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出エジプト記38章 / 沙耶香 引用

今日は出エジプト記38章を読みます。

3節に
彼は、祭壇のすべての用具、すなわち、つぼ、十能、蜂、肉刺し、火皿を作った。そのすべての用具を青銅で作った。
とありますが、十能って前も出てきたんだけれど、なんだったかな?と思って、聖書検索したら、出エジプト 27:3 に出てましたので、掲示板のそのころのものを開いてみると、管理人さまがスコップのような用具だとご説明くださっていました。

10節に
柱は20本、その20個の台座は青銅で、柱の鉤と帯輪は銀であった。
とあるが、鉤とはなんだろうなー?前にも出てきていたなと思い、鉤と入れて検索したのだが、鉤と入れても何故か草冠に死亡の亡という字が出てきて、検索できない。うーん、何でだろうか?何度してもそうなる・・・壊れたのかと思って、前の十能を入れたらきちんと出てくる。うーん???
だから仕方がないので、鉤と入れて検索してもなんかちょっと違うようなものが出てくるので、「鉤 聖書」と入れて、検索すると、ヘブル語で鉤は、輪or環らしい。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書36―40節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると36節の、
すでに、刈るものは報酬を受け、永遠のいのちに入れられる実を集めています。それはまくものと刈るものがともに喜ぶためです。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様の世界は深いですね・・・

あーでも私が入信したころはかなり熱心に伝道されていた伝道師が、最近あまり伝道熱心ではないなーと感じてきたら辞められて、何だか今まで「教会にくることで否定的な思いを打ち消す。クリスチャンにならなかったら地獄行きなんだから、地獄に行かないように教会に連れてこないといけない。」とか言っていたのが全部うそになる。うーん、何だか本当にもう何を信じたらいいのか分からないけれど、私は一生今の教会を辞めないんだ。

No.3270 2007/10/20(Sat) 13:20:36

再出エジプト記38章 / 沙耶香 引用

今日は、もう一度出エジプト記38章を読みます。

だんだん、秋めいてきて、朝なんか冷えるときもありますね・・・周りで風邪を引いている人も結構います。皆さん、気をつけてくださいね・・・

3節に
彼は、祭壇のすべての用具、すなわち、つぼ、十能、鉢、肉刺し、火皿を作った。そのすべての用具を青銅で作った。
とありますが、火皿とはなんだったっけ?と思ったが、前にも出ていたと思い、多分前にもでていたと思った、十能と同じところだろうと思って、掲示板を戻ってみると、火皿は皿の一種で、いけにえを焼くための火に使われたと管理人様がご説明くださっています。
あの時代のことは分からないですよね。だっていけにえを捧げるなんてこと今は考えられないから・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書4章41―45節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、42節の
そして彼らはその女に言った。「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです。」
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様ただ一人だけですよね。救い主は・・・・だれもクリスチャンでもだれも信用してはならないです。

No.3271 2007/10/20(Sat) 20:45:30
出エジプト記35章 / 沙耶香 引用

今日は出エジプト記35章を読みます。

2節に
6日間は仕事をしてもよい。しかし、7日目には、主の聖なる全き休みの安息を守らなければならない。この日に仕事をする者は、だれでも殺されなければならない。
とありますが、殺されなければならないとまで言わなくてもいいような気もしますが・・・

3節に
安息の日には、あなたがたのどの住まいのどこででも、火をたいてはならない。
とありますが、安息の日は仕事はしてはいけないとは規定されていたけれど、火をたいてはならないなんてどこからきているんだろうか?火をたいたって、仕事していることにはならないではないか?うーん???

10節の
あなたがたのうちの心に知恵のある者は、みな来て、主が命じられたものをすべて造らなければならない。
が印象に残りました。主は絶対なお方だ。

30,31節に
モーセはイスラエル人に言った。「見よ。主はユダ部族のフルの子であるウリの子ベツァルエルを名指して召し出し、
彼に、知恵と英知と知識とあらゆる仕事において、神の霊を満たされた。
とあるが、ベツァルエルは幸せというか光栄ですよね。

35節に
主は彼らをすぐれた知恵で満たされた。それは彼らが、あらゆる仕事とたくみな設計をなすものとして、彫刻するもの、設計するもの、および、青色、紫色、緋色の撚り糸や亜麻布で刺繍するもの、また機織するものの仕事を成し遂げる為である。
とあるが、主にすぐれた知恵で満たしていただけるなんて羨ましいです。私もすぐれた知恵で満たしてくださって聖書が難なく読めるようになるといいのだが・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書4章6―10節を読みます。
天のお父様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると10節が気になるので、これをもう何度か読みます。
何だかいろいろ難しいですね・・・

No.3254 2007/10/17(Wed) 10:47:26

再出エジプト記35章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度出エジプト記35章を読みます。

21節の
感動したものと、心から進んでする者とはみな、会見の天幕の仕事のため、また、そのすべての作業のため、また、聖なる装束のために、主への奉納物を持ってきた。
が印象に残りました。

28節に
また、燈火、そそぎの油、かおりの高い香のためのバルサム油とオリーブ油とを持ってきた。
とあるが、バルサム油とはなんだろうと思って、バルサム油で検索したが、意味を書いてあるようなサイトはなかった。辞書でバルサム油と入れても出てこなかった。バルサム油とは一体何だろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書4章11―15節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、14節の
しかし、わたしが与える水を飲むものはだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」
が印象に残ったので、これをもう何度か読みます。
永遠の命の水の泉・・・素晴らしいですね・・・

No.3256 2007/10/17(Wed) 20:08:29

Re: 出エジプト記35章 / マルセリーノ 引用

聖書…特に旧約の時代の神のみ言葉に関しては、今の私たちには考えられないようなことが少なくないですよね。
様々な掟や戒めの中には

「ここまでしなくてもいいじゃん〜」

と思えることも確かにありますね。
聖書を読んで、解釈や理解しようとしても、明らかに確定的に説明出来る部分もあれば、正直、どんなすごい神学者が読んでも、「○○であろう」という推測でしか語れない部分もありますね。

私はね、思っているんです。
私たち人間がこの世で自分の知識の中にいる状態で、神の考えのすべてを理解することは出来ないだろうから、いつか神の御許に行った時に、この世でわからなかったことを直接に聞いてみよう…とね。

実は、今からその時にどんな答えが返ってくるか、楽しみにしている次第です。

その時にもっとも聞きたいことは

「神様、あなたは天地創造なさる前は、どんな思いで何をなさっていたんですか…」

ということです。

実はこれは私が神について、1番知りたいことなんですよねえ…

あっ、せっかくの聖書通読から外れてしまいましたね。
ごめんなさい。

そういえば、「火」…

火は、用途としては、

?@料理のため(出12:8、ヨハ21:19)
?A暖房のため(イザ44:16、マコ14:54、ルカ22:55)
?B金属を精錬(出32:24、エレ6:29、?Tペテ1:7)

などがありますが、偶像や戦車、町などの破壊のためにも用いられました。また、処刑のためにも用いられましたね。

同時に、神の顕現も火と結び付けられていました。
(出3:2、13:21〜22、19:18、申4:11〜12)

ちなみに安息日には、火と関係することでは他に、薪を集めること(民15:32〜36)や、食事の用意(出16:23〜30)も禁じられていますから、これらのことを関連させて考えれば答えが導き出せるかも知れませんね。

バルサム油というのはバルサム樹からとった乳香で、樹脂と精製した油を混ぜたものらしいです。
バルサム樹はヤナギ科の木で、山地に生えていて、高さは15メートルほどまで伸びて、そこからミルクのような樹脂を出すそうです。

バルサム樹は、?Uサム5:23〜24、?T歴14:14〜15にも出て来ます。
詩篇84:6にある「涙の谷」の「涙」も、言語のヘブル語では実はこのバルサムと同一の単語が使われているんですよね。

きっと作者は、何本ものバルサムからしたたる樹脂をたとえたのかも知れませんね。

ちなみにバルサムの樹脂は今でも使われていて、チューインガムの香料にもなっているそうですよ。

バルサム…なかなか面白い所に着眼しましたね。
こういう疑問もまた、聖書を読む上で楽しさを増す大切な疑問だと思いました。

聖書通読の解説にはなってないかも知れませんが、沙耶香さんの聖書通読に、ちょっとした感想のつもりで書いてしまいました。

ではでは、この辺にて…

No.3268 2007/10/20(Sat) 00:22:04

Re: 出エジプト記35章 / 沙耶香 引用

マルセリーノさん、解説兼感想を丁寧に長々と感謝します。
この掲示板に来る人には、私と同じように聖書に興味を持っているが、なかなか読んでも理解できない、読もうと思っても難しくて踏み出せない人がいると思うのです。
そういう人が、私と一緒に読んで手助けになればいいというのも、こういうことを始めた理由です。
本当なかなか聖書は難解で自分ひとりでなんか読み進めることができないです。手助けしてくださる人が必要です。

No.3269 2007/10/20(Sat) 11:15:53
出エジプト記36章 / 沙耶香 引用

今日は、出エジプト記36章を読みます。

4,5節に
そこで、聖所のすべての仕事をしていた、知恵のある者はみな、それぞれ自分たちがしていた仕事から離れてやってきて、
モーセに告げていった。「民は幾たびも、もって来ています。主がせよと命じられた仕事のために、あり余る奉仕です。」
とありますが、やはり知恵のあるものにはすでに仕事が与えられています。知恵のある者には稼ぐ仕事も与えられているし、奉仕も与えられます。
私もいろんな仕事を与えられたら嬉しいですけれど、知恵のある者ではないのでしょうか?いや、神様が知恵を与えてくださると信じて期待して感謝します。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書4章16―20節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、20節の、
私たちの先祖は、この山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」
が気になるので、これをもう何度か読みます。
エルサレム・・・

No.3257 2007/10/18(Thu) 11:28:48

再出エジプト記36章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度、出エジプト記36章を読みます。

1節の
ベツァルエルとオホリアブ、および、聖所の奉仕のすべての仕事をすることのできる知恵と英知を主に与えられた、心に知恵のある者はみな、主が命じられたすべてのことを成し遂げなければならない。」
が印象に残りました。

8節の
仕事に携わっているもののうち、心に知恵のある者はみな、幕屋を10枚の幕で造った。撚り糸で織った亜麻布、青色、紫色、緋色の撚り糸で作り、巧みな細工でケルビムを織り出した。
が印象に残りました。ケルビムの像を管理人様が教えてくれたHPでよく見ました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書4章21―25節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、24節の
神は霊ですから、神を礼拝するものは、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」
がきになるので、これをもう何度か読みます。
霊・・・聖霊様・・・

No.3260 2007/10/18(Thu) 20:26:53

Re: 出エジプト記36章 / 大垣 引用

沙耶香さん、レスがたいへん遅れて申し訳ないです。これまでの僕のレスの仕方が、神さまのお考えからずれていたようです。今は祈りの中でどうすれば良いか、検討しています。

どうか、沙耶香さんの通読が、どの場書で、どのようにすると神さまの目からみて、今の時点で最善なのか、教えてくださいませ。神さまに聞き従えるように沙耶香さんと僕をお導きくださいませ。

No.3262 2007/10/18(Thu) 20:48:48
沙耶香さんにお伺いします。 / BISKO 引用

沙耶香さんへ。

沙耶香さんの教会の人数の減少についてのことは、残念に思います。何か特定の原因があるのかも知れませんね。

ところで、この掲示板の管理人さんの伺ったのですが、沙耶香さんの教会では、沙耶香さんの質問に答える時間を取れる方が居られないそうですね。

実際には、どのような状況なのですか? 

週に1回から2回の定期的なバイブルスタディすらしてもらえない状況なのですか?

それとも、不定期に質問しても、いつでもどこでも答えが返ってくるような、そんな場所は提供できない、ということなのですか?

人数は少ないとは言え、個人的に時間を割いて勉強会などをしてくれる方は一人もおられないのですか? 別の教会に移られた方も含めて・・・。

私は、信者のための聖書の勉強会すらしない・出来ないという教会を見たことがありません。管理人さんからお伺いした沙耶香さんの状況は、少し不思議に思っています。

もしよろしければ、現状についてお教えください。

No.3229 2007/10/15(Mon) 13:40:52

Re: 沙耶香さんにお伺いします。 / 沙耶香 引用

>>沙耶香さんの教会では、沙耶香さんの質問に答える時間を取れる方が居られないそうですね。

はい、自分で聖書を読んで自分で学んでくれという姿勢ですね・・・今うちの教会の群れでは、賛美の召しということを強く言われていて、うちの牧師もオリジナルで自分で作詞作曲して歌ってギターを弾いて作っていて、かなりお忙しいし、伝道師は二人とも辞められて、一人は男性で仕事していてかなりお忙しいし、一人は主婦だけれど、自分の時間を分けてくれるような感じではなかったですね・・・
あと神学校に通っている人がいるけれど、その人は仕事もしていない、時間はあるんだけれど、教えてくれるという感じではないです。牧師も教会員に教会員の世話をするように言うような牧師ではありませんので・・・
何でも自分でしなさいという感じで、人間は当てにならない、神様に頼りなさいという感じで・・・

>>週に1回から2回の定期的なバイブルスタディすらしてもらえない状況なのですか?

はい、そんなのカリキュラムにないです。聖書を読むのは自分でしろという感じで、あとは人に助けを求めず神様に求めなさいという感じです。

>>それとも、不定期に質問しても、いつでもどこでも答えが返ってくるような、そんな場所は提供できない、ということなのですか?

うーん??これは質問の意味があまりよくわからないのだけれど・・・場所ということであればうちの教会は定期的な場所はなく、借りています。質問してもなかなか返答している時間はないですね、牧師は・・・

>>個人的に時間を割いて勉強会などをしてくれる方は一人もおられないのですか? 別の教会に移られた方も含めて・・・。

そんな人いないですね・・・みな自分の時間を私のために費やそうという人はいません。時間は貴重という考え方なので・・・教会は皆家族で奉仕の心が必要だと思うんだけれど、なかなか皆そういう考えにはなれないようです。

>>私は、信者のための聖書の勉強会すらしない・出来ないという教会を見たことがありません。管理人さんからお伺いした沙耶香さんの状況は、少し不思議に思っています。

うーん、でも私は信仰を持ってはじめての教会で4年経ちますが最初ころは私が結婚詐欺にあっているのに電話で話す時間を牧師も伝道師も取ってくれないとかいろいろ思っていましたが、ここはこういう教会なのだと思ってもう慣れました。
私だって友に聖書の学びをして助けてくれる兄弟姉妹がいたほうがいいに決まっていますけどなかなか難しいです。牧師は神様しか助けてくれない、人はみないろんな事情があるからと・・・

No.3230 2007/10/15(Mon) 17:28:16

Re: 沙耶香さんにお伺いします。 / BISKO 引用

沙耶香さん。

返信ありがとうございます。

回答を拝読しましたが、

(管理人です。以下の内容が掲示板のルールに反していると判断し、削除しました。)

No.3233 2007/10/15(Mon) 21:32:31

Re: 沙耶香さんにお伺いします。 / 大垣(管理人) 引用

BISKOさんに2、3質問と掲示板管理人としてのお願いがあります。

一つの教会には、どんなに小さくとも必ず聖書勉強会などの時間がないと、神の御心に反していると言って間違いないのでしょうか。

沙耶香さんの牧師が賛美歌の作詞作曲をするように神に召されていないと、断言できる根拠をお持ちでしょうか。

根拠があってもなくても、この掲示板では、教会との協力関係を重視しているので、特定の教会の批判は決してしない方針を持っています。今後、特定の教会を批判するような書き込みは、この掲示板では決してなさらないようにお願いします。

それから、掲示板の管理人として連絡事項があります。もしさしつかえなかったら、メールをくだされば幸いです。

No.3234 2007/10/16(Tue) 01:47:57

掲示板のルールへの抵触。お詫びします。 / BISKO 引用

管理人さん。

>この掲示板では、教会との協力関係を重視しているので、特定の教会の批判は決してしない方針を持っています。今後、特定の教会を批判するような書き込みは、この掲示板では決してなさらないようにお願いします。

まず、掲示板のルールに抵触したことについて、お詫びします。 すみませんでした。以後、気を付けて、特定の教会への批判を含む書き込みは極力しないようにします。

その上で、ご質問への回答をさせていただきます。

>一つの教会には、どんなに小さくとも必ず聖書勉強会などの時間がないと、神の御心に反していると言って間違いないのでしょうか。

私は「神の御心に反している」という強い言葉を使っていません。「そのような教会は見たことが無い。それゆえ非常に驚いている。」とは書きました。

私は、一つの教会には、どんなに小さくとも、みことばを共にに学ぶ場があるべきだと考えます。

その根拠の一つは使徒2:42です。 この箇所には、クリスチャンの集まりにおいて、必須であるものが列挙されています。すなわち、「教えを学ぶこと」「それに従うこと」「交わり」、そして「祈り」です。 聖書を学ぶというのは、優先順位の高い事柄です。


>沙耶香さんの牧師が賛美歌の作詞作曲をするように神に召されていないと、断言できる根拠をお持ちでしょうか。

私はそのような断言などしていませんが・・・。断言していないことの根拠を求められても、答えられません。

ただ、ある牧師が、信徒にとってもっとも大切なことの一つである「聖書の学び」に時間を割けないのは、私にはとても不思議で、びっくりしている、とは書きました。その根拠は使徒7:2−4です。

>それから、掲示板の管理人として連絡事項があります。もしさしつかえなかったら、メールをくだされば幸いです。

この掲示板ではダメなのですか?ダメならメールしてください。

No.3236 2007/10/16(Tue) 02:31:54

Re: 沙耶香さんにお伺いします。 / BISKO 引用

沙耶香さんへのレスです。

>今うちの教会の群れでは、賛美の召しということを強く言われていて、

この「賛美の召し」というのは、具体的にはどういうものですか? 教会員で作詞作曲して、それを歌おう、というものですか?

>何でも自分でしなさいという感じで、人間は当てにならない、神様に頼りなさいという感じで・・・

・・・難しい状況ですね。

>はい、そんなのカリキュラムにないです。聖書を読むのは自分でしろという感じで、あとは人に助けを求めず神様に求めなさいという感じです。

例えば、水曜日の祈祷会とか、そういう場は無いのですか?私が通っていた教会では、毎週水曜日に4〜5人で集まり、聖書と、関連する一冊の本をみんなで回し読みして、順繰りにバイブルスタディの準備を担当しあって学びあう、ということをしてました。

>>それとも、不定期に質問しても、いつでもどこでも答えが返ってくるような、そんな場所は提供できない、ということなのですか?
>うーん??これは質問の意味があまりよくわからないのだけれど

私がこの質問をしたのは、牧師は教会のために色々な仕事をされていて忙しので、決まっていない不特定の時間に、どこからともなく不特定に寄せられる質問に逐一答えるのは、さすがにそれは無理だろうと思ったからです。

決まった日時に、例えば一週間に一日、各一時間だけ、という形なら、牧師が沙耶香さんのために時間を割くと言うことも、あるいは可能になるのではないかと思いました。

そういう、牧師の都合に自分を合わせるという形でのリクエストはされましたか?

いつでもどこでも自分のためだけに質問に答えてくれるような牧師は、さすがにちょっと期待できませんから。


>教会は皆家族で奉仕の心が必要だと思うんだけれど、なかなか皆そういう考えにはなれないようです。

・・・これもまたとても難しい状況ですね。


>私だって友に聖書の学びをして助けてくれる兄弟姉妹がいたほうがいいに決まっていますけどなかなか難しいです。

時間がかかっても、あえて、そういう兄弟姉妹を現実に見つけたいという気持ちはありますか?それとも、今のこの掲示板での交わりで満足ですか?

No.3238 2007/10/16(Tue) 03:05:29

Re: 沙耶香さんにお伺いします。 / 大垣 引用

>掲示板のルールに抵触したことについて、お詫びします。

ルールについて理解して謝罪をしていただいたことを感謝いたします。

>私は、一つの教会には、どんなに小さくとも、みことばを共にに学ぶ場があるべきだと考えます。

この場合、学びの場は、よく教会にある「学びの会」のような形式でないといけないのでしょうか。礼拝のときの説教ののひとつの大きな目的は、学びではないでしょうか。教会の定義として、信仰者が2人以上集まり、福音が述べられ、バプテスマと聖餐式が行われていたら教会である、という説がありますが、BISKOさんはどう思われますか。教会も特に小さいところは、さまざまですから、学びの会がないところがあっても、驚くにあたらないと思うのですが、どうでしょうか。

メールのアドレスを教えていただいて、ありがとうございます。メールを送りましたので、よろしくお願いいたします。

No.3239 2007/10/16(Tue) 03:14:15

Re: 沙耶香さんにお伺いします。 / 沙耶香 引用

>>私は、一つの教会には、どんなに小さくとも、みことばを共にに学ぶ場があるべきだと考えます。

うん、私もそういう場があったほうが嬉しいですし、聖書の勉強がしやすいし、ほかの教会ではそういう学びの場があると聞いたことはあります。

>>この「賛美の召し」というのは、具体的にはどういうものですか? 教会員で作詞作曲して、それを歌おう、というものですか?

うん、群れの中のいろんな地方の教会員が作詞作曲してオリジナル賛美曲集がもう7集目に入りました。教会の賛美の時間でも主にそれを歌っています。教会の人ならだれでも作詞作曲して応募することができます。それを長老の人たちが曲集に載せるか載せないかを判断します。
年に一度夏のキャンプで全国賛美大会というのも開きます。それより前に地方で勝ち抜いてきた人たちが競います。
年々グレードが上がり、プロ顔負けという感じです。
いろんな教会の賛美隊が全国、あるいは海外でも路上ライブしています。プロとしてデビューするという話もあります。
オリジナル賛美曲は6集まではCDにもなっています。
うちの牧師は前にバンドでボーカルをしていたこともあり、歌もうまくて賛美大会で優勝したこともあるし、元の伝道師の男性がギターがうまくて、作詞作曲賞を取ったこともあります。

>>例えば、水曜日の祈祷会とか、そういう場は無いのですか?私が通っていた教会では、毎週水曜日に4〜5人で集まり、聖書と、関連する一冊の本をみんなで回し読みして、順繰りにバイブルスタディの準備を担当しあって学びあう、ということをしてました。

うん、祈祷会というのはあるけれど、大体牧師宅で、もう2年くらい牧師が喉と気管の調子を崩していて、一人で喉使わずにするから来てはいけないと言われだして、祈祷会には出席させてくれません。それに祈祷会では文字通り祈祷会で、お祈りだけでそういう学びはしていません。
それとみなでする祈祷会は元の女性伝道師宅で神学校のあとでしてましたので、神学校に出ないと祈祷会だけは出られないと思うしそれに祈祷会はやはりお祈りだけだろうと思うので・・・それに女性伝道師宅はかなり遠かったので、交通費がなかなか出ない状況です。
日曜日の礼拝が前は第二まであったんだけれど、最近は人も減って、第二は月に一度だけというペースになっています。その第二の代わりに聖書に触れるような学びの場を提供してくれたらいいのになー―という望みはあります。
でも望みだけで、牧師は本当に今お忙しくてぎりぎりでやっているので、難しいと思います。

>>決まった日時に、例えば一週間に一日、各一時間だけ、という形なら、牧師が沙耶香さんのために時間を割くと言うことも、あるいは可能になるのではないかと思いました。

牧師に時間の余裕はないのです。賛美の召しということを言われていて、牧師自身のオリジナルCDも製作中で、もう本当に到底時間を私のために当ててもらうなんて頼める状況にないのです。

>>時間がかかっても、あえて、そういう兄弟姉妹を現実に見つけたいという気持ちはありますか?それとも、今のこの掲示板での交わりで満足ですか?

その時々で、必要な助け手は神様が与えてくださると信じますので、今はこの掲示板でいろいろ質問させていただいたり感想を書き込ませていただいたりして、管理人様も時間を赦す限り答えてくださるという感じで、聖書の交わりを通して神様と交わりを持ちたいと思っています。
そのうち必要なら神様がきっと私にも実際に必要な兄弟姉妹をどこからか連れて来てくださると信じて期待して感謝します。

No.3243 2007/10/16(Tue) 11:02:34

Re: 沙耶香さんにお伺いします。 / BISKO 引用

沙耶香さん。

丁寧な、返信をどうもありがとう。

これはお世辞ではありませんが、沙耶香さんの文章は判りやすいですよ。 文章を書くということは、文章を読むということにもつながっています。 沙耶香さんが思うほど、貴女は活字アレルギーではないような気がします。

>ほかの教会ではそういう学びの場があると聞いたことはあります。

ほかの教会、というのは、群れに属する他の地方の教会という意味ですか?お伺いした内容を見ると、全国規模の群れのようですね。同じ群れに属する教会は、近辺にありますか?


>うちの牧師は前にバンドでボーカルをしていたこともあり、歌もうまくて賛美大会で優勝したこともあるし、元の伝道師の男性がギターがうまくて、作詞作曲賞を取ったこともあります。

その牧師さんが、喉と気管をいためてしまわれた。・・・これは非常にツライでしょうね。 伝道士という協力者が辞めてゆく状況にあっても尚、自作CDを作成しなくてはならないという負担を背負い込んでおられて、その結果、忙しすぎて時間が全く無いという状況になってしまっているのかな?と想像します。


>もう本当に到底時間を私のために当ててもらうなんて頼める状況にないのです。

何だか、切羽詰ったぴりぴりした雰囲気が伝わってきますね。そういう状況はいつごろ始まったのですか? ここ最近のことですか? それとも長い間続いている状況なのですか? 牧師がCDの作成を終えたら、時間を取ってもらえそうな感じはしますか?


>その第二の代わりに聖書に触れるような学びの場を提供してくれたらいいのになー―という望みはあります。

本当ですね。人数が問題なら、一対一の学びの時間が取れないということじゃないですものね。


>そのうち必要なら神様がきっと私にも実際に必要な兄弟姉妹をどこからか連れて来てくださると信じて期待して感謝します。

その信仰は、いずれ実を結ぶでしょう。

私も何年も前に、そのように祈ったことを覚えています。気付けば、その祈りは今、現在進行形で答えられています。

でもその過程で、つらい別れを経験したこともありました。ある群れを離れたときは、身を切られるような悲しさを体験しましたね。いや、あの時のつらさは尋常じゃなかった(笑)。

でも、別れがあれば、出会いあり。今は「こういう人に自分もなりたいな」と思える先輩の方々にめぐり合えています。信仰を地で行く人たちです。聖書の学びには熱心な方々です。

今私が参加している群れは、日曜日の朝と夕の礼拝、水曜日の午後と夕の勉強会、人によっては日曜日の夕方は個人宅へ集まって学び会を持っています。私はそういうところでキリスト者として数年間育ちました。

だから、今の沙耶香さんの状況(牧師に時間をとってもらえないにしても、掲示板に頼っていることにしても)が、とても不思議に思えてしまいました。でも、これは世間知らずの意見かもしれません。

沙耶香さんに交わりの豊かさが与えられるように、その導きが与えられるように、祈ります。

他のクリスチャンとのつながりを求めるのは、信仰者として自然なことですから。

重ねて、返信ありがとうございました。状況がずっと詳しく把握できたと思います。

No.3244 2007/10/16(Tue) 12:08:33

Re: 沙耶香さんにお伺いします。 / 沙耶香 引用

>>ほかの教会、というのは、群れに属する他の地方の教会という意味ですか?お伺いした内容を見ると、全国規模の群れのようですね。同じ群れに属する教会は、近辺にありますか?

ほかの教会というのは、群れ以外の教会です。うちの教会の群れで、そういうことをする教会があるのかどうかは知らないです。前に結婚詐欺にあったときに、うちの牧師はあまり電話や会ってカウンセリングを受け付けてくれないし、そのことでほかのクリスチャンからの助言も受け、ほかの教会に電話したり、送迎してくれる教会に連れて行ってもらっていたときがありました。礼拝日以外に、他教会で親切でいい牧師の教会に行っていた時期があります。その教会ではそういう聖書の学びの会が週に何度か、あったと思います。
3箇所くらい他教会に行きましたが、3人目の牧師にあまりあっちこっちしないほうがいいといわれ、元々私は一つのところに一生というのが方針なので、今の教会に帰ってきました。
その後、私は今の教会ではないといけないという重大な理由ができてしまったし、ずっと今の教会にいてよかったと思っています。

>>何だか、切羽詰ったぴりぴりした雰囲気が伝わってきますね。そういう状況はいつごろ始まったのですか? ここ最近のことですか? それとも長い間続いている状況なのですか? 牧師がCDの作成を終えたら、時間を取ってもらえそうな感じはしますか?

喉や気管を痛めたのは、去年の8月の初めころでそのころから祈祷会に来てはいけないといわれてずっと今にいたっています。お忙しくなられだしたのは、去年の11月ころにギターの男性伝道師が辞められたころからです。その後にギターの補佐役だった男性も別の教会に移ったというのと、群れの長老からギターを弾いてみたらと言われて、イエス様が長老を通していっているのか確認したあとで、ギターを購入し、その後、礼拝の賛美の時間もすべてギター初心者の牧師が弾いています。

>>今私が参加している群れは、日曜日の朝と夕の礼拝、水曜日の午後と夕の勉強会、人によっては日曜日の夕方は個人宅へ集まって学び会を持っています。私はそういうところでキリスト者として数年間育ちました。

これは相当の祝福だと思います。羨ましいです。

>>重ねて、返信ありがとうございました。状況がずっと詳しく把握できたと思います。

こちらこそいろいろ私のことを心配してくださって感謝します。

No.3248 2007/10/16(Tue) 18:12:55

Re: 沙耶香さんにお伺いします。 / BISKO 引用

沙耶香さんこんにちは。

過食症は、少しは改善しましたか?
ご健康であられることを願っています。


>私は今の教会ではないといけないという重大な理由ができてしまったし、

僭越とは思いますが、それがどのような理由なのか、差し支えなければ教えて頂けませんか? 


>ずっと今の教会にいてよかったと思っています。

それは良かったですね。

私は、自分の教会を考えた場合、すこし逆の気持ちがします。
いずれ、別れるときが来るんだろうな・・。と。
別れるというのは決別とか、不満だからとか、喧嘩別れとかいう意味じゃなくて、自分がいくらそこに居続けたいと願っても、神様が別の場所へと私を遣わされてゆく時が、きっといつか来るんだろうなと思う、ということです。

でも、そのように、新しい場所へと歩みだす「勇気」は、ある意味、自分を自由にしてくれるものです。

あ、あと、別の場所にも書いたのですが、沙耶香さんの聖書の読解は、かなり進んできていると拝見しています。 寄せられる質問の数々は、私も「私にもそれは判らない。でも判らないままで良いと思っている」というレベルのものです。

だから、質問を見るたび、「気にせず、そのまま読み続ければ良いんじゃないかな?」と思わされています。一年前とは、ずいぶん違いますね。

聖書は何百年も研究され続けながら、今でも学者達を悩ませている書物です。 そのような書物の隅から隅まで正確に理解する必要は、実は無いと、私は思っています。

No.3253 2007/10/17(Wed) 10:33:22

Re: 沙耶香さんにお伺いします。 / 沙耶香 引用

BISKOさん、返信感謝します。

摂食障害は相変わらず続いていますし、心身ともにあまり健康とはいえないけれど、でもイエス様が働いてくださっているので、イエス様とともにいろんな祝福や恵にありつきながら今日も生きています。イエス様素晴らしいですね・・・

>>僭越とは思いますが、それがどのような理由なのか、差し支えなければ教えて頂けませんか?

うーん、それはこのような公の掲示板でいえるようなことではないですが、前に掲示板でそういう気持ちをつづっていたことがありましたがほかのクリスチャンの信仰の妨げになってはいけないし、ノンクリスチャンから、クリスチャンの品位を疑われてもいけないので・・・最近はそういうことを言うのは極力避けています。でも教会に行っているとよくあることだと聞きます。

うん、なかなか聖書を理解するのはかなり難しく、本を読むのが苦手で、理解できない私には読んでも何かいているのか、何が言いたいのか全く分からない。だから聖書から遠ざかりがちだったものを管理人様がこの掲示板を使って感想や質問を書き込んでくれたらいいからとおっしゃってくださって、朝と夜読める習慣がつくようになりました。
神様と管理人様とそしてこの掲示板にかかわるすべての皆様に感謝しています。 

No.3255 2007/10/17(Wed) 11:03:11
管理人さんの基本的考えは? / BISKO 引用

管理人さん。

#3231への返信です。目立つように、別レスを立てます。

まず最初に一つお伺いします。管理人さんご自身は、あくまで沙耶香さんをこの掲示板にとどめておきたい、この掲示板をメインに学んで欲しい、と言うのが基本的な指針ですか? それならば、それはまずハッキリとそう仰ってください。 その場合、私は一連の問題(というよりこの掲示板自体)から手を引き、今後感知しません。

そういうわけではない、という事であれば、以下の意見には何か意味があるかも知れません。

>僕の感覚では、教会の牧師に対し、学びの会など教会の牧しかたに関して、部外者が提案したり

「要請」という言葉は、誤解を招く強い言葉だったと思います。すみませんでした。  私が言おうとしたのは、牧師に学びの会をもつべきだと提案するのではなく、学びの場を作ってもらえないかと「お願いする・依頼する」ということです。
そのお願いと依頼自体は、私たちの分を超えたことだとは思いません。その結果、牧師がそれを承諾なされなければ、次の対策へ移行するまでのことです。

>教会員をほかの教会の学びの場所に送るように提案するのは、自分の分を超えていると感じます。

それが分を超えたことなら、この掲示板も分を越えていますよ?  この掲示板での聖書通読は、沙耶香さんが教会で学びの場が得られないから、「やむを得ず」行って居る事なのでしょう?それが「教会を補完する」ことの意味ですから。

その意味では、他の教会に行くにしても、掲示板に来るにしても、本質的には同じことではないですか? 

>BISKOさんは、信頼できるサイトをご存知ですか。

現時点では、存じません。少し調べて見ましょうか・・・。

>もう一人の協力者の方にはメールをしましたが、多忙なので、解釈のチェックは時間的に無理だと思います。

その方の回答も待ちましょう。 しかし、管理人さん。実質が伴っていない肩書きは、この際、はずした方が良いのではありませんか? 

>沙耶香さんに、教師ではなくて、信仰の先輩として、時間の許す範囲で質問に答えていただけませんか。

繰り返しになりますが、私がこの掲示板で沙耶香さんを教えるのは、基本的に遠慮させていただきます。理由は、以下の内容に関連しています。

>教師としてしか答えられない質問については、牧師に聞いてみてください、ということで良いのではないでしょうか。

つまり沙耶香さんの学びの場において、この掲示板が「メイン」で、牧師への質問が「サブ」という構成になっている訳です。 私は、そのようなインターネットの掲示板がクリスチャンとしての聖書の学びや交わりの「メイン」になってしまうような活動には、基本的に賛同しません。 

私の基本的な指針は、沙耶香さんに、インターネットではなく、人と直接的に面と向かって学びあう場を「メイン」としてぜひ得て欲しい、という考えです。 この掲示板での交わりは、沙耶香さんにとおて「サブ」となるべきだというのが、私の基本的な考えです。(そうでなければ「補完」にはなりません)

ですから、この掲示板で沙耶香さんが学びを継続するということを助長したり、問題を引き伸ばしたりするだけのような協力は、しません。

>BISKOさんが、しばらくの間、回答してくださる場合、チェックは、初心者ながら、僕がさせていただいて、

初心者が、初心者の回答をチェックして、どうするのですか?私の立場について、未だ誤解があるようですが、(少なくともこの掲示板の場において)私は人を教えられるような立場にあるとは考えていません。 私BISKOが、この掲示板で沙耶香さんを教えたり、その手伝いをするという可能性は、考慮しないでください。

No.3235 2007/10/16(Tue) 02:07:20

Re: 管理人さんの基本的考えは? / 大垣 引用

BISKOさん、レスに感謝します。

この掲示板の基本方針は、来られた方には、祈りのなかで、何かできることがないか考える。去られる方は、追わない、ということです。良いサマリヤ人は、自分のそばで倒れている人を、そのままにはしなかったし、することをした後は、宿屋の主人にまかせ、自分は身をひきました。そのような行いが目標です。

沙耶香さんの書き込みでも分かると思いますが、聖書の学びについて、沙耶香さんは、牧師と何度も話しあい、教会での神学校で学ぶこととも牧師と相談されてきました。学びの会がそれでも始まっていないのは、教会の事情があると思います。それが分かっていて、牧師にそのような依頼をすることは、僕は自分の分を超えたことだと感じます。

>それが分を超えたことなら、この掲示板も分を越えていますよ? 

バプテスマと聖餐式と礼拝をする教会は、とても特別なところですから、教会と掲示板は全く違う場だと思います。神さまのお導きで特定の教会にすでに通っている人に、ほかの教会での学びの会に参加するように薦めるのは、大きな問題があると思います。自分の教会に不満があれば、すぐ教会を変わるような行動を薦めることになりかねないと危惧します。

掲示板ではバプテスマも聖餐式もできませんから、そのような場で、教師ではなく、信仰の先輩として、教会では答えきれないだけの質問に答えるようにすることと、他の教会に行くことを薦めることは、本質的に全く違うことだと思います。

>しかし、管理人さん。実質が伴っていない肩書きは、この際、はずした方が良いのではありませんか? 

前にも書きましたが、今は、もっと優先すべきと思う課題を検討していますので、それが終わるまで、回答は遠慮いたします。

>現時点では、存じません。少し調べて見ましょうか・・・。

お時間がありましたら、ぜひ調べていただければ幸いです。

>つまり沙耶香さんの学びの場において、この掲示板が「メイン」で、牧師への質問が「サブ」という構成になっている訳です。 

そうではありません。現実の世界で、他の教会員が、BISKOさんに聖書について、何か質問されたことは、今までにありますか?もし、あれば、そのときには、何か回答されましたか?たとえば、「うなじがこわい」とはどういう意味か質問されて、それについて知っていることを答えて、「恵みとは何でしょうか」と質問されて、「牧師に聞いてみてください」と答えたとしたら、牧師よりも、BISKOさんがメインということになるでしょうか?

>この掲示板での交わりは、沙耶香さんにとおて「サブ」となるべきだ

全く同感です。

No.3237 2007/10/16(Tue) 02:42:31

Re: 管理人さんの基本的考えは? / BISKO 引用

>それが分かっていて、牧師にそのような依頼をすることは、僕は自分の分を超えたことだと感じます。

私には、その事情が判っていませんでした。今、自分で確認を取ろうとしているところです。

>バプテスマと聖餐式と礼拝をする教会は、とても特別なところ

私が、沙耶香さんに他の教会への参加を勧めることがあるとすれば、それは聖書の学びの場を見つけるという目的に限定したことです。学びの場が無いなら、やむを得ず、他者(他教会)へと足を向けるしかないじゃないですか。


>教会では答えきれないだけの質問に答えるようにすることと、他の教会に行くことを薦めることは、本質的に全く違う

これは確かにそうですね。


>>現時点では、存じません。少し調べて見ましょうか・・・。
>お時間がありましたら、ぜひ調べていただければ幸いです。

時間を割くことは良いにしてても、まず確認させていただきたいことがあります。前の書き込みで質問させていただいたことです。

「管理人さんご自身は、あくまで沙耶香さんをこの掲示板にとどめておきたい、この掲示板をメインに学んで欲しい、と言うのが基本的な指針ですか?」


>BISKOさんに聖書について、何か質問されたことは、今までにありますか?もし、あれば、そのときには、何か回答されましたか

そういうことはありますが、それはいつも、その質問をする人に教会での学びの場がすでに与えられている場合だけでした。

「自分の教会には学びの場が無いならら、代わりに私と学びましょう」という姿勢で回答をしたり、学びの場をメールやBBSで造ろうとしたことは、ありません。正直、そのようなことをするのは、私には荷が重過ぎるのです。

管理人さんの仰りたいことは、判りますが、この掲示板は沙耶香さんにとっての学びの場として事実上「メイン」になっていることは、状況的な事実です。沙耶香さんには教会で学びの場が与えられていないからです。

No.3240 2007/10/16(Tue) 03:26:41

Re: 管理人さんの基本的考えは? / 大垣 引用

>「管理人さんご自身は、あくまで沙耶香さんをこの掲示板にとどめておきたい、この掲示板をメインに学んで欲しい、と言うのが基本的な指針ですか?」

僕自身は、沙耶香さんが、御心の場所で学び、イエスさまに近づいていかれますように、と祈り願います。それが基本方針です。それが、この掲示板でなかったら、いやだとかいうことは全くありません。

>学びの場が無いなら、やむを得ず、他者(他教会)へと足を向けるしかないじゃないですか。

他に、その人に適した、より良い方法がないと断言できるでしょうか?

>それはいつも、その質問をする人に教会での学びの場がすでに与えられている場合だけでした。

もし、聖書の通読の場が与えられていない教会をBISKOさんが訪問されて、聖書について「うなじがこわい」とは何でしょうか、と質問を受けたら、答えられることもありますか?もし、答える場合もあるとすると、そういう場合と、掲示板では、どのような本質的違いがあると思われますか?

>沙耶香さんにとっての学びの場として事実上「メイン」になっていることは、状況的な事実です。

そうでしょうか?聖書通読だけが学びではないと思いますが、どういう知識によって、「事実」と断言できるでしょうか。

No.3241 2007/10/16(Tue) 03:43:38

Re: 管理人さんの基本的考えは? / BISKO 引用

>聖書通読だけが学びではないと思いますが、どういう知識によって、「事実」と断言できるでしょうか。

もちろん聖書通読だけが学びではありません。

しかし、私が言っているのは、沙耶香さんの聖書通読と、その聖書通読に伴う、きちんとした指導と学びの必要を、この掲示板が「メイン」で満たそうとしている現状についての批判です。

>もし、聖書の通読の場が与えられていない教会をBISKOさんが訪問されて、聖書について「うなじがこわい」とは何でしょうか、と質問を受けたら、答えられることもありますか?

まず、「それは【頑固】というくらいの意味で私は理解してます」と答えます。(笑)

>もし、答える場合もあるとすると、そういう場合と、掲示板では、どのような本質的違いがあると思われますか?

私が聖書通読の場が与えられていない教会を訪れ、そこで何らかの質問を受けて答えたとします。

そこまでは、掲示板での回答となんら本質的に変わりありません。誰かの質問に答えた。それだけのことです。

問題は、その次です。 

私は次いで「そういうことについて学ぶ機会はもたれていないのですか?」と問うでしょう。 そして、「そういう場は無い」と答えが返ってきた時、「それなら私がインターネットで掲示板を立ち上げますから、そこでみんなで学びましょう。」とはなりません。

そのような活動を求められても、私は断ります。「現地の、他教会の助けを借りながらでも構わないから、出来る限り教会員の皆様でがんばって学びをしてください。」と勧めるでしょう。

質問に答えるということ自体に関しては、私がどこかの教会を訪れた場合と、この掲示板で何かに答えた場合とで、本質的に何も変わりません。

しかし、その後、彼らの学びの場として、どのような環境が形成されてゆくことを望むかに関して考える場合、私にとってはインターネット掲示板は「応急処置」の域を出ないもの(基本的には、いずれ不要になってゆくべきもの)です。

沙耶香さんのような状況を考えると、活動に制限のある教会の補完は必要だと思いますが、それはインターネット掲示板が果たすべき役割ではない、というのが、根底にある考えです。

その意味では、掲示板で質問に答えるということと、教会を訪れてそこで質問に答えるということとは、ぜんぜん違います。

No.3242 2007/10/16(Tue) 07:44:49

Re: 管理人さんの基本的考えは? / 大垣 引用

教会は長期的似信仰者のいるべきところで、掲示板は応急処置ということは、全く同感です。入信施設のととのった病院に対し、救急だけのための医療院といえると思います。たしかに、そういう性質の場でするべきことと、してはいけないことを、クリスチャンとして掲示板に参加するときは、祈りの中で考えていくべきだと思います。

この場合、これはしてよい、これはしてはいけない、と初めから決めつけてかかると、個々の場合に最適な方法を見つけるためになることが多いと思います。

沙耶香さんの教会の場合、聖書を読む箇所が毎日決められているそうなので、自分で聖書を読めるようになった信仰者なら、教会の兄弟姉妹との学びが十分可能だと思います。また、沙耶香さんが、掲示板で、その決められた箇所を読めるようになると、教会での兄弟姉妹との学びと交わりがしやすくなると思います。このことについては、沙耶香さんの牧師と相談しましたが、イザヤ書など、イスラエルの歴史を知らずに読むのは難しい書から読む箇所が選ばれることも多いので、今のところは、通読を進めるのが良いだろう、ということになりました。

神を信頼するなら、あせらない、ということが重要だと思います。救急医療が長くかかる場合もあれば、すぐに終わる場合もある。掲示板での学びが、応急処置であっても、それがどのくらいの期間になるかは、場合によって違ってくると思います。

No.3245 2007/10/16(Tue) 12:20:49

Re: 管理人さんの基本的考えは? / BISKO 引用

>自分で聖書を読めるようになった信仰者なら、教会の兄弟姉妹との学びが十分可能だと思います。

??
沙耶香さんが教会で聖書の学びが持てないのは、沙耶香さんの読解力や知識が原因だったんですか? 教会員のだれも、彼女のために時間を割いてやれないというのが原因だったと思いますけど?

>また、沙耶香さんが、掲示板で、その決められた箇所を読めるようになると、教会での兄弟姉妹との学びと交わりがしやすくなると思います。

これは管理人さんの想像ですか? それとも沙耶香さんご本人や、牧師や、他の方々からの意見ですか?

なんだかまた話がややこしくなってきそうです。必要の無い想像は持ち込まない方が良いのでは・・?


>このことについては、沙耶香さんの牧師と相談しましたが、

その相談は、何時のことですか?
最近のことですか?
何年も前のことですか?
・・・状況がつかめません。


>救急医療が長くかかる場合もあれば、すぐに終わる場合もある。

それはそうですね。しかしリハビリは病床より立ち上がることから始まります。

すこし過去ログを調べたのですが、沙耶香さんが聖書通読を始められたのは、ちょうど去年の今頃です。

考えてみれば、ずいぶん長い間です・・・。

No.3247 2007/10/16(Tue) 13:05:23

Re: 管理人さんの基本的考えは? / 大垣 引用

>沙耶香さんが教会で聖書の学びが持てないのは、沙耶香さんの読解力や知識が原因だったんですか? 教会員のだれも、彼女のために時間を割いてやれないというのが原因だったと思いますけど?

まず、誤解のないように書いておきますが、僕は沙耶香さんが、キリスト者として、いろいろな試練を受けながら、信仰を深めてこられたのを感じていて、とても自分にはできないことだと思っています。心の病や体調不良に苦しんだり、キリスト者として、家族からまで迫害を受けたりしたら、自分ならどうだろうか、と考えます。沙耶香さんを造られ、信仰によって、沙耶香さんの中におられるイエスを侮るつもりは全くありません。

また牧師はメールでの連絡だけでも、イエスさまの香りを感じさせてくださる素晴らしいキリスト者だと感じています。牧師としてどれだけの試練を受けてこられたか、今も試練があっても、どれほど誠実に主イエスに仕えようと教会を牧しておられるか、多くを語られなくとも、感じます。

その上で、沙耶香さんが、なぜ、そのような素晴らしい牧師のおられる教会での交わりだけで満足されず、掲示板に来られたかということを考えたいと思います。入信してからしばらくは、「活字アレルギー」のため、聖書を読んでも、ほとんど分からず、読み進むことができなかったそうです。読み始められてからも、いろいろな質問があるということ。本を読む習慣がなく、入信して間もない沙耶香さんなら、それは当たり前のことだと思います。

ところが、沙耶香さんの教会では、神学校に通うような教会員が中心で、まだ聖書を一人で読み進むことの難しい沙耶香さんの多くの質問に全て答えるような対応は時間的にできないようです。

教会で、教会員が聖書を読む箇所を毎日決めておられるのは、僕は、その箇所について、教会の兄弟姉妹で語りあい、学びあうのがひとうの目的であると理解しました。それで、沙耶香さんが掲示板で聖書を読まれる箇所を、そこにあわせたりするような協力関係が良いのだろうかと考え、沙耶香さんの牧師と今年の8月上旬に相談しました。

>それはそうですね。しかしリハビリは病床より立ち上がることから始まります。

そうですね。今、一番、沙耶香さんに必要なのは、自分の教会以外の聖書解釈ではなくて、沙耶香さんに今までに神さまが与えられたものを活用して、どういう風に自分ひとりで聖書を読んでいくか、ということだと考えるようになりました。

No.3251 2007/10/17(Wed) 06:31:38

Re: 管理人さんの基本的考えは? / BISKO 引用

管理人さん。

>沙耶香さんを造られ、信仰によって、沙耶香さんの中におられるイエスを侮るつもりは全くありません。

誰もそんなこと言ってませんけど・・・? なんでそんなことを話題に出すのですか?

>教会で、教会員が聖書を読む箇所を毎日決めておられるのは、僕は、その箇所について、教会の兄弟姉妹で語りあい、学びあうのがひとうの目的であると理解しました。

その「目的」は、牧師および教会員の方々に確認された上でのことですか?それとも管理人さんの想像ですか?

どこまでが確認された事実で、どこまでが管理人さんの想像・予想なのか、曖昧です。

ご自分の想像に基づいて、「教会はこういうことを目的にしている」と決めて、その決めたことに基づいて何かをして、それが「教会のため」であるというのは、スジが通りません。


>今、一番、沙耶香さんに必要なのは、自分の教会以外の聖書解釈ではなくて、

他教会へ行くということが、聖書解釈の問題なのですか? また話がずれ始めてませんか?

私について言えば、私は沙耶香さんが他教会へ足を向けられることがあるとすれば、それは異なった聖書解釈を聞きに行くためではなく、現実に面と向かって聖書を学び合い、信仰について語り合える仲間を得て欲しいという願いによるものです。


>沙耶香さんに今までに神さまが与えられたものを活用して、

・・・「沙耶香さんに神様が与えられたもの」を活用する・・・。例えばこの掲示板とか・・・?

>どういう風に自分ひとりで聖書を読んでいくか、ということだと考えるようになりました。

それは少し違うのではありませんか?沙耶香さんご本人の希望と、かけ離れてませんか?

沙耶香さんが今ご希望なのは、彼女に聖書を解き明かす時間をとってくれる人、また共に学びをすることの出来る実際の「誰か」の存在でしょ?

>そのうち必要なら神様がきっと私にも実際に必要な兄弟姉妹をどこからか連れて来てくださると信じて期待して感謝します。【沙耶香さんのお言葉。3243より引用】

また、これは私の主観的な印象ですが、沙耶香さんは聖書をすでに一人で読むことが出来ます。 ここ最近の質問の内容を見れば、それはお分かりだと思います。 

私が沙耶香さんの聖書に関する質問への直接の回答を控えている理由の一つはは、彼女の質問が「僕にもわかりません。でも今は判らなくて良いと思ってます」というレベルに達している質問だからです。 自分にもわからないことを、相手に教えてどうする?と思うからです。

No.3252 2007/10/17(Wed) 10:18:17
教会の補完、ですか。腑に落ちません。 / BISKO 引用

3219へのレスです。

(沙耶香さん、管理人さんの聖書通読への回答が滞ってしまっているようすが、それは私のためです。ご容赦ください。)


CFIは実質上管理人さんの個人活動になっているようですね。

それならそれで、この際、完全「個人活動」として再出発すれば良い気がするのですが。

そっちの方が、ずっと、すっきりしませんか(誠実に見えませんか?)?


>沙耶香さんは、かなり苦労して聖書を読んでおられるので、質問に答える人が必要だと思います。

確かにそのようですね。でも、その苦労は、ご本人が仰っておられるような読解力の欠如や活字アレルギーのせいでは無い気がします。

現在のように、一節一節の意味を深読みしながらの読み方では、一日に一章聖書を読むのは かなりのハイペースです。苦労するのは当たり前だと思うんですけどね。

私自身、他の方々とバイブルスタディをした時は、一週間に多くて一章のペースでした。 かつ各々のクラスを準備するためには、最低でも4時間から5時間の準備が必要でした。それでも毎週ギリギリの状態でした。

管理人さんは、沙耶香さんの聖書通読のために、それだけの時間を毎日割けますか? あるいは、そのような時間をかけずとも、十分な指導が出来るだけの知識とご経験をお持ちでしょうか?

あと、管理人さんは、何かを読んだとき、それを学術的に、また理論的に解釈しようとする習慣が身についている方だと思います。

でも、そのような読み方が沙耶香さんに必要である(適している)とは、一概には言えません。

沙耶香さんには、沙耶香さんなりの、聖書の読み方がある筈です。もっと、フィーリング重視で読んだって良いんです(間違った解釈を振り回す結果にならなければ)。

そこに、管理人さんのような、学術的、理論的な読み方を持ち込んでしまうので、沙耶香さんが必要以上に「聖書はむずかしい」と感じてしまう原因があるのかも知れないと感じています。

・・・もっと自由に(今あるところを出発点として、ゆっくりと、判る範囲で)読めば良いのに、と、よく思います。


>BISKOさんが質問に答えてあげてくださいませんか。

申し訳ありませんが、私はその役割は遠慮させて頂きます。

理由は、私は、そのような立場に無いという事です。

私は教師の立場には安易に立ちたくない、というのが先ず一つ。これについては既に言及してきました。

もう一つは、沙耶香さんは基本的に、沙耶香さんが学んでおられる牧師、そして沙耶香さんが属しておられる群れの中で学ぶべきだと思うからです。それがいかに遅々としてても、人数が少なくとも、です。

そのような聖書の学びの場を信者に提供することは、沙耶香さんと出会うように導かれた、教会がするべきことだと思うからです。

そのような場に沙耶香さんが参加するように(沙耶香さんや教会を)促し、必要な助力を提供するのが、「教会を補完する」活動としての本来の「あるべき姿」だと思うからです。

「教会がダメだったら、こっちにどうぞ。」見たいな活動には、私は賛同しませんし、その活動を支える協力者になりたいとも思っていません。

あと、CFIの公式の協力者という立場の方々が既に居られるのですから、まずはその方々に協力を求めるのが筋(すじ)だと思うんですが。

No.3222 2007/10/15(Mon) 05:12:58

Re: 教会の補完、ですか。腑に落ちません。 / 大垣 引用

BISKOさん、沙耶香さんの質問への回答するということを、検討していただいてありがとうございます。引き受けていただけないという結果は残念ですが、理解します。また、貴重なさまざまな助言にも感謝します。

ただ、質問に答えるということは、教師の立場に立たずとも、対等の主にある兄弟姉妹としてイエスさまの恵みに頼れば、できるのではないでしょうか。エルサレムの教会が経済的に恵まれなかったとき、諸教会から金銭の援助がありましたが、それは、諸教会が上に立ったということではなく、霊的に豊かだったエルサレムと対等の立場で助け合い、励ましあったと思います。

ひとつの教会が、独立してすべてのことをしないと問題があるのではなく、もともと、信仰者全体が、ひとつの体として働くことが御心である、というのがこの掲示板のヴィジョンです。そこで、教会の活動の補完が、この掲示板でもさせていただけるのではないか、と考えています。

No.3223 2007/10/15(Mon) 06:22:33

Re: 教会の補完、ですか。腑に落ちません。 / BISKO 引用

管理人さん。

ピンクの文字はちらついてすごく読みづらいです。

>対等の主にある兄弟姉妹としてイエスさまの恵みに頼れば、できるのではないでしょうか。

私は、そのように、最初から「イエス様の恵みに頼れば」と、自分の能力の欠けを無視するような事はしたくありません。私の知的良心の問題です。

>エルサレムの教会が経済的に恵まれなかったとき、諸教会から金銭の援助がありましたが

誰かの欠乏を即座に満たすことが、その人を助けていることと同じとは限りません。

>ひとつの教会が、独立してすべてのことをしないと問題があるのではなく、もともと、信仰者全体が、ひとつの体として働くことが御心である、というのがこの掲示板のヴィジョンです。

そのヴィジョンは大いに結構ですが、教会の面々に実際に会ったことも無い人物が、ある個人と教会との間に介入することにより、結果的にその個人と教会とのつながりを阻害する結果を招く、という可能性をも視野に入れた上での、節度のある活動がなされているでしょうか。

そのネガティブな結果の可能性を考慮にも入れていないなら、「教会がダメだったら、こちらへどうぞ。」という、おおよそ教会の「補完」とは程遠い活動をする結果になりかねませんよ。

>そこで、教会の活動の補完が、この掲示板でもさせていただけるのではないか、と考えています。

「補完」とは、不十分なところを補って、全体として完全にすることを意味します。

それは沙耶香さんにとっては、現在通っておられる教会では不十分な部分を、
「この掲示板で得る」という事かも知れませんし、
「掲示板に頼らず、自立して獲得する」という事かもしれませんし、
「今の教会に変わってもらって得る」事かも知れませんし、
「他の教会との交わりを通して得る」ということかも知れません。

・・・補完、と一言で言っても、手段や方策は色々考えられます。この掲示板で聖書通読をしているから、それが教会の補完になっていると自動的になるわけでは無いと思います。

これは繰り返しになりますが、私が問題視しているのは、キリスト教に関しては初心者である管理人さんが、同じく初心者である沙耶香さんから、まるで教師のように信頼されてしまっているというアンバランスな現況にあります。

「現時点で教会で提供されていない、聖書の正しい学びを沙耶香さんに提供する」という「補完」が本当に目標であるならば、このようなアンバランスは放置されるべきでは無いと思います。

ところで、思うのですが、管理人さん。

もし管理人さんが、この掲示板で、「ただのおじさん」として、他の方々と和気藹々に会話をされていただけなら、私がこのように批判の意見を書き込むことはたぶん無かったことと思います。

経済学教授という肩書き。学問的用語の不正確・不確実な濫用。真理、絶対視、神、全知全能、恵み、愛。そういう言葉の列挙。あれこれのミニストリーという看板。正式な協力者が居るという肩書き。教会との連携と、その補完という大それたヴィジョンの看板。でも実際は個人活動の域をまったく出ていないというその変なギャップ。

こういった要素は、管理人さんと管理人さんのここでの活動に対する、私のクリスチャンとしての信頼に影を落としているのです。大きな言葉、用語、理念が飛び交うほど、かえって信頼できなくなるのです。

この掲示板の他の読者の方々は違ったお考えをお持ちかも知れませんが。

No.3224 2007/10/15(Mon) 09:38:33

Re: 教会の補完、ですか。腑に落ちません。 / 大垣 引用

今は、ほかのことよりも、優先課題として、沙耶香さんの聖書通読中の質問について、どうするのが良いか、検討することに時間を使いたいと思います。僕の知っているかぎりでは、沙耶香さんの通っておられる教会では、沙耶香さんのいろいろな質問に答えるような時間のある人はおられないようです。沙耶香さんが聖書の通読で、質問があって、困って来ておられる以上、ほかの場所に送ることを考えるよりも、この掲示板の参加者に与えられたタラントで、自分たちの分を超えずにできることがないか、まず考えてみるのが、良いのではないでしょうか。

今のところ、次のような方法を考えています。僕が教師ではなく、対等な信仰者として、沙耶香さんの自立を目標として、インターネットや、沙耶香さんの持っておられるチェーン式の聖書などで調べる方法を中心に、質問に答えていく。

BISKOさんはどう思われますか。

No.3226 2007/10/15(Mon) 11:36:47

Re: 教会の補完、ですか。腑に落ちません。 / BISKO 引用

管理人さん。

誰かが会社で昇進するのは、なぜでしょうか。それは、その人に、他の人を束ね指導してゆくに足る知識と経験がある、と、上司が認めるからです。

昇進したから能力があるのではなく、能力があるから、昇進するのです。

自分で自分の能力を認めて、それを上司に押し付けて昇進するのではありません。

他者、特に自分より経験豊かで権威のある他者に能力を認められることにより、昇進するのです。

私にとっては、これが、「タラントを用いる」ということの本質的な意味です。

自分にこれこれのタラントがある。だから、キリストのために何かをする。・・・そうでは無いのではありませんか?

むしろ、キリストが自分を導かれ、そして遣わされた場において謙虚に生き続ける中で、確かに実を結んだ何かを体験することにより、自分に与えられたタラントを次第に認識してゆくのではありませんか?

自分にはこの掲示板を管理するタラントがあると認めているのは、管理人さんご自身です。そのように、自分にはこれこれのタラントがあると最初から決めているのは、私には「世的な自己満足」に見えます。

同じように、自分はこの掲示板を通して沙耶香さんを助けるべきだ、という結論が先に立っています。 その先取りされた結論を出発点として、他の選択肢を排除しているように私には見えます。


>僕が教師ではなく、対等な信仰者として、…中略… 質問に答えていく。

「僕が答えてゆく」という所を出発点としている以上、私が何かを言っても何も変わらない気がしてきましたが。


>BISKOさんはどう思われますか。

BISKOはこう思います。

前提)沙耶香さんに、この掲示板での学びは必ずしも最善とは限らないことを説明し、質問への答えは、しばらくの間、我慢してもらう。(もし、それが出来ないのであれば、それはこの掲示板において私が指摘した問題について、それが問題だと管理人さんは本当は思っておられないということなので、私は意見をはさむ余地はありません。どうぞ、何でも自由に好きなようにやってください、ということになります。)

その上で、

◇沙耶香さんの通っておられる教会の牧師に改めて連絡を取り、聖書を学ぶ時間をとってもらうことを要請する。(週1〜2回。一回あたり、1時間程度。)

◇牧師への要請が断られた場合、公式の協力者2人に掲示板への定期的な参加とチェックを要請する。少なくとも、一人が一人に答え、だれもその解釈をチェックしない、という構図は撤廃する。

◇牧師および公式の協力者の協力が得られない場合、牧師に沙耶香さんご自宅の近辺の教会を紹介してもらい、そこでの聖書の学びの機会があるかどうか調査する。学びの場が見つかれば、沙耶香さんは、そこへ行く。

◇同時に、インターネットで近辺の教会の調査を行い、同様に学びの場があるかどうか調べる。見つかれば沙耶香さんはそこへ行く。

◇それでも良い場が見つからない場合、インターネット上で、他の信仰暦の比較的長い経験者の運営するサイトで良い場所が無いかどうか調べる。 見つかれば、質問に対する正確な回答を必要とする学びの場は、そこに移す。

◇以上の方策がダメで、管理人さん個人の答えが余儀なくされた場合、他の教会の牧師、神学大学の講師等、きちんとしたキリスト教と聖書の知識に基づいて他を教える経験を有している人に参加を依頼し、掲示板でのやり取りをチェックしてもらう。

◇それでもダメなら、今のまま、今の形式のままで構わないので、活動を継続する。

あくまで、私が思うことです。 でも、この掲示板以外の方法で沙耶香さんを助けるということを考えたら、少し考えただけでもこれくらいのアイディアはすぐに出てきます。

No.3227 2007/10/15(Mon) 12:17:14

Re: 教会の補完、ですか。腑に落ちません。 / 大垣 引用

BISKOさん、貴重な助言をありがとうございます。ご提案されたことを慎重に検討します。

僕の感覚では、教会の牧師に対し、学びの会など教会の牧しかたに関して、部外者が提案したり、教会員をほかの教会の学びの場所に送るように提案するのは、自分の分を超えていると感じます。BISKOさんはどう思われますか。

ほかのインターネットのサイトですが、僕は仕事も多忙で信頼できるサイトを探すような時間はとてもとれませんが、BISKOさんは、信頼できるサイトをご存知ですか。

協力者の一人は、1年前くらい前の時点でインターネットでの活動を控えておられて、現在は国際電話以外では連絡がとれない状況です。もう一人の協力者の方にはメールをしましたが、多忙なので、解釈のチェックは時間的に無理だと思います。また、現在の掲示板の状況や問題点について理解していただくまで、かなり時間がかかると思います。

こういう状況で、BISKOさんに提案です。BISKOさんは、信仰の先輩として、僕にいろいろ助言をくださっています。その助言の結果として、今、僕は、今は、この掲示板のあり方について検討中で、沙耶香さんの質問に掲示板で答えられない状況です。

検討にはしばらく時間がかかると思います。それで、検討が終わるまで、あるいは、ほかに質問に答える方が現われるまで、沙耶香さんに、教師ではなくて、信仰の先輩として、時間の許す範囲で質問に答えていただけませんか。時間のたりない場合、教師としてしか答えられない質問については、牧師に聞いてみてください、ということで良いのではないでしょうか。

BISKOさんが書かれたように、回答について、誰かほかの人がチェックするということは、とても重要だと思います。それで、BISKOさんが、しばらくの間、回答してくださる場合、チェックは、初心者ながら、僕がさせていただいて、疑問点があれば、質問させていただく、ということでいかがでしょうか。

No.3231 2007/10/15(Mon) 18:43:44
かいつまんで、最後に一言 / BISKO 引用

管理人さん。

私が言いたいのは、次の四点です。

1)聖書解釈は、知的誠実さをもって慎重に書いてください。

2)ご自分の慎重さの欠けについて、神様の深遠な知識を理由に、言い訳をしないでください。

3)ご自分が、初心のキリスト者を教えるに足る、十分に訓練された教師としての資質があるかどうか、考え直してください。

4)自分は教師であるつもりは無い、と仰る場合、この掲示板の状況(現況)を考えてください。

私自身は、1)〜3)を自分に当てはめたとき、とてもではありませんが、このような掲示板で自分の聖書解釈を書き連ねる気にはなれません。

この差が、私と管理人さんとの間の、埋まらない差なのかもしれません。

No.3207 2007/10/13(Sat) 12:45:34

Re: かいつまんで、最後に一言 / 大垣 引用

BISKOさん、貴重な助言をどうもありがとうございます。

どうか神さまが、僕が悔い改めるべきことを悔い改めることができますように、僕がもっと誠実に慎重に聖書解釈を書けますように、するべきでない言い訳をしませんように、与えてくださった分を超えたことをしないように、また、与えられたことは、恐れずに、イエスさまの力でイエスさまともに、イエスさまのためにできますように、お導きください。

イスラエルの購いについての、エジプトの初子がイスラエルの購いの代金とはっきり書いた聖句があると書いたのは、BISKOさんのご指摘どおり間違いだったと思います。謝罪して訂正いたします。

民数記3章で、イザヤ43章3節から、自分の聖書解釈として考えたことを、もっと直接に書いた聖句があったと記憶違いをしていたと思います。

「イスラエルの購いの代金がエジプトの初子である。」という聖書解釈が正しいのかどうか、これから慎重に調べていきたいと思います。そのような解釈を直接に書いた聖句がある、と断言したことが、神さまに対する明らかな罪であったので、悔い改めます。

No.3209 2007/10/13(Sat) 20:04:11

Re: かいつまんで、最後に一言 / 大垣 引用

この掲示板には、自分の聖書解釈を書くよりも、どのようにして聖書を解釈しているのか、という方法を中心にして書くほうが良いのだろうと思います。

No.3210 2007/10/13(Sat) 20:59:32

Re: かいつまんで、最後に一言 / BISKO 引用

管理人さん。

私は過去に管理人さんが思い込みで書いたそのこと自体について謝罪を求めている訳では無いんですよ。

管理人さんが、思い込みや、他の人の受け売りや、注解書からそのまま書き写したような知識を、まるで学問的に確認された知識のように、確信のように、自分のことばのように書かれた。 その結果、ご自分に「大垣さんはキリスト教について何でもご存知だ」と、まるで教師のような信頼を集めてしまわれた。

その原因と結果について「これは言い過ぎか?」と私自身にも思えるようなキツイ言葉で、「現状をよく考えてください。このままでよいとお考えですか?これでも良いんですか?」と批判としての意見を書きました。

でも管理人さんは「神様の前に悔い改めます」とまで仰ったのに、実際の行いはぜんぜん変化していません。


>どうか神さまが、僕が悔い改めるべきことを悔い改めることができますように、僕がもっと誠実に慎重に聖書解釈を書けますように、するべきでない言い訳をしませんように、与えてくださった分を超えたことをしないように、また、与えられたことは、恐れずに、イエスさまの力でイエスさまともに、イエスさまのためにできますように、お導きください。【引用終わり】


上のコメント、失礼ですが、質問を別の言葉でオウム返しされただけようで、まるで信頼できません。

むしろ、慎重でなくても、分を超えていても、言い訳をしても、それでもなお「与えられたことは、恐れずに、イエスさまの力でイエスさまともに、イエスさまのために」するのだから、「どんどん書くぞ!」という意気込みにしか聞こえません。

>この掲示板には、自分の聖書解釈を書くよりも、どのようにして聖書を解釈しているのか、という方法を中心にして書くほうが良いのだろうと思います。【3210より引用】

自分の解釈の方法を書くということは、まず最初に自分の解釈を書き、その解釈に至った経緯を書くということでしょ? 結局は自分の解釈を書くことになる。・・・具体的には何も変わらないのは目に見えていますよ。ちょっと表現が変わる程度の変化でしかありません。

>そのような解釈を直接に書いた聖句がある、と断言したことが、神さまに対する明らかな罪であったので、悔い改めます。

神様に対して悔い改められるのは結構ですが、私が先にさしあげた質問の3)と4)を、管理人さんはきれいさっぱりスルー(無視)されてしまっていることにも、考えを向けてください。

もう一度書いておきます:

3)ご自分が、初心のキリスト者を教えるに足る、十分に訓練された教師としての資質があるかどうか、考え直してください。

4)自分は教師であるつもりは無い、と仰る場合、この掲示板の状況(現況)を考えてください。

No.3211 2007/10/13(Sat) 22:37:59

Re: かいつまんで、最後に一言 / 大垣 引用

BISKOさん、書き込みに感謝します。

3)と4)については、僕は自分の聖書解釈を誰かに教えるにたる教師としての訓練は受けていませんし、その意味で、現況には問題があると思います。

これから、神さまが、この掲示板が御心にかなう方向に変えられるようにお祈りしていただければ、とても心強く思います。

No.3212 2007/10/13(Sat) 23:19:29

Re: かいつまんで、最後に一言 / BISKO 引用

管理人さん。

>3)と4)については、僕は自分の聖書解釈を誰かに教えるにたる教師としての訓練は受けていませんし、その意味で、現況には問題があると思います。

その認識が、もし心から本当ならば、沙耶香さんにそのことをきちんと伝えた上で、今後どうするかについて「公式の協力者」の方々と検討するべきでしょうね・・・。

私の意見としては、沙耶香さんは通っておられる教会できちんと学びを続け、この掲示板は「沙耶香さんが質問して管理人さんが答える」という構図を、どうにかして撤廃する必要があると思います。

管理人さんは管理に徹し、基本的に掲示板には書き込まない。沙耶香さんへのレスは、他の方々に任せる。既に信仰歴の長い信頼の置ける人の管理する掲示板に場所を移す。あるいは、そのような人に参加を要請する、等の方策も考えられます。

私が感ずる現況の問題は、初心者である沙耶香さんが、初心者である管理人さんに学んでいるが、一方が他方を「頼れる教師のように見上げてしまっている」という、アンバランスにあります。そのアンバランスが、管理人さんがここで色々な聖書解釈を次々に書き込んでも問題が生じないという土壌を培ってしまったのだと、私は思います。

ところで、私は「キリスト教否定論」という掲示板で、しばらくの間、意見を投じました。 この掲示板は、根拠の無いかってなことを言えば、非信者から・信者からを問わず、たちどころに複数の方々から厳しく批判される場でした。本来、何かを学ぶ場というのは、そういう厳しさが存在する場である筈です。 

>これから、神さまが、この掲示板が御心にかなう方向に変えられるようにお祈りしていただければ、とても心強く思います。

どうなんでしょう。 私が「この掲示板のために」祈るかどうかは、管理人さんが今後具体的に何をこの掲示板でなさろうとお考えなのか、そのことを知ってからの話です。

私が祈るとしたら、それは管理人さんと沙耶香さんが、正しく導かれてゆくことです。「この掲示板」がどうなるとか、ハッキリ言うと、私にはどうでも良いことです。

No.3213 2007/10/14(Sun) 07:27:22

Re: かいつまんで、最後に一言 / 大垣 引用

BISKOさん、助言をありがとうございます。慎重にお祈りして検討したいと思います。

ところで、CFI で何をしようとしているかは、掲示板の最下段の HOME のリンクにあるホーム・ページで説明しています。

No.3216 2007/10/14(Sun) 11:30:29

CFIって何? / BISKO 引用

>ところで、CFI で何をしようとしているかは、掲示板の最下段の HOME のリンクにあるホーム・ページで説明しています。

読みました。ますます判らなくなってきました。一体この「CFI」というのは何なんですか?組織なんですか?それとも個人活動なのですか?公式なのですか、それとも匿名なのですか? あぁ、もう判らないです。

CFIという組織名がこの掲示板を定義するのではありません。ハワードヴァンクリーヴ氏の肩書きが、この掲示板を定義するのではありません。オハイオ州立大学公認であるということが、この掲示板を定義するのではありません。立派なヴィジョンが書いてあるということがこの掲示板を定義するのではありません。

この掲示板を定義するのは、この掲示板で実際に何がなされているかです。

この掲示板(CFI?)が何をしようとしているかは、ご紹介いただいたページに書いてあることを読んでも、判りません。それは、今後管理人さんがどのような行動をされるかで判断されます。

No.3217 2007/10/14(Sun) 12:17:14

Re: かいつまんで、最後に一言 / 大垣 引用

BISKOさん、CFIはオハイオ州立大学の公認ではありません。オハイオ州立大学にあるファカルティー・クリスチャン・フェローシップ(FCF)というクリスチャンのグループのミニストリーのひとつです。インターネットで匿名だと、どうしても無責任になることが多いと思うので、僕はCFI の活動は実名でしています。CFIのホーム・ページから僕のホーム・ページにリンクがあります。FCFの実際の役割は、霊的なサポートで、例えば今回のように活動のありかたについての検討課題が出てくると、FCFの人たちと相談します。

CFIの前身が、インターネット・クリスチャン・フェローシップ(ICF)という名で、やはり僕が管理人として掲示板を中心に活動していました。そのときに、いろいろな人と相談して、正式な協力者という制度を作りました。2005年の春に掲示板で非常に大きな問題が起こり、活動を無期停止しました。

活動停止のときの課題として、CFIとは何か、説明したり活動のヴィジョンを書いたホーム・ページを作り、3人の協力者で相談して祈りのなかでCFIとして再出発しました。再出発の当初はほかのお2人の協力者に、頻繁に相談しましたが、お2人がお忙しいこともあり、最近はほとんど相談していません。

CFIの今の活動は、この掲示板だけです。だからCFIには、FCFとほかの2人の協力者のサポートがあるけれど、現在の活動の実行者は僕ひとりである状態です。

僕は沙耶香さんにも沙耶香さんの牧師にもお会いしたことがありませんが、おりおりにメールで連絡を取りあってています。沙耶香さんは、かなり苦労して聖書を読んでおられるので、質問に答える人が必要だと思います。教会で対応するのは時間的にかなり難しいらしく、牧師も沙耶香さんがCFIの掲示板で聖書を読んでいることをご存知です。基本的に教会を補完するCFI の活動を歓迎してくださっていると思います。

BISKOさんの提案で、沙耶香さんへのレスはほかの方々にまかせる、ということは、理想的だと思います。BISKOさんが質問に答えてあげてくださいませんか。

No.3219 2007/10/14(Sun) 17:57:31
どうもなぁ / BISKO 引用

3190へのレスです。

管理人さん。返信ありがとうございました。

>僕はへブル語もギリシャ語も知らないので、

神学修士に相当する資格をお持ちなら、ギリシャ語もヘブル語も知らない、というのも、どこか変ですね・・・。

いずれにせよ、

>単語を調べるときは、英語さえ知っていれば使える

というツールがあるのは、確かに便利ですね。


あと、もうやめようかなとも思いましたが、

>僕や他の人の説明、沙耶香さん自身の想像の理解は、しょせんは人間のものなので、完全に信頼すべき神のみことばと分けて考えないと混乱します。【3189より引用】

これは、リアリティがない、無責任なコメントだと思いますよ。

解釈を慎重さをもって書くだけで、相手に混乱を招くことは(完全にとは言いませんが)避けることが出来ます。

それは人間に求められている知的な誠実さではないですか? それを神のことばと、人の言葉を区別する必要がありますなどと言うのは、責任転嫁です。

・・・しっかりしてください。

あと、二つの対象を「区別する」ということ自体、既にその区別の対象に関して深い理解をもっているということを前提としているのではありませんか? そういう深い理解を、沙耶香さん初め、管理人さんや私が持っているという前提がどこか間違ってませんか?

鑑定士でも無い人に、ガラスとダイヤモンドを区別しろ、と仰っておられるようで、私にはナンセンスに聞こえます。

沙耶香さんにしても、本当に聖書を読んで、正確に理解したいなら、教える能力に関してちゃんとした訓練を受けた人にくっついて、学んで欲しいです。ここでのやり取りは、見ていてとても危なっかしいです。

(あくまで、私の感想、ね)

No.3196 2007/10/12(Fri) 10:43:00

Re: どうもなぁ / 大垣 引用

感想に感謝します。

どうか神さまがBISKOさんを通して僕に伝えようとされていることがありましたら、よく悟ることができますように。

誤解を招いたかもしれませが、僕が神学修士レベルの授業を受けていただいたのはXenos Certificate of Bible Biblical Studies という証書で、これは修士を取るよりずっと少ない授業数でいただけます。修士に相当するような資格では全くありません。

原書の聖書に書いてあるみことばは、神からのものとして完全に信頼する。人間の聖書解釈は人間からのものなので、参考にしても絶対視しない。これは、人間の作った聖書解釈を絶対視して崇拝してしまう偶像崇拝を避けたいなら、聖書を読むときに、学んでいかないといけない重要なことだと考えています。

No.3198 2007/10/12(Fri) 11:35:53

Re: どうもなぁ / BISKO 引用

管理人さん。

>原書の聖書に書いてあるみことばは、神からのものとして完全に信頼する。人間の聖書解釈は人間からのものなので、参考にしても絶対視しない。


聖書とは、具体的に何か?
それは「書かれた文字」。
その書かれた文字を読むという作業は何か?
それは読んだ事柄に解釈を施すということです。

私は原書を「信頼します」と言った時点で、それは既に「私は原書に対する私の解釈を信頼します」と宣言しているのと同じなのです。(原書を読んでもいないのにそれを信頼するなどというのは問題外です。)

日本語や他の言語に翻訳された聖書を読む場合は、なおさらです。翻訳という作業を実際に少しやってみればすぐにわかりますが、翻訳するということ自体が、既に解釈を伴う作業だからです。

さらに、その翻訳のベースとなる原典でさえ、数多くの写本の中から「多分、これが真の原典に一番近いだろう」という研究と予測に基づいているものです。

つまり、神のことばは絶対信頼し、人間の解釈は絶対視しない、という構図が、そもそも成り立たない、ナンセンスなのです。私たちが人間である以上、私たちが認知できる知識は(自分自身を含めた)人間の解釈が施された知識だからです。


私について言えば、私も聖書を信頼しています。でも、それは管理人さんが考えておられる「信頼」とは意味が違うと予想します。 

私にとっては、聖書のみことばが自分自身の心と現実の生き様の変容の中にあって、どのように実感と事実をもって確認されているか。その実感と変容を求め続けて行くのが、私にとっての聖書を読むという作業です。それは作業と言うより、歩みです。

そして、確かに聖書のみことばが自分自身の心と生き様を変容させたことを確認するとき、そこに、みことばへの「信頼」が生まれます。 そしてその信頼に基づいて、自分の生き様の指針として、聖書に拠り頼んでゆく。そのような信頼が、もしかしたら聖書を絶対視するということの意味に相当すると言えるかもしれません。

逆に、そのような実感の伴わない聖書解釈は、すでに神と自分との間の関係性に関係ないところで一人歩きしているのだと私は考えます。 そのような So What?が二の次にされているような聖書解釈に対して、私は警戒します。

>これは、人間の作った聖書解釈を絶対視して崇拝してしまう偶像崇拝を避けたいなら、聖書を読むときに、学んでいかないといけない重要なことだと考えています。

それほどまでに「人間の作った聖書解釈」に対して危機感を感じておられるなら、どうしてご「自分の聖書解釈」については、簡単に次から次へと公言できるのでしょうか。

それが私には理解できません。

仰っておられることと、現実に行っておられる事とが、合致しません。

No.3200 2007/10/12(Fri) 12:57:20

Re: どうもなぁ / 大垣 引用

僕もBISKOさんの聖書の読み方と、僕の読み方は、ほとんど全く違う面があると思います。それは、どちらかが優れているという問題ではなく、二つの違う読み方の良いところをあわせていければ、より神さまに近づいていけるということだと僕は考えます。信仰者全体としての教会が、「真理の柱また土台」(1テモテ3章15節)ですから、自分の読み方や自分の属する教会の読み方を絶対視すると、他の信仰者たちと協力して真理に近づいていくことが難しくなると思います。

僕が神の言葉として完全に信頼するのは聖書を書いた著者が霊感を受けて書いた原書です。この原書は現在この世にはもう存在しません。存在しないから読むのは不可能なので、そういうものを信頼するとことは問題外という考えもありえると思います。しかし、僕は目に見えない神を完全に信頼します。そして、目に見える主にある兄弟姉妹の言動から、神についてより深く知ろうとします。だから、同じように、翻訳されているので人間の解釈でしかない日本語や英語の聖書を読みながら、現存しない原書についてより深く知ろうとします。そのときに、信仰者全体としての教会が、今まで積み上げてきた聖書解釈を尊重しますし、何かの解釈に確信を持つことも多くありますが、絶対視することは避けます。

自分の聖書解釈に全く確信を持たなければ、「恐れないで、語り続けなさい。」(使徒18章9節)と神が言われたときに、語り続けることが非常に難しくなります。だから、聖書解釈に確信を持つことは必要なことであると思います。しかし、それと同時に、いくら自分が確信を持っても、聖書解釈は人間の作ったもので、間違っているかもしれない、ということを理解していないと、崇拝の対象が微妙にずれてくると思います。絶対視する聖書解釈が、自分と神の間に入ってしまうと、神を見ることが不可能になってしてまうと考えます。

具体的には、僕は自分が確信を持つ聖書解釈と違う聖書解釈を他の信仰者が主張したら、まず聞くことを心がけています。また聖書を読んでいて、今まで確信を持っていた解釈と整合的でないと思ったら、自分の解釈を読み込まずに神さまから聞こうと心がけます。自分の聖書解釈を絶対視してしまうと、他の信仰者の解釈を聞かないで自分の考えばかり主張したり、自分の教会の聖書解釈を聖書に読み込んだりする誘惑を克服することがとても難しいと感じています。

このような考えから、僕は、自分が確信を持っている聖書解釈を、質問があるなどの機会が与えられれば、公言したり書いたりしています。ご指摘のとおり、この掲示板でも確信を持って自分の解釈を書いてきました。でも、自分の解釈を絶対視してはいません。だから、僕の解釈について質問があったり、異論があれば、聞くことにしています。大体そのように実行できていると思っています。実行できていない具体例があれば、指摘していただければ幸いです。神さまに罪を告白し、悔い改めて、よりイエスさまに近づけていっていただきたいと思います。

No.3202 2007/10/12(Fri) 21:49:49

Re: どうもなぁ / BISKO 引用

やっぱり、伝わってないのかな? これまで色々な形で、ほぼ同じ事をお伝えしてきたつもりなのですが、私の言いたいことを管理人さんに理解していただくのは、無理なのかもしれません。

私が差し上げる意見を、管理人さんは「絶対視」とか「真理」とか、すごい言葉を使って話を大きくしておられるようですが、私が言いたいことは、もっと具体的な、単純なことだと思うのですけどね・・・。

>自分が確信を持っている聖書解釈を、質問があるなどの機会が与えられれば、公言したり書いたりしています。…中略…ご指摘のとおり、この掲示板でも確信を持って自分の解釈を書いてきました。

私がいつ「管理人さんは確信をもって自分の解釈を書いていると」指摘しましたか? 私の指摘は、まったく逆ですよ? 

確信ではない、「思い込み」に基づいた解釈を(初心者が閲覧する場で)次々に書き込むのは読者に混乱を招く恐れがあり、もう少し慎重にするべきだというのが、私が主張してきたことです。

>実行できていない具体例

具体的には、3189です。以下に引用します:


>…と書いた僕の考えは間違っていたと思います。「汚物は捨てるべきもので、大切ではない」という尾も込みによる間違いだったようです。【3189より引用】

「尾も込み(思い込み)」によって、自分の考えが間違っていたと仰っておられますね。 そして、その考えがちょっと指摘されたら、すぐに自分の考えをひるがえしてしまう。

そんな、思い込みに基づいた、一昼夜で瞬間的に変わってしまう考えが、果たして「確信」と言えるんでしょうか。言えないと思います。

そんな「確信とは程遠い」解釈を書くことに関しては、もうちょっと慎重にしてもらいたいというのが、私の意見です。

考えてみれば、イスラエルの購いと、エジプトの初子の死の「タイポロジー」について私が指摘した時も、同じだったのではありませんでしたか?聖書にかなりハッキリ書いてあると「確信」していたつもりが、実は根拠の無い思い込みだったではありませんか?

加えて、そういう慎重さを欠いた書き込みで相手が混乱したら、神様のことばと人間のことばを区別するべきと言う。それは(二重の意味で)無責任だ。知的な慎重さをもって書くという責任の放棄であり、責任転嫁だ、と言っているのですが、ぜんぜん伝わってないみたいです。

あと、人の聖書解釈を絶対視する危険性について、ご説明くださった内容は、それ自体はその通りだと同意します。

私が理解できない(そして不信感を感じている)のは、そのように「人の解釈危うさ」についてそこまで慎重な意見を仰る方が、こと自分の解釈については「思い込み」でも構わずに次々に公言するようなことを掲示板でなさっておられるという、管理人さんの言行不一致としか思えない、そのご態度です。

追伸:
私は、管理人さんが自分の解釈を絶対視していると指摘したことはありませんし、自分の解釈が絶対的だという観点から他の解釈を批判してもおりません。どうしてそのような「絶対視する・しない」という議論の構図が持ち込まれるのか理解不能です。

No.3206 2007/10/13(Sat) 12:20:48
使徒10章 / 大垣 引用

使徒10章。10-16節、主はペテロに食べ物の幻を見せられ、「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。」と言われた。28節にあるように、ペテロはそれは食べ物のことだけでなく、異邦人にもあてはまる、ということを悟った。

どうか僕たちも、食べ物のことや、日常のことで主が示されることから、大切な霊的な意味をしっかり正しく悟ることができますように。

25-26節、コルネリオがペテロにひれ伏して拝んだとき、ペテロが「お立ちなさい。私もひとりの人間です。」と言ったことと、ヨハネ20章28節で、トマスがイエスに「私の主。私の神。」と言ったときに、イエスが受け入れられたことは対照的。イエスの神性がはっきり示されている。

34-43節の、ペテロの異邦人に対する福音の伝道の説教。2章14-36節でのペテロのユダヤ人に対する福音伝道の説教と同じように、イエスの十字架における死と復活が中心になっている。しかし、2章での説教と異なり、旧約聖書からの引用がない。

No.3204 2007/10/12(Fri) 22:21:20
出エジプト記31章 / 沙耶香 引用

今日は、出エジプト記31章を読みます。

6節の
見よ。わたしは、ダン部族のアヒサマクの子オホリアブを、彼のもとに任命した。わたしはすべて心に知恵のある者に知恵を授けた。彼らはわたしがあなたに命じたものを、ことごとく作る。
の、オホリアブという名前が面白くて印象に残りました。

15節の
6日間は仕事をしてもよい。しかし、7日目は、主の聖なる全き休みの安息日である。安息の日に仕事をする者は、だれでも必ず殺されなければならない。
が印象に残りました。何度も言っていることだから、相当大事なことなのだろうな――と思って・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネ2章17―21節を読みます。
天のお父様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると21節が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様の御体である神殿・・・・

No.3195 2007/10/12(Fri) 10:20:31

Re: 出エジプト記31章 / 大垣 引用

モーセの律法で安息日はとても重要でした。それで、「仕事をする」とはどういうことか、ということを、ユダヤ人たちはいろいろと解釈しました。たとえば、ルカ14章1-6節で、安息日に病気を直すことは仕事をすることになるので正しくない、というユダヤ人の解釈が出てきます。また、安息日に床を取り上げてはいけない、という解釈がヨハネ5章1-18節で、出てきます。これらの解釈は、表面的で間違った律法の解釈であったと思います。

No.3199 2007/10/12(Fri) 11:55:16

再出エジプト記31章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度出エジプト記31章を読みます。

安息日に病気を治すことは仕事をすることにはなるかもしれないけれど、病気に休みはないので、安息日に病気を治すことは御心だと思います。

ヨハネ5章1―18節・・・
うん、イエス様の素晴らしい御業ですよね。歩けない病人を癒したんだから・・・

4,5節に
それは、彼が、金や銀や青銅の細工を巧みに設計し、
はめ込みの宝石を彫り、木を彫刻し、あらゆる仕事をするためである。
とあるが、フルの子であるウリの子ベツァルエルは器用な人だったんですね・・・

10節に
式服、すなわち、祭司として仕える祭司アロンの聖なる装束と、その子らの装束、
とあるが、この言い方だと式服とは装束のことかな?式服で検索してみたが、何か筋違いなようなものが出てきた。

17節の
これは、永遠に、わたしとイスラエル人との間のしるしである。それは主が6日間に天と地とを造り、7日目に休み、いこわれらからである。」
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネ2章22―25節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると25節が気になるので、これをもう何度か読みます。
うん、イエス様は最高峰なお方だからそりゃー誰の証言もいらないですよね。

ため息ため息・・・体調よくないし、精神状態よくないし、病状よくない。イエス様癒してください。

No.3201 2007/10/12(Fri) 21:42:06

Re: 出エジプト記31章 / 大垣 引用

安息日にイエスが不思議なみわざで病気を癒され、イエスが神の子を示すことが、父なる神の御心であったと思います。ところが、ユダヤ人たちは、自分たちの律法の解釈を絶対視したために、イエスが律法を破っていると思い込んでしまいました。イザヤ書5章20節に、

ああ。
悪を善、善を悪と言っている者たち。
彼らはやみを光、光をやみとし、
苦みを甘み、甘みを苦みとしている。

とある通りです。人間はこのように、完全に善と悪を見分ける力を持っていません。キリスト者は、神を信頼し、神に善と悪を見分けていただくようにするこが大切です。

10節、「式服」と訳されているへブル語は、「式」が「編まれた」という意味だそうです。大祭司と祭司の着る装束は、28章で主が定めらましたが、編んだ部分が多く、いけにえをささげるなどの式典のときに祭司が着たことから、「式服」と訳されているのだろうと思います。

No.3203 2007/10/12(Fri) 22:06:08
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