|
今日は、出エジプト記32章を読みます。
2節に それで、アロンは彼らに言った。「あなたがたの妻や、息子、娘達の耳にある金の耳輪をはずして、私のところに持ってきなさい。」 とあるが、この時代に金の耳輪というかイヤリングがあったのですね・・・・
4節に 彼がそれを、彼らの手から受け取り、のみで型を造り、鋳物の子牛にした。彼らは、「イスラエルよ。これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ。」と言った。 とあるが、金の耳輪で鋳物の子牛を作ったのかな?あなたの神だとか言っているのは偶像ではないのかな?
9節に 主はまた、モーセに仰せられた。「わたしはこの民を見た。これは実にうなじのこわい民だ。 とあるが、うなじのこわいとはどういう意味だろうか?と思って、「うなじがこわい」で検索してみたが、中にうなじがこわいという言葉が入っているだけでうなじがこわいという意味が今一つかめないので、辞書でうなじが怖いと入れてみたが、出てこなかった。私のイメージでは何だか剛鉄なとか傲慢なというような感じがするんだけれど・・・
14節に すると、主はその民に下すと仰せられた災いを思い直された。 とあるが、主が思い直されるということはあるんだろうか?また、思い直されたことなんかどこで分かるんだろうか?
17,18節に ヨシュアは民の叫ぶ大声を聞いて、モーセに言った。 「宿営の中にいくさの声がします。」 するとモーセは言った。「それは勝利を叫ぶ声ではなく、敗北を嘆く声でもない。私の聞くのは、歌を歌う声である。」 とあるが、いくさの声なのに、歌を歌う声なの??何だか不思議だ。
20節に それから、彼らが造った子牛を取り、これを火で焼き、さらにそれを粉々に砕き、それを水の上に撒き散らし、イスラエル人に飲ませた。 とあるが、なんとまー、女々しい方法というか・・・
24節に それで、私は彼らに、「誰でも、金を持っているものは私のために、それを取り外せ。」と言いました。彼らはそれを私に渡したので、私がこれを火に投げ入れたところ、この子牛が出てきたのです。」 とありますが、何だか意味不明ですね・・・
26節に そこでモーセは宿営の入り口に立って「だれでも、主につくものは、私のところに。」といった。するとレビ族がみな、彼のところに集まった。 とあるが、レビ族って12部族に分かれたときのだろうか?レビ族で検索したけれど、意味が書いてあるわけではなく、つかめない。辞書に入れても出てこない。レビ記と何か関係があるのかもしれないですね・・・
・・・癒しに通じる読み方・・・ 今日はヨハネ3章1―5節を読みます。 天のお父様神様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・・ 何度か読んでいると3,5節が気になるので、これをもう何度か読みます。 うーん、なかなか神の国に入るのは難しいのですね・・・ |
No.3205 2007/10/13(Sat) 11:03:25
|
|
今日はもう一度、出エジプト記32章を読みます。
5節に アロンはこれを見て、その前に祭壇を築いた。そして、アロンは呼ばわって言った。「あすは主への祭りである。」 とあるが、4節の偶像礼拝の様子を見て、祭壇を築いたということだろうか?なのに主への祭りであると言っている・・・・???
27節に そこで、モーセは彼らに言った。「イスラエルの神、主はこう仰せられる。おのおの腰に剣を帯び、宿営の中を入口から入口へ行き巡って、おのおのその兄弟、その友、その隣人を殺せ。」 とありますが、殺せとは穏やかではないですね・・・主のお考えを重んじるモーセらしくないですね・・・・
・・・癒しに通じる読み方・・・ 今日はヨハネ3章6―10節を読みます。 天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・ 何度か読んでいると8節が気になるので、これをもう何度か読みます。 何だかいろいろ難しいですね・・・ |
No.3208 2007/10/13(Sat) 19:54:48
|
|
☆ Re: 出エジプト記32章 / 大垣  |
引用 |
|
4 節の金の子牛は耳輪などの金で作った偶像です。でも、アロンたちにとって主と関係のない偶像ではなく、エジプトから連れ出してくださった主を表すつもりの偶像でした。このように、人間の作った偶像が、真の神である主と関係づけられるとき、偶像と主を見分けることがとても難しくなります。後に、イスラエルは北と南の 2 つの国に分裂しますが、北イスラエル王国では、金の子牛を主を表しているとする偶像崇拝が起こり、北イスラエル王国が滅亡するまでつづきました。これに対し、南のユダ王国では、バウルのような異国の神々を崇拝する偶像崇拝が盛んになってしまい、国として主に立ち返る動きも起こったことがありましたが、結局はバビロンによってエルサレムに攻め入られるまで、偶像崇拝が直りませんでした。
9節は、チェーン式の聖書の脚注を読んでみてください。
14 節、モーセの嘆願の祈りによって、主は思い直されました。絶対に間違われない全知全能の主が「思い直された」というのは、人間のように、「間違ったから思い直します」という場合の、「思い直す」とは意味が違います。では、どういう風に違うのか、かなり難しいところです。32節14節で、主が「思い直された」のはどういう意味か、ぜひ牧師に聞いてみて、僕にも牧師のお考えを教えてください。 |
No.3361 2007/11/12(Mon) 03:55:52
|
|
|
うん、人間は弱い生き物だから、目に見えるものを崇拝してしまいがちです。
うなじの怖い民=強情な民
>>32節14節で、主が「思い直された」のはどういう意味か、ぜひ牧師に聞いてみて、僕にも牧師のお考えを教えてください。
牧師に聞いて見ました。メールの返信を貼り付けます。
●ここで言っている、「思い直す」の意味は・・・・・、出エジプト記 32章の11−14節を読んでみると、分かります。 ・金の子牛を拝むという、神様が最も忌み嫌われる「偶像礼拝」の罪を犯してしまった、イスラエルの民・・・・・。偶像礼拝は、神様の前で、非常に重い罪なので、本来ならば、神様からの裁きが下る(=滅ぼされる)筈でした。 ・しかし、そこで、モーセが、「イスラエルの民を、どうか滅ぼさないで下さい。」と、神様に真剣にとりなしの祈りをしました。 ・すると・・・・・、神様は、モーセのその真剣なとりなしの祈りを聞いて、イスラエルの民を憐れんで下さり、・・・・・その結果、その件でイスラエルの民を滅ぼす事をされなかった。・・・・・という事です。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ● 聖書には、この他にも、神様が「思い直された」という箇所が、何箇所かあります。以下の箇所を、実際に開いて、読んで見て下さい。 そうすると、上記の意味が、さらに良く分かるでしょう。 ・エレミヤ書 18章8節 / ヨエル書 2章13節 / ヨナ書 3章10節 / これらは、どれも、「人々が、神様に対して、重い罪を犯しても、・・・・・その人達が、真剣に、神様に祈り、その罪を心から悔い改めるならば、・・・・・神様は、憐れんで、赦(ゆる)して下さる」という事が書かれている箇所です。
--------------------------------------------------------------------------------
● つまり、まとめると・・・・・、 ・神様は、義(正しい)お方なので、罪に対しては、裁きを下されます。 ・しかし、神様は、(義なる方であると共に、)憐れみ深いお方なので・・・・・、「たとえ、私達が、神様の前で、重い罪を犯してしまったとしても、 ・・・・・神様に真剣に祈り、その罪を真剣に心から悔い改めるならば、・・・・・神様は、その心を見て、憐れんで下さり、・・・・・裁くのをやめて、赦(ゆる)して下さる。」という事です。 |
No.3370 2007/11/12(Mon) 17:35:37
|
|