[ 掲示板に戻る ]

過去ログ閲覧モード

民数記4章28節まで / 沙耶香 引用

今日は民数記4章28節までを読みます。

3節に
それは会見の天幕で努めにつき、仕事をすることのできる30歳以上50歳までのすべてのものである。
とありますが、幕屋奉仕に年齢制限があったんですね・・・と思って印象に残りました。

7節に
また、供えのパンの机の上に青色の布を延べ、その上に皿、ひしゃく、水差し、注ぎのささげ物のためのびんを載せ、またその上に常供のパンを置かなければならない。
とありますが、前にも常供のパンというのは出てきたけれど、何だったっけ?と思って、聖書検索すると、常供のパンでは出てこず、常供で、 出エジプト 30:8 、レビ記 6:20に出ているみたいなので、そのころの掲示板に戻ってみると、管理人さんが「毎日のささげ物」とご説明くださっています。

8節に
これらのものの上に緋色の撚り糸の布を延べ、じゅごんの皮のおおいでこれをおおい、かつぎ棒を通す。
とありますが、緋色って何色だろうか?と思って辞書を引くと、
深紅色と出ていました。かつぎ棒って何だろうか?と思って脚注を見ると、直接聖なるものに触れないようにするためと書かれているだけで、あとは何も書いていない・・・・どんなものだったのだろうか?辞書を引いても出ていない。「かつぎ棒」で検索すると、みこしのかつぎ棒になる。うーん???

9節に
青色の布を取って、燭台とともしび皿、心切りバサミ、心取り皿およびそれに用いるすべての油のための器具をおおい、
とあるが、心切りばさみと心取り皿って何だったっけ?と思って、聖書検索すると、出エジプト 25:38 、出エジプト 37:23に出ているみたいなので、そのころの掲示板を覗いてみようと思ったが、37節のほうは、何だかいろんな聖書通読じゃない掲示板が山のように立っているときで、どこにあるのか見当たらないので、25節のほうに行ってみると、燭台のろうそくのための道具だと管理人さんがご説明くださっていました。

10節に
この燭台とそのすべての器具をじゅごんの皮のおおいの中にいれ、これをかつぎ台に載せる。
とありますが、かつぎ台って何だろう?と思って、辞書で引いたが、分からない・・・「燭台 図」と入れたら何か出てくるかもしれないと思って検索したが、分からない・・・うーん??

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の12章34-38節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、36節の、
あなたがたに光がある間に、光の子供となるために、光を信じなさい。」
イエスは、これらのことをお話しになると、立ち去って、彼らから身を隠された。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様の光・・・サタンの暗闇・・・

No.3537 2007/12/01(Sat) 20:34:29

再民数記4章28節まで / 沙耶香 引用

今日はもう一度民数記4章28節までを読みます。

もう昨日から12月ですね・・・早いです。今年も後残すところ1ヶ月を切りました。お正月になるんですね・・・あまりピンとこないなーー。今日は礼拝日です。イエス様と牧師に会えるのが楽しみです。

18節に
「あなた方は、ケハテ人諸氏族の部族をレビ人のうちから絶えさせてはならない。
とあるので、レビ人の中にケハテ人諸氏族というのがいるというのが分かりますね・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の12章39-43節を読みます。
天のお父様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、43節の
彼らは、神からの栄誉よりも、人の栄誉を愛したからである。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
クリスチャンでも神からの栄誉よりも、人からの栄誉を好む人がたくさんいます。でもうちの牧師は真に神様からの栄誉だけを愛している素晴らしい牧師なのです。

No.3540 2007/12/02(Sun) 07:30:51

Re: 民数記4章28節まで / 大垣 引用

当時のイスラエルの民は荒野を移動していました。移動するときは会見の天幕にある聖なるあかしの箱や器具をかつぐ必要がありました。8節のかつぎ棒は、かつぐための棒、10節のかつぎ台はかつぐための台です。

日本のいろいろな祭りでみこしをかつぐことの起源は、古代にユダヤ教が日本に入ってきて神道となったと考えて本を書かれたキリスト者たちがおられます。もしそうであれば、みこしは、5節のあかしの箱を表そうとしたことがもとになり、みこしのかつぎ棒は6節のあかしの箱のためのかつぎ棒ということになります。古代日本の歴史の記録は7世紀に書庫が焼かれて失われてしまい、よく分かっていません。だから、ほかのキリスト者のこのような説をありえないと馬鹿にして侮るのではなく、謙虚に神さまに真偽を聞く態度を持つと良いと思います。

9節の燭台は会見の天幕の聖所に置くろうそくを立てる台です。会見の天幕の中に置く器具については、出エジプト記30章で主が規定を与えられ、燭台は27節に書いてあります。

18節のケハテ族についてはチェーン式の1節の脚注を読んでおいてください。

No.3541 2007/12/02(Sun) 07:51:03

Re: 民数記4章28節まで / 典子 引用

>今年も後残すところ1ヶ月を切りました。お正月になるんですね・・・あまりピンとこないなーー。
はい。全然ピンと来ませんね。一番大きな理由は わたしたちのカレンダーは この世のカレンダーと違うからではないでしょうか。

>今日は礼拝日です。イエス様と牧師に会えるのが楽しみです。

健康上の都合やさまざまな事情により、礼拝に行くことのできない兄弟姉妹にも等しく神さまの祝福が豊かにありますように。まだ神さまに出会ってない方たちが 1日も早く出会われますように。

No.3546 2007/12/02(Sun) 17:13:42

Re: 民数記4章28節まで / 沙耶香 引用

私たちの教会の群れでは11月が新年なのです。だからお正月は11月の初めなのです。

>>健康上の都合やさまざまな事情により、礼拝に行くことのできない兄弟姉妹にも等しく神さまの祝福が豊かにありますように。まだ神さまに出会ってない方たちが 1日も早く出会われますように。

あ、そうですね・・・本当私たちは礼拝に出席させていただける恵にありつけて最高です。いけない人も祝福されて欲しいです。

No.3548 2007/12/02(Sun) 19:45:32
(No Subject) / 典子 引用

わたしは詩篇84篇を愛しています。なぜなら、この詩篇はことばとともにメロディーやハーモニーを伴ってわたしに響いているからです。30年前ごろ初めて聴いて以来ずっと変わらず大好きな曲のひとつ ブラームスの『ドイツ・レクイエム』の第4楽章はこの言葉の一部が歌詞となっています。短い一片ですが愛らしい曲想でとても印象に残るものでした。
当時は「音楽」の方に気を取られ、言葉が意味することなどそっちのけで何のこだわりもなかったものです。信仰も何もなかった頃。しかし、このみことばのとおり、わたしはこのことばとともに奏でられた作品を慕わしく思い、悲しみの中にあるとき、静かな喜びをいただき、泣き叫び荒れたたましいを慰めてもらっていました。何度も、何度も。いま読むと、丁度6節にあるとおりです。 
「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉の湧くところとします。
初めの雨もまた そこを祝福でおおいます。」
 雨がしみこんでいく・・・・・
そして、いつもわたしにある憧れは 10節のことばが表してくれます。
「わたしは 悪の天幕に住むよりは むしろ 神の宮の門口に立ちたいのです。」
ロマ書でパウロに宣告されるまでもなく(ロマ3:10−18)わたしたちは皆罪人です。
しかし、求めます。罪の世から救い出してください。それは自分の周りから救い出してください、ではなく、わが内にある底なしの罪の淵から救い出してください、という求めです。雨を降らせる神、「悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださる」神。(マタイ5:45)このような愛を降らせてくださる神からの恵みを遠慮なく受け、その幸いと平安がどのような尊いものであるか、受けたわたし自身がこの84篇のようになっていきますように。

No.3535 2007/12/01(Sat) 08:11:27

Re: / 大垣 引用

詩篇84篇は6節の「涙の谷」という言葉がとても印象に残っています。「涙の谷に住むもの」というHNの方が教えてくださった「ユキの日記」という心の病を持つようになった女性のとても悲しい日記を編集した本を思い出します。音楽や文学を与えて悲しいこの世での慰めをくださる神さまに感謝します。

10節の前半、「まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさります。」も後半とともにとても印象的です。僕たちの本当の希望はこの世にはない。

12節、神に信頼する人はなんと幸いなことでしょう。人や人の行いや人の造ったものに頼る人は、なんと不幸なことでしょう。

No.3542 2007/12/02(Sun) 08:22:38

Re: / 典子 引用

>「涙の谷に住むもの」というHNの方
この方は わたしの思い違いでなければ、確か11月7日がお誕生日ではなかったでしょうか。(別の方だったでしょうか、そうだったらごめんなさい)1ヶ月近く過ぎましたが、(ギリギリひと月以内ということでお許しいただいて)お誕生日おめでとうございます。
きょうはいかがお過ごしでしょうか。主の恵みがいつも豊かに注がれていますように。

No.3545 2007/12/02(Sun) 17:05:49
(No Subject) / 典子 引用

?Uコリ13章
1節 証人について注の申命記19:15を見る。少し前13節に「彼をあわれんではならない」があるのが目に留まる。 11節の罪をわたしは犯していないが、しかし、罪人であることには変わりない。しかし、神はあわれんでくださった。そのあわれみによって、きょうもこのように、命を取上げられずに、生きている。取上げられてもおかしくないのに、こうして生きている。いのちを与えられている。「生きよ」という神さまのあわれみにより。
それは神に立ち返って生きよ、という前提つき。
4節 「弱さのゆえに十字架につけられましたが」 キリストは「降りて来い」「自分を救ってみよ」に対し、自分で降りることもせず、兵隊たちをやっつけることもせず、そのままかかられました。降りて来ませんでした。とても弱い姿でした。
「神の力のゆえに生きておられます」 永遠に 昔から今までそしてこれからも永遠に いのちの神は 生きておられる。神の住まいがおありでしょうが、わたしたちにも 住まわれている。
5節 あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。
Examine yourselves to see whether you are in the faith; test yourselves.
7節 「わたしたちは、あなたがたがどんな悪をも行わないように神に祈っています。」
わたしも 自分が悪を行わないようにお祈りします。 ペテロのためにお祈りされたイエスさまを思います。(ルカ22:32)←ここ(31−32節)は いきなり急に読んでも なんという祈りだろう、なんという愛だろう、と思い胸がつまります。
9節 パウロがコリントの教会のことを祈ったと同じことは 神さまがわたしにも同様にしてくださると期待します。神さまは わたしが完全な者になることを祈ってくださりそのようになった日、喜んでくださる。それはとても難しく まず無理ではないか、と自分の判断では思いますが、しかし、神が励ましてくださるのだから、きっと徐々に近づいていけると信じます。愛するマタイの説教5章の最後にあるように、「完全でありなさい」理由は「天の父が完全」であるから。11節にも「完全なものになりなさい」が見えている。
11節「一つ心」注がいくつかある中で、ピリピ2:1「わたしの喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。」
どんなものであっても 「ひとつ」のひとつとは、神のひとつ。あれこれある種類ではなく、「神の」喜び、「神の」愛、「神の」心、「神の」志。
ですから、愛の神よ、どうぞ、これからもあなたご自身をわたくしにお示しください。さらに明らかにしてください。より近くで感じさせてください。感謝の11月が終わります。

No.3534 2007/11/30(Fri) 23:12:52

Re: / 大垣 引用

?Uコリント13章。1節。申命記19章1−10節の、逃れの町の定めに表れる神のあわれみと慈しみ。11−13節に表れる悪に対する厳しさ。神の愛は慈しみ深く、それでいて厳しい、聖なる愛。2人、または3人の証人による立証を要求された神の愛の知恵。パウロが3度目の訪問をするとき、それは、違う時点でのパウロという3人の証人にあたるのかな、と思いました。

4節。主が十字架に抵抗せずにかかられた弱さと、そこにこそ神の力が強く働かれ、主が生きておられるという力強さ。僕たちもキリストにあって弱いものとなるとき、本当に強くなることができる。

5節、自分は信仰の上に立って、すべてをしているのか。自分の行いや善さや力に頼っていないか,吟味する必要がある。

7節。どうか僕たちがどんな悪をも行わないものにしていただけますように。

9節。どうか僕たちがイエスさまの恵みにより、敵をも愛する完全なものになりますように。そのために、まず自分のまわりの人たちを主の愛で愛することができるようになりますように。

11節.どうか、僕たちが主にあって一つ心になりますように。愛と平和の神が僕たちとともにいてくださいますように。

13節。どうか主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりを、僕たちに与えてくいださいませ。

No.3543 2007/12/02(Sun) 08:52:20
(No Subject) / 典子 引用

ガラテヤ
緒論を読む。信仰義認の教理の強調、またキリスト者の自由、聖霊の実なども重要である、との特色を再確認。
1章 
1節「人間から出たことでなく」 それを言うなら、聖書そのものが、人間から出たことではないといえるのではないだろうか。
4節「ご自身をお捨てになりました」あちこち思い出すところがあるが、すぐに開いて見つかったところは ヨハネ12:24−25「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もしCENSOREDば、豊かな実を結びます。自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。」ここの脚注「永遠のいのちに至る高次の霊性を保とうとするなら、イエスに仕えることで自己中心の生活を放棄しなければならない」が迫ります。イエスに仕えることと、自分のいのちを愛することは 相対すること、真逆のこと、敵対すること。それを実行していますか?問う声に わたしは応えられるか? 
7節「ほかの福音?」福音はひとつ。キリストの福音、受けた者がその福音がどのようなものであるか、正しく知って受け留める、正しくいただく必要がある。
11節 再び出ることば「人間によるものではありません」12節「ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。」直接啓示のすごさ。
15,16節 主語はパウロを「生まれたときから選び分け、恵みをもって召してくださった方」である。その方がイエスを通し、啓示された。
24節 あがめていたものは「パウロ」ではなく、「神」であったことが健全さを現している。
全く同じパターンではないが、ここを連想した。ヨハネ9:3 「神のわざがこの人に現われるためです。」

No.3538 2007/12/02(Sun) 00:01:55

Re: / 大垣 引用

ガラテヤ1章。1節、ガラテヤのクリスチャンたちをかき乱した割礼派の人たちはパウロの宣教した福音に反対するため、パウロは信用できないという主張したのだと思います。それに対し、パウロは、彼が使徒となったのは、人間から出たことではなく、また人間の手を通したことでもなく、直接、キリストと父なる神によったのであることを説明していると思います。

2−5節でパウロはこの手紙の中心テーマの願いを祈っていると思います。律法を守るような善い行いによる救い(義認と聖化)を目指す人たちには、本当の平安はない。彼らは神の栄光ではなく、善行する自分の栄光を願う。パウロはガラテヤのクリスチャンがイエスの恵みによる義認と聖化が彼らの上にあるように、父なる神の御心によりご自身をお捨てになったキリストのことをもっと彼らが理解するように、善行する人々の上ではなく、神に栄光があるように祈ります。

僕たちキリスト者が本当に自分を捨てるためには、自分の善さと力をふりしぼるのではなく、ローマ7章24−25節のように自分はみじめなもので、そのようにはできないこと、キリストに頼れば、自分の中に入ってくださったキリストが救い出してくださることを信じるいしかないと信じます。そうすれば、イエスが僕たちに与えられたすべての知識、経験、性格を用いて、ほかのキリスト者とともにひとつの体の器官として用いてくださる。

7−9節、真の福音に反することを宣べ伝えるものは、のろわれるべきである。

10節。自分の善行によるのではなく、信仰による義認と、恵みによる聖化というと、自分の力ではないので、簡単なように勘違いし、人に取り入ろうとしている、と批判した人たちいたようである。僕は、信仰をいただいてからも、聖化とはたくさん祈ったり聖書を読んだり誘惑に打ち勝つ自分の必死の努力によると思っていた。そこには平安がなく、努力していないように思えたまわりのクリスチャンに対するさばきの心があった。自分の努力では到底足りないと知って恵みに頼ることの難しさということを思います。また、パウロがそうとしたとき、パウロの中のイエスが働かれてパウロのすべてを用いられれ、パウロがどれだけ苦労して働いたか、ということを思います。

11−13節。パウロが宣べ部伝えた福音は、人間によるものではなく、復活したイエス・キリストからの直接の啓示であった。直接啓示のすごさ。それによって、パウロが迫害者から伝道者へと変えられたことのすさまじさ。

15−17節。使徒9章5−6節で、主はパウロに「あなたのしなければならないことが告げられる」といわれた。パウロはアナニヤに「自分のしなければならないことは何か」いうことを聞いたと思います。そのとき、アナニヤは15節で主が言われた異邦人への宣教のことを伝えたと思います。パウロは20節で、諸会堂で、ユダヤ人たちに、イエスは神の子であることを宣べ伝え始めたけれど、異邦人への宣教という当時の彼にとってなかなか受け入れがたいことをするとうことを考え始めると、一人になって静かに主に聞く必要を感じたと思います。それでパウロはアラビヤに行ったのだと思います。おそらく40日間行って、主の前で静かにした後、22節のように「力を増し」て宣教したのだろうと思います。

24節.かえって明らかに悪いことをしていたものが回心するとき、神の栄光がよりはっきり現われることが多い。

No.3539 2007/12/02(Sun) 07:22:40
(No Subject) / 典子 引用

?Uコリ12章
1節 確かに「無益な」ことと思う。
7節 パウロの肉体にひとつの「とげ」が与えられた理由は「高ぶることのないように」であることがとても意味深く思う。そしてこの「(一つの)とげ」は 何だったのかと気になる気持もわずかにある。 しかし、これはパウロだけのことではない。多くのクリスチャンが「高ぶることのないように」あえて「打たれるために」とげがあたえられている。それはたとえ、サタンの使いであろうとも、最終の目的は 神の力を知り、神の愛を知り、神の大きさを知って、さらにわたしたちをあなたのもとへ引き寄せる力となるためのもの。その最終の目的を神さまはお持ちなので、サタンのわざを許しておられる。
8節 パウロにとってもとげはうれしいことはなかった。しかし!!
9節 「しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」
今年9月13、14日にこの箇所は刻まれました。「キリストの力がわたしをおおう」のであれば、何の悩み、悲しみがあろうか。主がご自身で「あなたに十分である」とおっしゃることに不満があろうか。何か足りないものがあろうか。
ピリピ4:13 エペソ3:16
「乏しいから言うのではありません。わたしはどんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。」(ピリピ4:11)
 そう、このことは「学んでいくこと」すなわち積み重ねていくこと、実感していくことであろう。その気になるのでなく。
10節 「なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです」
For when I am weak, then I am strong.
よく引用される句のようだが、どうしてこのようなことが言えるのか、根拠をはっきりと示せるのか、言えるのか、と思うとどうかな、と思う。根拠は9節の主のことばによる。
14節 「私が求めているのは、あなたがたの持ち物ではなく、あなたがた自身だからです。」
ついこないだ読んだ8章5節を連想する。「まず自分自身をささげ」
19節 「すべてはあなたがたを築き上げるためなのです。」 そう、わたしたちは あなたによって、築き上げられる。すぐ13:10にも見える。

2節 「第三の天」については 脚注のあっさりした解説とハンドブックの解説とはかなり異なって感じます。わたしはこのことについて、今、吟味に時間をかけようとは思わない。

No.3533 2007/11/30(Fri) 23:10:31
啓示 / マリア 引用

終末の前兆時代は完了しました まもなく わたしたちは

世の終わりと キリストの降臨を見上げるでしょう。

No.3531 2007/11/30(Fri) 11:09:55
民数記3章26節まで / 沙耶香 引用

今日は民数記3章26節までを読みます。

7節に
彼らは会見の天幕の前で、アロンの任務と全会衆の任務を果たして、幕屋の奉仕をしなければならない。
とあるが、アロンの任務と全会衆の任務って何だろうと思って、脚注を見ると、「レビ人は、アロンと全会衆が、神から命じられているすべてにかなった礼拝をささげることができるように、常に従順に必要なことを行わなければならない。」とあるが、これははたしてどういう任務なのだろうか?

10節の
あなたは、アロンとその子らを任命して、その祭司の職を守らせなければならない。ほかの人で近づく者は殺される。」
が印象に残りました。

12節に
「わたしはイスラエル人のうちで最初に生まれたすべての初子の代わりに、今これからイスラエル人の中からレビ人を取ることにした。レビ人はわたしのものである。
とあるが、レビ人って何だったっけ?と思って聖書検索すると、出エジプト2・1などに出ているので、たどっていくと、レビの家系の人のことみたいだ。うーん、だとするとこの12節はどういう意味なのだろうか???

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の12章14-18節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からいエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、16,17節の
初め、弟子たちにはこれらのことがわからなかった。しかし、イエスが栄光を受けられてから、これらのことがイエスについて書かれたことであって、人々がそのとおりにイエスに対して行ったことを、彼らは思い出した。
イエスがラザロを墓から呼び出し、死人の中からよみがえらせたときにイエスといっしょにいた大勢の人々は、そのことのあかしをした。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエスの死人からよみがえらせる業を見て、みな圧倒されているんでしょうね・・・

No.3529 2007/11/29(Thu) 20:59:03

再民数記3章26節まで / 沙耶香 引用

今日はもう一度民数記3章26節までを読みます。

6節に
「レビ部族を近寄らせ、彼らを祭司アロンに付き添わせ、彼に仕えさせよ。
とありますね。ということはレビも12部族だったの?でも2章のところの脚注にはレビ入っていないんだけれどなーー。どうなってるのかな?後ろのほうの12部族の地図にもレビ載っていないみたいだけれど・・・

13節の
初子はすべてわたしのものだからである。エジプトの国でわたしがすべての初子を撃ち殺した日に、わたしは、人間から始めて家畜に至るまでイスラエルのうちのすべての初子をわたしのものとして聖別した。彼らはわたしのものである。わたしは主である。」
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の12章19-23節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、23節の
すると、イエスは彼らに答えて言われた。「人の子が栄光を受けるそのときが来ました。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様はときを大切にされます。主のとき・・・

No.3530 2007/11/30(Fri) 09:29:43
民数記2章 / 沙耶香 引用

今日は民数記2章を読みます。

3節に
前方、すなわち東側に宿営するものは、軍団ごとにユダの宿営の旗のものでなければならない。ユダ族の族長はアミナダブの子ナフションである。
とあります。その次の次の節の5節に
その隣に宿営するものは、イッサカル部族であり、イッサカル族の族長はツアルの子ネタヌエルである。
とありますが、こうやってまた12部族を一つ一つ説明していく必要があるのだろうか?と考えてしまうが・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の12章4-8節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると6節の
しかしこう言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められた物を、いつも盗んでいたからである。
が気になるのでこれをもう何度か読みます。
盗人は多い。人を見たら泥棒と思わないといけない時代だ。信じてたくさん馬鹿見てきた・・・

No.3526 2007/11/28(Wed) 21:36:48

再民数記2章 / 沙耶香 引用

今日は民数記2章を読みます。

イスラエルの12部族のことを書いてあるので、あまり印象に残ったところも、不思議に思ったところもないですが、脚注の会見の天幕の図が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の12章9-13節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、11節の
それは、彼のために多くのユダヤ人が去っていき、イエスを信じるようになったからである。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
本物の真実のイエス様・・・

No.3528 2007/11/29(Thu) 10:01:03
(No Subject) / 典子 引用

?Uコリ11章
1節の「こらえているのです」4節の皮肉としての「こらえているからです」の対比が際立つ。 
2節 教会はキリストの花嫁 そのようにされた幸せを感謝します。
3節 今、2007年にも 悪巧みの蛇、蛇を送り出す送り手がいる。わたしたちも悪巧みにひっかからないようにしたい。「わたしは心配しています」のように、教会のことを気遣うパウロ(他教会のしもべ)がいることで得られる安心、心強さがすばらしい。
ハンドブック559ページにあるように、「彼は、自分が誇ることが良くないのを十分に承知していた。彼らはパウロが誇らないわけにはいかなくさせた。」
このあと連綿と書き綴られる 
14節 「サタンさえ光の御使いに変装するのです」 このみことばを初めて知ったとき、
とても恐ろしく感じた。 浅はかな人間の知恵では きっと見抜けないだろう、と。偽の光が射し込む。しかし、そうだ! たとえ偽の光が射し込んでも、真実の光がすでに勝利している。「わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16:33)なのだから、心配は要らないのだな。
17節「これから話すことは、主によって話すのでなく」注にあるまでもなく、連想する?Tコリ7章 たとえば12節「これを言うのは主ではなく、私です。」
ハンドブックによる表現で「劇的迫力を持つ個所」として22−33節。
23節の「私は狂気したように言いますが」が印象的な表現。具体的な苦難の数々 23節から27節を読むと、ロマ書8章の最後を思い起こしています。
「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものの、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」
次に来る12章でも同じような文言を見つけるが、いまはここで。
30節「もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。」
If I must boast, I will boast of the things that show my weakness.
33節 「かごでつり降ろされ」 使徒8:25周辺を復習して読んできました。
全体を通して やはり23節に目が行く
「彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうなのです。」誰も このことばを否定できるものはいないでしょう。
ハンドブックでは「キリストの使徒としての彼の全経歴は、全く生ける殉教の物語であった。」・・・「生ける殉教」とは・・・! ピリピ11:21が浮かびます。
「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」わたしも 少しでもこのような境地に近づき、弱いところにこそ、はたらいてくださるキリストの愛を受け続けたいと望んでおります。どうか、信仰の歩みを強め、整えてください。

No.3527 2007/11/29(Thu) 01:22:22
民数記1章 / 沙耶香 引用

今日は民数記1章を読みます。

うーん、6節の
シメオンからはツリシャダイの子シェルミエル。
から15節の
ナフタリからはエナンの子アヒラ。」
までこんなに人の名前ばかり書いて何か意味があるのだろうかと人間的考えでは考えてしまうが、神様のお考えは違うんでしょうね・・・

35節に
マナセ部族で登録された者は、3万2千2百人であった。
とありますが、29,31,33節にも同様に違う部族の人数が書かれているがこれらも何か意味があるのだろうかと人間的考えでは思うが、神様のお考えは違うんでしょうね・・・

36節に
ベニヤミンの子孫については、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた20歳以上で軍務につくことのできるものであった。
とあるが、この文章も部族の名前を変えて一節飛ばしにあります。うーん、こんなことばかり書いて何か意味があるのだろうか?と思ってしまうが、神様のお考えは違うのでしょうね・・・

51節の
幕屋が進むときはレビ人がそれを取り外し、幕屋が張られるときはレビ人がこれを組み立てなければならない。これに近づくほかの者は殺されなければならない。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の11章51-55節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、52節の
また、ただ国民のためだけでなく、散らされている髪の子達を一つに集める為にも死のうとしておられることを、預言したのである。

No.3519 2007/11/27(Tue) 21:01:14

Re: 民数記1章 / 典子 引用

沙耶香さん、レビ記の通読終了&民数記のスタートおめでとうございます。(何て言ったらいいのかな?)でも、うれしいですよね、前進していけるのって。わたしは思い起こすと 初めての通読というときは 実にテキトーでした。飽きてしまうと、ただページをめくって誤魔化すような、ちゃらんぽらんに読んでたので、沙耶香さんの緻密な読み方にはとても感心してしまいます。

No.3523 2007/11/28(Wed) 00:14:28

再民数記1章 / 沙耶香 引用

えーと、まず、夜の通読の続きから、
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様の世界では死ということはかなり重要なことなのですね・・・

典子さん、ありがとうございます。いや、私は何が何だか分からず読んでいるのです。でも分からない分からないっていつまでもほっておいたら、神様の恵みから遠ざかってしまいますので、読み進めています。
ごまかすって漢字あったんですね・・・始めて知りました。

今日はもう一度、民数記1章を読みます。

6節の
シメオンからはツリシャダイの子シェルミエル。
から、15節の
ナフタリからはエナンの子アヒラ。」
までは12部族に分かれたカナンの地ですね・・・地図で見たことあります。

54節に
イスラエルの人々は、このようにし、すべて主がモーセに命じられたとおりに行った。
とあるが、イスラエルの人は、従順であったのですね・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の11章56、57、12章1-3節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、1節の
イエスは過越しの祭りの6日前にベタニヤに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエスは死人の中からでも人をよみがえらせることができるお方。素晴らしいですね・・・

No.3525 2007/11/28(Wed) 10:28:43
全738件 [ ページ : << 1 ... 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 ... 74 >> ]

- HOME - お知らせ(3/8) - 記事検索 - 携帯用URL - フィード - ヘルプ - メール - 環境設定 -

- Skin: Modern v1.81 -

Rocket Board Type-X (Free) Rocket BBS