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<カフェ・フジタ>

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シータ波そのものも記憶されるのかどうか / 水上雅敏
『脳は物理学をいかに創るのか』(武田暁 岩波書店 204p)からの抜粋:

『場所ニューロンが形成された後にねずみを別の場所で休ませると、深睡眠中やレム睡眠中の場所ニューロン群の発火パターンに、ときどき覚醒中に運動していた時の発火パターンの一部が時間変化を含めて再現され、トラック走行中の記憶が想起されているように見える。人間の場合に脳に電極を挿入して同様な測定をすることは出来ないが、休息中やレム睡眠中に無意識のうちに絶えず直前に起きた出来事や過去の出来事、あるいは覚醒中に考えたことなどの記憶想起をしているものと思われる。ネズミの実験で興味ある結果の一つは、深睡眠中の記憶想起では時間を20分の1程度に短縮して映画の早回しのような形で記憶の一部を想起し、レム睡眠中の記憶想起では実時間と同程度の時間スケールで記憶想起していることである。』

面白いです。以下、いくつかの部分に対する感想。

>場所ニューロンが形成された後に・・・
→ということは、最初からシータ波の上で場所細胞がうまく(=各位相上を次々と移動していくように)発火するというわけではないのか?? それはあるルートを学習した上でそうなるのか。

>深睡眠中やレム睡眠中の場所ニューロン群の発火パターンに、ときどき覚醒中に運動していた時の発火パターンの一部が時間変化を含めて再現され、トラック走行中の記憶が想起されているように見える
→レムではない深睡眠中にさえこんなことが起きているのか!
→時間変化も含めて、ということはシーター波と発火のセットがそのままの形でどこかに保存されているということか?
ではわれわれの記憶や言語記憶もそういう形で残されているのか? あるいは波は省いた形で順番が残っているということか? そのように残された記憶と、覚醒時の現在にやってきている外界(の刺激)との照合(あるいは対立や弁証法?)はどのように行われているのだろうか。 

>深睡眠中の記憶想起では時間を20分の1程度に短縮して映画の早回しのような形で記憶の一部を想起し
→我々が言葉の意味がすぐ分かったり、聞いた言葉に対して色んな連想を瞬時にしているというのは、覚醒時にさえこういうことが働いているからではないのか? しかしどういうふうにして早回しが可能になってるのか? 本当に早回しなのか、あるいは早回しに等価な何かの構造的な工夫によるのか。

>レム睡眠中の記憶想起では実時間と同程度の時間スケールで記憶想起している
→人間の夢の場合はどうなのか。やたら長い場面の夢でも、実は一瞬に見ていたりするし。それは長く感じられていても実は少数のきれぎれの場面の組み合わせでしかない、ということか? 「同程度の時間スケールで記憶想起」というのをあえて人間の夢に当てはめて考えると、実は、たとえば、思い出すべきある言葉の実時間的長さがレム睡眠の長さであって、夢としてそれが色んな修飾を受けてごまかされているだけ、と言えるかどうか・・(まあこれはこじつけでしかないでしょうが・・)。

**ともかくシータ波自身は、例えば外界からやってくる音波などとは次元の違う波なのでしょうね。もし音波だとしてそれ自体も記憶が残されるとしたら、たとえば、例の聞きようによって「撮ったのかよ」か「エイエイアイ」のどちらかに聞こえる携帯電話のシャッター音も、記憶を想起してもう一方のほうに聞き取れるということになってしまいますから(実際にはそうならないでしょう)。シータ波は、人間で言えば、いわば表象の時系列をそろえるための波とでもいえそうなものにも思えます。

No.728 - 2014/05/04(Sun) 03:13:38

言葉とシータ波 / 水上雅敏
言葉の隙間(あるいは欲望の流れ)の作ったシータ波の上に、今の言葉が発火を乗せている、と考えてよいのか(いわば、自分の補集合にさらに自分を乗せていく様相)。

それともシーター波は言葉を乗せるものとして独立して最初からあるのか?

No.727 - 2014/05/04(Sun) 01:42:07

自己剪定能力 / 水上雅敏
自己剪定能力がケヤキにはあるらしい。不要な枝は自ら切り落とすという。それが街路樹事故につながりうるらしい。
これは、アポトーシスなのか、ネクロトーシスなのか。自己剪定の割合は? 樹木の中ではケヤキにしかないのか?

No.726 - 2014/05/02(Fri) 22:30:05

分裂病とミエリン 3 / 水上雅敏
ミエリンと分裂病についての幾つかの論考の抜粋と私の感想(→のところ)


”脳の隠れた主役 学習と白質の意外な関係
R. D. フィールズ(米国立小児保健発達研究所)
ttp://www.nikkei-science.com/page/magazine/0806/200806_040.html ”

『軸索はミエリン(髄鞘)と呼ばれる脂質に富んだ白い物質で何層にも取り巻かれている。ミエリン自体は絶縁体だが,神経信号を素速く伝える役割をする。軸索にはところどころミエリンの途切れた隙間(ランビエ絞輪)があり,信号はこの隙間を伝播する。軸索の集まりは白く見えることから「白質」,ニューロンの細胞体(核のある部分)の集まりは「灰白質」と呼ばれる。神経科学の研究は長い間,灰白質に集中していた。記憶が貯蔵されている細胞体こそが脳の主役で,軸索はただのケーブルと考えられていたからだ。』
→「軸索にはところどころミエリンの途切れた隙間(ランビエ絞輪)があり,信号はこの隙間を伝播する。」→通す信号のリズムが他のニューロンと相対的に素数的な周期をもつニューロンにミエリンがまきつくと考える以外に、どれかのニューロンが選ばれて、他のニューロンと素数的周期になるように、ミエリンがまきつかれるという順番なのかどうか・・?

『さらに,軸索にミエリンを供給するオリゴデンドロサイトや,軸索を伝わる信号を盗聴してオリゴデンドロサイトに司令を出すアストロサイトなど,グリア細胞の働きも重要だ。シュワン細胞は末梢神経でミエリンをつくるグリア細胞だが,軸索表面にあるニューレグリンというタンパク質を感知し,その量に応じて軸索に巻き付くミエリンの層を増減させているらしい。ニューレグリン遺伝子は統合失調症の関連遺伝子であることから,ミエリンやグリア細胞が精神疾患に関与している可能性も考えられる。』
→ニューグレリンが何かうまく行っていないことが分裂病のいちばんの元なのかどうか?



”場末P科病院の精神科医のblog
ttp://blog.livedoor.jp/beziehungswahn/archives/cat_976520.html ”

『肉を好んで食べる人は人間の生涯にわたってミエリンの材料となる重要な物質であるω3脂肪酸が不足するであろう。常に食生活に気を付けて、魚を食べる回数が少なくなるような食生活を避けねばならない。』

→ 漁村での分裂病者の割合は少ないとかあるのだろうか??

『猿と人とのミエリンの密度(ブロードマンの10野など)を比較したのだが、下の図のように大きな差があり、さらに、猿では青年期で新皮質の髄鞘形成は終わり低下していくのだが、人類は20歳くらいの青年期でいったん止まるものの(生涯最大密度の60%で止まる)、25歳頃から再び密度の増加が始まるのであった(おそらく生涯にわたりミエリンの形成は続き、ミエリンの密度は50〜60歳くらいまで長く維持されるのだろう)。』

→もし25歳以降のミエリンの形成不全に分裂病の原因の一つを考えると、この時期に分裂病が顕在化しやすいことも納得はいく。このミエリンの形成不全は、青年期にその露呈が強まる性の欲望=これまでの親etc.との想像的同一化では対処できない穴に対する象徴化=弁証的な言葉の進展=隙間隙間を狙って言葉を継ぐ意味で互いに独立直交な素数による再構成を作ろうとする傾向・・これらの持てなさと対応しているかどうか。この傾向が原因か、ミエリンの形成不全が原因か、それとも相互的なのか?



“統合失調症と白質の変化
サイエンスデイリーから
ttp://mui-therapy.org/newfinding/white_matter_defect.htm ”

『今回のネズミを使った実験では、オリゴデンドロサイトのNRG1-erbBの発信を妨害すると、発信を妨害されたネズミはより多くのオリゴデンドロサイトを形成し、しかもオリゴデンドロサイトには分枝が少なかった。その為に、神経線維の周りのミエリン絶縁体の形成が極めて薄く、神経繊維の信号伝達速度が低下していたと発表している。所でオリゴデンドロサイトとは、グリア細胞の1つでミエリンと呼ばれる神経線維を覆う絶縁体を形成する細胞である。脳の白質とはミエリンに覆われた神経線維が集まった部分を指す。

又、ネズミのドーパミンに関わる神経細胞も変化していた。ドーパミンは神経伝達物質の1つで、メッセージを細胞から細胞に伝達する役割している。統合失調症ではこのドーパミン系の異常が発症の原因では無いかと長く疑われていて、治療薬はこの部分に焦点を当てている。

「脳の白質が変化するとドーパミン系のバランスが狂う。同じ事が統合失調症でも起きているのでしょう」とコーファ氏は言う。』

→分裂病ではドーパミン以前にミエリンが問題なのか? 

『NRB1-erbBの信号異常を薬で改善したり、オリゴデンドロサイトを守って統合失調症を治す薬は出来ないであろうかとの質問に、コーファ氏は次のように言う。「そこを調べています。多発性硬化症の治療に考えられている白質の治療法が、統合失調症にも応用できるのではと考えています。統合失調症の多くは思春期後期に発病し、最初は軽い認識異常と動きに問題が発生する。だから統合失調症の症状が出る前に白質の変化が現れるかどうかを調べて、もし変化が現れるなら、その段階で診断が可能だし、予防措置も講じられるかも知れない」。

白質の変化が統合失調症に関係があるなら、統合失調症の発症時期が思春期後期であるのもうなずける。最近の研究では、前頭前野皮質のミエリン化(神経線維がミエリンで絶縁化される事)は幼児期ばかりでなく、思春期後期にも起きているとしているから、その時期と統合失調症の発症時期が一致している。

「我々はもう一度統合失調症の患者の脳の白質を調べて、NRG1や erbB4の遺伝子変異が実際白質に影響を与えているかどうかを調べる。NRG1や erbB4以外の遺伝子の変異からも統合失調症が起きている可能性もあるので、それも調べる」とコーファ氏は語る。』

→特記なしですが、どんな調査結果がでるかは興味深いです。

No.725 - 2014/05/02(Fri) 01:48:34

分裂病とミエリン 2 / 水上雅敏
つづき・・

・ここでミエリンについて考えてみたい。ミエリンは特によく使われるようになったニューロンを覆ってそのニューロンを流れる信号が速く進むようにする物質だと覚える。NHKかで見たところから記憶を起こすと(間違いがあるかも知れません)、人のニューロン数は或る年齢あたりで頭打ちになるが(のみならず幼児期に増えてすぐ減る)、その後も、よく使われるニューロンについてはミエリンがまといつき人の能力を向上させる。ところが分裂病などではこのミエリンの形成が阻害されているらしい。

・ここで、健常者においてニューロンの減少することや、ミエリンが覆うのは一部のニューロンに限られてくることは、―すべての整数は素数だけ知っていればその掛け算で構成できるように―いくつかの特殊なメルクマールに気づけばあとはその組み合わせだけで世界を理解できていけるようになるというような、前回の書き込みでのサルの図形の区別のところで述べたような合理的・節約的傾向がうまく働くことによるのだと考えることもできよう。

・ただそういう意識側からのトップダウンの節約傾向こそが或る割合にニューロンを減らさせミエリンをある割合のニューロンのみにまとわせることになるのか、あるいは、そもそもニューロンやミエリン自体にそのような割合に落ち着きたがる傾向があってそれに促されて人は世界を節約的に認識しようとするのか、あるいはその両方が協働しているのかはわからない。

・またトップダウン(遠心性)とボトムアップ(求心性)の信号を伝えるどちらのニューロンにミエリンがまといつくものかもまだ私はしらない。しかしいずれにしろ、どういう質を持つニューロンにミエリンがまといつくか。仮説としては、とりあえず上記「素数」の比喩をまともに受け取って考えてみると、そのニューロンが伝える信号のリズム(その特定のニューロンの持つ発火の周期とか信号の周期とかがあるのかよく知りませんが)の周期が、現在在るところの全てのニューロンの信号のリズムの周期に対して素数的な割合を持っているニューロンにまといつく、と考えてみるのもありだろう(他にもいくらでも可能性はあろう)。たとえば1から10までの周期のそれぞれ10本のニューロンがあるとし、これらニューロン間は共鳴するとしたら、周期1、2、3、5のニューロンは他のニューロンにくらべて共鳴を受けて発火する分量が多くなると言えよう(7は素数でもまだ影響を受けないが)。そういうニューロンが取捨選択されて残されたりミエリンにまとわれたりする、とも考えられる。あるいは、互いに素のニューロンがたがいのリズムがダブらないことを何らかの方法で感じ取って、そこにミエリンがまきつくという可能性もあろう。

・1X2X3X5X7X11X・・・=1+2+3+4+5+・・ らしい(素数全体にわたる積=自然数全体にわたる和)。
前者をミエリンをいくつかのニューロン(素数的周期の信号を持つニューロン)にまとわせた健常者の脳の働き、後者をミエリンが不全で一つ一つの事象を完結したものとして把握し蓄積しようとする分裂病者の世界把握に比喩できるかも知れない。後者の傾向は、例えば、蓄積的学習で常識を得ようと四苦八苦する『自明性の喪失』のケースのアンネ・ラウに見ることもできよう。対して、前者には、永遠に何も完結せず常に分解され続けていくのみの健常者の弁証法的思考を見ることができよう。むろん、実際の脳では両辺の「・・・」のところを達成しきることはないから「=」はいつまでも言えないのだが、健常者や分裂病者の思考の向かう方向は以上のように比喩できると思う。(ちなみに、この健常者の思考に常にある切断の動き、穴へ向かい続ける動きがリズミカルなシーター波としてあらわれれくるのではないか。右辺のような分裂病思考だとシーター波自体が乱されるのではないか)。

・しかし、まずミエリンのまといつきをうまく行かせない質を生体が持っているから分裂病者の思考がそうなるのか、思考をそうするからミエリンが不全になるのかはわからない。ただ、まったく意図的にのみで、ミエリンを不全にすることはできないだろう(健常な思考が、その思考を崩そうとしても、そうするのも健常な思考である、というパラドクスからそれは不可能なように)。しかしミエリンの不全のみで分裂病思考が発するとも考え難い。それだけだとせいぜい言葉に何らかのブレーキや混乱が生じるのみであって、分裂病的な論理のより能動的な破壊(分裂病的な思考障害や妄想)まではもたらさないのではなかろうか。分裂病的な論理が生じたところには本人の思考からのトップダウン的な協力がやはりあったのだと思う。

・それはどういうものか。色んなプロセスがあると思うがひとつ考えてみると、例えば、まず、ミエリン形成不全で、すべてのニューロンが並行的に(弁証的にでなく)平等に働くだけであるがゆえにほとんど足し算的にしか世界を理解できない思考があるとする。ここまではまだミエリンの不全だけで考えられる思考パターン。これは、場面のひとつひとつをその場限りに完結させそれをキメラ的に組み合わせることでしかできない世界理解である。この「完結」性は、想像的統一自我への執着と結びつく。「こういう世界だ」と自分が勝手に決めきった世界から外れたものは見ないようにしてそこに自我をぴったりあてはめ安住させようとする。ところが現実はそのように動かない。それは病者に脅威を与える。「何かこの世界おかしいんじゃないか。私をおとしめようとしているんじゃないか」などという思考が始まる。さらにその懸念を言葉で漏らした時他者から、例えば「おもいすごしよ」などと言われるとする。病者においては「いやきっとそうではない。」と言う方向に思考がずれ始める。それを表明するとまた他者に反対される。他者との関係においての自分のそういう位置が次第に確立してしまう。ミエリン不全のためそれぞれ平等に並行的に働くだけのニューロンの影響がここにもでて、この分裂病的思考に対して弁証法を掛けて疑うこともなかなかできず、この思考一本で世界を解釈する度が強まる。この思考で一杯になってどこかで飽和点に達して疑いが確信に変わる。そんな風にして本人の意識や他者との関係を介在させつつ分裂病的思考が成立するのだと思う。これがエスカレートするほど反動的に、この思考とは別に平行に働き続けているニューロンは―それが直接にそのまま原因となっているとは言わないが―精神自動症や自生思考、幻聴を生じさせるのに寄与するかも知れない。それがまた妄想を強めるという悪循環を始めさせるというふうになっているなどとも考えられるのではないか。

・さらに、ミエリンやドーパミン、思春期発症との関連については後日書き込みたいと思います。

No.724 - 2014/04/30(Wed) 03:48:58

分裂病とミエリン 1 / 水上雅敏
分裂病とミエリンの関係について考察中です。ややこしくなったので、細切れに書きます。中間報告です。まだミエリンの話は出てきませんが・・。

・マウスの海馬におけるシーター波と場所細胞の発火の関係を、人間の言葉の理解メカニズムに援用することはできないか。言語の音素として認知されるまでにはすでにいくつかの脳のトップダウン的な働きを経由しているはずだから言語の音素の認知をそのままマウスの場所細胞の発火と等価とするわけにはいかないだろうが、たとえば、音素意識が発する以前の音波の認知、あるいは音波相互の差異の認知などをマウスにとっての「場所」の等価物と考えることなどによって。そしてマウスが場所(A,B,C・・)を移動するにつれてのマウスの感覚変化を示す場所細胞(A,B,C・・)の発火が、シーター波上の各位相をドミノ倒し的にずれて配分されていくプロセスに、言葉が前後の関係(文脈)を測りつつ進んでいくプロセス(換言すれば、換喩―音素の流れ―と隠喩―前後から考えられる意味の厚みーの弁証的プロセス)をどのようにか重ねて見ることはできないか(マウスの場合とは違って、もっと複雑に、多重の波や記憶との関係づけを考えねばならないだろうけど)。このように考えられるとして、では、このプロセスが乗る波が人間の場合もシーター波なのかその他のリズムの波なのかはわからないが、ともかくそういう波自体はどう発していると考えるか? 生体に内在的にある、と考える以外に、その波も言葉自体が作り出す、と仮説することもできると思う。例えば、その波を、言葉がいまだ語りえていない穴の作り出す欲望の動きが現実界に作り出すものなどとも考ええよう(この場合逆に考えれば、父の名の排除なりで言語を崩せば、この波自体も崩れる、ということになる)。これが突拍子もない考えとも思えないのは、サルがいくつかの図形の区別ができない時は、脳の或る局部電位がただ一回変化した中に多くのニューロンの発火が雑然と起きたが、できはじめると(おそらく、区別を助けるいくつかの最小限の重要メルクマールが抽出でき始めたということかと私は思うが)、その局部の電位の変化が波のように繰り返され始め、特定の位相において規則正しく少数の発火が行われ始めたかのような様相が示されることになったデータもあることによる(p182『脳は物理学をいかに創るのか』武田暁)。

・想像的統合的身体への執着(身体像の穴、去勢に対する強硬な否認)が、そのような言葉のもたらす発火や波、あるいはそれらの関係を乱すことにはならないか。それが父の名の排除そのものであったり、それをたやすくさせる生物的基盤ではないか? 特に想像的な統合的身体は他者の攻撃から攻撃性を持って身を守る態勢を伴ってこようから、そこで生じた交感神経の興奮も影響したりして・・。もちろん分裂病の基盤を考えているわけですが。

・あるいは、分裂病においては、まず、そのような言葉のもたらす発火や波、あるいはそれらの関係の乱れこそが最初にあるのか。そして想像的な統合的身体への執着はその2次的な結果として。

・それにしても人には最初から言語があり論理が多少ともあるとすると、いくら統合的身体への執着を強めたり、言葉を乱そうとしても、そうしようとする自我自体はまともな論理をもっているわけだからパラドクスに陥り自己を分裂病化させるのは難しいだろう。

No.723 - 2014/04/27(Sun) 02:08:45

ご無沙汰しております。 / ネモト [関東]
先生、おひさしぶりです。

先生はお元気ですか?

ラララララ、ラカンでお忙しいのでしょうか。

たくさん飯食って、たくさん映画見てくださいね。

Le vent se lève, il faut tenter de vivre.でしたね!

No.722 - 2014/04/17(Thu) 23:02:34

追加 / 水上雅敏
ネクロトーシスについては以下などあります。

ttp://www.dojindo.co.jp/letterj/145/review/01.html

No.721 - 2014/04/14(Mon) 00:49:51

ネクロトーシス / 水上雅敏
なぜアポトーシスと言う、あえて積極的に死ぬプログラムを入れておく必要があるのか?
ただ、自然衰退ではまずいのか・・。
生と死の弁証法の中(一つの生体の中で、あるいは、個体間で生存の弁証法でか、に限らず)の生が能動的なものなら、それと等価に能動的な死があってもいいような感じもするが、そういうことからなのか。
あるいは、よりよい生の為の能動的な死なのか。
よい実を残すために、いくつかを刈り取る摘果のようなものか?

とするとアポトーシスの働く最適割合というのがあるのではないか。
とすると、摘果の最適割合はどうか。
幼児期の脳に一時ニューロンが増え、その後間引きされて残ったものの割合はどうか。
そこに、どのようにか、素数定理の示す数値(あるNまでの、整数中の素数の割合)が見て取れないかどうか?

話は違ってきますが、「ただ、自然衰退ではまずいのか・・。」と思って色々しらべると、アポトーシス=プログラムされた細胞死、ネクローシス=プログラムされない細胞死、以外に、ネクロトーシス=「プログラムされたネクローシスとでも言えるもの」があるようですね。今まで一見ネクローシスに見えていたものの一部もTNFαでの細胞死の誘導に乗る、ということで、逆に言えば、自然死に見えていた死も、細胞によっては、うまくやれば死なないようにプログラムを変えられる、ということでしょうか。

No.720 - 2014/04/14(Mon) 00:46:28

季節性感情障害の利点? / 水上雅敏
何の番組であったか、母親が、妊娠の早期にダイエットをしていると、生まれた子供は太りやすくなるらしいです。外界は、栄養が少ない世界らしいから脂肪を蓄えられるようにしていこうというメカニズムが働くらしいです。

この番組に触発されて、季節性感情障害の冬に鬱になるタイプに冬眠と同じメカニズムを見る考え方があると思いますが、ふと、冬に栄養を余り母親が採らなかったりして、胎児において冬には行動を制限してエネルギーを使わないようにしようとする機構が働き始めるのでは、とも思いました。しかし、季節性感情障害は日照時間の低下こそが誘因のようだから、そうでもないのでしょうね。それにしても日照時間とかかわる何か妊娠期の母親側の習慣が関係していないものかどうか・・。また、このような冬眠的な行動が、かつて人類に何か利益をもたらさなかったものか、何かの適応行動がただ今の社会に合わないだけなのではないか、という視点からも考えてみたいと思いました。

No.719 - 2014/04/03(Thu) 16:34:22

追加 / 水上雅敏
誤解呼びやすかったと思いますが、717の文、以下のように”コラム”を付け加えて読む必要があります。

”最表層を第1層とし、感覚器官に近いほうのコラムを「低次」(感覚→認識→行動、の左を相対的に低次として)とした場合、低次の”コラムの”第2、3層から、より高次の”コラムの”第4層に情報が流れる。高次の”コラムの”ほうからはその第5層から、低次の”コラムの”第1、6層に流れる(第5層からは、視床への出力も行われる・・つまり第5層は相対的に低次”コラムの”―皮質及び皮質下の―層への一般的な出力層とみなせる)。”

No.718 - 2014/03/29(Sat) 10:43:48

皮質のコラム構造の6層のはたらき / 水上雅敏
大脳皮質の大半は、少なくとも(解剖学的にはいまだ不明だが・・多分)機能的に見ると、6層のコラム構造の集まりらしい、というのは結構知られていることかも知れません。

各層の役割と、各コラム間の関連について前から関心がありましたが、『回路網のなかの精神』シュピツァー著127pを私なりにまとめると次のようになります。誤りあるかも知れません:

”最表層を第1層とし、感覚器官に近いほうのコラムを「低次」(感覚→認識→行動、の左を相対的に低次として)とした場合、低次の第2、3層から、より高次の第4層に情報が流れる。高次のほうからはその第5層から、低次の第1、6層に流れる(第5層からは、視床への出力も行われる・・つまり第5層は相対的に低次の―皮質及び皮質下の―層への一般的な出力層とみなせる)。”

結局この関係でコラムがずっと連なってるということになっているのでしょう。

根拠のない連想をいろいろしますと:
・高次(第5層)から低次へ向かう情報は、最上部(第1層)と、最下部(第6層)へ別れ、これで低次のコラムを挟み込んでいる形になっている。パロールとエクリチュールという直交軸に近い両極(一線状にならび時間を構成する消えやすい音声v.s.空間を幻想に構成させる、残り続ける線)の働きで挟みこんで、低次の信号を差異化しようとしているということか? この挟み込みを行っているこの2つの流れとして、他には、輪郭領域⇔内部領域、全体⇔部分、サイン⇔コサインetcなどいろいろ考えられる。
・他方、低次のほうの第2、3層は、一緒になって高次の第4層に入っている。第2、3層が安易に混合されたというより(それだったら、最初からひとつにまとまっておけばいい)、第4層に入るおりにはその2つを相対化した一つの情報が入ると言うことか? 例えば、その2つの信号の「割合」、とか、あるいは「差」とか。

あとは本書をもっと読めば出てくることでしょうがとりあえずわいている疑問:

このコラムの連鎖の低次の端と、高次の端はどこにつながっているのか?
その端はそれぞれ一つなのか、複数あるのか?
螺旋的に高まっていっているのか?
あるいは円環的で全体的に、実はどれが最も高次でも低次でもない、という構造になっているのか?
辞書のように決定的な端というのは無い円環構造なのか(結局は、右=左でない、左=右でない、というふうにしか定義的ないところがいくつかあり、決定的な定義を持つ語はないような円環)?

No.717 - 2014/03/25(Tue) 17:09:40

縞と面の知覚 つづき / 水上雅敏
【衝撃の事実】この鳥の正体が人間だなんて…信じられますかーッ!?

ttp://news.livedoor.com/article/detail/8664216/

女性だとわかるには、どれが輪郭で、どれが単なる模様か、試行錯誤しないといけなくなる。だから均一面に反応する細胞はまた縞―面内部の模様という意味での―にも反応しておく必要があるのではないか。何を輪郭とし面の中の模様とするかは、その意味で相対的。面自体は、そのさまざまな色の違いに気づかれている分、そこでは面相互の相対化(差異化)が行われているはず。いわば特異点相互の差異化が(=輪郭や模様、縞の差異化とはまた違った次元の差異化。この差異化を行っている機能も脳のどこかにあるはず。)。均一面に反応する細胞が縞にも反応するのは、あるいは、この面相互の間の境界に気づくからか? 

別に、上に紹介した画像でなくとも、よくある「老婆と若い女」―何を図ととり何を地ととるかの認知の行き来を露呈させる画ーでもよかったのですが・・。

No.716 - 2014/03/25(Tue) 11:57:26

クラムボンにも意味があった? / 水上雅敏
宮沢賢治の「やまなし」の中の、「クラムボン」は実は無意味な語・・その分、人々に色んな想像をめぐらさせるし、また記憶に残る語ともなる・・面白いレトリックだな、などと思っていたのですが、実は意味が在ったのかもしれません。

「素人がアイヌ語からみたクラムボン」ttp://www.geocities.jp/holmyow/yamanashi
に次のような考察があります(抜粋)。

『アイヌ語としてのクラムボン 
 クラムボンをアイヌ語に分解すると、kur・人、男 ram・低い pon(bon)・子どもとなる 。多くのアイヌ語辞典などの表記においては、ほとんどbの音は使われていない*5。だが、なまりによって変化することもあり、pとbを混同して表記されることは当時ではよくあった *6。「やまなし」の初めての連載においても、「クラムポン」と「クラムボン」の記述は一定していなかったという *7。
 クラムボンは、単語の意味をあわせると、アイヌ各地に分布する伝説の小人・コロボックルだと考えられる。       
 十勝の伝説においては、十勝川で溺死させれたコロボックルが、「お前たちも魚皮(カップ)の焼け焦げるような運命に逢うだろう」という呪いの言葉を残したと伝わっている*8。コロボックルに通じる意味を持つクラムボンが「カプカプ笑った」「殺された」というのは、このようなアイヌの伝説を元にしているとも考えられる 。』

No.715 - 2014/03/25(Tue) 01:00:23

縞と面の知覚 / 水上雅敏
685の記事『錯覚を防ぐ視野の中心、そして境界と面の認知と構造主義の関係』で、紹介した「ネコ視覚野における均一な面の表現の機能構築」ttp://www.nips.ac.jp/scinfo/2003tani.htmから、私なりに、私自身が注目したいポイントをまとめてみました(誤読、誤解が多分にあるかもしれないこと前もってご了承のほど)。考察は、ややこしくなってきたので後日書きます。結局、上記論文の本文を読んでいただいた方がよいかも・・。

@脳の初期視覚野において、均一面刺激(面)を見た時に活動する領域は、「方位選択制地図」の「特異点」付近にある。
A「方位選択制地図」とは、線分の各傾きに応じた、脳の反応領域を地図的に分けた図(多分?)。
Bttp://www.be.kagoshima-u.ac.jp/~wang-lab/cat/cat_4.jpg 多分これがそういう地図の一例だと思いますが、私には、台風の各領域の風向が、全体としては「渦上に配分されたベクトルの集まり」に見えます。@で言う、「特異点」とは、いわばこの「台風の目」にあたるところかと思います。ここが「面」を見た時には活動し、まわりのベクトルのところ(台風からの風向)に在る細胞は、そこにベクトル的に示された各傾きに応じた線分(当該の実験では市松模様や縞:輪郭とも関係してくることでしょう)を見た時に活動する、ということでしょうか。こういう均一面に反応する細胞が集まるのは、17/18野の境界(左右両視野から受ける入力の重なるところ)付近の18野側(この特異性については記載なし)。この領域外(しかし17/18野内のということか?)から得た細胞(cell3,4)は均一面には反応示さず、縞や格子模様には反応した。これらの領域(均一面に反応する細胞の集まる領域外)にも多少均一面に反応する細胞があったが、それらはやはり、上記「特異点」に位置するものであった。均一面に反応する細胞(それらの多く集まっている領域のそれら、に限られるのか?文面からはそうも見えるが、不明)は多くの場合は縞刺激の傾きに対しても選択的な反応を示した。均一面に反応する細胞が集まるのが17/18野の境界付近と言う左右両視野から受ける入力の重なるところである理由の一つの可能性として、著者は「これらの領域が左右の視野にまたがる面を連続した面として知覚するための橋渡しのような役割を持っているのではないか」と考えている。均一面に反応する細胞がまた縞刺激にも反応するのは、著者は「これらの細胞は面を含む空間周波数が低い領域の刺激に反応しているのだとも解釈」している(←空間周波数がひくい、とは縞なり輪郭相互の広がりが広いということでしょうが、面を含むとはどういうことか?面相互を相対化させている境界への反応ということか??)。縞に反応する細胞(当論文ではcell3,4)は、17/18野内の「同側」にある(同側とは、右視野からの入力が右脳へと入るルート上に、ということか、よくわかりませんが)。

No.714 - 2014/03/24(Mon) 21:13:19

BZ反応の暫定的な停止に、静的構造への、動きや時間の次元の丸め込みを見得るか? / 水上雅敏
708で書いた、『生命の自発的運動の次元までも静的構造に落としえるか?』
「零下196度で生きるヒル 凍結、解凍に耐える 仕組みは謎」

の件。

通常は赤と青を振動し、赤で最後はとまり(だったか?)、ずっとそのままであるとそれまでは思われていたはずのBZ反応だが、次週の月曜に見ると、その液体は黄色になっていた、という女子校生による発見のニュースが思い出されました。

以下『化学者のつぶやき』より抜粋:

ttp://www.chem-station.com/blog/2011/11/post-314.html
『さて、どのような研究かといいますと、Belousov-Zhabotinsky反応(BZ反応)と呼ばれる色が周期的に変化する化学振動反応に関するものです。BZ反応は見た目の面白さから化学実験の題材として人気があります。この化学振動が「どのようにして起こるのか」はよく文献に書かれていますが、「どのようにして止まるのか」は詳しい記述が無く、この問題について探求した実験です。
今回の彼女たちの発見は、一度振動反応が止まったかのように見えた反応系を放置しておいたところ、5-20時間後にまた振動が復活したという観察から始まっています。論文のタイトルは直訳すると、”死んだBZ反応の復活”でして、このあたりのセンスには脱帽してしまいます。
振動の止まり方としては、振幅が徐々に小さくなるというより、突然プツッと停止するということを観察しており、臭素酸ナトリウムとマロン酸の初期濃度によって、振動停止後、低電位を維持する還元定常状態(図中赤いグラフ)と高電位に遷移する酸化定常状態(図中青いグラフ)に落ち着く場合があることを見いだしています。また、様々な濃度で実験を行ったところ、一旦振動が停止した後、定常状態を経て再び振動が起こる濃度があることを発見しました(図中黒いグラフ)。一つ目の振動と二つ目の振動は異なった振る舞いをしているのが特徴的です。』

なぜ、このグラフの黒に示されたものの割合だと、振動が復活するのか、なぜ振動の様相が変わるのか、この停止していた時に何が起きていたのか、まだ、full textを見れてなくて、わからないのが残念です。

No.713 - 2014/03/24(Mon) 03:07:05

いじめを訴えにくい理由 / 水上雅敏
いじめの訴えられなさの原因。いずれも大なり小なりいじめられた側が実際に述べたもの(9は、本人が言うより、状況から推察された場合が多かったと覚えるが。)

1:純粋に、親に迷惑をかける、と思い。(と本人が言っていても、話を深めると、実は2、3、4、5である場合も多いと思う)
2:親に迷惑をかけない自分の完璧な像を傷つけてしまうから。(最初は、1のように述べてくること多い)
3:自分がいじめられるような存在だと親に見られたくないから
4:突然、家に変化をおこしたくない、おこすのが怖い。
5:親が過剰に動いてしまうのがいやで。
6:ちくったとされてしまう。
7:大人として、自分で解決すべきことと思っている。
8:家の中でだけは、何事も無い平穏な日常世界に保っておきたい。
9:話していくと、自分自身もやましいことを他者にやったことを話す局面にはいりそうで(自分も他者をいじめたことが、現実的に確かにあった場合はあると思うが、幻想的にそう思ってしまっているだけの場合もありえるのかどうなのかはまだ観察不足、考察不足)。

No.712 - 2014/03/23(Sun) 23:21:49

もの忘れと、検索過剰 / 水上雅敏
加齢のためか、もの忘れはひどくなってます。「空海」は出ましたが、「最澄」がなかなかでませんでした。

思い出せなければすぐに検索する・・からもの忘れが助長される、というより、別に思い出すためのものでなくてもともかく検索してばかり、ということ自体が、思い出すことをお留守にさせているからではないか、と主観的には感じております。

No.711 - 2014/03/23(Sun) 22:57:47

生物の修復機能にとっての素数多角形の合理性 / 水上雅敏
『素数を作る装置(694)』で書いた

>煎じ詰めると、「多角形が素数の数の頂点を持つものであれば、ある頂点から出発して一筆書きで、すべての頂点から他の全ての頂点と結びえる対角線を描くことが出来る(合成数ならどこかで筆を離さないといけない)。」ということになると思います。

少し不正確でした。例えば9角形でも、あちこち巡るようにすればすべての対角線をめぐるように一筆書きできます(多分、この場合頂点同士は必ず一直線に結んで一筆書きにする、というやりかたは破ることにはなると思いますが・・よくわかりませんが)。正確には、素数の数の頂点を持つ多角形であれば、ある一つの頂点から一筆書き的に、そのまま円周的にめぐってもすべてつなげ、一つ置きにめぐってもすべてつなげ、また、2つおきにも同様、etc.として、結局その一頂点からも、すなおに、きれいに、一筆書きですべての対角線を結べる。素数ではない多角形ならこのようにできない・・ということです。多分そうだと思うのですが・・。

そう考えるとふと次のような考えが浮かびました。

素数多角形の、どこかの対角線上に故障が在った場合は、その信号をすべての頂点が直接に感じ取れることになるのではないか。そして、例えば、5角形の場合に、5芒星的に結ぶ対角線のいずれかに故障があった場合でも、別に保存されてある全頂点を結ぶ一筆書きのルート(=この場合はこの円周的に結んだ5角形そのもの)から、各々の頂点は、「これは5角形なのだ、だから、今故障しているのは五芒星のかくかくしかじかの対角線なのだ」と気づいてそれなりの援助をすぐに流していけるのではないか。素数でない多角形の場合より比較的にたやすく。生物は、修復機能の為、こういう素数多角形をどこかで利用していないか。

No.710 - 2014/03/23(Sun) 22:51:41

アルツハイマーと知覚「間」的差異について / 水上雅敏
暗所で育て視覚を奪っていた子猫を2匹、天秤様にさしわたされた木につけられた左右のゴンドラに乗せ、一方は手足が出せて歩ける状態にし、他方は足が出せず歩けないままにし、歩ける猫が嗅覚を使って餌にたどりつくと、他方も餌も食べられるようにすると、自ら歩いた猫は視覚も得られたが、他方は盲目のままであった・・という実験があるそうです(ヘルドとハインの実験)。

ひとつの様式の知覚意識だけで独自にその内部の差異を作ることが不可能なこと(上の実験ではいくら風景は目に映っていても、においをかぎ歩くこととの組み合わせが無ければ視覚意識内の差異も作られないこと)が示されているように思います。(欲望を持たず依存的なだけでは知覚的な差異化が発展しない、ということも示されているようにも思いますが)。

換言すれば、知覚意識「間」的差異(「フォルト・ダー」対「糸巻の消失・出現」)があってこその知覚意識「内」的差異(フォルト・ダーという一聴覚意識内の差異。あるいは糸巻の消失・出現という視覚意識内の差異)が生じることがそこに示されているように思います。後者があってこその前者でもある、という相互依存性は実験では示されていないのでしょうが、論理的には、そもそも足を動かすにしても、足自体の運動感覚の差異化がなければなりませんから、これらはやはり相互依存的なのでしょう。

この実験から(また、記事707で書いたように、異質な行為を同時に行われることで病像悪化を弱めることができることから)、アルツハイマーでは、こういう知覚「間」的差異を傷害する何かが起きているのではないか(たとえば、フォルト・ダーと、糸巻の消失出現を交差(=差異化)できなくなった)、と考えることもできるようにも思います。あるいはやはりいずれかの知覚「内」的差異の障害が最初なのでしょうか(たとえば、フォルト・ダーそのものの差異化が行えなくなった)?
たとえば、アルツハイマー病の、言語間代という症状、―言葉の終わりの部分や中ほどで、同じ言葉を何度も繰り返す発語障害=「私たちたち」のように言葉の末節だけを繰り返す傾向―はどう考えましょうか? 

ともかくそうして言葉の弁証法も進められなくなることは、記憶障害も説明できるように思えます。というのは、「言葉の弁証法は自らのいまだ語ってない隙間を語る形で進んでいく」と考えると常に以前語ったものへの参照が行われていること(いわばフィボナッチ数列のように)になるわけで、逆に言えば、今弁証法が行えなくなることは、もはや以前の語りを参照する必要もなく、これまでのすべてが関連付けられずほどかれていく(要素的にばらばらに残っているのかどうかわかりませんが)ことになると思われるからです。

No.709 - 2014/03/22(Sat) 02:00:16

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