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菜根道場BBS THE V
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菜根道場5・10日雑文 / 道場主
 御来房の皆様、こんばんは。
 毎月25日の担当、菜根道場道場主・菜根道人です。

 令和七(2025)年が始まり、早くも一ヶ月が経過し、今年も残すところ一一ヶ月となりました(←『笑点』風)。
 既報通りの事情でバタバタしていましたが、今ではかなり落ち着きましたので、来月(二月)からは少しは各房の更新も始められると思います。
 では例によって分身達の動向をば。

戦国房薩摩守
 来週、映画を見に行く予定です。何の映画かは後日お知らせしますが、過去作に関連したものです。
 この数年、映画館に行っていませんし、映画を見に行くのは大抵特撮房シルバータイタンです。それを今度は戦国房薩摩守として鑑賞に行くので、個人的に極めて稀有なことです。

特撮房シルバータイタン
 昨年末より遅々としている「復讐を捨てるとき」ですが、来月か再来月には完成させ、再来月には次の新作を始める予定です。
 先日、妹より少し早い義理チョコを貰いました。正直、義理チョコなどお返しの義務が生じるだけで嬉しくないものなのですが、妹が買ってきたのは「仮面ライダー クランチチョコボックス 8P」というもので、ライダー絡みの珍しい物ゆえに喜んでいます(笑)。

楽曲房ダンエモン
 来月摩季ネェ参加のイベントに参加し、五月には真夜さんの三十周年記念イベントに、そして同月摩季ネェのツアーに参加します。
 アルバムも出ることですし、まだまだアップしていない楽曲解説も多いですが、しっかり進めていく所存です。

法倫房リトルボギー
 京都アニメーションの裁判で一審判決を不服としていた被告が控訴を取り下げ、○刑が確定し、色々と考えさせられています。
 本当に反省して罰を受け入れたのか?
 ただの自暴自棄なのか?
 早くも控訴取り下げ無効を申請している弁護士は責任感なのか?○刑廃止派の信念なのか?
 ただ、現状準備している新作は○刑とは無関係なものです。

 それでは、また来月。
 

No.431 2025/01/31(Fri) 23:59:26

Re: 菜根道場5・10日雑文 NEW / 犬背
こんにちは、こちらもバタバタしていて、来年まであと11か月になりました。

今年の初ライブは、インフルエンザもあり、1/19になりました。

実はわたしは犬背は聞いたことがないなあ猫背で、あと、骨盤がずれていて、札幌から高速バスで1時間くらいのところの整体に通っていたのですが、コロナになって通えなくなり、現在では整体の先生もダブルワークなので、なかなか日程が合わずにどうしようかと思っていましたが、ヨガで改善の可能性があるとのことなので、現在ヨガ教室に通っています。

終わったあと、整体やマッサージの施術を受けた時のようにリラックスした感じになるのがわかります。

女性の方が多いですが、男性の方も歓迎のところを探しました。

映画ですが、年に1、2回、わたしが応援している地元の役者さんが脇役で出ているので、そちらだけ観に行きます。

あの、わたしは旅行作家になりたかったとは書きましたが、目標にしていたのは、故、宮脇俊三さんでした。
宮脇さんの父は、戦前に国会議員をしていました。

ライブも地元ならよろしいのですが、遠征になると大変ですね。
ホテルもインバウンドでかなり高いです。
また、北海道内は、雪でどんな交通機関を利用しても、遅れたり運休、通行止めなどで行けない場合もあり、春が来るまでは、地元でのライブになりますね。

まあ、中には無期刑よりも極刑のほうがという考えの被告もいますからね。
仮釈放が難しい無期刑よりはと思うのだと思います。

No.436 2025/02/03(Mon) 17:37:10
このサイトの戦国房についての感想7 / ベルトラン
こんにちは、お久しぶりのベルトランです。
また丁寧に返事をいただきありがとうございます。
また記事の内容に対する反論も多くありますがご了承ください。


まず新コーナーの注目の夜討ち集のコーナーの保元の乱の項目についてです。

崇徳上皇陣営の高松殿への夜襲案は、成功するのか私は疑問なんですよね。
白河北殿を空にするわけにもいかない以上、ただでさえ後白河陣営の半分しかない手勢を二手に分けなければいけませんし、後白河天皇陣営も夜襲を決断した以上高松殿も臨戦態勢に入っているはずですから夜襲が成功する保証もありません。
そう考えると頼長の興福寺の悪僧集団など大和からの援軍を待つという考えも、結果的には失敗したとはいえそこまで間違った策でもないような気もします。

また前も言いましたが崇徳上皇陣営は有能ですが協調性のない人物が多いので、もし長期戦になった場合には足並みが乱れる可能性も高いです。
そもそも崇徳上皇陣営が不利だったから負けただけであり、何やっても勝ち目がなかったのかもしれませんね。


次に源頼朝挙兵の項目についてです。
山木兼隆が着任したのは一説には源頼朝挙兵の二か月前ともされているので、少なくとも山木兼隆個人に対しては頼朝としては特に恨みはなかったかもしれませんね。

まあ源頼朝挙兵の動機は京都から平家が頼朝の命を狙っているという虚報がもたらされたからなので、頼朝頼朝としてとしては単に生き残りに必死だっただけかもしれません。
だから頼朝本人としては源氏御曹司としてのデビュー戦だなどという考えがそもそもなかったような気がします。


次に富士川の戦いの項目についてです。
まあ同時代の公家の日記によれば維盛軍1000〜2000騎、源氏軍4万騎という兵力差だそうですので、兵の士気の低さとかいう以前の問題であったでしょう。
夜襲の際の平家方の大混乱もそもそもこの兵力差だとやむおえなかったといえますし、連年の大飢饉から食糧不足の最中の東国征伐がそもそも無謀だったというのが実情でしょうね。

またそもそも平家の主流派である知盛・重衡ではなく、若くて経験がなく平重盛の死後主流から外れつつある平維盛に総大将を任せたことも敵をなめすぎといえますし、平家の戦略に大きな問題があったわけですね。
平家の貴族化や平維盛の個人的な資質といったことが敗因だったわけではないと言えます。


まあそもそも日本人は夜討ちが大好きだと思います。
日本の歴史では夜襲で勝利した話は輝かしい勝利として称賛され、決して卑怯とは言われませんから。

保元の乱でも夜襲は卑怯と言った公家は批判されるのみで共感されることはありませんし、日本人が好む乱世の英雄は源義経や楠木正成に真田など正々堂々戦うイメージではなく、むしろ奇襲などを得意とするイメージの武将が多いです。

日本人は結局正々堂々戦うよりも夜襲など奇襲戦法で勝利する話を好む夜襲大好き国民であり、夜襲を卑怯とは基本的に思わないんでしょうね。



次に帰ってきた「菜根版名誉挽回してみませんか?」のコーナーの毛利輝元の項目についての続きです。
輝元は家康が留守の隙に西国を制圧して優位に立った後に家康と有利な条件で和平を結ぶ計画だったようで、三成達との交渉を担当したのが安国寺恵瓊であり、家康との交渉を担当したのが吉川広家だったようです。
しかし予想外に東軍からの離反者もなく、また迅速に引き上げてきたため計算が覆されてしまったようです。

西軍は西国の制圧のために分散していて手薄であり、大坂城の輝元の手元には数千ほどの軍勢しかいなかったようです。
軍事的には東軍により短期間で岐阜城が陥落した時点で大勢はすでに決していたというのが現在の有力な見方のようで、それで輝元も安国寺や三成を見捨てて生き残りを図る決断をしたようです。
関ヶ原の戦いはもはや残敵掃討に近い状態であったというのが現在の有力な見方のようですね。


次は足利直義の項目で話題にした後醍醐天皇についての続きです。
そもそも日本の朝廷で天皇が自ら政治を行う上で、むしろ一番邪魔なのは藤原摂関家などの公家です。
これは平安時代などで天皇をないがしろにする貴族たちがどれだけいたか考えれば理解できると思います。
また朝廷の非主流派であり、本来は皇位につくことすらあり得なかった立場であり、朝廷内に味方の少ない後醍醐天皇にはより切実だったはずです。

だからむしろ後醍醐天皇は積極的に武士を政権に参加させるなど、武士を優遇することで武士を味方につけることで公家たちを押さえつけようとしていました。
実際幕府が滅んだのにより一層武士が優遇されていると、公家の一人が言っていたという記録も残されているようです。

また後醍醐天皇が最も警戒していた相手は護良親王だったようです。
というのも後世から見るから最も警戒すべきなのが足利尊氏のように見えるわけですが、そもそも足利家はどうも鎌倉時代における地位は江戸時代に例えれば前田家程度であり、他の有力な武家から武家の棟梁になるにふさわしい家系とまで認められていたわけではなく、南北朝で尊氏が盟主として祭り上げられたのも尊氏個人の功績とカリスマの要素が大きかったようなのです。

そもそもこの時代は鎌倉時代に源氏将軍が三代で終了し80年以上皇族の征夷大将軍が続いていた時代であり、室町幕府や江戸幕府のことを知る後世の我々と違い、将軍は皇族が就任する官職という感覚が強かった時代です。
そう考えると同時代感覚で幕府のトップである征夷大将軍に最もふさわしいのは、皇族であり、鎌倉幕府との戦いで功績を上げた護良親王のわけです。
実際護良親王は野心家でもあり、征夷大将軍に就任して自ら政治の実権を握るべく活動していたようで、足利尊氏は鎮守府将軍に就任して建武政権の軍事部門のトップになっていました。

つまり護良親王が足利尊氏を排除しようとした理由は尊氏が幕府を開くのを警戒していたわけではなく、自ら将軍として幕府を開き政治の実権を握ろうとする護良親王にとって後醍醐天皇に従い朝廷の軍事を担当する尊氏が目障りだったという理由であったようで、後醍醐天皇が護良親王を処分したのも当然だったと言えるでしょうね。

後醍醐天皇が武士を冷遇しなかったと最近は見られるのも、こういう実態が解明されたからなんですね。
従ってもう後醍醐天皇が武士を冷遇したという説は、一般に広まっていないだけで歴史学者の世界ではもう完全に過去の話となっているわけですね。


次は足利直義や高師直のことを考察するのに重要な足利尊氏についてです。
彼は兄の早世で予想外に家督を相続したせいか、本来あまり野心のない人物だったようです。
彼が幕府に反旗を翻した理由は、反幕府軍との戦いで幕府がこのままでは危ないと感じて、北条家との縁で足利家もこのままでは幕府と共倒れになるという危機感だったようです。

また彼は自分を優遇してくれた後醍醐天皇に強い忠誠心を持っており、建武政権に反旗を翻すつもりはなかったようです。
中先代の乱で出陣したのは弟を助けるためと、北条時行の軍勢を放置しておくことは建武政権の危機につながるという考えであったようです。

また乱鎮圧後に勝手に恩賞を与えたのも単に論功行賞をすぐに行わないと従軍した武士が不満を持ち再び反乱が起きかねないとの危機感が原因であり、後醍醐天皇の帰還命令を無視したのも関東の統治機構である鎌倉将軍府が瓦解した状況では暫定統治の体制を整えないで尊氏が帰還するのは危険だと判断しただけのようです。
何しろ北条の残党がまだ関東各地に潜伏している状況ですから、これを放置して置くわけにはいかないという判断であり、足利氏による幕府を開く気はこの時点ではなかったようです。

それではなぜ後醍醐天皇と対立することになったかというと、新田義貞ら反足利派の策動に後醍醐天皇が取り込まれた。
もしくは弟の直義が新田義貞と仲が悪かったともいわれているので、直義と新田義貞の対立を抑えきれなかったなどが考えられるそうです。

ちなみに尊氏は政治家として無能扱いされることもありますが、足利直義や高師直やいないときには自分で問題解決しているので、能力が低いというより権力欲が低かったともいえます。
また源頼朝や徳川家康という日本史全体で見てもトップクラスの有能な政治家と比較されやすい立場というのも、尊氏の政治能力が低く見られがちな理由かもしれません。
まあ三人の初代将軍のうち頼朝と家康は後世から見て政治家の印象が強く、自ら戦って天下を勝ち取ったような征夷大将軍らしい将軍という点では尊氏が一番かもしれませんね。


次に「大敗」を検証のコーナーの関ヶ原の戦いの項目についての続きです。
そもそも関ヶ原の戦いの敗因についてですが、佐和山19万石の大名でしかない石田三成は西軍の総大将には不足ですが、毛利輝元は家格と実力は問題ないものの豊臣家との関係が疎遠であり、どちらも豊臣家を仕切るには不足があります。
そのため徳川家康を大将として指揮系統がしっかりしている東軍に対して、西軍は石田三成と毛利輝元の連合政権のようになり何を決定するにも有力者の合意が必要な意思決定の遅い組織になり、東軍の迅速な行動に対しことごとく後手に回ってしまったわけです。

つまり西軍の意思決定の遅さは総大将毛利輝元が優柔不断だっただけでなく西軍の組織構造そのものにこそ真の原因があったわけですが、問題は石田三成がこういった問題を認識していなかったということのようです。
胴も三成は独裁者である豊臣秀吉に命令により何事も迅速に事が運ぶ状況に慣れすぎていたようです。

三成は秀吉の懐刀としては有能であり、豊臣政権というしっかりした組織にいるうちは活躍できましたが、西軍という新しい組織を立ち上げるのには不適格だったようですね。


次に胡亥と悪宦官・趙高についての続きです。
実は史記には子嬰は胡亥(二世皇帝)の兄の子としか記されてなく、子嬰は扶蘇の子であるという話は史記などの記録に裏付けがある話ではないそうなんです。
そもそも扶蘇の子・子嬰がこの状況でまだ生きていること自体が不自然であり、おそらく子嬰の父は扶蘇ではないのでしょう。


次に戦国の鬼達のコーナーの柴田勝家の項目についての続きです。
逆を言えば秀吉と勝家の不仲説を証明する事件は、北陸攻めの無断離脱くらいしかないんです。
この事件だけを根拠に秀吉と勝家が不仲だと決めつけるのは、私としてはちょっと強引のような気がするんですよね。
まあ仲良しではなかったでしょうが、不仲というのは後に秀吉が勝家を討った事から逆算されて創作された話ではないでしょうか?


次に以前感想を言った鎌倉私設軍事裁判のコーナーの北条時宗についてです。
元使の斬首については文永の役の後にしか処刑しておらず、和平をしていない以上法的には日本と元は交戦状態ですから。
交戦状態の相手からの使者を処刑することはこの時代は珍しくなく、また対馬・壱岐の後であることを考えれば時代の違いを考慮すれば道義的に批判することではないでしょうね。

むしろ彼の道義的な批判点は二月騒動であると思われます。
北条時輔は前も言いましたが母の身分の低さを考えれば後継者が時宗であるのは当たり前であり、この時代では当たり前のことなので不満を感じにくいのです。

またこの項目でもあるように一八歳で従五位下式部丞に叙任されるなど官位の面でも特に冷遇されているわけではないだけではなく、時輔の烏帽子親は幕府の御家人筆頭である足利氏であり、正室の出自も頼朝以来の有力御家人である小山氏と、庶子としては十分なくらい優遇されていて時宗に反抗する動機はなく、また時輔が境遇を嘆いているという記録も同時代にはとくにないのです。

六波羅探題南方に出向も最近では時輔が信頼されていたからこその人事であり、文永七(1270)年正月の六波羅探題北方の北条時茂の死後二年間後任が決定しなかったのも、そもそも時輔が信頼されていたため早急に決定する必要が無かったからというのも理由のようです。

つまりこの時輔の粛清は、特に幕府に不満も持っておらず特別不穏な様子も見せてない時輔がある日突然何の前触れもなく誅殺されるという鎌倉時代を通じてもトップレベルの理不尽な事件なわけです。
例えば頼朝の義経や範頼の粛清もこれに比べたらまだ疑う理由はある方です。
つまり北条時宗という人物は時にこういう何の正当性もない粛清をする人なわけです。

あと名越流北条氏の粛清については、彼らが肥後国と筑前守護の職を持っていたのが原因のようです。
名越時章・名越教時に叛意がないとはいえ、元の脅威で緊迫する九州の守護の職を潜在的な反得宗勢力である名越流北条氏に与えておくことを不安に感じるのはこの状況では無理もない事であったかもしれません。
実際私がもし時宗の立場だったらと考えると、自分だったら名越時章・教時を誅殺しないと自信をもって断言できませんし。


次に嘉元の乱の項目についてです。
この事件は現在では得宗である北条貞時による北条時村粛清と、それに反発した大仏宗宣ら諸支族の反撃による実行犯である北条宗方誅殺と得宗の貞時の権力喪失という事件と見るのが有力のようです。

実はこの事件で殺害された北条時村と、宗方を誅殺した大仏宗宣はどちらも得宗に立てつくことの多い人物です。
ただこの二人は得宗に立てつくといってもだいぶ事情が違うようで、大仏宗宣は諸支族と結んで得宗に対抗する傾向が強い貞時にとって政敵ともいえる人物ですが、北条時村は自分が正しいと思うことを得宗相手でも貫こうとする頑固者であり、度々得宗に意見することがあっても決して反得宗ではありません。
つまりこの事件は北条貞時が北条時村を粛清したことで大仏宗宣に対する抑えが利かなくなり得宗の貞時の権力喪失につながったということで、北条貞時は得宗の権力強化を狙ったのでしょうがあまり利口なやり方ではなかったと言えるでしょうね。


少し前にアニメ化して話題になった逃げ上手の若君で、主人公が鎌倉を奪回した際に民衆が鎌倉時代は平和だったと言っているシーンがありました。
これは確かにその通りで、鎌倉時代は確かに血なまぐさい事件が多い時代でしたがそれは支配階級の話であり、民衆をも巻き込むような大規模な戦乱はそれほど多くありませんでした。
それに比べて鎌倉幕府滅亡後の南北朝・室町・戦国の時代はまさに戦乱の続いた時代であり、関東が平和になるのは鎌倉幕府滅亡から二百年ほど後の豊臣秀吉の関東遠征まで待たなくてはなりませんでした。

もしかしたら戦乱の続いた南北朝・室町・戦国の時代を生きた関東地方の民衆にとって鎌倉時代は平和な理想的な時代であり、それをもたらした執権北条氏は理想的な支配者だったのかもしれませんね。

さて今回はこれまで。
次の更新を楽しみにしています。
それではまた。

No.430 2025/01/29(Wed) 00:21:21

Re: このサイトの戦国房についての感想7 / 薩摩守
> こんにちは、お久しぶりのベルトランです。
> また丁寧に返事をいただきありがとうございます。
> また記事の内容に対する反論も多くありますがご了承ください。

 お待ちしていました。こちらこそいつも有難う御座います。原文を一部略させて頂きますが、悪しからずご了承をお願いします。

>
>
> まず新コーナーの注目の夜討ち集のコーナーの保元の乱の項目についてです。
>
> 崇徳上皇陣営の高松殿への夜襲案は、(中略)
> そもそも崇徳上皇陣営が不利だったから負けただけであり、何やっても勝ち目がなかったのかもしれませんね。

 勝ち目が薄かったのなら、尚の事頼長が夜襲に対して面白からずとも、戦の専門家である武士の意見を尊重すべきだった気がします。
 頼長が悪僧の援軍を待っていた話は知りませんでした、勉強になりました。

>
>
> 次に源頼朝挙兵の項目についてです。
> 山木兼隆が着任したのは一説には源頼朝挙兵の二か月前ともされているので(中略)

 山木の着任時期から頼朝との因縁が無きに等しかったとの説は目にしたことはあります。
 また、拙作でも触れていますが、北条時政以外、殆ど頼る者も無く、初めて得た我が子を岳父(伊東祐親)に殺されるような状況にあった頼朝が断たざるを得なかったことには頷けるものがありますし、劣勢の頼朝が幸先のいいスタートを切る為には夜襲を含む奇襲が重要なのも分かります。
 過去作にて度々触れていますが、私の頼朝嫌いは尋常じゃないので、かなり差っ引いて見て下さい(苦笑)。

>
> 次に富士川の戦いの項目についてです。
> まあ同時代の公家の日記によれば維盛軍1000〜2000騎、源氏軍4万騎という兵力差だそうですので、兵の士気の低さとかいう以前の問題であったでしょう。

 西国の飢饉による食糧不足が響いていたのは有名ですね。倶利伽羅峠の戦いでの平家軍が一〇万との説を聞いたことがあり、富士川の戦いでも一〇万の兵を率いていたとの説を見たことがあり、そのイメージで居ました。『平家物語』にまだまだ引きずられていますかな?
 知盛・重衡兄弟は頑張った方だと思います。宇治川の戦いや興福寺の戦い、墨俣の戦いでも勝利を収めていましたしね。

>
>
> まあそもそも日本人は夜討ちが大好きだと思います。
> 日本の歴史では夜襲で勝利した話は輝かしい勝利として称賛され、決して卑怯とは言われませんから(中略)夜襲を卑怯とは基本的に思わないんでしょうね。

 敵の虚をつく戦法に対し、「上手くやりやがったな!」と称賛するか、「汚い手を使いやがって!」と嫌悪するか、時代や、贔屓も大きいと思います。
 嫌な着眼点ですが、時代を遡る程、また相手が異民族であれば、汚い手段も「上手く敵を討った。」と云う味方の前に汚点が薄れる傾向にある気がします。
 弘安の役で西国武士達が小舟に乗り込んで元や高麗の船に夜襲を掛けたのは卑怯とは思いませんが、シャクシャインの乱で和睦を持ち掛け、縁戚の場で騙し討ちにするという卑怯極まりない方法を当時の松前藩関係者は日記に「上手くやってやった。」と云わんばかりに誇らしげに綴っており、相手が異民族だと卑怯な手を卑怯とも思わない様は悲しくなります。
 謀略を成功させる誇らしさと、姑息な戦法を忌み嫌う線引きはなかなか難しいと思います。

>
> 次に帰ってきた「菜根版名誉挽回してみませんか?」のコーナーの毛利輝元の項目についての続きです。
> 輝元は家康が留守の隙に西国を制圧して優位に立った後に家康と有利な条件で和平を結ぶ計画だったようで(中略)それで輝元も安国寺や三成を見捨てて生き残りを図る決断をしたようです。
> 関ヶ原の戦いはもはや残敵掃討に近い状態であったというのが現在の有力な見方のようですね。

 輝元は元々二股膏薬を貼っていたという事でしょうか?西軍参戦諸将の中で、石田三成が打ち首になったのはある意味当然と思っていましたが、小西行長と安国寺恵瓊に関しては今もはっきりした理由を把握していません。殊に毛利家と縁の深い安国寺が処刑されたのは疑問でしたが、輝元が二股膏薬を貼り、失敗した片方を切るつもりだったとすれば、分かる気がしてきました。

>
> 次は足利直義の項目で話題にした後醍醐天皇についての続きです。
> そもそも日本の朝廷で天皇が自ら政治を行う上で、むしろ一番邪魔なのは藤原摂関家などの公家です(中略)

従ってもう後醍醐天皇が武士を冷遇したという説は、一般に広まっていないだけで歴史学者の世界ではもう完全に過去の話となっているわけですね。
 源頼朝同様、後醍醐天皇に関しても、薩摩守の好き嫌いを大幅に差っ引いて下さい(苦笑)。
 護良親王については確かに翌々考える必要がありますね。
 新田義貞らの唆しは充分考えられる話ですし、心情はともかくとして後醍醐が武士を「必要」としていたこと、それを意のままに動かす為に待遇に関して後醍醐なりに考えていたのは理解出来ます。
 ただ、両統迭立に対しても、摂関や幕府が政権を握ることに対しても、唯我独尊で臨み、自分の為に犠牲になった貴族や武士に対する哀悼を持っていたか怪しく、「最も高貴な朕に尽くして当然」と捉えていた節はイメージとして拭えずにいます。

>
> 次は足利直義や高師直のことを考察するのに重要な足利尊氏についてです。
> 彼は兄の早世で予想外に家督を相続したせいか、本来あまり野心のない人物だったようです(中略)
> まあ三人の初代将軍のうち頼朝と家康は後世から見て政治家の印象が強く、自ら戦って天下を勝ち取ったような征夷大将軍らしい将軍という点では尊氏が一番かもしれませんね。

 先日NHKの『歴史探偵』で足利尊氏と直義の関係について語っていました。戦場での指揮官としての優秀さを含む尊氏のカリスマは私が認識していた以上でした。直義や師直不在時にそれなりの力量を発揮していたのはあまり認識していませんでした。どちらかと云うと兄弟で得意分野を完全分業していたイメージでしたので。
 まあ、能力はどうあれ、尊氏は現場の武士として忠義を尽くす者の為に一途に戦う方が性に合っていたとは思います。
 政治力に関しては頼朝や家康と比べられたら可哀想な気もします(苦笑)。

>
> 次に「大敗」を検証のコーナーの関ヶ原の戦いの項目についての続きです。
> そもそも関ヶ原の戦いの敗因についてですが、佐和山19万石の大名でしかない石田三成は西軍の総大将には不足です(中略)

三成は秀吉の懐刀としては有能であり、豊臣政権というしっかりした組織にいるうちは活躍できましたが、西軍という新しい組織を立ち上げるのには不適格だったようですね。
 大谷吉継の忠告は的を得ていましたね。それでも戦ったのが石田三成の石田三成たる所以と見ています。
 もう少し年齢を経て、直前の御家騒動が無ければ宇喜多秀家が総大将を務めるべきだった気がします、私が三成なら。

>
> 次に胡亥と悪宦官・趙高についての続きです。
> 実は史記には子嬰は胡亥(二世皇帝)の兄の子としか記されてなく、子嬰は扶蘇の子であるという話は史記などの記録に裏付けがある話ではないそうなんです(中略)

 確かに「子嬰=扶蘇の子」なら、始皇帝崩御後の大粛清を
「良く生き残れたよな。」とは思いました。

> 次に戦国の鬼達のコーナーの柴田勝家の項目についての続きです。
> 逆を言えば秀吉と勝家の不仲説を証明する事件は、北陸攻めの無断離脱くらいしかないんです(中略)。

賤ケ岳の戦いに際し、信雄を通じてではありますが、旧主信長の遺児であった信孝を切腹させていますから、その後ろめたさを払拭する為にも、『絵本太閤記』を初めとする秀吉を主人公とした書では勝家を秀吉の天敵だったみたいに記載した方が都合がよかったのかも知れませんね。

>
> 次に以前感想を言った鎌倉私設軍事裁判のコーナーの北条時宗についてです。
> 元使の斬首については文永の役の後にしか処刑しておらず、和平をしていない以上法的には日本と元は交戦状態ですから(中略)実際私がもし時宗の立場だったらと考えると、自分だったら名越時章・教時を誅殺しないと自信をもって断言できませんし。

 確かに対馬・壱岐に対する仕打ちを考えれば、使者を斬って敵意を見せるのも話として全く分からない話ではないです。ただ、曲がりなりにも戦闘員ではない者を斬るのですから、それだけの理由を告げる意味でも代表の首だけ斬って、従者にそれを持ち帰らせてこちらの意図を告げるべきと考えます。
 それを全員斬った上に、全く相手に報せもしなかったのですから、交戦中とはいえ、そのことを知ったフビライが激怒したのは無理ないと思います。
 私設裁判なんて策を作ったぐらいですから、鎌倉時代は理不尽の塊だと思っています。
 確かに、じゃあ、同じ立場だったら粛清をせずに済ませられたのか?と問われれば難しいですが。

>
> 次に嘉元の乱の項目についてです。
> この事件は現在では得宗である北条貞時による北条時村粛清と、それに反発した大仏宗宣ら諸支族の反撃による実行犯である北条宗方誅殺と得宗の貞時の権力喪失という事件と見るのが有力のようです(中略)
> もしかしたら戦乱の続いた南北朝・室町・戦国の時代を生きた関東地方の民衆にとって鎌倉時代は平和な理想的な時代であり、それをもたらした執権北条氏は理想的な支配者だったのかもしれませんね。

 北条家内部のことについてはまだまだ私の勉強不足を感じるところがあります。
 鎌倉一円における「理想的な支配者だったかも知れませんね。」と云う貴見は非常に興味深いです。伊勢氏が後北条氏となったのも、それに肖ったものでしょうか?


>
> さて今回はこれまで。
> 次の更新を楽しみにしています。
> それではまた。

 今回もありがとうございました。またの閲覧、書き込みをお待ちしています。

No.432 2025/02/01(Sat) 01:05:23
菜根道場5・10日雑文 / リトルボギー
 オッス!毎月20日の担当、法倫房リトルボギーだ!!
 何?態度が悪い?まあそう固い事を云うな(お約束)。

 身内の不幸から約2週間、道場主を始め分身一同も落ち着きを取り戻した。俺の書き込みが遅れているのは、極刑に伴う、人の命に関わる漢字がNGワードとして掲示板の安全機能に引っ掛かり、なかなか書き込めないからだ。
 それ故、引っ掛かりそうな字は◯印などで伏せ字にする。一応、文の流れから分からないことは無いと思うが読みにくいのはご了承頂きたい。

 さて、今回話題にするのは少年犯罪史上最悪とされた事件の犯人についてだ。
 余りに陰惨故、事件については触れないので、詳細を知りたい方は「女子高生コンクリート」をキーワードに検索して頂きたい(もっとも、まともな神経で最後まで詳細は追えんがな)。

 主犯4人の内、3人が再犯し、少年法保護下における更生が全く役に立たなかった、或いはそんなセオリーが通じないモンスターどもだったことが人口に膾炙しているが、3年前にサブリーダー格の元クソガキ(以下、「B」と表記)が51歳で世を去っていた事を年明けのネットニュースで知った。

 気分良い内容じゃないから詳しくは書かんが、その◯に様は屑野郎に相応しい、間抜けかつカッコ悪い物だったが、それでも被害者の3倍近い時間を生き、その間には楽しいこともあったであろう事を思えばBが(◯刑を含む重罰を下されなかった事を含め)その年まで生きて来たことに今尚納得し難いものもあり、最後まで謝罪らしい謝罪、賠償らしい賠償をせず終わったことも憤懣やる方ない。

 ちなみにDも脳の奇病で49歳で既に病◯してるらしい。
 勿論当時の少年法ではあれが限界だったのは分からないでもないし、◯んだからと云って嬉しい訳でもない。
 ただ、(非科学的で好きな考え方では無いが)、やはり極悪人はロクな◯に方をしない、天罰はあるものだと、このクソガキ達に対しては思いたいし、残るAとCにも世の怒りと、因果応報に怯えながら余生を送って欲しいものである。

 ではまた来月。

No.429 2025/01/23(Thu) 12:54:47

Re: 菜根道場5・10日雑文 NEW / ニャンセグ
こんにちは、これはひどい事件だったですね。

Youtubeでも観ました。

少年犯罪てしたが、A、B、Cの3人は再犯を犯し、そのうちの22人は、憎まれっ子世に憚るのことわざに反して、早く旅立ちました。

残りのD氏は、更生したとも聞いていますが?

でも再犯率75%は、大人の再犯率約50%より高いですね。

刑務所の改革で、ただ罰するだけでなく、受刑者に合った処遇をするようになって来ましたが、効果があることを期待しています。

20世紀末から、携帯電話、インターネットが普及し始め、いまでは、生活の一部になっていますね。

そして、携帯電話などでも、ニャンセグだと映り悪いなあワンセグでテレビが観られるようになり、Youtubeなどの動画さいともできました。

わたしもよくYoutube観ますが、少年事件で名前が公表されていなくても、実名で載せている動画も多数あり、警察やマスコミが公表しなくても全部わかってしまいますね。

そちらはネット掲示板でも同じです。

現在では、一部のアナログ人間の方以外は、インターネットを利用できるので、もう少年事件の名前非公開もあまり意味がなくなっていますね。

以前、まだインターネットが普及する前に、ある週刊誌が少年事件の実名を載せましたが、駅の売店や多くの書店などで、その週刊誌の販売をしなかったことがありました。
悪質とはいえ、違法な記事の週刊誌を発売しないということでした。

でもたとえば、YouTubeでは、特に規制はしていないというか、視聴者からの違反報告などで削除をしているような感じですね。
本元の会社が外国なので、日本の法律などがよくわからないのかもしれません。

ただ、音楽やテレビ番組など、著作権があるものに対しては、通報も多いようで、削除されていますが、その動画にもよりますね。
うるさいところもあれば、あまりうるさくないところもあるようです。

少年事件を実名で載せていてもあまり削除はされてないですね。

あの悲惨な旭川いじめ事件の動画では、加害者の少年少女の名前だけでなく、個人情報が特定され、いじめの隠ぺいした、元校長、教頭は、名前だけでなく、住所や電話番号なども特定され、マスコミやYouTuberなどが押しかけたり、自宅の窓ガラスを割られたりしていました。

こちらもYoutubeなどに載せられましたが、この事件の関係者が度重なる通報をしているようで、現在、この事件関係の動画を投稿すると、即削除され、何度もすると、警告され、収益化無効にあれ、アカウント凍結、削除されるそうです。

それでもがんばって投稿続けている方もいます。

わたし自身は、こちらは事故ではなく事件だと思います。
だれかが、被害者の少女の命を奪ったのだと思います。

ただ、担任だった菅野未里の住所等はネット特定班が動いても特定されていません。

おそらく旭川市内かその周辺にいると思います。

ちなみに元校長と教頭の居場所はわたしも知っています。

最寄り駅はJR宗谷本線の永山駅です。
自動車ですと国道40号線が走っています。
わたしも現地まで行って、文句の1つでも言ってやろうかと思いましたが、そんなにヒマ人ではないし、やめました。

わたし自身は、私刑はよくないと思いますが、この事件は、完全な事件なのに当局側も見て見ぬ振りではなく、積極的に隠ぺいに加担しているので、このようになるのはやむを得ないと思います。

最後にわたしもYouTubeなど動画はよく観ますが、やはり、旅行、交通系、ミステリー、事件関係が多いですね。あと音楽関係など。
現在ではアダルト動画はあまり観なくなりました。

No.435 2025/02/03(Mon) 16:28:12
菜根道場5・10日雑文 / シルバータイタン
 お詫びとお断り。

 今月の「菜根道場5・10日雑文」ですが、先日身内の不幸があり、道場主の精神状態が不安定なため、10日担当特撮房シルバータイタン分と、15日担当楽曲房ダンエモン分を救済させて頂きます。
 毎月楽しみにして下さっている閲覧者の皆々様(←実在するのか不明ですが)には、悪しからず御了承の程、宜しくお願い致します。

No.428 2025/01/10(Fri) 09:57:10

Re: 菜根道場5・10日雑文 NEW / 真言宗猫鳴派
こんにちは、身内の方にご不幸があったとのことですが、こころよりお悔やみ申し上げます。

インフルエンザで簡単にしか書けなかったですが、中山美穂さん、ただ一度コンサートに行っただけで、特にはファンというわけでもありませんでしたが、54歳というわたしよりも若くしてお亡くなりになり、大変残念です。

生きとし生けるもの、いつかは亡くなりますが、100歳まで生きて大往生されるのならまだ納得がいきますが、平均寿命よりはるかに若くなくなられたり、わたしの場合は、美容院より病院のほうが長い間ご縁が深くても、還暦を迎えらたので、わたしより若くして亡くなられた場合などはとても悲しいです。

南無大師遍照金剛、合掌。

No.433 2025/02/03(Mon) 15:06:54
菜根道場5・10日雑文 / 薩摩守
 御来房の皆様、おはようございます。
 毎月五日の担当、戦国房薩摩守です。

 昨年来、「注目の夜討ち集」の更新を少し少し続けていますが、改めて自分の歴史に対する知識は偏っていることを痛感しています。
 今年の大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』で、江戸時代後期の作家や浮世絵師の版元となった蔦屋重三郎が主人公ですが、関連書籍で登場人物を見ても、幕府関係者以外は、「取り敢えず名前を知っている。」程度の人物が大半であることを恥じ入っています。
 歴史を比較的得意としていた受験生時代でも、文化史は本当に苦手でしたので、名前しか知らなかった人物の実像を深めれればと思っていますが、正直、戦国武将に対する程には意欲を感じていません(苦笑)。

 アメリカを初め、世界では右寄りな政権の発足が多く、移民問題・移民政策への反動が伺えますが、正直日本も同様の流れが起きてもおかしくないと思っています。
 改めて、戦史に対して「無責任な傍観者」でいれれば良いなと思っています。

 では、また来月。
 本年も宜しくお願い致します。

No.427 2025/01/07(Tue) 11:44:18

Re: 菜根道場5・10日雑文 NEW / ねこ年
こんにちは、インフルエンザで大変な年末年始になりましたが、無事に完治し、仕事以外でも外出もはじめました。

わたしはねこ年ですが、昨年はねこ年でも歳男でした。

干支にねこ年を加えますと、ひとまわり13年になりますので、ねこ年の歳男はわたしが満65歳になる年です。

少なくとも、男性の平均寿命まで、父の50回忌までは見届けたいです。(満82歳)

No.434 2025/02/03(Mon) 15:17:02
菜根道場5・10日雑文 / 道場主
御来房の皆様、おはようございます。
 毎月25日の担当菜根道場道場主・菜根道人です。

 今日で令和六(2024)年も終わりますが、大きな事故・病気・事件こそ起きなかったものの、良い一年とは云い難い一年でした。
 まず仕事がこの二、三年不調で、春に左遷され、物価高のあおりからも経済的にも苦しい日々でしたり
 とは云え、何も生活に窮するような状態と云う訳ではなく、左遷後は概ね落ち着きはしました。
 一方で、私や私の家族は大病をすることも無かったのですが、小さい病は頻発し、叔父や叔母に大病した者が相次ぎ、中には来年半年持ちそうにない人もいて、そのことにも鬱々とさせられています。
 まあ、良いことばかりの一年が無いように、悪いことばかりの一年もありませんので、気を取り直して来年こそは良い年とするために頑張りたいと思います。

では、分身達の動向をば、


戦国房薩摩守
 分身の中では比較的コンスタントに更新を続けられた方だと思います。
 今年遠出が出来なかった分、来年は史跡を巡り、今後の作に反映させていきたいと考えています。

特撮房シルバータイタン
 今年は声優諸氏の訃報に心を痛める日々でしたが、最後の最後に『ウルトラセブン』を作曲された冬木透氏な訃報に接し、御冥福をお祈りしつつ、来年こそは訃報の少ない年であって欲しいと願っています。


楽曲房ダンエモン
 今年は摩季ネェのライブに参加が出来ませんでした。
 2月に参加しますが、何と云ってもデビュー30周年を迎える真夜さんのイベントに極力参加したいと考えています。

法倫房リトルボギー
 世論や不祥事で及び腰となり、2年以上死刑執行がなく、相変わらず死刑関係の在り様がブラックボックス状態であるのとにヤキモキしています。
 先日久々に新作をアップしましたが、不良刑事三白眼とは、次回作は死刑問題から離れた作を作ろうと話し合っています。


 それでは拙いサイトではありますが、今年もありがとうございました。
 来年も宜しくお願い致します。

No.420 2024/12/31(Tue) 07:15:41

Re: 菜根道場5・10日雑文 / 猫猫病院
新年明けましておめでとうございます🎍

ところが、年末から風邪のような症状があり、かかりつけの病院が休診だったのですが、専門外の精神科の病院で診てくださるとのことでお願いして薬を処方していただきましたが、インフルエンザとまではわからず、自宅でキット検査したらインフルエンザ陽性でした。

新年を迎えてもよくならずに、休日当番病院も140人以上待ちとにのことでしたので、同級生の薬剤師の方に相談しながら、市販薬を服用しながら自宅で休んでいます。

還暦を迎えて、体力も衰えてくるので、インフルエンザはとても恐ろしい病気ですね。

年末年始などの医療の脆弱性などとても心配です。

わたしの場合は、同級生の薬剤師の方から万一の時の薬の使用については、多少アドバイス受けているので、まだ安心かもしれません。

適当に薬飲んで副作用でという例もよくありますので。

新年早々縁起の悪い話題で申し訳ありません。
やっと書き込みできるまでは回復しましたが、まだ喉の痛みと咳があります。

今年は、新年から大変な年になりましたが、治ってからは良い年になればと思います。

No.423 2025/01/06(Mon) 14:12:17

Re: 菜根道場5・10日雑文 / 道場主
> 新年明けましておめでとうございます🎍
 はい、おめでとうございます。
 本年もよろしくお願いいたします。

>
> ところが、年末から風邪のような症状があり、かかりつけの病院が休診だったのですが、専門外の精神科の病院で診てくださるとのことでお願いして薬を処方していただきましたが、インフルエンザとまではわからず、自宅でキット検査したらインフルエンザ陽性でした。

 年末年始の常とはいえ、かかるときに専門医の診察を受けられなかったのは辛かったと思います。

>
> 新年を迎えてもよくならずに、休日当番病院も140人以上待ちとにのことでしたので、同級生の薬剤師の方に相談しながら、市販薬を服用しながら自宅で休んでいます。

 同級生にそういう方がいらっしゃるのは不幸中の幸いでしたね。

>
> 還暦を迎えて、体力も衰えてくるので、インフルエンザはとても恐ろしい病気ですね。

 急性肺炎の併発は老人・幼児にはいまだに危険です。
 難病からの合併症によるものとはいえ、直接の死因が肺炎である方が後を絶ちません。
 私も10年前に患って以来、インフルとは無縁出来ましたが、過去の罹患時には周囲にも感染させてしまいました。
 他の分身も申してますが、猫さんの一日も早いご快癒と、予後の良好、そして周囲への感染拡大が起きないことをお祈りしています。

>
> 年末年始などの医療の脆弱性などとても心配です。
>
> わたしの場合は、同級生の薬剤師の方から万一の時の薬の使用については、多少アドバイス受けているので、まだ安心かもしれません。
>
> 適当に薬飲んで副作用でという例もよくありますので。

 良薬も容量・用法を誤れば意味が無いと聞きます。確かにこれは危ないですね。

>
> 新年早々縁起の悪い話題で申し訳ありません。
> やっと書き込みできるまでは回復しましたが、まだ喉の痛みと咳があります。
>
> 今年は、新年から大変な年になりましたが、治ってからは良い年になればと思います。

 無理は為されず。
 私事ですが、昨日、叔母が亡くなり、こちらも新年が最悪の出だしとなりました。
 昨年の時点で余命についてはある程度聞いていたので、覚悟はしていましたが、私と14歳しか年の離れていない、叔母と云うより姉に近い身内の逝去はやはり痛恨の極みです。

 不健康や訃報は出だして終わって欲しいものです。
 こちらこそ嫌な話を書きましたが、改めまして本年も宜しくお願い致します。

No.426 2025/01/07(Tue) 11:32:14
菜根道場5・10日雑文 / リトルボギー
 オッス!毎月20日の担当、法倫房リトルボギーだ!!
 何?態度が悪い?まあそう固いことを云うな(お約束)。

 今年も残すところあと1週間を割っちまったが、このタイミングで(と云う訳でもないが)先日久々に新作をアップした。
 法倫房は俺と不良刑事三白眼の合作と云う形式で始めたから、道場主の馬鹿と非常任師範代との間で休みの時間が合わず、なかなか新作がアップ出来ない。その反動と云う訳でもないのだが、新作は俺だけではなく、三白眼もかなり辛口を展開しているので、閲覧される方は二人の態度の悪さを踏まえて上で読まれることをお勧めする。

 さて、日々雑文で触れていることだが、どうも今年も死刑執行が無いまま終わりそうだ。
 どーせいつもの様に行うとすれば国会閉会中なんだろうけれど、今月20日まで開会していたので、そろそろあってもおかしくないが、さすがに上皇様の誕生日である23日は避けると見ていたので、昨日(25日)、今日(26日)辺りがあるかも?と見ていたが、それもなく、土日・大晦日に執行されないとなると、もう明日(27日)か、30日しかなく、かかる限られたタイミングに迅速に行える程の腰の強さを今の法務省は持っていないだろう。

 今年は袴田氏の再審無罪があり、死刑廃止派が勢いづくのは予想していたが、それ以上に検察・裁判所・法務省の弱腰が目に余った。もはや求刑段階で死刑を諦めており、制度自体が完全に腫物と化している。
 かといって、再審請求に応じたり、廃止を含む議論を始めるでもない。

 死刑に賛成するも反対するも個人の信念だし、執行は慎重であるべきだし、情報公開や議論自体は大いに賛成する。だが、つかず、離れず、ダンマリでは誰も納得しないことを存置派・廃止派関係なくすべての法務関係者が認識し、ベクトルはどうあれ次の手を討って欲しいものである。

 ではまた来月。

No.417 2024/12/26(Thu) 13:08:39

Re: 菜根道場5・10日雑文 / 猫猫病院
え〜前途の通りインフルエンザでしんどいです。

年末年始に当たったので、かかりつけの病院も休診だったので、専門外の精神科の病院で診てくださるとのことで、そちらで薬を処方していただきました。

ただ、インフルエンザの検査まではできず、自宅にあった検査キットで判明しました。

今回、専門外でも診察していただいた病院に感謝するとともに、はっきり言って、死刑よりも、医療体制、特に年末年始などの休日や地方などの医療体制の充実のほうが先です。

今回、上記のような事例での医療体制の脆弱がはっきりしました。

死刑の執行より、医療体制のさらなる充実を望みます。
本当に命にかかわる問題です。

No.422 2025/01/06(Mon) 13:54:41

Re: 菜根道場5・10日雑文 / リトルボギー
> え〜前途の通りインフルエンザでしんどいです。
>
> 年末年始に当たったので、かかりつけの病院も休診だったので、専門外の精神科の病院で診てくださるとのことで、そちらで薬を処方していただきました。

 道場主の馬鹿も10年前にインフルを患った。
 去年も2回ほど感染が疑われたが、コロナ共々陰性だった。
 明らかに風邪とは違う辛さがあったと思う。

>
> ただ、インフルエンザの検査まではできず、自宅にあった検査キットで判明しました。

 上記の際に使い果たしたから、買っておかないとな……。

>
> 今回、専門外でも診察していただいた病院に感謝するとともに、はっきり言って、死刑よりも、医療体制、特に年末年始などの休日や地方などの医療体制の充実のほうが先です。

 比べるのもどうかと思うがな。
 死刑廃止論者の多くは被害者への支援やケアを充実させ、死刑を廃止すべきと訴えている。被害者に対するサポートは支持するが、だからと云って死刑を廃止する必要は感じない。

>
> 今回、上記のような事例での医療体制の脆弱がはっきりしました。

 アメリカでは医療保険が任意なので、インフルでもかなり犠牲者が出るらしいし、コロナの際は日本以上に甚大な被害が出た。
 日本の場合、無医村問題など何十年も前から問題提起されているのに丸で解決していない。偏に一極集中の弊害だな。

>
> 死刑の執行より、医療体制のさらなる充実を望みます。
> 本当に命にかかわる問題です。

 どっちも命にかかわる問題だ。
 人道上、後者を優先するのは賛成するが、死刑囚は医療が充実している皮肉から目を背けられぬよう。

 では一日も早いご快癒と、予後の良好をお祈りする。

No.425 2025/01/07(Tue) 11:02:37
菜根道場5・10日雑文 / ダンエモン
 御来房の皆様、おはようございます。
 毎月15日の担当、楽曲房ダンエモンです。

 まず、完全にタイミングを外してはいますが、「楽曲」を解説する者として、今月6日にこの世を去られた中山美穂さんの御冥福を慎んでお祈り申し上げます。

 享年の若さも驚きでしたが、世代・ジャンルを超えた幅広い知名度・人気・活躍には今更ながら惜しい方が亡くなったと思っています。
 故人に失礼かもしれませんが、私は中山さんのことを詳しく知りません。中山さんがドラマで大活躍していた頃、彼女の演じる役どころ、キャラクターが好きではなく、殆んど見ていませんでした。
 何かの番組(『セーラー服反逆同盟』だったかな?)でスケ番っぽい、主人公達が殺陣を展開している中、彼女達を救う様に物陰からバラの花を投げ、それに気づいた一人が心中で、「美穂さん、ありがとう。」と云っていたのを見て、「実名そのまま?中山美穂って、素でそういうキャラなの?」と驚き、ヤンキーキャラとの偏見を強くした馬鹿な記憶があります。

 それ以来、ほとんど注目しなかった歌手・女優さんでしたが、それでも代表曲や代表ドラマはぱっと出て来るのですから、それだけ存在感が大きかったことを今更痛感しています。

 一応、拙房としても全く無関係な方ではありません。
 岡本真夜さんの「Wiii」は元々真夜さんが中山さんに楽曲提供したのを自分で歌ったもので(ラストの歌詞は微妙に異なりますが)、古くから交流の有った真夜さんはやはり衝撃を受けていました。

 また、深い縁と云う訳ではありませんが、中山さんの代表曲、「世界中の誰よりきっと」は織田哲郎氏の作曲で、その縁から摩季ネェのバックコーラスに参加したことがあるそうです。

 「殆ど興味ない。」と思っていても、気が付けば敬愛するアーティスト二人と縁を持っていて、時折その歌を口ずさんでいた訳ですから、やはり私にとっても突然の訃報は衝撃でした。

 毎年12月はその年なくなった有名人が偲ばれ、多くは天寿を全うしたと云えるのですが、それでも早過ぎるし、受け入れ難い悲しい別れが散見されます。

 自然の摂理は百も承知ですが、それでも来年は夭折・不慮の事故による有名人の死が1件でも少ない年であって欲しいものです。

No.416 2024/12/26(Thu) 11:10:55

Re: 菜根道場5・10日雑文 / 猫猫病院
中山美穂さんの訃報もとても悲しかったです。中山美穂さん、東京にいたとき地元でコンサートがあったので、一度だけ行きました。

わたしより若いのに。

ヒートショック、わたしの自宅も寒いのでなりやすいです。

前途の通り、いまインフルエンザでしんどいですが、歳を重ねることにより体力も衰えるので、今後がとても心配です。

No.421 2025/01/06(Mon) 13:43:52

Re: 菜根道場5・10日雑文 / ダンエモン
> 中山美穂さんの訃報もとても悲しかったです。中山美穂さん、東京にいたとき地元でコンサートがあったので、一度だけ行きました。
 ただ一度とはいえ、貴重な体験でしたね。

>
> わたしより若いのに。

 とあるコンピューターゲームで、一人の老婆が、「今まで生きてきて辛いことが沢山あったが、最も辛いのは自分より若いものが先に死ぬこと。」と云っていました。
 架空のキャラの話ですが、もっともだと思わされました。

>
> ヒートショック、わたしの自宅も寒いのでなりやすいです。
>
> 前途の通り、いまインフルエンザでしんどいですが、歳を重ねることにより体力も衰えるので、今後がとても心配です。

 一日も早いご快癒を。予後が良好でありますように。

No.424 2025/01/07(Tue) 10:53:50
菜根道場5・10日雑文 / シルバータイタン
 御来房の皆様、おはようございます。
 毎月10日の担当、特撮房シルバータイタンです。

 戦国房薩摩守が申しましたように、公私ともに多忙で様々な更新を滞らせています。殊に現在制作中の「復讐を捨てるとき」に関しては、ゴレンジャー、ウルトラマンヒカリ等、制作に当って改めて見直さなくてはならない対象があったり、仮面ライダーアクセルの様に、全話解説でかなり詳細に追ったが故に内容をまとめるのが大変な者もいます。
 閲覧者の皆々様には今少しの猶予を期待せずに頂ければと思います(苦笑)。

 さて、今回話題にするのは、薩摩守に続いて「熊」です。

 仮面ライダーシリーズに登場する改造人間の多くは人間に生化学の力をもって動植物の能力を植え付けた者なのですが、昆虫や爬虫類がメインで、哺乳類は割合としては少ない方になります。
 意外なのは、猛獣系が少ないことです。勿論調べればいくらでも出てきます。

 ムカデタイガー、クモライオン、ベアコンガー、ジャガーマン、ハサミジャガー、タイガーネロ、黄金ジャガー、イソギンジャガー、リングベア、etc

 とそれなりに見受けられるのですが、やはり割合としては少なく、道場主の好きな熊系は数える程しかいません。
 ただ、少し考えて見れば分からない話ではありません。その理由は大まかに二点。

 一点目は、他ならぬ仮面ライダーの多くがバッタを初めとする昆虫系の改造人間で、その対極に立つものとしてはやはり昆虫系である方が話としては盛り上がるでしょう。

 二点目は、すべての生物が同じ体長・体高とした場合の妥当性です。
 例えば、ノミを人間の大きさに拡大したすると、その運動能力はジャンプ25回で富士山頂に登頂できます。『新ジャングルの王者ターちゃん』の最終巻でとある博士が昆虫こそ最強と述べていました。
 そう考えると初代仮面ライダーがバッタの改造人間であったことも納得が出来ます。

 逆に人間より遥かに大きな動物である熊が人間と同じサイズになったら、帰って弱体化するかも知れません(苦笑)。
 ま、自分で振っておいてなんですが、人間とクマの共存が悩ましい昨今、熊型の改造人間が人間を襲うシーンは極少な方が良いかもしれません。

 ではまた来月。

No.409 2024/12/10(Tue) 11:59:01

Re: 菜根道場5・10日雑文 / 仮面ライダースーパーニャン
こんにちは、やっぱり特撮の代表といえば、仮面ライダーとウルトラマンになるのですかね?

わたしの子供のころは、特撮、アニメどちらでも、宇宙から来た正義のヒーローが多かったですね。

う〜ん仮面ライダースーパーニャンではやっぱり弱そうだなあ仮面ライダースーパー1など平成以後の仮面ライダーシリーズは題名や歌のの一部を知っているくらいですが、いまの時代でも正義のヒーローは大人気ですね。

わたしは仮面ライダーではどうしてもストロンガーまでの時代ですが、仮面ライダーストロンガーの主題歌は堀江美都子さんが歌っていたと思います。

あと、ウルトラマンですが、ピアノのレッスンのため、ウルトラマンシリーズの楽譜を買っても、なかなかそこまでたどり着けません。

先生いわく、ウルトラマンシリーズはわりと難しいとのことでした。

でも、正義の味方の曲を弾きたかったので、一旦立ち止まって。元祖、正義の味方の桃太郎や花咲かじいさんなどを弾き初めました。

道場主さまも、正義の味方なので、わたしの気持ちは理解していただけると思います。

桃太郎、花咲かじいさんなどからウルトラマン、仮面ライダーになっても、正義の味方が大好きです。

実際の世の中でも、正義が栄え、悪は滅びるようになって欲しいです。

No.412 2024/12/20(Fri) 17:26:51

Re: 菜根道場5・10日雑文 / シルバータイタン
> こんにちは、やっぱり特撮の代表といえば、仮面ライダーとウルトラマンになるのですかね?
 人に寄るでしょう。戦隊物やメタルヒーローを挙げる人もいるでしょうけれど、やはり知名度で云えば第一がウルトラマン、第二が仮面ライダーでしょう。

>
> わたしの子供のころは、特撮、アニメどちらでも、宇宙から来た正義のヒーローが多かったですね。

 怪獣の世界でも、『帰ってきたウルトラマン』では地球出身の怪獣よりも、ベムスターを初めとする宇宙出身の怪獣の方が格上扱いでした。
 そのこともあって、『ウルトラマンタロウ』の出て来てタロウとゾフィーに連勝した火山怪鳥バードンは「地球出身最強怪獣」と呼ばれ、根強い人気を保持しています。

>
> う〜ん仮面ライダースーパーニャンではやっぱり弱そうだなあ仮面ライダースーパー1など平成以後の仮面ライダーシリーズは題名や歌のの一部を知っているくらいですが、いまの時代でも正義のヒーローは大人気ですね。
>
> わたしは仮面ライダーではどうしてもストロンガーまでの時代ですが、仮面ライダーストロンガーの主題歌は堀江美都子さんが歌っていたと思います。

 主題歌は歌ってませんよ。エンディングや挿入歌は歌いまくっていました。電波人間タックルの存在が大きかったですね。

>
> あと、ウルトラマンですが、ピアノのレッスンのため、ウルトラマンシリーズの楽譜を買っても、なかなかそこまでたどり着けません。
>
> 先生いわく、ウルトラマンシリーズはわりと難しいとのことでした。
>
> でも、正義の味方の曲を弾きたかったので、一旦立ち止まって。元祖、正義の味方の桃太郎や花咲かじいさんなどを弾き初めました。
>
> 道場主さまも、正義の味方なので、わたしの気持ちは理解していただけると思います。
>
> 桃太郎、花咲かじいさんなどからウルトラマン、仮面ライダーになっても、正義の味方が大好きです。

 そうですね。子供の頃、一時期、「正義の味方ばかりかって面白くない!」と悪をネタ的に応援したこともありましたが(笑)、やはり正義に買ってもらわねば困りますね。

>
> 実際の世の中でも、正義が栄え、悪は滅びるようになって欲しいです。

 悪を滅ぼすのは難しいですが、正義が滅びることは決してないと信じています。

No.415 2024/12/26(Thu) 10:51:56
菜根道場5・10日雑文 / 薩摩守
 御来房の皆様、おはようございます。
 毎月五日の担当、戦国房薩摩守です。

 毎年一二月は仕事も繁忙期で、亡父の法事を初めとする家の役務も多いためなかなか各房の更新・BBSの雑文も滞りがちですが、中旬には新作のアップが始められると思います。

 今回の話題は「熊」についてです。

 過去作「北海道苫前郡羆害事件(大正四年)」で採り上げた、我が国最大の熊害事件が大正四(1915)年一二月九日・一〇日の両日に発生し、今日は二件目の事件から一〇九年になります。
 御来房の皆様も報道などで御存知の様に、今年(令和六(2024)年)はここ数年に増して熊の出没が多く、警察の要請で羆を討ち取ったハンターが危険な発砲と見做されて猟銃免許を取り消された事件における高裁判決で逆転敗訴が出たり、すーぱーに二日間もツキノワグマが潜り込み、店員が負傷する事件も起きたりしました。

 この二件、幸いにして人間側に死者が出ることは無かったのですが、腹立たしいのは熊への処分に対し、当事者への心無い誹謗中傷が相次いでいることです。
 熊の命を尊び、その死を悲しむのは人として些かも批判するところではありませんが、役所等に寄せられる苦情の中には、

 「無知も甚だしい!」

 と云いたくなることが少なからず見受けられます。
 有り体に云えば、熊の生態・習性を知らなさ過ぎる、無責任な批判が並んでいる訳です。

 「麻酔銃で眠らせ、山奥に放獣すべき!」
 という声は、一見慈悲深く、妥当な意見に見えます。しかし、話は簡単ではありません。
 麻酔銃は熊の体に的確に命中させて尚、眠らせるまでに10分かかることもあり、その間至近距離で熊に必死の抵抗をされればハンターの命は危険極まりないものとなります。
 つまり、麻酔銃で眠らせるのは非常に困難なのです。

 また、熊類は大変執着の強い生き物です、何処かの道場主並みに(苦笑)。
 例え眠らせることに成功し、山奥に連行したとしても、人間の生息域に有るものを「餌場」と認識すれば、また現れてしまいます。
 過去にも箱罠で捕らえたり、麻酔銃で首尾よく眠らせた熊を山奥に放った例はありましたが、結局は町中に戻り、二、三年の内に処分された個体ばかりでした。

 誠に残念ですが、人間の生息域に一度でも居座った熊はその命を絶つしかありません(泣)。

 上掲の拙房過去作でも羆の執着心の強さは述べていますが、殊に熊は「自分が入手した獲物」に物凄く執着し、それを奪いに来たと見做した物には極めて攻撃的です。
 三毛別羆事件では、犠牲者の遺体を収容した民家で行われた葬儀の場に板壁をぶち破って入り込み、そこを銃で追われると隣家に侵入してそこに居た女子供達が犠牲となりました………。
 また昭和時代に起きた福岡大学ワンダーフォーゲル部の学生三人が羆の犠牲となった事件では、加害羆(雌)はリュックを取り戻そうとした学生を「敵」と見做し、三名を害したものの、その遺体を食べることはありませんでした。

 つまり、熊(に限らず野生動物全般)に人間の住む地域を「餌の有るところ」と思わせてはならず、そう思って居座った熊はその命を絶たざるを得なくなります。
 それゆえ、里山などに現れる動物(特に熊や猪)への餌付けは厳に慎まなければなりません。
 拙作並びにこの駄文が少しでも野生動物への理解を深め、要らざる我意を防ぐ一助になればと願われてなりません。
 

 ではまた来月(来年)。 

No.408 2024/12/10(Tue) 11:20:20

Re: 菜根道場5・10日雑文 / 猫山キャットセンター
こんにちは、師走になりわたしもいろいろと慌ただしい生活をしています。

さて、先日、秋田県で、スーパーに熊が現れて居座った事件ですが、道場主様のおっしゃる通り、一度、人間のいる場所を餌場だと認識したらまた現れる動物です。

また、道場主様がとても詳しい、北海道苫前のクマ事件など、悲惨な事件になる可能性もあります。

人間の命を守るため、やむを得ない正当防衛、緊急避難なのです。

個体の大きさにもよりますが、銃で発砲しても、すぐに仕留めることも難しいですし、麻酔銃はもっと効きにくいですが、仮に何らかの方法で保護したとしても、猫山キャットセンターでは猫だけだなあ犬山モンキーセンターでも猿系の動物しかいないので、熊は引き取れないし、動物園でも、仮に引き取れても、厳重な檻に入れるしかなく、来園者に見学させるのも安全上難しいと思います。

また、今回、秋田県知事が、熊の命を奪った件で、クレームが来た件で、「電話切ってよろしい」とのことですが、その通りだと思います。

実際に悪質なクレームには今回、電話を切ったそうです。

あと、本当に熊を送りつけてもよろしいですね。

さて最近までは、熊の肉も食用にしていて、それには、狩りで仕留めた熊の供養という意味もあったようです。

北海道でも熊だけでなく、鹿が市内まで入って来たり、よくJRの列車と衝突していますが、鹿肉は食用にされています。

また熊を食用にするか、抵抗があるなら動物園などで餌として利用することも検討できればと思います。

仕留めた熊をただ埋めるだけでなく、そちらのほうが、自然の法則にのっとっていると思います。

一般的に2番目というと、それほどは注目されなかったら、わからないという方も多いですね。
日本人なら、日本で1番高い山は富士山だというのはおわかりですが、では日本で2番目に高い山は?と聞かれて即答できる方は以外と少ないのと同じです。

では、日本で2番目の熊害事件の石狩沼田幌新事件ですが、こちらも悲惨な事件でした。

こちらは、熊が保存していた馬を、村人が奪いに来ると思って起きた事件でした。(お祭りがあったので、その熊の餌の馬の近くを大勢で歩いていた)

こちらは、苫前と違って、本数が少ないながらも現場までバスが走っていて、わたしは、現場のすぐ前をバスに乗って、ほろしん温泉まで行きました。

わたしは日帰りで帰って来ましたが、料金は高めですが、ほろしん温泉でゆっくりして、先人の方の苦労を偲ぶのもよろしいと思います。
現在、コロナのため、沼田町の資料館は休館になっているようです。

大雪山のワンダーフォーゲル部熊事件の現場は、ワンダーフォーゲル部員以上の体力と経験が必要ですね。わたしでは無理です。

自然と人間の共存は難しいですが、解決していかなければいけないですね?

No.411 2024/12/20(Fri) 17:05:37

Re: 菜根道場5・10日雑文 / 薩摩守
> こんにちは、師走になりわたしもいろいろと慌ただしい生活をしています。
今年は大晦日まで仕事ですわ。

>
> さて、先日、秋田県で、スーパーに熊が現れて居座った事件ですが、道場主様のおっしゃる通り、一度、人間のいる場所を餌場だと認識したらまた現れる動物です。
>
> また、道場主様がとても詳しい、北海道苫前のクマ事件など、悲惨な事件になる可能性もあります。
>
> 人間の命を守るため、やむを得ない正当防衛、緊急避難なのです。

 勿論熊への哀悼は持ち合わせておくべきですがね。

>
> 個体の大きさにもよりますが、銃で発砲しても、すぐに仕留めることも難しいですし、麻酔銃はもっと効きにくいですが、仮に何らかの方法で保護したとしても、猫山キャットセンターでは猫だけだなあ犬山モンキーセンターでも猿系の動物しかいないので、熊は引き取れないし、動物園でも、仮に引き取れても、厳重な檻に入れるしかなく、来園者に見学させるのも安全上難しいと思います。

 やはり何においてもあの巨体はネックとなりますね。

>
> また、今回、秋田県知事が、熊の命を奪った件で、クレームが来た件で、「電話切ってよろしい」とのことですが、その通りだと思います。
>
> 実際に悪質なクレームには今回、電話を切ったそうです。
>
> あと、本当に熊を送りつけてもよろしいですね。

 切るのは全然良いと思いますし、「熊を送りつけるから住所を云え。」も、個人的感傷としては戦国大名家・佐竹氏の末裔らしくて面白いのですが(笑)、現代政治家の立場としては脅し文句として論われるラインには入ってしまうと思います。
 まあ、佐竹知事も相手が「おう、住所教えるから送れ!」と云う訳ないのを承知の上で云っているとは思いますが(苦笑)。

>
> さて最近までは、熊の肉も食用にしていて、それには、狩りで仕留めた熊の供養という意味もあったようです。

 失われた命は戻りませんから、遺体を使える限り有効活用するのは自然を無駄にしない観点からも良いことだと思います。
 話は逸れますが、過去の日本の調査捕鯨に対して、「調査」にはおためごかしを感じないでもなかったですが、撃ち取った鯨の遺体は鯨肉を食べることを含め、可能な限り利用しつつ、鯨への感謝と供養を忘れないべきと思っています。

>
> 北海道でも熊だけでなく、鹿が市内まで入って来たり、よくJRの列車と衝突していますが、鹿肉は食用にされています。
>
> また熊を食用にするか、抵抗があるなら動物園などで餌として利用することも検討できればと思います。

 全然抵抗ありません!熊もトドもアザラシも蛇も食べたこと有ります。

>
> 仕留めた熊をただ埋めるだけでなく、そちらのほうが、自然の法則にのっとっていると思います。

 結局は土中で分解される訳ですから、何者かの栄養になる訳で、それなら当事者である人間が食しても問題ないでしょう。

>
> 一般的に2番目というと、それほどは注目されなかったら、わからないという方も多いですね。
> 日本人なら、日本で1番高い山は富士山だというのはおわかりですが、では日本で2番目に高い山は?と聞かれて即答できる方は以外と少ないのと同じです。

 北岳(三一九三米)の名前を知らない人も多いかと。

>
> では、日本で2番目の熊害事件の石狩沼田幌新事件ですが、こちらも悲惨な事件でした。
>
> こちらは、熊が保存していた馬を、村人が奪いに来ると思って起きた事件でした。(お祭りがあったので、その熊の餌の馬の近くを大勢で歩いていた)

 苫前事件と同様日数がかかり、苫前事件とは異なって猟師にも犠牲が出ました。討ち取られる直前にも一人犠牲になっており、そのことが苫前事件に次ぐ悲惨さにカウントされる要因になっていると思います。

>
> こちらは、苫前と違って、本数が少ないながらも現場までバスが走っていて、わたしは、現場のすぐ前をバスに乗って、ほろしん温泉まで行きました。
>
> わたしは日帰りで帰って来ましたが、料金は高めですが、ほろしん温泉でゆっくりして、先人の方の苦労を偲ぶのもよろしいと思います。
> 現在、コロナのため、沼田町の資料館は休館になっているようです。

 良いですね。休館日を確認して一度行ってみたいものです。

>
> 大雪山のワンダーフォーゲル部熊事件の現場は、ワンダーフォーゲル部員以上の体力と経験が必要ですね。わたしでは無理です。
>
> 自然と人間の共存は難しいですが、解決していかなければいけないですね?

 九州には熊が絶滅しており、九州の学生にとって北海道の名山に登ることは千載一遇の機会だったことが早目の下山を決め切れなかったことも悲劇の一員となりました。
 部員達は火を焚いたり、ラジオで大音量を挙げたり、他の大学のワンゲル部同志と声を掛け合ったり、二名を早めに救助要請に向かわせたり、と当時として考えられる限り最善を尽くしたと思っていますし、この事件を通じて羆の執着性、それに抵抗することの危険さが立証され、後々に活かされていると信じています。

 改めてすべての獣害事件の犠牲になられた方々、事件に関連して撃ち取られたすべての動物の御冥福をお祈りします。

No.414 2024/12/26(Thu) 10:46:21
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