我が家の場合のことなど、つい1部書き連ねてしまいました けれども、現在、我が家の蔵から出た古文書をまだ某国立大学で たくさん解読中なんです。何年もほうっておかれたものが、 やっと昨年から第三者解読の形では学術的には判ってきたのです。
六波羅探題からの書状も嘉暦三年1300年代初め、北條武蔵守、 越後守の署名もその頃、祖の光近も、基通の子の子、ということ になりますから訂正しておきます。 昔は男系の祖先の名前を旗印にかかげておけば、御子の御子でも、それで通ったのでしょうし、「やあ、やあ、遠からんものは音に も聞け、我こそは清和源氏なんの誰それの...」と合戦前に名乗り 合ったとかの物語風と違って、他文書の解読が進みませんと確定 できませんね。....と訂正追記させていただきます。
私は端午の節句の武者人形、ひな祭りの雛人形、日本の祭日の形 ですけれど、全く好みません。つい半世紀前までは戸籍謄本まで 華族とか士族とか明記されていて、否定はできませんが、とても 反感を持ったことを覚えています。天皇だけ残っていればそれは それで充分。その外戚取り巻きは要らない。
国の歴史文化も階級社会の名残り記述のみでは、ほんとに窮屈、 いやなことですよね。だんだん誰もが格差なんて感じられない 自由な社会になってほしいものです。でもだんだん昔の身分社会 に生きる人の作られた俗な心情なんて理解推測もできなくなる のではないでしょうか。
ひがしまち |
No.219 - 2007/02/19(Mon) 09:32:51
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