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記事No.853に関するスレッドです


現実に2分の1秒遅れた知覚意識の主観的時間は2分の1秒前倒しするように修正されるのが必要なのか / 水上雅敏
ベンジャミン・リベット(『マインドタイム』岩波書店)が言ったことを意訳すると、現実に対する我々の知覚意識は実際の現実の2分の1秒遅れている。が、主観的には、それを修正するように約2分の1秒戻して(厳密には、EPの位置まで戻して。(=EPとは誘発電位。現実の皮膚刺激が約30ms後に生じさせる一次体性感覚や皮質からの電気反応、頭皮用では正の反応))、実際の時間に合わせる、ということになろう。しかし、よく考えると、修正を考える必要があるのか? 修正など考えなくても、我々は全ての状況を一律に2分の1秒遅れて知覚意識している、それで十分ではないか。そう考えたのは、時計を突然見ると、秒針が普段より長くとどまっているように見えてしまう、という現象の説明がそのほうがシンプルにいくからだ(この現象には名前がついているらしいが、忘れた)。

例えば、突然時計が目に入り秒針が45秒を示していたとする。抜かしてしまったが、こういう突然の事はリアルタイムに近く知覚意識できるとまず考える。そうでないと、例えば突然出てきた車をよけられないだろう。2分の1秒遅れるのは、文脈から大体むしろ予期できる場合のものと云えるかも知れない(世界の知覚も大体そうだし、リベットの実験でも被験者はいつか刺激されること自体はわかってる)。時計に話を戻すと、だから、秒針が45秒を指している時間がいつもより約2分の1秒長い、ということになる(総計で1秒半ほど45秒のところに留まることになる)、とシンプルに言える。で、46秒目は、いつもどおり2分の1秒遅れて知覚意識される。ここで、わざわざさらに修正して、46秒目の主観的な知覚を実際の時間に近く戻すとすると、この現象が説明つかなくなる(また、現実にほぼ対応していた45秒目の知覚意識まで2分の1秒戻すのは非現実的)。また時計以外の現実環境だって、2分の1秒遅れて知覚しているとすれば(リベット的にはそうなる)、別に時計の知覚意識の主観時間だけを2分の1秒戻すのは逆に変だろう。

だがリベットが、この主観時間の修正を主張するのには根拠がある。それは皮膚刺激の知覚意識と、大脳の感覚皮質を直接刺激した場合の主観的時間に関したものである。感覚皮質の刺激は2分の1秒持続させて初めて主観的にその対応する身体部位に知覚意識が生じるのだが、その2分の1秒中のどこかで皮膚への直接刺激を与えると、感覚皮質の刺激による知覚意識以前にその知覚意識が生じると言うのだ。つまり、皮膚刺激も2分の1秒遅れて感じるなら、感覚皮質による知覚意識より遅れて意識されるはずなのに、だ。つまり、ここから、皮膚刺激の場合はまずは2分の1秒知覚意識が遅れるにしても、その主観的時間の位置は約2分の1秒戻されて、本来現実に皮膚刺激された時点のものへと修正されているというわけだ。

ここで、私とリベットの考えとをどう妥協させるか、と考えると、「いつその知覚意識を感じたか?」と内省させた場合のみ、主観時間が現実の刺激位置に近づけて(厳密には上記したEPの位置へと)修正される、と考えると良いだろう。そう考えると、聞かれた知覚意識以外の知覚意識(例えば、現実的には同時に起こっていた、皮膚刺激以外の刺激、例えば同時的にそこに有った風景などの知覚意識)とずれて、聞かれた知覚意識の時間だけ先行してしまわないか、と批判されそうだが、そんなことはない。「そこにあったその風景はいつみたの?」と聞かれたら、その瞬間にその風景の知覚意識の主観的時間も、約2分の1秒早めに修正されることになるだろうから(振り返って見てしまえば、その瞬間に位置がずれてしまう、とは、ちょっと量子を連想させる)。という具合に考え、内省させない場合は2分の1秒遅れたまま、と考えると上記の時計の問題に対する私の考えも温存されるだろう。

それにしても、振り返った場合、なぜ主観的時間が、EPの位置へと修正されるのか。EP自体は、実際の刺激後の30ms後などに起こるものだから、もちろんリアルタイムに主観されないものだが、これがそれまでのあれやこれやの知覚意識なり、知覚意識を生み出すはずの信号なりを、一旦払拭する(=リセットする)役割、いわば、無をもたらす役割を持っている、と考えるとどうだろう。一旦、払拭されて無しかないわけだから、その次に起きてきた知覚意識について、「それはいつ起きたの?」と主観時間を問われれば、その無の時点=EPの起きた時点へと、そのイベントの主観時間が引き戻されることになるのは必然ではないか? 対して、皮質への直接刺激は、EPは事実として生じず、それまでの何も払拭されず無が導入されないので(←このへんはまだ自信ないが。色々と別の考え方があるかとは思う)、主観時間の修正はおこらず、2分の1秒間刺激され続けてやっと知覚意識された時間そのままが知覚意識の主観時間として報告されることになる、ということなのではないか。

ところで最初こう書いた。

>例えば、突然時計が目に入り秒針が45秒を示していたとする。抜かしてしまったが、こういう突然の事はリアルタイムに近く知覚意識できるとまず考える。そうでないと、例えば突然出てきた車をよけられないだろう。2分の1秒遅れるのは、文脈から大体むしろ予期できる場合のものと云えるかも知れない(世界の知覚も大体そうだし、リベットの実験でも被験者はいつか刺激されること自体はわかってる)。

そしてこういう記事を見かけた。≪線条体ではコリン作動性介在ニューロン(CINs)と呼ばれる神経細胞がほぼ絶え間ない活動状態にあり、それが発火するたびにアセチルコリンと呼ばれる化学物質を放出します。 しかし、脳がびっくりするような音や外界からの予期せぬ刺激を受けるとCINsの活動は一時停止するのです≫https://research-er.jp/articles/view/70515

「2分の1秒遅れるのは、文脈から大体むしろ予期できる場合のものと云えるかも知れない」と私が書いた或る種、慣性的、マンネリ的な状況がCINsの活動し続けて居る時であり、秒針が長らく止まって見える現象の時は、これが一時停止している時といえないものか? また、EPの時はどうだろう、などと思った。

No.853 - 2018/05/18(Fri) 01:11:39