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レビ17章 / 沙耶香 引用

今日は、レビ17章を読みます。

4節に、
主の幕屋の前に主へのささげ物としてささげるために、それを会見の天幕の入口のところに持ってこないなら、血はその人に帰せられる。その人は血を流した。その人はその民の間から断たれる。
とあるが、血はその人に帰せられるとはどういうことだろうか?どこかから血が帰ってくる???最後のその人はその民の間から断たれるが怖くて印象に残りました。

7節に
また、彼らが慕って、淫行をしていたやぎの偶像に、彼らが二度といけにえをささげなくなるためである。これは彼らにとって、代々守るべき永遠のおきてとなる。
とあるが、淫行をしていたやぎの偶像とはどういう意味だろうか?牧師が偶像は霊的姦淫だと言っていたが、そういうことだろうか?

12節に、
それゆえ、わたしはイスラエル人に言った。「あなたがたはだれも血を食べてはならない。あなたがたの間の在留異国人もまた、だれも血を食べてはならない。」
とあるが、血を食べるという言い方はちょっとおかしいのでは・・・?血は食べるものではないと思うんだけれど・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の8章51-55節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、51節の、
まことに、まことに、あなたがたに告げます。だれでもわたしのことばを守るならば、その人は決して死を見ることがありません。」
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様の御言葉・・・

No.3373 2007/11/13(Tue) 11:35:26

再レビ17章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度レビ17章を読みます。

13節に
イスラエル人や彼らの間の在留異国人のだれかが、食べることのできる獣や鳥を刈りで捕えるなら、その者はその血を注ぎだし、それを土でおおわなければならない。
とあるが、いけにえにもしないものを何で血を注ぎださないといけないのだろうか?

14節に
すべての肉のいのちは、その血が、そのいのちそのものである。それゆえ、わたしはイスラエル人に言っている。「あなたがたは、どんな肉の血も食べてはならない。すべての肉のいのちは、その血そのものであるからだ。それを食べるものはだれでも断ち切られなければならない。」
とありますが、断ち切られなければならないというのは命のことだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の8章56-59節を読みます。
天におられるお父様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、59節の
すると彼らは石を取ってイエスに投げつけようとした。しかし、イエスは身を隠して、宮から出て行かれた。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様は上手に逃げますね・・・私もイエス様のところへ逃げ出したい。この世の中、世間は私のような弱者にはいづらい。

No.3374 2007/11/13(Tue) 20:18:47

Re: レビ17章 / 大垣 引用

4節、「血はその人に帰せられる」とは、牛か子羊かやぎの命をとった罪について有罪になる、というような意味だと思います。14節にあるように、血が、いのちそのものであるそうです。

7節の「淫行」は沙耶香さんの思われたように偶像崇拝のことだと思います。

12節はNo.3456で書いたように、血の残った肉を食べると、「血を食べた」ことになる、ということだと思います。また、13節は、肉を食べるときに、一緒に血を食べないようにということです。

14節の「断ち切られなければならない」とは、イスラエルの民のあいだから追放される、という意味だと思います。

No.3459 2007/11/23(Fri) 06:22:33

Re: レビ17章 / 沙耶香 引用

>>4節、「血はその人に帰せられる」とは、牛か子羊かやぎの命をとった罪について有罪になる、というような意味だと思います。14節にあるように、血が、いのちそのものであるそうです。

でも、その文章の前後関係から、ささげ物を天幕の入口のところに持ってこないなら・・・とあります。あ、でもいけにえの命をとって、持ってこない場合のことなのかな?

>>12節はNo.3456で書いたように、血の残った肉を食べると、「血を食べた」ことになる、ということだと思います。また、13節は、肉を食べるときに、一緒に血を食べないようにということです。

レスを開いた状態では別のスレにレスしたものを開くことはできませんので、もう一つ開いて、見ました。うん、でも血は完全に絞り出してしまうことはできないと思いますが・・・

No.3463 2007/11/23(Fri) 10:08:39
レビ22章 / 沙耶香 引用

今日はレビ22章を読みます。

5節に
あるいはすべて人を汚す、群生するものに触れる者、または、どのような汚れでも、人を汚れさせる人間に触れる者、
とありますが、群生するものに触れる者というのは何だろうか?群生するもの??例えば芝生とかだろうか?

8節に
自然に死んだものや、野獣に裂き殺されたものを食べて、汚れてはならない。わたしは主である。
とあるが、自然に死んだものや、野獣に裂き殺されたものを食べたら汚れるということだろうか?自然に死んだものや野獣に裂き殺されたものを食べたらなぜ汚れるのだろうか?

10節に
一般の者はだれも聖なるものを食べてはならない。祭司と同居しているものや雇い人は、聖なるものを食べてはならない。
とあるが、今までの8節とかの注意は祭司にだけなの?祭司と一般の人は違うの?私は読解力がないので、文章のつながりが分からないので、何処でどういう風につながっているかが分からないので、その文章そのものしか分からないので・・・今まで何を呼んできたのだろうか??あーー駄目だ・・・落ち込み・・・イエス様イエス様救い出してください。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の10章1-5節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、4,5節の
彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立っていきます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。
しかし、ほかの人には決してついて行きません。かえって、その人から逃げ出します。その人たちの声を知らないからです。」
が気になるので、これをもう何度か読みます。
うん、羊と牧者の関係・・・

No.3397 2007/11/18(Sun) 07:10:32

再レビ22章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度レビ22章を読みます。

9節の
彼らがわたしの戒めを守るなら、彼らが、これを汚し、そのために罪を負って、死ぬことはない。私は彼らを聖別する主である。
が印象に残りました。

32節の
わたしの聖なる名を汚してはならない。むしろわたしはイスラエル人のうちで聖とされなければならない。わたしはあなたがたを聖別した主である。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の10章6-10節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、10節の
盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
牧者は素晴らしいですよね・・・

No.3400 2007/11/18(Sun) 20:43:17

Re: レビ22章 / 大垣 引用

5節の「群生するもの」ですが、チェーン式の聖書でこの語の右肩に注の番号が小さくつけてあるのを確認して、まん中の注を見てください。注に示してある聖句を見ると、さらに「群生するもの」の語の右肩に注の番号が小さくついています。その注に、いろいろな関連聖句が示してあるので、それらの箇所を読んでみてください。

8節は、沙耶香さんの読み取られたとおり、自然に死んだものや、野獣に裂き殺されたものを食べると汚れるので、食べてはいけない、と主が言われています。なぜ汚れるかは、僕には分かりません。

10節ですが、僕も最初に読んだときに、どれくらい理解したか疑問です。最初に読んだときは、ほとんどイスラエルの歴史だけに興味を持っていたので、レビ記はほとんど理解しないで、字だけを追っていたと思います。だいたい最初はそういう人が多いと思いだろうと思います。「アロンの子孫」は祭司の家系である、ということに注意して、4節を読んでみてください。4−9節は、祭司の家系の人々に対しての定めです。

No.3402 2007/11/19(Mon) 07:28:55

Re: レビ22章 / 沙耶香 引用

>>5節の「群生するもの」ですが、チェーン式の聖書でこの語の右肩に注の番号が小さくつけてあるのを確認して、まん中の注を見てください。注に示してある聖句を見ると、さらに「群生するもの」の語の右肩に注の番号が小さくついています。その注に、いろいろな関連聖句が示してあるので、それらの箇所を読んでみてください。

関連箇所の関連箇所なんて言っているといっぱいありますね。最初のレビ11:10、、20,21.23.29,30,41,42,43,44、22:5、創世記7:21、申命記14・19を開きました地に群生するものとか水に群生するものとかあります。群がって生きている動物かな?

No.3403 2007/11/19(Mon) 09:37:10

Re: レビ22章 / 大垣 引用

レビ11:20−23を読むと、群がって生きる昆虫の蜂などが、地にあって群生するものの代表のように思います。

No.3428 2007/11/22(Thu) 08:05:06

Re: レビ22章 / 大垣 引用

今、レビ11:29−30を読んでみると、昆虫よりも、もぐら、とかげ、カメレオンなどが地にあって群生するものの代表のようです。謝罪して訂正します。

No.3455 2007/11/23(Fri) 05:19:29
レビ9章 / 沙耶香 引用

今日はレビ9章を読みます。

6節の
モーセは言った。「これは、あなたがたが行うように主が命じられたことである。こうして主の栄光があなたがたに現れるためである。」
が印象に残りました。

16節に
それから、彼は全焼のいけにえをささげ、規定のとおりにそうした。
とありますが、規定とは何の規定なのかな?モーセの律法のことかな?

19節に
その牛と雄羊の脂肪の部分、すなわちあぶら尾、内臓をおおう脂肪、腎臓、肝臓の小葉、
とあるが、あぶら尾ってなんだろう?と思ったが、前に聞いたことあるなと思い直し、聖書検索すると、前にも聞いていたところだと分かり、管理人様が
「羊の尾ですが、カナンの地の羊は尾に多くの脂肪がつき、かなりの重さで地面につくほどであったそうです。それで、特に「あぶら尾」と言ったようです。」
とご説明くださっています。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は、ヨハネの福音書の64−68節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると65節の、
そしてイエスは言われた。「それだから、わたしはあなたがたに、「父のみこころによるのでないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできない。」と言ったのです。」
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエスの元に行きたいですね・・・

No.3321 2007/11/02(Fri) 10:02:12

再レビ9章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度レビ9章を読みます。

3節の、
あなたはまた、イスラエル人に告げて言わなければならない。
あなたがたは、雄やぎを罪のためのいけにえとして、また、一歳の傷のない子牛と子羊とを全焼のいけにえとして取りなさい。
が印象に残りました。何で?ときかれても困るが、何か印象に残った。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の6章の69−71節、7章1,2節(あ、朝のときは6章を、書き忘れている)を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、70,71節の、
イエスは彼らに答えられた。「わたしがあなたがた12人を選んだのではありませんか。しかしそのうちのひとりは悪魔です。」
イエスはイスカリオテ・シモンの子ユダのことを言われたのであった。このユダは12弟子のひとりであったが、イエスをうろうとしていた。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
選んだ中にも裏切り者が出るのですね・・・

No.3322 2007/11/02(Fri) 21:26:26

Re: レビ9章 / 大垣 引用

16節、規定とは、モーセの律法にある規定のことです。

No.3452 2007/11/23(Fri) 04:45:49
レビ21章 / 沙耶香 引用

今日はレビ21章を読みます。

1節に
ついで主はモーセに仰せられた。「アロンの子である祭司たちに言え。彼らに言え。縁者のうちで死んだ者のために、自分の身を汚してはならない。
とあるが、死人のある家に入ることも身を汚すということになるなんてそれではお葬式にもいけないじゃないですか・・・?

3節に
近親の、結婚したことのない処女の姉妹の場合は、身を汚してもよい。
とあるが、何でだろうか?

6節に
彼らは自分の神に対して聖でなければならない。また自分の神の御名を汚してはならない。彼らは、主への火によるささげ物、彼らの神のパンをささげるからである。彼らは聖でなければならない。
とあるが、前にも「神のパン」って出てきていたと思うけれど・・・と思って聖書検索したが、出ていないみたいだ。「神のパン」で検索すると、5000人の給食のことが載っていた。ここでの意味は、どういう意味だろうか?彼らの神のパン??

9節に
祭司の娘が淫行で身を汚すなら、その父を汚すことになる。彼女は火に焼かれなければならない。
とあるが、実際にこういう人は火に焼かれたのだろうか?

12節に
聖所から出て行って、神の聖所を汚してはならない。神の注ぎの油による記章を身につけているからである。わたしは主である。
とあるが、じゃ、祭司は聖所から全くでないのだろうか?

13節に
彼は処女である女をめとらなければならない。
とあるが、実際めとるまでは処女かどうかなんて本当のことは分からないではないですか?どうやって判断するんだろうか?

17節に
「アロンに告げて言え。あなたの代々の子孫のうち、だれでも身に欠陥のある者は、神のパンをささげるために近づいてはならない。
とあるが、「身に欠陥のある者」ってどういう人のことだろうか?障害のある人とかいうことだったら、弱さに強い神様なのになーーー。と思ったら、次の節から説明があります。やっぱり障害のことだったんだ・・・でもおっかしいなーーそんなの・・・障害のある人に対する偏見を助長しかねない。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の9章31-35節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、31,32節の、
そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。
そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなた方を自由にします。」
が気になるので、これをもう何度か読みます。
やはりイエス様の真理の御言葉が一番大切なのだ。

No.3394 2007/11/17(Sat) 10:40:55

Re: レビ21章 / 大垣 引用

1節は、祭司には近親でない縁者のお葬式に行くことよりも、死人のある家に入って汚れることがないようにすることが大切である、ということだと思います。

3節は、2節のように、近親の者は例外ということのひとつだと思います。

6節の、「神のパン」は、出エジプト記25章30節のパンで、聖別されているので、汚れている人は食べることが禁じられていました。

9節に従って、実際に焼かれたということは、聖書には書いていないと思います。また、ローマ7章7−8節に、律法に完全には従えないことから、パウロが自分の罪について知ったということが書いてあると思います。律法を熱心に守る祭司の娘が淫行で身を汚した場合、祭司が9節に従うことがとても難しくて、自分の罪に気づく、というようなことが、9節の定めの主要な目的かもしれません。 

12節はチェーン式の脚注を読んでみてください。

13節、処女であるかどうかは本人や両親に聞いたりして調べるのだと思います。

23節。キリストの十字架以降は、信仰者はイエスの恵みによって、誰でも父なる神の前に大胆に出ることができます。この規定は、身体障害者への偏見を助長するという欠点があるとして、それは、偏見を持つという人間の罪が原因でしょうか、それとも、神がこのように定められたことに原因があるでしょうか。

No.3395 2007/11/17(Sat) 12:30:28

再レビ21章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度レビ21章を読みます。

ローマ7章7−8節・・・読みました。

>>律法を熱心に守る祭司の娘が淫行で身を汚した場合、祭司が9節に従うことがとても難しくて、自分の罪に気づく、というようなことが、9節の定めの主要な目的かもしれません。 

えー?聖書で書いてあるのに、従わなくてもいいの?実際に祭司の娘が淫行で身を汚した場合、9節に従わなかったら、回りの人間は何も言わないの??

>>12節はチェーン式の脚注を読んでみてください。

じゃ神礼拝の務めの最中にだけ、聖所から出たらいけないのですね?

>>13節、処女であるかどうかは本人や両親に聞いたりして調べるのだと思います。

うーん??でも本人や両親に聞いてもうそつかれているかどうかなんて分からないじゃないですか?祭司と結婚したいあまりに、本人や両親がうそつくということは十分考えられると思うのですが・・・

>>23節。キリストの十字架以降は、信仰者はイエスの恵みによって、誰でも父なる神の前に大胆に出ることができます。この規定は、身体障害者への偏見を助長するという欠点があるとして、それは、偏見を持つという人間の罪が原因でしょうか、それとも、神がこのように定められたことに原因があるでしょうか。

うーん??管理人様が伝えようとされている趣旨があまりよく分からないが・・・偏見をもつという人間の罪が原因だと思うが、神様がこういう偏見を助長するようなことを聖書で言っているなんて私には理解できないのだが・・・弱さに強い神様じゃなかったの???

11節に
どんな死体のところにも、行ってはならない。自分の父のためにも母のためにも、自分の身を汚してはならない。
とあるが、どんな死体のところにもということは、2節のように例外はないのだろうか?親戚縁者の死体のところにも行ってはならないのだろうか?

20節に
せむし、肺病で痩せたもの、目に星のある者、湿疹のある者、かさぶたのある者や、睾丸のつぶれたものなどである。
とありますが、せむしってなんだろうな?っと思って辞書で引くと、背中が曲がっている人のことみたいだ。

22節に
しかし彼は、神のパンは、最も聖なるものでも、聖なるものでも食べることができる。
とあるが、これはどういう意味だろうか?同じ言葉を繰り返しているが、これは何か意味があるのだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の9章36-41節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、39節の
そこで、イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えないものが見えるようになり、見えるものが盲目となるためです。」
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエスはいずれこの世の悪を罰してくださることを信じて期待して感謝します。

No.3396 2007/11/17(Sat) 19:51:00

Re: レビ21章 / 大垣 引用

>えー?聖書で書いてあるのに、従わなくてもいいの?実際に祭司の娘が淫行で身を汚した場合、9節に従わなかったら、回りの人間は何も言わないの??

神の定めのすべてに従わないことは罪です。律法のすべてに従う能力のある人は、そうすれば自分の力で天国に行くことができます。聖書によると、そのような力を持った人はいません。しかし、人間はなかなか自分にはのような力がないことを認めたがりません。それに、他人の罪については厳しいことを言いたがります。だから、祭司の娘が淫行した場合、周りの人々の中には祭司がここの定めに従うように、いろいろ言った人々もいるだろうと想像します。しかし、一番大切なことは、自分には律法のすべてに従うような力がないことを知り、悔い改めて、神に赦しを請い、神を信じ頼ることだと思います。

11節については、10節のチェーン式の脚注を読んでみてください。1−9節は祭司に関する定めで、10−15節は大祭司に関する定めということに注意してみてください。

12節は、沙耶香さんの考えられたとおりだと思います。

13節も、沙耶香さんの考えられたとおりだと思います。祭司が自分の力で律法に従おうとしても、結婚しようとしている女性が処女であるかどうかも、絶対的に知ることはできません。だから、人間は自分の力では、到底律法に全部従うことはできません。全知全能の力を持っておられ、完全な善である神に頼るしかありません。

22節は、21節に書いてある祭司で身に欠陥のある人は、神のパンをささげることは許されないが、食べることは許されるということです。たしかに、「神のパン」について、たくさん繰り返してあるのは、「神のパン」が霊的にとても重要だからだと思います。パンそのものが重要なのではなく、パンがさし示す、いのちのパンであるイエスの体が重要だということだと思います。ヨハネ6章26−59節を読み返してみてください。

23節ですが、イエスの恵みがなければ、罪のある人も、身に欠陥ののある人は、神の前に出ることができない。だけれど、恵みによって、罪のある人も身に欠陥のある人もいつでも神の前に出ることができる。それは、2つのことをあわせて、素晴らしい真理だと思います。どのうような場合には、神の前に出られないのか、ということをよく知らなければ、恵みも本当に理解することはできないと思います。恵みの方は、「弱いところに強い神」を表し、神の前に出られない、ということのほうは、そうではない、とは言えないと思います。 弱いところに強いとは、弱いところにこそ、神は恵みを強く働かせてくださる、という意味だと思います。

罪の性質があるため人間はどんな善いものの悪用します。障害のある人は、恵みがなければ神の前に出られない、という定めも、人間が悪用して偏見を助長するのに使ったりします。でも、悪用するから、善くない、とは言えません。本来は、律法は人間が、神の恵みと愛をもっと深く知るため
に与えられたと思います。

No.3401 2007/11/19(Mon) 07:09:53

Re: レビ21章 / 沙耶香 引用

>>11節については、10節のチェーン式の脚注を読んでみてください。1−9節は祭司に関する定めで、10−15節は大祭司に関する定めということに注意してみてください。

えーー?そういう文章のつながりが全く分からないので、祭司と大祭司の違いか・・・うーん、私なんかは祭司も大祭司も祭司には違いないだろう・・・と思ってしまうが・・・

>>22節は、21節に書いてある祭司で身に欠陥のある人は、神のパンをささげることは許されないが、食べることは許されるということです。たしかに、「神のパン」について、たくさん繰り返してあるのは、「神のパン」が霊的にとても重要だからだと思います。パンそのものが重要なのではなく、パンがさし示す、いのちのパンであるイエスの体が重要だということだと思います。ヨハネ6章26−59節を読み返してみてください。

私が言っている繰り返しとは、「聖なるものでも」のことです。二度繰り返していっているじゃないですか?意味がわからないです。うーん、読解力のない私は聖書の理解の前に文章の理解ができないのだ。最悪・・・
ヨハネ6章26−59節・・・
ヨハネの6章の26-59節にカギカッコがしてありました。前にも読んだということですね・・・
うん、そうですね・・・神のパン=イエス様ご自身のことでしょうね・・・・

>>23節ですが、イエスの恵みがなければ、罪のある人も、身に欠陥ののある人は、神の前に出ることができない。だけれど、恵みによって、罪のある人も身に欠陥のある人もいつでも神の前に出ることができる。それは、2つのことをあわせて、素晴らしい真理だと思います。どのうような場合には、神の前に出られないのか、ということをよく知らなければ、恵みも本当に理解することはできないと思います。恵みの方は、「弱いところに強い神」を表し、神の前に出られない、ということのほうは、そうではない、とは言えないと思います。 弱いところに強いとは、弱いところにこそ、神は恵みを強く働かせてくださる、という意味だと思います。

いや、問題の意味を履き違えている・・・身に欠陥があるものが垂れ幕のところに行ったら聖所が汚れるという風に聖書で語っているというのが腑に落ちない。あ、でも罪があるのも弱さ、身に欠陥があるのも弱さ、という風に考えて、それを強めてくれたら入れるという風に考えたらいいのかな?いや、わからない・・・混乱してきた・・・

No.3405 2007/11/19(Mon) 11:42:00

Re: レビ21章 / 大垣 引用

大祭司と祭司の違いは、キリスト者にとっても重要です。まだ沙耶香さんは読んでおられませんが、へブル書によると、イエスは永遠の大祭司であられます。これに対し、黙示20:6によると、再臨の後に、信仰者で第1の復活にあずかる人々は、祭司となります。

22節、「最も聖なるもの」とあるのは、神のパンのことです。「聖なるもの」とは、別のもののことだと思います。「聖なるもの」で聖書検索して、創世記から今までのところで、どういうものが神のパン以外の「聖なるもの」か、調べてみてください。

>あ、でも罪があるのも弱さ、身に欠陥があるのも弱さ、という風に考えて、それを強めてくれたら入れるという風に考えたらいいのかな?

僕はだいたいそういう風に考えています。

No.3426 2007/11/22(Thu) 03:39:56

Re: レビ21章 / 沙耶香 引用

>>イエスは永遠の大祭司であられます。

あっ・そうなの?イエス様大祭司なんだーー。
黙示20の6・・・うん、私たちキリスト者も祭司となれるのだ・・・

>>22節、「最も聖なるもの」とあるのは、神のパンのことです。「聖なるもの」とは、別のもののことだと思います。「聖なるもの」で聖書検索して、創世記から今までのところで、どういうものが神のパン以外の「聖なるもの」か、調べてみてください。

うーん???最も聖なるものが神のパン??そう思って22節を読み返すと余計に分からない・・・
「聖なるもの」で聖書検索してみた。
1 出エジプト 29:21 また、祭壇の上の血の一部を取り、更に聖別の油の一部を取って、アロンとその衣服、更にアロンの子らとその衣服に振りまく。そうすれば、彼自身も衣服も、また彼の子ら自身も衣服も、聖なるものとなる。

2 出エジプト 29:33 彼らは、自分たちの任職と聖別の儀式に際して、罪の贖いとして用いられた献げ物を食べる。それは聖なるものであるから、一般の人は食べてはならない。

3 出エジプト 29:34 もし、この任職の献げ物の肉やパンが翌朝まで残ったならば、焼き捨てる。それは聖なるものであるから、だれも食べてはならない。

4 出エジプト 29:37 七日の間、祭壇のために罪の贖いの儀式を行って、聖別すれば、祭壇は神聖なものとなる。祭壇に触れるものはすべて、聖なるものとなる。

5 出エジプト 30:29 あなたがこれらを聖別すると、神聖なものとなる。それに触れたものは、みな聖なるものとなる。

6 出エジプト 30:32 一般の人の体に注いだり、同じ割合のものを作ってはならない。それは聖なるものであるから、聖なるものとして扱いなさい。

7 出エジプト 30:37 同じ割合で作った香を私用に使ってはならない。あなたは、それを主に対して聖なるものとしなければならない。

8 出エジプト 40:9 次に、あなたは聖別の油を取って、幕屋とその中のすべてのものに注ぎ、幕屋とそのすべての祭具を聖別する。それは聖なるものとなる。

9 レビ記 6:18 (6:11)アロンの子らのうち男子は皆、それを食べることができる。この燃やして主にささげる物の残りは永久に彼らに与えられた分である。これに触れる者はすべて聖なるものとなる。

10 レビ記 6:27 (6:20)この献げ物の肉に触れる者はすべて聖なるものとなる。また、この献げ物の血が、これを振りまく祭司の衣服にかかったならば、その衣服は聖域において洗い清めねばならない。

11 レビ記 19:8 それを食べた者は責めを負う。主にささげられた聖なるものを汚したからである。その人は民の中から断たれる。

12 レビ記 19:24 四年目にすべての実は聖なるものとなり、主への賛美の献げ物となる。

という物が出てきた。

No.3437 2007/11/22(Thu) 17:35:57

Re: レビ21章 / 沙耶香 引用

えー?でも結局のところ、22節はどういう風に取ればいいのだろうか?うーん、混乱してきた・・・

No.3438 2007/11/22(Thu) 17:45:10

Re: レビ21章 / 大垣 引用

22節について、「最も聖なるもの」は神のパン、「聖なるもの」は、神のパン以外で聖なる食べものです。例えば、例えば出エジプト 29:34に出てきた、献げ物の肉などです。

No.3448 2007/11/23(Fri) 03:03:46
レビ24章 / 沙耶香 引用

今日はレビ24章を読みます。

2節に
「あなたはイスラエル人に命じて、ともしびを絶えずともしておくために、燈火用の質のよい純粋なオリーブ油を持ってこさせよ。
とありますが、この時代はオリーブ油で燈火していたんですね。今は聞いたことないですね・・・
オリーブ油というとスパゲティのときに使うくらいしか思いつかない。

3節に
アロンは会見の天幕の中、あかしの箱の垂れ幕の外側で、夕方から朝まで主の前に絶えず、そのともしびをととのえておかなければならない。これは、あなたがたが代々守るべき永遠のおきてである。
とありますが、あかしの箱って何だったっけ?と思って、聖書検索すると、出エジプトの16の34に出ているらしいことが分かった。そのときの脚注にはこのときにはまだできていなかったと書いてあり、27,21や、30,6・36を見るようにとあるので、開いてみます。うーんでも説明はないなー―。ではそのころの掲示板に戻ってみましたが、説明はないようです。あのアドレスのどこかに載っているのだろうか?

10節に
さて、イスラエルの女を母とし、エジプト人を父とする者が、イスラエル人のうちに出たが、このイスラエルの女の息子と、あるイスラエル人とが宿営の中で争った。
とあるが、争いの原因は何だろうか?と思って、チェーン式聖書の脚注を見ると、エジプト人を父としていたので主の会衆に入れなかったのが原因か?と書いてあります。実際のところは何だったんだろうか?

12節に
人々は主の命令をまって彼らにはっきりと示すため、この者を監禁しておいた。
とありますが、どんな理由があっても監禁はよくないと思うのだが・・・

14節に
「あの、のろった者を宿営の外に連れ出し、それを聞いたものはすべてその者の頭の上に手を置き、全会衆はその者に石を投げて殺せ。
とありますが、これは今でいう死刑ということかな?

17節に
かりそめにも人を撃ちCENSORED者は必ず殺される。
とあるが、かりそめって何だろうか?と思って、辞書を引くと、「その場限り」とかそういう意味みたいだ。しかし、人をCENSOREDのに、一時的も何もないと思うけれど・・・

19節に
もし人がその隣人に傷を負わせるなら、その人は自分がしたと同じようにされなければならない。
とありますが、私はずっといじめられたり、結婚詐欺にあったりして傷を負わされてきたが、傷を負わせた相手は、のうのうと何も変わらず生きているが、どうなっているのだろうか?御言葉は真実でしょ?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の10章の31-36節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると36節の
「わたしは神の子である。」とわたしが言ったからといって、どうしてあなたがたは、父が、聖であることを示して世に遣わした者について、「神を冒涜している。」と言うのですか。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエスを受け入れずに神を冒涜していると言っている人はあとで罰せられます。

No.3416 2007/11/21(Wed) 10:13:38

Re: レビ24章 / 大垣 引用

3節の「あかしの箱」は出エジプト記25章10−22節に説明があります。特に22節に「あかしの箱」と書いてあります。チェーン式の10−22節の脚注も読んでみてください。

10節の争いの原因が実際のところは何だったのか、聖書には書いていないし、分かりようがないように思います。僕たちはすべてを知ることはできないし、知る必要もなりと思います。

12節に関して「どんな理由があっても監禁はよくない」と沙耶香さんが思われる理由は何ですか?例えば、現在でも法律を犯した人は、刑務所に監禁されるわけですが、それもよくない、と考えられますか?

14節は石打ちによる死刑で、たとえば使徒7章54−60節で、ステパノが石打ちで殺された様子が書かれています。

17節の「かりそめにも」と訳されているへブル語は、「誰でも」と訳すこともできるようです。

19−20節、御言葉は真実なので、とても慎重に意味を解釈していく必要があります。目には目、歯には歯というのは、モーセの律法での、罪に対しての正当な罰の原則です。モーセの律法はイスラエルの民に契約として与えられました。イスラエルの民でないキリスト者は、新しい契約にあるので、律法に定められた豚肉を食べないなどの命令を守る義務はありません。同時に、自分に対して罪を犯す人に対して、この世で律法に基づく罰を要求する権利もありません。キリストの再臨の後に、公平なさばきが与えられます。

No.3419 2007/11/21(Wed) 13:30:54

再レビ24章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度レビ24章を読みます。

>>3節の「あかしの箱」は出エジプト記25章10−22節に説明があります。特に22節に「あかしの箱」と書いてあります。チェーン式の10−22節の脚注も読んでみてください。

購いのふたで閉じられた箱のことかな?あのアドレスの5,6段目のケルビムの下の箱のことですよね。

>>12節に関して「どんな理由があっても監禁はよくない」と沙耶香さんが思われる理由は何ですか?例えば、現在でも法律を犯した人は、刑務所に監禁されるわけですが、それもよくない、と考えられますか?

いや、刑務所は監禁とは言わないでしょ?そりゃ―悪いことをしたら刑務所に収容されます。監禁という言葉を使っているということは何かよくないと思ったんだけれど・・・文章の前後関係があまりよくわからないので、私にはよくわからないのだが・・・

使徒7章54−60節・・・
ここもかぎかっこがついていますね・・・

>>キリストの再臨の後に、公平なさばきが与えられます。

早くイエス様再臨してほしいなーー。再臨後に公平な裁きが与えられることを信じて期待して感謝します。

3節の
アロンは会見の天幕の中、あかしの箱の垂れ幕の外側で、夕方から朝まで主の前に絶えず、そのともしびをととのえておかなければならない。これは、あなたがたが代々守るべき永遠のおきてである。
が印象に残りました。

8節に
彼は安息日ごとに、絶えずこれを主の前に、整えておかなければならない。これはイスラエル人からのものであって永遠の契約である。
とありますが、じゃ、永遠の契約とは5,6,7節にある、
あなたは小麦粉を取り、それで輪型のパンは10分の2エパである。それを主の前の純金の机の上に、1並び6個ずつ、2並びに置く。それぞれの並びに純粋な乳香を添え、主への火によるささげ物として、これをパンの記念の部分とする。
ということだろうか?

9節に
これはアロンとその子らのものとなり、彼らはこれを聖なる所で食べる。これは最も聖なるものであり、主への火によるささげ物のうちから、彼の受け取る永遠の分け前である。」
とあるが、「永遠の分け前」ってなんだったかな?と思って、聖書検索すると、出エジプト 29:28、 レビ記 6:18に載っているみたいだ。そのころの掲示板を開くと、出エジプトでは質問しているけれど教えてくれていないようです。 レビ記 7:34 では質問しているけれど、答えてくれていないようです。
前に何かで聞いたときに、ゆずりの地と関係があるようなことをおっしゃっておられたと思うのだが・・・何度も聞いてなんだが気が引けるのだけれど・・・

16節の
主の御名を冒涜する者は必ず殺されなければならない。全会衆は必ずその者に石を投げて殺されなければならない。在留異国人でも、この国に生まれた者でも、御名を冒涜するなら、殺される。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の10章37-42節までを読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、38,41節の、
しかし、もし行っているなら、たといわたしの言うことが信じられなくても、わざを信用しなさい。それは、父がわたしにおられ、わたしが父にいることを、あなたがたが悟り、また知るためです。」
多くの人々がイエスのところに来た。彼らは、「ヨハネは何一つしるしを行わなかったけれども、彼がこの方について話したことはみな真実であった。」と言った。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエスの御業は素晴らしい・・・

No.3423 2007/11/21(Wed) 22:42:51

Re: レビ24章 / 大垣 引用

あかしの箱は、沙耶香さんの思われたように模型のサイトのケルビムのついているふたのある箱です。あのサイトは模型のサイトなので、本物ではありません。本物のあかしの箱が、どうなって、今どこにあるのかは分かっていません。

12節、監禁とあるのは、個人が自分勝手な考えで監禁したという意味ではなく、イスラエルの国として、逃げ出さないようにしておいた、ということだと思います。

8節の「これ」が永遠の契約とあるのは、5−7節の定めのあるパンか、あるいは、パンを食べるという定めのことだろうと思います。

9節、イスラエルの各部族は、約束の地の割り当て地がいただけるのですが、祭司たちには割り当て地がありませんでした。割り当て地の代わりに、祭司たちには、いけにえの肉の一部などが分け前として与えられました。ここでは、最も聖なるパンが祭司たちの永遠の分け前として与えられることを、主が語られました。

No.3425 2007/11/22(Thu) 03:26:48

Re: レビ24章 / 沙耶香 引用

>>ここでは、最も聖なるパンが祭司たちの永遠の分け前として与えられることを、主が語られました。

神のパンのことかな?

No.3439 2007/11/22(Thu) 17:51:32

Re: レビ24章 / 大垣 引用

そうです。神のパンのことだと思います。

No.3447 2007/11/23(Fri) 02:59:20
大垣さんへ / 典子 引用

わたしは戸村先生のそばでレッスンを受け、今回の大垣さんへの回答についても先生ご自身のおっしゃるのを聞いている者として申し上げます。これは個人的には先生が回答をしてくださった時点でお伝えしたのでしたが、全く無視されていますので、書き込みします。
戸村先生は きのうの時点では、まだ大垣さんが検討中であって、従来どおりのことを再開しているとは、考えておられないご様子です。また、質問に対する回答については、1項目ずつ、ていねいに検討していくとよい、日本にまたいらした時に、先生と顔を合わせて、じかに向き合って、検討していったらよいのでは、とおっしゃっていました。先生のご希望は 十分検討をしてください、それを期待します、ということです。(もちろん、何ひとつ指示や命令はありませんが)

No.3435 2007/11/22(Thu) 16:58:51

Re: 大垣さんへ / 大垣 引用

戸村先生の回答について、先生とお会いしたときに、祈りの中で、ひとつずつ丁寧にお話をうかがいたたいと思います。

No.3441 2007/11/23(Fri) 01:12:12
気になっているのですが / まこと 引用

大垣さん。

あの、一つ気になっているので、お伺いします。

確か、大垣さんは掲示板のありかたについて検討中で、その検討が済むまでは沙耶香さんへのレスは基本的にしないということだったのではありませんか?検討の結果は、どうだったのでしょうか。何か変わったのでしょうか。変わらなかったのでしょうか。

また典子さんから、掲示板で教師の立場を取るべきではないという書き込みもあったと思いますが。そちらの意見に対する対応は、どうなっているのでしょうか?

大垣さんの最近の書き込みを拝見していると、BISKOさんが批判の意見を書き込まれた当初に逆戻りしているようにしか見えないのですが?

あと、律法についてのことですが、これは旧約の時代に生きていた人たちに対する意味と、イエスキリストを通した救いにあずかって生きるものたちに対する意味と、二重の意味合いをきちんと区別し、かつ、きちんと関連付けた上で考えないと、混乱します。 あまり不用意に色々と意見を書き込まないほうが良いと思うのですが。判らないところは判らないままでよいのではありませんか?

老婆心ですが。

No.3406 2007/11/19(Mon) 18:46:33

Re: 気になっているのですが / 大垣 引用

まことさん、書き込みありがとうございます。

聖書通読についての検討結果については3337−3339に書きました。検討結果にそって、僕の現在のレスができているかどうか、率直な意見を教えてくだされば幸いです。

掲示板のありかたについては、聖書通読の場所をブログなどに移すことなどを含めてまだ検討中です。

No.3408 2007/11/19(Mon) 23:23:55

Re: 気になっているのですが / まこと 引用

大垣さん。

>聖書通読についての検討結果については3337−3339に
>書きました。検討結果にそって、僕の現在のレスがで
>きているかどうか、率直な意見を教えてくだされば幸
>いです。

ごめんなさい。本当に率直(そっちょく)に意見を書きますが、検討結果に沿ったレスは出来ていないと思います。

ここでのレスが、誰のためになされているか、という一点について、私には納得が行かないためです。

自分は、他者を教えたいという、自分から発する動機によって活動がなされているなら、如何なる検討をなそうと、如何なる牧師からアドバイスを受けようと、それは・・・。

あくまで私の意見です。

No.3412 2007/11/20(Tue) 15:08:23

Re: 気になっているのですが / まこと 引用

大垣さん。

一晩おいて少し考えた後の意見を書き加えておこうと思います。

私が気になるのは、大垣さんの「この活動は神様の御心である”可能性がある”」というお考えそのものです。

誤解が無いように念のため申し上げますが、そのような「可能性」が無い、と言いたいのではありません。

私が言いたいのは、もし「可能性」を論ずるのであれば、活動を続けるべきという可能性と、その逆、つまり活動を閉じるべきという可能性を同等に評価するべきである、ということです。 

言い換えれば、何かしらの決断に際して「可能性」を論ずる目的は、それぞれの選択肢を同等に、客観的に、そして正当に比較評価して適切な判断を下すために自らをニュートラルな立場に置くためだということです。 

大垣さんは、そうではなく、まず最初に活動を続けるという前提を立て、その前提が崩れないようにと、可能性を論じておられるように見えます。 

また、戸村先生のご意見については、先生は個々のイエス・キリストにあっての信仰の「自由」と「自立」をとても重んじられる方です。ですから、先生は他の人にこうする「べき」という意見は仰いません。 それは言い換えれば、先生のご意見は、キリスト者個々に内在する神さまの臨在を信頼する、先生の信仰ゆえのことだと思います。

そのような「可能性を否定しない」先生に、

「私は活動をつづけるべきでしょうか」と問えば、「やめるべき」という回答は帰ってはこないでしょう。 

「私は教える資格がないのでしょうか」と問えば、「神様に信頼してください」という回答が帰ってくるでしょう。

そして「私が教えることが神様の召しである可能性は無いのでしょうか」と問えば、「用いられる可能性がある」という答え以外、先生は答えようが無いでしょう?

そのような、いわば大垣さんが先生から意図的に引き出したような意見を、「自分の活動を継続させるための根拠」として引用することには、私としてはどこか違和感を感じます。いえ、違和感というより、「不正」を感じます。

大垣さんは、先生に対して、「自分が活動を続けるべきかそうでないか」と問うのではなく、むしろ、「今、沙耶香さんが信仰の自由と自立とを獲得するために、自分に出来る最善のことは何でしょうか」と質問するべきではないのでしょうか?

【僕のやりたいことが神様の召しである可能性はありますか?と牧師に問う。】→【相手はその可能性を否定できない】→【僕のやりたいことが神様の召しである可能性は、牧師にも否定されなかった。】→【活動を継続するべきだ。】

これって、どこか、相手の意見の真意を、「誤解」ではなく、「捻じ曲げ」てませんか?

No.3415 2007/11/21(Wed) 02:11:57

Re: 気になっているのですが / 大垣 引用

まことさん、率直な意見をありがとうございます。

>つまり活動を閉じるべきという可能性を同等に評価するべきである、ということです。

全く同感です。僕がそういう風に可能性を同等に評価しなかったとしたら、大いに問題があると思います。レスを検討の間に中止したのは、活動停止についても検討したからです。閉じる可能性は同等に評価しなかった、とまことさんが感じられた理由はどういうものでしょうか?

戸村先生への質問の仕方に問題があったか、先生の書かれたことの僕の解釈について誤解や捻じ曲げがあったかどうか、祈りの中で神さまに聞いてみたいと思います。

No.3417 2007/11/21(Wed) 13:14:11

Re: 気になっているのですが / まこと 引用

大垣さん。返信ありがとう。

>閉じる可能性は同等に評価しなかった、とまことさんが感
>じられた理由はどういうものでしょうか?

そうですね。私が感じているのは、大垣さんがネット上での活動を開始された2005年当初にさかのぼっての印象ですから、一言で言うのは難しいですが、あえて3337の記事について説明します。

>2.牧師でも神学者でもない僕が、沙耶香さんを教えるのは、良くない、という意見がありました。

これが、外部から寄せられた意見。


>牧師や神学者は、そのように召された人たちですが、場合によっては、補助的に、それ以外のキリスト者の中のイエスがほかの人を教えるように召される場合もあると思います。牧師や神学者でなければ、教えてはいけない、ということにはならないと思います。

これが、大垣さんの考え。


>3.牧師でも神学者でもない僕を、沙耶香さんが、教師として信頼するようになったのは、良くないという意見がありました。

これが、外部からの意見。

>僕の中のイエスを信頼されたのなら、問題ではないと考えます。

これが大垣さんの意見。

つまり、私が見るところでは、大垣さんは
・外部からの批判の意見に対して
・みことばと、イエスを後ろ盾に取り
・牧師の意見を後ろ盾に取り、
・自分の活動には問題は無いという結論を導き出している
という構図が既に成り立っています。

その構図に、私はずっと違和感を覚えてきました。

2005年の当初からずっとです。

>2.牧師でも神学者でもない僕が、沙耶香さんを教えるのは、良くない、という意見がありました。

この意見に対して、大垣さんご自身は、ご自身に関して、どのように感じておられるのでしょうか?その自己の深い内観がなされていないように思えるのですが。 

また、

>僕の中のイエスを信頼されたのなら

というのは、どうしてそう言いきれるのか、とても不思議です。

No.3420 2007/11/21(Wed) 14:00:04

Re: 気になっているのですが / 大垣 引用

お祈りして考えてみたいと思います。戸村先生への質問の内容についてまことさんが、書かれたことで、お祈りするときに神さまにどういう内容のことを聞くか、ということが重要だと思いました。

こちらからも質問ですが、一晩をおいて考えられたときに、まことさんは祈りの中で、神さまに何か質問するか、お導きを求められましたか?もしその場合、質問、あるいはお導きの内容はどのようなものでしたか?

No.3421 2007/11/21(Wed) 14:22:29

経験に基づく直感です。 / まこと 引用

大垣さん。

>こちらからも質問ですが、一晩をおいて考えられたときに、
>まことさんは祈りの中で、神さまに何か質問するか、お導
>きを求められましたか?

大垣さんに何を語るべきか教えてくださいというような、直接的な祈りはしていません。

>もしその場合、質問、あるいはお導きの内容はどのような
>ものでしたか?

わかりません。こう祈った→そしてこう語られ、こう答えられたゆえ→自分はこう語る、という順序は実は追っていません。

ここで差し上げているのは、私の直感に基づく意見です。「なんだかずっと前と同じことが起きているなぁ」という。ですから「私の意見」として読んでいただく以上のことは求めていませんし、期待もしていません。

そのような根拠の無い直感に基づいて、神の活動を阻害するのですか?という批判を受けるかもしれませんが・・・。

と言う事で、ひとまずお答えします。

No.3422 2007/11/21(Wed) 17:05:10

Re: 気になっているのですが / 大垣 引用

まことさん、レスをありがとうございます。

僕は、BISKOさんからの批判があっても、沙耶香さんに聖書通読の質問に回答していくのように、神さまからの召しがあるのではない、と感じました。しかし自分の考えは経験的にあまりあてにならないので、

1.祈りの中で、召しであるかどうか、神さまに聞く。
2.信頼する兄弟姉妹と相談する。
3.聖書との整合性を調べる。

という3点を、時間をかけて行いました。その結果、ある程度の考えがまとまったので、自分に与えられた指導者としての戸村先生と、沙耶香さんの牧師に質問して、その答えによって、神さまがお導きくださるように祈りました。戸村先生も、沙耶香さんの牧師も、かなり時間をおいて回答をくださったので、祈りの中で検討してくださったと信じています。

これらの過程の結果、僕は召しがあったと自分なりに確信を得たので、回答を再開しました。その確信を得る過程で、ご指摘のように、僕の質問の方法や、内察の方法が十分ではなかったことだろうと思います。そういう人間的な不十分さを超えて、神さまがお導きくださったと信じています。

このような僕の考えからは、まことさんの直感や経験に基づいて感じられている、「神さまの召しではない。」という可能性について、もう一度検討してみる必要は今のところ感じていません。何か批判があるたびに、与えられたと信じる仕事を中断するのが良いこととは思いません。神さまから召しがあったと確信して応じたら、批判があっても、自分が失敗しても、嫌なことがあっても、与えられた仕事をつづけていくことが大切だと思います。

もちろん、神さまが、やめなさい、と言われたと感じたら「やめるのが御心か」とうことについて、上記の3点のようにして、時間をかけて検討します。今はそのときではない、と考えます。

僕が今検討しているのは、1.聖書通読の質問に対する現在の僕の回答が、今回の検討結果にそったものであるかどうか、ということと、2.掲示板のあり方、ということです。これらのことに関して、まことさんの率直な意見をいただけたら幸いです。

No.3424 2007/11/22(Thu) 02:59:42

Re: 気になっているのですが / まこと 引用

こんにちは、大垣さん。

>このような僕の考えからは、まことさんの直感や経験に基づ
>いて感じられている、「神さまの召しではない。」という可
>能性について、もう一度検討してみる必要は今のところ感じ
>ていません。

少し誤解があるようです。私は大垣さんの活動が神様の召しでない可能性があるとも、逆にその可能性が無いとも言っていません。 そのように、神様の召しを「可能性」という天秤にかけることすら、私はしません。 

神様の召しにあずかり、そして、それに応答するということは、人間の側の「心からの選択(**氏のお言葉です)」の問題であって、「可能性」の問題ではないからです。私自身の言葉で表現しなおせば、それは「神の召しに対する、人間のたましいの呼応」であって、可能性の問題ではないのです。

私が大垣さんに投げかけたい質問は、上の意味では、「どうして神様の召しを可能性の問題として論ずるのですか?」ということかも知れません。

>僕が今検討しているのは、1.聖書通読の質問に対する
>現在の僕の回答が、今回の検討結果にそったものである
>かどうか、ということと、

私の見るところでは、今回大垣さんが検討されたのは、活動を継続するかしないかのことであって、聖書通読の質問に対する回答の内容についてでは無いように思います。

聖書通読の質問に対するご自分の回答については、それは「不十分(”不適切”ではなく)」であることには変わりないと思います。その不十分さを認識するのであれば、おのずとレスの内容も変わってくるはずだと思います。

ですから、大垣さんの聖書通読への回答の内容が適切かどうかと言うことを考える前に、大垣さんはご自分の知識と経験の不十分さを、ご自身でどのように認識されておられるのかな?と、私は少し疑問に思うのです。

>2.掲示板のあり方、ということです。これらのことに関
>して、まことさんの率直な意見をいただけたら幸いです。

掲示板のあり方については、もしそれが今後ブログを立ち上げるとかそんなことであるならば、私の意見を率直に書けば、「そういう問題じゃないでしょ?」というのが正直なところです。

掲示板のあり方とは、誰に対して、何を、どう伝えるか、そしてそれはどのような動機と目標に基づいているかという、もっと根本的な問題だと思うからです。

それでは、よき感謝祭を。七面鳥は食べた後眠くなりますが、それがなんとも良いのですよね。満腹して、まどろむ。そのようなときが与えられることが祝福でなくて何でしょうか。

この週末が、神様への感謝の時となりますように。

No.3427 2007/11/22(Thu) 07:53:47

Re: 気になっているのですが / 大垣 引用

「可能性」という言葉を、僕は御心が完全には分からないという意味で使っています。たとえばもし、「牧師と神学者以外は、聖書を教えてはいけない。」と聖書にあれば、僕が聖書通読の回答の仕事の召しを受けたことはありえないと分かります。それを「可能性がない。」と表現します。たとえば、まことさんが、仕事をやめられたとき、「やめるのが本当に御心だろうか」と、考えられた時期があるなら、その時期のことを、「仕事をやめて、神学校にいく召しがあった可能性について検討した時期」と僕なら表現します。もっと、良い表現があるのかもしれません。

僕は、回答について、自分の能力も、知識も不十分だと認めます。それで、唯一の先生であられるイエスにより頼み、自分は今までにイエスにしてくださったことを証しして、回答することにしました。それが、検討結果です。

掲示板のあり方について、動機、目標などの根本的なことは、ICFを廃止して、CFI を立ち上げたときに、かなり時間をかけて、No.3424にリストした3点を実行して検討しました。今は、もう一度、それらについて検討する時ではない、と僕は感じています。

僕は、目標と現在の実態にあわせて、どういう風にインターネットでの活動を変えていくのが良いか、というのが今の検討すべきことだと考えています。

どうかまことさんに大いに祝福された感謝祭と週末が与えられますように。

No.3429 2007/11/22(Thu) 08:50:48

Re: 気になっているのですが / まこと 引用

大垣さん。レスをありがとう。

>たとえば、まことさんが、仕事をやめられたとき、「やめるのが本当に御心だろうか」と、考えられた時期があるなら、その時期のことを、「仕事をやめて、神学校にいく召しがあった可能性について検討した時期」と僕なら表現します。

たとえ話とは言え、これは私自身のことですので、これは断言出来ることとして、書き添えておこうと思います。

私が仕事を辞めて神学を学ぶ方向へと人生を転じたとき、その決断の瞬間には、「可能性の考慮」は微塵もありませんでした。そのことだけはお伝えしておきます。

その決断の瞬間は、心からの「このままではいけない。この場は離れなくてはならない。いつ?今すぐに! どこへ?知らなくとも!」という、一種、切羽詰った、また窮状に立たされた中でのことであって、ここで大垣さんがなされているような「可能性を検討」をする余地・余裕はありませんでした。その決断をなした次の日には、私は上司に辞任の意を伝えています。あまりに突然のことで、会社のみならず、教会の人たちも驚かせてしまう結果となりましたが。

とは言え、一歩下がって考えてみると、大垣さんが仰るような「可能性の検討」の時期は確かにありました。その時期は、「迷い」、「疑い」、そして「恐れ」などの感情の波の中でもまれ続けた時期です。その時期においては、「会社をいつ辞めるべきかどうか」という具体的な迷いがあったのではなく、もっと漠然とした、人生全体の方向性がどこか狂っているのではないかという感覚をずっと感じ続けていました。

その時期は「孤独との戦い」でもありました。それは「可能性の考慮」の時期と言うより、試練の中で一日一日を生き延びて養われた時期と言ったほうが正確です。


>僕は、回答について、自分の能力も、知識も不十分だと認めます。それで、唯一の先生であられるイエスにより頼み、自分は今までにイエスにしてくださったことを証しして、回答することにしました。それが、検討結果です。

少し具体性が出てきましたね。そういうことなら、私にも少しコメントが出来るかもしれません。大垣さんのここ最近のレスは、「証」というよりも「解説」という印象を私は受けています。

No.3433 2007/11/22(Thu) 14:17:01
レビ記2章 / 沙耶香 引用

今日はレビ記2章を読みます。

1節に
人が主に穀物のささげ物をささげるときは、ささげ物は小麦粉でなければならない。その上に油をそそぎ、その上に乳香を添え、
とありますが、乳香ってなんだろうと思って、今までに出てきたことを思い出し、聖書検索すると、前にも出てきているので、創世記37章に戻ると、管理人さまがマタイ2章11節の贈り物と同じだとご説明くださっているので・・・

13節に
あなたの穀物のささげ物にはすべて、塩で味をつけなければならない。あなたの穀物のささげ物にあなたの神の契約の塩を欠かしてはならない。あなたのささげ物には、いつでも塩を添えてささげなければならない。
とありますね・・・神の契約の塩・・・この当時はこういうことが大事だったんだ・・・

15節に
あなたはその上に油を加え、その上に乳香を添えなさい。これは穀物のささげ物である。
とありますが、乳香がどのようなものなのかと気になったので、検索すると何かの樹脂みたいだ。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書5章21−25節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、24節の
まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
やはりこの世で福音のべつたえて、一人でも多くの人に天国に入ってもらいたいですね・・・

No.3287 2007/10/24(Wed) 17:45:04

再レビ記2章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度、レビ記2章を読みます。

いつも一度保存してから載せるようにしています。でないと、何度も、つぶれたことあるから、そのときの無念は計り知れないから・・・だんだんと朝晩冷えてきて、今年ももうあと2ヶ月あまりとなってきました。早いですね・・・

2節に
それを祭司であるアロンの子らのところに持って行きなさい。祭司はこの中から、ひとつかみの小麦粉と、油と、その乳香全部を取り出し、それを記念の部分として、祭壇の上で焼いて煙にしなさい。これは主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。
とありますが、何度かなだめのかおりの火によるささげ物という言葉が出てきますが、一体これはどういう意味だったろうなーと思って、聖書検索すると、出エジプト29・18節のところで管理人さまがなだめのかおりの説明を、
全焼のいけにえで、このいけにえは、罪に対する神の怒りを、いけにえを焼いた煙の香ばしいかおりで、なだめるためのもだと思います。それで、「なだめのかおり」と呼ばれると思います。
とご説明くださっています。
何だか聖書は、難しく難しく作られていますね・・・

11節に
あなたがたが主にささげる穀物のささげ物はみな、パン種を入れて作ってはならない。パン種や蜜は、少しでも、主への火によるささげ物として焼いて煙にしてはならないからである。
とあるが、パン種や蜜は何で焼いて煙にしてはならないのだろうか?煙にしてはいけないという宗教的な意味でもあるのだろうか?

でもそれに対して、16節では
祭司は記念の部分、すなわち、その弾き割り麦の一部とその油の一部、それにその乳香全部を焼いて煙にしなさい。これは主への火によるささげ物である。
とあります。煙にしてささげないといけないもの、煙にしてささげてはならないものとあるんですね・・・何だかいろいろ難しいですね・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書5章26−30節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、29節の
善を行ったものは、よみがえっていのちを受け、悪を行った者は、よみがえってさばきを受けるのです。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
なるべく悪・罪は行いたくないし、行わないように気をつけているつもりだが、気づかないうちにしてしまう場合も多いので・・・赦してください。

No.3288 2007/10/24(Wed) 21:06:43

Re: レビ記2章 / 大垣 引用

11節、神のされることにすべて意味があると信じますが、パン種や蜜を煙にしてはならないということの意味は僕には全く分かりません。

No.3431 2007/11/22(Thu) 10:12:21
出エジプト記40章 / 沙耶香 引用

今日は、出エジプト記40章を読みます。

出エジプトもうこれで終わりみたいだ。今度はやはりレビ記に進んだらいいのだろうか?神様イエス様、今度は何処を読むのがいいのか一番いいところをお教えください。

12節に
アロンとその子らを会見の天幕の入口に近づかせ、水で彼らを洗い、
とありますが、これは本当に水で彼らを洗うのだろうか?何だかおかしいなーー。

14節に
彼の子らを近づかせ、これに長服を着せなければならない。
とありますが、長服ってなんだったっけ?と思って聖書検索すると、創世記や出エジプトでいろいろ出ているみたいだけれど、掲示板のその部分にかえってもそういう説明はないみたいだから、長服で辞書に入れてみたが出てこず、「長服 聖書」で検索しても意味が出てこず、長服で検索しても、意味が出てこず、「長服 聖書 意味」で検索しても意味は出てこず、その時代の服なんだろうなーと想像しながら・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書5章1―5節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
4節がないみたいだ・・・何度か読んでいると5節の
そこに、38年もの間、病気にかかっている人がいた。
が気になるのでこれをもう何度か読みます。
私の生きてきた年数ずっと病気だったということだから大変だな。

No.3275 2007/10/22(Mon) 11:14:27

再出エジプト記40章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度、出エジプト記40章を読みます。

何だかめっきり冷えてきました。みなさん、風邪などひかないように体調に十分注意をしてください。

何だか嫌なことばかりで、逃げ出したい。CENSORED。イエス様に迎えにきて欲しいけれど、寝る前にお祈りしているが、朝目覚めてしまうという繰り返しをしている。何度もCENSOREDしているが、助かっているので、また今度も助かるような気がしてできない。生きていくのは、精神障害者にとってはかなりの至難の業だ。

35節の
モーセは会見の天幕にはいることができなかった。
雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。
が印象に残りました。

38節の
イスラエル全家の者は旅路にある間、昼は主の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があるのを、いつも見ていたからである。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書5章6―10節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、8,9節の
イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」
すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。ところが、その日は安息日であった。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様の救いの御業は素晴らしいなー――。

No.3276 2007/10/22(Mon) 20:37:39

Re: 出エジプト記40章 / 大垣 引用

14節の長服は出エジプト記28章40−42節に出てきた、祭司の服のことです。チェーン式の脚注も見ておいてください。13節で大祭司アロンが着る「聖なる装束」は、28章2−39節にある装束のことです。

No.3430 2007/11/22(Thu) 10:01:39
レビ23章残り / 沙耶香 引用

今日はレビ23章残りを読みます。

28,29節の
その日のうちは、いっさいの仕事をしてはならない。その日は贖罪の日であり、あなたがたの神、主の前で、あなたがたの購いがなされるからである。
その日に身を戒めない者はだれでも、その民から断ち切られる。
が印象に残りました。

42節に
あなた方は7日間、仮庵に住まなければならない。イスラエルで生まれた者はみな、仮庵に住まなければならない。
とありますが、仮庵とは、荒野の仮住まいのことなのだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の10章21-25節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、25節の
イエスは彼らに答えられた。「わたしは話しました。しかし、あなたがたは信じないのです。わたしが父の御名によって行う業が、わたしについて証言しています。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様の御技が真実を語ります。

No.3409 2007/11/20(Tue) 10:40:23

Re: レビ23章残り / 大垣 引用

42節の仮庵は、イスラエル人がエジプトから出て荒野をさまよっていたときに住んでいたテントのような天幕のことだと思います。

No.3411 2007/11/20(Tue) 13:36:37

再レビ23章残り / 沙耶香 引用

今日はもう一度レビ23章を読みます。

へーーテントのような天幕だったのか・・・

24節に
「イスラエル人に告げて言え。第7月の第1日は、あなたがたの全き休みの日、ラッパを吹き鳴らして記念する聖なる会合である。
とありますが、この楽器はラッパじゃないといけないのだろうか?たて笛やオーボエなどではいけないのだろうか?

43節の
これは、わたしが、エジプトの国からイスラエル人を連れ出したとき、彼らを仮庵に住まわせたことを、あなたがたの後の世代が知るためである。わたしはあなたがたの神、主である。」
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の10章26-30節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、29節の
わたしに彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
父なる神様のなせる業です。

No.3414 2007/11/20(Tue) 21:32:41

Re: レビ23章残り / 大垣 引用

24節の楽器ですが、主の命令に従う心があるかどうか、ということが大切だと僕は考えます。例えば、ラッパがあるのに、「主の命令どおりにするのは嫌だから、ここにあるたて笛を使ってやろう。これくらいのことで主にしかられることはないだろう。」というような反逆の心をもって、たて笛を選んだら、罪になると思います。もし、ラッパがどうしても手に入らないときに、主の命令に従いたい一心でたて笛を吹いたとしたら、罪にならないと僕は考えます。

No.3418 2007/11/21(Wed) 13:24:20
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