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(No Subject) / 典子 引用

?Uコリ10章
1節 「キリストの柔和と寛容」 はい、これをまとった者となりますように、お導きください。
2節 「確信によって」の重要性。確信>強気 確信が強気に優る
3,4節 たとえ肉の世にあっても、使う武器は神の次元のもの。だからこそ「要塞をも破る」ことができる。
6節 従順と不従順 まだこの者は従順が完全になっておりません。完全に従い切る決心とそのとおり行うことのできる力を与えてください。
12節 比較の愚かさ、知恵のなさ。ヤコブ1:5を連想します。そして願い出ます。
どうか、知恵をいただきたく思っています。どうか分けてください。続いて6,7,8節
神の平安と神による安定 わたしが安定に欠けるとき、どうかあなたが整えてくださいませ。
17節 「誇る者は、主にあって誇りなさい。」
 “Let him who boasts boast in the Lord.”
18節 「主に推薦される人」それこそが受け入れられる人。注にある箇所を見る。
ロマ2:29 「その誉れは、人からではなく、神から来るものです。」
?Tコリ4:5 「主はやみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。」  心を見られる神、心、内面こそが。マタイ5章に始まる麗しいイエスの教えは 皆、内面のことである。 心を見ている。見られている。 ですから、わたしも、イエスのみもとに跪いたらい病人のように(マルコ1:40)イエスの心で聖められたい。どうか聖めてください。
Create in me a pure heart, O God, and renew a steadfast spirit within me. Psalm 51:10
「神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。」詩篇51:10

No.3522 2007/11/27(Tue) 23:59:02

Re: / 典子 引用

つけたし
ハンドブックに「パウロの容貌」として伝説による描写が幾種類か載っていますが、結論としては 聖書自体には パウロがどんな容貌であったかの記述はない。ハンドブックの著者は 「彼はイエスを除くなら、かつてこの地球上に生きたいかなる偉人よりも力強く傑出した人であったことは確かである。」 としています。
聖書という書は 必要なことがすべて書かれてあって、必要でないことは書かれていないのだな、と知らされます。もし、気になることが載っていないとするなら、それは それについては知る必要はないですよ、という意味なのだ、と受け留めるようにしています。

No.3524 2007/11/28(Wed) 00:24:42
(No Subject) / 典子 引用

?Uコリ(コリント人への手紙 第二、この後?Uコリと略します)8章
2節 自分はまだまだ全然このような状態になっていないことが自覚できます。マケドニヤの教会の人々のように、「激しい試練の中にあっても」「極度の貧しさ」にあっても、「満ちあふれる喜び」を「あふれ出」る者となっていきますように。
5節 「まず自分自身を主にささげ」 とにかくお金より物より、「自分自身」ですね。それができているだろうか、常に問い続けて吟味し続けます。きょう、わたしは自分自身を主にささげて生きているだろうか?
9節 この論法というか、言いっぷり、というか、パウロさんはよく使いますね。
逆説的というか。
15節 「多く集めた者も余るところがなく、少し集めた者も足りないところがなかった。」
ああ、こういう文言は どこから出てくるでしょうか、そう、神しかあり得ないという感じ。事実、これは神のことば。神から出ることばの何と不思議な力の持つことよ。
出エジプト16:18を読みました。 さらに19、20節を読むと、使徒の5章に出てくるアナニヤとサッピラ夫婦を思い出します。
20節 献金の取り扱い・・・お金の取り扱いは今も昔もほんとうに難しい
18,23節 テトスについて ハンドブック(『聖書ハンドブック』ヘンリー H.. ハーレイ著 聖書図書刊行会)558ページを参照。生来臆病のテモテと比較されている。必要な場に必要な人が神さまから確かに遣わされてパウロの助け手となっていることの証なのでしょう。

No.3500 2007/11/25(Sun) 18:18:36

Re: ?Uコリント8章 / 大垣 引用

?Uコリント8章。
1節、喜んで献金する心は神の恵みであることをよく知りたいと思います。

>2節 自分はまだまだ全然このような状態になっていないことが自覚できます。

どうか僕たちの中に満ちあふれる喜びを恵みとして与えて、惜しみなく与えるものと変えてくださいませ。

4節がとても印象的です。マケドニヤの諸教会の人たちあ、ただ貧しい人々のために献金するのではなく、主にある兄弟姉妹をささえる交わりの恵みにあずかりたい、という心で献金しました。

>5節 「まず自分自身を主にささげ」 とにかくお金より物より、「自分自身」ですね。それができているだろうか、常に問い続けて吟味し続けます。

どうか僕たちがイエスの恵みによって、いつも自分自身を主にささげる力と意思を与えられますように。

>9節 この論法というか、言いっぷり、というか、パウロさんはよく使いますね。

僕たちの主は天で富んでおられたのに、人間となって地に来てくださった。しかも僕たちの罪のために十字架にかかってくださった。主のしもべとしていただいたことを誇りに思います。

13−14節、献金するのは一方的な奉仕ではない。ローマ15章26−27節にもあるとおり、献金するキリスト者は物質的に奉仕し、献金を受けるキリスト者は、霊的に奉仕する。大阪のホームレスの方々に奉仕しておられるキリスト者の本に、イエスは奉仕を受ける側におられる、と書かれていたことが印象的でした。マザー・テレサは、マザーの中のイエスが、イエスさまの力で、貧しい人の中におられるイエスさまに奉仕する、という意味のことを言われたと聞いています。自分が高いところにいて奉仕するのではない。

>15節 「多く集めた者も余るところがなく、少し集めた者も足りないところがなかった。」
ああ、こういう文言は どこから出てくるでしょうか、そう、神しかあり得ないという感じ。事実、これは神のことば。神から出ることばの何と不思議な力の持つことよ。

神がマナを空から降らせられた不思議、唯一の御子をいのちのパンとして僕たち罪人に与えてくださった不思議を思います。

>出エジプト16:18を読みました。 さらに19、20節を読むと、使徒の5章に出てくるアナニヤとサッピラ夫婦を思い出します。

ここの19、20節は、最初?Uコリ8章の19,20節かと思ったのですが、出エジプト記16章の19,20節だと理解します。天からマナをいただいても、神のみことばに聞き従わない人たちがいた。すると素晴らしい天からのパンであるマナに虫がわき、悪臭をはなった。僕たちはいのちのパンをいただいたが、神に聞き従っているだろうか?クリスチャンと自称しながら悪臭をはなっていないだろうか?僕は聖くなったつもりでも、まだまだ悪臭をはなつ、ほんとうにみじめな人間です。でも、僕の中に入ってくださったイエスがきっと働いてくださいます。僕たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。(ローマ7章24−25節)。

>20節 献金の取り扱い・・・お金の取り扱いは今も昔もほんとうに難しい

お金に関する誘惑に負けないには、自分の善良さとかにより頼むのではなく、イエスにより頼む。それと同時に、まわりの人々が疑ってつまずかないように、2人以上の人でしっかり管理するのが良い。さらにお金よりも、もっと価値のあるみことばの取り扱いの難しさということを思います。みことばについて語るなら、長年勉強したとか、資格をもらったとかいうことにより頼むのではなく、イエスにより頼む。それと同時に、複数の信仰者で読みの照らし合わせをするのが良い。

>18,23節 テトスについて ハンドブック(『聖書ハンドブック』ヘンリー H.. ハーレイ著 聖書図書刊行会)558ページを参照。生来臆病のテモテと比較されている。必要な場に必要な人が神さまから確かに遣わされてパウロの助け手となっていることの証なのでしょう。

そうですね。テトス3章10節の簡潔な書き方で、テトスは、必要なら厳しい処罰を断行できる人であることがうかがえると思います。もちろんテモテが必要とされる場もあるはずだけれど、厳しい処罰ができるのはテトスだたったので、このときは神がテトスをパウロの助け手として遣わされたのだと思います。

No.3504 2007/11/26(Mon) 09:05:51

コリント?U8,9章 / 沙耶香 引用

うーん、私もコリント?Uの、8,9章を読んでみようと思います。
今8章を読み終えましたが、あまり意味がわからないため、よく分からないというのが本音です。続いて9章を読んでみます。うーん、喜んで与える者を祝福するという風に取れますが・・・

2節
苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ち溢れる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。
うーん、これは貧しい中でも施し、富を得たということだろうか?

4節
聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかりたいと、熱心に私たちに願ったのです。

自分達が貧しいから貧しい人にささげたいという希望じゃなくて兄弟姉妹との交わりを・・・という気持ちだということかな?

5節
そして、私たちの期待以上に、神のみこころに従って、まず自分自身を主にささげ、また、私たちにもゆだねてくれました。

これはどういう意味なのだろうか?私たちにも委ねてくれました??
でも自分自身を主にささげている人なんてほとんどいないですね・・・本当にささげきっているひとなんて一人もいないと思います。

9節
あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富むものとなるためです。

うーん、あまりよく意味が取れないが・・・

13-14節・・・
私はこのことによって、他の人々には楽をさせ、あなたがたには苦労をさせようとしているのではなく、平等を図っているのです。
今あなたがたの余裕が彼らの欠乏を補うなら、彼らの余裕もまた、あなたがたの欠乏を補うことになるのです。こうして、平等になるのです。

ローマ15章26−27節も読みましたが、何だかよく分からないが、献金する側も奉仕しているが、献金されている側も奉仕しているんですね・・・へーー素晴らしいですね・・・

15節
管理人様が書いてくださっているが、多くても少なくても同じということだろうか?そりゃー多くできる人のほうが、より一層神様のいろんな仕事に使えますけれど、元々収入ない人や、必要経費だけをいただいている人なんかはかなり難しいでしょうね・・・でも少なくても同じだといわれたら嬉しいです。

うん、マナを降らせ奇跡は素晴らしいですね・・・

出エジプト記16章の19,20節・・・

何だかあっちこっち移って、何が何だか分からなくなってきました。私はまだまだ管理人様や典子さんのように聖書の聖句を自分のものとできていないために、いろんな関連箇所が出てくるともう混乱してしまいます。

コリントを開けて、出エジプトを開けて、ローマを開けて、としているともう、何だか分からなくて・・・疲れてもう限界ですので、ここでコリ8,9章は終了します。でないと今日のレビが読めなくなります。私はまだまだです。一人で自分のペースで読むのが精一杯です。ご了承ください。

No.3507 2007/11/26(Mon) 10:38:33

Re: (お願い) / 典子 引用

沙耶香さん、お願いがあるんですけど。
どうか、大垣さんを「管理人様」と呼ぶのをやめていただけませんか? 沙耶香さんが 大垣さんをとても信頼し、尊敬していらっしゃるのはわかるのですが、でも、「様」というのは「神様」みたいな「様」でしょう。 
沙耶香さんの行かれる教会の牧師の方でも、もし、ご自分を「様」づけで呼ばれることは 良しとされないのではないでしょうか。だって、わたしたち、皆イエスさまの「しもべ」なのですもの。
 大垣さんにも お尋ねします。 わたくしのこの提案はどうお考えになりますか? 「様」づけで呼ばれるままで 構わないお気持ちですか? 

No.3508 2007/11/26(Mon) 11:07:34

Re: / 大垣 引用

僕は人が人をどう呼ぶか、ということ自体は、基本的にはどうでも良いと思っています。問題は、その人の心であるので、基本的には他人にとやかく言うことではないと思っています。

たとえば、聖書によれば「先生」と呼ぶべきなのは、イエスだけですが、それは心のことであると思うので、僕は同僚の多くの人々を先生と呼んでいますし、問題があるとは思っていません。

ただ、ある呼び方によって、他の人に誤解を招いたり、場にそぐわないことがあるので、それは注意したほうが良いと思っています。沙耶香さんには、以前に「大垣先生」という呼び方は、ここでは僕を聖書学者か何かと勘違いをする人がいるかもしれないので、やめていただくようにお願いしました。「様」は日本では、ごく普通に手紙などの呼びかけに使われていると思っていますが、違いますか?

No.3512 2007/11/26(Mon) 21:46:37

Re: / 典子 引用

>人が人をどう呼ぶか、ということ自体は、基本的にはどうでも良いと思っています

そのとおりです。 それは、但し、場面によります。

>ある呼び方によって、他の人に誤解を招いたり、場にそぐわないことがあるので、それは注意したほうが良いと思っています。

わたしが思うのはまさに上記のような理由です。

>「様」は日本では、ごく普通に手紙などの呼びかけに使われていると思っていますが、違いますか?

そのとおり、それは、手紙などの宛名として、「様」とつけます。毎回、呼びかけのときに、「様」とつけるのは、常識として、とても不自然に感じています。 あるいは、この場ではあり得ませんが、完全にジョークとして使う場合は全く別です。 大垣さんは 職業が先生ですから、まだ「先生」の方が適当かと思います。「先生」と比べて、「様」は、日本語で使う場合、とても特殊に感じてなりません。 大垣さんの暮らしの場が、日本ではないことが 気にならない要因ではないでしょうか? とても、とても 奇妙に感じてなりません。

No.3513 2007/11/26(Mon) 22:29:37

Re: / 典子 引用

>大阪のホームレスの方々に奉仕しておられるキリスト者

わたしにはホームレスの友人がいます。一人でもそういう方がいると、まとめて「ホームレス」という言い方がしにくくなって、顔が浮かんできます。具体的な個人として知っているというだけで ずいぶん感じが違ってくるものだな、と思っています。

>みことばの取り扱いの難しさ

とっても細かいことなのですが、どーも ことばにひっかかってしまうので。(こだわり過ぎかな?)
少なくとも、信仰を持っている者のとって、「みことば」といったとき、それは「取り扱う」ものになってしまうだろうか? わたしたちはそれを「取り扱って」いるのでしょうか? とても抵抗あります。みことばを「取り扱う」という言い方に。たとえば、聖書を書物として研究している者が使うような、そんなイメージを持ちます。確かに時には客観的な分析や研究の対象になり得るものですが、 あくまで信仰者にとって、それを自分で読むときも、また他の人に話したり伝えたりするときも、わたし個人的には「取り扱う」という認識は持ちたくない。もし 同様のことを言い換えるとするなら、 「用いる」でしょうか・・・(単なる感覚の問題でしょうか?) どなたか、他の方は どんな感覚をお持ちでしょうか? 

No.3518 2007/11/27(Tue) 15:37:36

Re: / Aja 引用

大垣さんはそれほど深い意味はなく「取り扱う」という言葉を使っただけだとは思いますが、たしかに、典子さんの感覚もわかる気がします。

私が以前通っていた教会では、みことばがまるで道具のように使われていて、説教者が言いたい事を語るためにあちこちから聖書の言葉を引用する、という感じでした。
神さまの言葉じゃなくて、単に牧師の言いたい事を聖書を使って話している、というような…。 

だから最初から目的があるんですよね。この説教によって、みんんながこういう心を持つように、という。

ヘブル4章12節 「神のことばは生きていて、力があり…」というみことばがありますが、自分はそのように感じられていない、という思いに強烈に支配されたことがあります。
神さまの言葉を聞いているのに、それが生きたことばじゃなくて、単なるいのちのないことば、力のないことば、になってしまっている、と。 その思いに耐えられなくなってその教会は去ったのですが。みことばが道具のように使われている説教は、聞けば聞くほど神様から遠ざかっていくようで。

みことばは生きていて、力を発揮するもの、というのが、私のみことばに対する感覚です。 今はまだそのようには感じられないでいるところも大きいのですが。

No.3520 2007/11/27(Tue) 21:53:13

Re: / 典子 引用

Ajaさん、レス感謝です。

ヘブル4:12 いいですねえ。大好きなみことばです。

>今はまだそのようには感じられないでいるところも大きいのですが

たとえ、今はまだでも、12節の後半「心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」ということは きっと思い当たることがあるのではないかしら?
ここにこうして文字ででも、また人の語りによって耳からでも、自分で読みあげて口にしても、みことばには やはり生きた力があるものだ、と感謝しています。

No.3521 2007/11/27(Tue) 23:50:37
レビ26章26節まで / 沙耶香 引用

今日は、レビ26章26節までを読みます。

1節の
あなたがたは自分のために偶像を造ってはならない。また自分のために刻んだ像や石の柱を立ててはならない。あなたがたの地に石像を立てて、それを拝んではならない。わたしがあなたがたの神、主だからである。
が印象に残りました。

9節に
わたしは、あなたがたとのわたしの契約を確かなものにする。
とあるが、わたしの契約って何だろう?と思うと、契約の横に小さく3という数字が打ってあるので、横の解説を見ると、創世記17の7節を見るようにと書いてあるので、開きます。
・・・
わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。
・・・
とあります。うーん??でも何の契約だろうか?永遠の何の契約だろうか?神と子孫と永遠に結びついているということが言いたいのだろうか?

10節に
あなたがたは長くたくわえられた古いものを食べ、新しい物を前にして、古いものを運び出す。
とあるが、私はこれは比喩だと思っていたが、下の脚注を見ると、穀物のことで、そのものずばりだった。

11節に
わたしはあなたがたの間にわたしの住まいを建てよう。わたしはあなたがたを忌み嫌わない。
とあるが、これは、どういう意味だろうか?わたしの住まいを建てる??あっ・・でも前に質問したことがあったような気がするなーーー。と思って聖書検索をしたが、これが最初みたいだった。うーん??どういう意味だろうか?

15節に
また、わたしのおきてを拒み、あなた方自身がわたしの定めを忌み嫌って、わたしの命令をすべて行わず、わたしの契約を破るなら、
とありますが、この文章や次の節から行くと、契約というのはモーセの律法のことかな?と思うのだが、横に小さく2の数字が振ってあって先ほどの9節のところと同じ意味だとすると、さっきのもモーセの律法のことなの?でもそれだとおかしいことないかな?うーん??分からない・・・混乱してきた・・・

18節に
もし、これらのことの後でも、あなたがたがわたしに聞かないなら、わたしはさらに、あなたがたの罪に対して7倍も重く懲らしめる。
とあるが、7倍も懲らしめるの7という数字はやはりイエス様の完全を示す7ということから来ているのか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の11章の21-25節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、25節の、
イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエスを信じる者は永遠に生きます。

No.3479 2007/11/24(Sat) 11:36:27

Re: レビ26章26節まで / 大垣 引用

9節の契約は、神とイスラエルの民の契約です。

チェーン式の梗概に26章が「祝福とのろい」とあるのを確認してください。26章では神とイスラエルの民の契約の規定のモーセの律法をイスラエルの民が守り、行うなら神が民を祝福されること、民が律法をすべて行わないで契約を破るなら、神が民をのろわれることが書いてあります。

3−12節は民が契約を守る場合の祝福、13−39節は民が契約を破る場合ののろいが書かれています。

11節は、出エジプト26章に説明のあった幕屋が主の住まいです。

15節、神とイスラエルの民の契約のうち、民の守るべき定めの部分がモーセの律法です。

18節、7という数字の意味は、たぶん沙耶香さんの思われたようなことだろうと思います。

No.3483 2007/11/24(Sat) 14:12:20

再レビ26章26節まで / 沙耶香 引用

今日はもう一度レビ26章26節を読みます。

うん、チェーン式の梗概の26章のところに「祝福とのろい」とあります。
>>3−12節は民が契約を守る場合の祝福、13−39節は民が契約を破る場合ののろいが書かれています。

あっ・・そういわれるまではそんなこと分からなかったですね・・・

>>9節の契約は、神とイスラエルの民の契約です。

結局モーセの律法のことなの?余計に混乱してきた・・・

2節の
あなたがたはわたしの安息日を守り、わたしの聖所を恐れなければならない。わたしは主である。
が印象に残りました。

15,16節の
また、わたしのおきてを拒み、あなた方自身がわたしの定めを忌み嫌って、私の命令をすべて行わなわず、わたしの契約を破るなら、
わたしもまた、ああんたがたに次のことを行おう。すなわち、わたしはあなたがたの上に恐怖を臨ませ、肺病と熱病で目を衰えさせ、心をすり減らさせる。あなたがたは、種をまいてもむだになる。あなたがたの敵がそれを食べる。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の11章26-30節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、26節の
また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」
が気になるので、これをもう何度か読みます。
信じる人だけ救われます。

No.3485 2007/11/24(Sat) 20:01:33

Re: レビ26章26節まで / 大垣 引用

9節、神は人間と親しい契約関係に入られますが、契約を理解するには

1.神と誰が契約するのか。個人なのか、集団なのか。
2.契約を与えられた人や集団がすべきことは何か。
3.神は契約を受けた人に何をしてくださるのか。してくださることは、人間が契約を守るという条件があるのか、条件はないのか。

という3つのことに注意するのが大切だと思います。レビ記での契約で、上記の3点は

A.イスラエルの民という集団との契約です。
B.イスラエルの民はモーセの律法をすべて守って行うべきである。
C.イスラエルの民がモーセの律法をすべて守り行うという条件のもとで、神はイスラエルの民を祝福され、守らないときは、イスラエルの民をのろわれます。

ということだと僕は思います。だから、モーセの契約は、契約そのものではなく、契約のうち、上記の第2点に関わる人間のための定めです。

創世記2章16−17節でのアダムとの契約では、上記3点はどうであったか、創世記9章1−17節のノアとの契約は、また、創世記15章8−21節のアブラハムとの契約どうであったか、ということを、いつか考えてみられたら、良いかと思います。

No.3487 2007/11/25(Sun) 01:05:27

Re: レビ26章26節まで / 沙耶香 引用

創世記2章16-17節・・・
1、神とアダムとエバとの契約。
2、園のどの木からでも思いのまま食べてよいが善悪の知識の木からは取って食べてはならないということを守ること。
3、2の条件を破ったら、必ず死ぬ。

創世記9章1-17節・・・
1、神と、ノアと、ノアの息子達、またそれらと一緒にいるすべての生き物と、鳥、家畜、それにあなたがたといっしょにいるすべての野の獣、箱舟から出てきたすべてのもの、地のすべての生き物との契約。
2、神が雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。
わたしが地の上に雲を起こすとき、雲が雲の中に現れる。これらの契約を思い出すこと。
3、2の条件のもとで大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない。

創世記15章8−21節・・・
1、神とアブラハムとの契約。
2、神のところに3歳の雌牛と、3歳の目やぎと、3歳の雄羊と、山鳩とそのひなを持ってくること。
3、2の条件を守らなかったら、自分たちのものでない国で寄留者となり、彼らは奴隷とされ、400年の間苦しめられる。

と思うのだが、違うかもしれない。

No.3517 2007/11/27(Tue) 10:56:17
レビ27章 / 沙耶香 引用

今日はレビ27章を読みます。

レビ記もいよいよこれで終わります。次は民数記に進んだのでいいかな?順番で行こうと思います。

2,3節に、
「イスラエル人に告げて言え。ある人があなたの人身評価にしたがって主に特別な誓願を立てる場合には、
その評価は、次のとおりにする。20歳から60歳までの男なら、その評価は聖所のシェケルで銀50シェケル。
とありますが、人身評価ってイエス様的考えじゃないと思うんだけれどなーー。

32節に
牛や羊を10分の一については、牧者の杖のしたを10番目ごとに通るものが、主の聖なるものとなる。
とあるが、これはどういうことだろうか?と脚注を読むと、「牧者は若い羊あるいは牛をそれぞれの囲いにいれ、小さな出口を作る。そして囲いの外にいる母親の声に釣られて外に出てくる家畜を数えて、10番目のものに杖で赤色のしるしをつけ、これを10分の1としたといわれる。」とあります。何だか面白いですね・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の11章41-45節を読みます。
天のおられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、43,44節の
そして、イエスはそういわれると、大声で叫ばれた。「ラザロよ。出てきなさい。」
すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたままで出てきた。彼の顔は布切れで包まれていた。イエスは彼らに言われた。「ほどいてやって、帰らせなさい。」
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエスの癒しの御業は素晴らしいですね・・・私も主のときにそういう癒しの御業をみることができると信じて期待して感謝します。

No.3511 2007/11/26(Mon) 20:48:28

再レビ27章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度レビ27章を読みます。

2節に
「イスラエル人に告げて言え。ある人があなたの人身評価にしたがって主に特別な誓願を立てる場合には、
とあるが、誓願を立てるとはどういう意味だろうなーと思ったら、横に小さく数字で1と振ってあるので、横を見ると、まだ読んでいないところだった。辞書を引くと、神に誓いを立てて事の成就を願うことという意味らしい。

10節に
それを他のもので代用したり、よいものを悪いものに、あるいは、悪いものをよいものに取り替えてはならない。もし家畜を他の家畜で代用する場合には、それも、その代わりのものも、聖なる物となる。
とありますが、他のもので代用してはならないと言っているのに、他のもので代用した場合も、代わりのものも聖なるものになるの?何だか少しおかしいと思うけれど・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の11章46-50節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語り下さい。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・・
何度か読んでいると、50節の
ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない。」
が気になるので、これをもう何度か読みます。
この節の元々の意味は多分イエス様をほうっておいたらいけないという意味からイエスを抹殺しようと考えているのだろうと思う・・・

No.3516 2007/11/27(Tue) 09:49:11
礼拝 / 典子 引用

ではこれから聖日礼拝に行ってきます。
沙耶香さんも 教会に行っていますか?きょうは礼拝に行けるのかな?行けるといいですね。

No.3492 2007/11/25(Sun) 08:18:13

Re: 礼拝 / 沙耶香 引用

行ってきました。典子さん、賛美歌を大きく歌いましたか?
私たちの教会は次々新曲が出るので、今日は分からない曲ばかりで、ついていけませんでした。
新曲の場合、楽譜をすってきてくれるのですが、私はOHPの奉仕を担当しているため、楽譜に目をやる余裕はないです。
イエス様と牧師に会えて幸せです。

No.3494 2007/11/25(Sun) 16:53:27

Re: 礼拝 / 典子 引用

まあ!沙耶香さん、お帰りなさい、お疲れさまでした!(実際疲れたでしょう、でも、それ以上の恵みをいただけますね、きっと)

>典子さん、賛美歌を大きく歌いましたか?
もちろんですよ。きょうはちなみに 賛美歌312番「慈しみ深き・・・」と461番「主われを愛す」でした。今年はこれらを含めてちょこっとでもハモれるように、練習中です。クリスマス礼拝には、今より良い響きで仕上がるといいな、と期待しています。

>私はOHPの奉仕を担当しているため、楽譜に目をやる余裕はないです。
すごーーい、沙耶香さん、かっこいい!  でも、確かに何かやりながら、もう一つのことをするというのは大変ですよね。でも、楽譜に目をやっていなくても、共に賛美の心で、賛美に耳をすませ、イエスさまを愛してOHPのご奉仕ができるというのは大きな喜びですね。イエスさまも沙耶香さんと共に喜んでいらっしゃるでしょうね。一緒に賛美されてるかもしれない・・・


>イエス様と牧師に会えて幸せです。

ほんとうに。そして、わたしは沙耶香さんがこのようにおっしゃることを知ることができてとても幸せです!

No.3496 2007/11/25(Sun) 17:17:20

Re: 礼拝 / 大垣 引用

先週の火曜に賛美歌グループで We gather togeher という賛美歌を歌いました。 英語ですが、www.cyberhymnal.org/ にあります。この賛美歌はアメリカの感謝祭でよく歌われているそうです。感謝祭はアメリカに移住してきた清教徒たちの食糧難の冬に、(いわゆる)インディアンが食糧をくれて助けてくれたことに感謝することから始まったと聞いたことがあります。その後の歴史を考えるとき、人間の罪と神の愛ということを思います。この歌はとても美しいメロディーだと思います。

調べてみると、もともとはオランダの人たち信仰の自由のために戦ったときに戦闘の勝利を祝った歌だそうです。この戦闘に敗北した側にも、神さまに熱い思いを持っていたキリスト者がおられたろう、と僕は思います。そういうことも考えながら、この信仰の自由の勝のを歌を自由を求めたオランダの人たちに与え、また感謝祭の歌として与えてくださった神さまに感謝します。

No.3501 2007/11/26(Mon) 02:05:49

Re: 礼拝 / 典子 引用

>We gather togeher という賛美歌を歌いました

はい、いま、聴いてみました。タイトル下に "Gather together in one the children of God." John 11:52 と流れているのがメロディとともに印象的でした。

No.3515 2007/11/26(Mon) 23:56:26
(No Subject) / 典子 引用

?Uコリ9章
2節「あなたがたの熱心は、多くの人を奮起させました。」熱心の伝播が起こる。
5節「惜しみながらするのではなく」 またしても アナニヤとサッピラを思い出す。また、イエスを売ったイスカリオテのユダが、ヨハネ12:5でマリヤの行為にいちゃもんをつけたことを思い出します。
6,7節 礼拝の「ささげもの」(献金)のときに読み上げられることがある。特に7節「心で決めたとおり」これがとても響く。神さまは それぞれの人の神さまへの態度、心をご覧になる。そして、もちろん、すべてをご存知である。
10節「あなたの義の実を増し加えてくださいます。」 ヨハネの15章 ぶどうの木のところを思います。「わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。」(15:2)
実を豊かに結ばせてくださるのは、神のわざに他ならない。
11−14節 結局のところ、すべては神に通ずるということ。
「神への感謝」(11節)→「神への多くの感謝」(12節)→「神をあがめる」(13節)→「神の恵み」(14節)
行き着くのは 15節「ことばに表せないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。」
神さまへの感謝は これこれこうだから、こういうものをいただいたから、などの理由を超越したところにある。
きょうも あなたのみことばに触れる時間をいただいたことを感謝します。どうか この者が いまは不完全ではあっても、「あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり」(11節)そのことで 神さま、あなたへの感謝を生み出していくことができますようにこれからも未熟なわたしたちをお導きください。

No.3514 2007/11/26(Mon) 23:42:20
(No Subject) / 典子 引用

?Uコリ6章
7節 「義の武器」が印象的。この最たるものが、真理である、と今グループレッスンで学
んでいます。
14節 「光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。
光が出てくると、すぐヤコブを思い出します。大好きなところです。ヤコブ1:17
「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。」
何度、このみことばに惹かれ、整えられたでしょう。いつも感謝の、そして、神と近づくのにふさわしいみことばだと思っています。
16節 「私たちは生ける神の宮なのです。」 このあとの17、18節を全部ノートに書き写しました。横の注のイザヤ52:11も読み、そうすると、そのあと、感謝の12節が浮かび上がり、「主があなたがたの前に進み、イスラエルの神が、あなたがたのしんがりとなられるからだ」当然そのまま13節そのまま「苦難のしもべ」53章に突入して読みました。特に、きょう、突き刺さる部分は ここ
5節「彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」
6節「わたしたちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。」(――そうです、そのとおりでした、そして、いまも、常に意識しつづけなければ、危なっかしくなります)
「しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」
さらに
12節「彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。
彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。」
(この、この方の打ち傷、死、とりなしがなければ、きょう、こうして、わたしが生きていることなどなかった・・・)
黙示18:4が参照されていたのでついでに 黙示20章も気になって読む。12節をノートに写しました。それは、イザヤで「おのおの、自分かってな道」からの連想で、その報いとして 12節に「自分の行いに応じてさばかれた」とあるのに目が留まったからです。
イザヤ55:7「主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。 私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。」
Let him turn to the LORD, and he will have mercy on him, and to our God, for he will freely pardon.
ああ、感謝のみことばです。
詩篇138も合わせてノートに書きました。
3節「私が呼んだその日に、あなたは私に答え、私のたましいに力を与えて強くされました。」
When I called, you answered me; you made me bold and stouthearted.

そして、きょうは尊敬する大先輩から みことばを与えられました。ヨハネ1:1−3
すべて感謝します。
神さまは わたしが呼び求めると 確かに応えてくださいます。憐れみの手を差しのべてくださいます。ありがとうございます。
 

No.3510 2007/11/26(Mon) 18:19:05
レビ25章残り / 沙耶香 引用

今日はレビ25章残りを読みます。

35節に
もし、あなたの兄弟が貧しくなり、あなたのもとで暮らしが立たなくなったなら、あなたは彼を在住異国人として扶養し、あなたのもとで彼が生活できるようにしなさい。
とありますが、今これを守っているキリスト者なんてほとんどいないですね・・・でも実際におられるからイエス様は素晴らしい・・・

43節の
あなたは彼をしいたげてはならない。あなたの神を恐れなさい。
が印象に残りました。

50節に
彼は買い主と、自分が身を売った年からヨベルの年までを計算し、彼の身代金をその年数に応じて決める。それは雇い人の場合の期間と同じである。
とありますが、身代金なんて誘拐みたいで嫌ですね。身売りなんて今はあるんだろうか?何だかよく分からないなー――。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の11章11-15節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいたが、一つに絞れなかったので、全体をもう何度か読みます。
何だかいろいろと本当にイエス様の御技を知るのは難しい。

No.3462 2007/11/23(Fri) 09:42:50

再レビ25章残り / 沙耶香 引用

今日はもう一度レビ25章残りを読みます。

39節に
もし、あなたのもとにいるあなたの兄弟が貧しくなり、あなたに身売りしても、彼を奴隷として仕えさせてはならない。
とありますが、この時代は奴隷を認めていたのではないのか?兄弟にはそういう風にしたらいけないのだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の11章16-20節を読みます。
天におられるお父様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると16節の
そこで、デドモと呼ばれるトマスが、弟子の仲間に言った。「私たちも行って、主と一緒に死のうではないか。」
が気になるので、これをもう何度か読みます。
主と一緒にCENSOREDるなんて最高ですね・・・

No.3473 2007/11/23(Fri) 21:54:52

Re: レビ25章残り / 大垣 引用

35節。神とキリスト者の契約の定めはモーセの律法ではないということに注意しておいてください。だから、キリスト者が文字通りに、35節を守っていないと罪を犯している、ということではないのです。

39節は40節と一緒に読むと良いと思います。また、脚注も読んでみてください。同胞のイスラエル人が貧しくなったときは、35−38節にあるように、彼に利息なしでお金を貸し、食物を与えます。それでも、さらに貧しくなって、彼が身売りしたときは、奴隷とするのではなく、住み込みの雇い人としなさい、ということです。

50節、モーセの律法は神の定めですから、「身代金」とは誘拐を連想させて嫌な言葉である、とか、そういう直接に関係のない感情的なことに、できるだけ囚われないようにして読むようにすると良いかと思います。

No.3488 2007/11/25(Sun) 01:44:45

Re: レビ25章残り / 沙耶香 引用

>>35節。神とキリスト者の契約の定めはモーセの律法ではないということに注意しておいてください。だから、キリスト者が文字通りに、35節を守っていないと罪を犯している、ということではないのです。

神とキリスト者の契約の定めはモーセの律法ではないの??えっ??あれ?神とキリスト者の契約はモーセの律法のことだとおっしゃっておられなかったですか?うーん??分からない・・・

No.3491 2007/11/25(Sun) 07:55:15

Re: レビ25章残り / 典子 引用

>あなたは彼をしいたげてはならない。あなたの神を恐れなさい。

特に後半の一文は 伝道者の書の終わり12章13節を思い出します。「神を恐れよ。神の命令を守れ。」
この聖句を、バプテスマを受ける前後の日々共に学んだ中国人の姉妹が受洗記念に下さったことが忘れられません。
「恐れなさい」も「守れ」も、神を愛するがゆえに わたしたちは恐れ、守ることになるのでしょう。愛しているならば、おのずと恐れ、そして守る、従うほか道はない、ということになるのでしょう。(ヨハネ14:21、24)(?Tヨハネ5:3)

No.3497 2007/11/25(Sun) 17:29:32

Re: レビ25章残り / 沙耶香 引用

ヨハネ14:21・・・
わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしは愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現します。」
ヨハネ14:24・・・
わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。
?Tヨハネ5:3・・・
神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。

No.3505 2007/11/26(Mon) 09:10:32

Re: レビ25章残り / 大垣 引用

神とキリスト者の新しい契約での定めはモーセの律法ではありません。エレミヤ31:31−34に新しい契約が預言者エレミヤによって、イエスのお生まれになる約600年前に預言されています。

モーセの律法については、No.3487を読んでみてください。

No.3506 2007/11/26(Mon) 09:14:12

Re: レビ25章残り / 沙耶香 引用

エレミヤ31章31-34節読みましたが、何だかよく分からないですね・・・

No.3509 2007/11/26(Mon) 18:12:36
レビ26章残り / 沙耶香 引用

今日はレビ26章残りを読みます。

29節に
あなた方は自分達の息子の肉を食べ、自分たちの娘の肉を食べる。
とありますが、本当にこういうことがあったのだろうか?と不思議に思い、脚注を見ると、実際にあったらしいことが書いてある。何だかおかしいというか怖いですね・・・

30節に
わたしはあなたがたの高きところをこぼち、香の台を切り倒し、偶像の死体の上に、あなたがたの死体を積み上げる。わたしはあなたがたを忌み嫌う。
とあるが、「こぼち」とはどういう意味だろうか?この全体の意味もわからない。脚注を読んでみたが、町の外の荒廃・・?

34節に
その地が荒れ果て、あなたがたが敵の国にいる間、そのとき、その地は休み、その安息の年を取り返す。
とあるが、脚注を読むと、「民の不服従によって軽んじられていた土地の安息は、民が捕囚となることによって与えられる。全治は神のものであるゆえ、我々は、地に安息と平和を与えるよう努める事を教えられる。」とあるが、何で、土地の安息が、民が捕囚となることによって与えられるのか?

41節に
しかし、わたしが彼らに反抗して歩み、彼らを敵の国へ送り込んだのである。そのとき、彼らの無割礼の心はへりくだり、彼等の咎の償いをしよう。
とあるが、脚注を読みましたが、無割礼の心というのは比喩ということだろうか?

44節の
それにもかかわらず、彼らがその敵の国にいるときに、わたしは彼らを退けず、忌み嫌って彼らを絶ち滅ぼさず、彼らとのわたしの契約を破ることはない。わたしは彼らの神、主である。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の、11章31-35節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいたが、一つに絞れないので、全体をもう何度か読みます。
主イエス様・・・

No.3489 2007/11/25(Sun) 06:28:26

Re: レビ26章残り / 典子 引用

30節に
>こぼち、とはどういう意味だろうか?

「こぼつ」という言葉が終止形で 漢字で書くと
「毀つ」(この漢字出すの、苦労しました)
意味:破壊する

>この全体の意味もわからない。

これは神の物凄い怒りの表現ですよね。してはいけない偶像礼拝を性懲りもなくする民、 その場となる「高き所」を、神ご自身が徹底的に破壊し、偶像礼拝に使われるお香の台なども壊しまくって、それらガラクタとし、廃墟とし、最後には偶像崇拝者そのものも生かしてはおかない、という神の怒り、不従順への裁き(聖書のページ上に見出しとしても載ってますね)を表していると思います。

No.3498 2007/11/25(Sun) 17:49:56

再レビ26章残り / 沙耶香 引用

今日は、もう一度レビ26章残りを読みます。

35節の
地が荒れ果てている間中、地は、あなた方がそこの住まいに住んでいたとき、安息の年に休まなかったその休みを取る。
が印象に残りました。

36節に
あなたがたのうちで生き残るものにも、彼らが敵の国にいる間、彼らの心の中におくびょうを送り込む。吹き散らされる木の葉の音にさえ彼らは追い立てられ、剣からのがれる者のように逃げ、追いかけるものもいないのに倒れる。
とあるが、これはどういう意味だろうか?民が捕囚となっているので、心が臆病になり、不安にかられている様子だろうか?

42節に
わたしはヤコブとのわたしの契約を思い起こそう。またイサクとのわたしの契約を、またアブラハムとのわたしの契約をも思い起こそう。そしてわたしはその地をも思い起こそう。
とあるが、これはどういう意味だろうと思って脚注を見ると、約束の中心は、神の民にカナンの地を与えるということであるから、カナン全土に広がるヤコブの子らの嗣業はその先祖アブラハムとの契約に基づいている。
とあるが、アブラハムとの契約って一体何だろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の11章の36-40節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、40節の
イエスは彼女に言われた。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」
が気になるので、これをもう何度か読みます。
信じる者だけ神の栄光を見る・・・

No.3499 2007/11/25(Sun) 18:12:57

Re: レビ26章残り / 大垣 引用

34−35節は、イスラエルの民が7年ごとの安息年の定めを守らないようになれば、民を捕囚とすることによって、カナンの地に安息を与えらることを言っておられるのだろうと思います。

36節は、沙耶香さんの思われたように、捕囚の民がおくびょうになることを言われていると思います。

42節のアブラハムの契約については、No.3487を読んでみてください。

No.3503 2007/11/26(Mon) 07:08:54
聖日の朝 / 典子 引用

聖書というのは、いつでも、どこでも、誰にでも、全く平等に開かれた書であって、それについて、どこで、何に、どう感想やコメントをしようが、全く自由なものだと思います。

特にこの場が 「沙耶香さんがしている通読のため」と目的を特定しない、掲示板のタイトルのままであるなら、ざっと見た感じの最近のありさまが タイトルの期待とは少々違ったものであったのか、と思います。

きのう読んだ聖書箇所のところで心に刻まれたことを書いてみます。(尚、英語部分は 「バイリンガル聖書」(いのちのことば社)のNIV訳によります)

コリント人への手紙 第2 より 7章
6節 慰めの神・・・「しかし、気落ちした者を慰めてくださる神は、テトスが来たことによって、私たちを慰めてくださいました。」
 But God, who comforts the downcast, comforted us by the coming of Titus.

ああ、神はそうです、慰めの神です。そして、それをもたらした者は人(テトス)でした。教会を訪れた生きた人でした。人がもたらす喜び、人の尊さ、それもすべて造られた神さまの愛を現す器として用いられているから。

10節 「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。」
悲しみ、喜び、苦しみ、慰め、すべては神に通ずるものであるなら、それは被造物としてそれらをも与えられたものとして感謝できるのでしょう。

大垣さんに恒常的に集う教会が与えられますように。いつも戸村先生とお祈りしています。イエスが教会を愛し、教会のために死なれたという事実の重みを、神に膝を折る者は教会に根ざすということを 実感として持たれる日の来ますように。わたくしは 家族がノンクリスチャンであっても、恵まれて、聖日に教会の礼拝に行ける幸いをいただいていることを 深く、深く感謝いたします。
全国、世界中で守られます きょうの礼拝が 豊かに祝福されますように。あなたを霊とまことによって礼拝することができますように。

No.3490 2007/11/25(Sun) 06:36:55

Re: 聖日の朝 / まこと 引用

典子さん、こんにちは。

>イエスが教会を愛し、教会のために死なれたという事実の重みを、神に膝を折る者は教会に根ざすということを 実感として持たれる日の来ますように。

アーメン。
私自身へのメッセージとして、受取らせていただきます。
まことに、その通りだと思います。
この書き込みに感謝します。

>全国、世界中で守られます きょうの礼拝が 豊かに祝福されますように。あなたを霊とまことによって礼拝することができますように。

アーメン。

私は、聖餐にあずかるとき、そのことに思いを馳せます。

「これはあなたがたのために割かれるわたしのからだ。これはあなたがたのために流される契約の血。」

・・・あなた、ではなく、あなた「がた」のため。

私個人のためにではなく、私という「個」が教会というからだの中で新しく生きるために、神様が私たちを招きいれてくださった恵みに満ちた「契約」。

この契約を与えて下さり、御約束を守り続けてくださる神に、栄光がありますように。

No.3493 2007/11/25(Sun) 10:11:46

Re: 聖日の朝 / 典子 引用

きょうの聖餐の前に戸村先生がお話されたことは 大変意味深いことと思って感謝でした。それは、このパンとぶどう液は、これを取る側の「取り方によって」癒されるのではなく、取る側が「取ることで」癒されるのでなく、「取る度に」癒されていることを心に刻むのである、ということでした。 取る度に「すでに」「あなたは癒されていますよ」と。
どんなに闇が迫る中にあっても、「わたしはもう癒されている」ことを確認する、心に刻むとき。そのように用意してくださった神さまに感謝します。

No.3495 2007/11/25(Sun) 17:06:10

Re: 聖日の朝 / 大垣 引用

?Uコリント人への手紙、7章。

1節がピリピ2:12と似ていて印象的。信仰によって自分の中に入っていただいた神を恐れてイエスの力によって聖きを全うすることによって救いを達成することができると思います。

2節、そのためには自分に与えられた主にある指導者たちに対して心を開く必要があるのでしょう。

5−6節、僕たちが心をかたくなにして開かないとき、主にある指導者たちが気落ちすることになる。

>ああ、神はそうです、慰めの神です。

本当に神は忍耐強く、慈しみ深く、慰めてくださいます。

>そして、それをもたらした者は人(テトス)でした。教会を訪れた生きた人でした。人がもたらす喜び、人の尊さ、それもすべて造られた神さまの愛を現す器として用いられているから。

神は主にあるものの交わりによって僕たちを慰めてくださる。サタンは主にある兄弟姉妹の分裂を望み、さまざまな方法で分断をもたらそうとする。サタンの最大の武器は嘘である。嘘には真理によって対抗する。

どうか僕たちはイエスのことばにとどまって、本当にイエスの弟子となり、真理を知り、真理によって自由にされ、主にある兄弟姉妹の分断を避け、真理の御霊による交わりを与えられますように。(ヨハネ8章31−32節)

>悲しみ、喜び、苦しみ、慰め、すべては神に通ずるものであるなら、それは被造物としてそれらをも与えられたものとして感謝できるのでしょう。

どうか、僕たちが試練にあうとき、世の悲しみ方をしないで、神のみこころにそった、神に通ずる悲しみ方をすることができますように。

No.3502 2007/11/26(Mon) 06:54:04
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