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酷い臭いがした。 血の臭い。脳漿の臭い。髄液の臭い。胃液の臭い。精液の臭い。それらが外気に晒された臭い。 死の、臭いがした。 「……行きたくなくなった」 「我慢しろ」 通路は薄暗く、臭いの元は判然としない。 下階と違ってここだけは手間をかけて作った……あるいは、他の場所からそのまま移してきたのかもしれない……床から天井まで計算して構築されており、バイオテクノロジー系企業の研究施設のような様相を呈している。 壁に埋め込まれた監視カメラが、無機質な視線をこちらに投げかけていた。 「奥だ」 ピタリと閉まっているはずの自動ドアの向こうから、臭いは続いている。 人の気配はしない。 こんなところに、人などいるはずはない。 「行こう」 できれば永久に立ち尽くしていたいような顔をするイザベラを促し、俺たちは先に進んだ。 ● 待っていたのは、またも死体の山だった。 手術台の上に横たえられた、死体、死体、死体。 背格好は老若男女バラバラ。状態もバラバラだった。手足がコンクリートやベークライトで固められたようなサラリーマン、レイプされたと思しき10歳に満たない少女、腹が異様に膨らみ、吐瀉物をぶちまけて死んでいる女、四肢がもぎ取られた老人……。 「……グロいわね」 空気の流れを制御し、臭いを遠ざけながら漏らす。酷い、と称さないのがイザベラらしい感想かもしれない。 共通点もあった。 頭部の喪失。 生身の脳も電脳もあったが、揃って焼いて抉ったように後頭部には空虚があいている。 こういう殺し方には、見覚えはあった。やったこともある。 「剥離熱(イクスバーン)か……」 人の魂魄は本来肉体から引き離すことができない。 肉体は魂魄を失うと程なく生命活動を停止し、強制的に引き剥がされれば魂魄の器たる脳髄が剥離熱(イクスバーン)と呼ばれる作用で破壊される。目の前に横たわる、無数の死体の頭部のように。 医療現場でも配慮から人目につくことはないが、電脳への移行時に出来上がる脳髄の残骸だ。 「剥離熱?」 問い返すイザベラを、とりあえず先へ促す。 なんとなくアウトラインは見えてきた気がするが、自分の想像力で辿りつきたくない事実なのは間違いない。 部屋の最奥に設置されたコンソールは、まだ生きているようだった。 ● よほど不意の襲撃だったのだろう。 システムは開いたままで、慣れないクラッキングを試みる必要もなかった。 いっそ、サルベージも不可能なほど破壊されていればよかったのに、と切に思う。 「……どうだったの?」 コトを終え、頭を抑えて呻く俺にイザベラは珍しく心配した様子で声をかけてきた。 電脳に疎い……というより毛嫌ってさえいる……彼女はコンソールを見もしなかったのだが、今となればそれが正解だったろう。 「人の魂魄は、本来肉体から引き離すことが出来ない」 俺に幻術を教えた隻眼の女の教えを、一つずつ反芻するように俺は言葉を紡ぎ始めた。 人の魂魄は本来肉体から引き離すことができない。 強制的に引き剥がせば、肉体は剥離熱で破壊され、器を失った魂魄は世界のアストラルに散逸してしまう。人の精神は物理的な枠組みに依らずに個を維持するには、強靭さが足りない。 先端技術による脳髄の精巧なフェイク……電脳への移植だけが、辛うじて許された例外の一つだ。 そして、もう一つ。 「強固な意志。往々にして怨みを纏った精神は、例外を作る」 いわゆる亡霊の類だ。怨みつらみに塗れた魂魄は、肉体を離れてなお散逸せず、それどころか雑多な思念や同じ方向性の精神を取り込んで存在し続ける。 そして、恐らくは自然発生的に生まれる電魎もその類だろう。 つまり。 つまり、人工的に電魎を作ると言うことは。 「念入りに怨みを抱かせて、魂魄を無理矢理引き剥がし、ネット上に構築したベースプログラムに乗せる。 ベースプログラムに仕込みをしとけば、ある程度は操作も効くってこった」 イザベラがまず感じたのは、嫌悪や不快より、疑念のようだった。 「なんで? なんの必要があって、そんなものを?」 確かに手強い怪物だが、お世辞にも細かい制御は利いていない。戦力としても、企業軍がその気になれば殲滅できないほどではあるまい。 こんな手間のかかるアジトをこさえて、こんなえげつない真似をしてまで作る蓋然性がどこに? 「『次の位階に祝福あれ』」 「なに、それ?」 「データベースの末尾に添えられてた」 停滞して堕落した人類は、ヒトを棄てることによってのみ破滅を免れる。それが教団の教えだ。 大方の信者はそれを精神的な昇華やサイバネを使った物理的変化と解釈しているだろう。 だが蓋を開ければこんなもの。 「もういいだろう、腹一杯だ、たくさんだ!コイツら、心底イカれてんだよ!」 俺は嘔吐する代わりに喚いた。 電魎を作ることは手段ではない。 肉体から解き放たれた魂魄。マシンを身体にした生命。来るべき、ナノマシネーションへの準備段階。俺たちが電魎と呼ぶそれ自体が、目的そのもの。 あのナカもソトも捻じ曲がったバケモノが人間のあるべき次の姿で、目の前の死体は階梯を昇った幸福な人間だと言うのだ、このクレイジーな集団は。 輪姦されて殺された娘も、それを目前で見せ付けられた上に生きたまま溺死させられた父親も。 餓死寸前に追い込まれ、一緒に監禁された女に食われた老人も、老人に仕込まれた薬品で悶え苦しんだ女も。 「全て祝福された人間だと。 これは天が認めた善意だと、よ!」 壁を蹴りつける。 胃が溶けて落ちそうなほど熱い。 クズめ!悪魔め! どんな罵倒も勿体無い! 祝福あれだと? お前たちこそ呪いあれ! 「落ち着いてコウイチ」 「落ち着いてられるか。 奴らは許さねぇ」 損得など関係ない。善悪も価値観の相違も関係ない。 ただ、感情で。生かしておけないほど許せないと、決めていいものだってこの世には在る。 「止めるなよ、魔術師<メイジ>」 イライザは首を振った。 喚きも叫びもしなかったし、その表情は冷め切っていた。 触れれば切れそうなほどの怜悧さに、満たされていた。 「止めないよ呪い師<シャーマン>。 そんな狂気を、生かしておく道理はないから」 [No.130] 2011/04/30(Sat) 23:29:56 |