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花の鏡 其ノ二

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10年4月25日  自主公演能(喜多六平太記念能楽堂)  (感想) / 兎谷
『俊成忠度』佐藤章雄・井上真也・金子敬一郎・高井松男・内潟慶三・亀井俊一・原岡一之

ツレ(俊成:井上さんと従者:金子さん)がワキ座の方に座り、ワキは『一ノ松』に登場、「かやうに候ふ者は」と、しっかりだけど震えてる。。
従者が取り次ぎ、俊成はどっしりと答えると、ワキは「その後」と腰から“矢”を取って渡し、俊成「げにや弓馬の」と、どっしと感慨深い様子。
俊成「行き暮れて」と、どっしりで綺麗だが、地謡「いたはしや」は抑え目にしっかりだが、いまいち揃わず。。
「忠度の船をえて」でシテが登場し、常座に行くと「前途ほど遠し」と悲しげにしっかりの謡、「命だに」とやや強いのは良いが、「いかに俊成卿」と俊成の方を向くのがぎこちない。。
「さても千載集に」と静かに訴える感じや、「情けも末も」と悲しげな感じはまずまず。
シテは『正中』で床几にかけ、俊成「およそ歌には」としっかり目で、続く地謡もどっしりで『クセ』はとても抑えて綺麗。
シテは「一首の御詠」あたりで立ってからは、しっかり目だがやや堅い動きで、「歌には神も」あたりからのゆったりとした部分も、1つ1つ丁寧だけれど、だからスムーズとは言えない感じ。。
さらりと舞台を廻り、小さく回って扇を広げて『大小前』に立つと、俊成「不思議や見れば」と、どっしりで、シテ「あれ御覧ぜよ」と、右を『サス』と『脇正』の方へさっと出、「波の打物」と右に回りつつ、刀を抜くまでは良いが、「打ち払えば」と打つ様子は軽々しい感じがしてしまい微妙。
その後も、早い動きが大変そうで、惜しい。


狂言『秀句傘』三宅右近・三宅右矩・??澤祐介

大名:右近さんは新参者が来て、「きゃつか!」と、とても嬉しそうだったり、怒ったり、コロコロと変わるテンポや、最後で「ああ、秀句とは、寒いものじゃ」という“間”が良かった。


『賀茂物狂』友枝昭世・宝生欣哉・野口琢弘・一噌幸弘・住駒充彦・國川純

演者変更:森澤勇司さん→住駒充彦さん

ワキ・ワキツレ『次第』はさらり、しっとり目の『道行』だが、ややあっさりした感じ。
ワキはさらりと問うと、ワキツレはしっかりと答え、ワキ「あら不憫」と思いやる感じは良い。
ワキはワキ座に座り、ワキツレは切戸に下がる。
シテは『一ノ松』に出て「面白や」としっかり目だが物憂げで、「色めきつづく」と見渡すのも、心ここにあらずな気配。
地謡「かづらも」で舞台に入り、ゆったりと舞台を廻って、さっと『正先』に出て戻ると「かざす袂の」と悲しげで、『サシ』も空しそう。
抑えた地謡『下歌』『上歌』が綺麗に続き、「人の心は」で少し下がったのが…その直前で出たから下がっただけなのだが…人に対する不信感のような感じがした。
「あぢきなや」とシテが『シオル』とワキは立って、「いかにこれなる」とさらりと言うと、シテ「これは愚かなる」と悲しげだが、はっきりと答え、優しい女性らしい雰囲気が良い。
「あら有りがたやと」とゆっくりと前に出、「影を見れば」と少し下を見ると、はっとした様に手を少し下げたり、「身に」と少し下を見て、下がり、「おちぶるる」と『シオル』のは静かだが、深い。
「命ぞ恨みなりける」と杖を落とし、「思い川」と抑えて悲しげな謡で、『シオル』姿は耐える様な、涙を抑える様な印象。
ワキ「いかに」とシテに声を掛けるのは労りがある。「またぬぎかへて」と抑えた地謡で「花の」と『後見座』で『物着』。
「山藍に摺れる衣の」と静かにしっとりと謡い、ゆっくりと舞台を廻って、小さく2回、回わって『大小前』に行き(『イロエ』)、地謡「それとうとうと」はやや重めで、シテ『サシ』は静か綺麗だが、「かかるめぐみを」でゆっくりと合掌する姿は、ちょっと少年ぽいかも。。
地謡『クセ』はどっしりで、しっかり目の『足拍子』や謡に合わせた型もはっきり目で、苛立つような思いがこもる。
「花紫の」と扇を広げつつ、儚くたっぷりと謡い、「蔦の」と分けると、次第にさらりとした型になって続き、扇を閉じて、ゆったりと舞台を廻ると、やや明る目な舞は、しかし心が舞うことには無くて、夫に向かっているようだった。
シテ「花を眺めし」としっかり目だが、やはり悲しげで、女らしく、「ただいつとなく」と呆然とした感じも、「わが身一つの」で座わって『シオル』姿も綺麗。地謡「初めより」とはっきりで、シテ「人目をも」と、とても女らしく控えめで、「心あてに」と腰を上げて“烏帽子”を取って立ち、「神の誓い」とワキと2人で合掌すると、ここから一気に爽やかに変化し、ワキを見送る最後は晴れやかで優しい感じが良かった。


仕舞『巻絹クセ』粟谷充雄

ゆったりと綺麗で雰囲気もあるのに、手先だけが直線的な印象。。


『野守』佐々木多門・則久英志・三宅近成・寺井宏明・幸信吾・柿原光博・大川典良

ワキ『次第』は力が入り過ぎ、『名ノリ』で落ち着いたかと思いきや、『道行』でだんだん力が入ってしまう。。
シテは杖を突きつつも、すらりと登場してどっしりの『一セイ』は威厳があるが、その後『下歌』まで、多少ゆったりするものの変化が少ない。
ワキの問いに「さん候」と静かにワキの方を向くのは老人らしさが有って良く、その後はしっかりと答えるのも、只者でない感じが有って、「「水も野守の」とワキの方を向く姿にも迫力が有る。
しかし「御覧ぜよ」と『ツメ』て、どっしりの地謡に合わせての型は少し硬い感じ。。
『正中』に座り、「昔この野に」と抑えた語り。
杖を取って立つと「ばっと寄り」と『正先』に出て、「水底に」と下を見たり、「鷹は木居にありけるぞ」と『胸杖』する姿は綺麗。
シテは『正中』に座って『シオリ』、地謡「げにや昔の」とはっきりで、シテ「思ひよらずの」と大人しく、次第にはっきりと変化するのは分かりやすく、「かなふまじろの」と立って「杖を力強く突くのも良いが、“塚”に入る直前の『ヒラキ』が若々しくなってしまい惜しい。

後シテは「有難や」と伸びやかなのは良いのに、「天地を」と弱くなってしまう。。
「現れたり」と“塚”から出ると可愛い“面”…狂言の鬼の面に近い感じで、迫力出ないなぁ。。
「帰らんと」と塚に帰ろうとしたり、「台嶺の雲を」のしっかりと拍子を踏む様子は迫力が有るが、鏡を上げたり、くるくる回ったりするのは、力強さはあるのだが、1つ1つこなしている感じ。。
シテ「東方」としっかりの謡いは良いが、以降の動きは軽めで、小物っぽく見えてしまい残念。。
“面”の印象がかなり影響している気も。。

No.8 - 2010/05/11(Tue) 01:50:53
10年4月17日  橘香会(国立能楽堂)    (感想) / 兎谷
*旧掲示板に4月28日に掲載したものです。

『砧・梓之出』梅若万三郎・梅若泰志・殿田謙吉・野村萬斎・松田弘之・幸清次郎・安福建雄・金春國和

ワキはどっしりと落ち着いた感じで、それを静かに聞くツレの雰囲気が良い。
しかし、ツレの謡いはやや硬く、「芦屋の里に」の前に『大小』の方を向く動きがちょっと男っぽいかも。。
静かに登場したシテは、しっとりと切なげな謡だし、「何、夕霧と申すか」とゆっくりとツレの方を向く様子は、夢見心地の様な、まだ信じていない感じ。
舞台に入り、床几にかけると、しっかりと高貴な気配で、「なに都住まいを」とツレの方を向いて言うのは静かだが、聞きとがめる様な鋭さが有って、「都の花盛り」と『正先』の方を向くと、思いをめぐらす様子がわかりやすい。
静かに抑えた地謡が綺麗で、シテ「あら不思議や」とつぶやく感じで、「思い出でられて」と少し右を見たのも、ツレがそこに居る事は無視して(笑)、良い事を思いついたと一人で夫の事だけを考えているみたい。
シテは『物着』で右肩を脱ぐと、「いざいざ」と常座で“砧”を見つめると思いがこもり、2人はゆっくりと“砧”に寄って座る。
「衣に落つる」とゆったりと静かな地謡は、「夜寒を」からぐっと抑えて、冷たい謡がとても美しい。
「宮漏高く」と静かにたっぷりとして、「蘇武が旅寝は」からさらりとして次第にどっしりと変化する地謡で、「吹けや風」と静かに拍子を1つ踏むと、思いが届け!と強く念じている感じがした。
その後もメリハリのある型が美しく、「悲しみの声」と『シオリ』、“砧”の前に座ると、手をかける様にして、「はらはら」と扇で打つ姿は上品で優しさが有り、「いづれ砧の」と右下を見ると悲しみに沈む様で憐れ。
ツレは立って常座の方から「いかに申し候」と気づかいは有るものの、はっきりと告げ、シテは「恨めしや」と少し顔を上げて、弱々しさの中に怒りと絶望感がにじみ、「果て給ふぞや」と『シオル』と、「思はじと」と抑えた地謡で、ツレは『地謡前』に移動。
シテは手を下ろして立ち、「声も枯野の」と静かな地謡で、『橋掛リ』に向かい、ツレは少し後をついて行く…歩みはそんなに重くなくて、もう既に消えてしまった過去の姿のような感じ。
「終に空しく」でシテだけが幕に入り、ツレは『三ノ松』で見送って、幕が下りてからゆっくり幕に入る…型としては普通(?)だけれど、2人の間には距離があって、後ろをついていくツレにはシテの姿は見えていない。。違う時間が流れている感じがして、ものすごい孤独感・寂寥感!
…ここまででも一曲分の見ごたえが十分有った感じ。

ワキは“砧”の前に座り、「無慚やな」と力を落としつつも、どこかクールに、この世の無常を感じている気がする。
シテは常と違う囃子で、静かに『三ノ松』に出て、舞台の方を見つめ、ゆっくりと『シオル』と静かに杖を突きながら『一ノ松』へ。(小書:梓之出)
「三瀬川」と悲しげで、「行方かな」と下がり、「標梅花の」と謡いつつ『常座』に進み、地謡「跡の知るべの」と『橋掛リ』の方を見つめる姿が寂しそう。
「真如の秋の」と正面を向いてつぶやく様に謡い、「因果の」と“砧”を見て『シオリ』、地謡「因果の」とそのまま下がって、「砧に掛かれば」と少し出、「火炎となって」でゆっくりと手を下げるのも、「胸の煙」と『胸杖』するのも、とてもゆったりとだからこそ強調される感じで儚げ。
「松風も」とさっと『橋掛リ』の方を向き、「呵責の」と前を向いて少し出、杖を落とすと「恐ろしや」と両手を上げて座るのは静かなのに激しさが有って綺麗。
扇を持って立ち、「羊の歩み」とどっしりの地謡で、舞台を廻り、シテ「恨みは」とはっきり目に言いつつ『シオリ』、地謡「恨みは」で『橋掛リ』の方を向いて『シオリ』返し、さっと『橋掛リ』の方に少し出て、「執心の」とワキの方に寄る様子は心の迷いのようで印象的。
「人の心か」でワキを睨み、シテ「烏てふ」とはっきり目だが辛そうな感じで、地謡に合わせてさらり目に動き、「夜寒の衣うつつとも」とワキを『サス』とさっと近寄って座り、扇を打ちつけたのがとても激しく(万三郎さんとは思えない激しさ)、急な変化が利いていて見事。
「法華読誦」と抑えた静かな地謡で、「幽霊」とゆっくりと立つとすっかり静まって幻のように儚く、「道明らか」と舞台を廻るのも、「開くる法の」と小さく『ヒラキ』つつ右に回って常座に行く姿も綺麗だった。


以前に見た万三郎さんの『砧』はもっと可憐な印象だったので、今回の中入の孤独感とか最後の激しさにびっくり。
『砧』は見たことが有るから今回はパスしようかな〜と思っていたのですが、行って良かった。


仕舞『邯鄲・舞アト』八田達弥

はじめはゆったり、どっしりと綺麗だったが、途中から力みぎみで惜しい。


仕舞『杜若・キリ』伊藤嘉章

どっしりと綺麗な謡、型も良いのだが、全体に均一な感じがして景色が変わらない。


仕舞『鞍馬天狗』遠藤修

地謡がやや揃わず。力強い仕草より、ゆったりの場面の方が力強さを感じた。


仕舞『小督・キリ』梅若万佐晴

暇乞いする姿に、優しさと心残りな雰囲気が出ていて、とても良い。「あとはるばると」と『脇正』の方を『サス』姿はちょっと勇ましすぎかも。。綺麗だけど。


狂言『樋の酒』野村万作・深田博治・石田幸雄

太郎:万作さんは「そちへ行って飲もう」と冷静にあっさりと酒蔵に行ってしまったのは、いまいちだったが、『よしの葉』での『月の扇』がとても可愛かった。
最後にもう一杯、と暢気な雰囲気も良いが、3人ともに今日は弱めな感じ。。


仕舞『放下僧・小歌』梅若紀長

地謡がさらりと美しい。シテも武骨な強さの中に美しさが有って綺麗。


仕舞『歌占・キリ』青木一郎

出だしから力強い謡で、さっと前に出て下がって『安座』するなど、迫力が有って良いが、そのままの感じで最後までいってしまったので、最後の場面は力が入りすぎな感じ。。


仕舞『夕顔』中村裕

しっとりと綺麗な地謡。
シテの謡は、やや男っぽい感じがしたが、立つと柔らかな気配。全体にゆったりと綺麗だが、所々に素の中村さんの感じがのぞいてしまった気がした。


仕舞『天鼓』梅若修一

天鼓の楽しげな、子供らしい感じは出ていたが、仕草が急で、もう少し余裕があると良いのに。。


『船弁慶・重前後之替・早装束・船中之語』加藤眞悟・伊藤嘉寿・森常好・石田幸雄・藤田朝太郎・幸信吾・柿原光博・助川治

ワキは『次第』からさらりと、大人し目だったが、「某申しとどめばやと存じ候」とはっきりで、子方の方に進む姿にしっかりとした意思がある感じが良い感じ。
しっかりとシテを呼ぶと、シテはやや暗い雰囲気で現れ、ワキの後をついて舞台に向かう様子も悲しげ。
シテは『正中』に控え、「さては真に」と抑えた謡で、本当は既に分かっていた感じなのに、「由なき武蔵殿に」は、はっきりで、恨み言を言いたげなのが、セリフとチグハグ。
「いやとにかくに」としっとりで、地謡「君に二たび」で『シオル』姿も美しい。
“烏帽子”をつけて、「立ち舞ふべくも」と憂鬱な感じが良く、どっしりと静かな地謡も良いが、謡いに合わせた型はややまったり。
ゆったりと舞い始め、2段目で『橋掛リ』に行き、『一ノ松』に寄って子方の方を見て下がる様子は悲しげで、綺麗だが、直後に『シオル』姿は悲しそうというより老けちゃったみたいに見えた。。(小書:重前後之替のため舞が『バンシキ序ノ舞』になる。)
「はやともづなを」で座り、「静は泣く泣く」と言いつつ『シオル』のは儚げで、地謡「烏帽子直垂」と“烏帽子”の紐を解くと、前にカラリと落ちたのが自然でとても綺麗。

アイが優しい雰囲気で、2人の別れに涙するという役にぴったり。
ワキツレ「今日は波風荒く」としっかりと止めようとするが、ワキは初めやさしく、次第にはっきりと納得させてしまうのも自然。
ワキ「船頭舟を出だし候へ」と鋭く命じると、アイはさっと幕に消えて、あっという間に着替えて舟を持って登場(早装束)。
ワキは一の谷の合戦の話をゆったりと語る(船中之語)。
風が強まり、アイは「皆々」と周りを見るのに緊張感が有って良いが、「波よ波よ」と舟を漕ぐのは勢いだけかも。。
ワキは「あら笑止や」と立ち上がって、「あの武庫山颪」と『橋掛リ』の方を見ると風と気配を察知している様で、「何事も武蔵と」と余裕が有る感じも、威厳が有って、信頼できる感じ。
「主上を始め」としっかりと静かな地謡で、幕が上がり、シテは『三ノ松』に立つ。
シテ「そもそもこれは」とどっしりだが、力強さがなく、子方の方を見て「あら珍しや」は普通の人の会話みたいで迫力がない。
地謡「声をしるべに」で幕の方に下がり、『片幕』で幕に入って、『早笛』で再び登場。
「声をしるべに」とどっしりの地謡で、『一ノ松』のシテは「知盛が沈みし」とはっきりと言いつつ、欄干に寄って子方を見るのも、「また義経をも」と幕の方を向いて長刀を振ったり、波を蹴る仕草もわかりやすい。
「眼も眩み」と幕の方に行って、『舞働』になるが、すべる様に『二ノ松』に移動するのは綺麗だったが、その後『一松』に行くのや、長刀を振る仕草は無難にこなした感じ。。
常座に進み、2回回って『サシ』、長刀を片にかけて『角』の方を向くのは綺麗だが、子方「その時義経」と立って刀を抜き、子方を睨んで、近づいたり、長刀を横に持って下がるのも、「悪霊次第に」と『二ノ松』へ行って欄干に足をかけて子方の方を見る姿など、悪くはないけれど、同じような雰囲気で変化が少なめ。
再び舞台に戻り、「また引く汐に」で『二ノ松』に行くと、右にくるくると回って、「なりにける」で幕に駆け込む最後の場面も、さっぱりしていて、綺麗だけれどあっけない感じがした。

No.7 - 2010/05/10(Mon) 00:22:29
10年4月7日  定例公演(国立能楽堂)    (感想) / 兎谷
*旧掲示板に4月19日に掲載したものです。

狂言『口真似』松本薫・茂山正邦・丸石やすし

正邦さんの主人は太郎が客を連れて帰ると、「あの人を知ってよーできたか」と急にケンの有るトーンになったのが上手かった。
太郎:松本さんは、一生懸命に言われた通りに真似をしている様子が、本当に真面目で、真面目すぎるのが面白かった。


『昭君』大槻文藏・梅若玄祥・上田拓司・武富康之・宝生欣哉・一噌幸弘・大倉源次郎・白坂保行・観世元伯

“山”の『作り物』に、柳の葉(片側が枯れている)をつけたもの、を『大小前』に置く。(常は無シ)
今回は、通常、白桃=前シテ、呼韓邪=後シテとなるところを、別人が演じ、白桃を後まで残す演出。

白桃:大槻さん、王母:上田さんは静かな『一セイ』。
その後も抑えて悲しげに続き、シテ「いざいざ庭を」とはっきりでも、心は沈むように重い気配が良い感じ。
抑えた地謡で、庭を掃く2人の姿は、スロー再生のようにゆっくりと、儀式のような不思議な雰囲気。
「げにや世の中に」からはっきり目の地謡で、「涙の露の」で王母は『角』へ、白桃は『作り物』の前(脇正より)に移動。
シテ「あまりに」とどっしりと静かに謡い、2人は座り、ワキがしっかりと声を掛けると、白桃は威厳の有る対応…ちょっと威厳有りすぎかも。。
「この柳を」と白桃は腰をあげて、“柳”を示す姿が悲しげに美しい。
白桃は『正中』に座り、しっかりの『クリ』、地謡『クセ』がどっしりと続き、次第にテンポ良くはっきり。白桃「されば写せる」と悲しげな謡で、(地謡の間に、後見は“鏡”をシテ柱の横に置く)、「昔桃葉と」としっかりと望みを繋ぐような感じが良い。(ワキは『切戸』へ下がる)
「しんようが」で2人は立ち、「それは昔に」と王母は謡いつつ、『地謡前』に移動し、白桃は“鏡”を『正先』に運ぶ。(だったと思う。)
地謡「散りかかる」と2人は見合わせ、「思いは」で白桃はさっと鏡に寄って、それを見つめ、「見るやと」と下がって、「鏡に向かって」と2人で『シオリ』。
普通はここで中入だが、2人はそのままワキ座の方に座る。

囃子『一セイ』でゆっくりと『引廻シ』が下りると、中に昭君:武富さんが立っている。
「これは胡国に」とさらりと若い雰囲気で、いたわる様な優しい謡が綺麗。
地謡「影見えん」で昭君は床几にかけると、『早笛』で呼韓邪:玄祥さんがつーっと走り出て、『一ノ松』の欄干に足を掛ける。
白桃は『橋掛リ』を向いて、「恐ろしや」とはっきりでも老人らしい。
呼韓邪「これは胡国の」と見かけによらず、大人しく、足を下ろして「呼韓邪単于も」とはっきでも、控えめで、本人はいたって普通の人のつもりなのが良くわかる。
呼韓邪「いでいで」と舞台に進み、「鏡に」と“鏡”を見て驚愕した様に下がる。(白桃、王母はワキ座の方に座る。)
地謡「髪筋は」でしっかりと『足拍子』して、さらりと力強い『働』。
呼韓邪「主を離れて空に立ち」としっかりと謡って右手を上げ、地謡「元結」で右を向くようにして左手で、自身の髪を掴んで見つめ、「耳には」と左手を耳に当てる様にするのも、自分の姿を信じられずに戸惑う様。
「鏡に寄り添ひ」と“鏡”に寄って下がり、「鬼とは」と再び寄って“鏡”を掴む様にまじまじと見つめ、「恐ろしかりける」でさっと両袖を被いて、そのまま幕に駆け込むのも自然。
昭君、白桃、王母は立ち、「ただ昭君の」と昭君は前に出ると、「柳の」と“鏡”に寄って、「浄玻璃は」と『ヒラキ』、「花かと」と左に回って『橋掛リ』に向かって「誠は(2回目)」で幕入。
白桃は「影も」で『正中』にさっと出て、「曇らぬ」と“鏡”の方を向き、「誠は(1回目)」でゆっくりと“鏡”に近寄って静かに終わる。
白桃はあまり動かないが、爽やかで良い雰囲気が残った。呼韓邪は黒頭に鎖か葛(?)をつけていて、派手な格好。。その割りに普通の人っぽい雰囲気が効果的ではあったけれど、装束は普通で良かったのに。。
全体に纏まりが有ったし、前後のシテを分けた事で、解りやすかった。

No.6 - 2010/05/10(Mon) 00:20:37
10年4月3日  香川靖嗣の會(喜多六平太記念能楽堂)  (感想) / 兎谷
*旧掲示板に4月15日に掲載したものです。

狂言『花盗人』野村萬・野村万蔵

何某:万蔵さんは、力みぎみなくらい怒っている様子から、盗人のひとり言を聞いて、急に怒りが収まって優しくなったり、歌を聞いてご機嫌になったりと変化が上手い。
萬さんの男(盗人)は、どの枝を折ろうかと迷ったり、捕まって“しゅん”とする、本当は人が良さそうな雰囲気が良い。
声がやや、ガラガラしていたのは残念だったが、謡がとても渋くて、狂言とは思えない静謐な深みが魅力的だった。


『実盛』香川靖嗣・宝生閑・一噌仙幸・大倉源次郎・柿原祟志・観世元伯

ワキは常のごとく床几に座って、「それ西方は」と落ち着いて、しかし重過ぎず良い雰囲気。
シテはそーっといつの間にか現れた感じで、『一の松』に登場して、静かに謡い出す。
「一念称名の」とゆっくりと常座に向かうと、老人がやっとたどり着いた感じがして、座って手を合わせると、敬う心がはっきりと伝わる。
ワキはさらりと声を掛けると、シテ「これは思ひの」とワキの方を向くが、「鄙人なれば」で正面を向いたのが、名のりたくなくて顔を背ける感じ。
「妄執の」とワキの方を向き、「また改めて」と思いがこもり、再び正面を向く様子が、静かな抵抗のようで、男っぽかった。
「さらば」と立ってワキの方に寄って座り直し、「昔長井の」と暗い気配で語りだす。
「池水にて」と前方に池を見る感じも哀れに美しい。
「われ実盛が」と言いつつゆっくりとワキの方を向くのには、静かな威厳が有って、「思いをのみ」と、どっしりとした謡には武骨な…不器用な男って感じがにじみ出て素敵すぎ!

ワキ「南無阿弥陀仏」とはっきり目でも静かな心持なのが良く、『出端』で登場した後シテは静かに常座に立つ。
「極楽世界に」と、どっしりと静かで、「あら頼もしや」とワキの方を向くと堂々とした風格。
『掛合い』はワキはさらりと、シテは抑えて老人らしく、「鬢髭白き」で顔を伏せて恥らう感じも美しい。
ワキ「見申せば」と優しく、シテは「げにや」とゆったりと謡いつつ『正中』へ行って床几に」かける。
シテ『サシ』は静かで、地謡も静かに続き、抑えた『語』は地味と言えば地味かもしれないが、語られたそれぞれの人物が見える様に微妙な変化をして、且つ、武人らしい威厳とむなしさが漂っている。
「首を持ち」と広げた扇を奉げる様に持ち、「おん前に」と立って「この池の」と前に出て『角』を向くと、下を向いて水面を見る感じで、「柳の糸」と『角』に出て上を向いて柳を見るのもわかりやすく、「波旧台に」と膝をついて扇で水をかけて、「墨は流れ」と流れを追う様に見つめ、「元の」と更に2回扇で水をかけるのは淡々としてリアル。
「げに名を」と立って右に回って『大小前』へ行き、「あらやさしや」と『打合せ』て、扇で『サシ廻し』て『橋掛リ』の方まで見渡すと力強くて群集の気配、そこでスッと手を下ろすと、一人の老武者に戻る感じがした。
地謡『クセ』はとても抑えて暗く、シテはゆったりと上品に謡いに合わせて回想しているような感じ。
地謡「げにや懺悔の」と、ややはっきりで、シテ「その執心の」でさっと『脇正』に出ると迫力が戻り、ここから再び過去の世界が鮮明に表現される。
「続く兵」とさらり目の地謡で、「討たせじと」と『大小前』に行く姿が勇ましく、「鞍の前輪に」と前に出て下に押さえつける感じも、「首掻き切って」と常のように切る仕草も、迫力があり、「捨ててんげり」で右を向いただけなのが、投げ捨てたのではなくて、手を離したという感じで、そこに空しさを感じた。
地謡「その後」からは静まって、「二刀刺す」で左袖を返しで、組み合う様にして、ゆっくりと左に回り、「どうと落ちけるが」と膝をつく様子も、「手塚が下に」と膝をついて回るのも、「弔ひて」とゆっくり合掌する姿も、幻の様にとても綺麗だった。

No.5 - 2010/05/10(Mon) 00:18:01
10年4月2日(金)  夜桜能 第3夜(靖国神社)    (感想) / 兎谷
*旧掲示板に4月12日に掲載したものです。

満開〜!


舞囃子『須磨源氏』近藤乾之助・一噌隆之・鵜澤洋太郎・柿原光博・金春國和

静かで、ちょっと元気の無い謡だしだが、舞はキリリ。地謡もやや変化に乏しい印象だが、シテの謡いに合わせた型は、手の使い方が艶かしくて、光の君らしい色気。


狂言『隠狸』野村萬斎・高野和憲

高野さんは舞いつつ覗き込む様子がちょっと怖すぎる感じがしたが、何とか白状させようとする主人らしい。
萬斎さんはさすがに舞台栄えする…でも能楽堂で見たらやり過ぎかも…だけど。
『鵜飼』の小舞は、2人が揃いすぎて気持ち悪いくらい(苦笑)だけど、夢中になっていて、狸を取られた事に気付かない様子が自然で面白かった。


『殺生石』宝生和英・宝生欣哉・石田幸雄・一噌隆之・鵜澤洋太郎・柿原光博・金春國和

今日は“作り物”ナシ。(宝生流では、先代宗家の時まで無いのが普通だった様なので、違和感ないのかもしれないが、見ている方としてはやっぱり有った方が良いかも。。一瞬、今日『白頭』だっけ?とか思っちゃった。。)

ワキは静かな『次第』しっかりとした『名ノリ』。(『上歌』は省略)
アイははっきりとわかりやすい感じ。
シテはゆったりと諭すような『呼カケ』。
常座で「いや、くわしくは」とワキの方を向く姿も高貴な気配で良い感じ。
しかし「那須野の原に」と静か目な地謡はまとまりが、もう少しで、「この原の時しも」と常座で、右を見て、“面”を小さく『キル』様に動かして見渡したのが(意図的じゃなくて、そうなってしまったんだろうけど)キツすぎる。
『クリ』「そもそもこの」とはっきりの地謡で、シテは『正中』に座り、しっかりの『サシ』。
地謡『クセ』は抑え目からどっしりと変化して、やや迫力が出てマズマズ。
シテは「あら恥ずかしや」と言いつつ、ワキの方を向くのは女らしくて良いが、地謡「立ち帰り」でさっと立つと、中入まで動きが硬い感じで、もう少し。

ワキは“払子”を持って幕の方を向き「木石心なしとは」と、どっしりと迫力が有る謡で、「急々に去れ去れ」と“払子”を捨てて常座に行って座り祈る。

シテは幕内から「石に精あり」と抑えてどっしりと謡い、地謡「二つに割るれば」でさっと幕が上がると、ツーと『一ノ松』に進み、「石魂たちまちに」と“床几”にかける。
「今は何をか」と威厳が有って迫力の有る謡が続くが、座っている姿は可愛い感じがしてしまう。。
「幣帛を」とさっと扇を幣に見立て「玉藻に」でパッと左手に持ち、「祈りしかば」と、どっかりとした『足拍子』から、「雲井を」と立って舞台の方へ行くあたりは、苦しんで逃げていく感じがわかりやすかった。
しかしその後の謡いに合わせた型は、しっかりだが、タイミングを計る様にきっちり過ぎて微妙。

No.4 - 2010/05/10(Mon) 00:12:46
これまで。 / 兎谷
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No.2 - 2010/05/09(Sun) 19:33:43
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