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夜半。 康一が用を足しに寝床を立つと、途中、ロビーに意外な人影を見つけた。 「……ライダー」 赤眼のサーヴァントは、ロビーの片隅に……恐らく、大掃除か何かの時退かしてそのままなのだろう……詰まれたソファの上に身を預け、黙して上天を仰いでいた。 この騎士は始終マスターの傍に霊体化して侍っているものと思っていたので、康一は少し驚いて彼を見た。 ライダーは……無論気づいてはいたのだろう。闖入者に視線を向けてくる。 「……康一か。どうした」 「いや、便所。……お前こそ、こんなところでどうした? お前はいつもマリナの傍にいるもんだと思ってたよ」 言われて、ライダーは少し決まりの悪い顔をした。 七貴邸は構造上、侵入者がマリナの寝室に向かうには必ずこのロビーを通る必要があるため、確かに防備として決して不足ではないのだが。 「私も、マスターと顔を合わせづらい時ぐらいはある」 「ふうん」 目も覚めてしまっていたので、康一は生返事一つして彼の隣にどっかと座った。 ロビーは吹き抜けになっており、天井は嵌め殺しの窓で採光を行うようになっている。 今は、満月の柔らかな月光が彼らを照らし出していた。 「…………」 二人は、暫し黙したまま月を見上げた。 康一は、ライダーがきっと何かを話したがっているのだと何処かで察していた。それを話すか話さないかは彼の自由だが、それを待ってやるぐらいの器量は同盟者として持ってもいいはずだった。 「……偽りに」 「うん?」 ライダーの真なる葛藤は、そこではなかった。ただ、騎士として主の秘を軽々しく口にするのを躊躇った彼は、己に置き換えて口にした。 「偽りに塗れて生きる者に、救いは無いのだろうか。 真実を掴むことは、二度と出来ないのだろうか」 「…………」 黙して聞く康一に、ライダーは月を仰いだ。 「……確か、天を見上げよと言ったのだ、私は」 ライダーはこちらに視線を向けない。 ただ、詩を諳んじるように独白した。 「望郷の念に駆られる従者に、私はこう言った。 天を見上げよ、従僕よ。どれだけの時、どれだけの道程を隔つとも――天の王、月の女王、侍る星々は我らの騎士道をご覧になっている、と」 その言葉に釣られて、康一も空を見上げた。 なるほど、幾星霜の時を経て、縁もゆかりもない土地に召喚される彼らにとってさえ、それは真。 太陽と、月と、星々。 英霊が勝利しようと敗北しようと、何処に流されようと誰を失おうと。その果てに、命さえ失い、ついには人としての生涯さえ失おうと。 ……天だけは一切変わることなく、彼らを見つめている。 「……だが、私の言葉は。それさえ偽りだったのかもしれない」 ライダーは首を振って憂いた。 「私は、偽りの英雄だった。 従者を偽り、姫君を偽り。己が身を偽った。全事万事を偽り続けた人生だった」 そして、英霊となった瞬間から彼は『それが全て』になった。 人としての生まれも、従者の本当の名も、己という道化が如何に滑稽に生きたのかも。全ては不要の物と切り捨てられた。 この身はラ・マンチャの男、騎士を装う狂人。それが全てと、世界が断じた。 真実は最早、全て忘却の彼方。ただ一つだけ許されたのは、『自身が偽りである』という、その認識だけ。 「天を仰ぎながら、あるいは地を見ていたのかもしれない。太陽を讃えたつもりで、それは実は月だったのかもしれない。 自分の吐いた言葉さえ、偽りだったのかもしれない」 それは、狂人にしか解らぬ憂鬱だ。 狂人の世界は偽りで出来ている。それは決して健常と、彼以外の全てと交わることがない。 「死に際に、それを悟ったはずなのだ、この私は。 己が狂人であったと。誉れ高き騎士など何処にもいない、全ては狂人の妄想に過ぎなかったと。 だというのに……」 だというのに。 この身は、未だ騎士道を追い続けている。 聖杯に託す望みは無い。そんな彼がこの戦場に赴いた理由は唯一つ。 「……今度こそ、誰かを護ろうと。誰かを護れる、真の騎士になろうと私は槍を振るう」 愚行だろうか、と彼は問う。 だが答えはとっくに出ていた。愚行だ。彼自身が断じる。 偽りが真実になることはない。一人の狂気が世界に受け入れられることはない。 自分さえ偽り続けた彼の人生は、間違いだった。 「……俺の身体は、偽物だ」 康一はそれに応えず、月に掌を翳して言う。 「だが、『俺の本物の身体』なんてものは、どこにもない。 ……なら、俺の身体は価値の無いものか?」 それは、違う。 ライダーは首を振った。康一自身も、そう思っているはずだ。 彼は言ったのだ。この身体は、大切な人がくれたものだと。師が確かに愛してくれた証としてくれたものだと。 ならば、この身体に不足などない。志摩康一の身体は、これ以外には在り得ない。 「そうだ、俺の身体はこの身体以外にあり得ない。たとえ、人の身体としてこれが偽物だったとしても。 ……お前の人生も、そうだろう」 最早、真実は無い。 彼が知る由もなかった、彼の真実は忘却の彼方に消えて果てた。 世界は、彼の狂気をこそ祝福した。 「ならば、『それでいい』んだろう。 偽りが真実に勝ることもある。虚構こそが人を救うこともある。まして、真実が何処にも存在しないなら」 本物の身体などどこにもないなら。愛されて生まれ出でたものならば。 たとえこれが偽物の身体であっても。 正気の人生など何処にもないなら。それが善なる騎士の生き方だったならば。 たとえそれが狂気の産物だったとしても。 彼女の本当の感情など何処にもないなら。それが、愛すべき人の心ならば。 たとえそれが継ぎ接ぎの仮面だったとしても。 「それでいいのさ。 世界にとって偽りでも、自分にとってはそれは護るべき『唯一つの物』だろう?」 ライダーは、言葉を返すことが出来なかった。 彼は悠久の時の中、己の人生を悔いてきた。空虚な偽りと侮り、自分に尽くした全ての人々に謝罪してきた。 だが、この男は『それでいい』という。 あの生涯さえ、価値あるものだと――そう、言うのだ。 「……そろそろ寝るわ」 康一は立ち上がった。 「なぁ、ライダー」 一度だけ、康一は振り向いた。 「俺は、マリナのことは嫌いじゃあない。お前だってそうだろう?」 なら、それでいいじゃないか、と。黒衣の魔術師は笑ったようだった。 それを浅薄と指摘することが、ついにライダーには出来なかった。 彼の表情が、似ていたから。 狂気の騎士に引き摺り回され、生涯を無為にしたはずのあの従者の、最後に見た笑みに似ていたから。 立ち去って行くその背中を、ライダーはただ黙って見送った。 [No.413] 2011/06/02(Thu) 20:27:23 |