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<カフェ・フジタ>

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皮質のコラム構造の6層のはたらき / 水上雅敏
大脳皮質の大半は、少なくとも(解剖学的にはいまだ不明だが・・多分)機能的に見ると、6層のコラム構造の集まりらしい、というのは結構知られていることかも知れません。

各層の役割と、各コラム間の関連について前から関心がありましたが、『回路網のなかの精神』シュピツァー著127pを私なりにまとめると次のようになります。誤りあるかも知れません:

”最表層を第1層とし、感覚器官に近いほうのコラムを「低次」(感覚→認識→行動、の左を相対的に低次として)とした場合、低次の第2、3層から、より高次の第4層に情報が流れる。高次のほうからはその第5層から、低次の第1、6層に流れる(第5層からは、視床への出力も行われる・・つまり第5層は相対的に低次の―皮質及び皮質下の―層への一般的な出力層とみなせる)。”

結局この関係でコラムがずっと連なってるということになっているのでしょう。

根拠のない連想をいろいろしますと:
・高次(第5層)から低次へ向かう情報は、最上部(第1層)と、最下部(第6層)へ別れ、これで低次のコラムを挟み込んでいる形になっている。パロールとエクリチュールという直交軸に近い両極(一線状にならび時間を構成する消えやすい音声v.s.空間を幻想に構成させる、残り続ける線)の働きで挟みこんで、低次の信号を差異化しようとしているということか? この挟み込みを行っているこの2つの流れとして、他には、輪郭領域⇔内部領域、全体⇔部分、サイン⇔コサインetcなどいろいろ考えられる。
・他方、低次のほうの第2、3層は、一緒になって高次の第4層に入っている。第2、3層が安易に混合されたというより(それだったら、最初からひとつにまとまっておけばいい)、第4層に入るおりにはその2つを相対化した一つの情報が入ると言うことか? 例えば、その2つの信号の「割合」、とか、あるいは「差」とか。

あとは本書をもっと読めば出てくることでしょうがとりあえずわいている疑問:

このコラムの連鎖の低次の端と、高次の端はどこにつながっているのか?
その端はそれぞれ一つなのか、複数あるのか?
螺旋的に高まっていっているのか?
あるいは円環的で全体的に、実はどれが最も高次でも低次でもない、という構造になっているのか?
辞書のように決定的な端というのは無い円環構造なのか(結局は、右=左でない、左=右でない、というふうにしか定義的ないところがいくつかあり、決定的な定義を持つ語はないような円環)?

No.717 - 2014/03/25(Tue) 17:09:40

縞と面の知覚 つづき / 水上雅敏
【衝撃の事実】この鳥の正体が人間だなんて…信じられますかーッ!?

ttp://news.livedoor.com/article/detail/8664216/

女性だとわかるには、どれが輪郭で、どれが単なる模様か、試行錯誤しないといけなくなる。だから均一面に反応する細胞はまた縞―面内部の模様という意味での―にも反応しておく必要があるのではないか。何を輪郭とし面の中の模様とするかは、その意味で相対的。面自体は、そのさまざまな色の違いに気づかれている分、そこでは面相互の相対化(差異化)が行われているはず。いわば特異点相互の差異化が(=輪郭や模様、縞の差異化とはまた違った次元の差異化。この差異化を行っている機能も脳のどこかにあるはず。)。均一面に反応する細胞が縞にも反応するのは、あるいは、この面相互の間の境界に気づくからか? 

別に、上に紹介した画像でなくとも、よくある「老婆と若い女」―何を図ととり何を地ととるかの認知の行き来を露呈させる画ーでもよかったのですが・・。

No.716 - 2014/03/25(Tue) 11:57:26

クラムボンにも意味があった? / 水上雅敏
宮沢賢治の「やまなし」の中の、「クラムボン」は実は無意味な語・・その分、人々に色んな想像をめぐらさせるし、また記憶に残る語ともなる・・面白いレトリックだな、などと思っていたのですが、実は意味が在ったのかもしれません。

「素人がアイヌ語からみたクラムボン」ttp://www.geocities.jp/holmyow/yamanashi
に次のような考察があります(抜粋)。

『アイヌ語としてのクラムボン 
 クラムボンをアイヌ語に分解すると、kur・人、男 ram・低い pon(bon)・子どもとなる 。多くのアイヌ語辞典などの表記においては、ほとんどbの音は使われていない*5。だが、なまりによって変化することもあり、pとbを混同して表記されることは当時ではよくあった *6。「やまなし」の初めての連載においても、「クラムポン」と「クラムボン」の記述は一定していなかったという *7。
 クラムボンは、単語の意味をあわせると、アイヌ各地に分布する伝説の小人・コロボックルだと考えられる。       
 十勝の伝説においては、十勝川で溺死させれたコロボックルが、「お前たちも魚皮(カップ)の焼け焦げるような運命に逢うだろう」という呪いの言葉を残したと伝わっている*8。コロボックルに通じる意味を持つクラムボンが「カプカプ笑った」「殺された」というのは、このようなアイヌの伝説を元にしているとも考えられる 。』

No.715 - 2014/03/25(Tue) 01:00:23

縞と面の知覚 / 水上雅敏
685の記事『錯覚を防ぐ視野の中心、そして境界と面の認知と構造主義の関係』で、紹介した「ネコ視覚野における均一な面の表現の機能構築」ttp://www.nips.ac.jp/scinfo/2003tani.htmから、私なりに、私自身が注目したいポイントをまとめてみました(誤読、誤解が多分にあるかもしれないこと前もってご了承のほど)。考察は、ややこしくなってきたので後日書きます。結局、上記論文の本文を読んでいただいた方がよいかも・・。

@脳の初期視覚野において、均一面刺激(面)を見た時に活動する領域は、「方位選択制地図」の「特異点」付近にある。
A「方位選択制地図」とは、線分の各傾きに応じた、脳の反応領域を地図的に分けた図(多分?)。
Bttp://www.be.kagoshima-u.ac.jp/~wang-lab/cat/cat_4.jpg 多分これがそういう地図の一例だと思いますが、私には、台風の各領域の風向が、全体としては「渦上に配分されたベクトルの集まり」に見えます。@で言う、「特異点」とは、いわばこの「台風の目」にあたるところかと思います。ここが「面」を見た時には活動し、まわりのベクトルのところ(台風からの風向)に在る細胞は、そこにベクトル的に示された各傾きに応じた線分(当該の実験では市松模様や縞:輪郭とも関係してくることでしょう)を見た時に活動する、ということでしょうか。こういう均一面に反応する細胞が集まるのは、17/18野の境界(左右両視野から受ける入力の重なるところ)付近の18野側(この特異性については記載なし)。この領域外(しかし17/18野内のということか?)から得た細胞(cell3,4)は均一面には反応示さず、縞や格子模様には反応した。これらの領域(均一面に反応する細胞の集まる領域外)にも多少均一面に反応する細胞があったが、それらはやはり、上記「特異点」に位置するものであった。均一面に反応する細胞(それらの多く集まっている領域のそれら、に限られるのか?文面からはそうも見えるが、不明)は多くの場合は縞刺激の傾きに対しても選択的な反応を示した。均一面に反応する細胞が集まるのが17/18野の境界付近と言う左右両視野から受ける入力の重なるところである理由の一つの可能性として、著者は「これらの領域が左右の視野にまたがる面を連続した面として知覚するための橋渡しのような役割を持っているのではないか」と考えている。均一面に反応する細胞がまた縞刺激にも反応するのは、著者は「これらの細胞は面を含む空間周波数が低い領域の刺激に反応しているのだとも解釈」している(←空間周波数がひくい、とは縞なり輪郭相互の広がりが広いということでしょうが、面を含むとはどういうことか?面相互を相対化させている境界への反応ということか??)。縞に反応する細胞(当論文ではcell3,4)は、17/18野内の「同側」にある(同側とは、右視野からの入力が右脳へと入るルート上に、ということか、よくわかりませんが)。

No.714 - 2014/03/24(Mon) 21:13:19

BZ反応の暫定的な停止に、静的構造への、動きや時間の次元の丸め込みを見得るか? / 水上雅敏
708で書いた、『生命の自発的運動の次元までも静的構造に落としえるか?』
「零下196度で生きるヒル 凍結、解凍に耐える 仕組みは謎」

の件。

通常は赤と青を振動し、赤で最後はとまり(だったか?)、ずっとそのままであるとそれまでは思われていたはずのBZ反応だが、次週の月曜に見ると、その液体は黄色になっていた、という女子校生による発見のニュースが思い出されました。

以下『化学者のつぶやき』より抜粋:

ttp://www.chem-station.com/blog/2011/11/post-314.html
『さて、どのような研究かといいますと、Belousov-Zhabotinsky反応(BZ反応)と呼ばれる色が周期的に変化する化学振動反応に関するものです。BZ反応は見た目の面白さから化学実験の題材として人気があります。この化学振動が「どのようにして起こるのか」はよく文献に書かれていますが、「どのようにして止まるのか」は詳しい記述が無く、この問題について探求した実験です。
今回の彼女たちの発見は、一度振動反応が止まったかのように見えた反応系を放置しておいたところ、5-20時間後にまた振動が復活したという観察から始まっています。論文のタイトルは直訳すると、”死んだBZ反応の復活”でして、このあたりのセンスには脱帽してしまいます。
振動の止まり方としては、振幅が徐々に小さくなるというより、突然プツッと停止するということを観察しており、臭素酸ナトリウムとマロン酸の初期濃度によって、振動停止後、低電位を維持する還元定常状態(図中赤いグラフ)と高電位に遷移する酸化定常状態(図中青いグラフ)に落ち着く場合があることを見いだしています。また、様々な濃度で実験を行ったところ、一旦振動が停止した後、定常状態を経て再び振動が起こる濃度があることを発見しました(図中黒いグラフ)。一つ目の振動と二つ目の振動は異なった振る舞いをしているのが特徴的です。』

なぜ、このグラフの黒に示されたものの割合だと、振動が復活するのか、なぜ振動の様相が変わるのか、この停止していた時に何が起きていたのか、まだ、full textを見れてなくて、わからないのが残念です。

No.713 - 2014/03/24(Mon) 03:07:05

いじめを訴えにくい理由 / 水上雅敏
いじめの訴えられなさの原因。いずれも大なり小なりいじめられた側が実際に述べたもの(9は、本人が言うより、状況から推察された場合が多かったと覚えるが。)

1:純粋に、親に迷惑をかける、と思い。(と本人が言っていても、話を深めると、実は2、3、4、5である場合も多いと思う)
2:親に迷惑をかけない自分の完璧な像を傷つけてしまうから。(最初は、1のように述べてくること多い)
3:自分がいじめられるような存在だと親に見られたくないから
4:突然、家に変化をおこしたくない、おこすのが怖い。
5:親が過剰に動いてしまうのがいやで。
6:ちくったとされてしまう。
7:大人として、自分で解決すべきことと思っている。
8:家の中でだけは、何事も無い平穏な日常世界に保っておきたい。
9:話していくと、自分自身もやましいことを他者にやったことを話す局面にはいりそうで(自分も他者をいじめたことが、現実的に確かにあった場合はあると思うが、幻想的にそう思ってしまっているだけの場合もありえるのかどうなのかはまだ観察不足、考察不足)。

No.712 - 2014/03/23(Sun) 23:21:49

もの忘れと、検索過剰 / 水上雅敏
加齢のためか、もの忘れはひどくなってます。「空海」は出ましたが、「最澄」がなかなかでませんでした。

思い出せなければすぐに検索する・・からもの忘れが助長される、というより、別に思い出すためのものでなくてもともかく検索してばかり、ということ自体が、思い出すことをお留守にさせているからではないか、と主観的には感じております。

No.711 - 2014/03/23(Sun) 22:57:47

生物の修復機能にとっての素数多角形の合理性 / 水上雅敏
『素数を作る装置(694)』で書いた

>煎じ詰めると、「多角形が素数の数の頂点を持つものであれば、ある頂点から出発して一筆書きで、すべての頂点から他の全ての頂点と結びえる対角線を描くことが出来る(合成数ならどこかで筆を離さないといけない)。」ということになると思います。

少し不正確でした。例えば9角形でも、あちこち巡るようにすればすべての対角線をめぐるように一筆書きできます(多分、この場合頂点同士は必ず一直線に結んで一筆書きにする、というやりかたは破ることにはなると思いますが・・よくわかりませんが)。正確には、素数の数の頂点を持つ多角形であれば、ある一つの頂点から一筆書き的に、そのまま円周的にめぐってもすべてつなげ、一つ置きにめぐってもすべてつなげ、また、2つおきにも同様、etc.として、結局その一頂点からも、すなおに、きれいに、一筆書きですべての対角線を結べる。素数ではない多角形ならこのようにできない・・ということです。多分そうだと思うのですが・・。

そう考えるとふと次のような考えが浮かびました。

素数多角形の、どこかの対角線上に故障が在った場合は、その信号をすべての頂点が直接に感じ取れることになるのではないか。そして、例えば、5角形の場合に、5芒星的に結ぶ対角線のいずれかに故障があった場合でも、別に保存されてある全頂点を結ぶ一筆書きのルート(=この場合はこの円周的に結んだ5角形そのもの)から、各々の頂点は、「これは5角形なのだ、だから、今故障しているのは五芒星のかくかくしかじかの対角線なのだ」と気づいてそれなりの援助をすぐに流していけるのではないか。素数でない多角形の場合より比較的にたやすく。生物は、修復機能の為、こういう素数多角形をどこかで利用していないか。

No.710 - 2014/03/23(Sun) 22:51:41

アルツハイマーと知覚「間」的差異について / 水上雅敏
暗所で育て視覚を奪っていた子猫を2匹、天秤様にさしわたされた木につけられた左右のゴンドラに乗せ、一方は手足が出せて歩ける状態にし、他方は足が出せず歩けないままにし、歩ける猫が嗅覚を使って餌にたどりつくと、他方も餌も食べられるようにすると、自ら歩いた猫は視覚も得られたが、他方は盲目のままであった・・という実験があるそうです(ヘルドとハインの実験)。

ひとつの様式の知覚意識だけで独自にその内部の差異を作ることが不可能なこと(上の実験ではいくら風景は目に映っていても、においをかぎ歩くこととの組み合わせが無ければ視覚意識内の差異も作られないこと)が示されているように思います。(欲望を持たず依存的なだけでは知覚的な差異化が発展しない、ということも示されているようにも思いますが)。

換言すれば、知覚意識「間」的差異(「フォルト・ダー」対「糸巻の消失・出現」)があってこその知覚意識「内」的差異(フォルト・ダーという一聴覚意識内の差異。あるいは糸巻の消失・出現という視覚意識内の差異)が生じることがそこに示されているように思います。後者があってこその前者でもある、という相互依存性は実験では示されていないのでしょうが、論理的には、そもそも足を動かすにしても、足自体の運動感覚の差異化がなければなりませんから、これらはやはり相互依存的なのでしょう。

この実験から(また、記事707で書いたように、異質な行為を同時に行われることで病像悪化を弱めることができることから)、アルツハイマーでは、こういう知覚「間」的差異を傷害する何かが起きているのではないか(たとえば、フォルト・ダーと、糸巻の消失出現を交差(=差異化)できなくなった)、と考えることもできるようにも思います。あるいはやはりいずれかの知覚「内」的差異の障害が最初なのでしょうか(たとえば、フォルト・ダーそのものの差異化が行えなくなった)?
たとえば、アルツハイマー病の、言語間代という症状、―言葉の終わりの部分や中ほどで、同じ言葉を何度も繰り返す発語障害=「私たちたち」のように言葉の末節だけを繰り返す傾向―はどう考えましょうか? 

ともかくそうして言葉の弁証法も進められなくなることは、記憶障害も説明できるように思えます。というのは、「言葉の弁証法は自らのいまだ語ってない隙間を語る形で進んでいく」と考えると常に以前語ったものへの参照が行われていること(いわばフィボナッチ数列のように)になるわけで、逆に言えば、今弁証法が行えなくなることは、もはや以前の語りを参照する必要もなく、これまでのすべてが関連付けられずほどかれていく(要素的にばらばらに残っているのかどうかわかりませんが)ことになると思われるからです。

No.709 - 2014/03/22(Sat) 02:00:16

生命の自発的運動の次元までも静的構造に落としえるか? / 水上雅敏
「零下196度で生きるヒル 凍結、解凍に耐える 仕組みは謎」
ttp://sankei.jp.msn.com/science/news/140123/scn14012312170001-n1.htm (産経ニュース)
生物のこういう話、最近よく聞くのですが、自発運動や時間の次元(運動自体が時間軸で表現されるという意味で)までも、静的構造(動きが無いと言う意味で)に落としうる、ということでしょうか? CDなどは音楽と言う時間的なものも静的構造に圧縮しているようにも思えますが、ただ、それを音楽に戻すには光と言う外部からのエネルギーを与えねばならないからまだわかるのですが、それ自身が自発運動を持つはずの(?)生物のその運動までも、静的構造の次元に一次元落として保存しうるのでしょうか? 仮死状態でも化学的なやりとりが外部環境と行われ続けられており(?)動きがまったく中断されているわけではないから生き返れるという考えもありましょうが、生物であれば、環境との自動的な化学的な交換に加えて何か自発的な運動を持ち続けていないといけないように素人としては思うのですが、その運動までも静的構造に丸め込めるということなのでしょうか??

No.708 - 2014/03/14(Fri) 00:11:43

アルツハイマー治療とフォルト・ダー / 水上雅敏
TVで以前あったのですが、アルツハイマーの治療として、2つの異質のことを同時にやる、というのがあるようです。歩きながら計算とか。

フロイトの観察した子供の「フォルト・ダー」つまり、母を喪失した子供が糸巻を投げ戻ししつつ、フォルト・ダーを叫ぶのを思い起こさせます。つまり、なるべく多くの様式の知覚意識や運動をもちいて、無を出来るだけ象徴化しようとする行為。無へと向かう欲望がそこに導き、その行為がさらに欲望を進展させるものと言えましょうが、それを考えると、最初から欲望にすなおにしたがって生きられていた人、つまり普段から異質の知覚運動を交差させつつ生きてきた人は、素因があろうとも、多少ともアルツハイマーになる予防を日常的に行っていたとも言えるのではないか、とちょっと考えてみることができるでしょう。

それを考えると、キーボードを打つほうが多く音声を心にめぐらしつつ字を地道に書く経験が少なくなったり、ネットで情報を得て本物を見ることが少なくなったり、すぐに他者と繋がれてしまって、繋がらずに無限遠を見るかのように待つことで欲望が高まるという経験の少なくなった現在の人々は、アルツハイマーへの予防が手薄になっているのではないか、とも思えてしまいます。

あと、性的関心の薄い人とアルツハイマー発症者とが相関している(?)という嘘か本当かわからない話を聞いたことがあるように思いますが、本当だとすると、上のこと(欲望の弱さ=無へと開いて異質の運動をもちいてそれを象徴化しようとしないこと)が関わっているのかも知れません。

また、どういう異質の運動を同時にやらせるのがよいか、というあたりは、欲望へと開かせることに加え、精神分析もアルツハイマーの治療に貢献できるところかなとも思われます。

No.707 - 2014/03/13(Thu) 23:57:55

スルーの構造とは? / 水上雅敏
「もう動き始めたんだから、いまさら言っても・・。」と言えるのを急ぐかのような再稼働への動き。そんな風にしてまた何事もなかったかのように進むのか。こうしてスルーされ、抑圧された言葉はどういう症状として回帰してくるだろうか。それ以前にスルーさせてはならないけど。
No.706 - 2014/03/12(Wed) 00:19:35

「正しく恐れる」=主体の統計対象化 / 水上雅敏
「正しく恐れる」→人間の非人間化、統計対象化。1万分の1の確率でしかあたらないロシアンルーレットがあったとせよ、そのゲームに乗らないにしくはない。
No.705 - 2014/03/12(Wed) 00:13:02

無意識における時間計測 / 水上雅敏
こうやって見ると、意図せず、3月11日に向けて原発についての私の書き込みが増えているのに気付きました(TVでその話が多くなる影響ももちろんありましょう)。
昼寝していても1時ピッタリか1分前くらいにいつも目がさめます。
どう無意識が時を計っているのか不思議。
50分の自由連想も時計は部屋においていないのに終わりが近づいているのが正確にわかっているかのように、いつも最後は特定の時間に特定の主題を離し始めるという被分析者もよくおられます(その最後の話をできるだけ最初から話せるようにしたのがラカンの変動分析セッションという工夫なのかもとも思いますが)。フェレンチだったか、妊娠期間と同じ9か月が分析期間のひとくぎりだ、と(正確ではありませんが)述べたらしい話もあり、たしかにそうかなと思わせるケースもあったりしましたが・・。

No.704 - 2014/03/11(Tue) 23:10:36

続き / 水上雅敏
まあ、子供たちからエコーへの協力は得にくいのかもしれないけど。
No.703 - 2014/03/11(Tue) 22:53:47

スクリーニング効果 / 水上雅敏
山下医師は、福島の子の甲状腺がんの多さは、スクリーニング効果で、つまり自覚を訴える場合のみの子以外の多くの子も調べたから結果的に数が多くなったように見えるだけなのではないか、と。では、比較すれば統計的に意義ある程度の同年齢の数の子(福島以外の)の甲状腺をしらべれて比較してみればいいではないか、と思う。無理な除染はやめて浮いた費用でやってみればいい。
No.702 - 2014/03/11(Tue) 22:40:43

原発事故と述語同一視 / 水上雅敏
原発事故が無い時の東京は明るかった(駅、コンビニ、夜の飲み屋etc)。
原発事故直後の東京は暗くなった。
今、東京が明るいから、原発事故は無い(終息した)のだ。

・・・となりかけてないか??

No.701 - 2014/03/11(Tue) 01:09:27

服薬中断と述語同一視 / 水上雅敏
時々聞く、服薬を中断したい理由。「薬を飲まないのが病気ではないことですから」??? これも一つの述語同一化? 「健康な人は薬を飲まない」→「私は薬を飲まない」→「私は健康な人だ」。分裂病者で時々聞きますが、神経症者でも時々、特に、”薬なんてやめれば治る!”と根性論で育てる親の子である場合には、聞くような言い回し。
No.700 - 2014/03/11(Tue) 01:00:04

素数リズムのソリトンが脳内を行き交っていると考えると / 水上雅敏
脳のニューロンは一旦増えても、一歳までに急に減るそうです。
そこからわいた疑問や思いつきを書き並べます(まだかなりトンデモなレベル)。

まず、ここに合成数から素数だけに還元していく動きを見ることができないか? 

ニューロンを通じてやってくる信号なり波のリズムのシンクロする共通項の部分は信号なり振幅なりが強化されてくることでしょう。強化されたリズムと言うのは、全体のさまざまなリズムにとって、相対的に素数的なリズムを持つものになるのではないでしょうか(そうなるか全く考察不足ですが・・)。ニューロンが減るのは、そういうリズムだけを通すシナプスだけに還元してくる、ということではないのでしょうか?

もしそうなら、可能性としては育つはずのシナプスのその都度都度の(可能性としての)総数に対して、実際にできたシナプスの割合は、素数定理に応じたものとはなってないか(少なくとも、何らかの側面からシナプスの増殖過程を切り取ってみると素数定理から導き出せる割合が見いだせないか?)

ところで、このようなシナプスの減り方は、増えることとの連続線上にある自然な折り返しと考えるべきか(増え続けていると、共通する素数的リズムがわかってきたので、「節約的」に、そちらに還元していこうとし始める)、あるいは、どこかの時点で、生物的に予定されていたスイッチが入って減る方に向かっていくということでしょうか? 根拠はありませんが自然なのは前者のほうに思えます。人間の脳のキャパシティーに「限界」があるお蔭で(限界がなければ、節約のために素数的なものに還元しようとする必要はありませんから)。

人は思考を振り返りつつ思考を進める・・などというその「振り返り」の発生は、じつは、さまざまな信号のリズムが素数のみを通すシナプスに振り分けられる動きそのものなのでは、と考えてみるのも面白いです。いかにも人は「自分は主体的に振り返っている」と感じても、それはもしかしたら誤解で、実はこの神経学的な動きをなぞっているにすぎないだけ、なのかも知れません。しかし、またそういう誤解自体が、その後の主体の動きも変えるだろうから人は実は全く神経に従属的な存在とも言いきれないのでしょう。

すぐ上に述べたものは、知覚器官から入ってくる信号が順行的に素数ニューロン(ととりあえず造語しますが)に振り分けられていくプロセスに人の思考の「振り返り」―トップダウン的な見方―の性質を見たものですが、もしかしたらそういう素数ニューロンも成長していくとそれ自身がトップダウン的に、知覚器官からくるニューロンを能動的に走査し、自分達への共鳴や非共鳴を通じて、入ってくる信号を素因数分解的に再構成し始める、というのも考えられるかも知れません。

それはいずれにしても、こういう素数的なリズムが、粘菌に倣ってソリトン的に(=波が相互に、原型を保ったまますりぬけられるように)脳全体に拡がると考えてみるとどうでしょうか(粘菌の或る種の運動のリズム比は素数に対応しているという話もあるので、人間の脳に何かそういうリズムを見るのもそれほど不自然でもないように思います)。すると樹状的なニューロンに解剖学的に接続している後続のニューロンのみでなく、空間的に離れた所にも一挙に、互いの情報(素数的リズム)を交換し合えることになると思います。ということは、それら素数的リズムの交差点としてゲーデル数等価の記憶を作れることができることになります(ゲーデル数を作る際に素数に乗っける指数は、それなりのべき乗分の周波数へと増やすことでかえればいいでしょう。振幅を増やすことで代わりをできるかはよくわからないですが。)。

特定のゲーデル数に対応するそれら素数波の交差点は脳に1か所しかできないでしょうが、様々な波の広がり方(広がっていく角度とか)や、到達時間などから、脳の全ての各部分は互いに、脳の何処の部分に、どんな記憶(特定のゲーデル数)がストックされているか、を知っていると言うことになるでしょう。部分と全体のマンダラ的関係性がそこにあることになります。脳の一部が障害された場合、即刻全体が感じ取って、補うように働き始めたり修復をし始められるのはそういうことなのかも、と考えることもできそうです。

まあしかし、今までの話をひっくり返すようですが、例えば母音の知覚をとりだせば、一か国語においてのそれぞれの母音は2つの異なる周波数のセットでつくられていて、セット相互は対数軸上できれいに互いをもっとも効率的に差異化できているかたちだと思われますが、そこで使われている周波の波以外は、言葉の認識に不要とされてくるので、ニューロン数の減退はそういう取捨選択によるのかも知れません(素数ニューロンの勧化と言うより)。ただ、そこで選び出された周波数相互の比率に素数的なものを見ることができないか、そうでなくともどこかに素数がニューロンとの関係であるのではないか、など思います。そもそも粘菌に素数のリズムが見られたり、互いが干渉しにくい関係であることや、ゲーデル数を構成するのに都合の良い数であったりするのを考えると。

No.699 - 2014/03/10(Mon) 17:44:35

妊娠期間と、「9」あるいは「10」 / 水上雅敏
>海外では妊娠期間が9ヶ月と聞きましたが、日本では十月十日ですよね。
計算方法って同じなんでしょうか?

と知恵袋でのQ。フロイトにおいては、「9」の数字が夢に出たら妊娠期間を象徴していることが多いというような旨あって、上記のQの件は私も疑問に思っていたが日本人でも夢の「9」はそう解釈してもいいのかどうか・・。「10」をそう考えるべきか。無意識はどちらの数え方をするのか、意識の数え方が反映されるのかどうか・・

No.698 - 2014/03/09(Sun) 02:20:48

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