お久しぶりです。このごろどうにも体調を崩しがちで、今日は会社を休んでここに書いています。体調を崩すというか、端的に言うとごはんを食べたくなくて…いや、大丈夫です、食べてます。夜ごはんは比較的食べてないですけど…どうやったら精神面においての元気を取り戻せるのかがわからない。リアルの充実かなあ… ほんとにね、いつだって(おたくごとや自分の二次創作を)手放してやることが一番、人間になれるって知ってて、私はきっとそれを一生できないと思うけどさあ。幸せってなんだろうね
最近、今のタイミングで思い返すことが多かった。昨日ふと思ったのが、自分の取り巻く環境がすごく楽になって1年くらい経つこと。正確には去年の九月みたいだけど。 私は昔から自分の置かれた環境が、恵まれているようで恵まれていないし、不幸だなって思っていたんですけど、ようやくいい方向に向かえたんだと思えたんですよ。うれしい…泣ける… えっだってここまでくるのに何年かかった?って話ですよ。この件に関して、私生まれおちて記憶にある中で今日はじめて幸福ですっていう。一時期は耐え切れなくてパンクして、病気にもなったし本当に苦しかったな。自分の精神の弱さが、なにもかも悪いと思うところも大きいですけど(今日みたいに会社休んでる日とかな!)、それでも家事全般を一人で全部やらなくていいっていうのは大変ありがたい…生きているのが楽だ… 家族を捨てて家を出られればそれが(私にとっては)一番よかったんでしょうけど。できなかったんだな、今もね。 傷つくとかそういうのを通り越して、頭が真っ白になるような感覚を、今も覚えてる。ああいうショックな経験をすると人は壊れてしまうんだなーって、それを忘れるために、頑張って自分を肯定していくしかないんですよね。 私は自分に近しい人間で、まだ人の死に目にあったことがないんですが、精神的な概念の意味で、死を実感していて、あああのときこの人は死んでしまったし、私はあのとき、心が傷つきすぎて何度か死んでいるんだなあって、思うようなことが、ある人生でした。きついな〜思い出すのやめよ みんな人に言わないだけで生きてりゃ色んなことが起きるよね。自分がどのくらい不幸なんだろうって時々思います。みんな幸せそうにしか見えないから。絶対違うんでしょうね
そういうかわいそうだとか、概念における死だとかを、追体験をさせたい、だったり、はけ口だったりしたんですよ、二次創作が。自傷行為であって自慰行為だから。 そういうのをファフナーにきて、創作に対する根本に触れなくちゃならないって嘆いていて、おそらくその理由ってあの作品が2004年の作品(リバイバル)だからっていうのがあるんじゃないかと、思ったりしている。 ぬる宛のポストで書いてたけど、私は少し前に、なにかあるところ(神刻)から、なにもないところ(総一)へいこうとしてる、と言っていたのだけれど、ようやくその意味を理解したような気がしていて。私にとっての創作の根本は、なにもない、の証明で、色んなたくさんの意味をそこに押し付けていたうちの、ひとつだったんですね。すごく暗くてどうしようもない感じの。そういう、思春期だったころに思っていた、空虚であることや、救いのないところに自分をまた落とさなくちゃならないのは本当に苦しいです。もういい歳なんだからやめればええがな… こうね、作品に対する解釈や回答ではなくて、あくまで自己との対話における、自己を完結させるための自己満足でしかないっていう…私の悪いところで頭が悪すぎるのが露呈する。。 そんなふうに自分の人生ごと賭けちゃってるところがあるので、普通の人と、二次創作に対する捉え方が全然違ったんじゃないかって思ったりしたよ。重いよ!!!!!!! 10年前、感情を削って書いていたテキストサイトの人がいて、それにいまだに永遠に焦がれていて もらった痛みとか、衝撃とか、そういうの一生忘れきれない おわろう!おわります
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