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<カフェ・フジタ>

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中野さん / 水上雅敏
>構造としてとらえた心的なものを再擬人化することになってしまうように思えます。

そうなんですよね。今のところ、欲望はS barre とは違うところからきて、見方によっては、S barre 自身が欲望しているように見えるかも知れないけど、実は、S barre 自身は何もできない案山子のような存在なのではというイメージを持っています。

レスありがとうございました。

No.606 - 2013/06/29(Sat) 04:45:06

水上さんへ / 中野雅哉
間違えちゃった。無限円転→無限遠点。
No.605 - 2013/06/28(Fri) 02:33:09

水上さんへ / 中野雅哉
>S barre <>aの解釈

やっぱり後者のほうがより正確なんじゃないでしょうか?想像界(図像的情報処理)と象徴界(言語的情報処理)に割って入られているから「空間、時間の無限円転」としてしか現実界は指示しえない、という構造。S barre自身が欲望を持っていると考えると、構造としてとらえた心的なものを再擬人化することになってしまうように思えます。

No.604 - 2013/06/28(Fri) 02:28:53

S barre <>aの解釈 / 水上雅敏
Sbarre<>aの解釈。Sbarreが対象aと一体になろうとするというように、S barre自身が欲望を持っているように解釈していいのか、あるいは、もともとはSaとして一体であり、実はSやa両者はRとして今でも一体であるのに、そこに象徴界が割ってはいったものだから、その位置から見ると、2つが分かれていて、2つが一体となろうとしている、と見えるだけか?
No.603 - 2013/06/26(Wed) 13:56:06

(No Subject) / 中野雅哉
藤田さんへ
なるへそ。いろいろ言い回しを変えて多方向から説明を試みるかあ。助かりました。なんか考えてみます。

水上さんへ
そんな大したものではないです。なんかいい語法を考えて、あとでここに書いてみようと思います。

No.602 - 2013/06/24(Mon) 21:29:30

対象aについて自問自答 / 水上雅敏
鏡像と言っても、まさに文字通り私の鏡の像における私の現実的身体とのズレ(そもそも左右反転からして)、と、たとえば母など欲望をそれ自体が持っている他者を鏡像とした場合の、その、私の現実的身体とのズレ、をどちらも同じ対象aと言っていいのかどうか・・・。たしかに、私の現実的身体の勝手な動きも、すでに他者の欲望が影響しているものだから、鏡に見える私の鏡像も、欲望をもった他者の像として、そのズレは他者の欲望の存在を示す対象aと言っていいのかもしれない・・・(?)。
No.601 - 2013/06/24(Mon) 17:14:34

残念 / 水上雅敏
藤田先生も完全には理解できなかったという、中野さんの発表お聞きしたかったですね。できれば、この掲示板で要点を披露していただくとありがたいです。
No.600 - 2013/06/24(Mon) 17:02:38

中野さんへ / 藤田博史
前回の発表は大変スリリングで興味深く拝聴しました。しかしながら物理的な時間が足らず、わたしとしては完全に理解できたとはいえません。ですから、近いうちにぜひもう一度前回の中野さんの主張をパラフレーズして新たな発表をお願いしたいと思います。お忙しいとは思いますが、どうぞご一考下さい。
No.599 - 2013/06/23(Sun) 14:07:55

初心に戻るぜ / 中野雅哉
この前の発表で言い足りなかったことです。
藤田さんのフェイバリット・フレーズ「精神分析は科学である」という命題はやはり不正確ではないでしょうか?精神分析的病理学の反証可能性の有無がどうとか、治療効果の二重盲検の不可能性がどうとかということではないです。そんなことは二次的なことで、むしろ、藤田理論と不整合ではないかということ。精神分析も科学も「直接的なものを間接的なもので扱うのではなく、(定義し得る)間接的なものだけを直接扱う」という方法のヴァリエーションであると考えたほうが整合的だと思います。そのほうが、フロイトに始まり、ラカンによるシニフィアンの導入に至って明確化された転回をさらに発展させることとしての藤田理論として豊饒なものになるとも思います。「精神分析は科学である」でも、「精神分析は科学のメタ理論である」でもない藤田理論。で、これは推測ですが、藤田さんも実はそのことをわかっていて、それが己の著作が広範に読まれる可能性を高めることに積極的でない理由のひとつなのではないでしょうか。
また、「精神分析は最大のジョークである」との言明は、「精神分析の考える治癒とは、分析主体の持つ任意の理論(症状)のメタ理論が必ず一つ以上成立可能なこと=分析主体をして『享楽を得る方法はこの症状ではなく、あの症状だ』(想像的去勢)や『享楽を得る方法はこの症状やあの症状だけだというわけではない』(象徴的去勢)という認識を産出せしめること、である」という意味でならわかります。不完全性定理への言及もこの意味でのみ理解可能です。逆にいえば、それ以外の意味ならば私にはわからない。傲慢かもしれませんが、上記の意味での精神分析や(量子論的精神分析を含む)藤田理論でないならば「私の考えていたものとは違う」というのが今の私のいちおうの結論です。
私は子供の頃、両親に「お百姓さんに悪いから米粒は絶対に残すな」と教わったので米粒を残さなかったのですが、今や当の両親が米粒をばりばり残していても気にならず、単に私が「お百姓さんに悪いから米粒は絶対に残さない」と思うので残さない。今そんな気分です。ではまた。

No.598 - 2013/06/19(Wed) 10:20:40

児童ポルノ法案に潜在する攻撃性 / 水上雅敏
「子どもを守る」という名目で、児童ポルノを所持しただけで処罰しようとする人々は、「クジラを守る」という名目で攻撃をしかけるシーシェパードに似ている。
No.597 - 2013/06/17(Mon) 03:30:06

藤田先生 / 水上雅敏
情報ありがとうございます。
感覚的な持続時間というのが面白いですね。

No.596 - 2013/06/17(Mon) 03:29:01

精神分析の料金 / 藤田博史
わたしの場合

予備面接=5,000円
精神分析セッション1回=5,000円〜10,000円

※セッションの時間を限定しないラカン学派の精神分析であることを予備面接で説明します。
※2回目以降の料金は予備面接の時に決定します。
※1回のセッションの感覚的な持続時間は30分です。

No.595 - 2013/06/16(Sun) 22:46:55

変動時間セッションと分析家と非分析者の主体 / 水上雅敏
やはり変動時間セッションは重要なことではないか、いわゆる「現実」の知覚で意識される時間というものを優先する、というのは、本人の主体や象徴界の進展を十分には重視してないことではないか、とあらためて感じます。結局、そうやって、現実の時間を優先してセッションを終えてしまう分析家は、非分析者からしても、いわゆる現実の擁護者、権化にすぎず、主体の無い存在としてしか考えられないのではないか、とも思います。と言って、まだ私は変動時間セッションを行っていないのですが・・。
No.594 - 2013/06/14(Fri) 03:42:06

料金 / 水上雅敏
いろいろ考えても結局、分析の料金を高めに(時々言われるように、生活に多少の余裕がなくなる程度に)設定することこそが、切迫感を比分析者に導きだすと言う意味で、正しいわけであり、そうしないまま、「どうにか技法を変えれば被分析者において分析を進展させえるのではないか」、・・とばかり考えているのは、私自身の、料金を上げることに対する防衛ではないか、と思わされる場合があります。あるいは、変動時間セッションで切迫感をひきだすというのもあると思いますが。

あからさまでなくとも、またあまり本人の意識にさえなくとも、他者の要求で分析に来るのではなく、自分の欲望で来るのだ、と、本人自身も意識し、私もわかるために、あるいは最初からスクリーニングをかけるためにも(←無駄な時間と労力を被分析者に負担させないためにも)「まあ、これくらい払ってカウンセリングでも受けておけば、わたしをここに差し向けた親(なり、他の人)を満足させてあげられるだろう」という気持ちでは支払えない程度には高額の料金を設定する、というのも必要なのではないか、と感じる場合もあったりします。

逆に高すぎるのは、高額なお布施を要求する新興宗教に似て、これだけのもの支払って特別なことをやっている私というナルシズムを強めたり、マゾヒズムを温存させ続けたりする可能性もあるかとも思います。

No.593 - 2013/06/14(Fri) 03:34:18

藤田さんへ 「Fujita theory revisited」 / 中野雅哉
なんかメールの出し方がよくわからないんで、ここで失礼します。
次回6/13の発表のタイトルは「Fujita theory revisited」でお願いします。

んで、予告編ですが、今夜はフロイトもラカンも忘れて、藤田理論からスタートすると世界はどう見えるか?というとてもファッキングレートな内容です。てなわけで6/13の夜は、全国津々浦々の暇で寂しがり屋の男性・女性・中性たちよ、世界を放浪中のノイラートの船、新宿クレマスターにハッピーカムカム(^O^)/

No.591 - 2013/06/08(Sat) 22:16:58

ホワイトノイズ凝視 / 水上雅敏
以下『眼球の中のマンダラ』(杉浦康平)(「叢書 文化の現在 2身体の宇宙性」に所収)から抜粋。:

「動き回るノイズパターンを凝視し続けていると、まず画面各所に、回転する小さな輪の群れが見え始める。円運動はすぐに画面いっぱいに広がり、ゆっくりと右左に旋回する多面体(奥行きを持つように見える)の動きの中に、溶解していく。奇妙なことに、瞬きをするたびに、旋回方向が変わる。注視し続けると回転に速度が加わり、再びノイズパターンの中に落下し、消えてゆく。この間わずか数秒〜数十秒。多面体生成は無限に続き、あきることがない。・・人の眼は、奇異な特性に満ちている。乱雑さの中に少しでも規則性が潜在すると、それを積極的に図として取り出し、構造化して見てとってゆく。逆に、規則的な図に微小なゴミが付着し構造が破壊されると、その要因をも易々と摘出してしまう。・・:

蛍の光の一群にシンクロを見ると言うのは、またメカニズムが違うか、実際にシンクロしているのだと思いますが・・。

No.590 - 2013/06/04(Tue) 23:48:58

どこで切り取って意味作用をかけるか 視覚版 / 水上雅敏
山口市の一の坂川では、ほたるの季節後半です。今年はなぜかいつになく数が多いです。基本ゲンジボタルだと思うのですが、どうも3、4メートル範囲内くらいが1グループとなってシンクロして光るのではないか(その外の蛍たちは、また別のグループ内で独自にシンクロとしていて)、と、ここ何年か感じていました。そう思ってさきほども眺めていたのですが、idさんの書き込みをふと思い出し、もしかしたら、自分が勝手にグループの境い目を作ってしまってシンクロしているように感じるだけで、他の人は少しずれたところでグループを区切ってそれがシンクロしているように感じているのかも知れないな、とか、実は、どこも全然シンクロしていないのかも知れない、・・などと考え始めていました。いまだによくわかりませんが・・・。
No.589 - 2013/06/04(Tue) 23:19:20

エーアイアイ〜撮ったのかよ / id
人はそれぞれ異なる音を聞いているということだな。

ttp://www.youtube.com/watch?v=myLpxK279HI

No.588 - 2013/06/02(Sun) 15:04:58

語りの最初の音素と名前 / 水上雅敏
分析中の語りにおいては、各文の出始めに、本人の名前の読みの音素を使うことが多い(名前がMasatoshi、ならm、s、t、shの発音で始まる言葉から文を始める)人もいたりするのではないか・・。希望的観測かも知れませんが。
No.587 - 2013/06/01(Sat) 15:57:44

夢解釈の必要十分な数は4? / 水上雅敏
『La méthode de lecture de l’un nœud』(ttp://jeanmichel.vappereau.free.fr/textes/noeud/chapitre2/chapitre2.html)の「肉屋の女房の夢」は4つの解釈ができる、というくだりの続きの部分の抜粋(かなり後半のa5 - Les quatre interprétations du rêve de “la belle bouchère”:あたり):

Comment par conséquent serrer de plus près le fait qu’un rêve est susceptible de quatre interprétations différentes qui sont chacune aussi justes et coordonnées entre elles, si ce n’est que de se saisir de ces coupures condensant la désorientation de la surface d’empan d’une chaîne faite de plusieurs ronds.

Quatre coupures valent pour trois ronds d’après notre algorithme et le petit calcul que nous venons d’indiquer.

La coupure, c’est ce que doit tracer l’interprétation du nœud qui n’a pas à être exhaustive, passer par toutes les zones; il lui suffit de résumer la désorientation en réorientant l’ensemble de la surface donnant leur sens aux zones de la partie non-nœud qu’elle ne traverse pas. :

le reveでなくてun reveとしている(1行目)ことからは、どんな夢に対しても、4つの解釈が必要十分と言うことでしょうか? 夢は3つの輪で出来ているということでしょうか?

では、ひとりの人の分析全体についても、最終的には4つの解釈に還元できるとか言うこともありえるのでしょうか。

その少し前に

:Dans le cas des chaînes, il y a donc plusieurs coupures. Si le nombre de ronds est noté r, le nombre de coloriage est (2^r) et le nombre de coupures est (2^(r–1)).:

と書いているところからすると、もし夢を作る輪が3つ以外でもありえるとすると、その輪の数をrとして、2の(r−1)乗の数の解釈がありえるのではないでしょうか?

そもそも著者(Vappereau)の言う輪とは何か、結びとは何か、がよくわかってないところでの疑問ですが、夢の解釈のあるべき数が法則的に導き出せる、とでも言っているようなところには興味深いものを感じます。(上記の文で言われているcoupure(解釈に相当する、あるいは、解釈が描くべき?coupure)をどう結び目なり輪なりに見出していくかの手続きはここに書くのは複雑なので、それは本文に託すことご了承ください。)

No.586 - 2013/06/01(Sat) 15:45:18

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