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オッス!毎月20日の担当、法倫房リトルボギーだ! 何?態度が悪い?まあそう固いことを云うな(お約束)。
今回話題にするのは例によって死刑絡みだが、その中でも弁護士会によって行われる執行への抗議についてだ。
その昔、オウム真理教関係の死刑囚に対する執行が為された時、例によって死刑に反対する様々な団体から執行に対する抗議が為されたのだが、この時、道場主の馬鹿の母上が驚きの声を挙げた。
「麻原の様な奴が執行された時でも抗議するの??」
と。
勿論、「罪状が酷過ぎる事件の場合は抗議しない。」では、死刑廃止論者とは云えない。 死刑廃止論とは、如何なる残虐で、大量人数を殺め、動機が身勝手で、無反省で遺族を嘲笑う暴言を繰り返す犯人であっても死刑にすることを是としない訳だから、いくらオウム事件関係者でも執行に対して抗議するのが当然である。
驚いたのは、常日頃から死刑問題を真剣に考えている訳では無い人…………というと語弊があるから、云い換えると、凶悪事件の被害者にも加害者にもならず、身内に関係者もいない人々にとって、多くの場合は死刑の是非や、その運用の是非は関心の薄い話なのだろう(ちなみに母上は執行方法を電気椅子と思っていた)。
世論調査では存置論が8割を超えることに対し、廃止派は、「質問の仕方が誘導的」とか、「情報開示が不充分で正しい判断が為されているとは限らない。」という難癖をつけて8割の賛成を軽視する(「空気の様なもの」と云った論客までいた)。 前者に関しては、「如何なる執行にも反対するのだから、誘導的なんか関係ない!」と俺は反論するが、後者に関しては「一理あり」と思わないでもない。 もっとも、充分な開示が為されて体制は揺るがないと俺は思っているがな。
ともあれ、先月の白石隆広の死刑執行に対してもあちこちの弁護士会から抗議が為された。 勿論抗議自体は何の問題もない行為である。個人的には不快だが、執行の暴走を許さない為にも世に必要なことではある。 だが、今回の抗議は特に不愉快なことがあった。
それは抗議内容に袴田巌氏の冤罪確定を絡めていたことだった。 俺自身、冤罪は死刑案件に限らず、すべての事件にあって無実の人間の人生・社会的地位・名誉を著しく損ねる恐ろしい事態で、廃止論者よりも存置論者の方が、極刑に賛成する者の責任において重視しなければいけないと思ている。 ある弁護士会は、白石への執行に対し、「袴田事件に何もまんでいない!」と声を荒げていたが、これに関して俺は頭に来た。
白石が無実を訴えていたり、事件に冤罪性が強かったり、白石じゃない冤罪濃厚な死刑囚の死刑が執行されたのであれば、まだ「袴田事件に学んでいない!」の主張に酌むべきはある。 だが、座間の事件に関しては冤罪性は皆無だ。 執行や死刑制度に抗議するのは良いが、少なくとも今回、冤罪問題に関しては的外れだ。 また、死刑廃止論者は宅間守の様に現場で取り押さえられた、犯人であることが疑いようのない事件なら抗議しないかと云うと、勿論そんなことはない。
それ故、抗議団体が、国家が人の命を奪う事への疑念、世界的な潮流、死刑の残虐性、処刑よりも償いを行わせることへの重視、執行に携わる刑務官他氏の心の痛み等をもって白石への執行を抗議するなら、まだ耳を傾けないでもない。 だが、袴田事件を持ち出したことで、「結局、死刑に反対するのに使えることは何でも盛り込んでいちゃもんをつけているだけやんけ。」との悪印象を強めざるを得なかった。
勿論死刑廃止論を元にすべての執行に抗議するのは問題ないが、すべてに抗議するなら、案件ごとに挙げ足取れるか否かなど顧みず、ストレートに死刑に反対する旨を展開し、個々の事案は触れないか、その事案に該当しないことは持ち出さないで欲しいものである。
過去作でも触れたが、死刑廃止論の中には決して少なくない正論が含まれていると俺は思っている。 だが、何でもかんでも「使えるネタはぶつける。」では、個々の廃止理由が軽視され、決して少なくない正論までも軽んじられかねないことを死刑廃止論者諸兄の為に述べておきたい。
それでは。
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No.532 2025/07/23(Wed) 16:30:19
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