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使徒5章 / 大垣 引用

使徒5章、初代教会には使徒たちという素晴らしいリーダーがいたが、それでも問題が全く起こらなかったわけではなかった。信仰をいただき、素晴らしいリーダーのいる教会にいても、問題を起こしてしまう僕たち人間の罪の性質のひどさということを思います。

4節、アナニヤの罪の本質は一部を全部だと偽って、人を欺いたことではなく、神を欺いたことにある。また9節にあるように、アナニヤとサッピラは聖霊を試みた、ということである。彼らは偽っても隠しておけば、人にも神にも分からないだろう、という侮る気持ちがあったのだろうと思います。

11節、神を信頼せず、愛さないで恐れてはいけないが、神を信頼して愛しつつ、罪を正しくさばかれる聖なる神を畏れることは、良いことだと思います。良い意味での恐れが初代教会に生じたのだと思います。

29−32節の、ペテロたちの大胆な証しを、主の弟子であることを否認したときのペテロや、十字架の前に逃げてしまったときの使徒たちを比べると、聖霊が信仰者に与えられる力と勇気を感じます。

34−39節のガマリエルの知恵のある説得。神は使徒たちがこの時点で殺されてしまわないように、ご計画でガマリエルを用意されておられた。僕たちキリスト者も、他の教会や自分とは違う聖書解釈のもとに運動を起こすクリスチャンたちに対し、「人から出たものならば、自滅してしまうでしょう。」と考えるようにするほうが良いことが多いだろうと思います。

41節、試練にあったとき、鞭打たれても、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜んだ使徒たちに見習いたいと思います。

No.3156 2007/10/07(Sun) 12:16:05
出エジプト記28章21節まで / 沙耶香 引用

今日は出エジプト記28章21節までを読みます。

2節に
また、あなたの兄弟アロンのために、栄光と美を表す聖なる装束を作れ。
とあるが、装束って何だろうか?白装束とかよく言いますよね。着る服のことかな?

15節に
あなたはさばきの胸当てを、巧みな細工で作る。それをエポデの細工と同じように作らなければならない。
とあるが、さばきの胸当てとは一体何だろうか?何だかこのパソコン具合悪い。変換がおかしい。つくらなければならない。と打って、変換すると津苦らなければならない。となったり、今までもいろいろとよく分かるような日常使う言葉でもきちんと変換しなかったりする。
神様イエス様どうかこのパソコンをお守りください。このパソコンが正常に作動するようにしてください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

16節に
それは、四角形で、二重にし、長さは一あたり、幅は一あたりとしなければならない。
とあるが、これはどういう状態だろうか?四角形で二重?一あたりのあたりというのは単位なのだろうか?聞いたことないですね・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書1章6―10節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると10節が気になるので、これをもう何度か読みます。
うん、この素晴らしいお方を世は知らなかったのです。

No.3137 2007/10/05(Fri) 05:58:49

再出エジプト記28章21節まで / 沙耶香 引用

今日はもう一度出エジプト記28章21節までを読みます。

お腹と頭が痛くて痛くてたまらない。天のお父様神様どうか頭痛と腹痛を癒してください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

7節に
これにつける二つの肩当てがあって、その両端に、それぞれつけられなければならない。
とあるが、あのアドレスの9段目のことですよね?

17節に
その中に、宝石をはめ込み、宝石を4列にする。すなわち、第一列は赤めのう、トパーズ、エメラルド。
とあるが、宝石なんかいっぱいちりばめていると重たくなるし、その上邪魔で動きにくいではないか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書1章11―15節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、13節が気になるので、これをもう何度か読みます。
神によって新しく生まれ変わった私たちクリスチャン・・・素晴らしいですね・・・

No.3140 2007/10/05(Fri) 20:15:41

Re: 出エジプト記28章21節まで / 大垣 引用

25章から27章までで神は幕屋と祭壇と庭についての規定をモーセに与えられました。28章は祭壇でいけにえを捧げたり、幕屋に入って礼拝する祭司と、その衣服に関する規定です。

25章で紹介した模型のサイトに、祭司と大祭司の衣服を着た人たちが写っているので参考にしてください。

2節の「装束」着る服とともに、かぶり物や帯などを含むようです。

7節の肩当ては、模型のサイトの9段目の左の写真の片方の肩の上に見えています。

15−30節の「さばきの胸当て」は模型のサイトの9段目の右の写真が大きくて、17−21節の12個の宝石の様子が分かります。宝石は、胸のところにあっても動きにくいほどではないと思いますが、少し重そうです。

16節の「あたり」とは長さの単位で、だいだい親指と小指を広げた間の長さで、22.2センチだということです。サイトの写真で胸当てが四角形で長さと幅がだいたい「一あたり」になっていることが分かると思います。二重になっていることは見えないですが、見えている布の下にもう一枚布があるということです。

No.3143 2007/10/05(Fri) 22:40:02

Re: 出エジプト記28章21節まで / 沙耶香 引用

>>7節の肩当ては、模型のサイトの9段目の左の写真の片方の肩の上に見えています。

昔の日本の武士とかもあーいうものをつけていましたね。

No.3149 2007/10/06(Sat) 10:19:48
使徒4章 / 大垣 引用

使徒4章。10節、ペテロは自分たちの力ではなく、イエスの御名によって奇跡が行われたことを力強く証しする。

どうか、僕たちもイエスさまの御名によって起こった不思議なことを証しして、主イエスの栄光を表わすことができますように。

11節、イエスも引用された詩篇第118篇のメシヤ預言が印象的。

12節、「この方以外には、だれによっても救いはありません。」自分の力も、ほかの誰の力も僕たちを救うことができない。十字架の上で僕たちの罪のために死なれたイエスに頼るしかない。自分の力で本当に聖い心で良いことを行うことはできない。中に入っていただいたイエスの恵みに頼るしかない。

25-26節。詩篇第2篇の素晴らしいメシヤ預言が印象的。

29節。おどされていても、ペテロとヨハネと初代教会の人たちは、守ってくださいと祈らず、「彼らの脅しをご覧に」なってくださいと祈る。神が御顔をそむけずに、ご覧になってくださっているかぎり、どのような苦しみが起こっても大丈夫である。彼らの神に対する信頼の深さが素晴らしい。そして、彼らは「大胆に語らせてください」と祈った。

どうか、僕たちもおどされたときも、大胆に語らせてくださいませ。

No.3148 2007/10/06(Sat) 05:37:23
出エジプト記27章 / 沙耶香 引用

今日は出エジプト記27章を読みます。

3節に
灰を取るつぼ、十能、鉢、肉刺し、火皿を作る。祭壇の用具はみな、青銅で作らなければならない。
とあるが、灰を取るつぼって何だろうか?十能って何だろうか?10個の能力??肉刺しとは肉を串刺しにしたものだろうか?火皿って何だろうか?灰皿のようなものだろうか?

4節に
祭壇のために、青銅の網細工の格子を作り、その網の上の四隅に、青銅の環を4個作る。
とあるが、青銅の網細工の格子って何だろうか?そういうものがこの時代には存在したのだろうか?あ、あのアドレスの12段目の右の写真は格子だが何か関連あるのだろうか?

8節に
祭壇は中をからにして板で作らなければならない。山であなたに示されたところにしたがって、彼らはこれを作らなければならない。
とあるが、祭壇、祭壇言っているけれど、なんだろう?幕屋の中にあるものなのだろうか?何もかも分からないので、何だか混乱します。

10節に
柱は20本、その20個の台座は青銅で、柱の鉤と帯輪は銀とする。
とありますが、帯輪って何だろうか?帯でまくような輪だろうか?

・・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒28章26―31節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると27節が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様の教えやことばに耳を傾けない人、きちんと信じない人は癒されることはないんだと語られたような気がします。

No.3132 2007/10/04(Thu) 09:49:10

再出エジプト記27章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度、出エジプト記27章を読みます。

9節に
幕屋の庭を造る。南側に面して、庭の掛け幕を、その側のための長さ100キュビトの撚り糸で織った亜麻布を、張る。
とあるが、庭の掛け幕とは、この前のアドレスで見た、周りを囲ってある白い布のことだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
使徒終わってしまった。次は何読もうかな?今日はヨハネの福音書1章1―5節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・・
何度か読んでいると、5節が気になるので、これをもう何度か読みます。
やっぱりイエス様のひかりが一番ですよね。

No.3133 2007/10/04(Thu) 22:08:54

Re: 出エジプト記27章 / 大垣 引用

3節や8節などにある「祭壇」とは、25章のところで紹介した幕屋の模型のサイトの上から3段目の写真などに写っている、幕屋の外にある茶色の四角いもので、祭壇では羊や牛などのいけにえを捧げました。3節に書いてある道具は祭壇でいけにえを焼いたり、その後に灰を取ったりするときに使ういろいろな用具です。灰を取るつぼは、「灰と取るために使われる」「つぼ」です。十能はスコップのような用具、肉刺しとは肉を刺すためのフォークのような用具、火皿は皿の一種で、いけにえを焼くための火に使われたということ以外は、僕は分かりません。

4節の網細工の格子の模型の写真が、模型のサイトの12段目の右にあります。5節にあるように、祭壇の高さの半ばに、この網を祭壇の中に取りつけました。いけにえの羊や牛が火の中に落ちないように、この網の上にのせたのだと思います。

9節の掛け幕は、沙耶香さんの思われたとおり、模型のサイトにあった幕屋の庭を囲う白い布のことです。

10節の帯輪とは、柱に取りつけた帯のような輪だそうです。掛け幕を柱につけるのに使われたようです。

No.3136 2007/10/05(Fri) 05:46:00

Re: 出エジプト記27章 / 沙耶香 引用

>>3節や8節などにある「祭壇」とは、25章のところで紹介した幕屋の模型のサイトの上から3段目の写真などに写っている、幕屋の外にある茶色の四角いもので、祭壇では羊や牛などのいけにえを捧げました。

25章、この前のことなのにもう忘れています。駄目だ。本当に低能力だ。管理人様のように頭脳明晰な人から見ると、私のように何も分からない人を相手にしているとイライラしてくるでしょうね・・・もう一度開いて確認しました。幕屋の外にあるんだーー。

No.3138 2007/10/05(Fri) 06:07:03

Re: 出エジプト記27章 / 大垣 引用

全知全能の神さまから見ると、僕の能力も沙耶香さんの能力も、あまりに低くて、僕たちはなかなか悟ることができず、どうしようもないと思います。それでも神さまは、イライラしたりなさらず、忍耐強く僕たちを導いてくださいます。

No.3142 2007/10/05(Fri) 22:13:21
出エジプト記26章 / 沙耶香 引用

今日は出エジプト記26章を読みます。

1節に
幕屋を10枚の幕で造らなければならない。すなわち、撚り糸で織った亜麻布、青色、紫色、緋色の撚り糸で作り、巧みな細工でそれにケルビムを織り出さなければならない。
とあるが、これはどういう意味だろうか?幕屋??今ネットで幕屋と入れて検索してみました。
聖書に登場する移動式の神殿とか会見の天幕とか書いてありますね、いろいろな図も出てきます。
会見の天幕って何だろうか?何だかいろいろ難しいですね・・・
ケルビムってこの前の章で見た、金の像でしょ?撚り糸で作れるの??うーん??

33節に
その垂れ幕を留め金のしたに掛け、その垂れ幕の内側に、あかしの箱を運び入れる。その垂れ幕は、あなたがたのために聖所と至聖所との仕切りとなる。
とあるが、聖所と至聖所ってどう違うのか?聖所って何だろうか?よく出てくるけれど・・・

何だかこの章は幕屋と聖所の造り方だけで終わったような気がするけれど、こんなことで37節も費やして・・・いや、聖書だから何か意味があるんでしょうね・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒28章16―20節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると20節が気になるので、これをもう何度か読みます。
イスラエルの望みのためにこの鎖につながれている・・・素晴らしいですね・・・

No.3123 2007/10/03(Wed) 11:13:09

Re: 出エジプト記26章 / 大垣 引用

幕屋の模型の写真が、25章にアドレスを書いたサイトにあります。1段目の2枚の写真に写っているテントが幕屋です。このサイトの屋内は、すべて幕屋の内部です。

幕屋に入ると、その前部は聖所と呼ばれ、香壇と燭台と机がありました。第2の垂れ幕のうしろにある奥の部屋が至聖所で、縦、横、高さが90キュピト(1キュピトは44センチだそうです)の立方体になっていました。至聖所の中には契約の箱(あかしの箱とも言われます)が置かれました。

幕屋とはテントですが、26章の幕屋は、主がイスラエルとともに住まわれ、主と会見することができる特別な幕屋で、「会見の天幕」と呼ばれました。

ケルビムは御使いであって、贖いのふたの上にある像は、ケルビムを表わす像です。この1節では、像を作るのではなく、撚り糸でししゅうとしてケルビムの姿を織り出すように、ということです。

イスラエルに幕屋が与えられ、正式な礼拝が始まります。

No.3125 2007/10/03(Wed) 13:33:27

再出エジプト記26章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度出エジプト記26章を読みます。

>>イスラエルに幕屋が与えられ、正式な礼拝が始まります。

じゃ幕屋の中で礼拝するのですか?

5節に
その1枚の幕に輪50個を作り、その輪を互いに向かい合わせにしなければならない。
とあるが、これはどういう状態だろうか?

続く6節にも
金の留め金50個を作り、その留め金で幕を互いにつなぎ合わせて一つの幕屋にする。
とありますが、これもどういう状態なのだろうか?

10節に
そのつなぎ合わせたものの端にある幕の縁に輪50個をつけ、他のつなぎ合わせた幕の縁にも輪50個をつける。
とあるが、これはどういう状態だろうか?

11節に
青銅の留め金50個を作り、その留め金を輪にはめ、天幕をつなぎ合わせて一つとする。
とあるが、これもどういう状態なのだろうか?

19節に
その20枚の板の下に銀の台座40個を作らなければならない。1枚の板の下に、2つのほぞに2個の台座を、他の板の下にも、2つのほぞに2個の台座を作る。
とあるが、ほぞってなんだろうか?

32節に
これを、4つの銀の台座の上に据えられ、その鉤が金でできている、金をかぶせたアカシヤ材の4本の柱につける。
とあるが、鉤って何だろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒28章21―25節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると25節が気になるので、これをもう何度か読みます。
聖霊様が預言者を通して語られる・・・素晴らしいですね・・・

No.3127 2007/10/04(Thu) 00:01:26

Re: 出エジプト記26章 / 大垣 引用

出エジプトの40章で実際に幕屋が建てられます。それから幕屋の聖所には、祭司たちがいつもはいって礼拝を行います。至聖所には、大祭司だけが年に一度だけはいります(へブル書9章1−7節)。へブル書8−28節に、幕屋での礼拝といけにえと、キリストが多くの人の罪を負うために、ご自身をささげられたことの関係が書いてあります。

5,6,10,11節は、布でできた幕をつなぎあわせて25節で紹介したサイトの模型の写真のように、テントを作るために留め金とひもの輪を使うことの説明だと思います。輪と留め金は、サイトの幕屋の写真を見ても見えていないようです。サイトの上から11段目の右の写真に、幕屋の外の庭を囲う掛け幕(27節9節)の模型が写っていて、幕の上にひもの輪があるのが見えます。輪のひもが幕を通るところに留め金があるはずですが、写真ではよく見えません。

19節のほぞとは、銀の台座にある穴にいたをはめこむための、板の突起のことです。模型のサイトの写真の下から2段目の左と、5番目の右の写真を見ると、台座に板がはめこまれている様子が分ります。

32節の鉤とは物と引っ掛けたりするための先の曲がった器具で、この柱の鉤に垂れ幕を引っ掛けるようになっていたようです。

No.3129 2007/10/04(Thu) 04:44:15

Re: 出エジプト記26章 / 沙耶香 引用

>>5,6,10,11節は、布でできた幕をつなぎあわせて25節で紹介したサイトの模型の写真のように、テントを作るために留め金とひもの輪を使うことの説明だと思います。輪と留め金は、サイトの幕屋の写真を見ても見えていないようです。サイトの上から11段目の右の写真に、幕屋の外の庭を囲う掛け幕(27節9節)の模型が写っていて、幕の上にひもの輪があるのが見えます。輪のひもが幕を通るところに留め金があるはずですが、写真ではよく見えません。

幕の上のひもの輪??何だか分かりづらいですね・・・・

>>19節のほぞとは、銀の台座にある穴にいたをはめこむための、板の突起のことです。模型のサイトの写真の下から2段目の左と、5番目の右の写真を見ると、台座に板がはめこまれている様子が分ります。

下から2段目の左の写真?板の突起なんか写ってないけれどなーー。右のことかな?
5番目の右の写真?あれ、台座に板がはめ込まれている様子なの?左じゃないの?

私はあらたたきをしているのではなくて、意味がわからなくてわけがわからないものを見ていると、何が何だか分からないのです。本当に難しいですね。聖書を理解しようとするのは本当苦労します。

No.3130 2007/10/04(Thu) 09:11:42

Re: 出エジプト記26章 / 大垣 引用

板の突起(ほぞ)は台座の穴の中にはめこまれるので、突起は写真で見ることはできません。写真で、「台座に板がはめこまれている様子」を見て、見えないほぞを想像してみてください。下から5番目の右の写真は外から見ていて、左の写真は中から見ています。どちらにも、板と台座が見えています。

聖書を読んだり写真を見ても分からない場合は、今は、分からなくても良いということだと考えて、先に進めば良いと思います。幕屋の模型を実際に作ってみたいと、細かいところまではわかりようがないと思います。

No.3134 2007/10/04(Thu) 23:34:53
出エジプトのときのイスラエルの購い / 大垣 引用

BISKOさん、ご指摘いただいた、出エジプトのときのイスラエルの購いについて、まだ調べているところですが、中間報告いたします。

友人の旧約聖書の専門家は、僕の探しているような聖句は記憶にないそうですが、ないとは言い切れないということでした。神学的に、イスラエル人も含むエジプトにいる初子によって、イスラエル全体が購われ、さらに、イスラエルの初子が死なないように、羊によって、購われたと考えるのは旧約聖全体と整合的かどうか、質問してみました。まだ回答をいただいていません。僕の探している聖句については、さらに探してみます。また、おりをみて報告いたします。

どちらにしても、広く受け入れられていない説を掲示板に書くときは、聖句をしっかり確認してから書くようにするべきだったと思います。ご指摘と助言に感謝いたします。

No.3102 2007/10/01(Mon) 21:52:01

Re: 出エジプトのときのイスラエルの購い / 大垣 引用

レスをありがとうございます。

僕にとっての「神学」とは何かお答えします。

神は無限なので、有限の人間が理解できるのは、ほんの一部だと信じます。しかし、人間は神を求めてだんだん近づいていくことができるし、神はそれを喜んでくださる。

そうするためには、キリストの血によるきよめを信じて、大胆に神の御前に出て、神に触れる必要がある。そのために聖書を読むのだけれど、そのときには、聖書を読むというより、自分が聖書に読まれる、あるいは、人間の視点よりも、神の視点から聖書を読むことになると思います。

そうしているつもりでも、どうしても、さまざまな自分の思い込みや罪の誘惑から、聖書に読まれるというより、自分の思いを聖書に読み込んでしまうことが多い。そうすると、神の視点から読んでいるつもりでも、ずれてしまっている。これは、人間であれば避けられないけれど、できるだけ神の視点から聖書を読みたい。

そのために、聖書を読む前に、よく準備する必要があります。いろいろな神学者や教会の聖書解釈を比べたり、聖書全体と、今日読む部分の関係を論理的に調べたりします。この準備が僕にとっての神学です。

No.3109 2007/10/02(Tue) 11:26:18

Re: 出エジプトのときのイスラエルの購い / BISKO 引用

管理人さん。


>そのときには、聖書を読むというより、自分が聖書に読まれ
>る、あるいは、人間の視点よりも、神の視点から聖書を読む
>ことになると思います。

聖書に「読まれる」というのは、どういうことですか?「神の視点から聖書を読む」ということ・・・? 申し訳ありませんが、よくかりません。

聖書に「読まれる」というのは、一体、具体的にはどのようなことを指しているのでしょうか。もう少し説明をお願いしたいです。この表現は、管理人さんのオリジナルでしょうか。


>そうしているつもりでも、どうしても、さまざまな自分の
>思い込みや罪の誘惑から、聖書に読まれるというより、
>自分の思いを聖書に読み込んでしまうことが多い。

英語では、聖書の読解(釈義)を、EXEGESISと言います。聖書の記述そのもの、および文化背景などさまざまな要素から、みことばの意味を「EXE:抽出」する作業です。 逆に、みことばに自分の思いを「EIS:注入」してしまう(読み込んでしまう)間違いをEISGESISと言います。

しかし、EXEGESIS、EISGESIS、どちらの作業も聖書を読むこと(I read the Bible)であって、聖書に読まれる(The Bible reads me)とは意味が違います。・・・聖書に読まれる・・・よくわかりません。


>そのために、聖書を読む前に、よく準備する必要がありま
>す。いろいろな神学者や教会の聖書解釈を比べたり、
>聖書全体と、今日読む部分の関係を論理的に調べたりしま
>す。この準備が僕にとっての神学です。

このような一連の作業は、上にも書きましたがEXEGESISと呼ばれる一般的な作業です。いわば、オリジナルの著者の意図を出来るだけ正確に理解するための、学問的・知的な準備作業です。 この作業は、非クリスチャン、ひいては無神論者であっても、聖書を学ぼうとする人たちが行っていることです。

そのような、機械的な作業が管理人さんにとっての、「神学」なのですか・・・?。

No.3112 2007/10/02(Tue) 12:24:00

Re: 出エジプトのときのイスラエルの購い / 大垣 引用

「聖書に読まれる」と「神の視点から読む」というのは、僕が東京にいるときに指導を受けている牧師の言葉です。この牧師は、ご自分の聖書解釈に確信を持っておられるが、絶対視せず、人の話を全身全霊で聞かれます。僕はこの牧師が聞かれるように人の話を聞く人を他に見たことがありません。

「神の視点で読む」とはどういうことか、表現が難しいのですが、あるキリスト者と話し合っていて、僕たちなりのたとえ話ができました。少し変えてここに書いてみます。

先生が大学で教えていて、先生は専門書を前において教えておられます。学生たちには専門書の内容は到底分からないので、先生が、学生たちが分かるような目的を説明し、学生が分かるように教えられます。学生たちは、専門書を読もうとせず、先生の言われたように、目的性に注意しながらノートを取ります。

先生は小学生も教えられていて、やはり同じ専門書を前において、小学生に分かるように教えられます。小学生たちは、一生懸命にノートを取ります。授業が終わってから、男の子は、大好きな先生のところに走っていくと、先生が抱き上げて、ひざの上に座らせてくださいました。先生のひざの上から机に座っている子を見て、男の子は「先生から見ると自分はこう見えるのか。」と、とても新鮮な思いがしました。そして、「専門書を開けてみても良いですか。」と先生に聞くと、先生は専門書を開けて読んでくださいました。男の子は家に帰ってから宿題をするとき、分からない専門書を読んでいただいたことは、役にたったと思わないけれど、また、先生のひざの上で専門書を先生に読んでいただこうと思って、わくわくしました。

僕にとっての神学は、わくわくするような、聖書を「神の視点で読む」経験をするための、準備でしかない、という意味では機械的な作業です。

No.3113 2007/10/02(Tue) 13:25:49

Re: 出エジプトのときのイスラエルの購い / BISKO 引用

管理人さん。

レスをありがとうございました。

今回は「神の視点から読む」ということに関してご説明いただきましたが、「聖書に読まれる」ということに関しては、判らないままでいます。 

それは神の視点から読むということと同義であるという程度の理解で良いのでしょうか・・・?

No.3115 2007/10/02(Tue) 13:58:42

Re: 出エジプトのときのイスラエルの購い / 大垣 引用

「聖書に読まれる」ということを、どれだけ僕が理解できているかは分かりませんが、「神の視点から」聖書を読んでみると、違う自分が見えてくるように思います。「主の栄光のために」という動機でしていると思っていたことに、気がつかなかった自己中心の動機を見つけたりします。また、自分は能力があると思っていたのが、主イエスと比べれば無に等しいことが実感されてきます。そのように罪深く、能力のない自分が、いかに主イエスに愛されて用いられているのか、ということも実感されてきます。

先生の授業を大学生のつもりで聞いていて、分かったような気になってきたときに、先生の前では自分は小学生にも劣ると気づいて、先生のひざの上にのせていただくと、真の自分の姿が見えてくる。そういうことが、「聖書に読まれる」ということかな、と考えています。

No.3116 2007/10/02(Tue) 21:27:47

Re: 出エジプトのときのイスラエルの購い / BISKO 引用

管理人さん。

>「聖書に読まれる」ということを、どれだけ僕が理解できているかは分かりませんが、

であるなら、むやみに、他人の受け売りで、そういう言葉を使うべきじゃないと思います。 他の人に混乱を招くだけです。

その牧師先生は「聖書に読まれる」と言う事について、身をもってご自身で説明ができるからこそ、その言葉を言う資格があるのではないですか?

これは私が「型:タイポロジー」という言葉をむやみに使うべきじゃない、と意見を差し上げたときと同じことであるように思います。 

大それた言葉に実質と実感が伴っていないと、そのうち、言葉の真価を貶めることになってしまいませんか。

No.3119 2007/10/03(Wed) 02:51:14

Re: 出エジプトのときのイスラエルの購い / 大垣 引用

BISKOさん、安易な他人の受け売りはいけないというのはその通りだと思います。しかし、説明できない言葉は使うべきではない、とは僕は思いません。これは、聖書の読み方の違いから来る考え方の違いかもしれません。

聖書を「人間の視点」から読む場合は、「こういう目的でこういう風に考えて読む。」という風に人に説明できます。ところが、「神の視点」から読むということは、自分の理解できるはずのない専門書を開くようなイメージです。これは、ことばで説明することは不可能になり、たとえ話を使ったり、イメージを使ったりするしかできないようなことです。無限の神が人間には理解不能なら、「神の視点」から聖書を読んで神と個人的に交わるとき、人には説明しようのない経験をすると思います。

また、そういう経験をしても、それが、例えば牧師の経験とどういう風に深さや質が違うのか、自分には分かりようがありません。それで、「どれだけ僕が理解できているかは分かりません」ということになります。

具体的には、

「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(日本聖書研究会の口語訳、詩篇46:10より)

に聞き従えるように祈ってから、比較的によく理解できていると思う聖句を、何回かゆっくり声に出して読んで、「聖書に読まれる」、「神の視点で読む」、「神に直接に語っていただく」と表現できると思う経験をすることがあります。

No.3120 2007/10/03(Wed) 06:27:11

Re: 出エジプトのときのイスラエルの購い / BISKO 引用

管理人さんは、その牧師先生の「聖書に読まれる」という言葉の背後に、彼(あるいは彼女)がどのような思いを込められていたのか、少しでも考えたられたのでしょうか?

その言葉の背後にある聖書の理解、牧会の経験、信仰の深さに、自分もちゃんと近づいた上で、同じ言葉を使うべきだ、という考えは、思いをよぎらなかったのでしょうか。 

>また、そういう経験をしても、それが、例えば牧師の経験とどういう風に深さや質が違うのか、自分には分かりようがありません。

だからこそ、自分の言葉で、説明するべきなんです。他人の受け売りの格好のよい言葉で、ではなくて。

自分のわかっている範囲で。実感を持っている範囲で。子供にもわかるような説明が出来る範囲で。 自分の言葉を駆使して。


>「神に直接に語っていただく」と表現できると思う経験をすることがあります。

それは、他への説明のときにどんな言葉をいくらでも使って良いということの許可書とはなりません。

神、愛、全知全能、聖霊、三位一体 などなど

そのような「言葉」を次から次へと並べ立てて、非信者から(ひいてはキリスト者からも)ぜんぜん判らないとひんしゅくを買いつつ、挙句の果てに「信仰がなければ私の言っていることはわからないのです。」と開き直るキリスト者を、何人も見てきました。

ある言葉を発した人の立場。そしてその言葉を拝借しようとする自分の立場。 その二つの立場の間におおきなひらきがあることをもし認識しするなら、安易にその言葉を使うことなどしないはずです。

>分かったような気になってきたときに、先生の前では自分は小学生にも劣ると気づいて

・・・その通りです。

No.3121 2007/10/03(Wed) 09:15:51

Re: 出エジプトのときのイスラエルの購い / 大垣 引用

BISKOさん、分かりやすく助言していただいてありがとうございます。

まだ自分の言葉になっていなければ、その言葉を使わないほうが良いですね。悔い改めたいと思います。

どうか、僕が使うべきでない言葉を使いませんように、神さまがお導きくださいませ。

No.3124 2007/10/03(Wed) 12:57:30

Re: 出エジプトのときのイスラエルの購い / AK 引用

大垣さんの話に出てくる牧師さんに、私もお会いしたことがありますが、「聖書に読まれる」という表現ではありませんでしたが、まな板の上のコイのようになったら良い、自分が聖書の上にぽんと乗ってしまって料理されるように、という言い方をされたのをお聞きしたことがあります。
「自分が」聖書を読んで理解しようと努力するのではなくて、ただ神さまが語りかけてくださるその語りかけを聞くことが大切、ということだと私は受け取りました。

No.3128 2007/10/04(Thu) 00:54:06
使徒3章 / 大垣 引用

使徒3章。4節、イエスがよく弟子たちを見つめられたように、ペテロとヨハネも男を見つめた。7−8節のイエスの名による不思議な奇蹟。このような奇蹟は、イエスの復活という霊的に最も大切な奇蹟を指し示すために、神が与えられる。この世で苦しんでいる人が癒される、という面だけを見ていると、なぜ、時代によって、あまり奇蹟が与えられないのか、理解が困難になると思います。

12−13節、僕たちは使徒たちの奇蹟や、奇蹟ではなくとも、現代のマザー・テレサや多くのキリスト者たちの、普通には考えられない不思議な愛の働きを見るとき、彼らを見つめるのではなく、イエスの栄光を見るようにしたい。

26節、イエスが「ひとりひとりをその邪悪な生活から立ち返らせてくださる。」のであって、イエスの再臨の前に、戦争がなくなって世界平和が達成されたり飢餓がなくなったりするわけではないと思います。

No.3126 2007/10/03(Wed) 21:15:14
出エジプト記25章残り / 沙耶香 引用

今日は出エジプト記25章残りを読みます。

21節に
その「購いのふた」を箱の上に載せる。箱の中には、わたしが与えるさとしを納めなければならない。
とありますが、結局「購いのふた」はあの写真の金の像の下の部分ということかな?

29節に
注ぎのささげものを注ぐ為の皿やひしゃく、びんや水差しを作る。これらは純金で作らなければならない。
とあるが、ひしゃくって何だろうか?

31節に
また、純金の燭台を作る。その燭台は槌で打って作らなければならない。それには、台座と支柱と、がくと節と花弁がなければならない。
とあるが、燭台っていうのは辞書で引いて、ろうそくを立ててともす台とありましたが、台座と支柱とがくと節と花弁って何だろうか?

37節に
それにともしび皿を7つ作る。ともしび皿を上げて、その前方を照らすようにする。
とあるが、ともしび皿って何だろうか?この時代はそういうものが存在したのだろうか?

38節に
その心切りばさみも心取り皿も純金である。
とあるが、心切りばさみと心取り皿って一体何だろうか?やはりこの時代にはそういうものが存在したのだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒28章6―10節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると6,8節が気になるので、これをもう何度か読みます。
事実は小説より奇なりといいます。

No.3111 2007/10/02(Tue) 11:45:32

再出エジプト記25章残り / 沙耶香 引用

今日はもう一度出エジプト記25章残りを読みます。

30節の
机の上には供えのパンを置き、絶えずわたしの前にあるようにする。
が印象に残りました。

32節に
6つの枝をそのわきから、すなわち燭台の3つの枝を一方のわきから、燭台の他の3つの枝を他のわきから出す。
とあるが、これは一体どういう様子だろうか?今一ピンと来ない。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒28章11―15節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると15節が気になるので、これをもう何度か読みます。
やっぱり神に感謝することが一番大切なことですよね。

No.3117 2007/10/02(Tue) 21:30:08

Re: 出エジプト記25章残り / 大垣 引用

21節ですが、19節にあるように2つのケルビムの像は「購いのふた」の一部です。「25章20節まで」のところでアドレスを書いた模型のサイトの8段目の右の写真で、購いのふたを開けて箱の中を見せているので、ふたの様子が分かりやすいと思います。

29節のひしゃくは、液体をくむ道具ですが、模型のサイトには写真が見当たらないようです。インターネットで「ひしゃく」と入れて検索されると、日本の普通のひしゃくの写真がいろいろ出てきます。

30節のパンが机の上においてある様子は、上から4番目の写真を見てください。

31―36節の燭台は模型のサイトの上から12段目に模型の写真があります。燭台の一番下の部分が台座で、真ん中の棒の部分が支柱です。写真では分かりにくいですが、真ん中の支柱とあわせて7つある枝の先が、アーモンドの花の形をしています。植物の花弁は花びら、額は花の下の部分の緑のところ、節は茎の節目のところのようです。「アーモンド 花弁」と入れてインターネットで検索すると、写真などがでてきましたので、試してみてください。

37節のともしび皿とは、燭台の7つの枝の先のろうそくを載せる部分のことだと思います。

38節の心きりばさみと、心取り皿は、燭台のろうそくのための道具ですが、具体的にどういうものが、僕にはよく分かりません。ろうそくの芯を切るためのはさみのようなものか、火ばしのようなものと、何かろうそく用の皿だと思います。

7節のエボデは、大祭司用のエボデを復元した服の写真が、模型のサイトの上から9段目に、祭司用のエボデを復元した服の写真が2段目にあるので見ておいてください。

No.3118 2007/10/03(Wed) 00:18:04

Re: 出エジプト記25章残り / 沙耶香 引用

>>21節ですが、19節にあるように2つのケルビムの像は「購いのふた」の一部です。「25章20節まで」のところでアドレスを書いた模型のサイトの8段目の右の写真で、購いのふたを開けて箱の中を見せているので、ふたの様子が分かりやすいと思います。

うん、もう一度開いて8段目見ました。「購いのふた」の上にケルビムの像がのっかっているという感じかな・・・

>>29節のひしゃくは、液体をくむ道具ですが、模型のサイトには写真が見当たらないようです。インターネットで「ひしゃく」と入れて検索されると、日本の普通のひしゃくの写真がいろいろ出てきます。

うーん、お墓参りのときに水をくむ道具ですね・・・

>>30節のパンが机の上においてある様子は、上から4番目の写真を見てください。

えーー?あれパンなの?お皿もないですね・・・

>>31―36節の燭台は模型のサイトの上から12段目に模型の写真があります。燭台の一番下の部分が台座で、真ん中の棒の部分が支柱です。写真では分かりにくいですが、真ん中の支柱とあわせて7つある枝の先が、アーモンドの花の形をしています。植物の花弁は花びら、額は花の下の部分の緑のところ、節は茎の節目のところのようです。「アーモンド 花弁」と入れてインターネットで検索すると、写真などがでてきましたので、試してみてください。

燭台は12段目の左かな?
「アーモンド 花弁」と入れると、聖書関連だとわかるみたいですね・・・私なんかが考えると、アーモンドの花があって、その花弁のことだと思っていたんだけれど・・・
一番上にヒットしたもので、12段目の左と似たような写真が載っていました。

7節のエボデは、大祭司用のエボデを復元した服の写真が、模型のサイトの上から9段目に、祭司用のエボデを復元した服の写真が2段目にあるので見ておいてください。

>>7節のエボデは、大祭司用のエボデを復元した服の写真が、模型のサイトの上から9段目に、祭司用のエボデを復元した服の写真が2段目にあるので見ておいてください。

うーん、9段目は何だか重たそうですね、2段目のはかしこまりすぎているような感じですね・・・

No.3122 2007/10/03(Wed) 10:26:41
使徒2章 / 大垣 引用

使徒2章。1-13節、五旬節。神は初穂の祭りである五旬節を福音の初穂の日として選ばれた。インドや中国につながるメソポタミア東方の地域に住むユダヤ人たちも、この日にエルサレムに来ていて福音を聞いたことと思います。7世紀ごろの日本との関係もあるかもしれない中国の景教のことなどを思うと興味深い。

14-36節、ペテロの説教。17-21節のヨエルの引用で、18節までがこの五旬節の日に成就したことだと思います。19-21節の天と地の異変は、キリストの再臨の直前に成就すると思います。おそらく歴史上に同じようなことを繰り返し起こされる神が、再臨の前に起こる恐ろしいことと同じような天と地の異変を紀元70年のエルサレム陥落の直前にも、起こされたのだろうと思います。

24-32節のようにイエスの復活が、初期教会の伝道の中心テーマである。ダビデの詩篇が、キリストの復活を預言していることが興味深い。キリストはダビデの子孫であるので、ダビデが自分のこととして語ったことも、ダビデはキリストについて予見して語ったのである。そしてペテロたちが、イエスの復活の証人である。それで、イエスがダビデの予見したキリストであることが分かる。僕たちがユダヤ人に伝道する機会が与えられたら、このことが大いに参考になると思います。10章34-43節のペテロと17章22-31節のパウロの異邦人に対する説教と、2章のペテロのユダヤ人に対する説教を比べると、どちらもキリストの復活が中心であるが、伝え方はかなり違う。

37-47節、新しく誕生した教会。3000人がバプテスマを受け、エルサレムで教会が始まった。誰かのキリスト者の家に集まって主にあって交わり、祈り、聖餐式を行った。さらにいっさいのものを共有し、必要に応じて分配した。いっさいのものを共有する考えは、共産主義と同じであるが、共産主義が教育など人間の力だけでそれを達成しようとするので、ソ連の崩壊や中国での文化大革命のような惨事につながった。エルサレムの教会は、人間の力ではなく、神の力によるいっさいのものを共有するコミュニティーであった。

No.3114 2007/10/02(Tue) 13:36:50
出エジプト記25章20節まで / 沙耶香 引用

今日は出エジプト記25章20節までを読みます。

2節の
「わたしに奉納物をささげるように、イスラエル人に告げよ。すべて、心から進んで捧げる人から、わたしへの奉納物を受け取らなければならない。
が印象に残りました。やはり心から進んで捧げる人から、受け取らないと、つぶやいて捧げていても恵もこないですし・・・・

4節に
青色、紫色、緋色のより糸、亜麻布、やぎの毛、
とありますが、緋色のより糸って何だろうか?緋色ってどんな色だろうか?より糸って何だろうか?

5節に
赤くなめした雄羊の皮、じゅごんの皮、アカシヤ材、
とあるが、赤くなめした雄羊の皮って何だろうか?じゅごんの皮って何だろうか?アカシヤ材って何だろうか?

7節に
エポデや胸当てにはめ込むしまめのうや宝石。
とあるが、エポデって何だろうか?しまめのうってなんだろうか?

16節に
わたしが与えるさとしをその箱に納める。
とありますが、さとしとは一体何だろうか?

18節に
槌で打って作った2つの金のケルビムを「購いのふた」の両端に作る。
とあるが、ケルビムって一体何だろうか?

19節に
一つのケルブは一方の端に、他のケルブは他方の端に作る。ケルビムを「購いのふた」の一部としてそれの両端に作らなければならない。
とあるが、ケルブって何だろうか?ケルビムと似ているので、何か関係があるのかとは思うけれど・・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒27章40―44節までを読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると42節が気になるので、これをもう何度か読みます。
緊急時はいろんなことが思い浮かんであまりよくない発想をしてしまいがちですね・・・

No.3099 2007/10/01(Mon) 12:27:20

Re: 出エジプト記25章20節まで / 大垣 引用

4節の緋色は深紅で、スカーレットと呼ばれる深い赤い色です。より糸は、細い繊維をよって、あわせて作ってある糸だと思います。

赤くなめした雄羊の皮ですが、一般に動物の皮を加工するとき、なめすのですが、そのときに赤く染めた皮ということかと思います。じゅごんとは、昔、人魚に間違えられたと言われている3メートルくらいもある大きな海の動物です。インターネットで「ジュゴン」といれて検索してみたら、写真なども出てきました。ただし、もとのへブル語のことばが、「じゅごん」を指すののか、いるか、あざらしなど、ほかの動物をさすのか、いろいろな説があるようです。アカシヤ材はアカシヤの木の木材ですアカシヤは、中近東の荒野で最大の木で、4−7メートルの高さになり、美しいオレンジ・プラウン色をしているそうです。

7節のエボデは、イスラエルの祭司が来た服です。「しまめのう」は「めのう」と呼ばれる宝石の一種です。ここももとのへブル語のことばが、正確にどのような宝石を意味するのか、いろいろな説があるようです。

16節、の「さとし」とは律法のことですが、特にここでは十戒だと思います。詩篇119篇には、ヘブル語で律法の意味のいろいろなことばが使われていますが、119篇2節の「みおしえ」と新改訳で訳されている言葉が、ここの「さとし」と同じ語源の言葉です。

18節の、ケルビムは翼のある御使いです。契約の箱のふたである「購いのふた」の上に、2つのケルビムの像を作るように主が言われました。

19節のケルプは、ケルビムの単数形です。18節ではケルプの像をふたつ作るので、複数形になって、ケルビムと呼ばれています。

No.3101 2007/10/01(Mon) 21:40:55

再出エジプト記25章20節まで / 沙耶香 引用

今日はもう一度出エジプト記25章20節までを読みます。

8節の
彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む。
が印象に残りました。

12節に
箱のために、4つの金の環を鋳造し、それをその四隅の基部に取り付ける。一方の側に二つの環を、他の側にほかの二つの環を取り付ける。
とあるが、金の環を鋳造するとは一体どういうことだろうか?環って何だろうか?意味がわからない。

17節に
また、純金の「購いのふた」を作る。長さは2キュビト半、幅は1キュビト半。
とありますが、「購いのふた」って何だろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒28章1−5節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると5節が気になるので、これをもう何度か読みます。イエス様は何もかもご存知なのですね・・・・

No.3103 2007/10/01(Mon) 21:56:10

Re: 出エジプト記25章20節まで / 大垣 引用

ここは、模型の写真を見ると分かりやすいと思います。設定を変えたので、リンクを貼れないのですが、詩篇第84篇のところで、貼り付けたリンクを見てください。過去ログの2のところにあります。

写真の翼のある2つのケルビムの像のついている箱のふたが、「購いのふた」です。ふたのすぐ下に金色の環(丸いわっか)が2つついていて、金色の棒が通してあります。4段目の写真が23−28節で主が説明された机です。

No.3105 2007/10/02(Tue) 03:27:10

Re: 出エジプト記25章20節まで / 沙耶香 引用

>>赤くなめした雄羊の皮ですが、一般に動物の皮を加工するとき、なめすのですが、そのときに赤く染めた皮ということかと思います。

なめすって何ですか?

>>じゅごんとは、昔、人魚に間違えられたと言われている3メートルくらいもある大きな海の動物です。

いろいろ開いてみました。いろんな写真があって分かりにくいですが、でも何かイルカのような生き物かな?と思いました。

>>119篇2節の「みおしえ」と新改訳で訳されている言葉が、ここの「さとし」と同じ語源の言葉です。

多分119章の1節の最後の主のみおしえによって歩む人々。のみおしえのことだろうと思います。

>>ここは、模型の写真を見ると分かりやすいと思います。設定を変えたので、リンクを貼れないのですが、詩篇第84篇のところで、貼り付けたリンクを見てください。過去ログの2のところにあります。

過去ログ2を開きましたが、9月8日あたりで、創世記や、出エジプト記になっていますが・・・いろいろ開いてみたが分からない・・・
結局あるクリスチャンのメールを手がかりに開きました。5段目と6段目の写真かな?うん、前に見ました。
でも設定を変えて、リンクできないようになっていても、アドレスだけでも書いておいてくれたほうが、開ける人いると思うんだけれど・・・

No.3107 2007/10/02(Tue) 09:47:01

Re: 出エジプト記25章20節まで / 大垣 引用

動物の皮をそのまま使うとすぐ腐敗したり、堅くなったりしてしまうそうです。それで、昔から草や木の汁を使ったり、いぶしたりする工夫をして皮を使います。このように皮を加工することを「なめす」といいます。

詩篇第119篇2節の「みおしえ」と書いたのは間違いで、へブル語の語源が同じなのは2節の「さとし」と新改訳で訳されている言葉です。訂正してお詫びします。

リンクのアドレスは

www.bibleplaces.com/tabernaclemore.htm

です。

No.3110 2007/10/02(Tue) 11:38:18
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