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<カフェ・フジタ>

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大脳皮質の記憶の差異化次元の高めあげは睡眠中のみに行われる? / 水上雅敏
大脳皮質への記憶の刻み込み(より差異化の次元を上げるような記憶)やその修正は睡眠中(や、せいぜい在っても休息中の)の鋭波が出る時にしか行われないと考えられないか?

そう考えたくなるのは、睡眠中(や休息中)の鋭波に圧縮された情報が大脳皮質にはいるとして(ねずみだとそのよう)、圧縮されもしない覚醒中の情報が同じところに入ると混乱きたすと思われるから。

『脳は物理学をいかに創るのか』(武田暁243−245pp 岩波書店)での以下の見解(私の要約)もそれを支持するように思われる。:ねずみの場合だが、鋭波は休息や睡眠中のみに出るが、ここには情報がおよそ20分の1に圧縮される。この鋭波はCA3で形成され、CA1からEC深層へ伝播する。更に大脳皮質ニューロンも活性化させ記憶を皮質に埋め込む。対して、覚醒時の探索行動中には海馬からの出力層であるEC深層のニューロン群は余り活性化しない。

つまり探索行動中には、EC深層から大脳皮質へのルートのスイッチは切られているように見えるわけである。

人間に話を持ってくると、むろん、大脳皮質のニューロンの形成は覚醒中も行われてるだろうが、それは、差異化の次元を上げていないレベルで、覚醒中に出会う現象と今までの記憶の関係をもっとも節約的に整理しようとしている試行錯誤レベルのものだと考えられるわけである。

つまり今の、覚醒中に得た、より去勢の次元=差異化の次元、を高め挙げるはずの言葉の影響は、その当日の覚醒中には、大脳皮質には伝わらない。伝わるには1回、休息なり、眠ること(そして鋭波を出すこと)が必要、と考えるわけである。むろん人間の場合も、そもそも鋭波に情報が圧縮されていることが証明されているか、はよく知らないが、とりあえずそう考えた上での見解である。

とりあえずそうであるとして、大脳皮質の最も根本的な記憶をCDへの刻み込みとして比喩すると、その刻み込みの修正や、新規な刻み込みは、睡眠中に行われるという話になる。

あえてこのメリットを考えるならば、覚醒中は、その日の思考の座標軸(その日の覚醒時までに皮質に刻み込まれた記憶)は混乱させないようにしておく、というのがあるかも知れない。座標軸までぶれると思考が安定しないだろうから(とりあえず固定させたユークリッド的座標の上で思考する、という感じ)。


そういう座標軸と言うかたちで、記憶は単に皮質に蓄えられるだけでなく覚醒生活の思考に影響しているかも、とは言える(ともかく全く影響しないなら記憶する意義がないだろう)。

だとして、ではそれはどういうルートでか。いくつか仮説化できる。

@皮質自身の方から信号などが送られてくる
AECや海馬側の方から、いわばCDに光を照射するように信号を向け、そこから信号として反射されるフィードバックにおいて皮質の情報を得る
B皮質が直接的に(?)無意識の行動を我々に引き起こしたり、外界に対する知覚を供給する(いわゆる投影する)ことによって、いわば、一旦いわゆる外界を経由してその内容を二次的に海馬に伝える。
C Bの下位分類だが、朝までに大脳に蓄えられた、新しく、より高い次元の差異化は、他者との対話のやりとりによって初めて気づかれる(=話してみて、自分の言葉の失錯から自分の無意識内容に気づけたり、とか)。

ここで前掲書243pを見るとこうある:(ねずみの)≪探索行動中は情報は皮質から海馬へ入力するが、その際に海馬への入力層であるEC表層のニューロン群は強く活性化し、海馬からの出力層であるEC深層のニューロン群はあまり活性化しない。≫

これからすると、@がまず妥当そうだが、「海馬からの出力層であるEC深層のニューロン群は”あまり”活性化しない」からすると多少の活性化も見られるわけだから、Aの加わっている可能性も捨てきれない(ちなみに、もしかしたら、これが分裂病等の、自分の思考を反響させて、幻聴として受け取ってしまう構造だろうか・・。しかしCD=大脳皮質の記憶まで奥まったところに光の照射をするというよりは、もっと一時的に記憶を貯める、サブCDのようなものがECあるいは海馬内にあるとしたら、そこに対する照射とフィードバックを幻聴の直接原因と考えてみる可能性もあるかも。まあ無論こういう、むしろCDの破壊行為―つまり記憶して弁証的に思考を進めようとする普通の思考構造の破壊―こそを幻聴の構造と考えるほうがあたっていようが)。

しかし@だとすると、CD(皮質に刻まれた記憶)が直接エネルギーを発して自己の情報を海馬に伝えてくるわけだろうか? CDとしてはそれに何のメリットがあって?・・という疑問や、CDがエネルギーを自己発生させるのは大変だろう・・ との思いが湧くが、とりあえず妥当そうなのは、知覚器官から来た信号がここを経由して海馬に流れ込んでくると考えることだろう。この類のルートとしてはいくつか考えられそうだ。

a)知覚器官から大脳、そしてこのCDを経由して海馬に信号がやってくる(どうCDの刻み込みを引き連れてくるかも問題だがここでは保留)。
b)知覚器官から大脳、そしてCDを経由せず海馬に信号がやってくる。
c)上記二者に類似するが、最後は海馬に信号を送らず、我々を直接動かす(運動神経を直接刺激したり、どこかの知覚神経に再入力したりする)。(ただし『意識の脳内表現』培風館、デヴィッド・ローズ、p371によると全ては海馬とECの複合体を通るらしい)

今ここでこれらのルートすべての妥当性や成り行きを確認する余裕は無いが、呈しておきたい疑問は、もし人間の場合も情報が20分の1に圧縮されてCDに溜まってるとしたら、そこを通して再びやってきた信号を、どう意識できるか、或いはどう海馬が対処するのか、だ。或いは、むしろ圧縮されて大きな1ブロックのメタデータのように変換されて扱われやすいものとなって戻ってくるのだろうか。例えば20個のシニフィアン連鎖が1つのシニフィエを表す何かへと変換されて・・とか。或いは、圧縮された情報は直接は解読できないが、これはどういうルートでか、自分の行動や外界への投影としてまず反映されて、間接的・事後的に意識や海馬の知りえる内容となって戻ってくるとか? 

ともかくいかにしてか、CDの内容が意識に知られ、意識が、他者との対話を通してさらに去勢を受けた論理を獲得し、それが鋭波に圧縮され、夜間の内に皮質=CDに入ってこれに新しい刻み込みを入れるなり修正を掛けるなりする、という循環がおこなうのだろう。「睡眠」はその為にある、と考えてみても良いかも知れないし、逆に、全てに宿るタナトスだかエントロピーだかを考えて、このCD自体が刻み込まれることを求めていて(ニューロン自体が網目のように成長する様に)、それを達成するには他者との対話が必要だから人を覚醒させる、覚醒はその為にある、と考えてみても良いかも知れない。

さて、そもそも、このようなことを考え始めた個人的な動機の一つは、早朝の夢にはその同じ睡眠の鋭波で圧縮された情報も介在しているのか、だったが、大脳皮質から何らかの信号が来ているのかは調べきれていない(ねずみの徐波睡眠中や休息中の鋭波は、海馬への入力層であるEC浅層ではなく海馬からCA1そしてECへの出力層であるCA3で作られるらしいから、少なくとも鋭波としてやってきはしない。又、これは徐波睡眠の話だからレム睡眠とは別)。早朝の夢は海馬だけで作られるか、或いは、そもそも夢は覚醒途上のものでもあろうから先ほど述べた4つのルート(@〜C)の内Bまでのルートのものが介在している可能性はあろう。後者とすると、前日までの去勢=差異化を内蔵した皮質の記憶=CD、がやって来ているとすると、それがまだ海馬内に残っていた記憶とか、覚醒しつつある世界・自己に対する海馬の反応に、ブレンドされて早朝の夢を作っていることも考えられる。ただし、夢見中は、実際の他者との対話は無いわけだから、朝の覚醒途上の夢が、翻って、再び鋭波を発生させるなどして情報を圧縮し大脳皮質の記憶=CDに刻み込みなり修正を加えるということはないだろう。前日に受けていた去勢的な情報がまだ海馬に置きわすられていた場合を除いて(だから、早朝ではない、夜中の夢の場合はそういうことはあり得よう)。

こういうことを考えると(多少、ここで述べた以外の別の思索も加えた部分もあるが)、更に次のような仮説や考察の主題が得られる。例えば、

・精神分析の解釈が、大脳皮質の記憶(CD)を書き換える効果を持つには、一夜は眠ることが必要ではないか。
・事故に在って、その夜に、その情景が反復されて眠れないのは、そうすることでどうにか情報を差異化し=去勢し、最も効率的な無理のない(今までの大脳皮質の記憶とも矛盾せず、弁証的になりえる)形で、鋭波に圧縮できるものにする準備ではないか。
・分裂病において、矛盾した論理が成り立ってしまうのは、矛盾した論理のまま鋭波に圧縮され大脳皮質に記憶された可能性があるのではないか。だからこそその後は、覚醒中も堂々と矛盾した論理を使え、また、それに動かされることになってしまうのではないか。ではどうして矛盾した論理のまま記憶され得たか。それは、何かの理由で無理に覚醒させられている時間が続き、耐えられずに寝てしまった。睡眠前の思考なり入眠時の夢なりがまともな論理に揃える余裕もないままに。・・ということなども考えうる。

No.822 - 2015/11/18(Wed) 15:15:34

回転対称性の回復がどう想起につながってくるのか? / 水上雅敏
『脳と心の量子論』(保江、治部、講談社)の237〜241pあたりを参照すると、

記憶の作られ方については

外界からの刺激⇒それが神経細胞に沿ってイオンや原子・分子の集団での電気的な分極が伝播し脳細胞のレベルまで入ってくる⇒その中で巨大な生体分子を分極させて大きな電気双極子の働きを生み出す⇒この大きな電気双極子が細胞骨格や細胞膜の近くに形作られると、そのすぐ近くの水の電気双極子は大きな電気双極子に同調するような向きに揃い、水の分子が電気双極子の回転対称性を自発的に破る凝集体になる。⇒この凝集体は件の生体分子の電気双極子が消失したのちもそのまま維持される(←フロイトの「記憶痕跡」に対応するか?:水上) :内的刺激も最終的に細胞骨格や細胞膜の中に作られる大きな電気双極子の形にまで変形されたのち、その近くの水の電気双極子の凝集体として安定に維持される。その維持されたものが記憶である。

想起については

再び似た刺激が伝播する⇒この水の電気双極子の凝集体のある部位の細胞骨格や細胞膜にも再び電気双極子が形作られる⇒その影響で凝集体にエネルギーが与えられることになる⇒南部・ゴールドストーン量子(ポラリトン)が生み出され凝集体の中を敗れた対称性を復旧する様に運動する。これが記憶の想起である。(記憶痕跡にリビドーを備給して表象として浮き上がらせる、あたりの件を思わせる:水上)

となるようだ。

全体的に分かり易い本だけど、この対称性(回転対称性)の復旧がなぜ想起になるのか、というところがよく分からない。

そもそもの回転対称性をよくわかってないところでの考えだが、回転対称性が復旧すると言うことは、一旦対称性の破れた凝集体として構造化されたものに、まだ構造化されていない穴=無をもたらし、再び、今入ってきている刺激との弁証的な関係の中で参照されるもの、となるからか? 或いは、−単に回転対称という語からの連想に過ぎないがーこの回転対称性が生じることは、構造化された凝集体と対称的な逆のものを生じさせることになって、一旦そういう逆の形において、過去のものが想起されることになるからか?(否定において無意識が意識化されてくる、というのも連想するが、まあそれはもっと後の段階での話だとは思うが、ちょっとそのような感じで)。

No.821 - 2015/10/15(Thu) 21:48:05

藤田先生 / 水上雅敏
>ですから0〜50分の間で、どこでも切ることができる分析だと規定すべきでしょう。

ああ面白いですね。この言葉だけでもいろいろ思考が動かされます。ぜひお伺いできればと思いますが、まだ、日時が上手く設定できません。その時はどうぞよろしくお願いいたします。

No.820 - 2015/09/06(Sun) 16:49:27

水上さんへ / 藤田博史
変動時間というよりも、物理的時間に拘束されない精神分析と考えるべきだと思います。ですから0〜50分の間で、どこでも切ることができる分析だと規定すべきでしょう。どこで切るかは、経験とコツがあります。機会があればフジタゼミでそのコツについてお話しできればと思っています。
No.819 - 2015/09/06(Sun) 14:05:28

中野さんへ / 藤田博史
海馬のCA2に関する公式な知見は、和光の理化学研究所の利根川進グループがスキゾフレニアの脳科学的な異常の座として指摘したと記憶しております。実はそこから遡ること数ヶ月前に、わたしはセミネールでCA2の異常とスキゾフレニアの関係について触れていたんです。特にここ数年、わたしは海馬を中心とする閉鎖回路を、ホログラフィック原理に依拠して、平面情報を時空化させる積分回路として注目しており、出版物とネット上の膨大な脳科学の知見を参照しながら思索を重ねた結果、海馬のCA2に時空化機能の異常があるに違いないという確信を得て、日仏会館でおこなっているセミネールでお話をしたのでした。ですからその時に理研のスパイがいたのかな、なんてその後のセミネールでぼやいたりしました(笑)
No.818 - 2015/09/06(Sun) 14:02:23

いかに差異が記憶されるか? / 水上雅敏
発声の弁証的対立の進展(いわゆる音声言語)も、弁証的でありうるにはそれまでの対立項が記憶されてる必要があるだろう、その為には対立交換の隙間に、別の知覚意識が交叉し、これが、前者の後を追うかたちで、体系化し(すなわち、この知覚意識の要素も互いに差異化されて)、後者が前者の弁証的進展の痕跡を支え続けておく必要があるだろう。後者が体系化するには、最初のその要素=音声対立項にさしはさまった知覚意識、が消失しない内に(←ということで必然的に外部に残存するものとして現れる視覚意識が最もふさわしいものとして選ばれるだろう)次の音声対立がやってきて、そこにまた、別の視覚意識の要素がその対立項の隙間に入ってきて、最初の視覚意識の要素と差異化される必要があるだろう。・・などということを考えていると、「足が沈む前に次の足を出す」水の上の歩き方が連想された。まあ、歩行が発声の弁証的な対立の進展、水がその間に介在してくる視覚意識というわけである。この足の出し方に、ナントカの法則、という名前でもないものか、と思い「足が沈む前に次の足を出す」で検索してみると面白い記事に出会った。

http://ja.uncyclopedia.info/…/%E7%89%87%E6%96%B9%E3%81%AE%E…

抜粋すると《片方の足が沈む前にもう片方の足を前に出せば水の上を走れる理論(英:Kaioh Retsu Theory)とは、1911年に英国の死刑囚ヘクター・ドイルが提唱した、量子力学における観測問題の観点から「人間は水上を歩行することが可能である」ことを確定する理論である。本項では以下二人だとさすがに沈む理論と略称する。》

《 量子力学的な『観測』に則れば、人間が水に沈むという現象は『足』が水に沈みゆくことを人間が観測した瞬間に、水面上の人間の状態を演算する波動関数が『沈む』という状態に収束して初めて発生するもの、すなわち水と人間の相関関係によって成り立つ事象であると言える。逆に捉えれば、沈みゆく足を人間が観測していない時点では、『沈む』という現象は決して起こりえないということである。しかしながら、人間の認識能力は非常に脆弱なものであり、その認識される『現実』なるものは錯覚・誤認・思い込み、あるいは政治的判断によってしばしば『事実』とは異なる形状へと歪められ、あたかもその歪みこそが事実であるかのように扱われる。二人だとさすがに沈む理論は、こうした人間の観測者としての脆弱性を逆説的に応用し、沈むという現象を観測させないことで『沈む』現象を確立する波動関数の収縮を人為的に抑止する物理制動技術の基礎理論である。 》

《観測問題によれば、人間が水上を歩行できないのは水面下に足が沈むことによって次の一歩、すなわち推進力が得られないためである。この問題を解決する方法は非常にシンプルで、例えば左足から水面に踏み込んだ場合は、左足が水中に沈む前に右足を踏み出せば良い。これにより『沈む』という現象の観測対象が右足へと移行し、左足の『沈む』現象は観測されなくなる》

《この理論は、『沈む』という概念を存続させつつそれを実現させないという点において、アルゴリズムイメージ推進法(純粋数学で周囲の空間の物理法則を書き換えることで推進する)やエヴェレットの多世界解釈に基づく平行世界規程(「人間が水に沈む世界」と「沈まない世界」が発生すると考え、歩行者を「沈まない世界」へと移行させることで水上歩行を可能とする概念)といった、沈降そのものを否定する理論とは根本的に異なる。》

⇒収束させないことが沈まない為に重要、というのには共感するところがある。沈まない間は、不決定に思考を試行錯誤できている時間(より還元された現象を言えば、attention blink の、2分の1秒程度の時間)に相当するだろうか。収束とはこの試行錯誤の断絶であり、ーその次にすぐに次の試行錯誤が起こってくるではあろうがその構造的直前のー享楽に相当するだろうか。

No.817 - 2015/09/06(Sun) 07:21:26

CA2 / 水上雅敏
中野さん。本ではないですが、hyppocampus CA2 でググると幾つか出てきます。まあ、余り研究されてなかったことはたしかみたいですが。

たとえば以下など。
http://learnmem.cshlp.org/content/19/9/391.full

なんだか迂遠に思えるし、ややこしいので途中飛ばして読んでしまいましたが。記憶に残ってるのは以下ぐらいです:In our view, SC synapses in CA2 may resist induction of canonical activity-dependent LTP in order to incorporate a number of atypical signaling molecules and modulatory systems required for optimal sensory and mnemonic processing by the hippocampus.

まあ、色々、他CA1やCA3などとの繋がり方から、色々勝手に機能を推察してみる叩き台にはなる論文かも知れません。形態から機能を推察する、・・というような新しい学問領域でも設立してみようかな・・

No.816 - 2015/08/20(Thu) 15:27:19

変動時間セッション / 水上雅敏
藤田先生、暫く訪問してなかったので、折角書き込みいただいたのに気が付きませんでした。ありがとうございます。

>そうすれば、どこで切ればアナリザンを不満足なまま返すことができるのかが分かるようになります。

私の相談室では待合室が無い、という構造上、変動時間セッションがしがたい(短時間なら良いが長引いた場合に次のクライエントのいる場が無い)という、非常に俗っぽい理由から変動時間が行えてなく、否応なくアメリカ式に50分で行ってきました。だからここできれば一番不満足に帰せるだろうな、と思うポイントがあったとしても、時間が余った場合は、いや、更に何らかの解釈を継いだり自由連想続けてもらっておけば、もっと不満足なポイントがやってくるかも知れない、などとも思って50分ついやす、となっているのが正直なところです。分析主体に、何か無理をさせているのかもわかりません。また、その1セッションではそれ以上語ってもどうしてもそれ以上には行けない不満足の段階というのが原理的に在るのかもしれません。原理的にあるとしたら、これはやはり変動時間の方でやるべき、と言うことになりそうですね。

No.815 - 2015/08/20(Thu) 14:42:08

質問 / 中野雅哉 [関東]
藤田さん、いくら調べても海馬CA2層の機能について書かれてる本が見当たりません(新しすぎる知見だから?)。
どうやって調べればいいですか?

No.814 - 2015/08/09(Sun) 23:06:40

ラカンにおける分析時間の長さの問題について / 藤田博史 [関東]
分析の時間的な長さについては、物理的な時間ではなく心的な時間のことであることは、ラカンのことを少しでも学んだことのある人なら知っているはずです。つまり、分析の場面では、異なる時間の「レイヤー」が進行しているわけですね。アナリザンの時間のレイヤーを受け取るために必要なのが「差別無く平等に漂わせる注意」というわけです。アナリザンの時間のレイヤーにアナリストの時間のレイヤーを「同期させる」こと、が精神分析の極意の一つです。そうすれば、どこで切ればアナリザンを不満足なまま返すことができるのかが分かるようになります。わたしはそのように考えています。
No.813 - 2015/07/25(Sat) 00:56:58

変動時間セッションの問題 本当にそこが最善の切断ポイントだったのか? / 水上雅敏
いわゆる変動時間セッションとして、そこでセッションを切断するのが本当に最善なのか。

それは適切な解釈を見いだせなかった分析家の行動化だったのではないか。更に解釈を継ぐなり、自由連想を促すなりして、50分十分使ったほうがよくなかったか? という疑問はつねに付きまとい続ける。実際に、ここで切断したほうが絶対に良い、というポイントはあるのだろうか? しかし、それが絶対に無い、とも言いきれない。

そう思うのは、中井久夫氏であったか、絵画療法などで何日かにわたって絵を描かせた場合、絵が平凡になるのがやめ時だとか、本人も描く気をみせなくなる、など述べていたり、自験例でも、最初と最後の絵が似ていて(最後の方はよりエラボレートされた印象―無がより象徴化されてあるという印象―で)、ああ一周回って象徴化次元を一段階高めたのだな、一つの新しい文を心の中で構成したんだろうな、と思わせる過程があったりもするから。つまり、これを一つのセッションへと移し替えて考えると、これ以上同じセッションの中で時間を費やさせても、冗長になるだけだろうと思われるポイントも無きにしもあらず、と思われるから。

でもどうなのかまだ分からない。

No.812 - 2015/07/24(Fri) 02:29:58

Cafe Foujita の再活性化について / 藤田博史 [関東]
わたし自身、長期間にわたって書き込みしていませんでしたが、今後は「カフェ・フジタ」も活性化しようと考えています。どんな話題でも構いませんので,自由に書き込んで下さい。ただし、客観的に見て不適切なものが見受けられた場合は管理者の権限で削除させていただくことがありますのでご承知おき下さい。

2015年6月27日
Cafe Foujita 管理人 藤田博史

No.811 - 2015/06/27(Sat) 17:00:07

虚数の光、エバネッセント光とリビドー / 水上雅敏
『虚数の光』(「数理科学 2003 8」)。魅力的なタイトルで、どんなものかと注目点抜粋しました。(51−52pp)

「虚数の波数成分を持つ波(あるいは場)は、エバネッセント波(あるいは場)と呼ばれて、高屈折率媒質から低屈折率物質媒質に臨界角以上の角度で光を入射した時に界面に生じる場としてよく知られている。この条件では光は高屈折率媒質から放射されず100%反射する。この現象は全反射現象として知られる。
 虚数の波数とは一体どんな意味をもつのだろうか。波数k_z(_zは添え字)が虚数なら、その逆数である波長λ_zも当然虚数であり、運動量p_z=hk_zも虚数となる。虚数の運動量の量子は、運動を運ばない。すなわち存在はするが伝播していかない場ということになる。先の全反射の条件で、透過光は媒質の界面において表面波として存在し、界面から放射されない。
 しかし、場が存在しているのだから、そこに銀塩フィルム(写真フィルム)を挿入すると、感光する。表面波の存在の深さは先に示したdであり、それは波長程度である。この領域を最近では近接場(ニアフィールド)と呼び、非放射で物質界面に局在するフォトンを扱うサイエンスとして、近接場光学(ニアフィールドオプティクス)という分野を形成している。
 近接場光学が楽しい科学であるのは、虚数のフォトンが物質と相互作用することによってじっすのフォトンに変わることにある。界面によって生み出されたエバネッサント場内にも、ひとつの界面を挿入すると、虚数のフォトンが第2の高屈折率媒質の表面の双極子を動振し、散乱光として第2の物質中に実数のフォトンを放出する。…」

私の中でのイメージでは、「ある物質にかなり斜めに光を入れると、それはその物質の彼岸の物質の屈折率がより低い場合には、その光は100%反射され返されてしまい、後者の物質の方には入っていかない。だが前者の物質の輪郭の外側近くには虚数の光が潜在的にできる。これは放射されないが、この近くに再び、前者の物質と同様のものを置くと、そちらに実数の光として放射されるようになる」とのものになります。外れているかも知れませんが。

分かり易いサイト見つけました。http://www.nikon.co.jp/profile/technology/rd/core/optical/evanescent/

単なる連想ですが、表象を実数の光とすると、虚数の光は、情動価、リビドーに例ええるかも(厳密に考えると食い違いがあるかもしれませんが)。また、この虚数の光が界面に溜まってる状態を、情動の「禁圧」として、そこに再度プリズムなり、高屈折倍率の媒体を差し込んで、再度実数の光を放射させるのを、その情動の表出(情動に表象を添わせること)とも例ええるようにも思えます。あるいは、記憶を思い出そうとして自分の心に探りを入れるのをその媒体(第2のプリズム等)の差し込みとして、記憶自体を最初の媒体(第1のプリズム)やエバネッセント光、として例ええるようにも思えます。似たことですが、後者(第1のプリズム+エバネッセント光)を「記憶痕跡」として、前者(第2のプリズム)の差し込みの方をリビドーの備給として、第2にもプリスムに得られた実数の光を「表象」として例えることもできるようにも思えます。単なるたとえに過ぎず、まあ、実際には脳は、多分、エバネッセント光など使わず、もっとナイーヴな(?)方法で、こういう作業をやっていることでしょうが。ただ、このような過程(エバネッセント光を巡る過程)を表現する数式などを逆利用して、脳の構造を表現できるかもしれません。

また、エバネッセント光に情報を忍ばせ、そこに適切な物質を挟みこまないと取り出せない、というような秘密を守り易い装置を作れるかとも思いますが、よくわかりません。

No.810 - 2015/06/21(Sun) 14:12:23

(No Subject) / 水上雅敏
藤田先生、体調不良長く続いているようですが、どうぞゆっくりご休養ください。
No.809 - 2015/05/22(Fri) 21:17:37

n400と対象a, p300とS1 / 水上雅敏
n400を対象aの、p300をS1の神経活動上の対応とみる、というほうが良いのかも。
No.808 - 2015/05/17(Sun) 05:36:33

n400、p300と父の名 / 水上雅敏
結局、n400あるいは、n400とp300の関係性に、「父の名」の神経活動上の対応を見うるかも、ということでしょうか?
No.807 - 2015/05/12(Tue) 12:54:36

つづき(意味を逡巡しえる最大限の時間、またそこに在りえる最大限の刺激数) / 水上雅敏
>直ぐ結論出さず幾つかの刺激を蓄えて⇒これの出来る刺激数や時間的長さの限界というのがあるだろうか? 時間的にはθ波の半周期分?・・というか、或る場所細胞の発火がθ波上に現れ始めてから、何周期かあってのち、それが消えていくまでの時間か? で入りうる刺激数の最大限は、θ波半周期上に区別して分配しえる場所細胞の発火の最大限(それは結局、ある場所細胞の発火が表れ始めて消えるまでのθ波の周期の最大限数ということになるか)ということになるだろうか。
No.806 - 2015/05/12(Tue) 12:47:57

p300とn400 分裂病ならどうなるか?  / 水上雅敏
直ぐ結論出さず幾つかの刺激を蓄えてとりあえず句読点打ち結論(意味)を導き出す。それがp300と対応するとする。実は句読点は、次の文への進展が覚悟されてこそ打ち得る、と言えるだろう。意識されぬ一陽来復の様な。その来復(一番下に発した陽)をn400と対応できぬか。でそもそものp300も、それ以前の文の句読点の下に発していたn400の影響を受けているのではないか(結局ここにp300とn400の弁証法が在るとも言える。)。とするとそもそもある意味、句読点を排除するとも言える分裂病においてはp300もn400も発生しないと言えるか(再確認していないが、分裂病ではp300が出にくいとか聞いたことが在る)?発生しかけてどうようにか崩されるのだろうか? 意識的工作ではそこまでは無理だろう。その意識自体においてP300とn400は発生するだろうから。では、そもそも神経レベルにおいて、p300とn400の発生が困難になっているということか?

或いはともかく文の句読点の排除を意識的にでもやり続けると、あるいはそれを他者が強制し続けると、p300やn400を乱すところまで行けるのだろうか?

No.805 - 2015/05/12(Tue) 12:44:16

Attentional Blink 気づかずともN400が後続の認識に影響しうる? / 水上雅敏
幾つかのAttentional Blinkについての関連文献を荒くまとめると、「第1の刺激と第2の刺激が(種類にもよりましょうが)、2分の1秒の間隔よりも短いと、第2の刺激は気づかれにくいが、それでも第2の刺激の時、N400等の脳波が出ている。この折にはP300は出ていない。P300は、意味への意識的な気づきの場合に出る。その気づかれぬままの第2の刺激(N400に対応するもの)は、無意味なものとして流されてしまうのではなく、後に引き続く刺激の認識に影響する(例えば、気づかれぬまま瞬間的に低次された語句@は、その後に提示される語句Aの認識に影響する。たとえば語句@と意味的に関連した語句Aのほうが、そうでない語句Aより気づかれやすい、など)。」ということになるかと思います(厳密に文献を振り返って再確認してないため、間違いがあるかも知れません)。

以下の様な疑問など湧き、色々興味深いです。

・思考転移は、ある人間のN400の、或いはN400に対応する動きが、こちらのN400   レべルで認識(意識に上がらぬままの認識)されたものではないか
・無意識が電話のように伝達しあうというのをN400レベルの伝達の仕合いから考えられぬか?
・ヒステリー者などの、自分の反応(失錯や、意図的に見えるのに本人には無意識な動き)に気づかぬ現象は、P300を引き起こしているのに意識されてないものか、N400のみを引き起こしたものか、N400も引き起こしているのか?
・語ってるときの、自らの声(或いは語りの意味?)への気付きは、あえて言えばP300に対応しうるものなのだろうが、自らの声の見過ごされた部分や、自らの発声運動(通常は、むしろ自らの語りの声のほうのみ気づかれて、あまりここを意識してしまうと不自然にしか語れなくなる部分)はN400に対応するのだろうか。
・上に、「気づかれぬままの第2の刺激(N400に対応するもの)は、無意味なものとして流されてしまうのではなく、後に引き続く刺激の認識に影響する(「たとえば語句@と意味的に関連した語句Aのほうが、そうでない語句Aより気づかれやすい、など)。」と書いたが、そのように、ある一つのまだ気づかれぬがN400を引き起こしている刺激(上記で言うと、第2の刺激の気付かれぬ場合)の意味がその後に影響しうる最大限の時間というものがあると思うが、それはθ波の周期(半周期)と関連していたりするか? 又、この限界時間内(θ波の半周期)に詰め込みうる刺激数(気づかれぬ第2の刺激以降に、素早く連続的に様々な刺激を提示しても、その群れの中で、第2の刺激と意味的に関連するものだけクローズアップして気づける、その刺激数の限界)は、θ波の半周期の分割(各刺激が別なものとして認識するための区画)可能な最大限の数(半周期内に発火できる場所細胞数の最大限数のような)と対応しているか?
・・など。


ということで、一般的にN400等にどのような意義が見られているか、について関連文献から抜粋してみました。

《私たちが普段単語の意味を理解しようとしているときには、N400と呼ばれる脳波が生じます。また意味の不自然な文を理解しようとするときには、意味の自然な文に比べて処理に手間取る(負担がかかる)ため、脳波の振幅が大きくなります》ttp://www.sal.tohoku.ac.jp/~koizumi/jst_erp.html

≪ERP の主要成分 ここでは,ERP の成分のなかで言語を対象とする調査においてよく言及される代表的なものを紹介する。

N1(N100): 刺激提示後最初の陰性波(なのでN1 と呼ばれる)で,純音などの単純
な課題では100 ms あたりの潜時にピークを持って出現する(N100)。これは,課
題に対する選択的注意を反映すると考えられている(Coles et al., 1990)。

MMN(mismatch negativity): 聴覚刺激課題において,標準刺激に対する標的課題の
音響的逸脱を反映して発生すると考えられており(Näätanen, 2007),N2a ともよ
ばれる。

P3(P300): これまでに最も研究されてきた成分で,標的課題の頻度や,識別の難易度などに影響を受け,その頂点潜時は反応時間測定課題の結果とも高い相関を示す(Ullsperger & Gille, 1988)。また,最近の研究ではP3a, P3b などとその下位成分の存在も明らかになっており,P3b がこれまでP3 と呼ばれてきた成分に該当すると見られている(Luck, 2005)。

N400: Kutas and Hillyard(1980)で初めて報告された成分で,言語における意味の逸
脱に対して見られると考えられている。

P600: 比較的最近報告され始めた成分で,文の統語的逸脱に対して見られると考えられている(Osterhout & Holcomb, 1992)》
ttp://www.mizumot.com/method/2012-06_Sugai.pdf

・・以上。先の見解と、これらの文献で述べられたN400の意義にには、ずれがあるように見えたり対応も考ええたり(例えば、N400は「意味の逸脱」に対して見られる、とすると、その意味の逸脱の混乱の中で、自分も気づかぬようなような自分の反応がN400を引き起こしてるのではないかと考えると)するのも興味深いです。

更に、関連文献にhttp://wexler.free.fr/library/files/shapiro%20(1997)%20the%20attentional%20blink.pdf などあるようです。

No.804 - 2015/04/30(Thu) 06:29:51

語りの振り返りに要する最小限の時間と、神経症者の時間 / 水上雅敏
抑圧が強いと言うべきか、他者から意図見え見えな行動やその意図に本人が気づかぬ状況を散見する。一番現れやすいのは、語りにおいてだろう。語りの今ここの瞬間は、灯台下暗しだから。だが神経症的抑圧が無くとも、自分の語り(発声など)の瞬間をトップダウン的に振りかえるに最小限必要な時間というものがあろう。神経症の場合にはそれ以上の時間の「もと暗し」が在ることだろう(全体に敷衍されてるか一部に留まるかは又考察要だが)。どれくらい時間かかるか? 多分、抑圧物を巡るあたりの言葉のまわりでは、意味作用をなすであろうはずの発声の分節の2単位分は最低限遅れるのではないか? 遅れてしまう、というよりはあえて遅らせて、その部分の意味作用を出来るだけ見ないようにして妨げる、或いは作用が起きても無視する、ということだが。で、その間で起きてしまったことは、本人に気づかれず、他者には見え見えの行動として気づかれる(こともある)ということではないか。

ちなみに、じゃあ、神経症者は早口言葉が出来ないか、というとそうでもなかろう。むしろ、文の抑圧したい在る部分に差し掛かった時に、早口になることで、むしろその部分が正常に意味作用を行うことを妨げようとすることはあるのだろうから。ごまかす部分は早口になる人もいるように。

以下など関連させて考察すると興味深いように思えます。

ttp://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:uO3sBxAFS0sJ:openweb.chukyo-u.ac.jp/~jkawa/AandC/9/nakatani.pdf+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
Attentional Blink 課題中の脳波位相同期現象:
δ、θ、α、β、及びγ波帯域での検討

ttp://www.adm.fukuoka-u.ac.jp/fu844/home2/Ronso/Jinbun/L40-3/L4003_0673.pdf
注意の瞬きに関する基礎的研究

No.803 - 2015/04/14(Tue) 19:00:32

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