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<カフェ・フジタ>

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ノンレムとレムの相互作用 NEW / 水上雅敏
ノンレム睡眠=覚醒時の情報を海馬で因数分解的に単純化して鋭波に乗せて大脳皮質に送り込む。

レム睡眠=ノンレム睡眠中に送り込まれた情報による大脳皮質中のニューロンの組み換えにより、今まで抑圧されていたものが解除され海馬へと流し込まれーあるいはレム睡眠中に幾分かの記憶が皮質に送り込まれて余裕が持てた海馬自身におけるまだ残っていた日中の記憶が浮かび上がってきてーそこで因数分解的に単純化され、再びノンレム睡眠中の鋭波に乗せられ大脳皮質に送り込まれ大脳皮質のニューロンの組み換えが起きる。レム睡眠中の夢はそういうプロセスの産物であるとともに、覚醒後の現実に備えて思考を因数分解的に単純化し、あたらしい思考が入ってくる余地=穴、をあけておくためのものである(このレムの方は、私の仮説。あとは、文献を示したところ以外は全て私の仮説)。

いわば、ノンレム睡眠は、それまでの覚醒中の現実や思考における情報を使って、大脳皮質を整理し穴をあけてさらなる情報が入るようにするためのものであり、レム睡眠は、そうして大脳皮質からフィードバックされてきた情報、或いは、まだ海馬に残っている覚醒中の情報を使って、自らの思考に穴をあけ、現実の未来の情報に開かれるようにするためのものではないか。

そういう相互作用によって、人間は、自己を(大脳皮質も、覚醒時の自分の思考も)差異化し、自己を無へと(想像的統一体をばらばらにする方向に)進めているのではないか。睡眠はそのためにあるのではないのか。

『睡眠の科学』講談社、によると、一睡眠中に、ノンレム⇒レム、という波を4、5回繰り返すらしい。4、5回というのが何か脳や思考の構造上の必然性があるものか興味深いが(こういうノンレムやレムの行き来、や、レム中の夢の皮質あるいは海馬に残った情報と夢自身の行き来、というようないわば渦には、皮質の異層間における、順行性入力(表層)と逆行性入力(深層)の1ユニットの連続(『脳は物理学をいかに創るのか』岩波書店 163p、を連想させるが関連しているかはわからない)、以上の仮説からすると、まずは、回が進むほどより抑圧の解けた夢になっていると考えるが、どうだろう。また、上書の図(24p)によると、回が進むほどノンレムは浅いものとなる(深いものとは脳波が遅くて、同調して振幅が高いものらしい)と共に、レム睡眠の時間は増えている、という対応もうかがえるのも興味深い。このノンレムの変遷について考えると覚醒時の情報に、より通底する大事な素数をまず抽出して皮質に送り込み、特殊な経験にしか対応しない素数をのちの段階に皮質に送り込んでいる、などということはないのか? レムの時間が増えるのは、深いノンレムが不要となった分、余裕が持てたからだろうか。そして、この図では睡眠の最後がノンレムで終わってるのも興味深い。つまり、その後の覚醒生活が、レム睡眠、あるいは、夢等価である、いわば「現実もまた夢」ということにならないか。 ・・とかっこよく終わろうかと思ったら同書116pでは、レムのあとにすぐ覚醒が来ている図もある。これは、いわゆる夢を夢として見きれて終われる人と(新宮の言うイザナギの夢系列―だったか―を全て見切れたような人)、穴の否認が強くて、本来なら見切れるはずの夢も見切らずに、現実も夢の延長のようにすごす人(睡眠の最後がノンレムの人)との違いによるのだろうか。とはいえ、見切ったといっても、さらなる差異化を遂げた人から見れば、その人も夢の中でのように現実を生きていると見られることになるのだろうが。

No.840 - 2017/05/29(Mon) 13:30:24

レム中の眼振 NEW / 水上雅敏
レム睡眠で眼球が動くのは、夢で風景を見ているからではなく、トラウマ治療のEMDRの目の揺れのようなもの、或いは、ラマチャンドラン(『脳の中の幽霊』角川文庫 第7章)が半側無視の患者に眼振を起こさせることで(外耳道に冷水を入れると起こる)半側無視という否認を解除させたような、その眼振に似たものと考えらえないか? 冷水の効果が消えたころには、半側無視が一時的に無くなったその事実自体を患者は全く忘れている、というのも夢に似ている。
No.839 - 2017/05/29(Mon) 13:29:01

藤田先生 NEW / 水上雅敏
>量子状態そのものが自己修復作用を持っていると仮定すると面白いです。つまり、宇宙どこをとっても波束が均一だというものです。

➞コメントありがとうございます。量子状態自身のタナトス、というような連想も浮かんできました。

No.838 - 2017/05/29(Mon) 13:27:53

波動による自己修復作用 / 藤田博史
水上さんの指摘された下記の点においては、量子状態そのものが自己修復作用を持っていると仮定すると面白いです。つまり、宇宙のどこをとっても波束が均一だというものです。
No.837 - 2017/05/18(Thu) 00:27:49

テレポーテーションと対称性の復旧? / 水上雅敏
『もともとはきちんと存在した対称性が自発的に破れるような場合には、ちゃんと破れた対称性を復旧してくれる新しい量子が生み出されるのです』(「脳と心の量子論」治部眞理、保江邦夫 講談社 217p)。

→量子を2つに割るとその間で情報のテレポーテーションが生じる、であったか、そういう話にも通じてくる感じもするが、専門でないので全くわからない。ただ、感じ、のみ。

No.836 - 2017/03/05(Sun) 13:21:38

対称性の復旧が言葉の弁証法を導いているのか / 水上雅敏
『場の量子論においては、並進対称性だけに限らず、何らかの対称性が自発的に破れているような運動状態が実現された場合には、必ずその破れた対称性を復旧するような質量ゼロの新しい場の量子が発生するといういう事実が理論的に示されています(南部・ゴールドストーンの定理)』「脳と心の量子論」治部眞理、保江邦夫 講談社 221p。

→言葉を一つ進めると、弁証的に別の言葉が進む。その転回点である無(いわば対象a)にこの対称性の復旧を見ることができるだろうか??

『もともとはきちんと存在した対称性が自発的に破れるような場合には、ちゃんと破れた対称性を復旧してくれる新しい量子が生み出されるのです』(同書 217p)。

→もともとにおいて対称性が存在していないといけないわけだ。言葉の場合にそれがあったと言えるか? 想像的な統一体か? というより、そもそもの無、言葉の目指す無か。それを神経学的な実体在るものとして見れるか。或いは、知覚同一性や思考同一性の目指すものか?

No.835 - 2017/03/05(Sun) 13:20:59

ボトムアップとトップダウンの神経をつなぐ一方法 / 水上雅敏
https://www.youtube.com/watch?v=xpCP91DczD4
触覚テクノロジー最前線 サイエンスzero

興味あるリハビリ方法が紹介された。
要は、多分、知覚器官からのボトムアップの神経と、大脳からのトップダウンの神経のつながりをいかに回復するか、だろう。そしてここではヘッブの法則が使われているように思う。

患者:脳卒中後遺症、左半身の触覚喪失で、積み木もうまくつかめず組み立てられない。
リハビリ方法:@皮膚振動伝達装置のセンサー(材質に直接触れて感触を伝えるバンド)がついた左手指さきで、表面の材質の違う色んな板をさわる。左手の触覚は麻痺してるから何も感じ取れぬが、センサーから振動が皮膚振動伝達装置の振動子にリアルタイムに伝わり再現されるので、これを右手で握って右手で振動を感じておく。これで、どの板がどういう振動(感触)なのかの正解が一応わかる。
A次に、左手の項に振動子を置いて、その上に右手を更に重ねて、センサーをつけたままの左手指で、それぞれの板を触ってみる。すると振動(感触)は実は右手で感じているのだが、左手で感じているように勘違いさせ得てくる。これを15分続ける。
B患者は左手でも板の感触がわかり、積み木も組み立てられてくる。

このメカニズムをどう考えるか。このリハビリの開発者に直接聞けばわかることだが、とりあえず考えてみた。

(1)@によって右手左手関係なく、この見た目の板はこういう感覚なのだという記憶のストックが大脳の特定部分(か何らかのシステム的な連結の形で)に出来てくる。(2)Aでの、特定の板を見つつ触ってるときのリアルタイムな刺激と、ルートを勘違いさせる方策(感触は右手から来てるのに左手から来てるように勘違いさせる)によって、@によって出来た記憶の中の対応する板の感触の記憶に対応したニューロンの発火が触発されるとともに、脳の中で、このリアルタイムな刺激を伝えてるニューロンの発火と、どのルート(左手か、右手か、etc)で刺激が来ているかを伝えるニューロンの発火がおきる。(3)こうして、指先からの末梢神経を通じてやってくる板からの刺激(この末梢神経自体は障害されてない人だから、これ自体はやってくる)を伝えにやってくるニューロンの発火と、触ってる板の感触の記憶を宿すニューロンの発火と、リアルタイムな意識的な感触とルートの認識(左手の指からやってきている、というルートの認識)を伝えるニューロンの発火が、同時的に起きることで―ヘッブの法則(=神経と神経の間の結びつきの強さの変化の法則は神経が活動した際に、 両方の神経が同時に活動したならば、結びつきを強める。)が言うように―これらそれぞれのニューロンの連結が回復してくる。

図解すれば、上記の過程で、以下の、⇔の部分がヘッブの法則に応じて回復されている、と考える。当該患者の障害は能にあるから、⇔の起きてるのは、全て大脳内であると考える。

ヘッブの法則に応じて、回復されるべき繋がりは以下の⇔の部分
((1)⇔(2))、⇔ ←――――――――――― 指先
  大脳          末梢神経

ここで疑問に思ったのは、@とAの過程両方ないといけないのか、どちらかだけでも良いのではないか、とのことだが、これについては以下のように考えた。

Aの過程を省いたとすると:
(1)でできた記憶の、見た目で触発された発火と、左指から末梢神経を伝ってくる刺激による発火だけでは、ヘッブの法則的に、そこでニューロンがつながったとしても(つながりうるのかの疑問もあるが)、リアルタイムの感触は意識上に上ってこないのではないか。

@の過程を省いたとすると:
良くても、以前にも経験したことがある感触の筈なのに今触ったものが常に新奇な刺激として感じられる、となるにとどまろうが、おそらく、それさえにもならず、この場合も知覚意識が形成されない可能性も考えられる。もし、今来ている知覚の知覚意識と言うものが、過去の知覚の記憶のどれと符合するか、をとっかえひっかえ試行錯誤して検討する、という過程そのものによってこそ出来ているとするならば(という意味では、上のリハビリで、何枚か感触の違う板を用意していたことにも意義があるように思われる)。

と考えれば、@Aともに必要な過程であるように思われる。

No.834 - 2016/12/10(Sat) 22:06:24

カプグラから考える扁桃体の機能 / 水上雅敏
ラマチャンドラン(『脳の中の幽霊再び』角川文庫 19−23pp)は、交通事故で頭を怪我し昏睡に陥り覚めてその時点では神経学的な異常は全く見えなかったが、カプグラ症候群(「この人は私の母にそっくりですが、母じゃありません。母のふりをしている偽物です」)をきたした男性患者について、「視覚中枢から扁桃体につながる「電線」が事故で切れてしまっています」と述べる。で、だから「この人はお母さんにそっくりだけれども、もしお母さんなら、なぜ自分はこの人に対して何も感じないのだろう? いや、お母さんのはずはない。他人がお母さんのふりをしているんだ」と考えて(←これはラマチャンドランによる患者の内面の仮説のよう)カプグラ症候群を起こすのだ、としている。

だが、読んだ限りでは当該患者の視覚中枢と扁桃体間の電線が切れているというのは神経の繋がりを直接或いは映像的に見るなどして確認したわけではなく仮説のよう。そもそも”情動の中心をなす部位は扁桃体だ”との前提の上で、視覚刺激に応じた情動反応を発汗の程度(電気抵抗から見る)で測って、案の定これらの間につながりがなかったことから、そう結論しただけのことのよう。

さて、とりあえず、視覚中枢と扁桃体間の電線が切れているとの仮説を受け入れたとしても、「自分はこの人に対して何も感じない」から「お母さんのはずはない」と患者は思ったのだ、との仮説に限定すべき必然性はないだろう。他の仮説もありうるだろう。

例えば、母を自我を支える全能の鏡像にしたくとも、本当の母一人だけでは穴がどうしても開いて(母の全体像を見るとどうしてもその輪郭の外−母が欠落した領域―が見えてくるし、母が見えること自体、視覚的な無限遠なる穴があるからこそだし)、鏡像としては不完全となり不安が出てくるので、「今見てるのは偽の母であって、本当の母は別に居る」として、穴から本当の母なる像を守るというのがカプグラを作っている、と考えることも出来るだろう。要約すれば、鏡像から出来る限り穴を排除するために、鏡像を偽と本物の2つに分割する(いつも本物の方ばかりが穴から救われた存在なのか、逆か、或いは交互させて現前の鏡像からは逸らし続けるのかわからないが)策がカプグラと考えるわけである。

で、これ自体が、カプグラの一次的な構造であって、情動反応が出ないのはこの穴埋めによる二次的な結果だ、とする考えも可能だと思う(「何も感じないから、この人はお母さんじゃない」というわけではない、ということだ)。カプグラがまずあって、「不安」(穴・無限遠の開いた鏡像⇒自我のよるべない不安)をはじめ、様々な情動の生じる起源であるはずのまさに「穴」が埋めてしまった、というわけだ。

まあそういうことが、あっさり出来てしまうことについては視覚中枢と扁桃体間の電線が切れている、とみるのもありえるかなとも思う。として、ここで扁桃体の機能を改めて仮説化してみると、「穴(ラカン的に言えば現実界)を導入する機能」と言うのも考ええるかと思う。で、当該の事例の場合、それがうまくいっていないからカプグラをあっさり作れてしまった、と。細かく言うと、視覚中枢と海馬が先導的に構成していく世界に扁桃体が逐次穴をあける機能がうまく通じてこないから、穴に触発されて海馬が弁証的に世界像を更新していくという進展が出来ず、壊れたレコードプレーヤのように世界像の形成がストップし、良く行ってもエンストを繰り返す車の様なぎこちないコマ送り的な進み方しかできず、穴の無い充満しすぎの世界像か(無限遠の欠けた離人症的な)と開き過ぎた穴(スムーズではないコマ送りの停止した間隙の様な)かを反復する状況になり、この穴をカプグラの方策で埋めるようになる、ということなのでは、とも考ええる。こう考えると、ここで少し気になるのは、扁桃体の機能にもう一つの仮説が考えうることであり、それは、もし海馬自体に弁証的に進む構造が最初からあるとしたら、扁桃体は、それがうまく行ってない時にのみ「穴がふさがったよ」と伝える機能を持つものなのかも、ということだ。どちらかわからないが、それはそうとしてこのように厳密に考えてみると、このルート上では少なくとも3つの障害の可能性があるようにも思える。@扁桃体自体の穴を感じ取ったり送り込む機能、或いは、海馬に「穴がふさがったよ(弁証法がうまく行ってないよ)」と伝える機能の障害、A上記の「電線」の障害、B海馬自体だけで弁証法がおこなわれてるとしたらその障害、ということだ。

後記:このように「穴」埋めの一つとして、カプグラを考えてみると、無限遠も障害されるだろうというところから、やはり既にのべたように、カプグラのある人はカプグラ以外の視覚についても、離人感があったりするのだろうか。世界がコマ送りのように感じ取られてきたりすることもあるのだろうか。なお、上記はラマチャンドランの事例から離れずに考えた限りのカプグラの構造だが、精神病の場合のそれを考えると、言葉の弁証法を阻害してることが第一要因で、そのことが穴を大きく開けてカプグラをきたす、と修正する必要があるだろう。この時は、上記の3つの障害の仮説で述べたような神経学的な問題があるのか、或いは、あったとしても言葉の弁証法の排除による2次的なものなのか、そうだとするとでは一次的なその排除はいかに作りえるのか、が問題となるだろう。ところで、ラマチャンドランは、「聴覚にも、上側頭回の聴覚皮質から扁桃体に至る経路が在る」というが、声のカプグラというのもあるのか(これは母の声じゃない、とか)?個人的にはそういう事例の記憶が掘り出せないが。私が知らないだけか?或いは、そもそも言葉自体、声と言う希薄なものだし弁証法で作られてくるものだから、そこに穴埋めを期待しないから、声のカプグラは余り聞かないのか。電話などであの声はあの人のじゃない、とかいうのはあるのか。そもそも声のアイデンティティー自体はっきりしないものだから、そこをつてにカプグラを作ろうとはしないのか。あっても、医療者側としては、ただ、カプグラと判断して、声だけのカプグラだとは思わないだけか?穴埋め目的にそもそも声のカプグラを作るくらいなら視覚的にも作ってるだろうから目立たないということか。(ただ、自分の声が届きにくい、と言う人がいたり、録音して聞くと自分の声じゃないみたい、ということはあるが、これは関係ないか・・・)

No.833 - 2016/12/08(Thu) 17:20:03

藤田先生 / 水上雅敏
しばらく訪問しておりませんでしたので藤田先生の投稿に気づかず失礼しました。ありがとうございます。
No.832 - 2016/12/08(Thu) 17:19:34

水上さんへ / 藤田博史
本職が忙しく、ご投稿への応答がなかなかできませんが、興味深く拝見しております。引き続きよろしくお願いいたします。
No.831 - 2016/10/01(Sat) 20:29:31

マーブリングコンピューター / 水上雅敏
数学的に式にするのは難しいが、自然は簡単にやってのけることがある。水流の形などもそうだろう。ニューロンの成長を数学的にシミュレートするのもきっと難しいのだろう。そんなことを考えてると、マーブリングの技法(水に絵の具を落としてできた自然な模様を紙に写し取る)が思い浮かんだ。そして、あの上に電気的な回路を乗せるようなことは出来ないだろうかと。技術的にそんな難しいことではないだろう。あの様々な色彩の絵具の光を感じ取る装置を作ったり、或は、あの絵具を電気を反射するものにしたりするなどすれば、それを回路として使うことは出来るだろう。そして、出来上がった絵というより、あの水の上でのいまだ流動的な模様をそこで役立てるならば、常にダイナミックに変わり続けるニューロンをシミュレートできないだろうか。マーブリング的な2次元平面で不足なら、多次元でやれる方法を見出せばよいしそれは難しくはないだろう。無に向かって、自己を差異化する動きを作り出したければ、水を流しだす穴をあけて渦を作り出し、そこでマーブリングすればよい。粘菌コンピューターも考えられてるのだから、そういうのも考えられていい。

「脳の自己形成は、ブリューム型の熱対流に従う。ブリュームとは羽毛のことで、ブリューム型の熱対流とは、風の無い空に上がっていく円筒の煙のような形の、熱運動を意味する」(『脳の中の水分子』中田力 p111)とあるくらいだから、それほど的外れな企てでもないと思う。いわば、マーブリングコンピューター。

No.830 - 2016/07/09(Sat) 08:11:30

人間を超えるコンピューターがあるとしたら / 水上雅敏
多くの人のパソコンを繋ぎ、その集積ではなく「間隙」こそを辿っていくコンピューターを作れば、それは人間(少なくともPCを繋げられた人々の集団)を超えたコンピューターにならないだろうか? ただ、この場合、間隙の中にも辿れる選択肢は沢山有ろうし、より問題なのはコンピューターがこのままではまだ主体性を持ててないことだ。

そこで人間の場合に、主体性ーと言ってもいわゆる主張の強い自我というのとはしばしば違って、自己愛や非論理的なものをそぎ落とす方向に舵を常に切る方向に持っていく動きのことだがーがどう成り立ってるのか、と考えると、これは、なるべく、効率的に自分自身を無へと向かって解体していくという方向に因っているのだろう。

そういうプログラムを、更に組みこむことが必要な事の一つだと思う。これは可能なことではないか?

あとは、その方向性においてもまだ、思考を進める方向ー次はどんな言葉を選ぶか、などーには色んな方向があるのだろうから、そこはどう選ばせるか、だ。そもそも人間はどうやっているのだろう。

No.829 - 2016/03/26(Sat) 16:27:17

いかに生き返るか / 水上雅敏
クマムシの話を聞いて、仮死状態からいかに生き返るか、を考えた。そういう生物、昔はそれでもゆっくり呼吸してたり、外界と物質とのゆっくりしたやりとりを続けているのだろう、と思っていたが、以下の様にも考えてみた。別にクマムシのことではなく、まあ、死んだように生き続けうるとしたら以下の様なメカニズムがありえるかな、というあたり。

・一見死んだように見えても、それは、宇宙全体の対称性の破れに沿った流れで生きているから。
・逆に、一見止まって・死んで見えても、それは、対称性の破れに逆らって活動している形であって、その意味でずっと実は活動的に生きていたわけ。
・一定の、中途半端な、エントロピー段階にとどまっており、水など何か刺激があると、さらにエントロピーを崩す方向へと向かうことが生き返ることになる(弁証的に死・無へと向かって一ことこそが生きることであると考える立場)。まあ、むろん、水などの刺激で、エントロピーを減らす方向の作用を再開させたから生き返った、という立場があってもよいとは思う。
・まあ、単純に構造の中に、時間なり、何か、力を組み込んだまま凍結させればよいかも知れない。例えば、いわばバネを体の中に持っていて、乾燥し始めると、バネを縮めて乾燥に服し、水がやってきたら、バネが跳ね上がって生き返るというような。

・水と言えば、このFBでもしばしば参考にした保江邦夫の『脳と心の量子』で述べられている「記憶」が思い起こされる。ここでは「記憶」は刺激が《最終的に細胞骨格や細胞膜の中に作られる大きな電気双極子の形にまで変形された後、その近くの水の電気双極子の凝集体として安定に維持されたもの》とされる。そして「想起」については次のように述べられる。《このような状況で再び似たような刺激が伝搬してくる場合には、やはりこの水の電気双極子の凝集体のある部位の細胞骨格や細胞膜にも再び電気双極子が形作られ、その影響で凝集体にはエネルギーが与えられることになります。自発的対称性の破れによってマクロのスケールにまで拡がった凝集体にエネルギーが与えられるとどうなったでしょうか。そうです、南部・ゴールドストーン量子と言う凝集場の量子が新しく生み出され、凝集体の中を破れた対称性を復旧するように運動するのでした。いまの場合もまったく同じですね。記憶の実体である回転対称性を自発的に破った水の電気双極子の凝集体の中にも、その凝集場の南部・ゴールドストーン量子であるポラリトンが発生し、回転対称性を復旧するように運動するのです。…記憶の想起のからくりは、実に場の量子論におけるこの南部・ゴールドストーン量子の発生のメカニズムそのものだったのです>。・・・こういう「記憶」のように、死の中でも構造を保ち続け、この「想起」のように復活する、ということは無きにしも非ずだろう。クマムシも結構似たようなものではなかろうか? よく知らないが。

ちなみにクマムシについては、以下の様に或る。http://www.biol.s.u-tokyo.ac.jp/…/ku…/research/research.html

より抜粋:

《陸生クマムシの多くは乾燥耐性を持ち、周囲が乾燥すると脱水して縮まり乾眠と言われる状態になります。この状態では水含量は数%にまで低下しており、生命活動は見られません。驚いたことに死んだわけではなく、水を与えると速やかに活動状態に復帰します。乾眠状態のクマムシは様々な極限的な環境に曝露した後も、給水により生命活動を再開することから、マスメディア等では最強動物などと言われることもあります。これは、他の動物が耐えられないような厳しい環境でも生き残る事ができるという意味で最強の部類に入るということで、他の動物と戦って勝てるということではありません。また、こうした耐性はすべてのクマムシが持つわけではありません。

クマムシはどうしてそんなに耐性が強いの?
 クマムシの示す耐性能力は、生息環境から考えると明らかに過剰であり、生き残るために必要だったとは考えられません。こうした過剰な耐性能力は、頻繁に乾燥する環境に住み、乾燥耐性を持つクマムシで観察されます。乾燥に耐えるために獲得した様々な保護や修復のしくみが、副産物として過剰な耐性能力を生んだのかもしれません。
 乾燥耐性の仕組みとしては、昔からトレハロースという糖がたくさん蓄積して乾燥から保護しているのだと考えられてきました。しかしながら、クマムシではトレハロースを顕著に蓄積しない種が多く、このような耐性を示すメカニズムについては良く分かっていないというのが現状です。(クマムシ以外では乾燥時にトレハロースを大量に蓄積する生物種も知られています。)》

No.828 - 2016/01/29(Fri) 17:13:16

記憶は無限か? / 水上雅敏
記憶は無限か? 

@記憶は有限と言う立場(だと思う):桑田和夫『素数とプリオン』数理科学1、2005。

少し長くなるが上記より抜粋する:
《・・BSE(狂牛病)やヒトのヤコブ病は、プリオンと言うたんぱく質の構造変化が原因であると考えられている。正常プリオンは我々の脳の中に多く存在するが・・(中略)・・代表的なタンパク質分子であるプリオンを構成する粒子(原子)の数は約10000個あり、それらは1本の開いた紐で結ばれている。それぞれの粒子が独立に運動していれば、統計的に扱う道が開けている(統計力学)。しかしタンパク質の様な系では、一つ一つの原子の配置が特別な意味を持つようになり、統計平均するとその特徴が消えてしまう。
 タンパク質のコンフォーメーションとは、たんぱく質を構成する全原子の座標を意味している。ただし、あくまでも化学構造(共有結合構造)は不変であり、化学結合に回転の自由度が有る為に生ずる座標の違いを、ここではコンフォーメーションと呼んでいる。物理学立場からすると、コンフォーメーションを規定する原子核のダイナミクスはほぼ古典的である。一方、電子のダイナミクスは量子力学的であり、実質上、原子間の相互作用ポテンシャルを形成する。タンパク質のコンフォーメイションの複雑さは、このように量子力学に立脚した上での原子配置と言う「組み合わせの複雑さ」に由来すると考えることもできる。またこれは一見、「見かけの複雑さ」のようにも見える。しかし、この複雑さはおそらく現存する数学や物理学の根本を揺るがすはずである。なぜなら、数論や量子論を産み出した我々の脳はタンパク質でできているからである。つまり、我々は、たんぱく質の取りえる複雑さのキャパシティーの範囲内で情報を整理している、と考えることも可能である。
 もし、3体問題の様な、多体問題の解の「複雑さ」を表す指標が在れば、プリオンのような蛋白質の「複雑さ」もある程度表現できるだろう。このとき、ある体積の脳が表現する事の出来る「複雑さ」は同じ体積のたんぱく質がとりえる「複雑さ」を超えることは無い、と考えられる。これを「蛋白体仮説」と呼んでも良いだろう。
 ところで、蛋白質のコンフォーメイションは、連続的に分布しているのではなく、ほぼ離散的であり、せいぜい数個の決まった構造しかとらないことが実験的に分かっている。つまり蛋白質のコンフォーメイションは、量子化されている。これはおそらく、熱力学的に安定なコンフォーメイションが少数しか生じないように、アミノ酸配列が進化してきた結果と考えられる。・・(後略)》

A記憶は無限の立場:治部眞里 保江邦夫『脳と心の量子論』

《量子場脳理論では、外界からの刺激やそれに対する意識の印象を含めた内的な刺激も、最終的に細胞骨格や細胞膜の中に作られる大きな電気双極子の形にまで変形されたのち、その近くの水の電気双極子の凝集体として安定に維持されると考えるのですが、これが梅沢博士と高橋博士による記憶の形成過程にほかなりません。・・(中略)・・また、記憶の大容量性についても、脳細胞のミクロの世界での細胞骨格の近くや細胞間隙に広がっている水の電気双極子の場の中の凝集体の数が膨大になることから、まったく問題は無いと考えられました。しかし、膨大と言っても有限である頃に変わりはないため、これでも記憶の大容量性の説明には不十分だとする指摘もあったようです。
 これはイタリアで梅沢博臣白紙と一緒に研究を続けてきた物理学者ジョセッピ・ヴィティエロが最近になって見つけてくれたのですが、実は記憶の形成に伴った時間反転についての対称性の自発的な破たんがあることを考えると、この凝集体の記憶容量は無限大になることがわかり、記憶の大容量性の説明もうまくいくのです。・・(中略)・・外界からの刺激やそれに対する意識の印象を含めた内的な刺激も、最終的に細胞骨格や細胞膜の中に作られる大きな電気双極子の形にまで変形された後、その近くの水の電気双極子の凝集体として安定に維持されるものが記憶でした。
 このような状況で、再び似たような刺激が伝搬してくる場合には、やはりこの水の電気双極子が形作られ、その影響で凝集体にはエネルギーが与えられることになります。
 自発的対称性の破れによってマクロのスケールにまで拡がった凝集体にエネルギーがあたえられることになります。
 自発的対称性の破れによってマクロのスケールにまで拡がった凝集体にエネルギーが与えられるとどうなったでしょうか。
 そうです。南部・ゴールドストーン量子という凝集場の量子が新しく生み出され、凝集体の中を破れた対称性を復旧するように運動するのでした。
 今の場合も全く同じですね。記憶の実体である回転対称性を自発的に破った水の電気双極子の凝集体の中にも、その凝集場の南部・ゴールドストーン量子であるポラリトンが発生し、回転対称性を復旧するように運動するのです。
 梅沢博士と高橋博士が見出した記憶の想起のからくりは、実に場の量子論におけるこの南部・ゴールドストーン量子の発生のメカニズムそのものだったのです。
 (・・中略・・)自発的対称性の破れによって電気双極子の凝集場が形作られるような状況においては、その破れた回転対称性を復旧するために生み出される質量ゼロの南部・ゴールドストーン量子が電磁場のゲージ対称性によって電磁場のベクトルポテンシャルの中に取り込まれてしまい、まったく姿をみせなくなるということでした。
 さらに、電磁場の方は南部・ゴールドストーン量子を取り込むことによって、凝集場の近くでは電磁場の量子としての光子の質量がゼロでなくなるのでした。この有限の大きさの質量を持った光子が、隠れ光子、すなわちエバネッセント光子として凝集体の中に潜んでいるのです。(・・中略・・)南部・ゴールドストーン量子は、ゼロでない質量を持つ隠れ光子にその姿を変えていたということです。
 (・・中略・・)ミクロの世界での電磁場の波動運動が持つことのできるエネルギーの大きさが、常にエネルギー量子と呼ばれる一定の大きさの整数倍となっている(・・中略・・)
 電磁場の量子が持つことのできるエネルギーがエネルギー量子の整数倍と言うことは、電磁場についてはどんな波動運動にも0個、一個、二個、三個、などなど、量子をいくつでも同じ運動状態にすることが出来ることを意味しています。
 すべての場の量子がこのような性質をもつわけではありませんが、電磁場の量子である光量子の様に、いくつでも同一の運動状態にできる量子はボーズ・アインシュタイン量子とか、ボーズ量子、あるいは簡単にボソンと呼ばれています。
 凝集場の量子である南部・ゴールドストーン量子もボソンであり、同じ運動状態に幾つもの南部・ゴールドストーン量子を入れることが出来るのです。
 南部・ゴールドストーン量子が電磁場の量子である隠れ光子に姿を変えることが出来たのも、どちらもボソンだったからです。
 もちろん、光量子と南部ゴールドストーン量子があわさった隠れ光子もボソンとなり、いくつもの隠れ光子を同じ運動状態にすることができるのです。
 同一の運動状態にいくつでも隠れ光子を入れることが出来ると言うことは、言い換えればその同じ運動状態に無限に隠れ光子を入れることができるということです。》 239-248pp

エバネッセント光については以前以下に書いた。
https://www.facebook.com/masatoshi.mizukami8/posts/1594268844169674
さて、上記Aの立場だと、記憶は加算無限個脳に組み入れうる、となりそうだが、自然、非加算無限個の可能性を問いたくなる。その必要性が何かあるかわからないけど。これについてしばらく考えていたが、まだ頭がまとまらない。後日考察する。
 
あと波動運動と量子の数がどう実際の記憶と対応するのかと言う問題も残る。たとえばそれらから構成できるだろう波をマクローリン展開して、その各項の係数をゲーデル数として、それに各記憶が対応している、とも考え得よう。でもゲーデル数と各記憶が一義的に対応している、という見方は、蓄積学習的なコンピューターの記憶方法を言っているようで、人間の場合の「無へと向かって、弁証的に差異化の次元を高め続ける運動があり、それによって記憶も常に変化にさらされている」という状況にもその方法で対応しているのかは疑問に残る。その場合でも何らかの形でゲーデル数を利用しているのかも知れないが、そこはまだよくわからない。

No.827 - 2016/01/29(Fri) 17:11:14

トラックの対向車側の看板の文字列が逆なのは? / 水上雅敏
月曜から夜更かし。トラックの看板の対向車側の横文字列は右から書かれることも多い。対向車運転手の目にその文字順で入ってきた方が読みやすいから、と。時系列優先の把握ということか。にしても空間的にはなぜ左から書く国語が多い?左から読んで右に行くほど意味生成に必要になってくる複雑な文字のとっかえひっかえの集合化(例えば、にわににわにわとりがいる、の解釈)は左脳にさせたほうが楽だから、最後が右視野(左脳に刺激が入る)で終わった方が良いから?でもなぜ左脳が言語脳になった?あと知能テストの順唱と逆唱の特異不得意と、先ほどの時系列の件やこれらとの関係も興味深い。

あと、一文が終わるまで意味把握の完了は、保留しておかねばならないが(下位的な意味生成はとっかえひっかえ行われるだろうが)、このことと、眼球を文を読む為右に動かすスピードとの関係、およびattention blinkや、その場合の諸脳波との関係も興味深い。

No.826 - 2016/01/26(Tue) 13:06:48

辺縁の負の知覚 / 水上雅敏
視野の辺縁で何かが起きた、と気づく感覚はもしかしたら、雑音を街で流していてそれを突然消すことで時刻を知らせる時計の、その気づきの感覚とにているのかもしれない。その負の気づきが正の気づきへと変わる境界は網膜のどのあたりか?速読で掴むその辺縁の文字の意味生成はその時点で或は事後的に?
No.825 - 2016/01/26(Tue) 12:46:15

精神の2つの進展のさせかた / 水上雅敏
既知の或る整数が素数だと見出すような発見と、素イデアルという新しい体系を見出せるような発見とが精神分析なり個人・人類の精神の進展にあるのかも。

前者は新しいシニフィエ、後者は新しいシニフィアンの発見といえるか。その精神病的対応を意味論的言語新作といわゆる言語新作に見うるか(まあ精神病の場合は前者を身勝手なシニフィエとの結び付けや限定、後者も身勝手なものにすぎないが)。

No.824 - 2016/01/11(Mon) 03:02:58

ロボットは人間に脅威を与え得るか / 水上雅敏
ロボットが人間に脅威的になるには、欲望をロボットに入れる必要があろう。蓄積学習的な今のロボットには無理で、欲望注入には、死や、互いの間での弁証的な対話や出産をロボット界に入れる必要があろう。対称性の崩れやエントロピーを利用してそれを可能にできるかどうか。

そこで弁証的な対話で、無へと向かうスピードが人間のそれを凌駕するならば、人間にとって脅威的なロボットを作れた、ということになろうが。

No.823 - 2016/01/11(Mon) 03:02:13

大脳皮質の記憶の差異化次元の高めあげは睡眠中のみに行われる? / 水上雅敏
大脳皮質への記憶の刻み込み(より差異化の次元を上げるような記憶)やその修正は睡眠中(や、せいぜい在っても休息中の)の鋭波が出る時にしか行われないと考えられないか?

そう考えたくなるのは、睡眠中(や休息中)の鋭波に圧縮された情報が大脳皮質にはいるとして(ねずみだとそのよう)、圧縮されもしない覚醒中の情報が同じところに入ると混乱きたすと思われるから。

『脳は物理学をいかに創るのか』(武田暁243−245pp 岩波書店)での以下の見解(私の要約)もそれを支持するように思われる。:ねずみの場合だが、鋭波は休息や睡眠中のみに出るが、ここには情報がおよそ20分の1に圧縮される。この鋭波はCA3で形成され、CA1からEC深層へ伝播する。更に大脳皮質ニューロンも活性化させ記憶を皮質に埋め込む。対して、覚醒時の探索行動中には海馬からの出力層であるEC深層のニューロン群は余り活性化しない。

つまり探索行動中には、EC深層から大脳皮質へのルートのスイッチは切られているように見えるわけである。

人間に話を持ってくると、むろん、大脳皮質のニューロンの形成は覚醒中も行われてるだろうが、それは、差異化の次元を上げていないレベルで、覚醒中に出会う現象と今までの記憶の関係をもっとも節約的に整理しようとしている試行錯誤レベルのものだと考えられるわけである。

つまり今の、覚醒中に得た、より去勢の次元=差異化の次元、を高め挙げるはずの言葉の影響は、その当日の覚醒中には、大脳皮質には伝わらない。伝わるには1回、休息なり、眠ること(そして鋭波を出すこと)が必要、と考えるわけである。むろん人間の場合も、そもそも鋭波に情報が圧縮されていることが証明されているか、はよく知らないが、とりあえずそう考えた上での見解である。

とりあえずそうであるとして、大脳皮質の最も根本的な記憶をCDへの刻み込みとして比喩すると、その刻み込みの修正や、新規な刻み込みは、睡眠中に行われるという話になる。

あえてこのメリットを考えるならば、覚醒中は、その日の思考の座標軸(その日の覚醒時までに皮質に刻み込まれた記憶)は混乱させないようにしておく、というのがあるかも知れない。座標軸までぶれると思考が安定しないだろうから(とりあえず固定させたユークリッド的座標の上で思考する、という感じ)。


そういう座標軸と言うかたちで、記憶は単に皮質に蓄えられるだけでなく覚醒生活の思考に影響しているかも、とは言える(ともかく全く影響しないなら記憶する意義がないだろう)。

だとして、ではそれはどういうルートでか。いくつか仮説化できる。

@皮質自身の方から信号などが送られてくる
AECや海馬側の方から、いわばCDに光を照射するように信号を向け、そこから信号として反射されるフィードバックにおいて皮質の情報を得る
B皮質が直接的に(?)無意識の行動を我々に引き起こしたり、外界に対する知覚を供給する(いわゆる投影する)ことによって、いわば、一旦いわゆる外界を経由してその内容を二次的に海馬に伝える。
C Bの下位分類だが、朝までに大脳に蓄えられた、新しく、より高い次元の差異化は、他者との対話のやりとりによって初めて気づかれる(=話してみて、自分の言葉の失錯から自分の無意識内容に気づけたり、とか)。

ここで前掲書243pを見るとこうある:(ねずみの)≪探索行動中は情報は皮質から海馬へ入力するが、その際に海馬への入力層であるEC表層のニューロン群は強く活性化し、海馬からの出力層であるEC深層のニューロン群はあまり活性化しない。≫

これからすると、@がまず妥当そうだが、「海馬からの出力層であるEC深層のニューロン群は”あまり”活性化しない」からすると多少の活性化も見られるわけだから、Aの加わっている可能性も捨てきれない(ちなみに、もしかしたら、これが分裂病等の、自分の思考を反響させて、幻聴として受け取ってしまう構造だろうか・・。しかしCD=大脳皮質の記憶まで奥まったところに光の照射をするというよりは、もっと一時的に記憶を貯める、サブCDのようなものがECあるいは海馬内にあるとしたら、そこに対する照射とフィードバックを幻聴の直接原因と考えてみる可能性もあるかも。まあ無論こういう、むしろCDの破壊行為―つまり記憶して弁証的に思考を進めようとする普通の思考構造の破壊―こそを幻聴の構造と考えるほうがあたっていようが)。

しかし@だとすると、CD(皮質に刻まれた記憶)が直接エネルギーを発して自己の情報を海馬に伝えてくるわけだろうか? CDとしてはそれに何のメリットがあって?・・という疑問や、CDがエネルギーを自己発生させるのは大変だろう・・ との思いが湧くが、とりあえず妥当そうなのは、知覚器官から来た信号がここを経由して海馬に流れ込んでくると考えることだろう。この類のルートとしてはいくつか考えられそうだ。

a)知覚器官から大脳、そしてこのCDを経由して海馬に信号がやってくる(どうCDの刻み込みを引き連れてくるかも問題だがここでは保留)。
b)知覚器官から大脳、そしてCDを経由せず海馬に信号がやってくる。
c)上記二者に類似するが、最後は海馬に信号を送らず、我々を直接動かす(運動神経を直接刺激したり、どこかの知覚神経に再入力したりする)。(ただし『意識の脳内表現』培風館、デヴィッド・ローズ、p371によると全ては海馬とECの複合体を通るらしい)

今ここでこれらのルートすべての妥当性や成り行きを確認する余裕は無いが、呈しておきたい疑問は、もし人間の場合も情報が20分の1に圧縮されてCDに溜まってるとしたら、そこを通して再びやってきた信号を、どう意識できるか、或いはどう海馬が対処するのか、だ。或いは、むしろ圧縮されて大きな1ブロックのメタデータのように変換されて扱われやすいものとなって戻ってくるのだろうか。例えば20個のシニフィアン連鎖が1つのシニフィエを表す何かへと変換されて・・とか。或いは、圧縮された情報は直接は解読できないが、これはどういうルートでか、自分の行動や外界への投影としてまず反映されて、間接的・事後的に意識や海馬の知りえる内容となって戻ってくるとか? 

ともかくいかにしてか、CDの内容が意識に知られ、意識が、他者との対話を通してさらに去勢を受けた論理を獲得し、それが鋭波に圧縮され、夜間の内に皮質=CDに入ってこれに新しい刻み込みを入れるなり修正を掛けるなりする、という循環がおこなうのだろう。「睡眠」はその為にある、と考えてみても良いかも知れないし、逆に、全てに宿るタナトスだかエントロピーだかを考えて、このCD自体が刻み込まれることを求めていて(ニューロン自体が網目のように成長する様に)、それを達成するには他者との対話が必要だから人を覚醒させる、覚醒はその為にある、と考えてみても良いかも知れない。

さて、そもそも、このようなことを考え始めた個人的な動機の一つは、早朝の夢にはその同じ睡眠の鋭波で圧縮された情報も介在しているのか、だったが、大脳皮質から何らかの信号が来ているのかは調べきれていない(ねずみの徐波睡眠中や休息中の鋭波は、海馬への入力層であるEC浅層ではなく海馬からCA1そしてECへの出力層であるCA3で作られるらしいから、少なくとも鋭波としてやってきはしない。又、これは徐波睡眠の話だからレム睡眠とは別)。早朝の夢は海馬だけで作られるか、或いは、そもそも夢は覚醒途上のものでもあろうから先ほど述べた4つのルート(@〜C)の内Bまでのルートのものが介在している可能性はあろう。後者とすると、前日までの去勢=差異化を内蔵した皮質の記憶=CD、がやって来ているとすると、それがまだ海馬内に残っていた記憶とか、覚醒しつつある世界・自己に対する海馬の反応に、ブレンドされて早朝の夢を作っていることも考えられる。ただし、夢見中は、実際の他者との対話は無いわけだから、朝の覚醒途上の夢が、翻って、再び鋭波を発生させるなどして情報を圧縮し大脳皮質の記憶=CDに刻み込みなり修正を加えるということはないだろう。前日に受けていた去勢的な情報がまだ海馬に置きわすられていた場合を除いて(だから、早朝ではない、夜中の夢の場合はそういうことはあり得よう)。

こういうことを考えると(多少、ここで述べた以外の別の思索も加えた部分もあるが)、更に次のような仮説や考察の主題が得られる。例えば、

・精神分析の解釈が、大脳皮質の記憶(CD)を書き換える効果を持つには、一夜は眠ることが必要ではないか。
・事故に在って、その夜に、その情景が反復されて眠れないのは、そうすることでどうにか情報を差異化し=去勢し、最も効率的な無理のない(今までの大脳皮質の記憶とも矛盾せず、弁証的になりえる)形で、鋭波に圧縮できるものにする準備ではないか。
・分裂病において、矛盾した論理が成り立ってしまうのは、矛盾した論理のまま鋭波に圧縮され大脳皮質に記憶された可能性があるのではないか。だからこそその後は、覚醒中も堂々と矛盾した論理を使え、また、それに動かされることになってしまうのではないか。ではどうして矛盾した論理のまま記憶され得たか。それは、何かの理由で無理に覚醒させられている時間が続き、耐えられずに寝てしまった。睡眠前の思考なり入眠時の夢なりがまともな論理に揃える余裕もないままに。・・ということなども考えうる。

No.822 - 2015/11/18(Wed) 15:15:34

回転対称性の回復がどう想起につながってくるのか? / 水上雅敏
『脳と心の量子論』(保江、治部、講談社)の237〜241pあたりを参照すると、

記憶の作られ方については

外界からの刺激⇒それが神経細胞に沿ってイオンや原子・分子の集団での電気的な分極が伝播し脳細胞のレベルまで入ってくる⇒その中で巨大な生体分子を分極させて大きな電気双極子の働きを生み出す⇒この大きな電気双極子が細胞骨格や細胞膜の近くに形作られると、そのすぐ近くの水の電気双極子は大きな電気双極子に同調するような向きに揃い、水の分子が電気双極子の回転対称性を自発的に破る凝集体になる。⇒この凝集体は件の生体分子の電気双極子が消失したのちもそのまま維持される(←フロイトの「記憶痕跡」に対応するか?:水上) :内的刺激も最終的に細胞骨格や細胞膜の中に作られる大きな電気双極子の形にまで変形されたのち、その近くの水の電気双極子の凝集体として安定に維持される。その維持されたものが記憶である。

想起については

再び似た刺激が伝播する⇒この水の電気双極子の凝集体のある部位の細胞骨格や細胞膜にも再び電気双極子が形作られる⇒その影響で凝集体にエネルギーが与えられることになる⇒南部・ゴールドストーン量子(ポラリトン)が生み出され凝集体の中を敗れた対称性を復旧する様に運動する。これが記憶の想起である。(記憶痕跡にリビドーを備給して表象として浮き上がらせる、あたりの件を思わせる:水上)

となるようだ。

全体的に分かり易い本だけど、この対称性(回転対称性)の復旧がなぜ想起になるのか、というところがよく分からない。

そもそもの回転対称性をよくわかってないところでの考えだが、回転対称性が復旧すると言うことは、一旦対称性の破れた凝集体として構造化されたものに、まだ構造化されていない穴=無をもたらし、再び、今入ってきている刺激との弁証的な関係の中で参照されるもの、となるからか? 或いは、−単に回転対称という語からの連想に過ぎないがーこの回転対称性が生じることは、構造化された凝集体と対称的な逆のものを生じさせることになって、一旦そういう逆の形において、過去のものが想起されることになるからか?(否定において無意識が意識化されてくる、というのも連想するが、まあそれはもっと後の段階での話だとは思うが、ちょっとそのような感じで)。

No.821 - 2015/10/15(Thu) 21:48:05

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