♪風の便り−きらめきの刹那 掲示板

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第4章完結! / 手鞠(管理人)
何とか年度替りの前に決着をつけられてホッとしております。
元原稿の段階では一番完成度の高い章だったので、もっとすんなりと更新できると思っていたのですが…、その油断が一番の大敵だったか…(^_^;)

さて、これからまたしばらく長いお休みをいただくことになるかと思いますが、ちょこちょこご感想などいただけますと大変嬉しく存じ上げます m(__)m
No.231 - 2007/03/30(Fri) 19:34:16
Re: 第4章完結! / えりか
 手鞠さん、こんにちは♪

 第4章完結、おめでとうございます。そして、お疲れ様でした〜。

 御館秀衡にしても、第3章で登場した義仲にしても、新しい時代の息吹のようなものを感じますね。残念ながら平家にはそれが足りなかったのかもしれません。陽が沈む前の輝き……、確かにそうですよね。
 
 この第4章で、竜と九郎の絆がぐっと深くなりましたね。でもやっぱり、重衡さんのことも気になります。最後の方での、「九郎どのと重衡どのの戦いはさけられない」と予感している竜の姿は切ないですね。何はともあれ、次章が楽しみです。再開をお待ちしていますが、どうか手鞠さんのペースでゆっくり原稿を仕上げていって下さいね。
  
No.232 - 2007/03/31(Sat) 21:21:36
Re: 第4章完結! / 手鞠(管理人)
えりかさん、こんにちは〜♪
早速の書き込みどうもありがとうございます。

義仲や秀衡の勢いを強調するのは、平家の滅亡を知っている現代人視点の描き方でどうかとも思ったのですが、竜はどちらかと言うとマイナス思考の傾向が強いので、自分が関わると何でも悪い方へ転ぶように思ってしまうということにしておこうかと…(汗)。史実を見れば中宮徳子が皇子を産むのはこれから5年後のことになりますし、この時の平家はまだ絶頂期にも達していませんからね。

竜と九郎の絆は、正直、ちょっと深入りさせすぎたかなとも思うのですが、重衡との関係の方で出会いから3年飛ばして二人が親密になる過程を省いたものですから、重衡とも今回の九郎と同じような感じで心を通わせて行ったのだろう…と補完材料にしていただく意味合いもあって濃さが倍増しちゃったのですよね。終盤になって、遅ればせながら九郎離れの努力も始めたものの、この絆との決着をきちんとつけさせられるか…、ちと不安だったりもします(汗)。
No.233 - 2007/04/01(Sun) 16:39:26
「対面」4up / 手鞠(管理人)
前回更新から1ヶ月以上が経ってしまいましたが、本日より再開いたします。
と言っても、次回で第4章も完結となってしまうのですが… (^^;)

御館との対面の席上にて、新たな難題を突きつけられた九郎に、竜は果たしてどう動く?
No.230 - 2007/03/18(Sun) 19:52:24
お久しぶりです / ともp
手鞠様、お久しぶりです。
確定申告のお仕事、いよいよ佳境に入って、夜お休みになる時間もないのではないでしょうか。
どうか、お身体お大切になさってくださいませ。

我が家の確定申告のほうは、昨夜終わりました。
実は、私の義母は小さなアパートをもっているため、確定申告をしなければならないのです。
しかし、義母はちょっと認知症でして、大切な書類をすぐどこかにもっていってしまうので、我が家の確定申告の仕事の大部分は、家捜しという不毛な結果に終わりました。

結局、大切な書類はでてこなかったので、税理士さんと相談して、なんとか申告書を書くことがでたのですが…。
一番、税理士さん泣かせのパターンですよね。
来年はこんなことのないように頑張るつもりですが、はたして義母を説得できるでしょうか…。

とりあえず、これから手鞠様のかかれた小説や随筆を堪能したいと思っております。
読み終わったら、また感想を書きます。

それでは、また。

これからもどうぞ宜しくおねがいいたします。
No.228 - 2007/03/05(Mon) 19:46:51
Re: お久しぶりです! / 手鞠(管理人)
ともp様、こんにちは〜♪
本当お久しぶりです。レスが遅くなってすみません。

申告期限まであと10日を切り、例によってバタバタしておりますが、日曜出勤するなどして調整をとっているので、今の所は毎日の帰宅はそれほど遅くにならずに済んでいます。まあ、問題はこれからなのですが… (^^;)

ともp様の方も、今年も無事確定申告を終えられたようで何よりですが、しかし、いろいろご苦労されたようですね。

再発行などで補えるものはいいですが、そうでないものについては本当困りますものね。ただ、そういう状態であってもなくても、こういう書類関係は日常的に紛失してしまうケースも多々ありますので(そこを強調して説得)、どんな書類も可能な限りコピーをとって、別にもう1組保管しておかれるのが懸命かと思います。

こちらこそ、当面は更新もままなりませんが、どうぞよろしくお願いします。
No.229 - 2007/03/06(Tue) 12:54:20
更新遅延のお知らせ / 手鞠(管理人)
またまた小説のアップが遅れており、申し訳ありません m(__)m
ただいま、確申期真っ只中につき、連日残業続きで中々思うように時間がとれない状態に陥っております。

とりあえず、現在ブログに掲載しております屋島レポを先に完結してしまってから(記憶から抜け落ちてしまう前に)、こちらの作業にとりかかりたいと考えておりますので、場合によっては3月半ば以降にズレ込む可能性もありますが、どうか気長にお待ち下さいますようよろしくお願い申し上げます m(__)m
No.227 - 2007/02/24(Sat) 00:56:42
近衛基通 / ひがしまち
激動の時代の変わり目「勝ち残った類稀な勝者の一人」と
思われますか?私は歴史知識には乏しく研究者でもありま
せんから、よく判りませんけれど、基通については、許さ
れるなら「キレ者」の憶測は感じますね。それは
公卿間や、家族や、天皇法皇などへのお仕えや、所領につ
いても、対応判断にソツがなかった人、先を見る目があった
人、のような気がします。なにもそう感じる根拠もなくです。
継母の平盛子が広大な各地荘園の相続者たりえたことも、
基道には平家との関係で、運がよかったのかも知れません。

我が家の家系については、この一月に兄にあったときには、
「うちの家系は日本のトップだよ」と声をひそめて二度も
云われました。兄は学者ですから、いい加減なことは云わ
ない、なにかを見ているのかも、と思っています。

ま、これも「運命の星輝くとき」シュテファン・ツバイク
か、「きらめきの刹那」なんでしょう。

父が故佐藤総理に会ったときも、「キミもノ〜ベル賞でも
もらわんといかんよ」とか話して呵呵大笑して別かれたと
か。父親の5千冊以上の書架の並ぶ書斎で、古事記日本書紀
六国史やらたくさんの書物の間に育って、私も手にとって
もう少しかじっておくべきだった、と今頃後悔しておりま
す。

                ひがしまち
No.224 - 2007/02/23(Fri) 15:37:37
Re: 近衛基通 / 手鞠(管理人)
ひがしまち様、こんばんは。
下の書き込み分とまとめてこちらにレスをつけさせていただきます。
なお、私も学者でも研究者でもないただの歴史好きにすぎませんので、そこの所はよくご承知おきいただきたいのですが…。

平安時代も半ば過ぎ頃までは武家と公家では雲泥の差で、武家は摂関家等の有力公家に仕えることで体面を保ち、およそ番犬のような扱いを受けていたと言われています。その後、摂関政治から院政へと移り変わった辺りからこれまでの序列が崩れ始め、保元・平治の乱を経て平家が台頭し、武家の地位も急激に上昇することとなります。

『平家物語』の摂政基房に対する無礼の一件は、清盛の長男重盛の二男資盛(清盛の孫)が起こしたものですが、こうした争い事はこれ以前にもしばしば公家同士の間でもあったようで、当時としてはそう珍しいことでもなかったようです。

歴史上の人物について、何をもって勝者と判じるかと言えば、結局の所、世の中に影響を与えつつ自分の血筋をどこまで残したか…ということになると思います。いくら平家を討ち滅ぼし当代一の武将の名を欲しいままにしても、最後は悲惨な末路をたどった源義経は勝者とは言えませんからね。

父基実の代から続く平家との縁戚関係、後白河院の寵愛など、どちらかと言えば本人の実力とはあまり関係のない部分がクローズアップされがちですが、手近な例で基通の前の摂政だった叔父基房が激動の時代に翻弄され、自身の松殿家を摂関家として残すことができなったことを思えば、近衛・鷹司と五摂家のうちの二家を占めた基通の家系は十分に勝ち組と言えるのではないでしょうか。もちろん、基通一人の力ではなく、後に続く家実以下の子孫の力に寄る所も大きいでしょうが、でも、最初で躓けば後はありませんからね。運であれ策謀であれ、生き残った者勝ちでしょう。
 
No.226 - 2007/02/24(Sat) 00:55:42
平家物語と家格 / ひがしまち
「家格」ですかあ?。それで思い出すのは、子供の頃読んだ
「平家物語」で清盛の弟小松の内府重盛の子だったか、摂政
基房の乗った牛車に道ですれ違いのとき、馬から降りなかった
「無礼」をはたらいて、騒ぎになった、平家の権勢の一例として
物語では書いてあったのを鮮明に思い出します。

それより前の今昔物語では、ある武士が旅の途中、公卿の一行
に会い、道端によけて平伏したら、それは公卿に化けた強盗団
だったので、身ぐるみはがされてしまった、とか.....。
当時は公卿が武士よりも身分は上だったということでしょうか。

「家格」は日本独特といえるのか、封建時代のしきたり様相を
伝える典型的な「身分の上下」関係を云いますねえ。赤穂浪士
の「殿中でござる」の吉良上野介の事件とかも「家格」があった。
武士の場合には厳格な「主従」関係を支えるものではあったと
思いますが。窮屈でいやなものですねえ。現代では理解できない。

軽井沢である夏、天皇が別荘にお着きになる、というので、
父親が子供の私に「一緒に通り道へお迎えに行こう」と云いだし
たことがありました。私はその平家物語のことが頭にあって、
道端へ出て立って天皇のお車通過を見に行くのなんか厭だ、
と言い張って行かなかったことがあります。
その日、一日中、父親の機嫌が悪かったこと、今でも記憶して
おります。あ、これは家格とは関係ないか。

軽井沢では父親が散歩しておりましたら、佐藤栄作総理大臣が
車で踏み切りを渡ってきて、父を見かけて、わざわざ車をとめ
させて降りてきて話しかけ、道端で立ち話をしたことがあった
そうです。父親は佐藤さんとは初対面だったそうです。

道端で身分の高い方とすれちがうって、意味があったのかな?
私は芸能人とはいろんな人とすれちがったですけれど。
サインでももらっておけばよかった。

                 ひがしまち
No.223 - 2007/02/23(Fri) 09:59:06
近衛家の系図 / ひがしまち
我が家の古文書の目録には、近衛家の系図(年不詳)というものも
ありましたから、自分の目で確認できる日もあるものと思います。

基通の時代、源氏に対してというよりも、当時の公卿や摂家間での
仲の悪さなどの公卿社会内部の、源氏対平家とか平家との縁とかに
も一部には尾を引いて起因する、環境もあったものと思います。
それが承久の乱にまで続いていく。
平家都落ちなんて、一家眷属引き連れてのたいへんなことだった
でしょうね。
                    ひがしまち
No.221 - 2007/02/21(Wed) 18:21:08
Re: 近衛家の系図 / 手鞠(管理人)
ひがしまち様、こんばんは〜♪
現在大ぴらに引用されている『尊卑分脉』は室町期の成立と言われ、元々信憑性に疑問点のつく所が多々ありますので、それ以前に記された系図とすれば、今まで知られていない新たな発見もあるかもしれませんね。

基通の生きた時代というのは、平家によって古い秩序が打ち壊され、続いてその平家までもが倒れたことで、誰もが朝廷内で主導権を握れる可能性のあったサバイバル時代ですから、自分以外は全て敵!という意識は誰しもの胸にあったことでしょうね。

そして、この時代に後世までに続く「家格」というものがほぼ形作られたことを思うと、長い歴史の中でも、非常に重要度の高い時代を彼は生き、その中で勝ち残った類稀な勝者の一人と言えそうですね。
No.222 - 2007/02/21(Wed) 22:51:17
追記 / ひがしまち
我が家の場合のことなど、つい1部書き連ねてしまいました
けれども、現在、我が家の蔵から出た古文書をまだ某国立大学で
たくさん解読中なんです。何年もほうっておかれたものが、
やっと昨年から第三者解読の形では学術的には判ってきたのです。

六波羅探題からの書状も嘉暦三年1300年代初め、北條武蔵守、
越後守の署名もその頃、祖の光近も、基通の子の子、ということ
になりますから訂正しておきます。
昔は男系の祖先の名前を旗印にかかげておけば、御子の御子でも、それで通ったのでしょうし、「やあ、やあ、遠からんものは音に
も聞け、我こそは清和源氏なんの誰それの...」と合戦前に名乗り
合ったとかの物語風と違って、他文書の解読が進みませんと確定
できませんね。....と訂正追記させていただきます。

私は端午の節句の武者人形、ひな祭りの雛人形、日本の祭日の形
ですけれど、全く好みません。つい半世紀前までは戸籍謄本まで
華族とか士族とか明記されていて、否定はできませんが、とても
反感を持ったことを覚えています。天皇だけ残っていればそれは
それで充分。その外戚取り巻きは要らない。

国の歴史文化も階級社会の名残り記述のみでは、ほんとに窮屈、
いやなことですよね。だんだん誰もが格差なんて感じられない
自由な社会になってほしいものです。でもだんだん昔の身分社会
に生きる人の作られた俗な心情なんて理解推測もできなくなる
のではないでしょうか。

                  ひがしまち
No.219 - 2007/02/19(Mon) 09:32:51
Re: 追記 / 手鞠(管理人)
ひがしまち様、こんばんは〜♪
そうですね。史料の世界は日進月歩、ひがしまち様のお家から提供された古文書のような解読中や解読待機中のもの、それに、まだまだ埋もれたままになっているものも数多く残っているでしょうから、今後もどんどん新たな発見が出てくるかもしれませんね。

階級うんぬんについては、ないにこしたことはありませんし、実際、日常レベルではそういう意識はすっかり薄れてしまっているのではないでしょうか。とはいえ、過去にそういうものがあった事実は消せませんし、1000年以上の時をかけて築き上げられたそういう価値観は今を生きる私達が意識しようしまいと、身体の中のどこかに染み付いてしまっているものですから、それはそれでやはり受け入れて行かないといけない部分もあるかと思います。

階級のことはともかく、古くからの慣習や伝統は良きにつけ悪きにつけ日本人の心の根底に根付いているものですから、それを全く無くしてしまうのは淋しいこと。簡略化するなど時代に合わせた変化は当然あっていいと思いますが、今後も受け継いで行けるものはできる限り受け継いで行って欲しいと考えます。
No.220 - 2007/02/19(Mon) 20:24:01
ありがとうございました / ひがしまち
どうもありがとうございました。
ぼくがここに来たのは、1月末に、どこかで「自分と平家を
裏切って基通が都に引き返したのは、完子は許せなかったに
違いありません」という文を見かけたものですから、それが
気になっていて、たまたまここを見つけて来たからなんですよ。

ですから、あまり家系とかにはふだん関心はありません。
歴史小説やらの、虚構の著述の世界のほうに引かれます。

地頭職というものも、自分の居宅とその近辺は個人所有
が認められていたのですが、江戸時代には転封のときなどに
所有のまま移転することは許されなかったものですから、
他人に預けていくしかなくて、そのかなりの土地や家屋など
の預り証文が残っていて、明治九年に藩籍奉還後、祖父が
普賢寺と近辺の所有権を裁判所に訴えたのですけれど、もう
認めてもらえませんでした。今の京田辺市の土地が惜しくて
この一月も東京〜名古屋〜三重〜奈良〜大阪〜九州とドライブ
旅行をしたんですけれど、立ち寄らずで、ただ懐かしい思い
をしただけでした。

では、がんばってください。

                ひがしまち
No.217 - 2007/02/18(Sun) 02:27:53
Re: いえいえ、こちらこそ / 手鞠(管理人)
ひがしまち様、こんばんは〜♪
歴史というものは、往々にして一つの側面だけを切り取って語られがちですから、そういう意見が出るのも致し方のところですね。

基通が都へ引き返したという一事についても、実際は彼なりに平家方のプラス材料を模索してのことだったのかもしれませんが、残念ながら形となるものを何も残していないため、結果として平家を裏切ったという結論になってしまうのですよね。

完子にしても、基通に対して恨み心のみを抱いて生涯を終えたかもしれませんし、でも、そうでないかもしれない…。壇ノ浦から生還した後、基通の元へ戻らなかったのは事実としても、その時の完子の心の内までは誰にもわからないことです。

何かを語ろうとする時、何の根拠もなく断言口調を使ってしまうこともありますが、元々が曖昧模糊な存在の歴史についてのことですから、なるべくそれは慎むべきでしょうね。わざわざ「許せなかったに違いない」と無理に強調せず、「許せなかったのだと思います」と結ぶ。私もこれからは気をつけようと思います。
No.218 - 2007/02/18(Sun) 18:52:08
母と子 / ひがしまち
1992年中央公論社刊、平家物語絵巻には、平家都落ちに際して
子供を連れていかなかったのは、平家一門では平維盛だけであった、と記載されております。その絵巻では維盛とその北の方との置き去りにしていく子達を思い嘆くあたりが綿々と描かれれていますね。

関白基通については、この本では、西に向かう途中、春日明神の
使いと思われる童子が目の前を横切って、これおお告げと感じた
から都へ引き返したのだ、ということになっています。

基通の正室平完子の子がどうなったのか、基通の他の子がそれぞれ
全部がどのように生きたのか、その母とともにはっきりわかると
いいのですけれど....。完子は健礼門院とともにその後都へ連れ戻されて尼になったのでしたね。

清盛の孫は生き残ったのでしょうか?
それとも、平氏とは関係のない血筋の子だったのでしょうか?
ただ、「近衛関白基通の御子」というだけでは判らないのが
ぼくには悩みの種の一つです。

仕事が忙しくなりましたので、
では、これにて。

                 ひがしまち
No.215 - 2007/02/17(Sat) 16:33:02
Re: レスが遅くなり申し訳ありません / 手鞠(管理人)
ひがしまち様、こんばんは〜♪
何分、近衛基通についてはこれまでほとんどノーマークで、特に平家滅亡後のことはよくわからなかったものですから、あれこれ調べるのに少々手間取り、レスが遅くなりました。

さて、『尊卑分脉』で確認しましたところ、基通の後、近衛家を継いだ家実の母は源顕信女。外戚の顕信の叔母に基通の祖母(父基実の母)や叔父・松殿基房の母に当たる女性がいますので、そうした関係から基通に嫁したのでしょうね。

家実は治承3(1179)年の生まれとなっていますので、『玉葉』にいう治承元年6月9日に完子が生んだとされる男子の方が年長。世が世であれば当然完子の子が後を継いだことでしょうが、そうならなかったのはやはり朝敵となった平家の血筋を引いていたためか、あるいは年少のうちに夭折してしまっていたか…、この辺りは確かな記録が残っていないようです。

同じく清盛の婿になっていた花山院兼雅と四条隆房は、いずれも清盛の娘だった正室腹の長子を跡継ぎに据えていますので、必ずしも平家の血筋が憚られたわけでもないようですが、とはいえ、別格の摂関家ではそうも行かなかったかもしれませんし、何より基通の場合は平家という後ろ盾を失った後の自身の地盤の弱さも大きなネックだったように思います。

家実の母の出自は家格としてはさほど高くないものの、鎌倉時代初期の頃に朝廷内で隠然たる力を有していた土御門通親も同族の村上源氏。ライバルの九条家と摂関を争う基通が、その系統と連携をとることで優位に立とうと考えても不思議ではなく、数ある子息の中で家実が後継者となったのは、当時としては自然な流れだったのでしょうね。

そういう流れを踏まえれば、完子の子がいながら、それに替えて家実を嫡子にしたことも十分にありえると思いますが、ただ、先に書きました花山院家や四条家の例を見ても、特に平家の血を引くという素性が憚られ、ひた隠しにしなくてはならないほどの切迫感も感じられませんので、恐らくは生まれて間もない時分に亡くなっていたのではないかと…。

だからこそ、平家都落ちに際し、完子は基通と行動を共にしなかった…。もし、二人の間に子があれば、その子のためにも、夫と共に都へ引き返すことを選択したのではないかと思われます。兼雅・隆房室となっていた姉妹がそうしたように…。
No.216 - 2007/02/17(Sat) 22:34:44
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