼掛ケ』は静かでも咎める感じ。
ゆっくりと現れてすぐ正面を向き、静かに謡いつつ進み、「や、さればこそ」とはっきりで、「とても散るべき」は静かでも説得力が有る。
ワキはしっかりと反論し、常座に立ったシテは「いやいや左様に」(正しくは「いや左様に」)と静かに言って、「又ある歌に」とワキの方を向き、戻って「折らせ申す」で再びワキの方を向きつつ、強めに言うのが自然。
地謡「げに枝を」でゆっくりと前に出、「惜しむも乞ふも」と右に回り、「都の春の(2回目)」で右を眺める様子が雅。
しかし、「いかに旅人〜」のあたりのセリフが怪しく(聞き取れなかった)、「さては」とワキの方を向くのは良かったが、その後絶句。後見がつけると、すぐに何事もなかったかの様に上品に続いたのはさすがだが。

後シテはさらりと常座に出、「月やあらぬ」と、抑えた『一セイ』。
ワキ「不思議やな」とほのぼのしてしまうくらい自然な感じで、シテ「今は何をか」とワキの方を向くのは高貴で良いが、「昔男の」が出ず、後見が謡い、「語らんために」とシテが続けたのでは、全然雰囲気が出ない。
地謡「思ひの露を」と、どっしりで、「言ひけん」で『大小前』に行き、シテ『サシ』は静か、地謡も抑えてさらりと続き、『クセ』はどっしりでマズマズ。
「迷ひ行く」で舞台を廻るのが、とぼとぼとして、さすがに地味すぎる気もしたが、「まめ男」での静かな『足拍子』に威厳がある。
「かい取って」で扇を広げ、シテ「信濃路や」と優しく、このあたりから少し若やぐ様で、ゆったりとした型が続く。
「思い出たり」と静かに謡い、ゆったりとした舞は、『初段オロシ』での『月の扇』が美しいが、その後は弱々と年齢を感じてしまい、美しいとは言いがたい。
「名残の月も」と左に回り、『正中』へ行き、「山あいの羽袖」と『雲の扇』をし、「返すや」と右に回って常座へ行き、「語るも」と一歩出、「つきじ」とさっと左袖を返したりは、はっきりと分かり易いが、ちょっと忙しい感じなのが惜しい。最後はどっしりと綺麗な地謡だった。


『国栖』登坂武雄・高橋希・野月聡・亀井雄二・宝生欣哉・殿田謙吉・梅村昌功・野村萬斎・竹山悠樹・藤田次郎・観世新九郎・亀井実・小寺真佐人

変更:野口琢弘→梅村昌功。

シテ・ツレはのんびりとしたごく普通の老夫婦という感じなのは良いが、紫雲を見つけても、感慨なく大人しすぎる感じ。
鮎を川に放そうと言い出すのは少し積極的だが、『鮎ノ段』のところは、魚を見ている感じは出ているが、鮮やかとは言えず。
アイは迫力が有って、シテ「何清見ばらい」と、とても抑えてとぼけるのはとても良かったし、その後も素朴な雰囲気でだった。

所用有って、アイが引いたところで、私も退席。


他に狂言『八句連歌』野村萬斎・野村万作。

No.95 - 2011/03/16(Wed) 21:18:20
11年2月12日 企画公演「能・狂言に潜む中世人の精神」第3回(横浜能楽堂) (感想) / 兎谷
『江口』梅若玄祥・梅若長左衛門・梅若紀彰・殿田謙吉・石田幸雄・一噌隆之・大倉源次郎・亀井広忠

ゆっくりと幕が上がると、シテはとても静かな『呼掛ケ』。
上品な様子で常座に行き、「いやさればこそ」とやや悲しげで、「人とし聞けば」と抑えて、以降シテは抑え目でも変化をつけ、ワキはしっかり目で、絶妙の『掛合』。
地謡「げにやうき世の」とはっきり目で、シテ「たそがれに」と寂しげで、「さては疑ひ」と抑えた地謡でゆっくりと『脇正』へ出、「かりに」と静かに言いつつ、左に回り、「君が」とワキの方を向き、「一樹の」と右に回って『橋掛リ』へ向かうまで、さらりと上品だが存在感がある。
「江口の君の」と『二ノ松』で振り向くと、気配が柔らかに薄らぐ様で、とても美しい。

ワキの『待謡』は自然でどっしり。
『一ノ松』に“船”を出すと、シテ・ツレが並ぶが、シテは床几にかける。
地謡「川船を」とはっきり目で軽めなのは良いが、趣はないし、3人の様子も(床几にかけているからか?)、立派すぎる印象。
シテ・ツレ「よしや」とどっしりで、「何この船を」と上品にワキの方を向き、「こはいにしえ」と正面を向くのは寂しげで美しい。
シテ・ツレ「秋の水」としっとりと綺麗な謡いで、シテ「月も」と伸びやかに謡うけれど、その姿は大人しく、切なげなのが良い。
「棹の歌」でツレ2人は内側を向き、「歌えや」とどっしりと抑えた地謡で座る姿もとても優美だが、格調高い感じがし過ぎて、普通の型の方が好き。
「遊女の船遊び」でシテは立って“船”を出、『正中』に行って床几にかけ、『サシ』はどっしり目でやや悲しげで、地謡も抑え目に続き、「罪業深き」から更に抑えて「思ひやるこそ」とゆっくり『シオル』のが綺麗。
地謡『クセ』はとても静かで、「夕の風」で立ち、謡に合わせた、ゆったりとした型が続き、「迷ふ心なるべし」と右を向くのがたおやかで女らしかったが、基本的にゆったりと高貴な雰囲気。
静かにどっしりと舞はじめると、途中からやや明るめになるが、無機的で厳粛な感じ。
シテ「実相無漏の」と厳かで、「波の立居も」と舞台を廻ったり、「あらよしなや」と『打合』るものゆったりと菩薩の雰囲気十分でとても綺麗。
「諌めし我なり」と静かな地謡で、『橋掛リ』に向かい、「普賢菩薩と」と『一ノ松』に止まり、ふんわりと両手を上げて、「光とともに」と下ろしつつ幕の方に少し進み、「白雲に」と右手を前に出して雲に乗る足使いをし、扇を回してゆったりと幕に消えた。

最後が光に包まれる様で、絶品の美しさだったが、最初から普賢菩薩のような高貴な気配で、遊女には見えなかった。『小書』でもついていて、少し重めの位取り…だったら納得だが、『小書』なしにしては厳粛すぎる気がした。


他に狂言『博打十王』野村萬斎・深田博治・高野和憲・月崎晴夫・野村遼太・中村修一・野村万之介・一噌隆之・田邉恭資・原岡一之・小寺真佐人。

No.94 - 2011/03/09(Wed) 03:33:09
11年2月6日  観世会(観世能楽堂)    (感想) / 兎谷
『盛久』高橋弘・森常好・(ワキツレ3人)・大藏基誠・一噌庸二・曽和正博・亀井忠雄

シテはゆっくりと歩きつつ、「いかに土屋殿に」と抑えてしっかり。
『正中』に座って『合掌』するのも落ち着いている。
「いつか又」と伸びやか目に謡いつつ立ち、「見渡せば」からはややしっとりで、『ロンギ』地謡ははっきりで、シテはしっかりでも、しみじみとした渋い雰囲気が好ましい。
床几にかけ、少し右を向いて「夢中に」と空しげな男くさい気配で、「げにや故郷は」と右を見上げるのも自然。ワキは『一ノ松』から声をかけると、シテは静かに答え、力が入っているわけではないが、覚悟が感じられてとても良い。
しかし二人が座り、シテ「ただ今も」と抑え、「さて最期は」や、ワキの返答を聞いている姿に力が入ているが、緊張感は弱い。
シテ「我この年月」と落ち着いていて、“経”を左手に持ち、「有難や」と優しく、「大聖」と“経”を広げ見る様子も、日課だし当たり前の事なのかもしれないが、最期にしてはふんわりとした気配で、何気なさ過ぎる気がしたし、ワキがシテの後ろに行き、ワキに“経”を見せ、シテ・ワキ「種々諸悪趣」と抑え、地謡もどっしりで、静かに“経”を読む二人の姿は綺麗だが、敵味方を越えた敬意や心の機微が感じられず残念。

一向は移動し、シテ「盛久やがて」と『角』に座り、“経”を広げると、ワキ「さて由比の汀に」としっかりで、ワキツレはシテの後ろに立ち、「声の下よりも」と刀を抜いて切りかかるのは良いが、「こはいかなる」と捨てるのは、良いところに落としているけれど、少しわざとらしいかも。
シテ「盛久も」とやや驚いた様子で“経”を巻くが、「臨刑欲寿終」と、どっしりで、地謡「経文」と腰を上げて、再び“経”を広げて「あら有難の」と捧げ持つ様子がさらりとしてあまり実感がない感じ。
『物着』後、ワキはかなりしっかりで、シテはかしこまる様子は自然。
シテ『サシ』「然るに」としっかりで、地謡はどっしりと続き、「頼朝これを」とさらり目で、シテは頭を下げ、「その時盛久は」と実感した感じははっきりとして分かりやすく、舞も男らしく力が有って良かった。


『百萬』梅若万三郎・武田章志・宝生欣哉・大藏千太郎・寺井宏明・観世新九郎・柿原祟志・金春國和

アイがしっかり目に舞っていると、シテは静かに近づき、“笹”で叩き、「あら悪の」と静かでもしっかり。
「南無阿弥」と寂しげだが、どちらかと言えば厳か。
「雲や晴れねども」とゆっくり右を見るのが綺麗で、「力車に」と『脇正』へ出、「つむとも」と、左袖を返して“笹”を重ねる常の型も、しっかりな地謡と対照的にゆったりと空しげ。
「たのめや」でさっと『大小前』に行き、「南無阿弥陀佛」とゆっくりと『ヒラク』のも厳粛で、狂乱ではなくただ真剣に祈っている、という感じ。
「なほこの闇を」と右を見つめると切なげで、「三界の」と“笹”を被いて、静かにどっしりとした『足拍子』も、「引けや」と『角』に出、「げに百萬が」と舞台を廻ったり、「裾を下げ」と“笹”を肩にかけ、「乱れ心ながら」とすーっと引かれるように『正先』に出て座り、『合掌』するのも、哀しみが深く静かなのが、万三郎さんらしい。
ワキがしっかりと声をかけると、シテ「これは奈良の」でゆったりとワキの方を向くが、ワキなんかに興味なさそうな雰囲気。
シテ「おおせまでもなし」と上品で、「遠近人に」と右を向き、「もしも我が子に」と暗く、「祈るなり」で『ツメ』たのがとても重く、どこかあきらめてしまっているようにも見える。
「囃してたべや」と誘う感じで、地謡「我が 」と抑え、上品な『イロエ』。
シテ『クリ』「げにや」と静かで、地謡もさらりと続き、シテ『サシ』も静かに切なげなのは良いが、「契りかな」での『シオリ返し』が形式的に見えたのは、静か過ぎるからだろうか…。
地謡『クセ』はとても抑え、「一方ならぬ」で『橋掛リ』に向かい、「かへり三笠山」と『二ノ松』で景色を見るのや、「山城に」」とさらりと『一ノ松』に行って、「面影」と左手を体に寄せて下を見るのは、とても美しい。
「かくて月日を」で舞台の方に戻り、しっかり目の地謡でさらりとした型が続き、シテ「安居の御法と」と伸びやかでも、少し寂しげな謡で、地謡はどっしりとして、「悲しみ給ふ」と『角』に出、「子を怨み」でさっと、右、左と手をクロスして、自分を抱きしめる様にしたのが、一瞬見せた激しさという気がした。
ワキは子方を立たせ再会させると、シテ「心強や」とそちらを向いて“笹”を捨て、「あら怨めし」と強めに言って、「とは思へども」と嬉しそうなのが自然で、「願いも三つの」と左に回ったのが爽やかで、良いラスト…と思ったら、「都に帰る」での『ヒラキ』が暗く見えてしまい、残念


『春日龍神』観世芳伸・殿田謙吉・(ワキツレ2人)・大藏教義・藤田次郎・幸正昭・安福光雄・小寺真佐人

シテは『一セイ』からどっしり。いかにも只者ではない老人という貫禄。
しかし「や、これは」とワキの方を向くと、威厳はあるけれど、若い感じがして、「これは仰せにて」や「ノ本を去り」で、しっかりしても最初の雰囲気とは違う。
「これまた仰せとも」としっかりで、「三笠の」と抑えた地謡で「風を」と右を見て戻り、「皆ことごとく」と再び右を見渡したり、「膝を折り」とワキの方に出て、「上人を」と『ヒラク』のは、はっきり。
『正中』にすっと出て座り、シテ『サシ』は抑え目にしっかりで、地謡はさらり、シテ「昔は」としっかりと変化するものは良い。
地謡『クセ』はどっしりとしつつ、さらりと纏まっていて、綺麗だが、今日のシテも静かな佇まい過ぎて姿が弱く、「春日野に」とワキの方を向くのも型という感じで、力がない。
シテ「そのほか」とたっぷりの謡で、地謡がしっかりと続き、「入唐渡天を」とここで急に最初の老人っぽい威厳が戻り、「双林の」と立ち、「見せ奉るべし」とワキの方を向き、「木綿四手の」と静かに『角』を回って静かに中入。

後シテは『早笛』で『一ノ松』に出ると、「時に」としっかりな地謡。
シテは「すは八大」と爽やかで、「跋難陀龍王」と『サシ』て出、地謡『娑伽羅龍王』で『ヒラク』のがゆったりと力強い。
『阿那婆達多』と右に回ってから『二ノ松』へ行き、「百千眷属」と左に回って舞台に戻るのは引き連れる感じがあまりしないが、「出来して」とゆったりと座ったり、その後もゆったりな型に貫禄がある。
「龍女が」としっかりと綺麗な地謡で、扇を腰に差して“打杖”を持ち、下に突いている姿がどっしりとしていて、「空色も映る」で『キリ』、立つまでカッコイイが、その後の型はさらりとしてあまり景色は見えず、「これまでなりや」とワキの方を『サス』のは迫力があるが、ラストも分かりやすいけれど、さらりと型をこなすような感じがした。
全体に綺麗だが、貫禄十分な場面とさらりとした若いような部分と両方有って、どっちかはっきりしたら良いのに、と思ってしまった。

他に狂言『富士松』大藏彌太郎・大藏吉次郎。
仕舞『高砂』寺井栄、『清経キリ』武田尚浩、『誓願寺キリ』関根祥六、『須磨源氏』木月孚行。
附祝言は『淡路』。

No.93 - 2011/03/07(Mon) 04:13:49
11年2月5日  第17回久習會(宝生能楽堂)  (感想) / 兎谷
『巴』宮内美樹・宝生欣哉・大日方寛・御厨誠吾・山下浩一郎・松田弘之・後藤嘉津幸・安福 建雄

ゆったりと常座に出たシテは静かに、やや悲しげに謡い出す。
「げに神感も」で『シオリ』つつ膝をつくが、ちょっと硬い印象。
立ち、ワキと、ややしっかりと話す場面は、向きを変えるのはゆったり上品でとても良いが、謡が安定しない感じで、「これこそ御身の」の謡いだしもほんの少しだけれど、ため過ぎな気がした。
「慰め給ふべし」と抑えた地謡で『正中』に座ると、感謝している感じが出ているし、ゆっくりと幕の方を向くと、夕日が鮮やかに見えるようでどっしりと静かな地謡とも合って、とても美しい。
「我も亡者の」で立ったシテは高貴な気配で、「その名を」と右に回りかけて振り向く様子もいい感じ。

後シテは『一ノ松』で「落花空しきを」としっかり目。
「すめる心は」と『ヒラキ』、地謡「今は浮まん」で常座に向かい、左に回ったりするが、“長刀”使いが慎重になりすぎている。
「御供申すべかりしを」と前に出、「捨てられ」と『シオル』姿は綺麗で、“長刀”を後見に預けて『クセ』「さても」と、どっしりの地謡で床几にかける。
シテ「されども時刻の」と伸びやかに謡いつつ正面の向くのが、しっかりでもどこか空しげで良く、「運つきゆみの」とさらり目だが、乱れぎみな地謡が惜しい。
地謡「さてこの原の」としっかりとテンポ良く、シテ「頃は睦月の」で(“烏帽子”が落ちてしまうが)景色を見たり、「おりたたん」と腰を上げて綱を掴んで打つ仕草も力強くはっきりと美しいが、「こはいかに」と『打合せ』て『シオル』のは少しやり過ぎかも。。
「かかりし所に」で立つと女らしさが戻り、「はや御自害」と手を付くのも丁寧で、地謡もどっしりでも重すぎず良い感じ。
「かくて御前を」とゆっくりと常座に行って“長刀”を持つと、はじめは少し硬い気がしたが、すぐに鮮やかな長刀さばきで、飛びかえるのも、『橋掛リ』の方に追いたてるのも綺麗。
地謡「今はこれまでなりと」と舞台へ戻り、舞台に入ったところで、『正先』(義仲)を見た視線がはっきりと分かりやすく、“長刀”を落とすと『正先』に出て座り、地謡「はや御自害」で見つめる姿や、「死骸に」でゆっくりと立ち、常座の方へ行きかかって振り向いて寂しげに見つめるのも、はっきりと思いが伝わり美しい。
「くれぐれの」と『脇正』に座り、静かに太刀と烏帽子…無いけれど取る型をして、袖に太刀を隠して立ち、常座で後見にそれを渡すと、扇を広げて正面を向き、「信楽笠を」と扇を上げて笠の様にしたり、「涙と巴は」と『シオリ返し』つつ左に回り、「執心を」とワキの方を向いて『合掌』し、「執心を」と脇正の方を向いて『ツメ』たのも、最後は抑えた地謡も合ってとても綺麗だった。


『春日龍神』荒木亮・工藤和哉・高井松男・梅村昌功・野村扇丞・一噌幸弘・後藤嘉津幸・安福光雄・小寺佐七

シテ『一セイ』はやや控え目な印象。
謡いは良いが、わずかに『面』が『クモリ』ぎみなのか大人しく見え、それが普通だと思うが、小さい動きが余計に小さく見える。
「月に立つ」と、どっしりで、「二柱」で『ツメ』たのは威厳が有るが、「み社の」とはっきりなのになぜか弱い印象。
シテ「や、これは」と気づく様子は自然で、「これは仰せにて」と言葉の重さが有りながらもさらりとして、「日本を去り」とワキの方を向く姿に力が有り、「これまた仰せとも」と再びワキの方を向くのも、留めたいという思いが現れている。
地謡「三笠の森の」としっかりだが、もう少しな感じで、このあたりの型もやや弱いかも。
ゆっくりと『正中』に座り、『サシ』はしっかり目で、地謡『クセ』はどっしりなのは良かったが、座っているシテの気配が静か過ぎて、威厳が弱まってしまった様に見えて惜しい。
シテ「そのほか当社の」で貫禄が戻り、「鷲峰の説法」で立ち、「時風秀行ぞとて」とさっと右に回り、「かき消すように(2回目)」でゆったりと『ヒラキ』、静かな中入は、地謡もメリハリをつけてテンポ良い感じ。

『早笛』が替の譜で常とは雰囲気が変わり、華やかな感じでとても楽しい!
後シテは落ち着いた雰囲気で、『一ノ松』に出、正面を向いて『ヒラキ』がいい感じ。
地謡「時に大地」とさらり目で、シテ「すは八大」としっかり、地謡「百千眷属」で『二ノ松』へ行って、右に回り、「引きつれ」と舞台の方を指して進むのが先導している感じがある。
「そのほか」としっかりと威厳が有って良いが、「座列せり」と飛びかえったら、“龍戴”がずれて、前に落ちそうな微妙な状態に。。
「竜女が」で扇を“打杖”に持ち替えてから『舞働』まで、型はさらり、謡いはしっかりで良いが、「八大竜王は」と“打杖”を振り上げるのが弱いし、「渡天はいかに」とワキにせまるのも迫力にかける。
「尋ねても」以降、地謡はしっかりだが、やや纏まりにかけ、「天にむらがり」で上方向の景色が全然見えてこないが、「地に」で下を見ると、下には景色が広がったので、原因はその見た目のせい(“龍戴”が下向きなので)だと思われ、惜しい。


他に狂言『苞山伏』野村萬・野村太一郎・野村扇丞。

No.92 - 2011/03/04(Fri) 02:56:15
11年2月3日  第25回NHK能楽鑑賞会(横浜能楽堂) / 兎谷
『安宅・勧進帳・延年之舞・貝立貝付』観世清和・観世三郎太・山階彌右衛門・上田公威・清水義也・角幸二郎・林宗一郎・木月宣行・関根知孝・浅見重好・坂口貴信・宝生閑・山本東次郎・山本則俊・一噌庸二・大倉源次郎・亀井忠雄

ワキはややしっかり目で程よい感じ。
子方が出て、シテは幕からさっと出、ゆっくりと続いていく様子に緊張感があり、とてもカッコイイ!
しっかりの『次第』、『サシ』以降はさらりとテンポ良く進む。
一同が所定の位置に座ると、シテは『正中』に座り、しっかりの子方に、どっしりと落ち着いて答える様子がいかにも弁慶らしく、良い雰囲気。
シテ「いかに強力」とどっしりで、“笈”を受け取るとゆっくりと丁寧に運ぶ…重いという事なんだろうけど、慎重に、という様に見える。
「汝が先に」と命じられたアイ(強力)は、関を見に行って戻り、シテにほら貝を所望して、シテから渡された扇をほら貝に見立てて吹く。(小書:貝立)
一同は立ち、シテ「げにや紅は」とさらり目で、「あの強力が」と、どっしりで、「よろよろと」と抑えて優しい地謡がとても良い。
ワキは静かに一向を引きとめ、シテ「これは南都に」と抑えているが、緊張感があり、「よも真の山伏をば」と力が入り、アイ(従者)とのやり取りは迫力満点。
シテ「いでいで最後の」と抑えてしっかりで、ツレもしっかりと続いて上手いけれど、ちょっと一体感が弱い感じがして惜しい。
シテ「何と勧進帳を」でワキの方を見る様子に迫力が有り、「こころへ申し候」と一同が立って並び、シテはしっかりと読み始めるが、ワキに見られまいとする様子も自然で、どんどん力がこもり、ワキが恐れるのも納得。
ツレ「すは我が君」と勢いが有るのを、シテはしっかりと留めたり、「何と人が人に」と反論したり「言語道断」と子方を責める感じも良い。
しかし地謡「方々は」で、ツレが詰め寄ろうとするのをシテが抑え、一列ずつ出るのはまあ良いが、「打ち刀抜きかけて」と全体で押すのがわざとらし過ぎるし、その後、シテ「いかに申し上げ候」と手をつく姿が、綺麗過ぎて形式的に見えてしまう。
子方は伸びやかで、地謡「御託宣かと」静かにつつましく、『クリ』もさらりだが、しみじみとした情感が有って美しい。(サシ・クセ省略)
ワキの酌を受けると、シテ「面白や山水に」としっかり目に謡い、『角』に出、「盃を浮かめては」と扇を落とし座る…小書:滝流の型ですね…ゆっくりと立ち、地謡「鳴るは」で『正中』に出て座り、シテ「たべ酔ひて」と常の様に進み、地謡「鳴るは」で手を合わせてそのまま立ち、舞になる。
『延年之舞』の小書が付いて、舞の中で三番叟の様に3回高く飛びつつ前に出る型が入り、力強く凛々しかった。


他に狂言『鶏聟』山本東次郎・山本凛太郎。


放送は2月27日(日)15時〜17時、教育TV。

No.91 - 2011/02/21(Mon) 02:31:44
11年1月30日  企画公演(宝生能楽堂)  (感想) / 兎谷
『三輪』今井泰男・宝生閑・石田幸雄・藤田朝太郎・幸清次郎・亀井忠雄・金春國和

シテ『次第』はとても静か。
「幾春秋を」が出ず、後見がつけたが、聞こえないのか、3・4回繰り返す…もっとはっきり言っても良いと思うが…。
ワキ「山頭は」とひっそりとした雰囲気がとても良く、シテも静かな謡いで、地謡「柴の編戸を」で『正中』に座り、『合掌』する。
「いかに上人」と弱々しげなのも、困っているという感じが出て良いが、“衣”を取りに行こうと立つのが、中々立てず(後見が先に出ていたくらいだから、立てないのは承知だったんだろうけど)、これで後半(特に長い舞)は大丈夫なのだろうかと、ちょっと不安になる。
「あら有難たや候」と静かでも、心から嬉しげだったり、高貴さをかすかに漂わす中入はさすが!

後シテ「千早ふる」と抑え、ワキは優しく、シテ「恥ずかしながら」と上品で、「人心や」とやや明るく変化して味わいのある綺麗な謡。
「女姿と」とさらりとした地謡で、「見え給ふ」と、『引廻シ』を下ろすと、ワキは下がって頭を下げる様子がとても自然。
地謡『クリ』はしっかり目だが、やや揃わず、『クセ』「されども」で立って『作り物』から出る。
その後もゆったりとした型だが、「これを閉ぢつけて」と『ツメ』るのが積極的な感じで、ここからさらりとして、「こはそもあさましや」と左に回るのが何とも可愛い。
扇を“幣”に持ち替えて、「神楽の始めなる」とどっしりの地謡で『達拝』すると、シテ「千早ふる」と優しい。
“幣”を持って舞う様子は厳格さが有って、ゆったりだが、扇に持ち変えるとさらりとノリ良い感じで、鮮やか…前半の心配は完全に杞憂だった。


他に仕舞『土車』??橋章、『弱法師』三川淳雄、『葵上』宝生和英。
舞囃子『岩船』三川泉・藤田朝太郎・幸清次郎・亀井忠雄・金春國和。
狂言『佐渡狐』野村万之介→野村萬斎に変更・竹山悠樹・深田博治。

No.90 - 2011/02/18(Fri) 05:06:03
11年1月29日  企画公演「能・狂言に潜む中世人の精神」第2回(横浜能楽堂) (感想) / 兎谷
『春日龍神・龍女之舞・町積』浅見真州・武田友志・浅見慈一・森常好・舘田善博・森常太郎・山本則重・竹市学・鵜澤洋太郎・柿原弘和・梶谷英樹

ワキ・ワキツレの『次第』は抑えてさらりだが、なぜかちょっと寂しそう。
ツレ、シテと、『橋掛リ』に並び、ツレ「晴れたる」と明るめで、シテ「和光の」とどっしりと続く。
舞台に入り、ツレ「それ山は」としっかりで、シテは右を向いて、「里は平安の」と優しい謡。
「まことに〜」と二人で抑えて謡い、「景色かな」の後、ツレは『角』、シテは『大小前』に移動という、脇能みたいな動き(元々略脇能なので当然だが)。
シテ「や、これは」と優しく、「これまた仰せとも」と穏やかで、どうしてそんなに行きたがるのか、不思議にすら思っているかの様な余裕な雰囲気。
「三笠の森の」と抑えた地謡で、ツレは地謡の前に座り、「風も」とシテは右を見、「皆ことごとく」とワキの方を向いて「膝を」と『ツメ』て『ヒラキ』、「かほどの」と『角』に出て、左に回り常座へ。
「神慮をあがめおはしませ」で、『正中』に行き、座る。
シテ「しかるに」と老人らしいが、しっかりで、地謡はさらりと続き、『クセ』はどっしりとして、座っているシテの姿も、風格が有ってとても良い。
「山は三笠に」から抑え目で、シテ「入唐渡天を」とワキの方を向きつつ抑え目に言うが、説得力があり、地謡「双林の」と正面を向くと、とても威厳が有る。
「ことごとく」で立ち、『一ノ松』へ、「我は」と振り返って『サシ』、勿体つける様に、左に回って幕へ…キザな入り方だなぁと、思うが、こういうのが似合うのが浅見さんなんだなぁ、と思う。
ツレは立って、見送り、『来序』で緊張感を保ちつつ中入。

アイは小書:町積で、前半のあらすじに加えて、長安から天竺までの旅程…一日何里いったらどこまで行ける、等を話す。30分近くかかる大変な語り、よどむ事なく、しっかり。
ワキ・ワキツレの『待謡』は抑え目。
ツレはゆったりと『一ノ松』で『合掌』し、舞台へ進んで、舞うがとても真面目な印象。
単独なら良いけれど、前半も比較的しっかりで、町積の後なので、もっと明るくさらりと舞って欲しいと思ってしまう。
地謡「白妙なれや」でツレは『正中』に出、「払ふは」と左袖を被き、ゆっくりと幕の方を向くと、幕が上がり、シテは幕の前に出、ツレは『雲ノ扇』。
シテ「八大竜王」とどっかりと謡うと、いったん下がって幕に消え、『早笛』で再び登場、『一ノ松』へ。
地謡「時に」とどっしりで、シテ「すは八大」とたっぷりと謡って手を合わせ、「百千眷属」と『二ノ松』の方に進み、右に回って『サシ』、「波瀾を立てて」と常座に向かい、ゆったりと座るのが、王者の風格!
「座列せり」でも飛ばすに、片足を上げて一気に腰を落としたが、これも重厚な感じ。
「八大竜王は」とさらりと言って立ってからは常の型だが、「鷲峰の」と見回したり、「双林の」と舞台を廻って常座に行く間に、驚くほど景色が見える。
しかし、「渡天は」とワキに迫ると迫力が無く…確かにこれだけの大パノラマを見せられたら、留まるだろうけど、ちょっと余裕過ぎる感じ。
「池の青波」と蹴るのは分かり易いが、「その丈千尋の」で下がり、両手をあげ、「天に」と両袖を返して高く上げつつ『正先』に出たのは、急に若々しい感じがして、やり過ぎだと思う。


他に狂言『夷毘沙門』山本則孝・山本泰太郎・山本東次郎。

No.89 - 2011/02/18(Fri) 05:02:37
11年1月22日  青山能2部(銕仙会能楽研修所)    (感想) / 兎谷
『頼政』浅見真州・宝生欣哉・山下浩一郎・一噌隆之・鵜澤洋太郎・柿原弘和 出演者変更。野村四郎→浅見真州。

シテはゆったりと『呼掛ケ』、静かに常座に進むと、「さればこそ」とワキの方を向きつつ、ややどっしりと丁寧に話し、その後は静かにさらりと景色を教える。
『正中』に座ると、「昔このところに」と抑え目に語るが、その姿は上品。
「かやうに申せば」と切なげで、「よそには」と思いがこもり、地謡はどっしりとして少しやり過ぎな感じもするが、シテは重くなりすぎず、「宇治の橋守」と立ち、「「幽霊と」と静かに『ツメ』るとさらりと中入。

後シテ『一セイ』は静かでもしっかり。
「うたかたの」で舞台の方に進み、地謡「蝸牛の角の」としっかり。
ワキはさらりと自然に問うと、「げにや紅は」とシテは静かで、「頼政と」とワキの方を向き、「御経読み給へ」とこれも静かだが切実な気配。
「平等院の」と『脇正』の方を見つめ、地謡「法の場」でのどっしりとした足拍子は穏やかな気配。…地謡は力が入りすぎかも。
シテ「今は何をか」と華やかさのある謡で、凛々しい感じで『正中』に行き、床几にかける。
シテ『サシ』は抑えた感じだが、『クセ』の地謡もしっかり。
謡いに合わせた型ははっきりだが、どこか静けさのある、空しげな様子から次第に激しく、「我ながら」と立ち、「切先を」と刀を抜いて打ち付ける型がとても力強く、迫力満点。
地謡「さるほどに」と静まり、シテもゆっくりと『角』に出、「頼政が」と抑えた謡で陶然を舞台を廻り、常座へ。
「これまでと思ひて」と刀を見つめてから捨て、「これなる芝の」と丁寧に扇を上げて下ろしつつ『角』に出て扇を置くと、下がってどっかりと座って前を見据える姿の何とも言いがたい哀愁が素晴らしい。
シテ「埋もれ木の」とちょっと乱暴な言い方が無念な感じがして、地謡も最後は抑えて美しかった。


他に狂言『内沙汰』小笠原匡・野村万蔵

No.88 - 2011/02/17(Thu) 04:36:52
11年1月9日  月並能(宝生能楽堂)    (感想) / 兎谷
『翁』宝生和英・大藏教義・今井泰行・宮本昇・一噌幸弘・大倉源次郎・飯冨孔明・古賀裕己・亀井広忠

千歳の泰行さんは力強くはっきりで年の割には若々しい感じ。
翁の和英さんは反対にかなりどっしりと風格を出していた。
昨年11月の『烏帽子折』の時にずいぶん大人の落ち着いた雰囲気になったなぁと関心したが、今日はやりすぎになりそうなギリギリの線。
以前見た『翁』の方が、若い爽やかさが有って良い気がした。
まだ若いのだし、翁は普通の老人とは違うのだからそこまで大人っぽくしなくても、十分綺麗だと思う。


『東北』亀井保雄・工藤和哉・大藏千太郎・一噌庸二・亀井俊一・柿原祟志

シテの『呼掛ケ』はどっしりとしてやや女らしさにかける。
「中々の事」と暗い様子で舞台に進み、ワキの方を向いて「なおも昔を」と静かだが思いは強い。
「夕ぐれないの」と『正中』に出ると、威厳が有るが、ちょっと力が入っている感じで、そのままの感じで中入。

後シテはすらりと常座に出、「あらありがたの」とやっぱりどっしりだが、上品で前より女らしい。
「中々の事」とワキの方を向くと高貴な感じがしたし、手を合わせる姿も優しいが、「天道にかなふ」での『ユウケン』は硬い。
地謡『クセ』はどっしりで、ゆったりとした型は綺麗だが地味目、シテ「見佛聞法の」以降も大人しい。
「春の夜の」と綺麗な地謡だが、『序ノ舞』は無機的過ぎて、悪くはないのだが、優しいとか明るいとか何か有ったらもっと良いのに、と思う。
シテ「春の夜の」と明るい感じで『角』に出るが、「げにや色に」と舞台を廻るところから暗い感じで、綺麗だがとても抑えた地謡ということも有って、ちょっと地味な印象。
また、全体に足拍子と、袖を返すのが急で、男っぽく見えてしまうのも残念。


『海人』中村孝太郎・波吉敏信・森常好・大藏吉次郎・槻宅聡・曽和正博・内田輝幸・徳田宗久

シテは静かに寂しげ、「あまのの里に」と右を見る姿がとても暗い雰囲気。
「昔もさるためしあり」と思い出す感じも、「またあれなる里をば」と見つめる様子もよくわかる。
「玉中に」と静かでも緊張感があり、「今まではよその事と」と悲しげな様子で、『正中』に座り、『シオル』姿が綺麗。
シテ「もしそれとても」と悲しげで、抑えて優しい地謡も美しい。
しかし、「さらでも」と子方の方を向き、『シオル』姿は形式的なのが惜しく、「たとえば月日の」とワキの方を向く様子は女らしくて良いのに。。
シテ「さらばそと」と暗く、子供の事だけを思う真面目な母という印象で、『玉ノ段』もはじめはしっかりでも暗い地謡という事も有って、比較的抑えた印象で、「わが子は」と『橋掛リ』の方を見ると思いつめた感じがはっきり。
全体に一途な田舎の母親という感じで地味目だが、個人的にはけっこう好き。

諸事情あって『玉ノ段』までで失礼したが、最後まで見たかった。


他に狂言『鞍馬参り』大藏吉次郎・榎本元。

No.87 - 2011/02/17(Thu) 04:33:43
11年1月8日  企画公演「能・狂言に潜む中世人の精神」第1回(横浜能楽堂) (感想) / 兎谷
『雨月』大槻文藏・上田拓司・福王和幸・山本則秀・松田弘之・古賀裕己・柿原祟志・金春國和

他に狂言『連歌盗人』山本東次郎・山本則俊・山本則重

感想は後ほど。

No.86 - 2011/02/17(Thu) 04:29:44
11年1月3日  観世会定期能(観世能楽堂)    (感想) / 兎谷
『翁』観世清和・野村萬斎・観世三郎太・野村裕基・一噌隆之・大倉源次郎・鵜澤洋太郎・古賀裕己・亀井広忠

『鶴亀』坂井音重・坂井宗典・坂井音晴・野口敦弘・高野和憲・一噌隆之・大倉源次郎・亀井広忠・観世元伯

『羽衣・和合之舞』谷村一太郎・工藤和哉・一噌仙幸・亀井俊一・國川純・三島元太郎

『岩船』清水義也・御厨誠吾・杉信太朗・森澤勇司・柿原光博・桜井均


感想は後ほど。

No.85 - 2011/02/17(Thu) 04:28:30
10年12月25日  特別公演(国立能楽堂)  (感想) / 兎谷
『屋島・弓流・語掛・継信語』梅若玄祥・梅若晋矢・高安勝久・杉江元・椙元正樹・野村小三郎・一噌仙幸・大倉源次郎・山本哲也


他に仕舞『熊坂・長裃』塩津哲生。
狂言『弓矢太郎』佐藤友彦・井上靖浩・今枝郁雄・佐藤融・今枝靖雄・大橋則夫・鹿島俊裕・大野弘之

感想は後ほど。

No.84 - 2011/02/17(Thu) 04:24:01
10年12月23日  第二十六回二人の会(喜多六平太記念能楽堂)  (感想) / 兎谷
『井筒・段之序』香川靖嗣・宝生欣哉・野村万作・一噌仙幸・大倉源次郎・國川純


他に舞囃子『清経』塩津哲生・一噌仙幸・大倉源次郎・國川純。
狂言『呂蓮』野村万之介→野村万作・野村万作→石田幸雄に変更・竹山悠樹。

感想は後ほど。

No.83 - 2011/02/17(Thu) 04:21:46
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