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出エジプト記24章 / 沙耶香 引用

今日は出エジプト記24章を読みます。

6節に
モーセはその血の半分を取って、鉢にいれ、残りの半分を祭壇に注ぎかけた。
とあるが、なぜ、こういうことをしたのだろうか?

10節に
そうして、彼らはイスラエルの神を仰ぎ見た。御足の下にはサファイヤを敷いたようなものがあり、透き通っていて青空のようであった。
とあるが、これはどういう様子だろうか?足が透き通ってきれいだと言いたいのだろうか?

15節の
モーセが山に登ると、雲が山を覆った。
が印象に残りました。

何だか冷えてきました。この前まで暑かったのに、急に秋がきたのかな?窓閉めているのに寒い。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒27章30―34節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、33節が気になるので、これをもう何度か読みます。
何も食べずに2週間か・・・よく耐えられたなーーー。どこかに支障は出なかったのだろうか?と心配になるが、イエス様おられるから大丈夫なのですよね?

No.3090 2007/09/30(Sun) 05:41:20

再出エジプト記24章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度出エジプト記24章を読みます。

3節の
そこでモーセは来て、主のことばと、定めをことごとく民に告げた。すると、民はみな声を一つにして答えて言った。「主の仰せられたことは、みな行います。」
が印象に残りました。

8節に
そこで、モーセはその血を取って、民に注ぎかけ、そして言った。「見よ。これは、これらすべてのことばに関して、主があなたがたと結ばれる契約の血である。」
とありますが、これはどういう意味だろうか?

11節に
神はイスラエル人の指導者たちに手を下されなかったので、彼らは神を見、しかも飲み食いをした。
とあるが、これはどういう意味だろうか?

13節に
そこで、モーセとその従者ヨシュアは立ち上がり、モーセは神の山に登った。
とあるが、ヨシュアってモーセの従者だったんだ??

17節の
主の栄光は、イスラエル人の目には、山の頂で燃え上がる火のように見えた。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒27章35―39節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると35節が気になるので、これをもう何度か読みます。
何でも神様に感謝を捧げてからするといいですよね?特に食べる前の神様に対する感謝は恵みですよね。

No.3093 2007/09/30(Sun) 20:29:38

Re: 出エジプト記24章 / 大垣 引用

6節で半分を祭壇に注ぎかけ、後の半分を残しておいたのは、8節で民にそそぎかけるためです。8節での、8節の「これらすべてのことば」は、20-23章にある十戒とほかの定めだと思います。ただし3節の「主のことば」は十戒、「定め」は31-33章の律法であるという考えもあるそうです。罪のある人間が主と契約関係に入る恵みを受けるには、血による聖めが必要になります。6節でモーセが祭壇に血をそそいだのは、祭壇で人のいのちが贖われるからであり(レビ17章11節)、8節でモーセが血を民に注ぎかけたのは、それによって民が聖められ、聖なる神と契約関係に入るのだと思います。キリスト者は、キリストの十字架での死によって義と認められ、キリストの血によって、主と契約関係に入り、関係を保つ恵みを受けると思います。血は罪があるために必要になるので、まだ人間が罪で堕落する前のエデンの園での主とアダムが契約関係に入ったときには血が必要ではありませんでした(創世記2章16-17節)。

8節での、8節の「これらすべてのことば」は、20-23章にある十戒とほかの定めだと思います。ただし3節の「主のことば」は十戒、「定め」は31-33章の律法であるという考えもあるそうです。

10節の透き通っていて青空のようだったのは、御足ではなく、御足の下のサファイヤを敷いたようなものだと思います。
11節で、イスラエル人の指導者たち(9節でシナイ山に上っていった人たち)は、主の栄光の一部を見るほど主に近づいた上に、申命記12章7節のように、主の前で祝宴を張り、主がくださった飲食物を喜んで楽しみながらいただいたと思います。このように、主の前で感謝し、喜び、主の祝福を楽しむことは良いことです。「楽しみ」ということ自体を敵視する禁欲主義に陥らないように注意する必要があると思います。

13節、ヨシュアはモーセの従者であり、17章8-16節に書いてあるように、軍事的なリーダーでもあり、ヨシュア記で読みますが、モーセが死んだ後に後継者となって、イスラエルの民を約束の地に導きいれるとても重要な人です。

使徒27章30―34節は、34節で、髪一筋も失われることがない、とあるので、2週間も食べなくとも、支障が出ないように神がされたことが分かると思います。ルカ4章2節にあるように、イエスは40日間も食べずに荒野におられました。

使徒27章35節のように、何でも神様に感謝を捧げてからするといいです。1テモテ4章4-5節のように、神が造られた物はみな良い物であることを理解して感謝して受けることが大切だと思います。

No.3097 2007/09/30(Sun) 23:42:04

Re: 出エジプト記24章 / 沙耶香 引用

レビ記17章11節・・・
なぜなら、肉のいのちは血の中にあるからである。わたしはあなたがたのいのちを祭壇の上で購う為に、これをあなたがたに与えた。いのちとして購いをするのは血である。

>>使徒27章30―34節は、34節で、髪一筋も失われることがない、とあるので、2週間も食べなくとも、支障が出ないように神がされたことが分かると思います。ルカ4章2節にあるように、イエスは40日間も食べずに荒野におられました。

私、40日間食べなくて、病院に運ばれて生死をさまよっていました。イエス様だからできる御業で、人間にはなかなかできません。

No.3098 2007/10/01(Mon) 11:38:51

Re: 出エジプト記24章 / BISKO 引用

沙耶香さん。

こんにちは、BISKOです。

>私、40日間食べなくて、病院に運ばれて生死をさまよって
>いました。イエス様だからできる御業で、人間にはなかなか
>できません。

このコメントにはびっくりしました。
大変なご経験をされておられるのですね。
現在はご健在であることを願っています。

テレビで有名なあるアメリカのスタントマンが、44日間断食をするというスタントをやってのけましたが、この人も、その直後、入院しています。

人間である以上、40日間断食することは、その人を限界へと追い込む、大変に難しいことなのですね。 健康に支障が無いはずありません。 それはイエスとて同じであったはずです(しかし、神秘的な助けがなければ出来ないことでも無いようです。)

でも、だからこそ、その断食の後に、「ハラがへっているなら、この石をパンに変えてみよ」という、悪魔の誘惑に屈することをされなかったイエスの信仰のすごさが明らかになります。 そのすごさは、私などより、沙耶香さんの方が身をもって感ずることが出来ることなのかも知れません。

No.3100 2007/10/01(Mon) 12:35:32

BISKOさんへ / 沙耶香 引用

>>このコメントにはびっくりしました。
大変なご経験をされておられるのですね。
現在はご健在であることを願っています。

うーん、そのときは拒食症で体重も40キロをきってしまっていて、入院して持続点滴を心臓から入れたりして栄養を補っていました。
でも、拒食の状態が長く続くわけではありません。いつのまにか過食に転じちゃって、今は相当に太っています。CENSOREDの経験も何度もあります。本当にいろいろ困難なところを通ってきて苦しんできましたが、イエス様と知り合い助けてくださいました。

No.3104 2007/10/01(Mon) 22:01:39
出エジプト記23章 / 沙耶香 引用

今日は出エジプト記23章を読みます。

2節の
悪を行う権力者の側にたってはならない。訴訟に当たっては、権力者に偏って、不当な証言をしてはならない。
が印象に残りました。

7節に
偽りの告訴から遠ざからなければならない。罪のないもの、正しい者をCENSOREDはならない。わたしは悪者を正しいと宣告することはしないからである。
とありますが、この世の中の裁判官もこういう風だといいんだけれど・・・

9節に
あなたは在留異国人をしいたげてはならない。あなたがたは、かつてエジプトの国で在留異国人であったので、在留異国人の心をあなた方自身がよく知っているからである。
とありますが、これはイスラエル人に対して言っているのかな?でも読む人はイスラエル人ではない私のような人もいるので、かつてエジプトの国で在留異国人であったのでと言われても・・・

15節に
種を入れないパンの祭りを守らなければならない。わたしが命じたとおり、アビブの月の定められたときに、7日間、種を入れないパンを食べなければならない。それは、その月にあなたがエジプトから出たからである。だれも、何も持たずにわたしの前に出てはならない。
とあるが、前にも聞いたかもしれないが、アビブの月って何だろうか?低能力でなかなか覚えが悪くてごめんなさい。

18節に
わたしのいけにえの血を、種を入れたパンに添えてささげてはならない。また、わたしの祭りの脂肪を、朝まで残しておいてはならない。
とあるが、祭りの脂肪って何だろうか?牛や羊などのことだろうか?

19節に
あなたの土地の初穂の最上のものを、あなたの神、主の家に持ってこなければならない。
子やぎを、その母親の乳で煮てはならない。
とあるが、子やぎを、その母親の乳で煮てはならないというのはどういうことだろうか?子やぎをその母親の乳で煮る習慣があったのだろうか?

22節に
しかし、もし御声に確かに聞き従い、わたしが告げることをことごとく行うなら、わたしはあなたの敵には敵となり、あなたの仇には仇となろう。
とありますが、心強い御言葉ですね・・・

25節の
あなたがたの神、主に仕えなさい。主があなたのパンと水を祝福してくださる。わたしはあなたの間から病気を除き去ろう。
が印象に残りました。

26節に
あなたの国のうちには流産するものも、不妊のものもいなくなり、わたしはあなたの日数を満たそう。
とありますが、これはどういう意味だろうか?流産する人も不妊の人もいるんだけれど・・・・

28節に
わたしは、また、くまばちをあなたの先に遣わそう。これがヒビ人、カナン人、ヘテ人を貴方の前から追い払おう。
とありますが、くまばちとは何だろうか?くまのような巨大なはちだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒27章19―24節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると24節が気になるので、これをもう何度か読みます。
主の御使いの小憎らしい演出というか、なかなかやりますね・・・

No.3085 2007/09/29(Sat) 11:54:50

再出エジプト記23章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度出エジプト記23章を読みます。

今家族間でいろいろありました。食事時いろいろとあります。でもきっとイエス様がいいようにとりなしてくださると信じて期待して感謝します。

20,21節の
見よ。わたしは、使いを貴方の前に遣わし、あなたを道で守らせ、わたしが備えたところにあなたを導いて行かせよう。
あなたは、そのものに心を留め、御声に聞き従いなさい。決して、そのものにそむいてはならない。わたしの名がそのもののうちにあるので、そのものはあなたがたのそむきの罪を赦さないからである。
が印象に残りました。

24節に
あなたは彼らの神々を拝んではならない。仕えてはならない。また、彼らの風習にならってはならない。これらを徹底的に打ち壊し、その石の柱を粉々に打ち砕かなければならない。
とありますが、これはどういう意味だろうか?石の柱を粉々に打ち砕く??

27節に
わたしは、わたしへの恐れをあなたの先に遣わし、あなたがそこにはいっていく民のすべてをかき乱し、あなたのすべての敵があなたに背を見せるようにしよう。
とありますが、これはどういう意味だろうか?わたしへの恐れをあなたの先に遣わす??うーん??

30節に
あなたがふえ広がって、この地を相続地とするようになるまで、わたしは徐々に彼らをあなたの前から追い払おう。
とあるが、これはどういう意味だろうか?相続地とするまで???

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒27章25―29節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると29節が気になるので、これをもう何度か読みます。
本当航海って大変ですよね。

No.3086 2007/09/29(Sat) 20:01:54

Re: 出エジプト記23章 / 大垣 引用

9節のところの沙耶香さんの質問ですが、出エジプト記には主がイスラエルと契約関係に入られたときに、イスラエルが守るべき戒めとして与えられたモーセの律法が書いてあります。ここで「あなた」とあるのは、当時のイスラエル人のことです。僕たちキリスト者は、モーセの律法の下にはないので、ここの「あなた」ではないし、律法に書いてある行ない(例えば、金曜日の日没から土曜日の日没までの安息日に仕事をしないこと)をそのとおりに守る必要もありません。僕たちキリスト者は、モーセの律法を読むことによって、主がどのような方であるか、そして僕たちがどのような心を持つことを望まれるか学び、主に近づいていくことが大切です。

15節のアビブの月は、イスラエルの宗教暦の最初の月で、太陰暦なので年によって変わりますが今の3-4月ごろになります。

18節の「祭りの脂肪」は、祭りで食べる牛や羊の脂肪のことだと思います。

19節、当時、豊作のための魔術的手段として、子やぎを母やぎの乳で煮る、ということをしていた人たちがいたそうです。ここは、そのような魔術的手段を禁じるという意味と、僕にはなぜか理解できませんが、主の目から見ると、子やぎを母やぎの乳で煮るということは、何か残酷で悪いことであるという意味があるようです。

22節、心強い御言葉ですし、律法の素晴らしさを思います。しかし、僕たち人間には律法をことごとく行う力がないのです。主が選ばれたイスラエルにもありませんでした。使徒7章53節でステパノが言ったとおりです。それで、律法を完全に守られたイエスの恵みが僕たちに必要になります。

主に義と認めていただき、契約関係に入り、守るべき戒めが与えられたら、戒めを全て守れば主が祝福されるし、ひとつでも守らなければ主が罰されます。イスラエルは国として主と契約関係に入ったのですが、律法を守らなかったために、主が罰されました。25節の病気が完全になくなる祝福も、26節のように流産する人や不妊の人が完全にいなくなる祝福もイスラエルは受けませんでしが。信仰によって義と認められたキリスト者はモーセの律法の下にはなく、エレミヤ31章31-34節にある新しい契約の下にあります。律法は僕たちの心に書かれています。そしてヨハネ15章12節で主イエスが言われたように、イエスが弟子たちを愛されたように、僕たちが互いにイエスの聖い愛で愛し合うこと、これが新しい契約の戒めです。この戒めと心に書かれた律法を守れば主がキリスト者が祝福され、守らなければ罰されます。

24節は、カナンの地に住む人々の神々を拝んではならないこと、彼らが神々を拝むための石の柱を建てているので、それらを粉々に打ち砕くべきであることを主が言っておられます。キリストの十字架以後は、キリスト者の戦いは、ほかの人間たちに対するより、エペソ6章11-12節にあるように、悪霊に対する霊的な戦いです。これは、主に自分の心の中の戦いになると思います。自分の心の中に、無限に深いので人間には理解できない主を絶対しして崇拝するではなく、もっと理解しやすい人間の造った神々や、人間の作った宗教や聖書解釈を絶対しして崇拝しようという気持ちがあれば、それを主に打ち砕いていただく必要があります。29-30節で、主がすぐにカナンの人たちを追い出されないように、僕たちの心の中の悪も、主が時間をかけて、徐々に追い出されます。これは、主が僕たちの個性を大切にされるので、良いところを悪いところと一緒に打ち砕かないようにされているのだと思います。

27節は、エジプトでの不思議な主のわざがカナンの人々にも伝わるようにし、カナンの人々が主を恐れて、イスラエルの人々から逃げ出すようにされる、ということです。この40年後に、イスラエルがカナンの地に入ったとき、最初に攻めた町はエリコでした。二人のイスラエル人が、エリコを偵察に行ったとき、ラハブという遊女が、カナンの人たちは恐れていることを言いました(ヨシュア記2章1-13節、特に9節)。

28節の「くまばち」は日本では体調23ミリくらいの大きいはちですが、へブル語で「くまばち」と訳されている語は、くまばちよりも少し大きい「すずめばち」に近いかもしれません。どちらにしても2,3センチもある大きめのはちです。

No.3087 2007/09/29(Sat) 21:19:23

Re: 出エジプト記23章 / 沙耶香 引用

>>19節、当時、豊作のための魔術的手段として、子やぎを母やぎの乳で煮る、ということをしていた人たちがいたそうです。ここは、そのような魔術的手段を禁じるという意味と、僕にはなぜか理解できませんが、主の目から見ると、子やぎを母やぎの乳で煮るということは、何か残酷で悪いことであるという意味があるようです。

うーん??子やぎを母やぎの乳で煮るのが残酷??うーん、分からないけれど、主には意味があるんでしょうね・・・

エレミヤ31章31-34節・・・
うーん、何だか分かりづらいが、わたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。が一番いいたいのかな?と思いますが・・・

>>自分の心の中に、無限に深いので人間には理解できない主を絶対しして崇拝するではなく、もっと理解しやすい人間の造った神々や、人間の作った宗教や聖書解釈を絶対しして崇拝しようという気持ちがあれば、それを主に打ち砕いていただく必要があります。

神様イエス様を崇拝しているつもりだけれど、邪念が入っていたら取り除いてもらわないといけないですね・・・

>>27節は、エジプトでの不思議な主のわざがカナンの人々にも伝わるようにし、カナンの人々が主を恐れて、イスラエルの人々から逃げ出すようにされる、ということです。この40年後に、イスラエルがカナンの地に入ったとき、最初に攻めた町はエリコでした。二人のイスラエル人が、エリコを偵察に行ったとき、ラハブという遊女が、カナンの人たちは恐れていることを言いました(ヨシュア記2章1-13節、特に9節)。

うーん???今一ピンと来ないなー――。

No.3089 2007/09/30(Sun) 05:05:29

Re: 出エジプト記23章 / 大垣 引用

27節については、いつかヨシュア記を読まれると、もっと理解が深まると思います。

No.3096 2007/09/30(Sun) 22:53:56
出エジプト記22章 / 沙耶香 引用

今日は出エジプト記22章を読みます。

7節に
金銭あるいは物品を、保管のために隣人に預け、それがその人の家から盗まれた場合、もし、その盗人が見つかったなら、盗人はそれを2倍にして償わなければならない。
とあります。続く8節に
もし、盗人が見つからないなら、その家の主人は神の前に出て、彼が隣人の財産に手をかけなかったことを誓わなければならない。
とありますが、何だか難しい問題ですね・・・金銭あるいは物品を隣人に預けるというのが大体今の風習にはないことなので・・・隣の人に預けたらそのままなくなると思ってしまうのだが・・・

16節に
まだ婚約していない処女をいざない、彼女と寝た場合は、その人は必ず花嫁料を払って、彼女を自分の妻としなければならない。
とあります。続く17節に
もし、その父が彼女をその人に与えることを堅く拒むなら、その人は処女のために定められた花嫁料に相当する銀を支払わなければならない。
とありますが、これが現代に適用されたら、なく女の人も減り、女性への意識の向上につながるだろうなーーと思います。

20節に
ただ主ひとりのほかに、ほかの神々にいけにえを捧げるものは、聖絶しなければならない。
とありますが、聖絶するとはどういう意味だろうか?

25節に
わたしの民のひとりで、あなたのところにいる貧しい者に金を貸すのなら、彼に対して金貸しのようであってはならない。彼から利息を取ってはならない。
とありますが、こういう定めが今あるといいですね・・・貧しい人は本当に助かると思います。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒27章9―13節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。
何度か読んでいると13節が気になるので、これをもう何度か読みます。
うん、航海には風向き風速は本当に一番関係ありますよね?航海、陸ではないので、道がないので、本当に大変ですよね。

No.3078 2007/09/28(Fri) 11:39:08

Re: 出エジプト記22章 / 大垣 引用

7−15節の戒めで、主が個人の所有する権利を大切にされていること、人と人との間での償いがあることに注目したいと思います。

20節の「聖絶」という語は、他の日本語聖書では「断ち滅ぼす」と訳されることの多いへブル語の訳ですが、新改訳が採用した新造語だそうです。「全く完全に破壊し、絶滅する」という意味がもともとのへブル語にあるらしく、それを、「聖絶」という新造語で表現しています。人を聖絶する場合は、CENSOREDことになるようです。

No.3081 2007/09/28(Fri) 21:36:52

再出エジプト記22章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度出エジプト記22章を読みます。

1節に
牛とか羊を盗み、これを殺したり、これを売ったりした場合、牛一頭を牛五頭で、羊一頭を羊四頭で償わなければならない。
とあるが、こういう風に定めてあっても、盗んだり殺したりして自分でそういうことをしたと言う人いないので、なかなか見つからなくて、罰を受けさせることは不可能なのではないのですか?

26節に
もし、隣人の着る物を質に取るようなことをするのなら、日没までにそれを返さなければならない。
とあります。続く27節に
なぜならそれは彼の唯一つのおおい、彼の身につける着物であるから。彼はほかに何を着て寝ることができよう。彼が私に向かって叫ぶとき、わたしはそれを聞き入れる。わたしは情け深いから。
とありますが、隣人がその着物しか持っていない人だとなぜ断定できるのだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒27章14―18節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語り下さい。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると18節が気になるので、これをもう何度か読みます。
うん、疑いが晴れて本当によかったですね・・・でもこの世では疑いが晴れているのに、警察の手によって握りつぶされ、服役せざるを得なくなる人もいます。本当にこの世の中はサタンの支配下です。早く再臨して欲しい。

No.3082 2007/09/28(Fri) 23:28:14

Re: 出エジプト記22章 / 大垣 引用

1節は、盗んだり殺したり人が捕まったときの戒めで、今の法律のようなものだと思います。今の法律でも、盗んだり殺したり人が捕まらないと、何もできないのと同じことだったと思います。

26節は、当時にお金を借りるような貧乏なイスラエル人は、着物をひとつしか持たないのが普通だったということだと思います。聖書には、明らかな例外があるときは、書いていないことが多いです。2つ以上の着物を持った人がお金を借りることもあっただろうけれど、そういうことは明らかな例外だと思います。

No.3083 2007/09/29(Sat) 05:30:40

Re: 出エジプト記22章 / 沙耶香 引用

>>1節は、盗んだり殺したり人が捕まったときの戒めで、今の法律のようなものだと思います。今の法律でも、盗んだり殺したり人が捕まらないと、何もできないのと同じことだったと思います。

うん、捕まらないと、何の罰も受けさせることができないなんて本当に理不尽だけれど、でもイエス様の世界を知ると、それを悔い改めないと地獄行きだと知っているので・・・やはり永遠の流れを知らないといけないですよね・・・

No.3091 2007/09/30(Sun) 05:45:25

Re: 出エジプト記22章 / 大垣 引用

そうですね。この世での報いや罰は、最後の審判のときになされる公正なさばきを人々にさし示すことが役割だと思います。この世での報いや罰だけを見ていると理不尽なことも多いので混乱していきます。

No.3095 2007/09/30(Sun) 22:51:37
出エジプト記20章 / 沙耶香 引用

今日は出エジプト記20章を読みます。

4節に
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。
とあります。うちの教会の牧師がいつも偶像を造ってはならない、イエス様ただ一人を仰ぎ見なさいとおっしゃっておられます。

5節に
それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。貴方の神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎むものには、父の咎を子に報い、3代、4代にまで及ぼし、
とあるが、これはどういう意味だろうか?神様にそむいたものはその何代も先まで咎が及ぶということだろうか?罰を受けるということだろうか?

19節に
彼らはモーセに言った。「どうか、私たちに話してください。私たちは聞き従います。しかし、神が私たちにお話しにならないように。私たちが死ぬといけませんから。」
とありますが、どうして神が話をすると死ぬのだろうか?

21節に
そこで、民は遠く離れて立ち、モーセは神のおられる暗闇に近づいて行った。
とあるが、なぜ神は暗闇におられるのだろうか?暗闇というと神の居場所ということなのかな?

23節に
あなたがたはわたしと並べて、銀の神々を造ってはならない。また、あなた方自身のために金の神々も造ってはならない。
とありますが、銀の神々、金の神々とは一体何だろうか?

26節に
あなたは階段で、わたしの祭壇に上ってはならない。あなたの裸が、その上にあらわれてはならないからである。
とあるが、何で祭壇に上ったら裸になるのだろうか?うーん???

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒26章21―25節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると22節と25節が気になるので、これをもう何度か読みます。
パウロがまじめに必死で宣べつたえていると、気が狂ったと取られる・・・・うん、でもこの世の中、福音をまじめにのべつたえていると、おかしいと思われます。この世の中はおかしいところだからかな?

No.3065 2007/09/26(Wed) 11:17:39

Re: 出エジプト記20章 / 大垣 引用

20章2-17節は十戒です。

5節は、神さまにそむいたものがあると、4代にまで罪の罰、あるいは罪の影響による苦しみがあるということだと思います。しかし、エゼキエル18章4節にあるように、罪を犯した者は、子孫ではなく、その者が死にます。命の源である神との断絶という罰は、子孫が受けるのではなく、神に対し罪を犯した人が受けます。しかし、もし、ある人が神に罪を犯したために、貧乏になった場合、その影響は子孫も4代まで受ける、ということだと思います。

19節、民は、自分たちが、聖なる神に直接話しかけられたら、汚れのために死んでしまうことを知っていたと思います。それで、モーセが神に直接に聞き、民に伝えるように願いました。

21節、神は密雲や煙の中の暗やみにおられたようです。

23節の、銀の神々、金の神々とは、銀や金で作った神々の像のことです。

26節は、難解ですが、階段を昇ると、着物のような服を着ていた場合、すそがはだけるのが良くない、ということかと思います。後にソロモンが神殿を築いたとき、大きな祭壇に登るために階段ではなく、土で坂を作ってそれを上がるようにしたようです。

No.3067 2007/09/26(Wed) 19:32:42

再出エジプト記20章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度出エジプト記20章を読みます。

>>5節は、神さまにそむいたものがあると、4代にまで罪の罰、あるいは罪の影響による苦しみがあるということだと思います。しかし、エゼキエル18章4節にあるように、罪を犯した者は、子孫ではなく、その者が死にます。命の源である神との断絶という罰は、子孫が受けるのではなく、神に対し罪を犯した人が受けます。しかし、もし、ある人が神に罪を犯したために、貧乏になった場合、その影響は子孫も4代まで受ける、ということだと思います。

難しいですね・・・罪を犯して貧乏になるということはあるの?罪を犯して富を得るということはよくあるしよく聞くけれど、罪を犯して貧乏になるというのはあまり聞いたことないなー――。



3節の
あなたは、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
が印象に残りました。

7節の
あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。
が印象に残りました。

12節に
あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。
とあるが、両親を尊敬するのは長く生きるためなの?知らなかった。初めて聞きました・・・

22節に
主はモーセに仰せられた。「あなたはイスラエル人にこういわなければならない。
あなた方自身、わたしが天からあなたがたと話したのを見た。
とあるが、あなた方自身、わたしが天からあなたがたと話したのを見た。というのはどういう意味だろうか?幻でも見たと言いたいのだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒26章26―30節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、29節が気になるので、これをもう何度か読みます。
言葉は少なくてもイエス様がきっと足りない分を補ってくださいます。

No.3069 2007/09/26(Wed) 21:27:00

Re: 出エジプト記20章 / 大垣 引用

>罪を犯して貧乏になるということはあるの?

裕福な人たちの中には、株の不法取引などの犯罪で捕まって、ほとんど全財産を失って貧乏になった、というようなことがよくあります。

12節、「主が与えられておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。」というのは、カナンの地を約束されたイスラエルの民にとっての理由であって、そのまま他の人たちにあてはまるとは限りません。僕たちキリスト者にとって一番大切なことは父と母を敬うことを、主が喜んでくださると言うことだと思います。それから、主が喜んでくださると、祝福してくださり、主に近づけてくださるので、永遠の目から見たら、自分のためでもある、ということも大切だと思います。

22節は、18節のように、主が山に降りてこられたことを、イスラエルの民が見、おそらく、遠くからで意味はとれなくとも、主がモーセに話された声を聞いたということだと思います。

No.3070 2007/09/26(Wed) 22:43:49

Re: 出エジプト記20章 / 沙耶香 引用

>>19節、民は、自分たちが、聖なる神に直接話しかけられたら、汚れのために死んでしまうことを知っていたと思います。それで、モーセが神に直接に聞き、民に伝えるように願いました。

何で、聖なる神に話し掛けられたら、汚れのために死んでしまうの?

何だかやはり難しいですね・・・

No.3072 2007/09/27(Thu) 09:59:47

Re: 出エジプト記20章 / 大垣 引用

>何で、聖なる神に話し掛けられたら、汚れのために死んでしまうの?

ある意味で神はいつでもどこにでもおられます。しかし、人との関係などで、神の存在の質が変わります。例えば信仰によって義と認められたキリスト者には、神が中に入ってくださっています。キリスト者が二人以上、主の名において集まるとき、さらにキリストが別の意味で、ともにいてくださいます。

罪などで汚れたままの人が聖なる神との関係をだんだん深めていくとき、あるところで、人は死んでしまうということが、聖書に書いてあるようです。汚れの部分が聖さに耐えられなくなるからだろうと思います。

聖なる神に直接に話しかけられるというのは、かなり深い関係なので、汚れが個人の信仰によって、覆われていない人は死んでしまうのだろうと思います。汚れというのは、とても理解が難しいことなので、汚れということに注意をして聖書を読んで理解を深めていくと良いと思います。

No.3074 2007/09/27(Thu) 21:10:41

Re: 出エジプト記20章 / 沙耶香 引用

>>罪などで汚れたままの人が聖なる神との関係をだんだん深めていくとき、あるところで、人は死んでしまうということが、聖書に書いてあるようです。汚れの部分が聖さに耐えられなくなるからだろうと思います。

罪などで汚れたままの人が聖なる神との関係をだんだん深めて行くときって、罪などで汚れたままの人っていうのはクリスチャンではないですよね?クリスチャンじゃない人が神との関係をだんだん深めて行くっていうことはあるんだろうか?

No.3079 2007/09/28(Fri) 11:43:39

Re: 出エジプト記20章 / 大垣 引用

キリストの十字架まで、クリスチャンは誰もいなかったのです。シナイ山に主が降りられたとき、イスラエル人がが山に触ると、主との関係が深まるし、さらに、山に登っていったり、主の声を聞くと、さらに関係が深まります。モーセでさえ、主の御顔を見るほど関係を深めると死んでしまう、ということが後に出てきます。

No.3080 2007/09/28(Fri) 20:20:19

Re: 出エジプト記20章 / 沙耶香 引用

うーん???何だか難しいけれど、でも主と人間は関係をいろんな形で深めることができるということかな?

No.3092 2007/09/30(Sun) 05:47:57

Re: 出エジプト記20章 / 大垣 引用

そうですね。ヨハネ14章6節にあるように、神のことばであられるキリストが父なる神のみもとに行くための唯一の道です。しかし、神は無限にいろいろな面を持っておられるので、個性の違った人間が唯一の道を歩んで神との関係を深めていくときの表れは、人によって全く違ってきます。例えばペテロとパウロとでは全く表れが違っていました。使徒8章9-24節に出てきたシモンは、クリスチャンとなるようにバプテスマを受けたけれど、中途半端な信仰を持っていたようです。そのような信仰で神に近づいていったので、神はペテロを通して「あなたの金は、あなたとともに滅びるがよい。」と言われたと思います。またアブラハムとモーセのように十字架以前の信仰者の表れは大いに違っていました。アブラハムの場合なら、子孫繁栄の祝福を約束された「ことば」を信じることによって義と認められました。神のことばの道がひとつでも、この道は人間がほとんど理解できない無限に深い道です。だから、時代により、個性により、人の神に近づいていく様子は全く違います。

No.3094 2007/09/30(Sun) 21:49:33
使徒1章 / 大垣 引用

使徒1章。1−5節、40日。40日という期間の重要性を思います。

6−11節、キリストの昇天。6−7節、イスラエルの国が本当の意味で再興されるのは、キリストの再臨の後の千年王国のときだと思います。

8節、どうか、僕たちが聖霊さまによって力を受け、主イエスさまの証人として用いられる祝福を大いに与えられますように。

9−11節、キリストの昇天がひとつのクライマックスなのにとても簡潔に書かれているのが印象的。

12−14節、屋上の間。兄弟姉妹が心を合わせ、祈ることの大切さを思います。

15−26節、ユダの後継者の選出。20節にある詩篇のダビデとイエスの型の意味での預言が印象的。引用された詩篇第69篇、109篇を読む。無限にあわれみ深くで、キリストの十字架によって罪を赦されるが、同時に聖なる神は罪を大目にみられない。特に詩篇69篇19−28節と、109篇6−20節の、聖なるのろいの意味を思います。

26節、旧約聖書でくじやなどが何回も使われたが、くじはここが聖書で最後になる。聖霊に入っていただいた後は、くじで主の御心を聞こうとするより、お祈りして聞くようにするのが良いのだろうと思います。

No.3088 2007/09/29(Sat) 21:21:32
ヨハネ21章 / 大垣 引用

ヨハネ21章。ガリラヤ湖での大漁で、ルカ5章4-11節、特に10節の「人間をとるようになるのです。」のところと、エレミヤ16:16の「漁夫をやって」のところと、マーガレット・ワイズ・ブラウンの「ぼくにげちゃうよ」の絵本を連想しました。絵本には、お母さんウサギから逃げ出して魚になった子ウサギを、お母さんウサギがニンジンのえさで釣り上げている絵があります。イエスに聞き従うと、罪の魅力に誘われて神から逃げている多くの人々をとられる神の愛のわざに参加することができる。

15節、「この人たち以上に」は、「ほかの何ものよりも」と訳せるらしいです。「この漁よりも」と解釈したいとしている本があって、興味深い。僕としては、漁も兄弟姉妹も妻や家族もすべて含めて、「ほかの何ものよりも」と聞かれたのだという気がします。

15-17節の「わたしを愛しますか」のところでアガペーとフィレインに意味に違いがあるとする説は疑問だと思います。脚注の「愛する」のところのように、ヨハネはこれらの語を、福音書のほかの箇所でも同義的に使ったという説のほうが信頼できるように思います。

21-22節が印象的。僕たちはほかの人たちのことがとても気になる。しかしイエスは、僕たちひとりひとりに、ほかの人たちのことを気にしていないで「わたしに従いなさい」と言われる。

どうか僕たちが、主イエスさまだけを見つめて、ほかの誰よりも、何ものよりもイエスさまを愛し、ほかの人たちのことを気にしないで、主イエスさまに従うことができるようになっていきますように。きっとそうしてくださると信じて期待して感謝します

No.3084 2007/09/29(Sat) 05:33:49
出エジプト記21章 / 沙耶香 引用

今日は出エジプト記21章を読みます。

2節に
あなたがヘブル人の奴隷を買う場合、彼は6年間、仕え、7年目には自由の身として無償で去ることができる。
とありますが、こういうことは決まっていたことなのだろうか?

4節に
もし彼の主人が彼に妻を与えて、妻が彼に男の子、または女の子を産んだのなら、この妻とその子供達は、その主人のものとなり、彼は独身で去らなければならない。
とありますが、これはすごいことだなーー。こんなことがまかり通っていたなんて怖いなーーー。

6節に
その主人は、彼を神のもとに連れて行き、戸または戸口の柱のところに連れて行き、彼の耳をきりで刺し通さなければならない。彼はいつまでも主人に仕えることができる。
とあるが、何だか怖い話しですね・・・

11節に
もし彼がこれら3つのことを彼女に行わないなら、彼女は金を払わないで無償で去ることができる。
とあるが、もし彼が3つのことを彼女に行ったら、彼女はお金を支払わなければならないということなの?うーん、奴隷制度って本当に理不尽だなーーー。

21節に
ただし、もしその奴隷が1日か2日生き延びたなら、そのものは復讐されない。奴隷は彼の財産だからである。
とあるが、奴隷は財産と考えられていたんだ?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒26章31,32節、27章1−3節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると31節が気になるので、これをもう何度か読みます。
勘違いされて投獄される場合よくあります。この世の中理不尽なことばかりで、ずるがしこい人が得をし、正直者が馬鹿を見る。本当悲しい世の中だ。イエス様早く再臨して欲しい。

No.3071 2007/09/27(Thu) 09:54:28

Re: 出エジプト記21章 / 沙耶香(管理人が投稿をコピー) 引用

今日はもう一度出エジプト記21章を読みます。

ため息ため息・・・何だか具合悪い。早くイエス様迎えに着て欲しいです。イエス様イエス様イエス様。

8節に
彼女がもし、彼女を自分のものにしようと定めた主人の気に入らなくなったときは、彼は彼女が購いだされるようにしなければならない。彼は彼女を裏切ったのであるから、外国の民に売る権利はない。
とあるが、気に入らなくなったときとかって言われても困りますよね?うん、勝手だな。

14節の
しかし、人が、ほしいままに隣人を襲い、策略をめぐらして殺した場合、このものを、わたしの祭壇のところからでも連れ出して殺さなければならない。
が印象に残りました。

28節に
牛が男または女をついて殺した場合、その牛は必ず石で撃ち殺さなければならない。その肉を食べてはならない。しかし、その牛の持ち主は無罪である。
とあるが、牛は分からずしているのに、撃ち殺されるなんてちょっとかわいそうな気もするなーー。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒27章4―8節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいたが一つに絞れなかったので、全体をもう何度か読みます。
パウロ一行は何だか大変ですね・・・・

No.3075 2007/09/28(Fri) 00:24:39

Re: 出エジプト記21章 / 大垣 引用

信仰によって義と認められた(創世記15章6節)アブラハムは、主と契約関係に入られました(創世記15章9−21節)。同じように、イスラエルは国として、エジプトから解放されて主の民とされ、十戒や他の律法を与えられて主と契約関係に入ります。契約に入るときには、血が必要になります(出エジプト記24章3−8節、へブル書9章16−22節)。ヘブル書9章11−15節、23−28節にあるように、キリスト者はキリストの血によって、主との契約に入っています。この契約は、モーセの契約と違う、新しい契約です(へブル書9章15節)。

21−23章で、20章での十戒にひきつづき、主はモーセに契約のための、律法を与えておられます。だから、21章に書いていある規定は、2節も含めて、もともと決まっていたのではなく、イスラエルの民との契約関係に入られるにあたり、律法として、主がモーセに与えられています。

4、6、11、21節など、現代の人間の判断では、何か怖いこと、理不尽でまかり通ってはいけないことのように感じるのが自然かもしれません。しかし、モーセの時代の社会慣習と人間の心のかたくなさ、という制約のもとで、主が聖なる愛を最高の形で表されたのが、モーセの律法です。詩篇第119篇で賛美されているとおりです。だから、律法は当時の社会慣習やイスラエルの人の心の状態を深く理解すれば、神を愛し、人を愛するための素晴らしい戒めであることが、だんだん理解できるようになると信じています。

律法の奴隷制度については、ヘブル人の奴隷は、一生奴隷なのではなく、7年目に無償で去ることができることになっていたことが重要です。これは今でいうと「奴隷」というより、「住み込みの労働者」に近いと思います。例えば、ある人が借金を払うために、6年間、住み込み労働をすることにすれば、その間に、いろいろな規定による制約があることは当然だと思います。

28節は、自由意志で神に逆らうことのない牛には罪はないし、主が造られた動物として大切だけれど、人間のほうがもっと大切だということだと思います。人を突きCENSORED牛をそのままにしておくと、牛は他の人たちも殺します。牛をかわいそうだと思う気持ちは大切にすると良いけれど、かわいそうだからと考えて、ほっておくと、その牛が他の人たちをCENSOREDだろうということを無視するのは、主の御心にかなわないということだと思います。

No.3076 2007/09/28(Fri) 00:58:59

Re: 出エジプト記21章 / 沙耶香 引用

信仰によって義と認められた(創世記15章6節)アブラハムは、主と契約関係に入られました(創世記15章9−21節)。同じように、イスラエルは国として、エジプトから解放されて主の民とされ、十戒や他の律法を与えられて主と契約関係に入ります。契約に入るときには、血が必要になります(出エジプト記24章3−8節、へブル書9章16−22節)。ヘブル書9章11−15節、23−28節にあるように、キリスト者はキリストの血によって、主との契約に入っています。この契約は、モーセの契約と違う、新しい契約です(へブル書9章15節)。

血が必要だというから、何かと思ったら、いけにえの血か・・・

No.3077 2007/09/28(Fri) 07:55:10
出エジプト記19章 / 沙耶香 引用

今日は出エジプト記19章を読みます。

1節に
エジプトの地を出たイスラエル人は、第3の月の新月のその日に、シナイの荒野にはいった。
とありますが、第3の月の新月のその日っていつのことだろうか?

4節に
あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたをわしの翼に載せ、わたしのもとに連れてきたことを見た。
とあるが、”わしの翼に載せ”というのは比喩的表現なのだろうか?

10節に
主はモーセに仰せられた。「あなたは民のところに行き、きょうとあす、彼らを聖別し、自分たちの着物を洗わせよ。
とありますが、これはどういうことだろうか?自分たちの着物を洗わせるというのは何か意味があるのだろうか?

12節に
あなたは民のために、周囲に境を設けて言え。
山に登ったり、その境界に触れたりしないように注意しなさい。山に触れるものは、だれでも必ず殺されなければならない。
とありますが、山に触れるものは誰でも殺されなければならないとは穏やかではないですね?何でここまで言うのだろうか?

16節に
3日目の朝になると、山の上に雷といなずまと密雲があり、角笛の音が非常に高く鳴り響いたので、宿営の中の民はみな震え上がった。
とあるが、密雲って一体何だろうか?聞いたことないなーーー。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒26章11―15節を読みます。
天のお父様神様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると13節が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様に照らされるって素晴らしいですね・・・

No.3060 2007/09/25(Tue) 09:03:39

再出エジプト記19章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度、出エジプト記19章を読みます。

3節に
モーセは神のみもとに上って行った。主は山から彼を呼んで仰せられた。「あなたは、このように、ヤコブの家に言い、イスラエルの人々に告げよ。
とあるが、ヤコブの家に言うというのはどういうことだろうか?ヤコブの家の人に言うということだろうか?それとも何か別の意味があるのだろうか?

今、聖書を読んでいる途中だけれど、今までというか常日頃私は世間の人たちや家族や周りの人みんなに馬鹿にされ、いじめられ、蔑まれ、けなされて利用されて騙されて生きてきました。見た目も最悪で誰からも罵声を浴びせられるような人だけれど、でもそういう仕打ちを受けても、イエス様だけは私を見守り、私を支え、私とともにいてくださるんだと語られたような気がします。
イエス様イエス様イエス様感謝します。

15節に
モーセは民に言った。「3日目のために用意をしなさい。女に近づいてはならない。」
とあるが、何で女に近づいてはならないのだろうか?何か関係あるんだろうか?

18節に
シナイ山は全山が煙っていた。それは主が火の中にあって、山の上に降りてこられたからである。その煙は、かまどの煙のように立ち上り、全山が激しく震えた。
とあるが、何で煙っていて火の中にあるんだろうか?比喩かな?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒26章16―20節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると20節が気になるので、これをもう何度か読みます。
悔い改めは素晴らしい恵ですよね?人間罪人だから罪を犯すのは当たり前だけれど、罪を犯したら悔い改めないといけない。本当そうです。

No.3061 2007/09/25(Tue) 17:28:38

Re: 出エジプト記19章 / 大垣 引用

1節の第3の月の新月の日は、第3の月の第1日です。イスラエルの民がエジプトを出発した日から45日目です。日本の太陽暦では5-6月ごろになります。

3節のヤコブの家とは、ヤコブの子孫たちのことで、イスラエルの人々と同じ意味だと思います。主が、へブル語の詩のように、同じような意味のことを繰り返して言われています。

4節の「わしの翼に載せ」は比喩的表現です。

10節、「聖別する」とは、物ならば、神に用いられるように、ほかの物と別にしておく、というような意味です。人間ならば、モーセのころは、聖なる神の御前に出ても死なないように、汚れないように注意して、体も着物も洗ったりしました。

12節、山に触れる者は殺されなければならない理由は、11節のように聖なる神がシナイ山に降りてこられるからです。それでは、どうして神が山に降りて来られると、山に触れてはいけないのか、理由を理解するのは難しいですが、汚れに関係しているようです。注意していても生まれたままの人間は汚れがあるので、汚れがあるままで聖なる神に近づいてはいけないのだと思います。キリストの十字架の後では、信仰者は、自分には罪などによって汚れがあると知った上で、キリストの十字架の死によって罪を赦され、キリストの血によって汚れをきよめていただいていると信じて、大胆に神の前に出ること大切だと思います。

15節は、男が女と性交すると、結婚していたら罪でないですが、汚れるようです。主が山に降りてこられるので、その汚れを避けることが必要だったと思います。

16節の密雲は、日本語では密度の高い雲という意味だと思います。もともとのへブル語は「重い雲」というような意味のようです。

18節は、比喩ではなく、実際に3章2節のときのように、主が火の中におられたと思います。

No.3063 2007/09/26(Wed) 09:07:59

Re: 出エジプト記19章 / 沙耶香 引用

>>10節、「聖別する」とは、物ならば、神に用いられるように、ほかの物と別にしておく、というような意味です。人間ならば、モーセのころは、聖なる神の御前に出ても死なないように、汚れないように注意して、体も着物も洗ったりしました。

体や着物を洗ったりしていたら、聖なる神の御前に出ても死なないのですか?じゃ、逆に体や着物を洗ってなかったら聖なる神の御前に出ると死ぬのですか?うーん??

>>16節の密雲は、日本語では密度の高い雲という意味だと思います。もともとのへブル語は「重い雲」というような意味のようです。

うーん???密度の高い雲とか重い雲と言われても何のことだか分からないが、多分どんよりした今にも雨が降りそうな雲のことだと想像しますが・・・・

No.3064 2007/09/26(Wed) 10:39:40

Re: 出エジプト記19章 / 大垣 引用

>体や着物を洗ったりしていたら、聖なる神の御前に出ても死なないのですか?

聖書を読むときに、僕たちは単純に分かりたい、という気持ちがありますが、聖書は無限に深い神の御言葉なので、分かるはずがないが、より深く神に触れたい、という気持ちで読むと良いと思います。体や着物を洗っただけで、聖なる神の御前に出て死なないなら、とても単純ですが、そうではありません。

聖なる神の御前に出るときに、まず一番大切なことは、心を聖くすることだと思います。1サムエル16章7節に「人はうわべを見るが、主は心を見る。」とあります。しかし、人は体や着物がどういう状態にあるかで、心に影響を受けます。それで、体や着物を洗って、少しでも心が聖くなるように、ということがあったのだろうと思います。

人に汚れがあるときに、神の御前に出ると死んでしまうのですが、この汚れということは、人間には理解が難しいです。モーセの律法に汚れについてのいろいろな規定があり、特に出エジプト記の次の書のレビ記に汚れについて、多く書いてあるので、それらの規定から、だんだん理解を深めていくと良いと思います。

>じゃ、逆に体や着物を洗ってなかったら聖なる神の御前に出ると死ぬのですか?

あることが真であっても、逆にすると、真でなくなることが多いので、逆を考えるときは、注意が必要です。「男は人間である。」が真であっても、「人間は男である。」という逆は真ではありません。僕たちキリスト者は、キリストの血で汚れが聖められていると信じて、いつも祈っていて、大胆に神の前に出るようにしていることが大切だと思います。体や着物を洗っていないときでも、霊的に祈りの中で、いつも神の前に出ることが良いと思います。体や着物が汚れていても、神の前に出るのですが、心は体や着物の影響を受けやすいことに注意するようにすると良いと思います。

「どんよりした今にも雨が降りそうな雲」は、16節の密雲のイメージとして、良いように感じます。祈りのなかで、いろいろな雲を見て、さらに考えてみてください。

No.3066 2007/09/26(Wed) 19:13:43
ヨハネ20章 / 大垣 引用

20章を読んでいるうちに、思っていたことは、他の福音書や聖書の他の部分との関係を考えないで、まず読んで、ヨハネを通したみことばに触れてみたい、ということです。それをした上で、次に、聖書の他の箇所との関係を考えてみたい。その後に、また、ただヨハネを通してみことばに直接触れるようにすると、より深く触れることができる、と思います。

8節、ヨハネは空の墓を見て、信じた。しかし、9節にあるように、ヨハネもペテロも旧約聖書に、イエスが死人の中からよみがえられなければならないと書いてあることはまだ理解していなかった。聖書に書いてあることを理解してから信じることもあれば、信じてから理解することもある。信仰を持って読まないと理解できないことの方がずっと多いだろうと思います。

11−18節、イエスを深く愛し、復活されたことを理解できずに泣いていたマグダラのマリヤ。そのマリヤに名前を呼んで声をかけられたイエス。すがりついてはいけない、とマリヤに言われたイエス。美しく、悲しい。

17節のギリシャ語が難解だということで、いろいろ読んだり書いたりしたけれど、なぜか今は何も思い出さない。マリヤに「すがりついてはいけません」と言われたとに、27節ではトマスにご自分に触るように言われたのはなぜか、という神学上の議論があるのは思い出した。今は、マリヤがするべきこと、この時点でしてはいけないことと、トマスがするべきこと、してはいけないことは、全く違うのかもしれない、ということを思います。28節で、もし、トマスがイエスの足もとにひれ伏し、イエスの足にすがりついたなら、それは、その時点でトマスがしても良いことだったかもしれない。同じように見える行動をマリヤが17節の時点でしたら、それは、良くないことだったかもしれない。

23節、他の解釈もあるようですが、キリスト者が、だれかの罪が赦されるように熱心に祈るとき、その人に信仰が与えられ、罪が赦される、という意味という感じを受けます。

31節、どうか僕たちが主イエスさまが神の子キリストであることを信じるように与えられた信仰により深く応じることができますように。どうか、イエスの御名によって、僕たちのまわりの多くの人々に永遠のいのちを与えられるわざに、より多く、より深く、参加させていただく祝福をいただけますように。

No.3062 2007/09/26(Wed) 00:30:22
出エジプト記18章 / 沙耶香 引用

今日は出エジプト記18章を読みます。

4節の
もうひとりの名はエリエゼル。それは「わたしの父の神は私の助けであり、パロの剣から私を救われた。」という意味である。
が印象に残りました。一人の名前にそこまでの意味があるなんて・・・

10節の
イテロは言った。「主はほむべきかな。主はあなたがたをエジプトの手と、パロの手から救い出し、この民をエジプトの支配から救い出されました。
が印象に残りました。

11節に
今こそ私は主があらゆる神々にまさって偉大であることを知りました。実に彼らがこの民に対して不遜であったということにおいても。」
とあるが、不遜とはどういう意味だろうか?

16節の
彼らに何か事件があると、私のところに来ます。私は双方の間をさばいて、神のおきてとおしえを知らせるのです。」
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒26章1−5節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると5節が気になるので、これをもう何度か読みます。
宗教のもっとも厳格な派、どんな派閥でも派閥の長はイエス様だから・・・・

No.3055 2007/09/24(Mon) 10:59:49

Re: 出エジプト記18章 / 大垣 引用

10節の、不遜とは、思いあがっていたり、おごっていることです。謙遜の反対語です。イスラエルの民は世界を創造された主に選ばれた民であるのに、エジプトはこの世的に強大で裕福だったので、エジプトの人々はイスラエルの民に対し、思い上がっていました。

ここで、モーセのしゅうと、イテロはミデヤン人であり、イスラエル人ではありません。そのイテロは17−23節で、神の民のリーダーであるモーセに助言しました。普通の人なら、「神の民にリーダーに神の民でもない者が助言するとは、不遜な。」と思っても不思議のないところですが、モーセは、40年も荒野で羊飼いをして主に訓練されたためか、とても謙虚な人でした。それで、24−26節で、モーセは謙虚にイテロの助言に従いました。

どうか、僕たちもモーセのように謙虚に人からの助言を聞くことができますように。

No.3056 2007/09/24(Mon) 22:07:32

再出エジプト記18章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度出エジプト記18章を読みます。

にわか雨が降って来ました。洗濯物は軒下に入れていたのだけれど、軒下の屋根がところどころ穴が開いているので、あまり当てにならないので、家の中に入れておいた。

3節に
そのふたりの息子を連れて行った。そのひとりの名はゲルショムであった。それは「私は外国にいる寄留者だ。」という意味である。
とありますが、ゲルショムの意味が「私は外国にいる寄留者だ。」という意味なのだろうか?

19節の
さあ、私の言うことを聞いてください。わたしはあなたに助言をしましょう。どうか神があなたとともにおられるように。あなたは民に代わって神の前にいて、事件を神のところに持って行きなさい。
が印象に残りました。うん、モーセもモーセのところに持ってこられたら疲れるのですよね。やはり神のところに持っていかないといけないんだ。

21節に
あなたはまた、民全体の中から、神を恐れる、力のある人々、不正の利を憎む誠実な人々を見つけ出し、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として民の上に立てなければなりません。
とありますが、うちの教会では牧師は神様が決められると言われています。人を通して決められるんだと思うんだけれど、多分こういう感じで決めるんだろうなーーーと思います。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒26章6―10節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると10節が気になるので、これをもう何度か読みます。
何だか怖いですね・・・

No.3057 2007/09/24(Mon) 23:07:25

Re: 出エジプト記18章 / 大垣 引用

3節のゲルショムは普通は外国人、と訳される語のようです。

No.3058 2007/09/25(Tue) 04:04:51

Re: 出エジプト記18章 / 沙耶香 引用

>>どうか、僕たちもモーセのように謙虚に人からの助言を聞くことができますように。

うん、本当に、人からの助言を謙虚に受け止められる人なんてなかなかいないですよね?でもイエス様によってそういう風にしてもらいたいものですね・・・

No.3059 2007/09/25(Tue) 07:36:43
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