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<カフェ・フジタ>

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黄金比から作られた、音階、和音、そして音色 / 水上雅敏
より簡単な整数比をなす2音ほど協和している、というが、波動という現実界的なものにおいてスッキリした比が、それが耳の神経にとっても無理のない波の在り方だからと言っても、人の意識(つまりこれは、現実界と言うより、それを遡及的にどのようにか解釈する象徴界や想像界)にまで、快を感じさせる根拠にはならないのではないか・・。むしろ、人はまず、言葉を聞こうと欲望して、言語音をなす2つのフォルマント(異なる2つの波)のうなりをこそ聞こうとするが、それから排除されたその対極として協和音が事後的に浮かび上がってきて、それが何か人間的ではない、幾何学的なすっきりしたものとしての快を感じさせるのだろうか・・・とか、そんなことを番組を見つつ思っていました。

それはともかくなかなか面白い論文を発見しました(とはいえ、この掲示板でも昔言及したことあるものかも知れませんが。改めて読むと面白いです)。『黄金の音楽構想』(「音楽の建築」日詰明男に所収)。少し抜粋します20−21pp:

:図5に示した和音のグラデーション(協和から、より不協和となる音階のペアが並べられている表です:水上)は無限に展開され、より大きな素数が加わるたびに(→ドとソは2:3とかの、比を示すにおいてより大きな素数が必要となるごとに・・ということだと思いますが:水上)ユニークな和音は作られていく。全体として等級がます毎に協和音から不協和音へ推移する系列とみることができる。しかし比が自然数によるものである限り、ある意味でこの表の和音は全て協和音であると言える。なぜならオシロスコープで見ると、どの和音の合成波形も、有言の時間内に完全に同一の波形を繰り返すからだ。決して繰り返さない合成波形を作るには周波数比を無理数比にしなければならない。このような和音は本質的に不協和と言える。だが不協和音にもグレードがあって、中にはほとんど協和音と見分けのつかないものから、うなりを生ずるものまで、いろいろある。だがうなりさえも生じない究極の不協和音が一点存在し、これこそ周波数比が黄金比1:(1+√5)/2をなす2音である。
 言及したように、世界中のどの民族の音階もオクターヴの基準から出発しており、その間をどう分割するかの相違だけなのであった。「初めにオクターヴありき」である。つまり従来の音階は協和を前提としている。この事実を「人の魂は割り切れる調和を好むものだ」と即断してはならない。実態はむしろ「我々はいままでオクターヴを基準とするほかなかった。それしか選択肢がなかった」と言ったほうが正確だろう。我々の祖先は「協和」という観点からのみ、音の数直線からいくつかの未知の点を図として選び取った。何にでも言えることだが、”地として背景に追いやったところには、未知の有用な構造が無限にある”と我々は明記すべきである。今我々は、黄金比と言う最高の不協和音を基準にする可能性を知った。有史以来人類を束縛し続けたオクターヴから離れる自由を手にしている。:

・・と日詰氏は述べて、黄金比を使った音階、たとえば、そのべき乗を音階にしてみるなど試みています。さらにこの黄金比をつかった音階や和音には金属音がなじむようであるところから、逆に、シンセサイザーを使って、1:黄金比の1乗:2乗・・11乗の比をなす12個の正弦波を単純に重ね合わせると、抜けるような金属音が生まれたということをもとに、「ふつう音階と音色は別物と考えられているが、そうではなく、実は音色の中に既に音階が仕組まれているのだ。」と非常に興味深い結論を述べています。

こういう原理を利用したさまざまな突拍子もない音楽をだれか作ってほしいな、と思うとともに、「音色の中に音階が・・」という「質の中に形式が・・」、というあたりのことからは、何か、言語や精神分析を考えるうえでも参考になることがとりだせるようにも感じられるところです。

No.555 - 2013/02/21(Thu) 02:17:04

ピタゴラス / id
昨日からの音楽つながりで、今晩の参考テレビ番組
小説でもマンガでも映画でも、普通は1度の体験なのだけど、
音楽だけは何度でも反復して楽しめるし、反復が快感になる。
音楽だと一発屋でも一生飯が食えます。


チャンネル [NHK総合]
2013年2月15日(金) 午後10:00〜午後10:45(45分)
ジャンル ドキュメンタリー/教養>ドキュメンタリー全般
番組内容身近な題材を選び、数学を駆使してそこに潜む深遠な真理を探っていく知的エンターテインメント。数学と音楽の不思議な関係をドラマ仕立ての楽しい演出で解き明かす。
詳細身近な題材を選び、数学を駆使してそこに潜む深遠な真理を探っていく知的エンターテインメント。今回の題材は「音楽」。歴史上、音楽と数学は密接に関係してきた。そもそもドレミの「音階」は、古代ギリシャの数学者ピタゴラスが発見したものだった。ビートルズなど古今東西の名曲を数学的に検証してみると、さまざまな数学的な美しさが潜んでいた。斬新な映像とドラマ仕立ての楽しい演出で数学と音楽の不思議な関係を解き明かす。
出演者ほか【ゲスト】小堺一機,福田彩乃,【出演】谷原章介,釈由美子

No.554 - 2013/02/15(Fri) 16:00:01

意味不明の文字の夢にも自我の願望充足は託されているのか? / 水上雅敏
よく意味の分かりにくい文字の夢というのが、その夢見手の自我が、どこへ向かうのかわからない言葉の流れや謎など対象aへと開かれてきたことを示すのだろう、というところまでは分かるが、だからと言って、そういう文字の夢をなぜわざわざ見ないといけないのか、夢が願望充足とするなら、そこに何か自我にとっての利益があるはずだがどうなのか、という疑問が出てきます。そのへんは、新宮氏の『精神療法の経過中に出現する「文字」の夢心像について』(「夢と構造」弘文堂に所収)にも、はっきりは示されていないように思えます(間違っていれば申し訳ありません)。

フロイトのイルマの夢の最後に出現した、化学構造式も―それは意味が分からないわけではありませんが―とりあえず、そういう文字の夢として考えると、これに対するラカンの考察(セミネール2)は、以上の問題に対してヒントを与えてくれるように思えます。

読み間違えかもしれませんが、あえて言えば、イルマの夢の最後の化学構造式で表現された願望充足とは「今まで治療を禁じられていた人たちの治療へと私を促したのは私ではない。私は潔白だ。促してきたのは、私の無意識であり、私を超えて語るこのパロールだ。」という自分の潔白さの願望の充足ということになるように思えます。いわば、プロメテウス的試みをしたものの持つ罪悪感に対しての自己正当化ということのように思えます。ちなみに、そういう自己正当化をした分、それに対応・対抗するような、他者からの責めの感じを覚醒時に過剰に感じることはなかったのでしょうか・・。

全ての意味不明の文字の夢の背後に、それはこのパロールのせいなのだ、という自分の正当性の充足があるのか、それ以外の種類の何かの自我の願望充足がありえるのか、まだ考察不足なところですが、そういう視点からいつか新宮氏の事例を振り返ってみたいと思います。

上記述べた、ラカンの考察(セミネール2)の中核部分の抜粋は以下です
(セミネール2 『自我 上』 282〜283pp):

  :フロイトは・・気づきます。・・・それはこういうことです「私は、いままで人が理解しようとせず治療することも禁じてきたこれらの患者たちの治療にあえてとりかかってしまったことの許しを請うものである。私はそういうことの許しを請うものである。私は自分に罪はないことを願うものである。というのもそれまで人間の活動に課せられてきた限界を踏み越えることはつねに罪だったからである。私はそうではないことを望む。私の代わりにすべての他者がいる。私はそこでは、私が消え去ってしまうような真理の探究と言う広大で曖昧な運動の代表者でしかない。私はもはや何ものでもない。私の野心は私より大きい。おそらく注射器は汚れていたのだろう。そしてまさに私がそれを望みすぎていたがために、その行為にかかわっていたがために、私自身が創造者であろうとしていたがために、私は創造者ではない。創造者は私より大きい何ものかである。それは私の無意識であり、私において私を超えて語るこのパロールである」。これがこの夢の意味です。:
以上。

聖書のダニエル書にある、手が出てきて「Mene,Mene,Tekel,Parcin」と自動的に書いた、ということ(ラカンは「Mane, Thecel, Phares」と3つの言葉として述べていますが。上記の書、263p)についても、誰かの願望充足が関わっていないかいつか考えてみたいと思います。

ところで、では、「意味の分かり難い声あるいは音声(声かどうかわからないような)」というもので、この意味の分かり難い文字相応のものはないでしょうか? たしかに、何を言っているのかよくつかめない声というのを夢に見ることはありますが、それは、さらに意味の分かり難い文字をまだ隠している、防衛の強い段階のものでしかないのでしょうか? パロールつまり口に出しての語りが差異化を先導するものとすると、その位置と、現実界の間に挟まってくるのは必然的に文字(あるいは文字になりかけの線)だから、その先には現実界しかないような、そういう音声の夢はない、ということなのでしょうか?
しかし、自分のパロールのこういう連鎖を破って、外部から突然介入してくるような音声の夢というようなものもあってもいいようにも思うのですが。眠って、夢の中で、それまで起きたことを「読み取る」という行為をする場合は、どうしても、文字、というかたちがふさわしいということになるのでしょうか。眠り続けるという願望を守るためには、声を聴くという形ではなく(耳は、睡眠中も外に開いているのだから、外に対する警戒のために、聴覚的なものは残しておいて)、なるべく視覚的なものであらわそうということなのでしょうか? そして、もし現実界に近い音声が聞こえるとなると、それは、幻覚的なものであって、すぐに目をさまさせられるようなものになる、あるいは、驚愕夢的な、自分の叫びとなる、ということでしょうか?? 例えば、求聞持法で空海が感じたような轟や、ムンクの叫び(自然からの)、ヨハネの黙示録のところどころでうかがえる、ラッパの音、のようなものは幻覚でしかありえないことなのか・・。そう思って、ふと見ると、新宮氏の「夢と構造」123pには、夢の中で「読めない文字」をしばらく見た後、「誰かが大声を出した」とありました。やはり意味の分かりにくい声、というのも意味の分かりにくい文字と等価なものとして考えていいのか?? また、ラカンの当該の書281には、「ヒュドラが頭を失ったときに「誰のでもない声」が、問題になっていることの最後の言葉として、すべての言葉として、トリメチルアミンの化学式を出現させます」とあります。ヒュドラのこの声というのはよく知りませんが、何かヒントになるかも知れません。

No.553 - 2013/02/14(Thu) 22:06:36

ブレインマシーンインターフェイスにおける持続的な修正機能の必要性 / 水上雅敏
新しいシニフィアンが入るたびに、諸シニフィアン全体の編成は変化するのだから、ブレインマシーンインターフェイスも、常に修正をうけつけ続け得るように、設計しないと(あるものにたいする本人の反応の仕方の変化が常にフィードバックされるように、とか)、いつしか、本人の脳波とそれに対応しているものの対応がずれすぎて、本人の思い通りに働かなくなるときがくるのではないか?
No.552 - 2013/02/08(Fri) 15:43:08

エディプスコンプレクスの分割とスクールカウンセリングの問題 / 水上雅敏
学校と家とで、エディプスコンプレクスの関係が、さまざまな形で、解離されることが多いように思う。例えば、家で王様な子は、学校では奴隷となって、父の場を奪うことと父を上に立てることを解離させていたり。スクールカウンセラーの仕事の困難さはそういうところにもあるかもしれない。子供側からすると、学校側だけの人、という転移がおもになるだろうし。たとえ、スクールカウンセラーがそうではないようにしようとしたとしても、学校と言うたてものの内部にいるわけだし、また、事実、料金をとらないわけだし。やはり、料金もとらないと(できれば、やはり学校の内部にいるのではなく)、どうしてもエディプスコンプレクスの全体に触れえず、分析の残される部分が出てしまうことが多いのではないか、とも思う。その意味では、実のところ、最善の形は、学校にはスクールソーシャルワーカーがいて、外部のカウンセリング組織につなげる、ということのようにも思う。
No.551 - 2013/02/08(Fri) 13:43:58

利己的な現実界 真性粘菌変形体 / 水上雅敏
真性粘菌変形体を関東の立体地図の上に落とすと、最短距離で成長しようとして、それが、丁度関東の電車の路線図のようになったという話。人間の作った路線は、政治的な思惑なども影響して、最も合理的な粘菌のたどるはずのルートは違うものになるかと思うと、意外と合致した、とのこと。逆に考えると、政治的な思惑なども、結局は現実界の思うがままになっている、と言えそう。
No.550 - 2013/02/08(Fri) 13:26:12

空回り / 水上雅敏
人間の脳には、どのようにか、振り返る、あるいは、空回りする、という運動を起こす構造があって、言語によって、それが螺旋的に流しだされないと、ウロボロス的な円運動のまま自己対立をつづけ、自己破壊をきたすのではないか。言葉をかけられない子供は死んでしまうこととか、致死性緊張病の構造とかも、そういう視点から少し考えてみたい。

そもそも、言語自体も、からまわりで、互いが影響し合っていると思っていても、実は、空回りと空回りの交差の関係でしかないようなものだろうけど・・・。ただ、言語においては、その空回り性が、個人に対しては、隠され、「何か螺旋的に進展している」、という幻想を持たせてくれることが、またニューロンの進展にも寄与しているのではないか。

No.549 - 2013/02/08(Fri) 13:24:50

一なる線 / 水上雅敏
「なにこれ珍百景」で、紙を折って、ハサミで一つの直線を切るだけで、開くと、文字や、いくつかの文字の連続(「ネプチューン」でさえ)を作れる人が紹介されていた。例えば、「日」は、その中の、空白である2つの「口」がくりぬけるように、うまく紙を折って、ただひとつの直線を切るようにして作る、ということのよう。
No.548 - 2013/02/08(Fri) 03:37:41

言葉は最初からずれるための仮の手段? / 水上雅敏
言葉を学ぶのは、最初から同一化ではなく、母からずれるための手段(そして自らを無に向かわせるための手段)と考えてみる。ずれさせてくれないのなら、最初から言葉を学ぶ意欲もでないと考えてみる。

すると、クーイングも喃語も、むしろ母の発声しないような音や抑揚でこそなりたっているのではないか、という仮説も出てくる(母子の声のやりとりをビデオで見たことがあり、互いの抑揚がどうであったか記憶が定かでないけど確認してみたい)。

やがて、喃語ではまだ、母からのずれが不十分だと感じ始めて、むしろ言葉を学ぶことでさらに母からずれようとするという段階が来る。

さらに、母からずれる手段であった通常の言葉からもずれようとして、意味とシニフィアンのずれを遊ぶようになる。「犬はにゃんにゃん、猫はわんわん」など。あるいは、母がやってはいけないと言うことをあえてやったり、自らも、自分に「〜してはいけません」と言いつつ、あえてそれをやったりする。

さらに、そうしてシニフィアンの自由性を十分感じれるようになり、無や、自由性が、人生のより大きな局面に見うるようになると、そういう遊びさえ不要となり、通常に言葉を使えるようになる。・・・と考えてみる。

そう考えると、以前、「冷蔵庫をあけてはいけません!」と自ら言いつつ、冷蔵庫をあけて中のものを食べるのを繰り返していた自閉症の子がいたが、その行為は、シニフィアンの自由性を構成するためにあったのか? 同じ子は、「曲を聞き終わるとカセットテープを切りなさい」と親に言われていたものか、聞いた後つねにカセットテープを文字通り「切って(cut)」いて、当時は、私は本人の中で一義的に「切る=cut」となっているのかとも思ったが(その可能性が十分あるが)、実は、親の言う「切る」の意味とは違う「切る」をあえて演じることで、シニフィアンの自由性を遊んでいたのか? (あるいは私たちの「切cutってはいけない」に反する行為をすることでシニフィアンの自由性を遊んでいたのか)・・とも考えられそうでもある。

母からずれるための手段、無へと赴くための手段としての(母の出す音声や言葉とは違う)喃語や言葉を発することがことごとく蹂躙されてしまうことが、「父の名」の排除を助長するひとつの原因となるのだと思う。どういう対応をすればそうなるか? 何を言っても、母との同一化につかまってしまう、母は、母と違うことをさせてくれない、しようとしたらそれもどんどんまねされた、・・などというようなことか? どちらに行っても、母との同一化となってしまう、という状況を考えてみると、ダブルバインドという概念もすこし再評価して考えてもいいかな、とも思う。

ところで・・ラウ(自明性の喪失の)は、言葉を、同一化として学ぼうとし続けたのかも知れない。それは、自分の中で進もうとしてしまう母とのずれや、無に向かうための言葉、に対抗するために・・であったのか、あるいは、後者のそういう動きは当の最初からなかったのか(そういうことがありうるのだろうか?)・・はわからないが・・。

No.547 - 2013/02/07(Thu) 03:43:44

:巨大フジ隊員VSキングギドラ2 / id
サヨクとウヨクの驚くべき質的劣化は、次のまったく新しい風景が生まれる直前の断末魔の叫びなんだろうなぁ。その独特の時間を、直接的ではなく間接的に表現して定着させるのが、芸術家としての自分の仕事なんだろうなぁーーそんなことを最近考えてます。素材を提供してくださっている皆様ありがとう。
makotoaida 2013-02-04 00:03:20

『自分にとって都合のいい表現のみが「表現の自由」で認められるべき、というのが右と左での共通認識』ってのは以前から薄々感じてたけど、こうまで露骨に来るとウンザリする……
返信 iduru_kazumi 3 days ago 34

@takuyakanda 好き嫌いや評論といった表現の中身についてならデマや誹謗中傷を除いて何言ったっていいけど、「美術館に展示するな」は表現するなってことだから、表現の自由から考えれば許されない行為
返信 daken3gou 2 days ago 12

要するに前田朗とか中里見博は、表現の自由を守れといいつつ、実はその表現を自分の好みに限定して考えてる傾向がある。だからある表現は守るけどある表現は規制すべきみたいな矛盾を平気で抱え込むわけだ。しかもそれを正しいと思い込んでる。その正しい理由を説明できないけどw
返信 mametanuki22 3 days ago 21


ttp://togetter.com/li/449395

No.546 - 2013/02/06(Wed) 18:46:11

巨大フジ隊員VSキングギドラ / id
会田誠という人をまったく知らなかったのだが、ある日書店で画集をペラペラとめくっていたら「巨大フジ隊員VSキングギドラ」が目に止まりその怪しい魅力にはまってしまった。

森美術館での展覧会出典の「犬」シリーズ等について、市民団体からポルノであると展示中止せよとのクレームが付いているとのこと。
榊山さんに取り上げて欲しいテーマです。

永井豪のマンガ、バイオレンスジャックのスラムキングが同じコンセプトの人犬を飼っているのだが、会田誠の作品はオマージュなのだろうか。

こちらのページで議論が行われています。参考までに。
ttp://blogos.com/discussion/2013-01-30/Art/

No.545 - 2013/02/01(Fri) 14:19:47

知覚器官自体を操作するトップダウンプロセス、2重のトップダウンプロセス / 水上雅敏
知覚器官からの信号(現実界)に、大脳からのトップダウンプロセル(象徴界、想像界)が関わって、そこに知覚意識が生じてくると考えていて、最初の信号自身(のとりわけ器官に近いあたりの信号)には、トップダウンプロセスは関与できない、と考えていましたが、『音楽嗜好症』(早川書房)を読むと、そうとも言えないようで興味深い問題です。
最初は、トップダウンプロセスが知覚に影響しえたとしても、せいぜい、トップダウンプロセスがかかってきて知覚意識が生じる時点で、あるいはその直前くらいの知覚(いずれにしても、トップダウンプロセスの影響が波及することは考え得やすい大脳内の働き)には影響しても、それ以前の信号には影響を及ぼせないだろう、と思っていましたが。

当該の書185〜199ppでは、蝸牛の損傷、特に有毛細胞の損傷によってか(?)、ある音階が少しずれて聞こえるようになった音楽家ジェイコブは、意志の力でその知覚のひずみを修正できる、それは「顔にも花瓶にも見える図形を目にして花瓶を「見よう」とするようなもの」と述べた件が書かれています。

さらに抜粋すると、:
「ジェイコブは一つの音を集中力で引き留めたとき、そして、そればまた逃げてしまったとき、自分の知覚が変わると感じていた。ということは、たとえ1、2秒にしても、彼は実際に自分の蝸牛管を再調整できたのではないだろうか。・・・最近の研究によって、脳から蝸牛管へ、そして外有毛細胞へとつながる、遠心性の太い接続(オリーブ蝸牛束)が実証されたことで、その考えが裏付けられた。外有毛細胞はとくに内有毛細胞を調整、また、「調律」する役割を果たしていて、もっぱら遠心性の神経支配を受けている。つまり、神経インパルスを脳へ伝えるのではなく、脳から命令を受け取るのだ。」とあります。

以上。こう見ると、間接的にせよ、トップダウンプロセスが外有毛細胞を支配し、内有毛細胞―つまりは、外界の刺激を受け入れるまさにそのぎりぎりの領域―にも影響を与ええるようです。

その意味では、2重のトップダウンプロセスがある、とも言えるでしょうか。「聞きたいものを聞く」と言うとき、刺激は来てても一部を捨象して聞く、という場合もあるでしょうが、また、実際に刺激自体をシャットアウトして聞く、という場合もあるということになります。ちなみに、そういう器官レベルでのシャットアウトというのは、今のトップダウンプロセス(思考)以前にあったトップダウンプロセス(思考、あるいはそれらの総合)によって、行われているということに、多分、なるでしょう(でないと、まずは刺激を受け入れてしまう、ということになります)。となると、欲望(つまりは今までの思考の集積に欠如している穴)もそこにかかわっていることになります。知覚と欲望と、今のトップダウンプロセスの関係をここから考えるのも興味深いです。
また、敷衍すると、思考自体も、考えたくない思考はやって来ていても無視する、とするのみならず、考えたくない思考は最初から無しにする、ということも可能なのでしょうか?? 知覚器官とは話が違うからどうかわかりませんが、「父の名」の排除も、こういうことからも考えられるものかどうか・・。まだよく考えていませんが・・。

No.544 - 2013/01/22(Tue) 15:44:56

利己的なDNAと利己的な欲望と / 水上雅敏
本能がくずれていると言いつつ、人間は結局、子供を産み、子孫を存続させている。利己的なDNAに利用されている。しかし、逆に、言葉や欲望のほうこそ自らを存続させるためにDNAを利用しているようにも見える。しかし、どちらも目的論にひきずられた考えかも知れない・・。
No.543 - 2013/01/21(Mon) 16:11:55

いかに象徴界をひずませず社会に訴える?か / 水上雅敏
社会の不正や間違いを、自分の象徴界の流れを一時的にでも犠牲にせずに訴える方策はあるか? 結局、なおは、訴えつづける方向に自我同一性を見出したように思えるけど(その分は偏っているのかも知れない)。さっと訴えて、さっと自分に戻る、とすべきか? 「鳩のように従順に、蛇のようにさかしく」しつつ。あるいは、自分の象徴界の本流的な流れを大切にし、社会の不正は神や時が正してくれる、などと思いつつ流すべきか。それはそれで象徴界を多少なり自己抑制しているように思えるが、枝葉末節的で支流的な事柄に引っ掛けられるべきではないのかどうか。あるいは、そもそも訴えようとすること自体が、自分自身のヒステリーに(不満を見出そうとする構造)に由来しているだけなのか、そこに正当性が全くないのかどうか・・。

というような問題は今の体罰の問題とも通じてくる問題のようにも思えます。「体罰うけることは自分にとって修行として役立った」(確かに厳しい教師の下で、いろんな幻想を自己分析して象徴界を進展させる奇特な生徒もいましょう)、として皆がずっと黙り続けるばかりで、確かに体罰を恐れる緊張感が本当に役立ったとも感じているのかも知れず(実際は体罰でないほうが成長したかもしれないのに)、また、そのように言うことは謙虚な姿勢なのかも知れませんが、一方、そうする謙虚な生徒ばかりで、誰も訴える生徒が出てこないと、現状がずっと残り続けてしまう、ということにもなりますので・・。

No.542 - 2013/01/21(Mon) 15:47:53

外部からの圧力だけで解離しえるか? / 水上雅敏
出口なおの話に触発されて出た疑問。ある人のヒステリー性の解離が、どこまで外部の圧力に抗するための仕方のない手段であったのか、どこまで個人のエディプスコンプレクスへの固着のせいか、というもの。

この間にさまざまな段階が考えられると思いますが、代表的なものを挙げてみます。

@消去された主体S barreを守るための解離。例えば、このまま権力者に何も窮状と改革を訴えないと命が取られるが、個人として訴えるとそれ自体が命を危うくするから神の権威を使い神に憑依されたかたちをとり訴える場合。

A自分の象徴界を守るための解離。例は上の例に準ずるが、命を狙われるほどではなくても、言論弾圧などに対して、神の権威を使わないと抗しきれないとき。

B外部が特に圧力をかけないが、個人的なエディプスコンプレクスへの固着から、何かエディプスの欲望に触れる表象を見たときに禁止が働き解離するもの。

以上。要約すると@とAは象徴的連鎖を守るための解離。Bは象徴的連鎖を自ら抑圧するための解離。

考察や疑問を補足すると、まず@やAについて。権力者に訴えるひとつの手段として神の憑依を利用するとは言っても、手段と言う意図的なものであるぶん、どこまで本当に解離しえるのか(自分で自分を解離しようとしても、前者の自分が意識に残り不可能なのではないか。)に疑問はあります。ただ、外圧がどうしようもないほど強くて、意図的な手段といえるほど冷静でない状態から解離状態に入る、ということはあり得るかも知れません。しかし、本当に通常に去勢を受容できている個人にも、これがありえるかの疑問は残ります。あったとすればどういう構造のひずみによってか・・。外圧が象徴界の自然な進展と想像界の安定性を強く破るほどのものとして侵入するとともに、それへの怒り、訴えたい感情が優勢となって、一時に象徴的進展がそれに凌駕されて、訴えたいが訴えると殺されるという疑似エディプスコンプレクス構造へと入って、自ら訴えるのには禁止をかけて神の権威を使って訴えようとする・・ということであり得るか、あるいは、そこに以前のもともと残っていたエディプスコンプレクス(それが、誰にも残っている程度のであれ。つまり象徴界によって基本的に常に解消への道をたどり続けているエディプスコンプレクスであれ。)が圧縮されてこそそうなりうるか・・にも考察がまだ至っていません。このへんは、外傷性神経症が、個人的に特殊なエディプスコンプレクスの固着なしに、ただ危機的な事件との出会いのみでありえるか、の議論にも通じることかとも思います。ちなみに、解離でないにしろ、他の神経症症状でも同じような問題を問える場合があるように思えます(たとえば、言論統制に対するハンガーストライキにも思える場合の拒食症など)。

Bを別に分けましたが、なぜエディプスコンプレクスへの固着が起きたかというと、その最初の時点では、子供にとっては@やAと等価と感じられる危機が外部から行われたのかもしれない―実は全てそういう場合かも?個々人に敏感さの違いはあれ・・―(その危機感を感じさせたのが必ず外部からの言葉であるべきか、外傷的な事件のみでもありえるのかはよくわかりませんが。ただ事件にしろ、むしろそこで事件をきちんと説明する在るべき言葉がなかったから、という意味で、問題を「言葉」の領域に収斂することもできるかもしれませんが)ということも補足しておきたく思います。

で、出口なおに戻れば、彼女の解離はどこに位置するか・・。社会への訴えというのは、実は個人的な家族的なエディプスコンプレクスの置き換えであって、本当は後者のほうの問題がより大きかったのだととることもできるかも知れません。そもそもの最初の神がかりも、お告げは、発狂した長女について、五女に対して「西町(長女の嫁ぎ先)に行って36体の燈明を供えて『ご祈念せい』と言うて来て下され」という家族的なものであったし(ただ、これをなぜ解離で言わないといけないか―そんなにまずい言葉でもないと思えるが―、どうエディプスコンプレクスがかかわっているのかは、家族背景がわからずよくわかりませんが)。しかし、やはり、一次的に@、Aに動機づけられたものであるのかも知れず、これはよくわかりません。上記のお告げにしろ、社会への訴えがどのようにか一次的にからんでいるのかも知れません。

No.541 - 2013/01/21(Mon) 14:58:46

感想 2 / 水上雅敏
王仁三郎を、なおはどう思っていたのだろうか、苦々しく感じるところはなかったか、というのもTVを見ての感想です。

TVでは、王仁三郎は、日本の正当な神道の教育も受けていて、また、天皇のもとでの平等な人々という世界観を作ったとの旨ありました。想像的命名中心に生きた人というところでしょうか。

なお自身は、艮の金神という、むしろ恐れられていた、いわば世間からはアブジェクとされていた悪神(信仰していた人も結構いたようですが)をこそ神にしたというところからして、王仁三郎のこの世の天皇中心の世界観などというものは世間に妥協的で、よほど俗っぽく思えはしなかったかどうか。さらに、国には対抗的であったなおからすると、国家主義にもつながる王仁三郎の思想には同意しがたいところはなかったのか?

今、ふと思ったこと。出口なお、という名自体の作用は? 出口→金神なり、世間に隠れた声の出口となる・・??。勘ぐりすぎ? また、(以下ウィキペディア)なおについて「折からの天保の大飢饉のため両親は減児を相談したが、気難しい姑が断固反対し生を得ることが出来た」とありますが、そういう意味では、アブジェクトされた艮の金神との同一化がここに用意されていたようにも思えます。

No.540 - 2013/01/10(Thu) 04:46:01

(No Subject) / 水上雅敏
>できれば普遍宗教を、一度身体に入れておいた方がいいかもしれません。

普遍宗教の定義にもよりましょうが、どうなのでしょうか。言葉があれば、教えなくても、論理的に考えられ、すべてを疑え、思考を弁証化しつづけえましょうが、そういう象徴的去勢への動き、言葉の自然な動きを子供に許す、ということそのものがここでの普遍宗教の定義であれば同意です。そういう意味では、わざわざ宗教の名を出す必要もない普遍宗教ということですが(逆に自分を普遍宗教と言っている普遍宗教ほどあやしいということにもなりかねません)・・。ドルト的な聖書の参照の仕方、というところまでいけばよいのですが。そうでなければ、普遍宗教と名付けられたものの信仰の場合、多分に想像的命名という補填に終わってしまう可能性もあるのが問題のように思えます。

No.539 - 2013/01/10(Thu) 04:43:25

(No Subject) / 榊山裕子
>早めに、
幼少期に、という意味です。

No.538 - 2013/01/09(Wed) 16:00:21

神の名 / 榊山裕子
>神の名のもとで訴えられたら

そういう意味では、早めに、できれば普遍宗教を、一度身体に入れておいた方がいいかもしれません。
予防注射みたいなものでしょうか。

No.537 - 2013/01/09(Wed) 15:31:37

日本人は何を考えてきたのか / 榊山裕子
NHK 「出口なお・王仁三郎」
残念ながら、見逃しましたが面白そうなシリーズですね。
次回は更にすごい。
是非見ないと。

1月13日(日)午後10時〜11時30分
第10回 昭和維新の指導者たち 〜北一輝と大川周明〜

No.536 - 2013/01/09(Wed) 14:41:00

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