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へブル8章 / 大垣 引用

へブル8章。1-2節。僕たちの大祭司は真実の幕屋である天で父なる神の右に座っておられる。

3-5節。地上の幕屋で神に仕えた大祭司は、天にある真の幕屋にあるものの写しと影に仕えた。永遠にはつづかないこの世にあるものは、すべて、天にある真のものの写しと影に過ぎないと思います。お金や名声などによる、はかないこの世での幸福を求めてもむなしい。伝道者の書に流れる、この世は、はかなく、むなしい、というメッセージを思います。映画のマトリックスは、僕たちが「現実」が本当の世界ではない、ということを、よく表現していたと思います。プラトンのイデア論も、このことを実感したプラトンが、哲学的に表現したのだと思います。

6-17節。キリストの受肉の500年以上も前にエレミヤが新しい契約のことを預言していた神の不思議なわざを思います。新しい契約では、神の民が、それぞれ主を個人的に知るようになる。

No.3836 2008/02/02(Sat) 22:07:53

Re: へブル8章 / 亜衣瑠 引用

脚注にあるように6節にあるキリストの役割をはっきりとわたしたちは知らされる。「さらにすぐれた契約の仲介者」としてのキリスト。そして、この章の最後13節が、この書を読むにつれ、意味深いことばであることを知らされる。
「神が新しい契約と言われたときには、初めのものを古いとされたのです。年を経て古びたものは、すぐに消えて行きます。」
イエスのことばを思い起こします。一番思い起こすのは、マタイ9:17
「また、人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、皮袋は裂けて、ぶどう酒が流れ出てしまい、皮袋もだめになってしまいます。」

5節 山で示された型に従って幕屋を建てるモーセ、また、さらにモーセが型となって、いま、イエスが大祭司の務めを得られた。とするなら、7節 初めの契約に「欠け」のあったことが幸いであったと言えます。わたしたち自身が11節のように「わたしを知るようになるからである」そして、もちろん、その神は 12節「もはや、彼らの罪を思い出さないからである」と言われる方であるということ。わたしたちは そのことに どんなに感謝しつくさなければならないでしょう! それより、その前に その神のあわれみの大きさに驚きをもってひれ伏すしかないのです。神は 12節「彼らの不義にあわれみをかけ」てくださる神なのです。

どうか、この神がわたしのわたしたちの神であられますように。わたしたちは 神さま、あなたの民である、と認めていただけますように、ずっと。

No.3837 2008/02/02(Sat) 22:08:54
申命記1章23節まで / 沙耶香 引用

今日は申命記1章23節までを読みます。

7節に
向きを変えて、出発せよ。そしてエモリ人の山地に行き、その近隣のすべての地、アラバ、山地、低地、ネゲブ、海辺、カナン人の地、レバノン、さらにあの大河ユーフラテス川にまで行け。
とありますが、聖書の中で、こういう風にどこを通ってどこに行ったと言ってもあまり意味がないように思えるのは私の人間的考えだけれど、でも後で御言葉カードみたいなのに書いていつも眺めるという箇所ではないですよね・・・

8節に
見よ。わたしはその地をあなたがたの手に渡している。行け。その地を所有せよ。これは、主があなたがたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに誓って、彼らとその後の子孫に与えると言われた地である。」
とあるが、その地とはカナンの地のことだろうか?

10節に
あなたがたの神、主が、あなたがたをふやされたので、見よ、あなたがたは、きょう、空の星のように多い。
とあるが、本当に子孫繁栄は祝福ですよね。うん・・・私は精神障害者なので、子供は作ってはいけないと医者にとめられている。子供にも遺伝するからだ。

12節に
私一人で、どうして、あなたがたのもめごとと重荷と争いを背負いきれよう。
とあるが、あなたがたのもめごとというのは何だろうか?

15節に
そこで私は、あなたがたの部族のかしらで、知恵があり、経験のある者たちを取り、彼らをあなたがたの上に置き、かしらとした。千人の長、百人の長、50人の長、10人の長、また、あなたがたの部族のつかさである。
とあるが、千人の長とか百人の長とかが聖書に載ってあるのを見たことあります。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ4章30-34節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・・
何度か読んでいると、34節の
「ああ、ナザレ人のイエス。いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です。」
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様はただ一人唯一の聖者です。人間に聖者は一人も居ないです。

No.3826 2008/01/30(Wed) 21:42:09

再申命記1章23節まで / 沙耶香 引用

今日はもう一度申命記1章23節までを読みます。

17節の
さばきをするとき、人をかたよって見てはならない。身分の低い人にも高い人にもみな、同じように聞かなければならない。人を恐れてはならない。さばきは神のものである。あなたがたにとってむずかしすぎる事は、私のところに持ってきなさい。私がそれを聞こう。」
が印象に残りました。身分の低い人にも高い人にもみな、同じように・・・というのがいいですね・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ4章35-39節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、35,36節の
イエスは彼をしかって、「黙れ。その人から出て行け。」と言われた。するとその悪霊は人々の真ん中で、その人を投げ倒して出て行ったが、その人は別に何の害も受けなかった。
人々はみな驚いて、互いに話し合った。「今のおことばはどうだ。権威と力とでお命じになったので、汚れた霊でも出て行ったのだ。」
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様の権威で悪い霊が出て行くって素晴らしいですよね。

No.3829 2008/01/31(Thu) 17:25:18

Re: 申命記1章23節まで / 大垣 引用

8節の「その地」とは約束のカナンの地です。

12節の「もめごと」は、多くの人々が一緒に住むことに起きるいろいろな争いごとです。

No.3835 2008/02/02(Sat) 11:17:17
へブル7章 / 大垣 引用

へブル7章。1節。メルキゼデクは「サレムの王」とあるが、サレムとはエルサレムの当時の名であったらしい。人類にとって、とても特別な町であるエルサレムに、神が不思議な祭司のメルキゼデクを与えられたことを思います。

2節。義の王、平和の王という名は、素晴らしい名で、イエスを連想させる。

3節。メルキゼデクは誰であったか、はっきり分らない。普通の人であったという説もあり、キリストであったという説もあるが、ここを読むとき、普通の人ではなかったと思えます。キリストが何か人知を超える形で来られていたか、御使いだったのではないか、とも思います。

4-10節。メルキゼデクは、偉大なアブラハムよりも、さらに偉大な祭司であった。モーセの律法では、民は十分の一税をレビ族の祭司に納めるが、アブラハムはメルキゼデクに十分の一を納めた。

11-14節。キリストは、モーセの律法に定められたレビ族の祭司ではなく、さらに偉大なメルキゼデクの祭司に等しい。イエスは人間としてはユダ族であって、モーセの律法による祭司ではありえないので、このことが重要である。さらに、祭司職が変わったときに、神と人間との契約も変わる。

15-19節。モーセの律法は廃止され、イエスが大祭司となられたときに、神と人間との新しい契約が始まった。律法は神に与えられた素晴らしい戒めだが、人間には、神に選ばれた民であるイスラエルの民でさえ、律法を完全に守って、救われるだけの力がなかった。それで、律法はイエスの十字架によって成就され、廃止されて、新しい神と人間との契約が与えられた。人間は、今はこの契約によって永遠に神のもとにいる救いの希望を持ち、神に近づいていくことができる。

20-25節。キリストは祭司として永遠の祭司としての神の誓いが与えられた点と、死なれることのない永遠の祭司であられる点で、モーセの律法の祭司たちよりも優れている。そして、僕たちを完全に救うことがおできになる。いつも生きていて、僕たちのために、父なる神にとりなしをしてくださるからである。

26-28節。罪深い人間にとって、キリストのように全く聖い大祭司が必要である。キリストはレビ族の大祭司と異なりご自分の罪のためにいけにえをささげる必要がなく、ただ一度、ご自分をささげることで、僕たちの罪を取り除かれた。律法が罪を犯す弱さを持つ人間を大祭司に立てたのに対し、律法の後の新しい契約は、罪を犯されたとことのないキリストを大祭司に立てる。

No.3832 2008/02/02(Sat) 00:30:39

Re: へブル7章 / 亜衣瑠 引用

ヘブル7章
メルキゼデク・・・この人には個人的に大変興味がある。どれだけの人であったのか、どれほどの人であったのか、3節のように、彼のプロフィールは謎である。しかし、2節で示されるように、アブラハムが戦利品の十分の一を分け与えたのである。その事実がメルキゼデクの偉大さを思わせる。そのことに思いを馳せることは興味深く楽しい。

16節からわたしたちへ告げられた福音に移っていく。それは、18節「前の戒めは、弱く無益なために、廃止され」たから。19節「さらにすぐれた希望が導き入れられた」おかげでわたしたちは「神に近づく」ことができる。そしてわたしたちの頼みは24,25節。
「ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」

さらに27節 もう過ぎ去った大祭司の仕事は 過去のことになった。

No.3834 2008/02/02(Sat) 00:40:32
へブル6章 / 大垣 引用

へブル6章。1-2節。ここにあげられている初歩的な教えのうち、「死んだ行いからの回心」とは、罪から悔い改めて神を信仰する回心と考えられるが、「死んだ行い」という表現が興味深い。ローマ14:23の「信仰から出ていないことは、みな罪です。」ということを思うと、「死んだ行い」とは、信仰から出ない行いだと思われる。キリスト者も、信仰によって与えられた恵みによらず、自分の力を頼り、自分勝手に良いと考える行いをするとき、死んだ行いをすることになるように思う。

3-8節の初歩的でない成熟したキリスト者に対する教えは、厳しい警告になっている。ここはカルバン主義の予定説にたつかどうかによって、いろいろな解釈がされているところである。僕は、信仰を一度いただき、聖霊を受け、この世で天国の前味を味わったものが、信仰を捨てるという罪を犯すならば、もう一度悔い改めて信仰に立ち返ることはありえず、そういう人は、神に国に役に立たない人として地獄に行くさばきを受ける、という意味だと考えます。へブル書の著者は、この手紙のあて先の教会の人々の中に、信仰を捨てる人たちが出るのではないか、という恐れをいだいているので、この厳しい警告を書いたと思います。

9節-12節。厳しい警告の後、すぐに、著者は手紙のあて先の読者たちを励ましている。僕たちも、信仰を捨てようとしている主にある兄弟姉妹が身近にいて、警告の言葉を発するとしたら、その前にも後にも、励ましの言葉を発するようにしたい。著者は読者たちの過去の良い行いを忘れずに書いて励ましている。また、十分な確信を持ちつづけたら、約束のものを相続するのだという報いを語って励ましている。

13-15節。信仰の父と言われるアブラハムの忍耐は、神の祝福の約束を信じたことが基礎になっていた。

16-18節。僕たち信仰者は神のアブラハムに対する約束の相続者である。18節の「二つの事がら」とは何か、分かりにくいが、神のアブラハムに対する約束と、それを確証する誓いであるという脚注の説が正しいと思う。

19-20節。この望みは幕の内側にはいる。父なる神が力強く臨在されているところに、大祭司であるイエスの血によってきよめられていると信じて、はいっていくことが重要だと思う。

No.3827 2008/01/31(Thu) 08:31:54

Re: へブル6章 / 亜衣瑠 引用

1節 そうです。成熟を目ざして進まなくてはなりません。
2節 基礎的なことのやり直しは避けたいですが、基礎的なことを抑えて進むということは忘れずにいたいと思います。
6節 堕落してしまいませんように!
8節 自分が 「いばら」や「あざみ」の土地ではありませんように!
11節 熱心に、最後まで!
12節 わたしが怠けず、信仰と忍耐によって約束のものを相続する先達にならう者になっていけますように!
13−18節 神の尊いご性質!神だけができる誓い!
20節 「イエスは私たちの先駆けとしてそこにはいり、永遠にメルキゼデクの位に等しい大祭司となられました。」
 Jesus, who went before us, has entered on our behalf. He has become a high priest forever, in the order of Melchizedek.
イエスさまのなされた仕事、それを為さしめた神さまに感謝します。

No.3828 2008/01/31(Thu) 08:33:11
へブル5章 / 大垣 引用

へブル5章。1-4節。モーセの律法の下での大祭司は、神に召されて、イスラエルの人々と、自分自身の罪のためにささげ物といけにえをささげた。

5節。キリストも父なる神によって大祭司として召された。

6節と10節に出てくるメルキゼデクとは、モーセの律法の外での偉大な大祭司であるということが7章の説明で分かるが、それ以上のことは僕にはよく分からない。

7節。ここでキリストが「大きな叫び声と涙を持って」ささげられた祈りと願いとは、マタイ26:29のゲツセマネでの祈りと思われる。「苦しみの杯を過ぎ去らせてください」、という願いではなく、「あなたのみこころのように、なさってください。」という祈りが聞き入れられ、キリストはみこころのままに十字架でご自分をささげられる大祭司となられたと思います。

8−9節。神としてのキリストが変化されるとは思えないが、人間としてのキリストは、多くの苦しみによって従順を学ばれ、完全な者とされた。

11-14節。頭で知っているだけでは不十分で、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を磨いていく必要がある。そうしないと、信仰を持ってから長くたっても、無限に深い神の教えを深く知ることがない。

No.3824 2008/01/29(Tue) 20:19:44

Re: へブル5章 / 亜衣瑠 引用

2節、3節「弱さ」のことばが目に留まる。4章15節にも見えた「弱さ」。わたしたちは「弱さ」と見たときに、大祭司の人としての弱さと同時に、わたしたちの弱さをすべて負ってくださったキリストの姿を重ね合わせて読み取る。イザヤ53章の「苦難のしもべ」を思い起こしている。痛めつけられて口を開かず黙ったまま何もしない「彼」を思って読む。
それにしても あらためてこの書を読んで、アロンのような旧い約束の大祭司と新しい約束をくださったキリストとの対比の鮮明さと豊かさを感じて驚きます。

7節「敬虔」が目に飛び込みます。これは今のわたしの理解では次の8節にある「従順」に通じることではないだろうか。神に従順な姿は敬虔なものであるだろう。

9節 キリストが神に従順であったことで、わたしたちは救われた。神に任命されたキリスト・イエスだけが、「メルキゼデクの位に等しい大祭司」であられる。この栄えある任命に感謝いたします。

12−14節 さあ、このわたしは一体?と思う。神のことばの初歩を・・・であろうか?すでに十分知っている、というおごった考えはしたくないし、油断して横柄になるのも避けたいこと。しかし、いつまでも「乳」や離乳食でないと消化できません、などと甘えているところからも脱したい。成長を与えてください。同じところに留まってそれでよしとする者ではないように。?Tペテロのように(2:2)乳飲み子のように、みことばの乳を慕い求め続けるけれども、(しかも、それは成長に必要である)14節のように「堅い食物」にも怯えず挑戦して食することができるように、「良い物と悪い物とを見分ける感覚」を経験によって訓練される機会を十分与えてくださいませ。機会が与えられたら、恐れずその機会を受け、用い、自分の成長の糧にすることができますように、どうか、力をくださいませ。

No.3825 2008/01/30(Wed) 10:25:13
民数記36章 / 沙耶香 引用

今日は民数記36章を読みます。

3節に
もし彼女たちが、イスラエル人の他の部族の息子たちにとついだなら、彼女達の相続地は、私たちの父祖の相続地から差し引かれて、彼女達がとつぐ部族の相続地に加えられましょう。こうして私たちの相続の地所は減ることになります。
とあり、続く4節に
イスラエル人のヨベルの年になれば、彼女達の相続地は、彼女たちのとつぐ部族の相続地に加えられ、彼女達の相続地は、私たちの父祖の部族の相続地から差し引かれることになります。」
とありますが、相続の地所が減るとか、相続地から差し引かれるとか一体何だろう?と思って、脚注を見ると、結婚した場合のことでいろいろ書かれているが、いまいちピンと来ない。あー本当に聖書の理解って私にはいつのことだろうか?
神様イエス様どうか聖書の御言葉が私にすんなり入ってきますように。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

7節の
イスラエル人の相続地は、一つの部族から他の部族に移してはならない。イスラエル人は、おのおのその父祖の部族の相続地を堅く守らなければならないからである。
が何だか気になりました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ4章20-24節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると21節の
イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」
が気になるので、これをもう何度か読みます。
聖書のみことばは握って離さないと、そのとおりに実現すると信じて期待して感謝しているのに、今の重大問題に何ら解決の糸口が見つかりませんが・・・

No.3822 2008/01/28(Mon) 22:55:03

再民数記36章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度、民数記36章を読みます。

今日で民数記も完了です。イエス様今まで一緒に読んでくださり感謝します。

8節に
イスラエル人の部族のうち、相続地を受け継ぐ娘はみな、その父の部族に属する氏族のひとりにとつがなければならない。イスラエル人が、おのおのその父祖の相続地を受け継ぐ為である。
とありますが、結婚相手も大体決められていたということになるのかな?でもまあ、昔は日本もそうだったので・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ4章25-29節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、28,29節の
これらのことを聞くと、会堂にいた人たちはみな、ひどく怒り、
立ちあがってイエスを町の外に追い出し、待ちが立っていた丘のがけのふちまで連れて行き、そこから投げ落とそうとした。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様はいろいろ迫害されていたんだ。私もずっといろんな人に迫害されてきたが、イエス様も同じだったと思うと救われます。

No.3823 2008/01/29(Tue) 17:25:21
へブル4章 / 大垣 引用

へブル4章。1節。3章14節にあるように、最初に入信したときの確信を保ちさえすれば良い。しかし、確信を保たなければ、不信仰のためにキリストにあずかる者となることができない。そのことを恐れる心を持つことが大切。

2節。聞いたみことばが、僕たちの益になるためには、信仰によって、みことばが、僕たちにむすびつけられる必要がある。

3-11節。イスラエルの民が、40年もの間、荒野にさすらって、約束の地に入ることができなかったのは、彼らが心をかたくなにして主の力と愛を信頼しなかった不信仰による。僕たちも、心をかたくなにしないように。主が約束をすべて成就してくださる力と、十字架に示された僕たちへの愛をより深く信頼したい。

12節。神のことばは生きていて、僕たちが意識していないような心の奥底まで判別する。

13節。心の奥底まで知っておられる聖なる神に対し、自分の心の純粋さを主張しても、どうしても自分の心には意識していなくとも自己中心的な罪の汚れた部分がある。最後の審判のときに、神に対して弁明することを思うと、自分の中に入ってくださったイエスさまを信頼し、イエスさまに働いていただくしかない。

14-16節。イエスが大祭司であられ、僕たちの弱さをよく知ってくださっている。だから、自分ではなく、イエスを信頼して、イエスの恵みによって、大胆に父なる神の前に出ることが重要である。自分を信頼して、自分が良いと思うことをするのではなく、父なる神の前でただ静かにみことばを聞き、お導きがあれば、指示されたことを行いたい。

No.3819 2008/01/28(Mon) 10:35:17

Re: へブル4章 / 亜衣瑠 引用

4節 「すべてのみわざを終えて」休まれ、その時以来、神の安息は今日まで続いている、という脚注を読むと、神の深遠さを思う。

11節 わたしたちは ただ漫然と日を過ごしぼんやりとしていたのでは安息に入れないでしょう。

12節 (書き写します)「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」アーメン。 わたしたちが頼みとするものは 生きている。神のちからそのものである。さらに武力的な力だけでなく、知恵に長け、人の芯の部分に入り込む。それは当然だと思う。13節で言われることも当然である。なぜならまさに詩篇139で読まれるように、「私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。」(15節)であるのだから。しかし、もし、罪にまみれたわたしたちを神にとりなしてくださる方がただただ鋭い方であるなら、わたしたちは、(少なくともわたしは)近づくのがはばかられて、後ずさりしてしまいそうだ。ところがここで、15節「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。」と来ている。神さまのご計画、神さまのわたしたちへの愛とあわれみを感じて感謝するとき。イエスをわたしたち人の世に送り出してくださったこと。人のなかで成長するようにしてくださったこと。すべてを抱え、負い、包んでくださる方であること。それが何と最も力ある方のしてくださることである、ということ。それを知れば、16節を読むまでもなく、受けることを遠慮する必要はない、神さまはわたしたちがあわれみを受けることをきっと喜んでくださるだろう。わたしたちが神さまに助けを求めることをきっと待っておられるだろう。神さまはわたしたちが遠慮することなく、躊躇することなく、接近してくることを望んでおられるだろう。

No.3821 2008/01/28(Mon) 10:39:35
民数記35節残り / 沙耶香 引用

今日は民数記35節残りを読みます。

19節に
血の復讐をする者は、自分でその殺人者をCENSOREDもよい。彼と出会ったときに、彼をCENSOREDもよい。
とあるが、これは今の世の中では通用しないが、イエス様がおっしゃっておられるんだから、真実で復讐してもいいのだろうか?

24節に
会衆は、撃ち殺した者と、その血の復讐をする者との間を、これらのおきてに基づいてさばかなければならない。
とあるが、これらのおきてというのは今まで書かれてきたおきてだろうか?でも自分の敵でもなく、傷つけようとしたのでもないということなら、今までのおきてとは少し違うんじゃないかな?

25節に
会衆は、その殺人者を、血の復讐をするものの手から救い出し、会衆は彼を、逃げ込んだそののがれの町に返してやらなければならない。彼は、聖なる油をそそがれた大祭司が死ぬまで、そこにいなければならない。
とあるが、やっぱり傷つけようとしたのでもない場合はのがれさせるんだ。でも今だと情状酌量はあるが、それでも罪になるんだけれど・・・

27節に
血の復讐をする者が、そののがれの町の境界の外で彼を見つけて、その殺人者をCENSOREDも、彼には血を流した罪はない。
とあるが、これも今とだとかなりの違いですね・・・いまだと境界の外でも中でも人をCENSOREDはならないという感じだけれど・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ4章10-14節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、10節の
「神は御使いたちに命じてあなたを守らせる。」とも、
が気になるので、これをもう何度か読みます。
御使いや誰にでも命じて私たちを守ってくださるイエス様・・・

No.3814 2008/01/26(Sat) 17:38:08

Re: 民数記35節残り / 大垣 引用

19節、27節は、10節にあるようにカナンの地でのイスラエルの民が守るべきモーセの律法の規定のひとつです。これに従って、復讐する人は、カナンにイスラエルの民として住んでモーセの律法のすべてを守らないならば、神に罪に定められると思います。モーセの律法のうち、自分の都合の良いものは採用し、自分の都合の悪いものには従わないというのでは、神に従ったことにならないと思います。

24節の「これらのおきて」は10-34節にある規定のことだろうと思います。

No.3816 2008/01/26(Sat) 21:57:09

再民数記35節残り / 沙耶香 引用

>>19節、27節は、10節にあるようにカナンの地でのイスラエルの民が守るべきモーセの律法の規定のひとつです。これに従って、復讐する人は、カナンにイスラエルの民として住んでモーセの律法のすべてを守らないならば、神に罪に定められると思います。モーセの律法のうち、自分の都合の良いものは採用し、自分の都合の悪いものには従わないというのでは、神に従ったことにならないと思います。

へーーー昔の時代は今とかなりの隔たりがありますね・・・

今日はもう一度民数記35章残りを読みます。

31節に
あなたがたは、死刑に当たる悪を行った殺人者のいのちのために購い金を受け取ってはならない。彼は必ず殺さなければならない。
とあるが、これはどういうことだろうか?と思って、脚注を見ると、故意の殺人は、購い金も罪のためのいけにえもないと書いてあるので、多分、故意の殺人は、死刑以外に手段はないということかな?と思うのだが・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ4章15-19節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、18節の
「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われた人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、
が気になるので、これをもう何度か読みます。
主の御霊がいろんなことをしてくださいます。

No.3818 2008/01/27(Sun) 19:44:34

Re: 民数記35節残り / 大垣 引用

31節、沙耶香さんの読み取られたとおりだと思います。

No.3820 2008/01/28(Mon) 10:36:10
へブル3章 / 大垣 引用

へブル3章。1-6節。イエスとモーセの比較。イエスはイスラエルという家を造られた神であり、モーセはイスラエルという家に忠実な神の僕であった。終わりまでしっかりイエスへの信仰を持ち続けるならば、キリスト者が神の家である。

7-11節。引用されている詩篇第95篇で主が言われたように、心をかたくなにしてはならない。民数記14−21章にあるイスラエルの民の不信仰の歴史が詩篇第95篇に要約されている。主はイスラエルの民を不思議なわざで民が奴隷状態にあったエジプトから救い出された。そして、約束のカナンの地での安息を約束されていた。そして、カナンの地のすぐ南に連れていかれ、12人の斥侯がカナンの地を探るようにされた。しかし、民は不信仰のために、カナンの地に攻め入ることをしなかった。そのため主は主を信頼したヨシュアとカレブを除いて、最初の世代が皆、荒野で死に絶えるように40年間、民が荒野でさまようようにされた。キリスト者は、罪の奴隷状態にあったが、キリストの十字架によって救い出された。そして、約束の天国での安息が約束されている。もしキリスト者がイスラエルの民のように信仰を捨てる罪を犯すなら、天国での安息に入ることを許されないであろう。

12-15節。キリスト者は、最初のときの確信をしっかり保ちさえすれば良い(14節)。これは、迫害にあったり、罪の誘惑を受けるという試練にあうときに、簡単なことではない。僕たちはイスラエルの民の失敗を、良い教訓としたい。神がしてくださった信仰を与えるという不思議なわざを忘れないようにし、この世で強力な迫害者や罪の誘惑を恐れず、信仰を保ち、イエスの愛と力を信頼したい。

No.3815 2008/01/26(Sat) 21:46:27

Re: へブル3章 / 亜衣瑠 引用

神さま きょう こうしていのちをいただき、またあなたのみことばをいただき、尊きあなたの恵みを受け愛を感じ 歩んでいけますことを感謝いたします。「きょう」を記してあるこの章を読めるときをいただいたことを感謝します。

「きょう」そして、16−19節がわたしたちへのメッセージのポイントに思う。聞いていて、知っていて、聞かされていて知っているのに、それをそのとおりにできないとは、結局のところ、ヤコブで戒められている(4:26)「行いのない信仰は死んでいる」ということに通ずる。

2−6節でモーセとイエスと対比しているが、4節でいうように「すべてのものを造られた方は、神です」である。それはヨハネの福音書1章1−3節でいわれるまでもない。
「造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」
 without him nothing was made that has been made.
わたしたちに最も大事なことを忘れないように、とヘブルの著者はしもべモーセと初めから治めておられるイエスをわかりやすく対比しているが、あまりにも桁違いのイエスなのだ。旧約の時代の神の認識、信仰と,新しい約束をいただいてからの違いを思う。 イエスがわたしたちにくださった恵み、してくださったことの奇蹟は 想像を絶するものだ。

19節「不信仰」の芽がわたしたちに芽生えないように。というよりも、14節のように
「最初の確信を終わりまでしっかり保ち」、わたしたちは(18節)神のことば、神のご意志に従うものでありますように。

13節「「きょう。」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。」

そのとおりの信仰の旅路でありますように、どうぞあなたが導き続けてくださいますように。唯一の大祭司であられるイエスさまをいつも思っていますように。

No.3817 2008/01/26(Sat) 22:01:25
民数記35節15節まで / 沙耶香 引用

今日は民数記35節15節までを読みます。

あーーー痛い痛い。
神様イエス様どうか私を癒して救い出してください。アーメン・・・

11節に
あなたがたは町々を定めなさい。それをあなたがたのために、のがれの町とし、あやまって人を撃ち殺した殺人者がそこにのがれることができるようにしなければならない。
とあるが、あやまって人を撃ち殺したか、狙い撃ちしたかは分からないんじゃないかな?と思うのだが・・・

12節に
この町々は、あなたがたが復讐するものから、逃れるところで、殺人者が、さばきのために会衆の前に立つ前に、死ぬことのないためである。
とありますから、11節が納得できますね・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ3章24節からは人の名前の羅列なので、やめて4章1-4節までを読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、1,2節の
さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして御霊に導かれて荒野におり、
40日間、悪魔の試みに会われた。その間何も食べず、そのときが終わると、空腹を覚えられた。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
聖霊に満ちていると、40日間も食べずにいられるのですね・・・わたし、40日間食べずに入院したことがあるけれど、そのときの後遺症が未だに残っていて一生残ります。

No.3809 2008/01/24(Thu) 17:49:49

Re: 民数記35節15節まで / 大垣 引用

律法にはイスラエルの民が約束の地で国として機能していくための法律としての戒めも含まれていたと思います。あやまって人を打ちCENSOREDしまった人たちのために、のがれの町という考えをイスラエルに与えられた主のあわれみの心を思います、

No.3811 2008/01/25(Fri) 14:08:30

再民数記35節15節まで / 沙耶香 引用

今日はもう一度民数記35章15節までを読みます。

3節に
町々は彼らが住む為であり、その放牧地は彼らの家畜や群れや、すべての獣のためである。
とありますが、放牧地というのは牧場のようなところだろうか?と思って、脚注を見ると、奉納物の家畜なんかを飼うためのものだと書いてあります。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ4章5-9節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、7節の
ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。」
が気になるので、これをもう何度か読みます。
辛いことばかり・・・イエス様を拝みますので、すべてを私のものとしてください。

No.3813 2008/01/26(Sat) 00:30:42
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