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オッス!毎月20日の担当、法倫房リトルボギーだ!! 何?態度が悪い?まあそう固いことを云うな(お約束)。
さて、今日の話題は例によって死刑についてだ。 実に(個人的に)気に食わない展開が続いている。
きっかけが袴田巌氏の再審無罪確定になることは閲覧者の皆々様も容易に想像がつくと思う。 予測通り、袴田氏の無罪確定をきっかけに国内外の死刑廃止派が鬼の首を取ったように死刑廃止を叫び出した。正確には制度自体の見直しと、それまでの間執行を停止することを訴えているものだが、着地点が死刑廃止に在り、それまでの間執行を停止するとなると、事実上の即時廃止に等しい。 同時に、法務大臣を初めとする法務省関係者は死刑執行に及び腰だ(この際断言してやる)。
確かに法務大臣にとって、現状が通常以上に執行命令を出しづらい状況であることは否めない。だが、俺が気に入らないのはそこではない。
死刑廃止論者は元々死刑に反対なのだから、死刑廃止を訴える有力な一因である冤罪確定が起きた今、有力な追い風を受けているだろう。俺が死刑廃止派だとしてもやはりこの状況は利用するだろう。 気に入らないのは、冤罪問題を別にしても死刑反対に変わりはないという事で、本気で冤罪を問題視するなら死刑制度に限らず、万事に訴えるべきだ。 過去作で俺自身触れているが、冤罪による科刑が取り返しのつかないものであることは死刑以外の刑罰でも同じで、命だけが取り戻せないものではない。故にまずは冤罪で有罪にならないことがすべての基本だ。同時に、死刑に賛成する以上、廃止派よりも存置派の方が冤罪死刑を阻止する側に立つべきである。
もし冤罪だけが死刑に反対する理由なら、宅間守や加藤智大の様に囚人が見ている中で複数人を殺めたケースの様に、冤罪の疑いが持ちようの事件では死刑を反対する理由にはならない。 だが、死刑廃止派は彼奴等の死刑執行にも抗議した。「冤罪問題以外にも死刑に反対する理由は幾つもある。」と云われればそれまでだが、ならば冤罪問題は死刑と別途に語って欲しいものである。
確かに袴田氏のお姉さんが、「もしすでに執行されて入れば」と考えたり、足利事件の菅原さんの様に「無期懲役判決でなく、死刑だったら。」と考えたりすれば、最初から死刑が無いことを望みたくなる気持ちは分からないでもない。 だが、それは裁判で正しく裁かれることに尽力すべきで、誰がどう考えても冤罪の疑いがないケースまで死刑対象とならないのはおかしい。 別の視点で云えば、もし、警察や検察の捏造証拠で無実の人が死刑執行されたのだとすれば、捏造者は死刑になるべきだと俺は思っている。
もう一転気に食わないのは法務関係者の沈黙ぶりだ。 今月13日、元検事総長や元警察庁長官らが参加した「日本の死刑制度について考える懇話会」が、現行死刑制度には多くの問題があるとして、国会や内閣に死刑存廃を含めて議論する場を設けるべきだとの提言を盛り込んだ報告書を公表した。
この報告自体には何の問題もない。個人的感傷としては、「冤罪確定直後のタイミングを見計らいやがって。」という気がしないでもないが、別に卑怯でも姑息でもない。何時だしても良い意見だし、出してはいけない時がある訳でもない。 気に食わないのはこれに対する政府の反応だ。 官房長官と法務大臣が、国民世論の多数が死刑を「やむを得ない」と考え、凶悪犯罪も後を絶たない現状があるとして、「罪責が著しく重大な凶悪な罪を犯した者に対して死刑を科することもやむを得ない」との認識を示した訳で、これも問題はない。 気に入らないのは、「現時点で制度の存廃などを検討する会議体を設けることは考えていない」と語ったことだ。
仮に「死刑制度存置」の結論ありきに立ったとしても、現行の死刑制度には存置派・廃止派のいずれもが納得していないことが多過ぎる。 後者にとっては「話し合いの場すら持たない。」とされたのだから、完全黙殺されたに等しい。恐らく廃止派の多くが死刑廃止の道は遠く困難な道のりで、まずは数多くの歯止めを為し、徐々に頻度や問題点を減らし、最終的には長期の執行停止から廃止されることが順当と見ているだろう。それを一応は「現時点では」という限定が為されていても、「話し合いすらしない。」は存置の俺から見ても非礼だ。
また前者から見ても、「半年以内の執行が全く無視されている。」を初め、執行に関するブラックボックス状態には憤懣やる方無い想いを抱いているので、存廃に限らず広く意見を求め、時代時代にあった改正を図ることは大切だと思っている。 情報が公開され、議論が活発化することで、もしかすると死刑制度は廃止されるかもしれない。それは俺の望む事ではないが、幅広い意見でしっかり話し合い、国民の多くが納得した事ならやむを得ないと思っている。逆に死刑廃止国でも世論の大多数を無視して廃止され、それを日本にも押し付けようとしてる動きの方が問題だ。国民世論や民主主義を無視するつもりか!?と怒鳴り付けたくなる。
話を戻すが、存置派の俺でも死刑制度、取り分け執行に関する事柄は伏せられ過ぎで、執行の後の記者会見でも法務大臣は「舐めてんのか?」と云いたくなる程、「回答を差し控えさせて頂きます。」を連発する。 存置派として、胸を張って執行し、死刑制度の必要性・重要性を堂々と世界に主張する為にも、情報開示と幅広い議論はあってしかるべきと考える。
そして、輪の掛けて気に食わないのは、それほど死刑問題に対して周囲の意見を撥ね退けながら、執行を全く行っていないことだ。 要するに考えを変える気は無いが、批判や避難も受けたくなく、嵐が過ぎ去るのを待っているに過ぎないということだ。
確かに世の中には下手に公開出来ない情報もあるが、伏せてばかり、回答を差し控えてばかりで世の指示や信頼を得ようとは「おこがましい。」としか云いようがない。
色々云ったし、乱暴な口調も展開したが、まずは情報を幅広く後悔し、活発に議論することが大切なのを改めて訴えたい。 よく云われる「死刑廃止は世界の潮流」も、一面(国家の数)ではその通りだが、人口比や宗教圏では様相が大きく異なるし、韓国では死刑執行の再開が、イギリスやロシアでは死刑制度復活が、世論においても声高に叫ばれている。殊にイギリスではEU離脱を叫ぶ要因にすらなっている(EUに加盟する条件は死刑廃止国であること)。
反対意見に耳を傾けるのは愉快なことではない。 だが、反対意見と堂々と渡り合い、我意の正統性をしっかり主張することも大切だと改めて訴えたい。
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No.394 2024/11/26(Tue) 15:24:01
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