夏に13週で稽留流産しました。もともと不妊で、不妊治療をしておらず、 うつの治療中で予想外の妊娠でした。 それまでにもひどい妊娠悪阻で入退院を繰り返し、体重は激減し、歩くのも困難なほどでした。正直おなかに赤ちゃんがいることがきつくて、何度ももとの生活に戻りたいと思っていました。苦しくて、毎日が地獄のようでした。 でも妊娠悪阻がだいぶ良くなってきたとき、おなかの赤ちゃんのことを考える余裕がでてきました。そのころには赤ちゃんの服を買ったり、今はどのくらいの大きさなのかな、生まれたら部屋はどうするかな?など前向きに考えれるようになっていました。でも、まさにその時に、すでにおなかの中の赤ちゃんがなくなっているなんて、想像がつきませんでした。妊娠悪阻がよくなったのは、おなかの赤ちゃんがなくなってたからなのか?それでもほとんど飲食はできず、体重は増えませんでした。悪阻は続くのに、赤ちゃんはいない現実。 結局稽留流産で手術しました。ソウハ手術でした。生んであげれなかったのです。赤ちゃんは、掃除機のようなもので吸い取られたので、形さえありませんでした。私のもとに残ったのはつらい思い出と小さい骨壺です。 私にはほかにも子供がいます。その子供たちとの生活で忙しい中、 ずっと忘れらないのです。赤ちゃんを喜んで迎え入れる心の余裕がなかったこと、うつの治療を中断できなかったこと。妊娠悪阻で本当に苦しくて、おなかの赤ちゃんのことをうれしく思うことができなかったこと。 赤ちゃんは悲しくて、わたしから離れてしまったのかと思うと、とてもくるしいです。赤ちゃんを抱き締めたかった。妹がほしかったと子供にいわれたのがものすごくつらかったです。ごめんね。ちゃんと生んであげられなくてごめんね。来てくれてありがとうって最初から思ってあげることができなくて、本当にごめんね。許してもらえないよね・・・。自分の大切な子供たちをみるたびに、なぜこの子だけ産んであげることができなかったのか、自分がいやになります。考えると苦しいです。さみしいです。時間がたつたびに周りは忘れていくのに、私はもっともと苦しくなるのです。 |
No.1785 - 2011/11/17(Thu) 21:44:01
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